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寅次郎な日々

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井上堯之さんという存在(2006,8,22)

思いつめるリリーの哀しみ(2006、8、19)

2006年夏 『浪花の恋の寅次郎』のロケ地は今(2006、8、16)

博を気に入った圭子さん(2006、8、14)

博士の愛した数式 覚え書き(抽象)ノート(2006,8,11)

自分にとっての幸せとは何かを模索するひとみさん(2006,7,30)

寅に何かを言おうとした早苗さん。(2006,7,28)

自分の歩むべき道に悩む奈々子さん。(2006,7,26)

寅の心の動きが分からなかった藤子さん。(2006,7,24)

殿様との触れあいに涙した鞠子さん。(2006,7,22)

寅と最期の日々を過ごした綾さん。(2006,7,20)

寅の真心に触れ号泣するぼたん(2006,7,18)

忘れがたい寅の初恋の人 雪さん(2006,7,16)

寅から学問のエキスを掬い取った人 礼子さん(2006,7,14)

寅次郎生涯最高の恋の日々  リリー(2006,7,12)

さくらと縁が深い京子さん(2006,7,10

厳しい人生の試練に立ち向かう歌子さん(2006,7,9)

険しい絵の道を真っ直ぐ歩むりつ子さん(2006,7,7)

寅の生涯たった一つ. 運命の赤い糸 リリー(2006,7,6)

寅に対する好意を隠さなかった女性 千代さん(2006,7,5)

寅によって人生が変わった女性 歌子さん(2006,7,4)

寅の生き様に想いを馳せた女性 貴子さん(2006,7,3)

寅が懸命に護ろうとした女性 花子ちゃん(2006,7,2)

寅の気持ちが見えた最初の人。夕子さん。(2006,7,1)



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 『寅次郎な日々』バックナンバー          






井上堯之さんという存在  「カーテンコール」  8月22日「寅次郎な日々」その245 



映画というものはまず、原作や脚本があり、演出があり、そしてキャストたちの
演技がある。しかし時として、その中のたったひとりの演技が凡庸な映画に品格を与えることがある。

昨日見た佐々部清監督の映画「カーテンコール」もそのような映画だった。
時代設定やねらいは「ALWAYS 三丁目の夕日」に似ている。しかし「三丁目の夕日」の方が
構成力、物語の簡潔さ、力強さ、広がり(スケール)、エンターテイメント性などで明かに秀でていた。

ただ、このカーテンコールの主人公安川修平(昭和の映画全盛の時代に映画と映画の幕間芸人として生きた人)の
晩年の役の方がただものじゃない存在感だった。いかにもという感じの説明的なおしきせ存在感ではなく、
実にひょうひょうとしてただそこにいるのである。後で知ったのだが、実はこの方は役者さんではなかった。あの、もとスパイダースの
メンバーであり、井上堯之バンドのリーダーの井上堯之さんだった。

まあ、はっきり言って役者としては彼はほとんど素人だろう。彼の出番は最後の方。つまりさほど多くない。しかしその全てにおいて
なんともいえない柔らかな表情が漂い、あの独特の歌声で「いつでも夢を」を歌われた。

私は実はなんの予備知識もなかったので、最初この老人がどなたか分からなかった。どこかで見たことのある顔なのだが、
こんな柔らかな表情が出せる役者は誰なのだ?イメージを温める時間の許されない今の日本の役者さんにはこんな表情の
方など渥美さんや笠さん、宇野さん亡き後もうどなたもいないし、存在の基盤すらないはずだが…、と驚愕しながらも、誰かは
思い出せないままだった。それで見終わった後気になったので調べてみると、あの音楽家の井上堯之さんだったのだ。

以前から書いているように、役者として素人だからというだけでいい演技ができるほどこの世界は絶対甘くはない。
しかし、役者ばかりやってきたからといっていい演技ができるほどやはりこの世界は同じく甘くはないのである。
これは芸の世界全てにあてはまる恐さなのである。

渥美さんを、そして笠さんを見れば分かる。あれが役者だ。
つまり、役者は膨大な日々の生き様が、そして隠された日常が露出してしまう恐ろしい職業なのだ。
私は井上堯之さんのここ20数年を全く何も知らないが、彼の日々の活動の中でギターや歌が彼自身の心を
洗い続けていたことは間違いない。そうでないとああいう表情や歌声は絶対に出せない。

私は残念ながら井上さんがこの映画によってどれくらい評価されたかは全く知らない。だいたいこの映画自体が説明的な部分や
消化不良な部分、構成的に弱い部分が目立つゆえに映画自体の評判が悪そうだ。ましてや井上さんは出番が少ないので、
『あの人いい味出してたね』程度で終わっている気もする。しかし、一方で密かに私と同じようにラストの彼のなんともいえない
穏やかな表情に心を打たれた方は実は多いのではないだろうか。
藤村志保さんの落ちついた温かみのある演技や鶴田真由さんのラストの迫真の演技はとても光り、これらも心に残ったが、
やはりそれらはギリギリでは所詮は私の予想や過去のデータ―の範ちゅうにあるものなのだ。
しかし、井上堯之さんのラストの「姿」には参った。それこそ心を揺さぶられた。

鶴田さん扮するみさとさんと30年ぶりに再会した時の井上さんのあの表情は演技どうこうでなく井上堯之さんの人生が出ていたと思う。
この映画の陰のテーマであり、実はこれこそが本当のテーマであるところの「宿命としての親子の情愛」の表現に僅かに成功したと
するならば、ラストの井上さんの表情が全てだったといってもいい。

その昔山田太一さん脚本、笠さん主演のテレビドラマ「今朝の秋」で、ラストに蓼科で杉村春子さんを見送る笠さんの表情は絶品で、
あれが日本の俳優さんが成しうる最後の到達点だと確信したことを今思い出していた。もちろん井上さんは笠さんのような域の
演技ではない。それこそそんなに人生は甘くない。しかし彼の表情はやはり私にはありがたかったのも事実である。


これだから芸術は怖いのだ。演技をする前からすでに勝負はついているのだから。

歌うたいも絵描きも歌う前に描く前に勝負はほぼついているのだ。人生はどこまでも厳しく正直だ。






                 





次回はもう一度『学ぶこと』を決意するすみれちゃんをちょろっと
書きましょう。たぶん8月24日頃になります。



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『寅次郎な日々』バックナンバー






思いつめるリリーの哀しみ 8月19日「寅次郎な日々」その244 


第25作「寅次郎ハイビスカスの花」  リリー (松岡リリーこと松岡清子さん)



リリーは「寅次郎相合い傘」ではふたりの波長がピタリと一致し、お互いの目を見つめ合うような
最高の切ない「恋」をした。
「寅次郎ハイビスカスの花」ではもう一歩踏み込み、寅と共に二人で生き、人生を共に歩もうとした。
たとえそれが真夏の夢の中の幻想だとしても…。

自己の美学の赴くままに奔放に生きる寅やリリーのような渡り鳥にも、ふとしたタイミングで羽根を休め、
「定住の夢」を見るひと時もある。その夢は必ず、ないものねだりの夢。そしてそうすることは渡り鳥である彼らの
気質の中では死を意味する。渡り鳥が飛ぶことを忘れた時、それは死ぬ時なのだ。

リリーは、相合い傘の時にそのことを強く自覚しているはずだ。しかし、リリーは遠く沖縄で重い病気をしてしまったのだ。
そんな気の弱った孤独なリリーを2日と待たせることなく寅は必死で駆けつけ、そして毎日看病をし続ける。

リリーの長い長い人生の中で最も幸福な一瞬があったとすれば、それは寅が那覇の病院へ駆けつけてくれた
あの午後である。リリーはあの時寅を一生想い続けようと自分に誓ったに違いない。

渡り鳥の宿命を分かっているのにりりーはまたもや寅に恋をしてしまう。自分の一番つらく寂しい時に
駆けつけ寄り添ってくれた男に恋をするのは当たり前かもしれない。結婚できないのは分かっていても
恋をするという感情は理性では止められないし、恋とはそんな後先を考えて芽生える感情ではないはず。
人は想うことは誰にも止められやしないのである。

リリーはこの今、現在を生きているのだ。だから、寅なんてどおせ逃げるのに決まっているじゃないか。バカだな、と
笑うのは間違っている。恋をしたら、共に人生を歩みたいと思うことはちっとも間違ってやしない。


そんなリリーと他のマドンナとの決定的な違いは、リリーには寅が必要だし、寅にもリリーが必要だってことだ。
お互いが人生の中で釣り合い、バランスが保たれている。こんなマドンナはリリーだけだ。そこがお千代さんや
朋子さんと違うところ。

だから本当はリリーはいわゆるマドンナではない。そんな憧れ的な綺麗ごとの存在ではなく、もっとリアルな、もっと寅の
人生に直接入りこむような存在、やっぱり彼女は人生を通しての寅にとっての「最愛の人」なのだと思う。
   


下の写真を見て欲しい。こんなに息の合った表情は他のマドンナの時は見たことが無い。
ふたりのなんという笑顔!なんという躍動感。
このやり取り、動きのキレ!これぞ寅とリリーの青春だ。


                  



しかし、リリーの病気がいよいよ治ると、寅はそれまでの緊張感が緩み、弛緩してゆく。寅という男は
いつもこうだ。マドンナが弱い立場で困っている時、駆けつけ寄り添うことが生きがいなのだ。
相手に必要とされ役に立っていると自覚している間は懸命に尽くすが、相手が自立し始めると
何をしていいのか分からなくなる。天からただひたすら『与えること』だけを命ぜられたこの男の『業』とさえいえる
このような不合理な行動は最後の最後まで全ての寅を愛したマドンナたちを戸惑わせ、寅だけでなく、
マドンナたち自身をも失恋させていったのである。


リリーはこの寅の『業』に最も苦しめられた人間である。
そして彼女は分かっていても寅を待っている。そんじょそこらの恋じゃないのだ。沖縄、本部の海岸の離れで夜遅く波の
音を聞きながら、寅のことを想い続けるリリー。
絶望を身近に予感しながらも寅を愛せざるを得ないゆくあてのないその目は
怖いほど透き通り哀しくも美しい色を帯びていた。


                


山田監督はこのシリーズでマドンナを半ば記号化し、ひとつのお決まりごととして描いていったが、リリーだけは素面で
撮っている。

山田監督が、渥美さんと浅丘さんを使って本当の恋愛を撮ろうとしているのがスクリーンから伝わってくる。
渥美さんが山田監督をして車寅次郎を延々と撮らせていったように、浅丘ルリ子さんは山田監督を本気にさせた唯一の
マドンナだったと言えよう。




そして沖縄から戻った寅とリリー。


沖縄で恋に破れた後も寅は今回はがんばった。ギリギリで柴又での敗者復活まで狙った。


リリー、オレと所帯持つか…


しかし…、リリーも寅もこれ以上は無理、もう限界がそこまで来ていた。




私は今回の寅に言ってやりたい。「とにかく!よくぞリリーに面と向って告白した!」と。
あの告白があるかないかで、二人の人生はこの先長い目で見ると違ってくる。
リリーはあの言葉を一生忘れはずがないのだから。



                


山田監督は、この作品のラストでもう一度リリーと寅が再会するという大サービスを演出してくれる。
このシリーズを長く見てきて、あの時ほど私は嬉しいことはなかった。






群馬県吾妻郡六合村荷付場 バス停



寅「
どこかでお目にかかったお顔ですが、
  
姐さん、どこのどなたです?


リリー、ニツコリ笑って答える。


リリー「
以前お兄さんにお世話になったことのある女ですよ


寅「
はて…? こんないい女を
  お世話した憶えは…ございませんが



リリー「ございませんか、この薄情者!


リリー「
ハハハ!


寅「
ハハハ!


明るくメインテーマが流れ始める。



寅「
何してんだ?、お前、こんなとこで


リリー「
商売だよ


寅「



リリー「
お兄さんこそ何してんのさ、こんなとこで!



寅「
オレはおめえ、リリーの夢を見てたのよ


リリー「クー、キャッ!!



この二人の縁がここから一層深くなるのはまだ気の遠くなるような相当の歳月が必要なのである。
その歳月の間に寅はリリー以外のマドンナと多くの恋をし、
リリーはもう一度、ある老人と結婚もする。
しかし、それでもなぜかこの
二人の間には「赤い糸」が見える。
ちょっとやそっとでは絶対切れない運命の糸だ。


そして、その鍵を握っているのはやはり『さくら』なのかもしれない。



             





次回はもう一度『学ぶこと』を決意するすみれちゃんをちょろっと
書きましょう。たぶん8月21日頃になります。



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『寅次郎な日々』バックナンバー   




2006年夏 『浪花の恋の寅次郎』のロケ地は今   8月16日「寅次郎な日々」その243 

【第27作浪花の恋の寅次郎」 新情報追加】

私の寅仲間である大阪の鶴田さんが、2006年の今年夏、第27作「浪花の恋の寅次郎」
大阪ロケ地を巡って来られた。
鶴田さんは生まれも育ちも南河内。私は育ちは北河内。お互い河内のワルガキだったのである。
鶴田さんのお父様は渥美さんと同い年、そして同じ病気で同じ平成8年にお亡くなりになられている。
それゆえ、映画を観るたびにオーバーラップされて感無量になられるのだ。

そういう事情も手伝って、鶴田さんは相当筋金の入った寅さんファンであり寅マニアだ。バイクに乗って
風を切りながら「寅次郎物語」の旅を和歌山、吉野と追体験されたり、いろいろな作品のロケ地を
情熱的に巡られている。

先日大阪ロケ探訪のお写真をメールに添付して送ってくださったので、本日ここに紹介させていただきます。
映画のカメラアングルを頭にしっかり入れられて綿密に行われた取材撮影はお見事の一言だ。

(ちなみにお名前とお写真掲載のご許可は得ております)






@ 2006年夏 大阪石切神社  参道


寅「おふみさん、って言ったな

メインテーマが軽快に流れる。

ふみ、タタタと駆け寄り、手を握り、

ふみ「寅さんやね、確か!

寅「そうよ

2006年夏
       







A 2006年夏 生駒山 宝山寺駅近く


寅「どうだい?景色のいいところでもって、
 弁当でも食おうよ
歩くの嫌いな寅(^^)

ふみ「まだ着いたばっかりやないの

寅「これ登るのか!?うわあ〜


2006年夏
          







B 2006年夏 生駒山宝山寺への石段


ふみ「もう一枚撮りましょか

女性「お願いします

男性「お宅はお子さんまだですか

ふみ「はい、まだです(^^;)

カシャ


寅、そのセリフ聞きながら照れまくり。



2006年夏
        





C 2006年夏 宝山寺 境内  絵馬堂

絵馬に二人とも何か書いている。

寅「ふみちゃん、何書いたんだい

ふみ「ん?寅さんにええお嫁さんが来ますようにって

うそだ〜ぇ、うそだよー、
 そんなこと書くわけないよ、フフ、
 でも、ちょ、ちょっと見せてやってくれる?


ふみ「あかん、いや、いやー」と隠そうとする

寅「ちょっと、見せてよ

と、さっと取ってしまう。

寅「ハハハ

寅、絵馬を眺め、はっとする。


弟が幸せになりますように。

                          
ふみ

ゴーン

寅「弟がいたの?

み「うん



2006年夏
       






D 2006年夏 大阪市港区波除6丁目 山下運輸付近



寅「社長さん

主任「私?

寅、頷く。

主任「社長ちゃいまっせ

と手を洗う。

寅「じゃあ、課長さん

主任「私、あの、運転主任ですけど

寅「あー、主任さんですか

主任「はい。なんか御用でっか



2006年初夏 今は山下運輸は大正区に移っているが、当時のお手洗いは健在!



鶴田さんはこの時の取材の様子をこう書かれている。

…そして港区波除6丁目
昆ちゃんが出てきたあの便所がありました。横に古びた電柱も立っています。
近くに寄ってみると 中から用を足しておじさんが出てきました。

鶴田さん「ここは以前 山下運輸という会社でしたでしょうか?」

おじさん「そうよ」

鶴田さん「では 寅さんの映画のロケされましたよねぇ」

おじさん「したした。ここでなぁ ようけ人集まってなぁ」

鶴田さん「川の向こうに発電所の煙突がみえませんねぇ」

おじさん「もう潰して今は公園になっとるよ」 



2006年夏
            






E 2006年夏 天王寺動物園入り口近く




タクシーが早朝帰りの客を待っている。

失意のふみ、先頭のタクシーに乗って行く。




2006年初夏
            







F 2006年夏 通天閣本通り 地下通路入り口


寅「じゃあおっさん

オヤジ「もうお別れか…

寅「世話になったな

と、階段を下りてゆく。

オヤジ、寅の背中を名残惜しげに追っている。

寅、振り返って

寅「あ、勘定の残りは必ず送るからな

オヤジ「大阪に来たらまた顔出してや





2006年夏
            





オヤジ、独り言をつぶやく。

オヤジ「あーあ、淋しなるなあ、あの男がおらんようになると

オヤジ通天閣の方に戻っていく。



2006年夏
            





同じく
2006年夏 通天閣本通り

近所の人と挨拶

近所の人「おはようさん、おまえとこどやこの頃

オヤジ「あきまへんな

近所の人「しっかりやらなあかんで、泣き言ばかりゆうてんと


オヤジ、ほかの人にも手で挨拶して、トボトボ帰って行く。



2006年夏
            


以上、2006年夏の鶴田さんの取材写真を紹介しました。これらを見て思ったのは
25年と言う歳月を経ても意外にこれらの風景はそんなにも変わっていないということだった。
当時の面影が結構残っているのは嬉しいものである。
特に山下運輸のお手洗いが残っていたのは驚き桃の木山椒の木だ。
山下運輸は引っ越してしまったがああいうものは引き継がれていくんですねえ(^^)
もちろん山下運輸のそばの発電所の煙突が無くなったり変わったところも多いが。

鶴田さんの熱き行動力に対し、心より敬服いたしますと同時に、ご好意に深く感謝いたします。
ありがとうございました。


「浪花の恋の寅次郎」本編はこちら



次回は沖縄で、かなわぬ夢を見たリリーをちょろっと
書きましょう。8月18日頃になります。



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242


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー           






博を気に入った圭子さん  8月14日「寅次郎な日々」その242 


第24作「寅次郎春の夢」 高井圭子さん  




圭子さん「いつもめぐみと話してるんですよ。口数が少なくて思いやりがあって
      ほんと魅力的だわねって。
      死んだ主人も博さんみたいに口数が少ない人でした…」

と、いうことで、親子ともども『博』に魅力を感じているのだ。
寅の存在はさくらのお兄様で終わりがちだった。とほほ。

圭子さんは、茶の間での寅の愛情に対するアリアに耳を傾け、共感し、深く頷いていたものの。
彼女と寅との絡みは全体的には希薄で、マイケルとさくらの絡みの方に中心が置かれている。



            



しかし、香川京子さんは美しく上品でその存在自体が魅力的。
それゆえ、私などは脚本的にもっと彼女と寅との縁を深くして欲しかったと思っている。
私以外でもあの名優、香川京子さんをもっと生かして欲しかったと悔しがった人は多いだろう。

私は昔「東京物語」を見て以来、香川さんの大ファンだ。なんとか彼女と寅のハイライトを作って欲しかった。
いきなり、恋人の貨物船の船長さんなどが安直にやってきて、おしまいにしてしまわないで、彼女に
寅の恋心をしっかり感じて欲しかった。最終的に寅に「
デイス イズ インポッシブル」と言ってもいいから(^^;)
寅の気持ちを一度は心に留めて欲しかった。

