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寅次郎な日々

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2006年4月分

ほぼ毎日更新
その132〜その160まで



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ちょこっと出演、強烈なあの女性たち(2006,4,30)

優しさと破壊の混在 『事件ですの人』 ― 神戸浩さん ―(2006,4,29)

寅さんに出てくる『ちょっとこの人なあ…』列伝(2006,4,28)

疎遠になった満男と泉ちゃん(2006,4,27)

おいちゃんにしか言えないこと(2006,4,26)

寅のご近所での評判(2006,4,25)

寅の所帯を持つ準備 ― その執拗なまでのディテール ―(2006,4,24)

寅から見た『車寅次郎の人生』とは(2006,4,23)

『幸せについて』の満男の問いかけ(2006,4,22)

「人生踏み外しOKマドンナベスト5」(2006,4,21)

全国に散らばる寅の定宿いろいろ(2006、4、20

満男と泉ちゃんの明日のために。(2006、4、19

時空の違う菜穂ちゃんと泉ちゃん(2006、4、18

満男の初恋を指南する寅。(2006,4,17)

青年前期の満男が思う寅おじさん。(2006,4,16)

小さな満男から見た寅おじさん。そのA(2006,4,15

小さな満男から見た寅おじさん。その@(2006,4,14

何のために勉強するのか(2006,4,13

御前様のEnglish(2006,4,12

生真面目おいちゃんの「つまりその…恋よ」(2006,4,11

さくら名義の郵便貯金通帳(2006,4,10

さくらの日本列島縦断とほほ旅(2006,4,9

お千代さんの三球直球ストライク勝負(2006,4,8

御前様のお経のレパートリー(2006,4,7)

寅の啖呵バイの地  推理日記 そのA(2006,4,6) 

寅の啖呵バイの地  推理日記(2006,4,5)

寅への出迎え、空振り三振の巻(2006,4,4)

長旅から帰った人へのいたわり(2006,4,3

チャルメラ、石焼いも、みちのく卸売りセンター(2006,4,3)



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160


                          
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ちょこっと出演、強烈なあの女性たち  5月30日「寅次郎な日々」その160





昨日の神戸浩さんもそうだが、このシリーズには味わい深い俳優さんが山ほど出ているのだ。
今日も、ちょこっとしか出てこないんだけど、なんか変に印象に残ってるんだよなあ〜、と言う
強烈な個性を持った女性3人を書きましょう。


まずは初音礼子さん。

あのー、誰ですかその方?って人も多いだろうが、大阪の名脇役の女優さんだ。
第27作「浪花の恋の寅次郎」で新世界ホテルの女将さん。
あのボンクラ若旦那のお母さんである。「嘘つきは泥棒のはじまりやとちいちゃい時から言うてあるけどなあ、
けどな、泥棒にならんかっただけましやったな」のセリフ回しの味は絶品。
『泥の河』にも出演されていた。

あのねちっこい雰囲気、彼女は大阪の「おかん」そのものだ。寅の産みの親のミヤコ蝶々さんも大阪の
お母さんだが、やはり浪花っ子にとって「おかん」のイメージは初音さんのように世話焼きで、息子に
対して怖く厳しいのだけれども、どこかで変に甘い、ああいう人だ。あの息子がおでこから血を流した
時のあの対処にその全てが表現されていた。
「情けないガキやなあ、ええ年こいて大きい声だしてからに。さ、こっちおいでメンソ塗ったるさかい…」

メンソとは大阪のおかんたちが良く言う言葉で『メンソレ―タム』のことである。

私はこの一見小粒な第27作をベスト24作品の中に入れているがその理由の一つに、これら大阪芸人の
方々が出演されて独特の雰囲気を作られていることが関係している。雁之助さんをはじめ、笑福亭松鶴師匠、
かしまし娘さん、大村さんなどなどが作り出すあの空気は、大阪がアジアだということを私たちにわからせて
くれる。東南アジアに16年住んでいる私が言うのだから間違いない。大阪はまさしくアジアの空気だ。





               




次は

千石規子さん。

ますます誰ですかそれ?と聞かれる方もこれまた多いと思われるが、黒澤映画などによく出演されていた
名女優さんだ。NHKの朝ドラや連続ドラマなどでもちょくちょく出られていた。
で、「男はつらいよ」では第48作「寅次郎紅の花」で、老人ホーム「青陽園」で暮らすリリーのお母さんだ。
第11作ではこれまた往年の名脇役の「利根はる恵」さんが同じ役を演じた。少ししかセリフがないのだが、
リリーはこの人を「お母ちゃん」と呼び、鼻をかんでやっていた。リリーが島で一緒に住むことを勧めても
「いやだよ、あたしゃ暑いとこ嫌いだよ」と、結構やんちゃな応答をして往年の遊び人の雰囲気をだしていた。
なんか一筋縄ではいかなさそうな雰囲気があるんだよなこの人。





              



次は

武智豊子(杜代子)さん。

ん〜〜〜っと、誰だったっけ?と言われる方も多いと思うが、このシリーズでは第13作「寅次郎恋やつれ」で
寅に「おねえちゃん、柴又乗り越しちゃったよ!ヘヘへ」と電車の中で愛想笑いされる化粧の濃いあの乗客!で
ある。映画界の女エノケンと言われ、うるさいおばさんをさせたら右に出る人がいないと言われた方だ。
寅の向かって左にいたのはあの夢のシーンの常連でもあり、本編では坂東鶴八郎役で人気を誇った
吉田義夫さんである。この3人が並んでコントを行っているのは壮観だった。この時の武智さんはセリフ無し!。
しかし、あの服、あの雰囲気、あの憎たらしい顔つき、全てどえらいインパクトだった(^^;)

ちなみに武智さんは『テレビ版男はつらいよ』で、寅の産みの親役をされていた。だからそのことを知っている
人たちにとっては、こたえられないシーンだったであろう。





             




というわけで、この3人はとにかく独特の雰囲気を持った『濃ゆ〜い』人たちだった(^^;)




また明日








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優しさと破壊の混在 『事件ですの人』 ― 神戸浩さん ―  4月29日「寅次郎な日々」その159




第46作「拝啓車寅次郎様」が放映された1993年、まだ幼児だった私の息子はこの作品の中に出てきた
ある面白い俳優さんのことを『事件ですの人』と呼んでいた。

寅のところへぜいぜい駆け込んで来て、『事件です!』と言うのだ。それ以来彼が映画に出てくる度に
「あ、事件です!の人だ」とはしゃいでいた。
その時のマドンナの典子さんより、その時の菜穂ちゃんより
息子の心に深く入り込んでしまった人。


そう、その人とは神戸浩(かんべひろし)さん。


マドンナの宮典子さんの夫が迎えに来てしまったので、寅にとって一大事だということで、事件でもない
のに、
つい『事件です!』と、言ってしまったのだ。あのセリフは何度見ても大笑いだ。


                      
事件です

                






神戸浩さんは第46作、第47作、第48作、と出演し、第48作「寅次郎紅の花」では寅がリリーの肩を抱こうと
した決定的な瞬間を間近で
目撃しているのが彼。寅がマドンナに対してここまで積極的になったことは、
あとにも先にもこの時だけだ。最後の最後に見せた寅の脱皮の瞬間だった。神戸さんはそれを横で見た生き証人。





               





そしてその勢いのまま、満男の泉ちゃんへの愛の告白をも神戸さんは続けて目撃してしまうのである。
もう彼の頭はグルグルでなにがなんだか分からない状態だったろう。(^^;)

「男はつらいよ」の最後の大きなドラマに立ち会うことができた幸せな人だ。


しかし、実は、神戸さんと言えば何と言ってもあの「学校U」の佑矢君こそ彼だ。あの熱演はもう誰もできない。
凄まじいとさえ言っていい演技だった。そして永瀬正敏さんとの相性は抜群だった。


遠くは、『無能の人』でのあの凄い怪演でいきなり誰だこの人は!?と、びっくりしたものだ。



それにしても神戸さんの演技はとても柔らかい。彼が出てくるだけでその場がなごむ。彼は表情がとてもいいのだ。
しかし、彼の演技はただ柔らかいだけではないとも思う。あの計算を超えた底知れぬパワーはいったいなんなんだろう。
彼は身障者ながら俳優をしている。体を酷使するこの職業を、笑いながら、はしゃぎながら挑み続ける神戸さんの
あの計り知れないパワーにいつも私は注目
している。

近年の「たそがれ
清衛兵」でも井口清衛兵の雑務担当の中間(ちゅうげん)役 。「隠し剣鬼の爪」でもやはり
片桐宗蔵の
中間役。これは学校Uと同じく永瀬さんとのコンビ。あのとぼけた愚直な役はもう今の日本では彼以外
考えられない。それほどはまり役だった。



そして、「拝啓車寅次郎様」から13年もたった2006年。

今年になっても、息子は
神戸さんの話題が出るたび未だに「事件ですの人」と呼んでいる。よほどあの一言が
面白かったのであろう。神戸さんの演技には確かに一度見ると忘れられないものがある。それは恐ろしい
くらいのインパクトなのだ。

優しく柔らかく面白いだけではない破壊的なまでのパワーがあの小柄な体に隠れているのは間違いない。

あの人はただものじゃないのだ。




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寅さんに出てくる『ちょっとこの人なあ…』列伝    4月28日「寅次郎な日々」その158



「男をつらいよ」を見た人が口をそろえてこの映画には嫌な奴、悪人がほとんど出てこないと言う。

私もその通りだと思う。どんなひねた人間も必ず、何かそうなった理由があり、その中になるほどと
思う人生もある。どんな悪人も人の子だったのだ。

しかし、時として、歯ぎしりしたくなるような人間も登場する。今日は寅さん映画としては
珍しい『ちょっとこの人なんだよぉ』な方々を紹介しよう。


★まず、皆さん思い出すのが水戸黄門さん。
 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」のぼたんのとらのこの200万円を騙し取ったあのにっくき鬼頭である。
 こやつは何の酌量の余地もない。ただの悪人。まあ、こんな奴はこのシリーズでこいつだけ(^^;)
 ただし、ぼたんも「ええ儲け話がある」って言われて乗ったのも悪い。それにしても佐野浅夫さん、
 この小賢しい小悪人を見事に演じきっていた。上手いなあ。後に水戸黄門さんをやってチャラ?(^^)




                





★鬼頭まで嫌な奴ではないにしろ、意外に『ちょっとなあ…』なのが、泉ちゃんの佐賀の叔母ちゃんの夫。
 私はああいう『正論の狗』のような人は苦手だ。言ってることは絶対に間違っていないのだが、
 その心根が硬く干からびている。満男に対して言ったあの失礼な言い回しは温厚な私もつい、
 身を乗り出したくなったくらいだ。表層的なことにこだわり、中身を見て考えようとしない、心に潤いが
 ない人だった。これまた尾藤イサオさんが、見事に好演。寅とのラストの対決のシーンはこのシリーズの
 中でも緊迫感のある印象深い場面だった。




               




★第19作「寅次郎と殿様」でお殿様の長男。この人も鞠子さんに手切れ金を渡して、一日でも早く縁を
 切りたがっている、人間を根本では信じていない典型のような人。金を払えば誰でも文句を言わない
 だろうととらやに現ナマを置いて帰る露骨さはあの殿様の実の息子とも思えない嫌な人だった。
 私ならあんな人がくれたパパイヤ絶対に食べない(−−メ)


★上の3人に比べるとちょっと嫌な人度は落ちるが、第12作「私の寅さん」に登場する画商の一条。
 別になにが悪いと言うほどでもないのだが、あの美しいりつ子さんの肩に手を回し、ネチネチ迫ってくるところが
 なんだかなあ…、って感じ。絵だけを応援するのはイヤなのかよ(--メ)


★第35作「寅次郎恋愛塾」で若菜さんが面接をされる時の面接官たち。若菜さんをネチネチネチネチ
 いじめがちだった。若菜さんもちょっと勝気だったが、あいつら…(−−メ)


★第13作「寅次郎恋やつれ」で、津和野に住む、歌子ちゃんの姑さん。
 彼女はなにも変なこと言っていないのだが、雰囲気が意地悪気味。なんかちょっとね…、あの雰囲気(^^;)ゞ


★これまた、何の落ち度も無いのだが、第17作「寅次郎夕焼け小焼け」に登場した池ノ内青観の奥さん。
 なんとなく、う〜〜ん…、なんだよなあ〜(^^;)寅が啖呵を切って立ち去った後もなんかぶつぶつ言っていた。
 でもよく考えると当たり前なんだよなあ、あんなヤクザもんのような奴がなにか怒鳴って帰って行ったんだもんね。
 でもあの奥さんなんかヤなんだよね(^^;)ゞ心のどこかで、龍野の清楚な志乃さんと比べてしまうのかな。


★この人も別に何の落ち度もないのだが、第45作「寅次郎の青春」で泉ちゃんが勤めるレコード店の店長。
 泉ちゃんが休ませて欲しいと言った時の注意の仕方が陰険(−−メ) まあ、別に間違ったことは言ってないのだが、
 雰囲気がちょっと…(^^;)ゞ


上記の皆々様(あの鬼頭は除く(▼▼メ)) ごめんなさい。
悪気は無いんです。ちょっとした話題ですから。俳優のみなさん、気楽〜に
読み流してください。それに、どの俳優さんもすばらしい演技でした、ハイ(^^)
(誰も読んでないって ヾ(^^;))


チャンチャン


また明日







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157


                          
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疎遠になった満男と泉ちゃん  ― 第45作と第48作の間の空白 ―  4月27日「寅次郎な日々」その157



第1作はある意味、寅はもちろんだが、さくらと博の恋愛もメインである。
何と言っても
すぐ思い浮かべるのは博のさくらに対する愛の告白だ。博の3年間の想いが鮮やかに
伝わる美しい告白シーンだった。

そしてその後長い長い間、寅一人の恋愛遍歴が続き、第42作「ぼくの伯父さん」からはなんと博の息子の
満男が恋愛を始める。これは、寅の恋愛と平行してその後の全ての作品で2本柱となっていくのである。

満男と泉ちゃんは葛飾高校の3年生と1年生。同じブラスバンド部。しかし、家庭の事情で彼女は
母親と名古屋に行ってしまう。しかし、実は泉ちゃんだけ佐賀県の叔母さんの家で暮らしていた。


その第42作で満男は浪人中にはるばる佐賀の泉ちゃんに会いに行き、別れ際に
「アイ ラブ ユウ」と告白後、彼女にキスをしようとする。

泉ちゃんも満男の腕を組んだりして満男に恋をしていた。

しかし、まだ浪人生と高校生、先のことはわからない。


第43作「寅次郎の休日」第44作「寅次郎の告白」では告白こそしないが、泉ちゃんにさまざまなことがあり
満男はその度ごとに泉ちゃんを助け、泉ちゃんは満男をますます好きになっていく。山陰線に乗っている時、
満男はついに泉ちゃんの手を握る。泉ちゃんもそれに応え、握り返す。二人の愛情は確実に育っていったのだ。

第45作「寅次郎の青春」では泉ちゃんが名古屋に戻らなくてはならなくなって東京駅に向かう。
満男はさくらから連絡を受け、ギリギリ出発に間に合うのである。泉ちゃんは別れ際に満男にキスをする。




          




この時点で、物語的には最も愛がはぐくまれているはずなのだが、なぜかこのあと手紙が届くだけで、
この二人は頻繁に会うこともなく疎遠になる。

なぜ??

