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寅次郎な日々

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2006年4月分

ほぼ毎日更新
その132〜その160まで



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ちょこっと出演、強烈なあの女性たち(2006,4,30)

優しさと破壊の混在 『事件ですの人』 ― 神戸浩さん ―(2006,4,29)

寅さんに出てくる『ちょっとこの人なあ…』列伝(2006,4,28)

疎遠になった満男と泉ちゃん(2006,4,27)

おいちゃんにしか言えないこと(2006,4,26)

寅のご近所での評判(2006,4,25)

寅の所帯を持つ準備 ― その執拗なまでのディテール ―(2006,4,24)

寅から見た『車寅次郎の人生』とは(2006,4,23)

『幸せについて』の満男の問いかけ(2006,4,22)

「人生踏み外しOKマドンナベスト5」(2006,4,21)

全国に散らばる寅の定宿いろいろ(2006、4、20

満男と泉ちゃんの明日のために。(2006、4、19

時空の違う菜穂ちゃんと泉ちゃん(2006、4、18

満男の初恋を指南する寅。(2006,4,17)

青年前期の満男が思う寅おじさん。(2006,4,16)

小さな満男から見た寅おじさん。そのA(2006,4,15

小さな満男から見た寅おじさん。その@(2006,4,14

何のために勉強するのか(2006,4,13

御前様のEnglish(2006,4,12

生真面目おいちゃんの「つまりその…恋よ」(2006,4,11

さくら名義の郵便貯金通帳(2006,4,10

さくらの日本列島縦断とほほ旅(2006,4,9

お千代さんの三球直球ストライク勝負(2006,4,8

御前様のお経のレパートリー(2006,4,7)

寅の啖呵バイの地  推理日記 そのA(2006,4,6) 

寅の啖呵バイの地  推理日記(2006,4,5)

寅への出迎え、空振り三振の巻(2006,4,4)

長旅から帰った人へのいたわり(2006,4,3

チャルメラ、石焼いも、みちのく卸売りセンター(2006,4,3)



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160


                          
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ちょこっと出演、強烈なあの女性たち  5月30日「寅次郎な日々」その160





昨日の神戸浩さんもそうだが、このシリーズには味わい深い俳優さんが山ほど出ているのだ。
今日も、ちょこっとしか出てこないんだけど、なんか変に印象に残ってるんだよなあ〜、と言う
強烈な個性を持った女性3人を書きましょう。


まずは初音礼子さん。

あのー、誰ですかその方?って人も多いだろうが、大阪の名脇役の女優さんだ。
第27作「浪花の恋の寅次郎」で新世界ホテルの女将さん。
あのボンクラ若旦那のお母さんである。「嘘つきは泥棒のはじまりやとちいちゃい時から言うてあるけどなあ、
けどな、泥棒にならんかっただけましやったな」のセリフ回しの味は絶品。
『泥の河』にも出演されていた。

あのねちっこい雰囲気、彼女は大阪の「おかん」そのものだ。寅の産みの親のミヤコ蝶々さんも大阪の
お母さんだが、やはり浪花っ子にとって「おかん」のイメージは初音さんのように世話焼きで、息子に
対して怖く厳しいのだけれども、どこかで変に甘い、ああいう人だ。あの息子がおでこから血を流した
時のあの対処にその全てが表現されていた。
「情けないガキやなあ、ええ年こいて大きい声だしてからに。さ、こっちおいでメンソ塗ったるさかい…」

メンソとは大阪のおかんたちが良く言う言葉で『メンソレ―タム』のことである。

私はこの一見小粒な第27作をベスト24作品の中に入れているがその理由の一つに、これら大阪芸人の
方々が出演されて独特の雰囲気を作られていることが関係している。雁之助さんをはじめ、笑福亭松鶴師匠、
かしまし娘さん、大村さんなどなどが作り出すあの空気は、大阪がアジアだということを私たちにわからせて
くれる。東南アジアに16年住んでいる私が言うのだから間違いない。大阪はまさしくアジアの空気だ。





               




次は

千石規子さん。

ますます誰ですかそれ?と聞かれる方もこれまた多いと思われるが、黒澤映画などによく出演されていた
名女優さんだ。NHKの朝ドラや連続ドラマなどでもちょくちょく出られていた。
で、「男はつらいよ」では第48作「寅次郎紅の花」で、老人ホーム「青陽園」で暮らすリリーのお母さんだ。
第11作ではこれまた往年の名脇役の「利根はる恵」さんが同じ役を演じた。少ししかセリフがないのだが、
リリーはこの人を「お母ちゃん」と呼び、鼻をかんでやっていた。リリーが島で一緒に住むことを勧めても
「いやだよ、あたしゃ暑いとこ嫌いだよ」と、結構やんちゃな応答をして往年の遊び人の雰囲気をだしていた。
なんか一筋縄ではいかなさそうな雰囲気があるんだよなこの人。





              



