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ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。


                 

【柴又日記】その(32)歌子ちゃんの実家ついに発見(2011年7月26日)

【柴又日記】その(31)倍賞千恵子コンサート IN かつしか(2011年7月10日)

【柴又日記】その(30) 知られざる九州新幹線CM(2011年6月28日)

【柴又日記】その(29) 金町全ロケ地めぐり 地図つき(2011年6月16日)

【柴又日記】その(28)寅さん記念館絵画展 2つのエピソード(2011年6月6日)

【柴又日記】(27)寅さん記念館絵画展 2つの柴又慕情(2011年5月26日)

【柴又日記】(26)イメージ映像 『 君の知らない柴又を見せたい 』(2011年5月8日)

【柴又日記】その(25)100万アクセス記念企画のお知らせ(2011年5月1日)  

【柴又日記】その(24)常総ロケ地めぐり 牛久沼周辺(2001年4月19日)

【柴又日記】その(23)桜が咲いております(2011年4月11日)

【柴又日記】その(22)さくらに降り注ぐ桜の花びら(2011年4月2日)

【柴又日記】その(21)帝釈天にただひたすら祈る(2011年3月15日)

【柴又日記】 そのS神保町大雅堂ロケ地めぐり(2011年3月12日)

【柴又日記】 そのRスケベ医者の住む山下医院探索(2011年3月6日)

【柴又日記】 そのP雨上りの柴又帝釈天参道(2011年2月22日)

【柴又日記】 そのO 哀愁の柴又に雪が降る― スケッチ(2011年2月17日) 

【柴又日記】 そのNさくらの潜水艦アパート昼と夜、ロケ地めぐり(2011年2月10日)

【柴又日記】 そのM光枝さんの章文館、若菜さんのコーポ富士見(2011年1月29日)

【柴又日記】 そのL錦糸町北口、リリーのアパートロケ地めぐり(2011年1月25日)

【柴又日記】 そのK信吾のらくだ公園と創美社ロケ地めぐり(2011年1月20日)

【柴又日記】 そのJ りつ子さんとすみれちゃん(2011年1月16日)

【柴又日記】 そのI 新しい店 『野道』 と 『さくら』(2011年1月10日)

【柴又日記】 そのH 正月五日 帝釈天 初庚申のまとい奉納(2011年1月6日)

【柴又日記】 そのG 正月四日 帝釈天 法華経説話彫刻(2011年1月5日)

【柴又日記】 そのF 正月三日 柴又帝釈天境内でのんびり(2011年1月4日)

【柴又日記】 そのE 正月二日 柴又江戸川土手風景(2011年1月2日)

【柴又日記】 そのD 正月元日 柴又帝釈天風景(2011年1月1日)

【柴又日記】 そのC  大晦日 柴又帝釈天風景(2010年12月31日)

【柴又日記】 そのB  もうちょっと柴又ロケ地めぐり(2010年12月28日)

【柴又日記】 そのA  ぶらりロケ地めぐり(2010年12月22日)

【柴又日記】 その@  柴又到着(2010年12月19日)

帝釈天の除夜の鐘を聴こうと思う(2010年12月8日)

寅のバイネタはどのようにして手に入れるのか(2010年12月5日)

ひろみちゃんが駆けつけた2箇所の踏み切り(2010年11月22日)

星野哲郎さん、ありがとうございます(2010年11月21日)

悲しき寅の定時制高校入学願書(2010年11月9日) 

バリ人と寅の共通点  超ど派手葬式好き人間(2010年10月26日)

第41作「寅次郎心の旅路」 簡単ダイジェスト(2010年10月16日) 

若菜さんの住む町 文京区白山2丁目(2010年10月3日)

寅.リリー.パパが野宿した駅舎  函館本線 蘭島駅(2010年10月2日)

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田所教授よ永遠に 小林桂樹さんへ―(2010年9月19日)

男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌 【ポスター】(2010年9月9日)

男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌 【特報】(2010年9月5日)


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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 







【柴又日記】その32 歌子ちゃんの実家ついに発見
(ただし他力^^;)


2011年7月26日  寅次郎な日々 その495




地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



今までどうしてもわからなかったロケ地というものは結構多いが、
それらはほんの一瞬スクリーンに現れるだけで、場所を探すヒントがほとんどない場合が多いのだが、
稀にかなり長時間にわたって映し出されるにもかかわらず場所の特定ができないロケ地もある。

東急沿線にある歌子ちゃんの実家もその代表的な場所だった。

いままでいろんなファンのかたがたが捜し求め、トライしてきたがどうもぴったりの場所にたどり着かなかったのである。



ちょっとおさらいすると第9作「柴又慕情」では自宅近くの坂を歩く歌子ちゃんの姿が映る。
おそらく上に見えるしゃれた一軒家が実家かもしれない。



        





そして、その続編である第13作「恋やつれ」では、その家をさくらが訪ね、寅も訪ねる。
さくらが菓子折りを持って訪ねた時が唯一ロケがしっかり映る瞬間。


さくらが、実家を訪問したあと、歌子ちゃんの父親がさくらに追いつき、駅前まで送っていくが
あそこが、数少ないヒントがあるシーン。


まずは第9作同様、あの曲がり角が映り、歌子ちゃんの父親がさくらに追いつく。



                   



そして、最後とある駅の近くで別れるのだ。


       


ところがこの駅がどこの駅かさっぱり誰もわからないのだ。

もちろん松竹の人もわからない。

唯一あの時見える銀色の電車が
東急8000系だということだ。

東急のどこかの線路なのは確か。これだけ。



       



で、もうお手上げ状態で放置していた。


そんな時、半年ほど前にある方がじつはこの駅は

東急田園都市線の梶が谷駅だと思う。
と友人のブログで言われたのだ。


それで私のまた別の友人が実際に調査に向かったのだ。(凄い行動力!)
もうひとつ決め手がないというか、
どうも地形が違うのである。

実際に梶が谷駅の上に立ってみて、その友人が言うぶんには似てはいるが
ちょっと違和感があるということ。

で、写真を見せてもらったら、これが微妙なのだ。

なんとなく道から下の線路の見え方がちょっと低いのだ。
映画のシーンでは電車がかなり下を走っている。↓



       



しかし梶が谷駅の場合は、もうちょっと道が線路に近い。
そしてさくらが下りていく階段もない。
その階段の下にある車がしっかり通れるような道もない。

ただ上の道の雰囲気は似ているのだ…。


こういう時ってまず違うことが多い。


それで、とりあえず保留にして、その友人もまた新しい情報を待つことにした。


そして、2週間前、

寅さんが大好きな神奈川県にお住まいの
Oさんからお便りが届いた。

Oさんが、37年前!当時13作封切り時!友人と「第13作恋やつれ」を映画館で観ていた時、
その友人が「あ、ここはうちの近くの駅」って言われたのだ。

それでOさんは大変驚いて驚いて、その駅まで案内してもらい、あのロケ地にご自分の足で
立たれたのだった。

封切り時ゆえほとんど同じ風景が広がっていたとのこと。


その駅は
東急田園都市線の梶が谷駅ではなかった。

同じ東急沿線だが、南北に伸びる
東急東横線の大倉山駅(横浜市)だったのだ。

な、なんと〜〜〜!である。

Oさんは、もともといろいろなロケ地をめぐられているマニアの方なので、
この歌子ちゃんの実家が日本中の誰もつかみきれていないことをご存知だったと思われる。

早速私にメールで知らせてくれたのだ。

あの大倉山駅の下の道も上の道もグーグルのストリートビューでも現場に立てるそうだ。


で、Oさん曰く 今でもストリートビューで見ると面影がありますよ。
と、いうことで、

僕もメールが来てすぐ自分の目で確認すべく、ストリートビューで見てみると、
出てきましたあの細長いガレージ!

■二人が別れる場面の後ろの家のガレージのあり方に面影が残っている。




        




      このスクリーンに映っているあの少女はなぜあの時ガレージの脇にしゃがんでいたのだろう…。

        







        




■さくらが降りていくあの階段の下り口も面影がある。

■線路のレールの本数も一緒!




        





映画と同じ高低差がある上の道


        





        





線路向こうに見える茶色い家は今も健在!!



          
 →    




当時の航空写真と見比べて観る。いろいろ共通点がわかる。赤い線がさくらが通って行った駅までの道。黄緑囲みは今も同じ線路を横切る
歩道橋とその近くの家の屋根。


        





        





         





さくらが下りて行った階段を下から見たらこうなる。

        




映画で見えていた下の道。

        





ただし、

Oさんは、歌子ちゃんの父親がさくらを追いかけてくるあの電柱の場所
は残念ながら見つけられなかったと書かれてあった。



       





       




       



そこで、一つくらい僕も自力で!見つけようと思い
僕は独自でさきほどストリートビューでめぐってみた。
そうすると映画と似た場所があった。

★二人が最後別れた場所から、ストリートビューで逆に戻って(北上する)いくと、
 数分で二人が合流したあの坂がある曲がり角らしき場所に
 ぶつかるのだ。
 家はかなり建て替えられたりしていますが、地形がそっくり。

なので、歌子ちゃんのお父さんがさくらに追いつくのは
ひょっとしてここかも...なんて思った。↓

(この二人の合流場所に関してはまだ決定ではない)





       




 





いずれにしても、東急東横線「大倉山」駅東口出て北上し
途中階段を上がっていくのは確か。


映画の時空的に言えば、
さくらは歌子ちゃんの父親と別れた後
階段をジグザグに下りて、下の道から南に向かって5分ほど歩き
大倉山駅の東口から入って行ったんだね。



        

 

そして、私の声を受けて、

数日後に早くも、昔からの親友であり、ロケ地めぐりの鬼才、フィールドワークの達人、

寅福さん(http://love.ap.teacup.com/torafuku/)

なんとあのあとすぐに、現場を訪れたのだ。

彼の弾よりも速い(早い)動きに敬服しつつも、その詳しいレポートや写真を拝見し、まさにこの地
東急東横線大倉山駅付近の今を臨場感を持って眺めることができた。

ただちょっと歌子ちゃんの父親と合流したあの坂道がどうも私の思っている場所ではないかもしれない
ということだった。

もう何日かしたら寅服さんがそのことをアップされると思う。


今度時間があれば、行ってみたいですね。

大きな宿題が終わった感じです。

神奈川県のOさんのおかげで難攻不落の城がついに落ちたのだ。
これはまさに歴史的快挙だったのだ。






ではまた次回 8月初旬 
バリ島で(^^)




明後日7月28日から息子を連れてバリ島に仕事に出かけます。
今回は3週間と短い滞在だが、やるべきことは山のようにある。
特に息子は11月の品川での二人展があるのでかなりの映像作品をバリ滞在中に作りこむという。
おそらく私にとっても息子にとっても大事な3週間のバリ滞在になるだろう。

バリ島は7ヶ月戻らなかったので、ケーブルの中に水が入って
おそらくインターネットが使えない状況になっていると思う。
これは毎度のこと。
それゆえそれらを直すのに5日ほどかかるので、バリ島滞在中の更新は8月10日ごろになると思う。
ジャングルの中に家があると当然こういう障害はあるのだ。






     「君の知らない柴又を見せたい」

    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







【柴又日記】 その31 倍賞千恵子コンサート IN かつしか


2011年7月10日  寅次郎な日々 その495




地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



一昨日生まれて初めて倍賞千恵子さんのコンサートに行ってきた。

私は生来の不精者、倍賞さんのCDはたんまり持っているが、
生のコンサートの類にはほとんど行かないのだが、今回の倍賞さんのコンサートは
寅さんのお膝元である葛飾区の「かつしかシンフォニーヒルズ.モーツァルトホール」で行われるので、
無理してでも行かねば、と思い、富山での展覧会の後半を厚かましくもギャラリーのオーナーさんにお任せして
東京に舞い戻ってきたのだ。

開演30分前に着くと佐藤利明さんがご夫婦でおられ、私を呼び止めてくださった。
佐藤さんとは日ごろからメールでいろいろやり取りをしている仲、
昔から貴重なデータも何度も送っていただいている。
佐藤さんとは事前にメールで話を何度かしていたのでお会いできることはわかっていた。
さっそく長年のお礼と、積もる話をお二人とロビーで30分ほどさせていただいた。


佐藤さんは映画人の中で、
間違いなくこの映画シリーズを最もよく理解し、…
いやそんなことよりも何よりも最もこの映画を愛している人の一人。

奥さまも佐藤さんと一緒にこのまっすぐな道を二人三脚で歩まれている。
彼の感覚をいつも刺激し、活性化する役目も担っておられるんだなと、あらためて
お話を伺っていてそう思った。
そういう意味でとても素敵なカップルだなとお二人の強い絆に密かに感動してしまった。


私にとっての歴史的な番組CS衛星劇場「私の寅さん」のこと、
そして現在進行形のラジオ番組「みんなの寅さん」のこと、
個々の作品の中身のこと、奥様とのやり取りのこと…。

とにかく佐藤さんの「男はつらいよ」への想いは、もう完全に仕事の粋を超えてしまっているのが
それがなんとも頼もしくそしてうれしい。
私と佐藤さんのこのシリーズの作品の感想や評価におけるお互いのフィット感は
昔から尋常じゃないものを感じている。
彼は常にどんな話題でも仕事でもしっかりエッジギリギリまで踏み込んでいるのがわかる。
まさしく「男はつらいよ」に関して100年後にまで残る大きな仕事をされているのだ。
特に衛星劇場での数々のインタビューは圧巻だった。

そしてその時々の明快な視点や独自の切り口のヒントを
パートナーでいらっしゃる奥様とお二人で生み出していかれているのだ。


で、そうこうしているうちにあっという間に時間は過ぎ、いよいよコンサートが始まった。



場内が暗くなり…


スッと緞帳があがり、


スポットライトがパアーっと倍賞さんに当たる。


そこには、黒のジャケットを着た倍賞さんが江戸川土手階段に座っているのだった。



♪さくら貝の唄 ♪叱られて ♪雨降りお月 ♪波浮の港 ♪月の沙漠

と、ご主人の小六禮次郎さんとの軽妙なトークも交えながら彼のピアノで
しっとりと歌い上げていった。

ここまでの中では「月の沙漠」が大きなイメージが出ていて秀逸だった。

その後、なんと「♪東京ヴギヴギ」を歌われた。これがいいんだなほんと。
彼女はああいう軽妙でお茶目な歌が実によく似合う。

その後、何曲か歌った後、

舞台がまた暗くなって、なんと大きなスクリーンが倍賞さんの背後に現れ、
そこに映画「男はつらいよ」の第1作オープニングが映し出されたのだ。


文句なしに感動(TT)


     





江戸川土手でたたずむ寅



     





さくらは20年ぶりに寅と再会する。



若く美しい倍賞さんに観客の皆さんはあちこちでため息…。



私にとってはまさに「きた〜〜〜〜〜!!」です。
そして間髪いれずにあの寅とさくらの20年ぶりの再会が映し出された。




さくら「お兄…ちゃん?


第1作のテーマ曲が美しく流れる中


寅「そーよ!お兄ちゃんよ!



      




さくら「生きてたの…」喜ぶさくら



     



寅「んん!!


さくら「お兄ちゃん!!



 一同しんみり



苦労かけたなぁ…。

   ご苦労さん…




 と二十年ぶりの再会を喜ぶ。




     




そしておもむろに小六さんのピアノが始まり、

倍賞さんはなんと「男はつらいよ」の主題歌を
低い声で歌いはじめた。

さくらと寅の名シーンが私の中で走馬灯のようにかけめぐり、胸が熱くなってしまった。
さくらが歌う兄、寅次郎の歌。




そしてそのあと名曲「さくらのバラード」!


江戸川に雨が降る
渡し舟も今日は休み
兄のいない静かな町

どこに行ってしまったの
今頃何してるの
いつもみんな待っているのよ

そこは晴れているかしら それとも冷たい雨かしら
遠くひとり旅に出た 私のお兄ちゃん

どこかの街角で見かけた人はいませんか
...
ひとり旅の私のお兄ちゃん


この2つの歌を映画の名シーンをバックにたて続けに聴いて
私の心はずっと熱くなりっぱなし…



そして、「港が見える丘」も心がググッと震えてしまった。
どこかで酒場で歌うリリーや蝶子さんと寅のデュエットを思い出していたのかもしれない。


しかし、それらと同じくらいに倍賞さんのいろんな仕草やおしゃべりが楽しかった。
倍賞さんはおしゃべりがうまい。時々とちるがそれがなんともかえって素敵^^。
気さくだし、快活だし、お茶目だし…。
私のほんのちょっと前の方で倍賞さんが照れたり、間違えたり、おどけたり、ちょっとしんみりなったり…。
同じ空気の中でまさに生きているんだなと感じられる幸せをずっとかみ締めていた。


そのあと

「花はおくらないで下さい」「忘れ草をあなたに」もせつなく胸に来た...
やはり別れの歌はいつ聴いても悲しい(TT)


そして最後は映画「ひめゆりの塔」の主題歌 「しあわせについて」

これは究極の別れの歌

悲しみを遥かに通り越して透明な風が吹いている。。。



あの歌には私が好きな歌詞がところどころある。↓寄せ集めたらこうなる。



♪あなたは必ずしあわせになってください

 愛する人と めぐり逢えたら

 抱きしめた腕を ゆるめてはいけない

 

 ありがとう  

 さよなら


 生まれ変われたならば

 やっぱりあなたと 愛しあいたいと思う

 ひたむきな人と

 愛を信じて 。。。






けれんのない、
倍賞さんらしい等身大の美しいコンサートでした。







そして…

コンサート直後に、
今度はいきなりちびっこ寅少年の吉野秀尋(
ほつね)君に
「吉川さぁん!」と、ロビーで呼び止められる。
「おお!吉野君来てたの!」と二人して再会を喜び合う。
吉野君も「終わったらいきなり吉川さんがいるので信じられない!…と思った」って喜んでくれた。


       





小泉信一さん(寅さんDVDマガジン、朝日新聞連載)にさっそく吉野秀尋君を紹介。
彼も吉野君に会って大喜び。
小泉さんとはこの翌日も電話で吉野君のことで大いに盛り上がってしまった(^^)ヾ



       





佐藤さん夫妻にも吉野秀尋君を紹介。
佐藤さんは寅さん好きだった自分の少年時代をまさに見ているようでにんまり^^
佐藤さん自身も少年時代から「寅さん」大好きなませた映画少年だったのだ。


       




なんだかんだと、みんなで吉野秀尋君をかこんで賑やかしく自己紹介^^;。


       






そしてそうこうしてワイワイしているうちに
私のサイトをずっとご覧いただいているという田林さんや松浦さんたちが
集まってきてくださって驚いたり、お話したり、このように↓写真撮ったり楽しいひと時だった。

みなさん、ありがとうございます。励みになります。これからも更新を続けてまいります!


         





そうして、やがてお開きとなり、…みなさんが帰ったあとで、



私は秀尋君のお母さんが車で向かえに来られるまで
しばらくしてロビーがうす暗くなってからも外で一緒に待ってあげた。
その間も吉野君と作品の中身の話でいつものように盛り上がった。
彼とはほんと感動するところが同じなので息が合う。
この年の差で息が合うなんてことは奇跡ではないだろうか。

30分ほどして迎えに来られたお母さんはとても恐縮されて
なんと柴又の自宅まで車で送ってくださった。
いやはやなんとも逆に恐縮してしまった。申し訳なかったです((^^;)ヾ

あ、で、結果的に車の中でお母さんから秀尋君のことをお聞きすることができたことは
とても意味深いことだったと今思い返して納得している。

彼がこんなにも寅さんを好きになったきっかけは
テレビのロードショー「第22作噂の寅次郎」を観て、秀尋君が号泣したというのだ。
観終わって号泣しながら隣の部屋へ行って、出てこなかったというのだ。
寅さんのマドンナやさくらにたいする優しい気持ちに打たれて涙が止まらなかったらしい。

なんという感受性なんだろう。

こんな人どこにいます?

本当にこんなにすばらしい秀尋君と友達になってよかった…。

ちなみにお母さんは秀尋君のことを「
ほつ」と呼んでいた(^^)

吉野君のお母さんもお父さんも秀尋君からの影響で
私のサイトを1ヶ月ほど前から観てくれているらしい((^^;)ヾ

あの映像「君の知らない柴又を見せたい」は何度も何度も観てくれていて
あの映像を観るたびになぜかいつも涙が出そうになります…。と言ってくださった。
こんな嬉しい褒め言葉はどこを探してもない。
そして何度もご覧いただいて感謝です!


あ、ちなみに秀尋君の妹さんは目が大きくて小さいころのさくらのようです。
ほんとなにからなにまで寅とさくらでした。



かつては…私にも妹がいた。

生まれてすぐに死んでしまったが、
もし生きていたらどんな兄と妹になっただろうか…。




写真は私の自宅前(帝釈天の前)で。




      



倍賞さんも楽しかったが、場外での数々の出来事も忘れられない夜だった。
皆さんこの夜は本当にお世話になりました。



ではまた次回(^^)




7月28日から息子を連れてバリ島に仕事に出かけます。
今回は3週間と短い滞在だが、やるべきことは山のようにある。
特に息子は11月の品川での二人展があるのでかなりの映像作品をバリ滞在中に作りこむという。
おそらく私にとっても息子にとっても大事な3週間のバリ滞在になるだろう。






     「君の知らない柴又を見せたい」

    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







【柴又日記】 その30 知られざる九州新幹線CM 特別編180秒

九州新幹線全線開業記念 CM

2011年6月28日  寅次郎な日々 その494




地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



ようやく富山での2週間に渡る展覧会の仕事が一段落したので、柴又に帰ってきた。

今日から数日時間にちょっと余裕ができるので、前々から紹介したかった「映像」をお見せしたい。
映像と言ってもCMである。
以前JR東海のCMをお見せしたが、今回も偶然JR九州。

「JR九州/祝!九州キャンペーン」のCMだ。

3月11日に発生した東日本大震災の影響で、その翌日からスタートだった九州新幹線は全ての行事を中止し、
このCMも同じようにたった数回のオンエアだけでなんと涙のお蔵入り!(TT) となったものなのだ。
莫大な費用と人員を導入したにもかかわらず、打ち切りとは…
あまりといえばあまりにも酷い仕打ち。なにが自粛だ、バカヤロウ!と、言いたい。
心が一つにまとまったこのCMがどれだけ東北北関東の人々の気持ちを柔らかくするか…。
これだけの高い質のCMのお蔵入りはあまりにも逆効果(TT)。

しかし、世の中そう捨てたもんでもなかった。
YouTubeなどに動画がアップロードされるや否や、
瞬く間に総再生回数が200万回以上を記録した。(当然だろね)

このCMに映っているのは、九州新幹線の全線開業を祝い、公募で集まった1万人以上の人たちが
沿線から新幹線に手を振る映像の山。
数百人で映っているのもあればたった一人で手を振っている人もいる。
おじいさんやおばあさんもいれば幼児もいる。
高架の下から地味に手をふっているし、ビルの中からもそっと手をふる。
コスプレでおもいっきり手をふっているし、農作業中に手をふってもいる。

そもそも電車の車窓からの視点でCMを作れば、CMを見る人々の、過去に体験した旅情や、
地元の人々との別れ、一期一会の感動などの記憶が鮮やかに蘇ってくるはず。
ロードムービーの要素も取り入れ、すさまじき速さと短さで一期一会を擬似体験して行く180秒なのだ。

それゆえこの企画はハナからかなり感動的な作品になる確立が高いのだが
やってみるとかなり大掛かりな仕事でもある。
それを見事にやりとげたことは凄いことだと思う。
広範囲にそれぞれの沿線の人々の心が一つになっていないとなかなかこうは作れない。
1万人の心が一つになるなんてことは地方からバラバラに人が集まってくる東京のような都会ではまず不可能だ。
地元に根ざしている方々が圧倒的に多い九州だから心が一つになることが出来たとも言えよう。


このCMのために、CMソングの「Boom!」を書き下ろした
日系スウェーデン人のシンガーソングライター、マイア・ヒラサワさんの音楽も実にマッチしている。
この歌だけ聴くとなんのへんてつもない単純な歌…とも言えるが、とにかくリズムがいい。
そしてなによりもその単純さがこのCMのリズムには最高に適していたといえる。大成功だ。


100時間を軽く超える映像を編集し、 50分 20分 4分 180秒と徐々に削っていったスタッフ達の努力も凄い。
この映像の半分以上はやはり編集の勝利だと思う。

実は、この「九州新幹線開通CM」には、各駅編、総集編、メイキングCM編、などいろんなヴァージョンがあるが、
やはり私個人が最も編集が素晴らしいと感じた。
この「
【特別編】180秒ヴァージョン」1本をまずお見せしたい。
この特別ヴァージョンは、【総集編180秒】をさらにコンセプトを明確にした上で編集しなおしたもので
ほとんど全てが車窓からの映像で構成されている。車窓からゆえの反射や濁りも抜群の臨場感を醸し出している。
編集で捨てて捨てて捨てまくったあとに残ったシャープで明確な珠玉の映像たちだ。
また「総集編」と比べて音楽のリズムに意識的に映像を合わせているのがいやはや見事。
駅名が画面に出るがその時のレタリングもかわいくてこの手作り感あふれるコンセプトにフィットしていた。


あ、一応言っておくが、実際の九州新幹線開通における功罪、たとえば文化的な荒廃、政治的事情、
人々の経済中心の考え方…などの現実のシビアな話は、このさいまったく横に置いておいてほしい。
沿線で手をふる人々がお祭り騒ぎで浮かれていていい気なものだ。なんて言って怒らないでほしい。
人間の持つパワーの繋がりだけを今回は考えていただきたい。
とにかくこれに関しては【映像】だけを観てほしい。
あの開業記念運転の日、
遥か南の鹿児島からずっと北の博多まで、たとえお祭り騒ぎで浮かれてるとは言え、
みんなの心が一つになったことの奇跡を味わってほしいのだ。

人間の業とも言える快楽へのあくなき追求の行動も、使い方によっては
時として大きな救済を実現できると私は信じている。
あの開業を祝ってはしゃぐ彼らの中に
私には遠くで起こっている人々の悲しみにも応じ得る慈悲の心や団結もしっかり見えるのだ。


私の息子も含め、映像を志す若いみなさん、これはあなたたち必見のCM。
今後10年はCM作家は誰もこのダイナミックなCMを超えられないかもしれない…。
そんな壮大な作品だと思う。

ちなみに、このCM、数日前に
カンヌ国際広告祭のアウトドア部門で金賞、メディア部門で銀賞を受賞したらしい。

賞を貰ったからと言ってこのCMを今紹介したわけではないことは当たり前。
私はそんな甘くない。


そういえば寅も九州はほんとにいっぱい旅をした。もともと暖かい九州は大好き。
旅した場所としては一番多いと言ってもいいだろう。
このCMの出発地鹿児島も、薩摩半島を中心にかなりのロケ地がある。
もちろん奄美大島も鹿児島県。
宮崎も大分も熊本も長崎も佐賀も福岡も7つの県全てで寅は印象深い濃厚な旅を繰り広げているのは
ご承知の通り。
そして、寅は、これまたご存知の通り【新幹線】なるものが嫌いなので、
ひょっとして今回紹介しているこのCMは、寅にはまったく無縁なしろものかもしれない。
彼はいつだって在来線の鈍行。

寅の旅した九州の場所でぜひ行ってみたいと思っているのが、第14作「子守唄」で
ふと立ち寄ったあの佐賀県にある呼子港だ。(現・唐津市)
あの春川ますみさんとのアンパンのシーンは忘れられない名シーンだった。
あのシーンを追いかけていつの日か呼子の港で佇んでみたいと思っている。

「ここで踊ってんのかい?」

「こんな景色のいいとこまで来て、
暗かところで女の裸観てどこがよかすかねェ」


「フフ…別に裸を観るわけじゃねえよ。
姐さんの芸を観に来たと思えば腹もたたねえだろう」


「フフ…兄さん、よかこと言ってくれるね」

「そうか」


アンパンを食べながら遠くの海を見つめる春川さんますみさんと寅。
そしてラストで赤ん坊を背負って、渡し舟で寅と再会する時のあの春川ますみさん。
それらのやり取りをまた観たくて、この作品を何度も観てしまう。
だから、私には寅がラストで、もう一度彼女に、そして赤ん坊に会いに行く気持ちが凄く分かる。
もちろん十朱幸代さんの若々しい屈託のない笑顔も魅力的なのだが、
やはりそれ以上に、美人女優でもマドンナでも何でもないが、
しみじみと春川ますみさんがいいのである。
どこかでリリーの寂しさと通じる部分があるのかもしれない。実に味わいのある役者さんだ。

あ、そうそうとらやのみなさんも九州旅行をしていたなあ〜。
さくらにいたっては2回も九州に来ているのだ。

ちょっと話がそれたが



それではお待たせしました。ご覧ください↓「
九州新幹線全線開通記念CM 特別編」です。

必ず780pの最高画質&全画面に拡大して観てくださいね。









ではまた次回(^^)









     「君の知らない柴又を見せたい」

    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






    

                                雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







【柴又日記】 その29 金町全ロケ地めぐり 地図つき

リリー怒りの鉄拳から満男の自転車泥棒まで ― 柴又界隈拾遺集

2011年6月16日  寅次郎な日々 その493




地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



柴又に住んでいて買い物と言えば実は柴又では不十分。
高砂は柴又とそう変わらない。
やはり常磐線も通っている金町が賑わっている。
芸大に通う息子も上野校の時は京成だが、取手校の時はもちろん金町から常磐線。
だから学校帰りに用事を頼むこともしばしば。

私も時間があれば金町へ行く。
ついでに中央図書館で本を借りたりもする。

金町の中央図書館は新しく大きくそれは使い勝手がいい。
本の数、システム、サービス、施設、全て申し分無い。
自宅から自転車で10分というのも嬉しい。

特にサービスは東銀座にある松竹の図書館に負けないくらい素晴らしい。
どんな質問や疑問にも一生懸命に答え、そして最後まで手伝ってくれる。

で、そういう意味で金町に行くたびにデジカメで現場を写してはいた。
それゆえ、もうずいぶん前に金町ロケ地めぐりは終わらせていたが、
なかなかここ1ヶ月以上その時々の旬の話題が続き、
アップする余白の時間が無かったのだ。

金町ロケでちょっと厄介だったのは、第18作の文房具の啖呵バイの場所だったが、
ここは地元の強みで、商店街の人に聞いたらあっという間に解決。


全部回るにはやや時間がかかったので、
何日間かに分けてめぐったが、結構当事の面影が残っている場所もあった。


とにかく、金町は初期から晩期までロケ地の宝庫だ。
お隣だということ、そして常磐線が走っていることもあって街が賑やかで絵になるので
ロケが頻繁に行われたということだ。

あの原田由紀ちゃんのボーイフレンドもウィーンのマダムも金町出身。

同じお隣でも反対側の高砂はロケはゼロ。話題にも出てこない。
あそこはどちらかというと住宅街。


ここから本題


さて金町ロケを簡単に箇条書きして行くとこうである↓

柴又街道から順番に北上して行こう。



第15作「相合い傘」リリーを待つ柴又6丁目バス停

第46作「縁談」博が朝日印刷のライトバンでとらやに戻ってくるところ。柴又八幡神社前

第48作「紅の花」寅とリリーの旅立ちと三平ちゃんエイトマンの走り

第43作「休日」満男の裏切りと柴又街道自転車急ぎ漕ぎ

第2作「続男はつらいよ」 金町中央病院

第16作「葛飾立志編」寅の啖呵バイ 金町すずらん通り

第8作「恋歌」」寅の啖呵バイ 金町

第8作「恋歌」寅の啖呵バイ 金町

第9「柴又慕情」の駅前の林不動産

第20作「頑張れ!」 金町ルノアール横 東金町

第43作「休日」満男の電話と自転車無断拝借


地図で表すとこうである。↓


      
      



      金町駅前エリア↓

      





さて、まずは柴又街道の柴又6丁目バス停から。


柴又街道のバス停がスクリーンに映る。映画では第17作でちらっと「柴又帝釈天」のバス停が
映るが、これはあまりにも参道に近いので当たり前の場所。
もう一つある。金町から行くと「柴又帝釈天」の次のバス停。「柴又6丁目」だ。
もっとも映画では「柴又3丁目」とさくらが言っていた。実際は「柴又6丁目」

第15作「相合い傘」でリリーが酔っ払いに怒りの鉄拳をぶつけたあのシーンだ。
ここはちょうど参道からほんの少し南、交番のそばである。
ここはもろ柴又で、金町ではないが、一応柴又街道なのでここを出発点とする。


棲家を失ったリリーを一晩アパートに泊めてやるさくら。
このバス停、実は松竹スタッフが作ったもの。
実際のバス停はもう少し南(50メートル先)にある。
この作られたバス停の前にある洋服店の人に当事のことを伺った。
なんとこの洋服店でスタッフキャストが休憩しながら長い時間をかけて偽のバス停を作り
バスが来るたびにリハーサルを何度もし、ようやく本番撮影したそうだ。


    



さくらが待つ向こうに柴又郵便局が見える。
これで私はロケがここだとわかったのだ。


    





同じような時刻、さくらが立っていた場所から撮影。
郵便局の建物は建て替えられているが小物たちは今も同じ!
この道は私が夕飯の野菜などを買うスーパーがあるルート。
ほぼ毎日通る。


    





バスを下りてどこへ行ったかは不明だったが、次のシーンをよく見ることで解明!
下の↓画像をよく見ていただきたい。
酔っ払い客の背後になんとあの柴又郵便局がわずかに見えるではないか!。


    




つまりさくらたちはバス停から
すぐに右に曲がったのだ。つまり土手の方へ歩いていった。
(当事さくらのアパートは柴又駅線路近く(4丁目)なので本当はまったくの間逆^^;)


    






で二人が角の洋服店横を歩いていると、


    



    





そのすぐ横で


すぐに酔っ払いにからまれる。
この時表札「イシハラ」がうっすら見える↓


    





    




なんと今もある!


    






この表札を過ぎた瞬間に男がさくらに抱きつくのだ。
そしてご存知リリーの怒りの鉄拳!

(*▼▼)=
)`ν°)


    


リリーの背後にトタンが貼ってある店が見える。

それがこの店↓

なんと理容店だったのだ。

お店は当事とほとんど変わっていなかった。
あのトタンもかなり錆びてはいるが健在(^^)

これでようやく誰も落とせなかった難関不落だったあの第15作でのリリーのビンタの場所が
この時解明されたのだ。

柴又街道郵便局向かいから東にたった30メートルほど。


   




ドアの様子も当事と同じ

   




さっそく理容店の方に聞いてみる。
ご主人ははっきりそのロケを覚えていらっしゃって
夜のまだ浅いうちにこの店を撮影のために閉めてほしいと頼まれたそうだ。
浅丘ルリ子さんがちょうどこの店の前で酔っ払い男にビンタしたんですよ。って伝えると
驚いていらっしゃった。
このお店はそれからもずっと外も中も模様替えをすることなくやってこられたそうだ。


      





ビンタをした後、リリーとさくらは急いでその場を立ち去り角を曲がる。
その角には映画では「佐藤」という家が映っていた。
理容店のご主人が「佐藤さんなら、今もその角に住んでいるよ」っておっしゃられた。

これで全部決まったな…


      




現在の曲がり角(佐藤さんの家)。向かいのアパートは白い家に変わっていた。
柴又街道から東に約70メートルほど。


      



リリー怒りの鉄拳ロケ地を後にして、

さて、柴又街道に70メートル戻ろう。





柴又街道を金町方向に歩いて行く。すぐに田中家とえびす家が見えてくる。
ここは当然帝釈天参道が左右に横切っているのでもう数え切れないほどのロケだらけ。

それゆえここは無視。


で、えびす家を過ぎて柴又街道を金町の方へどんどん歩くと1分以内に左に踏み切りが見える。


その柴又街道横踏み切りの向こうに【柴又八幡宮】がある。

柴又八幡神社境内の古墳埴輪がたくさん見つかった場所だ。あの寅の顔をした顔で有名



      




その「柴又八幡宮」を朝日印刷のライトバンに乗った博が、通過する。
第46作「寅次郎の縁談」で、博が寅を東京駅に送ったあと戻ってきたシーンだ。



      




今もほとんど同じ風景。


    




映画では、えびす家の看板を曲がって行く。


    




今もまったく同じ看板がある!


    




実は…この看板を曲がっても、参道のとらやとは関係がない道。かえって遠回り((^^;)


では次行きましょう。


柴又街道に戻って…


金町方面へもう数十秒歩くと、あのタクシーに乗った寅とリリーの場所にたどり着く。

第48作「紅の花」の名シーン。


      

      


      



タクシーは映画ではかなり長く走った後に止まったのに、実はあの出発点の「だるまや」さん前から
徒歩でたったの3分程度。車でなら5秒以内(^^;)

だからかばん持ってツッカケ履いた三平ちゃんが走って追いつけるのだ。


次行きましょう。


そこから、柴又街道を金町に歩いていくと、第43作「休日」で満男が友人の自転車を
無断拝借したあと泉ちゃんが待つ自宅までの風景がいろいろ見つかるのだ。






この黒い鉄の囲いはおなじみ金町水道局。ここの敷地は広い広い!


