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寅次郎な日々

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2006年5月分

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寅が食べた一番美味いもの(2006、5、31

英男君の描いた水彩画(2006、5、30)

踊り子さんと佐藤幸夫君の恋(2006、5、29)

不幸せな恋に生きる風子(2006,5,28)

人々に笑顔を与え続ける男(2006、5、27)

忘れ得ぬ思い出のロケ地(2006,5,26)

吉田義夫さんと岡本茉利さんの整理箱(2006,5,25)

タコ社長が愛するスルメ母ちゃん(2006,5,24)

「チャキチャキおばちゃん」と「ほんわかおばちゃん」(2006,5,23)

寅の前に立ちはだかる『社会の壁』(2006,5,22)

テキヤの憧れ『Mr.テキヤ』な寅次郎(2006,5,21)

隠密.源ちゃんグループの暗躍(2006,5,20)

浪花の恋の『山下運輸&松風荘』 推理日記 (2006,5,19)

豊饒な愛を注ぎ続ける御前様(2006,5,18)

私の好きな『寅の夢』 SFもの2篇(2006,5,17)

寅のちっちゃな武器 『手土産物語』そのC(2006,5,16)

寅のちっちゃな武器 『手土産物語』そのB(2006,5,15)

寅のちっちゃな武器 『手土産物語』そのA(2006,5,14)

寅のちっちゃな武器 『手土産物語』その@(2006,5,13)

寅の心を揺さぶるさくらの言葉(2006,5,12)

寅の選んだ浪花の街 『新世界物語』(2006,5,11)

体が丈夫なだけが取り得のはずが…(2006,5,10)

『自分の部屋がない寅、その行き着く先は…』(2006,5,9)

「忘れるっていうのはほんとにいいことだな…」(2006、5、8)

さくらから寅へ。 たった一度の手紙(2006、5、7)

『江戸川と桜並木』 寅が語るその原風景(2006,5,6)

思い出のバイネタとその周辺物語 そのA(2006,5,5)

思い出のバイネタとその周辺物語 その@(2006,5,4)

「生きること」を肯定する山田監督の気持ち(2006,5,3)

とらやのヨモギを江戸川べりで見つける楽しみ。(2006,5,2)

この人から逃げたい、『ちょっと危ない男たち』(2006,5,1)




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『寅次郎な日々』バックナンバー         






寅が食べた一番美味いもの  5月31日「寅次郎な日々」その191



寅は寅なりに食い物にうるさい。

今日、更新したばかりの第27作「浪花の恋の寅次郎」でも、ふみさんが一晩かけて煮込んだ
芋の味付けが口に合わないようだった。

おばちゃんがラーメンでも作ると言っても、自分の好きな日本食を細かいところまで
要求する始末。

第17作「寅次郎夕焼け小焼け」でも龍野で贅沢なものを食べた後遺症で、好物のおからも
「ウサギの餌じゃなかったっけ?」なんてやんちゃなことを言っていた。


横文字(外国)の食いもんは「ラーメン」と「歌子ちゃんのハンバーグ」以外は嫌い。

もちろん、おばちゃんの手料理はだいたいは好き。リリーの沖縄料理も好き。

でも、私の見る限り、寅がこのシリーズで一番おいしそうに食べていたのは、五島のおにぎりだ。



第35作「寅次郎恋愛塾」、五島の青砂ヶ浦で江上ハマさんが亡くなった後、墓の穴を
数時間かけてポンシュウと一緒に掘ってやるが(大きな穴を掘るというのはかなり疲れるのだ)

ヘトヘトに疲れた後、近所の人が作ってくれたおにぎりや漬物を食べる。二人とも実に
美味そうに食べていた。中身はおそらくただのおにぎりなのに、一生懸命
肉体を使った労働を
した後、緑が多い眺めのいい場所で風に吹かれながら食べたせいかも
しれない。




           




ポンシュウ「うめえなあ〜!」

寅「ああ、働いた後だからなあ」

寅「労働者ってのは毎日美味い飯食ってんのかもしんねえな、おい

漬けものも食べて


寅「美味いな、これもな、こりゃ美味い!」



食べ物というのは、一見素材と料理方法だと思われるかもしれないが、
食べる人の状況と周りの環境によってこそ大きく左右されるのである。


私の尊敬する知り合いの方は以前、お勧めの料理は?と人に聞かれて、
「腹が減っていればなんでも美味い」と言われた。なるほどである。
汗を散々流した後、野外で風に吹かれながら食べるおにぎりは美味しいのだ。

私も今のジャングルの中の敷地に引っ越してからは4年間毎食、外の東屋で
食事をしている。敷地は渓谷のてっぺんにあり、東屋は屋根と柱だけで壁はない。
と、いうことで、晴れた日も、霧の日も、満月の夜も、小雨の日も、雷雨の日も、
いつも外の東屋で食事をする。毎日トレッキング中のキャンプ状態だ。家の中より
やはり美味い。



寅のあの発言

「労働者ってのは毎日美味い飯食ってんのかもしんねえな」

という言葉は私の心の隅にいつもある。この言葉の持つ意味は食事のことを超えて全ての
ことに繋がっていく気がしている。もちろん労働者がどうのこうのって話しではない。

その時その時の体と心のあり方やバランスが、全ての『実感』『感慨』『幸福感』と
密接な関係があるのではないだろうか。



                 
 うめえなあ〜…

            



あ、番外編があった。


遠い昔、寒い雪の日に、お雪さんに出してもらった、

どんぶりに山盛りの飯と、
湯気の立った豚汁と、お新香…。

あれだけは、どんな食べ物よりも美味しかったに違いない。
さすがに、あれにはどんな食べ物も勝てない。




また明日。




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190


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






英男君の描いた水彩画  5月30日「寅次郎な日々」その190


「弟が幸せになりますように」

第27作「浪花の恋の寅次郎」で、ふみさんは生駒山「宝山寺」の境内で絵馬にそっと、
弟の幸せの願をこの言葉に託す。寅はその文字を見た時に、ふみさんの人生に何か辛い事情が
あることを察知する。



               




両親に恵まれなかったふみさん。それゆえ、たったひとりの弟とも離れ離れになってしまう。
その昔、いつも一緒だった弟の英男君のことを想いながらも後ろめたさで会えないふみさんに、
寅は背中を押すようにして会いに行かせる。その昔、散歩先生や夏子さんが、自分と産みの母親を
会わせてくれたように。



英男君は恋人の信子ちゃんにだけはお姉さんのふみさんのことを話していた。
自分を毎晩抱いて寝てくれたお母さんのように温かく懐かしい人。
会いたい会いたいと思い続けてきた十数年だったのであろう。

職場の名前を知っているふみさんは、踏ん切りさえつけば会いに行くことができたはずだが、
弟の人生の邪魔をしたくないばかりに、今日の今日まで会いにいけなかった。
自分のようなものが会うと迷惑なのではないかと思っていたのだ。


ほんのちょっと勇気を出して、もっと早くに会いに行けば、英男君の心が分かり、お互いの
絆の深さにあらためて気づくこともできたし、話もできたし、そのことで英男君の運命も
変わっていったかもしれない。
悔やんでも悔やみきれないやるせなさがふみさんの心に残っていった。



英男君のアパートには彼が作ったバルサ材で作った飛行機と、
水彩で描かれたであろう絵が壁に残されていた。





               





どうも私には印刷物には見えないのだ。印刷物は紙の端ぐるりを白枠で抜くことがほとんどだ。
紙の隅々まで描かれたあの絵はやはり直接紙に描いたようにみえる。

スクリーンの中で小さく映るだけだが、ふみさんが気づき、じっと見ていた。

絵をよく見ると絵の中に人が二人いる。一人はお姉さんのような若い女性。
もう一人はまだ子供のような少年。
少年は人形かぬいぐるみの様なものを抱いているようにも見える。
雨が降っているのだろうか。お姉さんが少年に明るい緑の傘を差しかけてあげているように見える。

たった二人っきりの姉弟、ふみさんと英男君。

英男君は、寅が言うように毎晩抱いて寝てくれたお姉さんのことを忘れた日はなかっただろう。

あの絵はひょっとして英男君がお姉さんのことを思い出しながら描いたものじゃないだろうか。
英男君は仕事から帰ったら、座敷にゴロっと寝転がって、体を休めている時に見れる眼の高さに絵を
貼っていたと私は勝手に思っている。

もし英男君のお姉さんとの思い出を描いたのだとすれば、この絵はふみさんの宝物だと思うのだが…。
ふみさんに持っていてもらいたい。






               





                    








あの絵はあの後どうなったんだろうか…。
今は、信子ちゃんが持っているのだろうか…。

私は、英男君のアパートをの荷物を全て片付けて引き払った後、しばらく経ってから信子ちゃんが
対馬のふみさんの自宅へ額をつけて送ってあげたような気がするのだが、どうだろうか。

英男君は短い24年の人生の中で、ふみさんの言うように、たくさんの職場の仲間の人がいてくれて、みんなで
心配してくれて、そして信子ちゃんという恋人までいた。そしてなによりもお姉さんはずっと毎日彼のことを
陰ながら心配してくれていたのだ。このことがほんとうに救いだと思う。





              




また明日。



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189


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー          






踊り子さんと佐藤幸夫君の恋     5月29日「寅次郎な日々」その189


昨日は、風子の哀しい恋を書いたが、同じように哀しげで奇妙な恋なのに、そこに涼やかな風が
吹きぬける恋もある。

私がこのシリーズで忘れられないのは第14作「寅次郎子守唄」の呼子港での
ヌードダンサーと佐藤幸夫君の奇妙な恋だ。
『佐藤幸夫』って誰ですか?言われる方々も多いだろうが、あの赤ん坊を置き去りにして
逃げた月亭八方さんである。置手紙に『佐藤幸夫』と書いてあったので、佐藤幸夫君なのである(^^;)

この男、どうしょうもない野郎だ。奥さんの若い踊り子に子供を産ませるのはいいとして、
その若い踊り子に赤ん坊置いて逃げられてしまうのも、まあよくあることとして、その後がいけない。
どこの誰かわからん男(寅)に赤ん坊を託して、自分も逃げてしまう。
しかし、やはりそれでも親なのだろう、赤ん坊を引き取りに柴又までやって来る。

その時、男を叱咤し、たじろぐ男を引っ張って一緒にやって来たのが、あの春川ますみさん扮する『踊り子』である。

そう、寅とのしみじみとしたやり取りを呼子港で交わした、あの人生の機微を知り尽くした彼女だ。

彼女は自分も子供を亡くしてしまったことがあるので、二度とそのような不幸をおこしてはならないと、
男を引き連れて赤ん坊を引き取りに来たのである。
もちろん、赤ん坊は彼女が産んだのではないが、彼女の人の情というものがそうさせたのだと思う。

春川ますみさんは、同じような境遇の役を山田監督の『家族』という映画でも演じている。
赤ん坊を旅の途中の東京で亡くしてしまって、悲しみの底にある民子に、自分の赤ん坊も辛い運命の元に
亡くなったことを汽車の中で語る役だった。

踊り子は、さくらたちにこう言うのである。
『赤ん坊は、私が責任を持って育てます。自信もあります』と。彼女の子供ではないが、彼女は、そう言うのである。
『縁』というものを感じ、そして信じ、覚悟したのであろう。

この話はここで終わらないで、もう一ひねりある。


物語のラストで、赤ん坊が心配な寅はもう一度はるばる佐賀県の北の果て、呼子港まで、踊り子を訪ねて行く。

対岸からの渡し舟で偶然踊り子に出会う寅。

踊り子の背中には赤ん坊が。彼女はとても華やいでいた。

この瞬間になにも聞くまでもなく踊り子も赤ん坊も幸せなことがわかるのである。


あのダメオヤジの佐藤君と今ヌード小屋で一緒に働いているという。
男のことを寅に聞かれて、
小屋の呼び込みとかモギリとかさせちょるんよ。
つまり、ね!なんと言うか、ま、一緒に暮らしとるんさ
」とちょっと照れる。

なんだかんだといっても男女というのは分からないものである。上手くいかない時はどうやってもダメだし、
上手く行く時はどんな困難な状況でも、どんなに貧しくても上手くいく。

よかったよかった…、という結末だった。



あのシーンを再現しましょう。




佐賀県  呼子港

小さな渡し舟に乗りこんだたばかりの寅


遠くから、女の声

女「おじさ〜ん!待っちょってェ〜!」

女子供を抱っこしながら、走ってくる

女「待っちょって〜、待っちょって〜。ほっ、ほっ」と石段を降りてくる。

寅。振り返って、顔を見て驚き、立ち上がる。

女、ドンと飛び乗り、寅が支えてやる。

女「あ、すいません」

寅、手を持ってニコニコ笑いながら


寅「よお〜!」


女、寅を見て、…間があって

女「ああ〜!あんたじゃなかね!」

寅、満面の笑みで

寅「んん!」と頷く。




              





舟が動き始める。

船頭さんもなぜかニコニコ。

女、寅をシゲシゲ見て「わあ!」

二人とも笑いながら座る。

女「わざわざ来てくれたんね!?」

寅「ん!唐津まで来たんでね。赤ん坊のことも気になってたもんだから」


女「そう〜!」

寅「うん」

女「元気だよ、ほら、ここにいるばい、見てみんね」



寅、笑いながら赤ん坊の、ほっぺを指でさわる。


女「病気ひとつせんもん、ね!」と赤ん坊を見ながら笑う。
赤ん坊、笑っている。

女「
タケはいい子じゃけんね!」

赤ん坊、寅を見て笑っている。

女「ほ!ほ!ほ!」と言いながら赤ん坊をあやす。

寅、ほっとした顔で

寅「そうか…、元気だったか…」





                





ちょっと、まじめな顔になって、


寅「ところで、この子の父親どうしてるんだい今?」

女「フフ…いるばい、あそこに」

寅「え?」と振り向く。


女「小屋の呼び込みとかモギリとかさせちょるんよ。
 つまり、ね!なんと言うか、ま、一緒に暮らしとるんさ」


寅「そうかあ、それじゃ親子ともどもあんたの
世話になってるわけだ」と心から安堵。



女「フフ…」


寅「よかったよかった」



              



この時の春川さんの笑顔。
なんの『けれん』もない、そのままの笑顔に、何度救われてきたことか。
この笑顔を見たいために何度も「子守唄」を見てきた。


女「あ!お父ちゃんだ!お父ちゃーん!」

対岸に出てきた男、手を振っている。


女「お父ちゃーん!お客さんバイ!こん人こん人」と寅の肩をパンパン。

寅、遠く岸に立つ男の方を見ている


メインテーマが大きく流れる。


女「わかっちょるのかね?」と笑う。


寅、涼やかな顔で手を振る。



安堵の表情で遠く、対岸を見ている寅。

静かに寅たちの舟が近づいていく。

          


呼子の海と渡し舟が遠くに映る。



          




産みの母親には捨てられてしまったが、育ての母親の深い愛情を受けて育っていくこのこの赤ん坊の運命は、
なんだか幼い頃の寅の運命に似ているような気がしてくるのだった。







また明日。




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188


                          
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不幸せな恋に生きる風子     5月28日「寅次郎な日々」その188


さくらは第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」でこんなことを言う。

「幸せな恋もあれば不幸せになる恋だってあるわけでしょ。
不幸せになることがわかっていながら、どうしょうもなかったのね、風子さんは…」

さくらがこのようなことを言うのはとても意外だったので、ドキッとして驚いたことを覚えている。

山田監督が第1作から描いてきた『恋』は、人を幸せにするものだった。
この第33作は題名の通り、ずっとまるで霧の中で物語が展開するようだった。
イメージとしては暗く、弾まない物語である。

唯一、あのあけみが鮮やかにスクリーンに初登場し、かき回したことが明るい光だったかなと思う(^^;)

この薄暗い霧のかかったような物語は、それゆえこのシリーズの中でもあまり人気がないと聞く。
私もこの第33作は1年にそんなにも見ない。

しかし、冒頭に書いたさくらの言葉はいつもなぜか胸に残っている。




                




実際の世の中にはさまざまな恋の形とその未来があり、当事者たちの喜びと哀しみも
も恋の数だけある。幸福にも不幸にもなる。他人がどうこう偉そうに口を挟める余地のない恋もある。
第18作「寅次郎純情詩集」の寅と綾さんの恋などはまさに、他人の入り込む余地のない運命の恋だった。


寅自身がする恋はこのように哀しい恋が実はたくさんある。しかし寅の恋は相手を不幸にしたことはない。
つまり、それまでこのシリーズには不幸な恋がなかったのである。
それゆえ、さくらのあの発言にはドキッとしたのだ。

風子はトニーに惹かれ、トニーのヤクザな生き方をなんとか変えたいと思う。寅やおいちゃんおばちゃんに
にどんなに止められたって、気持ちは変わらなかった風子。
しかし、結局、棲む世界が違うことを悟ったのか、トニーが寅の言うことを心に留めたのか、
真相は分からないが、風子はなぜかトニーのもとを去り、北海道に帰る。

まあ、そういうこともあるだろう。

しかしその後、風子は昔馴染みの真面目な明るい青年と突然結婚することになるが、
私は、最後の急展開のハッピーエンドは、この哀しい物語の作品を決して明るくはしていないとも思う。
その結婚に物語性がないからである。この作品が受け入れられにくいのは意外にこの部分にあるのかも
しれないと思うときもある。映画というものは恋や結婚を言葉で説明するものでなく、物語によって見せるものである。

人は喜びの中からも何かを掴み、学ぶし、哀しみの中からも人生を感じる。絶望の中からでさえ成長をする。
だから、不幸な恋も悲しい結末も、そこに『物語』があれば幸福な結末と同じくらい味わい深く感動がある。

私は風子とトニーの哀しい恋は嫌いじゃなかった。




               






また明日。



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人々に笑顔を与え続ける男  5月27日「寅次郎な日々」その187


今日5月27日朝私の住むバリ島から飛行機で1時間半のジャワ島中部で
マグニチュード(M)6・2の大地震が発生した。
政府の災害対策本部はさきほど深夜、ジョクジャカルタ特別州を中心に少なくとも
3068人の死亡が確認されたことを明らかにした。
インドネシアとしては昨年3月28日に
1700人以上が死亡したスマトラ島沖地震を上回る大惨事となってしまった。

バリ島は幸いにも地震はほとんどなく、津波もなかった。


現地からの情報によると、ジョクジャカルタ特別州では民家などが倒壊し、
多くの住民が逃げる間もなく壊れた建物の下敷きになったらしい。
震源地に比較的近い同州南部のバントゥル市では、大半の建物が全半壊したとの情報もある。
深夜になった現在も停電や断水が続き、病院は治療が十分にできていない状態。

私の仕事仲間にもジョクジャカルタに奥さんと子供さんを置いてバリに来ている人がいるが、
心配になり、午後に電話で安否を聞いてみたところ、物は壊れたが、みんな無事で、家もなんとか
無事だったそうだ。

とにかく亡くなられた方々のご冥福を祈るしかない。





スマトラ沖地震の時同様、私も宮嶋も、チャリティの展覧会があれば、すぐに参加するつもり。




             大統領も急きょ現地入りし、被災した人々を励ましていた。

               




そういえば…、

第48作「寅次郎紅の花」では、普段みんなに役立たず扱いされている寅が
被災地のみなさんの役に立っていた。


長田区、神戸パンの石倉さんの話では
支給品を配る時、『ばあさんが先だよ!』、と混乱を避けるために整理したり、

『市長、おまえ対処遅いんだよ!四角四面じゃ物事進まないんだよ!』
と、世の中の機微を誰よりも知る寅ならではの、活躍が光っていた。

博は、
「兄さんみたいな、既成の秩序もしくは価値観とは関係のない、メチャクチャな人がだよ、
ああいう非常事態では意外な力を発揮する」

と、寅の持つ『柔軟性のあるしなやかでパワフルな心』を評価していた。



             


