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お気楽コラム


寅次郎な日々

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2006年2月分
その80〜107


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生涯ただ一人の師(2006,2,28)

とらやの面々の涙(2006,2,27)

蘇るテーマ曲、『予告編』賛歌(2006,2,26)

寿子さんのこと(2006,2,25

『ぼくの伯父さん』の中の、ある予感(2006,2,24

秋深き最上川を渡る寅(2006,2,23

お母さんが歌う沖縄の唄(2006,2,22)

風の丘に立つ真知子先生(2006,2,21)

さくらの修羅場(2006,2,20)

光枝さんの言葉の重み(2006,2,19)

夕子さんとお千代さんが語る寅(2006,2,18)

御前様が語る寅(2006,2,17)

寅の理想の食事(2006、2、16)

リリーの最後の啖呵(2006、2、15)

満男が語る寅の本質(2006,2,14)

寅をかばうおいちゃんとおばちゃん(2006,2,13)

寅への扱い その内と外の温度差(2006,2,12)

すみれの啖呵(2006,2,11)

再会の日の大空小百合ちゃん(2006,2,10)

ミニコントの津嘉山正種さん そのA(2006,2,9)

ミニコントの津嘉山正種さんその@(2006,2,8

とうもろこし君の笑顔(2006,2,7)

団子を食べない寅(2006,2,6)

築地文夫さんの味(2006、2、5)

夢の中のマドンナ(2006、2、4)

ウィーンの森の関敬六さん(2006、2、3)

さくらのお母さん(2006,2,2)

終の棲家(2006,2,1)



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107



                          
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生涯ただ一人の師    2月28日「寅次郎な日々」その107



昨日はとらやの面々の涙を書いたが、
寅も感受性が強い男なので、まあよく泣く。
特に初期、中期の作品群ではしょっちゅう泣いている。
寅はさくら同様、心が潤いに満ちているのである。

第1作で、さくらの披露宴での涙は印象的だった。ラストでラーメン食べながら
号泣するシーンなども、見るたびにあの頃は寅もほんとうにやんちゃで、多感だったなあと
感慨を深くするのだ。あの頃の寅は青年期の一番最後だったのかもしれない。

第2作「続男はつらいよ」でも母親の菊さんと衝撃の再会をし、打ちのめされて号泣する。
あの時の寅は可哀想だった。あんな可哀想な寅はこのシリーズであのシーンしかない。

寅がどん底に落ち込んだ時、散歩先生が傍にいてくれ、そして泣いてくれるのだ。
ほんとうに散歩先生は寅の恩師だ。あれこそが『師』というものだとつくづく思う。

あんないい先生と生涯で出会えて、それだけでも寅はほんとうに幸せものだ。


さくらや身内はともかく、赤の他人で、誰も寅みたいな奴と一緒に泣いてくれはしない。

寅は、いつもマドンナを初め、旅で出会った人々を笑わせたり、励ましたり、助けたりしているが、
誰も、人生を通して業のように存在する寅の淋しさや辛さの荷物を少し持ってやろうなんて思っていない。
ある意味、たいていのマドンナたちは悲しいくらい自分のことで精一杯。寅に優しさを貰ってばかり。


だからこそ、逆に寅に深い愛情を注いでくれた散歩先生は素晴らしいし、寅の悲しみに立ち会った夏子さんは
素晴らしい。寅の悲しみを共感し、分かち合えるというのは、ひとつの能力であり、才能だと思う。




散歩先生「寅、これは大事なことだからよーく聞け。」
      老病死別といってな、人間には四つの悲しみがある。
      その中で最も悲しいのは死だ。
      おまえのおふくろもいつかは死ぬ。」
      その時になってからじゃ遅いんだぞ!その時になって
      『あ〜、一度でもいい、産みのお袋の顔を見ておけばよかった、と
      後悔しても、取り返しがつかないんだぞ!そうだろ!寅!」

