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寅次郎な日々

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ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。



                 

今、京都『南座』が面白い!山田洋次の軌跡(2012年8月31日)

京成沿線 京子さんの吉田病院と聖和幼稚園(2012年8月13日)

未踏峰登頂 夏子さんの金町「スカイラーク」(2012年7月27日)

はつらいよ 公式イベントin 柴又帝釈天(2012年7月17日)

第19作寅の啖呵バイ.大船1丁目探索記(後編)(2012年7月10日)

第19作寅の啖呵バイ場所は大船だった!(前編)(2011年7月3日)

処女峰登頂  泉ちゃんの叔母さん宅 裏庭と濠(2011年6月22日)

夏子さんと歩く京都市毘沙門町 完全制覇物語(2012年6月13日)

川井みどりさんとめぐる新緑の柴又(2012年5月25日)



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528

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年8月31日  寅次郎な日々 その528


今、京都『南座』が面白い!  山田洋次の軌跡 



ちょうど今朝8月31日、
「寅さん記念館」で秋に開催する私の個展(
10月13日(土)ー28日(日))のパンフレットが届いた。

全12ページ。A5サイズ。フルカラー



       
表紙

       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       


それ以外の、4ページ目から11ページ目は
会場でパンフレットをお渡しいたしますので会場で絵画ともどもご覧ください^^ヾ
葛飾柴又の風景も数枚展示します。

来られる方は必ずメールか電話を事前にいただければ
その時に会場に詰めております。
(自宅から5分ですのですぐに詰めれるのです)



出品作品数

油彩約15作品
水彩約10作品








話はころっと変わって・・・




現在、私は越中八尾で「風の盆」の展覧会の真っ盛り。
車も交通規制が入っているため、遠くに駐車してしまっている。
それゆえこの町から一歩も出れない。

本当は行きたいところがある。

それは松竹のもう一つの顔 
京都『南座』



現在『
山田洋次の軌跡 フィルムよさらば』展 が開催されている。



   





http://www.shochiku.co.jp/play/minamiza/schedule/2012/8/post_82.php


京都在住で日本でも有数の寅さん映画ファンである
私の寅友「カケちゃん」がご夫婦で行かれたレポートによると

入場料500円 映画鑑賞500円と1000円で
数々の展示と映画一本見られてお得感満載。

だそうだ。




       
   とらやのセットの前に立つカケちゃん。↓(掲載は、まあ・・・事後承諾^^;)

     




映画の他にもなんと客席の前にある回り舞台の上に『とらや』のセットが再現されて、
おまけに二階も作ってあるらしい^^もちろん茶の間も二階も上がれるのだ!。
とらやが回転していく間に朝から夕暮れになっていくという仕掛けになっているらしい。

このあたりの凝りようは柴又の「寅さん記念館」よりも凄い!

だって「寅さん記念館」は二階を作っていない。


映画を観る時は、この舞台の上にスクリーンが現れる。



           
  バイネタの展示してある「花道」に立つカケちゃん^^↓

     



またカメラを持っているお客さんには、松竹のスタッフさんが
記念写真を撮るのを手伝ってくれるらしい。
これは嬉しい。


とらやのセット内では、和菓子とお茶も付くとか^^




カケちゃんが『動画』を撮られましたのでそれも貼り付けましょう↓









そしてやっぱりなんと言っても極めつけは「映画」



山田監督
全80作品
35ミリフィルム上映と展示・体験で紹介されているのだ。


山田監督は

「日本の最高の芝居小屋で私の全作品が上映されるのはうれしい。
 フィルム作品独特の美しさを楽しんでほしい」とコメント。



私が若いころは、フィルム上映しかなかったが、現在はご存知のとおりもうほとんど全ての映画で
デジタル(データ)での上映がなされている。

もうあの膨大な過去の「フィルム」は捨てられていく運命にある。

このイベントは、山田洋次監督の全80作品の、デジタルではなく、あえて35ミリフィルムでの上映会なのだ。
山田洋次監督が信頼する映写機会社から、わざわざ映写機を持込まれて上映しているということ。

最後のフィルムでの山田監督作品上映となるわけだ。




私は個人的には「遥かなる山の呼び声」「息子」「同胞」「故郷」あたりを
もう一度「フィルム」で観たいと思っている。








監督生活50周年 

山田洋次の軌跡



〜フィルムよ、さらば〜


【前半】2012年8月18日(土)ー9月23日(日)
【後半】2012年10月6日(土)-10月24日(水)


作品上映スケジュール


日程

一回目上映 11:00開映

二回目上映 16:00開映





■8月18日(土)

13:30〜 オープニングトークショウ (観覧無料)

男はつらいよ 第1作 15:00開映
91分
昭和44年







■8月19日(日)
続・男はつらいよ(2)
93分
昭和44年







■8月21日(火)

男はつらいよ(5)
〜望郷篇〜
88分
昭和45年


二階の他人
56分
昭和36年







■8月22日(水)

男はつらいよ(6)
〜純情篇〜
90分
昭和46年


下町の太陽
86分
昭和38年







■8月23日(木)

男はつらいよ(7)
〜奮闘篇〜
92分
昭和46年


馬鹿まるだし
87分
昭和39年







■8月24日(金)

男はつらいよ(8)
〜寅次郎恋歌〜
114分
昭和46年


いいかげん馬鹿
86分
昭和39年







■8月25日(土)

男はつらいよ(9)
〜柴又慕情〜
108分
昭和47年


馬鹿が戦車でやって来る
93分
昭和39年







■8月26日(日)

男はつらいよ(10)
〜寅次郎夢枕〜
98分
昭和47年


日曜にもう一度観たい山田監督映画リクエスト上映
男はつらいよ 第1作







■8月28日(火)

男はつらいよ(11)
〜寅次郎忘れな草〜
100分
昭和48年


霧の旗
111分
昭和40年







■8月29日(水)

男はつらいよ(12)
〜私の寅さん〜
108分
昭和48年


運が良けりゃ
92分
昭和41年







■8月30日(木)

男はつらいよ(13)
寅次郎恋やつれ
104分
昭和49年


なつかしい風来坊
90分
昭和41年







■8月31日(金)

男はつらいよ(14)
寅次郎子守唄
104分
昭和49年


九ちゃんのでっかい夢
89分
昭和42年







■9月1日(土)

男はつらいよ(15)
寅次郎相合い傘
91分
昭和50年


愛の讃歌
95分
昭和42年







■9月2日(日)

男はつらいよ(16)
葛飾立志篇
100分
昭和50年

浜村淳が選んだ山田監督作品上映
男はつらいよ(27) 浪花の恋の寅次郎







■9月4日(火)

男はつらいよ(17)
寅次郎夕焼け小焼け
109分
昭和51年

喜劇一発勝負
90分
昭和42年







■9月5日(水)

男はつらいよ(18)
寅次郎純情詩集
103分
昭和51年


ハナ肇の一発大冒険

89分
昭和43年







■9月6日(木)

男はつらいよ(19)
寅次郎と殿様
99分
昭和52年


吹けば飛ぶよな男だが
91分
昭和43年







■9月7日(金)

男はつらいよ(20)
寅次郎頑張れ!
95分
昭和52年


喜劇 一発大必勝
92分
昭和44年







■9月8日(土)

男はつらいよ(21)
寅次郎わが道をゆく
107分
昭和53年


家族
107分
昭和45年







■9月9日(日)

男はつらいよ(22)
噂の寅次郎
104分
昭和53年

日曜にもう一度観たい山田監督映画
リクエスト上映 (8/31発表)







■9月11日(火)

男はつらいよ(23)
翔んでる寅次郎
107分
昭和54年


故郷
96分
昭和47年







■9月12日(水)

男はつらいよ(24)
寅次郎春の夢
104分
昭和54年


同胞
127分
昭和50年







■9月13日(木)

男はつらいよ(25)
寅次郎ハイビスカスの花
104分
昭和55年


幸福の黄色いハンカチ
108分
昭和52年







■9月14日(金)

男はつらいよ(26)
寅次郎かもめ歌
97分
昭和55年


遙かなる山の呼び声
124分
昭和55年







■9月15日(土)

男はつらいよ(27)
浪花の恋の寅次郎
104分
昭和56年

シュンマオ物語タオタオ(原案・監修)
「KINENOTE」にリンクします
87分
昭和56年







■9月16日(日)

男はつらいよ(28)
寅次郎紙風船
100分
昭和56年

浜村淳が選んだ山田監督作品上映
男はつらいよ(29) 寅次郎あじさいの恋







■9月17日(月・祝)

男はつらいよ(29)
寅次郎あじさいの恋
110分
昭和57年


キネマの天地
135分
昭和61年







■9月19日(水)

男はつらいよ(30)
花も嵐も寅次郎
106分
昭和57年


ダウンタウン・ヒーローズ
120分
昭和63年







■9月20日(木)

男はつらいよ(31)
旅と女と寅次郎
100分
昭和58年


息子
121分
平成3年







■9月21日(金)

男はつらいよ(32)
口笛を吹く寅次郎
104分
昭和58年


学校
129分
平成5年







■9月22日(土・祝)

男はつらいよ(33)
夜霧にむせぶ寅次郎
101分
昭和59年


学校U
122分
平成8年







■9月23日(日)

男はつらいよ(34)
寅次郎真実一路
107分
昭和59年

日曜にもう一度観たい山田監督映画
リクエスト上映 (9/14発表)







■10月6日(土)

男はつらいよ(35)
寅次郎恋愛塾
108分
昭和60年


虹をつかむ男
120分
平成8年







■10月7日(日)

男はつらいよ(36)
柴又より愛をこめて
105分
昭和60年

日曜にもう一度観たい山田監督映画
リクエスト上映 (9/28発表)







■10月8日(月・祝)

男はつらいよ(37)
幸福の青い鳥
102分
昭和61年

浜村淳が選んだ山田監督作品上映
虹をつかむ男







■10月10日(水)

男はつらいよ(38)
知床慕情
107分
昭和62年


虹をつかむ男 南国奮斗篇
112分
平成9年







■10月11日(木)

男はつらいよ(39)
寅次郎物語
101分
昭和62年


学校V
133分
平成10年







■10月12日(金)

男はつらいよ(40)
寅次郎サラダ記念日
100分
昭和63年


十五才 学校W
120分
平成12年







■10月13日(土)

男はつらいよ(41)
寅次郎心の旅路
110分
平成元年


たそがれ清兵衛
129分
平成14年







■10月14日(日)

男はつらいよ(42)
ぼくの伯父さん
108分
平成元年

日曜にもう一度観たい山田監督映画
リクエスト上映 (10/5発表)







■10月16日(火)

男はつらいよ(43)
寅次郎の休日
105分
平成2年


隠し剣 鬼の爪
131分
平成16年







■10月17日(水)

男はつらいよ(44)
寅次郎の告白

104分
平成3年


武士の一分
121分
平成18年







■10月18日(木)

男はつらいよ(45)
寅次郎の青春
101分
平成4年


母べえ
133分
平成20年







■10月19日(金)

男はつらいよ(46)
寅次郎の縁談
104分
平成5年


おとうと
126分
平成22年







■10月20日(土)

男はつらいよ(47)
拝啓 車寅次郎様
100分
平成6年

土曜にもう一度観たい山田監督映画
リクエスト上映 (10/12発表)







■10月21日(日)

男はつらいよ(48)
寅次郎紅の花
107分
平成7年

日曜にもう一度観たい山田監督映画
リクエスト上映 (10 12発表)







■10月23日(火)

男はつらいよ
寅次郎ハイビスカスの花 特別篇
106分
平成9年


京都太秦物語
90分
平成22年







■10月24日(水)

南座で観たい「男はつらいよ」第1位
リクエスト上映 (9 24発表)

南座で観たい山田監督映画 第1位
リクエスト上映 (9 24発表)




私は個人的には「遥かなる山の呼び声」「息子」「同胞」「故郷」あたりを
もう一度「フィルム」で観たいと思っている。








おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                
雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年8月13日  寅次郎な日々 その527


京成沿線 京子さんの吉田病院と聖和幼稚園


ふー・・・ようやく6日前にバリ島から柴又へ帰ってきた。

意外に涼しいので驚いていたら、今日はちょっと暑かった。
残暑はまだまだ続きそうだ。

そして昨日からは北陸で展覧会の準備が始まっている。


皆さんご存知のように、
ここ数ヶ月このコラムは「ロケ地」のことばかり書いているが
なかなかこれが評判がいいのだ。

もちろん、私はこの映画の「本編」こそが好きで、ロケ地のことはあくまでも
遊びにしか過ぎないのだが、このサイトをご覧になる方々は、私が思っている以上に
ロケ地のことも結構こだわっていらっしゃるようだ。


メールでのお便りもそのような内容のものが多くなっている。
ロケ地探しやめぐりが、次第に「趣味」から「道楽」に移行して来ているのでちょっと自分でも怖い^^;


特に柴又に住み始めてから、当然ご近所にロケ地がたくさんあるせいか
自転車でいろいろ細かいところまでめぐったりしている。

めぐってはいるが、実はこのサイトではまだ紹介していない場所もいくつかまだある。
紹介しようと思いつつ、ずるずるPCのホールダーに閉まったままになっている。

第14作「寅次郎子守唄」
山形美人の木谷京子さんが勤めているあの吉田病院もそのひとつ。

博が指を怪我して運ばれたのが柴又2丁目にあるという設定の「吉田病院」

しかしこの第14作「子守唄」は東京ロケのほとんどを「京成関屋駅」付近で
まかなっているのだ。


京子さんの「吉田病院」も
江戸川合唱団が練習をする「聖和幼稚園」も
大川弥太郎が住む窓にパンダが置いてある緑のアパート「幸福荘」。これも京成関屋の駅前。

で、ちょうど柴又に引っ越してきた2010年12月の年末時、京成関屋も寄ってみた。

探すまでもなく京成関屋から徒歩7分、
平行して走っている東武線の高架の向こうにすぐに「吉田病院」は見つかった。




第14作で映る吉田病院(吉田医院)全貌↓

    





現在は外壁をリニューアルしてある↓

    




京成関屋と平行に走る東武伊勢崎線「牛田駅」横の高架があり、その向こうに吉田病院がある。
上にも書いたように、実際は「
吉田医院」と言う。



この画像↓は、
第38作「知床慕情」での「吉田病院」
この作品では、もちろん京子さんは勤めていない^^;
イッセー尾形さんが医者。
外壁もややピンク系になっている。↓

    




現在は第14作当時の白に戻っての外壁↓

    




今も当時とさほど変わっていない気がする。

    




    






茶色タイルは今も同じ。
看板は今も同じ形。
あの入り口付近に京子さんが立っていた。

    



    





寅が立っていた病院向こうの東武伊勢崎線高架のレンガと文字は今も同じ!

    



    





一方・・・・


統一劇場 & 大川弥太郎の 「江戸川合唱団」がある聖和幼稚園も、
その吉田病院からたった5分。



聖和幼稚園の外から見た風景。


    




映画では大船セット。

    




寅やさくらが歩いていた向こうの商店街「
柳原 千草通り」は今もある。

右に見える公園は今もある。
ブロック塀が鉄の柵になっている。
聖和幼稚園の位置関係も今もなお同じ。

    



当時も公園の電話ボックスはあった。

    




今もある電話ボックス↓

    





当時もあった滑り台。↓

      






その滑り台も形を変えながらも今もある。

    




一方・・・


京成関屋駅前はかなり変わってしまった。


    




京子さんがホームから見ていたアングルから見える店。↓

    



当時の立ち食いうどん、そば の店「
富士三屋」は今もある。
ただし場所は道を挟んで逆側に移動している。

店の「富士山」マークは一緒。

    



駅舎近く

弥太郎のアパート「幸福荘」は、駅舎真下、現在のコンビニのそばにあったと思われるが、
残念ながら今はもう壊され、
立ち入り禁止のエリアになっている。



とずっと思っていたら

新情報が2012年12月23日に入った。

大阪在住で昔、この京成関屋あたりにお住まいになっていた
大の寅さんファンの真鍋さんが私にメールを下さったのだ。

彼は1980年代のこのあたりの住宅地図を今でもお持ちで、
それになんとあの幸福荘の隣にあった「和可奈寿司」が載っていることを
見つけられたのだ。

その地図によると和可奈寿司の住所は

足立区千住曙町5−7となる。
幸福荘は当然その隣

幸福荘の住所は
足立区千住曙町14−2

そして私は再度そのメールがあった日のうちに
千住曙町に行って調査した。

なんと駅の逆側だったのだ。

しかも吉田病院(吉田医院)にものすごく近い!


当時の「幸福荘」の大家さんにも直接お会いしてお話を伺った。
また「和可奈寿司」の女将さんにもお会いしてお話を伺った。

その時の内容は2012年12月末ごろの
「寅次郎な日々」にアップしましょう。





     
    



     








    




    






    




    






    




    








そして・・・


「京成関屋」の駅舎講内は微妙に変わっている。


    





階段の向きもちょっと変化がある。


    






地図で観て分かるように吉田医院と聖和幼稚園は歩いてすぐ。↓


    






とまあ、このように2010年年末の間に出かけて行ったのだが、
なかなかサイトにアップしないまま今日まできてしまったのだった。

ああ、これでちょっと胸のつっかえが取れた感じ。

やっぱり、めぐった場所は日の目を見せてやりたいよね(^^)ヾ





おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
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526

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年7月27日  寅次郎な日々 その526


未踏峰登頂 夏子さんの金町「スカイラーク」


ここ一ヶ月ことあるたびに、
私は、新藤兼人監督の「一枚のハガキ」を金町のTSUTAYAに借りに行くのだが
あの店には「一枚のハガキ」はたった一枚しかないので、いつ行っても誰かが借りてしまっている。

数週間前も金町「TSHUTAYA」に行ってみたがやはり借りられていた(T_T)

失意のもとに店を出て、画材を買いにひとつ向こうの道に出た。
「TSUTAYA」のそばに画材店があるのだ。


まあいつも通る道なのだが、この日はふと画材店とは反対の方向に目が行った。
別段理由はないが、自転車で曲がる瞬間、ちょっとなにげに逆を見たのだ。

そこにはむこうまでずっと大きな団地が広がっていた。

この団地の形・・・

「あれ?これって・・・」

「・・・・・・・・・・・」

「ここ、夏子さんが歩いてた・・・」


「・・・・!!!ああああああ
夏子さんと藤村医師がデートしていた喫茶店「
スカイラーク」の道だ!!」

つまり、私は、金町「TSUTAYA」勝手に第2作「続男はつらいよ」未踏峰到達まで
あと5メートルまで来ていたのだ。


     




どーんと 見覚えのある団地が目に入った↓


     



あのシーンの団地の形を覚えていてよかった〜〜〜。
っていうか、あの団地どれだけ長持ちなんだ^^;

名前が「
金町駅前団地


とっかかりがきわめて少ないシーンなので誰もが諦めていた。

長く通うとちらっと見ても勘が働くようになるから不思議だ^^
私はあの場所2〜3週に一度は自転車で通っていたのだから。

あの
純喫茶「スカイラーク」の場所は、僕のサイトも含めて
DVDマガジンも今までのムック本も
公式サイトも、誰も書いていない。

やった〜〜〜! 

勝手に初登頂だ(^^)

あ、そのあと、もちろんいったん柴又の家に帰って
スカイラークと団地が映っているキャプチャー画像をプリントアウトして、
それを持ってまた自転車で現地へ戻り、
その団地の近くで古くから店を構えていらっしゃる「
メガネのいとう」さんの
店主さんである伊藤ご夫婦にいろいろお聞きしてみた。

お二人とも当時のロケはおぼろげだったようだが、
この「メガネのいとう」さんの斜め向かいが「スカイラーク」という喫茶店だったことを
はっきり覚えていらっしゃった。

プリントアウトした画像をお見せすると、
「そのビルの外壁は今も残っているよ」と、おっしゃった。

なんと残っていたのだあのタイルが!



      




そしてなんと、その「スカイラーク」という店は、一階ではなく、二階にあったらしいのだ。

そういえば・・・

確かにあの映画でも、夏子さんと藤村医師が座っていた場所は二階だった!

山田組はそういうところはいつも忠実に再現してくれるのだ。


         確かに映画でも二階に喫茶店がある↓

      




それで、スカイラークはずいぶん前にやめて、
そのあとは「ジャズ」のコンサートをする喫茶&バーになったようで、
それも、途中でまた別の「ジャズ」の店に経営者が変わったりしたようだということだった。

だから毎週夕方、ジャズの生演奏が道まで聞こえていたそうだ。

女子プロレスラーの「マッハ文朱」さんがまだ若くて売れてない頃、
その2階の喫茶店で長い間バイトしてたんですって。

面白い^^




伊藤さんの奥様は「バリ島」の生地が昔から好きで、デパートで生地をまとめて買っては
自分で裁縫して作られるそうだ。

この日もバリ島で織られた絣の生地を使ったシャツとパンツを着ておられたので、
ロケ地の話とは関係ないけれども、ちょっとその服のことをあつかましくも私は聞いてみたのだ。

私が20年バリ島に暮らしていたことを話すと、ずいぶん奇遇だと驚いておられた^^


    



そのあと、お礼を言って、「メガネのいとう」さんをおいとまし、
斜め向かいにあるロケ地のビルに向かった。


もちろん、ロケ地になったビルの方にも裏を取らせていただいた。

このビルは牛乳屋さんが持っているビルで、昔から1階で牛乳販売をされている。
で、二階は、当初映画のとおり「スカイラーク」と言うお店で、自分で経営されていたそうだ。
しかし、途中から牛乳の仕事一本に絞って、喫茶店のほうはテナントとして
人に貸すことにしていったらしい。

1階は昔も今もそのまま牛乳屋さん。


でも伊藤さんご夫妻がおっしゃったように、その借りていた方もかなり前にやめられて
その後ジャズ系の経営者が何人か変わって
昨年からは2階は何もやっていないそうだ。



    




実は私は、ここのロケは、ひょっとして「大船」かな〜〜とも思っっていたのだ。

赤で囲ったマルの中に「北口商店会」ってあったので
ひょっとして金町の北は昔そういったのかな。。って思てもいた。

今は違う呼び名なのだ。

あそこ、今は「しょうぶ通り」と呼ぶ。



    



たぶん水元公園への道だからかも^^
あそこの菖蒲は美しいから。



あの、
コカコーラのマルかんばん
壁からコードが残っていた。


    



    




夜、家に戻って ストリートビュー(2008年撮影)で
ここをめぐってみたら 
その2階がジャズ喫茶になっていて、
この茶色のタイルが内装で隠れている。

これじゃわからんはずだ。

いや〜〜、そのジャズ喫茶がここ数年でつぶれて、
入り口の内装が全部取り外されて
また昔のタイルが現れたんだね。

これもまた奇跡。



     








     


その後、その最後のジャズ喫茶のサイトも見つかった。
なかなか精力的にコンサートやってたようだ。。
行きたかった〜〜〜〜〜。

名前は【Jazz inn Blue】
2005年に、前老舗のジャズ喫茶を引き継ぎ、
開店したそうだ。

やっぱり2010年で終わったって・・(T  T)

5年かあ・・・

理想を追求するとなかなか続かないよね・・・


いちおうHPはまだ残っていた。↓

http://www.jazz-inn-blue.net/



          関係者の方々、勝手に画像使ってすみませんm(_ _)m

     



なんでこんなにその「ジャズ喫茶」に行きたかったかというと、
実はロケ地と言う以外にも理由がある。、
そのHPに、なんとこの喫茶店が昔寅さんのロケ地だったことが
ちょろっと書かれてアリ!
そしてその後こういうような内容が書いてあったのだ↓

お店を切り盛りするマスターも
「男はつらいよ」の大ファン
寅さんファンはぜひお店にお越しください。
一晩中寅さん談義に華を咲かせませんか?】


このマスターを捜したい!
どこにいらっしゃるんだろ〜〜。

マスターさん!もしこのページを奇跡的にお読みになったら
私にメールください。
新しい場所でのジャズ喫茶に行きます!

studio_miya@hotmail.com

葛飾区東金町3丁目19−1  2階

TSUTAYAのすぐそば^^

      


ちなみにJR(国鉄)金町駅のかなり南にある金町中央病院から
このスカイラークまでは南から北へとかなり歩くので
ちょっと病院の休み時間や夕方落ち合う場所としては遠いかも(((^^;

なぜ南口のほうを選ばなかったんだろう?



さて、もうひとつ別の話。


話は次の日に変わって・・・



夏子さんロケ地初登頂で気分が極めてよくなったので 翌日

心機一転、「一枚のハガキ」を探して

亀有駅前のTSHUTAYAにも行ってみた。 が、
こちらのほうは「一枚のハガキ」は店に置いてさえいなかった・・・。

ショック

しかし、転んでもただでは起きない。


帰りに中川のほとりで「星野ベーカリー」に立ち寄ってみた。

第12作「私の寅さん」で、
りつ子さんと寅が立ち寄るあの「星野パン」
りつ子さんは「関口フランスパン」を買うが、寅がお金を出してやるのだ。
(関口フランスパンは東京都文京区関口に本店がある老舗のフランスパン店)


星野ベーカリー(当事は「星野パン」)の映画撮影当事の位置が分かったのだ!

昔、私の敬愛する寅友の
寅福さんが、
かつて、日本で最初にロケ地探探索でこの星野ベーカリーに立ち寄られ
当時の星野ベーカリーのお店の方に昔の店の位置を聞かれたのだが
どうも当時の位置がはっきりしなかったのだ。


     



今日私が聞いた方は
その店の若奥さんで、家族から聞いていたかつての場所をしっかり教えてくれた。

この
赤い囲み。

一番左の赤丸には橋が見える。
そして橋に近いパーマ屋さん。
そして「えざわ」さん。

あのあたりの店が
こんなに
中川橋に近かったのだ。

 

     



「今の星野ベーカリー」と
「映画当事の星野パン」との位置

黄緑の矢印が橋の方。

りつ子さんと寅は矢印の方向に歩いていく。

映画当時は道はあそこで行き止まりだったのが、今ではずっと東向こうまで伸びている。


     



     



     




葛飾区新宿(にいじゅく)2丁目11−25

     




もうこのあたりは、かなり道路拡張などが
派手に行われたので分かりにくくなっているが
ストリートビューで見ると右からカーブしてくる道が
当事と同じような空気をわずかに残っている↓


     



若奥さんがいうにはあのカーブはあそこのままだそうだ。

今は上にも書いたようにあのまま直線の道が東に伸び、
大きな歩道も左右にある。
その途中に新しい「星野ベーカリー」が見える。

道幅が広がった時(歩道が左右に作られた時)に
家々や電柱も移動したんだろう。

かつては澤之鶴看板の「えさわ」さんがあり
その横橋寄りに「パーマ屋さんかつみ」があったんだね。





映画の高羽アングルのまま現在を写すとこうなる↓





映画ではこう↓

     




いきなり、2つもロケ地がピンポイントでわかり、うれしかった。




さて・・・

そのあとも


私の住む柴又はこんなものがやって来たり↓(((((−−;


     






葛飾納涼花火大会が盛大に開催されたりした。

今年は連れ合いも柴又に来て3人でスイカを食べながらベランダから見ていた。






極楽浄土・・・・

     




柴又はこうして本格的に盛夏に向かっていくのだった。

     




そして本日 7月27日。

私は今からバリ島に向かう。
今回のバリ滞在は短い。

8月10日ごろ日本に戻る予定。

更新はバリ島でできないかもしれないので
帰国までお待ちください。

もしネット環境がよければ一度更新してみようとは思う。
まあしかし、ジャングルの中でのネット環境は毎回最悪。
期待はしていない。




それでは行ってまいります。



ジェットストリーム・・・

遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく、はてしない光の海を
ゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる、
夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。

光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。





おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                
雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年7月17日  寅次郎な日々 その525


はつらいよ 公式イベントin 柴又帝釈天

寅さんと七夕のめぐりあい


今年の七夕は楽しい夜だった。

摩訶不思議なご縁が重なって、2010年末に柴又に来てから
まったく予想外な方々に出会い、そして他方面に渡りお世話にもなっている。

今回もそのようなご縁のひとつ。

寅さんがとりなす仲で、ぐんっと親しくなった寅友の佐藤利明さんが
司会、講演、トークをする
「男はつらいよ 公式イベントin 柴又帝釈天 寅さんと七夕のめぐりあい」に、
これまたご縁があって参加させていただいた。


この日の上映は「
第9作 柴又慕情


100人ほどの有志がお座敷に座って座布団の上で映画を鑑賞するのだ。
映画館と違って、お寺で鑑賞会。これがなかなか粋。
しかも本家本元の「帝釈天こと題経寺」の鳳翔館


開場からしばらくして中に入ると・・・。

第9作の序盤、寅が下宿探しをする時の、不動産屋での「寅のアリア」が書かれた紙が
テーブルの座る位置にお弁当と一緒に置かれていた。

こういうちょっとしたことが粋だねえ。


    



サントリーが協賛しているとのことで、
あの「
オランジーナ」もみんなに配られている。
オランジーナはフランスではコカコーラよりもたくさん飲まれているらしい。
今ではサントリーがその販売の権利を持っているのだ。



この企画に深く関わり、司会進行および解説も担当しているのは、今回も佐藤利明さん。



佐藤利明(オトナの歌謡曲 . 娯楽映画研究家)

プロフィール
1963年東京都生まれ。
娯楽映画研究家、構成作家、ミュージカル.音楽評論家としての多彩な才能をもつ。
CS衛星劇場「私の寅さん」(2008年ー2010年)では「男はつらいよ」関係者に毎回ロングインタビューを行う。
また、2008年『男はつらいよ』40周年プロジェクト(松竹)に協力するなど
『男はつらいよ』への造詣が非常に深い。






いや〜〜〜〜〜〜〜

楽しかった。

場所が場所ゆえ、100人まで限定の企画だったが
思ったより若い人が多かったのはびっくりした。

30歳代40歳代が結構来てました^^
なんだか育ってるなあ って感じで嬉しい(^^)

私は時々浅草や新橋の名画座に「男はつらいよ」を観に行くが
たいてい、10人〜15人くらいで、私が一番若いくらいだ。

でも、この日はこの写真のようにざっと見、半分以上は私より若い。
30代の方々も結構いた感じ。


     







佐藤利明さんが受け持つ池袋西武デパート内「池袋コミニュティカレッジ」での映画講座の方々や
同じく彼が構成作家と出演もしている文化放送の「みんなの寅さん」の
リスナーさんたちがこの中にもいるのだと思った。

あきらかに新しい風がこうして吹いているのだ。


この映画シリーズは懐かしさだけで終わってはいけない映画、
っていうか、終わるわけがない映画。

これからの時代にこそこの映画は必要なのだ。

未来人はこの映画シリーズを忘れることはできないだろう。
荒野の片隅で聖書を開くように、砂漠の月明かりのもとでコーランを
唱えるように、これからの日本人はこの映画が必要となってくるに違いない。


映画が終わってからもう十数年たつが色あせるどころか若い人たちに
どんどん関心を持たれて来ている。

こんな映画シリーズは世界でも例がない。
普通はプログラムピクチャーなどというものは、年月とともに加速度的に忘れられていくのだ。

まさにこれこそ「スタンダード」


寅さんファッションであろうが、なんであろうがどんどん若い人が
未来へバトンを受け取って行くことが大事なのだ。

人が一生のうちで観なくてはいけない映画などそうそうあるものではない。
「男はつらいよ」はそのような稀有な映画のひとつ。




さて、意識は現場に戻って


はじまりはじまり。




まずは佐藤さんのここ数年の仕事の中で
最も大きな仕事だったあのロングインタビューの映像。


数年前にCS(communications satellite)の『衛星劇場』で
「男はつらいよ」に携わった人々の証言や思い出を丁寧に掬い取る作業が行われた。
私の寅さん』という番組だ。

この番組は、山田監督をはじめ、倍賞千恵子さん、前田吟さんなどのメインキャストや
マドンナさんたちはもちろんのこと、
今まで私たちが見聞きすることができなかった、
出川三男、露木幸次、 五十嵐敬司、 青木好文 森崎東監督 、宮崎晃 鈴木功 松本隆司・・・
というスタッフ側の方々に深く突っ込んだインタビューがおこなわれていたのが特徴。



        




こういうつっこんだ仕事はNHKや民放ではなかなかできない。
それぞれのチャンネルで役割の違いがあるからだ。
それゆえ、なんでもかんでも放送しなくてはならないそれらの局では
この「男はつらいよ」を心底愛し、かつ熟知する方がホストとなって
インタビューできる時空がないからである。

物事を深く掘り下げたい時は、構成作家や対話するホスト役もやはりこの映画を深く理解していないと
どこかで聞いたような、誰でも思いつくような一般的なものしか質問できないし、
なによりもその相槌のニュアンスが違ってくる。
まさにそれだ!というような的確なフォローが出てこないのである。これが大きな違い。

「何も知りませんので教えてください」と居直って、相手の発言に「なるほど」と、
感心ばかりしていてもしょうがないのだ。
独り言からは『知られざる事実や感覚』はいつまでも出てこない。
同じ土俵で会話をしなければギリギリの『ほんとう』は出てこない。

近年のNHKの「100年インタビュー」が100年の価値、
つまり「普遍性」にまで至っていないのはそこの問題に尽きる。
的確に相手に球を返すキャッチボールができないとそこに「普遍性」は生まれてこない。

だからといって、その分野の専門家同士が
非常にマニアックな質問や楽屋落ちの話題をすればよいと言う意味ではない。
やはり「ホスト」「インタビュア」の才能は当然なければいけないのだ。
つまり、ホスト役の人がその分野の物事を懐深く理解していれば
おのずとテーマが絞られ、言葉が選ばれると言いたいのだ。
要は長年温めて来た『このことを昔から一度聞いてみたかった』という問題意識を
インタビュアがいくつか持っているかいないかだ。

で、この時の衛星劇場のホスト役は、上にも書いた通り
今日の上映会の司会進行役でもある佐藤利明さん。

日本の映画評論家の中で最もこのシリーズをたくさん繰り返し見続けている
幼少期からの「男はつらいよ」の大ファンである佐藤さんならではの感覚が生かされた
見事な番組だった。

彼がホスト役の場合はインタビューを受ける側も当然適当なお茶濁しはできない。



        








で、長々と書いてしまったが

話はまた現場に戻って・・・



今回はその中でも珠玉だった「1時間半の山田監督へのインタビュー」を
ダイジェストで30分間分見せてくれた。


やはりこのインタビューは何度観てもすばらしい。
山田監督の奥底にある想いや感覚が聞ける稀有のインタビューだった。



    





この日上映されたインタビュー部分を抜粋するとこんな感じ。



■ 【マンネリズムの中の緊張感について】



佐藤:望郷編で一つ完結しようと思った寅さんを、そのクォリティの高さでシリーズが続くことになっていく
    わけですが、その毎回同じ物語を紡いでいくことに対して当時の山田監督はいかがだったでしょうか。