香川さんは、近年でも「まあだだよ」や「阿弥陀堂だより」の押さえられた控えめな演技の中に
忘れがたい緊張感と存在感を醸し出していた。あのたたずまいになんともいえない美を私は感じる。
日々の彼女の生き様が立派なのだろう。
今の日本人で、あのような「たたずまい」を見せてくれる役者さんはもうほとんどいない。
今の若い女優さんはいくら年齢を経ても、いくら体当たりの思い入れたっぷりの演技をしても
香川さんのようにはなれないのだと思う。
やはり日々の人生が違うのだ。



            





次回は沖縄で、かなわぬ夢を見たリリーをちょろっと
書きましょう。8月18日頃になります。




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241


『寅次郎な日々』バックナンバー






寅次郎な日々 特別バージョン   


   8月11日「寅次郎な日々」その241   『博士の愛した数式』覚え書ノート

日本帰国後、仕事の合間をぬって昨年同様深夜は新作のレンタルDVD三昧である。で、その中で『ALWAYS.三丁目の夕日』は
なかなか作りが丁寧で気持ちがたっぷり入った佳作だった。見て良かった。

そしてもうひとつ、すがすがしい静かな感動に包まれたのが『博士の愛した数式』だった。

これは『美しい映画』だった。
美しく見せようとしている映画は古今東西ごまんとあるが、美しい映画はほとんどない。
以前『阿弥陀堂だより』を見た時もこの種の感慨があった。繰り返し見るに値する作品とはこのようなものなのだ。私は一発で虜に
なってしまった。

そして原作をすぐ買って読んだ。原作がなによりもすばらしい。
無駄のない構成、省略の妙、日本語を知り尽くした自信に満ちた、しかし謙虚な文章。綴られた言葉はどれも美しいとしか言いようが
ない。その原作の清澄な香りを見事に映像化することに成功した小泉監督とその仲間たちの鋭敏な感覚に今回も脱帽。
こんなにも物語を読み進めることが楽しく、集中したことはここ数年なかったし、こんなにも映画が終わってしまうのが切なかったことも
ここ数年なかった。3年ほど前に見た『裸の島』以来だ。『博士の愛した数式』は『珠玉』という言葉がぴったりな「宝物」がたっぷり入った
小説であり、映画だった。

この作者さんの小川洋子さんは、山下和美さんのマンガ『天才柳沢教授の生活』を読んでいたのかもしれない。
昔からの『天才柳沢教授の生活』の熱烈なファンである私にとって、この『博士の愛した数式』の博士には柳沢教授とだぶるものを直感した。
相手がマンガなので、小川さんはなんて言うか分からないが、実際影響を強く受けていることは間違いないだろう。


映画のキャストではなんといっても深津絵里さんが素敵だった。素直さと謙虚さ、絶え間ない好奇心の発露が時に淡く、
時に大きく輝いていた。これは間違いなく彼女の当たり役だとこれまた直感できた。彼女は役に出会った目をしていた。
吉岡秀隆さんや寺尾聡さんはさすがに自分の持ち味を十二分に出し切っていた。それにしても浅丘ルリ子さんの存在感は並外れていて
美しい着物姿がゾクゾクするほど艶やかだった。セリフを発するあの口跡がすばらしい。そしてなによりもあの『姿』。あれが役者というものだ。
彼女があの物語の要をしっかり支えていたのは言うまでもない。浅丘さんのような役者さんは滅多にいないだろう。
音楽の加古隆さんの気品のある曲、そしてソプラノを聞かせる森麻季さんの声。これらも見事にはまっていた。


それにしても小泉堯史監督の波長と私の波長は合うのだ。『阿弥陀堂だより』はもうそれこそ十何回と見ている。
この『博士の愛した数式』ももちろんすぐDVDを購入した。



下に物語の覚え書きをちょろちょろっと記します。
時に小説、時に映画と混ざり合い、私にとってのひとつの大きなイメージを狙いたい。






博士の愛した数式 


小説and映画混ぜこぜ  抽象的覚え書き(イメージ)


あくまでもイメージ重視(抽象)なので物語があちこち飛ぶことをご了承下さい。


信州在住(小説では瀬戸内)の派遣家政婦でありシングルマザーである「私」と、彼女の10歳になる息子「ルート」、
そして派遣先である母屋の離れに住んでいる初老の「博士」の三人によって密かに築きあげられていった日々の
静かな営みとその心の襞を、丁寧にそして謙虚に四季折々の風景の中で写しだし、紡ぎだした記録が
この小説であり、この映画だ。

「博士」はイギリスのケンブリッジ大学の博士号をとったほどのすぐれた数論専門の大学教授であったが、47歳の時、未亡人である
兄嫁との密会の旅の最中に巻き込まれた交通事故で脳(おそらく海馬)に損傷を受け、それ以来、80分しか記憶を保つことができなく
なってしまっていた。そのため、博士を相手にする者は何度も同じことを繰り返し説明しなければならず、また何度も博士から
同じようなことを聞かなければならない羽目に陥ってしまうのだった。しかし彼は1975年までの記憶は全く侵されていない。
そして、それゆえ彼の古い記憶は常に1975年で止まったままだ。


小説では、全体の語りは、家政婦である『私』に委ねられている。
しかし、映画では、博士に親愛を込めて√(ルート)と名づけられた10歳の少年が、数学の教師となり、
ある年の新学期の教室で、自己紹介ということで、博士との不思議な出会いと体験したできごとを「数学概念」の
説明とともに、生徒に優しく語り始めるという設定になっている。





素数を愛した人

ところで

博士は初対面の人(80分を過ぎればみんなリセット。よっていつも初対面)に対し、その不安からくる緊張を避けるために
自分のためにも相手のためにもさまざまな数字の話を必ずするのだ。



博士「君の靴のサイズはいくつかね」

私「24です」

博士「ほう、実に潔い数字だ。階乗だ」



博士「君の電話番号は何番かね」

私「576の1455です」

博士「576万1455だって?素晴らしいじゃないか、一億までの間に存在する素数の数に等しいとは」



授業中のルート

ルート「素数の『素』は素直。何もくわえない本来の自分と言う意味。この素数は夜空に光る
   星のように無数に存在します。現れ方はいかなる法則にもあてはまらない。私はここ。独立自尊。
   なんとも潔く妥協せず孤高を守り通している数字。
   博士がこの世で最も愛した数字。それが『素数』です」




博士「誰よりも早く真実に到達するのは大事だが、それよりも証明が美しくなければ台無しだ。
   ほんとうに正しい証明は一部のスキもない完全な強さとしなやかさが矛盾せず調和して
   いるものなんだ。何故星が美しいのか誰も証明できないのと同じように、数学の美しさを
   証明するのも困難なんだ。


博士「直感は大事だ。素直に直感で数字を掴むんだよ」





博士 「284の約数の和は220。 220の約数の和は284。…友愛数だ。

私「友愛数?

博士「神のはからいを受けた、絆で結ばれた数字なんだ


博士「美しいと思わないかい?君の誕生日僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェ―ンで
   繋がっているなんて」





            





博士「子供の頃からタイガース」
私「私も息子も大の阪神タイガースのファンなんです」(偉い!)


彼が大好きな江夏豊の背番号は28

28完全数だ。

博士が忘れないために袖にくっつけている新しい家政婦さんの似顔絵は最高だった。
なぜか似ている。原作ではもっとへたくそな絵ということになっていた(^^;)


子役のルート(√)少年は幼き日の吉岡秀隆君そっくり(^^)

博士は彼に『ルート』と名づける。(頭が平たいので)

博士「これはなかなか賢い心が詰まっていそうだ。いいかい、君はルートだ。
   どんな数字も嫌がらずに自分の中にかくまってやる。実に寛大な記号ルートだよ


これらの言葉は当然毎回繰り返されることになる。






寂しい心が支配し、博士がその昔書いた手紙を読む未亡人である兄嫁


博士の文字

子供たちの元気に遊ぶ姿を見るにつけ古い歌を思い出します。

人の子の遊ぶをみればにはたづみ
流るる涙とどめかねつも

僕の心は

のπi乗=−1です。

この数式が永遠に−1であるように宿した命の一滴を
取り戻すことはできないでしょう。
道を踏みはずした二人に、もう手を取る友達はありません。
不幸を共に悲しむ。そうありたいと願っています。

愛するN へ  






『私』と博士のはじめての散歩

博士「
数学に最も近い仕事は農業だよ。
    土地を選び、耕し、種を蒔いて育てる。
    数学者もフイールドを選び、種を蒔けば、あとは一生懸命育てるだけ、
    大きくなる力は種の方にあるんだよ






ルートと博士の会話

博士「
いいかい、問題にはリズムがあるからね。口に出してそのリズムに乗っかれば
   問題の全体を眺めることができるし、落とし穴が隠れていそうな怪しい場所の
   見当がつくようになる





ルートの授業

ルート「
いつ、どんな場合でも博士が求める物は正解だけではありませんでした。
    博士はどんな愚かな袋小路に落ちこんでしまっても、必ず何かいいところを見つけだし、
    そして誇りを与えてくれた




台所

ある日『私』は28の約数を全て足すと28になることを発見し、博士に言ってみる。

私「あのー、私の発見についてお話しても構わないでしょうか」

博士「…」

私「28の約数を足すと28になるんです」

博士「ほう、完全数だ」

私「完全数?」

博士「完全の意味を真に体現する貴重な数字だよ。デカルトはね、完全な人間がめったにいないように完全な数も
   また稀だ、と、言っている。この数千年の間に見つかった完全数の数は30個にも満たないんだよ」

私「たった30個ですか」

博士「うん。
完全数28は阪神タイガース江夏豊の背番号なんだ」





ルートの授業

ルート「この完全数の性質をもうひとつ示してみる。完全数はね、
連続した自然数の和だけで表すことが出きるんだ。

28=1+2+3+4+5+6+7

この完全数は今でも神秘のベールに包まれている。

究極のバランスを身につけた美しい数だ。





博士とルートが滝のそばで会話

ルート「じゃあこの葉っぱも1でしょう」

博士「そう、その葉っぱだって1枚だ。あの、葉っぱがたくさん集まっている杉の木だって1本だ」

博士「
全体が一つで枯葉なんだ。ルートも全体で1。一つの中に全体が調和していて美しい。
   良いこととはそういうことなんだよ





私「
永遠の真実は目に見えない。心で見るんだって…






台所

私「あのー、何かご用でしょうか」

博士「君が料理を作っている姿が好きなんだ」

博士「なぜそうやって肉の位置をずらす必要があるのだろう」

私「フライパンの真中とはじのほうでは焼け具合が違いますからね。均一に焼くためにこうやって時々場所を
  入れかえるんです」

博士「なるほど、一番言い場所をひとりじめしないよう、みんなで譲り合うわけか…。
   あー…なんて静かなんだろう



小説でも映画でも博士の心が感動し、高揚した時彼は必ず「なんて静かなんだろう」と呟くのである。





博士を今も愛する兄嫁
そして1975年、二人で見た薪能の夜で記憶が止まっている博士。

兄嫁「当時のわたくしの姿がそのまま今も、
   これからも生き続けて行くのです


薪能の場面の収録日は5月11日12日、実際の興福寺薪御能の日と同じ。
ちなみに映画の後半、数学雑誌の懸賞の当選案内が来るのが同じく5月12日。
その直後に薪御能の場面が挿入されている。


阪神タイガースのエース「江夏」は「オイラーの数式」に匹敵する象徴。




『私』とルート、そしてみんなの約束

「『その話は聞きました』、って絶対云わない、って約束しよう」





         





『直線』を愛した女性 『私』


博士「本来の
直線の定義には端がない。無限にどこまでものびてゆかなければならない。
   しかし、現実の紙に、本物の直線を描くことは不可能なのだ


博士「真実の直線はどこにあるか。それはここにしかない

博士は自分の胸に手を当てた。虚数について教えてくれた時と同じだった。

博士「
物質にも感情にも左右されない、永遠の真実は、
 目には見えないのだ。目に見えない世界が目に見える世界を
 支えているんだ。肝心なことは心で見る。

 数学はその姿を解明し、表現することができる。
 なにものもそれを邪魔できない




小説
空腹を抱え、事務所の床を磨きながら、ルートの心配ばかりしている私には、
博士が言うところの、永遠に正しい真実の存在が必要だった。
目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。
厳かに暗闇を貫く、幅も面積もない、無限にのびてゆく一本の真実の
直線
その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした。


君の利口な瞳を見開きなさい



博士の言葉を思い出しながら、私は暗闇に目を凝らす。







兄嫁と『私』の軋轢

無意識に『私』に嫉妬を覚え解雇し、詮索する兄嫁。

未亡人「義弟はあなたたちのことを覚えることは1日たりともできません。わたくしのことは
    一生忘れませんけれども



私「私とルートにとって、博士と過ごすひと時は、ほんとうに大切な時間でした。
 それは80分に限られた記憶がたとえゼロになっても…はっ…
 『直線』、直線と同じ。
 目に見えない永遠の真実。そうなんだ、

 心で見れば時間は流れない
 
大事なのはこの今ではありませんか




博士は「僕には失うものはもうなにもない。
   ただ、あるがままを受け入れ、自然にまかせきって、
   ひとときひとときを生きぬこうと思う
」と兄嫁に呟き、


紙にある数式を書く。


のπi乗+1=0


涙を流す兄嫁。



『彼女の瞳から少しずつ動揺や冷静さや疑いが消えてゆくのがわかった。数式の美しさを
正しく理解している人の目だと思った』

そして…


ルートの誕生日11歳

博士「
11...美しい素数だ。素数の中でもことさらに美しい素数だ。
   しかも村山の背番号だ



博士の懸賞獲得とルートの誕生パーティーの最中に、母屋から兄嫁がやってきて、グローブを渡す。
ルートの誕生日のプレゼントを博士に頼まれ買ってきたものだった。

兄嫁は『私』に自分の胸中を打ち明ける。子供を宿し、そして産む勇気がなかったことも…。

兄嫁と『私』そして兄嫁と博士との間にもあった垣根がなくなっていった夜だった。

兄嫁「すべてまかせますわ」

兄嫁「(母屋と離れの間の木戸をは)この木戸は、これからはいつでも開いております


兄嫁はようやく呪縛から少し解き放たれたのだった。


ちなみに『男はつらいよ寅次郎忘れな草』も「11」だ。
寅とリリーの運命の出会いはことさら美しい素数によって彩られている。





オイラーの法則
のπi乗+1=0

これは単調関数である指数関数と周期関数である三角関数が、
虚数を取り込むことにより結びつくという、難解な数式。
もちろん映画ではイメージとして扱われている。

そして、この数式が、ルートの最初の生徒たちへの授業で、
示されこれが宇宙のバランスのなぞを解く重要な鍵であることが暗示されている。



ルートの授業

は−1の平方根で、ルート−1 虚数。(Imajinary number)


ルート「
虚数(i)の虚は虚心の虚、そして謙虚の虚。普段目に付くところには
    決して姿を現さないんだけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、
    小さな両手でこの世界を支えています。恥ずかしがり屋のi
    i は愛に通じるんです。




そして問題は(ネピア数)

eはπと同じく循環しない無理数。無限の宇宙。


ルートはこう説明する。

πもiもeもひっそりと身を寄せ合って生きている。
これらは決して繋がらない。
でも、たった一人の人間がたったひとつだけ足し算をすると
世界が変わります。
矛盾する物が統一され…ゼロ つまり無に抱きとめられます。






        







小説では

私はもう一度博士のメモを見直した。果ての果てまで循環する数と、
決して正体を見せない虚ろな数が、簡素な軌跡を描き、一点に着地する。
どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeのもとに舞い下り、
恥ずかしがり屋のiと握手する。
彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が
一つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。全てが0に抱き留められる。
オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。
そこに込められた美しさに打たれながら、私はメモ用紙を定期入れに仕舞った



博士「しかし、ゼロが驚異的なのは、記号や基準だけでなく、正真正銘の数である、という点なのだ。
最小の自然数1より、1だけ小さい数、それが0だ。0が登場しても計算規則の統一性は
決して乱されない。それどころかますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。

さあ、思い浮かべてごらん。

梢に小鳥が一羽とまっている。澄んだ声でさえずる鳥だ。くちばしは愛らしく、
羽にはきれいな模様がある。思わず見惚れて、ふっと息をした瞬間、小鳥は飛び去る。
もはや梢には影さえ残っていない。ただ、枯葉が揺れているだけだ。

ほんとうにたった今小鳥が飛び去って行ったかのように、博士は中庭の暗がりを指差した。
雨に濡れ、闇は一層濃くなっていた。


「『1−1=0』 美しいと思わないかい?





『終章』そして『ラストシーン』

そして、同じく小説では、終章に、次のように描写されている。
(博士は病状がかなり進み海辺の施設で残りの生涯を暮らすことになる)

もう博士の記憶は1分たりとも前に進まなくなりつつあった。


「ルートは中学校の教員採用試験に合格したんです。
来年の春から、数学の先生です」
私は誇らしく博士に報告する。
博士は身を乗り出し、ルートを抱きしめようとする。
持ち上げた腕は弱弱しく、震えてもいる。
ルートはその腕を取り、博士の肩を抱き寄せる。
胸で江夏のカードが揺れる。

背景は暗く、観客もスコアボードも』闇に沈み、江夏ただ一人が浮かび上がっている。
今まさに、左手を振り下ろした瞬間だ。右足はしっかりと土をつかみ、ひさしの奥の目は、
キャッチャーミットに吸い込まれていくボールを見つめている。マウンドに漂う土煙の名残が、
ボールの威力を物語っている。
生涯で最も速い球を投げていた頃の江夏だ。
縦縞のユニホームの肩越しに背番号が見える。

完全数  28






             






映画のラストは博士がルートからあの日プレゼントしてもらった
江夏豊のウインドブレーカーを着、施設の浜辺で成人したルートとキャッチボールを
している姿で終わる。

浜辺に座って二人を見ている『私』と兄嫁



そしてウイリアム.ブレイクの言葉が添えられる。

一粒の砂に一つの世界を見

一輪の野の花に一つの天国を見

てのひらに無限を乗せ

ひとときのうちに永遠を感じる



そして

私はもう一度主人公の『私』が吐露した彼女の心を今最後に思い出している。


小説
『空腹を抱え、事務所の床を磨きながら、ルートの心配ばかりしている私には、
博士が言うところの、永遠に正しい真実の存在が必要だった。
目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。
厳かに暗闇を貫く、幅も面積もない、無限にのびてゆく一本の真実の直線。
その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした。



君の利口な瞳を見開きなさい




博士の言葉を思い出しながら、私は暗闇に目を凝らす。



 

               





私はおそろしく静かで美しいこの小説と映画を生涯忘れないだろう。




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240


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー           






自分にとっての幸せとは何かを模索するひとみさん  7月30日「寅次郎な日々」その240

第23作「翔んでる寅次郎」  入江ひとみさん



ひとみさんは一度結婚式をした人ともう一度結婚するなんていうとてもユニークな体験をしてしまった人だ。
そしてウエディングドレスのままとらやになだれ込んでくるという、前代未聞の暴挙にも出た最初で
最後のマドンナだ。全マドンナの中で、おいちゃんが面倒見たくないと怒ったのはひとみさんだけ(^^;)
わかるわかるその気持ち。とらやは『お助け駆け込み寺』じゃないんだから。

親の敷いたレールを無理やり歩むことに動物的本能で超遅ればせながら疑問を感じ、発作的に結婚式を
突然抜け出し、自分の人生をようやく自分自身で模索しはじめるのである。なんとかギリギリで彼女は
野生を隠し持っていたのだ。それでも親の呪縛から逃れることがなかなかできなさそうだったが、寅が防波堤
になって、後押しをしてなんとか自分の足で生きていくことに成功していくのだ。彼女はみたとおり、
しゃべったとおりの、絵に描いたような田園調布の甘ちゃんのお嬢さんだが、彼女の感覚は意外にも
死んではいなかった。