      



      








どさん子チェーン本部」の倉庫も今も健在。


      



      





もうすぐ水戸街道ってあたりの線路脇↓
線路横の家々も残っているものも結構ある。
シリーズ晩期のロケなので残っているのは当たり前か(^^;)


      



      





金町にかなり近づいてきたあたりで、水戸街道をちょっと左(西)に曲がってみる。
しばらく歩き続ける。歩くこと約5分。

新宿(にいじゅく)郵便局がドーンと見えてくる。
その大きな郵便局の裏が「金町中央郵便局」である。
第2作で寅が胃痙攣で救急車で運ばれ緊急入院するあの病院である。


      





ちょうど5月に息子が熱を出して2日寝込んだので、
この「金町中央病院」で偶然検査してもらった、個人的にも思い出の病院でもある。
もちろん藤村医師はいなかったし、谷よしのさんもいなかった。(^^;)ゞ


      






さて、病院ロケめぐり^^;も終わり、いよいよ金町の街中に入っていった。


まずは柴又よりにある「京成金町駅」近くのロケ。


第16作「葛飾立志編」に出てくるすずらん通り」という通りは今はもうない。


      



金町の商店街の老舗のご主人に「すずらん通り」を聞くと、
京成駅前の今の図書館がある通りが昔そう呼ばれていたということ。
駅そばから斜めに走る小道もある。
そういう気持ちで見てみると、呆れるくらいすぐ見つかった。
あの啖呵バイのロケ地はまさにその斜めの小道だったのだ。
ポイントは「
島村小物店」当事から映画の中で映っていたのだ。






シマムラ(島村)小物店の文字


      






中央図書館前の花屋さんで聞くと、ちょうど目の前で啖呵バイの撮影が
あったことをなんとか覚えていらっしゃった。
このカメラの位置が、なんと花屋さんの店だったらしい。

     




ということで、この角が寅が学生服を着て、文房具を売っていた小道↓

同じような位置で今も向こうに見える島村小物店


      






息子が立っている位置が寅が立っていたピンポイントの場所。


      



      

      




さて今度は駅向こうJR(旧国鉄)金町駅に行ってみよう。




この画像↓は第8作「恋歌」の一場面。
当事からすでに「東急ストア」はあった。
左に見える茶色いビルは今も健在。


      




      





で、カメラは手前に移って、現在の「タカラブネ」の横、自転車置き場近くで寅は本の啖呵バイ。
ロークの貴子さんの借金のことが重くのしかかり商売が空回り。
おまけに警察官に許可証を見せろと言われて、場所を移動。


      



      




どこに移動したかというと、すぐ斜め向こうの東急ストアの横、現在の銀座アスター前。
しかし貴子さんの借金のことが依然重く心にあるのでバイはやはり空回り。
おまけにまたもや警察官に絡まれ、すごすご退散。


      





茶色のタイルなどは今もまったく同じ


      





ちょっと、とってかえして、
駅前の先ほどのタカラブネを曲がったらすぐに第9作「柴又慕情」で
出てきた「林不動産」だ。
寅は下宿人を入れようとしたとらやの面々に腹を立て、林不動産に行くが、体よく断られてしまう。


     




当事のことを知る社長夫人さんがいらっしゃったので、お話を聞く。
撮影は外からだけだったのだが、大船セットを作るために写真やスケッチを
入念にされたとおっしゃっていた。2度ほど美術さんが来られたようだった。


     





そこから歩いてほんの十秒ほどで、第43作「休日」のロケ地がある。
↑にも自転車に乗る満男のロケ地を紹介したがまさにそのシーン。

正月、家に泉ちゃんが来ていることを知った満男が、急遽、新年会を取りやめて
友人岡部の自転車をパクッて柴又まで漕いで行く。


     



     




自動販売機があった場所は、現在喫茶店になっている。
ちょうど、第8作でとらが啖呵バイをしていたビル(現在の銀座アスター)が道向こうに見える。


     




で、今度は、この自動販売機がかつてあった曲がり角の
一つ手前を入っていくとおなじみ喫茶店「ルノアール」がある。

このルノアールは第20作「頑張れ!」で寅が易のバイをしていたところ。


     




現在「ルノアール」の横は私が時々本を買う本屋さんになっている。


     



と、まあ、こんなところですね。

源ちゃんが第16作「葛飾立志編」で寅に言っていた
金町の「ハワイ」というキャバレーは無かった((((^^;)
もう潰れたのか、もともと架空のものなのかは恥ずかしくて地元の人に聞けなかった((^^;)ゞ




それではもう一度下の地図で確認してくださいね。



     
     





     



寅さん世界の柴又周辺マップと合わせてごらんください。↓


保存版 寅さん世界の柴又周辺マップ 柴又の住人たちの家



      










今日はこれでお開きということで(^^)








     「君の知らない柴又を見せたい」

    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO(宮嶋龍太郎)


構成 .編集 :    RYOTARO(宮嶋龍太郎)






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






    

                                
雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 その 28 寅さん記念館絵画展 2つのエピソード
  
2011年6月6日  寅次郎な日々 その492





この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。




先先週の日曜日から寅さん記念館の1階休憩室で
「寅さんがいる風景 吉川孝昭絵画展」を開催していた。

ほんとうにいろいろな方にお越し頂いて感謝以外のなにものでもない。

いろいろな出会いがあったことが何よりもの収穫だった。

私の古くからの親友たち。
本当にお世話になっているコレクターの方たち。
駒込中学校時代の懐かしい教え子たち。
とても大事な寅さん仲間たち。
尊敬する画家の大先輩の菊地さんご夫妻。
銀座の大きな永井画廊のオーナーさん。
寅さんの関係者さん、松竹関係者さん。
区長さん、柴又で知り合った応援してくださる方々。
5回も来てくれた同級生カップル。
ちいさなかわいい友人の吉野少年。

他いろんな方が来られた。

会期は5月29日で終わったが、館長さんのご厚意で一週間長く飾らせていただいた。
30日以降平日は用事があり会場にはこれなかったが、土日はお昼だけは詰めようと思った。

なんと、その日は
2年半ぶりに用事で記念館に来られた山田洋次監督と初めて少しだけおしゃべりできた。
あの日、山田監督はもちろん絵を観に来られたのではない^^;
私の友人でもある寅さん少年の吉野秀尋(ほつね)君にトランクをプレゼントしに
来られたのだった。展覧会場で吉野君といろいろ話しながらも私ともほんの少し話をしてくれた。



また、搬出の日の今日、あの寅さんの演芸で有名な野口よういちさんと一緒に
寅さんについての数々のすぐれた記事を書かれて来た朝日新聞社の小泉信一さんが電話を下さり
ご来場してくださった。キップのいい野口さんがひと肌脱いで紹介してくださったのだ。

小泉さんとは、会うなり意気投合。
ここでは書けない面白い取材裏話や新しい情報などをいろいろお聞きできた。
大きな病気が回復されたばかりだったが、とても気さくで話が次々に盛り上がって行った。


このほか会期中も含めると、私を知る数々の来訪者さんがわざわざ絵を観に、会いに来てくださった。

もちろん記念館に来られた飛込みのお客さんもそれはもうたくさん!
写真を撮れなかった方々や取り忘れた方々もたくさんいた。ごめんなさい。


それらの私をわざわざ訪ねてくださった方々の中でここではネットの都合上
ほんの一部の方を紹介します。



それではわざわざ遠路来てくださった方々の思い出の写真をどうぞ。







      私のかけがえのない古くからの親友たち。


      







       遠くから来てくださった大コレクターの方達。いつもほんとうにありがとうございます。


       





       モデルになっていただいた植村住職さんのお嬢さん。


       





       私の心の師匠であり大先輩の画家、菊地さん夫妻。


       





       今最も旬な銀座の画廊である「永井画廊」のオーナーである永井さん。


       





       今回5回も来て、ずっと絵を観てくれたカップルのお二人 彰君と裕美さん。うれしかった…

       





       朝日新聞社の寅さん記事で有名な小泉信一さんと、
       寅さん芸人さんの野口よういちさんも遠路やって来てくれた。
       小泉さんは現在継続して発売されているあの寅さんDVDマガジンの
       執筆者さんでもある。

       





       小泉さんや野口さんとはリラックスして何でもしゃべりいろいろ面白かった。

       





       寅仲間の大先輩ライムさん(右)とおなじみ寅マニアの鬼才寅福さん。


       




      大の寅さんファンである演奏家のらびおさんも遠くからやって来てくださった。
      彼の「リリーのテーマ」は泣ける。

      (そして私の寅さん仲間の大先輩であるTさん(HNはKさん)も来てくださった。顔はシークレット^^;)

      





      寅さんへの熱い想いをいつもお持ちの上岡さん。彼とも長いお付き合いです。

      





      大切な寅さん仲間、ご近所の東スポさん。いつもいつもありがとうございます。

      





      区長さんもいろいろ観てくださいました。

      






      いぶし銀の輝き、カルトQ出演の栗原さんご夫妻。遠いところありがとうございました。

      





      駒込中学校教師時代の教え子たち。おまえら変わってねえなあ〜〜。

      





      柴又慕情が取り持つご縁。写真家のFさん(左)と大先輩のKさん。

      






      かつしかFMの綾見さんと、寅さんがほんとうに好きな私のちっちゃな友人吉野秀尋(ほつね)君。
      吉野君は会期中何度も来てくれた。彼とは真剣に映画作品を語り合った。
      彼は凄いレベル(ま、たぶん誰も信じないだろうけどね)

      






      山田監督が突然会場にやって来た。これはびっくり!
      もちろん、当たり前だが、私の絵を観に来たわけではない^^;。
      スタッフからうわさを聞いて吉野君に会いに来た。なんとミニトランクをプレゼント。

      

      

      吉野君と山田監督のツーショットビデオ撮影後、ちょっと私たちとも歓談。まさに至福でした^^

      



      私が「こんな間近でお会いできて夢のようです」と言うと照れて微笑んでおられました。

      




みなさん遠路はるばるほんとうにありがとうございました。



このあと、北陸への県外出張で柴又を留守にします。
6月13日にまた戻ってきます。次回更新はその頃です。









     「君の知らない柴又を見せたい」

    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO


構成 .編集 :    RYOTARO






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






お知らせ】

5月20日(金)から29日(日)までの展覧会について

5月22日(日)の展示について。
22日(日)午前中からお昼までは
何か葛飾区の記念式典が展覧会場である休憩室で行われますので、
22日(日)だけは終日この写真の短いほうの辺↓の壁が式の幕で隠れます。
それゆえ22日(日)だけは展覧会場の展示スペースが減ります。ご了承ください。

もちろん絵自体は事前に一方の長い辺の壁に移動させますので22日も絵の数はおそらく減りません。



寅さん記念館の案内HP↓

http://www.katsushika-kanko.com/tora/news/post-187/






このたびの災害のことや仕事、100万アクセス企画等のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか5月中に今度こそ完成させます。








       

       
撮影:RYOTARO








    

                                
雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 その 27 寅さん記念館絵画展 2つの柴又慕情
  
2011年5月26日  寅次郎な日々 その491

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。




先週の日曜日から寅さん記念館の1階休憩室で
「寅さんがいる風景 吉川孝昭絵画展」を開催している。29日まで。

ほんとうにいろいろな方にお越し頂いて感謝以外のなにものでもない。

会期も半ばを過ぎたがいろいろな出会いがあったことが何よりもの収穫だった。
寅さんの関係者、松竹関係者、コレクターの方たち、区長さん、他いろんな方が来られた。


で、昨日25日も平日にもかかわらずいろんな方が来られたが、
柴又に引っ越した当初からいろいろな面で応援していただいている小山さんは、
夕方になると毎日のように様子を見に来てくださる。お客さんを連れてきて下さる時もある。
小山さんは葛飾区の福祉関係のNPOの代表さんだが、
お忙しい身でありながらとても気さくで、心配りも厚く、今回の個展のアイデアも小山さんが
提案してくださり、館長さんに私を紹介してくださったのだ。


その小山さんの紹介で、先日も柴又にお住まいの写真家Fさんと知り合いにならせていただいた。
この展覧会にももう何度か会場に来られ、いろいろ貴重なお話を聞かせていただいている。
昨日は、見せたいものがあるということで、第9作「柴又慕情」に関するあるものを持ってこられた。

Fさんは、もう何十年も柴又にお住まいで、柴又慕情の江戸川ロケの時に
なんとスタッフにまぎれて奇跡的に渥美さんと吉永さんの至近距離で1枚だけ撮影されていたのだ。

彼は歌子ちゃんが、シロツメ草のかんむりを寅にかぶせてもらっているあの美しい場面を
間近で見て、シャッターを切られた。
本番の前のリハーサルか、そのあとのスチール写真作りか、だったらしいが、
もうかなり間近で、それゆえまったくズームなしでこの奇跡の写真を撮ることができたそうだ。
普通は考えられないことで、スタッフからクレームがつくところなのだが、その時は
なにも言われなかったらしい。そういうおおらかな時代だったのかもしれない。

その時の写真がこれ↓

ガラスの上からなので光ってしまっているが、一面のシロツメ草

なんと私にこれをくださったのだ!!

これは嬉しいなんてもんじゃない。

松竹のスチールさんの写真ではなく、プロの写真家さんが撮られた
スーパーレアな作品!なのだ。(もちろんFさんはそのデータを確保されている)

いつもなら、もちろんそんな凄いもの遠慮するのが常の私だが、
この渥美さんの表情、この吉永さんの表情を見てしまうと、
自制心がまったくなくなり、「ありがとうございます!」と言ってしまった。
そらそうですよね。二人のこの眼、この手を見てください↓。なんともいえない美しいショットです。
一面のシロツメ草もなんとも幻想的…。




        



で、その話で盛り上がっていると、
さきほどまで絵をじっくり何度も観てくださっていたお客さんが、私に自己紹介された。
なんと私のこのサイトをいつも見てくださっている方だったのだ。

埼玉から来られた大先輩のKさん。

Kさんは、なんとごく初期の頃からリアルタイムでロケ地をめぐっておられた方だ。
VHSが出始めてからはその映像を元にロケ地めぐりをみなさん頻繁にされるようになったが、
まだ初期の頃は映画館でしかこの作品たちを見ることが出来なかった。
ましてやインターネットなんてかけらもない頃だ。
そんな頃に頻繁にいち早くロケ地めぐりをされていたKさんは、私などよりもずっと筋金が入った
ファンさんだ。

そんなKさんが、今回持って来てくださったのが、なんと同じ「柴又慕情」で使われたあの福井県の
京福電鉄 永平寺線 京善駅すぐ前の「戸枝屋」だ。

ここは、柴又慕情のポスターにも使われたのでみなさんはとても印象深く覚えていらっしゃる店なのだが、
私達がその場所に注目した頃にはすでに京善駅の前からはあの味のある姿を消して更地になってしまった
幻の店だった。
昔聞いたところによると、あの撮影のあと、ほんの数年で壊されたそうだ。

ところがKさんは、なんとなんと早くも公開中に福井県永平寺近くのこのロケ地まで行かれたのだ!
当事弱冠20歳のKさんの行動力は凄い。

それで、その時の貴重なお写真を持ってきてくださった。それがこれ↓

まさしく「戸枝屋」!映画のまま!
もちろん映画のスポンサーの「ペプシ」はなく、本当は「コカコーラ」看板がこのように貼られている。
映っている青年が若き日の大先輩のKさん。


       



本編ではこのように↓ペプシがスポンサーのため、戸枝屋の看板の上の『コカコーラ』が外れている。

       



映画では「きょうぜん」の文字が見えるので、駅舎も兼ねた茶店だったのかもしれない

       



戸枝屋のすぐ前に、もうホームが見える。やっぱりまさにここは駅舎。

       


その後もKさんは、時間を見つけては、北海道から九州まで、コツコツとロケ地を
めぐられているのだ。

播州龍野や備中高梁などの「聖地」もしっかり行かれている。
まさにロケ地めぐりのパイオニア。

ほんと世の中には凄い方がいらっしゃる。


それにしても、ほぼ同時にお二人の方がやって来られて、お二方とも
「柴又慕情」関係の資料を私に見せられたなんて、ほんと信じられない凄い偶然!


というわけで3人で記念写真(^^)ヾ


向かって左が写真家のFさん。
私を挟んで右が寅さんファン大先輩のKさん。


        









        






また次回(^^)



あ、Kさん、これを読まれましたらメールください。
記念写真のデータを送らせていただきます!







     「君の知らない柴又を見せたい」

    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO


構成 .編集 :    RYOTARO






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






お知らせ】

5月20日(金)から29日(日)までの展覧会について

5月22日(日)の展示について。
22日(日)午前中からお昼までは
何か葛飾区の記念式典が展覧会場である休憩室で行われますので、
22日(日)だけは終日この写真の短いほうの辺↓の壁が式の幕で隠れます。
それゆえ22日(日)だけは展覧会場の展示スペースが減ります。ご了承ください。

もちろん絵自体は事前に一方の長い辺の壁に移動させますので22日も絵の数はおそらく減りません。



寅さん記念館の案内HP↓

http://www.katsushika-kanko.com/tora/news/post-187/






このたびの災害のことや仕事、100万アクセス企画等のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか5月中に今度こそ完成させます。








       

       
撮影:RYOTARO








    

                                雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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    お気楽コラム   寅次郎な日々  
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【柴又日記】 その 26 100万アクセス記念

イメージ映像 『 君の知らない柴又を見せたい 』
  
2011年5月8日  寅次郎な日々 その490

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。







100万アクセス記念の「柴又イメージ映像」が本日一応の完成となったので、今日からしばらくの間貼り付けます。

昨年12月中旬から柴又に滞在して約5ヶ月。

冬の柴又
雪の柴又
早春の柴又
雨の柴又
春の柴又
新緑の柴又
夜の柴又

などを私と息子が完全オリジナル取材。

約70〜80個以上のオリジナル準ハイビジョン動画を撮り、その中から
感覚のおもむくままに、時にはランダムに、時にはやや秩序付けながら構成し、編集した6分28秒の映像だ。

正直未熟な部分も多々あるが、今回は息子が中心に構成し、編集した。
なるべく私は口を挟まないようにしたつもり。

結果的に映像は画像を縮小せざるをえなかったが、
それでも画面いっぱいに広げて観ても、耐えうるものにはした。



この映像を観るにあたってお願いがあります。




■まず1つめのお願い。

これはyoutubeで公開したものでありますが、クリアな映像で観ていただくために
720pの解像度で観ていただきたい
もっとも、このサイトのままご高覧いただく限りは自動的にすでに720pだと思います。

あえて、youtube に入り込んで見られる方は『720p』を右下のバーから選択してご高覧頂きたい。
かなり画質が違うからだ。


       




■2つめのお願い。

『720p』を選択したら、今度は動画を『
モニターの全画面いっぱいに広げて
初めから終わりまで観ていただきたい。
空間の味わい方が小さな画面とは格段に違うはずだ。
全画面化にも耐えうる画質にはしてあるので大丈夫だ。






■3つめのお願い。

全部が完全にダウンロードされるまで待ってから、一気に観ていただきたい
ダウンロードと同時に追いかけで観ていくと、やや720pという高解像度なのでどうしても止まり気味になりながら
進んでしまい、私や息子の制作意図が伝わらないのだ。


申し訳ありませんが以上の3つを踏まえてご高覧くだされば、こんな嬉しいことはありません。



それではどうぞ、ご高覧ください↓






    






撮影 :         吉川孝昭  RYOTARO


構成 .編集 :    RYOTARO






今年の11月には、↑の映像に「夏」と「秋」を入れて、再構成し、
四季折々の柴又を表現し、自分たちなりの「完全版」をアップしようと思います。






お知らせ】

5月20日(金)から29日(日)までの展覧会について

5月22日(日)の展示について。
22日(日)午前中からお昼までは
何か葛飾区の記念式典が展覧会場である休憩室で行われますので、
22日(日)だけは終日この写真の短いほうの辺↓の壁が式の幕で隠れます。
それゆえ22日(日)だけは展覧会場の展示スペースが減ります。ご了承ください。

もちろん絵自体は事前に一方の長い辺の壁に移動させますので22日も絵の数はおそらく減りません。



寅さん記念館の案内HP↓

http://www.katsushika-kanko.com/tora/news/post-187/






このたびの災害のことや仕事、100万アクセス企画等のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか5月中に今度こそ完成させます。











       

       
撮影:RYOTARO








    

                                雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       









                        

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO




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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
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Illustration  : RYOTARO
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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 その 25  100万アクセス記念企画のお知らせ  

2011年5月1日  寅次郎な日々 その489

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。





寅さん記念館の『吉川孝昭絵画展』案内HP↓

http://www.katsushika-kanko.com/tora/news/post-187/




東京はいよいよ新緑の時期を向かえている。

そして私が一旦東京を離れる時期も近づいてきた。
6月以降はまず北陸でいくつもの展覧会をこなし、夏はバリに仕事に行く。
そしてようやく10月中旬からまた柴又でしばらく…たぶん冬まで暮らす。

で、その前にちょっと楽しみがある。

5月20日(金)から29日(日)まで行われる「寅さん記念館1階休憩室」における私の小さな展覧会があるのだ。

北陸での展覧会は生業そのもので、なかなかきついものがあるが、このたびの「寅さん記念館」での
絵画展は葛飾区と地域文化活性団体が共同で企画してくれた展覧会なので、販売とは直接は関係なく
一応は『展示』だけが中心になる。
つまりひたすら絵を観ていただくための展覧会なのだ。

こんな純粋に楽しみとしてできる展覧会は何年ぶりだろうか。
それも、大好きな葛飾柴又で!しかも大好きな「男はつらいよ」にまつわる館で!

もちろん絵を売るという行為は作家本人もギャラリーもコレクターもそれぞれ本気モードの
それはもうパワー全開の真剣勝負だし、そういう展覧会こそある意味やりがいがある。

しかし、今回のような展示するためだけの展覧会も実に気持ちがいいものだ。
遠い昔の気持ちが蘇って来る。
絵を描き飾るということは、こういうことだったなあ…、と学生時代や教師時代を思い出したりもする。
もちろん今回、そういうこととは関係なく絵の質はしっかり維持しているつもりだ。
絵の点数もF6号から小さな水彩まで約20点は出す。ほとんど新作。


生業の展覧会の場合、このような好きでやっているウェブサイトの中ではお知らせしてこなかった。
生業に一般の読者の方々をつき合わせるわけにはいかないからである。

しかし、このたびの展覧会は上記の理由でお知らせしても支障がない。



と、いうことであえてここでお知らせいたします。

小さな絵の展覧会ですが、お時間がありましたらご来場、ご高覧ください。


5月22日(日)の午前中からお昼までは
何か葛飾区の記念式典が展覧会の休憩室で行われますので、
22日(日)だけは終日この写真の短いほうの辺↓の壁が式幕で隠れます。
それゆえ22日(日)だけは展覧会場の展示スペースが減ります。ご了承ください。

もちろん絵自体は事前に一方の長い辺の壁に移動させますので絵の数は減りません。




寅さん記念館の案内HP↓

http://www.katsushika-kanko.com/tora/news/post-187/


    

    
雨の江戸川風景  不透明水彩





     

     
 雪の江戸川風景  油彩

 








    ■ちなみに5月22日(日)の午前中からお昼までは
     何か葛飾区の記念式典が展覧会の休憩室で行われますので、
     22日だけはこの写真の短いほうの辺↓の壁が式幕で隠れます。
     それゆえ22日(日)だけは展覧会場の展示スペースが減ります。

     もちろん絵は一方の壁に移動させますので絵の数は減りません。



     普段の寅さん記念館1階休憩室

     






       寅さん記念館入り口

            











で、次の話題。↓


それはそうと、もう2週間ほどで100万アクセス(ヒット)になろうとしている。
2004年から始めたこの「男はつらいよ覚え書きノート」も今年で7年目だ。

私のサイトは、皆さんご存知のように決してライトなサイトではなく、とてつもなく長くややこしいサイトだ。
それゆえ、どちらかと言うとディープな寅さんファンの方々に支えられ、励まされてなんとかここまでなんとかやって来られた。
応援の意味をこめた熱い感想メールもいろいろな方から数多く頂いてきた。
今もなお、メールでお付き合いをさせていただいている方々もたくさんいる。
実際にお会いした方々も何人もいる。遠くバリ島でお会いした方もいる。

7年前、かなり気楽に、そして適当に始めたこのサイトが、
多くの方々の心に少しでも留まることができたことは本当に運営者冥利につきる。


そこで100万アクセスを記念して、感謝の気持ちもこめて、ささやかながら、
今まで柴又を取材してきた『動画(準ハイビジョン映像)』を使って、それを編集しながら
象徴化した4〜5分ほどの『柴又イメージ動画』をお見せしようと思う。
もちろん準ハイビジョンのままでは高画質すぎて重く、そのままアップは無理なので、
かなり縮小版にはさせていただく。


冬の柴又
雪の柴又
春の柴又
新緑の柴又

などをやや構成をランダムに象徴的に表現してみた。


現在息子は芸大で映像を学んでいるので、こういう作業は勉強になるはずだ、ということで、
撮影だけでなく、編集も息子に少し手伝ってもらった。


このままいくと5月15日までには100万アクセスに達すると思われる。
なので、そのちょっと前の5月10日ごろに記念の動画を載せたいと思う。



それとは別に「かもめ歌」本編完全番前編も、 北陸へ行く6月始め前になんとかアップしたい。




おわり。











このたびの災害のことや仕事、100万アクセス企画等のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか少しずつ進んでいこうと思います。












       

       
撮影:RYOTARO








    

                                雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       












                        雪の日の寅次郎   RYOTARO作

    


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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 その 24  常総ロケ地めぐり 牛久沼周辺 

牛久沼、板橋不動尊、常総橋、中妻駅舎…そして『つくば寅さん研究会』結成

2011年4月19日  寅次郎な日々 その488

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



東京は桜もすべて散り、今度は新緑が近づいてきた。
もうかなり暖かくなってきたので被災地の皆さんも寒さで苦しめられることは少なくなってきたことだろう。


今後1年間の予定として
5月の「寅さん記念館」での小さな個展が終わったら、東京での委託の仕事は一時息子に任せて
6月からは例年通り富山での展覧会の仕事がみっちり入って、1ヶ月は富山暮らしになる。
その後、7月は3週間ほど東京に戻り仕事、8月はバリ島で染織と制作の仕事。
秋は北陸全体でみっちり展覧会の仕事。
そして10月中旬からまた東京で委託などの仕事となる。
そして年が明けて冬から早春まではじっくりとバリ島で長めの仕事となる。



で、話は変わって、先日の「つくば行き」


先日16日の土曜日は地震に揺られながらもつくば市に行ってきた。


茨城県は、その北部には山地、中央部から南西部には関東平野の一部である常総平野が雄大に広がり,
そのなかを小貝川,鬼怒川が流れ,この両河川を合流して最南端をあの利根川が東流して,太平洋に注ぎ込んでいる。
とにかく常総平野に行ってみると分かるが、土地がどこまでも平たいのだ。
日本屈指の農業地帯として発達してきたことも眼で見ると頷けるのである。
そして南東部は,豊かな水をたたえた霞ケ浦および,北浦を中心とする水郷地帯となっている。


茨城訪問の最大の理由は、
画家としての私を十数年に渡って育てていただいている大コレクターであるY.Iさんにお会いし、
私の絵が飾られている状況を見せていただきたかったのだ。
この話はもう何年も前からあったのだが、今回私が東京に一時的に仮住まいしていることもあって
ようやく実現する運びとなったのだ。

Y.Iさんとは越中八尾で十数年前から毎年お会いしている。
2月末にも柴又に来ていただいて参道や帝釈天を一緒に歩いてくださった。
私は彼が買われた絵がどのように飾られているのかを写真では見せていただいていたが、生ではまだ見ていなかった。

今回彼のお勤めされているつくば市の大きな記念病院に行き、
これまで買ってくださった私の数々の絵をついに生で見せていただいたのである。
小さな水彩から大きな油彩までもうその数は20数枚以上になる。
それもほとんどが私が気に入っている絵なのだから、いかに彼が目利きかその事実だけでも分かっていただけると思う。


お昼にお会いして、まず病院内を一緒にめぐりながら、私の絵の場所を次々に丁寧に紹介してくださった。
とても大きな総合病院なので建物が何棟もあり私たちは病院内をハイキングするように歩き、
嫁いでいった数々の自分の絵に再会させていただいた。
幸いなことにどの絵も状態は良く、変色やひび割れは一切生じていなかった。

特に4年ほど前に買われた油彩12号Fの「踊りの前」は、私が長年手放したくないほど気に入っていた絵なので、
お譲りしようと思った当事は、手塩にかけた一人娘をお嫁に出す時のように後悔し、寂しい思いがしたが、
Y.Iさんならお任せできると思い、断腸の思いでお譲りしたという思い出がある絵だった。

そして、一人娘は色あせることなくみなさんの心を和ませる役目を果たしていたようで、
私も久しぶりの再会に深い感慨が湧いてきた。




       
                                
Y..I さん と 油彩「踊りの前」




そして、そのあと仕事が終わったY.Iさんのご厚意に甘えて、午後から彼の自家用車で、
なんと「寅さんのロケ地めぐり!」に出かけたのだ。

Y.Iさんは、もちろん私が大の「男はつらいよ」のファンだということは前々からとても良くご存知で、今回私のわがままな願いを
快諾してくださり、とてもお忙しい中、時間を作られて一緒にロケ地めぐりをお付き合いしてくださったのだ。

もうこうなったら、いつまでも恐縮している場合ではない。精一杯ロケ地に行くしか無いのだ!

まずは、長年の私の夢であった第34作「真実一路」のふじ子さん家族が住んでいたあの『牛久沼森の里』に直行していただいた。

つくば市(撮影当時は稲敷郡茎崎町)森の里団地 JR牛久駅からバスで約15分。
牛久沼の北辺、東谷田川に面した閑静な住宅地。家にいながら牛久沼の自然が堪能出来る最高のロケーションなのだ。


故郷鹿児島の原風景が忘れられない富永課長は都内の公営団地からこの東京から遠く離れた水郷地帯の牛久沼に家を買い、
引っ越してきたのだった。
そういえば前作第33作「夜霧にむせぶ」であの根暗の福田栄作もこの牛久沼に住んでいると言っていた。
そしてその後の第39作と言い、このあたりの作品で山田監督はしきりにこの常総平野を使いたがっていたのが
なんといなくわかる。


もっとも、この場所はすでに私の寅さん仲間の「風工房さん」や「ちびとらさん」たちも行かれた場所なので、
私なりに下準備もバッチリだった。
そしてY.Iさんも、私のために一週間ほど前になんと一度予習で事前調査をされていたのだ!
Y.Iさんの懐の深い思いやりをこの時は本当にしみじみと感じてしまった。

実は、今回はぜひともふじ子さんのご自宅の方にお話を少しでも伺いたいと密かに思いながら、車を降りて、
二人して森の里の分譲住宅郡を歩いていった。

そしてあるべき場所にバーンとふじ子さんのあの家がまさに現れたのだった。


茨城県つくば市森の里50付近






      



Y.Iさんに寅の位置で写真を撮っていただいた。ふじ子さんの家をバックに寅はたたずんでいた。↓

      





そして、この家に昔からお住まいの T さん(当事中学生だった息子さん) に庭先でお話を伺うことができました。


      

                                                               
(掲載許可済み)


ちょうどロケが行われた1984年の時にお住まいだったのはお父母様と息子さんで、息子さん自体はまだ中学生だったそうだ。
そして現在お父様とお母様は別の場所でお住まいだということ。
それゆえ現在は二代目にあたる息子さんたち家族でお住まいの様子。
あの当事のふじ子さん家族のようにTさんは奥様と小さな息子さんと一緒に暮らされている。

撮影当時は長い時間ロケをして、庭先や縁側で渥美さんや大原さんが休憩していたりしたそうだ。
息子さんは当時中学生で学校の部活動に打ち込んでいたので、ロケの時間は残念ながら撮影を
見る事は出来なかったと残念がっておられた。

もちろん映画本編を見ての通り、このふじ子さんと富永課長の家は、外や庭、玄関手前までがロケで、
玄関の引き戸を開けて見える土間や廊下は大船セットである。
つまり、内部は全て大船セットだったゆえに、カメラは玄関まで入っただけで、家の中では撮影は無かったということ。

ほんとうは、彼のご両親が昔ロケにしっかり立ちあわれているのでいろいろご存知なのだということだった。


あまり長く話しても失礼だと思い、ほどよいところでお礼を言ってふじ子さんの家をおいとました。



玄関の引き戸はほぼ当時のまま。


       






帰り際、ふじ子さんが寅にお守りを手渡す場所。かなり茎崎橋近くの川沿い(沼沿い)でも撮影。↓





ふじ子「寅さん

寅「

ふじ子のテーマが流れる。


ふじ子「あ…すいません、夕べ主人が寅さん寅さんと呼んでいたものですから、つい

寅「どうぞ、寅と呼んでやってください

ふじ子「そう…、じゃあ、寅さん

寅「はい

ふじ子「奥様にどうぞよろしく

寅、にっこり笑って

寅「そういう面倒なものは持ち合わせておりません

ふじ子「あ…ごめんなさい

寅「それじゃ、ごめんなすって

去っていく寅。

もう一度振り返ってお辞儀。

ふじ子「さよなら



     



     







富永課長が朝もやの中自転車を漕いでいた「
茎崎橋」西の方に渡っていったが、
実は、この先は何十分漕いでも鉄道の駅舎は全く無い。
あえて言うなら、現在ならば2005年に開業したつくばエクスプレスの「みらい平駅」が最も近く、
それでも1時間ちょっとほどはかかるのではないだろうか(^^;)

もし橋を渡らないで逆方向(東)に漕いでいくのならなら常磐線の「牛久駅」がある。
それでもかなり遠い。自転車で25分くらいはかかる。

彼は常磐線で東京へ行くはずなのに…自転車で橋を渡っちゃって西へ行く。
いったいどこへ行くのだろうか……((^^;)

板橋不動尊に出発する直前に橋に立ち寄り、富永課長が自転車を漕いでいるシーンを「エア自転車」で
適当〜〜に表現(^^;)↓



     




     




帰り際に、ちょうど偶然にもふじ子さんが利用していた「関東鉄道バス」がやってきた。
そしてちょうどふじ子さんが降り立った『森の里団地バス停』のあたりを通過して行ったのだった。



     



     






あけましておめでとうございます。


不思議な縁で皆様とお知り合いになれたこと、うれしく存じております。

おかげさまで、主人は会社の特別な計らいで退社を免れ、
12月1日付けで土浦勤務となしました。

仕事の忙しさは相変わらずですが、
以前と比べて主人は私の身近に居る人のように思えるのです。

私たちは毎晩のように寅さんの噂話をしています。
寅さん、今どこにいらっしゃるのでしょうか?

私は、寅さんと一緒にした旅をきっと一生忘れません。


下の地図でいうとふじ子さんの家はC



実は…、
映画のラストのナレーションで富永課長と息子さんが楽しそうに釣りをしているところへふじ子さんが自転車で
やって来て写真を撮っているシーンがある。



      



      


ここが似ている↓

    



   





2012年12月13日 緊急報告

どうも、友人の情報によるとあの島ではないようだ。
私も12月12日に現地へ乗り込んでみたが、どうも違う。

島のあり方は似ているが、その背後に見える岸がぜんぜん違う。
3時間もうろうろ歩いて、大勢の人に聞いて、ようやく絞り込んだのがこの地区↓。

もう夕暮れ時が迫っていたのでとりあえず同じアングルだけ撮ってきた。
それが、この下の写真。

明後日12月15日に
Y.Iさんと一緒に再度巡ってすべてを明らかにしたい。





      2012年12月12日撮影
     



     



結局森の里団地から5キロくらい南の場所だと思われる。

詳しいことは12月17日ごろアップします。



     
12月13日追記:Dは本当はもう少し北の稲荷川付近。
     



さて、次は板橋だ。第39作「寅次郎物語」のOPロケ地。

上の地図でいうとBの位置になる。


この橋の道のまま国道46号線を西へ西へと向かって行くと、10分ほどで板橋不動尊が見えてきた。

この寺は第39作「寅次郎物語」のオープニングで出てくるのだが、
当初は誰一人としてその寺が茨城にあるとは思っていなかったのだ。


この難関不落のロケ地探しの模様は当事の寅次郎の日々にも書いた↓

寅の啖呵バイの地  推理日記 そのA   
2006年4月6日「寅次郎な日々」その136 だ。


またお暇な折に読んで見てください。


そもそも第39作「寅次郎物語」は、
寅が名付け親になった「秀吉君」と共にお母さんを探して、大阪、和歌山、吉野、伊勢と
旅を続けるロードムービー。

問題は、映画の出だしで歌とクレジットの間に出てくるあの啖呵バイの場所。
とても美しい大きな楼門や本堂、三重塔がそびえ建っている由緒ありそうな寺でのバイだったので
是非知りたくなって、いつもどおり、本やネットで調べてみたが2006年当時は残念ながらどこにも書いていなかった。

この作品のロケ地はどの本もネットも「和歌山、吉野、伊勢」と書いてある。
だから私もこの寺はそれまではこの3つのうちのどこかだとばかり思っていた。


そして、当事、ここの場所が茨城だと分かるまでにはなかなか一筋縄ではいかなかった。

上にも書いた通り、
一般的には、その作品のメインのマドンナと物語で絡んだロケ地をそのまま啖呵バイの土地に使うことが多い。
したがって上記の和歌山、吉野、伊勢のどこかの可能性がある。特にこのファーストシーンのバイは、ポンシュウと
じん弘さんと一緒なので全くラストと同じメンバーだ。こうなってくるとロケの事情を考えるとラストの伊勢のどこかの寺
かもしれない、と一応は推理した。

しかし、取っ掛かりがない。唯一この寺が
『不動明王』を祭っていることは、寺の前の道ではためいている赤い旗で
分かる。それと楼門と三重塔が重要文化財クラスの立派さなのでおそらくこの地方では観光案内などには乗っている
有名な寺であろうことは分かった。そのあと諦めずにいろいろ粘ったが、どのシーンを見てもやはり取っ掛かりがない。

仕方がないのでもっと『原点』に戻り、それより、ちょっと前のシーン。寅が夢から覚めた直後のローカル線の駅を
執拗に見たが『中○駅』とまでは読めるのだが、この○がイマイチ拡大してもボケていて分からないのだ。

ほとほと困っていると、駅の壁に貼り付けてある『宣伝の看板』に目が留まった。

『長岡洋品店 (2)0202』と何とか読める。 その左には住所が書いてあるのだが『水……』と最初の水という字
しか分からない。ワラをもすがる思いで検索してみると、Yahoo電話帳というサイトの中で『
茨城県常総市水海道宝町』の
長岡洋品店が出てきた。その横に電話番号が書いてあり(22)−0202となっているではないか!なんとこの店は
茨城県水海道(みつかいどう)にあったのだ。
電話番号の書き方から考えて、おそらく寅の寝ていた駅から数駅以内にこの店はあるのではないかと推理した。
つまり
あの大きな寺はおそらく茨城県にある寺だという可能性が強くなってきた。
なんと伊勢や和歌山、吉野じゃなかったのだ!!。
あのオープニングのバイの撮影のために茨城にわざわざ行っているのである。


寅のいた駅はかなりのローカル線で、かつ小さな各駅停車しか止まらないような駅だった。
そこで長岡洋品店のある、水海道の近くのローカルな駅を調べてみた。
そうすると常磐線以外にも『水海道』という駅が『
関東鉄道』というローカル線にもあり、
なんとその2つ手前の駅が『中妻』駅という。もう、この駅しかないって感じだった。茨城の他のローカル駅には『中○駅』は
ないので寅の寝ていた駅は
『中妻』に決定!


