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寅次郎な日々

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ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。



                 

第41作寅次郎心の旅路そのA  「故郷のかたまり」2006,11,30)

第41作寅次郎心の旅路その@ 「湯布院だろ、遠いよやっぱり」2006,11,28)

第40作寅次郎サラダ記念日そのA インドの通りゃんせ」2006,11,25)

第40作寅次郎サラダ記念日その@ 雲白く遊子悲しむ」2006,11,16

第39作寅次郎物語そのA 人間は何のために生きるのか」2006,11,16

第39作寅次郎物語その@「たった一度の人生を無為に生きる男」2006,11,13

第38作知床慕情 「店番奮闘記&偽札騒動」(2006,11,9 

第37作「幸福の青い鳥 これ、おつり、渡してあげて… (2006,11,8)

第36作「柴又より愛をこめて 」 From Shibamata With Love(2006,11,1)

「男たちの旅路」 吉岡晋太郎の生き様 その2(2006,10,2

あなたにも神のお恵みがありますように(2006,10,21)

真実一路の旅をゆく(2006,10,13)

「男たちの旅路」 吉岡晋太郎の生きざま(2006,10、12)(

警視庁捜査一課 今西刑事よ、永遠なれ(2006,9、27)

「二十四の瞳」と「二十三半の瞳」(2006,9、22)

『秋刀魚の味』と『晩春』(2006、9、21)

『晩春』と『夕焼け小焼け』(2006,9,6)

関敬六さんの背中(2006,8,24)

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第41作寅次郎心の旅路そのA  「故郷のかたまり」

11月30日寅次郎な日々その263 


ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品をご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




第41作「寅次郎心の旅路」は寅がウイーンに行く話。
しかし、やっぱり寅とウイーンは似合わない。無理がありすぎる。
シリーズもこのあたりになってくると、なんとか目新しいことを取り入れなくては
続かなくなる。苦肉の策ともいえる外国ロケだった。
しかし、そこは地力のある山田監督、見せ場をやはり作ってくれた。


久美子さんは、ドナウ川のほとりで寅のことをこう言う。

「寅さんって『故郷のかたまり』みたいな人」

寅は実は少年期からすでに故郷を捨てた男。だからいつも胸に
懐かしい故郷の想いを秘めて旅をしている。
故郷にどっぷりつかっている人であったならば、ああはならない。
故郷と自分が一体化しているので故郷を想わなくていいからだ。
故郷に帰れないからこそ、故郷のかたまりに見える。

寅の心の中にある江戸川の風景。
久美子さんの故郷も長良川のほとり。

その寅の心と久美子さんの望郷の念がシンクロしたのだ。


「何かわけがあったのか?こんな遠い国へ来たのは…」

この言葉は、日本を離れて十数年、こんな地の果てに隠遁して暮らす私の
望郷の念ともシンクロして、目頭が熱くなってしまった。
故郷に帰りたくても帰れないあの久美子さんの
ぼろぼろ流した涙は、私の涙でもあった。



寅は言う。

その海をずーぅっと行くと、オレの故郷の江戸川に繋がるわけだ…





          




寅は、とうとうと流れ行く美しき青きドナウを眺めながら
腕を組んでゆったりと歌いだす。

なんと「大利根月夜」である。


「♪…あれをごらんと、指さぁ〜すかぁたあーにぃ〜とくらああ、
 利根の流れのぉ〜、流れぇ〜月〜、てねぇー、
 昔、わろおてぇ、眺めたつぅ〜きぃ〜もぉ〜…」



望郷の念を思い起こさせる静かないいシーンだった。
外国で暮らす日本人や故郷を遠く離れて暮らす人々にとって
あのシーンは目が潤んでしまったことだろう。




           








ところで、余談だが、ウィーンロケに渥美さんの仲間である関敬六さんも
プライベートで同行したそうだ。
それでウィ―ンロケにもきちんと後姿とは言え、
飛び入りで映っていて、おまけにセリフまである。


こういう隠されたサプライズゲストを探すのは実に面白く、ワクワクする。
お暇な方はウィ―ンロケのどこで出てくるか見つけてみてください。
結構すぐ見つかりますよ。



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262


                          
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第41作寅次郎心の旅路その@ 「湯布院だろ、遠いよやっぱり」

11月28日寅次郎な日々その262 


ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。




第41作「寅次郎心の旅路」でのマドンナは美しいヨーロッパガイドの久美子さん。
しかし私にとってこの作品で印象深い人物は坂口兵馬。この時の柄本明さんは見事だった。
これは第29作「あじさいの恋」の作次郎の弟子、近藤さん役を上回る当たり役だった。


ノイローゼになったサラリーマン坂口兵馬が
東北のローカル線「くりはら田園鉄道」で自殺を図るが
間一髪あと30センチ!のところで電車は止まる。
その時、たまたま寅が乗っていて、死にそこなった兵馬にこう言うのである。

寅「おい、死にぱぐっちゃったなあ…、え、またそのうちやりやあいいや、な、
  立てられるか?よし、おう立った立った、おう、つかまってつかまって


相手を責めるのでなく、相手に逃げ場を与えて
やるこの語りは、人の悲しみを知っている寅だけが言える優しさだった。



         
笹野さん、髪の毛掴まれて(TT)
        



あのシリアスなシーンで、『みちのく卸売りセンター』の
ヨーロッパ家具輸入フェアーの車が可愛い感じで
通過しているのがなんとも可笑しい演出だった。

『あ〜〜〜なたの暮らしにハイセンスな香りを、
ヨーロッパの家具大バーゲンセール!』




宿に移って兵馬が寅に打ち明ける

兵馬
僕…病気なんです…

寅「
う…、うつるの?(^^;)


未だに落ち着かない兵馬に寅はこう言う。

桶にね、お湯を汲んで何杯も何杯もこうやってかける、わかったな

これも味わいのある言葉だ。僕もなにか悩み事のあるときはそうしようと思っている。



そして寅はこうも言ってやる。

寅「
死ぬまでガツガツガツ働くこたあないんだよ、えー、黙ってたっていつか
  死ぬんだから




そんな寅を敬服し兵馬はこう訊ねる。

兵馬「
あなたはどういう方なんでしょうか」

寅「そうよな、まあ、一言で言って旅人。
  家業でいうと渡世人といったところかな



兵馬「旅人かあ…いいなあ〜〜


寅「ははは、いいことばっかりはありやぁしねえよ。
  でもこらしょうがねえや、な、テメエが好きで入った道だから」


兵馬「あなたにとってなんでしょうか生きがいというのは」

寅「
そうさなあ、…旅先で、ふるいつきてェようないい女と巡り逢うことさ、フフフ



           



兵馬「これからどちらへ」

寅「まだ決めてない決めてない」

兵馬「いつ決めるんでしょうか」

寅「
えー…、そうさなあ…これから宿を出て、それから吹く風に聞いてみるさ

兵馬「風に聞くか、いいなあ…」


         



宿を発ち、

兵馬は寅にウイーンに行きたいと申し出る。

寅と一緒に行きたいと。

兵馬「少し遠いんです、ウイーンです」

寅「
ああ、湯布院か…あれは遠いなあ

兵馬「いえ、ウイ―ン!なんです」

寅「
うん、湯布院だろ、九州のな、知ってるよ、遠いよやっぱり」(^^;)



        




まあ、この一連のシーンの二人のやり取りの豊富なこと。
中身の濃い会話や渋い語りがポンポン出てくる。


これを会話の妙、充実と考えるのが」は妥当だとは思うが、

実は…ふと、もうひとつの考えが頭をよぎる。


物語の最初にこのように一気にカッコいいセリフ、美味しい言葉で
トントンと寅と言う人間を説明してしまうということはある意味、「物語を紡ぐ作業」
からは乖離し
てしまう危険性が出てくるのではないか…。

初期の頃や十作台の物語にもこのようなカッコいいセリフや語りは、
あるにはあるが、物語の中でタイミングよくバランスよく語られていた。

最初にまず物語がある。そしてその物語の中でこそ必然的に忘れられない言葉が
生まれるのだ。

ふくらみのある物語のなかでこそ言葉は輝き生きることは自明である。

まあ、それでも何はともあれ、寅のこの一連のセリフはなかなかよかった。

それもまた事実である。
渥美さんの語り口の冴えを聞くことは何ものにも変え難いのだ。




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第40作寅次郎サラダ記念日そのA 「インドの通りゃんせ」

11月25日寅次郎な日々その261 




由紀ちゃんを探すため早稲田の西洋近代史の講義に紛れ込んだ我らが寅。

Industrial Revolution = インドの通りやんせ
イギリスの蒸気機関を発明したワット = 平戸出身のワット君(良介)

と聞こえる寅が早稲田の杜にやって来て、大爆笑を巻き起こす。



教授「あなたにはワット君という友人がいるのですか?」

寅「うん、いるよ」

教授「やっぱり、イギリス人?」

寅「何言ってんだろうな、非常識だねえ〜。
  日本人に決まってるでしょ、
  
宮城県出身!!!
  なんにも分かってないんだから、ねえ」

ちなみに宮城県はワット君を演じた中村雅俊さんの故郷。
だから長崎県平戸と言わなかったのは楽屋オチのギャグです。


学生たちは寅のオーラとその語りの上手さに聞きほれ、大いに盛り上がる。
教えていた教授までも一緒に惚れ惚れと聞き入ってしまう。
寅というのはほんとうに不思議な人だ。知らない間に人々を魅惑してしまうのだ。



          





このシーンは
私にとって、懐かしさと共に感慨が深くなるのである。

この「西洋近代史」の講義が行われているのは本部、(おそらく6号館の)402教室だという設定なのだが、
実は私が自分の人生に決定的な影響を与えてくださった恩師の坂崎乙郎教授の講義『芸術学』を
毎週受けていたのが、この6号館のあのあたりの4階の視聴覚機材のある教室なのである。
あの教室にも視聴覚機材があった。スライドが使えるように窓にも黒いカーテンがセットしてあるのが
作品のスクリーンの端に見えたので、正にあの教室かもしれない。…か、もしくはその隣か…。まあもっとも、
あのあたりの部屋はだいたいどれもあのような形ではあったが(^^;)

まあ、だいたいあたりだったのは確かだ。



          
由紀ちゃんの横に見えるのが本部の6号館
           


坂崎乙郎先生は、実は私とは学部が違うのだが、私の聴講の申し出を快く承諾してくださり、
結局大学1年から4年まで、そして卒業してからも時間をやり繰りして5年間ずっと、
講義を受け続けた。坂崎先生はその次の年に57歳で急死されてしまったので、私たち学生は
坂崎先生の最後の教え子だった。

先生は1時間半の講義時間を必ず毎回越えて講義してくださった。
それも20分や30分超過でなく、1時間以上必ず超過し、3時間くらいになる日も決して少なくなかった。
講義を少し短く終わる教授は腐るほどいた、っていうかほとんど全員そうだった。だから毎回講義を
3時間近くもされる変わった教授は私の知っている限りでは坂崎先生以外一人たりともいなかった。
教授たち全員が休講する野球の早慶戦の日でさえ坂崎先生は休まず、情熱的に講義をされた。