寅「…」

散歩先生「さ、会いに行け。生きてるうちに。今すぐだぞ」




しかし、結局寅はお菊さんと会い、とんでもない修羅場を経験してしまう。
心がズタズタに切り裂かれてしまったのだ。



散歩先生「あーあー、俺が悪かった。俺が無理にすすめなければこんな悲しい目に
      会わなかった。泣け!泣け!泣け!こころから泣け!」


バン!とお膳を叩いて泣きながら

散歩先生「実にこの世は悲しいなあ…」

寅「そうだよ、ウウウ…、だったら先生だって泣いてくれよ!」


散歩先生「よし!泣こう。寅、お前と一緒に二人で泣こう、な、寅!」




            






その後、江戸川土手で


夏子「あたし寅さんのお母さんのことひどい人だって言ったら、
  急に怒り出して『子供が可愛くない親がどこにいる、
  子供を捨てるにはそれだけの辛い事情があったはずだ。
  他人のおまえが生意気な口をはさむんじゃない』って…」




夏子「父もね、お母さんの顔知らないのよ…、」





散歩先生が寅の気持ちをよく分かって親身になってくれた背景には、心の根っこの部分に
母親と縁が無かった同じ寂しさ、悲しさを共有していたからかもしれない。





そして、ラストで、失われた時間を取り戻すように寄り添い三条大橋を歩く寅と菊さん。




              






あの二人の後姿を見るたびに
亡くなってしまった散歩先生があの二人の姿をみたらどんなにか喜んだだろうと、
寅たちを見つめる夏子さんと同じ気持ちになって、あの映画史上に残る
美しいラストシーンを今日もうるうる見ていた。




また明日






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106



                          
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とらやの面々の涙    2月27日「寅次郎な日々」その106




さくらは、このシリーズの中で実によく泣く。一作品に一度かもしくは二度はもう泣いている。
彼女以上に感受性の豊かな人を見たことがない。


悲しくて泣く時もあれば、嬉しくて泣く時、切なくて泣く時もある。


印象深いところでは、第6作「純情篇」のラスト柴又駅の別れがある。私はあの別れを
勝手に「赤いマフラーの別れ」と一人で呼んで特別視している。
あの時のさくらの涙は切なかった…。




                




そして

第15作「寅次郎相合い傘」での、雨の激しく降るとらやの2階でのさくらの涙。

リリーを追いかけていかない寅。

寅はさくらに自分たちがしょせん渡り鳥だということを語り、「そういうことだろう、さくら」
と、さくらに同意を求める。

さくらは涙を流しながら


「そうかしら…」


あの涙も切なく悲しかった。





                







おばちゃんも実によく泣く。

おばちゃんの第28作「寅次郎紙風船」に代表されるチャルメラ泣きはもちろん面白いが、
しっとりと泣くおばちゃんもなかなかジーンとなる。

たとえば第15作「寅次郎相合い傘」では、あの寅のアリアのあと、しっとりと泣いて私たちの気持ちを
代弁してくれている。かと思えば、そのあとの『メロン騒動』でチャルメラ泣き。
んもう〜〜〜!!メロンなんか貰うんじゃなかったよ〜!うえええん、うえええええん




おいちゃんの涙の名場面と言えばなんと言っても第13作「寅次郎恋やつれ」での歌子ちゃんと
父親の和解でのあの涙だろう。顔をぐちゃぐちゃにして「
クフッズズズーゥッグファ…
と泣き、「つね!酒だ、酒の仕度だよ!」と叫ぶのだ。2代目おいちゃん松村達雄しかできない、
キップのいい気持ちの入った演技だった。




               





満男は、第31作「旅と女と寅次郎」の運動会騒動で泣いてしまってからは泣かないで頑張ってていたが、
第46作「寅次郎の縁談」の就職問題では、堰を切ったようにドーっと両親に食って掛かり号泣するのである。
あれはシビアな場面だった。
そういえば奄美のリリー宅でも泣きながら島バナナ食ってたっけ(^^;)