そうなると『関東鉄道 中妻駅』から少し電車に乗って降りた後、寅は歩いて「
」を渡り、
その寺へ行こうとしていたので(途中でポンシュウの車を
拾っていたが)寺はさほど遠くではないようだ。
『関東鉄道』沿いの、またはその近くの『不動明王』を祭ってある寺
検索すると、何度か検索を繰り返しはしたが、遂に見つかった。寺の楼門の写真がぴったり一致したのだ。



茨城県伊那町(現在は合併して『つくばみらい市』) 板橋にある 
『清安山願乗寺不動院』 一般には 『板橋不動尊』と呼ばれる。
地元の人は「板橋のお不動さん」と親しみを込めて呼んでいるらしい。

ここは真言宗の寺である。
808(大同3)年に
空海が開山したという古刹。その後、数度にわたり火事などに遭い、16世紀(文禄)頃に
あじゃりが復興した。安産/育児に霊験があらたかとして信仰を集めている。

弘法大師作の不動明王と両童子立像は国の重要文化財。
本堂、楼門、三重塔は県の重要文化財である。三重塔は1996(平成8)年に修復された。


11月28日は 秋の大縁日不動明王お開帳の日なので寅たちはその頃でかけて
いったのかもしれない。 それ以外でも毎月28日は縁日祈願で賑わう。


あの中妻駅の宣伝の看板が無かったら、この寺はなかなか分からなかっただろう。
そして今でも、伊勢のどこかの寺なんだろうなあ…、と勝手に思い込んでいるに違いない。


この話↑が2006年春。




で、話は現在に戻って…



今回このあたりの下見をしてくださったY.Iさんによりますと、
2年ほど前から楼門は補修工事が行われていて見れないそうだ。
実はネットで調べた時もすでに楼門にはカバーがかけられていた。

板橋不動尊に着いてみると、まったくスッポリ大きく隠されてしまっていた。

寅は啖呵バイをサボりながらポンシュウたちと楼門の右横で遊んでいたが、その場所も
このカバーの中にスッポリ隠されてしまっていた。


寺の赤い旗が置いてあるその囲いの中側↓がおそらく寅たちがだべっていた場所だと思われる。


     





ちょうど寅たちがだべっていた楼門横から一直線でまっすぐ本堂前の手水舎(ちょうずや・水屋)に行きつく。


     




     





寅が座っているまっすぐ向こうに手水舎(ちょうずや・水屋)が見える。↓

      


      



      
    







寅がバイをしていたのは楼門のすぐ後ろ。
現在で言うと、↓写真一番手前の、この工事用の鉄の塀あたりだと思われる。


       




この↓写真は他のサイトから拝借したもの。
修復以前の姿がわかる。ちょうど外から楼門をくぐってすぐの石畳沿い右側あたりが
寅がぬいぐるみをバイしていた位置↓

       








一方、寺の外に出ると、まだ本の少し、撮影時の面影を映す家並みが残っていて↓、ほっとしたりもした。
これで見て分かるように、不動尊のシンボルである楼門はすっぱり隠されたまま(TT)

この写真は、ちょっと高羽アングルを意識して撮ってみた。


      




      





      
この三重塔は映画放映のずっと後、平成8年(1996)に修復された。


        




尾垂木の先に竜頭が施され、その迫力ある彫刻群の素地に一部極彩色が使われている。金物も金と豪華な造り。
日光からはるばるやって来た宮大工の棟梁たちの心意気が伝わってくる。


      




      



山田監督もこの寺は気に入ったのだろう。
最後に三重塔をバックに「
山田洋次



この度の大きな震災で灯篭も倒れてしまっていた。悲しい…↓


      




板橋不動尊は
地図でいうとBの場所


つくばみらい市板橋2370




      








さて、板橋不動尊をあとにして
今度は小貝川(こかいがわ)に架かる小さな沈下橋である「
常総橋」に行くことに。

ここへの道は、Y.Iさんと、あそこかここか。。。と、地図で見ながら探していったがやや分かりにくかった。
かなり遠回りをしてしまったものの、板橋不動尊から約20分でなんとか迷いながらもたどり着くことが出来た。


第39作のオープニングで中妻駅ベンチで寝ていた寅が、起きた後、関東常総線に乗り、隣の駅の
北水海道(きたみつかいどう)駅」あたりで降りて、そこから西に歩いて小貝川に架かる「常総橋」を渡って
そこからはまだかなり遠い遥かかなたの「板橋不動尊」までわざわざゆっくり歩いていくシーンがあるのだ。
橋を渡りきったところでポンシュウの車に拾われる。

この常総橋と似た沈下橋がこの川には「大和橋」をはじめ他にもあるので、間違ってしまう人もいるかもしれない。
特に木造のひなびた「小目沼橋」↓などは、ほんとうは寅にぴったりの沈下橋だ。


       
                          
     小目沼橋 



それにしても、この小貝川流域の景色は実に絵になる。
いつの日かもう一度訪れて何枚か絵にしたいと思ってしまったほど美しい水郷地帯だった。

車窓からそんな眺めを見ているうちに、小貝川にたどり着き、そして…


群生する菜の花の向こうに「常総橋」が見えてきた時は、思わず、車を止めていただいて、しばし遠くから眺めてしまった。
護岸工事がおこなわれていないこの川はほんとうに昔からの自然の姿のままだった。河川敷に美しい表情がある。
利根川よりもこの小貝川が私のイメージの「常総」だ。


 





で、いよいよ橋を徒歩で渡ってみると、面白いことに気づいた。
寅は北水海道駅で降りて、東にある板橋不動尊に歩いて行っているはずなのに
なんと撮影的には逆向きに歩いているのだ。
つまり板橋不動尊の方向とは
なのである。↓

向こうに広がる景色が美しかったので、あえて逆向き撮影を選んだのだろうと十分に推測される。



           




Y.Iさんに寅の位置に立っていただいて、撮影してみた。


      







で、寅は、そのまま不動尊とは反対方向へ橋を渡っていくのだった。


           




これもY.I さんにお願いして、寅の顔の向きや雰囲気を真似てもらって、私は川の茂みにまで下りて、茂みの間に立った。
せっかくここまでしていただいたので、この写真は特に高羽アングルを意識して忠実に撮影してみた。

Y.I さんが、おっしゃるには、寅と同じ方向を向いたら、その方角にちょうど筑波山があった。ということだった。
寅は橋を渡りながら遥か向こうの筑波山を眺めていたのかもしれない…。
うーん、壮大なロマンだなあ…。



    






さっそく私も橋に戻って、Y.Iさん同様、寅と同じ位置から同じ方角を眺めてみると、
筑波山がまさにその位置に見えたのだった。


   




で、橋を渡りきった直後に、ポンシュウが乗ったバンに拾われるんだけれども、
これも当然ながら逆方向。

ちょうど上の道に電柱が今も同じように建っていた。




    



電柱を入れて撮影しようとしていると、なんと偶然にも白い車が通ったので、同じような位置に来るまで待って撮影。
ここの場面も、せっかく白い車が通ってくれたので高羽アングルを忠実に再現してみた↓。


    


     


橋の下で釣りをする人。沈んでいる舟がいいねえ。


    




で、現在はこんな感じ。


    



この常総橋の場所は


常総市箕輪町 と つくばみらい市福岡町の間の橋。

地図でいうとAになる。








美しい小貝川の景色を後にして、

最後のロケ地、あの長岡洋品店の看板があった
関東鉄道常総線の「中妻駅」に向かった。

常総市中妻町714−3

地図でいうと@



かつてはこのように鄙びた趣のある駅だったのだが…↓

   




現在は、このように変貌してしまっていた。
もちろん無人駅。



   







寅が寝ていた長岡洋品店の看板は今はあるはずも無く、
あの味わい深い腰掛の木も取り払われていた(TT)

    





現在は、このような緑の椅子に…ああ。。。(TT)


気を取り直して。。。

ちょっとだけ、寅の真似↓  バカ…  ヾ(^^;)おいおい 
Y.Iさんは、バカな事をする私に微笑みながら、しっかり写真を撮ってくださった。



ここでの夢は少年寅がさくらと別れる江戸川土手の夢だったね。
あの夢は結構気に入っている。


「お兄ちゃんー!」

が中妻駅の少女の声に変わって行く。


    





そうこうバカなことをしているうちに(^^;)、関東鉄道常総線の取手行きがやって来た。



電車自体もかなり趣がかわっているが、これも仕方がないこと。
これは
キハ2400形

映画当事、寅は線路を横切り、ホームの向こうに渡って
この『取手行き』に乗りこみ、隣の駅の「北水海道」あたりで下車したのだと思う。


       





1984年 撮影当事はご存知 渋い『キハ800形』



      


関東鉄道キハ800形(キハ803型)

常総筑波鉄道時代の1961(昭和36)年に日本車輛東京支店で新製されたもので、
空気バネ式台車を履いておりキハ504形に似ているが、車長を2m延ばして20mとした。
新製当初、キハ801〜803が常総線に、キハ804・805が筑波線に配置され、
筑波線の2両は国鉄水戸線経由で笠間・小山への乗入れ運転を行っていたが、
1964(昭和39)年に常総線に転属した。また、同年全車セミクロスシートからロングシートに改造された。
常総線で活躍していたが、2扉のままだったこともあって、1993(平成5)年までに全車廃車となった。



       




追記


2024年3月12日

寅友のちびとらさんがこのホームが中妻駅ホームではなく、
隣の『三妻駅ホーム』だと突き止めました。

詳細や物証はまた後日。






そして数々の思い出を胸にロケめぐりは終わり…


その夜は、Y.Iさんの音頭で


つくば寅さん研究会」が結成され、寅さんが大好きなメンバーのみなさんとの会合&親睦会に呼ばれた。


いやあ〜、ここではもうかなりワイワイと盛り上がった。

震災の後、心がなかなか柔らかくならなくてつらい時期が続いていたが、
この日ばかりはまるで寅が一緒に参加してくれていたようにみなさんくつろいで深い寅さん談義に花が咲いていた。
バカで面白い話もたくさんしたし、知的な考察や冷静な分析もした。
なんだか体の中が暖かくなり、血がサラサラに流れていくような時間だった。

う〜ん、それにしても本当に皆さん、
ご自分の歩まれてきた人生に寅さんが深く入り込んでいる筋金入りの寅さん好きでした!(^^)



       




       

この日は午前中の大きな地震から始まり、自分の数々の絵たちとの再会、
Y.I さんとの3時間に渡る常総水郷地帯ロケ地めぐり、
そして茨城県の寅さん仲間との活発で愉快な会合まで、とても密度の濃い一日だった…。






おわり。











このたびの災害のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか少しずつ進んでいこうと思います。












       

       
撮影:RYOTARO








    

                                雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       












                        雪の日の寅次郎   RYOTARO作

    


pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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487

                          

           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 その 23  桜が咲いております。

懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。

2011年4月11日  寅次郎な日々 その487

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。







桜が咲いております。



                   







懐かしい葛飾の桜が
今年も咲いております。




                   
         






思い起こせば20年前
つまらねえことで
おやじと大喧嘩、





頭を血の出るほど

ぶん殴られてそのままプイっと
家(うち)をおん出て、
もう一生帰らねえ覚悟で
おりましたものの、




花の咲く頃になると決まって
思い出すのは、故郷のこと、



ガキの時分ハナタレ仲間を

相手に暴れ回った水元公園や
江戸川の土手や帝釈様の境内の
ことでございました。




                 




                 

風の便りにふた親も秀才の
兄貴も死んじまって、
今、たった一人の妹だけが
生きてることは知っておりましたが、




どうしても帰る気になれず、
今日の今日までこうしてこうして
ごぶさたに打ち過ぎてしまいました。



                    




今、江戸川の土手に立って
生まれ故郷を眺めておりますと、
何やらこの胸の奥がぽっぽと
火照ってくるような気がいたします。

そうです。私の生まれ故郷と
申しますのは葛飾の柴又でございます。





                     
 



全文は以下の通り

 
「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば20年前つまらねえことで
 おやじと大喧嘩、頭を血の出るほどぶん殴られてそのままプイっと家(うち)をおん出て、もう一生帰らねえ覚
 悟でおりましたものの、花の咲く頃になると決まって思い出すのは、故郷のこと、ガキの時分ハナタレ仲間を
 相手に暴れ回った水元公園や江戸川の土手や帝釈様の境内のことでございました。
 風の便りにふた親も秀才の兄貴も死んじまって、今、たった一人の妹だけが生きてることは知っておりました
 が、どうしても帰る気になれず、今日の今日までこうしてこうしてごぶさたに打ち過ぎてしまいました。
 今、江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような
 気がいたします。そうです。私の生まれ故郷と申しますのは葛飾の柴又でございます。」






実は今年の2月末ごろに一度水元公園のそばを通ってはいるが、まだ桜の枝は裸だった。(当たり前)

寅少年のホームグラウンドのひとつが金町の向こうに広がっているこの水元公園だ。
第4作でも水元公園が出てくる。
第1作も第4作もボートに乗っているが、現在はボートは見当たらなかった。
ボート乗り場だけがポツンと残っている。


四月11日桜が8部咲きだというのでちょっと営業帰りに水元公園の桜堤を見に行った。
あいにくの曇り空だったが桜は7〜8分咲きってところだった。




  






あの第1作での木造の橋は当然今はもう無い。

「水元大橋」っていう名前の鉄の橋になっている。



      





      








一方、息子は先日上野公園の夜桜を撮っていたようだ。
彼は映像系をやっているので写真も専門分野である。
感覚をフルに使って本気で撮っているのが分かる。


今、上野公園の桜は見事に満開だそうである。


あまりにも惨い自然の気まぐれは、私たちをなし崩し的に悲嘆の底に落としいれ、
そして、ほぼ同時に自然はまた、別の顔でこの満開の桜のような底知れぬ微笑みも浮かべる。

だからこそ、昔から人々は満開の桜の裏に死の影を見てきたのかもしれない。

言い尽くせないほど憎い自然だが、この美しさにもあらがえるはずもない。
人々は何万年もこの巨大な落差に引き裂かれ突き落とされ、そして救われもしてきたのであろう。

あらためて合掌。






       

       撮影:RYOTARO





       

       撮影:RYOTARO



また次回






このたびの災害のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか少しずつ進んでいこうと思います。












   

                                雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.








                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       












                        雪の日の寅次郎   RYOTARO作

    


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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 その 22  さくらに降り注ぐ桜の花びら


2011年4月2日  寅次郎な日々 その486

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。




地震と原発のことで、ここ2週間はサイトが更新できなかった。
どうにもこうにも気が重かったのである。

そんな気が重いときは金町のいつもの本屋さんに行く。
寅さんDVDマガジンを買ったり、立ち読みしたりする。

先日も読んでいると山田監督の「けっこう毛だらけ」の中でせつないことが書かれてあった。

本編では寅は赤ちゃんの時にとらやに置いていかれたというようなことを
第14作「子守唄」で御前様がおいちゃんたちに回想していたが、
実は、生まれてまもなくなんと参道の軒先に捨てられていたそうだ。

こんな悲しいことはない…。

そんな寅でも育てのお母さんの愛情はもらえたのである。

そうして歳月が経って寅が小学校に入るような年になった時に妹さくらが誕生したのだ。

寅は冬に生まれたそうだが、さくらは桜の花が満開の時にとらやの座敷で生まれた。
そして庭の外から舞って来た桜の花びらがさくらのおでこに降ってきた時…

さくらを抱きながらお母さんは「桜…、さくらにしょうか…」ってつぶやいたそうだ。

なんともさくららしいうららかな春の日のできごとだったんだね。



      

                                                           
     作画  Ryotaro




しかし、その後さくらが小学校に行った時についに寅とはお母さんが違うことを知ってしまい、
さくらは寅を問い詰め、寅とは腹違いの兄妹だということも、
そして寅は生まれてすぐに参道に捨てられていたことも聞いてしまうのだった。

さくらは「お兄ちゃんが可哀相…」と、しくしく泣いてしまったそうだ。

そんなやさしいさくらを見て、寅少年は、この妹を一生護ってやる、と心に誓ったと、いうこと。

しかし、大人になって家出しっぱなしの寅はまったくさくらを護ってやるどころか、ほったらかしだったわけだ。

で、ようやく20年ぶりに故郷柴又に帰ってきた後も、さくらに迷惑ばかりかけ、おいちゃんとは喧嘩し、
そして帰ってきてはすぐまた家を出て行くという繰り返し…。

寅はさくらのことを大事に思ってはいるが、渡世人の業がつきまとう因果な性分だけは治らない。
こういうところは私も因果な性分なので痛いほど分かる。
やっぱり「男はつらいよ」なのだ。



今日もまた、寅次郎はさくらの止めるのも聞かず、雨の中傘もささずに旅立っていくのだった…


   

                                
雨降る江戸川河川敷を旅立つ寅次郎  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.





また次回







このたびの災害のこともあり、
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です。
なんとか少しずつ進んでいこうと思います。







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【柴又日記】その 21 帝釈天にただひたすら祈る


2011年3月15日  寅次郎な日々 その485

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。





私は仕事があり現地には手伝いに赴けないが、
暖房を夜もずっと停止するなど、一昨日から出来る限りギリギリの節電を行ってはいる。



昨日今日と息子の用事で上野に行って来た。

実はここ数日は出来る限り遠出をしたくは無かったが、
息子が美大合格の後、試しに受験した東京藝術大学美術学部の合格発表だったので上野に向かった。
(彼はセンター試験は一応受けておいたのだ)

大きな余震があって柴又に戻れなくなった場合、
離れ離れになったらたいへんだということで連れ合いと相談して、貴重品を持って私も一応上野に付き合った。
10日前に藝大美術学部の1次試験に合格していたので、よくやったねとねぎらいの言葉をかけてやったが、
心の中では、まあここまでで、最終合格は無理だろうと思っていた。



上野公園は暖かく、寒桜が美しく咲いていた。
現在も続いている東北地方での未曾有の非常事態を一瞬忘れてしまいそうな街の姿だった。
歩いている人はさすがにいつもの半分以下だった。



       




幸いにもというか奇跡的にというか、昨日、息子は東京藝術大学美術学部に合格してしまった。
彼は映像系(アニメーション、メディア、写真)なので「先端藝術表現学科」という学科だ。


12月からの強烈なラストスパートがあったとは言え、
やや準備不足だった息子にとって藝大合格は本当に言葉の通り奇跡と言ってもいいだろう。
つい一昨日までは、2月中旬に合格した八王子にある美大の映像系に通わせるつもりで
私はすでに美大の方に入学金も払っていた。
さくらの息子の満男が柴又から遠く八王子の大学へ通ったように息子もそうなるんだろうなあ…と思っていた。

ところがどっこい、今は一転して東京藝大(キャンパスは取手と上野)に通うことになってしまった。
柴又や金町からどちらのキャンパスも35分〜40分くらいだ。
いろんな意味で予定が変わりなんだか妙に不思議な気分だ。

新宿にある彼が講習会を受けた学校の講師の人たち全員に挨拶をして、柴又に戻ってきた。



息子は誰もいない静かな帝釈天にお礼のお参りをしに行くと言って境内に入って行った。

実は、彼は正月に帝釈天でおみくじを引いていた。
おみくじは「末吉」で、まとめの文書が最後に書かれてあった。

『大いなる望みは、苦労かんなんに耐えて待てば、
 よき折を見て、一挙にことをなし得るなり』

まさにその通りになったと息子は感慨深げにつぶやいた。
私としても国立大学なので学費が安くて助かる。(実は…この学費問題は私にとっては切実だったのだ)


彼は帝釈堂の前で手を合わせてずいぶん長い間拝んでいた。
何を思っていたのだろうか。

こうして彼の人生最初の試練はようやく本当に終わりを告げた。

東北関東大地震の2日後に合格発表だった彼は生涯これらの日々を覚えているだろう。


私も今回の地震でおこった災害による多くの犠牲者の方々のご冥福を長い間心よりお祈りした。






       




で、ここからようやく寅ネタなのだが…


昨日の合格発表に続き、今日は入学手続きのためにまたもや上野公園に行ったのだが、
京成電鉄は止まっているので、金町まで歩いて、金町から西日暮里経由で上野に行った。
そして、帰り。
上記のように昨日からいろいろ大変だったので
西日暮里から金町方面に乗ったもののついつい、うとうとし、なんと金町を乗り越してしまった…。
で、次の松戸で乗り換えて金町に戻ってきた。

そういえば、
第13作「恋やつれ」のOPで寅が京成電鉄で高砂を乗り越して国府台まで行ってしまうが
寅も私同様ローカルな夜汽車で島根の温泉津から戻ってきたので疲れきってついうとうとしたんだろう。

それで、京成高砂駅で「京成金町線」に乗り換える所を
そのまま国府台まで行ってしまったわけだ。国府台で下りた後は
千葉県側を江戸川沿いにず〜っと歩いて里見公園の横を通って
『矢切の渡し』まで行き、江戸川を渡って帝釈天に行き、
門に登って提灯付けしている源ちゃんをつかまえて、かばん持ち
させてとらやに到着ということかな。



ちなみにこの派手なおばさんは、テレビ版で寅の産みの親を演じた個性派武智豊子さん。

反対側に寄りかかって今度はおじさんのほうへ。
おじさんにも嫌がられる。こちらも坂東鶴八郎はじめ、ほとんどの作品でおなじみ吉田義夫さん。



       





で、話はもどって
乗り越してしまった私は松戸で降りて、逆に戻り江戸川を再び越えて金町でようやく降りたのだった。

↓の写真は、恥ずかしながら乗り越した松戸から金町に戻る際、窓から見えた江戸川。


       



さきほど、夕方、
金町でラジオの電池(単2)を8個買おうとして町を1時間半彷徨った。
もうどこも売っていなくて、柴又近くの小さな文房具屋さんでようやく8個見つかった。







おわり




複数の仕事の準備で未だ忙しいため
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です(^^;)
それでも一歩一歩進んでいこうと思います。







                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 そのS神保町大雅堂ロケ地めぐりー大屋書房ー



2011年3月12日  寅次郎な日々 その484

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

多くの犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。





大雅堂のオヤジに会うの巻



今から思えばこの大地震の前日、渥美さんの誕生日に
思い出の神保町に仕事で出かけた。

仕事ついでに寄るのはもちろんあの懐かしい「大雅堂」だ。

昨年、ストリートビューを使って見つけた思い出のロケ地なのだ。↓

2010年2月5日 寅次郎な日々 その429

http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi25...


で、ちょうど近くだったので、仕事帰りに寄ってきた。

駿河台の交差点からすぐそば。
三省堂が近くなのであのビルが目印だと思ってください。


さて、映画では寅は山村書店が見える歩道を大雅堂の隣の「八木書店」の前を通って行く。

【↓の全ての写真はクリックで拡大できます】




       




同じようなアングルで撮ってみた。


       




向こうに見える「村山書店」は今も健在。


        



        




で、その横が「大雅堂」である「大屋書房」
映画ではほんの一瞬カメラがそのショーウィンドウを横切りる。
チラッと見える富士山の浮世絵(北斎の赤富士)。


        



        




        





「大雅堂」のロゴが貼ってあったあのドアは今もほぼ同じ。


        



        






「大屋書房」は有名な江戸期の妖怪コレクションはもとより、古地図でも有名。
昨年、ブラタモリでも古地図の専門店として紹介されていた。
美術書も多い。もちろん浮世絵も豊富。

店の前で写真を撮りながら、息子に「大雅堂のオヤジいるかな?」
って話していると、
店の近くの歩道でタバコを吸っていた老紳士が
それを聞いてちょっとニヤって笑っていた。

店に入っていろいろ観ていると、やはり独特の雰囲気があるお店であることが
よくわかった。




        




        
        




        







ちょうどお店の人がどなたも見当たらなかったのを
いいことに、私はレジの近くまで行って

ちょっとメガネを目の下にずらしながら

…あんた、これどどどこで
  

        





と海坊主のオヤジの物真似をしていたら((^^;)
どなたか入ってこられました。
さきほどの微笑んでいた老紳士が入ってこられたではないか。

なんと彼が大屋書房の三代目店主さんの
纐纈(こうけつ)公夫さんだったのです〜〜!

ちょっとお話を伺った。

山田組のスタッフさんたちがロケの前に何度か来られて、
間取りや展示風景の下調べをしていかれたことや、
店内は大船セットだけれど、結構実際の店に似せていたこと、
セットでは奥に目利きの吉田さんが働く部屋が有ったが
実際は昔からそう言う部屋はなかったそうだ。

映画「姑獲鳥の夏」の古書店京極堂のモデルにもなった
お店なので、そのこともお話できた。
あの映画で出てくる京極堂の内部展示や本に付けるタイトルの紙の
書き方を指導したそうだ。



「姑獲鳥の夏」で、登場する「京極堂」の内部は大屋書房そっくり↓

       






       




店内は普段は撮影禁止なのだが、
いろいろお話していくうちに
お写真を撮らせていただいた。
(掲載許可済み)

大雅堂のオヤジは海坊主によく似た大滝さんだったが(^^;)





        





実際の大屋書房の実際の店主さんは
品格のある紳士で、
神田古書店連盟会長も務める
纐纈(こうけつ)公夫さんという。
彼で三代目だそうだ。

本当の店主さんは上品な紳士さんだった↓






        






お礼を言って
店を出ると靖国通りの向こうに東京スカイツリーが見えた。



        






帰りに




ついでに第36作「柴又より愛をこめて」に出てくるニコライ聖堂も一応撮っておいた。



        




        





帰りちょっと寄り道していたら
「神田達磨」の例の「羽根つき薄皮たい焼き」が目に入ったので
食べた。 羽根の食感がパリッとしてよかった。
さっきネットで調べたら結構有名みたい。

羽根が欠けている↓のはかじったあとで撮ったから(^^;)ゞ




         



おわり




複数の仕事の準備で未だ忙しいため
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です(^^;)
それでも一歩一歩進んでいこうと思います。







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sukebe

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【柴又日記】 そのRスケベ医者の住む山下医院探索

ーその最後の決戦ー



2011年3月6日  寅次郎な日々 その483

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



第6作「純情編」のスケベ医者が住む山下医院は
いつまでたっても 誰もわからない柴又でも最も難しい超S級ロケ地だ。

バリにいる時も、
柴又に来てからも、
もうなんどもネットで調べ、現地では住民の方々、
警察、古い地図、古い電話メモ…などなど
探してみたが見つからず。

ひょっとして高砂のあたりか、金町のあたりか…

キャプチャー画像では「帝釈天の庚申の宣伝ポスター」が電柱に貼ってあるので
柴又周辺であるとは思うのだが…



           





山下医院の白い立て札。これはスタッフでも作れる。
どうも実在自体が怪しい。たぶん存在しない。
けれど 電柱の林歯科は本当にありそう。
黒瀬獣医科医院も確実にありそう。




         





柴又に来てからすでに2ヵ月半以上が経ち、
今日こそはこの山下医院、黒瀬獣医科と林歯科にけりをつけるべく
かなりの広範囲で年配の住民の方々に聞いてまわった。 結果は…見つからず。

交番で昔の病院の電話番号と名前を調べてもらったがやはり見つからず…。

2時間半以上ねばったがダメ(TT)


金町にも 高砂にも2つの病院とも存在しない。


何の収穫も無く砂の器の今西刑事のように落胆して自宅に戻り、

一からやり直す。

初心に帰って黒瀬獣医科であらためて検索。

この名前は珍しいのかさほど出てこない。

鎌倉市に1軒ある。

え?あ。。。鎌倉…



鎌倉というと、大船…撮影所。


このパターンはあの第29作「あじさいの恋」で使わた。

寅が「鎌倉どっち」とうろたえながら、朝日印刷へ 入って来て通り抜けていく。
出ていった寅を工場の裏の道まで追いかける博たちのシーンは
実は柴又ではなく なんと大船撮影所の近くだったのだが、
あの巧妙に仕掛けられたカラクリを今まさに思い出した。
あの第29作の衝撃的な事実は2009年6月、常々尊敬する寅友の寅福さんによって
鎌倉市立大船保育園近くの道、鎌倉市大船2丁目10番地だと解明されたのだった。



     








ひょっとして…

いそぎ鎌倉の黒瀬獣医を地図とストリートビューで見て行くと…、
一応はすぐにたどり着いた…。↓

鎌倉市 関谷384−3


     




う〜ん、↑の映画キャプチャーの道とはかなり違うなあ・・・。
町の雰囲気もどうも違う。

思い過ごしかァ…ダメかァ…

と思った時、黒瀬獣医科の看板のレタリングが…。

あれ?

似ている、映画と鎌倉両方の「黒瀬獣医科」
この2つの看板の文字は似ています。
あのちょっと特徴があるレタリングは普通医院にはさほど使わない。




      




しかし、場所が違うような…

でもあの看板はどうも気になる。
同一の職人さんによるものだと思われる。


で、ここで体を張った最後の決戦に出ることにした。

人見知りな私にしては珍しく
鎌倉の黒瀬獣医科医院さんにあつかましくも
いきなり&直接電話したのだ!

これでだめならスケベ医者の山下医院跡探しはお蔵入りになるだろうなって
思いながら受話器を持った。


電話にお出になられたのは当時のお医者さんのお嬢さんだった。

まず自分のことを名乗り、電話をかけた理由を丁寧に説明していると
その方は なんと

「ええ、ええ、そうです。うちの病院が寅さんに映ったそうですよ」

って明るい声でおっしゃった。

私は心の中で「よっしゃあああああ!!!!!」

と叫びながらも、平静を装い、

「ストリートビューで見ますと場所が違うので、
映画の後移転されたんですね」とすぐに尋ねた。

お嬢さんは「そうです。昔は現在地からちょっと離れた場所でした」

と、言って、お母様に確認されながら、地図を持ってこられて
わざわざ正確な番地を教えてくださった。

黒瀬さんご家族も何年もそのこと知らないまま過ごされ
後に、親戚のご家族にそのことを教えてもらい驚いたそうだ。


元の場所、つまりロケ地住所は
鎌倉市岡本2丁目10−16

当事、家の前でロケがあったことをお聞きになって
病院が柴又という設定なのに大船の近くの自分のエリアで撮影されて
いたことにご家族とも驚かれたようだった。(そらそうだ^^;)


いったん電話を切らせていただいて

幸いにもストリートビューであの付近は探せた。

ストリートビューをいじりながら
もう一度あつかましくも同時に黒瀬さんに電話させていただき 、
彼女のおっしゃる通りに道をだどって行った。

そして、その近くに彼女が通った「玉縄小学校の裏門」があると
教えていただき、すぐに見つけた。 ↓




      





その裏門の道を東にまっすぐ歩いて数分で空き地の向こうに
白い建物が見えて来る。
「総合福祉ツクイ鎌倉」という建物。

その建物だったのだ。



      




最初の分かれ道の角にあるその白い建物こそが
あのスケベ医者のいた山下医院跡だった!!。

もちろんあの山下医院はもともと架空の病院で、
実際はまったく普通の家だったそうだ。

山田組の美術さんがあの白い看板を作ったということなんだね。

黒瀬獣医科医院は当然その隣だったということ。



      




あの映画どおりの角度にあえてするとこうなる↓

『あのあたりはすっかり新しい住宅がどんどん建ってしまって
もう面影はほとんどないですね』と
お嬢さんはおっしゃっていた。

あそこの電柱だけが歴史の生き証人なのかもしれない。
電柱の色が真ん中でやや違っているが、
あれは林歯科のポスターが貼ってあった部分かもしれない。



       






       




      



こうして、長く続いた
僕と山下医院との最後の大決戦は終わり
山下医院は陥落し、ピンポイントでの場所が画像的にも 判明したのだった。


それにしても山田組のスタッフさんたちが
帝釈天の庚申のポスターを貼るなんて巧妙なことするもんだから
ものすごい回り道をしてしまった。


ということで、
柴又ではなく 大船撮影所近く、鎌倉市岡本2丁目10−16だったというわけだ。
まんまと日本中のファンをだまし続けたスタッフたちに感服!

そして黒瀬さんのお嬢様はじめご家族様、
本当にご親切にいろいろ教えていただき
ありがとうございました。




おわり




追伸

黒瀬さんのお話によるとあの電柱に貼ってあった林歯科さんも、
ちょっとはなれた大船駅近くのマンションの中で
開業されているそうだ。












                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       








                    
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うーむ、複数の仕事の準備でだんだん忙しくなってきたため
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です(^^;)
それでも2月末にはなんとしても前編をアップしようとは…思います。






                        雪の日の寅次郎   RYOTARO作

    


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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
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【柴又日記】 そのP 雨上りの柴又帝釈天参道


2011年2月22日  寅次郎な日々 その482

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。




雪が降った日以来、天候がやや不安定で、雪はさすがにもう降らないが、今度は雨がちだ。
参道の店の人たちには悪いが、私は雨の日の参道が大好きだ。 

先日も、夕方ごろまでシトシト降った雨は、帝釈天(題経時)の六時の鐘が撞かれる少し前にようやく止んだ。
半日も降ったり止んだりだったので店々の売り上げはさっぱりだったかもしれないが、
私にとっては夕闇迫るころの美しく濡れた石畳が絵心をそそり、ありがたい天候だった。



ここ何回か、スケッチを掲載したら、意外にいろいろな方々から感想をいただき評判がいいので
今回もう一回だけ載せてみようと思う。


もんでんさんの前あたりですばやく鉛筆スケッチを何枚かしたあと、家で着彩。






                         雨上りの夜  ― 帝釈天参道  2011年 スケッチ着彩

      





       


 


雨の柴又参道といえば…、

まず思い出すのは第16作「葛飾立志編」の順子ちゃんからの手紙のシーン。
あの雨のシーンは心がじんわりと温かくなる思い出深い映像だった。


順子のテーマ、ピアノで優しく、静かに流れていく中
えびすやさん付近
を子供たちが傘をさして歩いていく。
あれはやらせでなく、本当に雨が降っていたのかもしれない。







            





とらやの茶の間への上がり口で順子からの手紙を読む寅とさくら。

封筒の裏の住所を寅が見ている。
さくらは、手紙を読んでいる。


この二人の表情がとてもいい。

順子ちゃんへの思い、そしてお雪さんへの想いが台詞なしで見事に表現された
美しいシーンだった。




       





私たちはこういうシーンを見逃してはならないのだ。
ここにこそこの映画の懐がある。
そのあと、順子ちゃんのリクエストに答えて庭に集まりみんなで写真を撮る。
このようなみんなで集合写真を撮るのはこのシーンだけ。
順子ちゃんを思うみんなの気持ちがひとつに現れていた。


       


この帝釈天の雨の風景から順子の手紙の終わりまでの
2分間のささやかな物語が私は大好きだ。
このようなシーンが作れるのは今の日本では山田監督だけだ。
雨上がりのきらきら輝く水の玉のような澄んだ2分間だった。

順子のテーマが優しく、やがて軽やかに、そしてまた最後に優しく流れていく。
葛飾立志篇といえばこの2分間がどうしても思い起こされてしまうのだ。
どうしてこんな、なんでもないシーンにこんなにも胸が熱くなるのだろう。
このあたりに私がこのシリーズに強烈に惹かれる理由が隠されている気がする。



私も、順子ちゃん同様、寅の口から、寅の初恋の人であるお雪さんの話を、じっくりと聞きたい。
寅が十数年間手紙を出し続けたお雪さんのことをもっと知りたいと切に思う。

お雪さんの話は、『男はつらいよ.番外編』として、成り立つくらいの
物語が裏に隠されている気がする。寅が手紙を出し続けた人なのだ。
これは私の動物的カン。
寅の人生を変えてしまうくらいの心の動きがあったんだと思う。

最上雪さん―


どんな人だったんだろう。




      







おわり









                                  帝釈天本堂に上る夕暮れの月

       




                       「雪の帝釈天参道」 2011年2月14日 スケッチ着彩

       






                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       






うーむ、複数の仕事の準備でだんだん忙しくなってきたため
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です(^^;)
それでも2月末にはなんとしても前編をアップしようとは…思います。






                        雪の日の寅次郎   RYOTARO作

    


pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 そのO 哀愁の柴又に雪が降る 


2011年2月17日  寅次郎な日々 その481

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


6日前に少し寒くなったと書いたら、14日の夜は雪だった。

柴又に雪が積もったのは2008年以来らしい。

仕事から帰ってきて、夕飯を作り、片づけをしていたら、どうも外の様子が変…。
台所のドアを開けてバルコニーに出てみようとしたら、出れない。雪でサンダルがうずもれていたからだ。
吹雪のように降っている。


越中八尾と比べればかわいいものだが、それでも絵心が湧く。
ここぞとばかりに、小さな水彩用紙の束と鉛筆消しゴムをコートにしのばせ、デジカメを持ち、外に出ていった。




                      
「雪の帝釈天参道」 2011年2月14日 スケッチ着彩

     






ちょっとその時の様子を下に書いてみる。

すべてがかなりシュールな時間だった。




     






もう10時を過ぎていただろうか。

帝釈天の屋根も参道も店々も真っ白。

何枚かかなり早描きのラフなスケッチをしながら歩く。
ほとんど誰も通らないのでラッキー。

雪がきついので、身動きが取れないが、粘ってがんばる。


     





     





     




そうこうしているうちに10時半過ぎになりますます雪は積もってきた。


部屋に居た息子も外に出てきた。

彼はちょうどこの春から美術大学(映像関係)の入学が決まったばかりなので、
参道でいろいろ前衛的な映像撮影をしていた。
その後、彼はおもむろに、二天門前の郵便ポストの上に何やら『雪の寅さん』を作り出した。

ようやくちょっと個人的な時間の余裕が出来たようだ。
お気楽に、そして楽しそうに作っていた。



      






高木屋さんの前もこのように雪雪…


     





深夜11時ごろ、背後に足音が聞こえた。


同じ7丁目の参道裏に住む、『寅友』のSさんがやって来たのだ。
彼もこの二天門の雪景色をこの目で見に来たのだった。
お互い40分も誰も通らない道の真ん中でいろいろ「男はつらいよ」を語り合いながら帝釈天に降り積もる雪を眺めていた。


     






いったん家に戻って、寝る前にもう一度外に出てみる。

深夜一時過ぎ。
雪は小降りになったいた。

息子が作ったあの「雪の寅さん」は雪が積もって変形していた。

    




ところで、

実は…映画本編でも、参道と二天門の雪景色が映る。ご存知ですか?


答えは、
第39作「寅次郎物語」の夢のシーン。いきなり参道の雪が映る↓立花屋さんもちゃんとある。
もちろん美術さんが作った箱庭的なつくりもの。

    






で、ぐっすり寝たあと、



翌朝8時半、再度スケッチ取材。

日差しも照ってきた。

    









参道も帝釈天も雪は半分以上解けていた。

    





境内の雪もすでにかなり解けていた

    




源ちゃんかな…って思ってしまうようなおじいさんが、道を作っていた。

   




題経寺の庭はまだまだ銀世界だった。

    




参道はみなさん雪かき。石畳ゆえ金属は厳禁。

    




喫茶店ローク(現在は宮川)への道もかなりびちゃびちゃ。

    





駅は屋根だけ雪が残っていた。

     







で、とってかえして ― 

江戸川土手に歩いて行くと…

さすがにまだまだ銀世界。

      





なかなか美しい…。やっぱり川があるといいね。

      





川べりをスケッチして歩く。 ちょっと向こうに見えるのが矢切の渡し。

      




金町取水塔(給水塔)を遥か向こうに望む。真っ白。

      




おそらく朝早く誰かが作った雪だるま。川向こうの黒く見える茂みが千葉県側の矢切の渡し

      




それから家に戻って約6時間仕事。



そして、夕方4時半にもう一度外出。




雪は消え、帝釈天本堂上に夕方の月が見えた。

      








土手に上がると雪は嘘か幻だったかのように見事に消え去っていた。

      







金町取水塔(給水塔)が夕日に照らされオレンジに輝いていた。

      







取水塔のちょうど反対側に↓このように東京スカイツリーがシルエットで見える。

      






ちょっと自転車で走ると、昨日の天気が嘘のように、赤い夕日が今まさに沈まんとしていた。
ほんと激動の24時間だった。

      





おわり










                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       






うーむ、複数の仕事の準備でだんだん忙しくなってきたため
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、未だ停滞気味です(^^;)
それでも2月末にはなんとしても前編をアップしようとは…思います。






                        雪の日の寅次郎   RYOTARO作

    


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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
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Illustration  : RYOTARO
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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
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【柴又日記】 そのNさくらの潜水艦アパート昼と夜、ロケ地めぐり


2011年2月10日  寅次郎な日々 その480

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


最近、は朝ちょっと寒くなったが、それでも日中はさほどでもない。
平日は「矢切の渡し」は休みなので、川沿いまで人があまり来ないので淡彩スケッチがしやすい。
人が多いとわらわら近づいてこられるのでちょっと描きづらいのだ。

で、今日もあちこち描いた。

柴又に越してから、一度も絵をアップしていないので、ここらへんで一枚アップしておきます。


今回は車寅次郎を点景として入れてみた。


寅が柴又から旅立つ時は決まって失恋をしてしまったか
みんなと喧嘩をした時。


冷たい風の吹く中
「矢切の渡し」から旅立ってゆく寅の背中はどこかしら寂しげ。




      
       









さて。。。


話はころっと変わって、↓


先日さくらの潜水艦アパートに行ってみた。
さくらのアパート跡訪問を先日もしてみた。このアパート跡地訪問は柴又に住んでからもう3回目だ。
なんせ駅から徒歩5分なので買い物ついでに立ち寄れるのだ。
昼二回、夜一回。

皆さんご存知のように、
第25作までずっとさくらは博と満男とともにあの潜水艦アパートに住んでいる。
第1作から第25作「寅次郎ハイビスカス」まで住み続けたあのアパート。
前期の名作のなかのさくらは全部あのアパートで生活しているのだ。
名作の中にあのアパートあり!。

で、さくらの潜水艦アパートは以前紹介した通り↓

葛飾区柴又4丁目6付近


にある。



柴又駅から線路沿いに高砂方面に歩いていくと、
途中で左に回らなくてはならない道があり
そこを回ってまた線路に近づくともうすぐ、さくらの「潜水艦アパート」がある。





寅があまりにも狭いので【潜水艦】みたいなアパートと名付けたのだ。

とは言っても実はこのアパートも何度も名前が変わっている。

おそらく設定としては引越していない。
初期の頃は設定がはっきりしないで右往左往するのはよくあること。
でも一応変化を書いておきましょう。



このアパートは名前を3度変えている。



最初の名前は第4作「新男はつらいよ」で登場する【江戸川荘


       





2番目の名前は第5作「望郷篇」で登場する【コーポ江戸川


      




3番目は第20作「寅次郎頑張れ!」から登場する
こいわ荘
ロケ的には2番目と3番目は同じ位置にある!


    




つまり、さくらのアパートは第5作からあの位置でロケが行われている。

このアパートはやはり狭いし、大家さんがうるさいので
第9作「柴又慕情」で引っ越そう(自分の家を建てる)とするのだが、
そのことで寅と喧嘩もした。結局資金不足などがあったのか、うやむやになってしまう。
で、その後もずっと、第25作「寅次郎ハイビスカスの花」まで辛抱してこのアパートに住み続けた。

そして、おいちゃんの店を担保に入れて銀行から借りたり、
タコ社長に保証人になってもらったりして長期ローンを組み
ようやく、第26作「寅次郎かもめ歌」から2階建ての家に引っ越したのだ。



  まず第5作でこのような形でロケされている↓この時は「コーポ江戸川」

    


      
同じく第5作では夜のシーンもロケされた。

    




               で、40年!経った今は線路方向はこういう風景。

    


   


         さくらのアパートがあった位置には個人の家が建っていた。

     




それにしても、この潜水艦アパートに住んでいる長い年月、
さくらはこのアパートから自転車でとらやに向かうが、なぜか江戸川土手経由なのだ。
一体何が彼女をそんなに遠回りにさせているのか?これは永遠の謎である(((^^;)





          第5作。このころは隣のアパートはまだ無い。

      





  第13作「恋やつれ」では最初で最後の「全貌」が映る。線路側にはこの頃でもまだ別のアパートが建っていない。

      





            第20作で階段が表から見える。

      



           第5作とまったく同じことがわかる。

      
    




    となりのアパートがすでにこの第20作の時には画像のように↓建築されていた。

    
実はこの隣のアパートこそが「本家 こいわ荘」なのだ。
    今も「こいわ荘」と書かれた小さな看板を塀に貼り付けている。


      




             第20作からお目見えした「本家こいわ荘」の全貌はこうなっている↓

      




      線路向こうの家並みはやはり変わっているが、手前の「本家こいわ荘」だけは変わらない。

     




  第21作「わが道をゆく」では、この隣の「本家こいわ荘」の階段がしっかり見える。
   
     





  この「本家こいわ荘」はこのように今も階段もブロック塀の穴模様もあのころとまったく同じ。よく持ってるな〜。

     




     線路沿いのブロック塀にはちゃんと「
こいわ荘」って書いてある(^^)
     この適当でけれんのない書き方がいいねえ〜。

     




        線和沿いの「本家こいわ荘」からかつてのさくらの「こいわ荘」方向をみるとこうなる。
        本家の隣の少し引っ込んだ白い家がさくらの「こいわ荘」の位置。

     



          引いて捕らえると、あの第13作のカメラ位置に近くなる。

     





     




で、 夜も一応行ってみた。



             同じく夜のロケ地めぐりでは、今はこうなる。

    



               逆から見るとこう。

    



           第20作でも夜のロケが行われている

      










第20作の別れのシーンのアングルも再現してみた。



         アパートの前の線路沿いの道も取材。

             



                 一応、カメラアングルをそのまま再現してみた

     




       アパートから南、高砂方面に歩いて行く寅。
       おいおい、そっちは柴又駅じゃないよ、逆だろ ゞ(^^;)


     




            一応電車通過まで待って上のシーンと同じ状況を再現してみた。

     



     



             もしあの別れが夜ならこうなる。

     



とまあ、「さくらのアパート」ロケ地めぐりでした。





ちょっと最近、複数の仕事の準備でちょっと忙しくなってきたため
第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業が、いきなり停滞気味です(^^;)
それでも2月下旬にはなんとしても前編をアップしようと思います。







pos


『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
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【柴又日記】 そのM光枝さんの章文館、若菜さんのコーポ富士見


2011年1月29日  寅次郎な日々 その479

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


『らくだ公園』の次の日は文京区の本郷に向かった。
ここには私の青春の思い出があったからだ。
ちょうど1980年の受験期に私は偶然にもその翌年に光枝さんが働くことになるあの「文章文館」
に10日間ほど宿泊したのだった。あの頃はこのあたりも学生相手の旅館がまだたくさん残っていた。


もちろん「男はつらいよ」はまだ映画館で一本も見ていない状態で…、っていうより
受験でそれどころじゃなかった(^^;)




1980年早春 章文館前にて。相部屋の受験生と記念撮影。私は左。

     





30年後の同じ場所。当時の章文館新館の庭は右に今も残る。

      





地下鉄「春日駅」で降りた寅は、まず寅はこの胸突き坂入り口を曲がって上っていく。

      





30年後角にあった雑貨屋はもういなくなって、カットヘアサロンができていた。

      




昔は「台町(だいまち)」と呼ばれていたそうだ。戦前は旅館街だったとか。

       






坂の中腹に「章文館」の玄関はある。

       





現在の同じ位置↓現在は旅館はなくなってしまっていた…。きっちり同じ敷地内にマンションが建っていた。

       





光枝さんが出てきた台所。玄関から3メートルほど上手にある。

       





マンホールが同じ位置に今も残る。左側の日本家屋が旧章文館

       




ドアの斜め上に本館正面玄関が見える。

       





       




今も残る同じベニアのドア。

       




このベニアのドアを開けると裏の階段が下に向かって伸びていた。

       


ちょうど、この下隣のご夫婦が車を車庫に入れられていたので、このドアと階段の意味を
聞いてみた。
このドアの向こうは十数件の家のための私道で、それゆえに他の人が使えないように
普段は閉まっているということである。
そしてそれらの住人自身も他の道から家に帰る事が多くてこの道を使うことはないようである。
まあ、つまり私道であることの主張ということなのかもしれない。




このドアのすぐ上にあるこのビルは章文館の経営者さんたちが今も住んでいるらしい。
これは新館と隣り合わせのビルなので、私が宿泊した時も、受験期だったせいか混んでいて
このビルにもお客を入れていたと思う。

       



そしてビルの横には昔の「章文館新館」が今も同じ姿である。
ただし今は三菱電機テクノサービスの寮になっていて【本郷倶楽部】という名前になっていた。

       



この新館玄関から道を挟んでちょうど真向かいが本館の正面玄関だったことを私は覚えている。
3度の食事は本館で食べたからだ。

真横に住む方が、これまたちょうど植木の手入れをされていたので、本館の事を尋ねると、
親切に、ピンポイントで指差されて教えてくださった。

(顔写真許可済み)

       




現在の本郷倶楽部の道を挟んで真向こうだったので大体の位置は私も覚えていた。
この写真の真ん中よりやや左あたり。↓

        




私の持っている黒かばんを元正面玄関に置いてみた↓写真を撮った位置はちょうどあの木のドアの真下。
写真左上にドアの屋根が写るようにして撮った。

光枝さんが出てきた台所(お勝手口)のドアは、私の置いた黒かばんと電柱の間あたりだと思う。

        


     




ふた昔前くらいまで、賑やかな旅館街だった本郷のこの坂も
今では坂の一番上にある老舗の「鳳明館」が営業し続けているぐらいである。


     






さて、名残惜しいが、夕暮れが徐々に近づいているので、
若菜さんのロケ地、白山の方に移動して行く。
同じ文京区なのですぐに到着。

地下鉄の白山に着くと、地上に上がって3分で、もうこのクリーニング屋さんにたどり着いた。
ここは、大家さんが立ち寄っていたあの「果物屋」さんがあった場所。

場所は旧白山通りの付け根の方の白山下交差点角。
道を挟んでその真向かいが「東京富山会館」だ。

この若菜さんの場所も、以前コラムいに書いた通り、ストリートビューで
何日も何日もかけてようやく見つけた場所だ。

ようやく自分の足でこの地に立てることになったのだ。


      
赤丸が果物屋があった場所↓

      




     


     


しかしここからが、あのアパートへはかなり遠いのだ。
直線距離としては7、8分なのだが、このあたりは。
東京西部から続く武蔵野面台地の東縁部に位置し、
東京湾に続く低地にいくつかの台地と谷により形成されているようだ。
東京23区の中で最も坂が多いとも言われている。
そういえば上にも書いた「紙風船」の光枝さんが務めていた本郷の『章文館旅館』があったあのあたりも
実に坂だらけだった。胸突坂、菊坂、梨木坂といろいろあった。

武蔵野面台地の東縁部は一般的に『豊島台地』と呼ばれているが、
さらにその先を『本郷台地』、『白山台地』、『小石川台地』、『小日向台地』、『目白台地(関口台地)』と呼び、
指を広げたように台地と谷を形成している。

この白山閣のある高台はおそらく地元では有名なのだろう。
4,5メートルほどの急な隆起が白山閣を囲んでいるのがわかる。
逆にすぐ東の白山通りはかなり落ち込んだ細長い谷の部分を通っている。


       グーグルアースで見るとこのあたりの起伏が良くわかる。赤丸がコーポ富士見の例の坂↓

     



このコーポ富士見はかつて私がストリートビューでなんとか見つけ出した
場所なので、道的には迷いはないのだが、土地の起伏が激しくて
なかなかたどり着けなかったのだが、なんとかあの階段が見える位置まで
歩いていった。


        
    赤丸が果物屋、緑がコーポ富士見
     


歩いていると、やたら小さな製本所や印刷紙の会社が多い。
おそらく東京都の特別工業指定区域になっているのだろう。


で、ぐるっと回ってようやく細い路地の向こうに
かつてストリートビューで散々見続けたあの階段が見えてきた(TT)


     


ちょうど階段上にお住まいの方がゆっくりゆっくり、上がられていた。
映画であの大家も言っていたが、その方もこの階段はキツイと嘆いていらっしゃった。


     



映画では、この階段の曲がり角で何度も撮影された。

     



若菜さんも、大家も、民夫の恩師も、そして寅もこの階段を使っていた。
当然ながら同じ日にいっぺんに撮ったんだろうなあ…(^^;)



     


     


     


     



階段から見えるマンションユーカリハイツ小石川は今も同じ。

     


     


今も石垣も階段も道も遠景も、大体の雰囲気は一緒。

     


で、この階段をこのまま左に折れて上がっていくとどうなるかと言うと…
こうなるのである↓向こうは行き止まり。


     


映画ではスクリーン左から上がって来て、アパートに入っていった。

     



この路地を入って数軒目に一階と二階を数世帯に分けたアパートがあった。
まあ、コーポ富士見とはまったく似ていないが、今も何かしらかのアパートが
存在していることだけは確か。

     





映画ではコーポ富士見の向こうに眼下の街が見えていた。

     



実際はこの狭く短い路地は向こうが行き止まりで全部で10軒ほどの建物が
びっしりズラッと並んでいる。それゆえそのような眺めが見れる小道はないが、
人一人がギリギリ通れる道(家と家との隙間のようなもの)があったので、
おそるおそる下の街が見えるところまで10メートルほど歩いていくと、
このような風景が広がっていた↓


     


スタッフさんたちは、このような風景を見て、大船でセットを作ったのだな、
と思ったのだった。

そしてこの風景の横の家が↓である。


     
     


どこかしら大家の隣の家に似ている。

     



で、この路地が行き止まりだと言うことは…、

あの雨の日、民夫と若菜さんが上がっていったあの細くて長い階段は
この路地には繋がっていない!コーポ富士見には北側からは来れないのだ!
しかし、彼らは北側から細長い階段を上がって帰って来ていた。

本日のメイン!
いったん下の街まで下って、
ぐるりと回って、逆側に出てみると。是照院というお寺の墓の横に
↓のような細長い階段があった!。

     



そして一番上にはアーチが!

     



やはり思った通り、一番上は、完全に行き止まりで一軒の家が建っていた。
この階段は上に行くまでの間も含めほんの数軒の家の人が使っているのだろう。

このアーチはあの映画当時のままかもしれない。

     


     



地図的にはこうなる↓
ピンクの線がいつもの階段
緑の線が民夫と若菜さんが雨の日に使った細長く最後にアーチがある階段。
しかし、実際は、上に書いたように、個人の家に行くための階段で、
そこから南に曲がっての合流は当時からできなかったようだ。

     


このように↓逆側(画面右から)から帰って行く事は本当は出来なかったのだ。

     


と、いうことで、
全て納得して、この複雑な地形の街を後にして
柴又への帰路についた。

本郷と白山のロケは長年の想いがあったので、
やり終えてホッとしたのでした。(^^)





また次回。




明日1月30日から2月3日まで、昨年からの予定で、遠出の仕事があります。
それゆえ、次回のコラムのアップは2月5日ごろになると思います。




第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業がよう〜〜やく進みました。
1月末から2月初めのあたりに遠出の出張が4日間ありますので、
その後、2月中旬までには今度こそアップできると思います。







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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


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【柴又日記】 そのL錦糸町北口、リリーのアパートロケ地めぐり


2011年1月25日  寅次郎な日々 その478

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



『らくだ公園』の次の日は,
これも以前コラムに書いた「錦糸町北口」のリリーのアパート跡に行ってみた。


リリーは特別なマドンナである。
このシリーズで唯一、山田監督のイメージと演出をはるかに越えて哀しく光り輝いていた女性だ。
だからこそ、山田監督は同一マドンナで4作品も作り上げたのだ。


浅丘ルリ子さんの一生一品。 リリーこと本名『松岡清子』


そんな彼女の孤独が一番深かったシーンは、リリーが深夜に泥酔して寅に絡むシーン。
あの夜、キャバレーで深く傷ついたリリーは、寅に助けを求めるが、寅は常識を持ち出して
結果的にリリーを追い返してしまう。

そして数日後に失意のリリーはちょっとした揉め事がきっかけでアパートを引っ越してしまうのだった。

ここは自分にとって思い入れの深い場所なのでなんとしても行きたい念願のロケ地だった。



      



もう一度映画の画像を再現してみよう。
錦糸町北口の赤い色した『
長崎橋』手前からロッテビルが見える

     



これが当時のロッテビルの近景。

     
     



柴又からそんなに遠くはない。

JR錦糸町駅で降りて

北口を出ると高いロッテビルがドーンと見える。
このビルはぜんぜん様子が変わってしまったが、『LOTTE』のロゴは今も同じ。


      




そのロッテ会館から長崎橋の方に歩いてほんの5〜6分がリリーのアパート跡のはず…。



それでは「長崎橋」方向からあらためて映画の画像でアパートの位置を確認↓

左↓が全体が映った時に見えた建築中のビルの鉄骨   右がリリーのアパート窓から見た同じ鉄骨。その横に横長の白い建物。

               



場所的には赤矢印のあたりだと思われる。手前の長崎橋からは歩いて3〜4分。

     





今の街で言うと、赤丸が上の赤矢印の辺り。黄色丸は長崎橋

     



37年前のこの風景が↓37年経った今…

     





同じ位置がこのように激変。↓ 都市計画のもと、思いっきり開発されたのがこの北口だったのだ。
あの大きな長崎橋もどこにあったのか、すぐにはわからない。

     



ちょうど長崎橋の端がこのあたり↓

     





わずかにこのような形で↓道路の隅に残ってはいた。

      





長崎橋があったたもとに今も当時のまま残る津軽稲荷神社。

      








寅が自転車の人に道を聞いていたのはこのデカくて白い建物の真下あたり↓

      





       





そして寅はおそらく道を渡って津軽稲荷神社前を通り、
ロッテビルの方に歩いてたったの3分〜4分。





そこがリリーのアパートがあったところ。↓
錦糸町駅から本当に近い。
すぐそこって感じ。出口から5分くらいかな。


右端に当時からある古いアパートが残っている↓が、
このアパートではなく、どちらかというとその左隣の数個の
ビルのどれかがリリーのアパートがあった場所だと思われる。

(後にここから100メートルずれていたことが判明した)


      



この古い建物ではない事はわかっているが、なんだかリリーのアパートのことをこの
建物だけは今も知っているようで長い間眺めていた。


      



屋上の物干しも似ているが違う↓(後に100メートル位置がずれていたことが判明 下の追記参照)

      




かつては、まさにこの付近に、あの古びたリリーのアパートがあったのだ↓

(後に100メートル位置がずれていたことが判明 下の追記参照)


      



ちょうど横の細道からドーンと東京スカイツリーが聳えていた。
先日の健吾の働いていた創美社跡マンションから見えたスカイツリーと
同じ感覚にとらわれた。


今、時代はまさに変わったのだ。


       








ではまた次回。


次回は光枝さんの勤める旅館「章文館」と若菜さんのコーポ富士見です。


第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)の作業がよう〜〜やく進みました。
1月末から2月初めのあたりに遠出の出張が4日間ありますので、
その直後、2月6日ごろには今度こそアップできると思います。





■追記 新しく本当の場所が1998年ごろ判明しました。 

この記載は2022年1月14日です。


■寅福さんが数年前に1975年の航空写真から正しい位置を導き出されました。
しかし『物証』がないゆえに状況証拠だけになってしまい、まだ完全確定していない
わけです。

しかし、やはり当事の航空写真を考察して見るとここ以外にありえないと思い
今回訂正に踏み切ることにしました。


彼の素晴らしい考察を元に私が再び自分でも考察して導き出したのがこの場所です。↓


黄色い丸は隣のビルでベランダで子供たちが遊んでいてお母さんが洗濯物を干していたピンポイントです。
ピンク丸
は11年前の私が考察した場所です(本当の場所とは100メートル離れていました)







本編の中でもこのカットの中にリリーのアパートの屋根が見える。
隣のベランダも見える。そして向うの建築中の骨格も見える。







1975年の航空写真でこの本編のカメラアングルを見るとこうなる↓↓









そして、現在の地図にそのままジャストに照らし合わせるとこうなる↓
赤い丸●が、リリーのアパート黄色●は隣の子供たちが遊んでいたビル。


 




ストリートビューで見てみると下にスーパー「まいばすけっと」の二階となる。





東京都墨田区錦糸1丁目6-1

https://goo.gl/maps/soQkwxZgYUpJX7Aa9







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【柴又日記】 そのK信吾のらくだ公園と創美社ロケ地めぐり


2011年1月20日  寅次郎な日々 その477


この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



まずはいきなりこの動画をご覧ください。

健吾がハーモニカを吹いていた
らくだ公園(正式名称【川端南児童遊園】)に行った時のものです。↓


       


      




と、いうことで、すみれちゃんのロケ地をめぐったその次の日は
第37作で健吾が働く創美社とハーモニカを吹いていたらくだ公園をめぐってみた。


これはもともと私が、以前のコラム(
2010年5月22日 寅次郎な日々 その439
でグーグルのストリートビューを使ってなんとか発見した一連の場所だ↓

2010年5月22日 寅次郎な日々439 『ついに発見!健吾の働く看板屋とらくだ公園』
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi25.html#439





それで、せっかく東京に滞在しているのだから
ちょっと距離はあったが30分ほどかかって実際に自転車で柴又からはるばる入ってみたわけだ。

下の地図のようにまず美穂さんは新小岩の南口で気分が悪くなり、ガード下でチンピラに絡まれ、
健吾に助けられ、一目散に平和通を北西へ走っていくわけです。
で中川に架かる平和橋を渡ってすぐの健吾が住みこみで働く『創美社』の二階で一晩過ごすんですね。
その後、いろいろあって、もう一度健吾を訪ねていくんですが、健吾は展覧会に落ちてしまって
公園でハーモニカを吹いてたたずんでいる…、とまあこういうわけです。


     





まずは、美保さんが夕飯を食べに入った新小岩南口の韓国料理が集まっている店がたくさんある一番街。


      




      




次に駅南口の歩道橋近く。いつも交通量が多い。

    




    




映画でも新小岩駅へのバスが通っていた。

     


     




歩道橋の道を逆に撮影するとこうなる。
このコーナーも映画で映っていた。

     



     




そして、美保さんがチンピラに絡まれるガード下。
今も面影がある。


     



     



で、チンピラがお礼参りに来る前に、必死で平和通りをグーッと赤い線の通りに北上し↓、
平和橋を渡って、その角にある『創美社』にたどり着くのだった。


再度地図で見てみる。

     






まず、「創美社」があった現場についてびっくり、
「創美社」の跡地にはどでかいマンションが聳えていた。
創美社はもうずいぶん前になくなってはいたが、
数年前まで、あそこは駐車場だった。
そしてストリートビューで見るとなにやら工事が行われつつある感じではあったのだ。

     




5年ほど前の航空写真ではこのように駐車場だった。

     




2年ほど前のストリートビューでは何か建つ気配はあったが、まだ工事中だった。

     




美保さんが渡ってくる「平和橋」は歩道のタイルは新しくなっているが、おおよそ今も面影が残る。

     



     




橋を渡ったすぐの場所の今と映画当時↓

     



     



まあ時代の流れだから仕方がないな…、と自分に言い聞かせながら
健吾がいつも黄昏ている『 らくだ公園 正式名称は【川端南児童遊園】 』に行ってみる。

創美社の社長が美保さんに教えたのとは逆の方角にらくだ公園はあった。
そしてさらに美保さん自身も創美社とは逆の方向から歩いてくるのだった。
ま、映画だからしょうがないでしょう(^^;)

地図の青い線が美保さんがたどったらくだ公園までの道のり。
わざわざ回り道をしているのがわかる。


      



最後に、一番上で、見ていただいたあの動画にあった公園である↓

『らくだ公園【川端南児童遊園】』は葛飾区東立石1丁目22番地

今もモニュメント兼乗り物のらくだとペリカンは健在だった!

水のみ場も健在!

しかし、ベンチが新しく色を塗られていた。(行政としては当然のメンテナンス
^^;

      



      




数年前のストリートビューでは映画撮影当時のベンチのまま残っていた。吸殻入れもそのままあった↓

      



      



     




ワイドで撮影してみた

      




私も健吾の座っていたベンチに座ってみる。この位置で健吾は寂しくハーモニカを吹いていた。

      





『水のみ場』は今も当時のまま、水ももちろん出る。
子供のころこういうのひとつあると砂遊びで手が汚れたときなんかほんと助かった。

      




      





らくだはあの当時のままの色、顔は涼しげな顔。

      





このようにして遊ぶのです(^^;)↓

      




公園の隅には鳥居が建っている。

      




美保さんが歩いてきた道

      




行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず…

      




      




柴又に帰るべく自転車を漕ぎ始めるとちょうど創美社跡に建ったマンションの横に
夕日のもと逆光で東京スカイツリーが聳え建っているのが見えた。

時代は変わったことをまざまざと実感させられた瞬間だった。

      




ではまた次回。


次回はリリーのアパートです。






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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 そのJ りつ子さんとすみれちゃんのロケ地


2011年1月17日  寅次郎な日々 その476

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


ちょっと富山に帰省してました(^^;)ヾ



これもアップが後先になったが、
以前から』ぜひ行きたかった場所に第12作の柳りつ子さんの家がある。
そしてそのすぐ近くに第26作の水島すみれちゃんが働いていたあのセブンイレブンがある。
そしてそのまた近所にすみれちゃんが通っていた定時制高校もあるのだ。映画では葛飾高校となっていたが
ロケは南葛飾高校で行われた。ちなみに満男が通う高校も葛飾高校となっていたが、満男の時のロケは
南葛飾高校から程近い葛飾野高校で行われた。

これらのロケ地は柴又の近所という設定どおり、しばまたから自転車で20分くらいの場所にある。

りつ子さんの家もすみれちゃんのコンビ二も、お馴染み寅仲間の
寅福さんとああでもないこうでもないと
ネットで探したあげく、最後に寅福さんが実際の地道な現地調査によって見つけられた場所だ。
寅福さんはすでに現地調査を以前に終えられている。

寅福さんのサイト『「男はつらいよ 飛耳長目録』はこちらから。


で、今回ようやく私も、それらのロケ地を自転車でたどることができたのだ。




       






まず、柴又から自転車で新宿(にいじゅく)の方向に漕いで行く。

中川大橋が見えてきたら、その手前だ。(一番下の地図参照)



今はあとかたもなく変わってしまっている。わずかにこの坂道だけが当時を物語っている。

        




実はこれは『裏門』だったらしい。

        




息子は果物籠を持つ源ちゃんを演じている。↓

        





       






家から中川大橋を渡った川のほとり。
りつ子さんがスケッチをし、寅がそばでまとわりついていた場所。向こう岸の風景に面影が残る。



       




りつ子さんの描いていたあたりに白鷺がたたずんでいた。

       




      





りつ子さんがフランスパンを買った(代金を払ったのは寅)「星野パン(ベーカリー)」は今もある。

      


      






一方中川大橋を渡ってそのままずっと歩いていくと、さほど遠くない距離に第26作「かもめ歌」で、
あの、すみれちゃんが昼間働いていた『セブンイレブン』跡がある。

今はもうまったく違う店になっている。

セブンイレブンのオーナーさんは今もこの2階部分にお住まいだと言うこと。

(地図参照)



       




当時さくらは「コンビ二」とは言わずに「スーパー」と呼んでいた。


       





その跡地から、信号を2つ超えて、ちょっと道を入るとそのオーナーさんが新しく移転した店があった。


       




長くこのお店にお勤めの方に、ロケ時のスナップ写真の数々を見せていただいた。↓
その中の一枚。
伊藤蘭さんの手前横にいらっしゃるのがオーナーの奥様。


       






ところで…


この第26作で、頻繁にスクリーンに映る橋がある。
物語上その橋はすみれちゃんが通う高校のそば
という設定なのだが…。

つまり、中川に架かる橋と観客には思わせて・・・
実はこの細い川は【綾瀬川】なのだ。



       



すみれちゃんも寅もさくらも渡っていたその橋(五兵衛橋)は、実は高校のそばにはない。
そしてセブンイレブンのそばでもなかったのだ。
これも寅福さんが解明され、現地調査もされている。

あの川は中川ではなくなんと綾瀬川なのである。

すみれちゃんの高校からこの
五兵衛橋まで、自転車でもかなり時間がかかる。

なぜ南葛飾高校そばの中川でなくやや遠い綾瀬川をロケ地に選んだのか?

ロケハンのスタッフさんたちが、このひなびた川の雰囲気を当時気に入って、高校から自転車で30分もかかる
この「
綾瀬駅」近くを選んだのだろう。

橋の向こうに今も白い『都立江北高校』が同じ姿で見える。

(地図参照)

映画でも何度もすみれちゃんはこの五兵衛橋を渡り、向こうに都立江北高校が映る。
寅とすみれちゃんがこの橋で話し込むシーンでも向こうに都立江北高校が映っているのである。
おそらく葛飾高校(ロケとしては南葛飾高校)に見立てているのであろう。
だからこそあの都立江北高校が川向こうに見えるこの橋を何度もカメラは映しているのであろう。



       





       






あの五兵衛橋は、今は少し高くなり、自転車も通れる歩道橋と連結されている。


       




橋から反対方向を眺めると、東京スカイツリーも間近に見える。


       





五兵衛橋のほとり、すみれちゃんが恋人の貞男とここで落ち合う。
すみれちゃんが歩いて来た後ろに見えた道沿いの『細く白い二階建てビル』は今も残る。



       




       






すみれちゃんは『葛飾高校』の定時制に入学するが、実際には葛飾高校は存在しない。
柴又から自転車で通える距離で、定時制のあるのは当時『
南葛飾高校』だった。
と、いうことですみれちゃんの高校ロケはこの『南葛飾高校』で行われた。(地図参照)


       




       





一方満男もその後にすみれちゃんと同じ『葛飾高校』に入学するが、ロケの学校はなぜか違う。
なぜ違ったのかは不明。南葛飾高校のちょっと北、自転車で5分ほどの場所に『葛飾野高校』があるが、
そこが第39作「寅次郎物語」のロケ地として使われた。

(地図参照)


      




      




当時の正面玄関は今も健在。


      





      






第42作「ぼくの伯父さん」でもこの高校のグラウンドはブラバン時代の回想シーンとして登場。


       




      





これらは全て柴又から自転車で回れる距離にあるが、すみれちゃんの綾瀬川に架かる五兵衛橋だけは、ちょっと時間がかかる。
当時は綾瀬川に首都高速はなかったが現在は首都高速が川に沿って走っている。
五兵衛橋も撮影当時の橋は取り壊され、階段を上っていく高度のある橋に変わっている。


      




用事で富山に帰省していました。
また今日から柴又日記をちょくちょくアップしていきます。



ではまた次回。





恒例の年賀干支イラストを息子にちょろちょろっと描いてもらった。


        

                                                         【寅と寅ウサギ】 Ryotaro 作






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【柴又日記】 そのI 新しい店 『野道』 と 『さくら』


2011年1月10日  寅次郎な日々 その475

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


いつもお世話になっている月虎さんのSNSで、コーヒー通のライムさんが
新しくできた柴又のカフェ「 
野道 nomichi 」を教えてくださった。


あそこの場所は、もともと「男はつらいよ」の映画の中で第1作から第4作までのモデルになった
『共栄印刷』なのだ!



      



共栄印刷の表看板やデザインはそのままで上手にアレンジしたことが分かる。

おしゃれなアレンジだ。。

土手から見るとこうなる↓


       



場所を詳しく言うと、

帝釈天の大鐘楼横の元喫茶店ロークがあった信号を渡り、江戸川土手に歩いて行ったら、角にある。

道向かいは「川甚さん」だ。
江戸川土手下すぐの三叉路にあると言ってもいいだろう。

外から見たら半オープンカフェの趣。

オーナーの女性と彼女のお母さんと二人で経営している。

この場所が気に入って、店をここに開くことを即決したそうだ。


         



入って見ると、店の中は決して広くはない。7坪ほどか。
温かな手作り感が店内にあふれている。

内装の事を聞いて見ると、内装の業者の人を一切いれずにオーナーさん)と
お母様の二人で大工仕事をして店内をゆっくり作られたそうだ。
壁の漆喰も床も全て自分たちで作られた。丸ノコもかなりの腕前だという話。

おしゃれなカントリー雑貨が所狭しと置かれているので、雑貨屋さんにも見えるけど、
テーブルや椅子があって、カウンターの向こうでコーヒーを作ってくれるので
やはりコーヒーショップでもある。

コーヒーには近所の手作りクッキーが一緒について来る。


       


コーヒーは紙コップで出てくるので、土手に持って行って飲んでもいい。
紙コップのコーヒーは250円。安い!。
で、安いなりのコーヒーかというと、これがまったく予想に反してコクと香りがある
引き締まったコーヒー好きのコーヒーなのだ。
お話を聞くと、このコーヒーには彼女自身かなりこだわり、ブレンドをされているようだった。

外見の軽い紙コップと中身が全く一致していないところがなんとも嬉しい。

コーヒーは2種類あって、「野の花」は、上に紹介したコクのあるしっかりしたコーヒー。
もうひとつは「野の風」。こちらも飲んでみたが、これは飲みやすく飽きの来ないマイルドなコーヒー。


長く話していくうちにわかったことだが、
このオーナーの方は』大塚恭子(やすこ)さん、ニックネームは「やこさん」というらしい。
彼女はなんとさくらの息子、諏訪満男の高校出身(ロケ地の学校)だった!(^^)


もともと彼女はカントリー雑貨を扱っていた関係で、店にはめ込んだアンティ−クのステンドグラス↓なでも
かなり厳選して、こだわった希少価値のあるものだということだった。



       



『野道』は、冬が過ぎたら川甚さん方向の壁半分を取り払って店を広げ、
今よりさらに入りやすくするそうだ。

いいアイデアだと思う。



開店してまだ一年は経っていないそうだが、かなりの常連さんが、散歩の途中や
仕事休みに立ち寄っていかれるそうだ。ちょっとしたオアシス。

気さくな人柄と、なによりもコーヒーの味、リーズナブルな値段、数々の雑貨、手作り感100%の店内、
土手のすぐ下、などがあいまって人気が出ているのだろう。



        



追記↓

1月10日成人式のお昼に、またコーヒーを飲みに行きました。
コーヒーの入れ方を変えて、さらにグレードアップした味になっていました。
もちろんお代は同じクッキー付で250円。

大晦日と正月元旦は夜通しで、外でコーヒーを売ったそうで、すごい人だったとか。
飲み歩きの人たちが大勢買われたそうです。
おかげでオーナーさんもお母さんもその後熱でダウンしてしまい、昨日からまた復活されたとのこと。
今日見た感じではすっかり元気でした。


        










そのA


次の日は、「野道」のちょうど間反対の場所。

柴又駅の向こう側、踏切を渡ってすぐの店「
さくら」へ行って来た。

柴又には「さくら」が3つ4つあるのだが、この「さくら」は
元『
上海軒』があった場所にできたあの「さくら」。

筑豊から出てきた美保さんが、寅たちの協力によって勤めはじめるのが、
この上海軒。オヤジさんは桜井センリさん。


        



その上海軒にはついに一度も行けなかったので、
「さくら」には今度こそはと早めに行った。

「さくら」は実は夜は居酒屋さんだが、昼間はランチが出る。

入るとここもまた店内はさほど広くはない。

テーブル席が3つと小さなカウンター。
テーブルは靴を脱いで掘りごたつ風に椅子に座る。



なんでも「さくら」の女将さんによれば、
上海軒のご主人はご病気になられてやむなく店を閉じられたらしい。
第37作であんなにしっかりマドンナが勤める店としてロケされたのに…行けばよかったあ〜。


         




ランチタイムで混んでいたので
食事を注文しに女将さんの娘さんにその由来のお話だけお聞きした。

彼女によると

女将さんからくるイメージ.。

飼っている犬の名前が「さくら」という名前。

寅さん映画のさくらからも拝借。

この3つの理由で「さくら」という名前をつけたそうだ。




↓の写真向うに写っているのが女将さんで、手前が娘さん。


       




私の行った日のランチは2種類あって、
私は「さば味噌定食(800円.コーヒー込み)を頼んだ。
さばがほくほくしておいしかった。
サラダも品のいいものだった。


       





で、食後に小さなコーヒーがつく。


       


800円はランチとしては毎週いける値段ではないが、2週間に一度くらいなら行ってもいいかな。




ではまた次回。











恒例の年賀干支イラストを息子にちょろちょろっと描いてもらった。


        

                                                         【寅と寅ウサギ】 Ryotaro 作






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【柴又日記】 そのH 正月五日 帝釈天 初庚申のまとい奉納


2011年1月5日  寅次郎な日々 その474

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


夕方遅く6時ごろだったか、
同じすぐご近所で、この賃貸に入る時も部屋の空き状況の事でお世話になった占い師(四柱推命)の森千命さんと、
今日も世間話をしていたら、参道の駅側から大きな声が聴こえてきた。

何事かと思い、振り返ると、なんと『まとい』が回されているではないか。

庚申の前日の宵庚申のまとい回しが、正月ゆえにみなさん店が忙しくて奉納しないと聞いていたのに
参道をまといが!




まさしく、あの第1作と同じ雰囲気!