次は

武智豊子(杜代子)さん。

ん〜〜〜っと、誰だったっけ?と言われる方も多いと思うが、このシリーズでは第13作「寅次郎恋やつれ」で
寅に「おねえちゃん、柴又乗り越しちゃったよ!ヘヘへ」と電車の中で愛想笑いされる化粧の濃いあの乗客!で
ある。映画界の女エノケンと言われ、うるさいおばさんをさせたら右に出る人がいないと言われた方だ。
寅の向かって左にいたのはあの夢のシーンの常連でもあり、本編では坂東鶴八郎役で人気を誇った
吉田義夫さんである。この3人が並んでコントを行っているのは壮観だった。この時の武智さんはセリフ無し!。
しかし、あの服、あの雰囲気、あの憎たらしい顔つき、全てどえらいインパクトだった(^^;)

ちなみに武智さんは『テレビ版男はつらいよ』で、寅の産みの親役をされていた。だからそのことを知っている
人たちにとっては、こたえられないシーンだったであろう。





             




というわけで、この3人はとにかく独特の雰囲気を持った『濃ゆ〜い』人たちだった(^^;)




また明日








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優しさと破壊の混在 『事件ですの人』 ― 神戸浩さん ―  4月29日「寅次郎な日々」その159




第46作「拝啓車寅次郎様」が放映された1993年、まだ幼児だった私の息子はこの作品の中に出てきた
ある面白い俳優さんのことを『事件ですの人』と呼んでいた。

寅のところへぜいぜい駆け込んで来て、『事件です!』と言うのだ。それ以来彼が映画に出てくる度に
「あ、事件です!の人だ」とはしゃいでいた。
その時のマドンナの典子さんより、その時の菜穂ちゃんより
息子の心に深く入り込んでしまった人。


そう、その人とは神戸浩(かんべひろし)さん。


マドンナの宮典子さんの夫が迎えに来てしまったので、寅にとって一大事だということで、事件でもない
のに、
つい『事件です!』と、言ってしまったのだ。あのセリフは何度見ても大笑いだ。


                      
事件です

                






神戸浩さんは第46作、第47作、第48作、と出演し、第48作「寅次郎紅の花」では寅がリリーの肩を抱こうと
した決定的な瞬間を間近で
目撃しているのが彼。寅がマドンナに対してここまで積極的になったことは、
あとにも先にもこの時だけだ。最後の最後に見せた寅の脱皮の瞬間だった。神戸さんはそれを横で見た生き証人。





               





そしてその勢いのまま、満男の泉ちゃんへの愛の告白をも神戸さんは続けて目撃してしまうのである。
もう彼の頭はグルグルでなにがなんだか分からない状態だったろう。(^^;)

「男はつらいよ」の最後の大きなドラマに立ち会うことができた幸せな人だ。


しかし、実は、神戸さんと言えば何と言ってもあの「学校U」の佑矢君こそ彼だ。あの熱演はもう誰もできない。
凄まじいとさえ言っていい演技だった。そして永瀬正敏さんとの相性は抜群だった。


遠くは、『無能の人』でのあの凄い怪演でいきなり誰だこの人は!?と、びっくりしたものだ。



それにしても神戸さんの演技はとても柔らかい。彼が出てくるだけでその場がなごむ。彼は表情がとてもいいのだ。
しかし、彼の演技はただ柔らかいだけではないとも思う。あの計算を超えた底知れぬパワーはいったいなんなんだろう。
彼は身障者ながら俳優をしている。体を酷使するこの職業を、笑いながら、はしゃぎながら挑み続ける神戸さんの
あの計り知れないパワーにいつも私は注目
している。

近年の「たそがれ
清衛兵」でも井口清衛兵の雑務担当の中間(ちゅうげん)役 。「隠し剣鬼の爪」でもやはり
片桐宗蔵の
中間役。これは学校Uと同じく永瀬さんとのコンビ。あのとぼけた愚直な役はもう今の日本では彼以外
考えられない。それほどはまり役だった。



そして、「拝啓車寅次郎様」から13年もたった2006年。

今年になっても、息子は
神戸さんの話題が出るたび未だに「事件ですの人」と呼んでいる。よほどあの一言が
面白かったのであろう。神戸さんの演技には確かに一度見ると忘れられないものがある。それは恐ろしい
くらいのインパクトなのだ。

優しく柔らかく面白いだけではない破壊的なまでのパワーがあの小柄な体に隠れているのは間違いない。

あの人はただものじゃないのだ。




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寅さんに出てくる『ちょっとこの人なあ…』列伝    4月28日「寅次郎な日々」その158



「男をつらいよ」を見た人が口をそろえてこの映画には嫌な奴、悪人がほとんど出てこないと言う。

私もその通りだと思う。どんなひねた人間も必ず、何かそうなった理由があり、その中になるほどと
思う人生もある。どんな悪人も人の子だったのだ。

しかし、時として、歯ぎしりしたくなるような人間も登場する。今日は寅さん映画としては
珍しい『ちょっとこの人なんだよぉ』な方々を紹介しよう。


★まず、皆さん思い出すのが水戸黄門さん。
 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」のぼたんのとらのこの200万円を騙し取ったあのにっくき鬼頭である。
 こやつは何の酌量の余地もない。ただの悪人。まあ、こんな奴はこのシリーズでこいつだけ(^^;)
 ただし、ぼたんも「ええ儲け話がある」って言われて乗ったのも悪い。それにしても佐野浅夫さん、
 この小賢しい小悪人を見事に演じきっていた。上手いなあ。後に水戸黄門さんをやってチャラ?(^^)




                





★鬼頭まで嫌な奴ではないにしろ、意外に『ちょっとなあ…』なのが、泉ちゃんの佐賀の叔母ちゃんの夫。
 私はああいう『正論の狗』のような人は苦手だ。言ってることは絶対に間違っていないのだが、
 その心根が硬く干からびている。満男に対して言ったあの失礼な言い回しは温厚な私もつい、
 身を乗り出したくなったくらいだ。表層的なことにこだわり、中身を見て考えようとしない、心に潤いが
 ない人だった。これまた尾藤イサオさんが、見事に好演。寅とのラストの対決のシーンはこのシリーズの
 中でも緊迫感のある印象深い場面だった。




               




★第19作「寅次郎と殿様」でお殿様の長男。この人も鞠子さんに手切れ金を渡して、一日でも早く縁を
 切りたがっている、人間を根本では信じていない典型のような人。金を払えば誰でも文句を言わない
 だろうととらやに現ナマを置いて帰る露骨さはあの殿様の実の息子とも思えない嫌な人だった。
 私ならあんな人がくれたパパイヤ絶対に食べない(−−メ)


★上の3人に比べるとちょっと嫌な人度は落ちるが、第12作「私の寅さん」に登場する画商の一条。
 別になにが悪いと言うほどでもないのだが、あの美しいりつ子さんの肩に手を回し、ネチネチ迫ってくるところが
 なんだかなあ…、って感じ。絵だけを応援するのはイヤなのかよ(--メ)


★第35作「寅次郎恋愛塾」で若菜さんが面接をされる時の面接官たち。若菜さんをネチネチネチネチ
 いじめがちだった。若菜さんもちょっと勝気だったが、あいつら…(−−メ)


★第13作「寅次郎恋やつれ」で、津和野に住む、歌子ちゃんの姑さん。
 彼女はなにも変なこと言っていないのだが、雰囲気が意地悪気味。なんかちょっとね…、あの雰囲気(^^;)ゞ


★これまた、何の落ち度も無いのだが、第17作「寅次郎夕焼け小焼け」に登場した池ノ内青観の奥さん。
 なんとなく、う〜〜ん…、なんだよなあ〜(^^;)寅が啖呵を切って立ち去った後もなんかぶつぶつ言っていた。
 でもよく考えると当たり前なんだよなあ、あんなヤクザもんのような奴がなにか怒鳴って帰って行ったんだもんね。
 でもあの奥さんなんかヤなんだよね(^^;)ゞ心のどこかで、龍野の清楚な志乃さんと比べてしまうのかな。


★この人も別に何の落ち度もないのだが、第45作「寅次郎の青春」で泉ちゃんが勤めるレコード店の店長。
 泉ちゃんが休ませて欲しいと言った時の注意の仕方が陰険(−−メ) まあ、別に間違ったことは言ってないのだが、
 雰囲気がちょっと…(^^;)ゞ


上記の皆々様(あの鬼頭は除く(▼▼メ)) ごめんなさい。
悪気は無いんです。ちょっとした話題ですから。俳優のみなさん、気楽〜に
読み流してください。それに、どの俳優さんもすばらしい演技でした、ハイ(^^)
(誰も読んでないって ヾ(^^;))


チャンチャン


また明日







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157


                          
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疎遠になった満男と泉ちゃん  ― 第45作と第48作の間の空白 ―  4月27日「寅次郎な日々」その157



第1作はある意味、寅はもちろんだが、さくらと博の恋愛もメインである。
何と言っても
すぐ思い浮かべるのは博のさくらに対する愛の告白だ。博の3年間の想いが鮮やかに
伝わる美しい告白シーンだった。

そしてその後長い長い間、寅一人の恋愛遍歴が続き、第42作「ぼくの伯父さん」からはなんと博の息子の
満男が恋愛を始める。これは、寅の恋愛と平行してその後の全ての作品で2本柱となっていくのである。

満男と泉ちゃんは葛飾高校の3年生と1年生。同じブラスバンド部。しかし、家庭の事情で彼女は
母親と名古屋に行ってしまう。しかし、実は泉ちゃんだけ佐賀県の叔母さんの家で暮らしていた。


その第42作で満男は浪人中にはるばる佐賀の泉ちゃんに会いに行き、別れ際に
「アイ ラブ ユウ」と告白後、彼女にキスをしようとする。

泉ちゃんも満男の腕を組んだりして満男に恋をしていた。

しかし、まだ浪人生と高校生、先のことはわからない。


第43作「寅次郎の休日」第44作「寅次郎の告白」では告白こそしないが、泉ちゃんにさまざまなことがあり
満男はその度ごとに泉ちゃんを助け、泉ちゃんは満男をますます好きになっていく。山陰線に乗っている時、
満男はついに泉ちゃんの手を握る。泉ちゃんもそれに応え、握り返す。二人の愛情は確実に育っていったのだ。

第45作「寅次郎の青春」では泉ちゃんが名古屋に戻らなくてはならなくなって東京駅に向かう。
満男はさくらから連絡を受け、ギリギリ出発に間に合うのである。泉ちゃんは別れ際に満男にキスをする。




          




この時点で、物語的には最も愛がはぐくまれているはずなのだが、なぜかこのあと手紙が届くだけで、
この二人は頻繁に会うこともなく疎遠になる。

なぜ??

このあとの第46作と第47作に泉ちゃんが登場しないことがこの不自然さを作り出していると考えてよいと思う。


第46作と第47作は先日書いたように満男も泉ちゃんもそれまでの流れとは別の世界、異空間に存在すると
考えたほうがいい。この2作品における満男の他の女性との恋愛及び泉ちゃんに対する忘却をマジで考えては
蟻地獄にはまってしまう。この二人の恋愛だけを考える時に限ってはこの2作品はこの世になかったことにすれば
やりやすい(^^;)。二人にとっては第45作のあとはそのままダイレクトに第48作となるのである。

一般的な連続ドラマの場合は、話の流れがギクシャクしたり、不自然にならないように自然な流れの
脚本を作るのだが、この第48作で泉ちゃんが満男の会社に来た時点で、もう何年も会っていない感じで
流れがギクシャク気味だった。

第45作ではお母さんの入院のことがあって、愛し合いながらも仕方無しに別れただけなので、二人はまだ
愛し合っているはず。それなのに第48作では泉ちゃんはいきなりすでに見合いしてしまっているし、
それを聞かされた満男は「よかったじゃん、オレはオレで適当にやってるんだから」とか言ってしまうのである。
もちろんお互いに言葉とは裏腹に真剣に悩んでいたのは確かだが…。


このシーンは、お互い気持ちがあるにも関わらず、どうしてもすれ違ってしまうという設定なのだが、
どうも、それにしても第45作までの二人の盛り上がりを考えるとちょっと疑問が残る。

いったい、第42作から第45作まで続いたあの長いやり取りはなんだったんだと、見ている私は悶々としてしまうのだ。
やはり、先ほども書いたように、第46作、第47作の2作品に泉ちゃんが出ていればもう少し自然な違う脚本にもなったのに…、
とも思う。


このあと、発作的に満男は泉ちゃんの結婚式を壊し、泉ちゃんは一人奄美に行き、満男は海岸でようやく告白する。




          




寅のように一話一話の恋愛が完全に独立しているのなら、それはそれで楽しめるし、リリーとの4部作にしても、
繋がっているんだけれども、きちんと独立してもいるのでこれも一話完結の味わいがしっかりある。
しかし、満男と泉ちゃんの恋はあきらかにさくらたちと同じ時空のリアルな連続ドラマなのだ。

で、私としては第45作のあと、『遠距離恋愛』以外のなんらかの理由でこのふたりが少し疎遠になるちょっとした
出来事、もしくは、なんらかの誤解、すれ違いがあったのだと勝手に思うようにしている。そうだとしたら、第48作に
繋がりやすくなるのだが…。しかし、そのすれ違いの具体的な内容は未だに頭に浮かんでいない。

とほほ(^^;)ゞ



また明日


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おいちゃんにしか言えないこと   4月26日「寅次郎な日々」その156



昨日の続きでもあるのだが、今日は『おいちゃん』の話。


昨日の話題に出てきた満男の入学式のちょっとした事件に怒った寅に対し、おいちゃんは決して寅を
慰めようとはしなかった。

おいちゃん「悔しいよ!、そりゃオレだって悔しいよ!しかしな、寅、落ちついて考えてみろ、
       みんなが笑うってことはだよ、今までお前が笑われるようなことをしてきたからなんだ。
       だから悪いのはお前だ。そこんとこをよーく考えて…」


          




寅はいったん怒ってしまうと人に対してとんでもないキツイことを言う。
おいちゃんとおばちゃんに子供ができないことや、老人だというハンデ、博やさくらの貧乏、タコ社長の
苦しい工場経営、等々人がもっとも傷つきそうな言っちゃならないことを真顔でポンポン言ってしまう。
いわゆる「
それを言っちゃあおしめえよ」だ。

一方、とらやの面々も寅ほどではないにしろ、寅にそうとうきついことを結果的に言ってしまう。
意外に博などは相当辛らつなことを口走っている。
第27作「浪花の恋の寅次郎」ではその究極ともいえる人生批判をマドンナの前で言ってしまっている。
「大切な事は人生を力強く生きる事です。兄さんみたいな人にはそれがないんですよ」
横で聞いていた寅、シュン…。

博はマドンナを励まそうと言ったつもりかもしれないが、その博の発言は寅のことを、博の価値観で
決め付け、レッテルを貼っているような気がするのは私だけだろうか…。


一方、おいちゃんは、博のような観念的なことは言わない。もっと体ごと寅にぶつかるような言葉が
そこにはある。

第1作では、さくらのことで大喧嘩の際
おいちゃん「おめえが家をおん出たとき親父はどんなに心配したか、おとつい、てめえの
       ツラ見た時は、親父が生きてたら、どんなに喜ぶかと思った。
       でもかえって死んでたほうがマシだったと、草葉の陰で……」