山田:んー…、そういう批評、悪口は言われましたね。マンネリズム…。
   それは随分僕も苦しみましたね…。思い切って変えちゃったほうがいいのかしら、
   会社でもそう言われましたよ、少し変えてみたらどうだと。
   たとえば寅さんが結婚して子供ができたりなんかしたら面白いんじゃないかって言うんだけれども
   どうも僕はそういう寅さんを見たいとあんまり思わないなあって…。

   マンネリズムというのは聞くとぞっとするけれども、でもね、そんな悪いことでもないような
   気がしてくるわけですねえ。
   あの、観客は同じ色合いの、同じ匂いのするものを見たくて映画に来るんじゃないか…。
   それはたとえば、この店のラーメンが食べたい。次の週も次の週も食べに来る。
   それに対して作り手が飽きてしまって、今度思い切って変えました。って…それじゃね、
   観客は期待を裏切られてしまうっていうか…。
   だから同じようなものを観たいって言う気持ち、それに対して同じような楽しみを提供するっていうことは
   なかなか実は難しいことじゃないかと…。だからそんなに悪いことじゃない、マンネリズムであることはね。

   問題は、その、毎回毎回作る僕たちがある緊張感を持って、これは観客は初めて観るんだぞと、
   いう気持ちに僕たちがなってれば、観客だって始めて観た気持ちになれる…。
   つまりマンネリズムの楽しさというのはそこにあるんじゃないかっていうこと。
   まあいろいろ考えましたねえ。まあ、あんまり変えるまいと。
   『馴れ合い』の嬉しさ…、それがこの映画には大事なことなんだ、と思いましたねえ。



佐藤:『十八番(おはこ)』と言う言葉があります、それから『料簡』という言葉があります。
    おそらくその寅さんの料簡というのが、観客と一緒に作り手である山田監督や渥美さんが育てて
    いったんじゃないかという気がします。映画なんですけどライブなところがあるんですね。


山田:そうねえ、うん、そうねえ。



毎回新たな気持ちで同じものを作ることのなんと難しいことか。
落語家が同じ噺を高座で演じることとの共通性をふと感じさせる本質的な話だった。







■ 【名優 森川信の真髄】



佐藤:この映画のレギュラーメンバーというのがそれぞれ『料簡』を持っていて、
   特に森川信さんのおいちゃん、これはテレビからですけど、今見てもほんと絶品ですね。


山田:そうねえ、あの人は、ほんとはもっともっと高い評価を下されていい名優だったと
   僕は思いますよ。
   森川さんが出る日は僕も楽しかったもの。
   今日はこのセリフをどんなふうにしてあの人は言うのだろう。
   この芝居の時にどんな表情をするだろう。いつもね、わくわくする思いでいましたねえ。

   で、たとえば寅さんがふっと現れるでしょ。
   「ええ!?」ってなるでしょ、森川さんがね、「ええ!?」って言っただけで、もう
   観客が爆笑してしまう。

   渥美さんにね、ある日、聞いたことがあんのねえ、ああいう「ええ!?」って言っただけで
   大爆笑する、それは森川さんが長年浅草で培ってきた、その演技力というものなのかしらね、って
   言ったら、渥美さんは違います。っていうんですよ。なんですか?「天賦の才です」って言うのね、フフフ、
   あーそうか!って、誰にもできることじゃない。「天賦の才です」っていうのは、
   イコール、渥美清の芸もそうなんだと僕は思いましたね。天賦の才なんですねえ、あれはねえ…。




                



『天賦の才です』と、森川さんを言い切った渥美さんの言葉は、修羅場をくぐってきた渥美さんの、
俳優という仕事に対する冷徹で厳しい目と、隠された自負をじわりと感じさせるものだった。








■ 【媒介者としての寅次郎】



山田:あの…くだらない政治家とか、くだらない会社の社長とか、そういう人とは
   寅さんはぜんぜん似合わないんですよね、もうひとつちゃんとした、自分の世界なり、
   人間観なり、自分の思想を持った人と、寅さんとは似合うのねえ、


佐藤:ですから、諏訪ひょう一郎さん、志村喬さんが、『人間は自分の運命に逆らっちゃいけない』
    って説教して、寅さんは感化される。寅さんはまた感化されやすいんですね。

山田:そうそう、寅さんて言うのはね、正しい意見をね、こうすぐに信じることができるっていうかな、
    『君子豹変す』って言うけれども、そっちのほうが正しいと思ったらさっと切り替えられる、
    こだわらないって言うか、自分の考え方にね、そういうのはよさじゃないのかな。


佐藤:それはある種我々にとっての理想でもありますよね。
    そうかくありたいと。


山田:そうね、で、また、すぐ綺麗な女の人が来たら、それ捨ててそっち行っちゃうかもしれない。
    だから、寅という人間の中に確固たる思想が築かれていくわけじゃない、一つの考え方が、こう
    練られて行くわけじゃない、ただそういう誰かに聞いたことを、あーほんとだと思って
    すぐペラペラ柴又に返って来てみんなにしゃべる。
    さくらや博たちは、その話を聞いてほんとにそうだと思ったりするわけですよ。なるほどと。
    で、それは寅の考えじゃなくて、ただ、誰かの言葉をただ通訳して聞かせているだけで、
    つまり『伝達』する、ある考え方なり、思想なり…それを『伝達』する役割を寅はしている。
    だけど、伝達し終えたら、寅はそれ忘れちゃってるかもしれない。
    でも確実に寅によって寅から聞いた博やさくらたちは、その言葉を胸の中に仕舞って、自分の
    考え方の中にそれを含めていくことができる…。
    だから寅は貯まらない、フフフ。すぐ流して行っちゃう、フフ。



佐藤:寅さんは『媒介者』である。


山田:『媒介者』、そうそうそう。



                 



『寅は媒介者である』これは佐藤さんの名言だ。







■ 【妹とという存在の微妙さ】



佐藤:さくらとの関係で、第8作「恋歌」で、やはり「一度はお兄ちゃんと交代して私のことを心配させてやりたいわ」
    「こたつに入りながら今頃さくらはどうしてるのかなって、そう心配させてやりたいわ」
    このセリフってさくらと寅さんの本質的な部分と思うんですよ。


山田:そうですね、そんなこと言いましたね…。


佐藤:山田監督の作品の中には兄妹(あにいもうと)というモチーフが多いんですがなぜ妹なんでしょう。


山田:ん、あの…、柳田邦男のねえ、著作の中に『妹の力』っていう有名な言葉があるけれども、
    あの、日本人独特なのかもしれませんねえ、こう妹ってのはつまりいわばセックス抜きで
    愛することができるっていうのかな…。だから妹を大事に思うって言うお兄ちゃんは
    世の中にとっても多い気がしますねえ。

    で、異性の場合はどうしてもそこにセックスという問題が付きまとうからごちゃごちゃしたり
    最後はひどいことになったりする…、結婚したって、それはなかなか上手く行くもんじゃ
    ないですよね。やっぱり男と女の関係というのは複雑でごちゃごちゃしてしまう。
    妹はもっとスッキリとした付き合いで愛することができる。

    あの…、一種の、さくらと寅との関係は、きれいな男女関係だと僕は思っていますよ。
    で、寅にとってさくらっていうのは、ま、一種の『宗教』みたいなもんで、
    彼女を心配させてはいけないっていうのが一つの自分の生きる基準にしてるっていうかな
    彼女はこの場合なんて言うのか、彼女がそういうことはダメよって言うことがらはしないっていうかな。
    彼女がとってもいいことしたわねって言うようなことを自分はすればいいっていうかな。
    まあ、そういう意味じゃ、さくらは寅にとって、まあ、聖母マリアのような、観音様のような、
    そんな存在だったんじゃないでしょうかねえ。

    まあ、ほんとにあの、さくらは基本的には『定住者』ですねえ、で、寅さんは『放浪者』で。
    もしかして、長い人間の中で女性は定住者だったのかもしれない。
    男はあっち行ったりこっち行ったり、餌を獲って帰ってきて、餌を与えるとまたどっか
    行っちゃうというね。女性はそこで子供を産んで育てて、という…。




                




山田監督は、今回、この映画の隠し味である『妹の力』をはっきり言葉にされている。
これはこの映画を観続けていく上でとても重要な要素だと思う。



以上、この日のインタビュー部分の抜粋。






で、上映が終わって


佐藤さんなんと着物姿!


佐藤さんの挨拶があり、
山田監督のインタビューの補足があり、

そして、おもむろに・・・

今日の
サプライズゲストが突然発表されたのだ。

みなさん、驚きの声とともにかなりざわめく。

この日のサプライズゲストは


光本幸子さん

御前様の冬子お嬢さんだったのだ!


まさに帝釈天の催しに最適の方。

佐藤さんがこの日の朝、なんと光本さんに突然電話され、お願いしたところ
すぐに快諾してくださったそうだ。

私はもちろん光本さんは初めて観させていたのだが、
優しくて陽気で、でも おっとりゆっくり喋る方だった^^



    



「男はつらいよ」に3回も出演されたことを中心に、
後にあの「隠し剣 鬼の爪」では見事な演技を見せられたことなどを
佐藤さんが紹介され、そのたびごとに光本さんは、その時々の思い出や感想、
山田監督とのちょっとしたエピソードなどを紹介してくださった。


    




私も、映画公開当時、スクリーンで彼女を観て、あの冬子お嬢さんなのか!と驚いた。

そして、それ以上に、あの伊勢屋のいじわるな姑役にしっかりはまっている演技には唸ってしまった。
ただたんに意地悪な感じを出していたのではなく、
きちんと店の女将としての威厳や品格、そしてそれでも隠しきれない強い業を
見事に表現されていたのには目を見張った。

あの映画の助演女優賞は私的には間違いなく光本幸子さんなのだ。あの演技は本物だ。


    




光本さんは、この日のトークで、
渥美さんとは実は・・・映画共演以前に、行きつけのお寿司屋さんで何度か知り合っていて
結構映画に出る以前から親しかったとおっしゃっていた。
そして、そうやって仲良くなってから本当に渥美さんが光本さんの舞台の芝居を
観に行ってくれたことがあるそうだ。
そういう仲だったんだね・・・。


そういうのって意外に映画の中ににじみ出るんだよなあ。


     



そして、


第7作「奮闘編」で再出演された時、だっこしていたあの赤ちゃんが


     




第46作「寅次郎の縁談」では、もう高校生になっていた!
そらそーだ^^;

この、第46作「寅次郎の縁談」で3度目の出演をされた時、
ちょうど光本さん自身にも高校生くらいのお嬢さんがいらっしゃったので
山田監督が同じような設定にされたことは印象深かったということだった。


     




あの冬子お嬢さんのさくらとの会話によって、笠さん亡きあとも、
御前様が今でもお元気で
帝釈天にいらっしゃることが暗示され続ける重要なシーンでもあったわけだ。


     





ほがらかな方で、今でも笑顔が素敵だった。


     



で、30分〜40分ほどの光本さんのトークの後、


今度は夕方6時にあわせて


鐘突き権 ジャンケン大会 ^^;
 

ジャンケンで勝ち残った6人が夕方6時の源ちゃんが撞く鐘を自分の手で
あの題経寺のハッピを着て撞けるという超ユニークな企画。

みなさん、大笑いしながらも結構真剣^^;



       




で、勝ち残った方たちは、このように↓あの源ちゃんも着ていたハッピを着て鐘を撞いた。


       




私は二天門の前、つまり鐘の横に住んでいるのでわかるのだが、
帝釈天の鐘は時報と1秒の狂いもなく毎日撞かれている。
映画では源ちゃんは時々鐘を撞くのを遅れてしまっていたが、本当の鐘撞きは0,5秒すら遅れないのだ。
これはものすごいこと。
朝6時、昼12時、夕方6時 毎日決まって3度撞くが本当にぴったりに撞き始める。


そうそう、この大鐘楼の入り口↓は映画ロケで寅がいましたね^^


さて、ここで問題です。

この入り口↓で寅が立っていたのは第何作でしょうか?



      





答えは↓ ね^^ あのシーンですよ。とらやで大喧嘩した後の^^


      


この映像見ても第何作かわからない人は、ご自分で見つけてください^^;




話は戻って^^



みなさん上手に撞いておられました↓


      




このちょっとした、エアポケットの時間に、私のサイトを普段から見続けてくださっている方が
何人かご挨拶してくださり、私も驚くやら、嬉しいやらで、途中から鐘の音聴かないで
すっかり話し込んでしまった。


特に吉川明さんとおっしゃる熱烈な寅さんファンの方は、
私のこの長ったらしい樹海サイトを隅々までしっかりご覧下さっていて
更新を毎回楽しみにしていただいているとのこと。

吉川明さんは、
「もし、コラム”寅次郎な日々”に万が一私のことを書かれるのであれば
『私は確かに寅さんファンですが、それ以上に吉川さんのサイトのファンです』
と、ちゃんと書いていただきたい。これは本当のことですから」と、はっきりおっしゃった。

いやもう恐縮至極です。はずかしいやら嬉しいやらで、これからの励みになります!

ありがとうございます。



だいたい、私が吉川孝昭だから苗字がまず同じ! 
私のインターネット上のSNS内でのハンドルネームが「彰」なのでそれも読み方は同じ!
名刺もいただいているので本当にこのお名前なのだ。

そしてなんと新婚当時彼と奥様は数年間富山県の高岡市に赴任されていたのだ!
私も棲家とアトリエが富山県!

「奇遇」とはこのことですね。とお互い感動しあった。

今年10月の「寅さん記念館」での私の絵画展に来てくださるということで、
これからも、この同じ苗字の吉川さんとはますますご縁が深まることは間違いないですねこれは(^^)


      





また、昨年お世話になった方にも何人かお会いできた。

昨年の「寅さん記念館」での絵画展にお越しいただいた、
本格的な寅さんファンの栗原陽さんもその中のお一人。

栗原さんもちょうど、この鐘撞きから食事までのエアポケットの時に声をかけてくださったのだ。

彼は、何を隠そう、昔あの有名なカルトクイズ番組「カルトQ」の「寅さん」の回に出演され!
なかなかの好成績で目立っていた方なのだ^^

私のサイトもいつもしっかり見てくださっていて、ほんと恐縮((^^;ヾ

昨年は奥様の恵美さんと一緒に展覧会の会場に来てくださったことをよく覚えている。

そして今年、待望のお子さん(お譲ちゃん)がお生まれになったということ。
もうお子さんはかわいくてかわいくて・・!っていう感じだった。^^


今年の10月の絵画展はお子さんと3人で来ていただけるということ^^


      




そして みなさん ちょっと休憩した後


映画上映会までの間、みなさんいよいよお待ちかねの^^; 
お弁当を食べた。



佐藤さんの乾杯の音頭に応える参加者のみなさん↓


     




お弁当のカバーもなかなか凝っていますよ。
「寅次郎子守唄」の京子さんとみんなが大笑いしているいいシーン^^


お弁当を作ったのは東銀座の東劇があるビルのレストラン。「ツキジキッチン」


なぜか・・・
寅さんおみくじつき!。


     




またまた 問題です。

さてこれは↓第何作のセリフでしょうか?^^


    




【ヒント】

ある揉め事があった直後ですよね。
それもタコ社長が悔しくて「チクショー、チクショー」って
ある紙を破いて泣いてしまうほどの
ちょっとシリアスな揉め事。






はい、また話もどって^^;



お弁当休憩



開けてみると、「七夕」にちなんで「
天の川」が卵で作られていた。
また、寅の大好きな「
がんもどきの煮たの」も入っていた。

全体的になかなかボリュームがあった。


       




ここで、ようやくしばらくの間、超忙しかった佐藤さんも、お弁当を食べながら私たちと30分ほど歓談。

私のそばには、佐藤利明さん、そして美しい奥様、
友人の朝日新聞の小泉信一さん、寅さんタレント&ボランティアで有名な野口さん、
おなじみ私の親友の吉野ほつね君などなどがいた。

佐藤さんの奥様の心配りで、皆さんの近くに座らせていただき、
知らない人の中で食事がしにくい私はちょっと安心(((^^)ヾ
みんなお馴染みの仲間なのでわりと普通に食事ができたのだった。

こう見えても私はかなり人見知りなのだが

小泉さんも野口さんもほつね君も、私の展覧会に2回も3回も来てくださっているので、
もうすっかり気心が知れているところが助かった。


     



食事中も小泉さんは、
今度の朝日新聞日曜版の首都圏版連載コラム「寅さんの伝言」に書くPC原稿を見せたり
今度、あの歌子ちゃんの友達のマリさん役をされた
泉洋子さんにインタビューすることを知らせてくれたり、
相変わらず、朝日新聞の記者さんとは思えない永遠の寅さん大好き少年だった^^

そうそう、あのまるぽちゃの泉洋子さんといえば私にとっては、寅さん意外でも
「なんたって18歳」や「サインはV」などでも印象深い女優さんなので興味津々。
確かサインはVではそうとうな戦力だった気がするのだが・・・。


     




佐藤さんも小泉さんの原稿を見て興味津々^^


     



で、いっしょに来ていた親友のほつね君は、
ちょっとした合間にいつもノートや紙の裏に絵を描くんんだけれど
今回もアンケートをみんなで書く間に彼は裏に絵を描いていた^^

今回は第9作「柴又慕情」なので、そこでの面白く楽しいシーンを
思い出して描いていたようだ。

これは、寅と登が歌子ちゃんたちが泊まっている宿(金沢の百山旅館)で大騒ぎして
彼女たちに大ひんしゅくをかってしまう一連のギャグシーン。↓

まあ、見てわかる通り、ほんと彼の絵はいい味がでている。^^↓

     




    ほつね君が描いたのはこのシーン↓


     





彼の心の中には今は「寅さん」がいっぱい。


     




さ、話は戻って


その後、上映に先立って

佐藤さんの「柴又慕情」についての解説があった。

急遽、小泉さんも駆出されて、二人で「柴又慕情」のこと
吉永小百合さんとの思い出、
渥美さんが吉永さんに第9作の時に言われた言葉。
ラスト付近の帝釈天ロケのシーンで、あえて大船にわざわざ帝釈天のセットを作ったこと。
それほどまでに、あの夜のシーンはこの物語で重要だったこと。

などを上手に二人でキャッチボールしながら話されていた。

ちなみに渥美さんが吉永さんに言われた言葉は

役者なんて定めのないもの。
 先のことはわからない。
 それに1ヶ月先のことは決めたくもない。
 でも、そんな時、何かがふとわかるんですよ


落ち着いて、時間を持って、自分をからっぽにしてみて、
そうしてはじめて見えてくる展望というものの存在を
当時の若く恋のことで悩んでいた吉永さんに言いたかったのかもしれない。



で、トークが終わって

あとで、小泉さんに、「トーク上手でしたね〜」って言うと、
最近、ああいう司会やインタビューの仕事なんかも結構やらないといけないんで
上手になってきた。ってテレながらおっしゃっていた。

小泉さんは、一時期重い病気で苦しんでおられたが、
今は回復してバイタリティが戻ってきた感じだ。



この第9作はもう初期の野暮ったさはほとんどなくなっている作品だ。
マドンナには上記の通り、大スターだった吉永小百合さんを遂に起用。
渥美さんも珍しく吉永さん起用に自ら大いに乗り気で、スタッフ、キャスト全てが
地に足をつけながらも乗りに乗り始めたのがこのあたり。

本編を見ていても渥美さんは吉永さんとの共演が実に楽しそう。
吉永小百合がマドンナ!
もうこれだけのことで画面が一気に活気付く感じがする。

実際、吉永さんは親との関係に少し問題のある薄幸の美しいお嬢さんを
集中力をもって生き生きと演じていた。

このようにスクリーンで華やいでいた吉永小百合さんを、
山田監督が放っておくはずもなく、
第13作「恋やつれ」で同一人物のマドンナ、つまり続篇として再登場してくるのである。

もっとも山田監督が後に語っていたところによると、
歌子ちゃんをもう一度(3回目の登場)させる案がかなり進んでいたようで、
大島の養護施設を辞めた歌子ちゃんが寅に再会することになっていたらしい。
これは実に、観たかった話だ!残念…。

この第9作は、物語の深さ、構成の力強さでは前作第8作にわずかに及ばないが、
若々しい風が映画の中を吹いていてそれまでの「男はつらいよ」にない「華」がある。
そういう意味ではとても観やすくテンポよく楽しめる人気作品ともいえる。

また、第8作後に亡くなられた森川信さんにかわり、
新しいおいちゃん役を松村達雄さんがこの第9作から演じている。


ところで 実は、

この作品は、私が人生を変えられた2つの名セリフが存在する。



ひとつはさくらたちのアパートで、歌子さんに博が言うセリフ。



歌子「あなたたちからみたら私なんて意気地がなくって迷ってばかりで…、
    なんだかみっともないわねえ…」


博「いいじゃありませんか。
  みっともなくたって。
  それはあなたが優しい人だからですよ」



歌子さんは、ちょっと驚いて下を向く。

博の言葉の意味を受け止め、自分の中で吸収していく歌子さん。
ここに彼女の非凡さがある。

この博の言葉によって、歌子さんの人生は変わり、
そして映画を観ていた私の人生も変わって行ったのだ。
全48作品の博のセリフの中で私が最も感動し、心が震えた言葉だった。
人生を変えられてしまう言葉なんてそうそうはない。


この博の言葉が持つ意味は深く、
その思想はこのシリーズすべてに流れている。




そしてもうひとつ


物語終盤、さくらがどうしてまた旅に行っちゃうの?って聞いた時、
江戸川の土手にねっころがりながら寅が空を指差し言うセリフ



「ほら、見な、あんな雲になりてえんだよ」 



これは、私の旅暮らしの心を代弁してくれる永遠の言葉だ。




それではいよいよ 柴又慕情 のはじまりはじまり。


場内がスッと暗くなって・・・・


パッと音楽が鳴り、松竹富士山があらわれた。


    




記念写真の時に「バタ〜〜〜」^^;


    





これが、帝釈天西門前の大船セット。↓山田監督はこのシーンをじっくり、しっとりと
天候や周りの雑音に左右されることなく撮影したかった。
だからあえてセットを作ったと言われたそうだ。


    





そして、最後にあのセリフのシーン・・・


    



みなさんとにかく反応がよかった。
すべてのシーンにビビッドに反応されていた。

現代日本の寅さんファンの精鋭部隊って感じ^^


映画が終わってみなさん拍手 & 大満足(〜〜)


最後に、佐藤さんが司会をして、ほつね君が手伝いながら
「抽選会」が行われた。

「寅さんDVDマガジン」等が当たるのだ。
そして最後に大物「みんなの寅さん」の大きなポスター&光本幸子さんのサイン入り!

これが当たったのがなんと、今日私に話かけてくださったあの吉川明さんだった!
こんなこともあるんだなあ・・・と彼が大きなポスターを受け取るのを見ながら感慨にふけってしまった^^


    



そして、最後の最後にみんなで、並んで
集合写真撮影がおこなわれて
4時間にわたる長いイベントはお開きとなりました。



みなさん お疲れ様でした。

松竹さん、ぴあさん、そして現場のスタッフの方々、本当にありがとうございました。




懐かしい人、仲のいい友人との再会、
そしてなによりも新しく人と出会えて嬉しかった。

寅さんがとりもつ出会い!
やっぱ映画そのものもいいけど人との新しい繋がり。
これが一番だな。







おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                
雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
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524

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年7月10日  寅次郎な日々 その524


第19作寅の啖呵バイ.大船1丁目探索記(後編)

いざ鎌倉!
  ついに解明!看板のなぞ。


同時解明

第12作「私の寅さん」

りつ子さん、失恋の石段坂道 稲村ガ崎 ついに解明!!





前半の問題を簡潔にまとめるとこうなる】↓




映画では寅の啖呵バイの横に「ホンコン」があり
その横に「AMAYA」もしくは「HAMAYA」がある。
そしてその隣に「順ちゃん」の看板がある。

で、実際の大船1丁目は↓

ホンコンはある時期長い間100パーセント今の「あじたろう」にあった。
つまり今の「マツキヨ」の横だった。

「順ちゃん」はもう40年以上通りが違うあの観音食堂の向かいにあった。
マツキヨの通りに移転したことはない。
マツキヨの通りに「順ちゃん」の看板がある意味がわからない。

この不具合を無理やりなくそうとしたら、
ホンコンが「順ちゃん」の横にあった時期と、
今の「あじたろう」にあった時期、この2つの時期が存在した。
というようなことになる。

はたしてそれでいいのか?
「ホンコン」が2箇所・・どこか無理な気がする。

ホンコンはどっちにあったのだ!
地図の中の?AかBか!?


それともAからBへ移転したのか!?



     


大船行きの前日、前々からこのロケ地にこだわっていた「ちびとらさん」から
電話があり、仕事の都合をつけて彼もぜひ一緒に行きたいとおっしゃってくださった。

ちびとらさんが一番最初にこだわりはじめたロケ地なので、想いも深いのだ。

私もこれは心強い。彼はロケ地めぐりの名人だ。

彼とチームを組んでめぐったいくつかのロケ地は今までは100パーセント成功している。
今回は行く前から縁起がいいと思った。




翌日は曇り。雨は困るが、晴れっぱなしも困る。歩くにはいい天候だ。

午前11時10分

前日に今日のメインである「順ちゃん」さんにだけは
どうしても「看板」のことをなんとしても確かめないといけないので
12時にアポをとってある。

まず僕らは、いままで電話で2回もお世話になり
数々の情報を教えていただいた「順ちゃん」が元あった場所の
向かいにある「
亀屋万年堂」さんの店長の小島さんに直接お会いしてお礼を言った。

お礼ついでに、あつかましくもさらにいろいろお聞きした。
彼女がまだ小さいころのことだからなかなか思い出せないところを
年配の店員さんと話し合って無理に思い出していただいた。


それで、「亀家万年堂」さんにお聞きしてわかってきたこと。

■ホンコンはこの近くにはどうやらなかったらしい。

■今の柳下花園は20年位前は「宝泉」というパンやケーキを売る店だった。
■このあたりのことは「観音食堂」さんのご主人がよく知ってる。




小島店長さん本当にお世話になりました。


    



フルーツたっぷり入ったゼリー6個買わせていただきました。
ありがとうございました。


店を出ると、斜め前の元「順ちゃん」の店の前に出る。
この「順ちゃん」の横に「AMAYA」か「HAMAYA」も入ってた
ホンコンのビルがあった。・・・かもしれない。

しかし、その場に立ってみると
これは狭い!
下の写真の靴の「YOKOHAMAYA」と柳下花園店の後ろ半分までの間に
「順ちゃん」と「ホンコン」があったことになる。

う〜〜〜ん 

ちびとらさんも僕も、ちょっとこの狭さは、誰が見たって無理あるかなあ・・って思ってしまう。




      




「観音食堂」さんは、まだ開いていなかったので、
その近くにある老舗の果実店「
河合果実店」で、「ホンコン」と「順ちゃん」のことを聞く。

ちょうどお客さんがいない時間だったので
いろいろ、その当時のことを思い出してくださった。

■「順ちゃん」はご主人の少年期から以降はあの観音食堂の位置だった。
  後にも先にもあの場所からは移動しなかった。

■「ホンコン」は大船に開店した時からあのマツキヨの横。これははっきり覚えている
  ということだった。


じゃあなぜ、「順ちゃん」の看板がマツキヨの通りに見えるのか?
「順ちゃん」が移動してないのなら「看板」は、
観音食堂や亀屋万年堂さんの通りにしかないはず。


映画のキャプチャー写真をお見せしても、ご夫婦ともに「
どうしてかな・・?
って、不思議がっておられた?


それで、あの「観音食堂」のご主人のお母さんが、かなりお年だけれども
今でも元気に働いておられて、「あのおばあちゃんだったら何でも知ってるよ」
って教えてくださった。




     



僕らは、お礼を言って「河合果実店」を出た。


よし、これはもう「観音食堂」さんに行くしかない。
と決意し、戻っていくと
ちょうど、横の「魚広」さんが開店しようとしていた。
「観音食堂」と「魚広」は同じ経営。
つまり「観音食堂」のご主人が魚をさばいていらっしゃるのだ。


ちょっと怖そうなご主人だったが、目の前にいるのだから
奥にいるおばあちゃんに尋ねる前に
このご主人に尋ねるのが筋だろうと思い、
思い切って尋ねてみようと思った。。

おそらく60代後半はいっていると思われる。

また、「亀屋万年堂」さんの小島店長さんがこのご主人を推薦されていたので
勇気を出して聞くことにした。

2日前の電話のイメージがあったので
今度こそ「何聞いてんだあんた」って追い返されるかな・・・

と、思いきや

とっても親切だった〜〜〜(((((^^)


そして、私が見せたキャプチャー画像をまじまじ見てこう言われた。

この写真の「通り」は、うちの店の横じゃないね  おお!( ̄ ̄∇ ̄ ̄)

私は『やっぱりか〜〜!!!河合果実店さんと共通してきた』

と、心の中で思いながら



「じゃあどの当たりなんでしょうか・・・

渥美さんが立っている横に「ホンコン」さんが
あるんですけど・・
そしてその向こうになぜか違う通りの「順ちゃん」さんの看板が・・・」



と説明した。

ご主人はすぐに

「ホンコン」はずっとあのマツキヨの横だよ

とおっしゃった。

で、深くうなずきながら私が


じゃあなぜ、「順ちゃん」さんの店から離れた
そんな今のマツキヨの横の場所に
「順ちゃん」さんの看板がわざわざあったのでしょう?


と、一番核心に触れる重要な質問を聞いた。

そのあとのご主人の言葉を私は一生忘れないだろう。


いともあっさりと

あ、この「順ちゃん」の看板はね、
座敷用(宴会用)の部屋に行くための看板だよ。

あのハマケイのビルとマツキヨのビルの間に
人が通れるような細い路地が今でもあるだろ、
あそこの上のところにこの写真の看板が付いてた




と、ハマケイさんのあたりを指し示された。


     



私とちびとらさん

えええええええええ!!!そうなんだあああ〜〜〜!!


ご主人、僕らがあまりにも驚くので可笑しくおもったのか


フフフ、そうだよ、店の前以外にあそこにも看板あったよ」」
店でテーブルで普通に飲む時はうちの向かいから入っていくんだけどね。
宴会なんかで使う時はあっちのマツキヨの横の入口の方が
すぐに座敷行けるんだよ




私とちびとらさんは

一番わからなかった
「順ちゃん」さんの看板の謎が一気に解けて、

もう嬉しくて
順ちゃんには【2つ看板があったんだ!
これでわかったぞ!!


とか「
なんとそうだったんだあああ!!」!」とか言っていましたので


ご主人は機嫌よく

わかったんだ^^ これで理解できた?フフフ

っておっしゃられた。


そのあと、なぜ僕らがこの場所にこうもこだわってるのか
いろいろ説明させていただいた。

ご主人も興味深々で聞いて下さり

そうか〜、フフフ、松竹は大船じゃないと
 思わせたかったんだけど、
 今日バレちゃったんだな、ハハハハ。
 そういうことってあるよなあ!フフフ



とニコニコ顔で結構面白がってくれた。



     




そのあと、大船がまだ引っ越したばかりの時のことや
この観音食堂近くでも昔は時々いろんな映画やテレビのロケをしたことなどを
いろいろ話してくれた。
笠置シズ子さんが来られたこととかも^^



      
  決定的な証言をいただいた記念にツーショットをお願いしました。

    



僕らは丁寧にお礼を言って魚広(観音食堂)をおいとました。



そして、いよいよ元の「ホンコン」の場所に歩き始めた。
と、言っても1分で着いちゃうんだけどね^^


で、途中当然、「ハマケイ」さんを通る。

昨日の電話のお礼を言って

再度、「順ちゃん」の看板のことを聞きいた。

そうすると、今日は電話よりもっと年配の方がいらっしゃって

そうそう、この細い路地から「順ちゃん」に入れたんですよ。
 だからこのビルのここの上にも看板があった



      



って言われた。

私は心の中で「
よし!!2つめの証言や!」と
心で叫びながら

その問題の看板がかかっていた路地をしげしげと眺めていたのだった。




この路地↓が「順ちゃんの宴会用入口」だった。

      


そして、あの
「順ちゃん」の看板があった場所の
ちょっと上の位置には
今「ハマケイ」さんの細長く赤い看板があるのだ。

      



私がハマケイさんの方といろいろ話している時に
ちびとらさんは十数メートル向こうのピンポイントの場所。

世界で誰も立ったことのない処女峰の頂点に立たれ、
そして感慨深げに「ホンコン」の階段や壁を見られていた。



私もちびとらさんの場所まで追いつき。

二人して、

ここですね・・・

ここです・・・

と、短い言葉のやり取りをした。


時に2012年7月5日 午前11時37分。

風微風 頂上は終始曇り。



      




ホンコンは「あじたろう」の位置。赤い「ハマケイ」の看板が、
「順ちゃん」のお座敷用看板があった場所。


    




私が座っているのが寅がバイしていた場所。


    



写真、私の横にある
当時とまったく変わらぬ
ブロック塀。ああああああ残っていたのかああ・・


このブロック塀が「ストリートビュー」では見えなかった!
露天パラソルの陰に見事に隠れていたのだ。

これがストリートビューで見えていたらこんな苦労もしなくて済んだかもしれない。


しかし、これが見えなかったからこそ大船に来れたのだ。


    




このあと,ちびとらさんも面白い「
物証」を発見された。
それがこの写真↓

これは何かお分かりですか?この丸い看板見覚えありますよね。


    


そうですあの
「ホンコン」の丸い看板!



    



ちびとらさんは、ずっと上を見上げられて

「彰さん・・・あれ! あの丸い看板・・
 あれホンコンの丸い看板のまま・・ですよね」

「うお!ほんとだ!
 なんじゃこりゃ、
 あのまんま再利用してるんだ!
 笑えるな〜〜〜、こりゃ、」

と丸いあじたろうさんの看板を見ながら
二人でゲッラゲラいつまでも笑い続けた。

知らない人が見たら
変態中年オヤジが狂ってるようにしか見えなかった
だろうな・・・と思った。(● ̄▽ ̄●;)ゞ


取り付け位置はちょっと移動させてあるが
看板そのものはまぎれもなく
あの「ホンコン」のもの!
40数年の風雪に耐えてきたんだね( ̄ー ̄;)
   



で、次に私が映画で見えていた雨どいのようなものが
じつは看板の鉄柱ポールだということを発見した。

「ちびとらさん、
 あれ、雨どいじゃないですよ!
 ほら、
鉄のポールです!
 映画の時のまんまですよ! 」

「あ、あれ、かあ〜〜!!同じだ! 」


この大きな横切るセメント看板を左右で支えるための
ポールだったんだね。

これも今に残る大きな「物証」!