このあとの第46作と第47作に泉ちゃんが登場しないことがこの不自然さを作り出していると考えてよいと思う。


第46作と第47作は先日書いたように満男も泉ちゃんもそれまでの流れとは別の世界、異空間に存在すると
考えたほうがいい。この2作品における満男の他の女性との恋愛及び泉ちゃんに対する忘却をマジで考えては
蟻地獄にはまってしまう。この二人の恋愛だけを考える時に限ってはこの2作品はこの世になかったことにすれば
やりやすい(^^;)。二人にとっては第45作のあとはそのままダイレクトに第48作となるのである。

一般的な連続ドラマの場合は、話の流れがギクシャクしたり、不自然にならないように自然な流れの
脚本を作るのだが、この第48作で泉ちゃんが満男の会社に来た時点で、もう何年も会っていない感じで
流れがギクシャク気味だった。

第45作ではお母さんの入院のことがあって、愛し合いながらも仕方無しに別れただけなので、二人はまだ
愛し合っているはず。それなのに第48作では泉ちゃんはいきなりすでに見合いしてしまっているし、
それを聞かされた満男は「よかったじゃん、オレはオレで適当にやってるんだから」とか言ってしまうのである。
もちろんお互いに言葉とは裏腹に真剣に悩んでいたのは確かだが…。


このシーンは、お互い気持ちがあるにも関わらず、どうしてもすれ違ってしまうという設定なのだが、
どうも、それにしても第45作までの二人の盛り上がりを考えるとちょっと疑問が残る。

いったい、第42作から第45作まで続いたあの長いやり取りはなんだったんだと、見ている私は悶々としてしまうのだ。
やはり、先ほども書いたように、第46作、第47作の2作品に泉ちゃんが出ていればもう少し自然な違う脚本にもなったのに…、
とも思う。


このあと、発作的に満男は泉ちゃんの結婚式を壊し、泉ちゃんは一人奄美に行き、満男は海岸でようやく告白する。




          




寅のように一話一話の恋愛が完全に独立しているのなら、それはそれで楽しめるし、リリーとの4部作にしても、
繋がっているんだけれども、きちんと独立してもいるのでこれも一話完結の味わいがしっかりある。
しかし、満男と泉ちゃんの恋はあきらかにさくらたちと同じ時空のリアルな連続ドラマなのだ。

で、私としては第45作のあと、『遠距離恋愛』以外のなんらかの理由でこのふたりが少し疎遠になるちょっとした
出来事、もしくは、なんらかの誤解、すれ違いがあったのだと勝手に思うようにしている。そうだとしたら、第48作に
繋がりやすくなるのだが…。しかし、そのすれ違いの具体的な内容は未だに頭に浮かんでいない。

とほほ(^^;)ゞ



また明日


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おいちゃんにしか言えないこと   4月26日「寅次郎な日々」その156



昨日の続きでもあるのだが、今日は『おいちゃん』の話。


昨日の話題に出てきた満男の入学式のちょっとした事件に怒った寅に対し、おいちゃんは決して寅を
慰めようとはしなかった。

おいちゃん「悔しいよ!、そりゃオレだって悔しいよ!しかしな、寅、落ちついて考えてみろ、
       みんなが笑うってことはだよ、今までお前が笑われるようなことをしてきたからなんだ。
       だから悪いのはお前だ。そこんとこをよーく考えて…」


          




寅はいったん怒ってしまうと人に対してとんでもないキツイことを言う。
おいちゃんとおばちゃんに子供ができないことや、老人だというハンデ、博やさくらの貧乏、タコ社長の
苦しい工場経営、等々人がもっとも傷つきそうな言っちゃならないことを真顔でポンポン言ってしまう。
いわゆる「
それを言っちゃあおしめえよ」だ。

一方、とらやの面々も寅ほどではないにしろ、寅にそうとうきついことを結果的に言ってしまう。
意外に博などは相当辛らつなことを口走っている。
第27作「浪花の恋の寅次郎」ではその究極ともいえる人生批判をマドンナの前で言ってしまっている。
「大切な事は人生を力強く生きる事です。兄さんみたいな人にはそれがないんですよ」
横で聞いていた寅、シュン…。

博はマドンナを励まそうと言ったつもりかもしれないが、その博の発言は寅のことを、博の価値観で
決め付け、レッテルを貼っているような気がするのは私だけだろうか…。


一方、おいちゃんは、博のような観念的なことは言わない。もっと体ごと寅にぶつかるような言葉が
そこにはある。

第1作では、さくらのことで大喧嘩の際
おいちゃん「おめえが家をおん出たとき親父はどんなに心配したか、おとつい、てめえの
       ツラ見た時は、親父が生きてたら、どんなに喜ぶかと思った。
       でもかえって死んでたほうがマシだったと、草葉の陰で……」

第19作「寅次郎と殿様」では 犬のトラ騒動でも、
おいちゃん「やめろ!寅、おまえが悪い」
寅「どうしてオレが悪いんだ!悪いのはオレを犬扱いした奴じゃねえか!」

おいちゃん「それが悔しかったらな、もっと尊敬される人間になれ、
      そうすりゃ誰もあの野良犬にトラなんて名前つけやしねえ。
      いい年をしてフラフラフラフラしてりゃまるで野良犬じゃねえか!」

そして今日の最初に書いたあの第17作でもおいちゃんはやはり寅に愚痴ってしまった。
第16作「葛飾立志篇」でも順子ちゃんのことで、「ほんとだったらあれくらいの年頃の娘さんがいても
可笑しくないんだぞ!」ってまたまた言ってしまう。まあ、とにかく何かあるたびごとにに寅はおいちゃんに
説教される。これは寅にとってはつらいことだ。無条件で寅を迎い入れることの難しさを感じざるを得ない。

しかし、おいちゃんは堅気なのだ。日常を地道に生きている。寅も人生を寅なりに真面目に生きてはいるが、
このふたりは人生の価値観や気質にズレがある。
このズレをつねに抱え込んでいるおいちゃんの抑圧が、ちょっとした寅のハプニングの際に表に出てしまうのだろう。
身内だからこそ、この店の跡取りだからこそ、そして人一倍だれよりも寅のことを想っているからこそ、たまに
帰ってきた時につい出てしまうグチなのだ。


ある意味寅は世間的には欠点だらけの男。「煩悩が背広を着て歩いているような男」だ。
それは寅が一番わかっていること。だから寅にとってはおいちゃんの言葉は身を切られるように痛い。
しかしそれとは別に、寅は悪い事をしたり嘘をついたり、人の道に外れるようなことをしないこともおいちゃんは
ちゃんと分かっている。そこのところが救い。



寅がたまあーに人に褒められて一番無条件で喜んでいるのも実はおいちゃんなのである。


私が、おいちゃんの愚痴で印象深く記憶に残っているものを最後に紹介しよう。

第23作「翔んでる寅次郎」で、工員の中村君の結婚についてぶつぶつ偉そうに言う寅に対して

おいちゃん「寅!てめえが結婚できないからといって、人様の結婚にまでケチつけるこたねえ!
       人様の結婚式を見るたびに、オレたちがどんな思いでいるか、おめえ、それ考えたことがあるのか!
       いつになったらおめえが綺麗な嫁さんの手をとってその入り口から幸せそうにへえって来てくれるかって…、
       何べんそんな夢、オレ…、
       そんな夢……。
       まったく情けねえ…、くっ!」



              



おいちゃんの、そんな熱い気持ちを、ひそかにありがたく思う寅でした。



また明日




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寅のご近所での評判   4月25日「寅次郎な日々」その155


寅は、御前様が言うように「柴又の平和を乱す」行いをしょっちゅうしている。
それは今に始まったことでなく、幼少期から続いてきたことでもある。
寅が中学生の時、家出してその後20年間は平和だったが、寅が柴又へ戻って以来年に数回は何か
やらかしている。映画の中でも近所の人々が寅のことを良く言うのを聞いたことがない。

悪ガキ仲間の備後屋や麒麟堂たちは、まあしょうがないとしても、小学校の同級生やご近所のおばさんたちも
なかなか辛らつである。

第8作「寅次郎恋歌」ではとらやのおばちゃんなどと普段は親しくしているあの「八百満」のおかみさんまでが
「あんまり勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ」と息子に言っていた。
まあ、もっとも第16作「葛飾立志篇」では八百満のおかみさんは学問に目覚めた寅にフルーツの盛り合わせを
送っていたのでチャラかも(^^;)

第10作「寅次郎夢枕」でも近所のおかみさんが「バカみたいに遊んでばかりいると寅さんみたいになっちゃうよ」
第25作「寅次郎ハイビスカスの花」では「ご飯食べないと寅さんみたいに行き倒れになっちゃうよ」と
寅の最新情報を盛り込んで説教していた。
まあ、つまりご近所のしつけや教育にいつも反面教師として寅は貢献しているというか、結果的に一役買って
いるのだ。とほほ…。


寅が恋をするたびに、いつふられるかとか、娘に惚れている、いや母親の方だ、とか、町の中や銭湯で
噂話が盛り上がることもしばしば。

まあどんな寅に関する話題も光ファィバーなみの伝達能力で門前町を駆け巡っていくのである。

寅のいない時も、第10作で山門に「寅のバカ」って書かれたり、第19作「寅次郎と殿様」のように
野良犬がいたら『トラ』という名前をわざとつけて遊ばれてもいる。



           



まあ、それはよくあること。

これらは噂であり、本人やとらやの人たちに向かって言うことはないのだから。


しかし、一度だけ近所の人としては勇み足をしてしまったことがある。

それは意外にも第17作「寅次郎夕焼け小焼け」で、満男が柴又小学校の入学式にさくらと
一緒に出席した後の担任の先生の発言だ。

教室で満男の名前を呼んだあとその担任の先生はこう言うのである.

 『あら、君、寅さんの甥御さんね』

 その直後当然ながら父母も子供たちもドーッと笑ったのだ。

家に戻り、傷心のさくらからそのことを聞いた寅は怒る。

寅「冗談じゃねえ、そんな教師がいるからロクな日本人ができねえんだ!
  ふざけやがって!名前言え!はやく!

さくら「先生はちっとも悪くないわよ。ただ『寅さんの甥御さん?』って
   聞いただけなんだもん」

これは実はさくらがよく分かっていない。 本当は、まず先生がちょっと勇み足。

さくらは「お兄ちゃん、みんなだって悪気が合って笑ったんじゃないのよ」
と言うが、それも違うと思う。
寅「バカヤロウ!悪気があるからみんな笑うんじゃないか!」と反論した
寅の言葉のほうがこの場合どちらかと言うと私は正しいかもと思う。もちろん
「悪気」というよりは「可笑しみを含んだからかい」に近いが。

私には寅の感覚がよく分かる。

そもそもその先生は寅と面識があるのだろうか?
もし、一度もないとしたら、これは噂だけで、いろいろイメージを作ってしまっているのだろう。
そして、満男の時につい、面白い変わり者と聞いていた寅の名前を出したのだろう。それも「車寅次郎さん」と
言わずに「寅さん」とニックネームで言ってしまっている。寅とはたぶん知り合ってさえいないのに…。知らないのに
「寅さん」と呼ばれるのはいかにも寅にふさわしいとは思うが…。まあ、寅をどこかで少しでも尊敬してくれていれば
嬉しいのだが…。とまあ、ただ場を和ませようとお気楽にしゃべっただけの先生にマジで突っ込んでしまう今日この頃
である(^^;)ゞ

その先生は寅のことをいろんな人から聞いて『ユニークで人間味のある人』と思って、満男に個性的なおじさんね、
って言う意味で言ってくれたのはまず間違いない。ま、そういうとこでしょうね(^^)

だからもちろん、先生にいわゆる悪気はこれぽっちも無いし、場を和ませようとしたのは分かる。ただ、それでも
先生の立場や場の原理を考えると、ほんの若干軽率な発言だったとも言える。ちょっとした『変わり者』として
この界隈で認知されている寅の名前を出したらみんなが笑うことは良く考えればわかるはずだった。
担任の先生のちょっとした発言でさえ、当の子供たちにはもちろんのこと、父母にとっても影響がとても大きいのだ。

で、みんなの笑いの渦の中、話題になっている寅の妹であるさくらは密かに傷ついてしまう。これはさくらにとっては
悔しくて辛いことだ。そしてさくらは家に帰って遂に涙を流してしまったのだ。

でも実は、言われた当人の満男は、あっけらかんと寅がくれた祝い金の祝儀袋の中身をそっとのぞいたりしてたので、
メソメソしていたさくらや怒り心頭の寅とは違い、ほんとは満男はさっきの学校での担任の先生の発言のことなど、
ぜぇ〜〜んぜん気にしてなかったりして…(^^)

チャンチャン。



              


ちなみに、
私は絵描きをする前、東京豊島区の中学校で担任を5年間していたが、このケースのような軽率な発言を一度
してしまった覚えがある。場を和まそうとして言ったつもりが、結果的に生徒を少し傷つけてしまったのだ。
自分の潜在意識が露出してしまった愚かな行為だったと深く反省している。生徒は先生に傷つけられたことを
人生でかなり長い間覚えている場合もある。まあ、先生なら全員何度かはやってしまう行為ではあるが(^^;)ゞ

そしてさくらからそのエピソードを聞き、憤慨する寅に対しておいちゃんはおいちゃんで意外なことを言うのだった。
それはおいちゃんの寅への熱い思い、そしてそれゆえのジレンマが出た言葉だった。


その、おいちゃんのことはまた明日


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『寅次郎な日々』バックナンバー           





寅の所帯を持つ準備 ― その執拗なまでのディテール ―   4月24日「寅次郎な日々」その154



寅はいままでに、それこそ何度も結婚の夢、所帯を持つ夢を描いてきた。彼の想像力は
常人の域を遥かに越えているのでそのディテ―ルも行き着くところまでいくのである。

その素晴らしい人間離れした想像力をちょろちょろっと紹介してみよう。

第28作「寅次郎紙風船」で光枝さんと所帯を持つことを夢想する寅が茶の間でそのことを
独白するシーン。


まず準備段階として

★「ちょっと遠慮してくれねえか」とタコ社長を締め出す。
★店の鍵を閉めさせる。
★他人がいないか再度確かめる。
★マネキ猫を見て「猫が見ている」(^^;)
★満男に「おまえ耳ふさいでろ」

寅「ほんとうに、ここだけの話だけどな…、オレ、
所帯持つかもしれない」
博「誰ですか相手は?」
寅「今名前は言えない。いずれそのうち分かるでしょう。」
博「いつ頃ですか、?」
寅「来年の春、いや、暮れ、ん…なんだかんだと2、3年、5年なっちゃう…、
  10年かなあ…、結局は所帯持たないかもしれないなあ」

一同、呆れる。

寅「どういう仕度をしたらいいかってことだよ!」
おばちゃん「まず、所帯道具をそろえることじゃないかい」
そう来るかおばちゃん(^^;)

寅、敏感に反応。彼はこういうディテ―ル大好き。

寅「そう、
箸と茶碗ね。それと湯飲み茶碗もふたっつ。ちっちゃいのとおっきいの細か(^^;)
おばちゃん「お鍋だっているよ」
おばちゃんってば(^^;)
満男「電気釜」
満男…(^^;)
寅「あ、
オシャモジ包丁とまな板、あと、とろろ芋の時なんか、スリコギもいるしね」うわ(^^;)
博「そういうものは、僕たちがお祝いに贈りますから」
寅「ありがとう」
そうじゃないってば(^^;)
博「もっと、本質的なところに目をつけて下さい」
寅「本質的って…、本質!」
寅「はっ!
住む所か!だめだこりゃ(^^)

一同ガクッ…

おいちゃん「そりゃいいよ、2階貸してやるから」
寅「あ、おいちゃん、すまねえなあ。じゃ、適当なところ見つかるまで、ま、2階にいるとして」
 そうだ、2階に
便所がないんだよ、おいちゃん。そこの階段突っ切って、
 オレだったらおいちゃんの
盆栽の脇にしちゃうけどさ、まさか光枝さんにそんなとこでやらせる
 わけにゃいかねえもんなあ、んー」

一同、マドンナの名前が突然出て凍りつく。

おばちゃんとさくら、ひそひそ…



                 
ひそひそ
          


寅「おいちゃん
2階に便所作ろうや。な!そいでついでだからさ、風呂も作っちゃおうよ、
 贅沢は言わない、ね、ただし、
風呂桶はこれ、ヒノキにしてもらいたいんだ。プラスチック
のあれいけないんよ。あれ
つるっとすべってストーン!と、こうなるんだから。



               
  ストーン!
          



