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お気楽コラム


寅次郎な日々

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2006年2月分
その80〜107


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生涯ただ一人の師(2006,2,28)

とらやの面々の涙(2006,2,27)

蘇るテーマ曲、『予告編』賛歌(2006,2,26)

寿子さんのこと(2006,2,25

『ぼくの伯父さん』の中の、ある予感(2006,2,24

秋深き最上川を渡る寅(2006,2,23

お母さんが歌う沖縄の唄(2006,2,22)

風の丘に立つ真知子先生(2006,2,21)

さくらの修羅場(2006,2,20)

光枝さんの言葉の重み(2006,2,19)

夕子さんとお千代さんが語る寅(2006,2,18)

御前様が語る寅(2006,2,17)

寅の理想の食事(2006、2、16)

リリーの最後の啖呵(2006、2、15)

満男が語る寅の本質(2006,2,14)

寅をかばうおいちゃんとおばちゃん(2006,2,13)

寅への扱い その内と外の温度差(2006,2,12)

すみれの啖呵(2006,2,11)

再会の日の大空小百合ちゃん(2006,2,10)

ミニコントの津嘉山正種さん そのA(2006,2,9)

ミニコントの津嘉山正種さんその@(2006,2,8

とうもろこし君の笑顔(2006,2,7)

団子を食べない寅(2006,2,6)

築地文夫さんの味(2006、2、5)

夢の中のマドンナ(2006、2、4)

ウィーンの森の関敬六さん(2006、2、3)

さくらのお母さん(2006,2,2)

終の棲家(2006,2,1)



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107



                          
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生涯ただ一人の師    2月28日「寅次郎な日々」その107



昨日はとらやの面々の涙を書いたが、
寅も感受性が強い男なので、まあよく泣く。
特に初期、中期の作品群ではしょっちゅう泣いている。
寅はさくら同様、心が潤いに満ちているのである。

第1作で、さくらの披露宴での涙は印象的だった。ラストでラーメン食べながら
号泣するシーンなども、見るたびにあの頃は寅もほんとうにやんちゃで、多感だったなあと
感慨を深くするのだ。あの頃の寅は青年期の一番最後だったのかもしれない。

第2作「続男はつらいよ」でも母親の菊さんと衝撃の再会をし、打ちのめされて号泣する。
あの時の寅は可哀想だった。あんな可哀想な寅はこのシリーズであのシーンしかない。

寅がどん底に落ち込んだ時、散歩先生が傍にいてくれ、そして泣いてくれるのだ。
ほんとうに散歩先生は寅の恩師だ。あれこそが『師』というものだとつくづく思う。

あんないい先生と生涯で出会えて、それだけでも寅はほんとうに幸せものだ。


さくらや身内はともかく、赤の他人で、誰も寅みたいな奴と一緒に泣いてくれはしない。

寅は、いつもマドンナを初め、旅で出会った人々を笑わせたり、励ましたり、助けたりしているが、
誰も、人生を通して業のように存在する寅の淋しさや辛さの荷物を少し持ってやろうなんて思っていない。
ある意味、たいていのマドンナたちは悲しいくらい自分のことで精一杯。寅に優しさを貰ってばかり。


だからこそ、逆に寅に深い愛情を注いでくれた散歩先生は素晴らしいし、寅の悲しみに立ち会った夏子さんは
素晴らしい。寅の悲しみを共感し、分かち合えるというのは、ひとつの能力であり、才能だと思う。




散歩先生「寅、これは大事なことだからよーく聞け。」
      老病死別といってな、人間には四つの悲しみがある。
      その中で最も悲しいのは死だ。
      おまえのおふくろもいつかは死ぬ。」
      その時になってからじゃ遅いんだぞ!その時になって
      『あ〜、一度でもいい、産みのお袋の顔を見ておけばよかった、と
      後悔しても、取り返しがつかないんだぞ!そうだろ!寅!」

寅「…」

散歩先生「さ、会いに行け。生きてるうちに。今すぐだぞ」




しかし、結局寅はお菊さんと会い、とんでもない修羅場を経験してしまう。
心がズタズタに切り裂かれてしまったのだ。



散歩先生「あーあー、俺が悪かった。俺が無理にすすめなければこんな悲しい目に
      会わなかった。泣け!泣け!泣け!こころから泣け!」


バン!とお膳を叩いて泣きながら

散歩先生「実にこの世は悲しいなあ…」

寅「そうだよ、ウウウ…、だったら先生だって泣いてくれよ!」


散歩先生「よし!泣こう。寅、お前と一緒に二人で泣こう、な、寅!」




            






その後、江戸川土手で


夏子「あたし寅さんのお母さんのことひどい人だって言ったら、
  急に怒り出して『子供が可愛くない親がどこにいる、
  子供を捨てるにはそれだけの辛い事情があったはずだ。
  他人のおまえが生意気な口をはさむんじゃない』って…」




夏子「父もね、お母さんの顔知らないのよ…、」





散歩先生が寅の気持ちをよく分かって親身になってくれた背景には、心の根っこの部分に
母親と縁が無かった同じ寂しさ、悲しさを共有していたからかもしれない。





そして、ラストで、失われた時間を取り戻すように寄り添い三条大橋を歩く寅と菊さん。




              






あの二人の後姿を見るたびに
亡くなってしまった散歩先生があの二人の姿をみたらどんなにか喜んだだろうと、
寅たちを見つめる夏子さんと同じ気持ちになって、あの映画史上に残る
美しいラストシーンを今日もうるうる見ていた。




また明日






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106



                          
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とらやの面々の涙    2月27日「寅次郎な日々」その106




さくらは、このシリーズの中で実によく泣く。一作品に一度かもしくは二度はもう泣いている。
彼女以上に感受性の豊かな人を見たことがない。


悲しくて泣く時もあれば、嬉しくて泣く時、切なくて泣く時もある。


印象深いところでは、第6作「純情篇」のラスト柴又駅の別れがある。私はあの別れを
勝手に「赤いマフラーの別れ」と一人で呼んで特別視している。
あの時のさくらの涙は切なかった…。




                




そして

第15作「寅次郎相合い傘」での、雨の激しく降るとらやの2階でのさくらの涙。

リリーを追いかけていかない寅。

寅はさくらに自分たちがしょせん渡り鳥だということを語り、「そういうことだろう、さくら」
と、さくらに同意を求める。

さくらは涙を流しながら


「そうかしら…」


あの涙も切なく悲しかった。





                







おばちゃんも実によく泣く。

おばちゃんの第28作「寅次郎紙風船」に代表されるチャルメラ泣きはもちろん面白いが、
しっとりと泣くおばちゃんもなかなかジーンとなる。

たとえば第15作「寅次郎相合い傘」では、あの寅のアリアのあと、しっとりと泣いて私たちの気持ちを
代弁してくれている。かと思えば、そのあとの『メロン騒動』でチャルメラ泣き。
んもう〜〜〜!!メロンなんか貰うんじゃなかったよ〜!うえええん、うえええええん




おいちゃんの涙の名場面と言えばなんと言っても第13作「寅次郎恋やつれ」での歌子ちゃんと
父親の和解でのあの涙だろう。顔をぐちゃぐちゃにして「
クフッズズズーゥッグファ…
と泣き、「つね!酒だ、酒の仕度だよ!」と叫ぶのだ。2代目おいちゃん松村達雄しかできない、
キップのいい気持ちの入った演技だった。




               





満男は、第31作「旅と女と寅次郎」の運動会騒動で泣いてしまってからは泣かないで頑張ってていたが、
第46作「寅次郎の縁談」の就職問題では、堰を切ったようにドーっと両親に食って掛かり号泣するのである。
あれはシビアな場面だった。
そういえば奄美のリリー宅でも泣きながら島バナナ食ってたっけ(^^;)



タコ社長もまあ結構泣く方だが、理由がいつも下らない(^^;)
それでも第17作「夕焼け小焼け」での青観の絵をビリビリに破りながら泣いていた姿には、さすがに
同情してしまった。第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」で、あけみの結婚の時の挨拶に泣く社長も印象深い。



そして、博。
博のなくシーンはどれも感動的だ。もちろん目に涙がたまる程度なんだが、彼は純粋な気質なので、
見る私たちものめり込んでしまうのである。
第1作、披露宴での父親との和解、第8作「寅次郎恋歌」で、母親が亡くなったあとの涙、
第9作「柴又慕情」で、家の新築騒動の時、寅を見つめながらの涙、第18作「寅次郎純情詩集」で、家庭訪問騒動の
怒りの涙、中期以降泣かなくなってしまうが、若い頃の博は結構涙腺がゆるい多感な青年だったのだ。





               





マドンナの涙…、もうこれは果てしなくキリがないのでまた後日にしましょう。






また明日





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105



                          
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蘇るテーマ曲、『予告編』賛歌    2月26日「寅次郎な日々」その105



「男はつらいよ」の楽しみのひとつに、中で使われている音楽の
魅力があると常々書いている。特に「マドンナのテーマ」はどれも
これも音楽性が豊かで、このシリーズに気品を与えている。
山本直純さんの面目躍如というところだ。

