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寅次郎な日々
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まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。
寅次郎な日々370 ユニークなロケ地巡り.究極のマップ ストリートビュ-
【遠い旅の空から】連載開始(2008年7月31日)
全48作品とらや【お品書き】考察記(2008年7月24日)
ロケ地発見への道 「寅次郎と殿様」 愛媛県 興居島(ごごしま)(2008年7月16日)
即興フラッシュアニメ『駆けて来る寅次郎』(2008年7月14日)
好きだから つよくぶつけた雪合戦(2008年7月3日)
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| お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 五日に一度くらいアップかな… 寅次郎な日々370 ユニークなロケ地巡り.究極のマップ ストリートビュー ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 Googleは、ついにやってはいけない…かもしれない、究極のマップを作り出した。 アメリカでは昨年から登場していたらしいが、日本では先日からだ。 名づけて『ストリートビュー』 地図上の人物をクリックすると、その道路からの景色が10メートルおきくらいに映し出されるのだ。 そしてその映し出された映像の矢印をクリックすると、映像を見ながら移動できる。 人物をドラック移動することも出来、回転マークで画像を上下左右斜めにぐるりと360度回せる!。 その画像を拡大することも出来る(画像は荒くはなる)。 もちろん車が入りにくい路地などはカバーされていないし、時刻も季節もまちまちだ。 試してみてすぐに思ったのは、こんなことが許されていいはずがないだろう…、ということだった。 個人の家や間取り、車の車種、歩いている人などが、若干ぼかされているとはいえ、 危ない状態でそのまま映っている。 悪く言うと「覗き見」を公然と出来る状態が何パーセントかの要素で確実に存在しているのである。 人間と言うのは弱いもので、だれも見ていなければ、やっぱり下世話な気持ちでいろいろ見てしまうものなのだ。 たとえば関心のある誰かの詳しい住所まで知っているとすれば、とりあえず、それなりに大きな道に面していれば おおよその特定が可能になるのだ。これはある意味怖いことでもある。 そうは言っても私も試してみたくなった。 まず、自分の大阪市の実家、自分の昔すんでいた東京豊島区の家、東村山の多摩湖町の家、 教師時代の豊島区の中学校などをすぐに見て回った。 下世話だがこういうものは面白いのだ。家に居ながらにして町を巡れるのだから。 Googleが言うぶんには、1都市をカバーするには3〜4カ月を要するらしい。 相当の台数の撮影車を稼働しまくって、今後もカバーエリアを順次拡大していく予定だそうだ。 まあ、時間の問題であらゆるクレームが噴出してくるのは間違いない。 Googleもそんなことは承知で、それらのクレームに対応しながらこのサービスを綱渡り的に拡大させていこうとしているのだろう。 で、私のほうだが、私は他人の家をピンポイントで覗く趣味はない。そういうのは気持ち悪いものだ。 だからもっぱら【ロケ地めぐり】のみに使っている。 まだまだそんなに多くの都市で見れるわけではない。 今のところ東京都とその近隣県の一部、大阪京都奈良神戸、淡路島 、仙台、函館、小樽、札幌などだ。 それでも結構なロケ地めぐりができる。 ちょいと試しに3時間ほどかけてめぐってみたロケ地をさらりと紹介しましょう。 東京 あの第1作のオープニング、モノクロの映像が実に印象深かった。 あのシーン、満開のさくらの花びらのバックに水元公園の池と橋が見える。 「ストリートビュー」の方は冬の水元公園。 → 第14作「寅次郎子守唄」では京成電鉄の沿線が舞台になっている。 博がお世話になり、赤ん坊が御世話になり、おいちゃんまでが入院した吉田病院。そしてその横の線路高架下。 当時と雰囲気はあまり変わっていない。映画の中ではこの吉田病院は柴又にあることになっているが、 実はこの病院は「京成関屋駅」や東武伊勢崎線「牛田駅」のすぐ北、徒歩3分場所にある。 