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寅次郎な日々
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もう一人の『さくら』 長山藍子さんの感覚 前編(2010年2月1日)
なぜか江戸幕末に詳しい寅(2010年1月28日)
長旅から帰って来た人には…。(2010年1月21日)
新年のご挨拶 寅次郎と雪のバス停(2010年1月2日)
寅とさくら 兄妹の青春(2009年12月28日)
男はつらいよの中の雪景色(2009年12月18日)
義母も使っていた「脳天ファイラー」(2009年12月10日)
新郎の名前を呼び間違えた夏子さん(2009年12月4日)
『男はつらいよ』と干し柿を作る日々(2009年11月14日)
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー もう一人の『さくら』 長山藍子さんの感覚 前編 CS衛星劇場『私の寅さん 長山藍子さん』 ― 兄を恋人と思っていたさくら 2010年2月1日 寅次郎な日々 その428 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 先日、「男はつらいよ」仲間の知人からCS衛星劇場の番組「私の寅さん」での .『長山藍子さん』の映像をいただいた。 彼はもうそれは本物の寅さん好きで、長山藍子さんの回がとてもよかったのでわざわざ送ってくださったのだ。 こういう時は、持つべきものは仲間だなってやっぱり思う。 早速見てみると、番組中の長山さんのほとんど全ての話がまさに「珠玉」だった。 長山藍子さんしか言えない感覚が、包み隠さずほとばしっていたのがなんとも楽しく嬉しかった。 そしてそれぞれの言葉はもちろん、それと同時に長山さんの表情が豊かで才能に満ち溢れていた。 テレビ番組に感動したのは久しぶりだ。 いつも思うことだが、このCS衛星劇場の『私の寅さん』はほんとうにじっくり作りこんだいい番組だ。 それで今回、久しぶりに番組のエキスを紹介してみようと思う。 本来前編と後編に分かれる長いインタビューなので、 本日の前編はテレビ版、来週の後編は映画版の「男はつらいよ」に関する部分だけに絞って 紹介することをお許し願いたい。 もちろん、聞き手であるホスト役は、お馴染み、寅仲間の映画評論家、佐藤利明さん。 それではCS衛星劇場 「私の寅さん. 長山藍子さん」ダイジェストをお楽しみください。 【私の寅さん】 ![]() Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 が流れる。 女優 長山藍子 ![]() 佐藤「長山さんと言えば『さくらさん』」 長山「はい」 佐藤「もう一人の『さくらさん』という言い方が正しいと思うんですが」 長山「……は」 佐藤「『男はつらいよ』の原点となったテレビ版でね」 長山「はい」 佐藤「さくらさんを演じてこられた方」 長山「はい」 佐藤「今日はね、たっぷりとその頃のお話も、お伺いできればと思います」 長山「はい、ずいぶん昔のことになりますね。フフフ、よろしくお願いします」 佐藤さんが「もう一人の『さくらさん』と言った方が正しい」と言われた時の、 長山さんの微妙な表情は彼女の複雑な心理状態を表していたように思う。 彼女は『二人のさくら』について色々思うことがあるのかもしれない…。 大きく中略 佐藤「このドラマ、それまでのね、いわゆるホームドラマとは本当に趣が違う…。今我々は どういう世界かは知った上で拝見してますけど、当時は視聴者も出演される方も、 まずあの世界というのはまったく未体験なわけですよね」 長山「そうですねえ…」 ![]() 佐藤「いかがでした、さくらさんを演じるにあたって」 長山「脚本を読ませていただいた時、まるでこう、ひとつの一編の小説を読むように緻密で ディテールがちゃんとこう…裏づけされていて、それでいて突拍子もなく面白い寅さんの シチュエーションがあって、吸い込まれるように読ませていただきました。はい。 それでまた出演なさるそれぞれのポジションの方たちが、すごく、ちゃんとした立ち位置で いらっしゃるって印象を受けましたね」 ![]() 佐藤「『おいちゃん』とか『おばちゃん』とか『お兄ちゃん』って言うふうな言い回しが…」 長山「最初の山田さんの脚本には『おじさん』で、『お兄さん』だったんです。 それで書いておありになって、でもなんとなくみんな集まってやってるうちに 最初のリハーサルで、なんとなく『お兄ちゃんって呼びたい。お兄ちゃんでいいかな』 って、演出の小林俊一さんに伺ったり、山田さ先生もいらしてたんですけど…、 そしたら渥美さんが、すぐ、『よお、おいちゃん』にしょうかな。で、おばちゃんになって。 みんなが『ちゃん』ですっと寄っちゃったんですね。あの、最初にもう。 それはもう渥美さんの感性がもうほんと凄く大きく、…あのなんていうのかな。 