しかし、残念なのは一度使われたマドンナのテーマは他の作品では
滅多に使われないと言うことだ。せっかく名曲ぞろいなのに本当に
残念なのだ。ま、この作品群に限らず、映画音楽というのはこのような
運命に置かれている場合が圧倒的に多い。一部の有名な曲を除いては
せっかく一生懸命オリジナルを作ってもなかなか世の中に残っていかない。
ましてや、喜劇映画の中で使われている音楽となるともっと残すのが困難なのだ。

しかし、本編以外でもう一度聴ける機会が用意されている。

それが『予告編での音楽』である。

予告編は、当たり前だがクランクアップより早く作られる。
このシリーズのテーマ音楽は、ほぼ出来上がった物語を見て
山本直純さんが、後の方で作られるので、予告編には大抵間に合わない
のが常である。

そこで登場するのが、過去の作品たちの美しいテーマ曲だ。
今思いつくだけでも実にたくさんある。


たとえば大好きな、あのなんとも哀しい「リリーのテーマ」も、
第22作「噂の寅次郎」、29作「寅次郎あじさいの恋」、
33作「夜霧にむせぶ寅次郎」、47作「拝啓車寅次郎様」の予告編で
再度使われている。


スケールが大きく広がりがある第10作「寅次郎夢枕」の「千代のテーマ」は
第14作「寅次郎子守唄」、第16作「葛飾立志篇」
第24作「寅次郎春の夢」の予告編などで再度使われている。


しっとりとした冬を感じられる第14作「寅次郎子守唄」の「京子のテーマ」も
第18作「寅次郎純情詩集」第26作「寅次郎かもめ歌」の予告編などで

再度使われている。

第29作「寅次郎あじさいの恋」のあの悲しい「かがりのテーマ」も
第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」第36作「柴又より愛をこめて」
の予告編などで
再度使われている


第28作「寅次郎紙風船」
の予告編では第18作「寅次郎純情詩集」の
「綾のテーマ」が再度使われている。


それ以外で、私が嬉しかった採用曲としては同じ第28作「寅次郎紙風船」の予告編で、
秋月の光枝さんと寅が常三郎の話をするあの名場面に、第17作
「寅次郎夕焼け小焼け」の、「龍野のテーマ曲」!が流れるのだ。

秋月と龍野、しっとりと落ち着いた古い町にはあの美しい曲がよく似合う。
ほんとうにふたつとも思い出深い町であり思い出深い曲だった…。



           




あと、第32作「口笛を吹く寅次郎」の予告編で第13作「寅次郎恋やつれ」の
温泉津の絹代さんのテーマが再度使われているのも意外性があって楽しめる。


第35作「寅次郎恋愛塾」ではなんと第16作「葛飾立志篇」で出てきた
あの順子ちゃん(お雪さん)のテーマ!がしっとりともう一度使われていた。
この曲を聴くとあの雪の降る日のお雪さんの物語を思い出してなんだか心が潤うのである。





      







また明日



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104



                          
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寿子さんのこと    2月25日「寅次郎な日々」その104



昨日第42作「ぼくの伯父さん」の特異性について少し書いたが、
あの作品は、もうひとつ他の作品と違う所がある。

それは、寅が女性に惚れない、ということだ。
檀ふみさん扮する泉ちゃんの叔母さんの寿子さんがいるではないか、
と言われる方も多いだろうが、彼女に対して惚れはしないのである。
もちろん綺麗な人なので、寅は本能的に機嫌がすこぶる良くなるが、
第34作「寅次郎真実一路」の時のように、人妻に真剣に惚れはしないのである。
何よりも二人の間に物語が無い。第43作、第47作あたりもその傾向があるが、
この第42作は特になにも物語が形作られないのである。

おそらく山田監督に言わせれば、この作品は、あの満男が人生ではじめて
恋というものを深く経験する記念すべき作品なので、泉ちゃんに
焦点を合わせたのだ、と言われるのだろう。
実際この作品での泉ちゃんのオーラは、彼女の5作品の中でも最も大きく、
輝いていたと思われる。そう、この作品は満男と泉ちゃんがとても新鮮だった。

しかし、このシリーズは、私的にはやはり、『寅の恋の物語』である。
寅が真剣に女性に恋をしてこそ、「男はつらいよ」なのだ。

ましてや私は檀ふみさんのファンでもある(^^;)ゞ
なんとかちょっと深みに入り込んでほしかった。
もちろん彼女は独身!と言う設定に変えてだ。



               





それにしても第18作の檀ふみさんも溌剌として美しかったが、
この第42作の檀さんは、しっとりと落ち着いて、そして知的で、
一段と美しさが増していた。

ぜひもう一度出演してほしいとずっと願っていた私にとっては
嬉しい限りであったのだが、マドンナになりえていない、つまり
二人の物語が無いというのは実に残念だった。

あ〜、寅との落ち着いた大人の物語が見たかったァ。




               

            



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103



                          
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『ぼくの伯父さん』の中の、ある予感    2月24日「寅次郎な日々」その103




「男はつらいよ」のラスト作品である第48作「寅次郎紅の花」は
明らかにこの物語の終焉を意識した物語になっている。
この終焉の意識が懐かしさを醸し出してもいたし、一つの作品としては
完結できない弱さを露出することにもなっていた。

しかし、このシリーズは48作品でなく、一つの長い長い作品だと思えば
ああいう物語の運びがラストにあっても納得もできるのである。

それとは別に、もうひとつ、そのラスト近くにこのシリーズの終わりの予感を感じさせる
作品がそれ以前にすでにある。それが第42作「ぼくの伯父さん」のラスト付近である。

長距離電話で寅がとらやに電話しているのだが、さくら、満男、博、そしておいちゃん、
おばちゃん、工場の面々、タコ社長、源ちゃんなどが次々と寅に向かって短い会話、
もしくは「帰って来いよ」なんていうふうな呼びかけをするのである。
あのシーンがほのぼのとしてよかったと感じる人もいるだろうが
私は、逆になんだか妙にあのシーンが生ぬるく、そしてそれ以上に怖かった。
なぜあそこまでやってしまうのか。

まるで、これで、このシリーズは終わります、という気配すら漂っていた。
このことに気づいたのは私だけでないだろう。大勢の人がなにか予感めいた
ものを感じた事と思う。


           



山田監督はあのシーンで何を表現しようとしたのだろう…。
あんなに突然全員を集めて寅に呼びかけてしまって…。


ただ、あの電話が切れた直後、寒風吹きすさぶ無人駅のホームに
出て行く寅の侘しさが表現されていたが、あれにかえって救われた気が
したものである。寅のリアルな日常が垣間見れて、自然な気持ちに戻れた
からかもしれない。



            



で、最後の最後はお馴染みの、ポンシュウと一緒にバイをして終わり。

ちょっとホッとしました、あれで。





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102



                          
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秋深き最上川を渡る寅    2月23日「寅次郎な日々」その102



私は、このシリーズのマドンナの中でリリーがぶっちぎりに一番好きである。
そして美しいお千代さんも盲目的に好きである。

そして、それとは別に特別枠で一番好きなマドンナがいる。
それが第16作「葛飾立志篇」に出てくる山形、寒河江のお雪さんだ。

最上 雪 ( もがみ ゆき )、寅がまだ若かりし頃、初めて心から愛した人。
自分が最も孤独で寂しかった時めぐり逢った初恋の人。
そんじょそこらのマドンナとは縁の深さ、気持ちの重さが違うのである。


寅がマドンナのことを語るこのシリーズのすべてのシーンの中で
リリーは別格にしても、それ以外で私が最も心に残っているのが、
実はあのお雪さんとの出会いを語ったアリアだ。



寅「うん…。
オレが始めてお雪さんに会ったのは
忘れもしねえ、雪の降ってる晩だった…


おらあ、寒河江(さがえ)という町を無一文で歩いていたんだ。
もう何をやってもうまくいかねえ時でなあ…



            


腹はすいてくるし、手足は凍えてくるし、
もう矢も盾もたまらなくなって、

…駅前の食堂に飛び込んだんだ。

そこがお雪さんの店よ


背中にちっちゃな赤ん坊しょって働いていたっけ。
   

オレは手に持ってるカバンと腕時計を出して…、
『これでなんか食わしてくれぃ』ってそう言ったんだ。


そうしたらお雪さんが…、

『いいんですよ、
困っている時は、お互いですからね』



…どんぶりに山盛りの飯と、
湯気の立った豚汁と、お新香を
そっと置いてってくれたっけ…。


オレはもう…無我夢中で
その飯をかき込んでるうちに……、

なんだかポロポロポロポロポロポロ…
涙がこぼれて仕方がなかったよ。


その時オレには…あのお雪さんが
観音様に見えたよ。



その名の通り、
雪のように白い肌の、

そらあきれいな人だったぁ…




                     
             



映画の本編では一度も出てこないお雪さん。
僅かに娘さんの順子ちゃんにその面影を見るしかないのであるが、
私には一つの物語を見せられたような満足感がなぜか残っている。