左は病院側、右の本編は病院の向こう側。 → 下の写真も第14作「寅次郎子守唄」でのロケ地。マドンナの京子さんの最寄り駅である 京成電鉄の「江戸川駅」すっかり新しくなっていた。 → ![]() 下の写真も第14作「寅次郎子守唄」でのロケ地。あの大川弥太郎たちが毎週合唱の練習をする京成関屋駅から 徒歩10分の『聖和幼稚園』横の路地。幼稚園は新しい建物になっていた。 → 小樽 小樽と言えばまずは第15作「寅次郎相合い傘」だ。 あの放浪の旅の最中お金が無くなった、寅、リリー、パパは駅の待合室で野宿をするが、 この駅が函館本線 『塩谷駅』であるとこをつきとめたときの感動は今でも忘れられない。 駅の遥か向こうに見える海岸線や山々の地形だけが頼りだった。、結局なんとか探し当てたのだが 後にも先にもあんな難しい作業は無かった。 で、今回「ストリートビュー」で訪ねてみると、駅が変わり果てているのはともかく、駅前の地形が 変わるほどの道路工事が行われていたのだ。駅前に道路が出来、近場を見る限りは もうロケのころの面影は無いもなかった。 わずかに見える海と山々の形だけが頼りだった。 ![]() ★このメールに添付しました『相合い傘での駅舎全ぼう』が映っている静止画像の 一番左上の2つの小さな黒く細いものは船だと思われる。 もしそうだとしたらあの左上は海!ということになり、 同じく添付しました近年写された『駅裏の丘からの眺望風景』と 中景の丘陵や遠くの山の形、海の見え方も同じ。水平線が似てくる。塩屋駅の確率が高くなった。 → 現在の塩屋駅裏の丘から海を撮影した画像↓映画の上の拡大図と似ている。 遠景右の山々が同じ形。 ![]() 実は途中、一度立て替えられてこのようになっていた。↓ ![]() そして現在三度び立て替えられておもちゃのような小さな駅になっている。 ![]() ★向かいのホームへの階段、高架連絡橋は今でもまったく同じかもしれない。 ![]() 小樽に入ってからパパは初恋の恋人探しを敢行する。 小樽市東雲町付近。水天宮に至る急な石段を上っている3人。 彼らの右下に『小樽聖公会』の赤い屋根が見える。 現在は周りの風景や階段周辺はちょっと変わったが『小樽聖公会』の屋根の雰囲気は同じ。 → 同じく兵頭パパが初恋の人に会いに行った『喫茶店ポケット』 場所は小樽市緑町1丁目あたり。 原田歯科医院の真横に喫茶店ポケットはあった。 現在原田医院はビルになり、その横にあったポケットは無くなり、どこかの事務所前の駐車場人っている。 その横は今は「緑町郵便局」。 原田歯科医院の看板が見える。 → ![]() 駐車場になっているところがちょうどポケットがあったところ ![]() そして次はあの有名な『小樽運河』に行こう。 こいつはなかなか特定が厄介だった。 小樽運河でロケしたのは当たり前なのだが、この運河、結構橋が多いのだ。 運河南から「浅草橋」、「中央橋」、「竜宮橋」、「北浜橋」である。 それでもこの作品ではあのロケ地で運河の端が映ることから、全長1200メートルほどの運河の どちらかの端っこでロケしたであろうことが推測できる。 ちなみに、 数年前に出版された「寅さん完全最終本」なる本にはこのロケ地が「竜宮橋」と書かれてあって、 いろいろ紹介されているが竜宮橋は実は運河の一番端の橋ではない。基本的なミスだと思われる。 運河が向こうで終わっているのでロケは一番端にある橋である。 ![]() この時点で二つに絞られる。端が見えると言うことは…、 つまり南の端の「浅草橋」でロケた」したのか、 それとも北の端の「北浜橋」でロケしたのかだ。 しかし、南の「浅草橋」から見た風景だとすると、余市方面にあの有名なレンガ倉庫群が間近に見えるはずである。 もちろん1975年当時よりずっと前からあの倉庫群はあったのだから。 (もっとも今はみんな中だけリニューアルされて飲食店に変わってしまったが。) ちなみに第22作「噂の寅次郎」のラストでは早苗さんが故郷の小樽へ帰ったということで、 観光スポットとして有名な南側の「浅草橋」からの冬ロケが行われた。(もちろん風景だけ) 第22作「噂の寅次郎」での「浅草橋」ロケ 余市方面を望む 現在、観光名所になった「浅草橋」より余市方面を望む。 → これでまず、第15作は一番北の「北浜橋」でロケしたことが推測された。 そいかし、物的証拠がないと、ギリギリではこれも「推測」でしかないのだ。 