第19作「寅次郎と殿様」では 犬のトラ騒動でも、
おいちゃん「やめろ!寅、おまえが悪い」
寅「どうしてオレが悪いんだ!悪いのはオレを犬扱いした奴じゃねえか!」

おいちゃん「それが悔しかったらな、もっと尊敬される人間になれ、
      そうすりゃ誰もあの野良犬にトラなんて名前つけやしねえ。
      いい年をしてフラフラフラフラしてりゃまるで野良犬じゃねえか!」

そして今日の最初に書いたあの第17作でもおいちゃんはやはり寅に愚痴ってしまった。
第16作「葛飾立志篇」でも順子ちゃんのことで、「ほんとだったらあれくらいの年頃の娘さんがいても
可笑しくないんだぞ!」ってまたまた言ってしまう。まあ、とにかく何かあるたびごとにに寅はおいちゃんに
説教される。これは寅にとってはつらいことだ。無条件で寅を迎い入れることの難しさを感じざるを得ない。

しかし、おいちゃんは堅気なのだ。日常を地道に生きている。寅も人生を寅なりに真面目に生きてはいるが、
このふたりは人生の価値観や気質にズレがある。
このズレをつねに抱え込んでいるおいちゃんの抑圧が、ちょっとした寅のハプニングの際に表に出てしまうのだろう。
身内だからこそ、この店の跡取りだからこそ、そして人一倍だれよりも寅のことを想っているからこそ、たまに
帰ってきた時につい出てしまうグチなのだ。


ある意味寅は世間的には欠点だらけの男。「煩悩が背広を着て歩いているような男」だ。
それは寅が一番わかっていること。だから寅にとってはおいちゃんの言葉は身を切られるように痛い。
しかしそれとは別に、寅は悪い事をしたり嘘をついたり、人の道に外れるようなことをしないこともおいちゃんは
ちゃんと分かっている。そこのところが救い。



寅がたまあーに人に褒められて一番無条件で喜んでいるのも実はおいちゃんなのである。


私が、おいちゃんの愚痴で印象深く記憶に残っているものを最後に紹介しよう。

第23作「翔んでる寅次郎」で、工員の中村君の結婚についてぶつぶつ偉そうに言う寅に対して

おいちゃん「寅!てめえが結婚できないからといって、人様の結婚にまでケチつけるこたねえ!
       人様の結婚式を見るたびに、オレたちがどんな思いでいるか、おめえ、それ考えたことがあるのか!
       いつになったらおめえが綺麗な嫁さんの手をとってその入り口から幸せそうにへえって来てくれるかって…、
       何べんそんな夢、オレ…、
       そんな夢……。
       まったく情けねえ…、くっ!」



              



おいちゃんの、そんな熱い気持ちを、ひそかにありがたく思う寅でした。



また明日




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寅のご近所での評判   4月25日「寅次郎な日々」その155


寅は、御前様が言うように「柴又の平和を乱す」行いをしょっちゅうしている。
それは今に始まったことでなく、幼少期から続いてきたことでもある。
寅が中学生の時、家出してその後20年間は平和だったが、寅が柴又へ戻って以来年に数回は何か
やらかしている。映画の中でも近所の人々が寅のことを良く言うのを聞いたことがない。

悪ガキ仲間の備後屋や麒麟堂たちは、まあしょうがないとしても、小学校の同級生やご近所のおばさんたちも
なかなか辛らつである。

第8作「寅次郎恋歌」ではとらやのおばちゃんなどと普段は親しくしているあの「八百満」のおかみさんまでが
「あんまり勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ」と息子に言っていた。
まあ、もっとも第16作「葛飾立志篇」では八百満のおかみさんは学問に目覚めた寅にフルーツの盛り合わせを
送っていたのでチャラかも(^^;)

第10作「寅次郎夢枕」でも近所のおかみさんが「バカみたいに遊んでばかりいると寅さんみたいになっちゃうよ」
第25作「寅次郎ハイビスカスの花」では「ご飯食べないと寅さんみたいに行き倒れになっちゃうよ」と
寅の最新情報を盛り込んで説教していた。
まあ、つまりご近所のしつけや教育にいつも反面教師として寅は貢献しているというか、結果的に一役買って
いるのだ。とほほ…。


寅が恋をするたびに、いつふられるかとか、娘に惚れている、いや母親の方だ、とか、町の中や銭湯で
噂話が盛り上がることもしばしば。

まあどんな寅に関する話題も光ファィバーなみの伝達能力で門前町を駆け巡っていくのである。

寅のいない時も、第10作で山門に「寅のバカ」って書かれたり、第19作「寅次郎と殿様」のように
野良犬がいたら『トラ』という名前をわざとつけて遊ばれてもいる。



           



まあ、それはよくあること。

これらは噂であり、本人やとらやの人たちに向かって言うことはないのだから。


しかし、一度だけ近所の人としては勇み足をしてしまったことがある。

それは意外にも第17作「寅次郎夕焼け小焼け」で、満男が柴又小学校の入学式にさくらと
一緒に出席した後の担任の先生の発言だ。

教室で満男の名前を呼んだあとその担任の先生はこう言うのである.

 『あら、君、寅さんの甥御さんね』

 その直後当然ながら父母も子供たちもドーッと笑ったのだ。

家に戻り、傷心のさくらからそのことを聞いた寅は怒る。

寅「冗談じゃねえ、そんな教師がいるからロクな日本人ができねえんだ!
  ふざけやがって!名前言え!はやく!

さくら「先生はちっとも悪くないわよ。ただ『寅さんの甥御さん?』って
   聞いただけなんだもん」

これは実はさくらがよく分かっていない。 本当は、まず先生がちょっと勇み足。

さくらは「お兄ちゃん、みんなだって悪気が合って笑ったんじゃないのよ」
と言うが、それも違うと思う。
寅「バカヤロウ!悪気があるからみんな笑うんじゃないか!」と反論した
寅の言葉のほうがこの場合どちらかと言うと私は正しいかもと思う。もちろん
「悪気」というよりは「可笑しみを含んだからかい」に近いが。

私には寅の感覚がよく分かる。

そもそもその先生は寅と面識があるのだろうか?
もし、一度もないとしたら、これは噂だけで、いろいろイメージを作ってしまっているのだろう。
そして、満男の時につい、面白い変わり者と聞いていた寅の名前を出したのだろう。それも「車寅次郎さん」と
言わずに「寅さん」とニックネームで言ってしまっている。寅とはたぶん知り合ってさえいないのに…。知らないのに
「寅さん」と呼ばれるのはいかにも寅にふさわしいとは思うが…。まあ、寅をどこかで少しでも尊敬してくれていれば
嬉しいのだが…。とまあ、ただ場を和ませようとお気楽にしゃべっただけの先生にマジで突っ込んでしまう今日この頃
である(^^;)ゞ

その先生は寅のことをいろんな人から聞いて『ユニークで人間味のある人』と思って、満男に個性的なおじさんね、
って言う意味で言ってくれたのはまず間違いない。ま、そういうとこでしょうね(^^)

だからもちろん、先生にいわゆる悪気はこれぽっちも無いし、場を和ませようとしたのは分かる。ただ、それでも
先生の立場や場の原理を考えると、ほんの若干軽率な発言だったとも言える。ちょっとした『変わり者』として
この界隈で認知されている寅の名前を出したらみんなが笑うことは良く考えればわかるはずだった。
担任の先生のちょっとした発言でさえ、当の子供たちにはもちろんのこと、父母にとっても影響がとても大きいのだ。

で、みんなの笑いの渦の中、話題になっている寅の妹であるさくらは密かに傷ついてしまう。これはさくらにとっては
悔しくて辛いことだ。そしてさくらは家に帰って遂に涙を流してしまったのだ。

でも実は、言われた当人の満男は、あっけらかんと寅がくれた祝い金の祝儀袋の中身をそっとのぞいたりしてたので、
メソメソしていたさくらや怒り心頭の寅とは違い、ほんとは満男はさっきの学校での担任の先生の発言のことなど、
ぜぇ〜〜んぜん気にしてなかったりして…(^^)

チャンチャン。



              


ちなみに、
私は絵描きをする前、東京豊島区の中学校で担任を5年間していたが、このケースのような軽率な発言を一度
してしまった覚えがある。場を和まそうとして言ったつもりが、結果的に生徒を少し傷つけてしまったのだ。
自分の潜在意識が露出してしまった愚かな行為だったと深く反省している。生徒は先生に傷つけられたことを
人生でかなり長い間覚えている場合もある。まあ、先生なら全員何度かはやってしまう行為ではあるが(^^;)ゞ

そしてさくらからそのエピソードを聞き、憤慨する寅に対しておいちゃんはおいちゃんで意外なことを言うのだった。
それはおいちゃんの寅への熱い思い、そしてそれゆえのジレンマが出た言葉だった。


その、おいちゃんのことはまた明日


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『寅次郎な日々』バックナンバー           





寅の所帯を持つ準備 ― その執拗なまでのディテール ―   4月24日「寅次郎な日々」その154



寅はいままでに、それこそ何度も結婚の夢、所帯を持つ夢を描いてきた。彼の想像力は
常人の域を遥かに越えているのでそのディテ―ルも行き着くところまでいくのである。

その素晴らしい人間離れした想像力をちょろちょろっと紹介してみよう。

第28作「寅次郎紙風船」で光枝さんと所帯を持つことを夢想する寅が茶の間でそのことを
独白するシーン。


まず準備段階として

★「ちょっと遠慮してくれねえか」とタコ社長を締め出す。
★店の鍵を閉めさせる。
★他人がいないか再度確かめる。
★マネキ猫を見て「猫が見ている」(^^;)
★満男に「おまえ耳ふさいでろ」

