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まだ作品をご覧になっていない方は作品を見終わってからお読みください。



                 

播州龍野 未踏峰ロケ地 完全制覇 その@(2013年6月18日)

かがりさんの住む町 丹後伊根  実家とその周辺(2013年5月31日)

播州龍野 丹後伊根 備中高梁3大聖地パーフェクトロケ地めぐり達成 その1
(2013年5月17日)


播州龍野 ガレリアにて 吉川孝昭龍野風景スケッチ展を開催します(2013年4月29日)


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第43作「寅次郎の休日」ダイジェスト序章 解説と前半

阿弥陀仏此処を去ること遠からず(2012年9月16日)


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549


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年6月18日  寅次郎な日々 その549


播州龍野 未踏峰ロケ地 完全制覇 その@



これまでに登頂されて来なかった龍野ロケ地を
まとめてみよう。

龍野は名作第17作「夕焼け小焼け」のメインロケ地だけあって
かなりのシーン数になるおおよそ数えただけでも30シーンはあるのだ。

私のいつもお世話になっている龍野在住の小手寅さんが
大事な名場面は数年前にすでに全て事前に
調査してくださっていた。
それゆえ私も昨年龍野を訪れた際にメインの場所は
小手寅さんの案内で回らさせていただいたのだ。

しかし、龍野はまだまだ奥が深い。
まだまだそれでも救いきれないロケ地やB班が独自撮影した風景ロケ地があるのだ。

以下未踏峰をまずはおさらいしてみよう。↓



@
龍野導入部分の最初のカット。
寅友の小手寅さんもなかなかピンポイントで
探せないでいた場所。

今回初登頂!成功!

  




A
その直後のカット。
これも山の形や家々などで判断するしかない
非常に難しいカット。


今回初登頂!成功!

  


ちなみに、 @とAが映った直後、車の中の青観たちの姿が
入り込む。その時の車窓風景があるが
これは私が乗り込む前に小手寅さんがピンポイントで落城させてくださっていた。


  


  
B
 
そして清江橋で寅を拾い、車は龍野の町の中に
入っていくのだ。
その時のカット。
ここは意外にも難攻不落の場所なのだ。


今回初登頂!成功!

  




C
ドンちゃん騒ぎの翌朝、寅は無理やり観光課の案内で
町を連れ回される。
その時の車窓風景の中で、「門の外 地区」が映った直後の
3〜4秒のカット。この数秒もなかなか難攻不落だった。

今回初登頂!成功!

  




D
2日目のドンちゃん騒ぎの直前の夕焼け。
この屋根と向こうの丘だけしか映らないカットは
ロケ地としてはギリギリで、これ以上アップで撮られると
もうそれはロケ地映像ではなくなってしまう。

このぜったい無理だと思われていた場所も
私たちは落城させたのだった。

今回初登頂!成功!

  




E
そして、最後にてこずったのがこのカット。
志乃さんが手を振るあのシーンの直前のカット。
ほんの数秒。
どこかわからないのだ。

しかし、残り滞在時間をあと数時間残すところで
なんとか龍野の全ロケシーンを完全解明した。

今回初登頂!成功!

  




F
この子供たちの水浴びシーンは
もちろんガレリア近くの揖保川川原なのだが
今までに誰一人ピンポイントでその場に立った人はいない。
実際今回ピンポイントの場所を特定するために川原を歩いたが
結構時間がかかった。

今回初登頂!成功!

  



これから何回かに別けて
以上7ヶ所の初登頂記録を書いていきたい。




さて、まず大きな発見その@

あの龍野導入部分の風景。


私は最強のメンバーである小手寅さん、ちびとらさんと3人で探索。
龍野は全員昨年も来ているし、地元の小手寅さんの事前調査などもあって
揖西町エリアだと言うことは山の見え方である程度見当は付く。
で、事前に地元龍野の住民である小手寅さんが見つけてくださった場所を
まずはあたってみるが、どうもギリギリでしっくりこない。

3人で聞き込みをしているうちに大きな目印が今も残っていることがわかっていった。

実は、映画で映っているこの赤丸の家ね。↓

これがなんとまだ残ってたのだ。


    


でも、新築の家が前に建っていて、かなり近づかないと見えて来ない。
だからなかなかわからなかったのだ。

近くの農家の方に聞いてこの建物だけが残っていること
がわかったのだ。

三村さんの家。


そしてその家の方、三村さんに直々お聞きして映画のあの赤丸の家と
同じ家であることが確定。


    


家のそばまで行ってその家の方に確認。
今も変わること無く同じ形でお住まいになっておられたのだ。

    


    そして映画のカメラの方向に徐々に離れて行ってみる↓

     




ちょうどピンポイントだと思われる場所まで後ろに下がって行き、
そこにある家の方々に取材敢行!
出羽さんとおっしゃる家で、まさしくこの出羽さんの納屋の塀から撮ったものだった。

     




大きくはみ出ていた柿の木は、数日後に今度は京都から来られた寅増さんと
出羽さんの納屋を再訪した際に、数年前におじいさんが柿の木を切られたと証言。
そして、その木は茂みに今も残っていた!確かな物証。


       





       寅増さんが指差すのが映画で映っていたあの柿の木の枝の部分。↓

     




    



↓写真の右の壁を見ていただきたい。

上の納屋の白壁がまだ残り
ラインも残っている。

この下の部分も
トタンがはがれている部分を覗くと
黒い板塀がまだしっかりあった!


    



    



そして前の家の鬼瓦が今も一緒!




     





     







     




黄菖蒲が咲いていたのは黄色で囲った部分だと思われる。



     






このあと小手寅さんから、あの出羽さんの家の庭に5月末に菖蒲が咲いていたとの吉報が入った^^
それも映画と同じ
黄菖蒲だったのだ。



   この写真は小手寅さんが今年5月終わりに撮られたもの。↓ あの家も写っている。

   



ということで


たつの市揖西町前地206  出羽邸の納屋前  で決定! 登頂



   







そして二度も自宅前にお邪魔したせいか
この出羽さんご家族は
その後私の展覧会をご覧になるためにわざわざガレリアに来られて
カフェでお茶を飲まれて
おばあちゃんが、かわいい布かばんを買ってくださいました。

出羽さん、本当にいろいろお手伝いありがとうございました。



      




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
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548


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年5月31日  寅次郎な日々 その548


かがりさんの住む町 伊根  
実家とその周辺

播州龍野 丹後伊根 備中高梁
3大聖地パーフェクトロケ地めぐり遂に達成 その2


前回は最も実現したかった寅とかがりさんの
別れの航路再現を亀島丸の山田船長さんの
計らいでなんとか達成することが出来た。


別れの桟橋 寅のたどった航路 再現

動画   
http://youtu.be/p4BJkTBMCbA


そして前回は、さらに、
海から、かがりさんの洗濯シーンがおこなわれた
北野商店さんの裏を紹介した。

今回は映画本編の通り、
つまり陸から北野商店さんにおじゃまして
無理を言って家の裏から撮影させていただいた。
洗濯物を片付けてきただき、ほんとうに恐縮でした。
北野さんご家族に感謝ですm(_ _)m

動画  http://youtu.be/VduQ_pp6wDY


  

北野商店さんの裏。洗濯機の場所より世界初の撮影 ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイおおげさ
  


北野商店のおかみさんの話によりますと
あの洗濯機は、北野商店さんの持ち物で
そのままお貸ししたそうだ。
また、いしだあゆみさんが足に怪我をされて
診療所で治療していたのを心配されて、
当時結婚されて間もなかった萩原健一さんが
撮影場所の北野商店さんに電話をかけられたとのこと。
いしだあゆみさんはその電話でショーケンさんと
お話をされていたようだ。




さて・・・



そして、


海からの撮影としては

今度はかがりさんの実家を海から撮ってみた。

動画 http://youtu.be/429Jhtm1o98


   



もちろん、陸からの撮影もしてみた。
許可を頂き撮影しています。

    



あの舟屋への入り口は健在。

    


階段の上部からちょっと2階を手を伸ばして撮ってみた。
これは寅が寝ていた部屋。
やはりあれは100パーセント大船セットだとわかる。

山田組さんたちは、かなり忠実には再現していたが
やはり、梁の大きさ、太さ、曲がり具合や、垂木の幅と数。
部屋全体の広さなどが違う。
階段の幅、材の大きさなどもかなり違う。


    


    


実際の階段とかがりさんの下りていった階段は倍近く幅が違う。
映画の時はひとつ手前の、入り口に近い梁に階段が掛けられていた。

    


映画は階段最上部の梁への掛け方がまったく違う。階段の幅もかなり違う。↓
    


    


映画では入り口に近い手前の梁に階段をワイヤーで取り付けていた。
    


翌朝のシーン

    


    


    

   


   




さて・・・


そのかがりさんの実家のすぐ横

今度は
難関不落だったある舟屋内部から歩く寅が映る小さなシーン。
海からその近くの舟屋シーンを撮ってみた。
撮影許可を得て撮っています。


このシーン↓

    


    


   




    


     現在も雨どいと屋根のあり方が同じ
    




    


    



    



海からの動画
http://youtu.be/bqLyIBvouPs


あの舟屋からちょっと北に100メートルほど歩いたら
八坂神社の階段があり、その階段途中からの眺めが
本編で採用されているのだ。


      


  




あの舟屋はかがりさんの実家からすぐだった。





   


ところで、以前も書いたが、

実際はかがりさんの実家は厳密に言うとこの上に記した家の他に
夕日の中語り合ったあの対岸の場所。
ラストの洗濯機の置いてある場所。

合計3箇所もあるのだ。







夕日の中語り合った場所はまったく逆の南東側。

ちょっとその夕日の二人の場所も
亀島丸の山田船長さんにお願いして船で行ってみよう。


で、この動画は、湾内を移動中の動画。

けっこう晴れてまして気持ちが良かった。

ぐるり360度いろいろ紹介してみる。



動画 海の真ん中から湾内をぐるりと見渡す
http://youtu.be/ls9xP1RFwLw


寅とかがりさんが夕日の中
身の上話をしていたあのしっとりとした場面。
あの場所はかがりさんの実家から自転車で10分以上かかる
対岸の南端。

赤丸がかがりさんの実家。
黄緑丸が寅とかがりさんが話をしていた実家付近の裏。


湾を挟んで西北と東南。これだけ離れている。

    


映画を見ているほとんどの人は↓の二つのシーンは
カメラの流れからして同じ場所かごく近くだと思っていただろう。

  左がかがりさんの家から海を見たところ。湾の西地区
  右の写真はかがさんと寅が話しているところ。湾の東地区


    



海からの動画撮影です↓


動画
http://youtu.be/dSiFbSCoE4Y


そのあと↓もちろん映画どおりに陸からも取材した。

動画http://youtu.be/nG3gNK2KaBU

    


   


   



今回はこのあたりでお開きということで^^。




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年5月17日  寅次郎な日々 その547



播州龍野 丹後伊根 備中高梁
3大聖地パーフェクトロケ地めぐり遂に達成 その1


第17作「夕焼け小焼け」で有名な播州龍野「ガレリア」での展覧会は
思いのほか大成功だった。
全面的に応援してくださったガレリアのオーナーの井上さん、
宿泊を受け入れていただいた井上さんのお兄様であるアポロスタヂオの若林さん、
井上さんの親友でもある縁の下のスーパー力持ち、スタッフの松本さん、
他、美しく聡明なスタッフの方たち、
みなさんありがとうございました。
こんなに全面的に継続してバックアップしていただいたのはこの仕事をして初めてでした。

龍野在住の町を愛するみなさん、
遠くから来てくださった私の寅友たち、
ひっきりなしに来てくださったガレリアのお馴染みのお客様たち
ほんとうにすばらしく濃密で有意義な時間をいただきありがとうございました。

来年はさらにパワーアップして再度このGWの頃に
展覧会を企画していただくことに決定!


    


    


で、仕事とは別に、ガレリアの目の前にあるアポロスタヂオに宿泊しながらロケ地の全解明にも
全力投球した。

これには、龍野在住の、私の大事な寅友であり、
ロケ地めぐりの達人である、豪腕「小手寅さん」の協力が大きな助けになったことは
言うまでも無い。

本当に感謝してもしきれない。
小手寅さん本当にありがとうございました。

また、ガレリアのオーナーである井上さんも展覧会以外でも
このロケ地探索に関してかなりお手伝いや助言をしてくださった。




で、成果として大きく別けて3つある。

■第17作「夕焼け小焼け」の全ロケ地、
  車窓風景や風景だけのカットもすべて含めて全シーンを完全解明した。

■第29作「あじさいの恋」伊根全ロケシーン解明。
  および寅とかがりさんの別れの桟橋をチャーターボートで再現してみた。

■第8作「恋歌」と第32作「口笛を吹く寅次郎」備中高梁全シーンを
 風景カットも含め完全解明。


4月30日から5月14日の間に上記の3箇所を
電光石火で完全制覇したのだ。


この三箇所はあまりにも膨大な情報量になってしまったので
順番に書いていくと気が遠くなる。

そこで・・・

「播州龍野ロケ」全解明記事も

そして「備中高梁ロケ」全解明記事も

そして「丹後伊根ロケ」全解明記事も

いろいろまぜて 思いつくところから、印象深いところから
運動神経でランダムに、そして次々にアップしていくことにする。
1ヶ月ほどでバッと書いていきたい。
もちろん最終的には3箇所の全てのロケ地を全部アップしてしまうのは
言うまでもない。


今日はその1 


おそらく 「その15」くらいまでは行くと思う。





さて、

第29作「あじさいの恋」での伊根ロケはなかなか味わい深い
しっとりとした物語だった。
特に夜に寅が眠るシーンと次の日のかがりさんとの桟橋での別れの
演出が秀逸。



今日は第1回なので
この連絡線が桟橋をどんどん離れていくあの切ないシーンを
いきなり動画で紹介したい。

伊根はとにかく遠い、龍野から行こうが、実家の大阪から行こうが
往復バスも含めて7時間半もかかってしまう。
しかしなんとか全ロケ地をまわることが出来た。

そして今回は海からチャーターの船であらゆるロケ地を海側からも撮影できたことは
新鮮な出来事だった。

あのラストシーンの洗濯するかがりさんの家も見つけ、家の中から撮影をさせていただいた。
かがりさんの実家も、寅が寝ていたとされる舟屋の二階にも上がらせていただいた。
カマヤ海岸の絶壁を通るバスも撮影できた。
等々実りの実に多い伊根の旅立ったのだ。


       


で、・・・・今回は、
別れの桟橋からの連絡線航路をたどってみよう。


      



まず、寅を乗せた船は桟橋を離れていく。
当時は桟橋が突き出ていたので舟と陸との距離は当然短かった。
現在は、桟橋が取り外され、やや距離がでてしまってはいる。
この映画ロケが行われた1982年当時、すでに宮津行きの連絡線は
廃止になっていて、この桟橋も使われることはなかったらしい。
それゆえ山田組の方々はチャーターをし、撮影に臨んだのである。


     




当時、伊根の人たちはこの桟橋の場所を「汽船場(きせんば)と呼んでいたと言う。

寅を乗せた連絡線は、湾の中へとしばらく進んだあと西南の方向にUターンし、
今度は宮津に向かっていくのだ。


     



しかしかがりさんの桟橋に近づきながら走っていったため
実際は「青島」の手前を走ることになり宮津ではなく外洋に向かっていくこととなった。

「かがりのテーマ」が悲しく流れる中
桟橋で見送るかがりさんが小さく映る。
このシリーズでも屈指の別れのシーンだ。


       



そして、船はどんどんかがりさんから遠ざかり、
ついには彼女のたたずむ桟橋は見えなくなっていく・・・

遠くに遠ざかっていく桟橋のかがりさんを見つめている寅だった。

        




連絡船は、外洋に出て行き、かがりさんの立つ桟橋は隠れていく。

        



そしてついには見えなくなってしまうのだった・・・

        






それぞれの撮影場所は@ABCです↓





      @
      


      A
      



      B
      



      C
      







本編を再現するとこうなる↓



かがり「
寅さん…


寅「え…?

寅、戻ってかがりの元に近寄る。

かがり、寅をすがるように見つめて

かがり「もう、会えないのね…


            


かがりのテーマが流れる ギター演奏


寅、彼女の目の強さに圧倒されながら、

寅「いや…、ほら…風がな…、風がまた丹後の
 方に吹いてくることもあらあな…



             


と微笑む。

かがり、うつろな目で首を振る。



            



じっとかがりを見つめる寅。


             


汽笛の音

プゥー!

寅、船を見て、急いで乗船していく。

かがり、寅を見る。



         


動き出す船からかがりを見る寅。

寅を見つめ、そして下を向いてしまうかがり。

寅「元気でな!

汽笛 プゥーー!!

船にはためく日章旗

遠ざかる船から寅を見ているかがりが小さく見える。

           


マンドリンによるかがりのテーマ

音楽は静かに高まりそして悲しく伊根の海に響いていく。



真面目な顔で手を振る寅。

遠く小さくなってしまったかがりを見つめる寅。
    
いつまでも寅を見続けるかがり。


        


汽笛の音

キラキラ光る伊根の海

プォーー!!             





それではその航路をたどった動画をご覧ください。
海上タクシーの船長さんは「亀島丸」の山田敏和船長さん。
とても親切に私の無謀な願いを100パーセント聞いてくださった。
おまけに30分近くも多めに協力してくださり、もともとの約束の金額以外は
受け取ろうとされなかったまさに紳士さんだった。

       







別れの桟橋 寅のたどった航路 再現

動画をご覧ください。↓    
http://youtu.be/p4BJkTBMCbA




亀島丸さんにはいろんなところを回っていただきました。

たとえば、
かがりさんの洗濯しているあのラストシーン
海側から動画で撮影できました。



   



動画

http://youtu.be/WLwEHVIb5_U











第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ








546


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




2013年4月29日  寅次郎な日々 その546



播州龍野 ガレリアにて 


吉川孝昭龍野風景スケッチ展を開催します。


同時開催 バリ島からの贈り物 オリジナル 籠・染・織 展


2013年5月2日(木) ー 5月14日(火)

11:00 - 18:00

5月8日定休日




      




南国バリ島で暮らされて来た洋画家の吉川孝昭さんが播州龍野を訪れたのは
昨年のまだ春も浅いころでした。
寅さんの映画が大好きな吉川さんは、映画のロケ地である龍野の町やガレリアの洋館を
とても気に入られ、あれよあれよという間に展覧会の話が進んで行ったのでした。

今回は、吉川さんの描かれた数々の龍野の風景スケッチはもちろんのこと、
もうひとつのお仕事であるオリジナル染織工芸デザインの作品二百点を、
お求めやすいお値段で即売いたします。
洋服、シルクストール、寵かばん、タペストリー、布かぱん、小物、
そして二十年以上現地で収集され続けているアンティークのイカット、バティックなど、
多種多様な東南アジアの染織工芸の世界をお見せできると思います。

GALLERIA ARTS&TEA





       

       
    Phone 0791(63)3555

http://www4.ocn.ne.jp/~galleria/index.html




龍野風景ポストカードも同時発売します。↓

 





        




      



          






          





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



播州龍野 丹後伊根 備中高梁
3大聖地パーフェクトロケ地めぐり達成 その@


龍野「ガレリア」での展覧会は
思いのほか大成功でした。
全面的に応援してくださったガレリアの方たち、
龍野のみなさん、寅友、次々に来てくださったお客様たち
ほんとうにすばらしい時間を下さってありがとうございました。


■第17作「夕焼け小焼け」の全ロケ地
  車窓風景や風景だけのカットも含んで全シーンを解明した。

■第29作「あじさいの恋」伊根全ロケシーン解明。
  および寅とかがりさんの別れの桟橋をチャーターボートで再現してみた。

■第8作「恋歌」と第32作「口笛を吹く寅次郎」備中高梁全シーンを
 風景カットも含み完全解明。


4月末から5月14日の間に上記の3箇所を完全制覇しました。


この三箇所はあまりにも膨大な情報量になってしまったので
順番に書いていくと気が遠くなる。

そこで・・・

まずは「播州龍野ロケ」全解明記事も

そして「備中高梁ロケ」全解明記事も

そして「丹後伊根ロケ」全解明記事も

いろいろまぜて 思いつくところから、印象深いところから
次々に1ヶ月ほどかけて全部アップしていくことにした。


今日はその1 おそらく その30くらいまでは行くと思う。


第29作「あじさいの恋」での伊根ロケはなかなか味わい深い
しっとりとした物語だった。
特に夜に寅が眠るシーンと次の日のかがりさんとの桟橋での別れの
演出が秀逸。


今日はこの連絡線が桟橋をどんどん離れていくあの切ないシーンを紹介したい。










第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
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545


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2013年4月14日  寅次郎な日々 その545



蒼穹の江戸川風景  吉川孝昭スケッチ展


今日は葛飾区の行事に参加した。
と、言っても、なんのことはない、「寅さん記念館」でのフリーマーケットに出店したのだ。
今回は開催準備と片付けもお手伝いさせていただいた。

この行事は年に4回ほどあるが私は毎回楽しみにしている。
『臨時収入』と言うものはとても心地が良い。
もちろん数万円入っても無駄遣いなど一切する気は無いが、やはりそれでも
臨時収入と言うものは嬉しいものだ。


   



昨日の準備作業中に、11月の寅さん記念館での絵画展を館長さんと相談して
決めていただいた。



蒼穹の江戸川風景 吉川孝昭スケッチ展 
(仮題)

2013年 11月29日(土)より12月15日(日)まで

葛飾柴又 寅さん記念館 休憩室 にて



今のところの予定としましては
新作油彩画 水彩画 を中心に25点以上出す。
(水彩画が8割)

柴又 江戸川風景 が6割

寅さんが歩いた各地の風景が4割

ほとんどが2013年に描いた&描く予定の新作


昨年のような総合的な絵画展ではないが
そのかわり、8割以上が2013年に
描いた&描く予定の作品。

また秋頃にきちんとお知らせいたします。


     



で、今日のフリーマーケットでは同じ町内(柴又7丁目)に
昔からずっと住まわれている写真家のFさんが久しぶりに
来てくださってお昼ご飯を一緒に食べながらしばし歓談した。
Fさんは以前、そう、あれはちょうど2年前、
寅さん記念館での私の個展の時にも来てくださって
第9作「柴又慕情」のロケ現場の写真を私に1枚下さったことがあった。

     


     



Fさんは、その時に撮ったものはほとんど紛失してしまったらしいのだが、
コンタクトプリント、つまり「ベタ焼き」の一部が彼の家に残っていて
それをわざわざ、寅さんファンの私に今回あらためて見せに来てくれた。

そして、第9作「柴又慕情」だけでなく、第10作「夢枕」のロケも写されていたのだ。
なんととらやの斜め向かいにあったパーマ屋「アイリス」前でのロケだ。
Fさんに手で持っていただいて、素早く私のデジカメで接写させていただいた。
どれもこれもとても凄まじく貴重な写真だった。



どうぞみなさん ベタ焼きの数々(一部)をご堪能ください。↓



なんと、
第9作でも、寅と歌子ちゃんと源ちゃんで江戸川舟遊びをしていたのだ!↓ 本編では使われなかった。
結局第13作「恋やつれ」でこのシーンのアレンジ版が使われることに!
     




     



                              



 




  





     

     



   




    





おまけの写真。

今日、フリーマーケットで私の真向かいで出店していたあるお嬢さんが
こんな雑踏の中、静かなたたずまいで、絵になる雰囲気をかもし出していた。
Fさんも、彼女は写真になると直感したらしく興味をもたれ、写真を撮らせてほしいと
お願いされていた。
で、私も便乗して、絵を描くかもしれませんとお伝えして
彼女のポートレートを数枚撮らせていただいた。
聞いてみると、彼女は現在ある国立大学の理科系院生なのだが、
お母様がフリマに出店しているので
勉強の気分転換にちょっとお手伝いに来られたようだ。
さすがにフリマ中ゆえ、ごったがえしていて
鉛筆でのスケッチはかなわなかったが、なんとかこの数枚の写真をイメージにして
自分なりの小さなタブローにしてみたいと思っている。


      





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
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2013年3月28日  寅次郎な日々 その544



「桐島 部活やめるってよ」

「映画監督は、無理」
「でも時々ね、オレたちの好きな映画と、
今自分たちが作っている映画が、繋がってるんだなって・・・」



母親の納骨のために父親、連れ合い、息子ともども
三重県の名張市南古山に3月25日に行ってきた。
私には20年ぶりの帰郷だった。
私の母親はこの村で私を産んだ。
つまり私はここで生まれたのだ。
連れ合いと息子にとっては、はじめての三重県だった。
一昔前までこのあたりの村々はみな土葬だった。
私も祖父や祖母の棺おけを大人に混じって担ぎながら埋葬の山に登ったものだ。

15年ほど前からは過疎が進み、その山の埋葬地では土葬は行わず、
お骨を掘った穴に埋めるようになってしまった。
他の地方のように墓の中にお骨を収めるのでなく、
土に入れてしまう。
やはりそう言う意味では今でもまだ土葬だといえる。


帰りには、母親の実家である、南古山から里山をひとつ越えた伊賀市大滝にも行って来た。

     


この山奥の過疎の村「大滝」と「南古山」にいずれ数十年後、私も分骨してもらおうと思っている。
私にとっての唯一無二の故郷だ。


     




そういうわけで、ここのところ約10日間ほど絵も描けなかったし
映画も観れなかった。

で、昨夜26日、夜遅く東京 柴又に帰ってきて、ようやく映画らしい映画を観た。

ここからようやく映画の話。

   


「桐島 部活やめるってよ」吉田大八監督  神木隆之介 主演

田舎町の県立高校で映画部に所属する前田涼也は、クラスの中では静かで目立たない、
ピラミッドの最下層に位置する。つまり、クラスメイトには相手にしてもらえない存在。
そんなある日、バレー部のキャプテンを務める学校のヒーロー的な桐島が
突然部活を辞めたことをきっかけに、
各部やクラスの人間関係に徐々に歪みが広がりはじめ、
それまで存在していた校内のヒエラルキーが崩壊していく。という物語。

私流に解釈すると、
学校で、どうでもいいような虫けらのようなやつらと思われていたある生徒たちが
一見ルックスも良くて華やかで青春を謳歌しているように見えた連中よりも、
実は自分の歩むべき道をブレることなく、
そして仲間のヒーローに自己を依存することも無く、独立独歩で歩んでいたんだと、
もう一人のイケメン主人公である菊池宏樹が気づいていく映画だ。

高校生向けのただの青春映画に見えて、実は大人の映画。
逆に言うと、高校生が見ても、自分たちの現在のメモリーと照らし合わせれるのは
クラスや学校での残酷なピラミッド構造や男女の恋愛物語などのマニアックなディテールにとどまる。
それらも面白いが、やはりこの物語の本質はそこにはない。
その先にある人生の「核」の闇と光を彼らが想像することは難しいだろう。
一部を除いて未だ継続してその苦しみと恍惚を体験していないからだ。


    

冴えない映画部のメンバーである前田君役が神木隆之介君。
彼はあの「風のガーデン」で大きな長丁場の修羅場をくぐっているから、
若いが最強の俳優。



その彼が、この映画のラスト付近で将来映画監督になるのか
って聞かれて答える台詞がこれ。
ラスト付近での「上層だと思われていた者(菊池宏樹)」と「下層に置かれていた者(前田涼也)
その二人の主人公の邂逅時の会話。



「将来は映画監督ですか?」

「え? んー・・・・、どうかな・・・」

   


「女優と結婚ですか?」

「えー・・・いやあ〜〜〜、ん〜〜〜」

「アカデミー賞ですか?」

「ん〜〜〜・・・・、でも・・・・それはないかな」

「え?」

「映画監督は無理・・・・」


    


「じゃあ・・・なんで・・・こんな汚いカメラでわざわざ映画を・・・」

それは、んー・・・、でも、時々ね、
俺たちが好きな映画と、今自分たちが撮ってる映画が繋がってるんだなあ・・
って思うときがあって、・・ほんとにたまになんだよ、たまになんだけど、
いや、それが、こう、なんか、フフフ
、」


    


このあと、菊池宏樹は涙を浮かべる。

彼は気づくのだ。

自分の中が空洞だったことに。




そしてもうひとつ。

前田君が、自分が監督をするささやかなゾンビ映画のシナリオの中で、主人公に言わせる台詞。

闘おう、ここが俺たちの世界だ。
俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから



    



誰もが大きな才能を天から授かっているわけではない。
だから天才は千歩歩めるところを、才能薄き私たちはたった10歩しか歩めないかもしれない。
それでも歩む方向と目的地は同じだと思いたい。
目指す同じ目的地を見つめていることが重要なのだから。

山田洋次監督も小津安二郎監督を遠く見つめながらそのような気持ちでいると思う。
渥美さんも、笠さんも、同じ目的地を見ていたと思う。
絵を描こうが 映画を作ろうが
無謀を承知で、人生の闘いの切符だけはこぶしの中に握りしめて
先達と同じ方向を向き歩んでいき、1つでも2つでも作品を残したいと切に思うのだ。


    



隠れ名シーン

「あの・・・キャプテンって3年じゃないですか。
何で引退しないんですか?」

「ドラフトが終わるまでは・・・ドラフトが終わるまではね」

「キャプテンにスカウトの人とか・・・」

「来てないよ、来てないけどね・・・ドラフトが終わるまではね」


    






第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
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とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
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543


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年3月11日  寅次郎な日々 その543



東京家族の中で「幸福の黄色いハンカチ」を発見!


今日はあの震災から丸2年経った日。


現在私はバリ島からバンコクへ再度来ている。

3週間前にもバンコクに滞在したが、また仕事で立ち寄っているのだ。
それで3月12日にバンコクを発ち、13日の朝に成田に着く。

飛行機が少しでも遅れたら息子はそのまま柴又へは戻らず、
その脚で、午前中から行われるデザインコンペの表彰式に出席するために
麻布へ急がなければならないそうだ。帰る早々ほんと大変^^;
彼は「大賞」をとったので間に合わないとシャレにならないようだ。
彼の旅行荷物は誰が持つ 私か・・・(T T)



まあ今回は1ヶ月の旅。
短めの長旅だった。



そういえば、第12作「私の寅さん」で留守番をする寅が、
九州旅行から帰ってくるさくらたちを心を込めて迎えてやるが、
ああいうやり取りは実に心温まるものだ。

寅は旅人なので、誰よりも旅の心労は骨身にしみているのだ。


寅「あーあ、久しぶりの長旅から帰ってきて家の中が
 カッ散らかってると気分が悪いからなー、なあ、社長」

寅「いずれそのうちにその入り口からおいちゃん、
 おばちゃん、さくらがよ、
 こんな大きな荷物を抱えて、
 あーあー、くたびれたくたびれた、
 家が一番いいよー、
 なんて言って帰ってくるんだよねー」


     


寅「そのときの、この迎える言葉ってのが大切だな。
 『あ、お帰り疲れたろう?さあ、上がって上がって』ねー!

 熱い番茶に、ちょっと厚めに切った羊羹のひとつも添えて出す。

 ホッと一息いれたところで、
 『風呂が沸いてますよ』っと手を差し出す。


     


 長旅の疲れを、すっと落とす。出てくる。

 心のこもった昼飯が待っている。ねー!
 温かいご飯!しゃけの切り身 山盛りのお新香 
 『どうだい、旅は楽しかったかい…?』
 たとえこれがつまらない話でも『面白いねー』って
 聞いてやらなきゃいけない。

 長旅をしてきた人は
 優しくむかえてやらなきゃナー…」

     


なんともいいアリアだね。名場面だ。



ところで、

老夫婦が瀬戸内から東京まで長旅をする映画「東京家族」は今も映画館で上映中だが、
私の寅友であり、相互リンクしていただいている
播州龍野在住の「小手寅」さん
この映画を気に入って4回も観に行かれている。

そして4回も観に行くといろんなことに気づくそうだ。
もちろん私が7秒も映っているのはとうの昔に彼はチェック済み^^;ヾ

彼が本編の中で気付いた興味深い仕掛けをここに記してみよう。


・昌次の車のナンバーが妻夫木君の誕生日
・犬童一心監督が出演 スカイバスで昌次の隣の席
・ちいさいおうち 本屋で紀子が手にする絵本 小さいおうちは監督次回作
・正蔵「どーもすいません」「たいへんなんですから、もう」
・昌二が屋根で瓦を直している背景の街並みに黄色いハンカーチーフ群が映る。



ちなみに私は試写会と本番で2回観たが黄色いハンカチはまったく気付かなかった・・・。
小手寅さんはできる!

で、ちょっと検索してみると・・・

老夫婦の家があったロケ地広島県犬崎上島 (おおさきかみじま)では
その時の撮影を記念して今も黄色いハンカチを掲げているということだ。


       


もう一度観に行こうかなあ・・・





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年2月27日  寅次郎な日々 その542



ただの冬子お嬢さんじゃなかった光本幸子さんの底力

光本幸子さんを間近で見たのは昨年の七夕だった。
柴又帝釈天で「男はつらいよ」の映画鑑賞会があったので
ご縁があり参加させていただいた。

佐藤利明さんの挨拶があり、
山田監督のインタビューの補足があり、

そして、おもむろに・・・

今日の
サプライズゲストが突然発表されたのだ。

みなさん、驚きの声とともにかなりざわめく。

で、この日のサプライズゲストは


光本幸子さん

御前様の冬子お嬢さんだったのだ。



まさに帝釈天の催しに最適の方。

佐藤さんがこの日の朝、なんと光本さんに突然電話され、お願いしたところ
すぐに快諾してくださったそうだ。

私はもちろん光本さんは初めて観させていたのだが、
優しくて陽気で、でも おっとりゆっくり喋る方だった^^



    



「男はつらいよ」に3回も出演されたことを中心に、
後にあの「隠し剣 鬼の爪」では見事な演技を見せられたことなどを
佐藤さんが紹介され、そのたびごとに光本さんは、その時々の思い出や感想、
山田監督とのちょっとしたエピソードなどを紹介してくださった。


    




光本さんは、この日のトークで、
渥美さんとは実は・・・映画共演以前に、行きつけのお寿司屋さんで何度か知り合っていて
結構映画に出る以前から親しかったとおっしゃっていた。
そして、そうやって仲良くなってから本当に渥美さんが光本さんの舞台の芝居を
観に行ってくれたことがあるそうだ。
そういう仲だったんだね・・・。


そういうのって意外に映画の中ににじみ出るんだよなあ。


     



そして、


第7作「奮闘編」で再出演された時、だっこしていたあの赤ちゃんが


     





第46作「寅次郎の縁談」では、もう高校生になっていた!
そらそーだ^^;

この、第46作「寅次郎の縁談」で3度目の出演をされた時、
ちょうど光本さん自身にも高校生くらいのお嬢さんがいらっしゃったので
山田監督が同じような設定にされたことは印象深かったということだった。


     




あの冬子お嬢さんのさくらとの会話によって、笠さん亡きあとも、
御前様が今でもお元気で
帝釈天にいらっしゃることが暗示され続ける重要なシーンでもあったわけだ。

私は、この第46作の彼女の落ち着いた演技が一番好きだった。


     





あの七夕の日もほがらかな方で、笑顔が素敵だった。


光本さんは約1年半前にがんが発覚し、放射線治療で完治したが、
去年4月に再発。最期は家族・親族にみとられる中、眠るように息を引き取られたという。

このトークの時はすでに病状が思わしくなかったと言うことになるが
まったく私にはそんな風に見えなかった。


     



それにしても、
「鬼の爪」公開当時、スクリーンで彼女を観て、あの冬子お嬢さんなのか!と本当に驚いた。

そして、それ以上に、あの伊勢屋のいじわるな姑役にしっかりはまっている演技には唸ってしまった。
ただたんに意地悪な感じを出していたのではなく、
きちんと店の女将としての威厳や品格、そしてそれでも隠しきれない強い業を
見事に表現されていたのには目を見張った。

あの映画の助演女優賞は私的には間違いなく光本幸子さんだった。
あの演技は本物だ。


    



合掌





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
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                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



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2013年1月27日  寅次郎な日々 その541



「ああ・・・しかし、龍野じゃなあ・・・」

龍野水彩スケッチ



私は一人息子ではあるが、自分の考えと母親の考えの違いから来る齟齬には
若いころから悩んでいた。
母親は何事においても完璧主義で、いつも静かに叱咤激励されてきた私には重荷だった。
だから、大学の第1希望も第2希望も大阪から遠く離れた東京を選んだ。
大学に入って坂崎乙郎先生と出会ってからは
ますます親と考え方がずれて行き、大学3年あたりからは、
親には1年に数日しか会ってこなかった人間だ。
そういうこともあってか、一時期自分の生き方を強く批判していた母親と、
さほど連絡を撮らない時期もあった。1年間まったく会わないことも何度かあった。
そのうち、ゆっくり、次第に自分の絵のライフワークには理解してくれるようにはなったのだが、
やはり帰省するたびに、今度は、私の息子の教育方針について説教されるのが煩わしかった。
私は、息子を日本の中学や高校には行かせなかったのだ。
日本の中学高校はいじめと規律の巣窟なので、百害あって一理なしだと当時は思っていた。
もちろん今もそう思っている。
大学に行きたければ大検を受けて大学に入学すればいいだけの話だ。
そういうこともあって、またもや実家には遠ざかりぎみになっていたのだ。

そして、少し転機があったのが3年ほど前、
両親の結婚50周年に2枚の両親の肖像画を贈った。
これが私の和解の気持ちだった。
すでに、母親は病気だったが、まだ少し元気だったころの面影で肖像を
描いたので、母親はその絵をとても気に入り喜んでくれたことを思い出す。
この2枚の絵は今も、父親だけが住む実家の一番メインの場所に大切に飾ってくれている。
そのうち息子が大検を受けて翌年春に東京芸大美術学部に入学したので母親は大喜びだった。
ここからは母親と私は仲が戻った感じで、ちょくちょく帰省するようになった。
まあ、なんとか和解が間に合ったのである。
そして母親がいなくなってしまった今から考えると本当にこれは救いだった。
世間様が言う「親孝行」などという概念は、当時も今も私にはさほど興味が持てないものだが、
母親とよく会うようになったことがなによりも私には心の安定につながっていたのだ。


           





現在、東京に戻ってきてはいるが、
やはり毎日何度も母親を思い出す。
これはなかなか悲しく・・心のバランスが悪い。
まあ一種の修行ではある。

気を紛らわそうと5月のGWに2週間開催する兵庫県龍野の展覧会のDM用のポストカードを
作成したりしている。
昨年4月のコラムにも書いたが、寅さんが取り持つご縁でロケ地にもなったギャラリー「ガレリア」で
展覧会を企画していただいたのだ。

コラム517 豪腕小手寅さんとめぐる播州龍野 全ロケ地制覇!
2012年4月14日  寅次郎な日々 その517



これからしばらく、バリ島に行ってしまったりして留守にしてしまうが
龍野 ガレリアでの展覧会もあることだし、
また大阪に2週間ほど長期滞在して、老いてしまった父親としばし住もうと思う。

龍野では水彩スケッチが3割、オリジナル染織工芸品が7割の割合で
展示しようと思っている。

寅さん関係の仲間たちも何人か九州や京都や東京から遠路来てくださる。

昨年末から淋しい思いで生きているが、その5月2日から14日までの
龍野での展覧会を励みになんとか前を向いて行きたい。
なんせあの名作「寅次郎夕焼け小焼け」のメインロケ地なのだ。
楽しくないわけがない。


           
          播州龍野をゆく寅次郎 水彩スケッチ
     




          
      播州龍野 醤油工場レンガ煙突が見える風景 水彩スケッチ
     





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                
「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                



                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
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2013年1月17日  寅次郎な日々 その540



吹雪の柴又・江戸川土手 ついに動画撮影に成功


先日の雪、江戸川土手はかなりの吹雪だった。


朝のうちは雨。
しばらく制作してたら、窓を観ると真っ白。
たった1時間で一面銀世界。

昼食の後、取材に出かける。


苦労して時間かけてなんとか江戸川土手に上がってはみたが、
今回はスケッチどころの話じゃなかった。
強風で傘は壊れるし、手は動かないし、
とりあえず画像と動画は何とか撮った。


   


それにしても、
あまりにも風が強くて江戸川土手にほとんど誰もいない。


  


みんなわいわい雪遊びするのかなと思いきや、
あそこまで吹雪くと自重するんだね
さすがにねえ^^;

まずは、
江戸川金町取水塔の動画。

動画 その1
http://youtu.be/WKxuXF27vT4


江戸川土手金町取水塔 

 
ちょうど、なにやら看板がありましたので
くだらないこと言ってます((((^^;ヾ

寒いのと風が強いのでもう参っている感じ。

動画 その2
http://youtu.be/7LZk3yyyJsA




かわいい小鳥達があの寒空の中いた。

動画 その3
http://youtu.be/Vi9knUh4kQw





江戸川 矢切の渡し


ここまでは誰も歩いて来ていないので
シュールではあった。


  


とにかく風がきつくてきつくてなかなか逆風側が撮影できなかった。

それでもここまでなんとか歩いて良かったと思える幻想的な風景だった。


動画 その4
http://youtu.be/3dVgcaTVmT4


まあなんとか、町まで戻って、再度参道を通って駅に行った。

踏切から柴又駅の高砂方面ホームを撮影。

48作品で反対側の金町方面は一度も使われたことがない。
これは不思議・・・

動画 その5
http://youtu.be/N9NBA6hfuvk


柴又駅前の続き。

誰かが寅さんの像に
マフラーを掛けて上げたのだろうか・・・。


動画 その6
http://youtu.be/IIwUwHissX0


参道と境内も何度か歩いた。


動画 その7
http://youtu.be/-1wx1cxWHeY


もう一つ、お昼ころに参道を歩いた動画もあった。

これもついでにアップ。

まだこの時間帯は人が多かった。

雪もどんどん降っていた。

動画 その8
http://youtu.be/VfVqhyDkdVo



ところで・・話は変わって


渥美さん&倍賞さんが出た徹子の部屋
youtube にアップされていた。

実に良くしゃべる渥美さん。


■浅草でのメロン騒動の反応

■クランクインの数日前から撮影所から
 5分の宿に泊って通う。

http://youtu.be/-WpZYLdPhTY







第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
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Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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マドンナ








540


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2013年1月3日  寅次郎な日々 その540





2012年1月6日  大空小百合ちゃんとの出会い、そして母親との別れ。



                

     




昨年末から何度か「銀座シネパトス」に寅さんを始め山田洋次作品を観に行っている。

この日は岡本茉利さんが初出演された第8作「寅次郎恋歌」と彼女のトークがあるのだ。
「馬鹿まるだし」との2本立て。

まず「馬鹿まるだし」を観た。
馬鹿まるだしは
ラストの木蓮の安五郎の告白シーンと
マドンナの涙が圧巻なんだけど
その話は僕の昔のコラムを読んでいただくとして・・


http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi20.htm#325




満足して

休憩していると

栗原さんにお会いした。

栗原さんは僕の展覧会にも来てくださった方で
あの有名な「カルトクイズ」のTV番組の寅さんの回で
渋い回答の連続で活躍されたツワモノ。



        手前の白い服が栗原さん。

       




以前、月虎さんのSNSで知り合ってからのご縁。

彼は数人で「21世紀寅さん研究会」を作っておられる。

そのお仲間の小林さんと2人で来られていた。

例の、11月に松竹企画旅行で小諸や別所温泉を回られた動画を
私に見せてくださった。

一緒に同行された岡本茉利さんが、大空小百合ちゃんの役で
別所温泉でセリフを言っているのを動画に撮られていたのだ。

これは、私も以前に柴又のかなん亭で佐藤利明さんに見せてもらったことがある。

いいだろーってにやつきながら見せつけるので
うらやましいおばけがでそうだった。

栗原さんと小林さんも同じことを私にされて、
またもやうらやましいおばけがでそうになった。

「いいですね〜〜 僕も岡本さん来るの知っていれば
一緒に行ったのになあ〜」

「今度行きましょう〜」

なんて楽しい会話をしていると
いよいよ岡本さんのトークが始まりますと案内の声がした。


司会は佐藤利明きさん。


岡本さんがまだ高校生の時にすでに男はつらいよは3本4本と作っていたので
高校では禁止されていたのだが
池袋名画座に「寅さんまつり」を密かに観に行って一気にこの映画が
好きになったとおっしゃっていた。。

大空小百合ちゃんの役をしていた岡本さんが
その後、本当に旅をしながらの芝居三昧の暮らしに入って行った
その運命と必然を感慨深く話してくれる岡本さんも
聞いている僕らもしみじみ感慨にふけってしまった。





今日、その時の再現として

あのセリフ

「先生!車先生!」

を大きな声であの時のままに言ってくださった。

聞いていた130人くらいのお客さんはもうみんな大感激。

私もその時だけは そっと数秒だけ動画撮影をしてしまった^^;ヾ




そのあとも、第16作で伊豆の連絡船の車掌さんをやった時に
山田監督から桟橋から船にジャンプしろって言われて困ったそうだ。

結構きついスカートだったので
足が動きづらくて危ないからできない〜〜って
悩んでいたら
船長さんが「そんな危ないことは許可できない」って
お流れになってほっとしたということ。

第16作あたりからスタッフさんとして
記録係などもして欲しいって
いわれていたため、ロケ地に同行していたんだそうだ。
だから第19作なんかも大洲であんなチョイ役でも
ロケで出演できたんだ。

なるほどね、それで17作、19作、24作など
いろんな「ロケ地」で出ているわけか!納得納得。

そのあと、抽選会などで盛り上がって
35分のトークショウはお開きとなった。


先生!車先生!の
瞬間動画です。



http://youtu.be/2AWauSWzYqo


トークの後、休憩が15分あった

岡本さんと佐藤さんは楽屋の方に行かれたが
私は行かなかった。

それぞれの立場があるので
ここは、一ファンとして、分をわきまえようと思ったからだ。

でもね、寅さん物まねの野口さんがちょうど来られて、
私の所に来て
「岡本さん楽屋にいますよ」って言われた。

私は

「そうですね、
ほんとは挨拶したり、写真撮らせていただきたいんですけど
関係者じゃないからあつかましいので遠慮しておきます」

って遠慮したら

「一緒に楽屋行きましょう。
僕も行きますよ」

ってささっと歩いていかれるので

僕は「え〜〜・・・」

と、言いながらも、腹を決めました。

そして、楽屋で名前を名乗り、ご挨拶して

岡本さんの大ファンだということ。
柴又が好きで帝釈天の前に住んでしまったことと
先日行った大空小百合ちゃんと寅が出会った
三浦半島の三崎ロケのことなどを
手短にたどたどしく小さな声で・・・話した。((^^;
それでも内容は過激なので
岡本さんはとても興味を持って聞いてくださった。

佐藤さんは、
僕がこの前のツアー小諸と別所温泉の旅行は仕事の都合で
参加できなくて残念がっていたことを
岡本さんに伝えてくださった。


私の気持ちを知ってくださっている野口さんが気を利かせてくださって
僕のデジカメをパッと取って、
写真を2枚ほど撮ってくださった。


1枚目は岡本さんも普通にされてたが


       


2枚目はそっと僕に寄り添ってくださった!
僕は恐縮してしまって
こんな意味不明の顔になってしまったのだ。



それがこの写真。↓

          緊張してしまってこのようなへんな表情になっています。

       




次の映画「寅次郎恋歌」が始まりそうだったので
みんなで館内に戻り、映画を好きな場所で観たわけだ。



小百合「先生ー!!」



トラック停車。


寅、よおく顔を見る。

小百合「先生!私です。
     いつか四国でお会いした小百合です!」



         





寅、気づいて


「あー!、小百合ちゃん!
 雨の降った日の!」



        




小百合満面の笑みで「はい」


        


座長助手席から降りてきて「これはこれは!」


寅「よおーっ!」


座長「いつぞやのお情け深いお客様」


寅「いやぁ、座長さん、その後元気で。
 座員のみなさまも達者でいなさるかね」


座長「はい、お陰さまでこのとおり
   巡業を続けさせていただいております。



        



寅「そうかい…、よかったー…、本当によかった…」


座長「先生、お乗りになってください」


寅「いや、俺はここで…」


座長、座員一同「どうぞ、どうぞ!」


座長「むさ苦しいところではございますが、どうぞ!」



荷台に乗った寅。


若い座員が助手席に乗り、座長は寅と一緒に荷台に。



座長「今夜のお泊りはどちらへ」


寅「なに、鼻のむくまま気のむくまま気楽な旅でございますよ」


座長「今夜は是非私どもと同じ町にお泊りくださいまして、
    私どものお芝居を楽しんでいただきまして」


寅「あー!、それは結構ですね、
  結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはなんとかだらけ!」



一同どっと笑う「ハハハハ!!」



         





寅たちを乗せたトッラクは田舎道をどこまでも走って行く。


遠く富士山が見える。

         

         



映画が終ると、

私は2列後ろでご覧になっていた岡本さんに挨拶に行った。

第8作のスケールの大きさにあらためて感動したことを
自分の言葉で彼女に伝えた。

彼女もこの第8作をひさしぶりに大きな劇場のスクリーンで観て感動しておられた。

そして最後に握手をしてもらい
お別れをした。

その後、友人の吉野ほつね君が観にやって来たので
しばし佐藤さんや奥様も交えていろいろロビー付近で
5分ほど歓談し、僕は一足先にお別れをした。

思い出深い一日となった。

やはり名作は大スクリーンで観ると違う。


その後

12月27日に第10作「夢枕」と第22作「噂の寅次郎」の上映も見に行った。

このシリーズの2大美女。
第10作も第22作も、これもまた大きなスクリーンで観るのは25年ぶりくらいじゃないだろうか。


なんせバリ島に住み始めてからはほとんどその年の
寅さんの新作しか映画館で観ていなかったのだから。
旧作2本立ての類は先生時代まで。


今から思うと

ちびとらさんや寅福さんと行ったあの第8作の三浦半島、そして
そのロケ地で輝いていた岡本茉利さんとお会いできたことは
ご縁としか言いようがない。


どうせ誰も信用しないと思うが、僕は長年、どの有名なマドンナさんよりも
あの大空小百合ちゃんを演じられた岡本茉利さんに会いたかったのだ。








追伸

12月28日に母親が亡くなりました。

新年のご挨拶を失礼させていただきますことをお許しくださいませ。

母親が亡くなって、アルバムを整理してましたら
若き日の彼女の写真が何枚もありました。

母親の青春を息子の私は知りません。

彼女にも確実に輝かしき青春の日々はあったのです。



       







敬愛する亡き母にこの歌を捧げます


「Stardust」



And now the purple dusk of twilight time
Steals across the meadows of my heart
High up in the sky the little stars climb
Always reminding me that we're apart

You wander down the lane and far away
Leaving me a song that will not die
Love is now the stardust of yesterday
The music of the years gone by

Sometimes I wonder why I spend
The lonely night dreaming of a song
The melody haunts my reverie
And I am once again with you
When our love was new
And each kiss an inspiration
But that was long ago
Now my consolation
Is in the stardust of a song

Beside a garden wall
When stars are bright
You are in my arms
The nightingale tells his fairy tale
A paradise where roses bloom
Though I dream in vain
In my heart it will remain
My stardust melody
The memory of love's refrain


動画↓
http://www.youtube.com/watch?v=i9SD8uYgIo0



        
      






第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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2013年1月3日  寅次郎な日々 その539



山田洋次ミュージアム&朝日印刷

松竹さん【努力賞】
 



寅さん記念館のリニューアルOPEN



12月15日の初日は、つくばで仕事をしてたので残念ながら
寅さん記念館のリニューアルOPENの日には行けなかった。

で、翌16日午前中一番で観に行った。


OPEN記念で15日、16日のお客さんはみなさん

本物の予告編フィルム6コマをいただいた。



      



まず、どう変わったかというと・・・


とらやのセットの裏に「朝日印刷」の工場が今回から設置されている。



どーせ、適当にお茶を濁してるのかなって思っていたら、
結構頑張っていた。

これは、葛飾区が設置したのではなく、松竹さんが設置したのだ。

なかなか努力賞ものです。

一見の価値アリ。

いやいや、松竹さんさすがです。なかなか粘っている(^^)

見た目はこう言う感じ↓




      




向こうの部屋には印刷工場の中も再現してあり
凸版印刷機がおいてあった。

初日は職人さんが動かしたそうです。


外からの朝日印刷と

中に入った朝日印刷。

ね、欲を言えばキリがないけど
これはなかなか「努力賞」。


内はあくまでも「イメージ」にとどまってはいるが、雰囲気は出している。



     




よかった、とらやがへんになってなくて。
朝日印刷が入った分、とらやが狭くなってしまうのかな・・・
って思っていたのだ。

とらやセットはそのままで朝日印刷が増えていた。

そのかわりメイキングビデオのコーナーが
なくなっていた・・・

うーん これはちとさみしい。

メイキングビデオは非常に貴重なものが
含まれているのでそのへんが松竹さんは甘い。

適当な展示物が多いが、そちらを減らすほうが
よかったと思う。


ほんとうは他の部分でずいぶん削れるところ
あるんだけどなあ・・・



まあ、とにかく朝日印刷はそれなりに満足

こだわりは細部に宿る。





よし、次は

休憩室の 映画館上映における映写機の展示



迫力あるなあ・・・

まあこういうのも興味ある人はさほど多くはないかも・・・

なかなか形が美しいですね。




      




      







とらやと朝日印刷の動画



動画はあくまでもメモリーとして撮ったものだ。
自分がうろうろ見ながら撮っているので
いろいろせわしかったりぶれていたりしていることはご了承ください。


http://youtu.be/svHc71Ri2Sc






フィルム缶の「第1作男はつらいよ 予告編」

     




室内に凸版印刷機があるので工場の外と内両方が表現されている。職人さんがいれば実際に動かすこともできる。

     




細部もなかなかこだわりがある↓

     





     





     
     









光の庭横の休憩室も行ってみよう。



これは、休憩室に2月まで置いてある映写機↓ 迫力がある。




      





山田洋次ミュージアムは、

「隠し剣」、「母べえの手紙」など。。
貴重な小道具がいくつか展示されていたのがよかった。
内容的にはレアなものは少ないが、良いデザイナーが入っているので
狭い空間を上手に使っていた。天井も取り外し、現代的な要素を取り入れ、おしゃれな空間になっていた。

「ミュージアム」というネーミングはちょっと合わない気もするが、
思ったよりも心地よい空間になっていた。
今までのメインの作品たちを数分ずつモニターで見せてくれるのも嬉しい。


      





フィルム缶を大量に使ったオブジェを館内の3箇所に展示し、撮影機や編集の機械も置いてある。
フィルム映画が皆無になりつつある今、これはかなりメッセージ性のあるコンセプトだった。


      





山田洋次ミュージアム 動画


その@

http://youtu.be/azfeL0KJadA



そのA

http://youtu.be/H4G2bg7NBOA





500円で、とらやと朝日印刷 そして 山田洋次ミュージアム。
これは以前より格段のお得感だ。

記念館が開館して15年経つがようやく友人知人にこう言える。

「ようやく入館に値する、
 500円以上の値打ちがあるものができたよ」ってね^^




おしまい




なお、一週間前の、
昨年2012年12月28日に私の母が死去いたしました。
それゆえお正月の挨拶はひかえさせていただいています。

ご了承ください。





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
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         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年12月27日  寅次郎な日々 その538


敗者復活!第14作弥太郎のアパート(幸福荘)発見!!


12月23日だったか
午後2時10分ごろメールが来た。

おたよりは1週間に1〜2度はいただくので
サイトのご感想のメールかなと思いましたら
なんと第14作「子守唄」の「幸福荘」のことが書かれてあった。

真鍋さんという寅さんファンの方が送信してくださったもの。
はじめての方だ。








吉川孝昭 様

初めてメールをお送りさせて頂きます。
真鍋と申します。
いつも、「男はつらいよ 全作品覚え書きノート」をとても楽しませて頂いております。
このようなページを設けて頂いて、ありがとうございます。
「男はつらいよ」のDVDをじっくり見る時間が無い時や、寅さんについてちょっと
調べ物をしたい時などにも、このページを事典代わりに活用させて頂いております。

さて、私はロケ地にも大変興味を抱く方ですので、「覚え書きノートの」ロケ地に関する
記述も、とても楽しませて頂いて居りますが、第14作「寅次郎子守唄」のロケ地の記述に
付きまして、少し吉川様のご意見をお伺いしたい部分がございましたので、メールをさせて
頂きました。
と、申しますのは、「寅次郎な日々 その527」のページの中で、弥太郎のアパート「幸福荘」の
あった場所は、京成関屋駅の北側のファミリーマートのあたりと特定されて居られますが、
北側ではなく、南側線路沿いだと思うのです。

http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi.htm#527

その理由は、本編中で「幸福荘」のすぐそばに映っていましたお寿司屋さんの場所を
私の手持ちの古い住宅地図で調べましたところ、足立区千住曙町5ー7になっております
からです。
足立区千住曙町5ー7のストリートビューのURLは下記です。


http://goo.gl/maps/06DUV

このお寿司屋さんは、私の住宅地図上の表記では「和か奈寿司」となっておりますので、
本編に映る看板の文字は 「和可奈寿司」の「可」の文字をかなりくずして書いたものと
思われます。
この「和か奈寿司」が「幸福荘」の並びに映っていた「和可奈寿司」だとしますと、「幸福荘」の
ありました場所のストリートビューは、上記から左にカメラを振った下記となりますね。

http://goo.gl/maps/nZwce (足立区千住曙町14ー2)

なお、第14作「寅次郎子守唄」が公開されたのが1974年ですが、私の住宅地図の発行年は
1987年ですので、その間にお寿司屋さんが関屋駅北口からこの場所に移転した可能性も
全く無いとは言い切れません。

それから私の住宅地図では、上記の「幸福荘」があったと思われる場所(足立区千住曙町14ー2)
にはやはりアパートがありますが、物件名は書かれてありません。
それと、私の住宅地図では、関屋駅北口の方は、営業している店舗名などは現在と少し変わって
いますが、道路の曲がり方や線路沿いの建て混み方などは、現在の様子とほとんど同じです。

以上初めてお送りしましたメールで、長文を失礼致しました。吉川様のご意見をお伺い出来ましたら
幸いです。

真鍋









なななな、 なんと駅の南側
探していたエリアと逆だったのだ!


でもよくよく見ればな、
なんと京子さんの勤める
吉田医院と
目と鼻の先!!




吉田医院の東武の高架渡って
すぐ向こうの京成の高架わたったらもうそこが
「幸福荘」であり「和可奈寿司」なのだ!

聖和幼稚園へも徒歩5分!

どれもこれも近くにあったのだ。


それでさっそく ストリートビューで見ましたら
なんとあの時の雰囲気が残っている!
アパートは建て替えられていたが
通りの雰囲気はまだある!





真鍋さんに ていねいなお礼のメールと

今から取材に行ってまいりますという内容を書き、
今日の予定をすべて取りやめ、
京成関屋に向けて「出動」した。

この時点で2時45分


息子はお昼から
自分達の展覧会の会場(押上駅そば)に詰めている。

関屋駅の南、現地に着いた時、
息子に電話でSNSにスマホ経由で電報を
打っておいてくれとたのんだ。






午後16時05分

「幸福荘」「和可奈寿司」

登頂

曇りなれど風はなし。

眺め良好。

体調良好。





アパート自体はもう20数年前に建て替えられたそうだ。
第一昔はアパートじゃなかった!

今は逆にアパート。


これは大家さんの関根さん直々にお聞きした。

今はこのアパートの横にお住まいなんですが
今から30年ほど前、
今の家を建て替える時に
一時期自分達もこの家(幸福荘)に
住んでいたことがあるそうだ。

ここも新しく建て替えるまでは
ずっとこの緑の色だったそうだ。

それは、まだ小学生くらいだった娘さんも
かろうじて覚えていらっしゃった。

近所で一家心中があったかどうかは、
さすがにちょっと縁起がわるいので 
聞けなかった(((((^^;





寅のシーン

     




     






寅のシーンA



弥太郎の部屋を見上げる寅。

当事の「幸福荘」は今よりももっと
道ギリギリまで建っていたので
真上を見上げる感じだったろう。




     


     






電車通過!!

     






さくらのシーン

      




      







動画@

和可奈寿司の女将さんの証言動画。

それとロケ地アングル紹介。

http://youtu.be/B3MjkTRqhuI




動画A

和可奈寿司の女将さんの証言動画そのA。

それと正確な住所の確認


http://youtu.be/PNQy0AqR7-U




動画の中で倍賞千恵子さんがいた場所を指差す場面があるが
あの向こうの高架が見えますがあれが吉田病院(吉田医院)がある。

もうかなり近い。



幸福荘と吉田病院は。
ものの3分だった。

そのあと、たまたま、
幸福荘(本当は関根荘)の住人の方(橋本さん)が出て来られまして、
いろいろお話をした。

今は貸しておられるのは下の階の一世帯だけのようだ。

2階は大家さんの家の物置きのように遣われているらしい。


あの映画の頃はアパート経営していなくて
大家さんの妹さんご家族がお仕事をその家でしながらここにお住まいだった。







動画B

http://youtu.be/F5a0StwVA54

僕のことは

「松竹映画「男はつらいよ」のホームページを
運営しながら映画の研究をしています
吉川孝昭と申します」

と言って、いつもの名刺を動画にも映っている
大家さんの美人のおじょうさんに
渡してなんとか信用してもった。




     




おじょうさんは、そのホームページに興味を持たれていて
さっそくあとでホームページ拝見させてもらいますっておっしゃった。

「なに、これ〜〜、!?」 って
呆れてらっしゃるかも分からない((^^;

大家さんは十朱 幸代さんも、
よく見たっておっしゃってたんですが
たぶんこのすぐそばが
吉田病院(吉田医院)だったので
十朱 幸代さんもこのあたりにも
来られていたのかも知れない。


何日も撮影した理由は
あの京子さんの写真を
二階から軽トラに落としていたのだが
うまくいかなかったから。






動画C
もの凄く貴重な
大家さんの証言!! 

http://youtu.be/aiTl6l9ucBk







まとめ


動画D

http://youtu.be/p3sUvIwWIhY


この幸福荘の前の京成の高架を渡って、
すぐ向こうの東武の高架に行く間に中華そばやさんがある。
スタッフさん達はあそこで休憩してたりしたって和可奈寿司の女将さんが
言っていた。



この動画はもう夜になってきたので
最後の動画として

幸福荘から吉田病院(吉田医院)まで
歩いてみた。
そして吉田病院から小走りで
聖和幼稚園に行ってみた。
聖和幼稚園は
あの「江戸川合唱団」の練習場所だ。

幸福荘からたった2分30秒で吉田病院経由で
聖和幼稚園まで着いた。






それでは


本日の最後の動画

幸福荘から
吉田病院
そして
聖和幼稚園とご覧ください。




動画E

http://youtu.be/W1bNyyH4uk8







まとめの住所と地図


幸福荘
足立区千住曙町14-2

和可奈寿司
足立区千住曙町5-7







      






      







第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ

537


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年12月25日  寅次郎な日々 その537


ついに発見!第34作「寅次郎真実一路」
牛久沼、富永ご家族の幸福の釣り場。

つくばでの集まりと執念の牛久沼探索




12月14日、15日と、つくばでの集まりに参加してきた。

もう、何年も前から毎年コレクターさんたちが、年末の大きなパーティの会場に私のコーナーを
作ってくださり、十数種類もの私の絵のポストカードを売ってくださってくれている。
今年は、私にもお誘いがあり、ぜひ一緒に盛り上げましょうということで、僭越ながらパーティ会場に
入らせていただいた。

今年は私も来るとあっていつになくみなさんが熱心に準備をしてくださり、
私もそれに応えるべく、がんばって当日は百数十人以上のお客さんに説明をさせていただいた。

今まででもっとも盛り上がった夜だった。




     




私の絵だけでなく、
寅さん名セリフポストカード、越中おわら風の盆、坂本龍馬、土方歳三、力石徹・・・など
すごいラインナップだった。おちろんこちらのほうは差し上げる形。


なかなかお客さんの写真を取りタイミングがなかったのだけれども、何枚かあるので掲載しますね。

     






翌15日(土)は夕方6時から文芸部の「イチゴ(以智悟)の会」に特別参加させていただき、
「オスカーワイルド「サロメ」と画家ビアズリー」について
みなさんで喧々諤々3時間半以上もキャッチボールをした。みなさんインテリで、大変な読書家なので
とても中身のある白熱の時間だった。


     





この2つの集まりはとても刺激的で印象深いものだったが・・・


それとは別腹で


実は15日の昼間が私の最大の「正念場」だった。

つまり
第34作「真実一路」のロケ地めぐり

である。





第34作「寅次郎真実一路」のラスト近くに映し出される牛久沼の釣り場と
大原麗子さんが自転車をこいでいたあの農道に、常総平野の主とも言えるパトロンのY.Iさんが
連れて行ってくださることになっていたのだ。


大原麗子さんの自転車農道はちょっとどこかは手がかりもないが、
あの釣り場のほうは大体見当がついていたのだ。
そうでないと、Y.Iさんもどこに行けばいいかわからないからである。

Y.Iさんは、寅さん映画はDVDマガジンを全作品もっていらっしゃるくらいにお好きなのだが



まずこの2枚の写真を見てみていただきたい。




    



    





所は龍ヶ崎市庄兵衛新田

この要素にまどわされた(/□≦、)


ある牛久沼の地元を紹介するサイトに、
この第34作のあの釣り場のロケ地は
この「龍ヶ崎市庄兵衛新」だと
なんとなくですが書いてあったのだ。

そのサイトは昨年発見して、同じ住所にあるこの島だろうと一人合点し、
1年間ここだろうと勝手に思ってたわけだ。


ちょっとした知り合いからの情報がまずあり、
ちょっと形が合わないと・・・。

後ろの対岸の見え方を考えていくと、なるほど、一見の見た目は似ているが
ちょっと合致しない点が多々ある。


なによりも、手前の岸辺の形、農道の有無などで
だんだん疑惑が強くなってきた。


12月15日に Y.Iさんが
この場所に連れて行って下さることになっていたので
余計に心配になってきたのだった。


彼は、とても親切で
前回(昨年4月)の牛久沼
森の里団地の時も
第39作「
板橋不動尊」の時も
同じく第39作「
常総橋」の時も
私のこだわりにお付き合いくださり、
一緒に楽しまれた。


これは、私のコラムにも掲載している。



私が柴又に長期滞在するようになってからは
寅さんDVDも全作品集められて、
かなり、この映画のファンになって来られている。



このままでは

全く見当違いの場所を案内させてしまう!
と、思い、前前日に僕一人で、おおよその真実を
掴みたいと牛久沼まで柴又から
乗り込んで行ったわけだ。

柴又から牛久沼の最寄の駅「佐貫駅」まで
50分で着く。

あっという間って感じ。

この時点で午後1時。
日没は4時半くらいなので
まだまだ時間はある。

まあ、ふじ子さんの自転車農道は全く違う場所の
可能性があるので今日は見つけられないかも
しれないが、




      





せめてあの釣り場だけは
是が非でも見つけたいと思ったわけだ。


      


庄兵衛新田は、飛び地もある。
でもこの飛び地は稲荷川沿いなので
ああいう広がりのある眺めではない。

で、佐貫駅に着いて徒歩12分ほどで
牛久沼が見えてきた。

例の疑わしい「島」も見えてきた。

20分ほどで沼のほとりに到着しましたが、
なんとどれだけ歩いても、第34作のような
沼への自転車が通れるような農道がない!

それどころかひとつとして沼への道というものがない。

しょうがないのでとりあえず、草の間をがさがさと
歩いて沼の畔まで行った。

そして撮影したのがこの写真。↓



    



   
    





違うね、これは。

島の形も違うけど
なによりもあの農道らしき道がこのへん一帯どこにもない。



    




この草むらは昔からあったもの。

おそらくあの映画が作られた昭和59年(1984年)
から変わっていないはず・・

の農道が全く消えてしまうことは考えられない。



でも、震えるほどに美しい沼と涼やかな晩秋の風・・・


   




沼のすぐ横を国道が通っているので、もうこれはかなり違う雰囲気。

地図で見てみると映画が作られた1984年にはもうこの大きなバイパスは作られていた。

これは違う。

     



この当たり一帯を1時間もくまなく歩いたが
道はまったくない・・

時計は午後2時半になっていた。

手ぶらで帰るわけには行かない・・・
明後日はY.Iさんとそのロケ地をめぐることになっている。

「どこをめぐっていいかまったくわからなくなった。
見当がつかないんです」・・・。とは、絶対に言えない。



もうこうなったら片道切符の
玉砕作戦しか頭に浮かんで来ない。

「捜査」の基本である「聞きこみ」。



この方法は、私はどーもいつまでたっても苦手で、
人見知りで・・ほんとうにつらい。

しかし、Y.Iさんに、当日運転していただいてお付き合いしていただいて
つまらない思いはさせられませんので
ある程度の目安はつかんでおかにゃあ
私は彼の前で腹切らないといけなくなる。


聞き込み5件しました!


映画のキャプチャー画像を見せながら出聞き込みの結果


■このエリアではない、
 どちらかというと反対側(北のほう)じゃないか 3件

■このエリアのような気がする 2件


あ〜〜〜〜地元の人でさえ「このエリア」だと
言ってしまう人がいるほど
島の形が似ているのだ。

もちろんこれはもう「島」ではないことが
わかっているのだけれどもね。
島は牛久沼ではこれだけだから。

逆のエリア(つまり北側)だと言った人も
具体的にどのあたりかは誰も言えないし・・・


ましてやふじ子さんの自転車農道は皆目分からないし・・





庄兵衛新田町はこの地図↓のようになっている。このどこかにあるはずなんだが・・・

    






この時点で2時半すぎ。

日没までもう2時間を切ったのだ。

農道はともかく
せめてこの牛久沼の釣り場だけでもわかりたい・・

絶対確実なのは
■このエリアではない事、
■似た景色がこの島以外に全く見当らないので
 ここからはかなり遠いエリアだということ。


それでも、私にできる事といえばもうひたすら
「聞き込み」しかないわけだ・・・

つらい 引っ込みじあんなので 
ほんとうに1回1回がきつい。
まあ、みなさん、とても親切ではあったが・・

もう今日は本当に駄目かも知れないなあ・・
こんなこと初めてだ。
と思いながら、「佐貫駅」に近づきながらの「聞き込み」をまた続けた。

もうずいぶん沼でも佐貫駅に近いところまで歩いてきた。

大きなリフトを十数台置いてある、土地開拓っていうか土建関係の会社があった。
土地開発なんかしてたら結構詳しいかな・・
と僅かな望みを抱いて中に歩いて行った。
ちょうど休憩している20歳代の若者3人組に寅さんのロケがあったことと、
キャプチャー画像を見せた。


みなさん大原麗子さんが映画「男はつらいよ」でこのあたりで
自転車走ってたって聞いて
「へ〜〜〜!そうなんだ〜〜!寅さんのロケがあったのか〜」って驚いておられた^^

最初見てくれた息子くらいに若い男性は、

はっきり「
ここじゃないですね、これ。もっと北ですよと当たり前のように言った。

今までの中で一番明確な答え方だったので、この時点で
このロケは沼の北のほうだと確信した。


「もう少し具体的にわからないでしょうか」と、くいついていったら
もう一人の若者がそのキャプチャー画像をおもむろに手にとって
すぐに反応された。


あ、ここ行ったことありますよって言ったのだ。

それも指差したのがな、なんと
自転車の農道のキャプチャー

だった!!


ええ!この農道ご存知なんですか!?

うん、ここ釣りに行ったことあるから

ええ!!じゃあ、この大原麗子さんが
自転車漕いでいる農道とこっちの釣り場は
本当に繋がってるんですか


そう、この道をまっすぐそのまま
 沼方向に行ったらここに出る


このタイヤのある釣り場にですか!

あ〜・・、この釣り場はもうないですねえ〜、
昔はあったのかもしれないけれど、
ずいぶん前からもうないですね


そ、それは・・どこ・・地名わかりますか!?

あのあたりは沼を開拓して住宅がちょっとできて行ったから
新地町
って言ってるところですよ

新地町ですか!」メモメモ φ(・・。)

地図を見せながら 

「どのあたりですか!?」

その若者は、大体の所ながらも

まあ、たぶん・・・このあたりで釣りしたかなあ・・
あのあたり結構釣りする場所ですから


アバウトに指差されたのがココらへん↓



     



なるほど、じゃあ島じゃないんですよね、この細い森は

ああ、これね、角度によってこういうふうに見えるんです、
ちょっと陸が沼に突き出ているだけなんだけど


ありがとうございました!『新地町』へ今から行きます!
バスはありますよね

3人一斉に「バス? ないない

「えええ!!どうして?」

「行けば分かるけど何もないところだからバスもこっちとは繋がってないっすよ。
ここからだと佐貫駅まで戻ってタクシーか、歩くか ですね」

もう一人の青年が「歩けないでしょ、この距離ちょっと」

「歩いたらどれくらいでしょうか?」

「うーん、50分はかかるな、これ」

他の青年が「1時間くらいじゃないの」

僕は、「じゃあ僕ちょっと小走りで行きますから
    それだったら30分くらいですかね


青年達「まあ、走ればねえ・・・でも遠いですよ」

「がんばります!」

と言って 青年達にお礼を言って一路北へ小走りで向かいました。


これが知らない土地だからさすがにきついんですわ・・・

この時点で3時ちょうど。

日が森に落ちるまであと1時間半!


もう、あの青年のまっすぐな目を信じよう。
あれは本当にこの場所を知っている目だった。

走れメロス!


ほとんど誰も歩いてない道を延々と小走り・・・( p_q)

もうね、夕暮れとの競争。

これが7月頃だったら日が沈むのは7時前だから余裕です。

しかし、今のこの季節は4時20分くらいで、
もうロケ地が探せなくなる。
そして写真も撮れなくなる。

2時間半以上も違うんです。

最後の数キロが遠い遠い もうぜえぜえ・・・。

で、ようやく40分かけて
庄兵衛新田の飛び地にあるあやめ園まで来た。
全然30分じゃ無理だった。



かっぱの大きな銅像がある橋を渡って

この中の島のようになっている開拓の町「新地町」に入った。

キャプチャー画像を見ながらいろいろ探すが
なかなかあのような細長い岬のように
見える位置には出くわさない。

まあ、とりあえず、沼のところまで歩きました。
端の方に歩いていくともう3時45分過ぎ
だんだん太陽の光が弱くなっていくのがわかる。

ちょっとあせってきた〜〜〜。

人歩いてねえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

どこだどこだどこだ〜〜〜。



端のそのまた端、
沼の所まで来た。

目の前にこの風景がドーン!!




うわ!!!

これひょっとして!!

先端部分がかなり似てるやン!!




     
   



      



沼の周りずっと歩いて

もうこれ以上歩けない端っこがここ。



これは似てる!!いやもうたぶんココ!


     



     




奇跡的に散歩のおじさんが通った!

このへんから駅までバスなんかないよ。
牛久駅まで歩いたら45分かかるよ。
早く暗くなる前に行かなきゃあぶないよ


って助言してくれた。

「あのー、30年近く前このあたりで
大原麗子さんが来られたの
覚えていらっしゃいますか?」

「あー、そうそう、来たってねえ、
聞いたことあるわ、その話、
このあたりのどっこかで映画撮ったって」

僕は心の中で「よっしゃああああ!!!!」

なんかここの確率かなり高いぞ!



でも、・・・

もう太陽が落ちる!!




    




取材の限界が来た。


     



どうやって帰ればいいのかわからない・・・


誰か〜〜〜〜。



あの、散歩のおじさんの助言どおり
あまり暗くなってから歩いていったら危険なので
急いで河童の橋まで戻り、牛久駅まで歩いていった。


     



それでも途中で夜のように暗くなり、
心細く駅はまだかと、歩き続けたのだった。





そして・・・


この2日後




12月15日 午前11時
コレクターのY. I さんと再確認しにこの地を再訪。


今度はわざわざ森の里団地から
細い道を通って
ここに来てみた。
森の里からのふじ子さんの自転車ルートをだどりたかったのだ。↓



     




で、曇り空の下、現地に着いて
いろいろ最終チェックした時に

次々に事実が分かっていった。






セメント隔壁(かくへき)の曲がり角は・・・

曲がり角・・この当たり端っこだから・・・・


おおお!!
これかもしれない。

昔はこの場所から小川が流れていたのかもしれない。








       





       




ということは

もしここだとすれば
高羽さんはもっとずっと水辺に入って
あの葦の水のあるあたりから
当事釣り場があったところを
側面からのアングルを狙ったのかもしれない。




ということは

ということは

ここから直角に
村の方へ進んで行く
農道があるのだ。

それがふじ子さんの自転車ロード。



あったあああああああ!!!
これか!
似てるぞこれは!




    

    




    



道向こうの家も
きわめて似ているものが
数軒ある!!
丘の上の杉のうねりも
似ている!

ここだ!!

間違いない。




ふじ子さんの自転車農道から沼を映し出したシーンもあるから
それも撮ってみた。


   



28年前と道はほとんど変わっていない!


逆から見たらまったく同じ。今でも残ってるこの沼への道・・・


    



        

ふじ子さん、

幸せそうだったなあ・・・





     



Y.Iさんはふじ子さんの息子さんの真似をしてくださっている。
バックに見える森は、あの釣り場から見えていた細長い森で、
画像で見えているのも映画とほぼ同じ場所。


     






米倉 斉加年さんの真似をして手を上げてくださるY.Iさん。

    
    




   








で、話は戻って


さきほどの沼との間にあるセメントの
隔壁(かくへき)という構造物が撮影当時は
直角なのに今は広がっているが

元々の場所
をY.Iさんが言いあてられたのだ。


つまり元々 はもっと中で直角にセメントは
曲がっていたのだ。

つぎはぎ部分が今でもはっきり目立っている。

これは大きな前進だった。



   


     



その発見の瞬間の動画もあります↓


http://youtu.be/FBAqYKJ7lUc




航空写真で見るとココの位置↓
がふじ子さんの自転車農道。
ピンク
が釣り場付近。

行く時は車か、もしくは複数で行って
タクシーをシェアするかしかない。
タクシー代は佐貫駅からでも
牛久駅からでも片道大体1800円だそうだ。



     




あの木の杭が出ている
あたりに
釣り場が2つあって、
タイヤがくくりつけてあったのだろう。




     




さきほどは、沼の水や葦が生い茂っているため、大体のところを撮ったが、

その程度の写真は角度的にやや手ぬるいとY.Iさんがおっしゃるので
Y.Iさんと二人で、まず竹棒やタイヤを置いてその上に
アクロバティックに乗って撮ってみた。



     





動画
http://youtu.be/deDDvnwpXrc







徹底的にこだわる今後のロケ地めぐりの方々のために
遠くから釣り用のスノコを2人で20メートルくらい
移動させてみた。
そのスノコを葦の上に置いて撮ってみた。

水はそのまま入ると膝くらいまである。

葦が下敷きになっているのでスノコはかろうじて沈まない。
これのほうが棒やタイヤよりも安定しているし、遠くまで行ける^^




      




私のこだわりに、呆れながらも、かなり積極的に手伝ってくださるY.Iさん。^^;

     






動画
http://youtu.be/DY-sicfC21I



                 

あの美しいふじ子さん
幸せそうな富永さん家族美しい牛久沼

この3つの要素が同時に見れる
まさに第34作の名シーン。
みなさんここは行かなきゃ!。




いろいろ二人で工夫して
ついにアングル的にもパーフエクト!

初登頂!!




       
       





       






最後に、ふじ子さんのように自転車に乗りたくなった。
ということで・・・

自転車に乗るふりをしています^^;ヾ ↓

       






この病的なまでの膨大なエネルギーと執念を
人類に役に立つことに使って欲しい
と笑いながらもY.Iさんに叱咤激励されました(((((^^;






動画  雑談入りです。

http://youtu.be/QvIht11M7IQ






     
セルフタイマーで記念写真。


     




ちょうど1時間半くらい取材したりお昼を食べたりしていると
小雨が降って来たので、
まあこのへんで切りあげましょうということで
車を止めてあった所まで戻ってなにげなくその前の民家を
見たら、なにやら喫茶店もしている民家だった。





こんな田舎で喫茶店がなぜあるのだ??

お客が入るのか??

好奇心も手伝って二人して入ってみました。

お店の名前は「爛 (木編に可)
らんか」と言って
なんと喫茶室の向こうに囲碁を打つテーブルが30個ほども並んでいました。

中国の故事で「囲碁」のことをそう呼ぶのだそうだ。


囲碁クラブのお店だったんですね。オーナーのご主人が教えていらっしゃるらしい。
もうそれは、かなりの腕前だそうです。


奥様が自分で作られる手作りのゆずケーキはこんな田舎でなぜと思うくらいの
クオリティでした。おいしかったです。

何よりも驚いたのが、こんな田舎の喫茶店に「
ギャラリー」が併設されていることだった。
今はさほど使っていないけど、
昔は知り合いの方々が展覧会をして、お客さんを遠くから連れてきたりしていたらしうい。
奥様も書道と水墨を書かれるが、かなり上手い。びっくりした。
上手いだけではない。絵としてなかなかいいのだ。
こんな牛久沼の誰も来ない喫茶店で、こんな本格的な絵に出会えるとは・・・。

この牛久沼にアトリエを持っていた
小川芋銭の影響がある絵だ。



    これは「らんか」のオーナーの奥様がミョウガを描いた水墨画。


    




      「らんか」のオーナーご夫婦と私。

      



そして、ケーキやコーヒーをいただきながらおもむろに
「ロケ地」のことを話しましたら
しっかり大原麗子さんが来られたことを覚えていらっしゃった。
28年前はまだ「ふじ子さんの自転車ロード」は竹やぶが生えてなくて
ずっと葦だったそうです。小川か何かがまだ流れてたのかな。


そしてあの釣り場の住所のことだが
衝撃的なことがわかった。

住所についての衝撃の事実。

ほとんど地元の人でも知らないそうだ。

郵便屋さんだけは知っている^^;




動画
http://youtu.be/d6N3KbI5gsk




住所についての結論


あの釣り場やふじ子さんの自転車農道は
龍ヶ崎市庄兵衛新田町。

田んぼから土手を上がった所の家々はほとんどが
牛久市新地町。


田んぼの稲荷川寄りに昔から建っていた3軒の家だけが
牛久市の庄兵衛新田町。

稲荷川の畔にあるあやめ園付近と沼に近い所は
牛久市の庄兵衛新田町。

この新地町の住宅が建っていなくて
田んぼだけの沼に面した細長い部分は
全て龍ヶ崎市の庄兵衛新田町。

また、つくば市にも沼を灌漑によって埋めて
田んぼにしたところがあるがその一部は
つくば市の庄兵衛新田町。

あの島があるあたりいったいは
龍ヶ崎市の庄兵衛新田町

庄兵衛新田はこのように3つの市に
またがっているんだそうです。

基本的に、牛久沼の沼自体と沼と接する田園はほとんどが
龍ヶ崎の庄兵衛新田だと覚えておけばいい。

だから、僕らが訪ねたロケ地は
正式には龍ヶ崎市の庄兵衛新田だったわけだ。

でもね、人に言ったら、そこらじゅうに同じ住所が飛び地のように
細長く続いているのでもうわからなくなってしまうらしい。


だからあのロケ地は
牛久市新地町の南の先にある
龍ヶ崎市の庄兵衛新田

と覚えればいいのかもしれない。


だから2日前のあの青年は
「新地町」って言ってくれたんだね。



あのあたりのことを知らない人に
あのロケ地を説明する時は

新地町の南の先、
沼に面した場所

とシンプルに言うのが

一番いいかも^^;


これだと迷わないですもんね。

あの場所に行ければいいわけですからね。


あの釣り場から一番近い家は、釣り場から徒歩2分。
ふじ子さんの自転車農道を上がったところの家↓

牛久市新地町25




このあと、僕らは「らんか」をおいとまし、

雨の振る中、牛久城址跡と画家小川芋銭のアトリエを訪問し
牛久沼に別れを告げたのだった。




       
小川芋銭のアトリエに飾られていた日本画。これもなかなかいい絵。

     





     黄色いじゅうたん

     






2日前に、私が下見で地獄を見て駆けずり回った
かいがあったというものだ。

私とY.Iさんは、やや寒かったものの
大いに満足した1日だった。





     





感謝です!





おしまい。










第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ










536


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…





2012年12月18日  寅次郎な日々 その536

大空小百合ちゃんと寅の出会いと別れ

三浦市三崎ロケ地全解明 
後編完結編



前回↓
2012年12月18日寅次郎な日々535
雨の日の大空小百合ちゃんと寅の出会いと別れ
三浦市三崎ロケ地全解明 前編





はい!ここから「後編and完結編」です↓


相模のや
三浦三崎は ありがたく
一年あまり 吾が居しところ

白秋

9時半に品川を出発し、
3人で楽しい話をわいわいゲラゲラしながら
どんどん車は三崎に近づいていった。

予定通り、これまたどんぴしゃ11時ちょうどに三浦市の三崎地区に到着。


もうね、海が見えてきたと思ったら
いきなりどーんと三叉路で「
加藤酒店」が出てきた!!



     


おおお!

ここ、「加藤酒店」だ!加藤酒店は芝居小屋倉庫の横。

いきなりもうロケ地じゃないですかああ!

僕も寅福さんもおおはしゃぎ。

ちびとらさん「フフフ」

そして右折したらもうあの倉庫だ!

ついに来ました。

案の日の坂東鶴八郎一座 そして小百合ちゃん!



     




     







     



     




     


三浦市海外町の海岸一帯に露出する
三崎町砂岩シルト岩互層(三崎層)は、
三浦層群下部層で、
地質年代が第三紀の海底で堆積した、
主に灰白色のシルト岩と、
黒色のスコリア質の凝灰岩や砂岩の互層

からできているそうだ。

この崖の地層には、↑にも書きましたように
地質形成当時の環境を知る手がかりとなる
スランプ構造がみられます。

スランプ構造とは、未だ固まっていない堆積物が
一時的に海底などの斜面をすべり下った結果生じた
特異な堆積構造。


  
   
      


OPの↑の海の動画

たっていられないほどのもの凄い風だった。


http://youtu.be/ySLF6AA66WE



芝居小屋の

左上の【スピーカー】

右上の【洗濯物】

これも動画↓で行ってみよう^^

http://youtu.be/Yt2pI0Udd94



    



    




なにかインスピレーションが働いて

小屋の後ろに回ってみた。
後ろには
黄色い引戸があり、
ほんの2〜3センチ端が開いていたのだ。


    





その隙間にカメラのレンズを入れて覗かせていただいた。

神のお導きだったのでしょう・・・




    



本編の大船セットはかなり広い感じだった。
舞台もあって観客席もあって
二階で人も住めて・・・。


これらはもちろん大船セット。↓

    



    







芝居小屋内部を見た僕達は、
おばあちゃんが小屋の前を通るほんの一瞬の場所も
カメラに納めた。

    


    




芝居小屋の内部が見れて幸先が良かった僕達は
次なる未踏峰
寅と小百合ちゃんの雨の相合い傘の岩場に向かった。

ここは未だに確証が持てない場所。

現場に着いたら岩のはっきりした類似点が
わかると思っていたのだが・・・


    


    



岩の一部はかなり似ているが
他の部分が違い過ぎる

こう言う場合は大抵 「はずれ

たぶん・・・ここじゃない。

ここは厳しいかもと思ってはいた。

ちびとらさんも寅福さんもここは一番不安があった場所。
類似点はいろいろあれども
相違点が多すぎる。

ここじゃないのだろなあ・・・

と、この時点でパーフエクトの夢が・・・

ううううう







気を取り直して寅福さんが目をつけていた
あの
曲がり角に歩いて行く。
もう徒歩で数分。「斉藤菓子店」の7メートル隣の角。


    

この場所は、石井さんが持っている土地なので
山田組のスタッフさんも選ばれたみたいだ。

ここは
寅福さんがもともと目を付けていた場所。

奥様がこの坂のところで撮影していたことを覚えていらっしゃったので
今回確定したわけだ。


この坂をあがるところに駐車場があって、
そこに昔下宿できる館があったとのこと。

物的証拠もある。

このブロック塀の下の土台。

断面が今も同じ割れ方をして入る部分が残っている。

これで決まり!!

ここは
初登頂!!です。

ヽ(▽^〃ヽ)ヽ(〃^▽^〃)ノ(ノ〃^▽)ノ



ちびとらさんと寅福さんには
初登頂記念として番傘を持ってもらい本編を再現した。



     






あの映画と同じポーズをしていただいて写真を撮った。


     






         







そのように怪しいおじさん3人がわけのわからない写真などを
撮っている時に

一台の車が石井さんの土地にある駐車場に停まった。


車に小さく「
斉藤菓子店」!

このすぐ横のお店の斉藤さんだった。

普段人見知りの私ではあるが
この人は何かを知ってるのではと思い
清水の舞台から飛び降りる気持ちで話かけた。


この行為がこの日の分岐点だったのだ!



     



斉藤さんは、この駐車場あたりは全部石井さんの
土地だということ。

このあたりではいろいろなテレビドラマのロケも
おこなわれた。

「男はつらいよ」のロケのことは知らなかった、ということだった。

僕は、この海沿いで住まわれてきた斉藤さんに
あの寅と小百合ちゃんが
歩いた
あの「岩場」の画像を見ていただいた。

すると


この箱は「
まぐろ箱」で、
これをいつも大量に置いてあった場所は
かくじまだね
って、あっさりとおしゃった。





    


あの長細い箱は「
まぐろ箱」だったのだ。

   



松崎旅館があったあたりの
前の海岸である
歌舞島
土地の人は訛って「
かくじま」 と呼んでいる。
別名兜島ともいい、往時は兜に似た
離れ島であったそうだ。

斉藤さんは、本編で見える岩礁も
覚えていらっしゃいましたが
それ以上に、あのシーンではたくさんあのような
魚の箱を置いてあったので
それらの置いてあった位置も
はっきり覚えていらっしゃいました。

ちなみに、この後、松崎旅館になった石井さんの家にお邪魔した時も
そのようなまぐろ箱がたくさん置いてあったのは
「歌舞島」の海岸だとおっしゃっていた。


どうも、この歌舞島というのはこのあたりの
地元の人たちにとって風光明媚な
岩礁地区だったようだ。

石井さんの家の路地の真正面は砂浜で
防波堤もあり、海水浴もできたらしいが
そのすぐ隣あたりから岩礁が
また存在していたらしい。

で、斉藤さんがおっしゃるのには
その風光明媚な場所である歌舞島は
現在半分以上も埋め立てられてしまっていて、
あの寅と小百合ちゃんの向こうに見える
岩礁はもうないそうだ。


これは残念!

でも、逆に埋め立ててあるのなら
そのかつて岩があった場所にはいけるはず!!

僕らは一途の望みを託して斉藤さんにお礼を言い
歌舞島地区に歩いて行った。


「歌舞島」の由来は
源頼朝が歌舞の宴を開いたことからその名がついたらしい。

斉藤菓子店のすぐ南にある、
広大に埋め立てられた場所(元岩礁地帯)について
いろいろ話をしてくれる斉藤さん


やはり、埋め立てられたので漁場が変わってしまって
近場での釣りや漁業はさびれていったらしい。
今はむなしくバブルの残骸のちょっとした道と、
買い手が未だにないため、
何ににも使われない
埋立地に風が吹いている・・・


斉藤菓子店から歌舞島地区までは
ほんの250〜300メートルくらい。

そこの内陸側たった20メートル入ったところに
あの松島旅館になった石井さんの家もある。

あの寅と小百合ちゃんの歩いていた岩礁が
見える道がわかる可能性が出てきた。

埋め立てられているので分かりづらいけれども
地図や航空写真を手がかりに見比べていけばなんとかなると思った。



歩いて歌舞島の埋め立て地に行く途中に
ちょうど松崎旅館に使われた石井さん宅への
別れ道がある。

あの岩礁跡(今は埋立地)を探す前に
まずは、
石井さんとの約束の時間が近づいたので
まずは石井さんのご自宅を訪ねることにした。

この石井さんの家(松崎旅館に設定された家)の
前の路地は、
あの寅と小百合ちゃんが別れた
あの道なのは言うまでもない。


今は堤防は無くなったが


小百合ちゃんの
向こうに見えていた
諸磯の岬の見え方はさすがに
変わっていない。



小百合ちゃんの背中に見える松崎旅館の
看板の向こうに階段があり
眺めがいい歌舞島公園に上がって行けるのだ。
この別れのシーンで向こうに見える大通りと
堤防が歌舞島の海岸。
この写真↓で左に上(歌舞島公園)に行く階段が見える。


     



     







ただ、左にブロック塀ができているので
その分視野はせ狭くなってしまってはいる。

松崎旅館(石井さんの家)の玄関から映すとブロック塀が
あるため岬は映画の時よりは隠れがち。↓



     



あの上に上がっていくと 空が澄んだ日は
富士山がはっきり見えるんだそうだ。

僕らが行った日もかなりうっすらとだったが
大きく富士山が見えたが
薄かったので肉眼では見えても
デジカメではわからない感じだった。


無理して画像にコントラストをつけるとようやく見えた。
12月8日午後12時ごろ、斉藤菓子店の近くの海岸から。


     




歌舞島公園からの富士山はこういう風に見えるんだそうだ。
ネットから拝借↓


     


松崎旅館の玄関も思いっきり建て替えているので当然面影はない。^^;
石井さんのお話によりますと、今の玄関と大体一緒の位置に
前の家の玄関があったそうなのでまあ、こんな感じだったのかなって・・

実はここの前であの寅と小百合ちゃんのポーズやってもらおうと
思ったのですが石井さんが玄関から出てこられたので中止になった(((^^;

ま、いいでしょ^^ヾ


     


     


後ろの方にもいくつも部屋があった石井さんの昔の家。

実は。。。家にお邪魔してから聞いた話だけれども・・


松崎旅館の看板の横に本来は
「石井さんの家の看板」があった。
撮影の時だけ取り外されたらしい。



その名は
「歌舞島館」
詳しい説明は後で。



とにかく一日中物凄い風でした。
強風の轟音の中
動画は撮った。



http://youtu.be/eqBHfd9uM9M



さてそうこうしている間に、石井さんのご主人さんが
玄関から出てこられた。

みんなで挨拶して玄関でお話を聞こうと思いましたら
奥様も出てこられましてどうぞ上がってくださいと言われまして

恐縮しながらも、お言葉に甘えることとなりました。

いろいろなお話を1時間もしてくださった。



     



石井さんのご自宅は戦前から、
もともとは夏は避暑地客を相手に
上下で10部屋以上もマンスリーで
貸しておられたそうだ。
それで秋からは今度は地方から上京して
大学受験の勉強をする若者や
台湾あたりから東京の国立大学へ入学したいと
受験勉強に来た若者達を受験期までずっと下宿させて
あげていたということ。

ご主人様のお父様である石井弁之介さんが
学校の先生をされていたので、そういう受験生達が頼って
住み始めたと言うこと。
東京に住みながら予備校に通う
経済的な余裕がない若者が
自力で参考書を読みながら勉強していたらしい。
朝夕と食事も出していたということ。
多い時は15人分ものお昼のお弁当を
作って上げたっておっしゃっていた。

夏は特にものすごい大賑わいで、
子供達は親戚の家に1ヶ月預けられて
全ての部屋をお客さん用に開放していたんだそうだ。

だから、実はちゃんと館の名前もついていて

「歌舞島館」
と言ったそうだ。

何十年もの間、人の出入りが
もの凄く多かった館だったんですね。
だから僕らも居間に通されお話を
聞くことができたわけですね。

山田組が来た時は
もうほとんど下宿もしてなかった頃らしく
スタッフ達はその 「歌舞島館」の看板を一時取り外して
釣り人専用旅館の
「松崎旅館」に変えたそうだ。

石井さんのこの「歌舞島館」以外にも
ついさっき立ち寄ったあの坂のある角の土地にも
下宿の館があったようです。
それ以外にも海外町にもご実家があり、
訪問客を宿泊させていたとか。

まあ、おそらく戦前は
このあたりの名士の家柄だったのだろう。

戦前はご主人のおばあさんがまだご存命で
安政年間生まれの彼女の海外町の家に
「城ヶ島の雨」を作られて間もなくの北原白秋さんが
宿泊されていたそうだ。
白秋さんはこの三崎地区が大のお気に入りで
ここにしっかり住みたいとまで思われ、
長い間石井さんのご近所にある見桃寺にご夫妻で
1年近く住んだり通われたりしたそうだ。

ちょうど白秋さんも破産などがあって
苦しい時期だったようで
再起の気持ちをこの三崎で蓄えられたようだ。


『9ケ月間の田園生活は
極めて短日月であったが、
私の一生涯中最も重要たる
一転機を画したものと自信する。
初めて心霊が甦り新生是より創った。


雲母集余言より



見桃寺冬さりくればあかあかと 
日にけに寂し夕焼けにつつ

いつしかに春も名残りとなりにけり
昆布干場のたんぽぽの花




相模のや
三浦三崎は ありがたく
一年あまり 吾が居しところ




上に書きましたその安政生まれのおばあさんの家に
白秋さんが何泊かされた時、
お世話になった記念にと思われたのか
洒落として思われたのか、
真新しい襖に作って間もない
あの「城ヶ島の雨」の詩を
筆でさらさらと書かれたそうだ。

気骨のある安政生まれのそのおばあさんは
喜ぶどころか、大変な剣幕で、
人の家の襖に落書きをするとは
どういう了見だ。と
白秋さんを叱られたそうで
現在までもその逸話は石井さんの一族の中で
語り草になっているということ。

さすが安政生まれ!
ピョハハ!(≧Θ≦ )人( ≧Θ≦)ピョハハ!

山田組のスタッフが来られた1971年の頃は
もう下宿人もいなくなり、
館自体もかなり古くなっていた時期で
山田監督はそういう古くなった旅館の雰囲気が
気に入られて
ロケに使わせて欲しいと言われたそうだ。

事前に2度ほどスタッフさんが来られて
打ち合わせをして



海外町の芝居小屋のロケは別の日に撮影し、
この松崎旅館のシーンは丸一日かけて
午前中から夕方まで撮影したそうだ。

なかなか雲が晴れなくて、
待ち時間も長かったと言うこと。
雨のシーンでも撮影には自然な光が必要なのだ。
雨をわざと降らすために二階から
水を撒いたそうだが
さすがに海水は遠いし、家によくないし、
山田組は業者に頼んでトラックで水を
持ってこさせたらしい。

それでも足らなくて
ご近所からいろいろ水を調達して
溜め込んでは2階から撒いたということ。

苦労してるな〜〜〜〜( ̄~ ̄;)


待ち時間やお昼のお弁当の時は
ずっと石井さんの大きな2部屋を使って
20人以上のスタッフさんや
山田監督や渥美さん、岡本さんが休憩されていたそうだ。
渥美さんは、館の中をいろいろぶらついて
こういう下宿形式の大きな家の仕組みに
興味を持たれていたらしい。
ご主人やお父様が持っている書籍をめくりながら
よく勉強されていますね〜っと感心されていたということ。

渥美さんは、ご自分の
若い頃の肺結核のことや手術をしてから
人生が変わったことなども
待ち時間の中で石井さんの奥様に
話をしてくださったそうだ。

奥様は、果物やお菓子やお茶などをいろいろみなさんに
提供されて大忙しだったということ^^;

で、午後から晴れ間が出たので
ようやく、本番がはじまり、夕方までかかって
あの名シーンを撮り終えたそうだ。

家の中からのシーンもあるが、
あれもスタッフさん達が玄関上がったところの
階段から道を撮られたと奥様がおっしゃっていた。

その時玄関先で飼っていた鳥は「
十姉妹」だそうだ^^
渥美さんの色紙も2枚も書いてもらったんだけど
しばらくは何年か飾っていたけど、新築の時にどこかに仕舞っってからは
見ていないそうだ(^^;)

撮影時はものすごい人だかりで
町のあちこちから見物人が集まってきて
撮影の人たちも整理するのにたいへんだったようだ。
石井さんの家にも見物人が上がり混んだりして
困ったっておっしゃっていた。

石井さんの奥様は当然岡本茉利さんのことはご存じなく
「あの一緒にいた若い女の子は誰だったのですか?」
って聞かれたので、

「旅の一座の娘さんの役で、声優や女優を続けながら、今はほんとうに
地方講演をする旅の一座の俳優もされているんですよ。
山田洋次監督の作品にはたくさん出演されている方です」
と僕が説明させていただいた。

もう岡本茉利さんもたぶん58歳。
歳月だなあ〜〜〜〜〜。


いろいろお世話になりましたので
僕はかねてより用意してましたロケ時の本編画像4枚セットと
柴又参道の高木屋さんのオリジナル手ぬぐいを差し上げました。

ちびとらさんは、さすがに1時間も路上駐車してるのが
心配になって、先においとまして車を移動させに行かれた。

僕と寅福さんもゆっくりソフトランディングさせながら
その10分後においとました。

その際、予備のSDカードと使い終わったバッテリーの布袋を
ほりこたつに落としてしまったらしく、あとで大慌てをすることになるのだ。

おそらく、高木屋さんの手ぬぐいをリュックから取り出す時に
リュックの横に布袋を置いたのだが、それが滑り落ちてしまったみたいだ。

ほりこたつの存在を知らなかったので穴の端に置いてしまって
滑り落ちたらしい。

(その日の夕方に石井さんに宅配便で送っていただくと言うご迷惑をおかけしてしまった)


自分のその後の取材的には、
息子から借りたもうひとつの新しいSDカードやバッテリーがあったので、
撮影にはなんら問題はなかった。ふ〜〜(^^;)ヾ



お暇する際に、玄関で、当時のアングルに似せて写真を撮らせて頂いた↓

    




これはもちろん「初登頂」

    





この画像を見ると今も感慨がこみあげてくる・・・



まさにここで撮影し、玄関の右には十姉妹、
左には大きな下駄箱がかつてはあったんだなあ・・・





こうして、僕ら3人は

僕の布袋を掘りごたつの穴に残して^^;
名残惜しいこの松崎旅館こと「
歌舞島館
をあとにしたのだった。







さあ、いよいよ、最後の難関

寅と小百合ちゃんの歩いた


「歌舞島」の元岩礁地帯にGO


    


と言ってもね、同じ歌舞島地区ですから
徒歩でもたった5分なんだけどね^^;






【今までのまとめ】



芝居小屋 倉庫  加藤酒店や海外会館そば
三浦市海外町11−5

曲がり角 斉藤菓子店横
三浦市白石町18−11

松崎旅館 石井さん宅
三浦市三崎5−17−8



     







さあ、あの海岸の道 最終決戦だ。


   


■トラックが走る例jの海岸線に沿った大通りを歩いている。

■大通りから海は結構近い

■岩礁の形が分かるものは3つほど



斉藤菓子店のご主人と話していたのは赤丸の位置
斉藤さんはピンクで囲ったアパートの後ろ当たりに

この岩があった。とおっしゃった。

黄緑のあたり


ただし、
撮影場所は大通りの近く

こうなると場所はきわめて限られる!



      



寅福さんが、「
あの当時の古い地図を見せてください」と、おっしゃいました。


なるほど、そうだ!

あの古い地図には岩礁も書かれてあったのだ。


斉藤菓子店の斉藤さんと、石井さんの証言では
あのマグロ箱をたくさん置いてあったのはこの歌舞島地区の海岸線。

ということは道路から岩礁が近いとなるとこの赤で囲んだ岩礁の
どれかが見えていたと言うことになる。

寅と小百合ちゃんは
ピンクの矢印のように歩いて行ったのだろう。

    




    





すぐ東に建っている市民プールは、
地図当事(1970年)東西に伸びていたのが
後に道に沿うように建て直されている。


ここで、伝家の宝刀
映画撮影から6年後の
昭和52年の歌舞島地区の航空写真登場だ。



水色が、私が午前中最初に探索して、
違うと思った岩礁


ピンクの囲みが斉藤さんが教えてくださった岩礁の場所。



あのあたりの道沿いに魚の木箱も
たくさん積んであったらしい。
ピンクの囲いの中の道沿い海岸側に、
よく見るとマグロ箱の群れのようなものがずらっと並んでいるのが
写っている。おそらくあれだろう。



     



絞り込むとこんな感じになる。↓

あのシーンで見えている岩礁は
このうちのどれかの可能性が強い。

石井さんもあの箱が置いてあったのは
歌舞島だっておっしゃってたので
この海岸で間違いない。

四角いのはプール。
この年の時点ではすでに道路に沿うように
作り直されている。

     





二人が歩いていたのは岩礁1,2,3のあたりが見える大通り。
つまり、右から歩いてきてプールを過ぎてすぐあたり。


神奈川県三浦市白石町22-22付近


     


これで100パーセントだ。

現在のまったく同じ場所はこうなっている↓。すべて埋め立てられてしまって海はもう見えない。


     


     


     このように二人は歩いて行ったのだろう↓

     





映画撮影は私が撮影していた、この歌舞島公園の中腹あたりから。↓

     





これで三崎地区は全てパーフェクトだ!



さて、そのあと僕達は、急ぎ足で

車で5分の三浦市役所横の図書館に行った。

生涯学習課の渡辺さんがすでに当事の町の写真のコピーを
してくださっていて、私が自己紹介すると司書のかたが
すぐわかってくださった。


当時の三崎地区のモノクロ写真のコピーなどを司書さんに託されていたのだ。
ありがとうござくぃますm(_ _)m


    



当事の住宅地図を3人分コピーしていただき
少し棚にある写真を見たりして20分ほどでおいとました。


渡辺さんには本当に感謝です!

土曜日でしたので市役所が休みのため
生涯学習課の渡辺さんはお休みだった。


このあと、マグロ市場で、立ち食いでマグロの串刺しを食べて



すぐに同じ三浦半島にある「熊野神社」へ出発!



       




さて、熊野神社はちびとらさんがつい先日行かれているので
あっという間、20分くらいで着いた。



横須賀市長井6丁目16-25 熊野神社




相模湾を眺めれる神社。
富士山も見える神社。



でも第13作「恋やつれ」のOPのような
桜の木はなかった

桜の枝を近場から持って来て
スタッフの誰かが手で持っていたのだろうなあ・・・




熊野神社前の海は三崎に劣らずダイナミック。


     




     





このように、階段からダイレクトに海がドーンと見える。


     



     






映画では穏やかな春の海だったが・・・


      



この日は波が高くて荒々しい姿を見せていた。(美しい・・・)桜の木はこの場所にはなかった。

      




動画。

熊野神社


http://youtu.be/CSnO2PX7yBU








さて、いそいで最後のロケ地。

横浜成田さん 延命院 へGO!


神奈川県横浜市西区宮崎町30

着いたのがもうかなり夕方になっていた。

ここで、上にも書いた、石井さんのお宅の掘りごたつに
布袋を落としてしまったことに気づいたので、
10分のロス。

石井さんには宅配便(着払い)で翌日送っていただくことに電話でお願いした。


もう夕方も終わりに近づいてきた。

暗くなってしまった・・・


しかしまだ間に合う。駐車場からはたった5分。


    




この「横浜成田さん」は、ちょうど数年前、2010年ごろだったか、
私が当時のキネマ旬報の撮影ルポからたどって
最初に見つけ、その後、寅福さんが
現場検証をしてくださった思い出の場所。



    



現在境内全て建て替えている最中で
かなり変わってしまっていまるが石垣はなんとか残っている^^;

    





この石段の近くで寅はバイをしていた。

ここが寅の啖呵バイの場所↓石で囲われてしまった。


    




階段を上がってきた場所からのカメラアングル↓


    



ここも石の塀ができたので
様子が変わってしまっている。

あれから40年も経っているからね〜。


    






撮影合間に渥美さんが寝転んでいた場所。
下のお寺の屋根などはまだ同じ。

     



渥美さんのスチールと同じ位置で同じポーズをとってみる。
ア!(* ̄○ ̄)( ̄о ̄*)ホ!!

   



かつて寅福さんもここで同じポーズを^^;↓

   






寅の啖呵バイ 別の角度から↓


        





啖呵バイの後ろに見えていた↑のアパートらしき家並みも
すっかり無くなっている。


    






現在の境内からの眺め。

横浜ランドマークタワーandコスモクロック21大観覧車。 激変だあ・・・・...( = =) トオイメ


    





ここから急に暗くなり、私たちは全ての取材を終えた。
桜木町をでた時はもう真っ暗でした。


この日は本当に山あり谷ありそしてもう一度山ありの充実の1日だった。

すべてのロケ地、パーフェクト!!


寅福さん、ちびとらさんお疲れ様でした!
ちびとらさん、運転ご苦労様でした。感謝!です。






ここから「短い完結編」↓

まあ要するに「エンドロール」
単なる余韻とまとめです。^^;










エンドロール




今回の「初登頂

三浦市海外町の芝居小屋の中(三浦市海外町11-5)

三浦市白石町の曲がり角(三浦市白石町18-11付近)

三浦市三崎松崎旅館の玄関の中(三浦市三崎5-17-8)

三浦市三崎 歌舞島の海岸の道
(三浦市白石町22-22付近)







Special Thanks


時間の経過とともに


三浦市役所 生涯学習課 渡辺主事さん

三浦市三崎の石井さんご夫婦

黙認してくださったちびとらさんのご家族

黙認せざるをえなかった寅福さんのご家族

もうとっくに見放している私の身内



三浦市海外町の倉庫管理のおじさん

三浦市白石町の斉藤菓子店の斉藤さん

三浦市三崎の石井さんご家族

三浦市青少年会館内図書館の司書さん

そして もう一度

宅配便で忘れ物を送ってくださった
三浦市三崎の石井さんの息子さん



最後に、
事前準備を手伝ってくださった
小手寅さんはじめ何人かの寅さん仲間たち


そして、この長丁場を
最後まで読んでくださったみなさん。



感謝です!





おしまい。










第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ








535


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




2012年12月18日  寅次郎な日々 その535


大空小百合ちゃんと寅の出会いと別れ

三浦市三崎ロケ地全解明 前編


まずはスーパーお宝映像。(非売品DVDより)
幻のメイキング映画「フーテンの寅さん誕生」より↓

これは第8作が初めてロードショー形式で上映された時
併映で流された東京12チャンネルが制作した「ドキュメンタリー映画」

いわゆるテレビ番組じゃない。
だからきちんとした「フィルム」で撮られている。


これは、その昔
私のかけがえのない友人であり、
日本一の寅さんファンである川崎に住んでいらっしゃる矢内さんからいただいたDVDなのだ。


       



      





さて、

ロケの話。



12月8日に寅友であり、かつ、
ロケ地めぐりの達人である ちびとらさん、寅福さんとともに
神奈川県三浦市三崎の
大空小百合ちゃんのロケ地に行ってきたのだ。

帰りには、あの
第13作「恋やつれ」の夢のシーンに出てくる
同じ三浦半島の「
熊野神社


そして
第6作「純情編」の寅の啖呵バイ場所、
横浜の桜木町のそば、宮崎町にあるにある「
横浜成田さん(延命院)」にも
立ち寄ることができたのだ。


その準備段階から最後の結末までを2回にわたって記載して行きたい。


このシリーズのあらゆるロケの中で
最も瑞々しく、心が洗われるあの名シーン・・・
大空小百合ちゃんと寅の最初の出会いと別れ。
もうスタッフキャストBGMともに最高のできだった。

そこにいよいよ最終決戦にのぞんだわけだ。


だいたいこのあたりだろう では
この豪華メンバーで行く場合は済まされない。


特に、
たまの休みなのに
左遷覚悟でのぞまれる
寅福さんの道楽にかける決意を
お許しになられた寅福さんの
心優しき奥様や息子さん達ご家族に
顔向けができない!



あの芝居小屋として使われた倉庫は大昔から
小寅さんにはじまり、寅福さん、私、ちびとらさん、
などなどが解明しているので、
すでにあの場所は海の風景も含めて
なんの問題も残っていない。

あの最初の海のシーンもあの倉庫の前だということは
ちびとらさんが一度行って掴んでいるので安心。



      






あのメインの芝居小屋(もちろん普段はただの倉庫)は、
なんと今もほぼ同じ状態のまま建っているのだ。


三浦市海外町11−5

海の岩や岬を映した前後のシーンは
この小屋の前の海岸。

全く問題なし。
100パーセント。


     



また、芝居小屋自体も中の構造がどうなっているかは
誰も掴めていない。

本編ではもちろん内部のシーンは大船セットだが
実際の倉庫の中は誰も見ていないのだ。

つまり

■芝居小屋の内部構造は未踏峰


    




    


芝居小屋になった倉庫はOKだ。

で、まあ、問題はその後のシーン。


神奈川県三浦市三崎 の重要な
あの3つのロケ地

■大空小百合ちゃんと寅が歩いていく海辺(完全未踏峰)
■大空小百合ちゃんとの曲がり角(完全未踏峰)
■大空小百合ちゃんとの松崎旅館での別れ(寅さんDVDマガジンに記載)

この3箇所だ。



大空小百合ちゃんと歩いた場所は
実はかなり調べてはいるが
証拠」がまだほとんど掴めていない。



特にこのシーン↓
この海辺の木箱のエリアがこの三崎ロケの最大の謎なのだ。

あの小屋から徒歩圏だとは思うがどうも、ヒントが少なすぎる。
スクリーンに見えるものと言えば、海に浮かぶ岩礁と、手前に積んである
「箱らしきもの」だけなのだ。その箱もなにやら長細い。


      



      



倉庫がある海外町から三崎の方へ歩いて5分くらいの場所に
このように岩礁が見えるエリアがあることがストリートビューで確認できた。
岩礁のありかたが似ていると言えば似ている。


ずっと同じ位置からやや望遠で追っていく。
もうこのあたりでは大通りの道を歩いている。
横の箱はたぶん本当に置いてあるのだろう。
箱の群れはずっと続いている。↓




ほんといい情景だ。

この時のかなり長く流れるBGMは

あの日本一のラストにも一部使われる名曲。

私はこの音楽を「
小百合のテーマ」って呼んでいる。

なぜか誰も「小百合のテーマ」とは言っていない。


こんな美しい曲なのに・・・。




これ以上は現地でしっかり目で見て確認するしかない。

実は、この木箱が積んである場所は、
現地での調査で、思ってもみなかった意外な展開が待っていた。
この場所こそが今回の最も難関の場所だったのだ。








次にあの
曲がり角だ。



    



あの曲がり角は寅福さんが、ストリートビューで
おおよそ掴んではいる。

土台がかなり似ているのだ。

ここはほかのサイトも公式ページもl書いていない。
寅さんDVDマガジンもこの曲がり角は書いていない。

完全未踏峰。


    


ね、似てると思いませんか。

これを【証拠物件】としてあげるには
現地でもっとディテールを見比べる必要がある。

これも現地で最終確認することになる。

    



このような下準備はロケ地めぐりでは必須

私の今までの経験上、
ロケに行く前の段階で事前にほとんど場所を掴めていて
ようやく現地でダメ押しの「証拠」つかんで
100パーセントになる。
現地にたつと結構焦るからだ。






さて、そしてあの「
松崎旅館」だ。


ここは島の見え方から考えて、
あるひとつの路地の可能性が強い。

なぜならば、本編で住所が出てくるからだ。
これは大きなヒント。

17−8 と玄関に金具が貼り付けてある。
これは山田組のスタッフさんが貼り付けたものではない。
だから、このあたりの白石町か海外町か三崎町のいずれかの
17−8なのだ。17−8の前に、「〜丁目」が最初にあるのかもしれない。

寅の帽子の右横に見える「17−8」↓

     


「寅さんDVDマガジン」には、この場所が載っている。
三崎5−17−8と書いてある。
そして、その場所に旅館があったと書いてあった。

しかしこの雑誌は時々間違うことがある。


道向こうの景色の見え方や
道の曲がり方や道の幅、道の端の下水のフタなどなど
かなりのパーセントで三崎5−17−8の場所だとは私も思う。


     


当事も今も一方通行の交通標識がある。
ただし、標示のポールの位置はかなり違う。


しかし、それよりも、どーも気になるのが向こうの岬の見え方。

当時はまだあった
防波堤の向こうに岬が見える
どーも、この三崎5丁目17−8からはちょっと見え方が違う気もする。
ストリートビューの位置と映画の撮影位置が1メートルほど
違うせいかも知れない。
現在は左の家にブロック塀が作られてあるので
それが見え方の邪魔をしているとも考えられる。



    


現在の三崎5−17−8の場所↓

    





で、今回は達人たちと行くのでアバウトな遊び行楽取材はできない。

そこで前回「第19作の大船での啖呵バイ」の時に使ったまっとうな手段を
まず使おうと思ったのだ。

つまり、
古い住宅地図だ。


現地三浦市の図書館かどこかに前回鎌倉図書館同様
1970年前後の古い地図が残っていれば
そこに「松崎旅館」が書いてあれば
間違いなく100パーセント。

もうこれは三浦市の図書館に電話して、
そのような地図が存在するかどうか
聞くしかないと思ったわけだ。

もしあれば、現地に立ち寄った時にその図書館も寄って
目で見て確認しようという計画。


で、ネットで調べたら三浦市の一番大きな図書館は
なんとロケ地から徒歩圏の三浦市役所隣の
青少年会館1階にあった。

私はこういう特攻電話取材が苦手なのだが
思い切って死んだ気で電話してみた。


電話したのは昨日月曜日。
図書館は閉まっていた(TT)

ああ・・・

葛飾区は月曜日開いてるのになあ・・・

でも、こういう時は僕は元教育畑なんで勘が働いて
市役所の生涯学習課に電話してみた。

案の定、親切に対応してくださった。
明日火曜日、図書館が開いたら、そのような年代の地図や
松崎旅館という旅館があるかたしかめ
あったら火曜日中に電話連絡してあげます、っておっしゃってくださたのだ。

いや〜〜〜、鎌倉図書館の時も事前に調べてくださり嬉しかったが
今回の三浦市のスタッフさんたちも事前にチェックしてくださるとの事。
感謝、感謝です。神奈川県の人たちは優しい。


もちろん、電話代を向こう様に出させては申し訳ないので
本日火曜日僕からお昼くらいに電話した。


そうすると

担当の方(渡辺さんとおっしゃいます)が「昭和44年(1969年)の地図がありました」

っておっしゃるんです。

この映画は1971年ですので

私は「それです!その住宅地図です!」とちょっと高揚して言った。

で、担当の方は

でも、おっしゃってた三崎5−17−8には
当時も今も旅館はないですね〜


「えええ!!」

「そこからちょっとずれた場所なら横に広い旅館が書いてありますね」

「ええ!!!」

な、なんと話はかなり変わってきた!!

どないしょう・・・(;´д`) 


で、

渡辺さんは
「すぐ隣の細い筋に面した場所に横長の旅館がありますね」

私はひょっとしてその旅館こそが「松崎旅館」かも!

と思い、

「旅館の名前と番地を教えていただけないでしょうか」

「えーっと、『白石荘旅館』ですね」

「白石荘っていうくらいですから三崎の隣の白石町にあるんですよね」

「そうです、白石町ですね。えーっと20の13です」

「っというと・・・三崎5−17ー8とはまったく違う場所なんですね」

「いえいえ、かなり近いですよ。すぐそばです」

「でも住所としては三崎じゃないんですよね」

「そうです。でも、もう歩いてすぐの場所ですね、これは」


僕は、電話をしながら グーグルマップで白石町20−13を急いで探すが
20は分かるんですが13がなかなかみつからない。

そうすると、渡辺さんが

「じゃあ、今からこちらの方にメール送ってください。
そのメールに返信としてこの昭和44年の
その場所の部分を送ってあげますよ」

と、おっしゃってくださったのだ。

私は、恐縮しながら、お礼を何度も言って
結局そのお言葉に甘えることにした。

神奈川県の人々は鎌倉といい、大船といい、
この三浦市といい、本当に親切!ありがたい。


それで、まず、私からお礼のメールを送って
その返信の形で30分ほどして送られてきたのが
この地図。↓


この地図を見ながら再度電話させていただく。↓


      



が「白石荘旅館」白石町20−13
黄緑が「松崎旅館」があると思っていた三崎5−17−8

オレンジ矢印が大空小百合ちゃんが歩いて帰った道。




これで見るとわかるのだが、「白石荘旅館」は大通りに面しているので
これは違うなと確信。

これで本当にあの場所に旅館があった説は
ゼロパーセントになった。

お礼を言って電話を切らせていただいた。

渡辺さんは、

三崎5−17−8のほうは、当時は
「石井」さんという大きな家がありますね。
と、おっしゃっていた。

現在はどなたが住んでいるのか聞くのをわすれた・・・

旅館じゃないとは言え、地図で見る限りは大きめの家だ。
ここがロケに使われ、撮影用に旅館にしたてあげられた可能性は十分にある。

今住んでいる方に現地で聞いてもわかるかなあ・・・

と、思いながら、もう一度ストリートビューでこの路地をめぐる。

(それにしても、こんな田舎の路地をストリートビューがなぜ通る??)

そうしたら

なんと、現在もあの家は「石井」さんだったことが表札でわかったのだ。

ストリートビューは普通「表札」は読めないことが多いけれども
この家に関しては奇跡的に読めた。


     





そうかあ・・・今でも同じ「石井」さんが住んでいらっしゃるんだなあ・・


家の大きさも横の庭まで入れると結構大きい家。



     


なんか、大きさが似てるし・・・


     




やっぱここかなあ・・・

でも、向こうに見える岬の見え方が微妙にずれてる気もするなあ・・
道の端から映すとああなるのかもなあ・・・

こればっかりは、ここからはもう
現地で聞き込みするしかないかァ・・・


しかし、ストリートビューってどこでも入るんだなあ・・・




松崎旅館はこの三崎には存在しなかったんだなあ・・・


三崎5−17−8 石井 さんか・・・


うー・・・・・・・・・ん 危ない飛び道具使おうかなあ・・・

危険で心が傷つくかもしれない飛び道具・・・

寅福さんやちびとらさんもそれを期待してるだろうし・・・

清水の舞台を5つぐらい重ねた後

僕はNTTの104を押した。


NTTのお姉さんは当然粛々と
三崎5−17−8の石井さんの電話番号を教えてくれた。

石井さんは登録されていたんですねNTTに。

近頃は登録されない方が多いですが石井さんは登録されていた。


ここからはまな板の鯉。

もう息を止めて清水の舞台×5倍の高さから飛び降りた。

プルル プルル ずっとでられません。

7回くらい鳴らして出られないので

あ〜〜〜〜留守なんだなあ、と思って切ろうとしたそのせつな、



「はい、石井です」

奥様が電話に出られた。

おそらく声からして60代後半当たりか70くらいの、
しっかりとした低い口調で主婦というよりは女将さんって感じの声。

僕はちょっとビビリながらも

自分のフルネームと画家という職業を名乗り

なぜ突然電話をかけたのか。

どこからこの住所を聞いたのか

電話番号をどうしてわかったのか

をゆっくり話しました。

そして「男はつらいよ」という映画を研究していること。
そのホームページを持っている事。
現在その中で第8作「寅次郎恋歌」のロケ地を調査中である事

などを話させていただいた。



「この三崎でもロケがおこなわれたと聞きまして
いろいろな方にお聞きしたり、当事や現在の地図を見たりしながら
現在調査しているところなんですが」

と言っている最中に

奥様が

ええ、ええ、うちでもねえ、はいはい


「えええ!!!ひょっとして 
やはり 石井さんの家があの旅館だったんですか!!」

「ええ、私の家でね〜、
渥美さんも家に上がられていろいろ中も
ご覧になってましたよ」


「そうだったんですかあ!!」


「スタッフの方が2階に上がられましてね
 水をホースでまいておられました」

「おおお!!!」と、心の中で叫ぶ私^^;

「20人以上家に入られましたよ、監督さんもね」

「おお!! 広いお家ですものね、映画で見ると。
でも旅館はされてなかったんですよね」

「そうそう、もっと昔はね、
旅館じゃないけど下宿って言うか
いろんな人に間借りさせてたんですよ、何部屋も」


「あ!!それで、映画では旅館のように映っていたんだ!」

「もうあのころはね、下宿もやめてはいたんですけどね
部屋などはあのままだったから、旅館として使えるなあ、って
撮影のずっと前に事前に来て言われてましたよ」

「旅館に見えますね確かに」

「ウチは当事広かったので、もう見物人がいっぱい来てしまって
ものすごい人だかりだったので、大変でしたよ」

「スタッフさんもみんな家に上がってお弁当食べたり休憩したりして
午前中から夕方までずっと撮影してましたね、長かった」

「そんなに長く」

「なかなか雲が晴れなくてね、ようやく晴れて 撮影してました」

「あ、、なるほど、雨は二階から降らすんだけども
天気は晴れないと明るくないから撮影できないんですね」

「そうそう、そういうことでしたね〜。
もうね、長くいらっしゃるから、果物出したりお茶出したりしてあげましたよ」

「そんなことがあッたんですか〜」


中略―


そうそう、渥美さんはもうひとつ違う道も
歩いているんですよ



   

「そ!!そうなんですよ、ご存知なんですか!!」

「あそこね、ウチの地面だったところなんです」

「ええええ!!! あの海に近い
曲がり角ですよね」

「そうそう、ここからも歩いて行けますよ」

「そうです。あの『
斉藤菓子店』のすぐよこの坂を上がる路地ですよね!!」

「ええ、ええ、よく知ってますね、
あそこね上がったところすぐにウチの地面だったんですよ。
あそこでもね、ウチの下宿のための家あったんですよ」

「あの曲がり角の土台とか今も同じですね!」

「はいはい、あそこはかわってないかもしれないですね」



    




息子さんがインターネットをなさってるというので
私はあやしいものではない証拠として自分のサイトを
伝えさせていただいた。

奥様も「せっかく撮影があったから、私達も記念にその作品の
ビデオを買って持ってますよ」っておっしゃった。


それで、12月8日に取材に行くのですが
そのあと、僕のサイトに家の写真と石井さんのお名前を載せさせてください、
と言いましたら

取材に来られるのでしたら、
ウチにも寄ってください、いろいろ話しますよ、っておっしゃってくださった。

私はまたもや恐縮しながらも

「ぜひ、立ち寄らせていただきます!玄関で結構ですからもう少し
当事の様子をお聞きしたく思います。
よろしくお願いします!」

とまたもやお言葉に甘えてしまったのでした^^;ヾ

丁寧にお礼を言い、電話をきらせていただいた。


石井さん(松崎旅館の設定)を海沿いの大通りから見ると
こうなります。

黄緑の矢印のように寅と小百合ちゃんは
相合い傘で向こうに見える
「松崎旅館」まで歩いて行ったのだ。

     

ちなみに、三浦市の生涯学習課の渡辺さんが
教えてくださった
「白石荘旅館」はこの曲がり角の入り口にあった。
もちろん今はない。

↑昭和44年の地図参照






小百合「じゃあ…」

寅「あ、ちょっと待ちな」

小百合「はい」

寅「ねえちゃん、確か小百合ちゃんとか言ったな」

小百合「はい」

寅「仕事はおもしれえかい?」

小百合「はい、とっても」

寅「つれえことはねえかい?」

小百合「フフ…、それはありますけど、
    でも舞台に立ったらみんな忘れてしまいます」

寅「そうかい、それはよかった、そうでなくっちゃいけねえ。
   ねえちