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寅次郎な日々

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ご注意) このサイトの文章には物語のネタバレが含まれます。
まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。



                 

第41作寅次郎心の旅路そのA  「故郷のかたまり」2006,11,30)

第41作寅次郎心の旅路その@ 「湯布院だろ、遠いよやっぱり」2006,11,28)

第40作寅次郎サラダ記念日そのA インドの通りゃんせ」2006,11,25)

第40作寅次郎サラダ記念日その@ 雲白く遊子悲しむ」2006,11,16

第39作寅次郎物語そのA 人間は何のために生きるのか」2006,11,16

第39作寅次郎物語その@「たった一度の人生を無為に生きる男」2006,11,13

第38作知床慕情 「店番奮闘記&偽札騒動」(2006,11,9 

第37作「幸福の青い鳥 これ、おつり、渡してあげて… (2006,11,8)

第36作「柴又より愛をこめて 」 From Shibamata With Love(2006,11,1)

「男たちの旅路」 吉岡晋太郎の生き様 その2(2006,10,2

あなたにも神のお恵みがありますように(2006,10,21)

真実一路の旅をゆく(2006,10,13)

「男たちの旅路」 吉岡晋太郎の生きざま(2006,10、12)(

警視庁捜査一課 今西刑事よ、永遠なれ(2006,9、27)

「二十四の瞳」と「二十三半の瞳」(2006,9、22)

『秋刀魚の味』と『晩春』(2006、9、21)

『晩春』と『夕焼け小焼け』(2006,9,6)

関敬六さんの背中(2006,8,24)

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『寅次郎な日々』バックナンバー







第41作寅次郎心の旅路そのA  「故郷のかたまり」

11月30日寅次郎な日々その263 


ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品をご覧になっていない方は必ず作品を見終わってからお読みください。




第41作「寅次郎心の旅路」は寅がウイーンに行く話。
しかし、やっぱり寅とウイーンは似合わない。無理がありすぎる。
シリーズもこのあたりになってくると、なんとか目新しいことを取り入れなくては
続かなくなる。苦肉の策ともいえる外国ロケだった。
しかし、そこは地力のある山田監督、見せ場をやはり作ってくれた。


久美子さんは、ドナウ川のほとりで寅のことをこう言う。

「寅さんって『故郷のかたまり』みたいな人」

寅は実は少年期からすでに故郷を捨てた男。だからいつも胸に
懐かしい故郷の想いを秘めて旅をしている。
故郷にどっぷりつかっている人であったならば、ああはならない。
故郷と自分が一体化しているので故郷を想わなくていいからだ。
故郷に帰れないからこそ、故郷のかたまりに見える。

寅の心の中にある江戸川の風景。
久美子さんの故郷も長良川のほとり。

その寅の心と久美子さんの望郷の念がシンクロしたのだ。


「何かわけがあったのか?こんな遠い国へ来たのは…」

この言葉は、日本を離れて十数年、こんな地の果てに隠遁して暮らす私の
望郷の念ともシンクロして、目頭が熱くなってしまった。
故郷に帰りたくても帰れないあの久美子さんの
ぼろぼろ流した涙は、私の涙でもあった。



寅は言う。

その海をずーぅっと行くと、オレの故郷の江戸川に繋がるわけだ…





          




寅は、とうとうと流れ行く美しき青きドナウを眺めながら
腕を組んでゆったりと歌いだす。

なんと「大利根月夜」である。


「♪…あれをごらんと、指さぁ〜すかぁたあーにぃ〜とくらああ、
 利根の流れのぉ〜、流れぇ〜月〜、てねぇー、
 昔、わろおてぇ、眺めたつぅ〜きぃ〜もぉ〜…」



望郷の念を思い起こさせる静かないいシーンだった。
外国で暮らす日本人や故郷を遠く離れて暮らす人々にとって
あのシーンは目が潤んでしまったことだろう。




           








ところで、余談だが、ウィーンロケに渥美さんの仲間である関敬六さんも
プライベートで同行したそうだ。
それでウィ―ンロケにもきちんと後姿とは言え、
飛び入りで映っていて、おまけにセリフまである。