そして、お雪さんは亡くなり、寅は寒河江にある彼女のお墓に向うため、
秋深き頃、最上川の大江町の渡し舟で寒河江に渡る。

この時の風景も寅も私は忘れがたく、これこそ寅の人生の一断片だと
しみじみ思いながらあのシーンを今日もまた見ている。




             



あの時流れている音楽がいいんだなあこれが。
そうそう、『お雪さんのテーマ』もしっとりと美しい旋律だ。




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101



                          
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お母さんが歌う沖縄の唄    2月22日「寅次郎な日々」その101

この長いシリーズで、いろいろな歌が出てくる。
寅も、何十曲と歌を歌う。これはこの「寅次郎の日々」
でも紹介した。寅以外でも心に残る歌は多い。
さくらの、「母さんの歌」、「さくらのバラード」の替え歌、「蝶々夫人.ある晴れた日に」
リリーの、「夜来香(イエライシャン)」「港が見える丘」、「東京夜曲」、「悲しい酒」、
蝶子さんの「港が見える丘」、ふみさんの「星影のワルツ」
などなど…である。

時には、築地文夫さんの「菩提樹」、
桜井センリさんの「お座敷小唄」、
などのユニークなゲストが歌う番外編もある(^^;)


そのような番外編のひとつが第25作「寅次郎ハイビスカスの花」
で出てくる。

リリーが退院したあと、寅が本部(もとぶ)の海岸に部屋を借りてやって、
二人はそこで暮らすようになるが、そこの家のお母さんが夜になると、
亡くなった旦那さんのことを思い出しながら、彼が好きだった唄を三線を弾きながら
実にゆっ〜たりと歌うのだ。映画の中で2分間も唄い続ける。

「♪はるとぅかたああ〜………」

私は、あのお母さんのあの唄が好きで、あの場面が好きで何度も
見てしまい、聴いてしまう。

あの唄はなんという唄なのだろうか…。



          



リリーと寅は後に、とらやでその時のことを回想する。そして、リリーは
お母さんが歌っていた唄としてそっと「白浜節」という唄を唄うのだ。


寅「暑い一日が終わって、夜になると、ス――ツと涼しい風が吹いてなあ…、
  遠くで波の音がザワザワザワザワザワザワ 

リリー「ほら、庭に一杯咲いたハイビスカスの花に、月の光が差して…、いい匂いがして」

寅「うん。昼間の疲れで横になってウトウトしてるとお母さんの唄う沖縄の
  哀しい唄が聞えて来てなあ」



リリー「♪我んや白浜ぬ 枯松がやゆら  春風や吹ちん 
    花や咲かん 二人やままならん 枯木心」


リリー「私、幸せだった、あの時…」



しかし、あの時のお母さんの唄は、とらやで回想するリリーの「白浜節」の
メロディ
や歌詞とはかなり違うように聴こえるのだがどうだろうか。
別の唄なのではないか…。


日本に置いてきた沖縄民謡のCD2枚にあのお母さんの唄が入っているような
気がするのだがここは遠い異郷の地、確認できず残念。

ああ…、あの世紀の名場面をバックに唄う
お母さんの悲しい唄はなんていう唄なんだろう…。



          




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100



                          
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風の丘に立つ真知子先生    2月21日「寅次郎な日々」その100


第36作「柴又より愛をこめて」

式根島で長い間先生を続けている真知子先生。
いろいろな人生経験を経て、今寅という人物を
見ている。
彼女の眼は優しいが鋭い。


真知子「寅さんもしかしたら独身じゃない?」

寅「えへへ、まあ、お恥ずかしながら」

真知子「やっぱり…」


寅「あ、そういうのって分かるのですか」


真知子「首筋のあたりがね、どこか涼しげなの
     生活の垢が付いてないっていうのかしら」


寅「あのー、それはやっぱり…ネクタイしてない
  せいじゃないでしょうか。
  ダボシャツだからね。あれ苦しくって…」

真知子「フフフ…」



             



財産を持たず、地位も持たず、しがらみも無く、
フーテン暮らしを続ける寅。
行き着くところは悲惨な末路が待っていることは
百も承知しているが、それでも自分の美学に従う寅。

人生に保険をかけない、その潔い生き様が
真知子先生の琴線に触れたのだろう。

男はつらいよのもう一つの魅力が
この寅の野垂れ死に覚悟の潔さにある。

東京から遠く離れた厳しい環境の式根島で子供たちの
ために強い気持ちで15年も生きてきた真知子先生にしか
分からない『人を見る眼』というものは確かにあるのだ。

離島の先生とフーテンの寅。

このかけ離れた二人には
ある共通した『孤独を伴った覚悟』が存在する。
痩せても枯れても自分の道があるのだ。

私にはあの丘に立つ真知子先生の気持ちが分かる気がする。


              





今日で遂に『寅次郎な日々』も100回です。早いものです。
結構面白いのでもうしばらく続きそうです。


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99



                          
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さくらの修羅場    2月20日「寅次郎な日々」その99


さくらは、このシリーズで毎回毎回寅の失恋に涙して、「バカね、お兄ちゃんは…」
と呟くのだが、一度だけその失恋の場面に寅本人がいなくて失恋を寅の代わりに
体験するというキツ〜イ場面がある。

この時のさくらの怯えたような緊張した目は忘れがたいものがあった。

まあ、とにかくその場に寅はいないので、さくらはただひたすら怯えていた。
そして、なおかつ、何か発言しなければならないのである。

この時に最後さくらは寅の気質について重要なことを語ってもいる。



作品は第20作「寅次郎頑張れ!」


ワット君「お姉ちゃん、寅さんと結婚する気があっとね?」
藤子「なんば言うとね、あんた…」
ワット君「もしお姉ちゃんにその気の無かなら、寅さん平戸に来るの
     断らにゃいけん」
藤子「あんたの言うてること、さっぱりわからん…」
ワット君「なんでそげんこつ分からんかのお」
藤子「…」
ワット君「ええか、お姉ちゃん、寅さんお姉ちゃんに惚れとるばい」

藤子「…!」

怯えるように二人を見ているさくら。

ワット君「オレが寅さんやったらな、オレが寅さんやったら絶対お姉ちゃん
     を許さん!好きでもなかとに、好いとる顔されてうまく利用されとてるじゃなかか」
藤子「やめんね!そげん乱暴か口ばきいて、寅さんはね、あんたが
   考えてるより、もっともっと心がきれいか人よ、私にはそれがようわかっとよ」
ワット君「いくら、きれいかてん、寅さん男たい」



            
怯えるさくら
        



藤子「あんた!さくらさんの前で…そげん口ばきいて…」

泣いてしまう藤子。

張りつめた空気が流れる。

さくら「ごめんなさいね、いやな思いさせちゃって…」
ワット君「オレは、寅さんが悪いとは言ってませんよ」
さくら「でも、迷惑かけたのは兄なんですもの」

泣いている藤子

さくら「藤子さん、なにも気になさることないのよ。


さくら「かりに、私の兄が…お姉さんを好きだとしても、今のような
   気持ちを知ったら、それで十分満足するはずよ…、
   兄ってそういう人間なんですよ…」


実は寅はこの会話を階段のところで人知れず聞いていたのだ。


         



さくらは「兄はそれで十分満足するはず…」と言って、藤子をかばうが、
寅も生身の人間だからさくらが言うようには簡単にはいかないのは私も百も承知だが、
さくらの言うことを聞いて、そうかもしれないなあ…、と思わせるような、そんな夢のような、
観音様のような心を寅という男は持っているんじゃないだろうかとつい思ってしまう。



また明日




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それゆえここ当分更新が数時間から数日遅れる可能性が今後でてきます。御了承ください。



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光枝さんの言葉の重み    2月19日「寅次郎な日々」その98



昨日は『夕子さんとお千代さんが語る寅』を紹介した。
彼女たちの言葉は独身の若いマドンナの言葉と違って
自分の人生の経験に裏打ちされた、重みのある言葉だ。
第46作の葉子さんの言葉もそうだが、彼女たちが
人生の辛酸を舐めてきた人たちだからこそ、私たちの胸に響くのである。

そう言う意味でもう一人印象深いマドンナを紹介したい。

それは第28作「寅次郎紙風船」で登場する常三郎の奥さんだった光枝さんがさくらたちに
しみじみ語る短い言葉だ。


光枝「いい人ですねえ、寅さんって…。
   亭主の兄弟分って人に随分会ったけど、いませんよ、寅さんみたいな人」

このシリーズの全マドンナの中でリリーと並ぶ苦労人のマドンナが光枝さんだ。
青春期はリリー同様不良で、やんちゃ。大人になってからは道楽者の
テキヤの妻なってしまい、世の中の裏を見続けてきた彼女が「いませんよ、
寅さんみたいな人」という時は、やはりほんとうに掛け値なしでそうなのである。

光枝さんのその発言を聞いたおいちゃんの嬉しそうな顔ったらなかった。
おいちゃんも分かっているのである。苦労人であり、同業者だった光枝さんが
言う言葉の重みを。



           