そこで「ストリートビュー」に登場してもらった。 そうすると証拠が出てくる出てくる。当時と激変していると思われた運河北側(北運河)でも、 まだまだ同じ建造物は結構あったのだ。 ここにその一部を紹介しよう。 「北浜橋」から見た北側が特に見た目はもう違う街かと思うくらい激変していた。特にあの巨大な工場(缶詰工場)はなんだ…。↓ → ![]() しかし上の巨大な工場の後ろに赤レンガの倉庫が見える。あの煉瓦は当時もあった。あのまま。 後で調べると硝子工芸のギャラリーのようなものになっていた。赤丸参照 ![]() 一方、橋から眺めた南側もかなり雰囲気が変わっていたが、 左岸に見える缶詰工場本社のあり方が当時のままの部分が見受けられた。 特に一、二階部分や、煙突など…。 兵頭パパの背中向こうに当時のビルの一部が見える。 → ![]() それと、橋の欄干の質感や形が同じ。 それと、当時から橋の欄干の真ん中が凸字型になっていて、河を眺めることが出来ていたところも、今も同じ。 橋の真ん中が凸型になっているのがわかる↓。 よく見れば橋の欄干の形が当時と一緒。 そしてダメ押しは寅たちの背中向う岸に見える何軒かのトタン屋根煉瓦倉庫が今も保存されていることだ。 現在は、なにやらいろんな店に改装されているようだった。↓ → ![]() これで決定だ。 この第15作「寅次郎相合い傘」でのロケは 小樽運河の一番北にある「北浜橋」の 中央付近でロケされたものだったのだ。 それにしても山田監督はこのしっとりとした古い町が好きなのだ。 テレビドラマ「遥かなるわが町」も小樽が舞台だし、博のお父さんも小樽の大学で勤めていたことがある。 ちなみに、第15作「寅次郎相合い傘」が制作された1975年はちょうど、小樽市と運河保存運動の市民グループが もめていたころだった。 小樽市は、当時、無用の長物と化していた小樽運河を埋め立て、道路として整備する方針を打ち出したが、 これに対し運河の保存運動が全国規模で高まっていったのである。 1973年(昭和48年)に「小樽運河を守る会」が発足され、 この映画が封切られた2年後の1977年(昭和52年)に「小樽臨港線整備促進期成会」がそれぞれ発足され、 運河埋め立てに対する関心が高まり、全国規模で署名運動が行われた。 それで小樽市も1979年(昭和54年)に運河の全面埋め立ての計画を撤回し、 運河の水面幅を40mの半分である20mを残すという妥協案を提案し、 1983年(昭和58年)に着工してしまったのだった。 工事開始してから3年後の1986年(昭和61年)に現在の小樽運河が完成し、 運河に沿ってガス灯や遊歩道が整備された。運河の全長は1140m。 小樽運河北側の整備が始まったのは1989年(平成元年)で、水面幅をかつての運河と同じ40mとされ、 全長は470mの整備が行われ、翌年の1990年(平成2年)に完成した。 だから、あのロケが行われた「北浜橋」のあたりは「北運河」にあたるので、川幅はロケ当時と同じくらい広い。 大阪 大阪と言えば何と言っても「浪花の恋の寅次郎」だ。 この時、私はかなりこの大阪のロケ地を詳細に検証したのだ。 それゆえ、今回の『ストリートビュー」での調査もあっさりと見つけることが出来た。 ここではふみさんの弟の英夫君の仕事場とアパートを「ストリートビュー」で紹介してみよう。 英男君の町、オリジナルマップ ![]() 山下運輸のトラック車庫 港区波除6丁目 大村昆さんが、トイレから出てきたところ。 あのトイレは古くはなっていたが今も健在だった。 → ![]() 英夫君が住んでいた松風荘。 これは当時、道路の位置、大きな発電所の煙突の見え方、などから判断して 場所を推測したのだ。これも当時は時間がかかった。 現在は違う家が建てられ、道路との間に塀が作られている。 → ![]() ふみさんが、「新世界ホテル」で深夜寝てしまい、 朝方複雑な気持ちでタクシーを拾う天王寺動物園前。 これも道路と高架の柱との関係でクリア。 手前の店は今も健在。 → ![]() 京都 京都と言えば第29作「寅次郎あじさいの恋」だ。 この作品も、京都市内のロケ探しはだいたいは簡単なのだが、 細い路地は「ストリートビュー」では巡れなかった。 ここでは北区上賀茂御薗口町4の 焼餅(やきもち)の店『神馬堂』を紹介しよう。 やきもちは葵餅とも言う。 → ![]() 神戸 神戸と言えば、第48作「寅次郎紅の花」のラストが蘇る。 長田区菅原通4丁目 あの渥美さんが「聖地」と呼んだ、長田区菅原市場はどうなっているのだろうか。 これも簡単に見つかった。 向こうのほうに「新春」と見えるのが「菅原市場」 現在は同じ場所で「味彩館 Sugahara」として人気を集めている。 → ![]() 以上だ。 まあ、このように面白いように「ストリートビュー」を使えば ロケめぐりがどんどん出来るのだが、欠点はやはりギリギリではピンポイントでは見つけられないことだろう。 また、ピンポイントで巡れるようなら、逆にそれは社会的に非常に危ないマップだとも言える。 まあ、このいろいろプライバシーの問題が山済みの「ストリートビュー」ではあるが、 これを使ってとりあえず簡単なロケめぐりが出来るなんて遠くバリ島に暮らす私にとってはちょっとした慰めにはなるのだ。 【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 【遠い旅の空から】連載開始 2008年7月31日 寅次郎な日々 その369 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。 先日7月29日(火)より読売新聞朝刊「東京版」にて 『男はつらいよ40周年』にちなんで、 『寅さんに影響を受けた人たち』というテーマで連載が行われている。 タイトルは【遠い旅の空から】 この「男はつらいよ」という映画に人生で大きく影響を受けたいろいろな人たちを毎回一人ずつ紹介し、 映画と関連付けてその人たちの人生をも紹介するという企画だそうだ。 毎日連載で9回ほどに渡って、毎回100行〜120行ほどの長さで五段抜きで連載している。 読売新聞朝刊の中でもかなり大きな連載記事だ。 上にも書いたように東京版なので東京以外の道府県にお住まいの人は残念ながら読めない。 それと多摩地区の方々も読めない。 ただし、読売新聞本社内の『ヨミプラザ』(03−3217−8399)に電話連絡すれば 全国どこからでも過去2ヶ月以内の読売新聞「東京版」は2ヶ月以内なら何日のものでも、 何部でも、通販で買えるから、ぜひとも読みたい人は送料(100円ほど)さえ足せば 2日ほどで手元に届いて読める仕組みになっている。 もうひとつ、読売新聞のWEBサイトである、「YOMIURI ONLINE』の中でも 同じ文章と写真が掲載されている。これなら日本全国はもちろん全世界の日本人が見れるわけだ ホーム>地域>東京23区>企画連載とクリックしていけばOK もしくは下↓のURLでいきなり見れる。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/feature/tokyo231217264378697_02/news/20080729-OYT8T00155.htm 普段世間の企画ものに対して不精な私がどうして珍しくこのような公的なお知らせを 細々と、個人的な『日記』などに書くかと言うと、 実は私も4週間ほど前に取材を申し込まれたからだ。 私などは関係者でもないし、映画人でもないし、有名な文化人でもないし、芸能人でもないし、 仕事自体もちっとも有名な画伯でもないし…、つまり地位も名誉もついでにお金もない男だ。 場違いもいいとこじゃないかってお断りしようと思ったのだが、 私のささやかなサイト「男はつらいよ覚え書ノート」を見て感動してくれたその記者さんは とても熱心な方で、ぜひ直接越中八尾の自宅へ行って話を聞きたいと仰る。 ずいぶん迷ったが、これによって少しでもこの映画が見直されればと、 結局僭越ながら己を無にして直接取材を受けることにした。 『国民映画』『寅さん』などとマスコミにさんざん表面的には持ち上げられながら、 一方でこの映画を評価しないことをまるで文化人、知識人のステイタスのように考えている輩が大勢いるこの国で、 この映画に人生を救われた人間がまさにここにいるのだと伝えたいと思ったからだ。 人の人生を変えてしまえる映画なんてそうあるものではない。 7月初旬の大雨の翌日、 読売新聞東京本社からわざわざ汽車を乗り継いで山を越え5時間以上かけて 山深い越中八尾に来てくださった記者さんは 私の自宅1階板間のアトリエで3時間にもわたる熱心な取材をされた。 地元の北日本新聞、富山新聞やテレビには時々仕事の展覧会に取材していただいて 小さな記事を載せていただいているが、 今回は仕事の展覧会でなく「寅さん」。 しかし記者さんの仰るには「寅さん」の詳しい話だけでなく、 その映画に影響を受けた人間そのものを実は取材したい、ということだった。 