タコ社長もまあ結構泣く方だが、理由がいつも下らない(^^;)
それでも第17作「夕焼け小焼け」での青観の絵をビリビリに破りながら泣いていた姿には、さすがに
同情してしまった。第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」で、あけみの結婚の時の挨拶に泣く社長も印象深い。



そして、博。
博のなくシーンはどれも感動的だ。もちろん目に涙がたまる程度なんだが、彼は純粋な気質なので、
見る私たちものめり込んでしまうのである。
第1作、披露宴での父親との和解、第8作「寅次郎恋歌」で、母親が亡くなったあとの涙、
第9作「柴又慕情」で、家の新築騒動の時、寅を見つめながらの涙、第18作「寅次郎純情詩集」で、家庭訪問騒動の
怒りの涙、中期以降泣かなくなってしまうが、若い頃の博は結構涙腺がゆるい多感な青年だったのだ。





               





マドンナの涙…、もうこれは果てしなくキリがないのでまた後日にしましょう。






また明日





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105



                          
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蘇るテーマ曲、『予告編』賛歌    2月26日「寅次郎な日々」その105



「男はつらいよ」の楽しみのひとつに、中で使われている音楽の
魅力があると常々書いている。特に「マドンナのテーマ」はどれも
これも音楽性が豊かで、このシリーズに気品を与えている。
山本直純さんの面目躍如というところだ。

しかし、残念なのは一度使われたマドンナのテーマは他の作品では
滅多に使われないと言うことだ。せっかく名曲ぞろいなのに本当に
残念なのだ。ま、この作品群に限らず、映画音楽というのはこのような
運命に置かれている場合が圧倒的に多い。一部の有名な曲を除いては
せっかく一生懸命オリジナルを作ってもなかなか世の中に残っていかない。
ましてや、喜劇映画の中で使われている音楽となるともっと残すのが困難なのだ。

しかし、本編以外でもう一度聴ける機会が用意されている。

それが『予告編での音楽』である。

予告編は、当たり前だがクランクアップより早く作られる。
このシリーズのテーマ音楽は、ほぼ出来上がった物語を見て
山本直純さんが、後の方で作られるので、予告編には大抵間に合わない
のが常である。

そこで登場するのが、過去の作品たちの美しいテーマ曲だ。
今思いつくだけでも実にたくさんある。


たとえば大好きな、あのなんとも哀しい「リリーのテーマ」も、
第22作「噂の寅次郎」、29作「寅次郎あじさいの恋」、
33作「夜霧にむせぶ寅次郎」、47作「拝啓車寅次郎様」の予告編で
再度使われている。


スケールが大きく広がりがある第10作「寅次郎夢枕」の「千代のテーマ」は
第14作「寅次郎子守唄」、第16作「葛飾立志篇」
第24作「寅次郎春の夢」の予告編などで再度使われている。


しっとりとした冬を感じられる第14作「寅次郎子守唄」の「京子のテーマ」も
第18作「寅次郎純情詩集」第26作「寅次郎かもめ歌」の予告編などで

再度使われている。

第29作「寅次郎あじさいの恋」のあの悲しい「かがりのテーマ」も
第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」第36作「柴又より愛をこめて」
の予告編などで
再度使われている


第28作「寅次郎紙風船」
の予告編では第18作「寅次郎純情詩集」の
「綾のテーマ」が再度使われている。


それ以外で、私が嬉しかった採用曲としては同じ第28作「寅次郎紙風船」の予告編で、
秋月の光枝さんと寅が常三郎の話をするあの名場面に、第17作
「寅次郎夕焼け小焼け」の、「龍野のテーマ曲」!が流れるのだ。

秋月と龍野、しっとりと落ち着いた古い町にはあの美しい曲がよく似合う。
ほんとうにふたつとも思い出深い町であり思い出深い曲だった…。



           




あと、第32作「口笛を吹く寅次郎」の予告編で第13作「寅次郎恋やつれ」の
温泉津の絹代さんのテーマが再度使われているのも意外性があって楽しめる。


第35作「寅次郎恋愛塾」ではなんと第16作「葛飾立志篇」で出てきた
あの順子ちゃん(お雪さん)のテーマ!がしっとりともう一度使われていた。
この曲を聴くとあの雪の降る日のお雪さんの物語を思い出してなんだか心が潤うのである。





      







また明日



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104



                          
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寿子さんのこと    2月25日「寅次郎な日々」その104



昨日第42作「ぼくの伯父さん」の特異性について少し書いたが、
あの作品は、もうひとつ他の作品と違う所がある。

それは、寅が女性に惚れない、ということだ。
檀ふみさん扮する泉ちゃんの叔母さんの寿子さんがいるではないか、
と言われる方も多いだろうが、彼女に対して惚れはしないのである。
もちろん綺麗な人なので、寅は本能的に機嫌がすこぶる良くなるが、
第34作「寅次郎真実一路」の時のように、人妻に真剣に惚れはしないのである。
何よりも二人の間に物語が無い。第43作、第47作あたりもその傾向があるが、
この第42作は特になにも物語が形作られないのである。

おそらく山田監督に言わせれば、この作品は、あの満男が人生ではじめて
恋というものを深く経験する記念すべき作品なので、泉ちゃんに
焦点を合わせたのだ、と言われるのだろう。
実際この作品での泉ちゃんのオーラは、彼女の5作品の中でも最も大きく、
輝いていたと思われる。そう、この作品は満男と泉ちゃんがとても新鮮だった。

しかし、このシリーズは、私的にはやはり、『寅の恋の物語』である。
寅が真剣に女性に恋をしてこそ、「男はつらいよ」なのだ。

ましてや私は檀ふみさんのファンでもある(^^;)ゞ
なんとかちょっと深みに入り込んでほしかった。
もちろん彼女は独身!と言う設定に変えてだ。



               





それにしても第18作の檀ふみさんも溌剌として美しかったが、
この第42作の檀さんは、しっとりと落ち着いて、そして知的で、
一段と美しさが増していた。

ぜひもう一度出演してほしいとずっと願っていた私にとっては
嬉しい限りであったのだが、マドンナになりえていない、つまり
二人の物語が無いというのは実に残念だった。

あ〜、寅との落ち着いた大人の物語が見たかったァ。




               

            



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103



                          
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『ぼくの伯父さん』の中の、ある予感    2月24日「寅次郎な日々」その103




「男はつらいよ」のラスト作品である第48作「寅次郎紅の花」は
明らかにこの物語の終焉を意識した物語になっている。
この終焉の意識が懐かしさを醸し出してもいたし、一つの作品としては
完結できない弱さを露出することにもなっていた。

しかし、このシリーズは48作品でなく、一つの長い長い作品だと思えば
ああいう物語の運びがラストにあっても納得もできるのである。

それとは別に、もうひとつ、そのラスト近くにこのシリーズの終わりの予感を感じさせる
作品がそれ以前にすでにある。それが第42作「ぼくの伯父さん」のラスト付近である。

長距離電話で寅がとらやに電話しているのだが、さくら、満男、博、そしておいちゃん、
おばちゃん、工場の面々、タコ社長、源ちゃんなどが次々と寅に向かって短い会話、
もしくは「帰って来いよ」なんていうふうな呼びかけをするのである。
あのシーンがほのぼのとしてよかったと感じる人もいるだろうが
私は、逆になんだか妙にあのシーンが生ぬるく、そしてそれ以上に怖かった。
なぜあそこまでやってしまうのか。

まるで、これで、このシリーズは終わります、という気配すら漂っていた。
このことに気づいたのは私だけでないだろう。大勢の人がなにか予感めいた
ものを感じた事と思う。


           



山田監督はあのシーンで何を表現しようとしたのだろう…。
あんなに突然全員を集めて寅に呼びかけてしまって…。


ただ、あの電話が切れた直後、寒風吹きすさぶ無人駅のホームに
出て行く寅の侘しさが表現されていたが、あれにかえって救われた気が
したものである。寅のリアルな日常が垣間見れて、自然な気持ちに戻れた
からかもしれない。



            



で、最後の最後はお馴染みの、ポンシュウと一緒にバイをして終わり。

ちょっとホッとしました、あれで。





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102



                          
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秋深き最上川を渡る寅    2月23日「寅次郎な日々」その102



私は、このシリーズのマドンナの中でリリーがぶっちぎりに一番好きである。
そして美しいお千代さんも盲目的に好きである。

そして、それとは別に特別枠で一番好きなマドンナがいる。
それが第16作「葛飾立志篇」に出てくる山形、寒河江のお雪さんだ。

最上 雪 ( もがみ ゆき )、寅がまだ若かりし頃、初めて心から愛した人。
自分が最も孤独で寂しかった時めぐり逢った初恋の人。
そんじょそこらのマドンナとは縁の深さ、気持ちの重さが違うのである。


寅がマドンナのことを語るこのシリーズのすべてのシーンの中で
リリーは別格にしても、それ以外で私が最も心に残っているのが、
実はあのお雪さんとの出会いを語ったアリアだ。



寅「うん…。
オレが始めてお雪さんに会ったのは
忘れもしねえ、雪の降ってる晩だった…


おらあ、寒河江(さがえ)という町を無一文で歩いていたんだ。
もう何をやってもうまくいかねえ時でなあ…



            


腹はすいてくるし、手足は凍えてくるし、
もう矢も盾もたまらなくなって、

…駅前の食堂に飛び込んだんだ。

そこがお雪さんの店よ


背中にちっちゃな赤ん坊しょって働いていたっけ。
   

オレは手に持ってるカバンと腕時計を出して…、
『これでなんか食わしてくれぃ』ってそう言ったんだ。


そうしたらお雪さんが…、

『いいんですよ、
困っている時は、お互いですからね』



…どんぶりに山盛りの飯と、
湯気の立った豚汁と、お新香を
そっと置いてってくれたっけ…。


オレはもう…無我夢中で
その飯をかき込んでるうちに……、

なんだかポロポロポロポロポロポロ…
涙がこぼれて仕方がなかったよ。


その時オレには…あのお雪さんが
観音様に見えたよ。



その名の通り、
雪のように白い肌の、

そらあきれいな人だったぁ…




                     
             



映画の本編では一度も出てこないお雪さん。
僅かに娘さんの順子ちゃんにその面影を見るしかないのであるが、
私には一つの物語を見せられたような満足感がなぜか残っている。

そして、お雪さんは亡くなり、寅は寒河江にある彼女のお墓に向うため、
秋深き頃、最上川の大江町の渡し舟で寒河江に渡る。

この時の風景も寅も私は忘れがたく、これこそ寅の人生の一断片だと
しみじみ思いながらあのシーンを今日もまた見ている。




             



あの時流れている音楽がいいんだなあこれが。
そうそう、『お雪さんのテーマ』もしっとりと美しい旋律だ。




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101



                          
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お母さんが歌う沖縄の唄    2月22日「寅次郎な日々」その101

この長いシリーズで、いろいろな歌が出てくる。
寅も、何十曲と歌を歌う。これはこの「寅次郎の日々」
でも紹介した。寅以外でも心に残る歌は多い。
さくらの、「母さんの歌」、「さくらのバラード」の替え歌、「蝶々夫人.ある晴れた日に」
リリーの、「夜来香(イエライシャン)」「港が見える丘」、「東京夜曲」、「悲しい酒」、
蝶子さんの「港が見える丘」、ふみさんの「星影のワルツ」
などなど…である。

時には、築地文夫さんの「菩提樹」、
桜井センリさんの「お座敷小唄」、
などのユニークなゲストが歌う番外編もある(^^;)


そのような番外編のひとつが第25作「寅次郎ハイビスカスの花」
で出てくる。

リリーが退院したあと、寅が本部(もとぶ)の海岸に部屋を借りてやって、
二人はそこで暮らすようになるが、そこの家のお母さんが夜になると、
亡くなった旦那さんのことを思い出しながら、彼が好きだった唄を三線を弾きながら
実にゆっ〜たりと歌うのだ。映画の中で2分間も唄い続ける。

「♪はるとぅかたああ〜………」

私は、あのお母さんのあの唄が好きで、あの場面が好きで何度も
見てしまい、聴いてしまう。

あの唄はなんという唄なのだろうか…。



          



リリーと寅は後に、とらやでその時のことを回想する。そして、リリーは
お母さんが歌っていた唄としてそっと「白浜節」という唄を唄うのだ。


寅「暑い一日が終わって、夜になると、ス――ツと涼しい風が吹いてなあ…、
  遠くで波の音がザワザワザワザワザワザワ 

リリー「ほら、庭に一杯咲いたハイビスカスの花に、月の光が差して…、いい匂いがして」

寅「うん。昼間の疲れで横になってウトウトしてるとお母さんの唄う沖縄の
  哀しい唄が聞えて来てなあ」



リリー「♪我んや白浜ぬ 枯松がやゆら  春風や吹ちん 
    花や咲かん 二人やままならん 枯木心」


リリー「私、幸せだった、あの時…」



しかし、あの時のお母さんの唄は、とらやで回想するリリーの「白浜節」の
メロディ
や歌詞とはかなり違うように聴こえるのだがどうだろうか。
別の唄なのではないか…。


日本に置いてきた沖縄民謡のCD2枚にあのお母さんの唄が入っているような
気がするのだがここは遠い異郷の地、確認できず残念。

ああ…、あの世紀の名場面をバックに唄う
お母さんの悲しい唄はなんていう唄なんだろう…。



          




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100



                          
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風の丘に立つ真知子先生    2月21日「寅次郎な日々」その100


第36作「柴又より愛をこめて」

式根島で長い間先生を続けている真知子先生。
いろいろな人生経験を経て、今寅という人物を
見ている。
彼女の眼は優しいが鋭い。


真知子「寅さんもしかしたら独身じゃない?」

寅「えへへ、まあ、お恥ずかしながら」

真知子「やっぱり…」


寅「あ、そういうのって分かるのですか」


真知子「首筋のあたりがね、どこか涼しげなの
     生活の垢が付いてないっていうのかしら」


寅「あのー、それはやっぱり…ネクタイしてない
  せいじゃないでしょうか。
  ダボシャツだからね。あれ苦しくって…」

真知子「フフフ…」



             



財産を持たず、地位も持たず、しがらみも無く、
フーテン暮らしを続ける寅。
行き着くところは悲惨な末路が待っていることは
百も承知しているが、それでも自分の美学に従う寅。

人生に保険をかけない、その潔い生き様が
真知子先生の琴線に触れたのだろう。

男はつらいよのもう一つの魅力が
この寅の野垂れ死に覚悟の潔さにある。

東京から遠く離れた厳しい環境の式根島で子供たちの
ために強い気持ちで15年も生きてきた真知子先生にしか
分からない『人を見る眼』というものは確かにあるのだ。

離島の先生とフーテンの寅。

このかけ離れた二人には
ある共通した『孤独を伴った覚悟』が存在する。
痩せても枯れても自分の道があるのだ。

私にはあの丘に立つ真知子先生の気持ちが分かる気がする。


              





今日で遂に『寅次郎な日々』も100回です。早いものです。
結構面白いのでもうしばらく続きそうです。


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99



                          
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さくらの修羅場    2月20日「寅次郎な日々」その99


さくらは、このシリーズで毎回毎回寅の失恋に涙して、「バカね、お兄ちゃんは…」
と呟くのだが、一度だけその失恋の場面に寅本人がいなくて失恋を寅の代わりに
体験するというキツ〜イ場面がある。

この時のさくらの怯えたような緊張した目は忘れがたいものがあった。

まあ、とにかくその場に寅はいないので、さくらはただひたすら怯えていた。
そして、なおかつ、何か発言しなければならないのである。

この時に最後さくらは寅の気質について重要なことを語ってもいる。



作品は第20作「寅次郎頑張れ!」


ワット君「お姉ちゃん、寅さんと結婚する気があっとね?」
藤子「なんば言うとね、あんた…」
ワット君「もしお姉ちゃんにその気の無かなら、寅さん平戸に来るの
     断らにゃいけん」
藤子「あんたの言うてること、さっぱりわからん…」
ワット君「なんでそげんこつ分からんかのお」
藤子「…」
ワット君「ええか、お姉ちゃん、寅さんお姉ちゃんに惚れとるばい」

藤子「…!」

怯えるように二人を見ているさくら。

ワット君「オレが寅さんやったらな、オレが寅さんやったら絶対お姉ちゃん
     を許さん!好きでもなかとに、好いとる顔されてうまく利用されとてるじゃなかか」
藤子「やめんね!そげん乱暴か口ばきいて、寅さんはね、あんたが
   考えてるより、もっともっと心がきれいか人よ、私にはそれがようわかっとよ」
ワット君「いくら、きれいかてん、寅さん男たい」



            
怯えるさくら
        



藤子「あんた!さくらさんの前で…そげん口ばきいて…」

泣いてしまう藤子。

張りつめた空気が流れる。

さくら「ごめんなさいね、いやな思いさせちゃって…」
ワット君「オレは、寅さんが悪いとは言ってませんよ」
さくら「でも、迷惑かけたのは兄なんですもの」

泣いている藤子

さくら「藤子さん、なにも気になさることないのよ。


さくら「かりに、私の兄が…お姉さんを好きだとしても、今のような
   気持ちを知ったら、それで十分満足するはずよ…、
   兄ってそういう人間なんですよ…」


実は寅はこの会話を階段のところで人知れず聞いていたのだ。


         



さくらは「兄はそれで十分満足するはず…」と言って、藤子をかばうが、
寅も生身の人間だからさくらが言うようには簡単にはいかないのは私も百も承知だが、
さくらの言うことを聞いて、そうかもしれないなあ…、と思わせるような、そんな夢のような、
観音様のような心を寅という男は持っているんじゃないだろうかとつい思ってしまう。



また明日




2月11日朝より、再び電話線内に水がたまり、接続の調子が若干悪くなりました。
それゆえここ当分更新が数時間から数日遅れる可能性が今後でてきます。御了承ください。



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98



                          
『寅次郎な日々』バックナンバー                      








光枝さんの言葉の重み    2月19日「寅次郎な日々」その98



昨日は『夕子さんとお千代さんが語る寅』を紹介した。
彼女たちの言葉は独身の若いマドンナの言葉と違って
自分の人生の経験に裏打ちされた、重みのある言葉だ。
第46作の葉子さんの言葉もそうだが、彼女たちが
人生の辛酸を舐めてきた人たちだからこそ、私たちの胸に響くのである。

そう言う意味でもう一人印象深いマドンナを紹介したい。

それは第28作「寅次郎紙風船」で登場する常三郎の奥さんだった光枝さんがさくらたちに
しみじみ語る短い言葉だ。


光枝「いい人ですねえ、寅さんって…。
   亭主の兄弟分って人に随分会ったけど、いませんよ、寅さんみたいな人」

このシリーズの全マドンナの中でリリーと並ぶ苦労人のマドンナが光枝さんだ。
青春期はリリー同様不良で、やんちゃ。大人になってからは道楽者の
テキヤの妻なってしまい、世の中の裏を見続けてきた彼女が「いませんよ、
寅さんみたいな人」という時は、やはりほんとうに掛け値なしでそうなのである。

光枝さんのその発言を聞いたおいちゃんの嬉しそうな顔ったらなかった。
おいちゃんも分かっているのである。苦労人であり、同業者だった光枝さんが
言う言葉の重みを。



           