向かって右側のポールも階段の陰にしっかりある。
「チケットA」の四角い看板の裏辺り。

そして外壁も昔のまま、同じだった!



       




     



そして、映画で

寅の横にあったパラソルも、まったく同じ位置にたたんで置いてあった。
今日は休みなんだね。たぶんあの映画のままのパラソルだよこの色と汚れは。

     







で、もうひとつ現地に立ってわかったことがある。

映画ではなぜ、
キャバレーホンコンの中に若い女性たちが
何人も入っていくのか不思議だったのだが
あのビルに入ってみてわかった。

あのビルはたくさんのお店が入った完全な雑居ビルで
ホンコンが入る前は1階も2階も、いろんな店舗があり、
合わせて10店舗ちょっとくらい入っていたのだ。


だから、みなさんお目当てのレストランやお店に向かって
入って行かれたのだ。(^^)


そして、例の掲示板で書いてあった
ラーメン屋 ことぶき」さんもビル1階の一番奥に今も健在だった。!



     



「ことぶき」さんのご主人にお聞きしますと
もう随分古くからやってらっしゃるようで
「ホンコン」がやってくるかなり前からすでに営業されていたそうだ。

ホンコンが来る前は2階もいろんなお店があったということだ。


カメラ位置は
意外にも、真向かいの
横浜銀行の角からだった。

ストリートビューで見ている分にはとても遠くて撮影はできないと
思われる距離に見えるのだが、実際は、そうでもない。
まさにこの位置からだった。
カメラがズームで撮るとあのシーンのように見えるのだ。


これで、あのシーンで何人もの人がカメラの前を横切る
ことのつじつまが合った。
あそこのカメラ位置はやはり四つ角だったのだ。


    




映画カメラの位置に立って、デジカメをズームしてみると映画と同じになる。

    


       



四つ角だから、映画でも当然人が横切る。↓

     



さて、そうは言ってもまだ不明な点も
若干残っている

特にホンコンの横の
「AMAYA」もしくは「HAMAYA」という
ちょっとこじゃれた雰囲気の店を
誰も覚えていないことだ。


これらの店のことも含めて

本日の一番の正念場

順ちゃんさん 本店に二人して向かうことにした。

大昔から観音食堂の向かいの「順ちゃん」駅前店は
ご家族でやってらっしゃったので
店を引っ越され、本店だけにされたあとも経営陣は全く同じ。



昨日のアポでは12時過ぎくらいに伺いますと
約束した。

この時点で12時ちょうど。

行きますか、順ちゃんへ

行きましょう




そしてちびとらさんに私が提案し、
打合せしたことは

「順ちゃん」さんの看板が2個あったことは
僕らからは言わないでおきましょう。
言うと、「そうだったかも」 と、なりますから、
向こうのご主人から自主的に
思い出されるのを待ちましょう」

ということだった。

これは最も大きな証言となりますから
僕らも慎重にことを運ばなければならないのだった。




昨日の電話では「順ちゃん」の女性の方は、

看板は観音食堂の向かい、つまり店の前に
一つあっただけだと思いますけど・・・」と、おっしゃっていた。

でも、「社長に聞けば確実なことがわかりますよ」

ともおっしゃっていた。


「観音食堂」さんのご主人や「ハマケイ」さんの
店主さんたちの証言は
もちろん確かなものだが、
やはり最後にビシッと本家本元のお声で聞きたいのだ。

それが筋というもんです。



       
      



看板が2個あったのかどうか!


というわけで、歩くこと5分何の迷いもなくやってきた。


お店に入ると、もうきちんと先代の社長さんと
現在の若社長さんが
お店で座って待っていてくださった。

昨日からのお礼とご挨拶をして


さっそく本題に入らせていただきました。

この渥美清さんが
商売をされている場面に『順ちゃん」さんの
看板が見えますが、これはどこの通りか
覚えていらっしゃいますか?



と、お聞きしました。


お二人共、食い入るように
ご自分のお店の「看板」が映る
あの啖呵バイの写真を
しばらく無言でご覧になっていた。


緊張が走る。




     



ちょっと間があって若社長さんのほうが、

若社長「
これは、ハマケイの脇から店に入っていく
     細い道のところのもうひとつの看板だな。
    だから写ってるのはその前の道だよ


と、スっと滑らかに、そして自信たっぷりに言われた。



完全に決まったな・・・・・

と、心の中で私はつぶやいた。


やはり、宴会などを中心とした
座敷があの裏から直接入れたようで、
焼き鳥の「ハマケイ」さんのビルの壁に
取り付けてあったのだ。
観音食堂さんの証言とぴったり一致!!


若社長さんは、丁寧にちびとらさんのノートに
当時の「順ちゃん」のビルの見取り図と
2箇所の入口を書いてくださった!



      


その時に「順ちゃんん」の看板の横の店
「HAMAYA」さんのことがわかった。

「AMAYA」ではなく
「HAMAYA」さんだったのだが、なんと
紳士服の店」だったのだ。


     


だからちょっとこじゃれてたんだね。


先代の社長さんは

「HAMAYA」は「ホンコン」のあと、まもなく移転して
その後は
ロッテリアがあったよ。結構長かった。
で、10年ちょっと前から今の「マツキヨ」になった」


と、おっしゃっていた。


で、カメラは今の横浜銀行あたりから撮ってる
とおっしゃった。


こうして、僕らのこの日一番大きな仕事は
完璧に完了したのでした。


↓の地図(航空写真)
黄色い矢印が「順ちゃん」に入店する時の
2つの道。
赤で囲った部分が看板。



     




よくよく見ると、
「順ちゃん」の看板の下部分に小さく

室 入口」って書いてある^^;


     



すっかり満足した僕たちは、電話も含めたご助言に
丁寧にお礼を言い、おいとました。

大きな仕事を終え、感無量になりカメラに収まる私。↓
表情に安堵感がでてますね。


     



啖呵バイ場所は

神奈川県鎌倉市大船1丁目8-7

当時の富士銀行とホンコンの境付近。ブロック塀横。
(現在のみずほ銀行。)

カメラ位置は当時も現在も横浜銀行の角。


    



このあと私とちびとらさんは


まったく違う作品の2つの大船ロケをめぐった。


ひとつはかつてロケ地めぐりの鬼才「寅福さん」が見つけられた
第29作「あじさいの恋」での朝日印刷の工場裏の
ロケ地探訪(^^)

あの「鎌倉どっち!」のシーンの後、
寅がかがりさんから「つけ文」をもらって、舞い上がり
夢遊病者のようにタコ社長の朝日印刷裏を抜けていくあの場所。
みんなが寅を止めるシーン。



     




朝日印刷なのに柴又でないところがトリック^^;

そう、今回のパターン。

場所的には大船2丁目のデニーズのすぐ前。

神奈川県鎌倉市大船2丁目11-18


     



さて、しばし佇んだあとは

今度は大船でもうひとつ忘れられないロケ地がもうひとつある。

そこは私がかつて「大船」だと見破り、見つけたロケ地。

そこへ行った。

同じく徒歩圏。

ここも第19昨や第29作同様、
山田組スタッフさんがトリックを行ったんだが
私の洞察力と執念の電話取材で
なんとか大船だとわかった場所。

第6作「純情編」のすけべ医者が住む 山下医院の場所だ。

あそこは電柱に「帝釈天の庚申」のポスターなどを貼って
かなりトリックを使っていた。



どうぞお読みください↓

http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi26.html#sukebe

【柴又日記】 そのRスケベ医者の住む山下医院探索(2011年3月6日)





      

で、見つけた直後ちびとらさんが現地に降り立ってくれたのだった。

そして1年後の今、

今度は私ととちびとらさんで再度現地に向かう。

感無量。

大船駅南側から柏尾川を渡り徒歩10分。


鎌倉市岡本2丁目10‐16


ちびとらさんが立っているのが、赤電話が置いてあった付近。

     



映画の中にもある電柱の林歯科。今もちょっと手前の電柱に貼ってある。

     




黒瀬獣医科さんも、林歯科さんも
今はちょっと離れたところに引っ越してそこで開業されている。

林歯科さんは駅近くの大きなマンションの1階で。↓
赤囲みの中で開業されている。


     




お昼は徒歩10分の「
でぶそば



料理を待っている間と、そして食事のあと、に


でぶそばの名前になったご主人のお父様のこと
お父様が当時撮影所近くの露天でやっていた
名も無きラーメン屋さんのこと。
名前が無いのでお父さんのあだ名にしちゃったこと。

渥美さんが連れてきた人たちのこと。
1作品で3度以上は来られたこと。
マドンナさんたちも渥美さんに
連れられてたくさん来られたこと。
第47作の時に漢字で書かれた
たった十枚ほどの色紙のこと。

奥の特別な部屋のこと。

色紙に押された「とらじろー」を
もじった渥美さんデザインの赤いハンコのこと。

やさしい口調でトツトツと話してくださるご主人のお姿とそのあり方が
心に沁みた。

また来たいなって思える数少ないお店だった。




      




日本に10枚しかない渥美さんの漢字の色紙。そして渥美さんデザインの
ハンコ

      




       渥美さんが来るたびに食べていたお座敷。今は荷物部屋^^;

      




       半そば半チャーハン 880円 正統派の素朴な味。

      




店内はいたってシンプル。今貼られているポスターは第40作「サラダ記念日」


      



さ、食事も終わって、このあとは図書館で「ホンコン」と「HAMAYA」「順ちゃん」の
地図をコピーしに行こうということだった。


大船駅に向かう。


で、大船駅から鎌倉中央図書館のある「鎌倉駅」に行く途中の電車内は
ガラガラで話がし放題だった。
私は江ノ電の話をいろいろちびとらさんにしていた。


つい最近、私がストリートビューの
ローラー作戦によって根性で見つけた
第12作「私の寅さん」の
「りつ子さん」が歩く江ノ電沿線「稲村ガ崎」の
階段の話もしたのだ。




恩師から片思いだった三田という画家が結婚することを知らされて
雨上がりの階段を江ノ電の線路に向かってゆっくり下りていく悲しいシーンだった。



      





ちびとらさんは、その話を聞いているうちに
目が鷹のようになり


行きましょう!そこへ!

と言い出した。



ちびとらさんがこの目をしたら総理大臣の言うことだって聞きやしないことは
私は知っているので


あ・・・わかりました、江ノ電で行っちゃいましょう!


と言ってしまった。

この時、ちょうど午後3時。

この日
図書館は夜の7時まで開いているので何とかなるだろうと思ったのだ。


私は江ノ電は20年以上乗っていない。

今は、こんな女性好みの車両↓が出ていた。


     



さあ、いきなり、寄り道!

一路りつ子さんの失恋の坂道がある「
稲村ガ崎駅」へ!

鎌倉駅からたったの12分だ。

「稲村ヶ崎」下車 七里ガ浜方面徒歩3分。

線路横「海奈寺(うなじ)」横の坂。


江ノ電の味わい深い風景を一番前でくっつくように楽しんでいるともう「稲村ヶ崎駅」
すごく海が近い。そのまま七里ガ浜方面へ線路に沿って3分も歩くと、もうあのりつ子さんの坂だ。
左には黄緑の暖簾。これはレストラン「
海菜寺」の入り口。
りつ子さんの坂道と平行して坂が続いている。


      




やさしいちびとらさんは、今度は私を先にピンポイントロケ地に立たせてくれた。

うれしかった。

自分が日本で最初に見つけたロケ地に日本で最初に登頂するのは格別だ。



時に 2012年7月5日午後3時25分 曇り  ロケ地到達   だった。



神奈川県鎌倉市稲村ガ崎3丁目7-11


   高羽アングルでビシッと決める。

   





   




ところで…


階段上のびわの木がある恩師の家(アトリエ)は微妙・・。
たぶん・・そうかもしれないかなあ・・どまり。
家は建て替えられている。


    




    




さて、絶景を見るために「海菜寺」でコーヒーを飲みながら休憩タイム


すばらしい絶景


私が20年住んだバリ島を思い出した。




      



向こうは、果てしない太平洋   静かな風・・・


      




曇りの平日だったので 貸しきり状態。


      





江ノ電が下を通過したので、
店の外に出てあのシーンの再現を狙った。

たまたま写した車両はグリーンのいつものじゃなくて
お子ちゃま用の車両だった ああ・・・(T_T)


      


      



海菜寺で休憩すること1時間ちょっと。

静かな何もない時間が過ぎていった。
今日は二人してよく歩いたのでちびとらさんもくつろいで充電をされていた。



あ〜〜〜〜ゆったりした。



それでリフレッシュできた私は今度こそ一路 
鎌倉市中央図書館へ。

ちびとらさんは仕事が入って6時過ぎまでに品川に戻ることに。


再び江ノ電で揺られて

鎌倉駅でちびとらさんとは名残惜しいがお別れして


私はここから2時間 鎌倉市中央図書館でがんばった。



鎌倉市中央図書館は、美しい可憐な司書さんがいて、彼女はとても親切で
一緒になっていろいろ資料を探してくださった。

本当に心より感謝です。m(_ _)m

で、その方が探してくださったガイドブックに小さく大船1丁目の昔の写真が
載っていたのだ。

たった4センチ×4センチの小さな写真。

カラーコピーで400パーセントに拡大する。

そこにはまぎれもなく幻の
「順ちゃん」の2つの看板が写っていた!

奇跡だ!!


「紳士服のHAMAYA」はもう移転してしまっていて、
その後に「ロッテリア」が入っているのがわかる。
角はまだ「宝泉パン屋」さんだ。
「順ちゃん」さんお二人の証言とぴったり一致!




           鎌倉市中央図書館の司書さんが見つけてくださった決定的な資料
        


これで完全にすべての証拠はそろった。

司書さん、ほんとうにありがとうございました!





ダメ押しで、当時の大船1丁目の地図を
貼り付けましょう。


鎌倉市は2年ごとに地図を作成。

映画の撮影があった昭和52年に一番近いのは

昭和51年の地図と 昭和53年の地図だった。


第19作が公開されたのが
昭和52年(1977年)8月


撮影はおそらく昭和52年の5月から7月。


下にアップしたのが昭和51年の大船1丁目当該区域の地図。
鎌倉市は2年に一度地図を作成していた。



「順ちゃん」の若社長が教えてくれた紳士服の店
「メンズショップ HAMAYA」は昭和51年ではまだある。
位置は今の「マツキヨ」の場所。


ところがその横に「ホンコン」はまだ書かれてない。
2Fがマンモスストア となっている。


昭和51年の時点では
「ホンコン」はまだ入ってないんだね、たぶん。


時期によっては書かれるのが間に合わないこともあるが、
それより前の年の地図でも「ホンコン」はなかった。


「鎌倉書店」はまだなくてガソリンスタンド。
「観音食堂」の並びに映画館などがある。

もちろん「順ちゃん」はある。

手前角は「パンの宝泉」

ちなみに「順ちゃん」と「魚広(観音食堂)」は
一番古い図書館の住宅地図昭和34年の地図に
すでに載っていた。


52年前ですよ(((^^; おそるべし「順ちゃん」「観音食堂」
あのあたりの主なんだね。




      昭和51年 映画放映の前年の地図。「ホンコン」はない。「HAMAYA」はある。


     




そして、
この下のほうの地図↓が、「ホンコン」が初めて
地図に記されている年。
昭和53年。
映画公開の翌年。。


ここではすでに「HAMAYA」はなく
早くも「ロッテリア」に変わっている。

上のカラー写真の店々になってる。

手前角は「パンの宝泉」

「観音食堂」が「魚広」と別々になって完全な
食堂になったのもこの地図から。

この黄金の店並びが10年近く続く。





  昭和53年 映画放映の翌年の地図。「ホンコン」はすでにある。「HAMAYA」は移転し「ロッテリア」がある。

     



まとめるとこうなる。

「ホンコン」と「HAMAYA」は
ほんの短い期間だけ
隣り合わせで店を開いていた。

つまり、昭和51年後半から
昭和52年末くらいまでの間だけ
二つの店は共存していた。

風の噂では「HAMAYA」は移転したらしいので
風俗店の横を嫌ったのかも知れない・・・。


ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし
世の中にある人とすみかと、
またかくのごとし




鎌倉市中央図書館を出たのは閉館も迫った夜の6時50分。
夏が近いせいか、夜にはならず夕方を残したままだった。

今日はいろんなことがあり、
いろんなところへ行ったなあ・・
そして実に大きな成果がいくつもあった・・・と感慨にふけっていると、
ある瞬間ふとわれに返り、なぜか柴又に早く戻りたくなったのだ。


『私はこんなところでいったい何をしてるんだろう・・』

そう思うといてもたってもいられなくなり
足早に鎌倉駅へと急いでいった。




おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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533

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年7月3日  寅次郎な日々 その523


処女峰登頂  第19作寅の啖呵バイ場所は大船だった!(前編)

2つの場所のどっちだ!??