山田先生の本は丸いんだけれども、ちゃんと四角い囲いがある、みたいなご本なんですね。 で、渥美さんによって、その四角い囲いを飛び越えて丸さがあって、ちゃんと四角が中にあるって言うような そういう感じの作品になっていったのかな、って。 その四角い囲いを飛び越えて丸さがあって、ちゃんと四角が中にある ![]() この長山さんの作品観は単純で抽象的だが、実に真実を言い切っている言葉だと感じ入った。見事だ。 あと、小林俊一さんっていう監督、演出家が、あの、プロデュースさんもしていらしたんですけれども、 凄く…、その世界っていうんですか、それを緻密に作られていかれました。 ![]() 映画が一番先に走ってて、テレビは…って言われてたからなおさら逆にテレビドラマをちゃんと作ろう 見たいな勢いのあった頃でしたので、大変現場は楽しかったです」 佐藤「舞台の脚本のようにしっかりとしたシナリオがあって、キャストが徹底的に本読みをしていく リハーサルを重ねていく…。それゆえ人間関係もより濃密に…」 長山「そうですね、一回目とか二回目、っていうよりも一回目からあっという間に、その寅さんととらやのみんなの 濃密な世界ができちゃったっていう感じです。 まあ26回も続いたわけですから毎週集まってお稽古するわけですから、それはもう深い繋がりみたいなものが できていました」 佐藤「やはり、この…渥美清さんを中心に、スタッフ、キャストが一丸となって行くって感じはありましたか?」 長山「一丸でもないですね。あの…、渥美さんって、映画の時もそうだったけれど、どっかいなくなっちゃって、 『お兄ちゃんは?』って言うと、なんか、外に出て空を見てたり、どっか隅っこの方でしゃがんでたり、 あの…、テレビの収録の時も、そんな風でしたよ。ただ、間では、凄いエネルギッシュですから、 冗談言って、うんと笑わして…、芝居以外でもよく笑ってましたあ、もうほんとうに、フフ」 ![]() 佐藤「テレビ版のさくらさんというのは、とてもオキャンというか、明るい…」 長山「ええ、まったく影をしょってない感じ…、ですね。ですから、私の印象としては、… あの、…憂いはあるんだけれど、つまりお兄ちゃんに対する心配とか、そういうのはあるんだけれど 基本的には凄く明るくって、 で…お兄ちゃんのことは、私自身のさくらは、ん…恋人と思っていました。 あの…テレビは結婚してないんですよね」 佐藤「ずっと車さくらさんですよね」 長山「だから、こう…、さくらちゃんが、母性、お兄ちゃんにとって母みたいな、お兄ちゃんに母性を感じるような…、 またそうなんですよ、寅さんが。それとちょっと…愛してるっていう…愛するってことが…母性と兄妹愛と、 それからちょっと恋人みたいな…。そういうような感覚で…やってたようなそんな感覚がするんです。 ![]() この発言はある意味私にとっては意外ではなかった。 テレビ版「男はつらいよ」での長山さんを見ていると、寅を「恋人とも思っていた」ことが よくわかる微妙な演技だったからだ。 倍賞さんの『さくら』は母性は大いに存在するが、この『恋人』の要素もないわけではない。 しかし、やはり長山さんに比べて薄いようだ。 長山さんは『母性』と『恋人』の天秤のバランスが『恋人』にやや傾き、 倍賞さんは『母性』にやや傾いていった気がする。 佐藤「今は残念なことに第一話と最終回しか残っていないんですけど、 長山さんが覚えていらっしゃる当時の現場のことなどは?」 長山「そうですねえ…、とにかく仲良かったから、ワーッって言う間にいろんなことが通り過ぎたような気がするんですけど、 山田先生がよくね、現場にもいらっしてくださって、それからみんなでお寿司食べに行ったり、 収録以外でもみんなで楽しく過ごしたこととか、 …あの、森川さんがほんとに…、映画のほうでもおいちゃんやってらして、 素敵だったんですけど、フフフ…、とらやのお茶の間があって、キャメラがいっぱいスタジオに並んでて、 ある日突然、すっごく大きな本当に大きな字で、真っ白い紙がスタジオの壁いっぱいに貼られたんです。 それで、フフフ、『あれ、なあに?』って…、私なんかまだほんとにその経験が薄いですから…。 そしたら、おいちゃんのセリフが全部書いてあったんですね。ね。それで『見ながらできるのかなァ〜』なんて 思いますよね。で、やってて『おまえそこ邪魔なんだよ』なんておっしゃりながら、やってんですけれど、フフフ、 繋がってみると、読んでるなんて思えないような、あれは一つの魔法を見たような感じでした。 森川さんは全部『おいちゃん』でしかなくて、読んでらっしゃるなんて全然。渥美さんもみんなも笑いながら ほんとうに楽しく撮影が進んでいったことを思い出します」 ![]() 長山「そうですね…。それで、最終話の26話に近い24話くらいの時に、やっぱり山田先生がいらして、 あのー…静かに…『寅さんは死にますよ』と、おっしゃったんですね。で『え!!』って言って、 『なんでー!』とか私言って…、小さい声でおっしゃったんです。 『奄美大島でハブに噛まれて死ぬんです』っておっしゃって、 『んんん、何で死ぬんですか!?