もちろん坂崎先生は画家ではなく、美術評論家なので当然絵画の技術的なことは教えなかったが、
絵を描くとはどういうことか、絵を見るということはどういうことか、そして画家として生涯を貫くと
いうことの厳しさと喜びと、なによりもその絶対的な孤独を全身全霊で伝えてくれた。決して左脳的な、
概論のごとき眠くなるような講義は1日たりともされなかった。1日たりともだ。

そういう意味でも非常に特異な講義だったと、今でも思う。坂崎先生と出会わなかったら、私は今、
絵の道には進んでいなかっただろう。


私がこの第40作「寅次郎サラダ記念日」を自分のベスト24作品になんとか滑り込ませたのも、
潜在意識の中にこのような個人的な思い入れがあるせいかもしれない。
私は、ただの「私人」なので、そのような身勝手な作品の選び方があってもいいと思っている。
百の人がいたら、百の想いがあるのだ。

あの机、あの壁、あの窓の形、そして窓の下にはあの演劇博物館が見えるのだ。
懐かしくないわけがない。あの風景は私の青春そのものだったのだから。


      由紀ちゃんの向こうに見えるのがエンパクこと、演劇博物館

         




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第40作寅次郎サラダ記念日その@ 「雲白く遊子悲しむ」

11月21日寅次郎な日々その260 



小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む



島崎藤村が明治38年に発行した「落梅集
の中の『小諸なる古城のほとり』である。


小諸の女医である真知子さんの姪の由紀ちゃんは、
この詩の中の「遊子」は寅のことだ、となかなか味のあることを
言っていた。後にとらやで満男も遊子とは伯父さんの
ような人のことだ。と言ってもいた。



          



私はこの詩がしみじみと好きだ。漂泊の旅を愛し、もの哀しいなかにも、
ゆったりとした旅人の人生がそこに存在する。見えない明日を嘆くより、
今日の酒に酔いたい…。そういう風に感じられるのである。

旅の悲哀と自由。これをこんなに臨場感溢れる形で謳いあげた詩は
めったにあるものではない。
この「サラダ記念日」が後期の中でも好きなほうの部類に入るのも
この藤村の詩と寅が重なるからである。

もっとも寅にとっては自分は「遊子」でなく「勇士」らしい(^^;)
真田十勇士、猿飛佐助、爆弾三勇士(^^;)など危なっかしい
想像しか出来ないようである。これはとらやのおばちゃんも
同じセンス(^^;)




ところで、私はこの物語の中でとても好きな場面が一つある。


ラスト付近で小諸病院の院長先生であるすまけいさんが
真知子先生を説得するシーンである。


末期医療のことや、自分の息子との同居のことで悩む真知子先生。
小諸病院を辞めて、しばらく自分を見つめ直したい、先のことをじっくり考えたいと
申し出た真知子先生を院長は真剣な顔で一喝するのだ。

院長「自分を見つめたいか…、結構ですねえ。寅さんの言葉を借りるなら、
  結構毛だらけ猫灰だらけだ。その程度のことで辞められたら、医者が
  何人いたって足りませんよ。こういう土地じゃね。

  いいですか、この病院はあなたを必要としている、
 それが何よりも大事なことで、あなたが抱えている問題などはたいしたことじゃない。
 子供と会いたければ呼び寄せればいい。
 悩み事があるのなら働きながら解決すればいい。
 そうやって苦しみながらですね、この土地で医者を続けていくことが、
 自分の人生だってことに、あなたど、どうしてその確信が持てないん…ですか。

 東京の郊外のお母さんの家で花でも眺めながら休息の日々を送る。そのうち縁談が
 あって、瀟洒な病院の奥様に納まる。
 そんな人生があなたにとって幸せなんですか。…ちっとも幸せなんかじゃない!」



院長を見つめる真知子先生。


看護婦がドアを開けて、患者の様態の急変を告げる。

席を立つ真知子先生。


この時彼女はすでにこの地で医師を続ける決意に溢れた目をしていた。


後期のこのシリーズの中では珍しく、人生に深く踏み込んだシリアスな発言だった。




         




人間は新しい行動に対して迷う時、前もって、やらない理由とやる理由が密かにその心に用意されている。
そして、実際は、やらない人はやらなかった後で、やらない理由のリストの中から適当にみつくろって
それを自分の言い訳にする。
やる人も同じようにやる理由を実際はあとで適当に自分の心のリストから選んで、勝手に納得する。
本当は、理由が最初にあるのでなく、意外にも生理的な『行動』が先にあるのである。

結局、自分の人生の扉を開ける人は蹴飛ばしてぶち壊してでも開けるということである。

真知子先生は、おそらく全てのハンデや苦悩を抱えながら、人生の扉を蹴飛ばし、それでも
だめなら体ごと体当たりでぶち当たって扉を壊して開けていったに違いない。
だから、彼女は院長に説得されたから、医師を続けていったのではなく、何ヶ月か東京に戻って
迷い、考えたあげく、最後はもう一度自分自身で小諸病院に戻り、医師を続けたとは思う。

しかし、院長のこの爆弾発言のおかげで、今後1年分くらいの彼女の迷いと紆余曲折を一気に
吹き飛ばしたのも事実だ。これによって心身ともに救われた患者は多いと思う。
時間の短縮!えらい院長!

もちろん、院長先生が真知子先生に
惚れてるのは疑う余地がない(^^)


しかし、やっぱりすまけいさん、感動させるだけじゃなく、
ラストで笑わせてもくれた。


一人もんの医院長、正月は飲み屋も食堂も休みで地獄だそうだ。で、

医院長「しかたねえから、コンビニエンスストア…っての行って、一人用おせち料理
     っての食ったけど、不味くて涙が出ちゃったァ」(TT)


ちゃんちゃん。




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第39作寅次郎物語そのA 「人間は何のために生きるのか」

11月16日寅次郎な日々その259 




この子の命が助かるのなら女断ちます。

寅の願いと隆子さんや松村おいちゃん医者(耳鼻科(^^;))
の奮闘もあって秀吉の熱は下がる。


そのことをきっかけに隆子さんは自分の人生を見つめなおし始める。


淡路島で生まれ、各地を転々とセールスをして生きてきた隆子さん。
小さな車に乗って八木、五条、橋本…そんな旅がずっと続く…。
今までの旅から旅の孤独な人生を嘆き悲しむ。

「私粗末にしてしまったのね、大事な人生なのに…」
と泣きくずれる隆子さん。

寅は「大丈夫だよ、まだ若いんだし、な、これからいいこといっぱい
待ってるよ、な…」

そうね、…生きててよかった…。そう思えるようなことがね
と泣き続ける隆子さん。



         



ほんとうは、秀吉くらいの子供がいたはずなのに…、独りで子供を産むことを
覚悟できなかった隆子さんの深い悲しみは寅に理解できたのだろうか…。

この隆子さんの言葉は、ラストでもう一度寅の言葉として出てくる。


満男「おじさん」

寅「なんだ?」

満男「人間てさ」

寅「人間? え、人間どうした?」(^^;)

満男「人間は、なんのために生きてんのかなあ…」

寅「
なんだおまえ、難しいこと聞くなあ…
 えー…、うーん…、なんていうかなあ…、ほら、
 『あー、生まれてきてよかったなあ、っていうことが
 何べんかあるじゃねえか、ね。
 そのために人間生きてんじゃねえのか?


満男「ふーん…」


           なんていうかなあ…、ほら
         




寅「そのうち、お前にもそんな時が来るよ、な、ま、頑張れ、な」


隆子さんから寅へ、そして寅から満男へ、言葉は受け継がれていく。


ちなみに寅は、伊勢二見ヶ浦でお気楽ポンシュウに同じ質問をしてみる。

ポンシュウ「なんのためかなあ???」

寅「ダメだダメだダメだ。いいいい、おまえの頭だから考えなくていい」…だね(^^;)


ちなみにこのラストで私が好きなのは
すまけいさんの『風船が手から離れた芸』である。
あれは誰もがするベタな芸とはいえ、さすがになかなか上手い(^^)


この「寅次郎物語」は、御前様がいみじくもおっしゃったように
仏様が寅の姿を借りて淋しい秀吉を助けられた物語である。

御前様は、こうも言う。

「仏様は愚者を愛しておられます。もしかしたら、私のような中途半端な
坊主よりも寅の方をお好きじゃないかと、そう思うことがありますよ、さくらさん」

ひたすら愛を与えることだけを生きがいとして、愚かだが無欲に生涯を貫いていく
孤独な寅の真骨頂がこの言葉に集約されていた。
さすが御前様は人間を見ている。

その言葉ををさくらから聞いた寅は
「冗談じゃねえや、仏に好かれたっていい迷惑だい」

いいねえ〜、寅って。ポーンと弾けてるんだよな。
これだからこの映画は止められないんだ。


ちなみに御前様は源ちゃんのことを『あれは愚者以前です、困ったァ〜』っとギャグで嘆いていたが、
私に言わせれば、源ちゃんも仏様にとても愛されている人だと時々ふと思うのだが…。

この感覚おかしいでしょうか?みなさん。



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第39作寅次郎物語その@「たった一度の人生を無為に生きる男

11月13日寅次郎な日々その258 


『寅次郎物語』で秀吉と母親探しの旅に出かけた寅は天王寺駅の派出所でお巡りさんに
子供誘拐の疑いをかけられ大阪に泊まる羽目になるのだが、なぜか天王寺のそばの
新世界にある定宿の『新世界ホテル』には泊まらないで、お巡りさんに世話してもらう。
寅はあれでもなかなか宿の条件が厳しいのである。

ビジネスホテルはダメ。

ベット
小さな風呂
腰掛ウンチ

これらは全部ダメ(^^;)

狭くてもいいから畳の敷いた宿がいいと言う。

それ以外にも注文が多い。

女中さんが夜の十時ごろになると『ウチパートやさかい帰ります』
というようなところやめては欲しいということ。

寅は寝る前に熱燗でキュ〜〜っと一杯やりたいらしいのだ。
おかずは最低『イカのしおから』
女中さんのランクは
寝巻きの上に色っぽい羽織なんかちょっとひっかけて、お盆片手に
スーッと入って来る。

「お待ちどうさま」
「いやいいんだよ、こんな遅く悪いねえ」
「いいのよ、どうせ私宵っぱりだから。さ、おひとついかが?」
「うん、じゃ、もらおうか」
「おまえもどうだい一杯?」
「あ、そう、うれしい。じゃあ、いただいちゃおうかしら」

上記のような厳しい条件付で、かつ
一泊千円の宿を所望。

お巡りさん大笑い(^^;)



                 



で、形だけ畳であとは全部裏目のうらぶれた宿に結局泊まる。

ヤクザもんであった秀吉の父親『般若の政』の位牌をテーブルの上に置き、
カップ酒を供え、

寅「釈善政か…、フン、何が『善』だい、フフフ…、悪いことばっかりしやがって、
  どーせ今頃は地獄の針の山かなんかでもってケツかなんか刺されて『イテテテテ』
  なんて言ってんだろう。フ…。

  どんな人間でも取り得がある。悲しまれ惜しまれ死ぬんだよ。
  おまえが死んだって、悲しんだのはおめえ...サラ金の取立て人だけだったっていうじゃねえか、
  ったくもう…情けねえな…。たった一度の人生を、どうしてそう粗末にしちまうんだ。え?
  おまえは何のために生きてきたんだ?