こういう隠されたサプライズゲストを探すのは実に面白く、ワクワクする。
お暇な方はウィ―ンロケのどこで出てくるか見つけてみてください。
結構すぐ見つかりますよ。



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262


                          
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第41作寅次郎心の旅路その@ 「湯布院だろ、遠いよやっぱり」

11月28日寅次郎な日々その262 


ご注意) 下の文章をはじめ、私のサイトには物語のネタバレが多く含まれます。
         まだ映画作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。




第41作「寅次郎心の旅路」でのマドンナは美しいヨーロッパガイドの久美子さん。
しかし私にとってこの作品で印象深い人物は坂口兵馬。この時の柄本明さんは見事だった。
これは第29作「あじさいの恋」の作次郎の弟子、近藤さん役を上回る当たり役だった。


ノイローゼになったサラリーマン坂口兵馬が
東北のローカル線「くりはら田園鉄道」で自殺を図るが
間一髪あと30センチ!のところで電車は止まる。
その時、たまたま寅が乗っていて、死にそこなった兵馬にこう言うのである。

寅「おい、死にぱぐっちゃったなあ…、え、またそのうちやりやあいいや、な、
  立てられるか?よし、おう立った立った、おう、つかまってつかまって


相手を責めるのでなく、相手に逃げ場を与えて
やるこの語りは、人の悲しみを知っている寅だけが言える優しさだった。



         
笹野さん、髪の毛掴まれて(TT)
        



あのシリアスなシーンで、『みちのく卸売りセンター』の
ヨーロッパ家具輸入フェアーの車が可愛い感じで
通過しているのがなんとも可笑しい演出だった。

『あ〜〜〜なたの暮らしにハイセンスな香りを、
ヨーロッパの家具大バーゲンセール!』




宿に移って兵馬が寅に打ち明ける

兵馬
僕…病気なんです…

寅「
う…、うつるの?(^^;)


未だに落ち着かない兵馬に寅はこう言う。

桶にね、お湯を汲んで何杯も何杯もこうやってかける、わかったな

これも味わいのある言葉だ。僕もなにか悩み事のあるときはそうしようと思っている。



そして寅はこうも言ってやる。

寅「
死ぬまでガツガツガツ働くこたあないんだよ、えー、黙ってたっていつか
  死ぬんだから




そんな寅を敬服し兵馬はこう訊ねる。

兵馬「
あなたはどういう方なんでしょうか」

寅「そうよな、まあ、一言で言って旅人。
  家業でいうと渡世人といったところかな



兵馬「旅人かあ…いいなあ〜〜


寅「ははは、いいことばっかりはありやぁしねえよ。
  でもこらしょうがねえや、な、テメエが好きで入った道だから」


兵馬「あなたにとってなんでしょうか生きがいというのは」

寅「
そうさなあ、…旅先で、ふるいつきてェようないい女と巡り逢うことさ、フフフ



           



兵馬「これからどちらへ」

寅「まだ決めてない決めてない」

兵馬「いつ決めるんでしょうか」

寅「
えー…、そうさなあ…これから宿を出て、それから吹く風に聞いてみるさ

兵馬「風に聞くか、いいなあ…」


         



宿を発ち、

兵馬は寅にウイーンに行きたいと申し出る。

寅と一緒に行きたいと。

兵馬「少し遠いんです、ウイーンです」

寅「
ああ、湯布院か…あれは遠いなあ

兵馬「いえ、ウイ―ン!なんです」

寅「
うん、湯布院だろ、九州のな、知ってるよ、遠いよやっぱり」(^^;)



        




まあ、この一連のシーンの二人のやり取りの豊富なこと。
中身の濃い会話や渋い語りがポンポン出てくる。


これを会話の妙、充実と考えるのが」は妥当だとは思うが、

実は…ふと、もうひとつの考えが頭をよぎる。


物語の最初にこのように一気にカッコいいセリフ、美味しい言葉で
トントンと寅と言う人間を説明してしまうということはある意味、「物語を紡ぐ作業」
からは乖離し
てしまう危険性が出てくるのではないか…。