何で死ななきゃいけないんですか!?』って言って、 だからその時のお稽古場は最終回でもないのに、もう蛾次郎さんなんか泣いちゃってできなくなっちゃったです」 佐藤「その時の長山さんは、さくらそのものだったんですね、気持ちも」 長山「ん…、さくら…もあるし、私個人としても、こんなにね優しくって、思いやりがあって…、 そりゃすごいヤクザかもしれないけど、ちょいとヤクザかもしれないけど、こんなに人間らしい人が、 死んじゃうなんて、って思ったんですよね。お兄ちゃん、寅さんのことをね」 当時のキャストたちがいかに車寅次郎に対して 役者を越えて強い思い入れを持って寄り添っていたかがよくわかるエピソードだ。 佐藤「そのようにいろんなエピソードがあったと思うんですけど、僕が印象的だったと思うのは、 あの…僕らは数少ない台本を拝見するしかないんですけど、お正月に放送された回(第14話)で、 あの、散歩先生」 長山「はい」 佐藤「東野栄治郎さん、のお宅にみんなで…」 佐藤、長山「集まって、フフ」 佐藤「レギュラー全員がね、おいちゃん、おばちゃん、冬子さん、佐藤オリエさん、」 長山「オリエちゃん、はい」 佐藤「登君、」 長山「はい」 佐藤「みんながあつまって、こう…幸せについて、恋愛論についてこう…、語り合うという回があったと思うんですが。 あの回なんかは、山田監督のね、寅さんを見つめる優しさだったり、家族の寅さんに対する愛情、冬子さんの思い、 などがきちっと描かれています。 そして、さきほどその台本を読んでいただいたんですけれど」 長山「はい。そうですねえ…」 と、再び佐藤さんから14話の台本を渡され、読み始める長山さん。 長山「散歩先生が、『人間誰しも愚かしさを備えとるもんだ。それゆえにまた人間でもある。どこが悪いか』 寅が、『なるほど、そうかわかった」 散歩先生が、『なんだ』 寅が、『早い話がよ、人間はバカだってこと。 これが本日の結論。ね、先生』 散歩先生が、『そうそう』 冬子、さくらたち笑い出す。 この前が面白いんですけどね。フフ 、まあそれで、寅が『さくらだってバカ。そのバカの親分、お兄ちゃんのことも バカ』 そう言って、そしたら『竜造がひょいと顔を上げ、よだれをすすりながら、わけがわからない…』 まあ、寝てたんですよね」 佐藤「おいちゃんですね」 長山「ええ、おいちゃんが『そう、バカヤロウだ」って言ったので、一同どっと笑う。寅、『自分で説明した。 おばちゃんもバカ。オレや登はもちろんバカ。先生だってバカ。な、ここにいるみーんなバカだって』 そしたらさくらが、『なにがみんなよ』って言って、『冬子さんはどうなるの?』って言うんですよね、フフフ。 冬子さんは、寅さんの本当に想い恋焦がれているマドンナですからね。マドンナの始まり。 で、寅が、しまったっていう顔して、寅、『お嬢さんか…、お嬢さんは…お利巧』(↓ポーズ) って言うんでしょうね、フフ、きっとフフフちょっとわかんないけど、フフフ」 お嬢さんは…お利巧 ![]() 長山「そしたら、散歩先生が、『バカモノ』って言って、そしてみんなが笑って、そしたら冬子が真剣な顔になってうつむいて。 で、寅が赤くなって、バレちゃったか、こりゃまずいな。と、いうようなことがあって、ま、逃げ出すっていう…。 寅さんが全部出てるし、みんなが出てるでしょ、このシーン、抜粋なさってくださったけど、好きですこのシーン」 佐藤「一幕もので、しかも、それが最後にさくらのナレーションで、 僕はここが一番たまらないんですけど、最後のここです」 と台本の箇所を指差す佐藤さん。 長山さん、微笑みながら 長山「読みましょうか、フフ」 佐藤「この、一行を」 エンディングの音楽 Louis Armstrong が歌う 『 What A Wonderful World 』 が静かに流れ始める。 長山「さくらの声 『あれは兄と過ごした初めての、そしてただ一度きりの正月の夜のことでした』 佐藤「このドラマは必ず『さくらのナレーション』でね、こう、始まって、さくらのナレーションで終わる、という 45分のドラマですけど、これね、実は寅さん、お正月映画の顔としてこのあと映画がずっと48作まで 作られていくんですけど」 長山「映画ね、はい」 佐藤「その48作のどの作品でも、寅さんはお正月は柴又にはいないんです」 長山「いないの?」 佐藤「一度もいないんです」 長山「やっぱりいないの」 佐藤「ということは、寅さんと唯一お正月を過ごされたのが」 長山「みんな。テレビのみんな」 佐藤「そうなんです。テレビのみなさんなんです」 長山「うわー…、ん、…凄い。山田先生、もう徹底してらっしゃる」 佐藤「昭和44年の、お正月」 長山さん、感慨深く何度も頷く。 佐藤「の…放送だったんです」 長山「想いがね…」 大きく頷く佐藤さん。 長山「ん…、じゃ幸せだったんだんですね…私…」 佐藤「もちろんその段階では、映画が作られることは誰も想定してませんし、 山田監督もまだ考えておられなかったかもしれないですが、そのシナリオ、その演出、その演技が あるから、視聴者の心を掴んで続いていくわけですね」 長山「そうですね、先生が、寅さんは任侠の世界に生きているから死んだ方がいいんだよっておっしゃった時、 私にはわからなかったから、…っていうより、悲しくて受け入られなかったのかな…。 先生のおっしゃることは『そうか』と思ったけど、悲しくて受け入られなかったから、 映画で寅さんが復活した時はとてもうれしかったですね」 ![]() 前編 終わり あの、第14話の最後のナレーションを再現される長山藍子さんの声を 私はいつまでも忘れないだろう。 長山さんがいかにこのテレビドラマを愛していらっしゃったかが 強く伝わってくる言葉と表情の数々だった。 「じゃ幸せだったんだんですね…私…」とおっしゃった長山さんに、 私までもなんだかちょっと救われた気持ちになった。 来週は『長山藍子さん』の後編のエキスを紹介しましょう。 後編は映画版「第5作『望郷編』を中心に語られます。 おわび: 1月31日にサーバー障害が起こり、 24時間このサイトが見れませんでした。申し訳ありませんでした。
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー なぜか江戸幕末に詳しい寅 2010年1月28日 寅次郎な日々 その427 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 そろそろ、滞在も落ち着いてきたので、絵画制作と染織デザインの合間に 昨日から第24作「春の夢」の本編完全版作業を進めている。 ちょうど寅が紀州から帰ってきて、アメリカ嫌いをおいちゃんたちにぶちまけるシーンを DVDで見ていたが、意外と寅は江戸幕末のことは物知りなのである。 なぜだかわからないが、日本が鎖国を止め、開国をせざるを得なくなった理由を知っているのである。 寅「どうして日本とアメリカが仲良くしなきゃいけないんだ!?いいかあ、 あの黒船が浦賀の沖へ来て、徳川三百年天下太平の夢が破られて以来!日本人は ずーっと不幸せなんだぞ!それもこっちが頼み込んだんじゃないんだ。向こうからいきなり 来たんだ勝手に。大きな大砲で脅かして、無理やり仲良くしようってんだい、そんなバカな話があるか?」 確かに。あの当時日米和親条約についで結ばれた日米修好通商条約は 「関税自主権を行使させない」ことや「治外法権などを認めさせる」などの全くの不平等条約だった。 しかし寅って意外に幕末の歴史把握してるんだね。 ![]() 社長「はあ…、つまりその…寅さんは尊王攘夷のほう…」社長言うねえ…なかなか言えないよその言葉(^^;) 寅「あたりめえだよォ!」 おいちゃん、おろおろしながら おいちゃん「いやいや、あのな、たとえそんなことがあったにしても、不幸な過去は水に流してさァ…」 寅「流せない、流せませんよ。いままであいつらに日本人がどれほど酷い目にあったかァ、えー、 唐人お吉、ジャがタラお春、蝶々夫人、ほら、枚挙にいとまがない、なァ」 ![]() さて、寅はどうしてこんなに江戸幕末の歴史を知っているのか。 少年期に講談を聞いたのか、少年用赤本(講談本)を読んだのか。 紙芝居かなんかで新撰組かなんかがやってたのか。 それとも啖呵バイの中で黒船騒動が出てくるのか。 で、思うに寅はやはり赤本といわれる少年用講談本でチャンバラを好んで読んだのではないだろうか。 寅のチャンバラ好きは第15作「相合い傘」や第17作「夕焼け小焼け」で垣間見ることができる。 その中に『新撰組』とか『鞍馬天狗』とかが登場し、その背景としてメリケン(アメリカ)の黒船が 出てきたりしたのかもしれない。 物語が面白くできているので、そういう歴史的なものも寅少年の記憶にスッと入っていったのかもしれない。 ところで、この江戸幕末当時、列強諸国の餌食になってもおかしくなかった日本がなぜ、 奇跡的に明治維新を独立を保ったまま迎え、進めることができたのか…。 これはいくつもの偶然と必然の条件が重なって成しえたことなのだが、 またそのことは本編完全版で述べてみる。
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 長旅から帰って来た人には…。 2010年1月21日 寅次郎な日々 その426 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 バンコクに一週間滞在し、常夏のバリ島に昨日帰ってきた。 厳寒の北陸との気温差は25℃近くにもなる。 それにしても昨年秋から義父の死に直面したこともあっていろいろきつかった。 11月から12月まで一度バリに戻ったが、今度はまさかのアグンライの父親の死の知らせを受けてしまった。 納骨を控えて、少しあわただしくバリ滞在を過ごしていった。 その後年末にもう一度日本に納骨のため一時帰国し…、 ようやく今、じっくり腰を落ち着けて3ヶ月間絵を描き、ものを作ろうと思っている。 