            







ひとみさんの自宅


ひとみ「ママ、今幸せ?」

ママ「何言い出すの?急に。 まあ…幸せでしょうね…。」


ひとみ「それじゃ、あれだわ…、
    あなたが考えている幸せとは
違う幸せが欲しいの


ママ「……」



ひとみさんのママの人生観や幸福感を闇雲に否定しないで、もうひとつ違う幸福があることを
ママに伝えるところが秀逸。これはなかなかいえる言葉ではない。

人はそれぞれ幸せになりたい。
大学生、社会人となっていく満男もそのことを常々考えていた。
しかし、ひとみさんの思う幸せとママの幸せには上記のようにずれがある。

はその人にしかわからない価値観、幸せがある。しかし、時としてほんのひと時その幸せが
お互い重なり合う瞬間がある。その重なりあうひと時のために人は生きているのかもしれない。




       



ひとみさんのママは、川千家で開かれたささやかな手作りの披露宴に遅ればせながら
出席し、ひとみさんの求めている幸せを共有し、彼女の想う幸せの意味を知り、一緒に
涙するのである。このへんがひとみさんのママのさすがなところ。


それにしても邦男さんはいい妹を持ったものだ。彼女の密かな応援が邦男さんをどれだけ勇気付けたか。

邦男さんの歌う『とまり木』は胸に染み、心に沁みた。いい歌だ。



          



川千家 披露宴(祝賀会)



ひとみ「私は今、邦男さんの幸せについて考えています。
    この前の結婚式の時はもう自分のことしか考えてなかったんです。つまり、あの…、人のことを
    一生懸命考えるっていうか、相手の幸せをほんとうに心から願うっていうか、そういう態度が私には
    一番欠けてたのね。そのことを教えてくれたのはここにいる寅さんです。いただいたこのネックレスと
    一緒に私寅さんのこと一生忘れない。ありがとう寅さん。それから、さくらさんはじめとらやのみなさん
    ほんとうにどうもありがとう。
    ママ…来てくれてほんとうにどうもありがとう。私今…しあわせよ」




邦男「♪壊れそうな優しさを僕は抱きしめ、

   君のまえではいつも陽気でいたい。

   きらびやかなものに惑わされないで、

   どうか僕のとこへやって来ておくれ。


   君は君のために翼を広げて、

   信じるものに向かい飛び立つんだ。


   僕にできることは何もないけど、

   とまり木くらいなれるだろう…。

   いつまでもいつまでも変わることなく

   大切ななにかを見つけてほしい。

   いつまでもいつまでも………」



邦男さん、ほんとうに人が人を大事に想うということが心に伝わるいい歌だったよ(TT)






            
  涙で歌えなくなってしまう邦男さん
           



            
   泣きじゃくる京子ちゃん
          





でも…、本当のことを言うと、人生何が幸いするかわからない、というのが私の本音。
タコ社長など、
結婚式の時は見合いの時別の人が来たのにもかかわらずなんとそのまま
結婚してしまったのだ。(凄い勇気!…っていうか軽率…)
しかし、結果的には今はどうやら幸せそうだ。結婚してから恋愛をするってこともあるのだ。
人生は長い。一寸先は闇、一寸先は光だ。
   

その後邦男さんとひとみさんは共働きで一生懸命生きていくことになる。
おいちゃんやさくらの話によると、時々お風呂帰りにお団子を食べに来るそうで、
とても仲がよいそうだ。

寅、よかったね。二人は今、幸せだよ。
             







さて!
いよいよ明日7月31日バリを発つ。今回はバンコクにしばらく滞在し、
用事を済ませ、8月5日過ぎに日本に帰国する予定です。

というわけで、明日からバリを離れるのでしばらくパソコンをいじれません。残念…。日本に帰って、
しばらくしてから日本に置いてあるノートパソコンで寅次郎な日々や第29作や日記などまたいろいろな
ページを更新します。

『寅次郎な日々』も本日7月30日更新の後は次回更新は8月7日
あたりになると思います。英語が堪能な圭子さんの話です。気長〜〜ァにお待ちください。

ただ、私の日本のノートパソコンはもう何年も瀕死の重症で、時々止まってしまう(^^;)
うまく更新できるといいのだが…。どうなることやら。

それでは行って参ります。


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239


                          
 『寅次郎な日々』バックナンバー






寅に何かを言おうとした早苗さん。    7月28日「寅次郎な日々」その239


第22作「
噂の寅次郎  水野早苗さん 


夫と別れて自立するべくとらやで働くことになった早苗さん。
あまりにもとらやと不似合いなので、おいちゃんおばちゃんさくらどころか、見ている私までが、
なんで柴又のとらやなんだ?って思った。三平ちゃんやカヨちゃんならぴったりなんだが、
どうもオーラが違いすぎるのだ。

寅は、一目見て当然早苗さんのオーラにもうぞっこん(そらそーだろうなあ…(^^;))

しかし早苗さんは夫と正式に離婚した日に、今まで頑張って耐えていた緊張の糸が切れ、
とらやで遂に泣き崩れてしまうのである。

寅は茶の間に早苗さんを呼び、幼馴染のお千代さんの時同様、なんとか明るい話題で
早苗さんを励まそうとするのである。




とらや  茶の間


おいちゃん「しかしなあ寅、明るい話題なんてそうざらに転がってないぞォ」

寅「どうしてよ」

おいちゃん「えー」

早苗、手を上げて

早苗「ハイ!明るい話題

寅「ハイ!でました、なんでしょう」

早苗「フフフ」

寅「フフフ」

早苗「あのね」

寅「ハイ」

早苗「
私の人生で、寅さんに会えたこと

寅「……」

一同「……」

寅「いやああ…ンン!そんなこと言われたのは初めてだなあ…。僕はどっちかというと
 暗い人間だと思っていたし、それに、この年になってみると、おもしろいことんなてなんいもないしね。
 まあ、楽しみといえば、寝ることぐらいだから、明るいなんて言われると、なんか戸惑ってしまうなあ…」

早苗「プッ、ククク」と噴出す。

タコ社長初め、一同大笑い。

早苗「暗い人間だって、ハハハ」

さくら「ねえ!」


ようやく心が柔らかくなった早苗さんは帰り際に、つい寅にこう言ってしまうのである。


早苗「
あのー、今日はほんとにありがとう。

   私…寅さん好きよ!




と駆けて行く。



             





カチンと大理石のように固まっている寅。




ガチガチになってカキコキ2階に上がっていく。





おばちゃん「何であの人あんなこと言っちゃったんだろう…」


さくら「よっぽど嬉しかったのね、今夜の食事」



タコ社長、首を振って理解できないって感じで立ち去る。


おいちゃんと博も複雑な顔。




早苗さんは人生で最も辛い日に、ギリギリの心を寅に救われたのだ。この感謝の気持ちを
速攻で伝えるには「好きよ」という言葉しかなかったのかもしれない。もちろん寅にとても好感を
持ちはじめていることもその言動から想像に難くない。しかし、その言葉が寅に与える莫大な影響を
考えることはできなかったようだ。



その後、ある日

早苗さんに会いに来た幼馴染みで従兄妹の添田肇が早苗さんに今でも心底惚れていることに気づき、
いつものように寅は自分の気持ちを急転回させ、二人を応援するのである。





とらや  店


肇「あのー…」

寅「なんだい…」

肇「どうか、車さん、早苗ちゃんを大事にしてやってくださいね」

寅「あんた……、惚れてるんだ今でも…」と愕然とする。

肇、振り向き「…」

急いで店を出て行く肇。

早苗、向こうから走ってきて、

早苗「肇兄さん!どうしたの?」

さくら「あの、さっきからあなたのこと待ってらしたのよ」

早苗「あ、そうですか。何か用だったの?」

肇「車さんに話といたから…、じゃあ」と立ち去ってしまう。

早苗「ちょっと…」

早苗、店に入って、

早苗「愛想のない人ね、昔っからああいう調子なのよ」


寅、未だに呆然としている。


早苗「なんだったの?用って」


さくら「お兄ちゃん、ちゃんと話さなくちゃ」



寅、頷く。



寅「従兄妹が、小樽行っちゃうって…」


早苗「ええ…小樽へ…」」

寅「当
分会えないけれども、元気出せって。これ置いてった…」

と、通帳を差し出す。


中に100万円分が入れられた通帳と印鑑が出てくる。


さくら「何かあったときに使ってくださいって…」

早苗「あの人…、こんなことして…」

寅を見つめる早苗。

寅「
分かるだろう、惚れてんだよ。あんたのことがずっと前から
 好きだったんだよ。あいつは不器用だから口では巧いこと
 言えねえんだ。

 十年も二十年も…。

 早く行ってやんなよ




さくら「まだ駅まで着かないと思うわ」

早苗、目を潤ませて頷く。

早苗「私…帰ってもいいですか」

おいちゃん「どうぞどうぞ」

早苗「じゃあ、さよなら」


早苗、店の前で



早苗「寅さん、私ね、…、分かってるのよあの人の気持ち」



寅「だったら本人にそう言ってやりなよ、どんなに喜ぶか」



早苗「
そんなこと言ったって…私ね……



と、寅を見つめる。



         







寅、頷いて


寅「
明日聞くよ、早く行かねえと間にあわねえぞ、な




         




早苗「…じゃあ、また明日ね」



と、駆けて行く。



寅は恋のライバルが現れた場合、ほぼ100パーセント自分は譲ってしまう。
そればかりか、恋の仲立ちまでしてしまうのである。


「明日聞くよ」と言った寅の口跡とその表情は惚れ惚れするくらい素敵だった。


それにしても早苗さんは「私ね…」のあと、何を言おうとしたのだろうか?


いずれにしても寅は、すでに遠い旅の空である。


早苗さんの心は封印されてしまったのだ。






明後日は自分にとって幸せとは何かを追い求めたひとみさんをちょろっと書きましょう。





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238


                          
 『寅次郎な日々』バックナンバー






自分の歩むべき道に悩む奈々子さん。    7月26日「寅次郎な日々」その238


第21作「
寅次郎わが道を行く  紅奈々子さん 

時としてこの世にはコーリング(CALLING)と言ってもいいような天からの仕事を言い渡された人が存在する。

紅奈々子さんはさくらの幼馴染、同級生。若い時から才能が開花し、今やSKDの花形だ。
しかし、そんな順風満帆に見える彼女も結婚のことで悩んでいる。
長い間付き合っている恋人の宮田隆が、結婚を迫っているのだ。

隆は同じSKDのスタッフ(照明係)。奈々子さんはこのままSKDを続けるか、結婚して引退するか
で悩んでいる。

私にはどうしてこの二つのどちらかを奈々子さんが選ばなくてはならないのか理解できない。
隆は子供が欲しいのだろうか?まさか奈々子さんに家に納まって家事をして欲しいなんて思って
いるのだろうか…。

結婚するとSKDを辞めなくてはならないのなら、同居をし続けるなり、違う劇団かソロでテレビ
を舞台にするとか、歌と踊りの道はひとつではないと思う。

もし私が隆ならいいアイデアがある。
同居しても(籍は入れない)奈々子さんにSKDの舞台を続けてもらう。
彼女の踊りを見ていろいろな人たちが明日も生きていこうと勇気づけられたり、元気づけられている、と
寅が言うように、どんなことをしても彼女のためにもみんなのためにも彼女には踊りを続けてもらいたいからだ。

そして隆が家庭に入って『主夫』をする。


もし実際の隆が仕事を辞めることを嫌がるなら奈々子さんだって嫌がればいいのだと思う。
彼女の代わりはいないのである。

まさか、隆は奈々子さんが舞台を捨てて家庭に入ることを望んでいるのだろうか?
もしそうだとするなら、いったい奈々子さんのどんなところが気に入って恋に落ちたのだろうか…。


奈々子さんはおそらく数年以内に、リリーのように家庭を捨て、歌と踊りをもう一度選ぶと私は
確信している。自分の才能を易々と捨てるわけがない。必ず後悔し再起を賭けるに違いない。

もうSKDには戻れないだろうからやっぱりテレビのドラマや違う舞台のミュージカルなどなど…。



女優の倍賞千恵子さんなんか2回結婚しているが、女優は当たり前のように続けている。


だから寅の言うことはもっともなのだ。自分が神様から与えられた才能は完全に開花させて
人生を終わらせなければならない。これは配偶者であり、奈々子さんをもっとも大事にしたいであろう
隆の人生における使命でもあるのだ。





雨  奈々子の部屋



奈々子「私、後悔してるんじゃないの。これでいいとおもっているの。
    だって私から踊りを取ったら何が残るの?一日踊りを休んだら体がうずうずしてくるのよ。
    私ってそんな女なのよ。結婚なんかできる訳ないじゃないの、ねえ寅さん」


寅「分かるよ、あんたの気持はよく分かる」


奈々子「恋なんかするんじゃなかった・・・どうして私なんかに惚れたんだろうアイツ」


寅「男が女に惚れるのは、理屈なんかじゃねえよ」


奈々子「好きだったら何でそっとしておいてくれないのさ・・・どうしてこんなに苦しめるのさ・・」


寅「もう忘れろい、え、すんだことだよ。な、あんたには踊りがあるじゃねえか」




           





奈々子「大した踊りじゃないよ…」



寅「
そんなこたないよ、あんたの踊りがどんなに素晴らしいか、あんたは分かんないだろうけども
 大勢の人が、オレだってそうだよ、あんたの踊りを見て大勢の人がうっとりして、苦しい思いや、
 つらい思いを忘れようとするんだい踊りを続けろよ、な、そのうちその男もきっと分かってくれるよ





           







それでもやはり奈々子さんは隆を諦められずに結婚をすることに決め、引退を決意する。



寅は失恋し、旅に出る。さくらに旅立ち際にこう言うのだ。








 
夜   とらや 店



寅「さくら、オレはちょっと…商売思い出したんで旅に出るよ」


さくら「今…、奈々子から電話あった。お兄ちゃんにとっても悪いことしたって…」


寅「なに言ってんだい、どうってことないよ。あの子が幸せになればそれでいいんだから」


寅「ただ…」


さくら「ただ…、なあに?」


寅「
踊りを止めたりしたら後悔するんじゃねえかなあ…、オレだったらそんなことさせねえ…




            





さくら「………」




            






「寅次郎わが道を行く」のタイトルの通り、寅も私も奈々子さんには
『わが道』を『天から与えられた道』を生涯を通して歩んで欲しいと、切に願っている。
奈々子さんが踊りを選ぶのではない。踊りが奈々子さんを選んだのだから。



明後日は寅に罪作りをしてしまった早苗さんをちょろっと書きましょう。






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237


                          
 『寅次郎な日々』バックナンバー






寅の心の動きが分からなかった藤子さん。    7月24日「寅次郎な日々」その237


第20作「
寅次郎頑張れ!  島田藤子さん 


藤子さんは、平戸のお土産雑貨店を経営するワット君こと島田良介のお姉さんである。物静かで
人を疑うということを知らないような優しい人だ。
一度結婚したが離婚し、今は一人暮らしだ。ワット君を心配して平戸まで来た寅は、例によって
藤子さんに一目惚れ、一生懸命住み込みながら店を手伝う。三浦豆腐店の節子さんのパターンに
似ている。案の定藤子さんは寅の好意に気づかない。久しぶりの寅の好意に気づかない鈍感な
女性登場である。
ただ、初期の頃の志津さんや春子さんと違うのは、寅のことを心から友人として恩人として
快く思っていることだ。そのことも節子さんと似ている。しかし、節子さんと違うのは、弟のワット君が
寅の言動をきちんと観察し、分析していたことである。そのことは、とらやの2階でのワット君と
藤子さんの厳しいやり取りで彼の鋭い感覚が見える。藤子さんも、そのことにかなりショックを受けて
泣き崩れていた。ワット君は自分の恋愛はおろおろ気味だが、人のことはしっかり見えるようである(^^;)





とらや 二階


良介「お姉ちゃん、寅さんと結婚する気あっとね」

藤子「な、なんば言うとね」

良介「もしお姉ちゃんにその気の無かなら、寅さん平戸に来るの断らないけん」

藤子「あんたの言うとること、さっぱり分からん」

良介「なんでそげんこつわからんかのお!」

藤子「...」

良介「ええかお姉ちゃん。寅さんお姉ちゃんに惚れとるばい」

藤子「...!」




               




唖然とする藤子

後で怯えるように聞いているさくら。(とても辛そう…)

良介「
オレが寅さんやったらなあ、オレが寅さんやったら絶対お姉ちゃんを許さん。
  好きでもないのに好いとる顔されて、うまく利用されとるじゃなかか


藤子「
やめんね!そげん乱暴な口ばきいて...。寅さんはね、あんたの考えてるより
  もっともっと心がきれいか人よ。私にはそれがようわかっとよ


良介「いくらきれいかてん、寅さん男たい」

藤子「あんた!さくらさんの前で...、そげん口ばきいて...」と泣き崩れている。




               





さくらは、それに対して

さくら「
かりに、私の兄が、お姉さんのことを好きだったとしても、今のような気持ちを
  知ったら、それで十分満足するはずよ。...兄ってそういう人間なんですよ




実は寅は階段でその一部始終を聞いていたのだった。


藤子さんの寅のことに対する発言は彼女の優しさと慈愛を感じることができるが、それなら、『寅さんはなぜ東京から
遠路はるばる遠い長崎平戸までまたもや戻って自分の小さな店を再度手伝ってくれるのだろう?良介ももう東京に
戻って働くというのに…。(おそらくたいした給料も払ってないはず)』という疑問を彼女は思い浮かばなかったのだろうか。

親切で人がいいからだけでわざわざ遠い平戸で長い間、そしてこれからも店を手伝う人なんて日本中どこを探してもいない。
ボランティアにもほどがある。確かに寅は比較的そのような男女の感情を人に感じさせないようなカラッとした、ある意味
中性的なキャラだが、それにしても限度というものがある。
それゆえこの藤子さんの鈍感さんは普通では考えられないことだが、このシリーズではかつて寅の一人相撲的な
滑稽さや悲劇性を強調するために時々この手の演出はされてもいた。そのことが映画にテンポを与えていたことも
事実だし、そういう展開が寅の特徴だということもわかってはいるが、このシリーズは、この時点で第20作を超え、
やはりそのような演出の時期はもう過ぎたのだ。今や寅は、もう少し報われなければならない。

それにしてもワット君よくぞ言ってくれた。優しいお姉さんには悪いが、私は胸がスーッとした。
特に上にも書いたとおり、初期の寅はいつもいつも惚れていることすら分かってもらえないであんまりだったからね。
でも藤子さんは、ワット君にそのことを聞いて愕然として涙を流していたので、自分の心を分析する能力がある人だと
言うことも分かる。豆腐屋の節子さんよりはもう少しましかな…、


ところで、さくらは「
迷惑をかけたのは兄だ」なんてことも訳知り顔で藤子さんに言っていたが、
寅の平戸での献身的な活躍をほとんど知りもしないでいつものパターンでマドンナ宅に長く泊り込んでいるから
という理由で、散々迷惑をかけたに違いないと決め付けるのはとほほなところだ。状況把握が甘いシステマチックな
謙遜とも言えるだろう。寅は平戸ではきちんと役立っていたのだ。藤子さんは随分助かっていたはず。
もっとも寅が藤子さんに惚れているのは近所ではみんなに見破られてはいたが…(^^;)

とまあ、いろいろ書いてしまったが、私は寅の内面を思ってくれたワット君がとても気に入っている。

ちなみに藤子さんもしくはワット君はおいちゃんにとらや2階の修繕費をきちんと払ったのかなあ…(^^;)



明後日は自分の進むべき道に悩む紅奈々子さんのことをちょろっと書きましょう。






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殿様との触れあいに涙した鞠子さん。    7月22日「寅次郎な日々」その236


第19作「
寅次郎と殿様  堤鞠子さん 


鞠子さんは、伊予大洲の殿様(藤堂家)の一族の末の息子さん(藤堂克彦)と恋愛結婚をした。
しかし、鞠子さん自体はそのようなことを若くして亡くなった夫から少しだけ聞かされていただけで、
別段なにも心をかけることもなくつつましく二人して東京で生きていた。
しかし、殿様の方は、身分が違うと考えたのか結婚時に猛反対し、勘当し、息子の生前はこの夫婦と一度も
会わなかったのだ。そのせいで、鞠子さんは、全く藤堂一族のことを知らずに今日まできてしまった。




           





とらや  茶の間


殿様の願いが奇跡的にかなってふたりはとらやで初めて対面する。


殿様「克彦の父です」

鞠子さん、お辞儀をして下を向いている。


殿様「鞠子さん」

鞠子「はい」

殿様「克彦が大変お世話になりました。…ありがとうございました」

と、深々と礼をする。

鞠子さん、深々と礼。

殿様泣いている。

鞠子さん、それを見ている。



殿様「
一目お会いした時から、わたしにはよく分かりました。
  あなたがそばにいてくださって、克彦はどんなにしあわせ….



泣き続ける殿様


鞠子
「お父様、あたくしもね、...あたくしも幸せでしたよ」と涙を流す。

短い言葉の中にお互いの心のふれ合いが急速に広がっていった瞬間だった。
もっと早くこの二人が出会っていたらと思ったのは私だけではないだろう。


夕暮れの中、江戸川土手を歩いて去っていく二人の姿は、なんとも美しく
人生に『遅すぎる』ということなどないのだと私に教えてくれた印象深いシーンだった。
視覚的にもこのシリーズ出色の美しいカットだったと言えよう。




           




寅との恋の関係はこの作品では薄いが、人間の出会いを通して、人生での懺悔と和解のチャンスは
いつでもどこでもあることを殿様も鞠子さんも、そして見ている私たちも知ったのだった。


結局鞠子さんは、殿様と人生を歩む事はせず、新しい人生を自分で切り開いていく
ことを選択した。若くして未亡人となってしまった鞠子さんと結婚したいと思う男性も
同じ職場で現れ、鞠子さんは再婚を決意する。

それを聞き、全てを諦め、そして最期に寅は駅のホームでさくらにこういうのである。

寅「
あの人と結婚する男は、死んだ亭主のことでやきもちなんかやかないんだろうなあ。
  でも…ほんとうにそんな男っているのかな…


さくらは、そのことを思い出し、哀しくさみしくやるせない寅の気持ちが分かり、泣き崩れてしまうのである。





明後日は第20作「寅次郎頑張れ!」で
寅の心の動きを見極めることができなかった藤子さんのことをちょろっと書きましょう。








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寅と最期の日々を過ごした綾さん。    7月20日「寅次郎な日々」その235


第18作「
寅次郎純情詩集  柳生綾さん 




第18作「純情詩集」はマドンナの綾さんが亡くなってしまう、という悲劇が待っている。
むろんこれは他の山田映画の特徴から行けば『禁じ手』といえるかもしれない。

昨今のドラマや映画はこれでもかとばかりに主人公やその恋人、家族などが若くして
死んでしまう。人というものは不安定な「自我」をいつも抱え込んでいるので、人の死と
いうものに敏感である。死の恐怖と言うものが人間に宿り続けている以上、この手の
ピリカラ物語は今後もますます流行り続けるであろう。
私に言わせれば、ある意味とても安直で、短絡的な手法ともいえる。

しかし、この「純情詩集」はそのような安直なドラマとは正反対にある物語になっている。
マドンナの悲劇や絶望を過剰に表現せず、寅の心の動きやさくらの心の動きに重点を置き、
絶望の中でさえ、ユーモアを忘れず、豊かな想像力を持ち、人の気持ちに寄り添うことの
意味を表現しているのである。

そのことがもっとも明らかにされるのが、綾さんが庭先で人間の死すべき運命を嘆いた時、
それに対して寅が示した究極のあのユーモアであり、とらやの団欒で綾さんの仕事をみんなで
話し合う、あの未来に向けての想像力である。

人間は必ずいつか死ぬのだ。おいちゃんおばちゃんも、寅もさくらも、満男でさえも…。
問題はそのことばかりに過剰に反応するのではなく、周りの人たちがいかに寄り添ってそれまでの
日々を共に生きていくか、ということなのだろう。もうひたすらそれだけである。人は人の中で生き、
助け合い、励ましあっていく時に最も幸せを感じるのだろう。寅はそのことを誰よりも知っている。

この物語は恋物語なので、寅は、もちろん綾との出会いの部分は惚れたハレタだが、次第に、
綾に対して共に生きてゆく姿勢に変化していく。それは寅の表情を見ていると分かる。
寅はもうただただ綾を幸せにしたいのだろう。人が人を大事に想うこと。これこそが寅の無償の
献身に繋がっていき、その行為こそが彼の優れた才能の開花の瞬間ともいえる。彼の必死とまで
言えるつくす気持ちは誰も真似ができない美しさがある。世間のしがらみに惑わされることなく、
寅の愛情が綾さんの心はダイレクトに届いていった。





                  





柳生家  縁側



とても静かな、そして大事な時間が過ぎていく。



小鳥が鳴いている。

遠くで列車の汽笛
     

綾、寂しそうに、ポツリと言う。



綾「あー、もう秋も終りねえ……」



寅「え、そうですねえ。花が枯れて、

 木の葉も散って、一日一日、日が短くなって……」




綾「夕方お寺の鐘がゴォ〜ンと鳴ると、なんだか無性に寂しくなって来て、

 フフ、こんな嫌な季節は早く過ぎてくれないかなっ、て思うのよ」


       

綾の第2テーマ が哀しく切なく流れていく。




寅「すぐ過ぎますよ。もうちょっとの辛抱ですよ。

 三月になれば、

 すみれ、タンポポ、れんげ草、 パーッと咲いて、一日一日暖かくなって、

 桜の蕾がふくらむ頃には、もう春ですからね」


綾、寅の言葉にほんの少し微笑んで
       

綾「
…江戸川に雲雀が鳴く頃になると、



          
       




 
川辺にあやめが一面に咲くのねえ…



          





少女だった頃の遠い春の日を思い出すような優しい綾の目…



寅 「その頃には奥さんの病気もすっかりよくなって、お嬢さんやおばちゃんや
   さくらたちと同じように元気で働くことができますよ」


寅「よし!」と立ち上がって竹ぼうきをハンカチでポンポンと叩き、で庭の枯葉を掃きはじめる。



綾「寅さん」



寅「はい!」



綾、静かに背中を椅子にもたれかけさせて…




綾「人間は…、なぜ死ぬんでしょうね…」



         

  


綾「……」



寅「人間……?」



寅「う〜ん、そうねえ…、

 まア、なんて言うかな、
 まア、結局ぅ…あれじゃないですかね…、
 あの、こう、

 人間が、いつまでも生きていると、
 あのー、こう、丘の上がね、人間ばっかりになっちゃうんで、
 うじゃうじゃうじゃうじゃ、メンセキが決まっているから、


 で、みんなでもって、こうやって、満員になって押しくら饅頭しているうちに、
 ほら足の置く場所もなくなっちゃって、で、隅っこにいるヤツが『お前、どけよ!』
 なんてって言われると、


アーアーアーなんつって海の中へ、ボチャン!と落っこって


そいでアップ、アップして助けてくれ!助けてくれ!なんつってねェ、
死んじゃうんです。




         
             



まあ結局、そういうことになってんじゃないですかね、昔から、


うん、


まあ、深く考えない方がいいですよ、それ以上は」



        

            


綾「フフフ」



綾、ずっと笑い続けている。


綾「フフフ アハハハ、可笑しいわ、寅さんて
 フフフ、アハハハ…」



寅「そうですか、フフ…可笑しいですか」

綾「可笑しいわよ、フフ」


寅「へへへへそうですかね、フフフ」




綾「フフフ…」




寅「あーへっ、んん…」と



安心したように照れ笑いしながら、庭を刷き続ける寅。



       






なぜ人間は死ぬのか…。この問いに寅は面白おかしく自然界の摂理をしゃべり、
綾を笑わせながらも結局こう締めくくる。

「深く考えないほうがいいですよ、それ以上は」

この言葉は、一見この問いから逃げているようではあるが、
もっともこの問いの答えとしては真っ当だとも思う。

人は時として死というものを頭で考える。
それでよけいに全体を見ることができなくなる。


人はみな一人残らず必ず死を迎える。

寅も綾さんもほんの少し遅いか早いかだけである。



綾さんは言う

「…江戸川に雲雀が鳴く頃になると、川辺にあやめが一面に咲くのねえ…」

綾さんの人生で最も楽しかったであろう少女時代を遠く見つめる。

この想像力こそが生きるという臨場感であり、人が死ぬ一秒前まで
この想像力の輝きは続く。寅の面白い冗談に笑い続ける綾。
このひと時こそが彼女の人生であり、生きるということだと思う。
死を考えるのではなく、生を感じることを通じて、今を生きることだ。

死というのはそもそもそれ自体完結していて、それはすでに
決して病でもなく苦痛でもない。

日々の中でどんな僅かなことであっても、人が生きる喜びを感じたとしたら、
それでもう十分生きるに値する生である。

そしてそうこうしているうちにいつか勝手に死ぬだけのことなのだ。
死と言うものは「結果」であって決して「頭で考えること」ではない。


あの静かな眼はこのシリーズでどのマドンナがみせた眼よりも
優しく、麗しく、そしてあまりにも哀しかった。

ただただ、人とともに寄り添い生きてゆく。

これが、寅の愛情の行き着くところのひとつの
姿なのだろう。


あの会話の翌日綾さんは天国に召される。




故人は生き残った人の魂に宿り2度目の人生を新しく始める。
綾を慕う寅や雅子や婆やの中に彼らの生の終わるその日まで綾は生き続ける。

あのとらやでの団欒、枯葉舞う庭先での歓談、水元公園でのひと時、
そして最後の日々が寅の心には今も残っている。寅はこれからはいつでも綾と語り合う
ことができる。寅の心の中であの童女のような美しい目と声で彼女は「寅さん」と
呼びかけるのだろう。



愛を与える、という宿命を甘受して、ひたすら孤独の中で旅をし、人に出会い、
人を愛し続ける寅のその真骨頂が、その究極の姿が、この作品の中にこそある。


寅にとって綾さんはどのマドンナとも違う特別な美しい光となって
いつまでも心の中で生涯を共にすることになるだろう。


明後日は第19作「寅次郎と殿様」で
殿様とのふれ合いに涙する鞠子さんです。






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234


                          
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寅の真心に触れ号泣するぼたん    7月18日「寅次郎な日々」その234


第17作「
寅次郎夕焼け小焼け  藤村さん (ぼたん) 



チャキチャキの活きのいいぼたんと播州龍野はワンセットである。

しっとりと実に美しく描写された龍野。そんな古い町並みの中で溌剌と健気に生きる芸者ぼたん。
このコントラストが実にたまらない。実力派俳優太地喜和子さんの当たり役である。リリー同様お互い裏街道を
歩く者どおし、出会いから寅との相性は抜群だ。太地さんはほんとうに大輪の真っ赤な牡丹の花そのものだった。


寅に再び会いに来たいい年をした大人のマドンナに自分から積極的に馴れ馴れしく肩に触れる寅。
寅にしてはちょっと珍しい行動。リリーを除いては稀。
それだけ、リリー同様『同志的な気持ち』が強く出ている
のかもしれない。いわゆる高嶺の花ではなくて、同じような人生の悲しみと喜びを持つ仲間なのであろう。






                  







とらや 茶の間


ぼたんのために、憎き鬼頭を退治してやるといきまく寅。


決まってるじゃないか!ぼたんをひどい目にあわした男の所だ!
  ヤロウ、二度と表歩けねえようにしてやる!

 裁判所が向こうの肩持つんだったら、オレが代わりにやっつけてやる!




               



寅、ふと、優しい顔になってぼたんを見つめ

ぼたん、きっと仇はとってやるからな。あばよ!」出て行く寅。


泣いているぼたん


さくらも気がつく。

さくら「ごめんなさいね、騒々しくって

ぼたん、首を振る。

おいちゃん「バカな男でねえ…」




                   





ぼたん、もう一度首を強く振る。



ぼたんのテーマが静かにゆっくりと流れる。



ぼたん「さくらさん


さくら「ん…」



ぼたん「私…幸せや…」



                  



ぼたん「とっても幸せ…」



                  



ぼたん「もう二百万円なんかいらん…。はう…うう…ううう
    私……、生まれてはじめてや…男の人のあんな気持ち知ったん。
    さくらさん、…うっ…」



                  



ぼたん「…私、嬉しい! うっ、ううう…ぐううう…



寅の気持ちに打たれ泣きじゃくるぼたん。




                 




人は結局、最後の最後はお金ではなく、人の心に救われる。ぼたんは二百万円を失ったが、社長の
深い情けを感じ、
寅の強い気持ちに打たれ、人の世の機微の深さを垣間見る事が出来たのだろう。

こんなちっぽけな自分のために体を張って闘おうとしてくれる男がここにいる。
そのことにぼたんは心底救われ、至福の涙を流すのだった。ぼたんはこの時にほんとうに寅に
恋をしたのだ。


ぼたんの騙されたお金は戻らないし、悪者も法的に処罰されないことは見ていてとても悔しく辛いが、
一緒に、汗を流してくれた社長、共に悩み考えてくれたとらやの人々、そしてなによりも、一歩踏み込んで、
体を張って闘おうとしてくれた寅の心によってぼたんの辛く悔しい心は感動へと昇華されていったのだろう。


この一連の場面は無力な庶民の姿を赤裸々に浮き彫りにすると同時に、それでもいたわりあい、
寄り添い、励ましあって生きていく人の世の温もりと気高さを見事に謳いあげている出色の名場面だ。


私はこのぼたんの涙を忘れない。




そしてラストに「絶対に譲らへん、一千万円積まれても譲らへん!一生宝もんにするんや!」と宣言するぼたん。
太地さんは役者そのものだった。彼女もただではすまない俳優だったのではないだろうか。

ところで…、あの再会のあと龍野で寅はしばらく滞在し、ぼたんとどのような日々を送ったのであろうか…。





                 







明後日は、「寅次郎純情詩集」

寅と最後の日々を共に過ごした綾さんのことをつらつら書きましょう。




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233


                          
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忘れがたい寅の初恋の人 雪さん    7月16日「寅次郎な日々」その233


第16作「
葛飾立志篇   最上雪さん 



寅がまだギラギラした目をしながら日本全国を駆け巡っていた若かりし20代後半頃、
初めて心から愛した人がいる。
自分が最も孤独で寂しかった時にめぐり逢った恩人であり、本当の意味での初恋の人。
それが、山形県寒河江の最上 雪(もがみゆき)さんである。


人は一生の中で精根尽き果て、倒れることが何度かある。
あの頃の寅じゃないけれど、『もう、何をやってもうまくいかない時』というのは確かにあるのだ。
そんな時、ふと、凍えている自分の手を包み込むように抱き起こしてくれた人がいたとすれば
ほんとうにどれだけ嬉しいものだろう。そしてこの人のことを、その恩を一生忘れないでいたい。そう思う。
これは、味わった人しか分からない。寅がお雪さんを『観音様』と表現した気持ちは私には涙が出るほど
よく分かる。

愛情を与えることだけを人生の中でまるで『修行』のように背負わされている寅だが、
この、雪の夜の出来事は、幼き日に夢に見た母の手の温もりだったのかもしれない。この寅の
アリアの中でのみ語られるお雪さんではあるが、だからこそ私には想像力を刺激されていつまでも心に
残るのである。寅は十六年間にも渡ってお雪さんに毎年500円を添えて手紙を送り続けて来た。
寅の生涯で、リリーは特別として、十六年間お金を入れた手紙を出し続け、その幸せを願い続けた人が
果たして他にいるだろうか。これは凄いできごとなのだ。
私はこの雪さんのことを本編を始め、この『寅次郎な日々』でも思い入れを込めて書いてきた。

寅の人生の最初の原点はさくらのお母さんとの日々の中にあったと私は見ている。
そして寅の青春後期の原点は寒河江のお雪さんとの日々にあるのではないか、と思っている。
雪さんとの交流はまだ柴又へ帰還していない頃の寅を知る貴重な物語である。


寅は、十六年前に赤ん坊でしか見ていないお雪さんの娘の順子さんを一目見て、雪さんだと直感した。
それほどにも寅にとってお雪さんは、忘れがたい人だったのであろう。






               







とらや 茶の間


寅「うん…。 オレが始めてお雪さんに会ったのは…
  忘れもしねえ、雪の降ってる晩だった…」




              




社長「なるほど…」


お雪さんのテーマ(順子のテーマ)が流れる。

おばちゃん頷く。


寅「おらあ、寒河江(さがえ)という町を無一文で歩いていたんだ。
  もう何をやってもうまくいかねえ時でなあ…」


おばちゃん「へっ…えぇ……」

寅「腹はすいてくるし、手足は凍えてくるし、もう矢も盾もたまらなくなって、 
  …駅前の食堂に飛び込んだんだ。そこがお雪さんの店よ」


おばちゃん、頷く


寅「背中にちっちゃな赤ん坊しょって働いていたっけ。

                   
寅「オレは手に持ってるカバンと腕時計を出して…、
  『これでなんか食わしてくれぃ』ってそう言ったんだ。
  そうしたらお雪さんが…、 
  『いいんですよ、困っている時は、お互いですからね』

 …どんぶりに山盛りの飯と、湯気の立った豚汁と、お新香を
 そっと置いてってくれたっけ…。

オレはもう…無我夢中で、その飯をかき込んでるうちに……、
なんだかポロポロポロポロポロポロ…涙がこぼれて仕方がなかったよ。

その時オレには…あのお雪さんが観音様に見えたよ。

その名の通り、

雪のように白い肌の、

そらあきれいな人だったぁ…」




              





この時の渥美さんの遠くを見つめる目は印象的だった
                   
社長「観音様だよなあ…その人は」と目を潤ませている。

おいちゃん「んん」と深く頷く。

おばちゃん「ん…」

一同 深く感じている。


寅はそのあと、いつものようにいざこざを起こし、とらやを旅立ち一人秋深き最上川を渡り、
山形の寒河江にある、お雪さんの墓に参るのである。




              




寅と言えば、マドンナにぞっこんで、デレデレ追いかけ回し、スッテンコロリンとふられるパターンばかり
想像されるが、このようなしっとりとした潤いのある物語もあるのだ。この第16作「葛飾立志篇」が奥行きの
深い物語になりえているのは、この雪さんの物語が背後でしっかりと支えているからなのだ。

数あるマドンナの中で、寅を助け、寅の人生に大きな影響を与えたマドンナは実はとても少ない。
思いつくところでは、夏子さん、リリー、そしてこの雪さんだ。


山田監督によって未だ語られていない雪さんの物語があるはずだ。私はそれを今でも待っている。




              








明後日は、第17作「寅次郎夕焼け小焼け」
寅の真心に号泣したマドンナ『ぼたん』のことをつらつら書きましょう。







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232


                          
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寅から学問のエキスを掬い取った人 礼子さん    7月14日「寅次郎な日々」その232


第16作「
葛飾立志篇   筧礼子さん 





礼子さんと言えば、泉ちゃんのママも礼子さん。ここではもちろん第16作「葛飾立志篇」の
東大助手で考古学を研究している筧礼子さん。岡倉先生や筧礼子さん、冬子さんの夫、など、
御前様の親戚筋の人たちは学者さんがなぜか多い。