言葉と言うのは、何を言うかも大事だが、その言葉を誰が言うかがとても
大事なのである。

だからこそ、おいちゃん同様、私も苦労人の光枝さんが何気なく言ったあの寅に
対する人物評を忘れることが出来ない。



それにしても、寅と光枝さんの柴又駅前の別れは、なんだったのだろうか。
彼女は、寅のことを本当はどう思っていたのだろうか。あの複雑な表情を
思い出すたび、この二人は実はお似合いだったな、って私は思っている。



           




また明日


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97



                          
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夕子さんとお千代さんが語る寅    2月18日「寅次郎な日々」その97

 
   


夕子さんが語る寅


昨日は、最後に葉子さんが語る寅の魅力を
書いたが、このシリーズの中でいろんなマドンナが
寅のことを語っている。


第6作「純情篇」のマドンナ夕子さんも、とらやのこと、あの町のこと、
寅のことをいろいろ語っている。
彼女は、寅とは縁が薄かったが、この長いシリーズのマドンナたちの中でも
洞察力の鋭さではトップクラスである。実に感覚がいい。



夕子ごめんなさい。わたしね、わたしが今まで暮らしてきたまわりは
あんな自分の気持ちを隠さないで笑ったり怒ったり泣いたりすることなど
一度もなかったわ…、私達の生活なんて嘘だらけなのね、

そう考えてたら急に涙が出てきちゃって…



江戸川土手で寅と散歩した時も

夕子「寅さんはこういう風景を見ながら育ったのね。」

寅「
はい!わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。

夕子「なに、それ?

寅「これは、私達商売人仲間の挨拶ですよ。」

夕子「まあ、素敵ねもう一辺言ってみて


寅「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い根っからの江戸っ子

姓は車、名は寅次郎、

人呼んでフーテンの寅と発します。
フフフ…。まだ、続くんですよ」


夕子「そう


わたくし、不思議な縁もちまして
生まれ故郷に草鞋を脱ぎま
した。あんたさんと御同様、東京の空の下、
ネオンきらめき、ジャンズ高鳴る花の都に
仮の住居まかりあります。

故あって、わたくし親分一家持ちません。
ヘヘヘ…まだまだ続くんですよ。」



夕子「
素敵…ほんとうに素敵よ



                


これらの会話は、一見なにげないただの好奇心交じりの世間話に聞こえるが、
寅の口上に『美』を感じる事ができるマドンナは実はそうそうはいない。

そして寅の気質の形成にこの江戸川の自然が深く影響している事を
肌で実感している。そういう意味ではとても感覚が鋭敏な人だったといえよう。

夕子さんは寅のことを愛する事はできなかったが、寅の根っこの部分をひょっとして
理解する事ができたんじゃないだろうか…、と近年そう思うことがある。

実はマドンナとしては夕子さんは私にはあまり好きなほうじゃないが、短い時間で寅を
把握できた数少ない女性だったのではないだろうか。




お千代さんが語る寅

夕子さんとは逆に、寅の幼い頃をよく知っていて、寅の気質のある側面を理解していた
幼馴染のお千代さんの言葉もとても印象的だった。


千代「そんなことないわよ、本当に助かってるのよ。照れ屋なのよ、
   あなたのお兄さんは。小さい時からそうだったわ。人が見てるといじめたり、
   悪口を言ったりするけど、二人っきりになるととっても親切よ。
   さくらちゃんだってそうでしょ」



寅「よくおまえたちからかわれて泣いて帰ってきたじゃねえか!へへへハハッハ!」
千代「そのたびに、寅ちゃん棒切れ持って飛び出してったのよね」




千代「私ね、寅ちゃんと一緒にいるとなんだか気持ちがホッとするの。
   寅ちゃんと話をしてると、ああ、私は生きているんだなぁーって、
   そんな楽しい気持ちになるの。
   寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいいって、今、フッとそう思ったんだけど…」





             



寅は、愚かで堪え性のない人間だが、人の心を優しくする何かを持っているようだ。
そのような数々の人々のそのような言葉を聞くにつけ、幼少期や少年期の寅の人格形成に
大きく関わったであろうさくらのお母さんの人間性をいつも想像している。このことはあまり
誰も言わないが、寅のあの優しさは、さくらとのやり取りの中で育っていったということもあるが、
それよりもっと前、彼の幼少期が最も大きく影響しているのは間違いないのだから。




また明日




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御前様が語る寅    2月17日「寅次郎な日々」その96




御前様は普段は、「困った〜」と寅のことを嘆いている。
第1作からずっと何かあるたびに「困った〜本当に困った〜」の連続。
「寅を押し売りと間違えるのはむしろ正常な感覚です」と言ったり、
「煩悩が背広を着て歩いているような男」と言って憚らない。

しかし、それとは別に寅のことを認めるような発言もある。
それは時として私たちの心に染みとおるような温かな言葉だ。
ここではその中で印象深い発言を2つ紹介しよう。




第39作「寅次郎物語」



御前様「仏様が寅の姿を借りて
    その子を助けられたのでしょうなあ…」

さくら「もったいない兄みたいな愚かな人間が
   仏様だなんてバチがあたりますよ御前様」

御前様「いや、そんなことはない。
    仏様は愚者を愛しておられます。
    もしかしたら私のような中途半端な坊主よりも
    寅の方をお好きじゃないかとそう思うことが
    ありますよ、さくらさん」




             





第40作「寅次郎サラダ記念日」



御前様近頃は金儲けしか考えん人間が
    この門前町にも増えてきましたから、
    寅のような無欲な男と話をしてるとむしろほっといたします。

    あれは、あのままでいい」



             




第14作や第17作、第18作、第25作などの寅の奮闘などを
思い出すにつけ、御前様のこれらの言葉が蘇ってくる。



そして私は第46作「寅次郎の縁談」で葉子さんが満男に語った寅の魅力。
あの言葉を思い出す。

「温かいの。それも電気ストーブのような温かさじゃなくて、
寒い冬の日。お母さんがかじかんだ手をじっと握ってくれた時のような、
体の芯から温まるような温かさ」




明日は夕子さん、お千代さんが語る寅を書きましょう。




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寅の理想の食事   2月16日「寅次郎な日々」その95



食は文化であり、好物はその人を表す。


相合い傘でリリーがとらやに泊まった翌朝、
下の台所で、寅はおばちゃんにこう言う。

寅「リリーは、オレと同じ。 朝飯は、味噌汁と納豆だよ」

と、いうわけで当たり前だが寅は『和食党』だ。


横文字の食べ物はラーメン以外は嫌い。



第5作「望郷篇」で理想の朝ごはんを語っている。

寅「上等、上等、

温かい味噌汁さえあれば十分よ、

あとは

お新香
海苔
たらこひと腹、ね!、

からしのきいた納豆、
これにはね、
生ねぎを細かく刻んでたっぷり入れてくれよ!

あとは
塩昆布生卵

でも添えてくれりゃ、おばちゃん、何もいらねえな、うん。」




そのA
第29作「あじさいの恋」で、
失恋の旅から帰った後の『失恋メニュー』

蕗の煮付け、
白身の魚
大根おろし と、
梅干



                



おまけは
肉じゃが




第42作「ぼくの伯父さん」で

ラーメンを食べさせようとしたおばちゃんに、

寅「おばちゃん…、オレは久しぶりに帰ってきたんだぜ。
この家でなきゃ食えないものを作ってくれよ。

たとえば、

一塩のシャケ
パリッとした浅草海苔

秋茄子の煮たの
シラスの大根おろし


おばちゃん「わかったわかった、なんか作ってあげるよ」



                





第12作「私の寅さん」では逆に寅が九州から長旅で疲れて帰ってくる
さくらたちに昼ごはんを作ってやる。

まず、
熱い番茶に、ちょっと厚めに切った羊羹のひとつも添えて出す。風呂に入って、

温かいご飯
シャケの切り身
山盛りのお新香 





でも、いつもの寅はスタンダードな
3大好物で十分。

お芋の煮っ転がし
ガンモドキの煮たの

おから


それと酒(ビール)


その他、お千代さんの時は

筍の煮たの
厚揚げ


などをおばちゃんに追加注文。


嫌いなものは、てんぷらとうなぎと言ってはいるが、第18作で、綾さんを交えての
とらやでの夕食の時、真っ先にてんぷらに箸が伸びていたし、別所警察内での
店屋物の注文では何でも食べてたし、沖縄から飲まず食わずで行き倒れたあと、
うなぎもてんぷらも全て平らげていたので、まあ、最後は何でも食べるようだ(^^;)

あ、『ナルト巻き』だけは苦手。目が回るから(^^)



ちなみに寅の好きなメニューは、
たまたま私の好きなメニューと一致する(^^;)ゞ
ただ、私の場合は、横文字の食べ物も大好きだが…。



また明日




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リリーの最後の啖呵   2月15日「寅次郎な日々」その94



昨日は満男が考える寅と言う人間に対して考察してみた。
満男は女性を花にたとえて寅のことを、泉ちゃんに解説するが、
昨日も書いたとおり

人は花ではない。

花はそっとしてもらったほうがその生をまっとう出来るが、
人は時として奪い取ってもらった方が幸せな時があるのだ。

寅はその人の幸せを考えて愚かな自分じゃ役不足だと立ち去るが、
残された女性はそれで幸せかどうかは分からないのである。
寅の奥深い底なしの優しさの中に隠された強烈なエゴには
この時点では満男は気づいていない。

そして第48作の奄美でのリリーの啖呵によって寅の全貌が初めて
明らかになるのだ。山田監督が、初めて明かした、寅の表と裏。
皮肉にもこのリリーの赤裸々な訴えが、このシリーズの最後の言霊に
なってしまった。とても残念だが、ある意味間に合ってよかったとも言える。


満男が泉ちゃんの結婚式を壊してしまったことに対して説教をたれる寅、
そこには相変わらず、寅の例の独りよがりの独善と身勝手な美学が入っていた。
それを聞いて遂にリリーが切れるのである。


                



リリー「バカバカしくて聞いちゃいられないよ。
    それがカッコいいと思ってんだろあんたは。
    だけどねえ、女から見ると滑稽なだけなんだよ。
    カッコなんて悪くてもいいから、男の気持ちをちゃんと伝えて欲しいんだよ女は。
    だいたい、男と女の間っていうのは、どこかみっともないもんなんだ。
    後で考えてみると、顔から火が出るような恥かしいことだってたくさんあるさ。
    でも愛するってことはそういうことなんだろう。きれいごとなんかじゃないんだろ。
    満男君のやったことは間違ってなんかいないよ。
   
寅「ちょっと待てよ、オレの言ってることはな、男は引き際が肝心だってこと言ってんの。
  それが悪いのか?」

リリー「悪いよ、バカにしか見えないよそんなのは。
   自分じゃカッコいいつもりだろうけど、要するに卑怯なの、気が小さいの、
   体裁ばかり考えているエゴイストで、口ほどにも無い臆病者で、つっころばして、
   ぐにゃちんで、とんちきちんのおたんこなすだってんだよー!」



                 




この長いシリーズの中で、さくらやおいちゃんおばちゃん、社長、満男、御前様、マドンナたちが
それぞれ、寅を批評してきたが、寅の闇の部分に初めて真っ向からメスを入れたのがこのリリーの
啖呵だった。これによって満男は寅をほぼ理解することが出来たし、観客も寅の全貌をイメージする
ことが出来たのである。


愛すべき心優しき楽天家の寅。

そしてその陰に潜む『卑怯、体裁、エゴイスト、臆病、』の領域を把握していくと、
一層寅がいとおしく、可愛くなってくるから不思議だ。
寅もやっぱり泥にまみれた臆病な生身の人間だと実感できるからかもしれない。

そしてリリーが語ると、それがたとえキツイ啖呵でも「愛の告白」に聴こえるからこの作品は奥深い。

リリーは寅をいつまでも待っているのだ。





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満男が語る寅の本質   2月14日「寅次郎な日々」その93



満男は、小学生の頃から寅の失恋を見てきている。
遠くは第27作「浪花の恋の寅次郎」でふみさんがとらやに結婚の
報告をしにきた時にも、満男は真横で立ち会っているし、
第29作「寅次郎あじさいの恋」の時もわざわざ鎌倉まで無理やり付き
添わされて、寅の失恋の涙まで垣間見てしまっている。

そんな満男は、しだいに大きくになり、青年になるのだが、寅の気質の本質に迫る
分析を言葉によって人に伝えるほどに成長していく。これは彼が、寅という非常にややこしい
人間をある意味把握しつつある証なのである。


第44作「寅次郎の告白」で満男は泉ちゃんにこう言う。

満男「あの伯父さんはね、手の届かない女の人には夢中に
   なるんだけど、その人が伯父さんのことを好きになると
   あわてて逃げ出すんだよ。今までに何べんもそんなことがあって
   その度に、オレのおふくろは泣いてたよ。
   『ばかね、お兄ちゃんは…』って」


         


泉「どうしてなの?どうして逃げ出すの?」

満男「つまりさあ…、きれいな花が咲いてるとするだろう、
   その花をそっとしておきたいなあって気持ちと
   奪い取ってしまいたいという気持ちとが男にはあるんだよ」

泉「ふーん…」

満男「あの伯父さんはどっちかというとそっとしておきたいなって気持ちの
    ほうが強いんじゃないかな…」


青年になった満男は寅の本質のすぐ近くまで迫っている。


しかし、人は花ではない。

花はそっとしてもらったほうがその生をまっとう出来るが、
人は時として奪い取ってもらった方が幸せな時があるのだ。

寅はその人の幸せを考えて愚かな自分じゃ役不足だと立ち去るが、
残された女性はそれで幸せかどうかは分からないのである。
寅の奥深い底なしの優しさの中に隠された強烈なエゴには
満男はまだ気づいていない。

第48作の、寅の全てを言い切ったリリーの決定的な最後の啖呵まで、
まだもう少しの歳月がある…。


帰りの山陰線の汽車の中で満男は黄色いハンカチを持った
泉ちゃんの手を握る。そして泉ちゃんも手を添える。
このシーンは満男が寅の影響を乗り越え、寅とは違う人生を歩み始めた
記念すべき第一歩の瞬間なのだ。

満男、それでいいんだ。人は人と共に歩んでこそ人なのだから。



       




明日はそのリリーの決定的な啖呵を書きましょう。




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92



                      
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寅をかばうおいちゃんとおばちゃん   2月13日「寅次郎な日々」その92



昨日は、寅の扱われ方が、とらやの中と外ではかなり違うと書いたが、
それでもおいちゃんもおばちゃんも心の底では寅を信じている。

自分では寅の事を情けないって言っているが、いざ、他人が寅をバカに
すると血相を変えて怒ったりもする。

寒河江から来た順子ちゃんにも「こいつはバカだけど嘘はつかない男」だと
言い切るところが絆の深さなのだ。

寅のために見合いの話をみんなで四方八方捜してやったりもする。
これは、世間的、対外的な部分が入り、恥をかくのだが、それでもおいちゃんたちは
寅をかばうのである。なんだかんだといってもあんな年になっても寅がかわいいのだ。



そんな、一面が端的に出たエピソードが、昨日と同じ第31作「旅と女と寅次郎」
での、葛飾電気でおこる『東芝ウォーキー万引き騒動』である。

寅は、京はるみさんの音楽を聴きたい一心で、駅前の葛飾電気に入り、
勝手にカセットテープごと機械を持っていちゃうのである。

葛飾電気の店員がいくら道まで追いかけていって止めても、イヤホンをしているので、
文字通り、聞く耳持たず、結局とらやに支払い催促の電話がかかってくる。

その時、おばちゃんも、おいちゃんも、大いに葛飾電気に憤慨し、くって掛かるのである。



おばちゃん「え?寅ちゃんがお店の品物を…黙って持ってった?あのね!うちの寅はね、
       そりゃいいかげんな男ですけどね、人の道にはずれるようなことだけはしませんよ!」

おいちゃん「なんだってんだい?」

おばちゃん「葛飾電気からだけどさ、寅ちゃんが店の品物を盗んだっていうんだよ!」

おいちゃん「このやろう!オヤジ出せオヤジ、オレが言ってやる」

おばちゃん「もしもし、オヤジさんいるかい!じゃあ呼びな!」

おいちゃん「もしもし、あ、オレだ、寅がどうしたってんだ!え!なんか証拠でもあるのか!?」




            




結局、あとで事情が分かってさくらが飛んでいって、お金を払って、おいちゃんもおばちゃんも
啖呵を切ったてまえ大恥をかいたのであった。

もちろん寅は放心状態で歌を聴いていたので、自分が品物を持っていちゃった事すら分かっていない常態。



             



せっかくおいちゃんやおばちゃんたちが啖呵切ってかばったのに…とほほである。

そのあと、我に帰り、大いに反省。おいちゃんに謝る寅だった。

おいちゃん「済んだことはいいんだ。どうしたんだ、いったい?」
とゆったり、優しく事情を聞こうとする。

さすがだねえおいちゃん。大恥をかいたのに寅を責めない。懐が深いよ。
こういうところがいいんだな、この作品は。



また明日


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寅への扱い その内と外の温度差   2月12日「寅次郎な日々」その91



寅は、とらやの人々から大事に思われ、いつも気を使ってもらっている。
だから、いつ帰ってもおいちゃんやおばちゃんに温かく迎えられるのである。

しかし、それは、あくまでもとらやの敷地の中のことであって、
一歩外へ出ると、社会の厳しさが待ち構えているので、寅が甘える隙はないのだ。
それでも寅はそういう区別が分からない人間。
それで時々とらやの人々の顰蹙を買うはめになる。

代表的なところでは、さくらの見合い騒動。あれが寅の置かれている現実である。
さくらの勤めるオリエンタル電気に寅が来た時も、さくらは世間体を気にしてか
なんとなく歓迎していなかった。
このように、とらやの人々は、外では寅に対してなかなかシビアな対応を取らざるを
得ないのである。社会の規範というのは案外狭くて硬直したものだからだ。