精神的にもきつかったこの数ヶ月だったが、 アグンライの家族が、留守宅を毎日しっかり守ってくれていたので助かった。 屋根の修理、門の修理、垣根の修理、草刈、猫のえさなどを全部やってくれていた。 バリに住みはじめて今年で20年目を迎えるが、いろいろな人との人間関係が年月と共に深まってきているので 留守の日々が長くとも自宅も仕事もさほど心配が要らなくなってきている。 特に長旅から戻った当日は心身ともに疲れているので、 しっかり敷地も部屋もきれいにしてスタンバイしてくれていると本当に助かるのだ。 ![]() 第12作「私の寅さん」で留守番をする寅が、九州旅行から帰ってくるさくらたちを心を込めて迎えてやるが、 ああいうやり取りは実に心温まるものだ。 寅は旅人なので、誰よりも旅の心労は骨身にしみているのだ。 寅「あーあ、久しぶりの長旅から帰ってきて家の中が カッ散らかってると気分が悪いからなー、なあ、社長」 寅「いずれそのうちにその入り口からおいちゃん、 おばちゃん、さくらがよ、 こんな大きな荷物を抱えて、 あーあー、くたびれたくたびれた、 家が一番いいよー、 なんて言って帰ってくるんだよねー」 ![]() 寅「そのときの、この迎える言葉ってのが大切だな。 『あ、お帰り疲れたろう?さあ、上がって上がって』ねー! 熱い番茶に、ちょっと厚めに切った羊羹のひとつも添えて出す。 ホッと一息いれたところで、 『風呂が沸いてますよ』っと手を差し出す。 ![]() 長旅の疲れを、すっと落とす。出てくる。 心のこもった昼飯が待っている。ねー! 温かいご飯!しゃけの切り身 山盛りのお新香 『どうだい、旅は楽しかったかい…?』 たとえこれがつまらない話でも『面白いねー』って 聞いてやらなきゃいけない。 長旅をしてきた人は 優しくむかえてやらなきゃナー…」 ![]() なんともいいアリアだね。名場面だ。
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『寅次郎な日々』バックナンバー 新年のご挨拶 寅次郎と雪のバス停 2010年1月2日 寅次郎な日々 その425 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 新年 あけましておめでとうございます。 ■第6作「純情篇」 寅が柴又駅ホームで回想する幼きさくらとの別れも、
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 寅とさくら 兄妹の青春 イメージボード3枚 2009年12月28日 寅次郎な日々 その424 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 ようやく市川準監督の『トキワ荘の青春』DVDを手に入れた。 私は市川準監督の作品はほとんど見ているが、その中でもこの「トキワ荘の青春」が一番好きだ。 巷では市川準監督と言えば「BU・SU」「病院で死ぬということ」「東京兄妹」「東京夜曲」などが評価されているようで、 青春の輝きと挫折をひそやかに描いたこの「トキワ荘の青春」は過去も今もほとんど注目されていない。 市川準監督作品の中では埋もれがちなこのはてしなく静かでメリハリのないのっぺりした作品を VHSでここ十年以上何十回と見てきた。私にとっては何物にも変えがたい物作りの真実がそこにあったからだ。 で、今回ようやくVAPさんからDVDが出たのだ。 おまけに当時の『メイキング映像』もたっぷり見ることができる! どんな人にも、グループにも黎明期はあり、青春期もある。 みんな生き方が下手でぶざまではあるが、その年齢、その時代でしか感じられない真実を抱えている。 人生の夜明け前とは実に切なく甘く哀しいものである。 ![]() その昔…、 あの寅とさくらにも、「男はつらいよ」以前の蜜月期や黎明期はもちろん存在したはずだ。 シリーズの本編では黎明期のさくらと寅の再現フィルムは、 第39作「寅次郎物語」での江戸川土手の別れの夢を除いては一切出てこないが、 二人の強い繋がりがうかがえる言葉での回想は何度かある。 今回私が選んだ寅とさくら幼少期の3つの名場面↓。 これを息子に頼んでちょろちょろっと早描きで3枚描いてもらった。 どうぞそれぞれのイメージボードをお楽しみください。 ■第1作 さくらの結婚披露宴で御前様が回想する寅とさくらのエピソード。 御前様「兄さんの寅次郎君と違って、さくらさんは 子供の頃から実におとなしい、心の優しい子供だった。 兄さんの寅次郎君が父親に叱られて 外で泣いていると、自分もそばにいって、 しくしく泣いている。そんな優しい子だった」 なにげない小さなエピソードだが、さくらと寅の繋がりをよく表した言葉だと思う。 さすが御前様、見る目が鋭い。 ![]() RYOTARO 作画 寅次郎とさくら 幼き日々 ■第6作「純情篇」 寅が柴又駅ホームで回想する幼きさくらとの別れも、
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー お気楽コラム 【 寅次郎な日々 】 男はつらいよの中の雪景色 2009年12月18日 寅次郎な日々 その423 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 義父の納骨が終わったあとも連れ合いの実家で事務処理のためしばらく寝泊りしている。 富山は昨晩から異常な冷え込みが始まり、寝る前に『雪起こし』の雷が鳴りまくる。 ああ。。。これは来るな…。 と思ったら、朝起きて寝室の二階から窓の外をみるとやはり下の写真のごとく雪景色が広がっていた! 私にとっては15年ぶりの雪景色である。 息子も5歳のころに雪だるまを作ったかすかな思い出が蘇ったようだった。 まさに「枕草子」のとおり、 『冬は つとめて。 雪の降りたるはいふべきにもあらず』 だ。 ![]() 亡き義父が育て、秋に干し柿として取った柿の木(左)もすっかり今日で雪化粧(右)。 → 雪の中、お昼に用事のため車で神通川付近を通ったその時に、雲がサーッと切れて青空が見えた! 雪と青空との見事なコントラストに、思わずカメラを向けていた。 ![]() そういえば『男はつらいよ』でも雪景色が何度か出てくる。 ロケで思い出すところでは、第7作「奮闘篇」のオープニング、第18作「純情詩集」のラストなどである。 ![]() ![]() しかし正月映画と言えども、そうそう頻繁には雪は出てこない。 あたりまえである。冬作品は放映は正月でもロケ撮影は秋から晩秋なので 当然雪はほとんど間に合わないのである。 それゆえ時々はスタジオでのセット雪景色となる。 とは言え、とらやの雪景色はそれはそれでなかなかの風情なのだ。 スタッフが心を込めて丁寧に作りこんでいるのでなんともいえない趣があり、 いつまでも心に残るシーンとなっている。 セットの雪景色で印象深かったのが第20作「寅次郎頑張れ!」と第24作「寅次郎春の夢」でのとらやの雪景色だ。 なんと言っても私が一番好きなのが第20作「寅次郎頑張れ!」の雪景色。 美しい幸子のテーマ曲がしっとりと流れる中、 寅が去り… そして正月元旦 さくらが幸子ちゃんからの年賀状を読む。 なんと障子ガラスの向こうは雪景色… ![]() 米倉さん演じる柴又参道のおまわりさんが故郷長万部から戻って来てみんなと挨拶をしている。 ちょっとしばらくして 庭で満男が雪遊びをしに行く。 おいちゃんの盆栽も雪がかぶって… しっとりとした幸子のテーマ曲が流れる中、庭で雪を丸めて遊ぶ満男。 窓から見守るさくら。 ![]() いたずらっ子の満男はさくらに雪を投げつける。 微笑むさくら。 ![]() そしてその頃寅は… 正月日本晴れの中、 あの懐かしい『坂東鶴八郎一座』とまた巡り逢うのである。 ![]() 今日の富山の雪景色を見て凍えながら息子がしみじみこう言った。 「この雪景色が長く続くから、あの春の桜がきれいに見えるんだねきっと」 かつて、いつも常夏の国から日本の春にやって来て肌寒い思いで桜を見ていた息子が 今回初めて実感した彼なりの新しい感覚だった。 冬の次に春が来る。雪が解けて春になる。
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 義母も使っていた「脳天ファイラー」 2009年12月10日 寅次郎な日々 その422 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 さきほど、鳩山首相がこのバリ島に到着したらしい。 なにやらアジア諸国の民主主義の推進のための会議だとか…『バリ民主主義フォーラム』と言う。 ユドヨノ大統領と鳩山首相が共同議長を務めるということ。 ユドヨノさんにとっては鳩山さんの多額の円借款もおいしいところなんだろう。 巷では山田監督は、「おとうと」だけでなく、現在、小津監督の「麦秋」を舞台化しようともしている…。 これもちょっと興味あるなあ…。 ちなみに映画「おとうと」は1月30日公開。その頃はバリにいる。ああ残念…。 で、現在の私の方は、ようやくバリ滞在も3週間が経ったと思ったら、日本への一時帰国が迫ってきた。 前にも書いたとおり、義父の四十九日の納骨ために家族で一ヶ月ほど富山に帰るのだ。 それでも、先日、第24作「寅次郎春の夢」の本編完全版をようやくスタートした。 その作業中に思い出したのだが、劇中、マイケルが寅に騙され紀州梅干を3つも口に入れられ 怒り心頭で寅を追いかける時、おばちゃんが寅を指して 「ノーテン.ファイラー ノーテンファイラー」と叫ぶシーンがある。 私は当初、「ファイラー」とは『FAILURE』、つまりFAIL(不足する、衰弱する、なくなる)の名詞形で 「不足、欠乏、不全、衰弱、失敗者」と言う意味だと思っていた。ノーテンはもちろん脳天。 つまり脳天が欠乏…(^^;)…と思っていた。 その後、私の知人の寅さんファンであるSさんがアイデアを下さり、 「ノーテン.ファイヤー(脳天爆発炎上)」のほうがおばちゃんらしくて面白いしと言われた。 