礼子さんの優れたところは、寅が「何のために学問をするのか」と訪ねたことに対してその答えを
とても感覚的に受け取っているところだ。彼女には全ての垣根がない。とてもフェアな人だ。




             






とらや 茶の間

礼子さんが博やさくらに、

礼子「私もね、お昼、お兄様に
   『あなたは何のために勉強してるのですか』って聞かれて、はっとしちゃったの」


さくら「いやだわ〜」

おばちゃん、台所で、「は〜」ってため息。

博「はー、凄いことを言うな、兄さんは」

博は寅のその言葉をしっかり受け止めて考えている。
もちろん、寅は所詮、慈恩寺の和尚さんの受け売りだから、
その質問の意味すらよく分かっていないのかもしれないが。
そこが可笑しくも哀しい…( ̄  ̄)

寅「そうかな...」


礼子「
でもね、それは私にとっては、あなたは何のために生きてるのか
   っていうのと同じことでしょ



さくら「で、なんておっしゃったの?」


礼子「私、返事に困って考えてたの...」


さくら、頷く


礼子「そしたらお兄様がスパーっとおっしゃったのよ。
   『己を知るためでしょ』って...。私、あっ!っと思ったわ



寅「いや...そんなふうに言われても...」と照れまくる。



寅は寒河江の慈恩寺の和尚さんの超受け売りで意味もなにも分かっちゃいないんだけど、
礼子さんは、その言葉からとてもいいヒントを得たのだった。

学問のセンスとは、あるちょっとした事柄を見聞きし、心で感じて、そこから隠された真実を
掬い取る心の動きだと思う。そういう意味でも彼女は学問のセンスがあるのだ。

とにかく今回のマドンナは安定感がある。とらやに下宿してしまうからだ。
岡倉先生と同じように御前様の紹介でとらやの2階に下宿しているので、マドンナがいつも家にいる安心感が
あり、寅に恋心を抱かない割には、寅との縁も深く、寅に日本史を教えたり、寅から『啖呵バイの口上』を逆に
教えてもらったりして楽しいひと時を過ごすのである。




             




その後、彼女は、自分の恩師の田所教授から求愛をされるが、悩んだあげく、それも断る。自分の人生は『考古学』
とともにのみあることを自覚したのだろう。

私は、こういう結婚を考えない学究肌の才女には実は寅のような、愛を捧げつくしたいタイプの男は近くにいやすい
気がするのである。彼女が誰かと結婚する可能性が少ないので、寅は心置きなく、彼女に寄り添えるからである。
どーせ相手が寅のことを好きになっても、すごすごと逃げて旅立ってしまうだけだから、それならいっそのこと
親しい友人としてずっと見守れる関係のほうが寅にとっては長続きするのかもしれない。もちろん寅はずっと恋心を
抱き続けるのであろうが、それはそれでそのような片思いの日々が至福なのだから哀しくもそれでいいのである。

しかし、今回はちょっとした誤解で、礼子さんが結婚してしまうと思い、寅はいつものように旅立っていくのだ。

したがって実は、礼子さんは寅をふってはいないし、寅も礼子さんにふられてはいないのである。

マドンナの樫山文枝さんは、お父さんが早稲田の教授で哲学者の樫山欽四郎さんだった。
そういう意味では学者さんの気持ちは、なんとなく分かる樫山さんだったのかもしれない。

彼女はある講演会でこう語っている。

『父欽四郎は早稲田大学で哲学を教えていた。いつも正座して机に向かい、自分にも家族にも厳しい人だった。
その父を尊敬しながら、母も激しく何かを求めていた。母は短歌を日記のようにノートにつけていた。
「自分とは何なのか」「生きるとは何なのか」をずっと問うてきたように思う。私が演じるのも、多分その充足感を
求めているのだ』

樫山文枝さんのあの凛とした背筋はお父さんとお母さんの影響だったのだね。なるほど…。





明後日は、同じく「葛飾立志篇」
寅の初恋の人、最上雪さんをつらつらと書きましょう。






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231


                          
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寅次郎生涯最高の恋の日々  リリー        7月12日「寅次郎な日々」その231


第15作「
寅次郎相合い傘   リリー (松岡清子さん) 



リリーは本名を松岡清子という。その昔、母親は好き勝手なことをして家を出てしまい、幼い清子ちゃんは
印刷工である父親の仕事場へお弁当を届けに行っては、工場で遊んでいた。そんな子供時代があったのだ。
母親には恵まれなかったが、父親の愛情に恵まれたことが、次の会話でなんとなく分かる。




とらや 茶の間


おいちゃん「工場見てきたんですか」
リリー「ええ」
おいちゃん「小さくてビックリしたでしょう」
リリー「そんなことないわ、あたしの父さんの働いてた工場なんてもっともっと小さかったのよ」
おいちゃん「ほお〜」

さくら「おいちゃんリリーさんのお父さんもね、印刷工だったんだって」

博「それにしても活字や機械の事に詳しいんですね」



リリー、満男のお絵かき一緒になって手伝ってあげながら、

リリー「
お昼に父さんの弁当持って行ってね、よく工場で遊んでたんだ。
    鉛って体に悪いでしょう。だから活字を触ると…父さん怒ってねえェ



博「お父さん文選だったんですか?」

リリー「植字も印刷もなにもかもやってたわよ。何しろちっちゃい工場だから
    つめの先博さんみたいに黒くなって」と指で博の手を指す。

博「ハ…」


リリー「
だから博さんに会ったときすぐに分かった。
   あっ、この人は、印刷工場で働いてるなって


おいちゃん、感心している。

博「まいったなあ。もっと良く洗えば落ちるんですけどねえ」

おいちゃん「そうですか〜じゃリリーさんのお父さんは博さんの先輩ってわけですね」

リリー、ずっとクレヨンを塗ってあげている。

リリー「フフ…」


寅同様、哀しい幼少期と青春期を持つリリーにもしばしの間、安定した日々はあったのだ。
母親運には恵まれなかったが、父親と二人で暮らしているその生活の中に幼き日の
松岡清子ちゃんの安らぎの時は確かにあったのだと、そう思えるエピソードだった。
リリーのあの豊饒な優しさの原点のようなものは父親との日々の中で培われたものだったのだと
私は思っている。

とは言え、数年前「忘れな草」のラストで、結婚はしたものの中学生の頃から始まった放浪癖と歌を
諦められない気持ちがどうしても湧き上がり、心が引き裂かれてしまい、清寿司を独り去るのである。
そんなリリーの孤独な心を最初に支えたのは実は寅でなくさくらだったのだ。

映画が始まってすぐにリリーがとらやに訪ねてくる。案の定寅は旅に出ている。
しかし、さくらは必ずとらやにいる。そのことをも知っててリリーは訪ねてきたのだ。さくらには
今の自分を分かってもらいたい。そして分かってくれるはず。その気持ちが強いリリーだったと思う。





帝釈天参道


二人、歩きながら

さくら「ねえ、これからどこいくの?」

リリー「北の方。冬の内は九州とか四国とか暖かい所歩いてたんだけどね。そうね…」

夫と別れてからだいぶ経つリリーだった。


リリー「
これからは、岩手、青森、それから北海道。そうだ!
    ひょっとしたらどっかで寅さんと会えるかもしれないわね



さくら「ああ、そうね。会ったらよろしく言ってね」


リリー「うん」


さくら、止まって。


さくら「それじゃお元気でね」

リリー「さよなら。 そのうちまた来るわね」

さくら「
お兄ちゃんと一緒にね

リリー「うん」とハンドバックをふって別れる。





           




リリーが夫と別れたことに驚いてちょっとショックを受けてしまったさくらだが、それからたった5分後、
この「お兄ちゃんと一緒にね」の発言が口から出る。このさくらのセリフや表情からすると、この時点では
もう、すっかりリリーの元夫のことは頭から消えて、寅とリリーの未来を考えているようだった。
やっぱり、兄とリリーの仲が深まることを願っていることがわかる。

そしてリリーも寅と自分の絆の強さをさくらに言って欲しかったのだ。リリーは寅に会いにきただけでは
なかったことがこのさくらとリリーの会話で分かる。

後に、物語の後半で、東京に帰って来たリリーが友人のアパートに居辛くなり、路頭に迷った時も、
リリーは、寅でなくさくらのアパートに電話するのである。そして、さくらのほうも短い電話の中で、すぐに
自分のアパートに、来ることを勧める。なんの迷いもなく、博への相談もなく「
ねえ、そうして」とまるで、
懇願するようにリリーに話しかけるさくら。リリーに対する厚い友情の念が表現されていると共に、相談する
必要もないくらい信頼感で結ばれている博とさくらの絆もさりげなく表現されていた。
このさくらのリリーに対する短いセリフ「ねえ、そうして」は心に染みた。こんなセリフを言える役者は
倍賞千恵子さん以外どこにもいない。




            





さくらはほんとうに優しい。フーテンの兄を持つさくらにとってリリーの辛さや孤独は痛いほど分かるのだろう。
また、彼女自身も幼少期から両親兄弟に死なれ苦労してきたので人の悲しみや寂しさが分かるのだろう。

このあと、リリーとさくらはアパートで雑魚寝をしながら夜のほんのひと時、どんなひそひそ話をしたのだろうか…。
さくらが博をいつごろ好きになっていったかなんて、リリーは聞きそうだ。
さくらは、照れながらリリーに誰にも言っていないほんとうのことを洩らしたりしたのかもしれない。
そして、リリーはリリーで、自分のちょっとした青春の思い出なんかも話したかもしれない。
中学生の頃から家出をして放浪を続けてきたりリーの寂しい心を、寅にさえ言えない部分を、女性どうしならではの
気持ちでさくらは聞いてあげたのでは…。さくらの目にちょっと涙が浮かんで…。そしてリリーの目にも…。
二人の友情が大きく深まった夜だったような気がしている。
さくらとリリーの感覚は見た目や生き方だけ考えると正反対のように思えるが、実は共通点が驚くほど多いのだ。



「忘れな草」で運命の出会いをした寅とリリーの恋は、この「相合い傘」で最高に高揚するのであるが、背後にはさくらと
リリーの繋がりの強さがしっかり支えているのでその恋も安定感が抜群で、大輪の花が咲くなのだ。





リリーの恋。


リリーは遂に函館で寅と再び出会い、最高の相性でふたりは急速に盛り上がっていくのだ。この「相合い傘」のリリーと
寅には恋愛の隙がない。函館、札幌、小樽と数々の物語が繰り広げられる。とらやでの宿泊ももう堂に入っている。
何をしゃべっても、歌を歌っても、冗談を言い合っても、腕を組んでも、どこへ行っても、そして大喧嘩をしてさえ
一部の隙もない見事なフィット感。





                






博のこの名言がすべて


博「すぐ喧嘩するけどすぐ仲直りするってのは
 
本当に仲がいい証拠じゃないのか?
 
そりゃああの二人の喧嘩は夫婦喧嘩みたいなものだよ


一世一代の寅のアリア、メロン騒動でのリリーの啖呵、雨の夜の相合い傘、こんな寅もこんなマドンナもこのシリーズで
見たことがない。どのシーンをとっても日本映画史上に燦然と輝く名シーンだ。

『リリーの先にリリー無し、リリーの後にリリー無し』そう言い切っていいだろう。





とらやの茶の間


リリーを夜キャバレー「ゴールデン歌麿」に送っていった寅が、あまりのステージ環境の悪さに
リリーがあれじゃ可哀相だ、あんなところで歌わせちゃいけない、と嘆くシーンのあと…




寅「あ〜あ……。

オレにふんだんに銭があったらなあ…」


さくら「お金があったら…どうするの?」



寅「 リリーの夢をかなえてやるのよ 」



          



寅「たとえば、どっか、一流劇場」



さくら「うん」

寅「な!」


寅「歌舞伎座とか、 国際劇場とか、


 そんなとこを一日中借り切ってよ、

       


寅「あいつに…、好きなだけ歌を

 歌わしてやりてえのよ」


さくら「そんなにできたら、リリーさん喜ぶだろうね!」

寅「んんん…!」


さくら、茶の間に座る。



寅「ベルが鳴る」

 場内がスー…ッと暗くなるなぁ」


寅「皆様、たいへん長らくをば、お待たせをばいたしました」
        
                                              


          




寅「ただ今より、歌姫、リリー松岡ショウの開幕ではあります!」

                                  
                             

寅「静かに緞帳が上がるよ… 」

さくら、嬉しそうに笑う。




           




寅、立ちあがり

寅「スポットライトがパーッ!と当たってね」





寅「そこへまっっちろけなドレスを着たリリーが
 
 スッ・・と立ってる」




おばちゃんも上がり口に腰掛ける。



寅「ありゃあ、いい女だよォ〜、え〜」



          


寅「ありゃそれでなくたってほら容子がいいしさ」

おばちゃん「うん」

                             
  寅「目だってパチーッとしてるから、

  派手るんですよ。ねぇ!」


おばちゃんたち頷きながら「うんうん、フフ…」


寅「客席はザワザワザワザワザワザワザワザワってしてさ」


寅「綺麗ねえ…」



           
                          


寅「いい女だなあ…」

                         
                            

さくら、おいちゃんたちと「フフフ…」と笑いあっている。


寅「あ!リリー!!」  

                                                
                                 


寅「待ってました! (パン!) 日本一!」




           


                         


寅「やがてリリーの歌がはじまる…」




寅「♪ひ〜とぉ〜りぃ、

 さかぁばでぇ〜〜〜……、



             
               




 ♪のお〜むぅ〜

 さぁ〜けえ〜はあ〜〜〜…」



             




寅「ねぇぇ…」


 

寅「客席はシィー…ンと水を打ったようだよ」


 

寅「みんな聴き入ってるからなあ……」



             



寅「お客は泣いてますよぉ〜…」



メインテーマがゆっくり入る。 ー クラリネット ー 





寅「リリーの歌は悲しいもんねぇ……」



             


寅「……」

                                                   
 

やがて歌が終わる…」

                          



寅「花束!」




寅「テープ!」


 


寅「紙吹雪!」



             





寅「ワァ―ッッ!と割れるような拍手喝采だよ」




        




寅「あいつはきっと泣くな…」



寅「あの大きな目に、涙がいっっぱい溜まってよ…」
  
 


寅「……」




        



寅、堪えきれず後ろを向き…そして座る。


寅「いくら気の強いあいつだって、  きっと泣くよ…」



         





ハンカチを取り出して…


おばちゃん、前掛けで目を押さえて泣いている。


寅「ハハ……、なんだか話がしめっぽく
なっちゃったな、おい」


博「いや、とてもいい話でしたよ」


おいちゃん「あ〜あ、よかったァ〜」


さくら、下を向いて

さくら「……」


寅「そうかい?」


おばちゃん「ほんと、泣けちゃったよぉ〜」                     


寅「夢のような話だよな…」


寅「さ、…今夜はこの辺でお開きってことにするか」


立ち上がって


寅「お休み」


口々に「お休み」

さくら「おやすみなさい」


寅、階段上りかけて


寅「あ、その、リリーのケーキよ。
みんなで食べてやってくんねえか…。な」


と上がっていく。


さくら「リリーさんに聞かせて
 あげたかったなあ〜…、今の話」


おばちゃん「ねえ…」

おいちゃんも鼻水をすすっている。

おいちゃん、ゆっくりお茶を飲む。

さくら、リリーのケーキのヒモを解き始める。


柱時計が時を打つ





かつて私はこの寅のアリアについて第15作の本編でこう書いた。


その昔、世阿弥が『風姿花伝』の序で
「ことば卑しからずして、すがた幽玄ならん」と
いうことを芸の達人としていたが、
『真(まこと)の花は、咲く道理も、散る道理も、
人のままなるべし。』とは渥美さんそのものだなと思った。
「花を知る」「秘すれば花」を体得した稀有の役者だと思う。


見事な抑揚。口跡の良さ。
そしてそれらを遥かに凌駕する渥美さんのその姿。有り方。

何事も大切なのは姿なのだろう。
姿はその人そのものをあらわす。

渥美さんが何に感動し、何を憎んできたか。
何をしようとし、何をしようとしなかったか。
彼の生きざまが全てなのだと、今更ながらに人間関係の葛藤をも含めた
その傷だらけの壮絶な役者人生を思い、戦慄さえ覚えた。

あれだけの姿。
ただで済むわけはないのだ。



今から、何十年後になるだろうか…。
恐ろしいほど地味で控えめなこの喜劇映画の真の価値が
世界中の人たちによって認められ、
そしてなによりも渇望される時が来るかもしれない。

そして、その時、渥美さんの一世一代のこのアリアを聴き、
人々は、人が人を想う柔らかな気持ちをもう一度知る。
また一から歩み始めることはできるのだと。

それは、映画の勝利。物語の勝利。
そんな日がほんとうに来るのではないかと、
このアリアを見ながら思っていた。

人が人を想う。 ただほんとうにそれだけ。
それだけのことがこの世界の全てなのだろう。
他には何ひとつ大事なものはない。

そんなことに気づかせてくれるアリアだった。
かつて、このアリアによって私の人生は変わった。
人の人生を丸ごと変えてしまう力をこのアリアは持っていた。


あとにもさきにも、東にも西にも、こんな切ないアリアは
世界のどこにもない。

リリーはこんなにも寅に想われていたのだ。





そしてもうひとつ…。

例の『メロン騒動』でまたもや大喧嘩をした寅とリリー。
しかし、その夜、寅は雨の中リリーを駅まで迎えに行くのだ。

いつまでも待つ寅。





夜の柴又駅前 



まだ雨がかなり降っている。

大きな川千家の看板

電車が到着して客がぞろぞろ改札から出てくる。

どの客も傘を開いて差していく。


数人の女の人が傘を持って、家族を待っている。


リリーも改札から出てくるが傘を持っていないので
しょんぼりし、途方に暮れた表情。


リリー、なんとなく、向こうの方の人影に焦点が合う。


薄暗い中で寅が向こうを向きながら番傘を差して立っている。


リリーのテーマが流れ始める。
(マンドリンによる)



寅、チラッとリリーを見て、ぎこちなく、すぐまた知らん顔してむこうを向く。



             





胸がいっぱいになりながら寅を見つめ続けるリリー。



            




そして、満面の笑み


寅、むこうを向いたまま、番傘をくるくる回している。

                        


気持ちを高ぶらせながら寅の方に勢いよく駆け出して行くリリー。



リリー「きゃあーっ、はあっ」

っと寅に甘えてくっついてくる。


寅「んん…」



              



寅、照れと緊張で顔をこわばらせながら、少し歩き出す。

リリー、雨を避けるため、スカートを左手で少し上げながら、


きらきらした目で寅の顔を見つめて


リリー「迎えにきてくれたの?」



             



寅「バカヤロウ〜、散歩だよ」


リリー「フフフ!」



             




リリー「フフッ!雨の中傘さして散歩してんの?