この映画のことだけでなく、バリのこと、絵のことなどを全部一つに関連付けての総合的な取材。 それゆえ私の心の底の隠したい部分や苦悩の人生の影の部分を あえて探るような緊張感のある深い取材だった。 新聞記者さんのプロ意識というのはたいへんなものだなとつくづく感じた一日だった。 実は…、 あの徹底した取材を受けて私はもう一度自分が解体された。 そして、あらためて自分の裏表を総合的に見つめることが出来たのだ。 だからあの取材は違った意味でもとても私にとって意味のあるできごとになった。 取材の後、せっかくはるばる越中八尾まで来られたのだからと、 夕方の淡い光の中、自分の住む多くの絵のモチーフにもしている八尾の町を ゆっくり1時間ほど歩いて案内させていただいた。これも大事な取材の一環だ。 こういうことはとても大事。その土地を知らないとその人は分からないものだ。 記者さんはとても町並みがしっとりしていると気に入ってくださった。 で、帰り際に「7月末頃からおそらく連載が始まります」と言われていた。 そのあとも時々メールを通して本質的なこと、精神的なことを何度か聞かれ、 それに自分なりに誠実に答えることによって自分がもっと見えてきたから面白い。 そうこうしているうちに先日連載が始まったが、 なんとその前日に「連載第1回目は吉川さんです」と、言われた。つまり私だった。 第1回目というのは「つかみ」なので本来とても重要なのだ。 第1回、2回、3回あたりが悪ければ後はこけるとも一般には言われる。 しかしこの場合、厳密に言えば私は『モチーフ』にしか過ぎず、 ポイントは記者さんの優れた筆力の方。 だから私は記者さんを信じるほかなかった。 それで掲載された翌日送られてきた記事を読ませていただくと、 自分の人生を変えた第15作「寅次郎相合い傘」での寅のアリアを文章の核として、 私の人生の明暗がドラマチックに浮かび上がる構成になっていた。 特に最終章は私の気持ちを代弁してくれるような鮮やかで無駄のない、それでいて温かいタッチで 締めくくられていたのはさすがの一言だった。 思っていたよりずっと大きな記事で120行くらいはあると思われた。 世間受けを狙った寅さん寅さんした面白おかしい記事では全くなく、 逆にその影響を受けた人間そのものにじっくりとシリアスにスポットが当てられている 優れた本物の企画だったと思う。取材されたから言うわけではない。 こうして送られてきた新聞記事を眺めながら今しみじみそう感じているのだ。 それでは記事をご覧ください↓。面白いと思った方は『ヨミプラザ』で買ってください(^^) 【遠い旅の空から】掲載記事画像 なお、上にも書いたが、記事は新聞だけでなく読売新聞社のwebサイトである『YOMIURI ONLINE』
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 全48作品とらや【お品書き】考察記 2008年7月23日 寅次郎な日々 その368 ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。 まだ映画作品を一度もご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。
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どの作品で価格を値上げして行ったか。↓ 青文字は値下げ 赤文字は80円以上の急激な値上げ。 値上げ(値下げ)した瞬間の作品とその時の価格のみを記入しました。空白欄は前回の作品と同じ価格だと思ってください。
参考資料消費者物価指数 ![]() ■【とらや(くるまや)値上げについての簡単な考察】 ★これを見ると分かるように第9作「柴又慕情」、第12作「私の寅さん」、第13作「恋やつれ」第17作「夕焼け小焼け」、 第19作「殿様」と小刻みに中規模値上げをしていった。 ちょうど上の↑の物価指数のグラフを見ても分かるが オイルショックの起きた1973年は土地の値上がりと共に物価も上昇していたのだだからその年公開の 第12作でいろいろ価格を値上げをしたのは仕方がないのかもしれない。 ★全体に団子系の価格設定に迷いがあるようだ。上がったり下がったり、急激に上げてみたり、 すぐ下げたり…。一折も同じ作品で(小)が200円だったり300円だったり、なんだか落ち着か |