 いっそのこと
台所も別にするか」

おばちゃん「なんで?」

寅「だっておばちゃんとこでさあ、芋の煮っ転がしかなんか煮てる隣で、ウチの奴がさあ、
 
牛肉のステーキやってるんじゃ、ちょっと気まずいんじゃないかなあ。
 だからさ、ひとつ屋根の下で暮らしも別々と。
 その代わり、夕飯が終わったらここへ集まって、楽しい会話のやりとり。ね。
 
『あ、もうこんな時間かしら…、そろそろ休もうかしら』『そうだな、そうおし』
 老夫婦はヨタヨタとおのれのねぐらへ、若夫婦はイソイソと!2階へ!

 あ、おいちゃん、出入り口も2つ作らないとダメだよ。

 だって裏のタコがズカズカズカズカ入ってきたら雰囲気壊れちゃうもん。いいだろう、作って?」



         




おいちゃん呆れて

おいちゃん「ああ、いいよいいよ、好きなようにやれよ」
(^^;)

寅「
そうか、それで話は決まった!どう決まった?(^^;)


最後はおいちゃんにワイシャツとネクタイ借りて、雪駄はいて就職の面接まで受けていた。
そして、タコ社長に『名刺』を頼みに行く寅でした(^^;)


この想像力、このディテール、オシャモジやスリコギが出てきて、最後は、完全2世帯住宅改造論まで
攻め込んでいく現実完全無視の寅の大いなる想像力は空よりも高く、海よりも深いのである。



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『寅次郎な日々』バックナンバー           





寅から見た『車寅次郎の人生』とは    4月23日「寅次郎な日々」その153



寅は、自分の人生を誰に何を言われようが、結局は曲げないで進んでしまっている。
だからと言って信念と自信を持って突き進んでいるのではないところがとほほである。

まあ、寅は寅で心が右に言ったり左に行ったり引き裂かれている部分もあるのだろう。

とらやの面々にも、寅は自分の生き様をいきがる時もあれば、自虐的なまでに反省する時もある。
そこには、常に揺れ動く寅の心が読み取れる。そして最後はつねに自分の性分のおもむくままに
旅立っていくのである。



最も私が印象深い『反省の言葉』は第11作「寅次郎忘れな草」の例の『あぶくの話』である。リリーの言葉を受けて、

寅「
うん、あぶくだ。それも上等なあぶくじゃねえや、風呂でこいた屁じゃねえけど、背中にまわってパチンだ




              





 
第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」でも寅は自分自身の生き様に対してかなり辛らつな批判をしている。

寅「
オレには七つ八つ年下の妹がいてな、さくらって言うんだけどな。今から十年、十五年前か、
 そいつにはに随分意見されたよ。『こんな暮らし続けていたらそのうちきっとお兄ちゃん後悔するわよ』ってな。
 へ、なにしろこっちは若いからね、真面目に働いてる奴がバカにみえてしょうがない。大きなお世話だ
 おめえ、こっちとら太く短く生きるんだい!って相手にもしなかったけどな、ふと気がついてみると…、
 いい年こいて渡世人稼業やってんのはオレみてえなバカばかりだ…






             





第1作のラスト付近で、一緒について行きたがる登に

寅「
バカヤロウ!オレみたいなバカになりてえのか!てめえはそれほどバカか!


第33作で久しぶりに登に再会した時も、自分のような者とはもう付き合うなというようなことを
言い残して早々に立ち去っていく。



第39作「寅次郎物語」ではさくらに

寅「
働く?何言ってんだおめえ、働くってのはな、博みたいに、女房のため、子供のために額して汗して、
  真っ黒な手をして働く人のことを言うんだよ…


等々キリがないくらいこの手の『反省』発言は多い。

だからと言って本気で堅気になろうとしているかと言えば、マドンナ付きの仕事なら第5作や第20作の
ようにバンバン機嫌よく有能に働くが、ふられるやいなやスタコラと旅立っていくところをみると、
やはりフーテン暮らしがなんだかんだと言っても好きなようである。
寅の言葉をそのまま借りれば「
持って生まれた性分だから仕方ねえや」ということになる。

そして、

ひそかにそんなヤクザな自分をカッコいいと思っている節がチラチラと垣間見れもする。

第5作「望郷篇」ではさくらたちに向かって

寅「
粋だとかいなせってのは今までのオレのようなことを言うんだよ

ってつい本音を口走っている。


第41作「寅次郎心の旅路」でも自分のことを

寅「
一言で言って旅人、稼業で言えば渡世人

とこれまたあきらかに格好をつけている。

まあ、なんだかんだ言っても、自分を肯定しているからこそ、あのような楽天性も持ちえるのだし、人に対して優しさを
たっぷり与えるパワーが宿るのだ。そういう意味では寅は結局は自分のことが「大好き」なのではないだろうか。

寅が別れ際などによく言う

そこが渡世人のつれえところよ

という発言はどうしようもない性を持った自分を客観視して自分自身で情けなく笑っているようにも取れるが、
私には寅の自己肯定、自己正当化にも感じられるのである。


人というのは自分自身を心のどこかで肯定してやらないと、結局は前には進めないものなのであろう。




また明日








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『幸せについて』の満男の問いかけ   4月22日「寅次郎な日々」その152


「おじさん、人間は誰でも幸せになりたいと、そう思っている。
僕だって幸せになることについてもっと貪欲になりたいと考えている。でも、それじゃ幸せってなんなんだろう。
泉ちゃんは、お父さんは幸せそうに暮らしているって言ったけど、あのお父さんは、本当に幸せなんだろうか。
おじさんのことについて言えば、タコ社長は、寅さんが一番幸せだよと、よく言うけど、おじさんは本当に
幸せなんだろうか。かりに、おじさん自身は幸せだと思っていたとしても、お母さんの目から見て、不幸せだとすれば、
一体どっちが幸せなのだろうか。人間は、本当に分かりにくい生き物なんだなあと、近頃しみじみ僕は思うんだ」

これは第43作「寅次郎の休日」のラスト、満男が自分自身に投げかける言葉だ。



                



満男は、『幸せ』というものは、努力して掴むもの、めざすもの、と少し思っているのかもしれない。
おそらく世界中でこのように考えている方々は非常に大勢いると思うが、人間が幸せと感じる状態は
努力をして掴むものではないと私は考えている。『幸せになることについて貪欲』になっているうちは幸せに
はなかなかなれないのである。実は、貪欲にならなくたって幸せは自分の隣にいつもあるものだし、
自分の中にもちゃんと最初からあるものなのだと私は思う。探すものでもないし、勝ち取るものでもない。
寅はそのことを知っている。だからあのようなひょうひょうとした生き様ができるのだと思う。



                




さくらが仮に寅のことを、あんなフーテン生活を送っていて不幸せなのだと思っても、それはさくらが、
もし自分がああいう生活をしたとしたら不安で、淋しくて、地に足が着いていない気がして不幸せな
気分になってしまうと実は思っているのである。つまり、あくまでもさくらの心配はさくら側の感覚なのだろう。
寅の幸せは本当のところはさくらには分からないし、さくらの幸せも実は同じ理由で寅には実感はないはずだ。


泉ちゃんがお父さんのことを幸せそうだと言っても、同じ意味で本当のところはお父さんにしか分からない。
そのお父さん自身だって、時と場合によっては幸せを深く感じるときもあれば、少しメランコリックになってしまう
こともあるだろう。

『かけがえのないこの運命に対するある種の感謝の感覚』や『足るを知る感覚』さえ心のどこかに棲みついていれば、
人は他人から見てどんなに惨めであろうとも、意外にひっそりと幸せを感じることができるものなのだ。

『幸せ』とは個人的なある満ち足りた心の状態であって、社会的な地位や他人からの信頼、他人の評価の集積
からだけでは意外に『幸せ』というものは成り立っていないのだと思う今日この頃である。



また明日


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『寅次郎な日々』バックナンバー           






「人生踏み外しOKマドンナベスト5」   4月21日「寅次郎な日々」その151



寅はその気質上究極の「面食い」である。
凄い美人でない場合はいくらその女性がうら若き乙女であっても第22作「噂の寅次郎」の
瞳さんのように、決して恋愛の対象にはならないのである。あ、別に瞳さん扮する泉ピン子さんが
美人でないと言っているわけでは決してないです、ハイ…(^^;)
それだけハードルが高いということです、ハイ。

そんな美人のオンパレードのようなシリーズの中で、作品の良し悪しは、
別に置いといて、顔と性格、雰囲気が自分(吉川)好みのマドンナと言うものがいる。
こんなマドンナと運命的な出会いをすれば、今すぐ人生を踏み外しても、
後悔しない、もうなにがなんでも地獄の底までお供します(^^;)というマドンナ。

で、勝手に独断と偏見で私の(^^;)ゞ『人生踏み外しOKマドンナベスト5』と
それらの作品の中の個人的に好きな表情をちょこっと紹介しよう。
あくまでもこれは作品の質とは関係ない私の個人的な女性の趣味だ(^^)

おまえの個人的な女性の趣味など知りとうないわ!という方は今回は
パスしてください(^^;)ゞ



第5位 蝶子さん。第45作「寅次郎の青春」 

彼女は美人というよりは魅力のある女性という感じだ。独特の雰囲気を持っている。
あのなんともいえない柔らかぁ〜な微笑みはこのシリーズで誰も真似ができない。




         
              




第4位 早苗さん 第22作「噂の寅次郎」

なんといってもまずあの声、あの目、あの髪…。あの妖しい美しさに包まれて、
人生を踏み外してみたいと思ったことのある男性は私一人ではあるまい。
あの人も独特の魅力だ。恐るべし魔性の女、早苗さん。




          

              



第3位 ふみさん  第27作「浪花の恋の寅次郎」

瀬戸内海の小島のふみさん。大阪で寅と生駒山に行った時のふみさん。
そしてとらやで客から注文を聞いているときのふみさん、そして最後に
対馬で寅の訪問に涙するふみさん。どのふみさんも透き通るように美しい。
特に瀬戸内の小島で出会ったふみさんが頭から離れない。あの時の彼女は、
他の誰よりも清楚な輝きに満ちていて素敵だった。これまたあなたに人生を
捧げますという感じだ(^^;)




         





第2位  朋子さん  第32作「口笛を吹く寅次郎」

いやもう、なんとも美しい。笑顔も美しいが、寅と柴又駅ホームで別れる時の
あの哀しげな顔が目に焼きついて離れない(^^;)ゞ寅がお坊さんの修行を
してまで一緒になろうとした気持ちは分かる。うんうんうんうんうんうん。
私なら、針の山で座禅を組もうが、滝に打たれようが、彼女のためなら全てを
投げ打って修行をするだろう。博が珍しく言ったように、美しさの中に聡明さを
秘めた完全に寅好みのマドンナ、そして私好みのマドンナである。




        





第1位  お千代さん  第10作 「寅次郎夢枕」

あの笑顔、あの気品、あの涼しげな眼、もう誰もかないません。おばちゃん曰く「美人は得だねえ〜」
マドンナの中のマドンナ。たとえバツイチであろうが、お子さんがいようが、そんなことすべてOKです。
火の中水の中、全てを投げ打って、お供いたします(^^)
そしてなによりも、正直でストレートなあの性格が好きだ。寅の前でもとらやのみんなの前でも、
はっきりと自分の寅に対する気持ちを言えるあの凛とした生き様!
寅のこともほんとうにその本質をよくわかっていた。ああ、寅よ、おまえはどうして逃げたのだ…。




        





この5人に共通すること。それはみんな寅のことが男性として好きだったということ。
そしてみんな、それなりに自分から寅にアプローチしていること。

そして、みんな一度はしっかりいろいろ人生で苦労していることだ。オボコ娘は一人として
いない。寅を本気で好きになる人は、やはり自らも苦労人なのだろう。分かる分かる。



もちろん『番外編』もあって、

第1作「男はつらいよ」と第15作「寅次郎相合い傘」のさくら。

そして

と同じく第15作「寅次郎相合い傘」のリリー。




       






である。これはまた違う意味、つまりしらふで、女性として、というよりは
『人間として』全身全霊を賭けて大事にしたい。そして全てを捧げたくなる存在だ。




        





チャンチャン。



また明日



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『寅次郎な日々』バックナンバー






全国に散らばる寅の定宿いろいろ  4月20日「寅次郎な日々」その150


寅は稼ぐのは確かに上手いが、派手に使ってしまうので、いつも財布の中身はほとんど入っていない。
そんな寅でもずっと旅暮らしを続けていられるのは、
ひとえに寅の人徳というか、顔の広さのおかげだろう。
全国に広がる「寅さんネットワーク」はすっからかんの寅を優しく泊めてくれたり、休ませてくれるのだろう。そして、
おそらく泊まっている間に寅はバイをして稼ぐのだと思う。もちろん、全ての宿が定宿のわけがなく、
どちらかというと知らない宿に泊まることのほうがダントツ多い。

そして、そのあげく、宿代や宴会代踏み倒して、無銭飲食で捕まったり、さくらに払いに来てもらったり…。
まあ、いい年をして綱渡りの人生を送っているのも確か。



で、今日は寅が親しんでいる全国の代表的な定宿の一部をちょろちょろっと紹介してみよう。


第27作「浪花の恋の寅次郎」で出てくる通天閣のそば
新世界界隈にある
「新世界ホテル」

これは定宿かどうかは分からないが
とにかく1泊分払っただけでずっと長居をした。友達が旅館のふにゃふにゃ若旦那なので、何度請求されても
寅は、請求書を丸めて屋根に投げて知ら〜ん顔。最後は若旦那がとらやまで来て請求。
結局さくらが払っていた。ああ…(TT)



            





第30作「花も嵐も寅次郎」の大分県湯平温泉にある旅館。
「湯平荘」
同じ宿に、蛍子ちゃんも三郎青年も泊まっていた。

宿の主人とは相当昔からの知り合い。
主人によると「オレが新婚旅行来るまでやめるなって言ったのは誰だ」って
寅はその昔言っていたそうだ。
いきなり主人に「連れて来たんか、嫁さん
って寅言われてました(^^;)
それに応えて寅は「候補者が多いからな、選ぶのに手間食ってんだよ」
だそうです(^^;)この宿では三郎青年のお母さんの葬式も行ってやった。




            




第41作「寅次郎心の旅路」の宮城県鳴子温泉「花園旅館」
宿の人に「じゃあみどりちゃん呼ぶ?さっき寅さん来てるって言ったらうわああ、
会いたいって言ってたわ」なんて言われていた。
ここの旅館もそうとう長い感じだ。



第19作「寅次郎と殿様」の伊予大洲の定宿
「伊洲屋旅館」 
この宿のように寅が帳場にいる時はそうとうその宿に信用されている時だ。
第27作「寅次郎ハイビスカスの花」でも寅は長逗留した「ホテル入り船」の帳場で仕切っていた(^^;)
おふみさんが「寅さん言うて、年に一度くらいはみえる方です」って
隣部屋のマドンナ鞠子さんに紹介していたことでも長い付き合いだと分かる。もちろんこの場合の
おふみさんは松坂慶子ではなく、女中さん役の谷よしのさん(^^)




           




そして極め付きは第44作「寅次郎の告白」で出てきた鳥取の鮎料理で有名な「新茶屋」 
この宿(割烹旅館)には女将のマドンナの聖子さんがいる。聖子さんは寅が大好き。これは強い!
お金がいよいよなくなったらここへ転がり込むって手がある。



まあ、お金がない時は、とらやに戻るか、奄美のリリーの家が一番楽なんだけどね。

しかし、いつも思うことだけど、寅って、本当におごられ上手。そしておごり上手。もちろんサイフに
お金があまり入ってないので空振りも多いのはご承知のところ。

チャンチャン。


また明日







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『寅次郎な日々』バックナンバー






満男と泉ちゃんの明日のために。  4月19日「寅次郎な日々」その149



この「男はつらいよ」は、喜劇であるが、よくある他の映画のように、人を巻き込んで人生をメチャクチャに
してしまったり、観客を笑わせるために、人に酷いことをしたりは決してしない。