     




良く見るとまといの上のデザインが違う。

そしてみなさんすごく格好がいい。




      






      




      




あとで聞いてみると、帝釈天を開祖をされた題経院日栄上人の師匠の寺に当たる
千葉の「
下総中山法華経寺」から「中山常志会」の人たちが
15人ほど来られてまといが夕方遅く威勢よく参道で回っていた。

ちょうど参拝客がみんな帰られた後だったのだが、
睦たちは二天門をくぐり、帝釈天境内でしっかり何度もまといを回し、
奉納されていた。

気合あふれる奉納。

静かな中で繰り広げられたまといは美しかった…。

いやあ〜かっこいいっす。




      


matoi


その時撮影した動画の一部をアップしてみました。↓

2011年1月5日:下総中山法華経寺中山常志会による 題経寺境内まとい奉納 動画


最初に一秒間だけ真っ白に画面がなりますが、2秒後からは元に戻り普通に見れます。

       



それとは別に…


昨夜はバラエティ教養番組の「ホンマでっか!?」正月SP(フジテレビ)を観た。
私は昔からこのような民放バラエティ系は見たことがほとんどないが、
ちょっとわけあって見てみたのである。


あれは、12月16日お昼、
ちょうど遠く富山から新幹線を乗り継いでようやく柴又に着いたその時に
駅の寅さん像のところで人が大勢広場に集まっていてTVカメラも来ていた。
柴又にテレビのロケが来ているのはさほど珍しくもないが、
何のロケだろう?って、好奇心を持って改札を出て行くと、
まさに明石家さんまさんがそこにいて、駅前からゆっくり歩いてロケをしていた。

それで、ちょうど自分たちもその日から住む賃貸の部屋がある帝釈天方向に行かないといけないのだが
あえて彼らを追い抜かないで、ぞろぞろついて行っていった。
もちろんこの時点で何の番組かも知らなかったのは言うまでもない。

そっと近くにいたディレクターらしき人に聞いたら人気番組「ホンマでっか!?」の
正月スペシャル版のロケだそうだ。

番組はなんと4時間もあるのだが(長すぎやろ)、この柴又ロケは番組のどこかで30分ほど放送だということ。

参道をゆっくり話題と爆笑を振りまきながら亀のようにのろく進むさんまさん。

てんぷらの大和家さんでのブラックマヨネーズとのやり取りは後ろで聞いていた僕も
大爆笑してしまいました。
さんまさんの間とアドリブほんとに面白かったです。

大和家さんのあたりと、
帝釈天前のトイレの話題のあたりで
僕も息子も普通にわかるくらいに映ってしまっていました((^^;)ゞ

テレビを間接的にデジカメで撮った適当〜な画像なので
荒くてかなり見づらいと思いますが
右端に明るくした部分が僕と息子です。



      






恒例の年賀干支イラストを息子にちょろちょろっと描いてもらった。


        

                                                         【寅と寅ウサギ】 Ryotaro 作






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『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 そのG 正月四日 帝釈天 法華経説話彫刻


2011年1月4日  寅次郎な日々 その473

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


今日は正月四日。

快晴。


私が柴又に来てから18日間昼は晴れ。


今日は彫刻ギャラリーと庭園、そして大客殿を初めて観た。
何度も過去に帝釈天には来ているのだが、400円の観覧料をついケチっていたのだ。
情けない…(^^;)ヾ


北側の邃渓園(すいけいえん)に面した大客殿は、
信徒の接待所として設計された建物で昭和4年(1929)に完成した。
この年には釈迦堂拝殿の造営も行われている。

建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葦き。
ガラス障子の広縁を巡らしてあるが、このガラス障子が見事。
縁の正面中央に張り出した部分を設けているところが外観上の特徴。

この張り出した場所にはテーブルと椅子があり、休憩できる。眺めもいい。
そして無料のお茶が飲める機械が置いてある。煎茶、ほうじ茶、ウーロン茶、玄米茶。
アイスとホットの両方ある。
私は温かいほうじ茶を飲んだ。



       



       



大客殿は、とにかくこの長く続く古いガラス障子が最高だ。

       



廊下を渡りながら庭を観て行く。
向島の庭師永井楽山の設計により、昭和40年に造園されたという。

          



        




で、邃渓園を堪能したあとは、渡り廊下を渡り、
帝釈堂裏、内陣の外側にはめ込んである10枚の『胴羽目彫刻』を観に行く。
風雨にこれ以上さらされないためにガラスで囲ってある。



        




これらの彫刻は、法華経の説話から来た物語に基づいて大正から昭和にかけての10名の名工たちによって
作られた10枚の胴羽目彫刻。これは凄い。文字通り力作だ。
欅の一枚板の大きさはなんと、1、27メートル×2、27メートル、厚さ20センチのふすま大だ。

法華経説話の詳しい内容や彫った人名は帝釈天のサイトや他のサイトにいろいろ書いてあるのでそちらをどうぞ(^^;)
私のサイトでは彫刻の雰囲気をこそ画像で味わってください。
ほんの一部ですが紹介します。



ちょうど光が差し込んで幻想的な世界が生まれた。


       



       



       



       



       



       




       




       



おっと、

今年の干支の「うさぎ」を発見。

       




別の場所にも「うさぎ」がいた。

       





ここにも小さなうさぎが。

       




明日は初庚申。









恒例の年賀干支イラストを息子にちょろちょろっと描いてもらった。


        

                                                         【寅と寅ウサギ】 Ryotaro 作






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【柴又日記】 そのF 正月三日 柴又帝釈天境内でのんびり


2011年1月2日  寅次郎な日々 その472

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



今日は正月三日。

参拝客は昨日の80パーセントほどか。




        







  







笛と太鼓の音がしたので、なんだろうと思い、南大門のほうへ出てみると。。。

ちょうど【葛西囃子保存会】のみなさんが今日は笛太鼓付で獅子舞を演じていらっしゃった。
1ヶ月前に紹介したバリ島の【バロンダンス】とそっくり。


        



             12月8日ごろにバリの私の自宅の近くにやって来たミニ「バロンダンス」動画

        



子供たちも集まってきて、頭を次々に獅子舞に差し出していた。これは縁起物なのだ。
神社の前に、狛犬がいて神社への邪気を払う役をしているのと同じような意味。
つまり、人の頭の中に取り付く邪気を食べて厄を取り除きますという行為なのだ。


        



第24作「春の夢」でも正月に獅子舞がとらやに来ていた。

        




で、境内にちょろっと入ってみると


ちょうどお昼の賽銭を集めてもって行くところだった。百円が圧倒的に多い。五百円は少ない。

        




これは【水屋】、ここで手をお清めして、参拝。この彫刻はなかなか面白い。

        






↓は、「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい。。。」の【御神水】。

360年前、今の境内にある「瑞龍の松」の根元からこんこんと湧き出る水を、
経栄山2世日栄上人が発見し、ここに庵を作ったのがそもそもの始まり。.
除病延寿の霊泉として、江戸の昔より人々に親しまれて来た。

以来、この水は一度も涸れることなく豊富な水量を人々に与え続けてくれている。


鉄分が含まれていて体に良いそうだ。ペットボトルで汲んで持って帰ってもいいと言っていた。
実際汲んでいる人をよく見かける。


        


        






これは↓【浄行菩薩】

浄行菩薩というのは、一般にはあまり聞き慣れない名前だが、日蓮宗においては重要な菩薩。

浄行菩薩は、煩悩を断ち切る。

さらに、四大菩薩に地・水・火・風の四大を当て、上行菩薩が火徳、無辺行菩薩が風徳、
浄行菩薩が水徳、安立行菩薩が地徳を表す。

それゆえ、浄行菩薩の像を水で洗い清めることによって、自分自身の煩悩を清めるということになり、
さらに自分の身体の悪いところと同じ部分を清めて祈願をすると治るといわれる。




        




         




そして境内の中に低く長く伸びる見事な【瑞龍松】。 なかなかここまでのものはない。

      



      




空駆け巡る龍のように伸びていっている。

      





実は、何よりもこの帝釈天(題教経寺)は帝釈堂、二天門、大鐘楼、をはじめ、とにかく浮き彫り、彫刻が素晴らしい。

表看板の【二天門】にも数々の彫り物が施されている。

そして門の中、扉をはさんで左右には、
四天王のうちの二天が安置されている。

東を守るのは【増長天】

西を守る【広目天】

【二天門】の名前はここから来た。

この二天像は平安時代の作とされ、門の建立時に同じ日蓮宗の大阪堺の妙国寺から寄贈されたものであるらしい。

ちなみに、帝釈堂内の本尊の両側に持国天と多聞天. の二天が置かれている。


      



      



      



                    西の広目天

      





                      東の増長天

      






東の【南大門】の方にはハート型の穴があり、ここにラブレターを通してから相手に渡すと
恋が実るという伝説がある。本当かどうかは知りません(^^;)



      







そして今もなお、源ちゃんが朝6時、昼12時、夕方6時に撞くと思っているあの鐘の音はここから↓聴こえて来る。

昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の【大鐘楼】。
高さ約15m、四手先の豪壮な桝組と木彫を施した関東一の鐘楼。
梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われる。



      



キリがないので今日はこのあたりでお開きということで…。


明後日は【初庚申】混みますよ〜。







恒例の年賀干支イラストを息子にちょろちょろっと描いてもらった。


        

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 たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




【柴又日記】 そのE 正月二日 柴又江戸川土手風景


2011年1月2日  寅次郎な日々 その471

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。




恒例の年賀干支イラストを息子にちょろちょろっと描いてもらった。




                                                【寅と寅ウサギ】 Ryotaro 作



新年あけましておめでとうございます。

皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
旧年中は思い起こせば更新が例年に無く遅れ続けることの数々、
今はただ、後悔と反省の日々を過ごしつつ
葛飾柴又帝釈天より皆様の幸せをお祈りしております。

なお、わたくし事ではありますが、
絵画をはじめ、日記、男はつらいよ覚え書きノートなど、
相変わらず成長することなく、
ダラダラと愚かで長ったらしく無教養な内容ではありますが、
私のかけがえのない作品でありますれば、今後とも
くれぐれもお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。


快晴の葛飾柴又にて―

2011年 正月 元旦

吉川孝昭  拝



で、本日は1月2日。


用事が早めに終わったので、息子も誘って自転車で江戸川土手へ行ってみる。


冬の日差しというのはなんとも美しい。


     





映画本編では正月の風物詩としていつも凧揚げが映るが、実際本当に多くの人が凧揚げを楽しんでいた。
ほんとうに凧揚げやってるんだあ〜〜(^^;)


     




矢切の渡しは、ずっとほどよく満員。船頭さんも正月の間は魯で漕がずに「モーター」使用(^^;)
夕方5時まで乗れるそうだ。

     





かといって、長蛇の列…ってほどでもない。
舟が出ると、ちょうど次のお客さんがわらわらと集まってくるって感じ。


     



4時半になるとドーンと暗くなる。
散歩するなら4時過ぎまでだね。


昼間はあんなに賑わっていた境内も夜の7時になるとこのように人もまばら。
お参りするだけなら夜のしじまが降りてからのこういう時間帯も捨てがたい。

ただし、この時間になると参道の店の大部分は閉まりかけている。帝釈堂にも上がる事はできない。
お守りやおみくじも買えない…(TT)
ということで、やっぱ、来るなら5時までがいいかも…。


今日もお守りを売っている方と話す。
参道が美しく見えるのは昼や夕方に雨が降って上がった直後らしい。特に新緑のころがいいとか。
夜に雨が降ったのは体験したが、昼に雨がまだ降っていないので、昼に雨が降ったらぜひ参道に出てみたい。

     






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【柴又日記】 そのD 正月元日 柴又帝釈天風景


2011年1月1日  寅次郎な日々 その470

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


新年あけましておめでとうございます。

皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
旧年中は思い起こせば更新が例年に無く遅れ続けることの数々、
今はただ、後悔と反省の日々を過ごしつつ
葛飾柴又帝釈天より皆様の幸せをお祈りしております。

なお、わたくし事ではありますが、
絵画をはじめ、日記、男はつらいよ覚え書きノートなど、
相変わらず成長することなく、
ダラダラと愚かで長ったらしく無教養な内容ではありますが、
私のかけがえのない作品でありますれば、今後とも
くれぐれもお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。


快晴の葛飾柴又にて―

2011年 正月 元旦

吉川孝昭  拝






まず、午前11時に帝釈天境内に入ってみる。


昨年は寅年だったのでもの凄い混雑だったらしいが、今年は通常の年のように混雑はしているが
参道も一方通行を守らなくても行き来できているようだった。



     





大晦日の夜0時ごろが最も混雑が激しかったことになる。
元日の参道はかなり賑やかな日曜日といったところか。
ここでも行き交うことはできた。


     





とにかく人気があるのは屋台の広島風お好み焼き屋さん。
いつも長い行列。
私も買ってみたが確かにボリュームがあってお買い得。


老舗系の店では、

「木屋さん」も根強い人気がある。「男はつらいよ」を見ていて実名が繰り返し出てくるのは木屋さん。
映像的にも圧倒的に木屋さんが多い。とらやのイメージになった店とも言えるだろう。
左右の両方の木屋さんはいつも賑っていた。


     





参道に近い「亀家さん」も、木屋さん同様、古くからの老舗。
この映画の初期のころにとらやの内部の間取りは、当時の亀家屋さんがイメージになったそうだ。
この店は『無添加こだわり草団子』で有名。できたての団子の味はデリケートで癖がない。
食べやすい団子だ。
たくさんのお客さんが買っていたので人気は今も続いているようだ。


     





人気という意味ではなぜか正月に限り「吉野家」さんの草団子がダントツ行列ができていた。
聞いてみると、「吉野家」さんは正月と庚申の時にのみ出来立ての草団子を
売るからだということだった。

実は、そんなことはない。
私が柴又に来てから「吉野家」さんはずっと土日は開店している。
土曜日もできたてのホカホカの味の濃い草団子を朝から売切れるまで販売している。
ほかの店よりヨモギが濃いので一度くらいは買う価値は十分にあるとは思う。


     

     



「とらやさん(旧柴又屋)」も、昔へんに目立っていた3台の食券販売機がなくなっていた。
すっきりしてイメージがよくなったせいか、結構入っている。
とらやさんに聞いてみると昨年の夏から機械を撤廃したそうだ。こういう小さなイメージ改善から店が良くなっていくのだ。


     






それではまた明後日ごろ。

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【柴又日記】 そのC  大晦日 柴又帝釈天風景



2010年12月31日 寅次郎な日々 その469

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


年が明けないうちにもうひとつ更新しておこう。


ついに大晦日。

午後から【
葛西囃子保存会】のみなさんが二天門の上で笛太鼓の演奏を休憩を交えながら
5時間ほどされていた。
今日は風が強いので寒そうで、二天門の中にはコタツが入れられていた。



        





夕方4時半からはライトアップが始まった。

        




初詣の時間にはまだ早いせいか、参拝客はまばら。

        




嵐の前の静けさ…。

お店の人たちに聞くと今夜(大晦日)は夜の10時ごろから店を開けだすそうだ。
朝方の3時ごろまで開けて、いったん閉めて
元日の朝8時くらいから開けるそうだ。


        



       【寅さんおみくじ】が主題歌のBGMとともに2台登場。
       寅の味わい深い言葉48種類が入っているらしい。

       恋愛専門のおみくじもある。

       帝釈天直々、ご利益入れ済みの「すえひろで縁起の良い【扇子のおみくじ】」もある。
       息子が洒落で【扇子おみくじ】をひいてみたら見事「
大吉!

       願い事:「高望みでも叶う」  だそうだ(^^)/



        




この続きはまたあとで。すぐに。





で、夜の0時になる直前に帝釈天境内にちょっと入ってみる。
混んではいるが、想像よりはやや少ない感じ。


        




夜1時前、除夜の鐘を聴きながら、りんご飴を買った息子。バリ育ちの息子は、りんご飴は初体験。
1時半を過ぎると参道も普通の日曜くらいの人になり、結構通りやすかった。

元旦のお昼ごろはかなり混むのかもしれない。


         




このように2月ごろまで1ヶ月半ほど
【柴又日記】なるものをちょろちょろアップしていきます。



ではまた明後日。






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【柴又日記】 そのB  
もうちょっと柴又ロケ地めぐり

めぐみさんの英語塾から早苗さんのアパート周辺

2010年12月28日 寅次郎な日々 その468

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


さて、この日は12月19日 柴又はまたも晴れ。

午前中から
めぐみさんの英語塾に行く。
これはさくらの一番目の家の近く。
さくらの家からほんのちょっと帝釈天寄り。


    



今も当時とほぼ同じ感じだ。

    




向こうには江戸川土手への大きな階段があった↓

      




当時と比べてこの階段もそんなに変わってはいない。手すりがついて安全になった。

   


このあと、土手沿いに逆に帝釈天に近づいていくと、「寅さん記念館」がある。



午後まで用事があったので、夕方近く、また江戸川土手へ。

で、逆に南のほうへ。


さくらの一番目の家の場所を通り越し、十分ほど歩くと、さくらの三番目の家の場所に到着。



    


      


    


    

とは言っても今はあの家はもうない。
もうずっと前からまったく違う家が建っていた。


満男がジョギングをし、博が自転車をこいでいたあの坂道は今ももちろん残っている。

    






寂しい思いをしながらそのまま江戸川駅の方向に歩いていく。


だいたい10分ちょっと歩くと土手沿いにお墓が見えてくる。



そのお墓のすぐ向こうに
早苗さんのアパートが見えてくる。



       




寅はお巡りさんに案内されて、写真左の道からやってくる。↓

    




そしてこの階段を上った端の部屋が早苗さんが住んでいたアパート。
このアパートに彼女はいったい何ヶ月住んだのだろうか?

寅が旅立って、しばらくして年末に早苗さんは小樽へ帰ってしまった可能性がある。
もちろん、荷物の整理やなんかでしばらくはまた上京してこのアパートで暮らしたのだろうけど…。

    



映画の中では「いずみ荘」

    



早苗さんがいた部屋は今もどなたかが住んでいた。
その方はここに早苗さんが一時期住んでいたことを知っているのだろうか。
その早苗さんを演じられた大原麗子さんはこの世界にもういない。


    





そして早苗さんのアパートから同じく10分ほどで、さくらたちの最後の家、
つまり
さくらの四番目の家が見えてくる。

こちらの家はまったく今も同じ雰囲気のまま。


この家から就職に苦しむ満男が家出をしたり、第48作でさくらと博の最後の背中が撮影されるのだ。


    



このシリーズの最後のさくらと博の背中。
午後の暖かな光の中でキラキラ輝いていた。

    



家の前の階段をかけ上がれば、菜穂さんが歩いてきた日もあった。

    



今も川向こうの風景はそんなに変わっていない。

    



    

菜穂ちゃんに会って、喜びながら、階段を下りて来る満男。

    



同じ階段を息子が再現。

    




土手からジョギングして下りていく博。

    



息子がまたもや再現。

     



    


そうこうしtているうちに日は暮れていった。
このあたりの土手からはかなりはっきりスカイツリーが見える。

     



ほとんど夜になったが、京子さんのアパート跡にも行ってみる。
さくらの最後の家からやはり10分ほど。

     



アパートから見える川向こうの風景を考えるとこのあたりかなあ。。。
京子さんのアパートに関してはなかなかピンポイントで特定はできない…。


     .




     







もうすっかり夜のしじまが降りたころ、帝釈天の山門(二天門)からの風景が絶品だった。


     







この続きはまた2〜3日後あたりに。

このように2月ごろまで1ヶ月半ほど
【柴又日記】なるものをちょろちょろアップしていきます。



ではまた明後日。






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【柴又日記】 そのA  
ぶらりロケ地めぐり

さくらの二番目の家と散歩先生の家

2010年12月22日 寅次郎な日々 その467

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


さて、この日は12月18日。柴又は今日も晴れ。

午前中用事を済ませて、午後から江戸川土手を散歩。そのあと夜も散歩。

せっかくなので私がかつて制作した『寅さん世界の柴又ロケ地マップ」↓を実際に足や自転車でめぐってみることに。

この場所は、私一人の力ではなく、敬愛する『小寅さん』や『寅福さん』などのロケ地めぐりの達人さんたちとの
コラボで制作できたものだ。彼らの足跡をたどって行くという意味でも思いで深いものも多い。



      




で、暖かな日差しの中、まずは北から南へのんびり下って行った。


さくらの二番目の家


地図で見たとおり、まずはさくらの二番目の家(一軒家)だ。

これは一番目の家が総武線の高架計画にひかかってしまったので
泣き泣きロケ地を探し、引っ越した結果、なんと北にある常磐線を越えてしまったのだ。

おまけに台所のあり方が見ての通り左右逆。




       



     




     




     



この坂道を満男(バイク)や博(自転車)が上がっていったのだ。

     




反対側からの構図

     


隣の家の駐車場も今も同じ。

     

で、ようやくここに落ち着くかと思いきや…、
数年で隣の空き地(土手側)で建築工事が始まって、ロケがしにくくなった。
ああ…またもやロケ地探しの旅に(TT)
このあとの3番目の家ははかなり遠くなってしまうのだった。
五十嵐啓司さんはじめロケハンの方々本当にご苦労様です。





散歩先生の家


さくらの2番目の家を後にして、土手下をぶらぶら歩いていくと10分もたたないうちに
右折の道があり、そこを葛西神社のほうへ歩くとすぐに散歩先生への道がある。

     



     




現在の家の裏手が坪内散歩先生の家の玄関だった。

息子がなぜこのように手を上げて踊っているかというと↓第2作の源ちゃんの踊りからきているらしい。


     



うなぎが釣れた後の、この源ちゃんの万歳「♪おかあさ〜〜〜ん」↓を表現しているのだそうだ(^^;)

     



当時も家の玄関外から葛西神社の大きな木と鳥居が見える。

     





     



現在の同じ位置から見た葛西神社。鳥居も大きな木も今もなお健在。↓

     






この散歩先生の家からちょっと長めに柴又方面に歩いて、送電線の下、現在の『新柴又駅』近く。

これは北総鉄道の高架計画にひかかってしまうまで長く住んだ家。



さくらの一番目の家


さくらの一軒家(1番目)はかつては送電線の下にあった。

     





     




寅が最初にさくらの家を見るのがこの位置↓

     




現在の同じ位置。もうずいぶん前に高架になってしまった…。↓

     




     



息子が立っているあたりがさくらの家があった場所だと思われる。

     





夜も散歩。

夜はさすがに風が冷たい。



第31作「旅と女と寅次郎」ではさくらの家の前で夜のロケも行われた。
私は、このシーンが好きで、第31作と言えばいつもなにげない別れのシーンをひそかに思い出す。

     



現在は、上のシーンの夜はこうなっている。もうすっかり変わって当時の面影はない↓

     





寅を追いかけるさくらと博

     




夜の風景はこうなっている↓

     




寅は柴又駅のほうへ歩いていくのだった。

    




あの寅の歩いていった道の夜は現在こうなっている。↓

    






この続きはまた2日後あたりに。

1ヶ月ほど
【柴又日記】なるものをちょろちょろアップしていきます。



ではまた明後日。












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【柴又日記】 その@  柴又到着

2010年12月19日 寅次郎な日々 その466

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


12月16日から東京葛飾区柴又に滞在している。

私は生業の仕事まわりと柴又での絵画制作、息子は冬期講習会だ。
連れ合いは、どうしても動けない用事があって今回は富山に居残り(正月には遊びに来るかも)


息子はここ数年ずっと映像や写真を独学でやってきたが、
バリだけでなく、日本でも映像や写真を学びたいらしい。


で、東京へ向かって出発である。



雪の降る富山を朝早く出発し、越後湯沢で乗り換え、2階建て新幹線【MAXとき】は上野に到着。
なんと富山からたったの3時間20分!
短くなったものだ。昔は長岡乗換えだったので4時間半はかかったのに、文明だなあ〜。




    




『こち亀』電車に揺られて高砂から柴又駅に着いたら、いやに参道が賑やかだ。

    




よくよく見てみると参道を歩きながら明石家さんまさんが正月番組(1月5日フジ夜7時〜)を収録していた。

    


さんまさんだけすべてアドリブ!!
みんな大笑いしていた。
私たち見学者も大笑い。


最後は帝釈天で出演者みなさんで絵馬を奉納。

    



大いに笑わせてもらったあと賃貸物件にたどり着く。


入居のため届いた荷物を部屋で取り出してセッティングしているうちに、もう3時過ぎに…。

今から住むこの賃貸マンションはこの映画シリーズ後半の本編でも時々スクリーンに映っていた建物。
なんだか映画の中に入り込んだようで不思議な気分だ。
(不動産屋さんを通さないで借りれたので、礼金や手数料が要らなくて済んだ)
息子が万が一運よく入学できれば、せっかくだからこのまま借り続けていくと思うが…、
ま、それはそれとして、荷物を解いて、部屋の中にどんどんセッティングしていく。


夕方ちょっと気晴らしに外に出る。


帝釈天二天門も柔らかな午後の日差しになり…、



   


ぶらぶらしてると


帝釈天の夕方6時の鐘が撞かれ、
7時ごろになるとそろそろどの店も店じまい。


   



夜は『寅さん電車』と遭遇。

   



遅い食事から帰った夜の10時にはすっかりどの店も閉まっていた。当たり前(〜〜;)

   




昼間の賑やかさがうそのようだ。
今回わかったことだが、
時々深夜に帝釈天の二天門にそっとお参りに来る人が結構いる。
いろいろな人が人生で苦しんでいるようだ。

    





木屋さんの店の前で、深夜11時前。

    







もうすぐ満月…、寅と月  深夜11時半

     



あ〜、部屋がまだまだ片付いてないぞ…、遊んでる場合ではない。困った〜(TT)

というわけで、

今日から、2日に一度くらいの間隔で、
1ヶ月ほど
【柴又日記】なるものをちょろちょろアップしていきます。



ではまた明後日。












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帝釈天の除夜の鐘を聴こうと思う

2010年12月8日 寅次郎な日々 その465

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



今日はバリ島の【お盆】である『ガルンガン』だ。

このお盆当日には、バリ島では少年たちが家々を回りながら獅子舞を家の玄関口で披露し、
その家の当主からお礼をもらうのが慣わしになっている。
たくさんの家々を回るので結構な小遣いになる。
一応厄除け魔除けの意味合いがあるので助かるのだ。

午後にズンチャカガムランの音をたてて、
道沿いにある前の家の玄関先へ音をたてながらのっしのっし威勢良くやってきたので、
早速息子が外に出てビデオで取材した。




    






そういえば『男はつらいよ』でも、第24作「春の夢」のラストで、雪降る元旦、
笛と太鼓にのりながら獅子舞がとらやにやって来て、おばちゃんが、お礼を紙に包んで獅子の口に噛ませていたね。


    




    





それでは本日『撮れたて』のバリ島自宅前取材ビデオ『少年たちのミニバロン』を動画でご覧ください。
今回は高画質で取材してみました。





    

                                                     撮影  RYOTARO







それはそうと、話はコロっと変わるが

いよいよ日本への一時帰国の日が間近に来た。

そして12月末には東京へ1ヶ月ちょいの出張がある。
普段の年ならまだまだたっぷりバリ島に滞在している時期だ。
出張といっても、仕事は半分で、個人的な用事や絵を描く時間もそれなりに取ってある。
貧乏だけれども一応自由業だからこのような融通が利く。ここだけが唯一ありがたいところ。

せっかく絵を描くのだから、この際、京成線の『柴又』近辺に滞在しようかとも思っている。
柴又という町は買い物するにもどこに行くにもちょっといろいろ不便だ。
金町か高砂だったら普通にあるものが柴又には結構無い。

そして柴又はご存知のようにこの映画のメインロケ地だが、実は観光として何かがあるわけではない。
まあせいぜい参道の店と帝釈天(題経寺)くらいだろう。ちょっと足を伸ばしても矢切りの渡しくらいか。

それでもちょっとここらで腹を決めてしばらく滞在してみようかなと思う。


なんせ7年ぶりなのだからいろいろ思いのままぶらぶらちんたら取材してみたい。


その昔、東京に11年住んでいた頃は、『男はつらいよ』のファンでありながら、柴又はめったに行かなかった。
いつでも行ける、いつでも行けるって思いながら、ずるずると月日は流れていったのだ。
結局1年に1〜2度くらいしか行かなかったと思う。

富山にいても立山はめったに行かない。それと同じ。
遠くにあるから行きたくなる。近くにいるから安心して行かない。
ま、そんなもんだ。

寅も、遠く旅をするから柴又が懐かしいのだ。
しかし時には寅でさえ柴又に長居したくなる時もあった。

私もちょっとここらで宿題になっていた柴又に何週間か腰を落ち着かせてみたい。
誰もいない寝静まった参道を『喧嘩辰』を小さく口ずさみながら歩くのだ。
そして題経寺の除夜の鐘を聴きながら柴又で年を越してみようとも思う。





         






そして私には個人的にかの地で確かめたいことが結構たくさん溜まってきてもいる。


もちろん本来の絵の制作もやる。
帝釈天や江戸川土手も描くつもり。矢切りの渡しも描こうと思う。
かなり寒いかもしれないが…。



そういえば秋の日差しの中、映画の中で江戸川を油彩で描いている人がいたっけなあ…。
あの、コントの帝王『津嘉山正種さん』だ(^^;)

第22作「噂の寅次郎」のオープニング、江戸川土手でベレー帽を被って絵を描く津嘉山さん。
みんなが興味津々で後ろからその様子を見ている。

ちょっとしたはずみで絵を見ていた人たちに寅が押されて、
怒った寅がそのカップルの男を押し返し、その勢いで、一番前で絵を描いていた
津嘉山さんが倒れて、キャンバスの絵の具がべっちり顔につき、(TT)
その当事者二人で大喧嘩。

寅は、張本人のくせに例によって知らん顔してそそくさ立ち去るというコントだった。



      



私は大勢の人が見ている中で絵を描くのはかなり苦手で、外で描く時はいつも人のいない時を見計らって素早く描く。
なんとか柴又滞在中4〜5枚は描いてみたい。

と、いうことで、
このあと、大阪滞在、富山滞在と続き、予定がうまく行けば12月20日ごろから東京滞在となります。
予定が遅れれば年末か年明けからの滞在となります。
しばらく移動で忙しいのと東京でのパソコン環境がなんだかイマイチ不明なので
次回更新は早くて12月26日過ぎになるかもしれません。
超気長〜〜に2週間ちょいほどお待ちください。

第26作「かもめ歌」本編完全版(前編)はかなり進んだのですが
アップは上記のような事情で1月にずれ込みそうです。あちゃ〜〜〜〜(^^;)ゞ





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寅のバイネタはどのようにして手に入れるのか

2010年12月5日 寅次郎な日々 その464

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


ここのところまたもや多忙になってしまった。
日本への一時帰国が近づいてきたからだ。
ラストスパートだ。

なかなかまとまった時間が取れない。
絵を描く時間さえも削られてしまっている。

展覧会や委託のためのオリジナル工芸品というのは種類が必要なのだ。
一つが終わっても、また次の制作が始まる。
一つ一つは決して大量生産できるような簡単なものではないので、
この生業を続ける限りまったく一生貧乏暇無しである。

かといってこの長引く不景気では絵だけではとうてい生活しきれない。
やはり、無い知恵を絞って多角経営していかねばならないのだ。

まったく気ままに旅を続けながら、先行資金もなしに
どこからともなくバイネタが飛び込んでくる寅が羨ましいよ…。あれは本当に夢物語のようだ。
寅にドラえもんのポケットがあるとしか思えない。


気ままな寅がフーテン暮らしを続けるためにはテキヤ稼業がよく合っているのだろう。
今日吹く風にまかせて全国どこにでも行く。

それにしてもあの寅のバイネタは、マジで一体どこから持ってくるのだろうか。
かなり町から離れた田舎や離れ小島の神社、などでバイをしていることが多いのに…。

で、寅自身はバイネタに関して第35作「恋愛塾」で興味深いことを言っている。


寅「
ここにあるこういう道具も、ネタ元という問屋行って、
 一日いくらで借りてくるんだ。



          



この発言から分かるように、当時はネタはどうやら地元の親分から一日いくらで借りてくるらしい。
ま、要するに委託品なんだろう。今はそれぞれの都道府県にあらかじめ申請し、許可を得ている
組織が元締めになっている。
ただ、寅の場合は、ほとんど資金がないので売った後でその借り代を払っているような気がする。



ちなみに、寅は口上で売るので、「口上売り(タンカバイ)」分野。


あと、売り終わった後の残り品はどうしているのだろうか?


当然車できているわけでもないので、誰かが…、おそらテキヤ親分のところの若い衆が、
寅の場所までわざわざ持ってきて、寅の場所から親分のところまで戻すのであろう。

しかし、そのようなシーンはついに一度もこのシリーズでは目にすることができなかった。

ポンシュウたちと一緒にバイをしている時は、彼らのグループに乗っかる感じで売っていたし、
同じ仲間に後片付けをさせたりもしていた。
シリーズ最後のほうではシリーズ前半のような一人でバイをすることは少なくなっていった。


昔、実際のリアルなテキヤさん(露天商)のインタビューが本に載っていたことがあるが、
ネタの仕入れや、その土地でのテキヤ親分への挨拶、決算、などで相当忙しいらしい。
ネタは間違ってもどんなテキヤさんも普通は委託などさせてもらえない。
問題が後でおこらないように全て【買い取り】だそうだ。

つまり、寅のような資金ほぼゼロで親分たちからネタを預かれるなんてことは例外中の超例外なのだろう。

だいたい、日本中のどんなテキヤさんも、日本をぐるぐる旅できるほど甘くは無い。
ほとんどが地元近くの高市(タカマチと読む。大きな祭りや行事の場所)が舞台で、
寅のように祭りでもない時にでも全国を回ってバイをするなんてことは儲からないのでほとんどない。
それでも「啖呵バイ系」の人々は昔はそれなりに各地の高市を回ったこともあったようだ。

博徒のシマに対比するテキヤの親分たちの縄張りを「庭場」と言うが、それぞれの地方で
おおよそ決まったグループが
その地域の庭場で営業し、その後に「ショバ代」「ゴミ銭」「ツタ銭」等の名目で、
手数料を収奪しているのが現状。

フリーマーケットならまだしも、寅のような伝統的なテキヤはよほど広く顔が利かないと
自分のシマ(県、地方)からはなかなか出れないのである。


ま、娯楽映画なので何でもありなのだが、
あえて無理やり解釈するならば、長年テキヤをしているうちに、
多くの仲間に親しまれる愛嬌のあるキャラクターと、テキヤとしての高い販売能力が知れ渡って
親分たちから「あいつだけは委託でやらせてやろう」と『免罪符』のようなものをもらっているのかもしれない。

それでも、万が一売り上げが少ない時のことを考えて、『前金』を支払うこともあるのかもしれない。

そして寅は、粉モノ焼きモノに代表されるような「食べ物」には手を出さない。
これはテキヤでもそうとうランクが上の者が許されているスタイルなのだ。
その辺でもその業界での寅の位置を垣間見ることが出来る。


それにしても、毎回かさばるようなお風呂セットや長靴、傘、おもちゃ、瀬戸物、なども平気で売っていたが、
あんなものを持ってくること自体大変だろうに。
古本も相当利潤が薄いわりにかさばるし、重い。

第12作「私の寅さん」で阿蘇の河口付近で虎の絵をバイしていたが、いくらなんでも、ちょっと
無理じゃないかっていう場所でバイを行う時も少なからずある。

やはりどうしても『映画』なので、設定としていろいろ無理が出る。

第8作「寅次郎恋歌」では、さばき切れなかった古本を、あのいつものカバンに入れていたが、
あれもちょと無理がある。
ドラえもんのポケットじゃあるまいしバイネタがあんなカバンに入りきるとも思えない(^^;)


逆に、第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」では寅は自分の部屋にさばき切れなかったオルゴールが入ったダンボール箱を
3箱も置いていた。ポンシュウと一緒だったので彼ら関係の車で移動するのかもしれない。
このダンボールはある意味リアルな寅の旅先を、垣間見た気がしてちょっと安心したものである。
第24作「春の夢」では、売れ残りの下駄が寅の部屋に積んであった。


それでも、総合的に考えると、
寅という男は、各地で相当 の『顔』だと考えざるを得ない。
それがある地域限定でなく、完全に全国レベルだからまったく凄い。



                    さばき切れなかったバイネタの箱が見える珍しいシーン

             




           
売れ残りの下駄がそのまま積んである珍しいシーン
          




一般的にテキヤの皆さんはどこかの組織に所属しているものだが、寅は若い頃に「北海道の政吉親分」「京都の政吉親分」
などにしっかり道筋をつけてもらって、あとは専属の親分を持たないで、ひたすらキャラクターの良さと啖呵バイの鮮やかさで
全国のテキヤ仲間から一目置かれる人間になったのだと思う。

第1作で月島あたりの親分のところで仁義を切る場面があるが、
あのように過剰なほど礼儀正しくけじめをつけ、あとはあの独自の義理人情を重んずるキャラクターと売り上げの
高さと口跡の良さ、姿かたちのカッコよさで信用を勝ち取るのであろう。




             



おいちゃんは、『遊び人』『ふらふら野良犬みたい』『ペテン師みたい』などと酷い比喩をして、情けなさそうな顔で寅にいつも
説教をしているが、寅という男はとらやの人々が思っている以上にそうとう懐の深い人間であることは間違いないのである。








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ひろみちゃんが駆けつけた2箇所の踏み切り

2010年11月22日 寅次郎な日々 その463

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


月虎さんのSNSでお世話になっている「らびお」さんが先日備中高梁に行かれて
数々のロケ地を巡られたのだが、ひろみちゃんの立っていたあの踏切がなかなか難しくて
探し出すのに苦労したとおっしゃっていた。

前々から知っている方も多いのだが、ひろみちゃんが一道を追って、自分の家から走って
踏切までやって来る。そこへ一道を乗せた列車がやって来て、涙ながらに行かないでくれと叫ぶ
あのシーンはどうも背景の建物や風景が途中から変わってしまうのである。

つまり2箇所で撮影されているのだ!

どうしてあんな短いシーンを2箇所の踏切を使って撮影したのだろうか。

おそらくそれぞれ向こうに見える景色に趣があったのかもしれない。



ここ数年ストリートビューの進出は凄まじいものがある。

最初は大都市圏だけだったが、昨年あたりから大きな地方都市にもどんどん進出してきた。
私の日本での自宅がある富山市も半分は網羅された。

そのほかの日本中の地方の中規模の町も北は北海道から南は沖縄までかなり席捲して来た。

それゆえ、寅さんロケ地めぐりがかなりパソコン上でできるようになった。
もちろん田んぼや山林や小さな路地は絶対に無理だが、車で行ける普通の町なら大抵は
まわれるようになったのだ。

それで今回ロケ地めぐりの方々の参考にでもなればと思い、
あらためて画像で2箇所の踏み切りを再確認してみようと思いたったのだ。


物語としては

一道からの電話を受けて、泣きながら一道を追いかけるひろみちゃん。
追っても、もう一道は列車の中。駅では間に合わないので、泣く泣く近所の
踏切まで走るひろみちゃんだった。

が…、最初は近所の踏切には行かなかった!
最初に彼女が行った踏み切りは結構遠いのだ。

一番下に貼り付けた地図で後で見て欲しい。






ひろみちゃんの食料品店からまずはなんと500メートル近く離れた北の
小高下谷川に架かる踏み切りまで走りに走るのである。


      


そして踏切までやって来る。
ぜいぜい息を切らせている時に映るバックの店が『佐々木食品店(タバコ販売)』




      




今も佐々木のタバコ屋さんのクリーム色のトタンは今も同じ。アーケードはなくなった。
『たばこ』の赤文字も位置も一緒。



      


 


       




そして、彼女はこの踏切でしばらく列車を来るのを待つ。



川向こうの家↓は今も同じ形で健在。














そのあと一道を乗せた伯備線がやって来るが、この時点でひろみちゃんはずっと南の
自宅近くの踏切へ
ワープ!する。


そしてワープ直後、一道を乗せた伯備線が山陰方向に向かってやって来る。
東京に向かうはずの一道なのになぜ山陰へ…。

ま、。。。それはいいとして ゞ(^^;)

一道を乗せた伯備線はひろみちゃんが待つ紺屋川の踏み切りの近く、『巨福寺』の前を通過する。

この巨福寺もそうだが、備中高梁の寺の多くは城のような城壁を持っている。
いついかなる事態になってもこの町を守るために砦の役割を密かに担っていたのだろう。
江戸期、徳川の監視が厳しく城を増築できなかったので寺を作るという名目で町を完璧な砦としたのかもしれない。


向こうに見える線路脇の二階建ての小さな家は今も変わらず存在していた!