そのことで特に印象深いのは、第31作「旅と女と寅次郎」で、満男の運動会に
寅が応援に行こうとした時の、さくらや博の複雑な顔、そして今にも泣きそうな満男。
最後はっきりと迷惑だと言ってしまうおいちゃん。あの時ほど、とらやの面々が
社会の中で、寅をどう扱うかがはっきり分かった事件はない。
実際にあんな寅のような伯父さんが運動会に来たら、満男もさくらもたまったもんじゃ
ないだろう…。それは百も承知で、それでもあれは私には哀しかった。
そして、ついに自分でもどうしていいか分からなくなり、泣いてしまう満男。

寅も最後は「もうやめたよ!運動会行くのやめりゃ文句ないんだろ!
フン!こんなみっともない伯父さんが行ったんじゃ満男が可哀相だから!」


         



翌朝は雨、運動会は中止。

でも、その前に、寅は置手紙を満男に残して旅に出て行く。

満男君へ 『 必ず一等賞をとれよ。 寅おじさん 』

そして一緒に500円札が入っていた。

それを、満男から渡されたさくらの目が見る見る潤んでいく…。



         


そういえば、それからずっと後、第47作「拝啓車寅次郎様」の時にも、寅は
満男の会社に挨拶に行くと言って、「迷惑だからやめろ」と言うおいちゃんと
大喧嘩して出て行ったと、さくらが満男に電話で話していたが、寅って人間は
とらやの中ではともかくも、外では隠さなくてはならない存在だと思うとちょっと
やりきれない思いがする。

寅は満男の会社に挨拶に行っても、格好があんなだから、一見みんなギョっと
して、大いに戸惑うだろうが、すぐに会社の人気者になって、すまけいさん扮する
専務さんあたりと意気投合するとは思うんだが、おいちゃんたちにとっては、
そんな危ない橋を大事な満男の会社で渡らせるわけにはいかないのであろう。

社会とはそういうものである。見た目やちょっとした雰囲気で判断される事は多い。

寅のような、見た目はやんちゃだが、実は無害な人間を受け入れる事のできない
この現代社会とはいったいなんなんだろう。

私にとってもそれはある意味生きづらい社会なのだ。


また明日



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90



                          
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すみれの啖呵   2月11日「寅次郎な日々」その90



死んだ仲間のシッピンの常こと水島常吉の一人娘であるすみれ。
彼女は人生をやり直すために、奥尻から柴又の定時制高校に通おうとする。
そして寅と一緒に上京してくる。これが第26作「寅次郎かもめ歌」である。

そんな時、柴又参道の青山巡査は寅を、指名手配中の誘拐犯人と間違ってしまう。
それを体を張ってかばうすみれの啖呵は、胸にくるものがあった。


マドンナの啖呵といえば、リリー。数々の名場面がある。
「相合い傘」でのメロン騒動のリリーの啖呵は映画史上に残る名啖呵だった。
「紅の花」でも満男のことで、寅に対して啖呵を切る。この啖呵もリリーの
長年の寅への想いが感じられる胸にしみ入る啖呵だった。


そして、もうひとつ、忘れがたいマドンナの啖呵が、この時のすみれの啖呵である。


ただただ『気持ち』で動いてくれた寅に対して、心一杯の気持ちで答えるすみれ。
渡世を生きた父親の血が、こんなところに残っているのかもしれない。



           



すみれ
「やめてえ!!この人がなにしたって言うんだよ!なんてこと言うの…。
    寅さんはいい人だよ。父ちゃんの友達で、私が東京に来たいって
    行ったら、心配して一緒について来てくれたんだわ。
    そんな人警察に連れて行くなんて、バカだよー!!
    何年警官やってんだ!!出世なんかできるもんか!!おまえなんか!!
    悪いと思うなら、謝ったらどうなの。こんないい人のこと、あんまりだ」



          



小さい頃から極道者の父親との葛藤の中で生きてきた哀しい修羅場を知っている
すみれの渾身の力を込めたキツーイ啖呵だった。

定時制高校合格のために博もさくらもタコ社長もそれはもう一生懸命。
おばちゃんは帝釈さまにお百度参りをしてくれる。

これはなかなかできないよ〜。




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89



                          
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再会の日の大空小百合ちゃん   2月10日「寅次郎な日々」その89



第37作「幸福の青い鳥」で、寅は昔、ひいきにした坂東鶴八郎(第37作では中村菊之丞)一座
の花形、大空小百合ちゃんに9年ぶりに筑豊の寂れた町で再会する。

「失礼だけど座長さんの娘さんかい?」

小百合「はい…」

寅「ということは、もしかして、大空小百合って芸名で、可愛い声で歌歌ってたんじゃねえか?」

小百合「そうですけど…」

寅「それじゃあ、オレのこと覚えてねえかなあ…、
おまえのおとっさんとよくねえ酒なんか飲んだりしたことあるんだよ…」

小百合「寅さん…」

寅「うん、よく思い出したなあおまえ、そうよ、その寅さんよ」



                  
寅さん…
            




これが「幸福の青い鳥」での運命の再会シーンなのであるが、
やはりここは第8作、第18作、第20作あたりの思い出をもう少し大事に
してほしかった。観客は結構覚えているものである。もちろん人物設定や
キャラを少し変えて今の物語に合うようにしてあるのだろうが、大空小百合という
芸名と昔の雨の日のエピソードがそのままなので、やはり観客にとっては、
あの大空小百合ちゃんなのである。



だから、大空小百合ちゃんはは寅のことを「寅さん」なんて絶対に言わない。
車先生」である。言葉ももっと丁寧である。それは役者をやめた今も同じのはず。

第8作当時、おそらく17、8歳くらいだった。当時もう子供ではない。第8作で2度、
第18作で1度、第20作で1度、しっかり会って、芝居を見物し、長い時間共に話をしている。
第20作で、最後に寅に出会ってから9年の歳月が流れたことになるが、
その程度で何度も縁があった寅のことを忘れるわけがない。大空小百合ちゃんは
車の荷台の上からでも、すぐ寅だと気づく記憶力とカンのいい娘さんなのである。
だいたい9年くらいで、寅は変わっていない。

山田監督にしてみれば、さほど細かい事まで観客は覚えていないだろうと、
気楽な気持ちで小百合ちゃんを使い、ちょっとアレンジして再会場面を設定されたのかも
しれないが、私たち大空小百合ちゃんファンからしてみれば、ここは、こだわりたいのである。




だから、この「幸福の青い鳥」の再会の場面は、私なら独断と偏見で
こう演出したいところだ。


寅「失礼だけど座長さんの娘さんかい?」

小百合「はい…」

寅「ということは、もしかして…」

小百合、はっと気づいて、

小百合「…先生!車先生!」

寅「うん!大空小百合ちゃんだね…。よく覚えていてくれたな」

小百合「お懐かしいです、先生!」

寅「もうその先生ってのは、やめてくんな、寅さんでいいよ」

小百合「はい、寅…先生」

寅「ハハハ、寅さんだよ」

小百合「はい、寅…さん」

寅「そうよ!」

小百合「はい!」



これなら、観客は懐かしいあの日々を思い出すことが出来るのである。

大空小百合ちゃんとの一期一会の日々は、このシリーズの中で大事にしたい
どこまでも懐かしい思い出である。これは多くの人の偽らざる気持ちであろう。


        
          





また明日

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ミニコントの津嘉山正種さん そのA   2月9日「寅次郎な日々」その88



寅さん映画といえばまず、出だしに、夢、そして歌の間にナンセンスコント、
と言うパターンが結構続いた期間があった。その歌の最中のコントでしょっちゅう見る顔が
ある。そう、あのちょび髭をはやしたあの狐目の役者さん津嘉山正種さんである。



昨日はそのミニコントの全貌を紹介した。

後編の今日は、本編の物語の中でも重要な役で活躍されていた津嘉山さんを紹介していきたい。

まず、彼の存在を大きくアピールしたのは、やはり第29作「寅次郎あじさいの恋」だろう。
加納作次郎の弟子の蒲原さんの役。かがりさんの恋人だったが、違う金持ちの娘と結婚することに…。
まあ、要するにかがりさんじゃ、将来の展望の中で経済的援助の要素は望めないと判断したってこと。
シビアやの〜。絵描きも陶芸家もこういうことはしがち。作家活動を支えていくパトロンの存在というのは
意外に軽視できないのだ。
イメージ的にはあまりいい役ではないが、世の中のある一面を私たちに見せてくれたともいえる。
あの美しいかがりさんを振ってしまった役として彼は永遠にファンたちに語り継がれていくだろう(^^;)



             




今度はその反対に、第43作「寅次郎の告白」ではあの、妖艶な泉ちゃんのママの恋人というか、
愛人と言うか…、そういう役どころで出演。泉ちゃんに思いっきり押されてこかされていた(^^;)
この人の役はカッコいいんだけれど、どこかしら微妙にコミカル。ここが最高。
ちょっと笑わせてくれるのだ。そこがたまりません(^^)


        


それ以外でも、第34作「寅次郎真実一路」ではスタンダード証券の
猛烈証券マンをキビキビと演じ、寅が差し出したバナナをムシャムシャと
食いまくりながら部下を叱咤していたのが印象的だった。これは面白かった。




しかし、私がこのシリーズの中で
最も好きな津嘉山さんは他にある。

第25作「寅次郎ハイビスカスの花」でのリリーが入院した那覇の「たがみ病院」の
内科の知念先生役だ。
津嘉山さん自身も沖縄の出身なのでたぶん愛着のある役だったと思う。

ほとんどセリフの無い役だが、リリーが、日に日に
良くなっていくのを見守ってくれている頼もしい先生である。

やっぱり、寅とちょっとコミカルな掛け合いもあり
寅の看病とあの知念先生の笑顔がリリーを元気にしているんだなあって
こちらにも伝わってくるのだった。

もっとも寅が来るまでは、リリーは捨て鉢気味で、先生の言うことを
全然聞かなかったそうだが(^^;)


知念先生が寅たちに言った言葉

この病気は生きようとする気持ちが大切なんだ

寅伝いに知念先生のこの言葉を聞いた時に、私は胸が熱くなった。

リリーはいい先生にめぐり逢えたものだ。




        
         ハイ 口開けて  
        



また明日



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ミニコントの津嘉山正種さん そのA   2月8日「寅次郎な日々」その87



寅さん映画といえばまず出だしに、夢、そして歌の間にナンセンスコント、
と言うパターンが結構続いた期間があった。その歌の最中のコントでしょっちゅう見る顔が
ある。そう、あのちょび髭をはやしたあの狐目の役者さんである。



あの方ですあの方。お名前は津嘉山正種さん。

中期の「男はつらいよ」で、なくてはならない大事な人。

津嘉山さんは、近年でも「踊る大走査線」に出演されたり、外国映画の吹き替えの声優さんとしても
活躍されている。


で、私にとっては津嘉山さんと言えばあの江戸川土手でのミニコントの人。
第19作から始まって、20作、21作、22作、24作、26作、27作、
と20作台の作品のオープニングを支えた方だ。


役柄もミニコントだから、なんでもやる。



★第19作「寅次郎と殿様」ではモデルを相手に江戸川土手で写真を撮りまくる
  
カメラマン役。寅に大事な撮影済みフィルムを台無しにされていた。

★第20作「寅次郎頑張れ!」では江戸川土手で
サックスを演奏する人。
 寅にミカンを入れられて、吹いても音が出ない…。



                    



★第21作「寅次郎わが道を行く」では
カップルの男のほうで、江戸川土手で寅にインスタントカメラで
 撮ってくれと頼んでいた。もちろん寅の事だから、周りを巻き込んで大乱闘。

★第22作「噂の寅次郎」では江戸川の
給水塔を油絵具で描いていた人。寅が押されてひっくり返って
 押し返してたら、顔に絵の具がついて滅茶苦茶な騒ぎに…。


                    



★第24作「寅次郎春の夢」では
女子陸上部のコーチ役。同僚の男がトレーニングパンツではなく、
 下着のパンツをはいてきたので、大騒ぎ。

★第26作「寅次郎かもめ歌」では
有名なボクサー役で、江戸川土手でみんなにサインせがまれていて
 そこへ寅が絡んで大騒ぎ。

★第27作「浪花の恋の寅次郎」では江戸川土手を3人連れの
サイクリング。三角関係がバレてしまって、
 大喧嘩。

と、まあいろんなギャグを体当たりで見せてくれた。

しかし、実は津嘉山さんは、このミニコントにとどまらず、本編の物語の方でも重要な役を結構もらっているのだ。
なんせ声がとってもカッコいいのでやはりセリフがあったほうがダントツ映える役者さんなのだ。

そのことはまた明日書きましょう。


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とうもろこし君の笑顔     2月7日「寅次郎な日々」その86




第44作「寅次郎の告白」でポンシュウの舎弟を演じたモジャモジャ頭の
サブ青年の演技が大好きだ。彼の笑い顔に勝てる笑顔を持っている
役者さんはめったにいない。あのあたりの作品は、渥美さんが苦しそうなので
見ていてつらくなるが、寅の近くに彼がいたお陰で、活気があった。
寅に、おまえ高校出たんだろうって言われて、ハガキの代筆を頼まれるが、
「拝啓」も「彼岸」も書けないのでダメだしされていた。彼の雰囲気からして
学校で、おとなしくちんたらちんたら勉強なんかしてないって(^^;)


ラストで、きちんと更生して、ダンボール工場で働き、婚約者も連れて来ていた。
「ダンボールに嫁さんかァ!」よかったと寅やポンシュウに言われ、満面の笑顔で
答えるサブ。人はどのような笑い顔をするかでそのキャラクターが分かる。彼の底抜け
の笑顔はこのシリーズの心を表していた。彼のような役者は、いそうでいない。


        


彼の名前は、渡部夏樹さんと言って、劇団フルーズキャッスの中心メンバー、
ロックバンドも結成しているパワフルな青年。


渡部さんは、第48作「紅の花」でも津山の結婚式に出席する新郎側の親戚役で
出演していた。



実は、渡部さんと言えば、私にはもうひとつ思い出す印象深い役がある。

山田監督の「息子」の中で、鉄工所で働く「とうもろこし」と上司から呼ばれる
あの青年だ。この時も、彼の人に対する眼差しや優しさがそこはかとなく出ていて、
地味な役ながらこの作品を柔らかな活気のあるものに変化させていた。登場場面は
少ないながらもこの物語を支えていた重要な一人だったと思う。

いかりや長介さん、梅津栄さんとともに鉄を運びながら「働く姿」を私たちに
見せてくれた。しっかり汗を流して働いて、一風呂浴びて、給料日の夜にみんなで
飲み屋で飲む生ビールのうまさ。唐辛子たっぷりの鼻血ブーの『もつ煮込み』のうまさ。
そして、とうもろこし君の笑顔といかりやさんのこの一言。

「あ〜〜!ビールは最初の一口がうめえなあ〜!」

もうそれだけであの映画を観る価値はあるというもんだ。




             






また明日〜


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団子を食べない寅     2月6日「寅次郎な日々」その85



寅は団子屋とらやの一応跡取りだが団子がどちらかというと嫌いだ。
アンコの匂いは吐きそうになるらしいし、
串を見ると目に刺さりそうでいやだとか言っている。
おいちゃんに、とらやの団子は鼻くそ団子とか、ひどいことも言っている。


そして、そう言う意味でも、食べるシーンはシリーズ中一度も無い。
第10作で参道で源ちゃんと一緒に団子の串を持っていたが、
食べたかどうかはわからない。

そんな寅でも満男の邪魔さえなかったら団子を食べてたシーンがある。
第36作「柴又より愛をこめて」の茶の間シーンだ。

満男が美しい音楽の先生の話と二十四の瞳の話をしてしまったばかりに、
あと1センチで食べるところだったのに、皿に戻してしまった寅だった。
だから、まあ一応は食べてもいいかと、思うくらいには嫌いじゃないということ(^^;)


寅が団子を作る珍しいシーンもある。
第9作柴又慕情で、みんなの留守中に歌子ちゃんがやって来て、寅は緊張の
あまり、よく分からないことを口走りながら不恰好な団子を作ってしまう。
さすがに歌子ちゃんは食べなかったと…思う。



        



一方、さくらは、早くも第1作で、博が団子買いに来る直前にパクパクムシャムシャ団子を
食べている。第1作目にして
江戸時代から続くとらやの娘のノルマ達成!



        


しかし、おいちゃんとおばちゃんもなかなか食わないなあ〜。飽き飽きしてるのは
涙が出るくらいわかるが…(^^;)



第18作「純情詩集」の綾さんはこのとらやの団子が大好きだった…。
でも、それ以上に好きだったのはおばちゃんの作ったおイモの煮っ転がし。

やっぱり一番おいしいものは金では買えないものなんだよね綾さん…。
寅とさくらで作った芋の煮っ転がしを綾さんに一口でもいいからもう一度
食べさせてやりたかった。



また明日


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築地文夫さんの味      2月5日「寅次郎な日々」その84



『幸子ちゃんのおじさんは一体誰なんだろう?』

第20作「寅次郎頑張れ!」を最初に見た時の感想が実はこれだった。

幸子ちゃんの初々しい輝き。
寅の『憧れのハワイ航路』
そして幸子ちゃんのおじさんのキャラ。

この3つが私にとってのこの作品の魅力。
あの朴訥さ、あの東北弁、あの照れた顔、
ワット君も吹っ飛ばされる怪力(^^)
そしてなぜか声が良く響き、歌が異常に上手い!
シューベルトの『菩提樹』をろうろうと歌う。