タコと寅の喧嘩もなんだかんだ言ってもお遊び程度。

寅がヤンチャでいろいろ周りにしでかしてもその人の人生までも変えてしまうような酷いことはしない。
ましてやとらやの面々は人に対してそのような人の心を踏みにじるようなことを決してしない。これは、
この映画のポリシーでもあると映画を見ている私などは思っている。

マドンナたちにも同様のことが言える。たとえば第23作「翔んでる寅次郎」で、ひとみちゃんが自分の
結婚披露宴を抜け出してとらやに逃げて来るが、最終的にはその時の新郎と、寅とさくらの仲人のもと、
もう一度川千家で結婚披露宴をやり直している。

中には第17作「夕焼け小焼け」の鬼頭のような悪人も出てくるが、彼はこの映画の中心人物ではないので、
別に気にならない。世の中にはいろいろなヤツがいるということだ。

しかし、ひとつだけ、レギュラーが起こした事件で、どうしても納得しがたい事がある。
それは誰あろう及川泉さんの結婚式キャンセル事件である。

例の岡山県津山のお医者さんのたまごと結婚を決意し、結納を済ませ、結婚式当日を迎えた泉ちゃんは、
皆さんご存知の通り、東京からやってきた満男に邪魔をされて、花嫁さんを乗せた車が道をバックしてしまった
ので、その日の式も披露宴も取りやめになってしまった。





                






これは明らかに満男にその責任がある。満男は単独犯だ。

泉ちゃんはこの場合、新郎同様被害者。

しかし、その後の仲人や新郎との話し合いをキャンセルし、後始末を母親に任せてさっさと津山のホテルから
おそらくそのまま名古屋に帰ってしまう。

つまり、この行為の時点から、初めて泉ちゃんが津山の新郎を意識的に自分で裏切るのである。
たかだか、結婚式への道を少しばかり元彼に邪魔をされたぐらいで、新郎を裏切ってしまうということは、
つまり、最初から新郎に対する気持ちはなかったと言える。泉ちゃんに彼がいたということを知って、新郎は
タクシーの中でかなりワナワナとして怒っていた様子だったが、そのことと泉ちゃんのその後の行動とは、実は問題が
別である。泉ちゃんのママは、さくらに電話で、満男は泉ちゃんの幸せをメチャクチャにした。と言っていたが、確かに
引き金は満男だし、新郎もこの事件を決して許さないかもしれないが、最後は泉ちゃんが自分でケツをまくったのだ。
「ママが代わりにお詫びしてちょうだい」の言葉を残し彼女は名古屋に帰ってしまう。

この行動から察するに、ママを安心させようとして自分を偽り、無理やり結婚しようとしていたとさえ言っていいのでは
ないだろうか。そして、満男の横やりによってはからずもその事が露出してしまったのだ。

このあと泉ちゃんは、名古屋から東京に行き、博やさくらと話しをし、奄美大島に飛行機で飛ぶ。彼女の頭の
中は、もう今や満男の事でいっぱいなのであろう。そして奄美の海岸で満男は愛を告白し、二人の気持ちは一つになる。
その後ふたりは、名古屋に行ったり東京に行ったり、正月に初詣を兼ねたデートをし、結婚へ秒読みとなる。
めでたしめでたし。のはずだが…。




                 





しかし、あの津山の新郎はどうなっているのであろうか?ああ、あの新郎はたぶん泉ちゃんを気に入り、
幸福の絶頂にあったはずなのに…。
泉ちゃんはその彼の好意に結婚当日まではそれなりに答えていたのだ。
それゆえあの突然の事件とその後の泉ちゃんのつれない行動には新郎はかなり傷ついたのは間違いない。

泉ちゃんはあの傷ついてしまった新郎の気持ちをどのように償えばいいのであろうか。手紙で謝るくらいじゃ傷は
癒えないだろう。ママがいくら謝っても誠意は伝わらない。泉ちゃんが直接会って自分の気持ちを伝え、謝るしかない
のである。しかし、あの映画を見る限りにおいては新郎に対して泉ちゃんがけじめをつけたような気配はなかった。

ギリギリでこの問題には満男は入り込んではいけないと思う。あくまでも泉ちゃんと新郎の問題。

この問題に泉ちゃんがけじめをつけない限り、満男と泉ちゃんの明日の幸せはない。
なーんて思っているのはひょっとして私だけかも…(^^;)ゞ

ちゃんちゃん。



また明日





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148


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー           
           






時空の違う菜穂ちゃんと泉ちゃん   4月18日「寅次郎な日々」その148



満男は寅の後押しもあって、泉ちゃんと急接近、第43作「寅次郎の休日」では
大分の日田に泉ちゃんと彼女のお父さんに会いに行ったり、第44作「寅次郎の告白」では
家出した泉ちゃんを鳥取に探しに行き、ぐっとお互いの気持ちが大接近する。

しかし、そのあと第45作「寅次郎の青春」で泉ちゃんがお母さんの入院により涙ながらに名古屋に
帰ってしまった。ちなみに満男は第45作で東京駅のホームで泉ちゃんとキスをする。これはある意味
泉ちゃんからの愛の告白だった。
このあと、泉ちゃんのお母さんが元気になったことが手紙で明らかに
なったにもかかわらず、泉ちゃんの第46作、第47作、と泉ちゃんの話題すら出てこない。つまり泉ちゃんは
この時空にこの時は存在していないのである。

普通あれだけ第42作から第45作まで二人の仲にいろんなことがあり、二人の絆が強くなっている場合、
お母さんのことで名古屋に行ってしまっただけで、こんなにいきなり疎遠になることはないだろう。

第46作「寅次郎の縁談」では瀬戸内の島に通う看護婦さん(亜矢ちゃん)とキスまでする。
この時も泉ちゃんはこの世界の中にいない。

第47作「拝啓車寅次郎様」では長浜の菜穂ちゃんとかなり親しくなり、菜穂ちゃんはわざわざ柴又まで
満男を訪ねてくる。この第46作,第47作の2作品はまるで別世界の出来事のように泉ちゃんのことは
全ての登場人物の意識の中に存在しない。

つまり、この46、47作は満男も寅同様、過去の恋愛は『なかったことにしましょう』的な空間に
存在しているのである。そうでないと菜穂ちゃんが柴又に訪ねて来て、あんなに満男が喜ぶ
わけがない。あのあと菜穂ちゃんは博やさくらと正月を共に過ごすのだが、菜穂ちゃんとは
長い付き合いになるのかも…、と思わせて、第48作「紅の花」では、菜穂ちゃんの「な」の字も
出てこない。それどころか、さくらの観察によれば近頃満男は複数の女の人と付き合っている
なんてことになってしまっている。この場合は、今度は菜穂ちゃんの方がこの世界には存在していない。
そして、突然、さくらはこう言うのである。「まだ泉ちゃんのことが忘れられないんじゃないかしら…」



               
はるばる満男に会いに来た菜穂ちゃん

              



そして泉ちゃんが時空を超えて突然訪ねて来て、見合いの話を満男にするのだ。

つまり、泉ちゃんと別れた第45作の直後に第48作が来ると思えば、そんなに不自然ではなくなる。
言い方を逆にすれば全シリーズの中で第46作と第47作の2作品だけが満男にとって異次元の世界の話
だったとも言える。

ちなみに、ちょうど、平行して、吉岡秀隆さんは「北の国から」に出演されていたが、あのドラマでは、いわゆる
ごく普通の時空の流れなのでそのような、突然のぶっちぎりやワープは当然ながら全くなかった。恋人と
出会い、別れ、またそのあと違う出会いがあり、そしてまた別れ、最後にまた新しい出会いがあり、そして結婚。
実に自然な流れだ。


             
2年ぶりに時空を超えて突然会いに来た泉ちゃん

              



寅は一話完結として年齢的にも恋愛的にも異空間に遊んでいるが、第46作、第47作の満男は
年齢的には相変わらずさくらたちと同じ時間軸に生きているのだが、恋愛的には寅の住む空間に
生きてしまっているのだろう。

しかし、満男は小さい頃から徐々に成長し、いかにもさくらたちと同じ時空にいるイメージなので、
上記のように分かってはいてもつい、泉ちゃんはどうした? 菜穂ちゃんのことはどうするつもりだよ。
って、それぞれ思いながら第46作、第47作、第48作を見ていたのは私だけではないだろう。



また明日


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147



『寅次郎な日々』バックナンバー           





満男の初恋を指南する寅。   4月17日「寅次郎な日々」その147




一昨日そして昨日の続きである。

第42作「僕の伯父さん」

また、時は流れて行き、満男は高校を卒業する。

しかし、残念ながら大学受験にjは失敗してしまう。
勉強をしなくてはならない状況なのに浮つき気味…。


そこで、寅の出番。

「どじょう屋」に満男を連れて行き、酒を飲みながらの
四方山話の中で、恋の話が出る。

寅「高校の同級生か?」

満男「違うよ下級生だよ、…あ…」

満男はしまった、と言う顔。

寅「ばかだね…よーし、全部言っちゃえ、な」

そして寅はしみじみこうつぶやくのである。


寅「恋をしてるのかおまえは…ふーん」



             



寅「こないだまで飴玉ひとつやりやあ喜んでとんできたガキだと思っていたのに、
  はあー、恋をする年になったか…」


しかし、満男は彼女の事で自分が悶々といやらしいことを考えてしまうことに自己嫌悪を
抱いていると寅に告白する。

寅「おまえは正直だな、偉い!さすが博の息子だ」

寅「博がいつかオレにこう言ってくれたよ。自分を醜いって思った人間はもう決して醜くない」



       


寅「な、考えてみろ
 田舎から出てきて、タコの経営する印刷工場で職工として
 働いていたおまえのオヤジが、3年間、じーっとさくらに恋をして、
 なにを悩んでいたか、今のおまえと変わらないと思うぞ、
 そんなオヤジをおまえ、不潔だと思うか?



満男「やっぱりおじさんは、苦労してんだなあ…」

ほんと、いいこと言うね、寅って。博は工員をしながら、向かいのさくらの部屋をずっと眺めて
暮らしていたんだもんなあ。3年間それだけが楽しみだったって、自分で告白していた博の心を
寅も満男もいとおしく思えるんだろうな。これは私も分かる気がする。



その後、

はるばるバイクで佐賀の泉ちゃんの住んでいる家まで行ったものの…、


満男「おじさん、オレもう東京へ帰るよ。彼女、ほんとは迷惑なんじゃないかな…。
  だって、年上の男がバイクで東京から会いに来たりして、近所の人たちに
  ふしだらな娘だと思われちゃうじゃないか。オレ…、彼女の都合も考えずに
  突然来たりして相当厚かましいよ」

寅「おまえ、本当にあの娘が好きだったら、そんなこと気にするな」

満男「だってオレ、しつこいと思われたくないもん」


寅「そのおまえの気持ちはおじさんもよーくわかるけどなあ、
  実は、女はそんなふう〜には思わない」


そして、啖呵バイにも出てくる例の小野小町と深草の少将の恋の逸話、
百日百夜通い詰めた話を満男に聞かせてやる。そしてこう言うのだ。



寅「せめて5日か10日その乙女のところへ通ってみたらどうだ?」



       



まあその助言も含めて、寅も一緒に泉ちゃんの家に付き添ってやったこともあり、
まあ、いろいろあって、なんとか泉ちゃんと進展があった満男。


満男の行動を避難する泉ちゃんの伯父に向かって静かな啖呵を切ってやるのである。


寅「
先生、わたくしのような出来そこないがこんなことを言うと笑われるかも
 しれませんが、わたくしは甥の満男は間違ったことをしていないと思います。
 慣れない土地へ来て淋しい思いをしているお嬢さんを慰めようと、親にも
 内緒ではるばるオートバイでやってきた満男を、わたくしはむしろ、よくやったと
 褒めてやりたいと思います



カッコいいぞ!寅次郎伯父さん!意外性の男!後家殺し!
この寅の啖呵のことは実は満男は知らない。



ラスト近く、いろいろな意味でお世話になった寅に電話で満男はこう言う。


満男
おじさんの老後は僕が面倒見ますから


ちゃんちゃん


また明日


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146




『寅次郎な日々』バックナンバー                          
           



青年前期の満男が思う寅おじさん。   4月16日「寅次郎な日々」その146



一昨日、昨日は少年期の満男を書いてきたが、当たり前だが作品ごとに満男は成長していった。

中学生になってから満男は、しだいに、世間の噂や評価とは関係なく、寅のことを自分自身の感覚で
判断するようになる。


第36作「柴又より愛をこめて」で、家出したあけみが寅を頼っているのを知って、満男はさくらたちに
こう言うのである。

満男「
オレ、わかるよあけみさんの気持ち。
   おじさんのやることはドンくさくて常識はずれだけど、世間体なんか全然気にしないもんな、
   人におべっかを使ったり、お世辞言ったり、おじさんは、絶対そんなことしないもんな


博「へえー、尊敬してるのか?」

満男「尊敬まではいかないけどさ」と、ちょっと照れる。

この発言にはちょっと嬉しいさくらだった(^^)


            





第38作「知床慕情」では、とらやの役に立たず、相変わらずだらしない寅に対して
満男はいよいよ説教までするようになる。

柴又駅ホームで、

満男「
おじさんも、少し反省しろよ
寅、ドキッとして
寅「なにい?、なんだおまえ、えらっそうに…、この前まで、こんな
ガキだったんだぞ、
  生意気だぞ」とぶつぶつ…。

さくら、あとで「よく言ってくれたわ」

                  

                  ぶつぶつぶつ…
            




もちろん満男は寅の変な方の影響もこの頃になるとしっかり受け始めている。

同じ第38作で、貧乏ゆえのタコ社長とあけみの大喧嘩喧嘩を見て、

満男「
貧乏はやだねえ〜…

はっとして満男を睨むさくら。

満男「
おじさんの真似しただけだよ…」(^^;)



            



第39作「寅次郎物語」ではもうすっかり高校生で、

寅を頼って遠く旅をしてきた秀吉君にむかってこう言うのである。

満男「寅さんに会ってがっかりしたんだろう」
秀吉「うん…」
満男「
でも、見かけほどひどくはないんだぞ、オレ買ってるんだ。わりと

このように満男は1年に数回しか滞在しない寅おじさんの影響を真綿が水を吸い込むように
受けていった。


このあと、いよいよ切ない恋をするようになる満男は、みなさんご存知のように、
ますます『恋に一生を捧げた男』寅の影響を受けるのでありました。




また明日…


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145


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー





小さな満男から見た寅おじさん。そのA   4月15日「寅次郎な日々」その145



寅と運命的に縁の深い満男、青年期以前の小さなころから
満男は密かにとらやの中だけでも寅を観察し、寅と共にいろんなことを
体験して来たのである。

昨日はおとなしい満男の意外な内容の3重丸作文を紹介した。
満男はこの作文の時点では「寅おじさん」のことを親しみを込めて
書いていることが少しわかる。失恋ばかりしていないで、はやく結婚して
お母さんを安心させて欲しいとも…。

そのあと、第27作「浪花の恋の寅次郎」ではふみさんがとらやにわざわざ結婚を
することを告げに来た時に、間近でその失恋を目撃している。

第29作「寅次郎あじさいの恋」にいたっては、寅のデートにつき合わされ、
失恋の瞬間を一緒に味わい、最後に寅の涙まで垣間見てしまうのである。

このように、作品を追うごとに寅のことを徐々に深く知っていくことになる。

そして、世間の中で寅がどのような眼で見られているかも、徐々に認識していって
しまうのである。それは、満男にとっても大人に一歩一歩近づいていくことでもあった。



そして、遂に満男の潜在意識が表に出てしまう日がやってきた。



第31作「旅と女と寅次郎」で、
仕事が忙しい博の代わりに寅が満男の運動会の応援に行ってやろうということになったのだ。
この時の満男の反応が彼の本音をよく表していた。