ロケ地探訪の中で、寅の啖呵バイがあった場所は、第一に行ってみたい場所だ。

特にその時のマドンナや物語と絡ませたり
ユニークなオリジナル口上が入った時には、その啖呵バイは
印象深いものとなり、その作品の奥行きとなって行く。

それゆえ、寅の啖呵バイの場所はこの48作品の中でもうほとんど解明が終わっている。

しかし、どうしても解明できない場所もまだ残ってはいるのだ。

今回解明した第19作「寅次郎と殿様」のぬいぐるみのバイもその数少ない場所のひとつ。


マドンナの 堤鞠子さんの話題を口上に入れながら
四国で婿養子となる夢物語を進めていくのだ。


      


そのバイの中で、寅の横のブロックに【
水元公園花火大会】の貼紙が見える。
これによって、この啖呵バイの場所が葛飾区かその近辺であることを
観客は想像するのである。



     



案の定、松竹の公式ホームページには「南小岩」と書かれている。
そうなるともう僕らは信じてしまうのだ。

しかし、冷静に考えると実は水元公園では打ち上げ花火などできない。
あれだけ森林がい場所ではなかなか難しいはずだ。
実際花火は水元の近くではお馴染み「葛飾納涼花火大会」が毎年8月に
江戸川土手の矢切の渡し付近で行われる。

それと「松戸の花火大会」もあり、これも水元公園から見える。

まあ、とにかく水元公園では大きな打ち上げ花火大会は行われないのだ。


あきらかにこれは山田組のスタッフさんが撮影当時仕組んだトリックのような気がしていたのだ。


なぜ、そうする必要があったのか・・・

それは、あのロケ地が、実は大船撮影所から近くだったからじゃないか。
つまり、撮影が押しているため、時間節約で、
撮影機器の運搬やスタッフキャストの移動などを考えて、大船の近くで間に合わせたのでは・・。





過去にこのトリックを使った作品例としては、2011年3月に私が見つけたロケ地がある。
第6作の「黒瀬獣医科」だ。すけべ医者の「山下医院」の近くの電柱に
「帝釈天の庚申の宣伝ポスター」が貼ってあるので 柴又周辺であるとは思いこんでいたが、
実際は鎌倉市 関谷にある獣医科さんだったのだ。



    





また第29作「あじさいの恋」でもタコ社長の工場の裏から寅が夢遊病者のように
道に出て行き、車に轢かれそうになるシーンも、2009年6月、尊敬する寅友の「寅福さん」によって
鎌倉市立大船保育園近くの道、鎌倉市大船2丁目10番地だと解明されたのだった。


    


で、この第19作もあの貼紙がどうも怪しい…、あれは、カモフラージュじゃないかと言われたのは
父子で冥府魔道のロケ地めぐりをされている「ちびとらさん」だったのだ。

彼は、前々からどうも違うんじゃないか・・・って疑っていた理由はあの貼紙以外でもあった。
それは啖呵バイの横に映るキャバレー「ホンコン」が葛飾区周辺に存在した痕跡がまったくないからなのだ。
水元公園の近く、つまり金町にもなかったし、南小岩周辺にも、・・・・っていうか23区には
キャバレー「ホンコン」は進出していなかったようなのである。



     



で、「ちびとらさん」は神奈川県の藤沢に「ホンコン」があるとネットで調べられて、
先日行ってもこられたが、立地の雰囲気が啖呵バイの場所とは違っていたようで、
リストからはずされたのであった。

藤沢は大船からまあ近いが、こういう時は決まって大船近辺で間に合わせることが多いことを
私は上記の2箇所で知っていたので、「大船」ではないかと睨んでいた。

まあ、それでも、これは長丁場になるだろうな・・・と私も思っていた矢先、
例の、さすらいのサラリーマンこと「寅増さん」が、とても興味深い場所をストリートビューで
発見されたのだった。


それが↓の場所。


     


つまりあの
啖呵バイに出てくる花屋と路上に置かれている雰囲気が似てるというのだ。
また道幅なども似ていると言われる。
まあ、もっとも映画では確かに売り物の花はでてくるが花屋は映らないのだが・・・。

でもなんか確かにここのような気はする。
大船近辺でこのような道幅で、このような繁華街にある角の花屋はここだけ。

私は、「可能性があるな」

と、ピンときて、自分もいろいろネットで調べてみることにした。



で、ネットでコツコツ調べて見たらこのような記述が↓


ついに俺は「観音食堂」で飯を食った。
それに俺は大船の「城」にも行ったこともある。
幼き日に見たあの場所に。
ただ、あとひとつ大船に心残りがあるとすれば、
それは
キャバレーホンコンである。
昭和の小学生であった俺は、
サラリーマンになったらキャバレーに行くものだと
思っていたし、
それはキャバレーホンコンかもしれないと
常々思っていた。
鎌倉書店がなくなり、
キャバレーホンコンもなくなって久しい。


http://d.hatena.ne.jp/goldhead/touch/searchdiary?word=*%5B%C4%C9%B2%B1%5D

それは花屋の道を挟んで向かいにある「観音食堂」という老舗の食堂を懐かしむ
コラムだった。




写真右端の電柱↓が、 ↑の花屋さんの角にあたる。

     



やはり「ホンコン」は大船にもあったのだ!


こういう掲示板も見つけた。


185 :神奈さん:2002/06/12(水) 15:41 ID:/diw7GRk

キャバレー香港に行ったことある人いる?
大船周辺に住む小学生にとってキャバレーとは
あのキャバレー香港がすべてだったね。

その後、いろいろと変わって
今や普通の居酒屋?
入ったことないけど 店内はキャバレーのままなのかな?




また、こういう掲示板もあった↓


495 ラーメン大好き@名無しさん=sage=2011/11/24(木) 09:35:15.31 ID:S1wjHwlq

鎌倉書店の前、キャバレーホンコン下のラーメン屋さんの話題はまだですか?


496 ラーメン大好き@名無しさん=sage=2011/11/24(木) 12:57:21.55 ID:Te9IzUBk

鎌倉書店じたいが・・



こういう掲示板も↓


219 :駄スレ:2001/02/25(日) 21:50 ID:NWDZ9R4I

まだホンコンってキャバレーあります?
昔塾に通ってた時度胸試しで上まで階段をのぼるのが流行ってたんだけど。
現在は東京に引っ越しちゃってあそこらへんわからんのよね。

確か鎌倉書店の前で八百屋の横だったような。



もうこれでかなりこの大船駅近くの賑やかな場所に「ホンコン」があったことは
間違いないのだろう。


      


しかし、これ以上はネットには詳しい情報は探せなかった。


ここからは3つしか方法はないことを私は経験上知っている。

■現地に直接行き聞き取る。
■現地の図書館に行き昔の資料を探す。
■そして3つ目は時間がない場合は現地のお店などに電話する。



私に現在できるのは3つ目の電話しかない。

しかしキャバレー「ホンコン」のことを聞くのは
どうもいろいろ何者か怪しまれる可能性が強い。
ここは↑の掲示板に頻繁に出てきた「
鎌倉書店」がどこにあったかを
聞くのが一番だと思った。

なんせ、掲示板の方々を信じるならば「ホンコン」は「鎌倉書店」の
道を挟んで前あたりにあったそうだから。
鎌倉書店がわかれば、自動的に「ホンコン」もわかる。

「ホンコン」がわかればその右横が寅の啖呵バイの位置だ。


そこで、清水の舞台から飛び降りたつもりで
このあたりから徒歩圏の書店と花屋さんの近くの和菓子屋さんに
電話で「鎌倉書店」のことを聞いてみた。

幸いお二人とも親切な方で「鎌倉書店」の場所を教えてくださった。
この地図で「大船駅前ビル」と書かれたビルが、6,7年ほど前まであった
「鎌倉書店」さんだったらしい。

鎌倉書店というのは比較的目立つ大きな書店だったのだろう。

で、目の前は当然例の花屋さんらしい。
花屋さんは一度経営者が変わったり、移動したりしたので
今と同じ名前かどうかは定かではないらしい。


「ホンコン」のことは店の業種的に特殊なものなので、
みなさんあまり覚えていらっしゃらない&言いたがらないようだったが
亀屋万年堂さんは自分のお店の道を挟んで斜め向こう、
つまり現在の花屋さんのあたりだった気がするとおっしゃられた。
もう20年くらい前におそらく「ホンコン」はなくなり
そのあとは居酒屋さんになっていたらしい。



そうなると鎌倉書店の道を挟んだ向かいあたりが「ホンコン」なのかも。

■ 亀屋万年堂さんの言われたように今の花屋さんの位置に
  食い込むように「ホンコン」があったという可能性も出てきた。


しかし花屋さんは映画で映っているものの、
道の左右逆になってしまう・・・どうなってるんだ?
しかし、映っているのは花だけなので、山田組がいくらでも
その場だけアレンジできるとも言える。
花はいくらでも動かせるのだ。

まあなんにせよ、花屋さんは店ではないかもしれないが
当時も何らかの露天商の形で存在したことは確か。


そうなると、やはり現在の花屋さんに隣接して、もしくは
かなり花屋さん側に侵食して「ホンコン」があったと考えるのが適切だと思われる。


また、映画では、「ホンコン」の向こうに「
順ちゃん」という居酒屋さんが映っている。
これを寅増さんが地道にネットで調べて行かれた。

そして、こんなものが出てきたとおっしゃるのだ↓!


なんと「順ちゃん」はまさに、現在の花屋さんの2軒となりに近年まで実在したのだ。
これは大きな証拠となる。

順ちゃんは本店が大船にもう一軒あるが、立地が全く違うので間違いなくこちらのほうだ。

    

花屋さんの隣の隣。

     



亀屋万年堂さんに再度清水の舞台から飛び降りたつもりで電話を入れ確かめた。
その通りだった。

そして、なによりも、「順ちゃん」の本店の方に清水の舞台から飛び降りたつもりで電話を入れ確かめた。
本店も経営者さんは一緒で、30年以上前からあの亀屋万年堂さんの前で
店をされていたということだった。

これで「順ちゃん」の位置は完全に決まり!


それはそうと
実は「ホンコン」と「順ちゃん」の間に
「AMATA」もしくは「HAMAYA」という
店が見えるのだが、これはどういう店かわからないでいる。
おそらくホンコンのビルの中に入り込んでいる店だったと思う。
これはおそらくひとつのビルなのだろう。つまり、ホンコン自体は意外にも
間口が狭い店だったということになる。


       


       



で、最初は寅増さんは「AMAYA」、もしくは「AMATA」は
現在の靴の「YOKOHAMAYA」ではないか・・。と思われた。
確かに「AMAYA」だとしたら「YOKOHAMAYA」と似ている。
しかし看板的にはアルファべットが入りきらない・・・


そこで、再度清水の舞台から飛び降りたつもりで
恥ずかしながら靴屋の「YOKOHAMAYA」さんに電話してみた。

そうすると、ここに自分の靴屋をオープンしたのは16年ほど前で、
それまでは全然違う業種の店が入っていたそうだ。

そしてもう一度清水の舞台から飛び降りたつもりで靴屋の「YOKOHAMAYA」の
本店の社長さんにも聞いてみたが、そもそも20数年ほど前に大船で店を開いたので
それ以前はわからないというお答えだった。


ただはっきりわかったことがある。
「YOKOHAMAYA」さんの隣(花屋さん寄り)が
「順ちゃん」だったとお店の方が」おっしゃったことだ。

「AMAYA」は「YOKOHAMAYA」さんの位置ではないことがこれで確定。


これで、順ちゃんは確実に固定された。


このお店の右横が順ちゃんだった。↓

     


こうなる↓現在の閉店してしまったDVDショップの半分と現在の花屋さんの半分を
「ホンコン&AMAYA」の入居していたビルが持ち、
DVDショップの左半分くらいを「順ちゃんが持っていたのだろうか・・・。
だから今の店々の幅とは映画当時は若干違うはず。

どの店も当時間口は狭かったのかも。


しかし、この仮説はどうも無理がある気がする。

あまりにも「ホンコン」の店幅が狭すぎるのだ。
めちゃくちゃ狭い・・






     


まあそれでも「順ちゃん」の位置は決まった。


寅増さんは、あの軒先は映画当時も細いながらポールが立っており、
おそらく影になっているところから考えると屋根がしっかり有り、
そして現在もしっかりとしたポールがあるので
昔からあそこでモノを売っているのではないかと言われた。


    



なるほど!と私も思い、ネットで探してみると
こういう写真を見つけた↓

同じ「観音食堂」の前だ。

映画でカメラが花越しに撮影していたのは
このマイクが設置されている四角の角あたり。

なーるほど、この地区はこういう路上販売がOKな街なのだ。
おそらくちょっとした謝礼や品物をあげたりして
ああやって商品を置かせてもらっているのだろう。

当時は今の花屋さんの位置よりもっと道の角にしか花屋さんはなかったと思われるので
いろいろな場所に置いていたんだろう。

もしくは、あの撮影時、35年前には、あそこにはお店としての花屋さんは別の場所に有り
あそこにはなく、下の写真のように露天で売っていただけなのかもしれない。



    



カメラは、路上の切り花たちに埋もれるように四つ角から
斜めに寅の啖呵バイを撮っている。


    


しかし、だ。

寅の啖呵バイにもいくつか映っているが、
この大船のこのハマケイ、マツキヨ、あじへいの道は
ビーチパラソル
露天をやっている方がかなり多い。
おそらくこのの道に限っては
昔から暗黙の了解で露天商の存在が通っているのだろう。


このパラソルがどうも気になる・・・映画と同じ環境・・。
やはり「ホンコン」はここの道かなあ・・・


     


う〜〜〜〜ん


でも・・・やっぱ ・・・

どうしても「順ちゃん」さんがマツキヨの通りに
ないのが気になる。これは致命的かな・・

ということで、「ホンコン」はやっぱり
観音食堂の向かい 花屋さんの隣。↓
でも狭いよな〜。


 




と思いきや・・・



どっちやねん!−−;




2チャンネルでこんな情報が


キャバレーホンコンは、今のマツキヨのそばだというのだ。
それも3人の人がそれを証言している。


964 :ラーメン大好き@名無しさん:2012/07/03(火) 18:47:01.27 ID:MBdLBRRW
>>962
なんか記憶違いしてね?
観音食堂の斜向かいに鎌倉書店があって鎌倉書店の目の前にハマケイ、
右斜め前2Fにキャバレーホンコン、1Fにラーメン屋じゃなかったっけ


こういう発言も↓


967 :ラーメン大好き@名無しさん:2012/07/03(火) 20:41:08.41 ID:MBdLBRRW
>>965
グーグルマップで見ると あじたろう となってる場所がキャバレーホンコンでした
キャバレーに上がらないで奥に進むと左側にラーメン屋があります

順ちゃんという居酒屋・・これはごめんなさい当時は子供だったため、キャバレーしか覚えがありませんw
しかし観音食堂、お菓子や、大船書店(?)だったかの並び順だったかと思います


その後もこの話題は続いていく・・・↓



969 :ラーメン大好き@名無しさん:2012/07/03(火) 22:46:58.61 ID:MBdLBRRW
>>968
あー移転はあるかもね!
思い返してみたら自分の記憶は26年前でした
図書館に行けば古い地図もあるかもね、懐かしい話楽しかったです




別の掲示板でも↓


453 :大人になった名無しさん:2012/07/03(火) 22:26:28.40
>>452
ホンコンの場所は、ハマケイ→マツモトキヨシのとなりくらい


みなさん同じ答えが返ってきますね。

ホンコンはマツキヨの通りに有り、
今の「あじたろう」の場所だった。


1980年代にあの「あじたろう」の場所に移転してから
目立ち始めて有名になったんでしょうね。
バブルがやってきましたものね。


そして「あじたろう」の階段を見てみると、
なんとなんと、なんと!
これはどう見ても

「ホンコン」の階段が残っている!

と、いうことは掲示板での彼らの証言は正しかったのだ。



     





特にこの映画に出てくる電柱がどうも気になる!

あちらの候補地、つまり観音食堂向かい花屋さん横には
電柱は一切ない!

こちらの「マツキヨ」「あじたろう」横には
電柱がしっかり立っている。

さあ、もうわからない。どっちなんだ!??




■観音食堂向かい 柳下花園横なのか?

■マツキヨの隣、「あじたろう」の場所なのか?




     



       この、ホンコンの向こうに見える電柱もやっぱり気になる。↓

      




       基本的には電柱は何十年経っても普通は動かない。マツキヨの通りにだけ電柱がある。
     







こうなってくると話はややこしくなる。

考えれることは以下の3種類↓


■ホンコンが途中から
やや広い場所に移転した

■出入り口が二箇所あった。

■最初からあそこにあって、
 順ちゃんも別の店が
 あのマツキヨのあたりに
 じつはあった。



しかし、この3番目の可能性は、「順ちゃん」と「ハマケイ」の
店員さんによってまたもや打ち消されたのだ。

清水の舞台から飛び降りたつもりで電話で再度確かめてみた。


ハマケイさんは店を開いてからかれこれ40数年が経つそうだ。
1977年映画公開当時には確実に現在と同じ場所に店を開いておられる。
それで、「順ちゃん」はずっと観音食堂の斜め向かいに有り、その前にハマケイの近くに
あったことはたぶん・・一度もない。という店員さんのお答えだった。

そして「順ちゃん」さんにも先日に続いて本店に再度電話をして聞いてみた。
「順ちゃん」さんの古くから働いている女性も、
自分たちはずっと最初からあの観音食堂さんの斜向かいで
店を出してそれ以来ずっとあそこからは数年前に店を閉じるまで動いていなかったそうだ。


このおふたりの発言は信用できるだろう・・・か。


そうするとあの映画に写っている「順ちゃん」は観音食堂の斜向かいにあった
現在の靴の「YOKOHAMAYA」の横にあった「順ちゃん」と考えなくてはならない。
そうなると・・・

やはりホンコンは時期を違えて2箇所にあったということなのか。

■つまり1970年代はあのせまい観音食堂の斜向かい。

■そしておそらく1980年代にちょっと広い、
 今のマツキヨの横「あじたろう」の場所に移動したのだろうか。

しかし、これらは「ハマケイ」さんと「順ちゃん」さんから
あくまでも電話でお聞きした話だ。
順ちゃんに関しては当時を一番知っている社長さんからは何も聞いていない。





問題を簡潔にまとめるとこうなる】↓

ホンコンはある時期長い間100パーセント今の「あじたろう」にあった。
つまり今の「マツキヨ」の横だった。
それならば、なぜ「順ちゃん」の看板がマツキヨの向こう隣にあったのか?
「順ちゃん」はもう40年以上通りが違うあの観音食堂の向かいにあった。
マツキヨの通りに移転したことはない。
マツキヨの通りに「順ちゃん」の看板がある意味がわからない。

この不具合を無理やりなくそうとしたら、
ホンコンが「順ちゃん」の横にあった時期と、
今の「あじたろう」にあった時期、この2つの時期が存在した。
というようなことになる。

はたしてそれでいいのか?
「ホンコン」が2箇所・・どこか無理な気がする。

ホンコンはどっちにあったのだ!
地図の中の?AかBか!?


それともAからBへ移転したのか!?



     









この
不思議を解かない限りは
2つの場所のどちらかに決定することはできないのだ。




やはり、映画の画像を見ていただいて
どの通りだったかを直接お聞きすることが登頂への道だと思われる。


ということで、

私は 遠路 鎌倉市大船へ 旅をすることとなった。
柴又からは1時間20分の旅である^^;

行くぞ、もうこうなったら
行って確かめるしかないのだ大船で。




これだけは言える。

あの啖呵バイのロケ地は
どちらにしても
決して小岩などではなく
大船1丁目だったのだ!



さあ、大船行くぞ!


前半 終わり


数日後(7月10日ごろアップ)の後半へ続く




おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ

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522

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年6月22日  寅次郎な日々 その522

処女峰登頂  泉ちゃんの叔母さん宅 裏庭と濠

先日、たまたま柴又のとなり町、金町で用事があり中央図書館に寄った。

で、一応いつも寅さんのコーナー覗くことにしている。
新しい寅さんDVDマガジンが時々入ってるんでチェックをマメに行なっている。


ところで

ここ1週間、私はあの第42作で寅と寿子さんが話す早朝の自宅裏庭が
どこにあるのか知りたくてしょうがなかったのだ。
とにかくあそこの絵が描きたい。
なんとも美しい桃源郷だ。


表玄関はもちろん皆さんご存知三日月町堀江の古川邸である。

しかし、あの美しいクリークと田園が広がる裏庭はまったく別撮りなのだ

しかし、その場所がどこかわからない。

本や書物や最近流行りのDVDマガジンにも書かれていない。


とにかくなんとしても
ぜひあそこに降り立ち、スケッチをしたいと思っている。



     




当時の助監督である
五十嵐敬司さんの著作「ロケハン覚え書き」によると
ヒントが結構書かれている。



10月1日
(略)
メインになる旧家について。代表的な豪農の家ばかりだったので、
もっと生活館のある、佐賀平野の普通の景色の中にある農家が望ましいこと、
しかし効率的に案内してもらったことは感謝して別れる。

<第2次ロケハン>

10月16日
(略)
福富の記伊家。生活感のにじみ出た選択になってきた。
白石町の吉田家、深川家、朝日町の松尾家。
三日月町へ出て高田家、古川家。



結局、このあと表玄関は三日月町の古川邸が選ばれたわけだ。

そして、寿子さんがトマトをもぎ、寅と話をしていたあの裏庭も
上記のどこかに選ばれた可能性がある。



で、話は戻って

金町中央図書館 寅さんコーナーの棚

ふと目に付いた映画のパンフレット群

何か胸騒ぎがして
第42作のパンフレットを開いてみた。





するとあの五十嵐さんによるこんなロケ日記が書かれてあった!↓



    



    




11月7日

白石町の深川宅の裏庭でロケ。
寅さんと泉の叔母の檀ふみさんのシーン。
コスモス、用水路の水の流れ。
田園風景が素晴らしい。

昼食はいかにも旧家らしい奥座敷に召し入れられ、
地元の名物須古寿司をご馳走になる。


これは大きなヒントを貰った!




しかしなんとまあ、
白石町って・・・
表玄関の三日月町堀江から車で40分くらいかかる。。。

マジッすか山田監督&ロケハンさんたち
寿子さんの家の玄関からあの裏まで行くのに
車で40分!!!

こりゃわからんって・・・ふつうーー;

というわけで、この大いなる未踏峰のロケ地をぼちぼち調べ始めたのでした。



でね、
深川家
ネットで調べたらこんな写真が出てきた。↓

http://seki-architect.jp/album/pg27.html




写真右が 
白石町 堤 深川家ですって↓


      



深川家は白石町の 
堤地区 にあることがあかった。



本編を観て見るとあの屋根が映っている気がする。
もちろん裏側だけど^^;

なんで覚えていたかって言うと、
用水路向こうから見たこのシーンの風景を
僕が絵に描こうとしているからなのだ。^^

だからあの形が同じだって思った。

形はああいう屋根


      



五十嵐さんの言う深川宅と
この写真の深川家はたぶん同じだと思える。^^


いろいろ調べていくと、あの白石町堤地区は伝統的な建築様式の
農家が密集していることでも有名らしい。


で、その後、柴又の自宅に戻り、地図を見始めた。

クリークは(用水路)大きく2箇所ある。

まあ、向こうに田んぼが広がってるほうかな。。とは思うが



家の前の道の様子から大きく考えて
この堤地区の住宅密集地の赤丸のどこか
深川家があり、
あの美しき裏庭と
クリーク(用水路)があるのだろう。



地図で見てみると、確かにいくつかクリーク(用水路)が見える。



     






まあ、それにしても・・・

家の表と裏でこんなに離れたところ使うなんて
よっぽど監督もこの白石町堤の
深川家の裏と用水路と田園が気に入ったんだろうね^^

そらそーだ。

私ももあの桃源郷は絵心バンバンだもの^^ヾ



     



そして、本編の映像にも大きなヒントがある。
↓のチャプター画像を見ていただきたい。
寅が立っている背景に広がる白石平野の田園地帯の右端に小さな森が見える。
距離的には、この裏庭からさほど離れてはいない感じだ。せいぜい300メートル〜400メートルくらいか。

あの森のような形が田園から見える箇所が白石町には3箇所ある。

赤丸で示したところ。

深川家の場所は大きく分けて黄緑で囲った2ヶ所。

しかし南にあるのは森ではなく山の一部。


と、いうことは、やはりあの森は南北に伸びる堤地区のメイン通りの東か西か、どちらかだ。



      





このことをさっそく、ロケ地探索仲間のちびとらさん、小手寅さん、寅増さんに話してみる。

皆さん興味津々でいろいろ考察して下さった。

そして
寅増さんが↑とは違う角度から撮った深川家の表の写真をネット上で見つけたのだ。


これが、逆の角度から見た深川家の写真だ!

白石町は、平野部農村地帯の散居住宅も有名らしいが、
この写真から言える事は、深川家は街中にあるということを再度確認。

そして、表の道の幅、町並みの様子が確実に分かった!
電柱・電線が真っすぐ続いているのは、堤のメインの街筋であること。

そしてもっとも大事なこと。

この写真によると深川家の前の道が
微妙に左へカーブしているということを寅増さんは指摘された。



     





で、寅の背後に見える田園風景やクリークのそばの家々などを考えると

ここかな・・・ ↓

玄関側のカーブの位置裏庭のありかた、田園、母屋・・
・・どうだろうか。




           
この位置で正解なのか・・・??推測の域は出ない・・↓
     




で、考察されていたみなさんも、まあこの付近だというのは合意されたのだが

ただ、確実にここだ!
という証拠が小さい。

未踏峰に到達せり!の旗を立てたいが立てれない・・もう一歩。


そうこうしている間に寅増さんが、あの白石町のクリーク(用水路)に関して
新しい情報を手に入れられた。
あれらのクリークは、実はクリークでは無いらしいのだ。


あれは、
濠(ほり)だそうだ。
いわゆる
環濠

白石平野の西の堤集落は、かつては須古城下の町から発展したもので、
条里制の区画に自然発生的に環濠屋敷群の形態が形成されたものである。


寅増さんが平凡社の「日本の町並み」より引用されたもの。↑



話はもどって・・・

自分のサイトに独立コラムで載せる場合
推論だけではどうしても載せれない。

ここまで頑張ったんだったらぜひサイトの
この「寅次郎な日々」に独立話題としてアップしたい。

多くの人に見ていただきたい。

そう思った私は、思い切って
白石町の役場に電話してみた。


その日は土曜日なので担当の課(産業課)の方たちは
いらっしゃらなかったが、
他の課の方がいらっしゃった。

こちらの事情を丁寧に説明し、話を進めて行きました。

そうすると、
ご親切にも住宅地図を見てくださった。

それも映画ロケ撮影当時に最も近い1990年ごろの住宅地図で
調べて下さった!




私が赤丸を↑でつけた場所は「みぞかみ」さん
という家だそうだ。
当時も、そして今もみぞかみさんがお住まいだということ。

そして、肝心の「深川さん」は通りを挟んで東に一軒、西にも1軒あるが
裏庭が広くて森が背後に見えるのはあきらかに東側だということになった。

私が当初深川さんだと思っていたみぞかみさんの家の
北。隣の隣家がその「深川さん」だったのだ!



そうなると、深川さんの家は表の斜めの道の手前でなく
斜めの道の真っ最中だそうだ。

なるほど!

そう言われれば斜めに曲がっていく道の真っ最中に見える!↓


     




つまり役場の方がおっしゃるのは、

ちょうど道が西にカーブしているところに
東西に濠(用水路)を渡る小さな道があるが
まさに
その角の大きな家だ

とおっしゃるんですね。


南から

みぞかみさん →みねさん → 深川さん


その担当の方は映画ロケについてはなにも覚えて
いらっしゃらないようだった。


それでも、深川さんの家かもしくはご近所さんに最後の最後確かめたくて
みぞがみさんにぶしつけは百も承知で電話してみた。


住所は役場の方に聞いてわかっていたのでNTTで聞いて調べさせていただいた。

(ちなみにロケ地である深川さんの家はNTTへの電話登録無しでした)


「みぞかみ」さんは、家にお嫁さんがいらっしゃいまして
映画ロケのことは全然知らないそうですが
確かに2軒となりの深川さんの家は
大きくて裏に庭があるとのこと。

役場の方によりますと、もう一軒「深川さん」が
ありまして道を挟んで西側だそうですね。と聞きましたら、
(白石町堤662)

みぞかみさんは、
おそらく裏庭が大きなのは東側の深川さんなので、
そちらでロケされたのでしょうね。
と、いうことだった。

というわけで

これで晴れて頂上到達となったわけだ。


下の地図の黄色の部分
ピンポイントの寅と寿子さんの会話場所。


佐賀県杵島郡白石町堤569 


     




■まずは、個人どうしの情報やり取り、
 ネットのサイトと出版物、
 そして地図を見ながらの洞察力。

 これだけで最低2〜3日はとことんやる。


■どんなことがあっても
 「松竹のスタッフさん」には聞かない。



この2つの不文律を守り、
いろいろな寅友の情報や知恵も聞きながら
今回も未踏峰到達。



あのシーンの渥美さんは朝のロケということもあってか
静かな美しい顔をしていた。


スタッフが撮った本番前の
渥美さんと檀さんの姿とあり方が
なんともいえないでしょ↓

このスチールを見てからずっと長年
あそこの裏庭の風景を描こう描こうと思ってきたわけだ。




      



コスモスは本当にあそこに咲いていたんですね・・・






おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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521

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年6月13日  寅次郎な日々 その521

夏子さんと歩く京都市毘沙門町 完全制覇物語 



京都市安井毘沙門町

といえば、京都では言わずと知れたラブホ街

今風で言うと「ファッションホテル」、「ブティックホテル」街だ^^;


第2作「続男はつらいよ」では、

その町に寅の産みの母親菊さんは住んでいた。


というわけで、

日本の場合は法律の関係でこの手のホテルは
あるエリアに密集する事が多い。
もういかにも「このへんどすえ・・」という感じの街並みになってしまう。^^;
京都市も例外ではない。


まあ、逆に言うと、そのようなラブラブな街並みゆえ、
ほとんどどの雑誌も本もネットも
誰も遠慮してか取材して書かないもんで、じゃあ私が書こうということで・・・((^^;)

ちょっと毘沙門町付近をぐるぐるストリートビューで調べてみた。

まあ、場所がしっかり限定されるせいで、さほど時間はかからなかったが
ピンポイントがちょっと迷いまして・・・


サンデーブランチ」が映画で映っていた旧グランドホテルだとは思うんだが・・・。



       



       




さすがにこればっかりは
電話でお聞きするわけにも行かないし、
客のふりをして部屋まで入って
鏡お好きどすか」とか
バイブレーションベッド」の説明をされてもとまどうし・・(((^^;)

なかなか決めかねていたんだが
先日から急激に親しくなった京都市にお住まいの「さすらいのサラリーマンこと寅増さん」に
思い切ってメールでお聞きしてみたところ
数年前にこの場所は彼もロケ地探訪で行かれてまして
お写真も撮られていた。

ただ、場所が場所だけに((^^;
聞き込み調査や写真撮りまくりや
長い時間とどまるのはためらわれたようで
彼もピンポイントは難しいようでしたが・・・



二人でああでもない、こうでもないと
何度かメールのやり取りをして、最初に僕があたりをつけた
「サンデーブランチ」の場所でOKだということになった。

ちなみにこのホテル、HPもあり、見てみるとなかなか評判はいいようだ(^^)



京都市東山区毘沙門町44−48


      



電柱は今も昔もほとんどその位置が変わっていない。
最後の最後は、この
たくさんの電柱の位置と向こうに見える松との距離がポイントだった。
そんなに松から遠くはないだろうと。
つまり、松から一つ目の四つ角そばの大きなホテル。


これで決定!


     


     



     





    



注意:このあたりのロケ地めぐりでのお写真は特にマナーに十分気をつけてくださいね^^





それ以外でも

映画で、ホテルにたどり着く前に寅と夏子さんがうろうろしていた
大きな通り角(お寺の塀が見える大きな通り)
のロケ地もピンポイントで探した。



お寺さんが左右にある大きな通り。



     


実はこの長い横線のある塀は結構有名で。
あの「
建仁寺」の塀なのだ

手前のほうの塀は大中院。


毘沙門町付近だということが決まっているので、
地道に見て行くと何とか見つかった。↓

京都府京都市東山区小松町560あたり


建仁寺の塀と大中院の間を抜ける大通り。

花見小路通り


   



   



この花見小路通りのロケ地も
上記の「
さすらいのサラリーマンこと寅増さん」(京都市在住)からの
実際に現地に行かれた生写真情報でも再確認し、最終決定した。


で、そのあとも夏子さんと寅はこのあたりをうろうろする。


この通りから南に歩いて行くと
やがて毘沙門町のラブホ街にたどり着く。


さて、その次のシーン。

夏子さんがおすみさんにグランドホテルの場所を聞く
あの道端の祠がある細い道だが、
これは意外になかなか特定できなかった。

それでホテルから方角を逆算して地道にホテルの西の方角に
焦点を絞って見て行った。

「さすらいのサラリーマンさんこと寅増さん」はこの祠があった場所が
現地調査ではまったく分からなかったとおっしゃっておられた。



     



で、ストリートビューを使ってゆっくり探していく。
さすがにちょっと手間取ったがそれでも30分ほどグルグルしていると
なんか
似た家があった。



     




とはいえ、
スクリーンに映っている「うなぎ屋」さんらしき建物、
外壁も新しくしてあったり40年の歳月はやはり
厳しいものがある。

と、いうわけで、
イマイチここかどうかはなかなか難しい。

でもまあ、ほかに候補地が見当らないので
ここかなあ〜〜・・・とついつい確認バイアス的に思ってしまう。

でも、ここだ!っていう匂いはしないんだよね、
このペンション祇園の横のうなぎ屋さん。


こういう時はたぶん違う・・・


数日後、「さすらいのサラリーマンさんこと寅増さん」がお昼休みを利用して
この現場に足を運んでくださった。

どうもそのうなぎ屋の近くに似た場所があると報告してくださったのだ。
あのうなぎ屋らしき店が映る直前のシーンで
夏子さんの遠く背後に見える屋根と大きな樹木がそっくりだと。


その報告を受けて

すぐに私もストリートビューで、見比べてみる。


夏子さんの向こうに見える大きな樹木。
そして、電柱との位置関係。

可能性はかなり高い・・・・


左側の建物の壁は新しくはなっているが、
その様式は今も同じ。



    



夏子さんがお澄さんに道を聞く直前&直後の場所はここ↓

京都市東山区小松町563 付近



左のこの大きな建物は 
旧「中村甲刀修史館」 現在は「
井伊美術館」という名前。

だからこの「井伊美術館」が目印になるので、
今後はみなさんとてもロケ地巡りしやすいです(^^)




そして、最後の難関の場所↓
もう一度映画に戻って分析してみた。



祠に花を供え、お祈りしている年配の女性(お澄さん)に道を聞く。

下の4枚の画像を見ていただきたい。
雨どい、電線の白い陶器の止め具、
水色ポスター、外壁の木・・・
これらのシーンはすべて同じ場所で撮影されていることがわかる。
上の画像で示したとおり、@はもうすでに場所が確定した。


ということは、あの祠の位置や電柱の位置も自ずとわかってしまうのである。

結局ここに映っていた路地は、
例のうなぎ屋のもうひとつ横の(東の)筋だったのだ。
そしてあのような建物たちはあとかたもなく住宅に変わっていた。

下の地図参照


   


で、見てみると・・・

あの祠はこの場所にはもうない。その横の旅館もない。
あるのは電柱のみ。
この電柱は何でも知っている!



    


現在は電柱の向かって右横には「小多福」とういう甘味処ができている。

・・・っていうか、この祠の土台石組の形をとってはいるが
石じゃないな。よくてセメント。下手したらスタッフさんが作った張りぼてかも。
祠がなくなるってのはそんなに聞いた事ないし、今はここはごみ置き場になっているのを
考えるとやはり…映画用の張りぼて土台の可能性は捨てきれない・・




下の地図でまとめてみよう。↓

赤で囲った場所が夏子さんの背後に見えていた路地。
黄緑が遠くに大きな樹木が見える井伊美術館の道。
ピンクが祠と電柱があった場所。
水色が、最初私が見違えていたうなぎ屋さん。

赤い矢印は夏子さんの背後に映っていたあの路地とカメラの方角
もう今やこの風景の面影はご覧のとおり残されていない。






東にあるホテル「サンデーブランチ」まですぐの場所だ。

つまり山田組のスタッフさんたちは
ホテルからそんな遠くで別取りしていたわけじゃないことがよくわかる。









まとめるとこうなる。↓


カメラの位置と方向

が夏子さんがおすみさんに質問する直前
黄緑が夏子さんがまさに質問している瞬間
がおすみさんがそれに答え案内しようとするシーン

黄色が電柱
ピンクが祠
が現在の「井伊美術館」


     
   


で、全部ひっくるめて
今回のロケ地を
赤線で囲んでみた。↓

黄色は電柱 
ピンクは祠
Aはお菊さんが経営する「旧グランドホテル」



    






はい!これで全部^^


こうして「さすらいのサラリーマンさんこと寅増さん」と私のコラボで
夏子さんと寅の毘沙門町の全ロケ地が解明されたのだった。


ああ・・・それにしても、あの祠はなぜ移動してしまったのか・・。
あの祠のあった路地をストリートビューで南に歩いていくと数分で行き止まりになるが
その突き当たりに同じではないが似たような祠が存在したが…
あれがひょっとして移動した後の現在の祠かもしれない。


     




この一連のシーンは、マドンナの夏子さんが寅のことを思い、
親身になって、ホテルにいる産みの母親を探してやるという物語だ。

この長い長いシリーズの中で、多くのマドンナと呼ばれる女性が登場したが、
寅の人生に介入し、寅のことを心底心配した女性は、第48作のリリーは例外として、
他に、夏子さん以外にいただろうか。私には夏子さんしか思い出せない。

だから、寅が夏子さんと歩いたこの道のりは、寅にとっては忘れられない道のりだったと思うし
私にとってはなんとしても見つけたい場所だったのだ。

このシリーズで、マドンナという名に真にふさわしいのは夏子さんだけだと今も私は思っている。





おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                
雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年5月25日  寅次郎な日々 その520

川井みどりさんとめぐる新緑の柴又




5月21日は朝7時に起きて、帝釈天の上空で
なんとか金環日食を見ること&撮影ができたので幸先がよかったが




      




お昼からはもっといいことが待っていた^^/

今日は三崎千恵子さんの百か日。


それで三崎さんと特に親しかった
あの山田組の常連キャスト
「川井みどり」さんにお誘いを受け、
三崎さんの供養の意味もこめて
いろいろ三崎さんや撮影のことなど、お話のやりとりをさせていただいた。
川井さんは「男はつらいよ」だけでも20作品以上出演されている。

「幸福の黄色いハンカチ」では桃井かおりさんと絡み長いやり取りのシーンがある。
「学校」でも教師役で存在感を見せられている。
「ダウンタウンヒーローズ」「キネマの天地」「息子」など、山田監督の代表作で出演されている。



かつて、川井みどりさんのことは私もこのコラムで何度も書いてきた。↓


http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi27.html#502
謎の女優 川井みどりさん ついに解明!



http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi27.html#515
三崎千恵子さんと川井みどりさん



http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi27.html#518
川井みどりさんを「私の寅さん」でさがせ!





高木屋さんの、
渥美さんと山田組の主なメンバーしか座れない
あの「
予約席」で
草だんごやおでんを食べながら
ゆっくりお話に参加させていただいた。





     幸福の黄色いハンカチで桃井かおりさんと絡むシーンの川井みどりさん

      






          
 この「幸福の黄色いハンカチ」ではかなりセリフも長く、大きな存在感を見せておられた。

      







あ、そうそう先日「
キネマの天地」を見ていたら
田中健さんと親しい女優さんの役でしっかりなんども映っておられた。


             
キネマの天地では田中健さん(井川)の女友達の役。

      



          
    最初は田中健さんに連れられて小春と一緒に飲んだりしていたが…

      





         
     田中小春に先を越されて、小春に嫉妬する役どころでもあった。

      








        第33作夜霧にむせぶ寅次郎で渥美さんと絡むシーンの川井みどりさん。

      






この日の待ち合わせは高木屋さん。



    今でも亡き渥美さんのためにいつも「予約席」になっている渥美さんがいつも休憩していたテーブルで食事&歓談。
   手前で黒い服を着ていらっしゃるのが川井さん、その後ろは由夏さん、、私の後ろは蒲原さん。


      





川井みどりさんと一緒に来られたのは
生前の三崎千恵子さんと本当に親しくしていた方たち(由夏さんと蒲原さん)。

蒲原さんと川井さんは特に三崎さんの最期を見とられたほど深い絆で結ばれた方々。
由夏さんも三崎さんと彼女のお母さんがかなり親しい友人だったこともあって、
生前の三崎さんには家族ぐるみでいつもお世話になっていらっしゃったということだった。



高木屋さんでは、おでんやお団子を食べながら
みなさんの三崎千恵子さんとの繋がりをお聞きした。


蒲原さんは、ただただ三崎さんの着付けのお弟子さんだったのだが、
それゆえ最初の数年は三崎さんがそんな有名な女優さんだと知らないで
自分の自宅が三崎さんと同じ鎌倉だったので教えてもらいに通っていたそうだ。

そんなはじまりもあるんですねえ・・・。ある意味面白い。


川井さんも源ちゃんの女友達として
第20作に出演した時に、三崎さんから声をかけられ、
自分の家にこのシーンにもっとよく似合う衣装があるから持ってきてあげるといって、
収録中にも関わらず、車で家まで戻って衣装を取りに行ってくださったのが親しくなったきっかけ。



ちょうど三崎さんの追悼の記事が
今月の読売新聞夕刊(5月12日(土))の
「追悼抄」の欄に写真入で大きく載ったんです」と言われた。

その中で川井さんがこのエピソードを
おっしゃってたということ。

川井さんが、映画撮影でのちょっとした思い出を話されるたびに
私がその当該作品の詳細な内容や役者さんなどの
寅ネタを補足するので
三人とも「えー!凄い」っていつも驚愕されていた。^^;


蒲原さんもしきりにおっしゃっていたが、
三崎さんはほんとうにムーランルージュでの
修羅場体験とご主人の宮阪さんとの二人三脚の思い出がずっと財産だったらしい。

役者として舞台という厳しい場所でもまれ、かつ、
経営側の会計として、座長の奥さんとして体を張った生き方をし、
舞台役者と経営という2つの役目を同時にしてきたのだ。


ムーランの地方講演などの時は、
地元の怖い興行師たちとの交渉も男の人たちに頼まず
三崎さんが一人交渉にのぞむことも多かったという。


そのくせ、巣鴨のやっちゃばで育った気質で、
人にはめっぽう親切で、そこまでするか、というくらい「おせっかい」と誤解されるくらい
全身でお世話してあげる人だったようだ。

そのような豊穣な愛情は寅そっくりだし、やっぱり「車つね」さんそのものだ。

それで川井さんも由夏さんのお母さんも、由夏さんも、
着付けの一番のお弟子さんだった蒲原さんも
三崎さんの生き様や気質は自分たちの人生の大きな羅針盤になっていったようだった。


その後、夜になって隣町の金町中央図書館でその読売新聞夕刊の記事を読み、
コピーしてきた。なかなか味わい深いいい記事だった。↓



     






高木屋さんでお団子とおでんをちょいとつまんで1時間ほど歓談して
「さあ、前菜は終わりで、しっかり今からお昼食べましょ」
ということになり、高木屋さんをおいとました。

で、自分の食べた分を支払おうとすると、高木屋さんは、
前々から若女将さんと親しい川井さんの顔を立てて
みんなのぶんをごちそうしてくださった。


いや〜〜、川井さん達はともかく
僕までもごちそうになってしまって恐縮でした。
おまけにあの「予約席」で歓談できたなんて!

店を出ると川井さんが鎌倉名物「鳩サブレ」の
大きな詰め合わせを
お土産にと僕にくださった。

いや〜〜〜〜、これはまたまた恐縮です。

僕はすぐに

「これはまるで、
あの第○○作に出てくる
 シーンじゃないですか!
 「鳩サブレ」を柴又のとらや(くるまや)で
 さくらがお土産として手渡されるシーンがあるんですよ。
 そしてその夜にちゃんと寅の部屋に
 箱から出したこの「鳩サブレ」がお菓子入れに置いてある んですよ。」

と言いましたら、「へー!そうなんですか!」と、
みなさん大いに驚いて喜んでくれました。

こういうのって なんか嬉しい^^


さて、問題です。

「鳩サブレ」が出てくるのは第何作でしょうか?^^





で、高木屋さんを出て、すぐ近くの大和家さんにそのまんまみんなで突入。
大和家さんたちとは僕もお馴染みさんなので大旦那さんと大女将さんに挨拶して、
みんなで天丼をおいしくいただいた。

今回は、私も含めて今みんなダイエットしてるので
ごはんは小盛にしてもらった。
川井さんは、この大和家さんも、ロケの撮影時などによく食べたそうだ。



      


   


大和家さんでも会話は弾んでいく。 ↓


川井さんは、結婚される時、

渥美さんにそのことをちょっと洩らしたら、
渥美さんは、「
みどりちゃん、ヤクシャというのはヤクザだからね・・・結婚なんか滅多にはうまくいきやしないよ。
って助言をくれたそうだ。

また、川井さんが体調悪い時でも、スタッフや周りの人より渥美さんがいつも気付いてくれて、
ちょっと声をかけてくれたそうだ。
現場では川井さんは「みどりちゃん」と呼ばれていたということ。


あ、そうそう由夏さんは、
若い頃実はずっと舞台のお芝居をしていたんだけれど、
そのころに「男はつらいよ」でチラッと出た事があるそう!。
その後ハワイにご主人と一緒にお店を出し、20年も滞在し、
今は実業家として日本で、ある小さな会社の取締役をされている。

上にも書いたように由夏さんのお母様と
三崎さんが親しいお友達だったので家族ぐるみのお付き合いだったようだ。

ところで・・・

川井さんは、寅さんに第12作、第20作と出た後
しばらく出なかったのだけれども、
その間は役者から距離を置いてアメリカのロスアンゼルスで
ご主人と暮らしておられたのだ。

でもご主人はなんとアメリカで亡くなられてしまった・・・


その後、また日本で活動されるようになって、
「男はつらいよ」にも出られるようになったのだけれども、
ずっと山田組に出続ける事に迷いと躊躇があったそうだ。

なぜなら、山田組に深く関わると、
ほんとうに役者という仕事の
厳しさと充実が病み付きになってしまって、
抜け出れなくなると思ったらしいのだ。

それほどまでも山田監督の要求は厳しくて
それはもう毎回毎回怒られっぱなしだったということ。

たぶん、メインの役者ではない目立たない自分が
このまま役者の世界にのめりこんでしまう危うさを
自分で恐れていらっしゃったのだと思った。
それはとても分かる気がする。


川井さんの芝居のうまさがわかっている私は

「山田監督は演技にはとても厳しい人だから
役者さんに素質があると思わないと
絶対にこんなに使い続けないんですよ。
川井さんはかなり認められていたと思います。
そうでないと渥美さんと直接セリフで絡ませたりしませんよ」

と彼女に言った。

映画現場の人間でない私がそんなことを言うのは
とても僭越なのは百も承知でそう言った。

そして、川井さんはちょっとうなずいてくれたような気がした。


で、寅さんに立て続けに出ている間に、ある時三崎さんのマネージャーさんが
家の事情で辞められてしまったことがあって、、
しばらくのあいだちょっと撮影現場で自分のお世話をして欲しいと三崎さんに言われて
いろいろ役者兼付き人のような形でお手伝いをされたそうだ。

そして、新たにご縁があって 再婚もされた。

そしてそれ以来いつも三崎さんとプライベートでも
付き合うようになっていったということだ。




     



三崎さんの最期のことも少しお聞きした。

川井さんと蒲原さんが三崎さんのお嬢さんたちと
一緒に三崎さんの最期を見取ったのだが、
あの2月13日も
お昼まで川井さんは病室にいらっしゃって、
お医者さんは「ここ数日ですね・・」って
おっしゃってたようで
一応家に戻られたが、なんとなく胸騒ぎがして
夕方にもう一度病室に行かれたら、
ちょっとシリアスな状況になって行ったのだそうだ。

ずっと三崎さんと40年も行動を共にされていた蒲原さんも
お嬢さんにすぐ呼ばれて病室に行かれて
何とか間に合った。

お二人でこん睡状態に入られた三崎さんのそばで
お名前を何度か呼ばれたら
奇跡が起こって
なんと一度だけ眼をうっすら開けられてみなさんのほうを見られたそうだ。

そんなこともあるんですね・・・

そう語られる川井さんや蒲原さんは
目を潤ませていらっしゃった。


あ、そうそう
時々、山田監督も三崎さんの家で
お昼を食べられることもあったそうだ。

みなさんが覚えていらっしゃるところでは、
第29作「あじさいの恋」の脚本執筆中に鎌倉の三崎さんの家に山田監督たちが来られて

「三崎さん・・・鎌倉ロケ、どのあたりがいいかなあ・・いいとこありますか?」

なんて話もされていたとか・・・いい話だなあ・・・


驚いたことに蒲原さんは、十年間以上、大船ロケの時は
三崎さんと一緒に山田監督にお弁当を作って持って行ってあげていたそうだ。
大船での撮影は何日も続くことは当たり前の山田組だから、
ほんとうに何度も何度もお弁当を
持って行かれたということだ(味噌汁お茶つけて!)

蒲原さんは着付けのお弟子さんなので
上にも書いたように、映画にはそんなに最初は興味がなかったのだが、
ご縁が深くなって撮影所に三崎さんとともに一緒に通われるようになったそうだ。




さてこのようなまじめでシビアな話はここまで。



このあとはのんびりと帝釈天にお参りして
寅さん記念館で遊んで、
江戸川土手の風に吹かれましょう ということで


大和家さんをおいとまし、
帝釈天にお参りに行く事にした。

店の前で大和家の若奥さんに写真を撮ってもらった。

お土産にいただいた「鳩サブレ」目だってますね^^



      






帝釈天は川井さん10年ぶりだそうだ。
どこもかも懐かしい・・・って感じだった。



      



帝釈堂の中に入って、お堂の中に正座してお参りした。
ちゃんとろうそくも立てて
三崎さんの百か日のためにお祈りした。

そのあと川井さん達は三崎さんのご家族の方から
預かってきたお供えものを
帝釈天のお坊さんに渡し、帝釈天をあとにした。


      





かつて三崎さんが寄付された帝釈天の石の塀の前で。
みなさん一緒に^^。↓



      




さてさて次は「寅さん記念館」


記念館にいくまでに、普通の道じゃ面白くないんで、
「山本亭」の庭を通って記念館に入った。

入場券を買って中に入ると

入り口に山田組スタッフさんの等身大写真がズラーッと並んでいるのを見て
懐かしい知人のお名前を連発されていた!

「あ!青木さんだ!(照明)」
「ああ!鈴木さんだ!(録音)」

などなど、スタッフさんとも深いつながりだったことがうかがい知れる反応だった。

大船から持ってきたとらやのセットもみなさん大喜びで、
この貼付した写真は団子を蒸す部屋を指差して、
「ここの作業部屋はこんな綺麗にセットしてなかったわよね〜」って
笑っておられた。


茶の間に設置されたスクリーンに映し出される
寅のギャグシーンの数々にみなさん大笑い。
さすがにずっとスクリーンに見入られていた。


      




私は、記念館で一番の寅さんファンである職員の中村さんと
村上館長さんに川井さんを紹介した。

勢いに任せて 記念館ために色紙にサインしていただいた。


      





その後記念館をおいとまして
土手に上がり、みんなでしばらく渡し舟を遠くで眺めながら風に吹かれた。


      




その後、また帝釈天に戻り、境内を歩き、
二天門の見事な彫刻群を見られて


      





高木屋さんでお土産を買われ、

柴又駅前で記念に宝くじもチョロット買われ^^;。


そして、最後は、みなさん帝釈天の駐車場に戻られ、
そこでお別れをした。



川井さんもお友達も、みなさん人生の達人で、とても優しくて、
ソシテ、みなさん大人なので僕に気を遣わせないで、
まったりゆったりいい時間を過ごさせていただいた。


川井さん、由夏さん、蒲原さん、いろいろ勉強になりました。
ありがとうございました。







おしまい









         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        








なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。













          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙















       満月と立山連峰


      













撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)








    

                                
雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作

         

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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