  なに?てめえのこと棚にあげてる?? あたりめえじゃないか、そうしなきゃ、こんなこと言えるかい」
  



              



般若の政の人生は、そっくりそのまま実は寅の人生でもあるのだ。寅は自分に向かってしゃべっている。
そして今これを書いている私自身も寅の言葉を借りて辺境の地に棲む自分のどうしょうもない無為な人生を
吐露しているのかもしれない。

それにしても寅は優しい。秀吉を連れて母親を探す長い旅にでてやるなんて、さくらもおばちゃんもしない。
確かに児童相談所の人がさくらに言っていたように秀吉を行政に任せることは正論だが、
人が人に連れ添ってあげる人の世の情けは何にもまして大切だ。

寅のやったことは間違ってはいない。危なっかしいが、あれで正解だと思う。


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第38作知床慕情 「店番奮闘記&偽札騒動 」  11月9日寅次郎な日々その257 


『知床慕情』は北の大地で育んできた静かな恋を真正面から謳いあげた
スケールの大きな
物語である。
このシリーズ久々の、『物語の展開』で見せる名作である。

私ははまなすの悦子ママが、獣医である順吉の告白を受けて顔を手で覆って泣いてしまう
あのシーンが大好きである。まるでお互い初恋のような初心なふたりのあり方が美しかった。
淡路恵子さんの演技は冴え渡り、あのクライマックスでは、私も眼が潤んでしまった。

しかし、この映画は、それだけではない。
寅とあけみのギャグも冴え渡っている。
やはりこの映画は喜劇でもあるのだ。

私の好きなギャグ場面は2箇所。

まずは物語の序盤で病気で入院したおいちゃんのかわりに寅が店を手伝おうと
奮起するシーンだ。

いつもは勝手気ままなあけみも、とらやの危機にはちゃんと手伝ってくれて
実によく働いていた。
こういう時のあけみは頼りになる。あけみは困っている人には心底優しいのだ。

そして問題は跡取りの寅…。




        



とらや 茶の間

寅「大黒柱のおいちゃんが病気で倒れて、家中で力をあわせて
 働かなきゃならねんじゃないか。どうしてオレ一人ぶらぶらしてなきゃ
 ならないんだい。え、まがりなりにもオレはこの家の跡取りなんだよおまえ」

と、口だけはとりあえず達者。

それに対してあけみはこう言う。

「なにやんの?寅さん」

「なんでもやるよ、やるってったらオレなんでもやるからな、うん」

と、とりあえず見栄を切ったものの…。

このあと、但し書きがどっさり付く。

寅「あ、ただしね、その、団子こう丸めんのだめなんだよ、あれ、手の平
 くちゅくちゅやってるうちに体中痒くなっちゃってさ、あれ以外の
 仕事ないかな、なんか」

あけみ「丸めんじゃなくて、串に刺す仕事は?」

寅「あー、串ねえ…、オレあのとんがった串見るとねえ、スーッと
 自分のメン玉プスーーっと突き刺しそうな気がするんだけど。
 はあー、どういうのかなそういうのって。他になんかないかねえー」


              プスーーっと
        




さくら「いくらだってあるわよ、アンコ練る仕事だってあるし」

寅「アンコかあ〜…、アンコねえ、オレあれ臭いかいだだけでねえ、
  吐きっぽくなっちゃうんだよ。なんかこう、パーッとこう風通しのいい
  ようなとろで働けねえかなあ…」

あけみ「じゃあ、配達は?」

寅「ん?」

さくら「あー、それはいい」

あけみ「ねえ、自転車乗ってね、パーッと走んの」

寅「自転車?」

さくら「うん」

寅「…って漕ぐの?」

さくら、頷く。

寅「あれ、だめなんだー、オレすぐ股ずれしちゃってな。
  ツーーッ、なにか他にねえかなあ」

博「じゃあ、ここで、帳簿でも付けてたらどうですか、
  収入とか支出とか…。あー…無理か…」(^^;)

寅「…無理でしょう」(^^)

おばちゃん「だったらさあ、掃除するとか、お茶を出すとか、
       なんだってあるだろ」

寅「おばちゃんよ、オレはなあ、かりそめにもこの家の跡取りだぞ。
  なんでオレが
茶坊主みたいな真似しなけりゃいけねえんだい」

おばちゃん「なんでもするって言ったじゃないか」

寅「茶坊主をするとは言わねえじゃねえか!」

というわけで、さくらが最終提案。


さくら「そいじゃあ、お兄ちゃん帳場にじっと座ってたらどう?」

寅「座っててどうするんだ?」

さくら「金庫番。お金の出し入れしたり、電話を受けたり」

そんなことで働いたことになんのかい?」

さくら「大事なことよ〜、お客さんがお店に入ってきて、
  帳場にその店の主人がデンと座っているのを見たら、
  『あー、ここはちゃんとしたお店だな』って、そう思うでしょ。
  おいちゃんだって、いつもそうしてるじゃない。『オレはここに
  座っているのが仕事なんだ』って、いつかもそう言ってたわよ」

博「なるほどね」

あけみ「寅さん、きっと絵になるよ。デーンって座ってたら」

寅「そうか、絵になるかなあ」

あけみ「なるなる!」

寅「そうか、フフ。『あーこれ、姉や、お客様がお勘定だよ』
  こんなふうにか、フフ」

あけみ「そうそう」
そうそうって(^^;)

寅「ヘヘへ」

おばちゃん、あくび。(^^;)

寅「おばば、おばば、あくびなどしてる暇があったら、
 店先に水でも撒きなさい。お天気続きで埃がたちます。
 あ、お客様、もうお帰りでございますか。またのおいでを
 お待ち申しております。
 これこれおなご衆」

あけみ「フフ、ハイ、旦那様」

寅「暇なうちに、ご膳をすませてしまいなさい。無駄なおしゃべりなどを
  しないで、さっさと食べてしまうこと。昔から、早飯早糞芸のうちと言って、
  わたくしなど座ったと思ったらもうケツを拭いております。こないだなどは、
  糞をする前にケツを拭いてしまって、まあ親戚中で大笑い。ハハハ、」

一同呆れながらも笑ってる。


           まあ、親戚中で大笑い。
       



で、一夜明けて  店番当日


帳場にデンと座っては見たものの、暇で暇で…あくびなんか出っ放し…。
ついに虫眼鏡などで遊ぶ寅。



       


たまに電話がかかって来て、注文を受けるが向こうの名前も
住所も聞かないで切ってしまう。


さくらに叱られて、

寅曰く「向こうが言わなかったんだ…。言いたくないんだろ。
    そこまで立ち入ることないじゃないか」とぶつぶつ独り言。

そのあとも性懲りもなく、漫画など読んで緊張感がないのであけみにも
注意され、ムカつく寅。


なんかあるとすぐトイレ。

寅「ションベン」

おばちゃん「さっき行ったばかりじゃないか」

寅「さっきはウンコ」
わわわ…((((^^;)


挙句の果ては、居眠りをしてしまって、障子戸にもたれてガタン!バタッて仰向けに
ひっくり返って、起き上がって寝ぼけながらだあれも客がいない店で

寅「
いらっしゃいませ…」(@@)


          
ガタン!                 バタッ                  「いらっしゃいませ…」
          


挙句の果ては、店を飛び出して、備後屋や源ちゃんたちを
引き連れて遊びに行ってしまうしまつ。

やっぱり無理なんだねえ(^^;)



もうひとつのギャグ

物語後半のあけみの偽札騒動

 

物語の序盤でなかなか優しくてよく働くあけみの姿が光っていた。
怠け者の寅とは大違いで、今回は渋いな、と、思いきや…

やっぱりあけみだ。ただじゃすまない。

タコ社長と大喧嘩。



とらやに逃げてきたあけみ。


あけみ
会社止めたいだの、首くくりたいだの、愚痴ばっかり言うからさあ〜
   そんなお金欲しかったらね、
そこの機械でガシガシガシガシ偽札作ったら
   いいんじゃないか
って、そう言ったのよ! あぴょ〜!


             ガシガシガシガシ…
        




一同唖然…

社長「あけみ!印刷屋の娘がそんな冗談を言っていいんですか!」

あけみ「
まあ、父ちゃんの刷った1万円じゃねえ、
   すぐバレちゃうでしょうけどねえ〜…、
あの技術じゃ…

 
決まった!1本〜!見事な冴え(^^)/


          
    あの技術じゃ…
        


タコ、糸が切れて追いかける。

あけみ逃げていく

あけみの毒舌ここに極まる(^^;)



社長の手に持っているどぎつい色の
ストリップショーのポスター…がやけに侘しかった…(^^;)


一部始終を見ていた満男がさくらの後ろから呟く




満男「
貧乏はやだねえ〜…



はっとして、満男を睨むさくら


満男曰く「
伯父さんの真似しただけだよ…


甥にろくな影響を与えない寅でした(^^;)



             
貧乏はやだねえ〜…
 
      


と、いうことで、第38作「知床慕情」は密度の濃い内容が
たくさん詰まった後期の数少ない『傑作』である。

チャンチャン(^^)




多忙な日本から戻ってゆっくりできると思ったら、バリ島に戻ってからも多忙が続いている。
ギャラリーに委託してあったいろんな絵の事務手続きや、染織品のデザイン、
制作、失敗(TT)、改良…、もうすぐ雨季なので一辺にたくさんのキャンバスの地塗りをしたりして、
なかなか本編や「寅次郎な日々」などの更新が進まない状態。とほほだ。
おまけに12月中旬にもバンコクに2週間ほど行かなくてはならなくなった。
ああ…ページをアップする時間が…(TT)

で、いつものことながら気長〜〜ァにお待ち下さい。

第29作「あじさいの恋」第3回目の更新はなんとか11月11日頃にできそうです。


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256


                          
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第37作幸福の青い鳥 「これ、おつり、渡してあげて… 」  11月1日寅次郎な日々その256 


第37作「幸福の青い鳥」で、寅は昔、ひいきにした坂東鶴八郎(第37作では中村菊之丞)一座
の花形、大空小百合ちゃんと9年ぶりに筑豊の寂れた町で再会する。


「失礼だけど座長さんの娘さんかい?」

小百合「はい…」

寅「ということは、もしかして、大空小百合って芸名で、可愛い声で歌歌ってたんじゃねえか?」

小百合「そうですけど…」

寅「それじゃあ、オレのこと覚えてねえかなあ…、
 おまえのおとっさんとよくねえ酒なんか飲んだりしたことあるんだよ…」

小百合「寅さん…」

寅「うん、よく思い出したなあおまえ、そうよ、その寅さんよ」




                     
寅さん…
            




これが「幸福の青い鳥」での運命の再会シーンである。
しかし、このやり取りはちょっと違うんじゃないかと思ってしまう。

やはりここは第8作、第18作、第20作あたりの思い出をもう少し大事に
してほしかった。観客は印象深い小百合ちゃんとの過去の絡みを結構覚えているのである。
もちろん一座の名前や人物設定やキャラを少し変えて今の物語に合うようにしてあるのだろうが、
大空小百合という芸名と昔の雨の日のエピソードがそのままなので、やはり観客にとっては、
あの大空小百合ちゃんになってしまうのである。山田監督もあの岡本茉利さん扮する
大空小百合にかなり愛着があったはずだが、この不具合はいったいどうしたことだろう…。

大空小百合ちゃんは寅のことを「寅さん」なんて絶対に言わない。
車先生」である。言葉ももっと丁寧である。それは役者をやめた今も同じのはず。

第8作当時、おそらく17、8歳くらいだった。当時もう子供ではない。第8作で2度、
第18作で1度、第20作で1度、しっかり会って、芝居を見物し、長い時間共に話をしている。
第20作で、最後に寅に出会ってから9年の歳月が流れたことになるが、
その程度で何度も縁があった寅のことを忘れるわけがない。大空小百合ちゃんは
車の荷台の上からでも、すぐ寅だと気づく記憶力とカンのいい娘さんなのである。
だいたい9年くらいで、寅は変わっていない。


山田監督にしてみれば、さほど細かい事まで観客は覚えていないだろうと、
気楽な気持ちで『大空小百合ちゃん』のエピソードを使い、ちょっと新しくアレンジして
再会場面を設定されたのかもしれないが、私たち大空小百合ちゃんファンからしてみれば、
ここは、こだわりたいのである。で、本当のところは下↓のようになる。



小百合、はっと気づいて、

小百合「…先生!車先生!」

寅「うん!大空小百合ちゃんだね…。よく覚えていてくれたな」

小百合「お懐かしいです、先生!」

寅「もうその先生ってのは、やめてくんな、寅さんでいいよ」

小百合「はい、寅…先生」

寅「ハハハ、寅さんだよ」

小百合「はい、寅…さん」

寅「そうよ!」

小百合「はい!」



これなら、観客は懐かしい小百合ちゃんと寅の日々をありありと思い出すことが出来るのである。

大空小百合ちゃんや坂東鶴八郎一座との一期一会の日々は、このシリーズの中で
大事にしたいどこまでも懐かしい思い出である。これは多くの人の偽らざる気持ちであろう。


        
          



物語の序盤に冷や水を浴びせられるようなこれら上記の不具合のハンデを乗り越えて、
実は私にはこの作品である感慨が深くなる場面がひとつ存在する。

それは、美保ちゃんが健吾を追いかけ柴又駅へ走るくだりである。
それは、まるであの第1作で博を追いかけ柴又駅に走るあの日のさくらのようだった。

そのきっかけになったのは寅の言葉とさくらの優しさ。



寅「話は後で聞く、さ、すぐ追っかけて行きな」

美保「でも…」

寅「おまえはあの男が好きだし、あいつはおまえに惚れてるよ。俺から見りゃよぉくわかるんだ」


           


そして、さくらは自分の体験を踏まえて真剣な顔でこう言うのである。


さくら「お兄ちゃんのいう通りよ。もしほんとにこのまま別れ別れになったらどうするつもり?」


          



さくら、はっと気づいて、サイフを取り出し、小銭を美保の手のひらに渡し、


さくら「これ、おつり。渡してあげて、…さ、」と美保を優しく押し出す。

走っていく美保。

美保が行ってしまった後、下を向き淋しい気持ちを隠せない寅。



さくらが美保におつりを渡す時の顔は優しくきらきら輝いてほんと素敵だった。私はこの時のさくらが
大好きである。私はあのようなさくらを見ては毎回さび付いた垢だらけの心を洗っているのだ。
やはりさくらは人の人生を変える力を持っている。


         



博とさくら。

そして

健吾と美保。


17年の歳月を経てまた柴又駅ホームで新しいふたりのドラマが始まるのである。



      
   博に追いついたさくら                  健吾に追いついた美保
           
 







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第36作「柴又より愛をこめて 」 From Shibamata With Love  10月27日寅次郎な日々その255 


愛すべき男 下田の長八 

この「柴又より愛をこめて」というタイトルはほとんど内容と関係ない。
寅が柴又から遠く式根島に住む真知子先生を想うというのならどの作品でも
似たようなことが言えるので、まあ、この場合は深く考えないで言葉の遊びだと思ったほうが
いいだろう(^^;)もちろん007ジェームスボンドの最高傑作「ロシアより愛をこめて」からの
もじりだ。


ただ、満男が柴又に訪ねてきた真知子先生と寅おじさんの恋の顛末を予想し、ちゃかして英語でこう言うのである。

「 『 
I'm very happy 』 said Tora.From Shibamata With Love
まあ、このくだりが「柴又より愛をこめて」ということなんだろう。

私にとって「柴又より愛をこめて」といえば式根島の真知子先生ではなく、寅の悪友である伊豆は
下田の長八を思い出す。第36作「柴又より愛をこめて」で寅の頼みを聞いてアケミを探してくれたあの
スケベで憎めない遊び人長八だ。
笹野さんはどんな役でもしっかりはまる人で、くわえタバコをして
ひょうひょうと歩きながらポトッっと口からタバコを落としてしまい、あたふた拾ったり、女の人のお尻を
触って嫌がられて川に落ちそうになったり(^^;)この長八の人が良くて情けないテレテレしたキャラを
完璧に演じきっていた。笹野さんは凄い。


「おうーい!とぅらああ(寅)!」とダレタ言いかたで道から宿の二階に向かって叫ぶ長八。
かっこいいとつい思ってしまう。
           
そしてこれまた、どうしてだか分からないが私はあの長八の雰囲気がとても気に入っている。
ずっと頭からこびりついて離れない。
たぶん私も実はあんなふうにふあふあひょうひょうへらへらと面白おかしく生きたいのかも知れない(^^;)

スケベな遊び人にいつも憧れているのだ。人生に迷いがないのがいい。徹底してテレテレ遊んでいるのが
わかる姿かたちなのだ。

寅があけみを見つけた後もその夜長八と酒を飲み、家に泊まりこむくらい二人は仲がいいらしい。



            
お尻タッチしてニヤつく長八
           

                 ↓
            
突き飛ばされて川に落ちそうになる
                




‐ 島崎真知子先生の洞察力 −


真知子「寅さん…、もしかしたら独身じゃない?」

寅「へへ…まあ、お恥ずかしながら…」

真知子「あ、やっぱり…」

寅「そういうのってわかるんですか?」

真知子「首筋のあたりがね、どこか涼しげなの。
     生活の垢が付いてないっていうのかしら」


さすがだね。なかなかいないよ、こんな感覚の鋭いマドンナは。



実は私が東京都の教員になった時、都の教育委員会に島への赴任希望も出したのだが、
結局自分が当時住んでいた豊島区の教員となってしまった。私はどういうわけか『島』が
好きなのだ。バリに住んで16年間にもなってしまったのも生来の島好きのためかもしれない。



ちなみに第36作にいつもの『禁句ギャグ』が出てくる。

言っちゃだめなのは、
島、海、女の先生、魚、などなど…。二十四の瞳もダメ(^^;)

朝食に鯵の開きを出されると涙を流す寅でした(^^;))




そしてこの物語は言わずもがな『あけみ』がその懐を深くしている。

みなさんご存知のようにあけみは慎吾君と結婚して以来ずっと自分たちの愛情の問題で悩んでいる。
自分たちの愛の形を模索しているのだ。その悩みはもうライフワークと言えるくらい深刻に
なってきている(^^;)そして遂にピークが来る。


それがこの第36作「柴又より愛をこめて」の家出である。
タコ社長はモーニングショウの尋ね人のコーナーに出て泣きの涙で訴えたりするのである。
まあ、いろいろあって結局寅が探しに行くのである。で、↑上で書いた寅のダチ公の長八が
一肌脱いであけみを探し出してくれるのだ。

長八が案内してくれたスナックであけみは「さくら」という名前で勤めていた。
さくらの名前を使ってしまったあけみに、彼女の切なさ淋しさが滲み出ていた。

そして漁港で寅に会うなり泣き出してしまうあけみだった。


        




あけみは寅に聞く

「愛ってなんだろう…」


寅はこう言ってやる。

「ほら…いい女がいるとするだろう…。

男はそれを見て、

この女を大事にしてえ…そう思うだろ。

それが愛ってもんじゃねえか」




     
   ほら…               寅でないと分からないことがある
        
              

それからあけみと寅の旅が始まっていくのである。

旅先の式根島であけみは島の青年に求愛される。
彼の心を傷つけたことに耐え切れずあけみはまたもや
寅の胸で号泣してしまうのだった。




    



人生の小さな機微をいろいろ体験したあけみは成長して
柴又に戻っていく。


そして寅は恋焦がれたマドンナの真知子さんに失恋し、悲しみ、
最後はつき物がとれたように旅立っていく…。


正月の青空の下、さくらの家の二階であけみは遠くを眺めてこうつぶやく…

「どこにいるのかなあ…寅さん…」


今もあけみの心に住み続ける寅でありました。



あけみはやはりいいねえ〜。





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「男たちの旅路」 吉岡晋太郎の生き様 その2     10月25日「寅次郎な日々」その254



第1部第3話「猟銃」


「男たちの旅路」は、戦中派で特攻隊生き残りの筋金が入ったガードマン指令補である吉岡晋太郎と新入りの
若いガードマンたちとの軋轢と葛藤そしてその後に来る共感を通して人間の尊厳とは何か、
生きるということはどういうことかを描いている。


先日も書いたように、この全13話のドラマは、当時の若い私の人生に大きな影響を与え、そして
中年となった今もなお与え続けているのである。今日は『その2』

今日紹介する男たちの旅路の第1部  第3話「猟銃」は第1話同様長い長い鶴田浩二さんのアリアが
入っている。このアリアはあの時期の私の人生を丸ごと変えるような力を持っていた。


物語の中で、
自分の母親がその昔、吉岡を愛していたことを知った竜夫は、複雑な思いにかられ、
悦子と陽平を連れて本当の事実はどうだったのか吉岡の職場に問いただしに行く。
その時に鶴田浩二さんの長い下↓のアリアがある。



竜夫「九州の都城だそうですね」

吉岡「ああ、都城の飛行隊だった」

陽平「かっこいいねえー」

竜夫「黙って聞けよ」


吉岡「お母さんがどう話したか知らんが、
   私には同期で入った鹿島という友人がいた。大学も同じだ。
   恋人も…同じだった。
   仲はよかったが、恋人のことについてはお互いに譲る気はなかった。
   綺麗な人だった…。今でも綺麗だがねえ…」

竜夫「……」

吉岡「初めは…、絣のモンペに上だけセーラー服の女学生だった。
   飛行場から20分ほどのお宅でねえ…、お父さんは…、つまり君の
   おじいさんは中学の先生をしておられたな」

竜夫頷く。

吉岡「私と鹿島は、勤労奉仕で草刈りに来ていたお母さんに参っちまってね。
   家を突きとめて、休みのたびに出かけた。兵隊は歓迎されたんだ。
   付け上がってよく行った。いろんなお土産を持って、おじいさんと
   将棋を指したりして二人で競争で気に入られようとしたんだ。
   今思えば他愛無いが、鹿島には内緒で、チョコレートを10枚も手に入れて
   届けたりした。もっともあいつも似たようなことをやったがねえ…。

   二十年の三月…お母さんは女学校を卒業されて、ハッとするほど女らしくなった。
   同じ月に硫黄島が全滅して、俺たちが特攻隊で出撃するのが時間の問題となっていた。

   いきなり、鹿島が君のお母さんに求婚する…、と言い出した。
   私も負けずに求婚する、と言った。
   
   まもなく死ぬ人間が無茶な話だが、本気でお嫁さんがもらいたかったんだ。
   よし、腕づくで来い。勝った方が求婚しよう。と、あいつが言い出して
   殴り合いになった。

   私が負けた…。

   鹿島が、恐ろしいほど本気なので私は怯んだんだ…。

   ところが、いざ求婚…ということになると、ガタガタして言い出せないんだなあ…。
   その時になって、『死ぬ人間が嫁さんもらってもしょうがない』などと言って…、
   結局求婚はしなかった…。前と同じように二人で訪ねては酒を少し飲んで帰ったりした。

   六月にあいつは出撃して、それっきりになった。
   出撃する時…、『俺は仕方がない。もしおまえが生き残ったら、必ず裕子(ゆうこ)さんをもらえ』
   と言ってあいつは行った。俺は…『生き残るはずがない。俺もすぐ後から行く』そう言って
   別れたんだが、…こうして生き残ってしまった…。

陽平、竜夫 悦子 「……」

吉岡「戦いが終わって、私は東京へ帰った。裕子さんには…、お母さんには会わずにいた。
   仲間が次々と死んでいったのに、自分が生き残ったということに圧倒されていて、
   とても求婚などという余裕はなかった。戦争中の親切のお礼を書いたハガキを
   出しただけだった。

   敗戦の翌々年…、秋の終わりに、お母さんは突然上京してきた。お父さんの用事で
   上野の図書館に来たと言って。私は生活が荒れてる最中でねえ…、
   帰りに、東京駅まで送っただけだった。
   その時、動き出した汽車の中のお母さんを見て、戦争中の気持ちが溢れるように蘇った。
   手紙のやり取りをした。
   私は、生活を立て直す気になっていた。

   …結婚しようと思った。


   二十三年の夏、都城に行った。

   だめだった…。


             



   夏草の茂った飛行場を見ると、ワーッと死んだ奴を思い出して、…鹿島を思い出した。
   どうしても結婚を切り出せなかった。
   
   生き残ったのをいいことに、一人だけ幸せになっちまうのがすまない気がして
   言い出せなかったんだ。

   そして、…二十五年に、お母さんはお嫁に行かれた」

竜夫「その前に、あなたと会ったそうですね」

吉岡「…ああ」と小さく頷く。

竜夫「結婚話が進んでる。でも、結婚したくない。つまり、あなたと結婚したいと
   言ったそうですね」

吉岡「…ああ」と小さく頷く。

竜夫「あなたは、逃げてしまったそうですね。死んだ鹿島さんの気持ちを
   思うと、結婚はできないと書き置いて、いなくなってしまったそうですね」

吉岡「……そうだ」


陽平「あんたは相当な嘘つきだ」

吉岡「…嘘つき?」

陽平「そんな話信じられっこないじゃないの」

吉岡「どうしてだ?」

陽平「いくら親友だったか知らないけど、死んだ奴に義理立てて
   好きな女と別れるなんて聞いててシラケちまうじゃないですか」

吉岡「しかし…それは事実だ」

陽平「事実のような気がしてるだけでしょう。ほんとは簡単なことさ。
   あんたはもう惚れてなかったってことさ、嫁さんにしたくなかった
   ってことさ、」

吉岡「そうじゃない」

陽平「甘い話を作りたい気持ちはわかるけど、特攻隊で死んだ仲間が
   忘れられないから結婚しないなんて、ちょっと照れないでしゃべりすぎる
   んじゃないかねえー」と苦笑い。

吉岡「その時の気持ちは、しかしそういうことだった。断じて惚れてなかった、
   なんてことじゃない。お母さんを好きだったんだ。好きなら好きなほど
   結婚して幸せになるのが後ろめたくて仕方なかったんだ」

陽平「んーん、きれいすぎるねえー」

吉岡「おまえは、汚きゃあ信じるのか」

陽平「もうちょっと本当らしければ信じますよ」

吉岡「どんなふうなら本当らしいんだ?死んだ奴なんかさっさと忘れた
   といえば信じるのか」

陽平「人間は忘れるもんでしょう」


吉岡「忘れなきゃ嘘だというのか。

   おまえら、その調子で、なんにでもたかくくっているだけだ。

   恋愛も友情も長続きすれば嘘だと思い、人のためにつくす人間は
   偽善者か馬鹿だと思う。金のために動いたといえば本当らしいと思い、
   正義のために動いたと思えば、裏に何かあると思う。
   
   おまえら、そうやって、人間の足引っ張って大人ぶってるだけだ。
   しかしな、人間はそんな簡単なものじゃないぞ。

   俺がこうやって一人でいることをおまえたちに言わせれば、相手が
   いなかったとか面倒臭くなったとかそんなことでかたづけようと
   するだろう、しかし、そうじゃない。 

   幸せな家庭なんか作りたくなかったんだ。死んだ奴に一人くらい
   義理立てて、独身で通すやつがいてもいいっていう気持ちだったんだ」



陽平「戦後…三十年たってんだからね」



吉岡「甘っちょろいと言うのは簡単だ。

   しかしな、甘いきれい事でも一生かけて
   押し通せば甘くなくなる。俺はそう思ってる

   シラケて、訳知りぶるのは勝手だが、人間にはきれい事を押し通す力が
   あるってことを忘れるな」


悦子「……」




              





言葉が持つ『力』というものを見せつけられた物語だった。私はまだ十代半ばだったが、
この言葉を聞いて以来行動が変わり、そして今に至っている。今のテレビドラマにこれほどの
力があるだろうか…。



ちなみに裕子さんの役は久我美子さんだった。なんとも落ち着きのある見事なお姿だった。






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253


                          
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あなたにも神のお恵みがありますように     10月21日「寅次郎な日々」その253

第35作「寅次郎恋愛塾」

とにかく、テロや暴動に会うことなくなんとか昨日バンコクからバリに戻ってきた。
神のお恵みがあったのかもしれない。昨年はちょうどバリに着いた日にテロがあったので
気にしていたのだが、とにかく何事もなくてとりあえずほっとしている。

神のお恵みで思い出したが、今日は日本ではBSで第35作「寅次郎恋愛塾」が放送される
のだろう。あの作品の江上若菜さんは素敵な人だった。見た目はひょろっとキャシャだが
中身は一本気な性格で、野球が上手くて、浴衣が似合って、行動力もある。
回転が複雑なキャッチャーフライを素手で取り、博の胸に的確に返し、外野越えのヒットを
打ったり、なかなかのセンスだった。

なによりも樋口可南子さんは美しい…。そして彼女は近年どんどん美しくなっている。

樋口さんで一番思い出すのは「阿弥陀堂だより」である。あの静かな映画で彼女は何かを
確実に掴んだと私は見ているのだがどうでしょうか。
近々「阿弥陀堂だより」もこのサイトで紹介しようと思っている。



           




そしてこの「恋愛塾」はポンシュウこと関敬六さんが大活躍する作品でもある。

長崎県、上五島での顛末はなかなか見ごたえがある。

はっきりポンシュウと何度も寅から呼ばれ始めるのもこの頃から。

 
寅「おいポンシュウ!ここどこだ?」

ポンシュウ「九州だろう?」


この物語では焼酎を一気飲みしたり、タコの料理をしようとしたり、歌を歌い、踊り、
墓を掘り、教会の燭台を盗み、
教会で懺悔と奉仕の日々と、もう大活躍。


上五島 (中通島)


寅とポンシュウは一人の老婆と縁ができる。それが若菜さんのおばあちゃん。


ポンシュウ「もったいないことしちゃった
       
焼酎一気飲みしちゃった」

ポンシュウ「板前の修業したことあるんだよ」



そして夜、


若菜さんのおばあちゃんの家で

あの何とも不思議なポンシュウの歌と踊りが始まるのである。



おばあちゃんにとっては生涯の最後の夜であり最後の宴。



このポンシュウの踊る影に神様の気配を見たのは私だけではないだろう。



       



ポンシュウ「♪あ、それェ、あ、それェ!

       杯に映る明りを
       飲み干して、
       今宵も歌おうよ 
       我が友よ〜

       楽し さわぐ酒の中から
       浮いてくるくる
       酒の中から 
       どんとどんとどんと!♪



            杯に映る明りを、飲〜み干してェ〜

         




このポンシュウの歌と踊りには『白魔術』の気が間違いなく入っていた。
見る者聴く者の心を解きほぐしてくれる力があった。
おばあさんに対しての最後の日のはなむけのために神様がポンシュウの姿を
借りて歌い踊ってくれたのだ。


ポンシュウはあの踊りの時神聖な神様だった。嘘のような本当の話。


「寅さん、じゃったね…。
あなたにも神様のお恵みがありますように…」


その深夜 おばあさんは寅に見取られながらロザリオを握り締め天国に召された。




そして、翌日おばあさんの墓を掘ってやるポンシュウと寅。

久しぶりの汗を流した肉体労働のあと
おにぎりを美味そうに食べる二人。




          



ポンシュウ「うめえなあ!」

寅「働いた後だからな。
 
 労働者ってのは毎日美味い飯食ってるのかもしれねえな」

ポンシュウ「そうだな」


久しぶりに充実した日々を送る寅とポンシュウ。



しかしそのあとが悪かった。


宿で若菜ちゃんのことをめぐって大喧嘩。


ポンシュウ「しかしいい女だったな〜 あの孫娘。
      
 喪服着た女ってのはたまらねえな。なあ寅」

寅「…。オレはおめえ
と一緒の旅はやめてえな」

ポンシュウ「あ〜??」



         



寅「仮にだ、おまえが死んで葬式の時、
   お前の娘が喪服を着てボロボロ泣いてるのを、
   どっかの助べえ野郎が『いい女だなあ』
   そう言ったら、棺桶の中にいるおめえは腹が
   たたねえのか?

ポンシュウ「へへへ、そんなたまじゃねえや。
       オレが死んだって涙なんか流すもんか
       あのバカ娘は!」

(ポンシュウに娘がいたことがわかる!)

タオルを投げつける寅

ポンシュウ「な、なにすんだよ!」

寅「親の死を悲しまねえ娘がどこの世界にいるんだ!
  てめえそんなこと言ってるとバチが当たるぞ!」

ポンシュウ「へ、偉そうな口ききやがって、悔しかったら
       娘持ってみろ!なんだい、女房も持てねえくせによ!」

寅「それを言っちゃおしめえよ!てめえの面は二度と見ねえ!」


と宿を出ていく。

ポンシュウも怒って階段を下りていった寅に

ポンシュウ「おめえまたあの娘に惚れたのか!
       いい年こきやがって!へッヘェー!!」




そして物語は起承転結し、ラストシーン。


上五島 青砂ケ浦教会

そして寅はラストで、もう一度懐かしきあの上五島町奈摩郷小字青砂ケ浦
の小高い丘を切り開き、奈摩湾に臨んでそそり立つ煉瓦造りの青砂ケ浦教会を訪れる。
ここは若菜さんのおばあさんのお葬式が行われた場所だ。


神父さん「ポンシュウさあ〜んお迎えが来ましたよ〜!」

寅「???」


へとへとに労働やつれしたポンシュウがなんと教会にまだいた。

ポンシュウ「寅!寅じゃねえか!」

寅「なにやってんだおまえ??」

ポンシュウ「聞いてくれよ」

ポンシュウ「墓掘ってからよ、全く運が落ちてよ、全然稼ぎにならねえんだ。
       つい、でき心でこの教会忍び込んで銀の燭台盗んで、
       御用なっちまったんだ」


           



寅「なんてことするんだこのバカ!」

ポンシュウ「警察にやってきたあの神父さん、なんて言ったと思う。
       『この燭台はこの人が盗んだものではありません。
        私が差し上げたものです』
       それ聞いてよ、さすがのこのオレも心を入れ替えて
       恩返しでここで働いているんだ。

それってユーゴーの「レ.ミゼラブル」のパクリだよ(^^;)


寅「…」


寅ポンシュウの耳をひっぱって

寅「こっちこい」

ポンシュウ「あたたた  なにすんだい」


           



寅「神父様 ありがとうございます。
  どうぞこの男を一生奴隷としてこき使ってやってください」

ポンシュウ「…!」

十字をきる寅

寅「ありがとうございます」

ポンシュウ「!!お、おい!それはないよおめえ、
       いままで一生懸命務めてきたんだ。
       このへんで帰してくれるようにおめえからも頼んでくれよ、な」


寅「ポンシュウさん...、」

ポンシュウ「え?」


寅「あなたにも神のお恵みがありますように。

   さ や う な ら 」(^^;)

と、十字をきる寅

追いすがるポンシュウ。







ポンシュウ「冷たいこというなよ寅 頼むよ頼むよ!」



          



テーマ曲高鳴って


「終」



と、いうことで、第35作「寅次郎恋愛塾」は小粒だが、なかなか見所も多い楽しい作品だ。







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真実一路の旅をゆく      10月13日「寅次郎な日々」その252
 


いやはや、多忙な10日間だった。ほとんどパソコンの前に座れなかった。
とにかく仕事の全日程がようやく終わった。どの展覧会も最低予想を下回らなかったのが救い。
なんとか次の1年も生きてゆけそうだ。

明日富山を発ち、大阪の実家に向い、15日に関西空港からバンコクへ
向う。そして19日夜にバリに戻る。

ようやく今夜、「男たちの旅路」の2作目「路面電車」を書こうと思ったが、そろそろ寝なければ
ならない時間となった。「男たちの旅路」の続きはバリに戻ってから書きます。すみません。

明日は大阪に行く途中、滋賀に立ち寄り、「青山二郎展」を見に行く。昭和の最大の目利きである
青山二郎の全仕事が今回展示されている。こんな機会は滅多に無いであろう。行くしかない。
信楽のどえらく山深い中にあるMIHOミュージアムはたどり着くだけでもたいへんな道のり
なのである。だから明日は早朝に出なくては…。

ところで、次回BS2の「男はつらいよ」は確か第34作のはず。「寅次郎 真実一路」だ。
私はこの題名が好きである。牛久沼に住むスタンダード証券の富永課長の自宅に
泊まってしまった寅が、翌朝妻のふじ子さんとご対面するのだが、その時壁に
掛かっていたのが

 
真実諦めただひとり
  
真実一路の旅をゆく
  
真実一路の旅なれど
  
真実鈴ふり思ひだす

という北原白秋の「巡礼」の詩。

作家の山本有三が書いた「真実一路」にもこの白秋の詩は引用されているので
そちらのほうが一般的には有名かもしれない。

白秋もこの当時、道ならぬ恋で悩んでいたらしいから、この詩は寅のその後を暗示するようで、
とても興味深いものがある。人妻に恋をしてしまう寅は現代の「無法松」だ。「オレは汚ねえヤツです」は、
無法松そのもの。そしてしだいに失踪した亭主が帰ってこないことを密かに考えてしまう恐ろしい寅の心。
膨らんでしまったその闇の心を振り払うように旅に発つ寅。真実一路の旅。

不倫に陥ることなく、正に真実を貫くために熱き気持ちを奥に隠して、潔く孤独を行く寅の姿に、
見る側の私たちはどこかでほっとしたはずだ。

それにしてもこの物語の大原礼子さんにはぞっとさえするような大人の色気を感じる。
第22作「噂の寅次郎」ではまだ開花しきっていなかった美しい花がこの「真実一路」では
見事に花開き、私の心をクギ付けにさせてしまった。これは作品のよさとはまた、別の問題ではある(^^;)
あの声、あの瞳、あの立ち振る舞い。ほんと寅が道を踏み外す気持ちが分かるよ(^^;)



            




次回はバリに戻った10月20日過ぎに書きます。



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「男たちの旅路」 吉岡晋太郎の生きざま    10月1日「寅次郎な日々」その251


8月中旬まで作品ごとのマドンナを第25作のリリーまで自分なりに書いてきて、ここ1ヶ月ほど
中断してしまっているが、日本滞在中に日本でしか見れ
ないDVDを見ているため、
その感想を書き続けている。自分が今見た「旬」の感覚に基づく旬の感想が大事だと思うからだ。
第26作以降のマドンナのことはまた10月20日にバリに戻ってから書きはじめようと
思っているのでお待ち下さい。


で、今日から数回はは、ようやく全作品を揃えることができたテレビドラマ「男たちの旅路」のことを
ちょろちょろ
って書きましょう。

私はそれはもう昔から「男たちの旅路」が大好きだった。
あらゆるテレビドラマの中で
もっとも人生に直接影響を与えられたドラマをあげるとしたら「男たちの旅路全シリーズ」
だと言いきっていいと思う。山田太一さんの脚本だ。私の学部の大先輩でもある山田太一

さんの書かれた脚本は初期の頃からずっと見てきているがほとんど全て好きだ。中でも
「男たちの旅路」「早春スケッチブック」
「今朝の秋」が飛びぬけて好きだ。この3つはあきらかに
歴史の淘汰に耐え、何百年も
残っていく作品だと思っている。「早春スケッチブック」は残念ながら
DVD化されていない。
「今朝の秋」はVHSで持っているがDVD化は2006年の時点でまだである。
「男たちの旅路」は全作品DVD化されたので買ってしまった。この作品はなぜか他のものより
高くて各巻
DVD2枚セットで9000円もするのだ(スペシャル版だけ1枚組み5000円)。非常に
私には痛かったが、思いきって
「別離」の入っている第3部と「流氷」の入っている第4部をまず買った。
(「別離」と「流氷」についてはまた近々書きます)
2巻で6話。
やはりいい。文句無しにいい。
とにかく脚本がいい。音楽がいい。鶴田浩二さんも水谷豊さんもこれ以上は無理だというくらい
冴えきった演技をしている。

もう我慢できなくて第1部と第2部もスペシャル編もそのあと次々に買ってしまった。
なんのことはない結局右往左往しながら全5巻13話分をみんな買ってしまったのだ。

物語は、戦中派で特攻隊生き残りの筋金が入ったガードマン指令補である吉岡晋太郎と新入りの
若いガードマンたちとの軋轢と葛藤そしてその後に来る共感を通して人間の尊厳とは何か、
生きるということはどういうことかを描いている。

「男たちの旅路」は1976年2月にNHKの「土曜ドラマ」で三話放映があり、大きな反響を呼び、第2部が
翌1977年2月に三話放映され、またもや前回にもまして反響が大きかったのだ。第3部は同年11月に
三話放映された。これまた大きな反響があり、第四部が1979年11月に三話放映された。最終話の
スペシャルは1982年2月に放映された。

全13話中1作品たりとも失敗作がない。たるんだお仕事の要素が入り込んだ作品がない。
どれも最高のできだ。シリーズものでこういうことは滅多にあるもんじゃない。いや、まずない。

私はリアルタイムでも見ていたし、何度も再放送を見ているが、見るたびに感動が新しい。

このドラマには概論や批評を書いてもはじまらない。具体的な吉岡晋太郎の『言葉』こそがこのドラマを
後世に伝える唯一の手段なのだと思う。と、いうことで今日は第1部第1話「非常階段」での吉岡晋太郎の
セリフの中で私の人生を変えた言葉を紹介しましょう。



「非常階段」

勤務中のビルで自殺を図ろうとした女性(桃井かおり)を必死の思いで助けた後、彼女を何度も
張り倒した吉岡晋太郎に若いガードマンの杉本陽平と柴田竜夫はその行動の真意を尋ねる。


吉岡「オレは…若いヤツが嫌いだ。自分でもどうしょうもない。嫌いなんだ…」

陽平「それそれ」

吉岡「昔の話をするなと言ったな。滅多にオレは昔の話などしない。
   しかし、昔を忘れることはできん。
   戦時中の若いヤツは…、つまりオレたちは、もっと、ギリギリに生きていた。
   死ぬことにも生きることにももっと真剣だった。
   
陽平「時代が違うんですよ」

吉岡「そうだ…。昔だっていいかげんなヤツはいた。今だってギリギリでに生きてる
   ヤツはいるだろう。

  しかしな…、明日死ぬと決まった特攻隊の連中を、オレは忘れることはできん。
  明日…、確実に死ぬと決まった人間たちと暮らしたことがあるか。それも、殺されるんじゃない、
  自分で死ぬんだ。自分で操縦桿を握って、自分で死んでいかなければならない連中と、前の晩を
  過ごしたことがあるか。

  顔色がみんな少し青くてな。ある晩、「吉岡、星が出ているか」と、聞いたヤツがいた。
  出ていなかった。「見えないようだ」と答えると。「そうか、降るような星空ってのは、いいもんだったな」と
  言った。オレは一晩中、雲よ晴れてくれと空に願った。晴れたらヤツを起こして、降るような星空を
  見せてやりたかった。翌朝、曇り空の中をヤツは飛んでいった。そして帰ってこなかった…。

  あまっちょろい話じゃないかと、今のヤツは言う。しかしな、翌朝、確実に死ぬと分かってる人間は、
  星が見たいという。たったそれだけの言葉に、百万もの想いが込められていたんだ。

  最後にヤツと握手した時の温もりをオレは忘れることはできん。ヤツの手の平はとうに冷たくなっている。
  オレだけが、オレだけが生き残ったということの情けなさがおまえたちに分かるか。
  いや…、分かってもらえなくてもいいんだ。それを、甘いというヤツをオレは許さん。少なくとも
  好きにはなれん。

  いいも悪いも、あの時代がオレを作った。あのあとは『そんなもんじゃない、そんなもんじゃない』と、
  何を見ても思ってしまう。とりわけ、若いヤツがチャラチャラ生き死にをもてあそぶようなことを言うと
  我慢がならん。きいたふうなことを言うと我慢がならん。
  オレは…、若いヤツが嫌いなんだ…」

陽平「それは…、付き合いにくいですね」


吉岡「ああ…、たぶん、若いヤツらを本当には知らないせいだろう。

   猫背で髪を伸ばして女みたいに歩く格好を見るとムカムカして付き合う気がしなくなる。
   オレはそういう人間だ。

   君たちに好かれようとは思わん。
   …よし、明日は君たちの勤務を変えてやろう。ここは若いヤツ抜きで固めよう」


陽平「いやだな。オレは…、あんた嫌いじゃないですよ」

柴田「オレも、勤務を捨てたくありません」

陽平「中年にしちゃあ、歯ごたえがありそうなんでね」

吉岡「……」



            





次回も「男たちの旅路」をちょろちょろっと書きます。


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警視庁捜査一課 今西刑事よ、永遠なれ    9月27日「寅次郎な日々」その250



丹波哲郎さんが亡くなられた。ここ数年持病の心臓病があり、大変そうだったが、やはり…と言う感。
残念だ。そしてやっぱり淋しくてしかたがない。

山田洋次監督の「十五才.学校W」での「バイカルの鉄」は忘れがたいキャラクターだった。
「たそがれ清兵衛」でも清兵衛を叱咤する頑固伯父で、存在感のある演技をされていた。

それ以外で印象深いのは大河ドラマの「利家とまつ」だ。 佐々成政の重臣、
井口太郎左衛門で、なんとも渋く、メリハリのある演技で誰よりも光り輝いておられた。
他の共演者の方々には失礼だが、役者としての格が違うのだ。

殿である成政に
「一寸先は闇、一寸先は光でございます」
と言った彼のセリフは今の私の座右の銘になっている。

まあ、私くらいの年齢の人々にとって丹波さんと言えばまず思い浮かぶのは
なんと言ってもテレビの超人気番組だった「Gメン75」なんだろうが、私にはやはり
映画「砂の器」の警視庁捜査一課の今西刑事だ。

何を隠そう、今までの人生の中で映画館まで足を運んで観た「邦画」の中で、最も観た回数が
多かったのがこの「砂の器」なのだ。封切り時、私はまだ中学生だったが、少ない小遣いを
はたいてこの「砂の器」を何度も見に行った。当時は家庭ビデオも何も無い頃で、
何度も見たければそれはもうリバイバルを探して遠くの映画館まで見に行くしかなかったのである。
中学生ごときであのようなシリアスな映画を見ている人はあまりいなかったが、私は我が道を行くで、
ちょっとかんばって一人で観に行った。高校生になっても幸いこの映画は根強い人気が続き、
ちょくちょく名画座などで放映してくれたお陰で合計10回以上は映画館で観たと思う。
映画館で上映していない時はサントラ盤のLPレコードを聴いていた。そのレコードには役者さんたちの
セリフもかなり入ってあったので少しは臨場感が味わえたのである。

橋本、野村コンビによる力強い構成力、粘り強く組まれた緻密さ、そして映画独特のダイナミックな広がり…。
映画というものの面白みを全部見せてくれた作品で、スタッフたちとキャストたちの過剰気味(^^;)
ともいえるあの熱気が、観ている私にも臨場感を持って迫ってきて何度観ても圧倒される奥が深い
映画だった。日本映画もタイミングが合うとこんなにも大きな広がりのある映画ができるのかと当時も
子供ながらに驚嘆していた。


それにしても、暑い中、東北を捜査しながらさりげなくできたての俳句をメモに書いている丹波さんは
実直でちょっと涼やかで、素敵な存在だった。


 北の旅 海 藍色に 夏盛り 』



この映画は脚本家でありプロデュ―サーでもある橋本忍さんの一生一品。
野村芳太郎監督の一生一品。
本浦千代吉役をされた加藤嘉さんの一生一品。
丹波哲郎さんの一生一品。
音楽家芥川也寸志さんの一生一品。
子役だった春田和秀さんの一生一品でもあろう。
そして出番は少ないが緒方拳さんが人のいい三木巡査を見事に演じていた。
緒方拳さんの味わいのある独自の輝きを最初に見たのがこの映画だった。

この映画の後半、千代吉、英夫の放浪シーンは美しく切なくそして悲しく見る私たちの胸に迫ってくる。 
私はこの本浦千代吉英夫父子が、雨が降り、凍えるような寒さの夕暮れ、火を焚いてお粥をふたりで
すすっているシーンが忘れられない。英夫は千代吉にお粥をはやく食べたいとねだる。その姿に
父親は息子がとてつもなく可愛くなって思いっきり抱きしめてしまうのである。



ラスト近く、
名曲「宿命」とシンクロしながら映し出される千代吉の姿…。英夫の写真を見て驚愕し、震え、絶叫するのだ。
この時の加藤嘉さんと丹波さんのやり取りは、この後私たちの間で何百年も語り継がれていくであろう
歴史的な名シーンだ。




             


ラスト


吉村刑事「今西さん…、和賀は、父親に会いたかったんでしょうね」

今西刑事「そんなことは決まっとる!今、彼は父親に会っている。
       彼にはもう、音楽…、音楽の中でしか父親に会えないのだ」

なんとも悲しい真実の言葉だった。



ちなみに、当時まだ若かった山田洋次監督も
橋本忍さんのアシスタントとして脚本にその名を連ねている。


あの映画の中、警視庁捜査一課の課長役の内藤武敏さんが会議の中で
「順風満帆(じゅんぷうまんぱん)」を「じゅんぷうまんぽ」と間違って言っているにもかかわらず、
なぜかNGにならずにそのまま映画の中で使われているので、当時の私はすっかり
「じゅんぷうまんぽ」だと思い、それから何年も間違いに気づくことがなくその後高校でも
何度か間違ったまま使った覚えがある。思いこみというものは恐ろしく、…恥ずかしい(^^;)
内藤武敏さんは、私が好きな画家である「鴨居玲」の絵を何枚か持っておられる。
鴨居玲好きなのだ。…ということで、あのことは、まあ、水に流しましょう(^^;)

そしてあの映画では「男はつらいよ」のキャストの人たちも当然何人も出られていた。
渥美さんも伊勢の映画館のオヤジ役で丹波さんとちょいとからんでいる。
笠さんや春川ますみさんも事件を解決する重要な証言をされていた。
タコ社長の奥さん役の水木涼子さんなどもちょい役で加籐嘉さんたちとからんでいた。

渥美さんがスクリーンにちょろっと出てきただけで映画館の中がパッと華やいだ雰囲気にいつも
なるのが嬉しくて楽しくてしかたなかったことを覚えている。



             



私はあの今西刑事さんの、ある種の「節度と礼儀」というものがしみじみ好きだった。
そしてあの「地道な粘り」に憧れていた。
彼は当時の日本人の美しさを確かに持っていた。
あのような人柄になりたいと映画を観るたびに思いつづけていたものだった。



警視庁捜査一課 今西刑事よ、永遠なれ。


謹んでご冥福をお祈りいたします。






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「二十四の瞳」と「二十三半の瞳」    9月22日「寅次郎な日々」その249


今回の日本滞在はいつにもなく多忙で、参っているが、それでもなんとか時間を
作ってDVDを深夜に見ている。ここ数日木下恵介監督の作品をいろいろ見ていたが、
やはり「二十四の瞳」はすばらしい。
あんなに小豆島を美しく撮った人はいないし、あんなに子供たちの表情を美しく撮った
人もいない。そしてあんなに美しい高峰秀子さんもめったにいるもんじゃない。
高峰j秀子さんさんといえば成瀬監督の「浮雲」がダントツ魅惑的だが、
この映画の快活な大石先生もなかなかどうしてとてもチャーミングである。

そういえば、山田監督はこの「二十四の瞳」のラストに演出された同窓会
のカットをそのまんま第36作「柴又より愛をこめて」に使っている。
同窓会でのプレゼントの自転車も「ななつの子」の合唱もそのままだった。
山田監督はあの映画が好きなんだね。

まあもっとも「柴又より愛をこめて」の生徒たちは11人なので「二十二の瞳」
あの時は途中で知り合った寅も入れてやっとこさ「二十四の瞳」になったわけだ。

寅「
あーそうかこれでオレ一人が入ると二十四の瞳になるわけだ。
  でもちょっと目がちっちゃいから二十三半ってとこだな


みんな大爆笑。


それにしても映画「二十四の瞳」に出てくる贈り物の「自転車」は素晴らしい
存在感を醸し出していた。あんな自転車今日本のどこを探してもないだろう。
古いという意味ではない。物としてとてもいいのだ。
「柴又より愛をこめて」のスマートで軽そうな自転車と比べた時に、
日本はいい意味でも悪い意味でもこのように変わったのだとしみじみ思ってしまった。


          
  「柴又より愛をこめて」の自転車
         



「柴又より愛をこめて」では当然ながら小学校の卒業生はみな健康で全員島へ
同窓会のために戻ってきていた。しかし「二十四の瞳」では貧困や戦争でたくさんの
教え子が若くして死んでしまうのである。男の子は大部分が戦死。生き残って帰ってきた子も
目が見えなくなってしまって…。そして戦後の苦しい日々。

戦後まもなく、生き続けること自体が大変だが、それでも仕事にリアリテイを持ちながら
物作りができた時代の職人さんによって作られた自転車が、それから30年経って、
衣食住が満ち足り、物が大量生産されている時代の自転車より存在感があるのは
考えてみれば当然なのである。

私が16年間住んでいるバリ島では今でも40年くらい前の自転車を直し直し乗っている
凄まじいおじいさんたちがかなり多いが、それがまた譲ってほしいくらいのいい味が出た
ヨダレもんの黒光り自転車なのだ。手作りの良さと使いこんだ良さと、なによりも手入れの
良さが光る骨董のような姿かたちなのだ。最後はこの「手入れ」のクオリティでものが決まる。
心は物に宿るのだ。

乗り物の中でも自転車は人間に近い。だからこそ独特の魅力を感じてしまうのだろう。
「二十四の瞳の」あの黒い自転車の存在感とあの映画の存在感はやはり繋がっている。


           
「二十四の瞳」の自転車
         





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『秋刀魚の味』と『晩春』      9月11日「寅次郎な日々」その248        



あけみが初登場した第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」で結婚式の当日、
とらやの茶の間でタコ社長にお別れの挨拶をするあけみの姿があったが、
あけみにしては神妙な趣で、いいことを言って社長を泣かせていた。


小津安二郎監督の『晩春』と『秋刀魚の味』にも娘が結婚する時に
父親である笠智衆さんに挨拶をする場面がある。
『晩春』では紀子役の原節子さん。秋刀魚の味では路子役の岩下志麻さんである。