この第48作に限らず寅はいままでに多くの人々を幸せにし、結びつかせもしてきた。
そのためには、そうとうの苦労も厭わないことは秀吉君との旅を見ても分かるとおり。

綾さんのこと…、そして秀吉君のこと、順子ちゃんのこと、花子のこと、あけみのこと、
ぼたんのこと、、ふみさんのこと…、歌子ちゃんのこと、ひとみちゃんのこと、リリーのこと、
すみれちゃんのこと、光枝さんのこと、…結局このように書いていくと男女を問わず
出会った人全部になっていく。これは凄いことだ。
そして何よりもこのシリーズを見ている私たちをも幸せに、そして優しい心にしてくれる。

御前様が言うように、私も、仏様が寅の形を借りて、この世の中の悲しみや苦しみを
和らげてくれているような気がしている。

人生の中で「与えること」を仏様から業のように背負わされた寅。財産も、権力も
何も持たない寅。しかし、人々が幸せになった時の柔らかな顔が見たくて、今日も旅を続け、
一期一会の出会いを繰り返しているのかもしれない。

彼は『旅人』を天職とする人なのだ。


私は今、綾さん亡き後、新潟の雪深い分校へ雅子先生に必死に会いに行った時のあの寅の笑顔と、
雅子先生のくしゃくしゃな笑顔を思い出していた。





今日は夕方から家の水道のパイプに付いているレバーがぶっ壊れて、夜も更けたさきほどようやく修理を終えた。
4時間もかかったああぁ…(TT)疲れた〜〜〜。

で、本日は、『バリ日記』と『寅次郎な日々』の折衷のようなコラムになってしまったが
御了承ください。



ゴ〜〜ン…






また明日。



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186


                          
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忘れ得ぬ思い出のロケ地  5月26日「寅次郎な日々」その186


このシリーズの大きな目玉の一つに思い出深いロケ地の魅力がある。
これは見る人の故郷であったり、自分が行ったことのある土地だったりすると
思い入れも一層強くなり、
その作品に思い入れが強く湧くのだ。
しかし、
なによりも出色の名シーンがそこに存在するゆえに思い出深くなることが
多いのだ。


私も今こうして思い出すと
忘れられない町が何箇所も出てくる。

ちょっと思い出すままに何箇所かちょろちょろと書いてみよう。






まず、今パッと個人的にすぐ思い出すのが



★北海道 小樽

第15作「寅次郎相合い傘」

兵頭パパにとっての大切な町小樽。初恋の人の面影が忘れられなくて、彼女を訪ねていく。
長い年月は二人の間に目に見えない溝を作り出してしまっていた。

最後の別れのひと言ふた言に、変わってしまったものと変わらない心が…。
この二つを同時に垣間見ることができたなんともやるせない名シーンで、これはほんとうに切なかった



そういえば、第5作「望郷篇」でも小樽を力強く機関車が走り、あの街の違った側面を見せていた。


第22作「噂の寅次郎」でもとらやを去った早苗さんが、従兄弟さんの高校教師を
追って、故郷の町『小樽』へ帰っていくのだった。あの、雪景色の小樽も実に情緒があった。






次にいつまでもずっと忘れられないのが



★山形県 寒河江

第16作「葛飾立志篇」

初恋の人、お雪さんの面影を追うように、みちのくを旅する寅。
彼女の墓に参るため、
最上川の渡し舟を使い、寒河江に入っていく。あのやさしい曲と
同時に寅が自分の心を静かに振り返り、内面に深く入り込んでいく心の旅が
垣間見れて、
見ている私も心が洗われるようだった。雰囲気のある慈恩寺
の石段も印象的だった。



         





また、行ってみたいと思うのが


★兵庫県 龍野

第17作「寅次郎夕焼け小焼け」

夕焼け小焼けの曲が流れるしっとりとした、いにしえの町龍野。
池ノ内青観と志乃さんの静かな夜と

寅とぼたんのはしゃいだ夜。

この見事なコントラストが印象深かった。


青観をいつまでも見送る少女のような志乃さんの後姿は
このシリーズでも出色の名シーンだ。




         





同じく行ってみたいのが


★岡山県 備中高梁

第8作「寅次郎恋歌」


寅と博の父親が備中高梁の町を歩くシーンがあるのだが、
いい雰囲気だ。
人もいいが、町もいい。

この地は、第32作「口笛を吹く寅次郎」でも使われた。蓮台寺(実際の名前は薬師院)のあり方と

そこから見える町並みが美しかった。


博の父親が住んでいた旧家も雰囲気がある。



 

思い出すたびに胸が熱くなるのが


★福岡県 秋月

第28作「寅次郎紙風船」


光枝さんと寅が淋しく歩く秋月城址近くの野鳥川沿いの小道
野鳥川にかかる秋月眼鏡橋も美しい。


余命いくばくもない常三郎の家に貼ってあった白秋の「帰去来」の詩に

私は激しく胸を打たれ、涙が出てきた思い出がある。




         





温かい気持ちになれたのが

★青森県西津軽郡鯵ヶ沢 驫木(とどろき)  

第7作「奮闘篇」


全てのマドンナの中で、最も心が美しく清らかな花子。
その花子の故郷津軽の鯵ヶ沢。驫木(とどろき)

さくらは、寅のことを追い、淋しいこの町にひとり降り立つ。

この地方の方々のなんともいえない語り(セリフ)も強烈に
私の心に残っている。素朴で力強く、実に味わい深い方々だった。

花子は田野沢小学校で福士先生の指導の下とても元気そうだった。
彼女は、東京より津軽が合っているよ、ほんと。





切なくて、辛かったのが

★島根県 津和野

第13作「寅次郎恋やつれ」


津和野の町で夫亡き後、悩みながら、迷いながら暮らしている歌子ちゃんは、
寅と再会し、硬くなっていた心が溶け出して思わず泣いてしまう。
しっとりと美しい津和野の町と歌子ちゃん、そして美しい『歌子のテーマ曲』が
見事にマッチ。

寅の乗ったバスを見送るりながら手を振る歌子ちゃんの姿が
脳裏から離れないで困っている。このシーンもこのシリーズの
中で出色の別れのシーンだ。





夢のように懐かしく思い出すのが

長野県 別所温泉

第18作「寅次郎純情詩集」



秋深い信濃路

夕焼けの塩田平を一人寂しく歩く寅。

ススキの穂が風に揺れる。
まるで桃源郷のような風景だった。
あの風景を見ているだけでなんだか優しい気持ちになれた。

上田電鉄別所線に乗ってそして別所温泉へ。

別所温泉での懐かしい坂東鶴八郎一座との再会と別れ。

何もかもが夢のように美しい日々だった。



          






静かな隠れた名シーンとして印象深い

★佐賀県 呼子

第14作「寅次郎子守唄」



佐賀県の北の端、呼子港で知り合ったヌード劇場のダンサーとの
味わい深い絶妙のやり取りが最高。今、思い出すだけでも胸が熱くなる。
渥美さんの春川さんを見つめる目が実に温かい。
同じ匂いを持つふたりは目だけで分かり合えるのだろう。

これだけリアリティがあるやり取りはこの長いシリーズの中でも
めったにお目にかかれない。




          





「ここで踊ってんのかい?」

踊り子「こんな景色のいいとこまで来て、
    暗かところで女の裸観てどこがよかすかねェ」


「フフ…別に裸を観るわけじゃねえよ。
  姐さんの芸を観に来たと思えば腹もたたねえだろう」


踊り子「フフ…兄さん、よかこと言ってくれるね」

「そうか」



アンパンを食べながら遠くを見つめる春川さんますみさんと渥美さん。
そしてラストで赤ん坊を背負って、渡し舟で寅と再会する時の
あの春川ますみさん。それらのやり取りがいつまでも心に残る呼子港
だった。






しかし、やっぱりなんといっても思い出深いのは


★北海道 網走

第11作「寅次郎忘れな草」


これは言うまでもなく、寅とリリーが運命の出会いをした場所である。

リリーは、この時、いつになくメランコリックな気分になり、
寅に自分の生活スタイルの脆弱さを吐露する。
寅はそれに深く同意しながらも、独特のユーモアで返し、リリーを
慰めるのである。ほんのつかの間の出会いと別れ。この短い時間が、
その後の彼らの人生を決定づけることになった。

運命の出会いというものはやはりあるのだ。



          




行くのかい?

リリーうん…

リリーじゃあ、また、どっかで会おう

ああ、日本のどっかでな!

リリーうん、じゃあね

うん!!

リリー、ふと足を止めて振り向いて


リリー
兄さん。…兄さん何て名前?

、ハッ、っとして少し照れて、でもちょっと粋に

え?…オレか!
  オレは葛飾柴又の車寅次郎って言うんだよ


リリー車寅次郎…。じゃ、寅さん…


うん


リリーフフ…、いい名前だね!フフ…と走って行く。





あ〜、またまた書き出したらキリがない。

ゴ〜〜ン…


で、今日はこの辺でお開きということで。




また明日。






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185


                          
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吉田義夫さんと岡本茉利さんの整理箱  5月25日「寅次郎な日々」その185


私たちにとって『男はつらいよ』といえば、もちろん渥美清さんと倍賞千恵子さん、
そしてとらやの面々&柴又の方々だろう。

実は、私はそれらとは別に、吉田義夫さんと岡田茉利さんが思い浮かぶ。
私の心の中では、吉田義夫さんは裏の主役の一人。岡本茉莉さんはもうひとりのマドンナ。
になってしまっている。

坂東鶴八郎と大空小百合ちゃんの4度の登場(8作.18作、20作、24作)は、
もちろん、吉田さんは中期の夢の中でも悪役もしくはさくらの親父さんの役で大活躍。
夢には欠かせない存在となった。岡本茉利さんも、夢や本編中で何度か別役で登場している。
今日は、自分の整理の意味もこめて下にお二人の登場作品を整理し、記します。





吉田義夫さん



第8作  「寅次郎恋歌」      四国 雨の日の 坂東鶴八郎座長 
                    ラストでも甲州路で再会  

第9作  「柴又慕情」       夢のシーン 昭和  悪徳借金取り

第10作 「寅次郎夢枕」     夢のシーン 昭和初期 地元の高利貸しの親分

第11作 「寅次郎忘れな草」   夢のシーン 江戸後期   柴又村の寅の父親

第12作 「私の寅さん」      夢のシーン 大正 柴又村 悪人の、だあ様

第13作 「寅次郎恋やつれ」   寅の横に座る電車の乗客



          



第15作 「寅次郎相合い傘」   夢のシーン 奴隷船の奴隷商人のボス

第16作 「葛飾立志篇」      夢のシーン 西部劇の中、悪人ガンマン

第18作 「寅次郎純情詩集」   夢のシーン 北アフリカにアラビアのトランスを
                    捕まえに来た男。

                    A信州別所温泉での坂東鶴八郎座長

                     『不如帰』の武夫役


第20作「寅次郎頑張れ!」    夢のシーン 大金持ちになったとらやの執事

                    Aラストで寅と軽四トラックで再会する坂東鶴八郎座長
                     『ああ無常 レ.ミゼラブル』のジャン.バルジャン役



               
お二人共演
          



第22作「噂の寅次郎」       夢のシーン  江戸時代 目の悪いさくらの親父さん。


第24作「寅次郎春の夢」     京都での坂東鶴八郎座長 『蝶々夫人』のピンカートン役



              
ピンカートンと蝶々夫人
          



第26作「寅次郎かもめ歌」    夢のシーン 天狗のタタリと偽ってさくらをせしめようと
                    する悪代官役。








岡本茉利さん



第8作  「寅次郎恋歌」         四国 雨の日の 坂東鶴八郎一座の花形 大空小百合
                        ラストでも甲州路で再会 



第16作「
葛飾立志篇」         ラストでの西伊豆の連絡船ガイド さん 


第17作「寅次郎夕焼け小焼け」    池ノ内青観の家のお手伝いさん(とし子さん)


第18作「寅次郎純情詩集」      夢のシーン 北アフリカのカスバの女性


                       A信州別所温泉での坂東鶴八郎一座大空小百合
                        『不如帰』の浪子役       



第19作「寅次郎と殿様」        大洲城での料理屋の店員(出前) ほんの一瞬だけ(^^;)


第20作「寅次郎頑張れ!」       夢のシーン 大金持ちになったとらやのお手伝いさん(なかなか可愛い)

                       Aラストで寅と軽四トラックで再会する坂東鶴八郎一座 大空小百合
                        『ああ無常 レ.ミゼラブル』の
コゼット役


               
ジャン.バルジャンとコゼット
           



第21作「寅次郎わが道をゆく」   肥後の田の原温泉に住む留吉の元彼女(春子) 「あんた何くれた!?」



第23作「翔んでる寅次郎」      
寅に便秘薬と水を渡した日下部医院の看護婦さん



           



第24作「寅次郎春の夢」     京都での坂東鶴八郎一座大空小百合『蝶々夫人』
                    の蝶々夫人役
                    「ミーバタフライ!ミーバタフライ!」






こうやって書いてみると、このシリーズ中期の最も油の乗っている頃に活躍されたお二人。
だから一層私にとって、このシリーズの『顔』になっているのだとあらためて自覚した次第。
もう少し長く、できれば晩年の作品まで出演して欲しかった…。





今もこうしていると第8作のあのラストシーンが蘇る。




秋深い甲州路



トラック荷台から大空小百合ちゃんが「あら!」

小百合「先生ー!!」


寅、よおく顔を見る。


小百合「先生!私です。いつか四国でお会いした小百合です!」

寅、気づいて「
あー!、小百合ちゃん!雨の降った日の!」

小百合満面の笑みで「
はい」





        



座長、助手席から降りてきて「これはこれは!」

寅「よおーっ!」

座長「
いつぞやのお情け深いお客様」


寅「いやぁ、座長さん、その後元気で。座員のみなさまも達者でいなさるかね」

座長「はい、お陰さまでこのとおり巡業を続けさせていただいております」

寅「そうかい…、よかったー…、本当によかった…」

座長「先生、お乗りになってください」

寅「いや、俺はここで…」

座長、座員一同「どうぞ、どうぞ!」

座長「むさ苦しいところではございますが、どうぞ!」

荷台に乗った寅。

若い座員が助手席に乗り、座長は寅と一緒に荷台に。

座長「今夜のお泊りはどちらへ」

寅「なに、
のむくまま気のむくまま気楽な旅でございますよ」

座長「今夜は是非私どもと同じ町にお泊りになりお泊りくださいまして、
   私どものお芝居を楽しんでいただきまして」


寅「あー!、それは結構ですね、
結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはなんとかだらけ!

一同どっと笑う「ハハハハ!!」



          
                 


寅「いやー、どちらも御陽気な方ばかりでようござんすな!」

寅たちを乗せたトラックが田舎道を走っていく。


遠くに
富士山が見え、空は
日本晴れ




また明日。




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タコ社長が愛するスルメ母ちゃん  5月24日「寅次郎な日々」その184


タコ社長が奥さんと結婚したのはいつかはっきりは知らないが、昭和21年以前だと思われる。

なぜならタコ社長が奥さんと昭和21年に「朝日印刷(第4作までは共栄印刷)」を設立したと第47作「拝啓車寅次郎様」
で言っていた。ということはその時点でタコ社長はもう結婚し大人だったということになる。大正時代末の生まれ
かもしれない。寅は、第26作の入学願書によると昭和15年生まれということなのでタコ社長との年齢差はだいたい
15歳以上は離れているということになるのかも。

ところで、
タコ社長はこのシリーズで、寅、さくら、博、おばちゃん、と並び全作品出演の『皆勤賞!』である。しかしあれだけ社長が
頻繁に顔をとらやの茶の間に出しているにも関わらず、タコ社長の奥さん(水木涼子さん)は、茶の間には一度たりとも
入ってこない。あのあけみの結婚式の日でさえ、父親のたこ社長だけがとらやの茶の間であけみの「お別れの挨拶」を
聞いていた。普通ああいう場ではお母さんも呼ぶだろう、あけみ(−−;)

だからと言って全くスクリーンに出ないかと言えば、そうでもない。奥さんは5回スクリーンに出てくるのだ。


ちょっと書いてみると、

★第1作でタコ社長と一緒にさくらと博の仲人をしている。長いセリフもしゃべってた。

★第2作「続男はつらいよ」でも実は登場しているのである。散歩先生の葬式の時に博の横にちゃんと座っていた。
 セリフがないので目立たないが。

★第6作「純情篇」では、唯一社長の自宅の茶の間が映るが奥さんもしっかり寅に博の
 独立を思いとどまるように頼んでいた。この時もかなりの長ゼリフだった。



             



★第13作「寅次郎恋やつれ」でも実は社長の奥さんは登場する。なんと寅の夢の中に出て来るのだ。
 寅が嫁さんを連れてくる夢なのだが、その時に花嫁さんの横に仲人としてくっついているのが社長の奥さんなのだ。
 これもセリフはないもののしっかり映っていた。




            




★そして例の、第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」のあけみの結婚式。仏式のあけみは帝釈天参道を題経寺に
 向かって歩いているのだが、その時社長と一緒に奥さんもしっかり映る。セリフも一言あった。




            



それ以外でも、タコ社長に隠れて、九州を行商で歩いているようだ。第4作「新男はつらいよ」のラストで
汽車に乗る寅の真横の座席で大声で笑っていた。寅は気づいていないようだった(^^;)
また、第17作「寅次郎夕焼け小焼け」で、龍野の老舗旅館『梅玉旅館』の仲居さんをしていた。
このように、タコ社長の工場が苦しいのでいろいろアルバイトをこっそりしているのかもしれない(^^;)
(と、いうのは冗談で、水木涼子さんが別人役で出演されているということです、ハイ)

この奥さんは、寅に「スルメ」なんて言われて、「タコがスルメを愛している」とからかわれていたが、

寅もまったく口が悪すぎるよ(^^;)

まあ、もっとも、第23作「翔んでる寅次郎」によると社長は奥さんの妹とお見合いをし、それ以来一度も
会わないで、結婚を決め、結婚式当日は鼻の低いお姉さんのほうが来た。あちょー(><;)
それが今の奥さんらしい(^^;)ある意味凄い話…。つまりそれでもタコ社長は我慢して結婚したということ。
なんせ仲人に借金があったから断れなかったそうだ。これもまた凄い話(^^;)

その話しの直後、遠くから奥さんの声「父ちゃん、早くお風呂入ってよ!」
タコ社長応えて「はいはい!愛してるよ!」だって(^^)

でも、第7作「奮闘篇」では、おばちゃんが寅に、「社長は昔、バーの女の子と恋仲になっておかみさんを
泣かしていた」ってもらしていたので、実はこの夫婦にもいろいろな物語があったのだろう。


水木涼子さんは、『東京物語』や『家族』、『砂の器』などにも出演されていた。



また明日。






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183


                          
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「チャキチャキおばちゃん」と「ほんわかおばちゃん」
  5月23日「寅次郎な日々」その183



初期の頃のおばちゃんはなかなか激しい気質だ。動きも激しく、髪を振り乱して寅に対してもどなったり、厳しい。
第1作では、おいちゃんのおかぶを取って「出て行っとくれ!」と髪を振り乱しながら寅に言い切っていた。
第5作「望郷篇」ではおいちゃんとのひそひそ話の中で「これで出てってくれるんだったらそのほうがありがたいよねえ」
なんて言ってしまって
甥のやんちゃに手を焼いている叔母さんって感じだった。
舎弟の登にもそのへんのところをちゃんと寅は見破られていた。



                 



そして中期以降の作品ではこのような生々しさは徐々に消えていく。

ちょうど、寅への呼び名が
「寅さん」から「寅ちゃん」に変わっていった頃、おばちゃんの気質が柔らかくなっていった
ような気がしている。とらやのほかのメンバーの変化と比較してもおばちゃんの変化は若干目立つのだ。良く言うと寅への
愛情がまろやかになり、実の親子のようになり、それゆえ『親バカ』の要素が強くなっていったと言える。とらや=おばちゃんの
ほのぼの、というイメージになっていった。

しかし、これはある意味、寅との緊張感が弱まり、愛憎の振幅が小さくなった分、予定調和が増し、生々しいリアリティが薄れた
とも言える。この映画は肉親の愛と憎の物語でもあり、庶民の愚かさと気高さの物語でもあり、定住者とフーテンのすれ違いと
ふれあいの物語でもある。このように両極の感覚が引き裂かれるように緊張しながらも時として融合し、お互いを認め合うその
瞬間がたまらなく面白く、深みがある。

人の棲む世の中というものは、大なり小なりこのように振幅の激しいものなのであろう。

しかし、晩年の作品がほのぼの予定調和だけしているかといえば、そうでもない。
第38作「知床慕情」では、第1作に次いで、おばちゃんが切れるのである。
そう、例の寅の手伝い騒動である。なにもやる気のない寅は挙句の果てに、店をほったらかして、悪友たちを引き連れて
ビールを飲みに行く始末。夜になっても帰ってこない寅に、遂に切れるのである。

「さくらちゃん、鍵閉めちゃいな、あの男が帰って来たって入れちゃやんないんだから!
ギュッと閉めちゃうんだよ!」
と、かなり真剣に怒っている。


そして、遂に、

「やめよう!、さくらちゃん、店やめよう、つくづく嫌になっちゃったよ、
私ね、この店みんな売っぱらっちゃてね、おいちゃんと二人で小さいアパートに住むよ、そうしよう!
だって…、バカバカしくなっちゃったんだよ!私たちが一生懸命働いたって肝心の跡取りがあのざまじゃない!
ウエエエエン!」とチャルメラ泣き(^^;)



                    
  うっぱらちゃってね!
                 