寅はPTAのパン食い競争の猛練習をしたりしてもの凄く乗り気なのだが、満男は複雑な顔になる。

さくらが「そのかわりね,満男、おじさんが行ってくれるって」と言った時に満男は、
「えー…」と言ってしまう。そしていろいろ微妙に抵抗するのである。
満男「おじさん、あのー、明日忙しいんじゃないの?」とか
満男「でも退屈だよ。子供の運動会なんて…」と言ってあきらかに困惑している。

彼の表情がみるみる暗くなっていくのだ。

一方、寅は満男に何を言われても乗り気で、すっかり応援に行く気でいる。




              




満男は強い危機感を感じ、遂に、「父さん母さんのいないやつだっているんだから…」、と
誰も来なくていい、というようなことを言いはじめる。とらやのみんなもつい賛成する。

寅は彼らの気持ちに気づかず、
寅「ちょっと待てよ、なんだオレは面倒くさいと言ってるんじゃないんだよ、喜んで行って
やるって言ってるんだからさ、なにも遠慮することないじゃないか」
さくら「遠慮じゃないの…、遠慮じゃなくてね…」

さくら「分かってよ…お兄ちゃん」 
さくらがそれを言っちゃあおしまいだよ…(TT)

おいちゃんも、「少しは満男の気持ちにもなってやれよ、迷惑にきまってるじゃないか」…と
言ってしまって喧嘩する。

このあと、寅に満男の気持ちが完全にバレてタコ社長を巻き込んでもう茶の間中大暴れ。

そして前回の作文の時同様、引き裂かれた状態になって満男はうつぶせになって泣いてしまう。

寅は怒って「やめたよ!やめたよ!ふん、運動会行くのやめりゃ文句ないんだろうが!
こんなみっともないおじさんが痛んじゃな、満男が可哀相だからな!」(TT)

さくらは半泣き、おばちゃんまでメソメソ泣き出してしまうのだった。

それにしてもさくらの「分かってよ…お兄ちゃん」は私には心底骨身に滲みた。

『柴又の超名物男』であるフーテンの寅が応援に来て、全校の児童と父母の中で目立ってしまう…。
ましてや笛吹いて大声で…エトセトラ…。
これはまだ小さな少年である満男にとってある意味、辛く恥ずかしいことなのかもしれない。





翌朝は大雨。運動会中止


満男はひとりとらやへ立ち寄ったが、寅はもう旅立ってしまっていた。

そして満男に置手紙を残していた。


必ず一等賞を取れよ。寅おじさん


その中に500円札が入っていた。


手紙を読んで胸が熱くなるさくら。



             



満男「母さん…」

さくら「なあに…?」

満男「もし、おじさんから電話が来るようなことがあったらね…」

さくら「うん、そしたら?」

満男「
ごめんなさいって言っといて

頷くさくら。

手紙とお札を満男のカバンに入れてやるさくら。



満男はなんだかんだ言っても心根がいい。本当に優しい子だ。

満男はちっとも悪くないのだが、それでも自分の言動が結果的には
寅おじさんを傷つけてしまったことを悩んでいる。

大丈夫だよ満男。
寅おじさんはそんな満男のこともちゃんと分かっているよ。




明日は青年期の満男と寅の関係を書きましょう。



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144



                          
『寅次郎な日々』バックナンバー







小さな満男から見た寅おじさん。その@   4月14日「寅次郎な日々」その144




寅と、運命的に縁の深い満男、青年期以前の小さなころから
満男は密かにとらやの中だけでも寅を観察していたのである。

まず、小学校に入った満男は、第18作「寅次郎純情詩集」で、
家族の顔を描く授業で、両親やおいちゃんおばちゃんを描かないで
『ぼくのおじさん』つまり寅の顔を描いているのである。
これは、小さいながらも満男にとってすでに親しみのある存在だったことが
はっきり分かる。1年に数回帰ってくるだけなのだが、インパクトが凄いのであろう(^^;)


そして第23作「噂の寅次郎」(満男小学校4年生頃)になってくると、もう少し、
具体性を帯びて寅を見るようになってくる。それが、当時の
作文に垣間見られる。
ぼーっとしているようでも満男はなかなかこれでも観察眼が鋭いのだ。


ちなみに担任の先生から
3重丸をもらったその作文の内容はこうだ。


ナレーションは寅おじさん(^^;)

ぼくのお母さん。 ぼくのお母さんとお父さんは恋愛結婚だ。
(寅:なるほどねえ〜、うーん、なるほどなるほど)
だから、お母さんはお父さんのことを『博さん』と呼んでいる。
(寅:社長、よく見てるな)
(社長:たいしたもんだ)
お父さんは、お母さんのことを、『おい、さくら』と、ちょっと威張って言う。
(社長:ちゃんと見てる)
でも、本当は、お母さんをとても大事に思っている。
(一同:んー、みてるねえ…。みんな幸せそうに和んでいる)
(さくら:ねえお兄ちゃん、まだあるんでしょう?)
(寅:あるある)
お母さんが時々悲しい顔をする時がある。それは、おじさんが帰って来た時だ。
(寅:おじさんって誰だ?…あ、オレか…)
おじさんの名前は『寅さん』といって、お母さんのたったひとりのお兄さんだけど、
いつも、恋愛ばかりして、そのたんびにふられるから、今でもお嫁さんがいない。


               
    心配そうに見ている満男

             
 


(寅:(▼▼メ))
(おいちゃん:んー、ちゃあんと見てる)
(社長:それから?声だして読んでくれよ)
近所の人が、
(社長:おう)
悪口を言うと、お母さんはとても悲しそうな顔をする。
(お兄ちゃん、もういいんじゃない?)
(博:うそばっかり書きやがって…、もうやめましょう)
(寅:い、いいよ!)

僕は、おじさんが、早くお嫁さんをもらって、お母さんを、安心させてほしいと思っている』


寅ぶす〜〜〜〜〜〜〜う。(▼▼メ)

社長「子供でもちゃんと見てるんだねえ」
寅「そう、ちゃぁんと見てますよ」
さくら「さあ、ごはんにしましょ」
寅「ちょ、ちょっと、この
赤い字は誰が書いたの?」
博「『
とてもよく書けました。ほんとうに困ったおじさんね』」
寅、頷く。
博「先生です…」
寅「ほう〜、じゃあなにか満男の教師はこの作文がいい、って褒めてるわけだ」

この話題を避けようとするさくらだが…、

寅「さくら!満男はこの家の恥をさらけ出してるんだぞ!おまえそれで平気か!?」
さくら「別にさ、恥ってことないでしょう」
寅「
恥だよ!これは絶対なる恥!
おいちゃん「そのとおりだ…」
寅「そうだろ!おいちゃん!」
おいちゃん「そうだ」
寅「ほれみろ」
おいちゃん「おまえはとらやの恥だ…」
おいちゃん「はあー。。。。」
寅「はあー。。。」
おいちゃん「ばっか…」

寅「
…へ?…ほ…!

社長「ハハハハ!ご本人がそう言ってりゃ世話ねえや、ハハハハ!」

このあとは、まあいつもの通り、社長の頭にワインぶっかけ、シャンプーをし(^^;)
寅「中小企業の恥っさらし!」と喚く。

満男は泣いてしまい、寅は旅立つ。




                  
ふすまの後ろから半泣きで見ている満男

                





寅は最後にさくらに呟く。
寅「満男にな、寅おじさんが悪かったって、そう言っとけ…」

幼いながらも寅のことをしっかり観察していた満男。
というか、観察したくなくてもあれだけ派手にいろいろしでかしてくれたらいやでも
観察しちゃうってもんです(^^;)

まだ幼く、頭の柔らかい満男にとっては柴又界隈の名物男『寅おじさん』は
強烈に印象深い人だったろうなあ…。



明日もう一回、小さな満男と寅の思い出を書きましょう。




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143



                          
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何のために勉強するのか
   4月13日「寅次郎な日々」その143




第16作「葛飾立志篇」で、さくらは、礼子さんの研究している考古学について寅に説明してやる。


寅「コウコ学??」

博を見て、さくらを見て
寅「コウコ学ってなんだい?親孝行の学問か?」


さくら「孝行じゃないの」

寅「え?」

さくら「考古」

寅「コウコ…」

さくら「うん、つまり古い時代の学問よ」

あげ足をとらせてもらうと、古い時代の学問ではなく、
『古い時代を研究する(普遍的な)学問』が正しい。


さくら「大昔の人が、使ったね、こういうお茶碗のかけらとか石のやじりとか、そういうもの探すのよ」

寅「そんなもん探してどうするんだい?」

さくら「研究するのよ」


寅「
研究してなにになんだよ?それが




            



この寅のさくらに対する質問は、見事に学問に対する本質的な質問だ。
寅のような素朴な疑問が、時として物事の本質に迫ることがある、という見本(^^)

しかし、残念ながらさくらは、寅の質問の重要さに気づかない。


さくら「
知らないわよ、そこまで」と、まったく素っ気なく取り合おうともしない。



実は、茶碗がどうのやじりがどうのというよりも、その研究の『意味』を考えることこそ
実は『学問』であって、そこのところが最も大事なのだ。そこを考えていかないと。
せっかく学問をしても、木を見て森を見ず、ってことになりがちだ。


で、寅はわからずじまいで、寅「なんだよ」???って感じ。




そのあと礼子さんが2階から下りてきた時に、博はこう言うのである。



博「兄さんにね、学問はなんのためにするか、って
  質問されて困ってたところなんです



実は寅は、「学問はなんのためにするか」とは言ってないが、
博は、寅の素朴な疑問を普遍的な命題に置き換え、心の中で自問自答していたのかもしれない。


ここが博のさすがなところ。

さくらじゃ、明確には気づかない寅の質問の本質をキチンと把握している。
こういう問題意識が持てるかどうかで、人生をより深く掘り下げられるかどうか決まってくる気もする。


礼子「あらあ!」

礼子さんもしっかり反応できている。


寅「いやあ、くだらない話ですよ」(^^;)

礼子「私もね、お昼、お兄様に
あなたは何のために勉強してるのですか』って聞かれて、はっとしちゃったの」


さくら「いやだわ〜」

おばちゃん、台所で、「は〜」ってため息。

博「はー、凄いことを言うな、兄さんは」

やはり、博は寅のその言葉をしっかり自分のこととして受け止めて考えている。

もちろん、皆さんご承知の通り、寅のこのセリフは所詮、寒河江、慈恩寺の和尚さんの超受け売りだから、
寅自身はその質問の意味すらよく分かっていない、とほほ人間である。
だから寅のことを実によーく分かっているさくらやおばちゃんのリアクションはそれなりに正しいのだが、
ただ、だからと言ってそれだけのリアクションではでは結局のところ進歩はないのである。



寅の素朴な質問「研究してなにになんだよ?それが
に対する車つねさんの貴重なお答えもついでに紹介しよう(^^;)


おばちゃん曰く「わかんない男だねえ〜、そういやって偉い学者の先生たちがいろいろ研究して
         くださってるからこそ私たちがこうやって
平和に暮らしていられんじゃないの」



                   
こうやって平和に…
               





思考停止&権威に弱いおばちゃんでした(^^;)            



ちなみに例のぶっ壊しタコ社長はその直後、上機嫌で


社長「♪わたしバカよねぇェー!、とくりゃあ!オバカさんよねえェー!!!」

寅「は〜…、無教育な声ですねえ」



まあ、その後、寅もいろいろ人生修行を積んで、考えるところがあったらしく、第40作「寅次郎サラダ記念日」
では、満男の「
何のために勉強するのかな?」という質問に対して、寅はこう言っている。

寅「つまり…、あれだよ、ほら、人間、長い間生きてりゃ、いろんなことにぶつかるだろ、な。そんな時に
  オレみたいに勉強してないヤツは振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるしか
  しょうがないんだ。ところが、勉強したヤツは、自分の頭できちん〜と筋道を立てて「はて、こういう時は
  どうしたらいいかな?」と考えることができるんだ。だからみんな大学行くんじゃないか」


なーるほどねぇ…、でも、娑婆の世界じゃそうじゃない人も多そうだなあ〜(^^;)




また明日








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142



                          
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御前様のEnglish   4月12日「寅次郎な日々」その142




このシリーズの登場人物で英語がとても上手にしゃべれるのはなんといっても第24作「寅次郎春の夢」のマイケル(^^;)
これは当たり前。日本人では同じ作品のマドンナの圭子さんと娘のめぐみちゃんがアメリカに住んでいたこともあって
ペラペラだった。マイケルは最初、旅館を探しているのだがこの近所にあるかというようなことを無謀にも御前様に尋ねるが、
御前様はちんぷんかんぷん。源ちゃんは笑っているだけ(^^;)


しょうがないので、御前様はとらやのさくらのところにマイケルを連れて行くのだが…
「君、このご夫人に何か話してごらん、ペラペラペラペラ…」

学校の成績が良かったさくらも、全くリスニングができないので完全に白旗状態。

それでまあ、例の圭子さんがいたので助け舟を出してなんとか切り抜けたってわけだ。


とらやの面々の英会話能力はなかなか滅茶苦茶だ。


マイケルを寝かせる時、おいちゃん『ジェスチャー』で寝る真似をしていた。(でもこれが一番分かる!)

タコ社長は完全なブロウクン「ダメダメ、ノーマネー、メニータックス。分かる?バンク ゴー!」
次の日も社長「ダメダメ、ノーマネー、ハラキリ」(^^;)これは大笑い。


寅は「私、タイガーです」


博は「ピースピース!平和」


満男は「伯父さんはねえ…タイガー」

寅がマイケルに梅干を3個も食わせたあと、
おばちゃん「あの男ノーテン.ファィラー、ノーテン.ファィラー

おばちゃんが言っていた『FAILURE』は、FAIL(不足する、衰弱する、なくなる)の名詞形で
「不足、欠乏、不全、衰弱、失敗者」と言う意味だと思われる。ノーテンはもちろん脳天。
つまり脳天が欠乏…(^^;)おばちゃんは英文法は社長同様滅茶苦茶だが、ああ見えても、
意外にボキャブラリーは豊富なのかもしれない。


           
脳天.ファィラー 脳天.ファィラーね
          



私の知人の寅さんファンであるSさんのアイデアでは
「ノーテン.ファイヤー(脳天爆発炎上)」のほうがおばちゃんらしくて面白いしという。
確かに「ファイヤー」なら、おばちゃんでも言葉を知ってるだろうし、あのおばちゃんの
手を上げたアクションにぴったりだ。




【追加事項】208年8月4日(月)

おばちゃんの「ノーテン.ファイラー」が、英語ではなく
中国語の脳天壊了(nao tian huai le)の可能性があるとの新情報が、
「男はつらいよ」ファンのNさんからありました。

 
なんと!と、驚き、ちょっと、調べてみたら、
おっしゃるとおり戦前の大陸に渡った方々や軍隊などで
使っていた言葉のようなのだ。
 
当時の大陸での「兵隊中国語
」と、
言うそうだ。
 
シナリオでは「ノーテン.ファィラーね、ノーテン.ファィラー」となっているので微妙なところだが、
おばちゃんの年齢を考えると英語よりも、Nさんの仰るように
中国から来た兵隊言葉としての脳天壊了のほうが説得力がある。
 
ただ、もうひとつ、
それではなぜアメリカ人のマイケルに言っちゃったかが疑問がとても残るところだが、
あわてたおばちゃんがとりあえず「外国の言葉」として若い頃はやっていた
大陸での兵隊言葉が出ちゃった可能性はある。