『晩春』では紀子はしっかり父親に向って挨拶をするが
『秋刀魚の味』では言おうとする路子に対して父親がそれを言わせないで、かわすのである。

私はこの相反する演出のどちらも成功していると思う。

『晩春』の方は紀子がきちんと挨拶し、それを聞く父親も叔母も感動しているのがよく伝わってきた。
長い年月父と娘たった二人で暮らしてきたその歴史と結びつきの強さを象徴するシーンだったとも言える。

一方『秋刀魚の味』は、父親は娘に挨拶をさせないゆえにその愛情が別な意味でより一層
見る側に切実に伝わってくるのだった。この演出も実によかった。


個人的な趣味としては『秋刀魚の味』の演出の方が自分の趣味にはあっている。
つまりあのような神妙な挨拶をまっこうからされるとどうも照れるというか、私の場合
居たたまれないのである。
だいたい、あの岩下志麻さん扮する路子のキャラにはああいう演出がぴったりだ。
小津さんはやはり懐が深いのだ。

下にこの二つの場面をそのまま書いてみよう。



晩春


紀子の前に父親の周吉と叔母のまさがやって来て
その美しさに見惚れている。まさは亡くなった紀子の母親に見せたかったと
涙ぐむのである。


まさ「じゃあ兄さん、なにか紀ちゃんに…」

周吉「いや、もう何も言うことはないんだ」

まさ「そう、じゃあ紀ちゃん行きましょう」

表に出ようとする周吉の前にそっと座る紀子。

紀子「お父さん、…長い間、いろいろ…お世話になりました」

周吉「うん。幸せに、いい奥さんになるんだよ」

紀子「ええ」

周吉「幸せになあ」

紀子、もう一度静かに頷く。

周吉「なるんんだよ、いい奥さんに」

紀子「ええ」

周吉「さあ、行こうか」



        




このあと叔母のまさは、なにか座敷に忘れ物がないか、一人残って部屋をとりあえず
ぐるりと一周するのだが、このタメのある演出は最高。
これだから小津さんは凄い。

なんだかんんだ言っても、杉村春子さんは小津映画を要のところで引き締めている。
小津映画の本当の『要』は笠さんでも原さんでもなく実は杉村さんなのだと
私は密かに思っている。







秋刀魚の味


長男夫妻である幸一と秋子が路子の花嫁姿の美しさに
見惚れている。父親の周平もやって来て路子を優しく見ている。


周平「じゃあ出かけるか」

路子、周平の前に静かに座る。

周平もそっと路子の前に座る。

路子「お父さん…」

周平「ああ、わかってるわかってる、まあ、しっかりおやり、幸せになあ」

路子「ええ…」

周平「さあ、行こう」

路子静かに頷いて父親の後ろをついていく。




         





結婚式の帰り、式服のまま酔っ払い、行きつけの『トリスバー』で落ちこみながら酒を飲む周平。

ママ「今日はどちらのお帰り? お葬式ですか?」

周平「うん…まあ、そんなもんだよ…」


この岸田今日子さんとの絶妙なやり取りも小津さんの独壇場である。

それにしてもこの秋刀魚の味で、長男幸一の奥さん(秋子)役をした
岡田茉莉子さんはなかなかよかった。なんとも面白く、そして輝いていた。
みなさんはこの映画の岡田さんどう思われましたか?
『秋刀魚の味』は意外にもあの若い岡田茉莉子さんが脇でしっかりしめているんだなあこれが。

ちなみに岡田茉莉子さんの最高の切れ味はなんんといっても『晩春』の母娘バージョンでもある
『秋日和』である。あの『秋日和』のチャキチャキの岡田茉莉子さんには惚れました。もう最高。
『秋日和』は岡田茉莉子さんのキップのいい演技を真中において見る映画である。



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『晩春』と『夕焼け小焼け』      9月6日「寅次郎な日々」その247 



笠さんと三島さん そして 宇野さんと倍賞さん


昨日深夜、小津安二郎監督の「晩春」を見ていた時に、
父親役の曾宮周吉を演じる笠さんが古くからの友人である
三島雅夫さん扮する小野寺と鎌倉の自宅で、海はこっちだ
東京はこっちだなんて言うシーンがあったが、あそこを見て、
そういえば「男はつらいよ」の第17作「寅次郎夕焼け小焼け」、
帝釈天参道での青観とさくらのシーンははここからヒントを得たに
違いないと確信した。

山田監督は「麦秋」からもいろいろヒントをもらっていることは第15作の本編更新
時に書いたが、「夕焼け小焼け」と「晩春」の繋がりを見て山田監督がやはり演出の上で
小津監督に大きく影響を受けていることをあらためて感じた。
下にその両方を書いてみる。

ちなみに三島雅夫さんは第4作「新男はつらいよ」で春子先生の父親の友人役で
出演されている。



晩春

紀子にばったり会い、鎌倉の周吉の家を訪ねた小野寺


小野寺「ここ海近いのかい?」

周吉「歩いて、十四五分かな」

小野寺「そりゃいいところにいるねェ。こっちかい海?」

周吉「いやあ、こっちだ」

小野寺「ふうん…。八幡様はこっちだね」

周吉「いやあ、こっちだ」

小野寺「東京はどっちだい?」

周吉「東京は、こっちだよ」

小野寺「すると東はこっちだね」

周吉「いや、東はこっちだよ」

小野寺「ふうん…、昔からかい?」

周吉「ああ、そうだよ、フフ」

ふたりして大笑い。




         




男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け

ラスト近くとらやを訪ねてきた青観。
寅が旅に出たことを知り立ち去っていくその後姿を参道で追いかけるさくら。


青観「お店の方はいいんですか?」

さくら「ええ、暇で暇で困ってるくらいなんです」

青観「ハハハ…」


青観「江戸川はどっちかな…?」

さくら、題経寺の方を手で指して

さくら「こっちです」

青観「あ…」

青観、右の方を指差して

青観「こっちが東か…」

さくら「いえ、こっちです。」と、左を指す。

(本当はさくらの指した方角は厳密に言うと北北西。
どっちかと言うと逆)

さくら「ですから東京はこっちです」と、後ろを指差す。

青観「ん…」

さくら、近所の人に「こんにちはァ」



          


この夕焼け小焼けのラストでも寅とぼたんのやりとりでも似た場面があるのはご承知の通り。




りんごを持つ笠さんの手

それにしても「東京物語」や「麦秋」はもちろんいいが、「晩春」も実に細やかな人間模様が
描かれている。
特に「晩春」の笠さんは間違いなく飛びっきり素敵だった。娘の幸せを心より願う父親の切なさが
スクリーンにいつも漂っていた。ラスト近く、紀子の結婚式の後、周吉の本当の気持ちを知った
紀子の友人のアヤが感動し、感極まって周吉のおでこにキスをするがあの気持ちは私は分かる。
笠さんの凛とした姿、そして娘を嫁がせる父親の孤独が最もよく描かれていた作品だったと思う。
間違いなく笠さんの代表作のひとつだ。

ラスト、りんごを剥く笠さんの悲しい手にこの映画の全てが託されていた。
小津さんの奥深い想像力と研ぎ澄まされた集中力にまたもや脱帽。


そしていつもながら渥美さんの場合と同じことをやはり小津監督に感じるのだ。

小津安二郎の前に小津安二郎無し、
小津安二郎の後に小津安二郎無し。




           




超多忙のため、「寅次郎の日々」のアップが毎回遅れ気味になっていますが
気長にお待ち下さい(^^;)ゝ
あじさいの恋の第2回目のアップはあと1週間ほど先になる
と思います。困った〜…。




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246


                          
『寅次郎な日々』バックナンバー






関敬六さんの背中      8月24日「寅次郎な日々」その246 



今夜仕事が終わっていつものようにサイトを開けると自分の『覚え書きノート』のカウンターの数字が異常に増えていた。
普段は毎日400〜500ほど増えるカウンターが、今日一日で5000以上も
増えていた。
こういう時は間違いなくロクなことが起こっていないのだ。男はつらいよ関係の方々のご不幸ごとがあった時に
よく起こる。…そして推測はやはり当たってしまった。

渥美さんの唯一無二の親友である関敬六さんが今日23日に肺炎で亡くなられてしまった。享年78歳だった。


終戦をインドネシアのジャワ島で迎えられた関さんは特攻隊員だった。数年の抑留生活の後、
芝居の世界に。エノケン劇団を経て浅草フランス座へ。そこで同い年の渥美さんと知り合う。

だから渥美さんと関さんは浅草フランス座時代からの43年間もの濃密な歴史があり、渥美さんにしては極めて
異例の公私ともどもの付き合いをした文字通り親友だった。生前にお二人で遊び半分とは言え位牌まで共同購入
されている仲の良さだ。

谷幹一さん、渥美さん、関さんでトリオ・『スリーポケッツ』を結成し、活躍された。トリオを解散した後もあの
ムッシュムラムラ」ギャグが大ヒットし、日本中を駆け巡ったのは有名である。

幼い私にとっては関敬六さんといえばアニメ 『スーパースリー』のコイル役での声の人だった。

♪コイルはデブッチョボヨヨのヨン〜!だったっけか…(懐かしい…)

フリー(声:石川進さん)は体が水のようになる。
マイト(声:愛川欽也さん)は分身ができる。
それで関さんのデブのコイルは体がボヨヨ〜ンとバネになる。
ムッシュムラムラ!

♪コイルはデブッチョボヨヨのヨン
フリーは気取ってスイスイスイ
マイトが飛びだしゃ(出番だ) パラッ パラッ パラッ♪


       




話は戻って

若い時から関さんと渥美さんはどこへ行くにも一緒だったそうだ。関さんのご子息の結婚式にも親族側に立って
お客さんをもてなしたほどの付き合いだったことは有名。

渥美さんが亡くなられた時に立ち直れなくてご自身も倒れてしまい、二ヶ月間入院したくらい一心同体だった。
その後も月命日にはいつも渥美さんの墓参りをされていたらしい。

事実この「男はつらいよ」の中でも最後の方の作品などはいつも一緒に旅をしてバイをしていた。晩年の体調が悪く、
苦しい時期の渥美さんを一番気遣い、そして渥美さんが一番気持ちをゆるしたのも関さんだったことはスタッフキャストの
みなさんが全員おっしゃっている。
山田監督もお二人がしゃべくり、そして歩いているともうそれだけで独特の世界になり、そのままで絵になる。
と、言われていたらしい。




関さんと渥美さんといえば、このシリーズで私には忘れられないシーンがある。

第34作「寅次郎真実一路」のラスト。



鹿児島県 吹上町 南薩線 伊作駅



線路がはずされてしまっていた無人の伊作駅でいつまでも汽車を待っていた
自分たちの馬鹿さ加減に二人で笑い転げながら何も無い線路の上を歩いていくのである。
その二人の後姿が実に絵になっていて、ただそれだけで涙が出そうになったことをはっきり覚えている。



                



あの風に吹かれていた背中が関敬六さんであり、渥美清さんだ。


彼らは生死の狭間を体験した本物の渡り鳥だった。



今、天国で久しぶりに再会したお二人はどんな話をしているのだろうか。




心よりご冥福をお祈りいたします。





                




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