言葉と言うのは、何を言うかも大事だが、その言葉を誰が言うかがとても
大事なのである。

だからこそ、おいちゃん同様、私も苦労人の光枝さんが何気なく言ったあの寅に
対する人物評を忘れることが出来ない。



それにしても、寅と光枝さんの柴又駅前の別れは、なんだったのだろうか。
彼女は、寅のことを本当はどう思っていたのだろうか。あの複雑な表情を
思い出すたび、この二人は実はお似合いだったな、って私は思っている。



           




また明日


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『寅次郎な日々』バックナンバー           








夕子さんとお千代さんが語る寅    2月18日「寅次郎な日々」その97

 
   


夕子さんが語る寅


昨日は、最後に葉子さんが語る寅の魅力を
書いたが、このシリーズの中でいろんなマドンナが
寅のことを語っている。


第6作「純情篇」のマドンナ夕子さんも、とらやのこと、あの町のこと、
寅のことをいろいろ語っている。
彼女は、寅とは縁が薄かったが、この長いシリーズのマドンナたちの中でも
洞察力の鋭さではトップクラスである。実に感覚がいい。



夕子ごめんなさい。わたしね、わたしが今まで暮らしてきたまわりは
あんな自分の気持ちを隠さないで笑ったり怒ったり泣いたりすることなど
一度もなかったわ…、私達の生活なんて嘘だらけなのね、

そう考えてたら急に涙が出てきちゃって…



江戸川土手で寅と散歩した時も

夕子「寅さんはこういう風景を見ながら育ったのね。」

寅「
はい!わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。

夕子「なに、それ?

寅「これは、私達商売人仲間の挨拶ですよ。」

夕子「まあ、素敵ねもう一辺言ってみて


寅「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い根っからの江戸っ子

姓は車、名は寅次郎、

人呼んでフーテンの寅と発します。
フフフ…。まだ、続くんですよ」


夕子「そう


わたくし、不思議な縁もちまして
生まれ故郷に草鞋を脱ぎま
した。あんたさんと御同様、東京の空の下、
ネオンきらめき、ジャンズ高鳴る花の都に
仮の住居まかりあります。

故あって、わたくし親分一家持ちません。
ヘヘヘ…まだまだ続くんですよ。」



夕子「
素敵…ほんとうに素敵よ



                


これらの会話は、一見なにげないただの好奇心交じりの世間話に聞こえるが、
寅の口上に『美』を感じる事ができるマドンナは実はそうそうはいない。

そして寅の気質の形成にこの江戸川の自然が深く影響している事を
肌で実感している。そういう意味ではとても感覚が鋭敏な人だったといえよう。

夕子さんは寅のことを愛する事はできなかったが、寅の根っこの部分をひょっとして
理解する事ができたんじゃないだろうか…、と近年そう思うことがある。

実はマドンナとしては夕子さんは私にはあまり好きなほうじゃないが、短い時間で寅を
把握できた数少ない女性だったのではないだろうか。




お千代さんが語る寅

夕子さんとは逆に、寅の幼い頃をよく知っていて、寅の気質のある側面を理解していた
幼馴染のお千代さんの言葉もとても印象的だった。


千代「そんなことないわよ、本当に助かってるのよ。照れ屋なのよ、
   あなたのお兄さんは。小さい時からそうだったわ。人が見てるといじめたり、
   悪口を言ったりするけど、二人っきりになるととっても親切よ。
   さくらちゃんだってそうでしょ」



寅「よくおまえたちからかわれて泣いて帰ってきたじゃねえか!へへへハハッハ!」
千代「そのたびに、寅ちゃん棒切れ持って飛び出してったのよね」




千代「私ね、寅ちゃんと一緒にいるとなんだか気持ちがホッとするの。
   寅ちゃんと話をしてると、ああ、私は生きているんだなぁーって、
   そんな楽しい気持ちになるの。
   寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいいって、今、フッとそう思ったんだけど…」





             



寅は、愚かで堪え性のない人間だが、人の心を優しくする何かを持っているようだ。
そのような数々の人々のそのような言葉を聞くにつけ、幼少期や少年期の寅の人格形成に
大きく関わったであろうさくら