         


寺の城壁の外、映画当時と同じガードレールとカーブミラーが今も残る。

     


下の地図の赤い〇はひろみちゃんが立っていた場所。黄色〇は一道を乗せた伯備線が最初に見えた巨福寺の横。

       




     ひろみちゃんの目の前を通り過ぎていく列車。列車が通り過ぎたその一瞬約0.5秒弱、線路向こうの
     『天神社』とその隣の『龍徳院』がわずかに見える。


     



踏み切りのそばから見た現在の天神社とその隣の龍徳院。天神社は随分立派になった。

     



そして列車はひろみちゃんの目の前を通っていく。

ひろみちゃんを見つけ窓から必死で手を振る一道。



一道を乗せた列車が通り過ぎて行くのを泣きながら見送るひろみちゃんの背後に石垣の土台で作った古い土塀がある。
ひろみちゃんの横には紺屋川が流れている。



      


。当時から白い漆喰は剥がれかかっていたが...

      



同じ土塀をストリートビューで見てみるとほとんど漆喰は剥がれ、なんと中の家は無くなり、土塀だけがなんとか
コの字型に生き残っていた。


     



     



     





それにしても、東京に行くと言っておきながら、なぜ一道は山陰方面に行ってしまったのだろうか。
この謎が解明されることは無い(^^;)

「なんでじゃろうね?」
「女じゃ、きまっとる」
「いやじゃね〜」
「しょうがないやつじゃ」(48作冒頭参照(^^;)

ひろみさんにだまって山陰に女性が…。
ということかもしれない(((^^;)

で、去っていった列車を見送って、泣き泣きひろみちゃんは、紺屋川沿いに、税務署の前を通り、
教会の前を通り、郵便局の前を通り、白神食品店まで戻っていったのだろう。





最後に地図で頭を整理しよう↓

まずひろみちゃんは自分の家(
青い印)から走って紺屋川を渡り、あの法事をやったハンコ屋を
通過して北上する。一道は電話で東京に行くと言っているのに、彼女は迷いなく山陰方向になぜか北上する。
これは女の勘なのだろうか(^^;)

で、佐々木のタバコ屋さんの近くの道を曲がって町の北、小高下谷川の踏み切りにたどり着く(
赤い印
しばらく待つが、列車がまだ来ないと見ると、いきなりエイトマンになり、弾よりも速く直線的に南下、
途中
博の父親の自宅前水色印)も音速で通り過ぎ、たった数秒で紺屋川の踏み切りにたどり着く。
その直後一道を乗せた伯備線は巨福寺を通り過ぎ(
紫印)、ひろみちゃんの待つ踏み切りを
通過する(
黄緑印)。ひろみちゃんの勘は当たっていた。一道は山陰方向に北上して行ったのだ。
一道が去った後、泣き泣きひろみちゃんは紺屋川沿いに歩いて3分の自宅に帰った。




       










ところで…

ひろみちゃん、今は東京でカメラマンになった一道と暮らしているのかな…。
高梁に残してきた病気のお父さんが気がかりだけど、元気なお母さんがいるから大丈夫!
朋子さんも、いろいろ手伝ってくれているのかも。

ま、しょっちゅう高梁と東京を往復しているのだろうけどね。
こういう時は夫婦が同郷だととても心強い。

一道を信じて自分の道を歩めひろみちゃん。



今日はこれでお開きということで(^^)













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           お気楽コラム   寅次郎な日々  
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星野哲郎さん、ありがとうございます。


2010年11月21日 寅次郎な日々 その462

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。




俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ、
分かっちゃいるんだ妹よ、
いつかおまえが喜ぶような
偉い兄貴になりたくて、

奮闘努力の甲斐もなく、
今日も涙の、
今日も涙の陽が落ちる
陽が落ちる。






どぶに落ちても根のある奴は 
いつかは蓮の花と咲く

意地は張っても心の中じゃ 
泣いているんだ兄さんは

目方で男が売れるなら 
こんな苦労も
こんな苦労も掛けまいに
掛けまいに



男とゆうもの辛いもの
顔で笑って
顔で笑って腹で泣く
腹で泣く






どおせおいらはヤクザな兄貴
わかっちゃいるんだ妹よ
いつかお前が喜ぶような
偉い兄貴になりたくて

奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の
今日も涙の陽が落ちる
陽が落ちる







どおせおいらは底抜けバケツ
わかあっちゃいるんだ妹よ
入れたつもりがスポンのポンで
何もせぬよりまだ悪い

それでも男の夢だけは
何で忘れて
何で忘れているものか
いるものか






あても無いのにあるよな素振り
それじゃあ行くぜと風の中
止めに来るかとあと振り返りゃ 
誰も来ないで汽車が来る

男の人生一人旅
泣くな嘆くな
泣くな嘆くな影法師
影法師



   




この『男はつらいよ』の主題歌は映画ではなく、
昭和43年10月から始まったテレビドラマ「男はつらいよ」の時にすでに作られて使われている。

曲よりまず詞が先に作られた。


今回の新作テレビドラマ『男はつらいよ』は、
渥美さんの魅力を最大限に発揮する決定版だから主題歌も決定版にしたい。と、
スタッフさんたちが思われて、
プロデューサー兼監督の小林俊一さんが歌詞制作を星野哲郎さんに決めたようだ。

小林俊一さんはまずいきなりなんと電話で!星野さんに作詞を頼んだのだ。

■ 
このあたりの詳しい経緯は、テレビドラマの『男はつらいよ』DVDの『特典』の中で
  星野さんと小林さんとの対談がおこなわれているが、
  その対談で長く詳しく作詞を依頼した時の様子が紹介されている。



作詞を星野さんに頼む決め手となったのは、
渥美さんが北島三郎さんの歌を口ずさむ事が多かったこと、
その北島さんの歌を作詞していたのが星野さんだったことからだったようだ。
 
それと、タイトルを『愚兄賢妹』から『男はつらいよ』に決めた際に参考にした、
あの 演歌『意地のすじがね』 を作詞したのが星野さんだったことからもきていまる。

で、電話で
「あらすじを送るから、それを読んで物語がどのように展開しても良いように書いてください」 というものだった。
 

そして星野さんは、小林さんから送られたアバウトなあらすじから得た主人公のイメージを
「丈夫な長持ちをする人」 と捉えたようだ。
だからこのような元気で丈夫な男の詞になっているのだ。
「かえってあらすじだけなのがよかった」とその時の対談で語られている。
具体的に書かなかったおかげでイメージが偏らなくて済んだらしい。

 
なお、イントロ部分で「わたくし、生まれも育ちも…」と、
仁義をきるあの有名な台詞が出てくるが、
あれは星野さんとは関係なく、
現場で渥美さんや小林さんたちとで作り上げたそうだ。

あとで星野さんに事後承諾したところ快諾してくださったとか。



やさしくてせつなくて、また明日も生きていこう、と思わせてくれる詞を
僕らにくださった星野さん、本当にありがとうございました。

この詞は誇張なく僕らの一生の宝物です。



星野さんはいつもこう言っていたらしい。

挫折があるから人は優しくなれる。
挫折があるから人は強くなれる。


これこそ「男はつらいよ」の心なのだ。




      





合掌










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男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


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Design  : 吉川孝昭
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悲しき寅の定時制高校入学願書 


2010年11月9日 寅次郎な日々 その461

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


バリに来てゆっくりしようと思っていたら、この2週間、溜まっていた染織工芸の新作品の仕事を
ひたすらこなす日々が続いている。
来年度用新デザインを考え、試作品をいろいろ作る毎日だ。
と、いうことで、油彩タブローはまだ描いていない。スケッチどまりでがまんしている。

もうそろそろ、来週あたりから描いていこうと思う。

それとともにこのサイトの更新もなかなか進まない。

それでもなんとか、昨日は超久しぶりに第26作「かもめ歌」の本編完全版に2時間ほど手をつけた。
本来ならば「かもめ歌」の本編完全版は9月頃に終わっていなければならないはずが、11月になっても前半さえ
完成できずにいる。

今年はその次の第28作までアップしようと思っていたのだが、「かもめ歌」を完結したらもう年が明けそうだ。
ま、誰が待っているわけでもないので、気楽に進めてはいる。


で... 「かもめ歌」なんだけれど、

その冒頭で、とらやでおいちゃんが『国勢調査』にいろいろ記入する場面がある。

寅のこともちゃんと考えているおいちゃんは、せっかく帰ってきた寅にも自分のことを書かせようとする。

おいちゃん「あのな、ここに書いてくれ、お前の名前とか年とかいろいろ」

寅、急に脅えるように声が震え、ジリジリ後ろにさがりながら、

寅「オレは別に悪いことなんかしちゃいねえからな」

と、やみくもに逃げ腰になるところが悲しくもおかしい。
名前や住所を書けといわれると「警察の調書」か何かを思い出すのかもしれない。
今まで散々警察にはお世話になってきたからね。寅のそれまでの人生がよく分かる発言だった(^^;)

それでもおいちゃんは、

おいちゃん「これ書かねえとな、日本の人口からはずされちゃうんだぞ」と言い寄るが、

寅はタジタジしながらも、
寅「はずされたっていいよォ〜」と言ってしまう。

さくらは困って、「何言ってるの、いけないわよそんな」と言うが、

寅「いいんだよ」と言い切る寅。

寅「まったく驚いたねえ〜、久しぶりに帰って来たのに、罪人扱いしやがって」 だって(^^;)



たぶん寅は生まれてからこのかた、一度も国勢調査の紙を書いていないのだろう。そらそーだ。
そういう私も今回たまたまバリから帰ってきていたから調査書に記入できたが、
もうかれこれ10年以上は国勢調査記入に参加していなかった。

つまり、私も寅同様日本の人口に10年以上入れてもらっていなかったのである。(^^;)ゞ
そして私も寅同様、そんなものに入れてもらわなくてもかまわないとつい思ってしまう。


考えてみれば寅はそういう書類や手続きにハナから縁がない男なのだろう。

学校、健康保険、年金、何かの手続き、何かの給付、相続、…等々、
あろうがなかろうが、できようができなかろうが、全て知らぬ存ぜぬである。

唯一この「かもめ歌」で公立の定時制高校入学願書を正式に提出する。

本人はすみれちゃんと一緒に通いたいという見え見えの下心が90パーセントッであるにせよ、
やはり寅の『発心』の前に立ちはだかる現代行政の壁は厚くそして高かったのである。

中学中退なので、資格が不十分なんだってさ。

この「かもめ歌」を見るたびにラスト近くのこのシーンに胸を締め付けられてしまう。
なんだかとても悔しく、やるせなく、そしてじわじわっとせつなくなるのだ。

あの時さくらも泣いていた。

私はあのさくらの涙はしみじみわかるな〜。



           



           





追伸:

関係ない話だが、今日、近所のスーパーにプリント屋ができたので、
試しに「
寅次郎風の盆恋歌」のポスターをちょろっと刷ってもらった。
バリ島では今、こういうプリント屋があちこちに出来ている。
『大きく刷っても安いです』がウリ。

一枚この大きさで日本円に直すと450円なので、かなり安い。15分でOK。
支持体は紙でなく薄い布キャンバスというのがなかなか良い。
印画紙を使った正式な100年プリント(1500円ほど)と比べるとややきめ細かさと色の再現で見劣りはするが
お気楽にいくらでも大きいサイズが刷れるのがいいところ。

800円も出せばこの倍以上の大きさも刷ってくれるという。
元々画像自体は2,000万画素だから、大きさが2倍になっても同じクオリティは維持できると思う。


                     
近所のスーパー「ビンタン」一階フロアにて

           



ジャングルの中の自宅に持って帰り、

さっそく寝室の壁に飾った。う〜〜〜ん、睡眠の質が良くなりそうだ(^^)


チャンチャン。









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男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


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バリ人と寅の共通点 
 超ど派手葬式好き人間


2010年10月28日 寅次郎な日々 その460

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。

ようやくバリ島に戻ってきた。
しばらくのんびりしようと思っていたらいきなりパソコンが不調。
今日まで直していた。
やっとやっとで更新が出来るくらいには動くようになり、今こうして書いている。

いきなりウブドの町が喧騒に包まれている。
聞いてみるととなりのプリアタン村の王族の長が亡くなったので11月2日に
巨大な葬式を行うらしい。
その準備にみんな追われている。


昨日も、11月2日の葬式に向けてプリアタンの王宮まで両方の王族一同と
そのスタッフたちが準備を手伝うために作りもんのドラゴン(竜)に乗ったり、
本物の大きな象に乗ったりして行列を作ってドドドッと行進して行ったのだった。



     



     



ある意味、葬式の前に事前のお披露目をしながら何百人もが行進していくなんて無駄といえばこんな無駄もないが、
この島はこのような桁外れのハレを含む壮大なメリハリが必要な社会なのかもしれない。
儀式を見ればその社会の本質の一部がわかるから不思議だ。

そういう意味でもバリの人々はかなりの『葬式好き』だと言える。



そうそう、そう言えばあの寅もバリ人に勝るとも劣らないかなりの葬式好きだ。

第2作で早くも散歩先生の葬式をパーフェクトに仕切っている。

寅「よーし、あれもいいし、これもいいな、あっ、隠亡(おんぼう)への祝儀忘れてたな…!」
って発言なんかを見ても隠亡への祝儀の事が分かっているなんて、
もうこれはそうとうマニアックだ。  


     



第5作「望郷編」などは、おいちゃんが死んでもいないのに
全て段取りを整えてから帰ってきて大喧嘩。この時の寅の段取りの仕方は素早かった。
おそらくこれまでの20年間の放浪の中で幾度も人の死に立会い、このような処世を身に付けたんだろう。

タクシーの中で
寅「運ちゃん、あした友引か?友引だと困るんだよ火葬場休みだから...」
「運ちゃん、いまどきの暑さじゃ、仏は2日ともたねえかね?いよいよとなれば
ドライアイスでもいいけどな...それより面倒なのは仕出しの弁当だよな」

で、帰ってきた寅、おいちゃんが元気でピンピンしているのでもめにもめる。

まだ生きてるおいちゃんと寅が喧嘩している時に、
近所の井上葬儀店到着「このたびはご愁傷様で...」
寅「葬儀屋さん?あ、今日はいいなあ〜」

おいちゃん「帰ってくれ!帰って!死んだのはこのわしだっ、バカ!」
この森川おいちゃんのセリフは笑いました。


博「それじゃおじさんが死ななきゃ恩返しが出来ないんですか?」

寅「生きてて葬式が出来るかい!!」


                           

第2作、第5作、以外では、第8作、第30作、第32作、あたりでも
葬式を仕切る、またはかき回している(^^;)


第30作「花も嵐も寅次郎」では湯平温泉でいきなり葬式を提案し、仕切り、そしてかき回していた。


             

そして極めつけは、古典落語同様、
自分の葬式も盛大におこなって欲しがっていた。こういうところが寅の寅たるところ。


第14作「子守唄」でそのエキセントリックなアイデアをお披露目している。↓



さくら「葬式?」

寅「ああそれでなくても生前俺はお前たちに迷惑掛けてるし」

さくら「・・…」

寅「そんな時にはいろいろと考えるぜ」

さくら「どんな事?」

寅「オレみてえな者がこうして長らえたってのも、考えてみりゃみんな
  心の温かい人たちのお陰だからねえ」
  おいちゃん何べんもうなずく

寅「お通夜の時はそう言う人たちにせめてもの恩返しに
  おいしい酒の一杯も飲んでもらいてえとそういうところよ」

さくら「そうねえそれがいいわねえ」

寅「だけど俺は精進料理ってのは嫌いだからねえ」

寅「かまう事はないけどさやっぱり刺身かなんかでね
  陽気にバァーン!といきたいな。
  大体俺は派手好きだから。そうだろう」

おいちゃん「そうだな。俺もどっちかって言うとそっちの方がいいなあ」

おいちゃんそんなこと言っちゃって知らないよ〜(^^;)

寅「それとね御前様には悪いけどさ、あのお経
 (手を合わせる)あれ嫌い!
 あと、ほら霊柩車!
 あの屋根のこうなった(手であらわす)
 キンキラキンのあれ嫌い!うん。
 ともかく、そういうことは一切やめ!」と調子に乗る。

さくら「そうねえ儀式張ったのはお兄ちゃんらしくないものねえ」と同意。

寅「そうだろう。だから俺の野辺の送りにはだからあの江戸川に
  屋形船の五艘も浮かべてもらいたいなァ!」

と、寅はどんどん調子に乗り始める。

おいちゃんたち少し戸惑う。

さくら「屋形船?」と驚き。

寅「そう!先頭に俺の屋形船だ。
  二艘目にはさくら博、他に親戚一同。

寅「あ、おいちゃんおばちゃんは
  そのころ死んで片づいてる。
  後の三艘にはハッピ鉢巻姿の柴又神明会の
  威勢のいい若い衆。

  それと本所深川の
  きれいどころの姐さんを二〜三十人!
  あと笛太鼓三味線鳴り物も積み込んだ!!

  さあ!出発だよぉ!

               

  ネエ!

 五艘の舟が江戸川を静かに下っていく!
 ♪エンヤトットォ〜エンヤトットォ〜
 松島ア〜のオ!

 エンヤトットォ〜 エンヤトットォ〜
                       
 両岸で今や遅し待っている花火屋が
 大筒にスッと思いを込めて火をつけた!
 しゅるしゅるしゅるしゅるしゅる…バーン!!

 しゅるしゅるしゅるしゅるしゅる バーン!
                   
 玉屋ァ〜!!

 パーッ!と散ったヤツが
 パラパラパラパラパラパラ…」


      


 


 おいちゃん、情けない顔して「あ〜ヤダヤダ!」
 おばちゃん「ウゥゥ…」しくしく


と、いうことで、葬式はまあ程々がいいね。

チャンチャン。









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男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


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第41作「寅次郎心の旅路」 簡単ダイジェスト 



2010年10月16日 寅次郎な日々 その459

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。

このあと数日後、仕事でバンコクへ向けて出国しますので次回更新はバリ島に戻った後です。
おそらく10月末になると思います。




故郷のかたまりのような男 車寅次郎    久美子さんの悲しみと寅の悲しみとの違い



この物語は「寅さんが外国へ行く!」ということで話題になった。
本当のことを言うと、私はあの寅が外国に行ったからと言って、活躍できるなんて思わない。
ホームシックになって帰ってくるのがオチだと思う。

日本全国、どこへ行っても人気者だからといって、外国でも通用するかと言えば、そんなに甘くはない。

だから、このウイーンでの寅は迷子の子供のようにうろうろしていたと言ってもいいだろう。
満男も言っていたが、ウイーンと寅は似合わない。



         




現地で深く知り合ったのも同じ日本人ばかり。

それでもちょっとせつなさがこみ上げてきたシーンはあった。



それは、十年近く日本に帰っていない久美子さんの孤独と望郷の念が露出する場面だ。

久美子さんは、ドナウ川のほとりで寅のことをこう言う。

「寅さんって『故郷のかたまり』みたいな人」

寅は実は少年期からすでに故郷を捨てた男。だからいつも胸に
懐かしい故郷の想いを秘めて旅をしている。
故郷にどっぷりつかっている人であったならば、ああはならない。
故郷と自分が一体化しているので故郷を想わなくていいからだ。
故郷に帰れないからこそ、故郷のかたまりに見える。

寅の心の中にある江戸川の風景。
久美子さんの故郷も長良川のほとり。

その寅の心と久美子さんの望郷の念がシンクロしたのだ。


「何かわけがあったのか?こんな遠い国へ来たのは…」

この言葉は、日本を離れて十数年、こんな地の果てに隠遁して暮らす私の
望郷の念ともシンクロして、目頭が熱くなってしまった。
故郷に帰りたくても帰れないあの久美子さんの
ぼろぼろ流した涙は、異国に長く住んでいる私の涙でもあった。


久美子さんだって、マダムだってどこかで自分の青春期まで育った日本が恋しいのだ。
帰りたいに決まっている。しかし実際に日本に自分の人生の続きはそこにはなにもないことも知っている。
心はじっくり休まるだろうが、それだけなのだ。自分の生きる場は辛くともウイーンにあると自覚し、また戻っていくのだろう。

私も、日本を離れ遠くインドネシアのバリ島に二十年も住んできた。
毎年のように日本に帰ってはいるが、バリ島でないと出来ない仕事もある。
バリ島でないと描けない絵もある。モチーフのことではない。空気というか風というかその土地の持つ力というものがある。


久美子さんはただたんに意地を張って故郷に戻らないのではないだろう。
ウイーンが持っているある種の不思議な魔力にひきつけられているのは疑う余地はない。

それにもかかわらずホームシックになる。
ここに人間の決定的な哀れさがある。

坂口兵馬にとってはハレの、憧れのウイーンであり、舞踏会であり、芸術の都なのかもしれないが、
久美子さんにとっては生き抜くリアルな日常の娑婆なのである。



         




だからとにかく今回の寅は足が地についていない。寅にとってあのウイーンは生き抜く娑婆ではないのだ。
ウイーンでは、風を切って歩く旅人でもなく渡世人でもない寅は輝きようがないのである。

だいたい、寅は故郷を捨ててはいない。自分でも言ってうように一年の中だけでもしょっちゅう帰っている。
久美子さんやマダムは決して帰らない。ひょっとして一生もう日本へは帰らないかもしれない。
この決意の差は決定的に大きい。
どちらが偉いとか良いとかでは決してない。生きざまが違う。ただそれだけだが、
やはり異国で異邦人として生涯生き抜く人々の心は、どんなに幸せそうな事を言っても、
いつの時代でも辛そうで孤独そうで、どこか痛々しい。そしてしびれるくらい後ろ姿がカッコよくもある。
波乱の生涯を最後はソ連で終えた岡田嘉子さんを思い出てしまう。


         


とは言え、物語序盤の東北での寅。
こちらのほうは正真正銘日本の田舎であるから実にサマになっていてカッコいい。

くりはら田園鉄道で坂口兵馬の自殺未遂に立ちあってしまった寅は、兵馬と共に行動をともにし、
しびれる言葉で兵馬のかたくなで病的な心を解きほぐしていく。



兵馬「どういう方なんでしょうか

寅「そうよな、まあ、一言で言って旅人。
  家業でいうと渡世人といったところかな


兵馬「旅人かあ…いいなあ〜〜

寅「ははは、いいことばっかりはありやぁしねえよ。
  でもこらしょうがねえや、な、テメエが好きで入った道だから



兵馬「あなたにとってなんでしょうか生きがいというのは

寅「そうさなあ、…旅先で、ふるいつきてェようないい女と巡り逢うことさ、フフフ


兵馬「これからどちらへ
寅「まだ決めてない決めてない
兵馬「いつ決めるんでしょうか

寅「えー…、そうさなあ…これから宿を出て、それから吹く風に聞いてみるさ

兵馬「風に聞くか、いいなあ…

兵馬の質問にことごとくカッコいい切り返しをする寅。

なんとも渋いシーンだが、ここに私はこのシリーズの衰退が見えるのだ。

初期や中期の作品であれば、その言葉を言わさないで、物語の中の起承転結で実践し、
それを見る観客が、結果としてそう感じる方向に持っていったはずである。

何の物語の高揚もないまま、そんなに名言集のように寅に説明されても、私などはちょっと引いてしまいがちになる。
確かに今までの数々の名場面があるので、大失敗はしていないが、やはり、そういうセリフは物語の中で
身につまされて、しみじみ観客自身が感じたい感覚なのだ。

しかし、それでも、あのみちのくでの二人の奇妙な出会いとおかしな進展は面白いと言えば面白い。


自殺騒動からウイーンに行くまでの駆け引き、ウイーンでのブザマな寅、久美子さんの悲しみ、寅の失恋、解き放たれた寅の旅立ち
と、名将山田監督はアイデアがカラカラになりながらも毎度のことながらなんとか歯を食いしばってアベレージまで持っていくのである。

当たり前のことだが

山田洋次が原作を書き、演出をし、渥美清と倍賞千恵子が主役を演じる。
これが面白くないわけがない。
お金を払ってみる価値はやはりあるのだ。





それでは第41作「寅次郎心の旅路

本編 簡単ダイジェスト版をどうそお楽しみください。





        









旅館 松楓荘


宮城県 本吉郡志津川町黒崎99-2


志津川湾に面する海岸にある安宿という設定。


秋の長雨。

露天が出せずに安宿に篭っている寅たち。

風邪を引いて咳をしながらさくらからの手紙を読んでいる。


       


さくらのナレーション

お兄ちゃん、ハガキありがとう。
この手紙がお兄ちゃんの手元に届くかどうか心配しながら書いています。

風邪をひいたんだって?今年の風邪はしつこいから気をつけなきゃだめよ。
お兄ちゃんは薄着だし、外食が多いから栄養が行き届かないし、どうしても
風邪をひきやすくなるのよ。

私たちはみんな元気。

心配事と言えば満男の入学試験です。毎晩遅くまでがんばってます。
お兄ちゃんも合格を祈ってやってね。

今度はいつ帰るの。桜の咲く頃、それとも若葉の頃、みんなで首を長くして
待ってるわ。それじゃ、体大事にね。さくら



宿の女中さん役でいきなり谷よしのさんが登場!

今回は台詞も多い。



       



谷さん「持ってきてやったよ、煎じ薬

寅「

谷さん「これ飲んで暖かくして寝ると、汗がパーッと出て、すぐ治るから

寅「ありがとうよ

谷さん「ちょっと苦いけどね

寅「うん

谷さん「ほんとによく降るねえ」と言いながら去っていく。

寅「ああ」と空を見る。


ポンシュウや出川さんが花札をしている。

寅「あーあ…、栄養つけろったって、肝心のものがなけりゃ、どうしようもないじゃないか、な…

封筒の中に一万円札が!


      


取り出し、じっと見つめている寅。

ポンシュウが酒が飲めると喜ぶが寅は怒って

寅「堅気の女が汗水たらして働いた金だぞ、てめえらみたいなヤクザもんの酒代に
  してたまるか!バカ!ったく…


とお湯に溶かした煎じ薬を飲んだ瞬間、「プハー!!」と吐き出し

寅「あー!苦い!苦いじゃねえかバカヤロ!」とポンシュウに八つ当たり(^^;)


タイトルイン

はつらいよ 寅次郎心の旅路


      





大高森から眺めた「松島」


島巡りの観光船になぜか乗っている寅とポンシュウ。

ポンシュウが人違いの目にあって
若い女性に背中に手を置かれる。
そのあとなんと腕を組まれて、
嬉しいのか、なんだか分からなくなって、鼻の下を長くしてしまうが、
途中でその女性が恋人でなくポンシュウだと気づいて大騒ぎ(^^;)
恋人である男性がもう一度現れて、またまた大騒ぎ。

笑っている寅。


      




松島 瑞厳寺でバイをする寅たち。

小刀で仲間を脅して遊ぶ寅。


     



通勤電車で揺られている兵馬が映しだされる。


変わって


柴又 さくらの家

これは二番目の家。

葛飾区東金町6丁目 葛西神社裏交差点近く。

意外に散歩先生の自宅に近い。


これは一番目の家が総武線の高架計画にひかかってしまったので
ロケ地を引っ越した結果、なんと北にある常磐線を越えてしまったのだ。
おまけに台所のあり方が見ての通り左右逆。
でも、大船セットでもきちんと台所は逆にしていたのは偉い。(あたりまえか^^;)


前の家は電車の高架になるので立ち退き。
もちろん、映画の設定的には同じ場所、同じ家ということ

どうやら満男は浪人して、予備校に通っているようだ。


     


満男はややだらけ気味。


満男は電車に揺られて予備校に通っているが
こういう暮らしが一生続くことにうんざりしている。



脚本の第2稿の時点では、

満男はさくらと一緒に大学に合格発表を見に行ったシーンがある。


〇〇大学構内

掲示板に合格者の名簿が貼り出されている。

大勢の受験者に混じってボンヤリ名簿を眺めている満男。
その後ろにさくらが佇んでいる。
二人の表情にありありと読み取れる落胆の色。
満男振り返り、さくらの顔をチラリと見て歩き出す。
ものも言わずその後に続くさくら。
歓声を上げるグループのそばを通って二人が歩いていく。


決定稿では↑のシーンは削除。


満男、食卓で朝食を食べながら

満男「羨ましいなあ〜って…

さくら「誰が?

満男「伯父さんだよ、だって伯父さんはそういう生き方を否定したんだろ

さくら「何言ってんの?伯父さんは否定したんじゃなくて、
   
否定されたのよ世の中に
んな…身も蓋もない言い方。。((( ヾ(^^;)

満男「

さくら「あんたもそうなりたいの?
   いつまでも一人前扱いされないで
   兄妹や親戚に心配ばっかりかけて、そんな生き方がどこがいいの?



      



満男「冗談だよとスタコラ逃げていく。




代々木駅前


交差点で代々木ゼミナールに通うために歩いている満男達の姿



一方

坂口兵馬は会社の会議中にノイローゼ状態になっていく。

砂糖壺の中にコーヒーを入れ、かき混ぜる兵馬(TT)


       






柴又 とらや 夕闇の頃


茶の間の上がり框でぶつぶつぼやいている社長

おいちゃん「消費税の文句なら政府に言ってくれよ

社長の言い訳によると『生きるのさえ面倒臭くになった』 … らしい(^^;)

第32作における博の大投資は効果なかったのかい?博に頼むから元金だけでも返してやってくれ。


       



そんな時、寅から電話、

博は満男が入試に落ちてしまったことを伝える。

捲土重来という言葉を使って寅に説明していた博だが、寅は分からんだろうなあ。。。

けんどじゅうらいと博は言っていたが、「けんどちょうらい」と呼ぶことの方が多い。どちらでも○。


重複・・じゅうふく、ちょうふく と同じ。




とらやからの帰り道  さくらと博

江戸川土手


江戸川土手を自転車を押しながら

博「どっか旅行でもしたいなあ…

さくら「どこに?

博「金貯めて、ヨーロッパでも行くか寅は行きますよ〜〜(^^)

さくら「フフフ、無理よ、満男が大学出るまでは


       




ところ変わって



宮城県  くりはら田園鉄道線

2007年に廃止。


『鴬沢駅』から西に600メートル


かわいい車両がのんびり走っている。



線路脇で疲れた表情で座っている坂口兵馬。

こんな遠くまではるばるやって来たんだねえ。。。


       



一方車内では…


車掌を呼び止め乗越することを伝える寅。


笹野高史さん扮する車掌さん。

車掌「はい、どちらまでいらっしゃいますか?

寅「さて…どっちのほう行ったらいいかなあ

車掌「

寅「疲れがスーっと抜けるような温泉でさ、
  女将さんが優しくって、酒が旨くって、
  どっかこのへんにそんな気の利いた温泉ねえかい?フフ



       



車掌さん、羨ましそうに

車掌「そんなとこあったら私も休みとって行きてえなあ〜〜。
   ストレスが多いからこの仕事も



       



その時、急ブレーキ!!!
    


事件現場は鴬沢駅から西に600メートル地点。


例のノイローゼになったサラリーマン坂口兵馬が
このローカル線「くりはら田園鉄道」で自殺を図ったのだ!


しかし幸運なことに

間一髪あと30センチ!のところで電車は止まる。


      



『ウイーンの森の物語』のBGMとともに
みちのく卸売りセンター、ヨーロッパ家具展示会宣伝軽四がヨタヨタ通る。



スピーカーから

まいど〜〜、お引き立ていただいてぇえ〜おります。
みちのく卸売センターは、日頃のご愛顧にこたえて
ヨーロッパ家具大バーゲンセールをおこないます。
円高で輸入品がぐっとお安くなりました。



寅は兵馬を起こしながら

寅「おい、死にぱぐっちゃったなあ…、え、
 またそのうちやりやあいいや、な。

 立てられるか?よし、おう立った立った、
 おう、つかまってつかまって



相手を責めるのでなく、相手に逃げ場を与えてやるこの語りは、
人の悲しみを知っている寅だけが言える優しさだった。



笹野さんの薄い髪の毛をつかみながら
立ち上がり電車に乗せられる兵馬。(^^;)


そして電車はまた走っていくのだった。

ヨーロッパ家具販売「みちのく卸売りセンター」の軽四からスピーカーが流れ続けている

ああ〜〜〜なたの暮らしにハイセンスな香りを。
ヨーロッパの家具大バーゲンセール


この声役の女の子、ギャラちょっとでももらったのかなあ…(((^^;)





電車の中



車掌寅に

車掌「あのー、まことに恐れ入りますがお客さん、目撃者ということで、
    警察まで一緒に来ていただけますか?


寅「オレがか?…ああいいよ。オレはどーせ暇だから

車掌、ほっとしている。

寅、前に座っている女子高生たちに

寅「なあ、姉ちゃん、暇って顔してるだろオレ、フフフ

ゲラゲラ笑う3人組の女子高生。


      




栗沢警察署


待っている寅と車掌。



      



寅は車掌を誘って、温泉宿に付き合わせる。




鳴子温泉字新屋敷 付近  花園旅館


     


ナイトパブ『ローマン』の斜め向かい

宮城県 大崎市 鳴子温泉 字 新屋敷 


寅たちの部屋

風呂から帰ってくる寅

事情を聞く寅

寅「なんか辛いことでもあったのか?え?会社の上役にいびられるとか、
  家庭のゴタゴタだとか



兵馬、青い顔して

兵馬「僕…病気なんです…


      


寅ビビって

寅「う‥うつ、うつるの??(((^^;)

兵馬「いえ、時々死にたくなりまして(((((((((^^;)


寅は、頭に効く温泉だから、しばらくここの温泉に浸かることを勧める。
兵馬は明日は会社に行かないと、と不自由な心のままでいる。


そんな兵馬に寅は

寅「おい、おまえがいないと会社潰れちゃうのか?

兵馬「そんなことありませんけど

寅「だったらいいじゃないか」と言ってお風呂に行くことを勧める。


寅「桶にね、お湯を汲んで、
 何杯も何杯も、こうやってかける…。
 わかったな、うん


名言だねえ…。この作品で一番の名言だ。


      




そう言われて、兵馬は少しリラックスしたようだった。

兵馬「はい

寅「じゃあ行って来い!

兵馬「はい




寅あとで独り言。

寅「あ〜あ、何も死ぬまでガツガツガツガツ
 働くこたあないんだ。ねえ。
 黙ってたっていつか死ぬんだから



で、その夜は車掌さんも入れて芸者さんたちと大騒ぎ。
兵馬も
ウインナワルツで大はしゃぎ。


       


一緒にワルツを踊っているのはお馴染み田中リカさん、このシリーズの中では
欠かせない女性。



     




笹野さん、なぜ夜になっても車掌さんの格好でカラオケで
浪花しぐれ「桂 春団治歌って騒いでるの?
着替えないのかなあ((^^;)

車掌「 酒も呑めなきゃ 女も抱けぬ
    そんな どアホは死になされ この世は呑ん兵衛が
    引き受けた あの世はあんたに まかせたぜ
    男浮名の エー 春団治〜〜




【浪花しぐれ 桂春団治】  京山幸枝若 歌

作詞:渋谷 郁男作曲:村沢良介

酒も呑めなきゃ 女も抱けぬ
そんな どアホは死になされ この世は呑ん兵衛が
引き受けた あの世はあんたに まかせたぜ
男浮名の エー 春団治




兵馬に酒をどんどん飲ませている寅。



翌朝


ローマンが見える路地の突き当たりに「花園旅館」


      



帳場では、兵馬が全費用をカード払い。




寅の部屋


兵馬はかなりすっきりした顔になっている。

窓の外は明らかに『』(^^;)


兵馬は寅のお陰でリラックスできたと言う。


兵馬「固く縮こまった心が柔らかく溶けていくというか


兵馬は聞く


兵馬「いったいあなたはどういう方なんでしょうか?


寅「どういう方って…、まあ一言で言って『旅人』
  稼業で言うと『渡世人』と言ったところかな



     


兵馬「旅人かあ…いいなあ〜〜


寅「ははは、いいことばっかりはありやぁしねえよ。
 でもこらしょうがねえや、な、テメエが好きで入った道だから



兵馬「あなたにとってなんでしょうか生きがいというのは


       



寅「そうさなあ、…
 旅先で、ふるいつきてェようないい女と巡り逢うことさ、フフフ



       



寅「あ〜あ、うんこしてこよ

兵馬は寅のあとを一緒に金魚のフンのようにつきまといはじめる。

兵馬「これからどちらへ

寅「まだ決めてない決めてない

兵馬「いつ決めるんでしょうか

寅「えー…、そうさなあ…これから宿を出て、
 それから吹く風に聞いてみるさ


兵馬「風に聞くか、いいなあ…



まあ、この一連のシーンの二人のやり取りの豊富なこと。
中身の濃い会話や渋い語りがポンポン出てくる。

これを会話の充実と考えるのが妥当だとは思うが、

ふと、もうひとつの考えが頭をよぎる。

物語の最初にこのように一気にカッコいいセリフでトントンと寅と言う人間を
説明してしまうということはある意味、作品の物語と乖離してしまう危険性が出てくるのではないか…。

初期の頃や十作台の物語にこのようなカッコいいセリフや語りは、
あるにはあるが、物語の中でタイミングよくバランスよく語られていた。

最初にまず物語がある。そして物語の中で観客は寅の生き様を見て
自然にそういうふうに寅を見ていくのだ。
決して言葉で言い切ってはいけないような気がする。

ふくらみのある物語のなかでこそ言葉は生きることは自明である。

まあ、それでもそれはそれとして、何はともあれ、
寅のこの一連のセリフはなかなかよかった。






宿を出て…


陸羽東線(りくうとうせん)線路脇


宿を出てこの次に兵馬は行きたいところがあるという。


兵馬「少し遠いんです、ウイーンです

寅「ああ、湯布院か…あれは遠いなあ


兵馬「いえ、ウイ―ン!なんです

寅「うん、湯布院だろ、九州のな、知ってるよ、遠いよやっぱり


      


ホテル扇屋( 鳴子温泉字新屋敷38-1)
旅館みすず
旅館幸楽


      


『ウイーンの森の物語』をスピーカーで鳴らしながら
みちのく卸売りセンターの軽四が近づいてくる。

円高につき、高級輸入家具お買得】
展示会会場は『商工会会場』 ナンバー90-90

それに乗せてもらう寅たち。


       



東京 柴又 題経寺 境内


二天門のところにイッセー尾形さんがやって来て
独特の雰囲気を振りまいてとらやに向かう。



       




とらや  店


とらやに来るなり寅のパスポートを見せて欲しいと言い出す。


       


さくら「パスポート??誰の??ねえ((^^;)

と、さくらは???