しかし、こんなにきつく寅をなじっているにもかかわらず、なぜかそれでも、どうしょうもない道楽息子に母親が怒り心頭している
という感じになっていく。ある種の『深い絆の安定感」がこの頃には存在してくるのだ。もちろん、おばちゃんは寅と血はつながっていないが、
シリーズが長くなってくると、公私ともども母親のような気持ちにもなってきたのだと思う。もちろん脚本もそのように書いてあるのだろうが
、三崎千恵子さん自身も、だんだんそうなって行ったのが、見ているとヒシヒシ伝わってくる。

第5作ころまでのおばちゃんは、もう少し突き放して寅を「厄介者」と見ている側面があった。見方を変えると、それだけこの頃の寅は
手がつけられない暴れん坊だったとも言える。そして、さすがに満男シリーズあたりからは、おばちゃんはお年になったこともあって、
ますます柔らかな雰囲気になっていったのだ。このころのおばちゃんが言う「寅ちゃん」という言葉のニュアンスは、まろやかで温かい。

このシリーズの作品の変化と進化は、寅のキャラクターの変化と進化だけでなくおばちゃんのキャラクター変化と進化そのものでもある。

それぞれの作品に、それぞれの良さ。

初期の振幅の激しい目が覚めるようなリアリティのあるやり取りのおばちゃんは文句なしに魅力的だし、かといって、ほのぼのと
ゆったりとしたおばちゃんも味わい深く捨てがたく、しみじみいいもんだ。


人の人生の道のりもきっとそういうものなのだと思う。





また明日。





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寅の前に立ちはだかる『社会の壁』  5月22日「寅次郎な日々」その182


寅は、自分の好きなように生きてきた。風の向くまま気の向くままその日その日を生きている。
しかし、そんな寅でも『社会』というものを感じざるを得ない時もある。アウトサイダーゆえに壁に
阻まれることもあるのである。このシリーズは社会派映画の匂いが少ないので、あまりそのような場面は
出てこないが、それでも私が思い出すだけでもいくつかある。

最も印象深かったのは、第26作「寅次郎かもめ歌」で、寅がすみれちゃんの通う定時制高校に入学しようと
したことが分かったシーンだ。
定時制高校は博が言うように、テストの成績などで人間を評価しない。「学びたい」という欲求さえあれば、
学ぶチャンスを与えてくれるところが最大の長所。

しかし、寅は「葛飾商業」という中学校を3年で中退している。つまり卒業していないのではじかれてしまったのだ。

まずは夜間中学校に行けばいいんじゃないの、と言えばそれまでだが、やはり「行政の取り決め」といのは寅の
気持ちに寄り添うことはしないのである。いやまったく当たり前といえば当たり前なんだけれど、やはり淋しい…。
さくらはそのことを聞いて涙ぐんでいた。




               




もう一つ見ていて悔しかったのは、第28作「寅次郎紙風船」 光枝さんと所帯を持つために真面目に働こうとして
『日の丸物産』の面接を受ける。面接は盛り上がったのだが、経歴が悪かったのか、背広ネクタイに雪駄履きという
奇妙な格好が影響したのか、結果は『不採用』 これがある意味社会というものなのだろう。おいちゃんは不採用の
紙を投げ捨てていた。分かるなああの気持ち。


第2作「続男はつらいよ」では手錠をかけられ、第18作「寅次郎純情詩集」では警察に一晩留め置かれた。
そしてどちらの時も、さくらのような身元引受人がいて、はじめて釈放となる。世の中はこのように当たり前だが、
厳しいのである。


健康保険にも加入していないので、いったん病気をしてしまったら大変。このシリーズの中では、博たちによって
そのことが何度か語られるだけだが、実際は、病院によっては保険証がなければ治療さえ困難な場合もある。
病院側もいろいろややこしいので嫌がるのだ。もちろん、治療費は全額自分持ち。

年金にも入っていないので、体が言うことを利かなくなった晩年は悲惨である。

それは第5作「望郷篇」でさくらが寅に説教した通りだ。



池ノ内青観は「寅次郎君は旅か…」と言い、
浜田ふみさんは「自由でいいね、魚みたいに…」と言い、
泉ちゃんの叔母さんの寿子さんは「わー、私もそげん旅がしてみたかー」と言い、
兵頭パパは「いいですねえ…鳥は自由で」と羨ましがる。
そして満男も寅のことを、「うらやましいなあ…伯父さんはそういう生き方を否定したんだろ」と言う。


さくら曰く「
何言ってんの?伯父さんは否定したんじゃなくて、
     否定されたのよ世の中に!あんたもそうなりたいの

 

さくらの言うことは必ずしも正しく無いが、確かに頷かざるを得ない部分がこの社会にはある。血を分けた息子である
満男には寅の人生の裏も表も両方知らせないといけないのである。

古今東西、社会は人々に『秩序』を求める。その社会の秩序は当然『最大公約数の共同幻想に基づいた価値観』の
もとに構成されていく。いい悪いではなく、それが『集団』というものであり『社会』というものなのだろう。




空を飛ぶ鳥は一見自由に見えても、常に天敵を怖れ、体力を使い、あれはあれで、
空飛んでいる時も、いろいろ大変なのだ。

寅もこれはこれでその大きな代償を払いながら大変な人生を歩んでいるにちがいない。


自由な一人旅がそのまま日常になってしまった男の侘しさと辛さを
兵頭パパも満男も遂に知ることはないだろう…。




                 







また明日。





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『寅次郎な日々』バックナンバー






テキヤの憧れ『Mr.テキヤ』な寅次郎  『寅次郎な日々』バックナンバー  5月21日「寅次郎な日々」その181


寅は、自分の好きなように生きてきた。社会に属さないで、家も家族も持たないで、税金も払わないで、
ほとんどアウトサイダー、アウトローの人生と言っていいだろう。

そんな寅がフーテン暮らしを続けるためにはテキヤ稼業がよく合っているのだろう。フラフラ風に
まかせて全国どこにでも行く。実際のテキヤさん(露天商)は、仕入れや、その土地での親分への挨拶、
決算、などで相当忙しいのだが、そこのところは寅の場合、まれに見る人に親しまれるキャラクターとテキヤと
しての高い販売能力の力で乗り切っている。

今更新している第27作「浪花の恋の寅次郎」などでも人もまばらな離島に平気で洋服を持って行き、
売っている。あんなところでバイしてもそんなに売れるとも思えないが、どこから一体仕入れているのだろう。
時々凄い田舎でバイをしているが、あれは売れるのだろうか。ああいう田舎はネタを借り受ける親分の場所から、
あきらかに遠いと思われる。やはりどう考えてもバイは街中か大きな縁日がいいと思うのだが…。

そして時には、かなりかさばる物も売っている。お風呂の道具や、額付きの絵、大きなぬいぐるみ。瀬戸物などは
相当重いし、割れる。古本も利潤が薄いわりにかさばる。

第12作「私の寅さん」で阿蘇の河口付近で虎の絵をバイしていたが、いくら観光客が来るとはいえ、ちょっと
無理があるとも言える。

第8作「寅次郎恋歌」では、さばき切れなかった古本を、あのいつものカバンに入れていたが、あれもちょと
無理がある。ドラえもんのポケットじゃあるまいしバイネタがあんなカバンに入りきるとも思えない(^^;)


第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」では寅は自分の部屋にさばき切れなかったオルゴールが入ったダンボール箱を
3箱も置いていた。ポンシュウと一緒だったので彼ら関係の車で移動するのかもしれない。このダンボールはある意味
リアルな寅の旅先を、垣間見た気がして安心したものである。しかし、だいたいは一人旅で、かつそんな時でも
大型のネタも少なくない。そうなるとあのネタはどうやって持ってくるのだろう。そしてさばき残りはどうやってその
土地の親分に返すのだろうか。若い衆が夕方遅くに車で取りに来てくれるのかもしれない。

一般的にはテキヤの方々は問屋さんなどで、半端もんや安い物を仕入れるが、寅がそんな先行投資できるわけが
ないので、その土地の親分にお願いして、流れてきた品物を借りてくるのであろう。それも生もの、腐りやすいもの
でなく、生活用品などが中心。そうとう顔が利かないとこうならないようだ。また、高市(タカマチ)と言われる大きな
祭りや縁日などにかかることができるのも、テキヤの中では世話人の信用をしっかり得ている証拠である。
それも誰かにたぶん車で現地まで運ばせて…。ある意味これは相当の『顔』だ。
それがある地域限定でなく、全国レベルだからまったく凄い。


             
さばき切れなかったバイネタの箱が見える珍しいシーン
               




そういう意味では仲間のポンシュウあたりもなかなかのものである。


一般的にテキヤの皆さんはどこかの組織に所属しているものだが、寅は若い頃に「北海道の政吉親分」「京都の政吉親分」
などにしっかり道筋をつけてもらって、あとは専属の親分を持たないで、ひたすらキャラクターの良さと啖呵バイの鮮やかさで
全国のテキヤ仲間から一目置かれる人間になったのだと思う。第1作で月島あたりの親分のところで仁義を切る場面が
あるが、あのように過剰なほど礼儀正しくけじめをつけ、あとはあの独自の義理人情を重んずるキャラクターと売り上げの
高さと口跡の良さ、姿かたちのカッコよさで信用を勝ち取るのであろう。




                 



そして、なによりも鮮やかな『啖呵バイ』による『芸能の高み』を極めた寅が、テキヤ仲間たちにとってはちょっと憧れの
『Mr.テキヤ』なのかもしれない。

だからこそ、普通のテキヤでは絶対に考えられない無担保、先行投資無しで商売を続けられるのである。つまりいきなりぶらりと
アポ無しでやって来てその土地土地の親分からすぐ安直にネタを借りれる「奇跡のテキヤ.夢のテキヤ」になれたんだと思う。


おいちゃんは、『遊び人』『ふらふら野良犬みたい』『ペテン師みたい』などと酷い比喩をして、情けなさそうな顔で寅にいつも
説教をしているが、寅という男はとらやの人々が思っている以上にそうとう懐の深い人間であることは間違いないのである。

まあ、おいちゃんたちには、解剖学者の養老孟司さんが言うところの『バカの壁』がそびえ立っているので、いつまでたっても
寅のことを一人前扱いはしないのである。人が心から信じ込んでいる共同幻想というものは、よほどのことがないと打ち破れない
のものらしい。


寅は人々が思っているほどはくだらない人間じゃないし、

博は人々が思ってるほど立派な人間でもない。



ま、そういうことだ。



明日はその『アウトサイダー』のマイナス面を書こうかな…。




チャンチャン





また明日。








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180


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






隠密.源ちゃんグループの暗躍  5月20日「寅次郎な日々」その180


その底しれぬ光ファイバーパワー



先日の御前様のことを書いた時に源ちゃんの情報伝達能力のことに触れたが、実際源ちゃんの動きは素早い。
そして時として彼の仲間たちの連係プレイも凄いものがある。


たとえば、第6作「純情篇」では源ちゃんのその能力の一端をさくらが垣間見てしまう。

夕子さんに目がハートの寅を茶化して、源ちゃんが柴又界隈の人たちに吹聴しているのある。

講談ふうに、

「♪寝ては夢〜、起きてはうつつ〜幻のぉ〜、
♪さてこの寅さんの幸せがいつまで
続くことでしょうかぁー!!」

みんなでハハハハハと笑っている。

さくら、呆然…。


このように源ちゃんはある程度人を集めて、面白おかしく伝えるという方法をとるらしい。


               
      いつまで続くでしょうか〜
                



ただし、緊急に伝えたい場合は、グループのネットワークを利用して、光ファイバー並みのすばしっこさで参道を駆け巡るのだ。



第31作「旅と女と寅次郎」で『京はるみ』がとらやに来た時などは、源ちゃんや備後屋タコ社長の活躍であっという間に
とらやの庭に大勢の参道の人たちが溢れんばかりに入ってきて京はるみコンサートが開かれていた。




そしてそのようなネットワークの動きが解き明かされる貴重なシーンがあるのでちょろっと紹介しよう。

第37作「幸福の青い鳥」である。

@美保ちゃんが柴又駅前の『上海軒』に勤めたことが、たまたま客として入った備後屋たちに知られる。
寅が紹介したと聞いて、すぐに過去のデーターに照らし合わせて全てを一瞬に把握。

まず、リーダー格の備後屋が、一緒に来た参道の若い衆に伝達を指示。




              



A若い衆、参道中ごろの店屋の別の若い衆に伝達。

「おい!ニュース、ニュース!上海軒に寅さんの
恋人がいるぞ!」恋人と決めつけ(^^)



B次の若い衆も走る。




             



そして題経寺境内にいるグループの要である源ちゃんへ伝達。




Cそのあとは源ちゃんもどんどん参道の各店に息を切らせて全力疾走しながら伝えていく。
勢い余ってとらやにまで入り込み、「聞いたか!兄貴!寅の恋人がな!…」と寅本人に伝えていた。
凄い人だ源ちゃんは(^^;)




             




と、いうわけで、極めて短い時間に一人が二人、二人が四人、四人が八人と、どんどん増えてあっという間に
上海軒の麺の在庫を切らせるくらい長い行列を作らせてしまうのだ。備後屋たちが食事をして出てきた時点で、
麺が品切れになっていたので、約30分〜約40分くらいの間に店満員&ここまで行列ができたことになる。
源ちゃんはラーメン食べれなかった(TT)よって源ちゃんの後ろの人々も全部食べれませんでした。


備後屋曰く「
お釣りもらった時、手触っちゃったよ、ハハハ!だめだこりゃ(^^;)



             
            




よくよく考えてみれば、これは凄いことだ。強烈なパワー。彼らのパワーは今後の柴又商店街繁栄の
救世主にもなるかもしれない。


もちろんここで大事なのは、どんな内容でもいいわけではなく、ある特殊な条件下でのみ、そのパワーが

生かされるのだ。つまり
『寅の恋人』とのコラボレーションが絶対条件ということなのだ。

まあ、あれだけ次から次へと半年に一度の割合で寅関係の「マドンナ」、それもすげ〜美人が柴又へ
現われれば、みんな嬉しいし、パワーもでるよねえ。

普通あり得ねえ〜!(^^)



チャンチャン





また明日。







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浪花の恋の『山下運輸&松風荘』 推理日記   5月19日「寅次郎な日々」その179


   ― 安治川とともに生きた英男君 ―



昨日、少しまとまった時間ができたので第27作「浪花の恋の寅次郎」の2回目の更新作業を開始したのだが、
石切さんや生駒山中腹の宝山寺は親が住んでいる大阪市鶴見区からもさほど遠くないので、懐かしく思い出し
ながら書いていたのだが、ふみさんの弟さんの英男君が勤めていた大阪港近くの『山下運輸』がどのへんに
あるのかイマイチ特定できないのである。

ヤフーの電話帳サイトで調べてみると『山下運輸』という名前の会社はは確かにあった。大阪市大正区あたりに
あるらしい。この会社でいいのか分からないので一応地図で調べて資料を保存して置く。

まず寅たちが乗ったタクシーが行く道路の標識が『神戸.九条」と書いてあるので、大阪港のそばの九条あたりかなと
一応思いながら見ていくと、運転手さんが降りて道を聞きにいくシーンで『
オレンジ色の大阪環状線』が走っている。
川がその下を流れている。何川だろうか?新淀川、安治川、六軒屋川、尻無川、木津川のどれかだろう。
その鉄橋のそばに
丸いタンクが見える。タクシーが山下運輸の倉庫に止まった時にも向こうにちらっとタンクが見える。
発電所かガス関係かだと思う。


            
大阪環状線と2本の高い煙突そして山下運輸の大きなトラック

                





大正区ということなので、木津川なのだろうか?


山下運輸のトラックが何度かスクリーンに映っているので、実在の会社であることは間違いない。


寅たちが事務所に向かう時も事務所の階段を上がっていく時にも
川に架かる大きな橋が見える。

環状線の鉄橋のそば、事務所のすぐネキ(すぐそば)に川に架かる大きな橋。
川は明らかに運河っぽい。
しかし、いくら探しても大正区の山下運輸の近くでそのような場所がなかなか見つからない。

タクシーから降りた後の背後にある丸いタンクとエンジ色の巨大な建物と大きな赤と白の縞になった煙突。
これは、相当大掛かりな施設だ。


                   
川向こうに大きな発電所と高い煙突

                 





あの映画から25年も経っているのでひょっとしたら、山下運輸はある場所から引っ越して、今の大正区に来たのかも
しれない。この辺は当然貸し倉庫や貸事務所なので十分ありうることである。

そこでもう一度スクリーンを見てみると、寅たちが事務所に上がっていく少し前に、倉庫の外壁に貼ってある『
細長い緑色
をした住所の標識の
下半分』が一瞬僅かに見える。ストップモーションにして9倍拡大して見てみると『○○六丁目2』と
なっている。

また、事務所の階段の下にある『
山下運輸の看板』『明るい心に安全運転』『みんなの笑顔で生きがいのある職場』
『山下運輸株式会社』という大きな文字の下のほうによく見ると『
小さく住所』が書いてある。
ほとんどぼけていて読めないが、これも9倍に拡大とシャープ化をして、なんとか『
大阪市港区○○六丁目
までは解読できた。そうなのだ!山下運輸は、当時は大正区でなく
港区にあったのだ!

それで、もう一度今度は
港区の地図を見てみると安治川があり、河口付近で大阪環状線が鉄橋を渡って
いる!
そしてそのすぐそばに、『関西電力春日出発電所の丸い燃料タンクがたくさんある!あの巨大なエンジ色の
建物も白赤の煙突も必殺航空写真で確かめると写っていた。

そして寅たちが事務所の階段を上がっていく時のあの大きな橋は『
第2阪神国道(国道43号線)が走る
「安治川大橋」
』だった。

この地区の住所は『
波除(なみよけ)』。もう一度山下運輸の看板を最大限拡大してよく見てみると、そういえば
○○の最初の文字は『
』という字だ!!右の方はちょっと読めないがおそらく『除』という字なのは間違いない。
そうなると正式住所は先ほどの六丁目2と合体させて、『
大阪市港区波除6丁目2番地』となる。



                     
看板の下の方に小さく住所が!