寅「悪いかい」



                           
            




リリー「ぬれるじゃない」




寅「ぬれて悪いかよ」



リリー「風邪ひくじゃない?」


                           
            





寅「風邪ひいて悪いかい」

                       


リリー「だって寅さんが風邪ひいて
 寝込んだら…私つまんないもん」


寅のぬれた番傘を持つ手が映って、
リリーもその手に触れるように一緒に傘を持つ。
                    

 夜の参道を相合い傘で歩いていくふたり。
                    
  
                          

            




リリーのテーマが切なく流れていく。



哀しいリリーのテーマが流れる中、リリーをチラッと見る寅のあの表情とあの後ろ姿を
何度も見たくて、 そしてリリーが寅を見つけた時のあのなんともいえない幸せそうな
柔らかい表情が見たくて、私は延々とこの長いシリーズを見続けているのかもしれない。



リリーのあの表情の奥の奥に、幼き日、印刷工場へ 父を迎えに行って父親にまとわりついて
じゃれている松岡清子 ちゃんの姿もちらっと見えたのは私だけだろうか。




しかし…


こんなに寅と相性のいいリリーでも、別れの時がまたやって来る。

いろいろな行き違いがあるにせよ、せっかくさくらが二人の仲をとりもつために中に入って活躍したのにも
かかわらず、結局は二人とももう一歩の踏み込みにはいたらなかった。

まだ期が熟していないのだ。リリーも寅も未だ放浪の旅を捨て切れていない。彼らが二人寄り添って
生きるにはまだもう少し歳月が必要なのであろう。



とらやの2階での寅の言葉がそのすべてを言い尽くしていた。



寅「
あいつも俺とおなじ渡り鳥よ。
 腹すかせてさ、羽けがしてさ、
 しばらくこの家に休んだまでの事だ



寅「いずれまた、パッと羽ばたいてあの青い空へ…。
 な、さくら、そう言うことだろう






              




さくら「…そうかしら






              





確かにリリーは、寅と同じ渡り鳥だ。いくら寅のことが、好きで、
一時的に寅と所帯を持ちたいと真剣に思っても、やはり、そのうち
放浪者としての気ままな性がまた、顔を出す。『業』というものが支配する世界は
確かにあるのだ。
さくらには、それが分からない。だからこそさくらは執拗に寅に
食い下がるのだ。
本人のリリーすら、自分の本質が見えていない部分もある

しかし、同じ業を持つ寅には分かるのであろう。


この部分の寅の洞察は間違っていない。

このふたりが『定住』というものを自然に考え始めるのはこれからさらに5年後の
暑い南国の夏を経て、それからさらに15年の歳月が必要であったのだと思う。


さくらの最後の言葉「そうかしら…」に私は来るべき未来を期待している。
本編でも書いたが、この二人の未来のカギはさくらが握っていると私は確信している。







明後日は、寅に学問を教えた筧礼子さんをつらつらと書きましょう。




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230


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー           






さくらと縁が深い京子さん    7月10日「寅次郎な日々」その230


第14作「
寅次郎子守唄   木谷京子さん 



この作品では京子さんは寅との縁が意外に薄い。恋心を寅に抱く以前に、寅との個人的なふれ合いが
さほどないのである。初期のころなら分かるが中期に差し掛かっているのに寅との絡みが薄いのは
残念といえば残念だ。第16作の筧礼子さんも、寅への恋心はないものの、とらやで下宿をしていたし、
家庭教師をしたりして寅とは縁があった。京子さんは、どちらかというと赤ん坊やコーラスを通じて
とらやさんと縁があったという感じだ。




             




だいたい物語の初めからマドンナがスクリーンにどんどん登場するのだ。とらやから自転車で行ける
吉田病院に勤めているのだ。きっかけは博のケガ。そのあとも赤ん坊のことでさくらたちが再度吉田病院へ。
このように、寅との特別な縁は無いが、その分京子さんは病院や江戸川合唱団を通してさくらとの縁が深いのが
特徴だ。地域密着型のマドンナといえる。ラストで、合唱団の新年会にもさくらは呼ばれていた。ということは寅が
いなくなった後もさくらは時々は合唱をしていたのかもしれない。ただ、縁があるといってもリリーなどと違うところは、
やっぱり京子さんは寅の恋人じゃない、…どころか、大川弥太郎君と結婚する人なので、見ている私たちにとっては
残念…なのである。でも弥太郎君の一世一代の愛の告白には京子さんならずとも誰しも感動したはず。
まあ、京子さんは母一人子一人のお母さんから自分はぶ男が趣味だった、っていうようなすり込みをずっとされて
いたのが弥太郎君には『吉』とでたようだ(^^;)


まあ、それはともかくとにかく京子さんは笑顔が飛びっきりにいい。このシリーズでも出色の笑顔。天真爛漫。
そのまんまの人。とらやでは痔の『シモネタ』も平気で言うし、オヤジギャグも飛ばす。
寅との年齢の掛け合いも
なかなか堂にいっていた。とにかく真面目なだけでなく実に面白い人なのだ。




             
              




ちなみにこのあとの作品第15作「相合い傘」の中で函館でばったりリリーと再会した寅が、宿の布団の中で
リリーに、前回のマドンナ京子さんとのことを話していた。リリーのセリフ「で、その看護婦さんとは上手くいったの?」で
そのことが分かる。寅はそのあとごまかしていたが…(^^;)
まさか合唱団のリーダーで、髭中顔だらけの大川弥太郎君と一緒になりました、とは言えないだろうな。  




         




明後日は、さすらいのリリーが再び寅に恋をする。
『寅次郎相合い傘』の松岡清子さんをつらつらと書きましょう。
彼女は印刷工のひとり娘だったのです。





8月初旬からの日本帰国(2ヶ月滞在)が近づいてまいりました。そろそろ超多忙の日々が
続きますので「寅次郎な日々」も本日7月9日以降2ヶ月ほどは時々毎日、時々二日に一度。
のアップになります。ご了承ください。



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229


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー
          




厳しい人生の試練に立ち向かう歌子さん    7月8日「寅次郎な日々」その229


第13作 「寅次郎恋やつれ」 高見歌子(鈴木歌子)さん


歌子さん最愛の夫正圀さんに死なれ、そして彼亡き後、彼の津和野の実家にお世話になっている。
これはある意味辛い日常があるのではないだろうか。自分の過去もそして未来までも閉ざされた閉塞感
とでもいうような感覚…。そんな時に、あの懐かしい寅に会うのである。

歌子さんは、思わず寅の顔を見て泣いてしまう。
長い間心を張り詰めさせて耐えていたものが、急に堰を切ってあふれ出たかのように自分が出てしまうのである。
及川泉ちゃんもそうだったが、寅という人は人の心の頑なな部分を一瞬のうちに温かく溶かしてくれる人なのだ。

しかし、この津和野での短い再会の中で、寅は歌子さんの内なる想い、切なる願いを完全には読み取れなかった。
やはりそこには夫を失ったばかりの歌子さんへの遠慮があったのだろう。

歌子さんは今、再度人生の大きな岐路に立っている。
そして最後は、寅がいようがいまいが自分の決断で飛び出すしかないのだ。
大切なのは最初の第一歩。見る前に飛ばねばならない。

あの第9作「柴又慕情」での、正圀さんとの結婚を決めた題経寺の夜のように、
最初の第一歩をもう一度自分で決断するしかない。
それは、ギリギリではさくらも博も、寅でさえ関与できない、厳しい人生の決断なのだろう。

しかしそれでも、何かのきっかけは必要だ。それが寅の別れの時のあの言葉、

もし何かあったら葛飾柴又のとらやに訪ねて来な、悪いようにはしないから」だった。
歌子さんの心の暗闇にほんの少し光が射した瞬間だった。

彼女は、もう一度自分の力でこの荒波の人生を生きていこうと決意したのだ。
そして寅がいない可能性が高い柴又とらやにそれでもあえて訪ねてくる歌子さん。
寅はたまたまあの時予定を打ち切ってとらやに戻り、滞在中だったが(出て行こうとはしていた)、もし
不在でもさくらたちに頼み込んでしばらくお世話になるつもりだったと思う。

それほどまでに、ある意味追い詰められた精神状態だったのであろう。
本来は父親の家に帰るべきところを、父親との確執が長年続いている彼女は、それはできない。
しかし、いずれは和解すべき日が来なくてはならないのは彼女自身が誰よりも知っていたはずだ。

自分の一生の仕事を懸命に模索する彼女、父親のことで悩み続ける彼女。
今は恋愛なんてことしている余裕は歌子さんにはない。大きな人生の正念場で一歩前に飛び込むことを
決意し、実行しようとするのだ。

今回は寅も恋心をぐっと心の底に押し殺して懸命に彼女を手助けする。




             







そして、時が満ち、父と娘は涙の和解を果たす。そしてそれはあまりにも長い道のりだった。





とらや 店


歌子、店にいる父親を見つけ、呆然とする。

歌子、目の前の寅をチラッと見、父親を見ながら近づいて行く。

父親「・・もっと早く来たかったんだが・・・父さん、仕事があってな、うん・・

沈黙

父親「昼間寅次郎さんに言付ければ良かったんだがつい気がつかなくって。
ま、なにかの足しにしなさい」
と袖からお金の入った厚みのある封筒を椅子に置く。

父親「あ、それから暑くなるから父さんよく分からんのだが、お前のタンス開けてな、
適当な物包んであるから・・・」

歌子「…」

ようやく、はじめて歌子の方をそっと見る父親。

父親「…うん…まあ元気そうで…何よりだ」

歌子「……」

父親「……じゃあたしはこれで」と席を立つ

歌子「お父さん…」

父親、ちょっと戸惑ったように

父親「うん?…何だ…」ともう一度座る。

歌子「・・長い間心配をかけてごめんなさい…」

父親「いや・・うん、何も君が…謝ることはない…。謝るのは、多分、私の方だろう……。
   いや、私は…口が下手だから…何というか誤解されることが多くてな」

美しいメロディが流れる。

父親「
しかし私は君が自分の道を。自分の信ずる道を選んで、
  その道を真っ直ぐに進んで行ったことを・・うれしく…。私は…本当に…うれしく…


と、遂に胸が高ぶり、泣き、ハンカチを目に当てる。


歌子も遂に泣き崩れながら


歌子「あたし…もっと早くお父さんに会いに行けばよかったのにね…ごめんなさいね…ごめんなさい…」
と、父親の腕をしっかり掴み、
歌子「ごめんなさい…ウックゥゥゥ・・・」と号泣する。






長い長い確執の神経症からようやく解き放たれたふたり。この奇跡の歩み寄りを結果的に手助けしたのは
実はあのフットワークの軽い、そして口の悪い寅だったのだ。



こんなにも、この親子はお互い再会したかったのだ。頑なだった父親こそ娘との和解を望んでいたのだろう。
娘に心底誇りを持っていた父親。彼は実は娘の人生をとうの昔に理解していた。
歌子が見た生涯にたった一度の父親の涙。
本当に相手に伝えたかったことを、ようやく言い合えた二人。
和解の時期が手遅れにならなくて本当によかった。
二人は間に合ったのだ。





そして最後の最後、この物語が『恋物語』だと、私たちがようやく気づくシーンがある。
寅が、歌子ちゃんの家を訪ね、遠くの花火を見る歌子ちゃんの後姿を眺めている場面だ。








歌子の庭に咲くあじさいの花


歌子のテーマがゆったりと流れる


花火 トパパパパン!パン…ドパパパパン!

歌子遠くの夜空を見て跳ねてみたりする。


その後姿をじっと見つめる寅。



寅「
浴衣…きれいだね


歌子、振り返って「えっ、何?」


寅、ハッと我に帰り、考え…、


寅「…いや、なんでもない」


歌子、近寄って「なんて言ったの?」


寅「ううん、何にもいわねえよ」


寅「あ、先生・・先生は遅いねえ」

歌子「そうそう」

寅「え?」

歌子「父がね寅さんの事ほめてたわよ」

寅「ヘッ何だって?」

歌子「とっても厳しい批評をされたって。何ていったの?」

寅「ヘヘッ何だかわかんねえな 俺、口から出まかせだから」

歌子「だから出まかせに何ていったの?教えて」


寅「うーん…忘れちゃったよほら、俺、あのワシントンごちそうになって酔っ払ってたから」

歌子「ワシントン?」

寅「へへえー?ああ!いや、あの、ナポレオンだ!」

歌子「アッ!ハハ!」

寅「ハハ間違えちゃった」

歌子「ハハハ…!あっついけない何か冷たい物もって来るわね」

寅「ハハハハ、ん」

歌子、途中「フフフフ」笑いをこらえ奥の部屋へ戻る

寅、ふと強烈な寂しさが襲ってくる。

遠くを見つめる寅。寂しい肩。


そして、顔が暗くなり、ゆっくり下を向いてしまう。

花火が上がっている トドパッ!パン!パタン…パラララ…ドン!ドン!



歌子さんの後姿を見つめる少年のように澄んだ寅の目。
ふと口に出てしまった『浴衣…きれいだね』。
柴又慕情から続いて来た、寅と歌子さんの数々の物語の果てに呟かせたほんとにささやかな愛の言葉。
愛の告白にさえなっていないあの言葉を持つ寅が私には切なくていとおしくてしょうがなかった。

どうして渥美さんは、あんな澄んだ目ができるのだろう。





               






8月初旬からの日本帰国(2ヶ月滞在)が近づいてまいりました。そろそろ超多忙の日々が
続きますので「寅次郎な日々」も本日7月9日以降2ヶ月ほどは二日に一度のアップになります。

ご了承ください。



   


で、明後日は、さくらとの縁が深い京子さんをつらつらと書きましょう。



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228



『寅次郎な日々』バックナンバー






険しい絵の道を真っ直ぐ歩むりつ子さん    7月7日「寅次郎な日々」その228

第12作「 MON TORA 私の寅さん 」 柳りつ子さん


りつ子さんは、自分の作品を売ることについてこう言っている。

りつ子「でもね、ほんとに自分の気に入った作品って売りたくないもんなのよ」

寅「はあ…」

りつ子「かといって、気に入らない作品ってのはますます売りたくないでしょ」

実はほとんどの絵描きさんはりつ子さんのようにはいかず、売ってしまう。

自分の絵のひとつ
ひとつにどこかしら愛着があるから、ちょっと上手くいかなくても
それなりにいい作品だと思い込んでしまうからだ。りつ子さんのように自分に厳しくできる人というのは
古今東西僅かである。

寅「じゃあ、全然売れねえじゃないか」

りつ子「といっても、売らなきゃ食べていかれないしね…」

寅は財布を忘れたりつ子さんにフランスパンのバケットの代金を払ってやる。
恐縮するりつ子さんに、

寅「
いいんだよ。そんなこと心配するよりいい絵を描けよ

と、言うのである。寅はなかなか凄いことを言う。これは絵描きには『殺し文句』だ。この時ほど
りつ子さんが嬉しかったことはないのではないか。金額の問題でなく、りつ子さんにとって寅は心の支え、
自分の『パトロン』なのだと直感するのである。「MON TORA」私の寅さんという意識がこの時生まれる。


りつ子「ありがとう、とっても嬉しいわ」

りつ子「寅さんは私のパトロンね」

寅「パトロン?」

フランス語で芸術家に経済的援助する人をパトロンと言う。
パトロンpatronは「父」であり、男の人に使う。
語源はラテン語の(父)paterから。

りつ子「そう!パトロォン!フフ…」

寅「ヘヘ」

りつ子「いいわ、もうこのへんで。お家の方によろしく。また遊びに着てね」


りつ子「さよなら」

寅「さよなら!!」

憧れの顔でりつ子の後姿を見つめる寅

りつ子「さよなら、私のパトロン!」



そして後に、間接的に失恋してしまったりつ子さんを陽気に励ます寅。りつ子さんは、
絵のことでも、プライベートなことでも寅に救われるのだ。

実は、りつ子さんの場合はこの失恋だけ落ち込みのが原因ではない。自分の画業の行き詰まりや
年齢のこと、収入のことなどが複雑に絡み合い、自分を支えきれない状態になってしまった気がする。
自分の今までの物語を再構築しないといけない時期に来ているのだろう。
このあたりが絵描きさんは正念場だ。この後しばらく修羅場が続く。ここでやめる人が結構多い。




           



絵のことは何にも分からない寅だが、りつ子さんが絵に人生をかけていることだけは
分かる。寅はなんとか、りつ子さんに絵を存分に描ける環境を与えたいと思っているのである。
このような温かな気持ちがりつ子さんをして「MON TORA 私の寅さん 」と言わしめるのであろう。
つまりこの言葉は『私の恋人』というような甘ったるいものではなく自分の絵を心底応援してくれる
もっと大きな存在である『パトロン 寅』の意味合いが濃い。しかし皮肉にも寅はおそらくりつ子さんの
絵そのものに興味があるわけではない。そこがちょっと哀しい。

ラストで、彼女が寅のためにスケッチした彼の顔が映るが、その絵の下に「
MON TORA(私の寅さん()」と
書いてある。恋愛を捨て、ひたすら孤独な絵の道を進むりつ子さん。彼女の心にはいつまでも
「いい絵を描けよ」と言ってくれた寅の笑顔が有り続けるのだろう。最後の夜の「別れの曲」とともに…。




             







最後の夜  りつ子の部屋の縁側


塀向こうからショパンの「第3番ホ長調Op.10-3 別れの曲 」が静かに流れてくる。



寅「あの音楽はなんて言う音楽ですか」

りつ子「あれは、別れの曲」

寅「別れの曲ね。やっぱり旅人(たびにん)の曲でございましょうかね」

りつ子「…そうかもしれないわね」







しみじみと切なくなる会話だった。







             



              




明日は、再度人生の岐路に立つ歌子さんをつらつらと書きましょう。







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227


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






寅の生涯たった一つ. 運命の赤い糸 リリー    7月6日「寅次郎な日々」その227


第11作「寅次郎忘れな草」 松岡清子さん(リリー)


「ほら、逢ってる時は何とも思わねえけど、別れた後で妙に思い出す人がいますね。…そういう女でしたよ、あれは。」


リリーは生涯を歌に賭けた放浪の歌手。正式な芸名はリリィ松岡(松岡リリーとも言う)
一度だけシングルレコードを出したことがある。曲名は『夜明けのリリィ』
今は地方のキャバレーを回っているが、やはり歌を諦めきれない日々が続いている。
彼女は自分のステージのことを『商売』という。あの感覚がたまらなく私は好きだ。

リリーは寅にとって決していわゆるよくある憧れのマドンナではない。
寅の生涯を通しての深い絆のある最愛の人だ。絶対に誰にも分かってもらえないような、たとえ妹の
さくらでさえ分からないような寂しさや辛さも境遇の似ているリリーとなら分かり合える。慰めあえるし、
笑いあえる。寅にとってリリーは『最強の同志』でもあるのだ。お互いの情の深さと人に対する強い執着、
そしていつまでも青春を引きずる類稀な純情。ここが二人とも見事に一致する。そしてなによりもリリーに
とって寅は『初恋の人』なのだ。人生で初めて心から全身全霊で愛した男性。それが車寅次郎だ。 

そしてもう一つ、リリーの生涯の親友、それが諏訪さくらだ。

その新密度が寅と同じくらいさくらにあることが他のマドンナとの決定的な違い。リリーは、寅という窓口を
通さずに、さくらに密度濃く会える稀有なマドンナだ。私が「赤い糸」と感じる所以は意外にもこのリリーとさくらの
繋がりの強固さにある。


山田監督は当時、朝間義隆さんの提案で気軽に、受身的に浅丘さんに会ったらしい。山田監督が彼女と話を
しているうちにだんだんこの女優さんを使って、もっといい企画の物語が作れる、と思い、その時のアイデアをいったん
白紙に戻して、彼女から出てくるイメージを暖め、遂にリリーという魅力的なキャラクターを産みだした。ということだ。
山田監督が渥美さんという人に会っているうちに寅さんという人間像やその周りの人間関係までイメージが湧き出て
きたように、浅丘ルリ子さんという女優さんは山田監督をして、リリーという魅力的なキャラクターをイメージに浮かべ
させたのだろう。浅丘さんはそれほどにも凄い役者さんである。