築地さんの独特の雰囲気は絶対、プロの役者さんでは
出せないリアリティ。

実は、なんと彼は昔芸大を卒業し、
洗足学園音楽大学名誉教授も務める
プロの声楽家である。それがご縁があって山田組と仲良くなり
幸子ちゃんのおじさん役をお願いしたのだ。
ど〜おりで歌が上手いはずだ。ど〜おりで演技の『気』が他の人と
違うはずだ。






            
    この笑顔がたまりません
        



でも役者さんじゃないから、これ1回特別出演しただけで終わりなんだな、と
思っていたら、なんと第35作「寅次郎恋愛塾」でも出演されているではないか!
やっぱり第20作と同じ秋田県人。民夫のお父さん役だ。ここでも寅を民夫の先生と
間違えたりいい味を出していた。この作品では歌は歌ってくれなかった。残念…。
歌はもちろん上手だが、時々役者としてもちょっと出て欲しいなあ…。



           
「これにて一見落着?」
        







また明日


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夢の中のマドンナ      2月5日「寅次郎な日々」その84




寅は結構、冒頭で夢を見る。さくらや博は必ずと言っていいほど出るが、
普通はその中にマドンナは出てこない。

それでも、山田監督の気まぐれでごく稀に夢に特別出演するマドンナもいる。
第27作「浪花の恋の寅次郎」でのふみさん扮する乙姫様。第28作「紙風船」の
光江さん扮する医者の元恋人役。第33作「夜霧にむせぶ」の風子扮する、
寅を裏切った恋人マリー、などなどである。マドンナが夢の最初に出てきてしまっては
新鮮味がないと、言えなくもないが、最初から夢の中でもマドンナを出して景気付け
をするって言うのも悪くはない。

それ以外でも第30作では三郎青年が夢の中で早くも登場したり、さきほどの第33作では風子
と一緒にオートバイ乗りのトニーまでも夢に出てくる。第28作でも同じく岸本加世子
さんが看護婦役で出ていた。



            




さて、今日の隠れ本題だが(^^;)
下の画像は、その第28作「紙風船」での夢の冒頭のあるテレビ料理番組
でとんかつを揚げているシーンであるが、この司会の女の人は、以前このシリーズの
別の作品に2度も、ある人物役(同じ役)で出てきた人だ。
もちろんマドンナではない(^^;)

一度目の出演時にはそうとうたくさんのセリフを貰って活躍していたが、二度目は同じ役なのに
セリフ無し(TT)そして遂に三度目の出演では別人役で、このように寅の夢の中で料理番組の
司会者役として、ペラペラ口から生まれたような早口の技を披露していた(^^;)

実際この方はラジオのディスクジョッキーでもその昔活躍されていたようだと聞いた記憶があるのだが…。
ディスクジョッキーでのあだ名はモコさん。


           


この方が誰か分かる人がいたらこのシリーズのちょっとした通だ。
でもまあ、全作品きちんと見てると結構分かる人多いとは思うのであえて誰か言わないでおこう。
しかしさすがに彼女個人の俳優名まで知ってる人は、これは正真正銘の通。

寅の夢の中にはまだまだ他にも宝が眠っているのだが、それはまた後日。



また明日〜。


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ウィーンの森の関敬六さん      2月3日「寅次郎な日々」その82



この長いシリーズでは、いろんな方々が友情出演されていることでも有名。
ハマちゃんこと西田敏行さんがチョイ役、ノンクレジットで出ていたり
花子ちゃんこと榊原るみさんが、岡田嘉子さんに対する友情出演でこれまたノンクレジットで
出ていたりしている。上條恒彦さんもノンクレジットで出られたときもあった。



          




今から1年程前に友人の
Kさんから聞かされた話によると、第41作の
ウィーンロケに渥美さんの仲間である関敬六さんもプライベートで同行したそうだ。
それでウィ―ンロケにもきちんと後姿とは言え、飛び入りで映っていて、おまけにセリフまである。


こういう隠されたゲストを探すのは実に面白く、ワクワクする。
あえて関さんの画像を貼り付けませんので、お暇な方はウィ―ンロケのどこで
出てくるか見つけてみてください。結構すぐ見つかりますよ。

古くからの仲間であり、明るく気さくでなんでも開けっぴろげで話し合える関さんはこのシリーズで
晩年の渥美さんといつも一緒に出演されていて、体調が悪かった渥美さんも、ロケ先での関さんの
存在がほんとありがたかったのだろうなってしみじみ思う。








また明日




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さくらのお母さん      2月2日「寅次郎な日々」その81





私は以前からずっと、さくらのお母さんのことを考えている。
意外に、このことは、このシリーズを考察していく上で大事なのだ。
なぜならば、寅やさくらの幼少期の人格形成に大きな影響を及ぼした人物だからだ。

寅を育てたのはお菊さんではもちろんなく、そして意外におばちゃんでもなく、
さくらのお母さんだったからだ。

おいちゃんやおばちゃんは第1作をはじめ、何作かの作品で寅やさくらの
父親である車平造のエピソードはよく話題に出したが、さくらのお母さんのエピソードは
ほとんど一度も話題に出てこない。

写真は第1作に僅かに出てくるものの、なんと名前すら分からない(^^;)




              





しかし、それでもさくらのお母さんの性格を垣間見ることが出来るシーンが2ヶ所ある。


ひとつは第39作「寅次郎物語」で、寅の夢の中にお母さんが出てくるのである。
例の如く父親に折檻される寅を、身を挺して止めに入り、寅をかばうのである。
ただ、ここでは障子越しのシルエットではある。

「オレを育ててくれた優しいおふくろ」とその夢の中でもそう言って回想している。




          




もう一つは第47作「拝啓車寅次郎様」で、寅が茶の間で鉛筆を満男に売るために
自分の幼少期の母親の思い出を話す場面がある。

鉛筆を売るためのその場限りの作り話とは思えない、しみじみとした情感溢れる語りだったので、
私は、あれはほんとうにあった、さくらのお母さんとの思い出なのではないだろうか…、と思っている。



おばちゃん、オレはこの鉛筆のことを見るとおふくろのことを思い出して
しょうがないんだ。不器用だったからねオレは。鉛筆も満足に削れなかった。

夜おふくろが削ってくれたんだ。ちょうどこのへんに火鉢があってな、
その前にきちんとおふくろが坐ってさ。白い手で肥後守を持ってスイスイスイスイ
削ってくれるんだ。その削りカスが火鉢の中に入ってプーンといい香りがしてな…。

綺麗に削ってくれたその鉛筆でオレは落書きばっかりして勉強一つもしなかったもんね。
でも、これくらい短くなるとな、そのぶんだけ頭が良くなった気がしたもんだった…




寅はさくらのお母さんに、わけ隔てなく、愛情深く育てられたのではないか、と近頃は
そう思うようになった。

寅のあの優しさは、おいちゃんでもおばちゃんでもなく、さくらのお母さんからの影響が大きいような気がする。





また明日



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終の棲家      2月1日「寅次郎な日々」その80





「男をつらいよ」を、見ていると、実に味わい深い家がたくさん出てくる。
博の父親がいた備中高梁の家、泉ちゃんが佐賀で住んでいた旧家
どれも雰囲気が抜群だ。

しかし、私だったらああいう大きめのお屋敷はちょっと苦手。
私には終の棲家はたった一部屋が理想。


その昔、鴨長明が『方丈記』の中でこう言っている。(これが私の理想だ)

『その家の有様、よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈、
高さは七尺がうちなり。所を思い定めざるがゆゑに、地を占め
て、造らず。土居を組み、うちおほいを葺きて、継ぎ目ごとに、
かけがねを掛けたり。もし、心にかなはぬ事あらば、やすく
他へ移さんがためなり。その、改め造る事、いくばくの煩いかある。』

『広さは僅か、3×3の9u。高さは2mちょっと。どこかに住みたいと思い定めて
住むわけではないから、土地を買ってそこに建てることもしなかった。家屋も土台を組み、
簡単な屋根を葺き、柱などの継ぎ目はかけがねでつないだだけだ。
もし、そこでいやなことがあったら簡単に別の土地へそのまま移せるように造った。
その時の費用はそれほどかからないのである。』


ただ、私は長明さんみたいに一丈(3×3)の狭い部屋に住むほどの気持ちの軽さはまだない。

そしてそんなことを夢見る私が、ああ…こんなところで晩年をおくれれば嬉しいな…、
と思える家が第25作「寅次郎ハイビスカスの花」で出てくる。

寅とリリーが甘い蜜月を送ったあの沖縄の家である。

私は2年前に八重山の竹富島に長期滞在して、まとまった絵画制作をしたことがあったが
その時の家も、ちょうど、リリーたちの家のような、琉球瓦のクラッシックで極めてシンプルな
家だった。お母さんやお子さんたちが住んでいる母屋もいいが、特にリリーが借りている離れが好きだ。
あんなこじんまりした、なにもない離れで、ただ絵だけを描いてゆったり暮らしていきたいと切に願っている。

やっぱり夢かなあ…

あ、奄美のリリーの家もいいな…。


             





大船のセットでもリリーが住む離れは実に愛情を込めて再現してあった。
ちょっと枯れた感じがよく出ていた。


             





また明日






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