イッセーさんの言うぶんには、一昨年の夏競輪で万車券を取って
ハワイに行こうということになって、その時に取得したらしい。

第4作でも競馬で万馬券が当たってハワイに行くことになったが
全く同じ話だね、こりゃ。



       


おばちゃん思い出したように

おばちゃん「そういえば、預かってたよ、その…パス…なんとかってーの

おばちゃんだって第4作で、
おいちゃんや寅ともども一度はちゃんとパスポート取得してますよ。


探し出したパスポートを見てイッセーさんクスクス笑い。


       


なんと帽子!をかぶって、かつ斜め取り!、かつ笑ってる!。
普通は絶対写真取り直しだ(^^;)


どうやら、みんなの知らない間に兵馬が寅の分も含めてウイーン旅行の
段取りをしてしまったようだ。 あちゃあ〜〜〜。


       


寅が外国へ行くとしたらこれで二回目。
一度目は第24作の宣伝でアメリカアリゾナへ。
しかし本編ではもちろん行っていないので、本編としては初めてのこと。



いつものように、早口でどんどんまくしたてて、
さっさと店を出て行くイッセーさんだった。
これはは第38作の医者と同じキャラ。



       





とらや 茶の間  夜


みんなでKLMのチケットを見ていろいろ話し合っている時に

なんと寅がそっと帰ってくる。寅が夜帰ってくるのは極めて異例!

さくらは寅に気づかないでパスポートの写真見ながらクスクス笑っている。

寅も背後から眺めて一緒に笑っている。バカ(^^;)


みんなひとしきり寅の存在に『うわーっ』て驚いて、

すぐに事の次第を寅に問いただす。


       


寅は4月の終わりのあの兵馬との出会いを誇張&脚色を交えて事細かく話すのだった。


       



この時さくらたちに寅は兵馬のことを「お面かぶったような男」などと表現するのだが、
さくらはこの後ずっと兵馬の話題が出るたびに坂口さんとは言わないで顔に手をやって↓
ジェスチャー入りで寅の真似してしつこく「お面かぶったような人」と言っていた(^^;)


           



さくら「お兄ちゃんはウイーンがどんなとこかわかってんの?

寅「温泉場だろ??」 しつこい… ヾ(^^;)

みんな一斉にあきれかえる。


こで、博や満男はウイーンが遠い異国であることを説明したり、
寅がくれた地球儀のおもちゃを見せて、位置をわからせようとするが
結構近いじゃないか」と地球儀を指さして言ってしまう寅だった。


       



ポンシュウはついこないだ外国行ったそうだが、日本語が通じるところだった。
寅の場合は全く通じないところ。


寅はみんなに言われて「行かない方がいいか…」と言い出し始める。

満男「そうだよ。伯父さん、ウイーンなんて似合わないよ、音楽の都だよ

寅とりあえず頷く(^^;)

博「そうだなあ、モーツアルトの音楽なんて興味ないでしょ?


       



寅「そーですねえ〜、モーツアルトは…興味ないねだって(((^^;)

で、結局断ることに。


ところが...






翌日 とらや 茶の間


翌日兵馬がやって来て、寅が
浪人している満男の家庭教師&朝日印刷の帳簿チェック
いうことでウイーン行きを断ると、



       


突如裏切られたショックから兵馬の病気がぶりかえし…

兵馬は突然

兵馬「あ〜〜〜〜ン、あ〜〜〜〜〜〜ン」と発作が始まる。


      



薬を飲む兵馬


      


寅は声の出どこをキョロキョロ探し、兵馬だと分かると、びっくり&ビビる。
真っ青な顔をして立ち上がりおろおろ。


兵馬「寅さんも、僕を裏切るんだ…。
  サヨナラ… あ〜〜〜〜〜〜〜ン
柄本さんようやるわ(^^;)

と立ち去ろうとする。

寅が行かないのなら自分も行かないといい切る兵馬。

再び自殺でもしそうな勢いだったので

寅、ビビって、

寅「待て待て、よし!オレ行くよ。安心しろ!オレ行くから!な」と、なだめごまかす。


で、兵馬の自殺を恐れた寅はとりあえず寅も成田に行くことに。

さくら「成田から、電話ちょうだいね

寅、しょぼくれて、

寅「な、さくら、人にはなまじ親切にするもんじゃないな、
  オレこれから
個人主義でいくかんね」とキッパリ。


      


よく知ってたな【個人主義】なんて言葉(^^;)






さくらの家 夜      



さくらは夜遅くまで寅からの連絡を待っているが、
全く連絡がない。。。



おっと…さくらのパジャマ姿が映る。((^^))


      




ようやく翌日寅から電話がかかってくる。

ところが!な、なんと寅が電話していたのは経由地である
オランダアムステルダムのスキポール空港だったのだ!

さくらはここでも坂口さんとは呼ばないで
お面被ったような人」としつこく言っている(^^;)

さくら、どうも声の様子が遠いので

さくら「ねえお兄ちゃん!今どこから電話してるの?


     





オランダ アムステルダム スキポール空港


寅は空港スッタフの男性に

寅「え?どこ、ここどこ??

男性「スキポール空港です

寅「え?

男性「スキポール空港です


     


寅「スキッポだってさ」(^^;)

こうして寅はウイーンに飛び立ってしまったのだった。

さくらは「もしかしたら行っちゃったのかしらヨーロッパに…。まさかあ…


機内で兵馬は寅に嘘をついて日本に帰る飛行機だと言う。 そんなわけないって…ゞ(^^;)


     






旅立ってから 4日後


柴又 とらや(くるまや) 店


雨が降っている。


みんな、寅があのあと遠い異国の地でどうなったか
わからなくて食欲も出ない。

そんな時、旅行帰りの青森県の福士という男性が訪ねてくる。

このシリーズではすっかりお馴染みの『じん弘さん


じん弘とハッピーどんかん で、
ピンポン球に棒を付けた「インチキピンポン」のコントで浅草松竹演芸場で
活躍していたじん弘さん。ダウンタウンヒーローズやキネマの天地にも出演していたコメディアンさんだ。

第37作「青い鳥」などで、
じん弘さんが大洋ホエールズの帽子を被ってそしてあのたっぷり感のある口髭で出てくると
もうそれだけでなぜだか可笑しい。空気が違うのである(^^)

じん弘さん扮する人々はちょっとがさつだが実に人が良い。
先程書いた第37作「幸福の青い鳥」で看板屋の親父さんを
なんともいえない味わいのある東北弁で演じていた。
人が良いだけでなく、あの東北弁をもったりと操りながらも、
なかなか洞察力も鋭く持っているところが心憎いのだ。


圧巻はこの第41作。
寅がトイレットペーパー汚い字で書いたさくら宛のメモを、
ウイーンから青森まで帰る途中でわざわざ柴又まで来て
とらやへ持って来てさくらに手渡すのである(TT)

この時の身振り手振りのじん弘さんのアリアは笑った(^^)
あんな人普通はいないよ、お人好し〜…って心底思った。
しかし、あれこそじん弘さんの真骨頂なのである。
あのキャラは笹野さんではちょっと違うし、すまけいさんもずれる。
やはりあれはまさにじん弘の世界なのである。

第39作では、寅やポンシュウたちと一緒にバイをしていた。

第42作「ぼくの伯父さん」でも歌の中で茨城県袋田温泉の「袋田駅長」として登場。
イッセ―尾形さん扮するおじいさんと、寅を仲直りさせる役をしていた。




福士「あのー、こちらね、寅さんと言う人の家ですか?

頷く三平ちゃん。

福士「あ〜〜、…探した探した、なんたってね…、はあ〜…


       


さくら「あのー、何か??

福士「私、あのー福士というもんだけれども、ヨーロッパツアーの帰りで、
   さっき成田に着いたんですけども、今夜の汽車で青森さ、
   もどねばならねぇんです

   実はねえ、ツアーの最後はウイーンでねえ、
   土産買いに街歩いてたらね、上のほうから『おーい、お前日本人かァ〜』
   って聞いたもんですから、

   私あんた上見たら、まあ〜、建物の2階から、ハァチマキ
   した男が首ィ出してるんです」
この言い方笑える(^^;)

   私が、『そーだよーっ』て言ったら、ね。

   『すまねえけれども、この手紙をオレの実家に届けてくれーっ』て

   これこれ…、

   あー、これこれ、これをね、ポ―ンと
   投げてよこしたんですよ、はい。

   わたくしがね、『どこだ、お前の実家は〜』って聞きましたらねえ、

   『京成電車柴又駅で降りて、寅のウチはどこだと言やあ、
   すぐ分かるからァ〜
滅茶苦茶や(^^;)



       



  乱暴な話でしょう〜、よっぽど断ろうと思ったんですけどねえ。
  わたしもまあ…、ちっ、人がいいからねえぇ〜…



 ほんとほんと凄いお人好し〜(^^;)


呟くじん弘さん、最高の表情でした。うまいなあ〜〜。


さくら、『トイレットペーパーの字』を見て顔がほころぶ。


さくら「ほんとにご迷惑をおかけいたしました」とお礼。

さくら「三平ちゃん、おビール差し上げて

福士「あ、ビールすか…奥さん、そ…まんざらでもない顔(^^;)


さくら、おいちゃん、おばちゃんに、トイレットペーパーの殴り書きを見せて大喜び(^^)

さくら「おいちゃんおばちゃん、お兄ちゃん無事だったわ!
   ほら、ウイーンにいるって!


う〜ん、このトイレットペーパーを広げて見せるカット、
さくらが映っている時間が長すぎ。
2秒長い。間が持たない。
おいちゃんとおばちゃんがこの手紙を読んでいる時間を考えて長く映しているのだろうか?
とにかくこの間は観客には飽きる。



       


脚本第2稿までは、このじん弘さんのシーンは存在しない。
そのかわり、なんと兵馬の母親がとらやに訪ねてきて、兵馬と寅は無事ウイーンに
着いて観光をしていることを報告していた。
兵馬を救ってくれた寅のことを感謝している様子だった。






ここからウイーンロケ。




ウイーンの森。

ヨハン・シュトラウスの「ウイーンの森の物語が流れる。


街のシンボル 聖シュテファン寺院がまず映って…




シュテファン寺院近くのケルントナー通りのわき道

クルーガー通り。



ホテル・ツア・ウイーナー・シュターツオーパー

これは寅たちが宿泊しているプチホテル。

典型的なBiedermeierスタイル

国立オペラハウス(国立歌劇場)にちなんで付けられた名前。


       


旅情報によると↓

このホテル、ケルントナー通りからすぐそこで、思わず立ち止まる外観。
部屋はバスタブがなく、シャワーのみ。

ザッハーの近くで待ち歩きに便利。
建物の前面のデザインが面白い。
部屋は狭いがツインでも2万円弱で泊まれる。

名前が示すように、国立オペラハウス、王宮、シュテファン寺院等にすぐ。
ビジネス、観光共に街に出てゆくのに理想的な位置。

ホテルの特徴は、スタッフが、
観光旅行や、美術館、劇場のチケットのインフォメーションなどを提供。






ブルク庭園

モーツアルト像


モーツアルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク第一楽章が流れる。

花壇の花はト音記号の形に咲くように植えられている。


もともとはオペラ座裏の「カフェ・モーツァルト
」前に建っていた
(カフェの名の由来もこの像があったことによる)が、
1945年の空襲で消失、戦後場所を遷して建て直されたもの。


       


寅はモーツアルト像の前でもしらけている寅に失望。

兵馬「あ〜〜。こんな人連れて来るんじゃなかったなあ…だって(^^;)


兵馬は舞い上がって寅をベンチで待たせて、ウイーン美術史博物館に一人で行ってしまう。


ベンチに座るマダムにせんべいをやって人生を語り合う。

マダム、しみじみと

マダム「人生は辛いものよ…現地の貫禄マダムが言うと説得力あるなあ…


       



一言。


リンクを挟んですぐ外にあるのが、



ウイーン美術史博物館


ブリューゲルを観る兵馬


「雪中の狩人(冬)」(1565年)


       

 

この12カ月シリーズの推定6枚のうち3枚はここ美術史美術館にあって、
残りの2枚はNYとプラハにある。



「バベルの塔
」(1563年)


塔の進捗状況を視察に来ているニムロデ王らがいる。
右の画像では工事中の人や建築材を運ぶ人の描写など非常に細かい。


       


北方ルネッサンスの鬼才、ピーテル.ブリューゲルは
塗り重ねによる硬質感と透明感が素晴らしい。それらも凄いが、
なによりも彼の人間を見る目があまりにも鋭い。

しかし、この博物館には私の大好きなベラスケスの王女マルガリータやレンブラントの自画像がある。

しかし本当のことを言えば絵画でウイーンといえば世紀末芸術の『エゴン・シーレ』だ。
私の恩師である坂崎乙郎先生はこの『エゴン・シーレ』を徹底的に研究し、評価していた。
(平凡社ライブラリーから復刊)





このブルク庭園の門の前で久美子さんに出会う寅。


久美子さんが寅を自分のツアー客だと間違えて

久美子さん「早く」って言ってしまう。

すべてはこの久美子さんの「早く」から間違いが始まった(^^;)


       


そうなれば、目がハートの寅は何の理由もなくついて行くのは当たり前(^^;)

バスの前でニコニコ笑っている寅を見て、
ついかまってしまう久美子さん。


久美子さん「どうなさったんですか?お連れの方とはぐれたんですか?

こうなると蟻地獄のように寅のペースに乗ってしまう。


       


寅の唯一のドイツ語

寅ニコニコ笑って「ダンケ!

結局寅は久美子さんのツアーバスに乗せられて、
あれこれ質問されるはめに(^^;)






ウイーン市内の名所を次々にバスは回っていく。


この時歌われている歌はなんて言うのだろう??
どなたか知ってる方教えてください(^^)ゞ



ユーゲントスティル(フランスではアールヌーボー)の様式
フランス・ベルギーのアール・ヌーボーに対応する言葉で、
ドイツで刊行された美術雑誌『ユーゲント』に由来した
ドイツ圏の世紀末芸術のこと。

ユーゲントスティル、分離派の建造物

カールスプラッツ地下鉄駅

建築家オットーワーグナーの傑作


      



黄金の玉葱 (黄金のキャベツという人もいる)

セセッション(分離派会館)


      




シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿に久美子さんたちは入っていく。

寅も一応トボトボついて行く。


「美しい泉」という意味で、フランスのヴェルサイユ宮殿をしのぐ宮殿を目指して、
17世紀末から18世紀半ばまでかかって造られた。

早口でツアー客に説明していく久美子さん。


       



久美子さんが途中で中断したシェーンブルン宮殿の名前の由来の説明↓。

マティアス帝が狩猟の時に、シェーンブルン(美しい泉)を発見したこと、だそうだ。


全部で1,441室

ここの一部(召使いたちの部屋)は実は賃貸住宅として貸し出されている。



年間入場数150万人。更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると
年間には670万人が訪れる。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、
黄金に近い黄色にした、これをテレジア・イエローと言う。



またバスに乗って
市内観光

ウイーン国立歌劇場を通る。

Wiener Staatsoper  ヴィーナー シュターツオーパー


     


久美子さんは市内の主なホテルを並べて寅に聞いていくが

寅「日本語に訳すと今何しゃべってるんですか?
久美子さん「あ、もう〜〜〜
」って、笑ってしまう。
後ろの人たちもクスクス


そのころ、
兵馬はモーツアルト像の場所まで戻ってくるが当然寅はいない。
あせって外に捜しに行く兵馬。






聖シュテファン寺院


ウイーン市内からウイーンの森までを一望できる聖シュテファン寺院。

リンクの中心に位置し、世界遺産(「ウィーン歴史地区)にも登録されている。
12世紀から3世紀以上もの年月を費やして建てられたオーストリア最大のゴシック寺院。

「シュテッフル」と呼ばれる137メートルの高さの南塔は14世紀に造られたもので、
この寺院の目印になっている。(高さでは世界第3位)現存で最古の部分は
正面入り口にある13世紀建造の後期ロマネスク様式の門。
高さ61メートルの北塔は鐘楼で、内部にはオーストリア最大の鐘「プムメリン」が置かれている。
これは17世紀末期に敗退したトルコ軍が置き去りにしていった大砲などを溶かして造ったもの。
ほかに歴代皇帝たちの内臓が納められた地下のカタコンベがある。
寺院の裏手にはモーツァルトが「フィガロの結婚」を作曲したといわれる「フィガロハウス」がある。

ウイーンは、聖シュテファン寺院以外にも
ウイーンの森 、シェーンブルン宮殿 、ショプロン ドナウ河とバッハウ渓谷、
ハプスブルク ベルベデーレ宮殿 、ホーフブルク宮殿 、ミラベル庭園、 国立オペラ座 、
美術史博物館など見所満載の街。




       


久美子さんは北塔に登り、ツアー客相手にプラター公園(遊園地)の大観覧車
はるか向こうに見えるウイーンの森もドナウ川をせかせかと説明。


       




    【寅のホテルとその近場のロケ地案内】

     






インターコンチネンタル.ウイーン ロビー

で、ようやくツアー客たちは
宿泊宿だった「インターコンチネンタル.ウイーン」のロビー&レセプションに
たどり着く。どうやらこのあと空港に向かうようだ。

久美子さんにここで待つように言われた寅も、疲れてウトウト寝ている。

ツアー客の中に関敬六さんがいる!!。



             




久美子さんは仕方なく昔から困った時にはお世話になっている
命の恩人である資産家の未亡人「マダム」に手伝ってもらうことに。

淡路恵子&竹下景子コンビの黄金コンビ。
この二人はもちろん第38作「知床慕情」のコンビのまま、横ずらししたもの。




街のカフェ


久美子さんと寅がカフェで待っているとマダムがやって来る。


寅「私、東京は葛飾柴又の車寅次郎と申します

マダム驚いて

マダム「あら、私金町よ!


       


寅も驚いて

寅「え!?、あ、じゃあ、と、隣町だあ!

マダム「懐かしい…

マダム「子供時分会ったことがあるんじゃない?帝釈天の境内で

寅ニコニコ

マダム「見たような気がするこの方忘れにくい顔だからね(^^;)


       


寅「オレもいっぱい見られたような気がする、この方上手い、座布団一枚(^^)

3人とも爆笑(^^;)

寅「懐かしいなあ〜

で、久美子さんは仕事に戻り、

マダムは寅が食事に手をつけていないことに気づく。

寅はウイーンの食事がまったくあわないようで食べれないのだった。

寅「こういうのは苦手で、
  どっちかというと熱い番茶と、焼いたおにぎりみてえなのが食いてーなあ
一日も早く日本帰れよ(^^;)

マダム「そんなの、うち来たらすぐできるわよ

寅「あ、そうなの

マダム「うち来る?

寅「行こう行こう、すぐ行こう!


       


寅のこの発言「行こう行こう、すぐ行こう」は
大船にあった松竹テーマパーク『鎌倉シネマワールド』の宣伝に使われた。



一方、その頃兵馬は寅を探すがどこにもいない。



ホテル・ツア・ウイーナー・シュターツオーパー


夜になって、へとへとの兵馬のもとにようやく寅から電話があり

寅「フフフ、今、美しいご婦人のお宅でね、シャケの茶漬けをいただいてます♪と、お気楽な声

兵馬「なにが茶漬けですか!一日中探して歩いたんですよ!」と怒って切ってしまう。

とは言え、この旅行最大のメインイベントである舞踏会への準備は怠らない兵馬だった。


兵馬曰く

兵馬「なんであんな男連れて来たのかな、しかもこっちが金まで出して!
   …やっぱり病気だったんだな…フフフ


と、ある意味病気が治り、今ではすっかり元気な兵馬だった。




大きなマダムの屋敷


玄関に入っていく久美子さん。


マダムの部屋。

まだ寅が部屋にいた。

久美子さん寅が部屋にいることも知らずに

久美子さん「ねえ、どうした?あの不思議な日本人

寅、隣の部屋で

寅「へへへ、不思議って、ハハハ←このセリフに限っては渥美さんの素が入っていた。

久美子さん「あら!

寅「フフフ、お帰りなさい、フフフ

久美子さん「あ、ここにいらしたんですか、フフ

マダム「あんまり話が楽しいんで引き止めてたのよ、ね

久美子さん「わかりました?ホテルの名前

寅「マダムがあちこち電話してくれてて、すぐわかりました。
  今、相棒のところへ安心するように電話入れたばっかりです


久美子さん「よかった。さすがおばさんねえ


寅は久美子さんとマダムの出会いを聞く。



       



久美子のテーマが流れる

3年前の雪の降る日…


久美子さん「あの冬は仕事がなくて…、おまけに病気して、
       とうとう最後にはパンを買うお金もなくなってね、
       もうどうにでもなれってリンク通りって道を歩いていたら
       あのおばさんが…、毛皮来て向こうから歩いて来たの。
       私『すいません、お金貸してください』って、いきなり言っちゃったの…フフ



寅、神妙な顔になって

寅「そうしたら、マダムなんて答えたんだい?


       


久美子さん「『ついておいで』って…

寅「へえ〜…

久美子「フフ…、この家で、ちょうどここで、こんなご馳走食べさせてくれて、
    そのあとで、『いくらいるの?』って…、そう言ってくれたの



       


寅「へえ…、マダムらしいなあ…

久美子さん「

寅「へえ…

寅「寒い雪の夜にばったりねえ…


そういえば寅も、その昔、山形の雪の舞い落ちる寒河江で、
お金がすっからかんで、腹すかせて、もうダメだと、思った時に
お雪さんに助けられたっけなあ…。
その恩を寅は決して忘れず、15年間お金を送り続けたのだった。


久美子さん「ほら!今日あなたと会った道よー

寅「

久美子さん「モーッアルトの銅像の前。あの道をリンク通って言うの、知ってる?

寅「あ、あー、あそこのところ


寅はモーッアルトと上野公園の西郷隆盛の銅像を比べだす。

大笑いの久美子さんとマダム。

いつまでも笑っている久美子さん。



マダム「
初めて見たわ、この子がこんな楽しそうに笑うの


       


マダムの亡くなったご主人は表向きはお酒の輸入商だったが、
実は国際スパイだったようだ。

マダム「
死んだあとでわかったんだけどね


       


オーソンウエルズそっくりのご主人の顔写真が映る。

第三の男のテーマが一瞬だけ流れる。



      


マダム「寅さん、なんのお商売

寅「ええ、まあ、表向きは行商人ってことになってますけれど、
  本当は
スパイみたいなもんですよ、私も、フフフ

みんなで大爆笑。


      


マダム「フフフ、へんなスパイうまいうまい(^^)


寅はここらでおいとまをしようとする。

久美子さん「どうやって帰るの?

寅「ええ、どうってことありません。そのへんの駅から電車に乗って
  柴又で降ります。それじゃ、ごめんなすって



      


犬がついて行く。

マダムと久美子さん顔を見合わせて呆然。

寅、すごすご戻って来て


寅「
…へへへへ…ここなんてとこだったっけ??

久美子さんたち笑いながら

久美子さん「ウイーンよ、フフフ

寅「ハハハ、そうかそうかそうか、うん、
 日本と間違えちゃった、へへへ、はあ〜あ



       


結局、ウイーンにまで行って、日本人とだけ親しくなってるんだよな。
寅なりに現地に関わって欲しかった気はする。
ま、それじゃ、お客さんがたくさん入る映画になりにくいんだろうけどね。
ウイーンを舞台にはしているが、よくよく見れば日本社会。




      





ホーフブルグ王宮 舞踏会場


あのマリーアントワネットも、仮面舞踏会をここで行った。

入場券は40ユーロ。一般の人も購入できる。
この券(男性用)にも記載されているが、男性はフロックコート、スモーキング、
ディナージャケット等正装が義務付けられている。
この券だけあれば舞踏会に参加することができる。
入場券の他にの他に休憩場所としての座席の確保(予約制)があれば、さらに楽しめる。らしい(^^;)




兵馬たちのホテルからなんとか徒歩圏。
兵馬がブリューゲルを見ていたウイーン美術史博物館の道向う。



柱のそばで正装をして踊りを見ている兵馬。

踊ることはかなわなくてもその雰囲気だけでも味わいたいと思っているようだ。


「女性から申し込みを」と呼びかけが入った。



「美しき青きドナウ」が流れる。


一人の女性が兵馬のところへ歩み寄ってきて


女性「踊ってくださる?きた〜〜〜〜\(^^)/


      


兵馬、驚いて、思わず自分の後ろを振り向き、
他に男性がいるのではないかと思う。


兵馬「ヤ?」(私ですか)

女性「

兵馬嬉しくて「


結構兵馬の踊はどうに入っている。

日本で長年レッスン受けてきたなこりゃ(^^)


女性、踊りながら

女性「日本の方?

兵馬「

女性「ダンスお上手ね


       


夢ごこちの兵馬。

おそらく彼の人生の頂点(^^)




第8作「寅次郎恋歌」を思い出す。

「華やかな舞踏会で胸の開いたドレスを着てダンスを踊ることだったのよ」
博の母親の叶わぬ夢…。

兵馬ァ〜、よかったなあ!(TT)






深夜 兵馬のホテルのそば


そのあと車でホテルのそばまで送ってもらって、


      


彼女の手にキスをする兵馬。


女性「パパー(さようなら)

兵馬「パパー(さようなら)

お互いにさよならを言い続ける二人だった。

夢見る兵馬は、ホテルまでワルツを口ずさみながら
踊って帰ってくる。

白壁に大きく映る兵馬の影。

第三の男のアレンジ(^^)



      


ちょっとだけ第三の男の曲


ホテル・ツア・ウイーナー・シュターツオーパー


ホテルで寝そべっている寅

兵馬「♪パパパパ、パッパッパ〜〜

寅は入って来た兵馬に言い訳するが兵馬は先程までの
夢のようなできごとのイメージを崩されたくないので、
一人にしてほしいと下にひとりでバーに飲みに行くのだった。



      



一人残される寅。


窓の外では、町流しの男たちが歌を歌っている。


一人寝そべる寅。



      


いい歌だ。心にしみいる。


ウイーンのシーンの中でこの静かな夜のひと時が一番好き。



しかし私にはこの歌の題名がわからない。
オーストリア民謡だと思うのだが…。

どなたかこのストリートでギターとアコーディオンで歌っていた
あの歌の名前をご存じないでしょうか?
ご存じの方メールください。




      






翌朝 


白いシュトロエンに乗ってドナウ川まで
ドライブに行く久美子さんと寅。



      



ベンチに座りながらしみじみと

寅「どこの川の流れも同じだなあ…。
  流れ流れてどこかの海に注ぐんだろ


久美子さん「
北海という海にねえ

寅「
ああ


      


寅「その海をずーーっとい行くと、
  オレの故郷の、江戸川へ繋がるわけだァ…


久美子さん「
寅さんは、その江戸川のほとりで育ったの?

寅「
そうよ

久美子さん「
そう

寅「
うん

久美子さん「
私も川のほとりで育ったのよ

寅「
ほー…、久美ちゃんの故郷はどこだい?

久美子さん「
岐阜、長良川のほとり

寅「
あー、そらいいとこだあ〜


       


そういえば、同じ竹下景子さん主演の第38作「知床慕情」のラストは
長良川のほとりだったなあ…


久美子さん「きっとそのせいね、水を見ると気持ちが落ち着くのは…

寅、久美子さんを見ながら


寅「帰りてえだろ故郷に

久美子さん「

下を向いてしまう。


久美子のテーマが流れる


寅「何かわけがあったのか…?

久美子さん「

寅「こんな遠い国へ来たのは


        


久美子さん「喧嘩したの。私気が短いから

寅「誰と?

久美子さん「会社と

寅小さく「ほー…

久美子さん「東京に出て大きな会社で働いてたの。
      日本人なら誰だって知ってる会社よ。
      嫌なことばっかりでね



        


船が通って行く。

久美子さん「同じ職場で好きな人ができたんだけど、
      結婚したら会社やめなけりゃいけないって言うの。そんな規則ないのよ


小さく頷く寅。

久美子さん「でも習慣だからそうしてくれって…。
       聞かない時には考えがあるって…陰険な言い方で脅かすの


寅「


        


久美子さん「私絶対戦ってやろうと思ってたら、
      ある日、彼が…
      『お願いだからやめてくれ』って、『自分の将来に差し支えるから』って…。
      悔しくて悔しくて私…、みんなやめちゃったの会社も彼も。
      そして退職金と貯金持ってヨーロッパ来ちゃった。
      あてなんかなんにもなかったんだけどね



寅「辛いことがあったんだろうな、今まで…

久美子「4年目から5年が辛かった…。それも冬…わかるわかる…(TT)

外国での一人暮らしは最初の3年は勢いで乗りきれる。
しかし4年目からの数年間は素面に戻り、倦怠がはじまっていくのだ。
殆どの人達はこの4年目から10年目の間のどこかで日本に帰っていく。
10年目を過ぎると今度はその土地との生涯の縁を感じ始める。
そしてその後は何年住んでいるかということを考えなくなり、
逆に日本にも愛着を持ちながら異国で暮らせるようになる。



久美子さん、寅を見て

久美子さん「寒いのよ、冬は。街に出るのも人に会うのも嫌になってね…。
     なんども死のうと思った…



       


寅「どうして帰らなかったんだい?飛行機代くらい親から工面できなかったのかあ

久美子さん「悔しいじゃないの

寅「なにが?

久美子さん「ほら見ろ、偉そうな口効いたって、
       やっぱり女は駄目なんだなんて言われるの


寅「んー、偉いもんだねえ



別の場所に移動する二人。


シュトロエンのドアを開けて

久美子さん「どうして?

寅「恥ずかしいけどね、オレなんか旅先で風邪ひいて、
  宿屋のせんべえ布団にくるまって寝てるとね、
  無性に故郷が恋しくなって、涙なんか出てきちゃったりするんだよ


久美子さん「それでも帰らないの?

寅「え?、いやまあ、嘘言ってもしょうがねえからね、
  このさい本当のこと言っちゃいますけど、私はしょっちゅう帰ってます。え、
  ですから、出たり入ったり出たり入ったりしてますから、ハハハ


しょうがねえやつ ε-(ーдー)ハァ〜ァ



       


久美子さん大笑い。


寅「今でもすぐに帰りたいですよ

と車に乗り込んでいく。





一方兵馬は

昨夜のダンスの彼女(テレーゼ)のパン屋を訪ねる。



テレーゼの働くパン屋前   BACKEREI VALENA  


      


彼女は驚き感激する。

兵馬は花束をプレゼント。


兵馬「この美しい花を美しいあなたへ

喜ぶ彼女。


     


でも以後途中なのでこれでお別れ。

兵馬の頬にキスをする彼女。


     


兵馬「テレーゼ!

立ち止まる彼女

兵馬「あなたの幸せを祈っています

彼女「ありがとう」と満面の笑み。


     



舞い上がった兵馬はポールにおでこを当ててしまうギャグ。

あ、この映画は「喜劇」でしたね(^^;)


     



坂口兵馬、生涯で最も高揚した日々。





一方 寅と久美子さん


またもやドナウ川横の小道を歩いている。



ウイーン版御前様にあいさつする寅。


     


美しき青きドナウを長く口ずさむ久美子さん。



     



寅、川を眺めながら、腕を汲んでいる。

観光汽船が汽笛を鳴らして通って行く。


寅は川の流れを見ながら歌を歌っている。



寅「♪あれ〜〜を〜〜、ごらんと
 指差す〜かあ〜た〜あ〜に〜〜、とくりゃあ。


    



♪利根の〜流れの〜お、流れえ〜月い〜〜、てねえ、
♪昔わ〜ろお〜て〜、眺めた〜つ〜き〜も〜〜



      



大利根月夜

作詞 藤田まさと, 作曲 長津義司

歌 田端義夫


1あれを御覧と 指差す方に
 利根の流れを ながれ月
 昔笑うて ながめた月も
 今日は 今日は涙の 顔で見る.


2 愚痴じゃなけれど 世が世であれば
 殿のまねきの 月見酒
 男平手と もてはやされて
 今じゃ 今じゃ浮世を 三度笠.






久美子さん、クスクス。

寅「ヘヘヘ」と笑って

寅「なんだかこの歌これちょっとあわないねえ、ねえ

久美子さん「そうねえ、フフフ

寅「ねえ

久美子さん「美しき青きドナウじゃなきゃね

寅「ああ、そうだね


久美子さん「寅さんって不思議な人ね

寅「不思議?あ、そうかね、
 オレはとても常識的な人間だと思っているけどね



久美子さん「故郷の塊みたい


寅「へえ〜…


        


久美子さん「寅さんと会った日の晩、故郷の夢見ちゃったの

寅「ほう

久美子さん「私が、トランクガラガラ引っ張って故郷(いなか)のウチ帰るのね

頷く寅。


     


久美子さん「玄関開けて 『ただいまー』って言うと、
     長ーい廊下の向こうから去年死んだおばあちゃんが
     腰かがめて、泳ぐような手つきで出てきてね。
     『久美子、よう帰ったねー、』って言うの



頷く寅。


久美子さん「私を一番かわいがってくれて、
     ウチ飛び出した時にこの指輪くれてね



寅「んー」と頷きつつ指輪に触れる。


     


久美子「『困った時はこれを売るんだよ』って
   言ってくれたおばあちゃんなの。
   私、『帰って来たよ、帰って来たよ』って…言って…
   オンオン泣くのね…




    
哀しみの

久美子のテーマが流れる。

この曲は名曲


目を真っ赤にして泣いてしまう久美子さん。


     


寅「久美ちゃん…帰ろう。な。
 意地なんかはることはないよ


と、帰郷を勧める寅だった。


久美子さんは帰っても仕事なんかないし、勝手なこと言って飛び出してきあから
親兄弟をあてに出来ないと、悲観的なことを言うが
そうは言ってもやはり望郷の念は止み難く、
心はめいっぱいになっている久美子さんでもあった。

寅は仕事の口添えは、オレが手伝うと言うが…。


泣き続ける久美子さんだった。


     






一方


東京  柴又 とらや

寅からの絵葉書がようやく舞い込む。

さくら「あらいやだ、お兄ちゃんからだわ


     


さくら、思わず笑って

さくら「ハロー、だって、フフフ

おばちゃん「ええー?


     


さくら「ハロー、みんな元気か、遠い異国の空から
   みんなの幸せを祈っている。
   ウイーンにて  寅


みんなは、いい気なもんだねと半ば呆れている。


      


社長「ヨーロッパか…、どーせオレは死ぬまで行けやしないんだ。
   カレンダーでも見て我慢しよ、あ〜あ…


別に用もないのだったら外国なんか行く必要はないぞ社長(ーー)


とらや台所の壁になぜか偶然か
シェーンブルン宮殿」のカレンダーが掛かっている。

そこからカメラは同じアングルの本物の宮殿に入っていく。




ウイーン シェーンブルグ宮殿


      



写真を撮って舞い上がる兵馬だが、寅はしらけている。


      



記念撮影も、寅は邪魔ばかりして、兵馬とミニコント。


      



一方 久美子さんは…


レストランで、ドリンクを頼むツアー客。


注文をとっている久美子さん。


その中にまたもや関敬六さんがいる。なぜ?
先日みんなでコンチネンタルホテルから空港に向かったのではなかったのか!?


久美子さん「『アイシュペナー』が日本で言うウインナーコーヒーのことです」とみんなに説明。

口々にいろいろ注文

関さんも後ろ姿で「お姉さん、紅茶」と手を上げる。


       


ウィーンには、ミルクを使った様々なコーヒーがあるが、日本のウインナコーヒーと一番近いのは、
「一頭立ての馬車」という意味の「アインシュペンナー(Einspaenner)」。

このコーヒーの名前の由来は、オペラ座近くの馬車だまりでお客さんが来るのを
待っていた御者たちの間で人気があったためだそうだ。

英語にするならばホイップクリーム入りのコーヒー、
「コーフィー ウィズ ホイップトゥ クリーム(coffee with whipped cream)」ということになる。

ちなみに
ブラウナーはミルク入りコーヒー、
メランジュは泡立てミルク入りコーヒー。




リヒテンシュタイン美術館そば


リヒテンシュタイン美術館そばの九十九折階段を上がっていく久美子さん。

恋人のヘルマンのアパートに行く。



      



初めて会った思い出の 街のカフェ

ウイーンに来てすぐに久美子さんがこのカフェで財布をなくして困っていたら、
声をかけてくれたのがヘルマンだったのだ。

久美子さんは恋人のヘルマンに、日本に戻ることを告げる。
ヘルマンはショックを受けるも、久美子さんの気持ちを尊重するとつい言ってしまう。



      


しかし、あきらかに悲しみを我慢しているヘルマンだった。


      


このあたりは第48作の満男を思い出す。

自分の気持を抑えて彼女の人生を尊重するのだ。
しかし、実は女性はそんな配慮を求めているのではなく
男性に「そんなことやめろ」と強く言って欲しいのだ。
若いヘルマンにはその女心が見えていない。





ドナウ川畔


ドナウ川畔を歩きながらまだ迷っている久美子さん。


      






モーツァルト

ディベルティメントK136 2楽章







      



ヴァィオリンを弾くヘルマン。
なんと彼はヴァイオリニストなのだ。


 
      






マダムの家


で、結局迷ったあげくその夜マダムの家で帰国することを告げる。

しかしマダムは、本当に愛しているなら
どうしてヘルマンに『帰るな』と言わせなかったのか。と怒る。

マダム「本当はヘルマンにそう言って欲しかったんだろんだ(−−)

久美子さん「……

マダム「そんなこともできないでどうして愛してるって言えるの

マダム「おばさんの亭主はね、私が日本に帰りたいと思ったら、
     ピストルを持ち出して『お前を殺してオレも死ぬ』と言ったわ。
     その一言で私決めたの。一生この街で暮らそうって



      


久美子さん「後悔してない?

マダム「してない。

   あんんたたちみたいな中途半端な状態だったら、
   そら、帰るしかないわね


久美子さん「


      


久美子さんはおばあちゃんの指輪でお金を貸して欲しいと頼む。


マダムは「そんなものいらないよ」と餞別代わりにお金を出してやる。

と、お金を出してやるマダム。


帰りの片道チケットはせいぜい当時高くても日本円で15万円以下だろうに。
久美子さんってほんとうに貯金無しなんだね。生活ギリギリなのか…。
冬はウイーンは寒いから観光業の仕事が無いんだろうね。




とは言うものの

久美子さんが帰国してしまうことが悲しくて涙が出てしまうマダムだった。



       


で、マダムは、急遽寅たちと一緒に日本に帰りたいと言う久美子さんの気持ちを考えて
寅の部屋に電話をする。





ホテル・ツア・ウイーナー・シュターツオーパー


ちょうど寅は
日清カップヌードルを今まさに食べようとしているところだった。
寅もあんなもの食べるんだね。



      


寅死んだような低い声で

寅「ハロ〜〜〜(^^;)

マダムが久美子さんも一緒に日本に帰るので一緒に
連れていってくれと頼むのだった。


久美子さんも電話に出て

久美子さん「寅さんの言うとおりにするわ、
     よろしくお願いします



     


内心久美子さんと一緒に日本に帰れるので大喜びの寅だった。


     



しかし、実は…

この時点でもまだ久美子さんの心は揺らいでいたのだが…。



一方


酒場で大騒ぎしてみんなとワイワイ歌を歌い遊んでいる兵馬。


     



脚本第2稿の段階では、

兵馬と一緒になんと寅も酒場で飲んでいる設定。
酒場で陽気にはしゃぐ兵馬を見て、「病気治ったな」とささやく寅だった。


しかし決定稿ではこの部分は削除。




後日…



国際空港に向かう寅と兵馬、そしてマダムと久美子さん。



ウィーン・シュベヒャート空港


久美子さんがいよいよマダムと別れを惜しんでいるまさにその時


     


ヘルマンがタクシーを降りて、走ってくる。


     



みんな何事かと驚く。


     



ヘルマン「クミ!!クミ!!


抱き合う二人。


     


ヘルマン「クミ!!行っちゃダメだ!僕は君を絶対離さない!!


     



呆然とその光景を見ている寅。


     





ヘルマンは空港スタッフに

ヘルマン「この人は飛行機に乗りませんから!」と強い目で訴える。


     



久美子さんはヘルマンの強い態度に感動し、
遂に心を決めるのだった。


久美子さん「ヘルマン、わかったわ、あなたの言う通りにする」と言い。


     


ヘルマンは久美子さんを抱き上げ、二人はキスをする。


呆然と見ている寅。

久美子さんは寅に近づき…

久美子さん「寅さん、ごめんなさい、私…私帰れなくなった


     



メインテーマが流れる。


寅「そうか…あの男が好きなんだな

久美子さん「すいません…。あとで手紙書くから…飛行機に乗って…

寅「わかった。よくわかった


ヘルマンに向かって

寅「おい、外人の青年、久美ちゃんのことを
 幸せにしろよ、もし泣かせるようなことがあったら
 このオレが承知しねえぞ



      


ヘルマン「Yah」なぜか分かるんだね、寅の顔と口調で。

寅「よし!


寅はカラ元気で久美子さんとマダムに別れを言い立ち去る。


          




とは言うものの、
大ショックでよろけてこけてしまう寅だった。



      


結局寅は間接的にふられたような虚脱感のもとに
帰国の途につくこととなってしまった。






その後



東京 柴又 題経寺


源ちゃんが水撒き


      


御前様の縁側 おみやげの小さな人形をもらって

御前様「ほー、こりゃかわいい、寅にとお礼を言ってください


         



さくらは帰国後、魂が抜けたような寅を評して

さくら「ウイーンに言ったなんて嘘で夢でも見てたんじゃないかって

御前様「まあ。。。もともと寅の人生そのものが夢みたいなもんですから


      


さくら「そうですね。
   だとしたらいつ覚めてくれるんでしょうね…



でもさくら、「夢から覚めたってお兄ちゃんは幸せとは限らない」って
「ハイビスカスの花」で言ってたよね。


この御前様の発言自体も同じく第25作「ハイビスカス」のアレンジ。


      






とらや 茶の間


みんなで寅にウイーンの土産話しを聞きたがるが

寅は無関心で何も話そうとしない。



      


ウインナーコーヒー、ウインナワルツ、ハムのウインナー、全部興味なし、
美味かったもの→「鮭茶漬け」



遠出は一度きり。

寅「一ぺん出たよ、車に乗って

さくら「どこに?

寅「広い道を車でずーっと行ったらな、大きなこういう川のところへ出たなあ…


「美しき青きドナウ」のBGM


博「ドナウだ。そう言いませんでしたか

寅「あ、確かにそう言ったな

さくら「美しき、青きドナウね…気持ちはわかるがただのきれいな川だよ ゞ(^^;)


      


博「それからどうしました?

それからは、ドナウ川の畔にも御前様がいて、団子屋があってと…
柴又と同じようなことしか言わない寅だった。


さくら「それじゃ、柴又と同じじゃないの

寅「地球中、どこ行ったって同じでしょうそりゃ

さすが旅人寅、そのとおり!(^^)


博「それが結論ですか

寅「そう、いずこも同じ

おいちゃん、妙に納得している。


       



社長「なんだ。。ウイーンで美人と会った話が出るかと思ったよ。
   は…、つまんねえ


ほんとは会ったんだよ社長 ヾ(^^)

寅「悪かったね、社長


みんなちょっと失望して仕事に戻る。


少しは元気になった寅は、一息ついて

旅に出ることにー。





帝釈天  参道


さくらと参道を歩く寅。

途中で会った満男が送る。



     



別れ際に「ダンケ」とつい言ってしまって、
やっぱり本当にウイーンへ行ったんだな」って笑う寅だった。


         







夏真っ盛り

蝉の声

満男が工場に「お面被ったような人」が来たことを知らせる。



とらや 茶の間


兵馬は寅へのお礼とたくさんの写真を届けに来たのだった。


     



兵馬が写した写真の中に久美子さんがたくさん写っていた。


     



寅の失恋の一部始終を紙芝居のようにマメに連続的に写した兵馬だった。

あり得ないって ゞ(^^;)


う〜ん、山田監督らしくないなあ…、この運びは。
物語の経過を回想する時に、こういう説明的で、安直な演出はちょと考えもの。
それとも、この連続写真がギャグ的にうけると思ったのだろうか。これはギャグとして面白くないと思う。


        


さくら、はっと気づいて、

さくら「そういえば…こないだ、ウチに来てた絵葉書…。
   その方久美子さんと言いませんでした?



と、アムステルダムからの絵葉書(運河と跳ね橋)を博に見せるさくら。


         




さくらのテーマが流れる。


     


久美子さんのハガキ 

久美子さんのナレーション


オランダ アムステルダム ブラウの跳ね橋


跳ね橋の前でツアー観光のサポートをしている久美子さん。

Mr.Torajiro Kruma
7−7−3 Sibamata
Katusika-ku
Tokyo
Japan

久美子さんの声


     



寅さん
蒸し暑い日本の夏をいかがお過ごしですか。
柴又の皆さんはお元気ですか。

故郷のかたまりのような寅さんにお会いして
私がもらったものは故郷よりもっとすばらしい愛でした。

まもなくヘルマンと新しい生活に入ります。
どんなにつらいことがあっても私は耐えていくつもりです。
本当にありがとう。

仕事先のオランダにて、   久美子



そのころ寅は―



    



伊豆 内浦  氣多神社の夏祭り



カバンをポンシュウと一緒にバイする寅。

山田監督は伊豆の海が大好き。
第16作、第24作のラストもこの付近。
何度もロケに使っている。




寅「オーストラリアはウイーン製バッグ!

ポンシュウ「ヨーロッパ!ヨーロッパだよ!

消費税おまけ。


男子高校生A「おっちゃん、おっちゃん、ウイーンはさ、オーストリアの首都じゃろが

男子高校生B「オーストラリアは、カンガルーの国じゃ


     


寅「そういうこともありました昔は、ね、
 若い男が理屈を言うと女にもてない!な!
」と、切り返す寅。  さすがだね(^^)


     


と女子高生達の方を見て笑い飛ばす。

大笑いしている女子高生達。




寅「やけのやんぱち日焼けのナスビ、
  色は黒くて食いつきたいが
  あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ!ときた!



     



晴天の正月風景



氣多神社の鳥居と旗


    



海の向こうに富士山が映って



    








このあと数日後、仕事でバンコクへ向けて出国しますので次回更新はバリ島に戻った後です。
おそらく全てのページの更新は10月末になると思います。約2週間お待ちください。

10月16日 吉川孝昭 拝






pos

男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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若菜さんの住む町 文京区白山2丁目 



2010年10月3日 寅次郎な日々 その458

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


月虎さんのSNSで、お馴染み、親子でロケ地巡りをされるちびとらさんが、文京区本郷の「章文館」に行かれたと聞いて,
とても懐かしく自分の青春時の思い出を思い起こしていた。
もちろん第28作「紙風船」で光枝さんが淋しく働いていたあの急な坂(胸突坂)にある旅館のことである。

第28作のダイジェスト版にも書いたが、この旅館はなにをかくそう私もあのロケの前年に2週間も宿泊したのだ。

ちびとらさんとは、その話題からはじまって、
本郷に比較的近い白山には第35作「恋愛塾」のロケ地も結構あるという話になった。

実を言うと私はあの白山近辺にある若菜さんや民夫のアパート『コーポ富士見』を未だに発見できていないのだ。
大家さんが買い物をしていたあの場所は何年か前に発見し終わっていたのだが、どうもその後がうまくいかなくて、
あの細い道と折れ曲がっていく急な階段がどうにもこうにもわからないのだ…。

ま、いつかわかるだろうと、思っていたが、やはりいつまでもわからない(^^;)

そこで、この話題がSNSで出たことをきっかけに、
航空写真とグーグルアースを最大限使ってローラー作戦
でることにした。

そして、2時間探して奇跡的に見つかった!
あの階段は航空写真の超アップでもしっかり見えた!
↓赤丸


    





詳しく紹介するその前に、順番としてまず

大家さんが買い物をした果物屋の今はどうなっているかというと…


場所は
旧白山通りの付け根の方の白山下交差点角。
道を挟んでその真向かいが「東京富山会館」だ。


      
赤丸が果物屋があった場所↓

     


まず映画本編を観てみよう。
大家さんのが買い物をした果物屋はここである↓。ブリジストン自転車屋の南横(右横)↓
緑のビニールが目印。



        


現在はこうなっている↓
ブリジストン自転車屋はなんと今も健在!
赤丸が自転車屋
しかし建物自体はグランドシティ白山というマンションになっていて、その一階が店になっていた。

で、肝心のあの果物屋はもう無くなっていて、今は
黄色いテントが目印のクリーニング屋あたりになっていた。


        




映画の果物屋と現在のクリーニング屋付近をそれぞれアップにするとこうである↓


       



場所は白山下交差点。

文京区白山1丁目32あたり。

現在は、マンション『グランドシティ白山』一階の店。









一方…


若菜さんのアパート『コーポ富士見』は、この果物屋を白山通りに南下していき、
そのあと区立指ヶ谷小学校の近くを西に(右に)曲がり、いろいろ道を曲がっていく。
で、ようやく辿り着くのが、この細い道。

この道には『
中山紙工株式会社』があり、その向こうに例の階段があった。
その階段を上がってさらに左に上がり、高台に大家さんの家とコーポ富士見が並んでいる。

『コーポ富士見』の住所としては
東京都文京区白山2丁目5−1付近


      





『中山紙工株式会社』の横を通ってまっすぐ突き当たりに階段が見える。階段はまっすぐ上がって、そのあと左にまた上がっていく。


           




まっすぐ上がって左に折れてさらに上がっていくその階段には。
映画時は白い手すりが取り付けられていた。現在は塗り直されて緑の手すり。
側面の家の大きく広がる石の土台(基礎部分)は今も全く同じ。


     




左に曲がり上がりきったら、すぐ左の家の坂下方面半分が大家さんの家。
若菜さんや大家さんはあの階段を上り詰めたあと、画像のように
スクリーン左から入ってきていた。(↓の右写真)

もちろん、大家さんの家とコーポ富士見は外観も庭も大船セット。いかにもセットって感じだ。
しかし、必ず当時の立地条件をある程度は参考にしているはず。

映画ではスクリーン右のほうにも大船セットながらもコーポの横に当然道がある。
こちらも映画では別の細く長い階段があって若菜さんと民夫がデートの後、
雨の中相合い傘でその階段を上がっていた。しかしそのもうひとつの細く長い階段は今も存在するのかどうかは不明瞭で
地図や航空写真では確かめることが出来なかった。地図で見る限り現存する気はしている…。


  



ピンクのラインが若菜さんや大家さんが歩いていたいつもの階段のルート。赤丸は例の階段。
緑色のラインが民夫と若菜さんがデート帰りに雨の中相合い傘をしながら歩いていたと思われる特別ルート。↓
(右側の映画の画像参照)
しかし、もちろんこの雨の日の特別ルートは、方角はあっているが、場所はあくまで想像の域を出ない。

水色丸がコーポ富士見

    




階段の上からの眺めは新しいビルは立っているが、遠くのマンション『
ユーカリハイツ小石川』や
近くの家々などは今もそんなにも変わっていない。
左の写真↓はグーグルアースで半立体化した同じ場所の現在の風景。

その「ユーカリハイツ小石川」のちょっと向こうにが大手印刷会社の『
共同印刷』がある。
若菜さんは以前大手に務めていたと言われていたから、ひょっとして『共同印刷』に務めていたので
ここのアパートに住んでいたのかもしれない。民夫の場合は
母校(東大法学部)に使いからかな?

        



現在の同じマンション『ユーカリハイツ小石川

   




↓の写真:ストリートビューで、階段下の道から逆に突き当たりのビルへの目線。突き当たりの白いビルは今も同じ。

           




    




調べていくと、この辺り一帯は小さな製本所や印刷紙の会社が非常に多い。
おそらく東京都の特別工業指定区域になっていると思われる。


で、例の階段を上がってしまうと、


もちろん当時から『コーポ富士見』は無く、おそらく普通の民家が建っていたと…想像出来る。

しかし、当時のこのへんの地理に詳しい人に本日メールで知らせていただいた情報(10月5日)によると、
なんとこの大家さんの家の辺りには
かつてそのころアパートが実際に存在したらしい!


現在(2007年の航空写真)↓で見てみると、
黄色で囲ったのが大家さんの家のあたり
ピンクで囲ったのが『コーポ富士見』があるあたり
そこは階段の上だから映画のように↓結構眺めはよかったのいかもしれない。

晴れた日は富士山が本当に見えるのだろう。

大家さんや若菜さんは普段
赤線のように階段を真っ直ぐ上がりそのあと左にも上がり、
全部上がりきってから、すぐ左に曲がってようやく自分の家やアパートにたどり着いていた。


毎日これじゃ結構しんどいと思う。


     




実際、白山下交差点のあの『果物屋』から『コーポ富士見』までは地図をたどっていくと
結構ややこしい道だ。大家さんのように歩けば最低でも20分はかかるだろう。

若菜さんも、毎日都営三田線の白山駅あたりが最寄りの駅なので
徒歩20分以上もかかる…。こりゃたいへんだ。 あ、それともバス通勤かな。。
もっとも、↑で書いたように、「共同印刷」に務めていたとしたら、ギリギリ徒歩圏ではある。


地図の赤丸が白山下交差点にある果物屋。
緑丸があの急な階段がある場所。↓


    




グーグルアースは、その場所の地形も教えてくれる優れもの。
下の写真の赤丸が例の階段
あの辺り一帯台地(小石川台地)が広がっていることがわかる。その南の端付近が若菜さんのアパートである。
大きく言うと武蔵野面台地(武蔵野段丘)の一部。
台地の上の白い建物↓は『日立製作所白山閣(小石川迎賓館)』とその森。


文京区は、このように東京西部から続く武蔵野面台地の東縁部に位置し、
東京湾に続く低地にいくつかの台地と谷により形成されているようだ。
東京23区の中で最も坂が多いとも言われている。
そういえば上にも書いた「紙風船」の光枝さんが務めていた本郷の『章文館旅館』があったあのあたりも
実に坂だらけだった。胸突坂、菊坂、梨木坂といろいろあった。

武蔵野面台地の東縁部は一般的に『豊島台地』と呼ばれているが、
さらにその先を『本郷台地』、『白山台地』、『小石川台地』、『小日向台地』、『目白台地(関口台地)』と呼び、
指を広げたように台地と谷を形成している。

この白山閣のある高台はおそらく地元では有名なのだろう。
4,5メートルほどの急な隆起が白山閣を囲んでいるのがわかる。
逆にすぐ東の白山通りはかなり落ち込んだ細長い谷の部分を通っている。


     





今回、ようやく長年の宿題を終わらせたようでほっとしている。
来年冬1月頃に東京で用事があるので、もし出来れば訪ねてみたい…。



チャンチャン(^^)







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寅.リリー.パパが野宿した駅舎  函館本線 蘭島駅



2010年10月2日 寅次郎な日々 その456

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


第15作『相合い傘』は神様が落とした輝く結晶だ。
奇蹟としか言いようのないすべての要素がうまくいった作品。

その物語の前半のピークが北海道を流離う3人の喜怒哀楽。
その流れの中で、お金が全てなくなった3人が駅で野宿をする愉快なシーンがある。
函館から札幌に渡って小樽に戻るあの旅である。


この野宿した駅に関しては第15作の本編完全版を制作した5年前に、
資料が少なくてどうしても自分ひとりじゃお手上げだったので、
何人かの私の信頼する筋金入りの寅さんマニアの方たちとああでもない、こうでもないと、
喧々諤々しながらメールのやり取りをした。

寅のセリフ「長万部で降りてカニでも食うか」というセリフから、
あの当時ファンの誰もが長万部のそばだと思っていた。
しかしそれも所詮推測で、北海道のどの路線かすらわからなかったのだ。

それもこれも当時の旧駅舎の写真がどうしても手に入らないからだった。

結局、最後まで決定的な決め手がないまま、遠くに見える島や海の見え方からなんとか推測して
函館本線の駅『
塩谷駅』か隣の駅の『蘭島駅』だろう…ということになった。
そしてややあやふやながら地元の方の証言も得られたので『
塩谷駅』ということに見切り決定した。

当時は昔の函館本線旧駅舎写真がネット上でどこも紹介されていなかったのだ。

そしてそんな考察が懐かしい思い出となりつつあった5年後の今年―2010年9月末、

当時この駅舎を一緒に考察した寅さんマニアのAさんからメールがあり、
ちょうど先日発売の旅の雑誌に同じ函館本線の駅舎が紹介されていて、
その中に例の『塩谷駅』の隣の駅『
蘭島駅(らんしまえき)』も数行文字で紹介されていたそうだ。
別段、その雑誌は寅さんのロケ特集ではなかったのだが、
ちょっと映画ロケ地にまつわる書き方をしてあって、
その中で、『蘭島駅』の関係者の方が、かつて「男はつらいよ」第15作『相合い傘』の撮影が
この駅で行われ、その折、近所のみんなで見学していたと発言されていたと言うのだ。

Aさんからのメールに驚いた私は、さっそくメールを読むなり、
車で10分の近所の本屋に行ってその旅雑誌を買ってみた。

『蘭島駅』についてはごく簡単に7〜8行ほどで小さく紹介されているだけなので、現在の駅舎の小さな写真が
載っていただけで当時の古い駅舎の写真などは一切載っていなかったが、
確かに当時のロケを知る人の言葉が数行にわたって書かれてあったのだ。

事実を自分自身確かめるために5年ぶりにネットで懐かしい函館本線の駅舎を再度調べると
なんと5年前にはなかったサイトが誕生していて、
当時の北海道の函館本線の古い写真が沢山出てきた。
旧『塩谷駅』や旧『蘭島駅』がモノクロ写真ながら写っているではないか!

そしてそれらをじっくりと確かめさせてもらった。



          
↓が昔の『塩屋駅』 駅舎
     




            ↓が昔の『蘭島駅』 駅舎
     




        ↓
これが映画で使われた駅舎

      

     


     




確かに二つの駅舎は似ているが、
映画に登場するのは御覧の通り『塩谷駅』のすぐ隣の駅である『
蘭島駅』だったのだ。
映画とは入り口の黒板まで一緒!

このあたりは海岸線が東西になだらかで、遠景を調べても、二駅とも色丹半島の付け根であること、
二駅とも石狩湾にバーンと面した土地なので
この二つの隣り合わせの駅の線路沿いから見える背後の海と山はそっくりなのである。
そらそうだなんせ隣の駅なのだから。

5年前当時、旧駅舎資料が見つからなかった状況では、確かにどちらの駅とも言えた。
やっぱりこれは間違うはずだ。と今更ながら唸ってしまった。


と、いうことは、…

あの夕日の海岸は『塩谷海岸』ではなく『
蘭島海岸』(蘭島海水浴場)の
可能性が高い。

しかし残念ながら映画の海岸シーンには、海以外なんのとっかかりもないので、
依然として海岸のロケ地は不明だが、おそらく『蘭島駅』の近くだろうから
『蘭島海岸』の可能性が最も高い。



       




みんなで考えたあの『塩谷駅』でなかったことは確かに残念といえば残念だったが、
ギリギリではそんなことはどうでもよいのだ。

今回「真実」にかなり近づいたことは確かに事実で、
このことこそ実は身震いするほど喜ばしいことなのだ。

これだからロケ地探しは面白い。



あのあと、JRになり、新しく建てられた塩谷駅と蘭島駅。↓ 
かつての駅舎とはもう似ても似つかぬおもちゃのような駅舎に涙…です(TT)
過疎化とともにこうなっていくのはしかたないこと…。ああ…時代の流れでしょうか。


              塩谷駅舎
      



              蘭島駅舎
      




2005年の映画「NANA」でも蘭島駅はロケされたらしい。
映画の設定では「北港駅(きたみなとえき)」と呼ばれたという。







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月に映えるりんどうの花 ― 貴子さんの秘めた想い 

池内淳子さんに捧ぐ


2010年9月30日 寅次郎な日々 その456

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。



       
       




池内淳子さんがマドンナとして出演された第8作「恋歌」封切り時に併映された、
第8作メイキング映画「フーテンの寅さん誕生」の中で
池内淳子さんがこの映画出演について語っているので紹介しましょう。





      





池内「あのーわたくし…こちらの今の男はつらいよって言うのは
   もう二年ぐらいおやりになってらっしゃるんですけど
   まだ…申し訳ないんですけど一本しか拝見してないんですよ。



                 



「でもその一本が、えー…あの『望郷篇』という、とっても楽しくて笑わせてしんみりさせて、
今のこの、なんて言うのかしら、わりと、殺伐としている世の中に欠けてる様な、とても
身近にあるどこにでもいそうなお話だったんで、これから出さしていただくって事
すっかり忘れちゃいましてね、泣いて笑って、で…とても楽しく、拝見させていただいて、

このお話いただいたのが、そうですねえ、もう、だいぶ前なんですけども、
いつもあのー、こういう映画に出させていただきたいなと思ってたんです、

っていうのは、あのーお客様が大勢見てくださいますし、えー、われわれこういう
同業者の中でも見てくださいますでしょう、ですから、やっぱり、出さしていただくんでしたら
こういう大変楽しくて、あのー面白くていい映画に…出たいなと思ってたんですけども、
まあ、やっと話しをいただきまして、あの、念願かないまして今、大船に来ておりますけども



                 



まあ、皆さんがもう何本もおやりになってらしてできてるチームであり、チームワークですからねえ、
上手く入っていけるかどうか心配だったんですけども、やっぱり撮影所ってとこはどこでも、こう
お邪魔してしまえば同じ事ですからね、大変いい雰囲気の中でやらせていただいておりますけども、
まあ、なかなかこう久しぶりの映画なもんですからあの、緊張しまして緊張のしっぱなしで
どうにかこう半月以上来てしまいましたね」



倍賞さんがスタジオで池内さんをキャストとスタッフさんに紹介している映像が流れる。

                 


池内さん「先日はどうも…」



挨拶をする池内さん。高羽さん、山田監督などスタッフが映る。



                 



とらやのメンバーとリハーサル

貴子さんが、引越しの挨拶に来て、おばちゃんやさくらと会話するシーンが
映し出される。

池内「ごめんください」

監督「そこで声かけましょう、そのへんで…」


      
               



このあとしばらくその場面のリハーサルが続く。


おばちゃん、さくらのアパートの方角 が分からなくてスタッフに聞く
倍賞さんもいっしょに指をさす。


               




池内さん、お土産を置く場所を聞いている。

池内「ここでよろしいですか?」
監督「ええ、そうですね、そのへんで」


               



監督、真剣な眼差しで池内さんの動きを見ている。


               



題経寺の山門がゆっくり映り。


               




クレジット 柴又  題経寺

                 
                



まわりで見ている地元の人たち

「池内淳子さんだね…」


                



以上、「フーテンの寅さん誕生」からの抜粋でした。

見て分かるように、池内淳子さんはこの映画撮りに対して
ずいぶん緊張されていたことがうかがい知れる。
気をしっかり入れて臨んで来られたのだ。
この映画の人気を肌で感じ、思ったより意外に深い奥行きを実感しておられたのが
分かる言葉の数々だった。

池内さんは、謙虚に語られながらもスタッフキャストとの真剣勝負をしょっぱなから静かにされていたのだ。




それはそうと


寅はこのシリーズ初期の頃、それはもうふられまくった。
冬子さん、夏子さん、志津さん、春子さん、節子さん…

しかし、いつのころだったか気づくとさほどふられなくもなっていた。
それがいつごろだったか、考えていくと、どうやらこのロークの貴子さんからじゃないだろうか。

貴子さんの寅への想いは、当初は息子をかまってくれる優しいおじさんだったのだが、
物語の終盤になるにつれ、心が寅に寄り添い微妙になってくる。


悪徳金貸しに困っている貴子さんを、どう助けて上げることもできない寅は、りんどうの花を手土産に
ある夜貴子さんの家を訪ね、こう言うのである。

寅「あの…、何か困っていることございませんか?
  どうぞわたくしに言ってください。どうせわたくしのことです。
  たいしたことはできませんか指の1本や2本、いえ…、片腕、片足くらいでしたら
  なんてことありません。
  どうぞ言ってください、どこかに気にいらない奴がいるんじゃないですか?」

貴子「ありがとう…。ほんとうにありがとう寅さん…嬉しいわ、
   私とっても嬉しい。いいの、そりゃ、困ることもありますけどね。
   私ひとりの力でなんとか解決できると思うの。だから、それはいいの…。

  でも、寅さんの気持ち嬉しいわ。そんなふうに言われたの…、
  …今の寅さんみたいに言われたの、生まれて初めてなのよ…」



第10作「夢枕」の千代さんも、第17作「夕焼け小焼け」のぼたんも寅の気持ちに打たれ涙を流す。
なかなか寅のようには言えないもんだ。

人は人の心に救われ人の気持ちに涙を流す。
寅は社会的な救済には全くの無力だが、貴子さんの心を温めることはできたのかもしれない。
この時貴子さんの心に寅という存在がはっきりと入りこんで行ったのではないだろうか。
貴子さんは寅を一人の人間として、そして男性として見はじめている気がする。寅の気持ちに感謝し、かつ、もう一歩
進んで寄り添う気持ちがこの夜から芽生えてきたのだろう。



              



寅「……、いい月夜でございますね」

貴子「寅さんも旅先で、こんなお月様見ながら柴又のこと思いますことあるんでしょうね」

寅「ありますよ」

貴子「いいわねえ、旅の暮らしって」

寅「好きで飛び込んだ稼業ですからいまさら愚痴も言えませんが、ハタで見ているほど楽なもんじゃないですよ」

貴子「そう?」

寅「そうですよ」

貴子「たとえばどんなこと?」

寅「たとえば、そうですね、
  …たとえば、夕暮れ時、田舎のあぜ道を一人で歩いていたんですね…」

貴子「ええ」

寅「ちょうど、りんどうの花が、いっぱい農家の庭に咲きこぼれて、
  電灯はあかあかとともって、その下で親子が水入らずの晩飯を食っているんです。

  そんな姿を垣根越しに見た時に、ああ…、これが本当の人間の生活じゃねえかな…。
  フッとそんなこと思いましてね」


貴子「分かるわ…、淋しいでしょうね。そんな時は…」



              




寅「しかたねえから、行き当たりばったりの飲み屋で無愛想な娘相手に一杯ひっかけましてね、
  駅前のあきんど宿かなんかの薄いせんべえ布団にくるまって寝るとしまさぁ…。なかなか寝つかれねえ耳に
  夜汽車の汽笛がポ―っと聞こえてきましてね、
  朝、カラコロ下駄の音で、目が覚めて、あれっ?オレは今一体どこにいるんだろう…。
  あー、ここは四国の高知か…。
  そんな時に今、柴又じゃ、さくらやおばちゃんたちがあの台所で味噌汁の実をコトコト刻んでいるんだなぁ…、
  なんて思ったりしましてね」


貴子「いいわねぇ…。あー、羨ましいわ.私もそんな旅がしたいなぁ」

貴子さんの意外な言葉に内心驚く寅だった。


貴子「寅さん、またいつか旅に行くの?」

寅「ええ、そりゃ、そうですね」

貴子「そう…、いつごろ?」

寅「いつごろでしょうか…。風に誘われる、とでも申しましょうか。ある日ふらっと出て行くんです」

貴子「羨ましいわ…、私も一緒について行きたいなぁ…

寅「そうですかねぇ…、そんな羨ましがられるもんじゃねえんですけどね…」




             



寅がこんなに旅の悲哀を語っても、貴子さんはひたすら羨むばかりである。
貴子さんは寅の言葉を聞いているようで聞いていない。
寅は「定住」に憧れているが、貴子さんは今の現実から逃れられる気ままな「旅」に憧れている。
気持ちは寅に寄り添い始めているが、大事なところで寅を理解できていない。
何を言っても二人の感覚は平行線だ。ここに今までの寅には無かった、
決定的で絶対的な孤独が皮肉にも生まれてしまった。



電話『リーン、リーン』貴子電話に出て行く。
大家さんから家賃の催促。


寅はだまって立ち去っていく。(風が強く吹いている)



このように結局、寅は貴子さんにふられたわけではない。
上に書いたようにむしろ貴子さんは寅に親しみ以上の心をすでに感じ始めているのかもしれない。
しかし、二人の感覚は大事なところで噛みあわないことを寅は徹底的に悟ったのだろう。


別れの時が来たのだ。



いずれにしても第8作「寅次郎恋歌」になって、はじめてふられることの無い寅が出現した。

この先、第10作のお千代さんを初めとして、寅に本気で好意を寄せるマドンナが続出していく。
山田監督が寅にある種のヒーロー的な要素を盛り込んでいく様子が最初に見られるのがこの第8作「寅次郎恋歌」だ。
それゆえ多くの人々の支持が得られ始めたのもこの作品からである。
完全に1回目の脱皮は終わった。そして読みは見事に当たったのだ。
当然ながら第1作から第6作に見られるようなブザマなふられ方はこのあとスクリーンからしだいに姿を消すのである。

ちなみに、貴子さんの、この『六波羅』という姓は、
実際の喫茶店ローク(題経寺横)の店主さんの苗字からスタッフたちが拝借したものだそうだ。



もうひとつ、この映画の要は音楽。
なんといってもこの作品の気品を背後かから支えているのはあの「貴子のテーマ」だ。
「貴子のテーマ曲」から流れこむように音が途切れること無く
いつもの「さくらのテーマ(もうひとつのメインテーマ)」に入り込ませた山本直純さんの才能は見事の一言だった。
「さくらのテーマ」と一体化した「貴子のテーマ」はそういう意味でも秀逸だった。



第8作「寅次郎恋歌」は大作であり正真正銘の名作だった。
初期のあの弾けるような勢いと迫力を保ったまま、
雑なプログラムピクチャーの要素はどんどん削ぎ落とされ洗練され、
志高き若き山田洋次監督が渾身の力を込めて全力疾走で作った作品。
それがこの「寅次郎恋歌」だった。


そんな作品にマドンナとして出演した池内淳子さんはマドンナ冥利につきる人だった。
そしてそんな名作にふさわしい気品のある大きな器の女優さんだった。


物事には順番がある。それゆえこのようなことはこれからも続く。
絶えられない状況にこれからもじっと耐えていかねばならないのだろう。


合掌




   









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田所教授よ永遠に   名優 小林桂樹さんを偲ぶ 

2010年9月19日 寅次郎な日々 その455

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。





ひとり静かにもの思いにふける時

私はこれまでの生活を思い浮かべる

あゝ どんなにか多くを求めて

失敗を重ねて来たことか

苦い経験 無駄に費やした時間ばかりが

思い出され

私の胸は悲しみに閉ざされ

涙が溢れてくる


だがそのような時

君のことを想えば

おゝ 愛する君よ

私の心は慰められ

悲しみは消えてしまうのだ


礼子 君


田所






           



名優  小林桂樹さん


この2年前に日本沈没と共にその運命を共にした日本沈没の田所博士が、見事
第16作「葛飾立志編」で同じ名前の田所教授として見事復活したのだ。

もっともその姿格好はシベリアからの引揚者だと寅に間違われるくらいの
もっさいオヤジさんだったが(^^;)


そして彼は上記のようなラブレターを礼子さんに書く。

素晴らしい感性と知性、山田監督一世一代のラブレターである。
筆跡も見ての通り山田監督。

監督はあの田所教授に自分の感性の最も奥深い部分を託したのだろう。
その告白の美しさは第14作「子守唄」の弥太郎の告白と双璧。


言葉ではなく文字による愛の告白はこのシリーズでも稀有である。


特にこれは、青年の一途さを包むように、なんとも心洗われる大人の愛の表現でもあった。     
あんな格調高い美しいラブレターをもらったらそれだけでその女性は、その文字、その筆圧を生涯忘れないだろう。


そして小林桂樹さんはあのようなラブレターを書く雰囲気がどこかしらあった。
あのような大人の魅力の中に潜む青年の心があの目にあの表情に満ち溢れていた。


そしてこのような格調高いラブレターを書かせたのは間接的には実は寅なのだ。




寅は茶の間で田所教授に言う。

「あー、いい女だな、と思う。
その次には話をしたいなあ…、と思う。ね。
その次にはもうちょっと長くそばにいたいなあ…、と思う。
そのうち、こう、なんか気分がやわらかーくなってさ、
あーもうこの人を幸せにしたいなあ…って思う。
この人のためだったら命なんかいらない、
もうオレ、死んじゃってもいい、そう思うよ。
それが愛ってもんじゃないかい」



この一見稚拙だが、人間の愛情の本質を言い得た言葉に田所教授は感服して涙を流すのである。
この言葉をごく自然に言える寅も感覚的だが、
その言葉に愛の全てを感じ、深く感動し涙を流すことができる田所教授こそ優れた感覚の持ち主であろう。



そして田所教授はこう言うのだった。


            



田所「
つまり、要するに、この僕は、
   寅さんの弟子だと!
   こういういうことだ。
   師によろしく!!




                   




手をあげて、颯爽と、そしてひょうひょうと立ち去る。

田所教授、歩きながら、手を振って


ヴェルディの歌劇『リゴレット』第三幕の「女心の歌」を歌い出す。




田所「
♪風の中の、

  羽根のように、

  いつも変わる、

  女心、

  涙流し、

  笑顔浮かべ




このシーンも大好きだ。
彼の青年の心の如き熱い想いが伝わってくる。
彼は孤独だったが、超然としているところがなんとも素敵だった。


                



そしてラスト

寅と田所教授は再会し、旅を続けていく。



                    



この二人の旅は笑いが絶えない旅だった。
まさに凸凹コンビ。実にウマが合う感じ。

今頃は天国での二人の楽しい旅が始まっている気がする。



             




思い出すのは…「椿三十郎」のあのコミカルさ、そして「名もなく貧しく美しく」のあの美しさ。

小林桂樹さん数々の名演ありがとうございます。


合掌










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男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌 【特報】 マドンナは夏目雅子

2010年9月5日 寅次郎な日々 その453&454

この文書には本編のネタバレが含まれます。お気をつけ下さい。


ようやく『越中おわら風の盆』」が終わった。

前夜祭も含めて14日間。

長い長い日々が幕を閉じた。


そういえば「男はつらいよ」では、富山県はついに一度もロケ地にならなかった(TT)

しかし、私の知らないところでかつて山田監督は富山県を舞台にした幻の物語を作っていた…。


幻のマドンナスチールも発見!




         






タイトルは


『 男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌 』





        





晩夏の風が吹く 『おわら風の盆』

夕闇迫る越中八尾聞名寺境内。

テキヤ仲間と一緒にバイに励む寅。

一息つこうと西町裏の階段を下り、井田川のほとりをぶらつく寅の向こう、

川岸で編笠を背中にしょった一人の浴衣姿の女性 ― 。

悲しげな目をして遠く川面を見つめている。

透き通るような頬につたう一筋の涙。



そっと近づく寅…



寅「お嬢さん、どうしたんだい?」






主演 渥美清

    倍賞千恵子


    下絛正巳
    三崎千恵子
    前田吟
    吉岡秀隆
    後藤久美子
    太宰久雄
    佐藤蛾次郎

    笹野高史
    すまけい
    桜井センリ
    関敬六

    


    夏目雅子





           

           


特別ゲスト

    宇野重吉

    岡田嘉子








寅次郎風の盆恋歌 ― このたびは寅次郎一世一代の恋でした。



           




月が越中八尾の石畳を照らすその夜。


           
           




         
胡弓の音色を遠く背に受け、寅次郎の命を懸けた恋が始まろうとしている。



          





                                                              八尾写真撮影 吉川孝昭 2010年9月
                                                 
  夏目雅子さんのイラスト合成 RYOTARO 作






なーんちゃって、こんな作品あったらいいなあ…チャンチャン(^^)



と、いうことで


『寅次郎な日々』の【号外】です!

2010年9月9日 寅次郎な日々 その454


なつめ
男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました!

           

          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO



胡弓の音色を背に受けて寅次郎一世一代の恋が始まる。




ポスターの細かい部分は見難いと思いますので↓に大きいサイズを貼りつけて置きます。



見たさ逢いたさ想いは募る

恋の八尾は おわら 夜半(よわ)の風


          




今作品は
岡田嘉子さんが特別出演で、夏目さんの踊りの師匠として大事な役割を負います。
彼女の発言が夏目さんの人生のターニングポイントとなるのです。

また
宇野重吉さんが八尾町の孤高の胡弓名人としてこれも重要な役割を負います。
独り住まいの宇野さんの町家に泊まりこむ寅。
寅と宇野さんの数々の掛け合いはそれはもう見事です。
宇野さんとの出会いは寅の人生にも大きな影響を与えていくのでした。








富山県が全面的に協力。
撮影協力は、私の町の『
越中八尾おわら保存会』のみなさんが唄い踊り演奏をしてくれました。


      





       映倫マークも↓再現


      





   もちろん松竹映画とマークも入れました。

      



笠智衆さんは、「花へんろ」のポスターの時に使いませんでした。第48作の流れで作ったからです。
今回かなり迷いましたが、何でもかんでも入れてしまうとリアリティがあまりにも無くなるので
今回もあえて入れないことにしました。




あ、さくらはいつも泣きたくなるくらい可哀想な写りのものばかりポスターに使われていましたので
今作品は最もさくらが充実した演技を見せていた十作台の美しく凛とした顔を使いました。

つまり、この作品は一応第50作としましたが、まだ渥美さんが元気で、さくらがこの写真のような雰囲気の頃の
作品というイメージで見ていただければと思います。
時期的にはだいたい第17作から第25作あたりまでの作品だと思ってください。



まあ、あり得ない勝手に作った私の理想のポスターなので
あくまでもお気楽にお遊びということでご高覧ください(^^;)



      





あ〜〜〜〜疲れた(^^)ゞ







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