確かに「ファイヤー」なら、おばちゃんでも言葉を知ってるだろうし、あのおばちゃんの 手を上げたアクションにぴったりだ。なるほど、さすがSさんだと納得していたら、 今度は、「男はつらいよ」をこよなく愛するNさんが、いやいや、そうではない。 おばちゃんの言った「ノーテン.ファイラー」は、英語ではなく 中国語の脳天壊了(nao tian huai le) だと、きっぱりおっしゃった。 「ファイラ」とは中国語で「壊れた」の意味であり「壊了」と書くらしい。 私は驚き、ちょっと、いろいろその後調べてみたら、 おっしゃるとおり戦前の大陸に渡った方々や軍隊などで使っていた言葉のようなのだ。 当時の大陸での「兵隊中国語」と、言うそうだ。 シナリオでは「ノーテン.ファィラーね、ノーテン.ファィラー」となっているので、それだけではわかりかねるが おばちゃんの年齢を考えると英語よりも、Nさんの仰るように 中国から来た兵隊言葉としての脳天壊了のほうが説得力があるようだ。 それではなぜ英語しかわからないアメリカ人のマイケルに言っちゃったかが疑問がとても残るところだが、 あわてたおばちゃんがとりあえず「外国の言葉」として若い頃流行っていた 大陸での兵隊言葉が出ちゃった可能性はある。 そして、そうこうしているうちに月日は流れていった。 で、今年11月、義父の葬式のため、連れ合いの実家に2週間ほど宿泊した際、 なにかの話の際に、なんと義母が「それはノーテン.ファイラーだね」と笑いながら言ったのだ。 私は心の中で「おおお!この言葉だ!」と、思い、さっそくその意味を聞いてみると、 「ちょっと間抜け」「オバカさん」というような時に使うようだ。 彼女が言うぶんには、随分若い時から年上の人たちがすでに使っていたらしい。 そして実際その言葉が何語かも、その由来も、彼女は全く知らないらしい((^^;) ただ、なんとなく大陸からの言葉だということはみんなわかっていたということ。 まあ、なんにしても、私が思っている以上に戦前もしくは戦中からこの兵隊中国語の類は 日本全国にすでに広がり、大人も子供も頻繁に使っていたことは間違いないようだ。 これでようやくすっきりしました(^^)
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 新郎の名前を呼び間違えた夏子さん 2009年11月30日 寅次郎な日々 その421 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 先日いつもお世話になっている寅さんファンのT. Sさんから面白いメールを頂いた。 T.Sさんは毎回面白い発見をしてはメールで知らせてくださり、私を唸らせてくれるのだ。 今回の内容は坪内夏子さんとその新郎さんのことだ。 佐藤オリエさん扮する坪内夏子さんは、テレビ版「男はつらいよ」からの寅のマドンナだ。 テレビ版の時も同じく坪内散歩先生のお嬢さんの坪内冬子さん役だった。 で、直後の映画版では第1作に坪内冬子さんの名前が使われてしまったので、 第2作の今度はテレビ版と同じ設定ながら名前が変わって坪内夏子さんとなったわけだ。 ドラマ全26回を通してただ一人の寅の愛しい憧れのマドンナを演じ通した佐藤オリエさんだった。 そして第2作「続男はつらいよ」では胃痙攣で入院した寅の主治医だった藤村(山崎努さん)と恋仲になる。 T.Sさんは、この物語のラストで京都に新婚旅行に出かけた夏子さんが 新郎の藤村さんを「努さん」と亡き父親につぶやくように言っているのを今から数ヶ月前に発見された。 実は…、私は、夏子さんが「努さん」と呼ぶことに違和感を感じていなかった。 なぜならば夏子さんがそう呼ぶくらいだから、新郎の名前は「藤村努」だと勝手に決めつけていたからである。 また山崎努さんが演じていらっしゃったことも「努」に違和感を覚えなかった理由の一つだ。 ところがT.Sさんは当時の松竹の設定が「藤村薫」だということを公式ホームページでご存じだったのだ。 不思議に思われたT.Sさんはなんと松竹にメールでこのことを直接聞かれたのだ。 そして待つこと1ヶ月、松竹さんから遅まきながらT.Sさんに回答のメールがあり、 「当時の台本では設定同様「藤村薫」となっていた」 「ラストのシーンではおそらく佐藤オリエさんがつい「努さん」と言ってしまったのを、 当時のスタッフは誰も気づかず、OKを出してしまったのではないか…」 という内容が送られてきたそうだ。 もちろんこれらは「あくまでも推測で、当時のスタッフが残っていないので正確なところはわからない」 ということらしい。 これは私にとっては実に面白い推測で、当時の映画作りの在り方からしていかにもありそうなことだ。 T.Sさんのメールに刺激され、私は第2作のラストにある夏子さんのセリフを確かめたくなった。 そこで、私の持っている当時の『キネマ旬報』に載った『脚本第2稿』でさきほど見てみると 夏子「そうなのよお父さん、私今京都にいるの。薫さんと二人でね。」 となっている。 このように脚本でも設定でも「薫」なので、あきらかに現場で名前が変わってしまったのは間違いないだろう。 山崎努さんが演じる藤村薫さんを、つい「努さん」と呼んでしまった佐藤オリエさんって、私は大好きだなあ(^^)。