この第11作「寅次郎忘れな草」は寅とリリーが初めて出会う物語であり、二人の長い物語の序曲である。リリーには
寅と同じ臭いの孤独があり、同じフーテンが持つ自由な空気もある。それゆえに二人はすぐにお互い惹かれあうのだ。
しかし、リリーの孤独は底のない深いものであるのに対して、寅は、生い立ちの境遇やフーテンゆえの辛さはリリーと
似ているものの、絆の強い「さくら」や「とらや」を持っている分、リリーよりは底の浅い孤独になっている。だから寅は
いつまでも旅を続けることが出来るのだし、疲れたらとらやに戻ってもくるのである。この孤独の深さの違いが原因で
二人は一度別れていく。この溝を埋めるためには、なによりも人生をかけた長い時間が必要だったのだろう。
そして、リリーはこの直後、自分にとっての『とらや探し』のために結婚し、短いながらもリリーにとっての心の置き場所を
自分なりに作っていくのである。

ともあれ、この「忘れな草」は遠い北の大地で二つの孤独が運命的に出会い、東京で再会し、ほんの少しの蜜月の時を
味わいながらも、その孤独の深さの違いに耐え切れずに別れていく話だ。お互いが未来での再会の予感を強烈に
感じながら。

寅のあのセリフ「言って見りゃぁ、リリーもオレと同じ旅人よ」がいやに身にしみた。


そんな彼女の深い孤独と少女のような純情をそっと掬えるのは車寅次郎をおいて他にない。





              
リリーの孤独は寅より深い
          



リリーと寅が網走の橋の袂で出会って、お互い短いひと時を過ごし、別れるまでの例のシーンはこのシリーズの
屈指の名場面であるばかりか日本映画の屈指の名場面にもなりうる美しい叙情的なシーンだ。山本直純さんが
作られた最高のテーマ曲のひとつである『リリーのテーマ』がなんともいえないもの悲しさを出していた。なんといっても
題名の「忘れな草」がいい!ポスターの文句も気に入っている。

リリーを見ていると私は胸が締め付けられるように切なくなる。たったひとつも無駄な表情がないのがリリー。
山田監督の演出の枠を遥かに超えた浅丘ルリ子さんの120パーセントの演技。この長いシリーズで出演した全ての
マドンナ役の女優さんの中で「男はつらいよ」が間違いなくその人の生涯の一番の代表作だと確信できるのは浅丘ルリ子さん
だけである。八千草薫さんも、いしだあゆみさんも、竹下景子さんもすばらしいマドンナだが、やはりこのシリーズ出演が
生涯の一番だったとは思えない。そもそもこのシリーズは1作1作がそんなに重い作品でもいわゆる文芸大作でもない。
半年に一度作られるいわゆる楽しい喜劇映画である。だからほとんどの女優さんは当たり前だが『寅さん』が自分の生涯の
一番じゃないのである。そんな中での浅丘さんの演技は私たちの貧困な想像力を遥かに超え、映画のすばらしさを今更ながら
あらためて私たちに見せてくれた。

彼女はそれこそ水を得た魚のように自分の人生の最も輝ける瞬間をリリーという女性と共に生きていた。
『役というものに出会った女性』はこれほどまでに見る人に感動を与えるものなのかと驚愕したことを覚えている。

私は、ただ彼女の表情を追っているだけで胸が熱くなり涙が出そうになる。彼女の4部作全てのどのシーンを見ても完璧で
ある。というよりどのシーンも私の想像力を超えた演技をされている。これは渥美清さんを見た時と同じショックだった。
自分の知らない境地、世界がある…。他のマドンナさんたちと人生におけるその『役の位置』が全然違うのだ。あれこそが役者。
あれが唯一芝居というものだ。そういう意味では本人の体全部を使って何かを表現する『役者』という生き物は恐ろしい。
その人の感覚も適正も全てその動きと姿、そしてその気配の中に露出しまうのだから。




ほら、逢ってる時は何とも思わねえけど、別れた後で妙に思い出す人がいますね。
…そういう女でしたよ、あれは。







昼下がり 網走の波止場



リリー「ねえ…」
寅「うん?」

リリー「私達みたいみたいな生活ってさ、普通の人とは違うのよね。それもいいほうに違うんじゃなくて、
なんてのかな…、あってもなくてもどうでもいいみたいな…つまりさ…アブクみたいなもんだね…」

リリー悲しい顔して、膝にあごを置く。

リリーは自分のこのような放浪暮らしに相当心が疲れているのか、
メランコリックな気分に支配されている。定住に対する強い憧れがあるようだ。

寅、こっくり深くうなづいて、「うん、アブクだよ…。それも上等なアブクじゃねえやな。風呂の中でこいた屁
じゃないけども背中の方へ回ってパチン!だい」

リリー、うつむきながら、「クク…ヒッ、ヒック」と笑ってしまう。

寅、笑いながら、「え?可笑しいか!?」←そりゃ可笑しいに決まってるよ寅。

リリー、笑いながら「面白いね、お兄さん」

寅、ニカッとして「へへへ!!」




              




この寅のユーモアと楽天性が人生を通してリリーの心を温めていくことになるのである。

リリー、ハッと、気づいて、「今何時?」と寅の腕時計を見る。

寅、笑いながら「ん?」

リリー「そろそろ商売にかかんなくちゃ…」と立ち上がる。

歌を歌うことを商売と言い切るリリー。そこに悲しみのニュアンスがある。
しかし、たとえどんなステージだろうが歌でお金が稼げる嬉しさも少しだが感じる。



寅「
行くのかい?

リリー「
うん…

リリー「
じゃあ、また、どっかで会おう

寅「
ああ、日本のどっかでな!

リリー「
うん、じゃあね

寅「
うん!!

リリー、ふと足を止めて振り向いて

リリー「
兄さん。…兄さん何て名前?

寅、ハッ、っとして少し照れて、でもちょっと粋に

寅「
え?…オレか!オレは葛飾柴又の、車寅次郎って言うんだよ

この時の渥美さんの粋な笑顔は最高にカッコイイ!


リリー「
車寅次郎…。じゃ、寅さん…

寅「
うん

リリー「
フフ…、いい名前だね!フフ…」と走って行く。





これが寅とリリーの運命の出会いである。

この別れ際のシーンのみずみずしさはいったいなんなのだろうか?
とりたてて大きな事件があったわけでもなく、ほんのひと時お互いのことを
少し話して分かれただけなのに、この名残惜しさはなんなのだろうか。
これこそ、作り手の意図も演じ手の想いも超えてしまった運命の瞬間だったのだと思う。



人生の辛酸をなめてきた二人はウマが合うからと言ってベタベタくっついて馴れ合うことは
しないのである。この別れ際の鮮やかさはさすがだった。

長い長い物語のほんの序曲。
物語は今始まったばかりなのだ。





             








明日は、才能に悩みながらも自分の人生に悔いなく生きてゆくりつ子さん
のことを、つらつらと書きましょう。



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226



『寅次郎な日々』バックナンバー






寅に対する好意を隠さなかった女性 千代さん    7月5日「寅次郎な日々」その226


第10作「寅次郎夢枕」 志村千代さん


第8作「寅次郎恋歌」でシリーズ化を強く意識し、その力量を全国に見せつけた山田監督は、第9作「柴又慕情」で
最高の人気スター吉永小百合さんを起用することによって作品に話題性を組み入れていく。そして次回作。
遂にこの第10作で寅の恋は新たな方向を向きはじめる。1作1作新たな方向を模索せざるを得ない厳しい状況が
作られていく山田監督は遂に使ってはいけない『カード』をここで使い始めるのである。

つまり、麗しき八千草薫さん扮する千代さんに寅は「一緒に暮らしてもいい」と言われるに至るのである。
あの、あの!美しい!八千草薫さんにだ!こうなるとその加速度は緩まるはずもない。



                



初期の寅の無様なふられ方からすると、天と地の差だ。ある意味で得恋という「禁じ手」を早くも使ってしまった
この作品は、それゆえにシリーズ屈指の名場面を作り上げることにもなる。そして皮肉にも、あんなに結婚願望が
ある寅が、実はギリギリでは『結婚』というややこしい現実から逃げていることが遂に露出してしまう最初の作品
でもある。つまり、寅にとって『得恋』することは、すなわち『失恋』にそのまま繋がってしまう、という永遠の悲しみが、
はからずも露出したとも言える。




冬の亀戸天神


寅「えー…、おおかた察しはついているだろう。お千代坊は勘がいいから、え?」

千代「それは、まあ…なんとなく」

千代さん、ちょっと微笑み、はにかむ。

寅「あ、それだよ、それでいいんだよ…。なんだ4時間もかかってくたびれちゃったよ」

千代さん、クスッっと笑いながら、橋の手すりを手でなぞり、寅に求婚された嬉しさを表していた。


寅、しゃがんで手すりに両腕を掛けながら

寅「まあ、お千代坊もさ、いつまで一人でいられるわけでもないんだし、
あんまりパッとした相手でもないんだけどさ、このあたりで手を打ったほうが
いいんじゃねえかな…どうかね」

と、お千代さんを見る。

お千代さん、微笑んで、下を向きながら「うん…」

寅「いや、いやだったらいやでいいんだよ、こういうことは…、いやかい?」

↑寅、ほんとは心のどこかで「いや」と言って欲しい。

千代「ううん…嫌じゃないわ…」

寅「じゃ、いいのかい?」

千代「フフ…、ずいぶん乱暴なプロポーズね。寅ちゃん」

寅「しかたがねえや、おれこういうこと苦手だしさ」←寅、まだ気づかない。

微笑んで、フッ、っと息を吐く千代。

寅「じゃ、いいんだな」

お千代さん、微笑みながら、小さくもう一度うなづく。

ここまでのお千代さんは幸せだった。




              





寅、少し寂しそうに、「決まったようなもんだ。よし!、そうとなりゃ、あいつに電話で知らせてやろうか。
嬉しくなって気が狂っちゃうんじゃないかな?赤電話どこかな?」っと腹巻から小銭を探す。

千代「…?…寅ちゃん」

寅「なんだい?」

千代「あいつって誰のこと?」

寅「決まってるじゃないか、うちの2階のインテリだよ」

千代「岡倉先生!!?」

寅「そうだよ」

千代さん、失意の微笑みを寅に向け、

千代「あ、フフ…私、勘違いしていた…」と、寅を見る。

寅、「勘違いって、誰と?」まだ気づいていない。

お千代さん、寅から目をそらし、下を向き、「寅ちゃんと…」


寅、ビクッっと小さな目を大きくして、あまりのショックに肩をガクッ!っと落とし、
しばらく何も言えない。

お千代さん、後ろを向いて、向こうの手すりのところに行き、自分のありのままの気持ちを寅に伝える。

千代「
私ね、寅ちゃんと一緒にいるとなんだか気持ちがホッとするの。
  寅ちゃんと話をしてると、ああ、私は生きているんだなぁーって、
  そんな楽しい気持ちになるの。寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいいって、
  今、フッとそう思ったんだけど…
」っと遠くを見る。




寅、すごく動揺し、肩をガタガタさせ、唾を飲み込み、飲み込み、

寅「ジョ…ジョージャンじゃないよ。そんなこと言われたら誰だってビックリしちゃうよ。ハハハ…」


お千代さん、寅の方に向きなおして首をしっかり横に振りながら、

はっきりと「
冗談じゃないわ」と言い、真剣に寅を見つめる。

           

千代のテーマ美しく大きく流れていく

↑この「冗談じゃないわ」という言葉こそが千代さんが自分の気持ちを真剣に寅に告白した、
大事な発言である。


リリーも第15作「相合い傘」でさくらたちの質問に対して「いいわよ、私のような女でよかったら」と言い、
「お兄ちゃんと結婚してもいいってこと?」念を押すさくらに対して凄く真面目な表情で「そう」と話す。
これもまぎれもないリリーの愛の告白と結婚への同意だが、やはり、その時は寅は不在であり、
寅に面と向かって告白はしていない。

第25作「ハイビスカスの花」でも沖縄の下宿先で、リリーは、寅に告白めいた言葉を言っているが、
寅がすぐ分かるくらいにはっきりは言い切っていない。だから全48作中、結婚をしたいという真剣な
自分の気持ちを寅にそのままストレートに伝えたのはこの第10作の千代さんを置いて他にはない。
この真っ正直な気持ちが私は大好きだ。


寅、千代さんの視線に耐えられなくて後ろずさりしながら目を上に上げることができないまま、橋の手すりに
背中をもたれてしまう。嬉しい以上に動揺してしまっている。(渥美さんの名演技が冴えていた)
千代さんは、寅のこのような態度を見て、幼馴染み以上の自分への特別の気持ちが無いのだ、
と勘違いしてしまったのかもしれない。寅をこれ以上萎縮させてはいけない、という気持ちで、


寅を見つめ、                

下を向き考え、小さく息をはき、

そしてうって変わってにこやかに   

「嘘よ、フフ、やっぱり冗談よ」と、笑って言ってしまう。


寅、安堵感で溢れた顔になり、ペタッっと尻餅をついてしまう。

寅「そうだろ!冗談に決まってるよ!ハァー…」

千代さん、失恋の気持ちを隠しながら、

「じゃ、そろそろ帰りましょうか…」

寅、しゃがんだまま、お千代さんの方を見ないで「そうね、帰ろうか」

千代、ゆっくり先に歩きながら「買物があるから、寄り道するわ…」

寅、しゃがんだまま、まだ、千代さんを見ないで「うん!」

寅、両手で顔や目を擦って「ハァーッ」と息をはく。

遠ざかる千代さん。

千代さん、もう一度だけ振り返り寅を見る。

寅は相変わらず、お千代さんを見ないで、下を向いて大きなため息をついている。

千代さん、ゆっくりずっと遠ざかっていく。


                
千代さんは最後にもう一度寅の方を見る。なぜならば、寅に呼び止めて欲しいからだ。
そしてもう一度寅の気持ちを確かめたいと思ったに違いない。その一分の望みも絶たれたのを観て、
私はなんとも切なく、やるせない気持ちになった。


この一連のシーンの考察で、巷では、『結局寅は、こんなダメな自分が一緒になっても、千代さんを
幸せにしてやれないことを、うすうす知っているから、敵前逃亡したのだ。』という意見があるが、
それはたった一面の真理でしかすぎず、もう一面では、この寅の行為は、寅の強烈なエゴイズムの
表れだといえる。

どんなにくだらないと思われている人間でも、一人の人を愛し、人生を共にすることは出来る。そもそも、
どんな人も大して立派でなんかない。みんな欠点だらけで、その日常はくだらないことばかり考えている。
寅は私に言わせれば、そのへんのお兄ちゃんたちより無欲で心優しい人である。

つまり、結婚という行為は「資格」や「人格」が必要なのではなく「覚悟」や「決意」が必要なのであろう。
寅の恋愛は、純粋で濁りが無いが、しかし、それは、あくまでも相手に憧れて、相手のためになることをして
あげているうちだけが楽しいのであり、そこから発展する「結婚」という、相手と共にリアルな日常とその背後に
ある複雑な人生を見つめながら何十年も歩むような行為はできないのである。
いや、愛する人のそんなリアルな日常を寅は知りたくないのだ、と言ってもいいのかもしれない。
良い悪いの問題でも人格の問題でもない。そういう寅という人間がいるということだ。それ以上でも
それ以下でもない。

第10作以降、自分さえその気になれば、結婚はできたはずだ。しかしそれ以降も結局寅は「夢枕」同様またまた
『逃げる』のである。この寅の気質はこの後も、数々のマドンナに愛されながらも変わることなく、第48作「紅の花」
ラスト、リリーからの手紙の内容で分かるように最後の最後まで引きずっていくことになる。
渥美清さんの言葉を借りれば、「結局、寅はてめえが一番かわいいんでしょうね」ということにもなる。


しかし、皮肉にも、誰のためでもなく、ひょうひょうと生き、その時その時の出会いの中で相手に愛されながら、
短い愛情を花開かせていった車寅次郎を、多くの国民は大いに支持をし、『寅さん』はリアルでヤクザなフーテンから
愉快で人情味のあるヒーローとして完成されていくのである。その萌芽が先日書いた第8作「寅次郎恋歌」であり、
第9作「柴又慕情」でさらにその色は濃くなり、この第10作「夢枕」で遂に完全に変身したのである。
もちろん寅次郎の恋愛とは別の次元で、さくらとの不変の兄妹愛が全編を通して底に流れていて、この長い長い物語を
土台で完璧に支えていたのは言うまでもない。


しかし、リリーは別にしてもこの作品の千代さんほどはっきりと面と向かって本人に、そしてとらやの面々に自分の心を
告白した人はいない。なんて潔い人なんだろう。
一見おっとりして引っ込み思案にみえるが、千代さんは自分の気持ちをはっきりと相手に伝える強さを持っている。
全48作中でもリリーに匹敵するくらいの魅力あるマドンナだ。

あの運命の冬の亀戸天神でお千代さんが寅に自分の気持ちを目を見つめながら告げた時、またもや、早くも
男はつらいよの次のステージへの新しい扉が大きく開かれたのだ。そして寅を愛するその気持ちは第11作「忘れな草」の
リリーへと受け継がれていくのである。




                 




それにしても八千草さんは美しい。もう文句なく美しい。最高に麗しい。朋子さんもふみさんもかがりさんも美しいが
千代さんの可憐さは群を抜いている。八千草さんは後に山田太一さんの「岸辺のアルバム」「シャツの店」などでも
輝いていたが、この「寅次郎夢枕」でも清楚で知的な美しさが光っていた。





明日は、北の大地での運命の出会い。
寅次郎と赤い糸で結ばれたリリーのことを、つらつらと書きましょう。



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225


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






寅によって人生が変わった女性 歌子さん    7月4日「寅次郎な日々」その225

第9作「柴又慕情」 高見歌子さん


このシリーズのマドンナで唯一、マドンナを見て、その演じている役者さんをどうしても感じる人がいる。
それが吉永小百合さんが演じる歌子ちゃんだ。
渥美さんが一生懸命アプローチして、吉永さんもOKを出し、シリーズ第9作「柴又慕情」で遂に出演が実現。
つまり吉永小百合さんが寅さんに登場!もうこれだけで、ウキウキしてしまう。
彼女はいい意味でも悪い意味でもスターそのものなのだ。だから第9作が封切られた時吉永小百合さんが出演!
と、いうことだけで見に行った人々も多いと思う。

4作の宇佐美春子さんもそうだが、この第9作「柴又慕情」の歌子ちゃんも家庭のなかで親との葛藤を
繰り広げてきた人だ。ある種の陰がつきまとう。寅との相性は抜群。寅の優しさをしっかり受け止める歌子ちゃん。
家庭的に恵まれない淋しい陰を引きずる彼女は寅やさくらたちの優しさに救われる。歌子ちゃんの特徴は寅一辺倒
ではなく、さくらや博たちとも交わっていることだ。とにかく歌子ちゃんは自分の人生をなんとかしたいと悩みに悩んで
いる人だ。



        
   



寅はほんとうに歌子ちゃんにぞっこんだ。命を懸けて惚れている。そのことが観ていてとても切なくもある。
どうして歌子ちゃんは、寅が自分のことをひょっとして好きなんじゃないかってちょっとでも考えなかったんだろう…。
これは前々から言っているが、ある意味失礼なことだ。 マドンナさん、お願いですから寅に惚れてください、というのは
さすがに無理があるが、せめて寅の気持ちに気づき、気持ちをを察してやって欲しいのだ。そしてその上でいろいろ
対処して欲しい。だいたい年が離れてるって言ったってせいぜい設定的には17,8歳の差ってとこなのに。まあ、もっとも、
この後も年の離れた若いマドンナたちの場合は、寅に懐くものの、実際はほとんど恋愛感情持ちませんでしたが…(^^;)

やっぱりマドンナも、長く人生の悲しみや切なさを味わってきた人でないと寅の男としての凄さは分からないと
いうことなのだろう。





              





夜の題経寺境内


歌子「実はねえ…」

寅「え?」もうニコニコ

歌子「結婚の相談をしていたの…」

寅、ハッとして、いよいよ自分のことかと思い、うれしさを隠しきれない。

寅「誰の?」

歌子「私の…」

寅、感極まって「そんな…」とうれしくて下を向いてしまう。

歌子、それには気づかず

歌子「父が反対していることもあってね、長い間、もう5年もの間悩んでいたのよ。
   でも今夜、私決心がついたの。彼と結婚することを」

寅思いもしなかった歌子の言葉に愕然としながら、ゆっくり顔を上げていく。

寅、声震わせながら「彼って、どこの人…?」

歌子「愛知県の方でね焼き物焼いているの」

声震わせて「…じゃあ、オレのような遊び人じゃないんだね」と何度もうなずく。

歌子「黙って、一日中泥をこねたりロクロ回したりしているような人だけど、
   寅さんに会ったらきっと気に入ってもらえるわ。彼だって、寅さんが大好きになるに決まっているわ。」

寅「そうかい、そりゃよかった…」下を向きつらそうな寅

歌子「あのね、寅さん。」

寅「ん?」

歌子「
私って意志が弱いどっちつかずの中途半端な人間で、自分でそんなところが
  嫌でたまらなかったんだけど、今夜さくらさんたちと話し合っているうちにね、
  とってもはっきり決心がついたの。…私結婚しよう。明日の朝の汽車で彼に
  会いに行こうって…私が幸せになれたらそれは、寅さんのお陰よ。もし寅さんに
  会えなかったら、私結局ひとりで悩んで諦めちゃったかもしれないのよ



歌子泣く。


歌子「ごめんね。泣いたりして、変ね…嬉しいのに…」

寅「いいよ」とすっと立って「よかったじゃねえか。決心できてよ!」

歌子「寅さん、何見てるの?」   歌子のテーマ

寅「うん?、おー、星よ!今夜は流れ星の多い晩だぜ」

歌子「あ、流れた!大きかったわ。今のだったら願い事がかなうかもしれないわね」

寅「今度は、頼んでみてごらん」

歌子夜空を眺める。その歌子の横顔をじっと見つめる寅。


歌子「あ。また流れた」






          



彼女の言葉に誇張は一切ない。歌子ちゃんは確かに寅に会っていなければ人生を見失っていた
かもしれない。この作品にいたって、遂に寅は人の人生の未来を大きく左右する存在となり得たのだった。
しかし、別の意味で彼女の最後の決意を手伝ったのは実は博とさくらだった。

寅が餅をつき、さくらたちがこねて、歌子ちゃんが食べたって感じか。


このシーンは案の定寅がふられてしまうのだが、もう初期のようなふられ方でなく、どこかしら
カッコいいのである。やはり彼はもうヒーローに変化している。スター中のスター吉永小百合さんと、
今や確固たる地位を築きつつある渥美さん。ある意味華やかな取り合わせだが、悪く言うと、どうしても
役者さんのイメージがが表に出がちになることも事実だ。新しい手ごたえを強く感じながらもどうも食いたらない。
おそらくスタッフたちもそのような部分があったのだろう。この2年後再度この歌子ちゃんの物語が今度は
より深く、しっとりと繰り広げられるのである。





明日は、寅を好きなことを隠さなかった千代さん
のことを、つらつらと書きましょう。



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『寅次郎な日々』バックナンバー






寅の生き様に想いを馳せた女性 貴子さん    7月3日「寅次郎な日々」その224


第8作「寅次郎恋歌」 六波羅貴子さん


悪徳金貸しに困っている貴子さんを、どう助けて上げることもできない寅は、思いあぐんで、
ある夜貴子さんの家を訪ね、こう言うのである。

寅「あの…、何か困っていることございませんか?
どうぞわたくしに言ってください。どうせわたくしのことです。
たいしたことはできませんか指の1本や2本、いえ…、片腕、片足くらいでしたら
なんてことありません。
どうぞ言ってください、どこかに気にいらない奴がいるんじゃないですか?」

貴子「ありがとう…。ほんとうにありがとう寅さん…嬉しいわ、

私とっても嬉しい。いいの、そりゃ、困ることもありますけどね。
私ひとりの力でなんとか解決できると思うの。だから、それはいいの…。

でも、寅さんの気持ち嬉しいわ。そんなふうに言われたの…、
今…今の寅さんみたいに言われたの、生まれて初めてなのよ…


第10作のお千代さんも、第17作のぼたんも寅の気持ちに打たれ涙を流す。なかなかこういう風には言えないもんだ。
人は人の心に救われ人の気持ちに涙を流す。寅は社会的な救済には全くの無力だが、貴子さんの心を温めることは
できたのかもしれない。この時貴子さんの心に寅という存在がはっきりと入りこんで行ったのではないだろうか。
貴子さんは寅を一人の人間として、そして男性として見はじめている気がする。寅の気持ちに感謝し、かつ、もう一歩
進んで寄り添う気持ちがこの夜から芽生えてきたのだろう。



              



寅「……、いい月夜でございますね」
貴子「寅さんも旅先で、こんなお月様見ながら柴又のこと思いますことあるんでしょうね」
寅「ありますよ」
貴子「いいわねえ、旅の暮らしって」
寅「好きで飛び込んだ稼業ですからいまさら愚痴も言えませんが、ハタで見ているほど楽なもんじゃないですよ」
貴子「そう?」
寅「そうですよ」
貴子「たとえばどんなこと?」
寅「たとえば、そうですね、たとえば、夕暮れ時、田舎のあぜ道を一人で歩いていたんですね…」
貴子「ええ」
寅「ちょうどりんどうの花がいっぱい農家の庭に咲きこぼれて、電灯は
あかあかとともって、その下で親子が水入らずの晩飯を食っているんです。
そんな姿を垣根越しに見たときに、ああ…、これが本当の人間の生活じゃねえかな…。
フッとそんなこと思いましてね」

貴子「分かるわ…、淋しいでしょうね。そんな時は…」



              




寅「しかたねえから、行き当たりばったりの飲み屋で無愛想な娘相手に一杯ひっかけましてね、
駅前のあきんど宿かなんかの薄いせんべえ布団にくるまって寝るとしまさぁ…。なかなか寝つかれねえ耳に
夜汽車の汽笛がポ―っと聞こえてきましてね、
朝、カラコロ下駄の音で、目が覚めて、あれっ?オレは今一体どこにいるんだろう…。
あー、ここは四国の高知か…。
そんな時に今、柴又じゃ、さくらやおばちゃんたちがあの台所で味噌汁の実をコトコト刻んでいるんだなぁ…、
なんて思ったりしましてね」


貴子「
いいわねぇ…。あー、羨ましいわ.私もそんな旅がしたいなぁ


貴子さんのこの一見素直な発言が寅を傷つけていることに貴子さんは気づいていない。



貴子「寅さん、またいつか旅に行くの?」

寅「ええ、そりゃ、そうですね」

貴子「そう…、いつごろ?」

寅「いつごろでしょうか…。風に誘われる、とでも申しましょうか。ある日ふらっと出て行くんです」

貴子「
羨ましいわ…、私も一緒について行きたいなぁ…

寅「そうですかねぇ…、そんな羨ましがられるもんじゃねえんですけどね…」




             



寅がこんなに旅の悲哀を語っても、貴子さんはひたすら羨むばかりである。貴子さんは寅の言葉を聞いているようで
聞いていない。寅は「定住」に憧れているが、貴子さんは今の現実から逃れられる気ままな「旅」に憧れている。
気持ちは寅に寄り添い始めているが、大事なところで寅を理解できていない。
何を言っても二人の感覚は平行線だ。ここに今までの寅には無かった、決定的で絶対的な孤独が皮肉にも
生まれてしまった。



電話『リーン、リーン』貴子電話に出て行く。
大家さんから家賃の催促。

寅はだまって立ち去っていく。(風が強く吹いている)




結局、寅は貴子さんにふられたわけではない。
上に書いたようにむしろ貴子さんは寅に親しみ以上の心をすでに感じ始めているのかもしれない。しかし、二人の感覚は
大事なところで噛みあわないことを寅は徹底的に悟ったのだろう。別れの時が来たのだ。



いずれにしても第8作「寅次郎恋歌」になって、はじめてふられることの無い寅が出現したのだ。
この先、第10作のお千代さんを初めとして、寅に本気で好意を寄せるマドンナが続出していく。山田監督が寅に
ある種のヒーロー的な要素を盛り込んでいく様子が最初に見られるのがこの第8作「寅次郎恋歌」だ。それゆえ多くの
人々の支持が得られ始めたのもこの作品からである。完全に1回目の脱皮は終わった。そして読みは見事に当たったのだ。
当然ながら第1作から第6作に見られるようなブザマなふられ方はこのあとスクリーンからしだいに姿を消すのである。

ちなみに、貴子さんの、この『六波羅』という姓は、実際の喫茶店ローク(題経寺横)の店主さんの苗字からスタッフたちが
拝借したものである。






明日は、人生を懸命に生きる高見歌子さん
のことをつらつらと書きましょう。






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寅が懸命に護ろうとした女性 花子ちゃん。   7月2日「寅次郎な日々」その223


第7作「奮闘篇」 太田花子さん

寅は第6作まで、とにかく盲目的に惚れて、一人相撲をし、悲惨なまでにふられるという行為を繰り返してきた。
マドンナに極端に親切にはするものの、その行為には、どこか滑稽で、偏狭で、しらふでない部分が残っていたのも
事実である。しかし、今回の寅は、花子ちゃんを優しく大事にそして真剣に護ろうとするのである。

彼女は少し知恵遅れゆえに、どこかの働いていた工場を勝手に抜け出してしまう。そんな時に寅と偶然出会う。
寅はそんな花子ちゃんが心配で、沼津駅でいろいろ帰り方を教え諭すのだ。そこにはいつもの自己満足的な
独りよがりな寅は存在しない。ひたすら花子ちゃんが無事に故郷に着くことをただただ祈る、無私で冷静な献身が
そこには存在するのである。


あの沼津駅での別れは第7作「奮闘篇」のある意味メインであり、この長いシリーズの大事な分岐点だったとも言える。
寅はここにきて人生で初めて『護るべき対象』を持ちえたのだ。




沼津駅改札

寅「あのね、東京でもって迷子になったらな、葛飾の、柴又の、とらやって団子屋を訪ねて行きな。

花子、心細そうにしている。

寅「おい、分かってんのかよ!葛飾の柴又の…おい、ちょっと言ってみな」

花子「かつしか、し、ばまったのトラ…」

寅「ち、違うよ」

改札の駅員さんの手帳をいきなり破り、

寅「ちょっとすまねえ」

駅員さん、やり取りを聞いていたので文句言わない←(心優しい駅員さんだ)

ひらがなで住所書いて(かつしか、しばまた、とらや…)

寅「これ持ってな、迷子になったらお巡りさんにみせて、この家に訪ねて行きな。そこでよ、寅ちゃんに
聞いてきたって言えよ。家の者が親切にしてくれるから」

花子「とらちゃん?」

寅「オレ、『とらちゃん』って
 言うんだよ、なっ!早く行きな」

花子、心細くて階段でみかんをばらばら落とす

寅「早く行くんだよ」

寅はとても心配そう。




この時の寅に例のいわゆる一目惚れの気持ちは皆無である。ただひたすら冷静に大人として
彼女を護ってやりたい。それだけだ。

とらやで再会した寅と花子ちゃんは無事を喜び、おいおいと涙を流すのだ。
寅が自分の中で、人間に対する広い意味での情愛を純化させて懸命に無償で人に与えようとした
人生で最初の出来事だった。



           



そして、寅になついた花子ちゃんは、子供のような無邪気さで


花子「寅ちゃんは奥さんいるか?」

寅「そんなもんいるかよ、オレに」

花子「本当か?」

寅「あたりめえじゃないか」

花子「
私、とらちゃんの嫁コになるかなー

と、言ってしまうのである。花子ちゃんはおそらく、自分を護ってくれる人にはみんなお嫁さんに
なってあげたいのだ。

寅は驚くが、とても嬉しい。そんなこと今の今まで誰にも言われたことがないのだろう。
その言葉が宝物のように寅の心にしっかり入り込んでしまう。

寅「えー!?、てへへ…、よせよ何いってんだい、…からかうんじゃねえよ。
ハハハ、笑っちゃうよ、オレの嫁さんになるなんてよ、そんなことうぶなおまえが言うなんて、
へへへ…、でもよ、ありがとよ…。オレその気持ちだけで十分なんだよ。
花子、もうおまえどこへも行くな。故郷にも帰るなよ。ずっとここにいろよ、
オレが一生面倒見るからよ、なあ、花子」



            



この花子ちゃんの言葉がきっかけで寅は本気で花子ちゃんとの結婚を考え始めるのである。
おそらく、本気とは言っても、花子ちゃん同様、ごっこなのか冷静なのか分からないような
その境界をさまような気持ちが続いていったのだと思う。

結局、彼らの不思議な関係は、まわりの冷静で賢明な『大人たち』によって
まもなく終わりの日を迎える…。

この作品は、いつもみんなに邪魔者扱いされ、つまはじきだった寅が、人生で初めて、
こんな自分でも必要としてくれる人がそばにいるのだ、と実感し、自分が生きる
意味を感じ、彼女を護るために奮闘努力した青春の日々の物語だといえよう。

このシリーズで、誰よりも無垢で、心が清らかな花子ちゃん。
彼女のどこまでも澄んだあの歌声は寅の気持ちを洗い、見ている私たちの気持ちも
洗ってくれるのである。







明日は、寅と心を通わせ、寄り添った女性、
六波羅貴子さんのことをつらつらと書きましょう。




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寅の気持ちが見えた最初の人。夕子さん。   7月1日「寅次郎な日々」その222


第6作「純情篇」 明石夕子さん

おばちゃん曰く 「あのね、私の従姉妹の嫁いった先の主人の姪の夕子さん」

これが、ワガママで自分勝手な夫と別居してとらやで下宿生活を始めた明石夕子さんである。
おばちゃんは一応「遠縁」って言うけど、遠すぎて霞がたなびいてるねこれは(^^)
おいちゃんは丹念に櫛で髪をおめかしセットするわ、タコ社長は口をポカンと開けて
「上玉だねええ〜!」と、感心するわ。大変な騒ぎだ。

それもそのはず、当時すでに大映のスターだった若尾文子さんが、マドンナなのだ。
綺麗なんてもんじゃない。近所の医者も誰も彼も目がハートになる最高のオーラ(^^;)
しかし、みなさん!別居中とはいえ、彼女は一応人妻なんだけどなあ…。

もちろん寅も『0,1秒で瞬殺』されていた(^^;)

で、お馴染みの、寅の気持ちに気づかずに寅は大失恋か、つまり今回も寅の完全一人相撲、
と思いきやそうはならないのだ。

この夕子さんは、それまでの5人のマドンナよりも感覚が鋭敏なのである。麗しい眼の
奥に鋭い観察力と洞察力そして豊かな感受性が宿っているのだ。

夕子さんはおばちゃんにこう言うのである。


夕子「でもね、私ここに来て、ほっとしてるの…。人間が住んでるって
   気がして。だから夕べは久しぶりにぐっすり眠れたわ、本当よ



また、例の博の独立騒動でもめにもめ大喧嘩した後、仲直りしているとらやの面々を見て夕子さんは
2階にかけ上がり涙を流してしまう。

さくら「どうかなさったの?」

夕子「
ごめんなさい。わたしね、わたしが今まで暮らしてきたまわりはあんな自分の気持ちを
  隠さないで笑ったり怒ったり泣いたりすることなど一度もなかったわ…、私達の生活なんて
  嘘だらけなのね。そう考えてたら急に涙が出てきちゃって…
と泣く。

それを聞いたさくらも目に涙。

夫やそのまわりの環境に対して随分アレルギーが出て、疲れている様子がこれらの会話で
うかがえるが、このような内省的な思考ができるのが夕子さんの優れた資質なのだろう。
ただ単に上品な山の手のご婦人じゃないのだ。

そのような夕子さんであるから、寅の態度のちょっとした変化から、寅が自分のことを思って
くれていることを察知する。



                
寅の気持ちに気づく夕子さん
             




そして、江戸川土手で二人っきりになって寅に面と向かって、自分は寅の気持ちを受けることが
できないと、やんわり告げる。それもぶっきらぼうに用件だけを言うんじゃなく、寅の良さも優しさも
全て受け入れた上での柔らかで寅に恥をかかさない会話。なかなか人間ができている人だ。
一言で言うなら「大人の魅力」!

しかし、この柔らかな表現が逆に寅には通じなくて、夕子さんを診察したスケベ医者が彼女に
言い寄っているのだと勘違いし、結果的には寅はこれまたいつもどおりの間抜けな大失恋をして
しまうのだが、それは寅自身の問題である。

私はあの江戸川土手での二人の会話はこのシリーズに燦然と輝く名シーンだと確信している。
夕子さんの鋭敏な感覚が寅を幸福にしていた。




師走の江戸川土手


寅、野の花を摘んで、夕子に渡そうとする。

夕子「東京にもこんなところがあるのね。フフ…嘘みたい…。

夕子「
寅さんはこういう風景を見ながら育ったのね…。


寅「はい!わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。」

夕子「なに、それ?」

「これは、私達商売人仲間の挨拶ですよ。」



夕子「まあ、素敵ねもういっぺん言ってみて」



寅「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い根っからの
 江戸っ子、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。フフフ…。
 まだ、続くんですよ」

夕子「そう」

寅「わたくし、不思議な縁もちまして生まれ故郷に草鞋を脱ぎま
  した。あんたさんと御同様、東京の空の下、ネオンきらめき、
  ジャンズ高鳴る花の都に仮の住居まかりあります。
  故あって、わたくし親分一家持ちません。ヘヘヘ…まだまだ続くんですよ。」


夕子「素敵…ほんとうに素敵よ」




夕子「ねえ寅さんに、どうしてもお話しておきたいことがあるの…
   私、困ってるの。…ある人がねえ…」

寅「女の人ですか」

夕子「男の方」

夕子「その人がね、私にとても好意を寄せてくださるの。
   その人とてもいい人なので私嬉しいんだけれど、
   でもね、私どうしてもその気持ちをお受けするわけには…」

寅「よく分かります!よーく分かりますよー!
  オレァハナッからピンときてたんだ!諦めろ!とスパッと言ってやりゃいいんだ、
  そのバカに!よしオレが行って来ましょう!大丈夫!大丈夫!」

夕子「えっ!?」

寅「よし!善は急げだ!オレこれから話してきますよ!ふてぇ野郎だ!
  あんチクショー!!」

勝手に走っていってしまう。

夕子「いいえ、あの…、ねえ!寅さん!」




             




寅さんの人格形成にこの風景が大きく関わったことを肌で感じた夕子さん。
寅の仁義を切る時の挨拶言葉を心から素敵だと思える夕子さん。

このセンスに私は感動した。



しかし、ラスト付近、結局別居中のダメ夫が反省もせず性懲りもなく迎えに来て、不幸になることが
うすうすわかっていても、しぶしぶ戻っていってしまう夕子さん。自立できない女性の限界を私たちが
垣間見た瞬間でもあった。




夕子、寅の方を見て「寅さん、寅さんには本当にお世話になったわねぇ…、」


寅「い、いいえ」


夕子「
あなたのご親切…、いつまでも忘れないわ…


寅「そんなことより、夕子さんもどうか幸せになってくださいね」



夕子「ありがとう…」



寅を見つめ、眼を潤ませ、別れがなんだか悲しそうな夕子さんだった。



                 
悲しい別れの夕子さん
             





明日は、寅が初めて真剣に結婚を考えた女性、
太田花子さんのことをつらつらと書きましょう。





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