                  






地図で早速見てみると、今はもう別の会社になってはいたが、全ての地形と、大阪環状線の鉄橋、安治川大橋、発電所、
はあの位置関係でピッタリ!

あの英男君の山下運輸は大阪港の安治川河口沿い、安治川大橋のネキ(すぐそば)に
あったのだ。




安治川
といえば宮本輝さん原作、小栗康平監督の『泥の河』を思い出す。あの舞台は河口ではなく、もう少し上流の
中ノ島付近のちょっと下流だと記憶している。そういえば『泥の河』は先日亡くなられた田村高廣さんが出演されていた。
あの方の代表作の一つだと思う。


実は、安治川は見れば分かるが人工の川である。貞享元年(一六八四年)、幕府から淀川治水の命を受けた河村瑞賢は
上流まで歩いて流れの状況を調査。河口に新しい川を開削して水の流れをよくし、氾濫による被害をなくそうとした。
この新川は、これ以降淀川の水を海に直接導くバイパスの役割を果たしたのだ。


もちろん、水害対策だけが目的ではなかった。大坂が全国の物流の拠点として繁栄する原動力となったのも、この川のおかげ。
大坂と江戸を往復する菱垣廻船が安治川を往来し、市中の市場と直結した。「出船千艘、入船千艘」といわれ、水の都、八百八橋
大阪の繁栄の中心を担ったのである。

天保二年(一八三一年)には安治川の浚渫「大川浚え」が行われた。川底から汲み上げられた土砂は河口に積み上げられ、
小さな山がつくられた。これが天保山(標高4,5メートル日本一低い山!だそうだ)。この人工の山は、
今は公園として整備
されている。


このもう少し先に弁天埠頭がある。





話は横にそれるが、寅たちがタクシーで山下運輸を見つけた時、バックミラーに
山田監督の顔が5秒ほど映るのをご存知だろうか。
これは5年ほど前に発見した。監督は分からないように、白いキャップを被ってはいるが、しっかり、『山田監督』である。お暇な方は
見てみてください。
第18作「寅次郎純情詩集」に続いて2回目の出演?(^^;)制作的にはミスなのかもしれないが、私にはとても
嬉しい発見だった。


                           
  ↓


                    





さて…、


そしてもうひとつ、英男君の住んでいた『
松風荘』の場所が残っていた。

このアパートの場所は山下運輸より分かりにくい!。

ポイントは国道43号線のすぐそばだということと、山下運輸の前からも見えていた関西電力春日出発電所がこのアパート
の前の道からも見える。発電所と煙突の見え方から推測して、山下運輸から安治川大橋を渡っているのは間違いない。
安治川大橋を渡ると此花区。あの建物と煙突の角度と国道43号線の高架が松風荘のすぐ前だということをあわせて考えると、
春日出中学校の少し西あたりと分かる。



                    
アパートの端から国道43号線の高架が見える

                    






もう一度スクリーンを見てみると松風荘の向こうに僅かに中学校らしき校舎が見えている!それでたまたま
春日出中学校のサイトがあったので見てみると、1977年に写された春日出発電所の見え方がアパートの前からと
ほぼ一緒だった!

おそらく、この位置に間違いないとは思う。住所的には『
大阪市此花区春日出1丁目1番地』となる。
春日出中学校は春日出1丁目2番地。

山下運輸から安治川大橋を渡って徒歩5分くらいというところか。




          スクリーン左が松風荘向こうに発電所と煙突。このアパートのすぐ東側に春日出中学校がある。
  1977年に春日出中学校のグラウンドから撮った写真。アパートより少し東

                         




                  英男君の思い出をたどるオリジナル旅マップ ( 制作:龍太郎 )

                


     

                




矢印@番 : タクシーの運転手が山下運輸が近いと分かって「ネキですわ」と、言った場所。

矢印A番 : 寅とふみさんがタクシーを降り立ち、運転主任さんに英男君のことを訊ねた場所。

矢印B番 : そのあと二人が案内された倉庫の隣の山下運輸の事務所。

矢印C番 : 英男君が住んでいた春日出のアパート『松風荘』。

                



なお、イラストマップは、息子に頼んでちょこちょこっと作ってもらいました。彼は私よりずっと仕事が速い。



以上、ふみさんの弟、英男君の思い出をたどる長く険しい旅でした。


ふー、疲れた。全部で2時間半かかりました(^^;)ゞ。






2010年12月30日訂正事項

昨日、大阪市の熱烈な寅さんファンであるKさんからメールをいただき、
正確には、【4】よりやや北東の黄緑の印ををつけたあたりだと教えていただきました。
上のイラストは息子が描いたものなのでもう動かせませんが、この上空写真は↓のように訂正いたします。
中学校の敷地の真横だったわけですね。




                



                      Kさんが送ってくださった資料(当時の配置図)

                









チャンチャン




また明日。






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178


                          
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豊饒な愛を注ぎ続ける御前様   5月18日「寅次郎な日々」その178



御前様こと柴又題経寺日奏上人

それくらいのことがわからないで題経寺の住職が務まりますか、ハアーァ!、ハアーァ!、ハアーァ!

源ちゃんと言う隠密をいつも門前町に泳がせているので参道界隈のことならたいていのことは数時間以内に
把握しているのだ。臨時の隠密として備後屋とタコ社長が控えている(^^;)


「柴又の平和を乱す者」を懲らしめるのは御前様の役目。そして門前町の誰にも優しく、時には厳しく
人生の羅針盤となって、常に柴又を照らしてくださっている。

何か困った時にはさくらも、寅も、もちろん御前様に相談に行く。


しかし、御前様は、それだけに終わらない。豊饒な愛を「祝い金」「餞別」「見舞金」「見舞品」「祝い品」など
に託して、お布施や到来ものを門前町の人々に還元し、彼らの暮らしを実質的にも守っているのである。
ここがさすがなところ。



とらやさん関係だけでも


第4作「新男はつらいよ」では寅たちのハワイ旅行のために「餞別」

第12作「私の寅さん」でも九州旅行に行くさくらたちに「餞別」


第13作「寅次郎恋やつれ」では寅の結婚の前祝に「ウイスキー」

第14作「寅次郎子守唄」では博の怪我に「見舞の果物」




          



第16作「葛飾立志篇」では学問を始める寅に対して「万年筆」&「ありがたいお言葉の色紙」

第18作「寅次郎純情詩集」では綾さんに対して「見舞品」&「りんご」

第25作「寅次郎ハイビスカスの花」ではリリーに「見舞金」

第26作「寅次郎子守唄」では、引越し祝いに「大きな時計」




            




第29作「寅次郎あじさいの恋」では恋の病の寅に「見舞の果物」&「見舞金」

第30作「花も嵐も寅次郎」では到来もののおすそわけで「マツタケ!」

第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」では「満男の中学入学祝い」

第38作「知床慕情」ではおいちゃんの入院に「見舞の花」

第39作「寅次郎物語」ではおふでさん探しに「餞別」

あ〜等々キリがない。



それだけではない。姪の礼子さんに寅の家庭教師するように言ったり、寅に、仕事を与えたり、
花子ちゃんに仕事を与えたり、寅の坊主の修行を手伝ってやったり、さくらたちの結婚式や
ひとみちゃんの結婚式に出席したり、喧嘩の仲裁に入ったり、日米友好の架け橋になったり、大車輪の活躍だ。

もっともとらやさんの方も、御前様の親戚の岡倉先生や筧礼子さんをとらやの2階に下宿してもらったりして、
日ごろの恩返しをしていた。

もちろん、御前様は、参道の家々に分け隔てなく同じように奉仕されていると思われるので、
その費用だけでも毎年莫大なものになると思われる。

有名なお寺さんだし、観光地でもあるので檀家からの寄付や贈り物も多いとは思うが、
それでは足らないことは明白。ルンビ二ー幼稚園の収益もあるにはあるが、奉仕的な御前様の
ことだからまだ足らないだろう。


で、それゆえ御前様は稼ぐ時は稼ぐのである。

お盆やお彼岸の時にはお経を短めにし、どんどん檀家を回っていくのだ。 



今日はスケジュールが詰まっていますからお経は少々短めに




御前様のフットワークは軽い。



            





チャンチャン





また明日。



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私の好きな『寅の夢』 SFもの2篇   5月17日「寅次郎な日々」その177




はてしなく広がるイメージの海


寅の夢は凄い。あんなメチャクチャでグローバルな夢を34回も見続ける人間は、この地球の
中でも寅以外にない。よほどイメージが豊かなのだろう。ほぼ毎回登場するのはさくら。これも
旅の日々の中でさくらのことをいつも気にかけ、心配している心の現われなのだろう。

夢はだいたいどれもこれでもかというくらいおチャラケてはいるのだが、なかなかどうして鮮やかで
感動的で印象深いものが多く、いかにこの「夢の制作」にスタッフたちが遊びながらも集中力を
持続させていたかが分かる。中でも、第15作「キャプテンタイガー」第16作「タイガーキッド」
第18作「アラビアのトランス」はこのシリーズの最も華やいだ夢であり、ひとつの作品としても鑑賞できる
ものだと、私は勝手に思っている。しかし、ほんとうはそれ以外でも私が個人的に気に入っている夢は
まだまだたくさんあるのだ。


で、今日はその中でも私の好きなSFタッチの夢を2編、ちょろちょろとエキス部分だけ紹介してみましょう。




第21作「寅次郎わが道をゆく」の夢 「UFO」

34回もある夢の中で、最もバカバカしく笑える夢。夜空にUFO!見た目は寅の帽子。へんに可愛いUFO。
帽子のへこみもなぜかある。まったく馬鹿馬鹿しいこの円盤の形だけでもう1本技あり!だ。

第3惑星出身、寅のあのギンギラギンの背広。ダボシャツまでが光っている(^^;)でもやっぱり腹巻はしている。テグスが
丸見えの宙に浮いたカバン。そしてあの渥美さんのなんだか変な動きとしゃべり。よくキャストの方々みんな笑わないで
我慢してるなあ。なにもかもがナンセンスで面白い。倍賞さんもさすがにこの時ばかりは笑いながら寅を説得していたのが
とても印象的(^^;)全編通して深刻さゼロ。




                
「あなたのお兄さんの寅次郎さんは…」
               



御前様の許可も無く題経寺の境内にUFO降り立って、中から源ちゃんら3匹の猿人たちが!。源ちゃんだけサルのマスク被って
いないのが凄い演出!さすが山田監督!最高に笑えた。

寅が円盤に乗って行ってしまう時もさくら叫びながらも終始微妙に笑っていた。結局最初から最後まで倍賞さん微妙に笑いっぱなし。
笑うよねえこれは、やっぱり笑いますよ。最後は、エンスト気味に、スクーターのエンジン音。

柴又の店並みもこのシリーズで一番チープ(^^;)ザッツ.エンターテイメント!

おまけ:源ちゃん乗り遅れて、置き去り…(TT)柴又消防団員にタモで捕獲されていた。あのあとどうなったんだろう…。



夢から覚めて 田舎の駅のホームでピンクレディのUFOが流れる。 チャンチャン



               
     源ちゃん置き去り…(TT)
               








★第34作「寅次郎真実一路」の夢 「大怪獣ギララ」


この怪獣ギララ、ものを壊しまくるのだが、なぜか憎めない。怪獣のデザインもいい。でも『カネゴン』の親分みたいかも(^^;)


宇宙大怪獣ギララ」は実はもともと1967年の松竹映画。人間ドラマ路線だった松竹が当時の東宝などの
怪獣路線に乗っかって、
つい、ちょっと作ってしまった映画(^^;)。当時、なんと倍賞さんがテーマの歌「
ギララのロック」を
歌っていたらしい。この映画、未だに私は見ていない。歌聴きたい…。

特撮&合成はやっぱり…イマイチ(^^;)あああ…松竹さん…やっぱ無理があるかも。



              
1967年時の映像を拝借していた(^^;)
              



で、それから14年後の1984年、この年にリメイクされた他社の「ゴジラ」にまたまた対抗してか、遂に第34作「寅次郎真実一路」
でギララが復活したのだ。と言っても、その1967年時の映画で使われたギララの映像をそのまんまこの夢でバンバン拝借して
使っていたのが残念といえば残念。
新しく作るとどえらくお金かかるからしょうがないかもね。博はギララのことをエリマキトカゲに
似ていると言っていた。当時流行ってたんだね、エリマキトカゲ。


タコ社長がこの夢ではなかなか存在感を見せている。
吉田茂ばりの首相で渋く決まっているのだ。第27作の夢でタコの
ぬいぐるみを被らされた太宰さん。今回はなかなかカッコイイ!吉田茂にほんとよく似てる。
官房長官をなぜか源ちゃん!
が務める。日本はこれで大丈夫か??怪獣なんかより源ちゃんのほうが心配(^^;)

それと、この夢は、第20作の夢同様、さくらがいやもうなかなか麗しく美しい(^^;)ゞ




       
          この二人で日本は大丈夫なのか??
                   





     さくらの雰囲気は捨てがたいものがある。
          

             


最後、帝釈様の
お守り光線というベタな解決方法がいかにも寅が見る夢っぽくって笑える。



でもギララは寅のことが好き。会いに来たんだね、筑波山麓まで。


断末魔の声が切なく空に響きわたる。


ト〜ラ〜…、ト〜ラ〜サアアアン…(TT)



             




夢から覚めたら、子供が当時流行のゴジラのぬいぐるみを被って寅に悪戯。「ガオー!」

チャンチャン




また明日。









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『寅次郎な日々』バックナンバー






寅のちっちゃな武器 『手土産物語』そのC  5月16日「寅次郎な日々」その176


3日前から寅の手土産について書いている。今日はその最後。

寅は普段、勝手気ままな、旅を続けている。
それゆえ、寅が堅気になってくれることを待ち望んでいるおいちゃんたちを
ずっと長い間裏切り続けているとも言える。だから久しぶりに帰ってきても
なんだかいつもバツが悪いのである。そんな寅の
気休め的なギクシャク緩和剤が例の『手土産』なのだ。この手土産の周辺にはいろいろなドラマが待ち受けている。


昨日は第31作までだったから今日は第32作から書いていこう。




★32作「口笛を吹く寅次郎」では、朋子さんのことで、すべてはうわの空。それゆえ手土産を買う心の余裕無し。
 手土産どころか『
岡山からのキップ代未払い!』で柴又の駅員さん「うわ〜」凄い長距離…(><;)
さくらあのあといくら払ったんだろう…(−−;) 



★33作「夜霧にむせぶ寅次郎」『
満男の中学入学祝に盛岡から小さな地球儀を郵送
 入学を覚えていてくれたので一同しんみり。これはなかなか好印象を植えつけることに成功していた。
この地球儀は後に第41作で、ウイーンの場所を寅に満男が教える時に活躍。もっとも、寅は理解できなかったようだが…(^^;)



★34作「寅次郎真実一路」 『
緑の手土産』持って帰って来たが、いきなりあけみが泣きついてくる。土産どころじゃなくなる。
 参道中を巻き込んでタコ社長との世紀の大喧嘩!「
柴又の平和を乱すのはおまえか」と御前様が叱りつけていた。



★35作「寅次郎恋愛塾」 『
四角い手土産』持っては来たが、『若菜さんからの手紙』のことで頭一杯。備後屋に会っても、
 「あ、備後屋さん、あなたにも神のお恵みがありますように…」と十字をきるにわかクリスチャンの寅(^^;)さくらたちに手紙ないか
 聞いてみるが3通来ていた。「
柴又商業の同窓会、会費納めてください」「紳士服大バーゲン」「あなたもリゾートマンションの
 オーナーになりませんか
」ろくなのないなあ〜(^^;)
 そこへ郵便屋さんが若菜さんの手紙持ってきたもんだから床屋行くふりしてそのまま若菜さんのコーポ富士見に直行。普通いきなり
 行くかあ?あの短あ〜い手紙くらいですぐに飛んでいくなんて…。まあ、若菜さんも結果的には大歓迎で喜んでいたのでいいんだ
 けどね(^^;) 

おいちゃんの名セリフ「
あーあ、いないと懐かしい男なんだけどな

ちなみに、テキヤ仲間のポンシュウに大人の娘さんがいることが判明。



★36作「柴又より愛をこめて」 『
四角い手土産』を持って源ちゃんを連れて帰って来たとたん、とらや一同&タコ社長が
 待ってましたと土煙をあげて寅を追いかけてくる。
お茶、ビール、蕎麦、今までに無いもの凄い歓迎!それもそのはず、
 タコ社長の娘のあけみがいなくなって下田で寅に会いたがっているらしい。寅に探して欲しいということだった。
 タコ社長に頼まれ意気に感じた寅、参道を駅にまっしぐら。道の途中で、ようやく自分の手土産に気づいて、さくらに手渡し、
 さっそうと一路下田へ。それで実際に見つけてしまうから寅って凄いね。遊び人下田の長八のおかげ(^^)



★37作「幸福の青い鳥」ではこれまた『
四角い手土産』 もうヘロヘロ、ぐったり…。 理由:「青い鳥を探し求めてなあ…
 美保ちゃんからの電話のことを聞くや否や凄い勢いで、なんでもっと優しく応対しなかったとおばちゃんに怒り出す。すねてそのまま
 出て行こうとする寅、店の前でバッタリ美保と出会う。メデタシメデタシのパターン。



★38作「知床慕情」でも『
赤い手土産』を持って帰るが、店は閉まっていた。おいちゃんが肺炎で入院したのだ。寅は、いやに張り切って
  『
腐りかけたバナナとウイスキー』を、第14作で京子さんが昔勤めていた吉田病院まで持って行って、
 いつものように顰蹙を買ってしまうはめに…。なにごとも過剰な寅でした。
 



                 




★39作「寅次郎物語」『
四角い手土産』を持って「はいよ」っておばちゃんに渡していたが、『秀吉がすでに来ている』ので、
 それどころじゃなくなる。第16作の「
順子ちゃん効果」と同じパターン。寅が父親代わりのイメージ。秀吉のことで寅も含め
 みんな頭が一杯になる。寅が帰って来てくれたのでとりあえずは一同安心。第36作のあけみ探し同様、このように、寅がとらやで
 存在意義がある時は寅も気持ちがとても安定する。で、和歌山に向かって出発!みんなに餞別もらって意気揚々とおふでさん探しに
 出かけた寅でした。



★40作「寅次郎サラダ記念日」またもや、恋の悩みで朦朧としていた寅は『
肌色の手土産』を持って帰ってくる。手土産を
 なんとか渡そうとするが三平ちゃんが大声で挨拶するので辟易する寅だった。真知子さんのことで頭が一杯の寅、ずっと朦朧。
 「あ〜あ〜、今ごろどうしているかな…、悩んでいるだろうな…」 さくらたち、医者は男がするものと決め付け、看護婦さんが出てこない
 なあって、不思議がっていた(^^;)



★41作「寅次郎心の旅路」でも『
四角い手土産』を持って、そ〜っと、夜に帰ってくるが、とらやの面々は茶の間で寅の飛行機
 チケットとパスポートを見ながらひそひそ話している最中。後ろからそっと忍び寄る寅でした。もうみんな真剣にほんとに明日ウイーンに
  行くかどうか話し合っていので、寅を見てみんなビックリ仰天。矢継ぎ早に質問攻め&非難。

ちなみにテキヤ仲間のポンシュウはすでに外国旅行に行っていたことが寅の言葉で判明。

 あ〜、それにしてもそれにしても『
競輪の万車券』もったいなかった!!せっかく、第4作、ワゴンタイガーの再来だった
 のに!
     


★第42作「ぼくの伯父さん」浪人している満男のために『
頭の良くなる機械』を買って来た。夕飯時にタコ社長箱空けて
 大笑い、中から出てきたのは『
エジソンバンド』社長も中学生の時買ったらしい。いかにもまやかしもんなので大笑い。
 「バカバカしくていいや、寅さんらしくてな!、ハハハハ!」 その時寅は金も無いのに満男と酒を飲み交わしていた。しょうがないので
 さくら、泣く泣く1万円払わざるをえなくなった。さくらも博も激怒!エジソンバンド効果は吹っ飛んでしまった!1万円は痛いよなあ…。
 エジソンバンドをもらった満男は自分の部屋や江戸川土手でちゃんとおでこにはめていたから面白い。藁をも掴む気持ちなんだね。
 痛いほどわかるなあ、その気持ち、うんうん(^^;)
 源ちゃん満男からはめさせてもらって「
あ、効いてきた!」結局満男から千円で買ってしょっちゅうはめていた(^^;)




                  




★43作「寅次郎の休日」寅が『
四角い手土産』持って帰ってくるが、さくらは満男の引越し問題や、泉ちゃんとのことで
 心配が絶えない。寅も空気が弾けていないのでいやに会話がしにくそうだった。四角い手土産は今回も満男のためのもの。
 「
えーと、こう、開くだろ、右っかたに英語がついてて左っかたに日本語がついている、本!
 つまり『
辞書』を買ってきたのだ。寅にしてはまともな土産!!エジソンバンドとの差は凄い。 さくら感激!



★第44作「寅次郎の告白」『
茶色い手土産』を持って帰って来たが、すぐに市川のほうに仕事に使う「サクラ」を探しに行く
 ということで、忙しそうだった。いつも工場が苦しい社長もこの年は注文の仕事が増えて人手不足気味。第35作ではオフセット
 入れてから人手が余って困ってるって言ってたのにうまくいかないね〜。



★第45作「寅次郎の青春」足を捻挫して、帰って来たので、手土産どころではない。ただ、柴又界隈の人々のいる前で
  「
反省の弁と心配をかけたお礼」を言って、みんなに感心されていたので、まあそれが手土産がわりだったかな。



★第46作「寅次郎の縁談」『
緑の手土産』&家出した満男が送ってきた小包ママカリ』で甥伯父ダブル手土産。
 さくらたちを助けるために満男を瀬戸内海の琴島に探しに行くことになった寅でした。この帰郷の際に満男の家出ごときで
 大騒ぎするな、と言い切る寅におばちゃんはこう言うのである。

あんたの帰ってこない20年間、あんたのおっかさんや私たちがどんなに心配したことか!

 
このシリーズでほとんど語られることの無かった、寅の育ての母親、つまりさくらのお母さんのことを、
 はじめておばちゃんが口に出してくれた。私は常々、さくらのお母さんの存在こそがさくらや寅の人格形成に
 大きく寄与したと思っているので、おばちゃんのこの発言はちょっと嬉しかった。ようやくさくらのお母さんが
 少しは物語の中に入り込んできたのだ。(それ以前、寅の夢の中に少し出ては来ていたが)そして、
 第47作の茶の間での消しゴムつき鉛筆を売るための「寅のアリア」によって、ようやく『さくらのお母さん』は、
 『寅のおふくろさん』にこの映画の中でなりえたのだった。しかし、それはあまりにも遅い登場だった。


 
ちなみにテキヤ仲間のポンシュウは、嫁さんをとっかえひっかえしていることが判明(^^;) 



★第47作「拝啓車寅次郎様」黄緑の手土産を持って帰って来たが、カヨちゃんは前回のことなどすっかり忘れて、「何にしますか?」
  と聞いていた。今回も満男のために寅は「
入社祝い」を用意していた。もっとも中身のお金はさくらが出していたという
 お粗末(^^;) ちなみに、カヨちゃんは、第48作でも同じように、鹿児島からとらやに電話した寅に「誰ですか?」と聞いていた。
 どんなことがあっても寅のことをなぜか覚えないカヨちゃんでした(^^;)



★第48作「寅次郎紅の花」では、『
神戸からビスケット』を阪神大震災の直前に送っていた。長田区の神戸パンの石倉さんが寅に
 お世話になったということで『
手作りクッキー』をさくらたちに渡しにきたのでもう十分。最後の最後は、奄美からリリーを引き連れて、
 もしくはリリーに引き連れられて(^^;)帰って来た。この時は参道のみんなにそれこそ大歓迎されていた。
 『
手土産はリリーが紙袋にたっぷり持ってきた』のでOK!
 
あとでカヨちゃんが荷物全部運んでいた。ラストは、このようにみんなで寅の存在自体を歓迎していたということだろうか。
 この場面は、いやにみんなニコニコしていて予定調和しすぎると批判も多いが、まあ、こういう終わり方もいいでしょう。




                 
               





と、いうことでようやく48作品の手土産物語の考察もお開きです。ふ−…。




また明日。




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寅のちっちゃな武器 『手土産物語』そのB  5月15日「寅次郎な日々」その175


一昨日から寅の手土産について書いている。

寅は普段、勝手気ままな、旅を続けている。
それゆえ、寅が堅気になってくれることを待ち望んでいるおいちゃんたちを
ずっと長い間裏切り続けているとも言える。だから久しぶりに帰ってきても
なんだかいつもバツが悪いのである。そんな寅の
気休め的なギクシャク緩和剤が例の『手土産』なのだ。この手土産の周辺にはいろいろなドラマが待ち受けている。


昨日は第26作までだったから今日は第27作から書いていこう。


★27作「浪花の恋の寅次郎」では大阪からの手土産が面白い。もうなにからなにまで大阪づいているので手土産も
 『
大阪のおこぶさん』 寅曰く「おじん、これな、大阪のおこぶさんやで食べてんか」おいちゃんつられて「おおきに
 おばちゃんもつられてお客さんに「
おいでやす」それにしてもタコ社長の大阪弁は超メチャクチャだった(^^;)




                     
     おこぶさんやで
                   





★第28作「寅次郎紙風船」では、 寅、いつものようにチリ紙交換に隠れてうろうろ。しかし、気を取り直して
 さくらに『
緑の手土産』を「例のヤツ」と言って渡す。そして今回はもう一つ満男のためにおもちゃを用意した。
 『
広告入りの紙風船』だ。寅は自信満々で「紙風船」を膨らませて満男に渡す。満男何の感動も無く「なにこれ?
 しょうがないので、いい年したおいちゃんとさくらで10回もラリーをして楽しく遊ぶ(^^;)もちろん寅に見破られて
 寅「あたくしこれで失礼します」




                      
 さくらもたいへんだね…
                   




★第29作「寅次郎あじさいの恋」では かがりさんの例の出来事のあと、いつもの病気になって朦朧として帰って来た寅。
 御前様には『いつだってあれは朦朧としている』と言われ、オレは駄目な男だな…とつぶやいていたと、さくらが伝えれば
 御前様もう一度『そんなことは前からわかっています』と追い討ちをかけていた。散々な寅だった。このように寅があまりにも
 恋の病で朦朧としているので、手土産にみんな意識がいかなかったが、実はこの作品の手土産は第4作の『100万円』を
 はるかに超える金額の物だ。つまり
このシリーズで最高に高価なお土産だったのだ。そう、さくらもファンの人間国宝
 の焼き物師『
加納作次郎』が焼いた『打薬窯変三彩碗である。神戸の美術館が買いたがっていた傑作。このシリーズ
 で『
最も高い手土産』の効果は残念ながらとらや一同に見る眼が無いのと寅が病気なので全く無し。駅前のみやげ物屋
 で適当に買ったものと思われていた。ついでに買ってきた『
丹後せんべい』のほうがみんなの意識が高かったようだ(−−;)
 あー、それにしてもタコ社長、一応寅の正式な土産なんだからいくらなんでも灰皿に使うなよな…。

 かがりさんとのデート先、鎌倉&湘南では『さざえ』を買い、満男に持たせていたようだ。 
 満男には、『
ごくろうさん&泣いたこと黙ってろよ料』として『プラモデル』を買ってやっていた。



                 
あの茶碗、博は結構気に入ってたんだけどなあ…
                  



 


    
★第30作「花も嵐も寅次郎」では江戸家の桃枝といちゃついてたので、おいちゃんたちいきなり怒って、歓迎ムードゼロ。
 寅も『
四角い手土産』もったまま2階に。おいちゃん怒り収まらず、タコ社長とも喧嘩して家を出てしまう時に、
 ようやく『土産』をほり投げていた。

 三郎青年と飲まず食わずで大分から車で戻ってきた時は、一文無しで自分の身が危ういので手土産どころの話
 じゃない。おばちゃんにとっては『
三郎青年』が目の保養になって手土産代わりになったかも(^^;)



★第31作「旅と女と寅次郎」では 腹減らして風に飛ばされながら帰って来た。 さくら手土産を渡されて随分軽いもん
 なのね、と言っていたが、それもそのはず 『
タタミイワシ』だった。「軽いけど値段はいいよ」と寅は自慢げ。これは
 おいちゃんの大好物!ここまでは久しぶりに手土産効果抜群でよかったが、調子に乗って満男の運動会でさらに役に
 立とうとする。ところがこれが裏目に出るのだ。この騒動はなんだかいやに哀しかった…。

 そのあと、佐渡で京はるみさんにもらった『
エメラルドの指輪』はこのシリーズでたぶん2番目に高いお土産。
 しかし、寅の『
東芝ウォーキー騒動』のほうが目立って、この指輪は寅の説明の小道具がわりに使われただけ。
 それでもおばちゃんは本物かも知れないと眺めていたが、さくらは贋物だと決め付けていた。とほほ。
 でも宝石の鑑定って実際難しいんだよね。で、この指輪は第29作の『三彩碗』同様、値段の割には『見る目がないので』
 もうほとんど効果なし。この手のものはとらやに持ってきても意味ないことがよーくわかった。チャンチャン。



あららら、また時間が来てしまった。なかなか前に進まない企画だなあ〜(^^;)ゞ




ということでまた明日。






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寅のちっちゃな武器 『手土産物語』そのA  5月14日「寅次郎な日々」その174


昨日から寅の手土産について書いている。

寅は普段、勝手気ままな、旅を続けている。
それゆえ、寅が堅気になってくれることを待ち望んでいるおいちゃんたちを
ずっと長い間裏切り続けているとも言える。だから久しぶりに帰ってきても
なんだかいつもバツが悪いのである。そんな寅の
気休め的なギクシャク緩和剤が例の『手土産』なのだ。この手土産の周辺にはいろいろなドラマが待ち受けている。


昨日は第11作までだったから今日は第12作から書いていこう。


★第12作「私の寅さん」では『
白い色の手土産』を持って帰ってくるが、さくらたちはこんなこと吹っ飛んで寅の顔を見るなり
 真っ青になる。ちょうど運悪く、明日から九州旅行に行こうとしていたところだったからである。その晩は大もめ。でもさくらの真心が
 通じて寅は納得、めでたしめでたし。九州旅行から帰ったらさくらたちがお土産をいっぱい持ってきていた。寅は長旅で疲れた
 さくらたちに心のこもったもてなしをして上げていた。あれはほんといい場面だったね。
     


第13作「寅次郎恋やつれ」では、島根の温泉津から持ってきた豪勢な『海の幸( わかめ 真空パックの魚 干し魚)
 それだけで終わらない、おいちゃんには『
温泉津の焼き物』。 源ちゃんには『余った煎餅1枚』(^^;)と、この作品は
 お土産攻勢。そしてそれらを遥かに上回るなによりも大きなお土産は寅の『
重大発表!』の宣言だった。それでどうなったかは、
 みなさんご承知の通り。



                



第14作「寅次郎子守唄」では手土産は無いが、大喧嘩した後、さくらに『さくら名義の郵便貯金通帳と印鑑』を渡していた。
 出て行くときに渡したのでよけいに切なかったね。また佐賀の呼子から戻った時は凄い手土産、つまり『
赤ん坊』を持って
 帰って来た。みんな困ってはいたが、おばちゃんは、なんだかんだと結構張り切っていた。




★第15作「寅次郎相合い傘」では、手土産どころではない寅だった。リリーにひどい仕打ちをしたことを悔やんで帰ってきて早々
 店の中で半分ノイローゼ状態。その時リリーが現われた!ということで、この作品の手土産は『
リリーの笑顔』チャンチャン(^^;)


第16作「葛飾立志篇」は『ワサビ漬け』を持っては来るが、もうすでにもっと大きな手土産を持ってきて役目を果たしてくれる
 『
最上順子ちゃん』がいるので寅もOK。お雪さんの話でいきなり持ちきり。寒河江からの帰りも『うすピンク手土産
 はあるが『
礼子さん』と一緒にもどってくるので、目がハートで自ら手土産なんかぶっ飛んでいる。一同困った〜(^^;)


第17作「寅次郎夕焼け小焼け」ではせっかく 『ワサビ漬け』を渡し、かつ、『満男の入学祝』まで用意してさくらを待っていた
 寅だったが、『入学式騒動』で全てめちゃくちゃ。龍野の帰り際には、 『
ぼたんから渡された2つの龍野の名産』を持たされて
 いたので、あれをとらやに上げたのは間違いない。しかし贅沢が身についてそれ以上にみんなに顰蹙を買っていた寅でした。


★第18作「寅次郎純情詩集」でも寅は『緑の手土産』を持って帰ってくるが、満男の担任の先生が今にもやってくるので、
 さくらたちはそれどころじゃない顔。結局、寅は雅子先生とかちあって目がハート(__;)


★第19作「寅次郎と殿様」では、寅はなけなしの金をはたいて可愛い『こいのぼり』を満男のために買ってくる。あー、しかし、
超運の悪いことにさくらたちが本物のこいのぼりを庭に揚げたばかりだったから大変。満男は本物と比較して可愛い声で
たいやき〜♪」寅、ブス…(−−メ)今回はせっかくいつもより工夫して知恵絞ってタイミングよく買ったのにね。



                  




★第20作「寅次郎頑張れ!」では、土産無し&ワット君と『押し売り騒動』で大喧嘩、おまけにパトカーまで呼ばれて…。
  平戸からひとりで戻ってきた時は江戸川土手で、ほとんど行き倒れ状態だったので、この作品は手土産どころの話しではない。

★第21作「寅次郎わが道を行く」でも、手土産は無いが、おいちゃんの床上げ祝いに『祝い金』を包んで出していた。
 これは寅にしては絶大な効果があり、おいちゃん、涙ぐみながら、仏壇に供えていた。しかし、その直後の寅の「とらや改造計画」を
 聞いて全ては台無し。


★第22作「噂の寅次郎」では、寅は一人でそっと彼岸の墓参りをしていた。たまたまおいちゃんたちも墓参りにきたので、
 そのことが分かったのだが。この時寅は菊の花を花入れに入れていたので手土産は『
墓参りと菊の花とお線香』ということに
 なる。もっとも、隣の家の墓に参っていたというオチがつくのだが…とほほ。でも、寅も気まぐれ的とはいえ墓参りする気持ちが残って
 いるんだね、安心したよ。他人の墓参りばかり普段しているので、身内の墓参りは全くしないのかと思っていた(^^;)
 木曾からの帰りは、『
凍り豆腐』を渡していた。


                     
隣の墓に引越し(^^;)
                  






★第23作「翔んでる寅次郎」では『
白い箱の手土産』、そしてなによりもおいちゃんへの『アメリカ製の整髪料』をプレゼント
 していた。おいちゃん、結構喜んで顔につけていたが、後に髪の毛につけるものだということが判明。でもおいちゃん太っ腹、
 顔も毛が生えてるから同じだって笑ってた。いいねえ、おいちゃんのこういう言葉。北海道帰りにも『
黄色い包み紙の海産物



                    
喜んで匂いをかぐおいちゃん
                  




★第24作「寅次郎春の夢」では『
籠に入ったぶどう』寅は、これは初物ということで『自信』があったらしいが、運悪く、
 とらや中ぶどうだらけ。2階もぶどうだらけ。タコ社長も1箱ぶどうを持ってきて、駄目押しは博が寅のぶどうを「これまずい」と
 言ってしまう。で、寅そうとうイライラ。最後の〆はいつものタコ社長が「虎がオリから逃げ出した話」をくどくどして、寅は爆発!
 出て行く。そのあと、和歌山から帰って、今度こそみんなと仲良くやっていこうと思っている寅は『
紀州の梅干』を手土産に
 持って帰ってくる。しかし、ああ、運の悪いことにこんどはぶどうではなく大きなアメリカ人がとらやに居座っていた。すったもんだ
 の末になんとか黙認する寅だったが、もって帰って来た梅干をマイケルにいたずらで食べさせるはめに。果てしなく続く日米決戦
 でした(−−;) この戦いはたいへんだったよ。

★第25作「寅次郎ハイビスカスの花」では『
ワサビ漬け』を持って帰るが、『あやめ見物騒動』にぶつかり、もうめちゃくちゃ。
 おまけに寅が郵便屋さんから受け取った『
リリーの速達』によっててんやわんや。次の日に苦手な飛行機に乗って沖縄へ。
 沖縄から戻る時は完全な行き倒れなので手土産は『
戸板に乗せられた寅自身』…そんわけないか…(^^;)

★第26作「寅次郎かもめ歌」では『
赤い樽型の漬物』もさることながら、なんといってもさくらたちの一戸建て引越し祝いの
ために『
現金2万円を入れた引越し祝い金!』が光っていた。博は恐縮して祝儀に釣りを出してしまう。おまけにタコ社長の
「偽札」発言で大喧嘩。これは悲しい騒動だった。ちなみにこの2万円は源ちゃんから借りたもの。あれ返したのかなあ…。
奥尻島から帰った時はすみれちゃんを連れてくる。『
すみれちゃんが奥尻名産を持って来た』のでOK。しかし直後に
青山巡査に寅が誘拐犯と思われ、遂にすみれちゃんの啖呵が飛び出す。



                   



おっと、夜が更けてきた。今日はこの辺でお開きということで。


また明日。





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寅のちっちゃな武器 『手土産物語』その@  5月13日「寅次郎な日々」その173


寅は普段、とらやを顧みず勝手気ままな旅を続けている。
本来ならとらや7代目の店主なのだが、まったくそれはやる気がないことは第38作「知床慕情」 で実証済み。
困ったものだ。その割には、金欠病になったり、ホームシックになった時には突然戻ってくるのだ。常に自分勝手な
部分が見え隠れする寅の行動、それはうすうす自分でも分かっている。
それゆえ、寅は常にきまりが悪そうに入ってくる。店の前を行ったり来たりおろおろしてしまう。近くから電話してみたり、
変装をしたり、隠れ蓑を使ったり、偶然のふりをしたり、そうとう気を使うのである。


第8作「寅次郎恋歌」で寅がおいちゃんにこう言ってしまう。

歓迎されたい気持ちはあるよ、だけど、おいちゃん、オレはそんなに歓迎される人物かよ
寅の本音がここにある。やっぱりどうもバツが悪いのだ。


そんな寅の駄目もとのちっちゃな武器が『手土産』だ。

おいちゃんは、どうせ上野あたりで100円出して買ってくるんだろう、って言っているが、それでも寅にとっては、
これがあるかないかではとらやへの入りやすさが若干変わってくる。


そこで今日から何回かに分けて、それぞれの作品でどのような品物を携えて帰ってくるかをちょろっと書いてみようと思う。




 まず、
★第1作では20年ぶりの帰郷の割には手土産無し。その代わり、バイネタの『
電子応用のヘルスバンド
 をおばちゃんたちに上げてなんとか間に合わせる。これはおいちゃんたち喜んでいたかも。
 家を出たあと奈良から帰ってきた時は『
丸い漬物を手土産に持ってきたのに、冬子さんに上げてしまっている。
 これは逆効果(^^;)


第2作「続男はつらいよ」では、 手土産は無し、その代わり滞在しないで、すぐに出て行き、題経寺前で『5千円』を
 満男にと、さくらに上げる。まあ、もっとも直後に財布見ながら「痛かったなあ!」って嘆いてはいたが(^^;)
 ちなみに第5作で、
さくらは、お金が必要な寅のためにその5千円を戻してあげる。さくらは使わないで取って置いたのだ。

第3作「フーテンの寅」でも、 手土産は無し、それゆえか入りづらくて、近所の赤電話からとりあえずみえみえの電話を
 してしまう寅だった。


             



★第4作「新男はつらいよ」では、手土産どころではない凄い土産を持参する。名古屋で馬のワゴンタイガーを当てた寅が
 『
現金100万円』を持って凱旋したのだ。それで 『ハワイ旅行』に行こうとするが…。その顛末はご存知の通り。
 ああ〜もったいない! 


第5作は手土産はないが、死んだと思ったおいちゃんのために『井上葬儀店』 を呼んでいる。凄い手土産…こわ(^^;)
  また、浦安から『
油揚げの小包』を送ったのはいいが、油揚げが腐っていた。当時はクール宅急便が無いからね。

第6作「純情篇」ではせっかく 『赤色の手土産』をぶら下げて帰ってくるが、おいちゃんたちは下宿している夕子さんの
ことがあるのでギクシャク。 


★第7作「奮闘篇」でも 『茶色の手土産』を持ってくるが、おいちゃんたちの歓迎のための芝居がバレて、寅がすねてしまう。
 花子が心配で再び戻ってきた時はめがねに口髭つけて変装までしていた。よっぽど入りにくいんだねえ(^^;)



                




★第8作「寅次郎恋歌」では、せっかくおいちゃんに『孫の手』を買ってきたのに、第7作同様、芝居がバレテしまい、またもや
 すねる寅だった。 貴子さんには『
リンドウの鉢植え』を渡したりしてそれなりの効果をだしてはいた。



                



★第9作「柴又慕情」でもやはり『白い手土産』を持ってきたのに、いきなり例の『貸間あり騒動』で、手土産置いて無言で
すぐ出て行ってしまい可哀想だった。このあたりは帰ってくる早々とらやさんと上手く行かず、受難の時代が続く。 


★第10作「寅次郎夢枕」でも、ここ数年空振りが続いているせいか、寅は相変わらず入りにくそう。タコ社長の工場から
 忍び込んで、庭先で自分の悪口を言っているのはないかとやっぱり疑っている。しかし、今度はおいちゃんたちの下手な芝居が
 奇跡的に成功して寅は改悛!手土産は無し。
改悛が手土産みたいなものかな。

★第11作「寅次郎忘れな草」では、『白い手土産』を持ってきたのだが、父親の法事騒動でごちゃごちゃになる。そのあと、
 がんばって、満男のためになけなしの持ち金をはたいて『
おもちゃの赤いピアノ』を買ってやるのだが…これには悲しい
 結末が待ち受けていた。

あのおもちゃのピアノには
寅の心がこもっていたよ、さくら。



おっと、日付が変わったので、今夜はこれでお開きということにしてまた明日。








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寅の心を揺さぶるさくらの言葉  5月12日「寅次郎な日々」その172


いいのよお兄ちゃん、今までどおりで

これは第28作「寅次郎紙風船」のさくらの言葉。


寅は即座に「よくない!おまえがそうやって甘やかすからいつまでたってもまともな『往生』ができないんだ」
これも寅のちょっとした本音。


さくらは寅の一番いいところを知っている。


第5作「望郷篇」で、改悛した寅を信じようとしないおいちゃんたちにさくらは、こう言う。
さくら「真面目に働こうってのがどうして可笑しいの?そりゃね、お兄ちゃんにとっては珍しいことよ。

   
でもいいことなのよ。その気持ちを大事にしてあげなきゃ、お兄ちゃん、いつまでたっても救われないじゃない

第6作「純情篇」での赤いマフラーの別れ。
さくら「あのねお兄ちゃん、
つらいことがあったらいつでも帰っておいでね」



第11作「忘れな草」では
さくら「お兄ちゃんは誰も持っていないものを持ってるもんね。形があるものじゃないのよ。
    つまり、愛よ。人を愛する気持ち」
と、言い切るさくらだった。


タコ社長はさくらやとらやの面々が甘やかしすぎるから寅のキャラがああなったって言うが、さくらのあの優しさが
寅の旅先での日々を支えている。


その一方で、

兄を想うその優しさゆえにとらやの誰も言えないような厳しいことも言うさくらでもある。

★第6作「純情篇」で
 さくら「夕子さんは綺麗な人よ。誰が見たって素敵だと思うわよ。でも、お兄ちゃんとは関係ない人よ」
 寅の無謀とも言える人妻に対する恋。しかし、基本的にはそれは本人の自由なのだが、さくらはやはり心配してしまう。
 それはある意味悲しい出口の無い恋なのであるから。

★このパターンは第18作「寅次郎純情詩集」でも出てくる。
 さくら「お兄ちゃんは本当に若くないのよ。そりゃいくつになったって女の人を好きになたって構わないわ。でもね、あの
    先生はお兄ちゃんの娘くらいの年なのよ」


★また、第10作「寅次郎夢枕」では、見合いの話が偏見によってことごとく潰れる。誰にも相手にされない寅。そのことで
 荒れ狂う寅は、
 寅「オレがいったいなに悪いことしたって言うんだよ!オレが一番悔しい思い、辛い思いしてんだい!そう思わねえのか!?」

 さくら「そう思うわよ。だけどね、本当に辛いのは、お兄ちゃんより、おいちゃんたちのほうかもしれないのよ」と号泣するさくら
 だった。
 この時ばかりはさすがの寅も、本当に一番辛いのはさくらなのだ…と気づき、愕然とし、旅に出る。
 おばちゃんもこらえ切れずに号泣。




                 




★第12作「私の寅さん」ではおいちゃんとおばちゃんを九州旅行に連れて行ってやろうとする博とさくらに対して自分だけ
 留守番をしなくちゃならないことで大荒れする寅に対して、さくらは寅にこう言うのだ。
 さくら「私がちっちゃい時、両親を亡くしても、ちっとも悲しい思いをしなくてすんだのは、このおいちゃんとおばちゃんの
 おかげなのよ。それはお兄ちゃんも同じ気持ちでしょ。博さんが気持ちよく賛成してくれたからできたんだけど、本当はね、
 本当はお兄ちゃんと私でしなくちゃいけないことだったのよ。そう思わない?」

その言葉に深く打たれ、何も言わずに2階に上がっていく寅だった。


タコ社長「
いいねえ…、実の娘じゃ、ああはいかねえな…

さすが社長だね。人生の機微が見えてるんだね。



★第9作「柴又慕情」の貸し間騒動で自分の居場所を失って荒れ狂う寅。
 寅「オレは部屋を貸したことで文句言ってるんじゃねえんだよ。ひと言挨拶があってしかるべきだろう。それが常識って
   もんですよ!」
 それに対してさくらは、
 さくら「
じゃあ、どうすればお兄ちゃんに相談できるっていうの?
 寅「なにぃ!」
 さくら「そんな時、どこへ行ったらお兄ちゃんに会えるの?


 さくらの顔悲しげな表情を見ていると何も言えず黙ってしまう寅だった。



そして私が、いまでも強く記憶に刻み込んでいる最も厳しく寅の自己欺瞞をついたさくらの重い言葉がある。

★第13作「寅次郎恋やつれ」で歌子ちゃんが自立して仕事を探すことや父親と和解することよりもとらやで休息しながら
 一緒に住んでくれることを望む独りよがりな寅に対して、さくらは厳しくその自己中心的な考えを追及する。

さくら「お兄ちゃん、お兄ちゃん本気で歌子ちゃんの幸せ考えてないわね」

寅「
なにい?どうしてそんなこと言うんだおまえ」

さくら「
だって、歌子さんにいつまでもこの家にいて欲しいと考えるのはお兄ちゃんの気持ちでしょ。
   それじゃ歌子さんが幸せなんじゃなくて、お兄ちゃんの方が幸せなんじゃない




                      



これは血を分けたさくらでないと言えない言葉だった。

さくらのこの言葉は、寅の、親切ではあるが独善的になりがちな気質を見事に言いえて怖いくらいだ。
寅は自分の幸せのためだけに動いている部分が常にある。さくらは時々寅に辛辣なことを言うが、特にこの言葉の持つ
意味は大きかった。


これに匹敵する寅の心を揺さぶった言葉は、リリーの「メロン騒動」の啖呵と、
第48作の寅の恋愛に対する考えへの啖呵だけだろう。





また明日。




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171


                          
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寅の選んだ浪花の街 『新世界物語』  5月11日「寅次郎な日々」その171




ここのところ第27作「浪花の恋の寅次郎」を更新すべく、作業しているのだが、この第二回目の更新の
部分は私の青春前期(幼少期〜高校まで)を過ごした懐かしい大阪市が舞台だ。それも浪速区通天閣の
お膝元、『新世界』だからなおさら懐かしい。ここからもう少し南に歩くと「じゃりん子チエ」の舞台(西成区荻ノ 茶屋)
でもあるので、ますます感慨も深い。

私は中学時代よく長い休みの時に家から電車で30分以上もかかるこの界隈を友人たちとうろついた。日本橋のラジオ部品
を買いにいく名目で、天王寺動物園前で降りて、天王寺公園や動物園の近くでぶらぶらしたあと、新世界に入り、
通天閣南本通りの『ずぼらや本店』の向かいにある老舗の安食堂の『日吉食堂』で、かならず『きつねうどん』を七味たっぷり
かけてゆっくり食べるのである。安い割には美味いここのきつねうどんの味が忘れられなくて、わざわざ早めに部品を
買いに行った覚えすらある。
『日吉食堂』は私の青春の居場所のひとつだった。「浪花の恋の寅次郎」でもこの食堂はしっかり映っていた。


      
スクリーン左に映っているのが日吉食堂。      現在は串カツ屋さん
       
 



あのあたりを中学生ごときがウロウロするのがスリルがあり、ちょっと大人に近づいた気持ちになれた。大衆食堂といえども
新世界の老舗である日吉食堂に入る時は、結構ドキドキしたものだ。なんせ中学生ですからね(^^;)
心斎橋から道頓堀界隈と
この新世界あたりが『大阪の深い懐』の匂いを漂わせていた。だからこそ、
「浪花の恋の寅次郎」をはじめ、数々の映画の大阪ロケは
圧倒的に『みなみ』か、もしくはこの『新世界』なのだ。



15年程前に連れ合いと一緒にジャンジャン横丁を歩いた時は、まだあの『日吉食堂』も名物の将棋クラブなどもあった。
2006年の今も、なんとか将棋クラブはあるようだが、なんと日吉食堂がなくなったとなにかのブログに書いてあった。
ショックで調べてみたが、他のサイトでも日吉食堂は壊されてそのあとに今流行の大きな新興の串カツ屋さんが巨大な
通天閣名物の『ビリケンさん』を設置して話題を呼んでいると書かれていた。あ〜時代は大きく流れているのだ…(TT)

(ビリケンさんって、なんですか?と言う人は、またサイトなどで調べてください)

まあ、しかしいつの時代でも新世界は生まれ変わり、脱皮していくのだだから、昭和を
懐かしんでもいられない。
変わるからこそ『新世界』!明治時代からどんどん変わってきた。これからも、その名の通り新しい時代を生き残りをかけて
模索していくのであろう。


しかし、それでもあの『日吉食堂』がなくなったのはやはり淋しい…。

あ、このページは寅ネタページだった(^^;)ゞ

そこで第27作「浪花の恋の寅次郎」の
新世界ロケの場所を下のオリジナルの地図に記してみました。↓
暇つぶしに見てください。

その際、芦屋雁之助さんの歩いていた路地を特定するのに苦労したが、なんとか、番地の画像を拡大したりして、あの場所が
恵美須東三丁目6」だと分かったので、おおよその新世界ホテルの位置が分かった。なんとあの日吉食堂から5分くらいの
場所だったのだ。う〜〜〜ん感激!もちろんこの作品のためだけの架空の宿であることは言うまでもない(^^;)


            
寅たちが歩いているのは通天閣本通り
           


       
第27作「浪花の恋の寅次郎」オリジナル新世界ロケマップ

        




また明日。







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170


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






体が丈夫なだけが取り得のはずが…  5月10日「寅次郎な日々」その170


おばちゃんやさくらは常々寅の長所についてしゃべる時に、「体が丈夫」ということを口にする。
寅自身も、「それだけは大丈夫」みたいなことを言っている。病気知らずということなんだろう。

確かに寅はとりあえず「病院」は嫌い。理由はいろいろある。

第14作「寅次郎子守唄」では
@あの匂い。
Aバイキンがいっぱい付いたスリッパ。
Bあのツンケンとした看護婦。

第40作「寅次郎サラダ記念日」では真知子先生に「注射されるくらいなら
即死を望みます」とまで言っていた。

上記の事柄を総合的に判断すると、体が丈夫で病気怪我知らず、だと思われるかたも多いと思うが、ところが
どっこいそうでもないのであるこれが。

★まず、柴又へ20年ぶりに帰還する以前に『
盲腸』を患っている。もちろん手術して入院もした。第14作で
 茶の間で京子さんに語っていたところによるとその入院の時「屁が出なくて困った」とも言っていた(^^;)

★その次の大病となるとやはり第2作「続男はつらいよ」の『
胃痙攣』だろう。散歩先生の家で、急に
 痛み出して、
救急車で運ばれそのまま入院。医者の見立てによると「いいものを食べ過ぎて胃がびっくり
 した」ということ。とほほ(^^;)

★その次の重い病気となると、第25作「寅次郎ハイビスカスの花」の『
行き倒れ』だ。柴又駅でぶっ倒れて、
 社長や近所の人たちに戸板に乗せられとらやに運ばれてきた。近所の人は重体と思っていたが、往診に来た
 医者の見立てによると「
長旅による過労と、栄養失調」だった。で、その日のうちに、特製うな重、てんぷら、お寿司、
 の上をペロリと平らげていた。とほほ(^^;)




        




★その次は第45作「寅次郎の青春」での怪我。お城の階段で足をくじいて、これまた救急車で病院へ。骨は折れて
おらず、
捻挫程度。

★その次は第23作「翔んでる寅次郎」のオープニングで、珍しく自主的に病院へ行き、
下剤をもらっていた。よっぽど
お通じがなかったのであろう。結構
便秘症なのかもしれない。なんせ生活が不規則で栄養が偏っているからありえる。
第5作「望郷篇」でも、「あっ、昨日からオレ通じがねえんだ!」なんて言いながらトイレに行っていた。

★第29作「寅次郎あじさいの恋」では、マドンナに会いたい一心で、鎌倉方面に走り出して、みんなに止められ、
寅の一番嫌いな注射、つまり「鎮静剤注射」を打たれていた。しかし全然効かなかったみたい(^^;)

★第41作「寅次郎心の旅路」のオープニングでも、風邪をこじらせてコホコホ咳き込んでいる寅の姿があった。
 このことは先日書いたばかり。谷よしのさんからもらった漢方の苦い煎じ薬を飲んでいた。

このように体が丈夫と自他共に認めている割には結構病気になってもいる。よっぽどきゃしゃなさくらのほうが病気をして
いないのではないだろうか。


もっとも寅は、上記の病気だけでなく、マドンナの気を引くために仮病を使うこともしばしばだ。

第1作でいきなり、冬子さんにかまわれたくて仮病、冬子さんがちょっと痩せたんじゃない?
寅「ええ、ここ一貫目ほど、コホ、コホ…」

さきほどの第14作でも、赤ん坊がいなくなって、京子さんの目の前で、風邪気味を演出していた。



        



仮病の極致だったのは第22作「噂の寅次郎」で、早苗さんの元に長くいたい一心で腹痛を装い、その結果、
早苗さんになんと
救急車を呼ばれてしまう。もちろん、『ガス溜まり』という診断をもらい、憤慨して帰って来た寅だった。
どうしょうもないねこりゃ(^^;)なんだかんだと3回も救急車のお世話になっている寅でした。



             



これまた第40作では寅は真知子先生の気を引こうとして「胸が時々痛む」とか言って、みんなの失笑を
買っていた。全くとほほおじさんである。



しかし寅には不定期に患う、宿命の病があるのだ。
そうである、皆さんご承知の
♪お医者さまで〜も〜、草津〜の〜湯でも」の例の病気だ。

恋患い、恋の病、恋やつれ、などと言われている慢性の持病だ。

特に第6作「純情篇」、第12作「私の寅さん」では、完全に寝込んで何日も臥せっていた。
第29作「寅次郎あじさいの恋」でも丹後から帰ったあとは廃人のように2階にこもってしまった寅だった。

しかし、地道に生活をしているはおいちゃんはそんな寅を見てこう言うのである。

おいちゃん「
しかし考えてみれば羨ましい話だぞォ。できる事なら恋でやつれてみてえよ
これはおいちゃんの本音。そして私たち寅さんフアンたちの本音(^^;)ゝ

そして「忘れな草」でのリリーの心からの本音でもある。



また明日。





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169


                          
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『自分の部屋がない寅、その行き着く先は…』  5月9日「寅次郎な日々」その169


寅は長旅から帰ってきて、ちょこっとさくらたちと話した後、自分の部屋でまどろむのが
至福の時なのである。自分の居場所があるというのは本当にありがたいことなのだ。

私の親は大阪に住んでいるが、私の部屋は今はもう無い。私が大阪の家を出てからもう25年以上
経つのと、その間に親は近所に引っ越もしているのであたりまえだが、やはり自分の部屋が無いのは
淋しい気がする。

寅はとらやにも自分の部屋があるし、なんとさくらたちの家にも寅の部屋があるのだ。
こんな恵まれた人どこにいるだろうか。ほんとうに羨ましい!

しかし、時として長旅から帰って来た寅がショックを受けることがある。
それは自分の部屋に他人が住みついている時である。

但し、第4作、第6作、第16作、などのように美しいマドンナが住み着いている時は、まったく
事情が異なり、この世が全てバラ色に変わるほど喜ぶのである。
第7作や、第13作、第26作、第37作のように自分がマドンナを連れてきたり、呼んだりする場合も
同じように至福の時を過ごすのだ。

問題は、『男』の場合である。(−−メ)
これは、怒る。

第10作、第20作、第24作などは必ず最初に『決闘』をする。
マドンナの時とこうも違うものかとあきれ果ててしまうくらい豹変するのだ。

もう目の色を変えて怒り狂うのだ。特にマイケルとの確執は凄まじいものいがあった。




           




まあ、それでもすったもんだの挙句、寅は納得して2階の荷物部屋のほうに寝ることを承諾する。
めでたしめでたしだ。


しかし、第9作「柴又慕情」の『貸し間有り騒動』(なんじゃそれ(^^;))の時は珍しく寅は、下宿を探す
のである。なんのために探すのか?どうせすぐ旅に出てしまうのに何の意味があるのか分からないのだが、
とにかく一時的にせよ下宿を探すのである。第5作「望郷篇」の時の浦安の節ちゃんの家のような感じを
ねらっていたのかもしれないし、さくらたちに対する腹いせの意味もあるだろう。

それで寅にしてはまめに、不動産屋を渡り歩いて本気で下宿を探す。ああみえても寅は下宿探しは
上手いのである。第25作「ハイビスカスの花」では本部(もとぶ)の海岸近くに味わいのある民家の離れを
リリーのために借りてやったりしていた。

しかし、この第9作の時は風体がイマイチの寅にどの不動産屋もけむたがってあまり相手にしない感じだった。


青空一夜さん扮する不動産屋の社長に「あなたのようなやわらかいご商売の方は…」なんて言われていた。
従業員に「ちょっと、浦安かどっかないかねー?」って言う不動産屋社長に、
寅「それはちょっと離れすぎてんじゃねえか?もうちょっと近場でサ…」
寅「日当たりが悪くたって部屋が汚くたっていいし、
裏が工場かなんかでさ、そんな部屋ねえかい?

おいおい、それじゃ、
とらやだよ。ってつっこみを入れる私だった。

結局とらやに帰りたいんだよね。これって(^^;)

それゆえ、なかなか決まらない寅です。

次の不動産屋
でも、相変わらず夢みたいなことをつぶやく…。


寅「
なーっ、ま、欲を言やぁさ、親切な女将のひとりもいて、オレが仕事から疲れて帰ったら
『お帰りなさい。疲れたでしょう』そんなひと言を言ってくれりゃ十分よ。」

あっ、風呂なくていいよ、オレ銭湯大好きだからね。『ひとっ風呂浴びてらっしゃいな。
帰ってくるまでに晩御飯作っとくから』 タオル、洗面器、シャボン、『どーせあんた細かい
お金ないんだろ』40円!ポンともらって『じゃ言ってくるか』『いってらっしゃい』

やがてオレは風呂へ行く。帰って晩御飯になる。ね!オレはおかずなんてなんだって
いいな。どおせ家賃はたいしたことないんだからさ。

そうねぇ…、おつまみに刺身一皿、煮しめにお吸い物、卵焼きがあってもいいし、
おひたしなんかもあったらいいな。お銚子3本くらいそっと飲む。昼間の疲れで、
つい、ウトウトッとなる。ね!女将はそれを見て『
さくら、枕を持てっておやり。ついでに
お腰も揉んでやったらいいんじゃないかい』 さくらってのはその下宿の娘よ



現実無視もここまでいくとかえって気持ちがいい。ちなみにこれのアレンジ版は第39作「寅次郎物語」で
大阪で宿を探す時にも出てくるので、また見てみてください。

桂伸治さん扮する店主さん呆れ果てものも言えない。

さくらの名前を出すなんて、やっぱり寅はとらやに帰りたいんだよな、それって(^^;)


そのまた次のボロい不動産屋で、ようやく決まり、くたくたになって連れてこられた先が食べ物屋さん


寅、店を見て「あー、そうですか…、へぇ、…おでんに、茶めし、商いやってるのか。『や.ら.と.屋』さんね。
寅、佐山俊二さん扮する不動産屋のオヤジにむかって「おじさん、オレも以前ね、こうした家にご厄介になった
ことあるんだよ」


で、結局そこは『とらや』だったっていう話。
とらやを逆から読んで屋をつけて『やらと屋』って勝手に読んでいたのだ。

やっぱり寅はとらやに縁があるんだねェ(^^)


まあ、そのあと大乱闘あり、シリアスな場面ありで、寅は言っちゃいけないことを言ってしまい、
やっぱりお決まりの旅に出てしまう。

あ〜〜あのなが〜い不動産探しはなんだったんだああ…とほほ。


寅、せっかく帰ったんだから一泊ぐらいしてから喧嘩しろよな。




           



また明日。




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168


                          
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「忘れるっていうのはほんとにいいことだな…」  5月8日「寅次郎な日々」その168



寅は、青春期からこのかた、恋愛をし、失恋し、もしくは敵前逃亡し、また半年くらいで次の恋愛をする。
つまり、次の恋愛をしている時は、前の恋愛の影をまったく引きずっていない。

これは、からくりがあって、設定的に一話完結になっているので、『前回の恋愛はなかったことにしましょ』に
なっているのだ。普通の連続ドラマじゃ考えられないことだが、これはひとつひとつが独立した映画なので
観客もついつい納得してしまうのである。さくらたち家族は満男が成長していくので、寅とは微妙に時空が
ずれている。このバランスが面白い。
ま、とにかく寅は基本的に恋愛フリーなのだ(^^;)過去は問われない。いいなあ〜…(^^;)ゞ

それゆえ、とらやの斜め前の『美容院アイリス』に住んでいるお千代さんが第10作「寅次郎夢枕」以降、
映画の中に一切出てこないのである。第8作「寅次郎恋歌」のマドンナ題経寺のそばの喫茶店ロークを
切り盛りしている貴子さんも、その後とらやを再訪していない。

このことは甥の満男にも若干言えることは先日書いたとおりだ。第46作と第47作は、満男が寅と同じ時空に
飛んでしまったゆえに泉ちゃんがその2作品には出てこないのである。つまり泉ちゃんはこの2作品に限っては
この世に存在しないのである。

しかし、この映画のほかの登場人物たちにとっては、時間は当然繋がり、記憶は残り、想いも残る。

物語中、マドンナの夫が亡くなってしまうという悲劇に見舞われた歌子ちゃんなんかも、亡くなった後も
かなりそのことを整理できなくて引きずっていた。

今アップしている第27作「浪花の恋の寅次郎」でも、ふみさんの弟英男君が24歳で急死してしまうが、
彼の婚約者だった信子ちゃんは恋人の英男君をなかなか忘れられないで、悲しみの中で今も生きている
様子だった。

そして突然弟を失ったふみさんも悲しみの中にいる。

心の置き所を失ってしまったふみさんは、夜酔って、寅の部屋を訪ねる。そしてこうつぶやくのである。

ふみ「でもあの子可哀想やねえ…、恋人に死なれて、これからどないするんやろ…」
この言葉はふみさんの自分自身への言葉でもあるのだ。

それに対して寅はきっぱりこう言うのである。

寅「ん、おふみちゃん、そりゃあ心配いらないよ」

ふみ「なんでぇ?」

寅「そら、今は悲しいだろうけどさ、ね、月日が経てばどんどん忘れていくもんなんだよ」

ふみ「…」

寅「
忘れるっていうのはほんとにいいことだなぁ…」としみじみ言う寅でした。

またそのうち新しい恋人ができるよ。と言う寅に、ふみさんは半信半疑で

ふみ「せやろか…、忘れられるやろか?」

寅「忘れられるよ。体験したオレが言ってんだから間違いありゃしねえよ、フフフ」




                  




おいおい、寅の場合は一話完結なので、すぐ忘れないと次の話が進まないだけだろが。と、突っ込みを入れたくなる
私でした ヽ(´〜`;)

私は東京での教員生活を辞め、バリ島に移住し、絵を描き始めた時、全てのそれまでの生活のしがらみも記憶も
全てリセットしたかった。そのため、年に2度ほどの展覧会期間中以外は過去の人間関係を絶ち、電話も、手紙も、
FAXも持たず、テレビやラジオなどの時事的なものも全て9年の間持たなかった。そんな真っ白な日々の中、それでも
過去の思い出やしがらみを忘れていくことの難しさをつくづく感じた日々でもあった。しかし、そのうち徐々に徐々に
美しい思い出だけが残り、辛く悲しい思い出はぼやけていくような気がしていった。



19世紀のイギリスロマン主義の情熱的な詩人バイロンは

後悔も憧れもともに甲斐なければ、私が望むのはただ忘却のみ

と、思うようにならぬ人生の哀しみとその絶望の果てに行き着く忘却への憧れを吐露した。私もこの気持ちは痛い
ほど分かる。忘れたくても忘れられない記憶たちがまだしこりのように残っている。

しかし、一方で

「悲しみも淋しさも風が吹き飛ばしてくれるよ」と言ってはばからない寅。




彼のその『とらわれない心』に惹かれ、憧れ、今日も「男はつらいよ」を見る。





                 









また明日。








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167


                     
     
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さくらから寅へ。 たった一度の手紙   5月7日「寅次郎な日々」その167




昨日は、寅の望郷の想いを書いたが、寅はそのことに時々耐え切れずにとらやに
つい『電話』をしてしまう。全国いたるところからしょっちゅう電話している。
時々はハガキをかっこよくもしくはぶざまにさくらに出してコンタクトを取ってもいる。
マドンナにハガキを書くのはあたりまえだが、さくらたちにも時々はハガキを出す。

第29作の時のようにただ単に懐かしいとらやのみなさんなんて書いてある時もあるし、
第7作や第21作のようにちょっと心が沈んでいることを隠さないでそのことをハガキに
書いてしまい、さくらを心配させ、挙句の果てにさくらを現地に向かわせてしまうのである。
現地に着いたら、寅はもちろんすっかり元気。さくら〜(TT)…でも、さくらって寅を守って
あげないと気がすまない人だから、世間はどう思おうがこの二人の関係はこれで成立
しているのだ。不思議なものだ。

まあ、というようにさくらたちは寅からハガキをもらったり電話をもらったりしているのだが、
寅が常に住所不定ゆえに、逆にさくらから寅へはいつも連絡ができない。

そんなさくらが一度だけ寅に手紙を出したことがある。
みちのく宮城県の商人宿で、長雨と風邪ゆえにくすぶっている寅にさくらが手紙を出すのである。
手紙の内容から察するに、先に寅がハガキを住所付きで出し、
風邪をひいてしまった』と泣き
ついた
のかも知れない。


第41作「寅次郎心の旅路」

『お兄ちゃん、ハガキありがとう。
この手紙がお兄ちゃんの手元に届くかどうか心配しながら書いています。

風邪をひいたんだって?今年の風邪はしつこいから気をつけなきゃだめよ。
お兄ちゃんは薄着だし、外食が多いから栄養が行き届かないし、どうしても
風邪をひきやすくなるのよ。

私たちはみんな元気。

心配事と言えば満男の入学試験です。毎晩遅くまでがんばってます。
お兄ちゃんも合格を祈ってやってね。

今度はいつ帰るの。桜の咲く頃、それとも若葉の頃、みんなで首を長くして
待ってるわ。それじゃ、体大事にね。さくら』

そして…、

封筒の中にそっと一万円札を入れてあるのだった。




           



喜んで酒が飲めるとはしゃぐポンシュウを一喝して寅は

「バカヤロ!堅気の女が汗水たらして働いた金だぞ!てめえらみたいなヤクザもんの
酒代にしてたまるか!バカヤロ!」


さくらの気持ちが嬉しい寅でした。





さくらは寅が旅に出ている膨大な日々をいつも兄のことを想って生きている。
その淋しいさくらの気持ちがわかる歌がある。


第16作「葛飾立志篇」の夢の中でも替え歌として倍賞さんが歌った
『さくらのバラード』だ。




山田洋次 作詞   山本直純 作曲

倍賞千恵子 歌


♪江戸川に雨が降る
 渡し舟も今日は休み
 兄のいない静かな町
 どこに行ってしまったの
 今頃何してるの
 いつもみんな待っているのよ
 そこは晴れているかしら
 それとも冷たい雨かしら
 遠くひとり旅に出た
 私のお兄ちゃん

 どこかの街角で見かけた人はいませんか
 ひとり旅の私のお兄ちゃん

〈さくらのセリフ〉

 『
いつもそうなのよ いつも
 さくら、しあわせに暮らせよって

 もう帰らないって
 あの時言ったけど…


♪そこは晴れているかしら
 それとも冷たい雨かしら
 遠くひとり旅に出た
 私のお兄ちゃん

 どこかのお祭りで見かけた人はいませんか
 ひとり旅の私のお兄ちゃん



この名曲は第12作「私の寅さん」の中でメロディーはすでに使われていたが
倍賞さんの歌声としては上にも書いたように第16作で換え歌が歌われた。
これが最初で最後。ついにオリジナルバージョンは本編では登場せず。


それにしても、この曲の倍賞さんのセリフの部分では
いつも胸が締め付けられ、ある種の深い感慨をどうしても禁じえない。

ほんとうに繋がりの深い兄妹だ。





                








また明日。




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166


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー
          






『江戸川と桜並木』 寅が語るその原風景   5月6日「寅次郎な日々」その166



 
「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。
 思い起こせば20年前つまらねえことでおやじと大喧嘩、
 頭を血の出るほどぶん殴られてそのままプイっと家(うち)をおん出て、
 もう一生帰らねえ覚悟でおりましたものの、
 花の咲く頃になると決まって思い出すのは、故郷のこと、
 ガキの時分ハナタレ仲間を相手に暴れ回った水元公園や江戸川の土手や
 帝釈様の境内のことでございました。

 風の便りにふた親も秀才の兄貴も死んじまって、今、たった一人の妹だけが
 生きてることは知っておりましたが、どうしても帰る気になれず、
 今日の今日までこうしてこうしてごぶさたに打ち過ぎてしまいました。

 今、江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、
 何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような気がいたします。
 そうです。私の生まれ故郷と申しますのは葛飾の柴又でございます。」



美しい音楽と共に始まるこの寅次郎のナレーションから長い長いこの物語が始まった。
私はこのナレーションつきの第1作のオープニングがこのシリーズのどの作品のオープニングよりも好きだ。
あの声、あの映像を見ると、なぜだか見ている自分自身も無性に郷愁をかきたてられるのだ。



              




「男はつらいよ」のオープニングといえばユニークな『夢』がみどころだが、実は、私はこのような夢以外の
静かな寅のナレーションが入るオープニングも大好きだ。
このシリーズの中でも何作品かあるが、渥美さんのナレーションをオープニングから聞くと、寅が孤独な旅の中、
自分の故郷を回想するその柔らかな心のひだが見えるような気がして、すっと、それが私の胸に染み通って
いくのだ。ある意味へたな夢よりずっと本編にすんなり入って行けて嬉しいところがある。


特に後半になってくると、それまでのこのシリーズの歴史を背負って行くので、ひとつひとつの言葉に重みが
出てくるのが不思議なところだ。





第38作「知床慕情」

『さまざまなこと思い出す桜かな。昔の人は味のあることを言ったものでございます。
満開の桜を眺めておりますと、わたくしのような愚か者でもさまざまなことを思い出します。
思い起こせばオヤジと大喧嘩をした十六の春。これが見納めかと、涙をこぼしながら歩いた江戸川の土手は
一面の桜吹雪でございました。

今では一本も残っておりませんが、わたくしがガキの自分、江戸川堤は桜の名所だったのでございます。
毎年春になると両親に連れられ、妹さくらの手をひいて、花見見物に出かける時の、あのわくわくするような
楽しい気持ちを今でもまざまざと思いだします。

あ、申しおくれました。わたくしの故郷と申しますのは東京は葛飾柴又、江戸川のほとりにございます』



この第38作は最初に書いた遥か昔第1作のアレンジだが、幼少期の回想が、より視覚的になり、かつ具体的に
なっている。『一面の桜吹雪』の中、涙を拭きながら歩いていく学生服を着た寅の淋しい後ろ姿が浮かんでくる。
そういう意味ではあの鮮やかな第1作とはまた別の深い静かな感慨がしみじみ沸き起こるのである。



             





そして晩年の作品でももう一度このような寅のナレーションで始まる作品がある。

それが第44作「寅次郎の告白」である。


『川が流れております。岸辺の草花を洗いながら、たゆまず流れ続ける川を眺めますと、なにやらわたくしの心まで
洗い流される気がしてまいります。そうしていつしか思いおこされるのは、わたくしのガキの頃のことでございます。
わたくしは川のほとりで生まれ、川で遊び、川を眺めながら育ったのでございます。

祭りから祭りへのしがない旅の道すがら、きれいな川の流れに出会いますと、ふと足を止め、ガラにもなく物悲しい気分に
なって、川を眺めてしまうのは、そのせいかもしれません。

今頃、故郷に残したわたくしの肉親たち、たったひとりの妹さくら、その夫の博、その息子の満男、おいちゃんおばちゃんたちは
どうしているのでございましょうか。

そうです。私の故郷と申しますのは、東京は、葛飾柴又、江戸川のほとりでございます』




            



寅にとっての原風景はやはり『江戸川』なのだ。第6作で夕子さんがいみじくも言ったように寅はあの江戸川の
風景を見ながら育っていったのだ。

あの地球の裏ウイーンに行ったときでさえ、ドナウ川の水が海へ流れ出て、いつしか寅の故郷の江戸川に
繋がっていくのだということを言っていた。遠く離れれば離れるほど望郷の想いは強くなるのだ。





そう言えば…同じように江戸川に想いを馳せたマドンナをひとり思い出す。

春の江戸川を思い出しながら静かに亡くなっていった第18作の柳生綾さんだ。




綾「
…江戸川に雲雀が鳴く頃になると、

  川辺にあやめが一面に咲くのねえ…」




      


人はその長い人生の幕を閉じる時、自分の原風景が蘇り、
優しくその中に包み込まれて静かに目を閉じるのであろう。



また明日。






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165


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






思い出のバイネタとその周辺物語 そのA  5月5日「寅次郎な日々」その165



昨日の続き、

で、今日も寅のバイネタの中でちょっと超私的に印象深かったものをちょこちょこっと紹介してみようと思う。


★ネタの名前が面白かったのが第29作「寅次郎あじさいの恋」に出てきた『瞬間接着剤ピッタンコ
 京都の葵祭りの時にバイをしてたが全然売れない。しかしこの名前が忘れられない。そのまんま(^^;)

 物語の中で人間国宝加納作次郎が『打薬窯変三彩碗(うちぐすりようへんさんさいわん)』を寅に託す。寅への
 『心持ち』を残すためだ。もちろん寅には猫に小判(トラに茶碗(^^;))まったく欲しくも無い。それで、自分の
 持っている『ピッタンコ』の効果を見せたいためにわざとその茶碗を割ろうとする。なんとも危うい場面だった。
 寅が帰った後、作次郎は弟子につぶやく『いずれは割れるもんや焼きもんは』という言葉が今も私の心に
 残っている。なんとも味わいのある言葉だった。




                  




★私はこのサイトの絵のページの中で、19世紀オランダの画家ヴィンセント.ヴァン.ゴッホのことを何度も書いている
 ように、ゴッホの絵が大好きである
。ゴッホは生前に1枚しか絵が売れなかった。しかも安い金額で。ゴッホは無名の
 まま自殺してしまったが、その後ヨーロッパを中心に認められ、今や世界中絵を愛好する人たちの中でゴッホの名前を
 知らない人はいないだろう。

 1987年3月に安田火災がゴッホの『ひまわり』を53億円で購入。それまでの高額落札をはるかに上回るこの落札額は、
 バブル景気の象徴のような出来事だった。ちょうど同じ年の8月、第38作「知床慕情」が上映され、その中で寅がこの
 出来事を笑い話に変えていた。
札幌の大通り公園でのバイで、『
額つき名画の印刷物』を売っているのだが、
 寅はそのことを知ってか知らいでかこう言う。
 「ただ同然のお値段で差し上げます。ゴッホさんのひまわり!4千700円でどうだ!」見物人爆笑(^^;)
 多分このあと最後は500円くらいまで自ら落としたのは間違いない。



                  
ゴッホさんのひまわり!
              




★第40作「寅次郎サラダ記念日」ではあの笹野高史さんが、最初と最後にバイネタの『シューズと運動服』を盗む
 泥棒の役で
登場。笹野さんってやっぱりこういうチープな泥棒やらせると変に巧い!二つのバイを彼がひとつに
 繋いでいた。2回とも捕まりそうにもなかったので笹野泥棒の勝ちー。2回目は、ほら!はやく気づけよ寅!って
 歯軋りしながら見ていた思い出がある。泥棒の靴下が破れていたのが妙にリアルだった(^^;)




第41作「寅次郎心の旅路」で寅はウイーンに行くが、最後にその話題にひっかけて、『ウイーン製のバック
 なるものを売る。もちろんウイーン製というのは嘘。その時の寅の言葉『
オーストラリアはウイーン製バック!』
 地元の男子高校生がすぐ突っ込みを入れる。「おっちゃんおっちゃん、ウイーンはオーストリアの国じゃろが」
 「オーストラリアはカンガルーの国じゃ」寅すかさず反撃!「
そういうこともありました昔は!若い男が理屈を言うと
 もてない!!
」聞いていた女子高生たち爆笑!
 さすが寅だね、反撃の仕方が高校生のあんちゃんとは年季が違うよ、うん(^^)




                




★ラストを飾るのは私がこのシリーズのバイで、もっとも深く胸にしみた第47作「拝啓車寅次郎様」の
 「
消しゴムつき鉛筆」 のバイ。もちろん、これは本当のバイでなく、満男に物を売ることの難しさを
 教えるためのとらやの茶の間でのシュミレーションだが、これがなんとも味があり、う〜〜んと、唸らされた。
 あの話の中に出てきた「おふくろ」は、育ての親のさくらのお母さんだったのではないかって、今でも私は
 密かに思っている。このことは以前ちょっと書いたことがあるが、 どちらかというとあのメリハリの少ない
 第47作の中で唯一私が心が潤ったシーンだった。


おばちゃん、オレはこの鉛筆のことを見ると
おふくろのことを思い出してしょうがないんだ。

不器用だったからねオレは。
鉛筆も満足に削れなかった。

夜おふくろが削ってくれたんだ。

ちょうどこのへんに火鉢があってな、
その前にきちんとおふくろが坐ってさ、
白い手で肥後守を持ってスイスイスイスイ削ってくれるんだ。
その削りカスが火鉢の中に入ってプーンといい香りがしてな…。

綺麗に削ってくれたその鉛筆でオレは落書きばっかりして
勉強一つもしなかったもんね。
でも、これくらい短くなるとな、
そのぶんだけ頭が良くなった気がしたもんだった…



生い立ちに深い悲しみがある寅は、その人生に孤独がまとわりついている。寅は妹のさくらをとても大事にしているが、
それは言い換えれば、自分を育ててくれたさくらのお母さんをどこかで大事に思っているようにも感じる時がある。
さくらのあの優しさはおいちゃんおばちゃんの影響もさることながら、なによりもさくらのお母さんの影響が大きかったのは
言うまでもないことなのだから。

このシリーズ中、寅の口からほとんど一度も語られることがなかったさくらのお母さんの優しさが、最後の最後に来て、
ぽろっとバイのセリフの形を借りて、寅の心の扉からこぼれて光った。そんな言葉だった。

私は、寅はさくらのお母さんに大事にされていたんだとやっぱり思いたいのだ。





                






また明日。







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『寅次郎な日々』バックナンバー






思い出のバイネタとその周辺物語 その@  5月4日「寅次郎な日々」その164


寅は普段、贋物まがいのものを本物だと偽って物を売ったり、勝手に店を倒産させ、悲劇の物語を作ったりと、
ちょっといかがわしいことをやって飯を食っている。
おいちゃんも「いい年してそんなペテン師みたいなことやってるのか」と嘆いていたが、実は寅はそれほど酷いこと、
悪どいことはしていないのである。
サクラを使ったり、嘘は言うものの、ちゃんと贋物値段で客に売っているいるからである。映画を見ている限り、
最初は5千円とか吹っかけるが、結局は500円くらいまで寅自身あっという間に平気で落とすから面白い。
要するに結果的には適正値段、もしくはそれ以下で売っているのだ。

寅がさくらに言うように「客もうすうすそういうもんだと分かって買って行く」のだから、この商売は成立している
のである。500円の本物のブランド品があるわけがないことは客が一番知っている。釣り合いは取れているのだ。

で、今日はそんな寅のバイの商品の中でちょっと印象深かったものやその周辺の物語をちょこちょこっと
紹介してみようと思う。



★先ず何と言っても、とらやのおばちゃんを感心させていた、第1作「男はつらいよ」の
 『
電子応用のヘルスバンド
 「電子の力でもってね、体中の毒素と言う毒素が全部追い出されて新陳代謝がすーっとよくなちゃうんだ。
 つまり、電子のつぶつぶみたいなものが、手首の血管からすーっと体内に入って五臓六腑とかけめぐるんだ。
 つまり血行をよくするんだよ!
 おばちゃん、どうだい?なんだか、体が楽〜になっただろ?」

 寅って、ほんとしゃべるの上手いねえ。これ聞いてるだけでなんか体が軽くなってきたよ(^^;)
 おばちゃんも、すっかり信用していた。
 「さ、おいちゃん手にとってよく見てやって」なんて言われて、おいちゃんも「
純金製
 だと勘違い。ほんとだまされやすい二人だった(^^;)それもそのはず、なんせ再会したばかりで、
 おばちゃんなんて「ご立派になられて」って泣いていたし、みんな寅のいい加減さがまだわかっていない
 頃だから無理もない。

 そしてこの直後に、さくらとの二十年ぶりの再会が待っている。




★その次に思い出すのがあの第11作「寅次郎忘れな草」で、網走のレコード屋の隣で売っていた
賞味期限切れのレコード それじゃ、営業妨害だって ゞ( ̄∇ ̄;)

 寅が、「協定違反の2枚100円!!」って
泣きたくなるくらい安く言っても船乗りの家族はそれでも
 買わなかった…。いらない人にとってどんなに安く言われてもいらないんだよねえ…分かる分かる(TT)

 そして「さっぱり売れないじゃないか」ってリリーに言われていたなあ…。
 寅の厳しい日常の部分をリリーにいきなり見られてしまったのが、あのバイ。これが彼らの出会いの最初。
 もちろん、寅はリリーが夜汽車でメランコリックになって泣いているのを前の夜に見ているので、チャラ(^^)




            





★それから、今も鮮やかに思い出すのが第15作「寅次郎相合い傘」で活躍した兵頭パパの
 『
水のかぶった万年ペン』 ああ!、それそれ、あったね〜〜!の世界。

 あのパパの迫真の演技に、素人の怖さをいやというほど垣間見た寅だった。あの哀れっぽい演技のお陰で、
 短時間で超荒稼ぎ!でも千円だからみなさん許してね、ってこと。あのバイは旅が最高潮に達する場面で行われ
 たので、そういう意味でもいつまでも思い出深い。リリーのサクラも上手すぎ〜。しかし、実は、このバイは、素人の
 パパと玄人の寅やリリーがコラボレーションしたから大儲けできたもの。ベースはきちんと寅が作っているのは
 見てればわかること。そのことを言わないでパパを持ち上げるのが寅のいいところ。この放浪シーンはこのシリーズの
 華であり、寅の人生の最も高揚した時期だと思う。



                 
 千円…
            




★もうゲラゲラ笑ってしまったのが、第16作「葛飾立志篇」の『文房具

 寅が苦学生のふりをして、学生服を着ながら客に訴える。
 寅「大都会の片隅に、コツコツと勉学に勤しむ私たち苦学生に取りまして片時も忘れられないのは
 ふるさとのことでございます。上と下の瞼をやんわり閉じますと、思い起こすのはふるさとに残してきた
 優しいお母さんの顔。
 学生手帳を胸からチラチラ取り出して(^^;)
 寅「ほら!お母さん!これが卒業証書だよ一刻も早く母親の喜ぶ顔を見たい!しかし、皆様もご承知の通り、
 私はこのとおり、苦学生であります」
 寅、またもや胸の
学生手帳をまたチラリと見せる。これで客を信用させようとする。
 なるほど〜、このチラッチラッが上手い!って唸ってしまった。

 
 寅「あ、お母さん、どうもお買い上げくださいまして、ありがとうございます」

 おばさん、信じて買っちゃった。でも、値段は決して高くしていないし、品質も普通だと思われるので、ぜんぜん
 損はしてませんよ〜(^^;)



                  
チラッ チラッ
            




★カッコよかったバイネタは、やっぱりあの第18作「寅次郎純情詩集」での『
クジラ尺』だろう。
 当時法律で禁止されていたクジラ尺を堂々と売る寅

 寅「あ、お巡りさん、どうもご苦労さまです、そうそう、あなたが、おめしになっている、
 このお洋服ね、これを作るにも職人さん、これがなげれば出来ない、ともかく、日本の
 職人さん、これがなきゃ始まらない」

 警官役の永六輔さん、首をかしげながらも、寅の口調に圧倒されて、去っていく。


 永六輔さんはその昔、曲尺、鯨尺の販売を禁止した計量法に反対して自ら尺貫法を使用し警察に
 自首するデモンストレーションや、曲尺、鯨尺の密造密売、コンサートを開催した。日本文化が
 途絶えてしまうのを恐れたからだ。しかたなく計量行政審議会が曲尺・鯨尺の製造販売を許可させて
 いったらしい。この作品の時点ではその過渡期で、永さんは、あえて警官に扮し、寅が販売しているのを
 注意しないで去っていく、というなかなか憎い演出だ。

 この啖呵バイの設定も、山田監督が永さんの意見に興味を持ち、実現したと思われる。

 その後、永さんの影響やいろいろ世論もあって徐々に尺貫法の使用は黙認されるようになり、
 今に至っている。
 寅のこの時の啖呵バイもこの運動に一役買ったのかと思うと、感慨もひとしおだ。うんうん。ということで、
 これも実に思い出深いバイだ。

 あれえ、こんなに長くなってしまった。

 ということで、明日もこの『バイネタの思い出』の続き、そのAをダラダラとやりましょう。

 チャンチャン


また明日。









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『寅次郎な日々』バックナンバー






「生きること」を肯定する山田監督の気持ち  5月3日「寅次郎な日々」その163



第1作「男はつらいよ」で、寅は冬子さんを連れて、ギャンブルに行ったり、飲みに行ったりして、至福の時を
過ごすがその幸福が最高潮に達するのが、冬子さんと握手をして別れたあと、ひとり深夜の帝釈天参道を
北島三郎の「
喧嘩辰」を歌いながら踊り歩くあのシーンである。



 こぉーろぉーしィ〜 たいほぉどぉー

  惚れてはいたがァ…とくりゃあ!
 ゆゥびィもォ〜触れずにィー

  わかあれたぜぇ〜



               



   浪花節だと 笑っておくれ、

 野暮な情けに生きるより

 俺は仁義に

  生きて―ゆーくー。♪






しかし、実は…


       


北島三郎の歌う喧嘩辰の歌詞は実はこうである。


殺したいほど 惚れてはいたが
指も触れずに 別れたぜ
浪花節だと 笑っておくれ
ケチな情けに生きるより
俺は仁義を 
抱いて死ぬ


寅は、


『野暮な情けに生きるより
オレは仁義に
生きてゆく

と歌っている。


『生きていくこと』の中に人生の意味を見出そうとしている山田監督の気持ちが
よく伝わる演出だったと思う。






もうひとつ同じ意味合いで
第2作「続男はつらいよ」の中でも「生きる」ということを肯定している演出がある。

京都の宿で、散歩先生が寅に産みの母親にすぐ会いに行くことを勧めるが、
その時のたとえ話の中で仏教の教えが出てくるが、

散歩先生は、こう言うのだ。


老病死別
といってな、人間には四つの悲しみがある

と言う。



      



 一般には、仏教でいう人間のもって生まれた大きな悲しみとは本来「生老病死」と言われる。
 これらを一般的には「四苦」という。

 生まれることでさえ一つの悲しみで赤ん坊は泣いてこの世に誕生する。特に釈迦の修行したインドでは
 厳しいカーストがあったので生まれること自体が悲劇の始まりのようなケースが多かったようだ。

 ある日出家前の釈尊が東門を出ると老人に出会い、次の日南門から出ると病気の人に出会い、
 また、西門より出ると、葬儀の列に出会い、北門より出ると僧に出会ったという『四門出遊』だ。


その四つの苦しみの他にもう四つの別の苦しみ、すなわち

どんな愛おしい人とも別れなくてはならない事『愛別離苦(あいべつりく)』、
逆にどんな嫌な人とも会わなくてはならない事『怨憎会苦(おんぞうえく)』、
求めても求め切れない事、『求不得苦(ぐふとっく)』、
体が盛んになり、年齢とともに、それぞれの場で出会う困難な事『五蘊盛苦(ごおんじょうく)』


この四苦と最初の根源的な四苦を合わせて「八苦」という。
ふたついっしょに言う時「四苦八苦」という。
考えてみれば変な言い方だ。全部で8つの苦しみなのだからただ単に八苦と言えばいいのだが、
最初の根源的な四苦を強調したいためにわざわざだぶらせて「四苦八苦」というのだろう。
全部で十二苦ではない
ので、ご注意を!


話は元に戻るが、
散歩先生が生老病死を削り
その代わり、上に書いた愛別離苦(あいべつりく)
加えて老病死別と、言ったのも、上に書いた「喧嘩辰」のエピソード同様、山田監督の
「生まれること」「生きること」を悲しみと言いたくない優しさのあらわれとも考えられる。


実際の世の中は、寅の悲惨な生い立ちも含め、辛い運命にさいなまれている人々が圧倒的に多く、仏教の教えの中で
「生」が悲しみだ、というのはとても意味深いものがあり、真実だと思うのだが、それでも、あえてそうと言いたくない
気持ちも私にはよく分かる。やはり私たちは生まれてきたことを心のどこかで本当によかったと思いたいのだ。

人生を肯定的に見て、人生はそんなに嬉しいことばかりじゃもちろんないが、そうそう捨てたものでもないと
控えめに言っているこの「男はつらいよ」というささやかな映画がやっぱり私は大好きである。



             






また明日








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とらやのヨモギを江戸川べりで見つける楽しみ。  5月2日「寅次郎な日々」その162



一昨年の春、帰国した際、柴又に久しぶりに行ったが、その時、みんなで江戸川土手付近でヨモギを
探してみた
矢切の渡し近くの川べりでチラホラと見つけることが出来た。しかし学生時代に通っていた時と
比べて江戸川土手はガラッと小奇麗に整備
されてしまったので、かなり少なくなったと思う。

帝釈天参道の団子は本来江戸川土手のヨモギである。だからこそ団子屋もこの参道に多いのだ。



思い出すのは第7作「奮闘篇

おばちゃんと花子が
江戸川土手でヨモギを摘んでいた。花子はヨモギを摘みながら

花子「♪ふーけゆく〜、あーきのよ〜、たーびのそーらぁーの〜
   わーびしき〜、おもーいーに〜、ひーとりなーやむ〜…♪」と『旅愁』を歌うのである。


もう、あのシーン、川べりの空気を感じることができて大好きだ(^^)


            



時は流れて、第25作「寅次郎ハイビスカスの花」

この時は、遂に自分たちでは採らず、行商の谷よしのさんからヨモギを買っていた。



さくら「
ヨモギ?


おばさん「
はい


                   



おばちゃん「来月また来てちょうだいね、

とおばさんを送り出していた。

『来月も来てくれ』ということはもうこの時点ですでに毎回ヨモギを買ってるんだ、とがっくりしてしまった。。
もちろん実際の参道の団子屋さんたちは、当たり前のように業者から買っているのかもしれないが
せめて、映画の中では江
戸川土手でおばちゃんとさくらが手でヨモギを採って欲しかった、と超独りよがりな
ことを
思ってしまった。



                   




さくら、机の上のヨモギの香りをかいで、

さくら「はあ〜、いい匂い」

おばちゃん「こんなもの昔は江戸川の土手でいくらでもあったのにさあ

さくら「
学校の帰り、道草くってこれたくさん摘んで帰って、おばちゃんにお小遣いもらったっけね

おばちゃん「
そうそう、あの頃は土手の上にまだ桜並木があってさ、

さくら「
きれいだったわねえ、お花見の時分は」

ヨモギだけでなく、江戸川の堤には桜並木があったのだ…。




ちなみに、第29作「寅次郎あじさいの恋」では、そのヨモギ採りがまた復活!していたので嬉しかった。

さくらはおばちゃんとよく晴れた日、渡し舟に乗って千葉県まで行ってヨモギを自力で籠一杯に採って
来ていたらしい。
帰り道参道で御前様に出会い挨拶をしていた。

私は、あの爽やかな晴れた日、草花やたくさん採ったザル一杯のヨモギを持ちながら参道を歩くさくらと
おばちゃんのキラキラした笑顔が大好きである。柴又ロケのいろんなシーンの中でも生活の息吹が
感じられる隠れた名シーンだと思う。ああいうシーンがあるからこの映画はやめれません(^^)



                 



いつだったか、三崎さんがテレビの民放で、あの時矢切の渡しに乗って本当に向こう岸にヨモギを採りにいくロケが
おこなわれたと、いうようなことを言っていたが、たぶんこの参道ロケの直前のシーンになるはずだったのかも…。
それが映画では流れの関係で使われなかったのかもしれない。もしそうだとしたら残念!見たかったあ。

さくら「あー、いい気持ちだった。おいちゃん、もうこっち岸には生えてないからね、渡し舟に乗って千葉県まで
   行ってきたのよー」

おいちゃん「昔はこのへんの田んぼのヘリでいくらでも採れたもんだけどなあ」 だって。


そして、2006年の5月…、

泉ちゃんやカヨちゃんが時々小学生の子供をつれてヨモギを探しに向こう岸まで渡し舟に
乗って行ってるのかな…、なんて思っているのだが、どうでしょう。




また明日





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この人から逃げたい、『ちょっと危ない男たち』  5月1日「寅次郎な日々」その161




昨日はこのシリーズに登場する『濃ゆい』女性たちのことをちょこちょこと書いたが、
今日は『危ない男たち』のことをちょこちょことおそるおそる書いてみる。



まず、すぐいやでも思い出すあの危険男。
第28作「寅次郎紙風船」で柴又参道を車で暴れまくった愛子の腹違いの兄貴。
あれは危ない。マジで危ない(^^;)

まず、源ちゃんが危うく兄貴の車にひかれそうになっていた。こわっ(−−;)

さくらもびっくらこいて心臓止まりそうになってたし…。

マグロ1本(刺身100人分)を机にドカッ!!っと置いた時、さくら目がペケ。
あのマグロ誰がさばくねん。凄い重労働でっせ。ちなみに、あれ、高いよ〜(^^;)




            




あの重いおばちゃんが飛び上がっていたくらい暴れん坊。
「警察呼ぶよ!」

言うことを聞かない愛子を殴ろうとした兄貴に、止めに入ったおいちゃん、
「あー君君、暴力は!ボウ…あああああ!!」ひょいっとおいちゃんを持ち上げ、
店の入り口まで持って行ってしまう(^^;)
後にも先にも、江戸時代から続くとらや六代目店主車竜造さんにここまでしたのはこの兄貴だけ。



                
おいちゃん…(TT)

            





挙句の果てにやっぱり愛子をおもいっきりひっぱたき、肩に担ぎ上げお尻をペンペンしていた。
おいちゃんに水を差し出され、一気に飲んでようやく気が落ち着いていた。

地井武男さん、キャラそのまんまの開けっぴろげの演技で見事に焼津のあらくれ漁師を
見せてくれた。すご。






その次にすぐ思い出すのが、第34作「寅次郎真実一路」で失踪した富永課長さんの鹿児島のお父さん!
これも危ない。ボケてるからなおさら手がつけられない…((((^^;)
だいたい長刀あんなとこに置いておくなよな奥さん!やってくださいって言ってるようなもんだよ。
寅「やめやはんか!やめはんか!」と泡食って逃げまくっていた。「逃げんといてください」って
言ったってやっぱ、逃げた方がいいよねえ〜(^^;)新国劇の顔、辰巳柳太郎さんの迫力!



                
  やめやはんか!

             





最後はやっぱり思い出したくないのに思い出してしまう、違った意味で「危ない」「逃げたい」あの人(TT)
第42作「ぼくの伯父さん」に登場する笹野さんのホモライダー。もう再現はおとろしくてできまへん。
一度このコーナーで死ぬ気で写真2枚貼り付けたので今回は1枚で勘弁してください(^^;)
あれ、貼り付けるとよる寝つきが悪くて…(^^;)ゞ いや〜〜、笹野高史さん渾身の演技。すばらしい!

説明の必要なし。




                  満男さん…、満男さん…

             




と、いうわけで昨日の女性軍に勝るとも劣らないおとろしい男たちの紹介でした。夜うなされそう…(ーー;)



また明日














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