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| 『寅次郎な日々』バックナンバー 『男はつらいよ』と干し柿を作る日々 2009年11月14日 寅次郎な日々 その420 この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。 日本を出発する日が2日後に近づいている。 今回は一度バリに戻って、仕事の種をまいて、 12月中旬に義父の四十九日のため、また富山に戻り、数週間滞在した後 またバリに帰って、今度は4月末までバリに滞在する予定。 ちょっと忙しいが、これは仕方がないこと。どちらも手を抜くことはできない。 葬儀の後のごたごたしたあらゆる後片付けと諸手続きの合間をぬって山々を淡彩スケッチ。 立冬も過ぎ、霜月半ばの越中富山はかなり寒くなってきた。 もう15年間もこの寒さは体験していないのでそうとうきつい。 しかし、空は高く空気はますます澄んで山はくっきり見えるし、 風が透明で息が白くなんとも気持ちがいい!とも言える。 越中八尾の自宅から義父の家までは車で40分。 諸手続きのため、毎日通っている。 四日前と三日前、息子と二人で義父が残した柿を取った。 取った実はみんな干し柿にする。 今年は沢山柿が実る年に当たっていたので大変だった。 百数十個取った時点で一応止めた。残りは鳥たちにやろう。 義父の供養も込めてたっぷり食べてやろうと思うが、 この量ではさすがに家族だけでは食べきれないからご近所さんに配って…、 それでもちょっと余りそう。 ![]() もちろんそのまま食べると渋が残る。 ![]() 一昨日と昨日、義母、連れ合い、息子で皮をむき、麻布でひとつひとつくくってベランダに干す。 早くできないかな…。 ま、義父の四十九日にまたバリから富山に一旦数週間ほど帰ってくるので、 その時たっぷり食べれるだろう。 ![]() ところで 『男はつらいよ』でも寅や満男たちが柿を食べるシーンや柿をむくシーンがある。 とりあえず思い浮かぶシーンは下の↓作品たち。 ■第8作「寅次郎恋歌」 ラスト、甲斐の国、甲斐駒ケ岳が美しく見える北杜市の田舎道、 農家でもらった柿を食べながら歩く寅。 そっと道ばたの地蔵さんに柿を置く、その姿がまさに旅人の背中だった。 柿と言えばまずこのシーンが真っ先に思い浮かぶ。 まさに日本映画史上に輝く名シーンだった。 ![]() ■第10作「寅次郎夢枕」 夢から覚めた寅は、信州塩尻の日出塩駅で朝を迎える。 大きく伸びをして目の前にある柿の実をもいで一口かじるが、 なんと渋柿だったのだ。 プハーッ!と吐き出す寅。タイトルイン。 ![]() ■13作「寅次郎恋歌」 これは、柿そのものは出てこないが、余命いくばくもない歌子ちゃんのご主人が、 その人生の最期に、実家の庭にある甘い柿の実が色づいたら一番に歌子ちゃんに食べさせてやりたい と語りながら死んでいったという歌子ちゃんによる津和野川べりでの話がしんみり切なかった。 ![]() ■第20作「寅次郎頑張れ!」 これは第8作「恋歌」のラストのアレンジヴァージョン。 同じように農家で柿をもらって、道端の石像にお供えする。 第8作と同様、その直後に坂東鶴八郎大空小百合父娘たちと出会うのだ。 ![]() ■第22作「噂の寅次郎」 水野早苗さんが柿をむき、寅が↓のようにその細く美しい手を眺めている(^^;) この直後、なんと早苗さんは果物ナイフで手を切り、血を出す。 思わず寅は彼女の指を手にとって眺めるのだった。 ![]() ■第25作「寅次郎ハイビスカスの花」 戦後まもなく、お腹を常にすかせていた幼少期のさくらに寅がいろんなものを盗んで 食べさせてやる話が出てくる。 さくら「憶えてるわよ、よくお兄ちゃんがさ、柿とかお芋の干したの盗んで来て 食べさせてくれたわ」 短い話だが、なんだかとても印象に残っている。 ![]() ■第28作「寅次郎紙風船」 久留米水天宮でのバイを終え、数日後 寅と愛子は、福岡県 朝倉市 三連水車横のわら束の上に座っている。 寅は光枝さんのことを密かに考えているようだ。 愛子は積みわらの上で柿を食べながらそのことを見抜いている。 ![]() ■第42作「ぼくの伯父さん」 泉ちゃんを励ますためにわざわざ東京から佐賀までバイクでやって来た満男。 二人は泉ママの故郷を訪ねる。 富士町東畑瀬の田舎道で三角飛びをして取った柿を持ちながらおどける二人。 青春の甘い香りが漂うちょっといいシーンだった。 ![]() ■第47作「拝啓車寅次郎様」 菜穂ちゃんといい仲になった満男は渋柿に当たらないように菜穂ちゃんに選んでもらう。 で、食べてみるとやっぱり渋柿だった…。ああ。。。満男(TT) 菜穂ちゃんいい加減…(^^;)
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