それゆえ、今のところ今回お知らせいただいたNさんからのこの説は、もっとも説得力のある
意見だと思われるのだ。






ちなみに、この作品で私が好きなおばちゃんのブロウクン英語がある。

さよならはノーよ、ノー」だ。
なんだかんだ言ってもおばちゃんが一番マイケルを気に入っていたのだ。





この第24作から6年後の第36作「柴又より愛をこめて」では御前様は、日本語交じりとは言いながらも、
がんばって外国人に駅までの道を教えていた。あの後、めぐみちゃんの塾で英会話を勉強されていたに違いない(^^;)

「ゴー、ストレイト、メインストリート、アンド、ファ-スト十字路、ターンライト、ユウ、ル、ファインド、柴又ステーション、OK?」

外国人の家族たちは、「サンキューベリーマッチ」と御前様と握手していた。
御前様「ユーアー、ウエルカム」

しかし、あとで、彼らはお互いに御前様のことを「彼は英語しゃべってたの?」「たぶんそうだろ?」って言ってた(^^;)

御前様、一部始終を見ていたさくらに褒められて

「通じたかどうか、ハアア〜、ハアア〜、ハアア〜、ハアア〜、」と例の御前様笑い。


ちなみに題経寺から参道を真っ直ぐ行って、最初の十字路を右に曲がると、駅からかえって遠ざかると思うのだが…。
むしろ右に曲がらないで真っ直ぐにさえ行けば、柴又駅が右の方に見えてくるはず。


        
       ファースト十字路…
         



最後に英語に関する話題で、寅の名言をひとつ。

第26作「寅次郎かもめ歌」で定時制高校の英語の先生に英語の授業を聞いてみないか、
と誘われた時の寅のセリフ。

「オレ英語はいいよ、アメリカに用がないから」(^^)





また明日







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141



                          
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生真面目おいちゃんの「つまりその…恋よ」   4月11日「寅次郎な日々」その141




このシリーズの3人のおいちゃんの中で一番堅物で生真面目なのが3代目おいちゃんの下條正巳さんだ。

初代おいちゃんの森川さんは、独自の森川ワールドを持っている人なので、いったんエンジンがかかると,
とめどもなく面白いことは多くの人が認めるところだ。2代目松村さんも一見インテリ風に見えるが
実は、あの人は相当面白い。下らないギャグを懲りずに飛ばし続けるスケベで笑えるおいちゃんだった。

それでは、下條さんは真面目路線でひたすら突っ走るのかと言えば、なかなかどうしてこれが変なギャグを
結構飛ばしたり、転んだりいろいろやってくれるのである。

初登場した第14作「寅次郎子守唄」でいきなり茶の間で初転びギャグ2連発をかましてくれた。
その後第17作「寅次郎夕焼け」でも新聞を逆さまに読んだあと転びギャグをし、ドタバタ(^^;)
第18作でも腕を卓袱台から外すギャグがあった。

このような下條おいちゃんの行動系ギャグで私が密かに好きなのは、第15作のラスト付近で
兵頭パパが再訪した時に、古い扇風機を直そうとして、かえって壊してしまうミニギャグだ。
なんともいえず可笑しみがあり、微笑ましく変に印象深い(^^;)


         



またこの直前の1回目の兵頭パパの訪問の際もおいちゃんはさくらとおでこをぶつけ
さくらは目から火が出てかなり痛がっていた。
下條おいちゃんは結構体を使ったギャグをしてくれるのである。



一方、『言葉のギャグ』のシーンもこれまた下條おいちゃんは結構たくさんある。

初出演の第14作「寅次郎子守唄」で初転び2連発の前にも御前様との会話で

とらやの
大黒柱は『寅』と言う話になった時に2連発ギャグを飛ばす。

おいちゃん「すごい安普請でございます」

一同、ハハハ
御前様「うん…困ったァ〜」

おいちゃん「何しろこの大黒柱
住所不定でして」

一同、ハハハ
おばちゃん「上手い上手い」


第32作「口笛を吹く寅次郎」でも御前様が寅が3日で修行を止めて逃げ出して
しまって怒っている時に

おいちゃん火に油を注ぐ発言をしてしまう。
おいちゃん「
三日坊主とはこのことでございますね

御前様、怒り大爆発!(^^;)


私がおいちゃんの言葉ギャグで一番好きなのは

29作「寅次郎あじさいの恋」
寅の恋の遍歴を『女狂い』などと、社長がひどい言い方をしたのに対して、おいちゃんがかばうのだ。

社長「じゃあなんて言うんだ?ああいうの」

おいちゃん「
 つまりその…恋よ

我ながら気恥かしがって箱に詰め込む草団子外にポロポロ落ちまくり〜(^^;)


社長大口開けて大笑い。
「恋だって…いい年してハハハハハ」


           
   つまりその…恋よ
          



こういう生真面目ゆえの可笑しみが下條おいちゃんの奥深い世界だ。




また明日






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140



                          
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さくら名義の郵便貯金通帳   4月10日「寅次郎な日々」その140




昨日は寅とさくらの繋がりの深さを書いたが、だいたいにおいてさくらのほうが寅に
対して心配をしたり、助けたり、金銭的な援助をしたりしていることは言うまでもない。
しかし時々は寅もさくらのことを助けたり、助言したり、励ましたりもする。

第1作、さくらの結婚式での大活躍は最も印象深いが、それ以外でも、例えば
第24作「寅次郎春の夢」で、マイケルに愛を告白され、心が不安定になっているさくらに対して
兄としてしっかり後で心のケアをしていた。こういうところが他の人じゃ出来ない苦労人寅の
面目躍如なところだ。




私が寅のさくらに対する心根で特に心を打たれたのは第14作「寅次郎子守唄」で、寅がさくら名義の
郵便貯金通帳を渡すシーン。


寅はいつものようにとらやの人々と喧嘩をしてしまって旅に出ることになってしまうのだが、
その刹那、店先で通帳と印鑑をなにげなくさくらに渡しながら言う。

これなあもう少し貯まってからお前にやろうと思ったんだけど博の医者代にしろ

そして寅はそのまま旅に出てしまう。



                       




さくらは驚きながら封筒から通帳を出す。
自分名義になっている通帳を凝視するさくら。




                       




郵便貯金通帳 諏訪さくら様 

中を見るさくら。


  

                              



思いつめた表情



                       




さくら「お兄ちゃん…!」と参道にかけ出す。


                       



寅はもう遠くへ…。



その貯金通帳には7,700円が入っていた。




通帳記載内容

49年  9月    800円       残高6800円 
 〃    〃17日1000円       残高7800円 
 〃    〃21日(引き出し)1200円残高6600円
 〃    〃30日 500円       残高7100円 
 〃  10月 2日 300円       残高7400円
 〃    〃 5日(引き出し)1000円残高6400円
 〃    〃14日 500円       残高6900円
 〃    〃22日 500円       残高7400円
 〃    〃27日 300円       残高7700円




父も母ももういない、この世で二人っきりの兄妹。
そんな兄が妹のためだけを思ってコツコツと貯めた7700円。
そのひとつひとつがさくらにはただただ嬉しかったに違いない。


寅が渡した「諏訪さくら」名義の郵便貯金通帳から、少額ながらもさくらのために
実に足繁く郵便局に通い、入金を繰り返す寅の姿を想像することが出来る。
入金の額は小さいが、ここ2ヶ月だけでも1週間に一度寅はさくらのことを考えながら
増やしていったことが伺われる。



入金の回数だけ寅のさくらを想う気持ちがある。



ただ、ここ1ヶ月で2回ほど引き出しているのが、いかにも寅らしくてリアルである(^^;)


こんな切ないシーンを見せられると、重症の「男はつらいよ依存症」になるわな、そらもう。

いやあ、参った参った。







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139



                          
『寅次郎な日々』バックナンバー







さくらの日本列島縦断とほほ旅   4月9日「寅次郎な日々」その139




さくらの寅に対する兄妹愛は盲目的と言っていいほど深い。
第28作「寅次郎紙風船」で、寅はさくらのそのような自分に対する底なしの愛情に対して、
「おまえがそうやって甘やかすからお兄ちゃんはまともな
往生ができないんだ」と自分勝手ながら、
嘆いていた。めちゃくちゃなようであるが一面の真理でもある。

特にさくらの愛情が深いことが分かる一連の出来事としては、さくらが寅の尻拭いのために日本全国
どこでも出かけていくことである。

そのことで、特に印象深いのは第11作「寅次郎忘れな草」だ。
寅は、よりによって北の最果て北海道網走の牛飼いの家で、過酷な労働により、たった3日で熱を出してダウン。
手紙で知らされたさくらは、しょうがなく引き取りに行ったのだが、これは大変な労力と莫大な費用(寅の分もあるので)
がかかることだ。さくらは当時、飛行機で行かずに、夜行、青函連絡船、などを使って東京から丸二日かけてはるばる
網走まで行っている。もちろんそのあとフラフラの寅を担ぐようにして同じルートを柴又まで戻ってくるのだ。
考えただけでもこれは相当疲れる(^^;)

こんな荒業も、理解がある夫、博が費用を出してやるからできることなのだ。

博曰く「しょうがないじゃないか…、行ってやるより


博って本当に優しい。お礼のお金と医者代と当面の生活費と汽車賃だけ書留か何かで送金して、寅に体が回復したら
自力で戻らせるっていう手もあるのに、さくらはちゃんと自分がわざわざあの北の果て網走の牧場に行くのである。



              




また、第7作「奮闘篇」の時もさくらは自殺をほのめかした寅のハガキを読んで、本州の北の果て、
「青森県西津軽郡鯵ヶ沢」まで寅を探しに行ったが、これも大変な労力だ。この時はおまけに寅は
行方不明なのだから余計に心労も大きい。


         


第18作「寅次郎純情詩集」では今度は信州別所温泉に出かけて行っている。
これは仕方が無い。警察に無銭飲食で捕まったのだから、直接身元保証人が引き取りに
行かねば寅は帰れないのだから。しかし、寅は警察の弁当が口に合わないと言う理由で、
寿司、うな重、ザルそばを平らげ、署員にコーヒー8杯をおごっていたのだった。
さくらがもちろん全部払わされていた。この理不尽さは想像を絶する…。物凄い四十男だ。



         


第21作「寅次郎わが道を行く」でもお金の無くなった寅が遥か九州熊本の山奥、田の原温泉から
さくらに速達の手紙を書くのであるが、この時は警察沙汰にもなっていないし、病気にも、行方不明にも
なっていないのに、なぜさくらはお金の無い寅に現金を郵送するだけでなく、遠く九州の現地まで
わざわざ出かけて行ったのだろうか?寅の速達に書かれてあったちょっと意味深な文章のせいか?
もしそうであるならば、このパターンは第7作「奮闘篇」と同じということになる。第7作より原因が深刻じゃ
ないのにこれはちょっと甘いよさくら。と、言いたくなる。


遠路はるばる迎えに来たさくらを見て寅は人にこんなこと言う。

「ちょっと目離すとあいつすぐ来るんだよ」

この発言は妹と自分の絆ののっぴきならぬ深さを他者に表明している言葉なのだが、この盲目的とも言える
尋常ならぬ兄妹愛がこの映画の魅力の一番の核になっていることは疑う余地はないのである。
これは山田監督が言うところのいわゆる『妹の力』なのであろう。姉でもなく、母でもなく、恋人でもなく、
やはり『妹』でなくてはだせない魅力なのかもしれない。

しかしまあ、その『妹の力』とはなんて甘く切なく魅惑的なのであろうか。
妹のいない私は羨ましくてしょうがない…。



また明日






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138



                          
『寅次郎な日々』バックナンバー







お千代さんの三球直球ストライク勝負   4月8日「寅次郎な日々」その138




男はつらいよは「恋の物語」である。
寅が無法松のように、相手をひたすら想い、勇気付け、助け、笑わせ、そして耐えて身を引く物語である。
もう終始一貫このパターン。そしてマドンナの方も時として寅に惹かれながらも、寅の逃げ腰に
追いつけないで、なんとなく別れてしまう。
だから当然寅のプロポーズの言葉は無い。第25作「寅次郎ハイビスカスの花」でわずかに
「リリー、オレと所帯持つか…」と言わせるが、寅の本質を見抜いているリリーにかわされてしまう。

マドンナのほうも実ははっきり寅と結婚したいと言わないことがほとんどだ。
リリーでさへ、微妙なところで言い切れていない。

しかし、一人だけ寅と結婚したいという気持ちを自分から面と向かって言葉に出した人がいる。

それは
第10作「寅次郎夢枕」のお千代さんこと志村千代さんだ。

あの歴史的な名シーン、亀戸天神でのお千代さんの告白は、私の中で今でも色褪せることなく光り輝いている。

寅「ジョ…ジョージャンじゃないよ。そんなこと言われたら誰だってビックリしちゃうよ。ハハハ…」
お千代さん、寅の方に向きなおして首をしっかり横に振りながら、はっきりと「
冗談じゃないわ」と言い、
真剣に寅を見つめる。



               



このようにはっきり気持ちを告白してくれると、寅びいきの私としては、天にも昇る気がするのである。

そして彼女は寅が逃げてしまった後も、とらやのみんなの前でもう一度自分の気持ちを伝えるのである。


千代「
私、寅ちゃんとならいいわ
おいちゃん「えー−!!!!?」
千代「
でもだめねえ、ふられちゃったから…
社長「あっ、びっくりした、オレ本当かと思ったよ!おい!」と、博の肩を叩く。
お千代さん社長に向かって
「本当よ」と真面目に答える。
さくら「だめよ、そんなこと言っちゃ、お兄ちゃん本気にするわよ」

茶の間中冗談の雰囲気に染まっていってもなおかつ、真面目な顔でお千代さんは、さくらに言う。

千代「
冗談じゃないのよ

周りの社長たちの茶化しの雑音にも諦めずに踏み込んであえて自分の寅への気持ちや、寅がそれに
応えきれなかった事実を伝えようとしている。
このお千代さんのけれんのない三球直球ストライク勝負は淋しい中にも凛としたすがすがしさを感じた。

そして、あの時、さくらだけはそんなお千代さんの気持ちを最後の最後受け止めることができたと私は
確信している。さくらは最後もう笑ってはいなかったのだ。



               
さくらはお千代さんの言葉を受け止めていた。

               






まあそれにしても、
寅は敵前逃亡だから、まだ害は少ないとしても、こんな美しくて凛々しいお千代さんと別れ、子供まで
奪い取ってしまった夫はいったい何を考えているのだろうか。なんなんだそいつは〜(▼▼メ)


蛇足ながら、このシリーズでつくづくバカな奴だと思ったのは以下の通り。

あの美しいお千代さん!と別れた夫。
あの美しい朋子さん!と別れた夫。
あの美しい早苗さん!と別れた夫。
あの美しいりん子さん!と別れた夫。
あの歌子ちゃんに「バラの花を…」って
口走ってしまった元彼。
あのりつ子さんを間接的にふってしまった男。
あのかがりさんをふった元彼。
あの若菜さんと十九の春に恋人になり、その後別れた元彼。
あの夕子さんを依然として不幸にしている夫。
あの久美子さんに会社を辞めてくれと言った元彼。
当等…

そしてそして、やっぱりなんといっても見合いでさくらを断ったあの男…。

ああ…、でもやっぱり寅が一番バカなのかなあ…。

それぞれみんなのっぴきならない事情があるとは言え、なんでなんだろう…



また明日







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137



                          
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御前様のお経のレパートリー   4月7日「寅次郎な日々」その137
  


御前様は、葛飾柴又経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)の住職である。正式には日奏上人という。
題経寺は、開創は今から三百年程前、
寛永年間であって、後に日蓮聖人の親刻になる帝釈天の
板本尊
が見つかったことから一般には帝釈天と呼ばれている。地元の人々は『帝釈様』と言って親しんでいる。
寅の父親たちもこの題経寺が菩提寺である。
つまり御前様は日蓮宗のお坊さんである。

しかし、不思議な事にこのシリーズ第11作「寅次郎忘れな草」で登場する御前様のお経は日蓮宗の
お経ではないのである。

↓御前様が読誦されたのはあの『般若心経』であった。

 
ぶっせつ ま か はんにゃは ら  み た しんぎょう
仏説摩訶般若波羅蜜多心経


観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。
 

度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。

 

空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。

 

不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。

 

無色 無受想行識。無眼耳鼻舌身意。


意味:
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、物体や精神には実体がなく空であると悟り、
すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。舎利子(お釈迦さまの弟子)よ、物体は実体のない
ものであり、実体がないのが物体である。つまり、物体の本質は実体がないということであり、実体の
ないものこそが物体なのだ。これは、感覚や意識といった精神的なことも同じである。
舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じることも滅することもない。
汚いとかきれいということもない。増えたり減ったりすることもない。物体もなく、精神や感覚もない、
目に映る世界もなければ、意識に映る世界もない。…



             


第11作「寅次郎忘れな草」では父親の27回忌の法事でこれを御前様が読誦するのだが、
笠智衆さん、さすがに本場のお坊さんの家出身だけあって、読誦がうまい。
しかし、この『般若心経』は本来仏教全体にも共通して通じるものがあって密教以外の宗派でも
よく使われるのだが、こと、日蓮宗にいたってはまず読誦されることは無いらしい。
(^^;)



そのA


御前様は、『般若心経』以外でも第25作「寅次郎ハイビスカスの花」のラストでもお盆の時に
とらやの仏間で
浄土真宗のお経
正信念仏偈」を読経している。

善導獨明佛正意
矜哀定散與逆惡
光明名號顯因縁
開入本願大智海
行者正受金剛心 ...