寅「ほんとうに、ここだけの話だけどな…、オレ、
所帯持つかもしれない」
博「誰ですか相手は?」
寅「今名前は言えない。いずれそのうち分かるでしょう。」
博「いつ頃ですか、?」
寅「来年の春、いや、暮れ、ん…なんだかんだと2、3年、5年なっちゃう…、
  10年かなあ…、結局は所帯持たないかもしれないなあ」

一同、呆れる。

寅「どういう仕度をしたらいいかってことだよ!」
おばちゃん「まず、所帯道具をそろえることじゃないかい」
そう来るかおばちゃん(^^;)

寅、敏感に反応。彼はこういうディテ―ル大好き。

寅「そう、
箸と茶碗ね。それと湯飲み茶碗もふたっつ。ちっちゃいのとおっきいの細か(^^;)
おばちゃん「お鍋だっているよ」
おばちゃんってば(^^;)
満男「電気釜」
満男…(^^;)
寅「あ、
オシャモジ包丁とまな板、あと、とろろ芋の時なんか、スリコギもいるしね」うわ(^^;)
博「そういうものは、僕たちがお祝いに贈りますから」
寅「ありがとう」
そうじゃないってば(^^;)
博「もっと、本質的なところに目をつけて下さい」
寅「本質的って…、本質!」
寅「はっ!
住む所か!だめだこりゃ(^^)

一同ガクッ…

おいちゃん「そりゃいいよ、2階貸してやるから」
寅「あ、おいちゃん、すまねえなあ。じゃ、適当なところ見つかるまで、ま、2階にいるとして」
 そうだ、2階に
便所がないんだよ、おいちゃん。そこの階段突っ切って、
 オレだったらおいちゃんの
盆栽の脇にしちゃうけどさ、まさか光枝さんにそんなとこでやらせる
 わけにゃいかねえもんなあ、んー」

一同、マドンナの名前が突然出て凍りつく。

おばちゃんとさくら、ひそひそ…



                 
ひそひそ
          


寅「おいちゃん
2階に便所作ろうや。な!そいでついでだからさ、風呂も作っちゃおうよ、
 贅沢は言わない、ね、ただし、
風呂桶はこれ、ヒノキにしてもらいたいんだ。プラスチック
のあれいけないんよ。あれ
つるっとすべってストーン!と、こうなるんだから。



               
  ストーン!
          



 いっそのこと
台所も別にするか」

おばちゃん「なんで?」

寅「だっておばちゃんとこでさあ、芋の煮っ転がしかなんか煮てる隣で、ウチの奴がさあ、
 
牛肉のステーキやってるんじゃ、ちょっと気まずいんじゃないかなあ。
 だからさ、ひとつ屋根の下で暮らしも別々と。
 その代わり、夕飯が終わったらここへ集まって、楽しい会話のやりとり。ね。
 
『あ、もうこんな時間かしら…、そろそろ休もうかしら』『そうだな、そうおし』
 老夫婦はヨタヨタとおのれのねぐらへ、若夫婦はイソイソと!2階へ!

 あ、おいちゃん、出入り口も2つ作らないとダメだよ。

 だって裏のタコがズカズカズカズカ入ってきたら雰囲気壊れちゃうもん。いいだろう、作って?」



         




おいちゃん呆れて

おいちゃん「ああ、いいよいいよ、好きなようにやれよ」
(^^;)

寅「
そうか、それで話は決まった!どう決まった?(^^;)


最後はおいちゃんにワイシャツとネクタイ借りて、雪駄はいて就職の面接まで受けていた。
そして、タコ社長に『名刺』を頼みに行く寅でした(^^;)


この想像力、このディテール、オシャモジやスリコギが出てきて、最後は、完全2世帯住宅改造論まで
攻め込んでいく現実完全無視の寅の大いなる想像力は空よりも高く、海よりも深いのである。



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寅から見た『車寅次郎の人生』とは    4月23日「寅次郎な日々」その153



寅は、自分の人生を誰に何を言われようが、結局は曲げないで進んでしまっている。
だからと言って信念と自信を持って突き進んでいるのではないところがとほほである。

まあ、寅は寅で心が右に言ったり左に行ったり引き裂かれている部分もあるのだろう。

とらやの面々にも、寅は自分の生き様をいきがる時もあれば、自虐的なまでに反省する時もある。
そこには、常に揺れ動く寅の心が読み取れる。そして最後はつねに自分の性分のおもむくままに
旅立っていくのである。



最も私が印象深い『反省の言葉』は第11作「寅次郎忘れな草」の例の『あぶくの話』である。リリーの言葉を受けて、

寅「
うん、あぶくだ。それも上等なあぶくじゃねえや、風呂でこいた屁じゃねえけど、背中にまわってパチンだ




              





 
第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」でも寅は自分自身の生き様に対してかなり辛らつな批判をしている。

寅「
オレには七つ八つ年下の妹がいてな、さくらって言うんだけどな。今から十年、十五年前か、
 そいつにはに随分意見されたよ。『こんな暮らし続けていたらそのうちきっとお兄ちゃん後悔するわよ』ってな。
 へ、なにしろこっちは若いからね、真面目に働いてる奴がバカにみえてしょうがない。大きなお世話だ
 おめえ、こっちとら太く短く生きるんだい!って相手にもしなかったけどな、ふと気がついてみると…、
 いい年こいて渡世人稼業やってんのはオレみてえなバカばかりだ…






             





第1作のラスト付近で、一緒について行きたがる登に

寅「
バカヤロウ!オレみたいなバカになりてえのか!てめえはそれほどバカか!


第33作で久しぶりに登に再会した時も、自分のような者とはもう付き合うなというようなことを
言い残して早々に立ち去っていく。



第39作「寅次郎物語」ではさくらに

寅「
働く?何言ってんだおめえ、働くってのはな、博みたいに、女房のため、子供のために額して汗して、
  真っ黒な手をして働く人のことを言うんだよ…


等々キリがないくらいこの手の『反省』発言は多い。

だからと言って本気で堅気になろうとしているかと言えば、マドンナ付きの仕事なら第5作や第20作の
ようにバンバン機嫌よく有能に働くが、ふられるやいなやスタコラと旅立っていくところをみると、
やはりフーテン暮らしがなんだかんだと言っても好きなようである。
寅の言葉をそのまま借りれば「
持って生まれた性分だから仕方ねえや」ということになる。

そして、

ひそかにそんなヤクザな自分をカッコいいと思っている節がチラチラと垣間見れもする。

第5作「望郷篇」ではさくらたちに向かって

寅「
粋だとかいなせってのは今までのオレのようなことを言うんだよ

ってつい本音を口走っている。


第41作「寅次郎心の旅路」でも自分のことを

寅「
一言で言って旅人、稼業で言えば渡世人

とこれまたあきらかに格好をつけている。

まあ、なんだかんだ言っても、自分を肯定しているからこそ、あのような楽天性も持ちえるのだし、人に対して優しさを
たっぷり与えるパワーが宿るのだ。そういう意味では寅は結局は自分のことが「大好き」なのではないだろうか。

寅が別れ際などによく言う

そこが渡世人のつれえところよ

という発言はどうしようもない性を持った自分を客観視して自分自身で情けなく笑っているようにも取れるが、
私には寅の自己肯定、自己正当化にも感じられるのである。


人というのは自分自身を心のどこかで肯定してやらないと、結局は前には進めないものなのであろう。




また明日








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『幸せについて』の満男の問いかけ   4月22日「寅次郎な日々」その152


「おじさん、人間は誰でも幸せになりたいと、そう思っている。
僕だって幸せになることについてもっと貪欲になりたいと考えている。でも、それじゃ幸せってなんなんだろう。
泉ちゃんは、お父さんは幸せそうに暮らしているって言ったけど、あのお父さんは、本当に幸せなんだろうか。
おじさんのことについて言えば、タコ社長は、寅さんが一番幸せだよと、よく言うけど、おじさんは本当に
幸せなんだろうか。かりに、おじさん自身は幸せだと思っていたとしても、お母さんの目から見て、不幸せだとすれば、
一体どっちが幸せなのだろうか。人間は、本当に分かりにくい生き物なんだなあと、近頃しみじみ僕は思うんだ」

これは第43作「寅次郎の休日」のラスト、満男が自分自身に投げかける言葉だ。



                



満男は、『幸せ』というものは、努力して掴むもの、めざすもの、と少し思っているのかもしれない。
おそらく世界中でこのように考えている方々は非常に大勢いると思うが、人間が幸せと感じる状態は
努力をして掴むものではないと私は考えている。『幸せになることについて貪欲』になっているうちは幸せに
はなかなかなれないのである。実は、貪欲にならなくたって幸せは自分の隣にいつもあるものだし、
自分の中にもちゃんと最初からあるものなのだと私は思う。探すものでもないし、勝ち取るものでもない。
寅はそのことを知っている。だからあのようなひょうひょうとした生き様ができるのだと思う。



                




さくらが仮に寅のことを、あんなフーテン生活を送っていて不幸せなのだと思っても、それはさくらが、
もし自分がああいう生活をしたとしたら不安で、淋しくて、地に足が着いていない気がして不幸せな
気分になってしまうと実は思っているのである。つまり、あくまでもさくらの心配はさくら側の感覚なのだろう。
寅の幸せは本当のところはさくらには分からないし、さくらの幸せも実は同じ理由で寅には実感はないはずだ。


泉ちゃんがお父さんのことを幸せそうだと言っても、同じ意味で本当のところはお父さんにしか分からない。
そのお父さん自身だって、時と場合によっては幸せを深く感じるときもあれば、少しメランコリックになってしまう
こともあるだろう。

『かけがえのないこの運命に対するある種の感謝の感覚』や『足るを知る感覚』さえ心のどこかに棲みついていれば、
人は他人から見てどんなに惨めであろうとも、意外にひっそりと幸せを感じることができるものなのだ。

『幸せ』とは個人的なある満ち足りた心の状態であって、社会的な地位や他人からの信頼、他人の評価の集積
からだけでは意外に『幸せ』というものは成り立っていないのだと思う今日この頃である。



また明日