初期の頃や十作台の物語にもこのようなカッコいいセリフや語りは、
あるにはあるが、物語の中でタイミングよくバランスよく語られていた。

最初にまず物語がある。そしてその物語の中でこそ必然的に忘れられない言葉が
生まれるのだ。

ふくらみのある物語のなかでこそ言葉は輝き生きることは自明である。

まあ、それでも何はともあれ、寅のこの一連のセリフはなかなかよかった。

それもまた事実である。
渥美さんの語り口の冴えを聞くことは何ものにも変え難いのだ。




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261


                          
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第40作寅次郎サラダ記念日そのA 「インドの通りゃんせ」

11月25日寅次郎な日々その261 




由紀ちゃんを探すため早稲田の西洋近代史の講義に紛れ込んだ我らが寅。

Industrial Revolution = インドの通りやんせ
イギリスの蒸気機関を発明したワット = 平戸出身のワット君(良介)

と聞こえる寅が早稲田の杜にやって来て、大爆笑を巻き起こす。



教授「あなたにはワット君という友人がいるのですか?」

寅「うん、いるよ」

教授「やっぱり、イギリス人?」

寅「何言ってんだろうな、非常識だねえ〜。
  日本人に決まってるでしょ、
  
宮城県出身!!!
  なんにも分かってないんだから、ねえ」

ちなみに宮城県はワット君を演じた中村雅俊さんの故郷。
だから長崎県平戸と言わなかったのは楽屋オチのギャグです。


学生たちは寅のオーラとその語りの上手さに聞きほれ、大いに盛り上がる。
教えていた教授までも一緒に惚れ惚れと聞き入ってしまう。
寅というのはほんとうに不思議な人だ。知らない間に人々を魅惑してしまうのだ。



          





このシーンは
私にとって、懐かしさと共に感慨が深くなるのである。

この「西洋近代史」の講義が行われているのは本部、(おそらく6号館の)402教室だという設定なのだが、
実は私が自分の人生に決定的な影響を与えてくださった恩師の坂崎乙郎教授の講義『芸術学』を
毎週受けていたのが、この6号館のあのあたりの4階の視聴覚機材のある教室なのである。
あの教室にも視聴覚機材があった。スライドが使えるように窓にも黒いカーテンがセットしてあるのが
作品のスクリーンの端に見えたので、正にあの教室かもしれない。…か、もしくはその隣か…。まあもっとも、
あのあたりの部屋はだいたいどれもあのような形ではあったが(^^;)

まあ、だいたいあたりだったのは確かだ。



          
由紀ちゃんの横に見えるのが本部の6号館
           


坂崎乙郎先生は、実は私とは学部が違うのだが、私の聴講の申し出を快く承諾してくださり、
結局大学1年から4年まで、そして卒業してからも時間をやり繰りして5年間ずっと、
講義を受け続けた。坂崎先生はその次の年に57歳で急死されてしまったので、私たち学生は
坂崎先生の最後の教え子だった。

先生は1時間半の講義時間を必ず毎回越えて講義してくださった。
それも20分や30分超過でなく、1時間以上必ず超過し、3時間くらいになる日も決して少なくなかった。
講義を少し短く終わる教授は腐るほどいた、っていうかほとんど全員そうだった。だから毎回講義を
3時間近くもされる変わった教授は私の知っている限りでは坂崎先生以外一人たりともいなかった。
教授たち全員が休講する野球の早慶戦の日でさえ坂崎先生は休まず、情熱的に講義をされた。

もちろん坂崎先生は画家ではなく、美術評論家なので当然絵画の技術的なことは教えなかったが、
絵を描くとはどういうことか、絵を見るということはどういうことか、そして画家として生涯を貫くと
いうことの厳しさと喜びと、なによりもその絶対的な孤独を全身全霊で伝えてくれた。決して左脳的な、
概論のごとき眠くなるような講義は1日たりともされなかった。1日たりともだ。

そういう意味でも非常に特異な講義だったと、今でも思う。坂崎先生と出会わなかったら、私は今、
絵の道には進んでいなかっただろう。


私がこの第40作「寅次郎サラダ記念日」を自分のベスト24作品になんとか滑り込ませたのも、
潜在意識の中にこのような個人的な思い入れがあるせいかもしれない。
私は、ただの「私人」なので、そのような身勝手な作品の選び方があってもいいと思っ