           


「正信念仏偈」は七言を一句とした百二十の句からなる偈(詩)で、親鸞聖人の著書「教行信証」の
エッセンスとされ、親鸞聖人はこの中に浄土真宗の教えの要点をまとめていると言われている。


第八世の蓮如によって印刷されて日常の勤行用に門徒に広められた。それ以後、浄土真宗の人々に
読誦され親しまれている。浄土真宗では葬儀においても、「正信偈」を念仏・和讃とともに読誦する。
私も、日本でアトリエのある富山県八尾町の葬式に出たことが何度かあるがやはりこの地域は浄土真宗が
多く、「正信念仏偈」をみなさんで唱えていた。

「正信念仏偈」は笠智衆さんの熊本の実家(浄土真宗のお寺)で唱えられているせいか、笠さんの読誦
メロディ、流れとも実に堂に入っていた。なかなかああは読めないものだ。

また第28作「寅次郎紙風船」では御前様は境内で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えている。

しかし第45作では御前様はさくらの横で本来の題経寺のお題目「南無妙法蓮華経」を唱えてもいる。


山田監督は、第1作で、庚申の縁日に日蓮宗徒が題経寺にお参りする様子をしっかり撮っている。そしてそのなかに
とらやのおばちゃんも入れていた。この門前町のリアルな臨場感をしっかり表現するためだ。

しかしだからといって、この作品たちをひとつの色に偏らせるわけには行かないと思った監督は、その後、あえてその時々に
『他の色』を意識的にバランスよく入れることにより、その宗教的偏りを中和していったのであろう。

考え方を変えれば、映画の中での題経寺の御前様は大きな意味での『仏教の原点』を布教していらっしゃると
考えていいのかもしれない。そういう意味ではなかなか懐の深いありがたいお人だ(^^)



また明日





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136



                          
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寅の啖呵バイの地  推理日記 そのA   4月6日「寅次郎な日々」その136


第39作「寅次郎物語」


茨城県伊那町板橋   清安山願乗寺不動院 板橋不動尊
現在は合併して『つくばみらい市』 


私は「男はつらいよ」の中で寅が旅する町や、温泉場や、啖呵バイの場所を映画を見ながら推理をし、
ネットや本で調べるのが好きである。
もっとも、大抵は私が調べる前に、本やネットにきちんと記載されてはいる。

昨日は第16作「葛飾立志篇」をアップした時のことを書いたが、もうひとつだけ今日も書いてみよう。

第39作「寅次郎物語」は、寅が名付け親になった「秀吉君」と共にお母さんを探して、大阪、和歌山、吉野、伊勢と
旅を続けるロードムービーなのだが、ラストで啖呵バイをしているのは、見ての通り、伊勢の二見ヶ浦だ。
私も小学校の修学旅行で行ったことがある。

問題は、映画の出だしで歌とクレジットの間に出てくるあの啖呵バイである。とても美しい大きな楼門や三重塔
がそびえ建っている由緒ありそうな寺でのバイだったので是非知りたくなって、いつもどおり、本やネットで
調べてみたが残念ながらどこにも書いていない。

この作品のロケ地はどの本もネットも「和歌山、吉野、伊勢」と書いてある。
だから私もこの寺はこの3つのうちのどこかだとは思っていた。





                  






しかし、ここの場所は一筋縄ではいかなかった。

一般的には、その作品のメインのマドンナと物語で絡んだロケ地をそのまま啖呵バイの土地に使うことが多い。
したがって上記の和歌山、吉野、伊勢のどこかの可能性がある。特にこのファーストシーンのバイは、ポンシュウと
じん弘さんと一緒なので全くラストと同じメンバーだ。こうなってくるとロケの事情を考えるとラストの伊勢のどこかの寺
かもしれない、と一応は推理した。

しかし、取っ掛かりがない。唯一この寺が
『不動明王』を祭っていることは、寺の前の道ではためいている赤い旗で
分かる。それと楼門と三重塔が重要文化財クラスの立派さなのでおそらくこの地方では観光案内などには乗っている
有名な寺であろうことは分かった。そのあと諦めずにいろいろ粘ったが、どのシーンを見てもやはり取っ掛かりがない。
仕方がないのでもっと『原点』に戻り、それより、ちょっと前のシーン。寅が夢から覚めた直後のローカル線の駅を
執拗に見たが『中○駅』とまでは読めるのだが、この○がイマイチ拡大してもボケていて分からないのだ。

ほとほと困っていると、駅の壁に貼り付けてある『宣伝の看板』に目が留まった。

『長岡洋品店 (2)0202』と何とか読める。 その左には住所が書いてあるのだが『水……』と最初の水という字
しか分からない。ワラをもすがる思いで検索してみると、Yahoo電話帳というサイトの中で『茨城県常総市水海道宝町』の
長岡洋品店が出てきた。その横に電話番号が書いてあり(22)−0202となっているではないか!なんとこの店は
茨城県水海道にあったのだ。電話番号の書き方から考えて、おそらく寅の寝ていた駅から数駅以内にこの店はあるのでは
ないかと推理した。つまり
あの大きな寺はおそらく茨城県にある寺だという可能性が強くなってきた。
伊勢や和歌山、吉野じゃなかったのだ。あのオープニングのバイの撮影のために茨城にわざわざ行っているのである。




              




寅のいた駅はかなりのローカル線で、かつ小さな各駅停車しか止まらないような駅だった。そこで長岡洋品店のある、水海道
の近くのローカルな駅を調べてみた。そうすると常磐線以外にも『水海道』という駅が『関東鉄道』というローカル線にもあり、
なんとその2つ手前の駅が『中妻』駅という。もう、この駅しかないって感じだった。茨城の他のローカル駅には『中○駅』は
ないので寅の寝ていた駅は
『中妻』に決定!




              



追記

2024年3月

ちびとらんの報告により


電車がホームにやって来るタイトルインのカットは
中妻駅ホームではなく、お隣の【
三妻駅ホーム】だと判明した。

寅の寝ていた中妻駅の方は

相対式2面2線ですものね
それに対してこの本編ロケ撮影場所の三妻駅ホームは

島式ホーム1面2線』!!

ローカル線の雰囲気が出やすい『島式一面二線』で
ホームが長く線路周辺も空きスペース多く
ホームからの眺めも広がりがあるゆえにトリックをしたのだろう。



   


ストリートビューピンポイント↓↓


https://maps.app.goo.gl/JqLse5vGmRxVmJ26A






そうなると『関東鉄道 中妻駅』から少し電車に乗って降りた後、寅は歩いてその寺へ行こうとしていたので(途中でポンシュウの車を
拾っていたが)寺はさほど遠くではないようだ。
『関東鉄道』沿いの、またはその近くの『不動明王』を祭ってある寺
検索すると、何度か検索を繰り返しはしたが、遂に見つかった。寺の楼門の写真がぴったり一致したのだ。





              
左は映画に出てくる楼門                   右は現在の楼門


                  






茨城県伊那町(現在は合併して『つくばみらい市』) 板橋にある 
『清安山願乗寺不動院』 一般には 『板橋不動尊』と呼ばれる。
地元の人は「板橋のお不動さん」と親しみを込めて呼んでいるらしい。


正式名称は清安山願成寺不動院で、真言宗の寺である。808(大同3)年に
空海が開山したという古刹。その後、数度にわたり火事などに遭い、16世紀(文禄)頃に
あじゃりが復興した。安産/育児に霊験があらたかとして信仰を集めている。

弘法大師作の不動明王と両童子立像は国の重要文化財、本堂、楼門、三重塔は
県の重要文化財である。三重塔は1996(平成8)年に修復された。


11月28日は 秋の大縁日不動明王お開帳の日なので寅たちはその頃でかけて
いったのかもしれない。 それ以外でも毎月28日は縁日祈願で賑わう。


あの中妻駅の宣伝の看板が無かったら、この寺は私には一生分からなかっただろう。
そして今でも、伊勢のどこかの寺なんだろうなあ…、と勝手に思い込んでいるに違いない。

おそろしや…(^^;)






また明日



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135



                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






寅の啖呵バイの地  推理日記    4月5日「寅次郎な日々」その135

  

第16作「葛飾立志篇」


山形県 最上三十三観音 第十番札所  水岸山 観音寺 
上の山観音(湯の上観音) 


山形県上山市 上山(かみのやま)温泉 内 



私は「男はつらいよ」の中で寅が旅する町や、温泉場や、啖呵バイの場所を映画を見ながら推理をし、
ネットや本で調べるのが好きである。
もっとも、大抵は私が調べる前に、本やネットにきちんと記載されてはいる。

あれは第16作「葛飾立志篇」をアップした時のことだった。

例のごとく、とらやで騒動を起こした寅は、旅に出てしまう。お雪さんの住んでいた山形県のある神社(寺)で
啖呵バイを行い、その後最上川を渡し舟で渡って寒河江に入り、お雪さんの墓に参るのである。

さて、その啖呵バイの場所なのだが、手がかりは映画の中でバイをしている近くにある岩に
彫られた「
湯殿山」の文字くらいである。


            



そこで、寅さん本や寅さん関係サイトでとりあえず啖呵バイの土地を調べてみるとそれら全てに
山形県湯殿山神社」もしくは「湯殿山」と書いてある。なるほど、どなたも映画で寅が啖呵バイをしているの横に
「湯殿山」と彫ってある岩から推測されたらしい。

なんだ、今回は意外に簡単に分かったな、と気が抜けたが、一応念のために「湯殿山神社」をいろいろ調べてみた。
しかし、いくら調べても寅が啖呵バイをしている境内と実際の湯殿神社とは写真が似ても似つかないのだ。
また啖呵バイをしていたすぐ下の町の様子もぜんぜん違う。
だいたい山形県朝日村にある湯殿山神社のすぐ下には映画のような賑やかないかにも典型的な温泉町ふうの場所や、
神社から見える建物たちはない。
蔵王の見え方も湯殿山神社からはあんなに近くには見えないはず。


いくら数十年が経ったとはいえ、こんなになにから何から何までが違うのは変だと思い、
もう一度、『原点』に戻って映画に出てくるシーンを徹底的にストップモーションをかけて見てみた。


その時、映画の中で、神社の下の町の風景の中で店に貼られた紙の「祭礼」の赤文字が目に留まった。そこをアップにしてみると
その赤文字の左に湯の上○音と青いインクで書かれているのが何とか読めた。この○はおそらく『
』だと
推測し、ネットで「湯の上観音」を調べてみると、幸いにも同じ山形県に実在していた。

啖呵バイの寺は実は『湯の上観音』を祭ってある『最上三十三観音 第十番札所水岸山観音寺
だったのである
所在地も山形県上山市なので、蔵王もすぐ近くにはっきり見える。
もちろんそうなると寺の階段下の温泉町は奥羽三楽郷として400年以上前からすでに有名な
山形県屈指の温泉のひとつ、あの『上山温泉(かみのやま温泉)』である。

これで全ての謎が解けたわけだ。


階段下の通りは
下大湯公衆浴場前の通りで観音寺への石段もはっきり見える。




               
         このシーンの画面左下の貼り紙に注目!
                          ↓
                       



 
アップにしてみると『湯の上観音』の青文字が読めた!  






それではなぜ、「湯殿山」と彫った岩が違う寺の境内にあるか?


と言うと、その昔、湯殿山が出羽三山の総奥之院であった時代の
湯殿山神仰の名残が多くの寺に
残っていたからだと、なにかに書いてあった。

もう少し詳しく言うと、出羽三山の峰々に、古代の人々は神々が宿っていると信じていたのは有名だが、
実は月山・湯殿山・羽黒山を出羽三山というようになるのは室町時代末期かららしいのである。
それ以前は羽黒山・月山・葉山を三山とし、湯殿山は「総奥之院」としていた。

その信仰は東北一円はもとより関東にまでおよび、各地の寺に『湯殿山の石碑』が残され、
往時の信仰の厚さ信者の多さを物語っているとのことだ。

これで、
水岸山観音寺であるにもかかわらず、あの岩になぜ『湯殿山』と彫られていたのかが
解明できたわけだ。


昔このあたりは水辺であったので寺号は水岸山と称し、門前の下大湯はかつて同寺で管理
していたことから『上山観音』のことを『湯の上観音』と一般的に言うらしい。

天仁二年(1109年)の開山






           
左は映画の啖呵バイのシーン。お地蔵さんが啖呵バイの横で映っていた。
                
右は現在の観音寺境内の同じ場所のお地蔵さん。

                






 啖呵バイのシーンで女子高生の後ろに信者で賑わう観音堂が見える。  現在の観音堂
柱や梁、紅白の吊り下がった細い紐は今も同じ

             





         
  本編、観音寺を階段の下より見上げたシー

                



             現在の観音寺を下から見上げた写真3枚

               








こういう推理はなかなか面白くてついつい突っ込んで調べてしまう。

もちろん、偉そうに書いてきたが、最後までどこか分からなくて、最後に、人に泣きついて聞いても
それでも分からなくて遂には渋々諦めてしまった土地(場所)も多々有るのは当たり前だ。 とほほ(^^;)ゞ





また明日



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134



                          
『寅次郎な日々』バックナンバー







寅への出迎え、空振り三振の巻    4月4日「寅次郎な日々」その134



昨日は、寅が旅から帰ってきたさくらたちを出迎えて、みんなの気持ちがひとつになったシーンを紹介した。

もちろん、出迎えによっていつもみんなの気持ちがうまく絡み合うとは限らない。どちらかというと思いっきり
空振り三振するほうが多いのである。


第7作「奮闘篇」でも、おいちゃんが気を利かせて、寅を気持ちよく出迎えて大歓迎してやろうとわざわざ
練習していたのがしていたが…、それが寅に聞かれて、寅と大喧嘩。

おいちゃん「仮にオレが寅だとするだろ。上野あたりで買ってきた一個100円の
       土産をこう…(←土産を人差し指にかける)。
       例によってバカ面してよ、『ヨッ!おいちゃん、おばちゃん、元気ー!?』
       なんて言うだろ。するとおまえたちがスーっと立ち上がってよ、『やあ、まあ、
       寅さんよくお帰り…』てんで肩の一つもポーンと、叩いてやるだろ、
       そうすっと、あの寅のバカヤロウ、
コロッコロッして大喜び!!
       簡単なんだよなあ、こんな簡単なことがどういう……??」

すでに後ろに寅が立っている。(−−)

さくら、おばちゃん目で合図
おいちゃん「何だ?」
おいちゃん「え?」
おいちゃん「え?」
おいちゃん「え〜ッ?」
おいちゃん「え??」
左へ振り向く(寅は右の方へずれて見えない)
おいちゃん「バカおどかすな、そんな…!!あっ!いた!
       あ!!すいません!あの、おかえり」
寅「そう言やあ、このバカがコロコロ言って喜ぶのかい!」
おいちゃん「いいや…おめえ、そりゃ、そりゃ違うんだよな。なあ、おい」
おばちゃん「だから、言わないこっちゃないじゃないか」
さくら「あのねー、お兄ちゃん、今、おいちゃんたち…」
寅「いいんだ、いいんだ、分かてるんだよ!どうせオレがいねえ留守には
  このオレの悪口肴に茶でも飲んでるんだろう!?
  分かってるんだよ!でもな、つい、おいちゃんたちはどうしてるかな、と
  気になって寄ってしまうんだよ。ふっ!
  オレァほんとにオオバカもんよ!!」
さくら「違うんだってば!お兄ちゃん、」
寅「さくら、お前も
グルだとはオレ知らなかったょ!たとえ日本中の人間がみんな
  オレを裏切ってもだ!たったひとりの妹だけはこのオレのことをね…。
  今更そんなこと言ったって愚痴だよ!オレはもう二度と帰ってこねえよ!」


         



続く第8作「寅次郎恋歌」


ここでも、寅に対する出迎え歓迎作戦は見事に空振りし、連続三振してしまう。


さくら、社長に「お兄ちゃんが帰ってきたらみんなで優しく迎えてあげようと相談してたの」
おいちゃん「さくら、ここにいろ、オレたちは奥にいるから、寅が入ってきたらお前声だせな、
      オレたち奥からパーッと来るからな、みんないい芝居しなくちゃいけねえぞ」

寅が入ってくる。口笛で『ホッ、ホーホケキョ』
さくら、気づいて「お帰りなさい、お兄ちゃん」
寅「お前元気だったか」
さくら「うん、お兄ちゃんは」
寅「うん、おいちゃんたちは…?」
さくら「うんみんないるわよ。おいちゃん、おばちゃんお兄ちゃんが帰ったわよ」
おいちゃん「え!?寅が?いよーーわぁー!寅、おかえりいぃぃ!」
わざとらしく胸をパタパタ叩く
タコ社長走ってきて「やあーー!!」つまづいて、さくらたちをふっとばして転ぶ、おばちゃん腕を負傷。

これじゃ、いくらなんでもバレルよ(^^;)
                      
寅「なんのまねだい?」確かに(^^;)

おいちゃん「あれ、何のまねって、おめえ歓迎してたんじゃねえか」
寅「どうして俺を歓迎してんだい!?歓迎されたい気持ちはあるよ、
  だけどオレはそんな歓迎される人物かよ!」
おいちゃん「
クァゥィ〜〜〜ッ」 森川ワールド爆発(^^)/
寅「なんだぃ、クァーって…、
さくら、おめえ企んだな!?あんちゃん久しぶりにからかおうって
  言ってたろう!」
さくら「何ひねくれてんのよ」
寅「タコ、てめえはなんだ、え?こんな田舎芝居に一役買うようじゃ、仕事は払底してるな、てめえの
  工場はとうとう潰れたか」




              




このような寅の帰郷に際してのとらやの面々の愛情カラ回り。実は誰も悪くないし、
みんなそれぞれに気を使っているのにどうも上手く事が運ばないのである。



おいちゃん「
あー、いやだいやだ。オレはもう、横になるよ。
      おい、まくら、さくら取って、
      いや、さくら、まくらとってくれ、あーあー


(毎度お馴染みの枕ギャグ。それにしても、ものすごく頻繁に使われる。)


結局、寅自身もともと自分のなかにとらやの人々に対しての負い目があることが災いして
いつもギクシャクしてしまうのである。

つまり、寅があのようなフーテン暮らしをしている限り、堅気のとらやの面々との融合の刹那は
当然いろいろ噛みあわないのは当たり前なのである。寅がとらやに入りにくいのもこれまた当たり前。
寅の旅における日常そのものを、とらやの面々は当然認めていないのだから。

この寅の気持ちは実は私の気持ちでもある。
地の果てでたいして売れもしない絵を描いて、堅気の身内に心配をかけているこの身にしてみれば、
寅の立場は人ごとでは決してないのだ。


ああ…。いつまで続くこの漂白の日々…。


また明日


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長旅から帰った人へのいたわり    4月3日「寅次郎な日々」その133



いやはやバンコクから帰って、長旅の疲れでその晩はぐっすり昼まで寝てしまった。

飛行機という物は結構疲れるのである。時間的にも長いし、空中を飛んでいる
あのストレスが体を痛めつけもする。身動きが取れないのも辛い。

家族全員でバンコクへ行ったので、バリの自宅に帰ってきても、出迎えてくれる人も
ねぎらってくれる人もいない。まあ、ネコがみんなでお出迎えをしてくれたくらいか(^^;)
ま、留守中、前に住んでいるアグンライの家族が掃除をしてくれたり、ネコに餌を与えてくれてはいたが。


そういえば、「男はつらいよ」でも寅が長旅からとらやに帰ってくると、毎回さくらたちが
「お兄ちゃんお帰りなさい」と言っていろいろ世話を焼いてくれるのが私などは羨ましくてしょうがない。

この手の場面で私が今でも強く心に残っているシーンがある。

それは第12作「私の寅さん」で寅がとらやで留守番をして、九州旅行から帰ってくるとらやの面々を
迎えてやるシーンだ。
つまり、いつものパターンとは全く逆で、寅がさくらの立場になり、さくらたちが寅の立場になっている
ところが実に面白い。

いつも寅が長旅から帰ってきて、みんなにどのようにねぎらってもらいたいのか、どのようにいたわって
もらいたいかが如実に分かるユニークな場面だった。

寅は、風呂を沸かし、ご飯を炊き、シャケの切り身のおかずを作り、お新香を山盛り盛り付け、
座布団を敷き、ちゃぶ台を拭いて、みんなを迎えるのである。


寅「えー、何してんだろうなおいちゃんたちは遅いなー」
  よし!おまえ、あのー、風呂場の湯加減見てくれ、な」

源ちゃん「へい」

寅「うん」

てきぱきと、茶碗などが置かれたテーブルを拭く。

エプロン姿のタコ社長にご飯を炊かせ、お新香を切らせる。
社長も見事な包丁さばきでリズムよく手伝っている。
源ちゃんもあまり役に立ってないかもしれないが手伝っている。




          




寅曰く

寅「長旅から帰ってくるとシャケの切り身かなんかでお茶漬けをさらさらっと
  食いてえからなあー!
  あ!お新香はな、たっぷり出しておいてやってくれよ!!」
  旅館の飯ってのは味気なくっていけねえや。
  長い旅してるとほんとお新香がくいてえーからなー」

そして茶の間に座布団を人数分敷く寅。
いろいろ細かいところに気を配っている。

寅「お、源公!ヤカンにな!お湯を沸かしといてくれぃ!」
源ちゃん「へい」
寅「さてと、部屋の中は片付いたぁー!」

茶の間の上がり口に座って

寅「久しぶりの長旅から帰ってきて家の中がカッ散らかってると
  気分が悪いからなー、なあ、社長」

白菜切りながら社長「 んー!」

寅「いずれそのうちにその入り口からおいちゃん、おばちゃん、さくらがよ、
  こんな大きな荷物を抱えて、『あーあー、くたびれたくたびれた、家が一番いいよー』
  なんて言って帰ってくるんだよねー。

  その時の、この迎える言葉ってのが大切だな。
  『あ、お帰り疲れたろう?さあ、上がって上がって』ねー!
  熱い番茶に、ちょっと厚めに切った羊羹のひとつも添えて出す。
  ホッと一息いれたところで、『風呂が沸いてますよ』っと手を差し出す。
  長旅の疲れを、すっと落とす。

  (風呂から)出てくる。

  心のこもった昼飯が待っている。ねー!
  温かいご飯!しゃけの切り身 山盛りのお新香、 
  『どうだい、旅は楽しかったかい…?』
  たとえこれがつまらない話でも『面白いねー』って聞いてやらなきゃいけない。
  長旅をしてきた人は優しくむかえてやらなきゃナー…」


しんみりとさせられる
美しい寅のアリアだった。


寅はいつもとらやのみんなにこのような出迎えをして欲しいのだ。
今回は逆の立場なので、ここぞとばかりに自分のしてほしいことを
さくらたちにしてやっているのだろう。

もちろん寅の場合は何の予告もなくいつも突然帰ってくるし、さくらたちの
日常生活だって予定というものがあるから、今回の寅の気配りのようにはなかなか
うまくいかないのは当たり前なんだけれども、寅にはそこの理屈は分からない。


そしていよいよみんなが帰ってきたら、緊張してあわてふためく寅。

寅、指でいろいろチェックして
「よし!」っと風呂のほうへ

さくら「ただいまー」
おいちゃん「帰ったよー!!」

社長「おかえりー」

さくら「どうもいろいろお世話様でした」
社長「楽しかった?」
博「お陰さまで」

おばちゃん、すごく嬉しそうに腰掛けて
「あー、やれやれどっこいしょっと、あー、やっぱり家がいちばんいいねー」
っとみんなで顔を見合わせ笑いあう。


これは寅の予想通りの展開!さすが。


おいちゃん「おい、寅どおしたんだよ、寅」
社長「あー、いるよ」
さくら「お兄ちゃんー」っと台所の方に歩いていく

社長がおいちゃんたちに事の仔細を身振り手振りを交えて説明する。



さくら台所まで来て「あら?どーしたのこれ?」
っとシャケの切り身の皿とお新香の皿を持つ。

急いでお風呂に行き驚くさくら。

寅が下を向いてお湯をかき回しているのだ。


さくら「お兄ちゃんただいま…」
っと寅のそばまで行き背中に手を触れる。

寅「うん」

台所で炊飯器の蓋を取ってごはんができてることに気づくおばちゃん

さくら「お風呂も沸かしといてくれてたの」
寅、下を向いて照れ、ひたすらかき混ぜながら「早く入れよ」

さくら、「ねえ」っとみんなを呼ぶ

おいちゃん「寅!いま帰ったよー!」と駆け寄ってくる
おばちゃん「ただいま!たいへんだったね寅ちゃん!」
博「ただいまかえりましたよ!」
社長「寅さーんみんな帰ってきたぞー!!」

寅の服の袖がお湯で濡れているのに気づき袖を捲くってあげようとするさくら。

寅、照れて払いのける


満男「ただいまー、寅さん」

寅「おかえり」っと、微妙に照れている。

もう、お湯をかき混ぜっぱなし(^^;)

おばちゃんも事情がわかって微笑む。
おいちゃんも博も寅を見つめている。

みんないい表情!この時の寅は至福だったに違いない。


さくらは、この寅の気持ちに胸を打たれ寅を見つめ続ける。


前の晩の究極の寂しさから一転して最高の幸福に変わった寅。
こんな寅の至福の顔も、こんな嬉しそうなさくらの顔もめったに
見られない。この場面は地味だが、寅のことをきっかけにとらやの
人々の気持ちがひとつになるなんともいえない優しい空気漂う場面だ。
男はつらいよ屈指の名場面だと断言できる。





           





まあ、私にはこのような幸せは一生縁がないのだろうなあ…(TT)



また明日


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チャルメラ、石焼いも、みちのく卸売りセンター   4月2日「寅次郎な日々」その132



昨日4月1日にバンコクからバリに戻ってきました。今日4月2日からまた寅次郎な日々を再開します。



おばちゃんは時としてエンエン泣く時がある。メロン騒動の
泣きは今でも頭にこびりついている(^^;)

以前にも書いたが私はこれを『チャルメラ泣き』と勝手に呼んでいる。

名前の由来は第28作「寅次郎紙風船」で、寅が無神経にも、光枝さんとおばちゃんの泣き声を
比べてたとえたのが事の始まり。

夜鳴きそばのラッパが遠くで聞こえる中、光枝さんとの哀しい回想シーン
をしんみり伝えている時

寅曰く「いい女が泣くと笛の音に聞こえるんだな、
    おばちゃんが泣くと夜鳴きそばのチャルメラに聞こえるんだな」

おばちゃん、怒りと泣きが入り混じって号泣。
外で鳴っている夜鳴きそばのチャルメラのメロディに合わせて泣いてしまうから面白い。
三崎さん…ご苦労様です(TT)



          



その直後、タコ社長みんなで一致団結して解決しよう!って立ち去った後

鐘の音が『ゴ〜〜ン』

この一連の効果音のタイミングが抜群だ。



第18作「寅次郎純情詩集」では寅が上流階級の夕食を事細かに再現した後、
外で『焼きいも〜、いーし焼きいも〜』の声。その奇妙なコントラストが実に面白い。

このようにとらやの外の音が中の人々の人間模様とからまってさりげなく
おかしみを作り出しているのがこのシリーズの特徴でもある。


第8作で、明日は何かいいことありそうな
チョンチョンチョン、『ゴ〜〜ン』

マドンナの貴子さんと初めてで会う題経寺の境内。寅、ハッと顔を見つめて
『ゴ〜〜ン』



11作でも『ゴ〜〜ン』ときた後、
寅「ああ〜、鐘の音かあ、貧しい人たちが眠りにつくんだろうなあ」


第15作でも
寅「オレが温めてやろうかいつものように」
リリー「そうして…」
寅、おばちゃんを押しのけて「ほらどけて」
一同緊張してシーン…
『ゴ〜〜ン』

第9作でも今夜はなんだか未来の幸せについて
しみじみ考えてみたい気持ちだなああ」
『ゴ〜〜ン』
「♪いつでも夢を〜、いつでも夢を〜」

この鐘の音はこのシリーズの効果音のメインに
位置づけられるほど頻繁に使われている。



私が勝手に『お茶の間3大効果音』と呼んでいるものがある。
『鐘の音』『踏み切りの音』『柱時計の音』
の3つである。この3つが茶の間で最も頻繁に使われている。


また、清掃車のあのオルゴールのメロディも昼間のシーンで
実に頻繁に使われている。
また、夕方は豆腐屋のラッパ『パープー』

歳末には商店街のマイクから流れる『ジングルベル』や『きよしこの夜』
歳末助け合いの呼び声。



鐘の音がどちらかというと「合いの手」的な要素で入るのに対して、
緊張感のある場面でさりげなく使われるのが踏み切りの警報機
『カーンカーンカーン』である。


第8作で
マドンナの貴子さんが後家さんかどうか決まったわけじゃない、という内容を
タコ社長から言われた後に、寅が呆然とし、青い顔で2階に上がっていく時、
『カーンカーンカーン…』
この音によりその時のとらや一同に広がる緊張感が増幅されていた。


第16作では
マドンナの礼子さんに褒められた後、
寅「お兄様だってよ」とニヤついた時、
『カーンカーンカーン…』


第19作でも
寅がマドンナの鞠子さんを東京中歩き回って探すことを決意し、ぶつぶつシュミレーション
しながら2階に上がる時に『カーンカーンカーン…』


第27作でも
大阪からふみさんのことを想い帰って来た寅が、さくらたちにふみさんとの切ない回想シーン
を再現して、ため息をつき2階へ上がる時『カーンカーンカーン…』


効果音の番外編として最も印象深かったのが、第41作「寅次郎心の旅路」で坂口兵馬が
ローカル線の線路の上で自殺未遂をやらかしたシリアスなシーンの直後にひょうひょうと横を通る
『みちのく卸売りセンター』のかわいいひょうきんな車の宣伝の声だ。見事なコントラスト。
あのタイミングは絶妙だった。


まいど〜、おひきたてをいただいてええ〜おります、みちのく卸売りセンターは、…』
『ああ〜〜なたの暮らしにハイセンスな香りを、ヨーロッパの家具大バーゲンセール』(^^;)




          





また明日




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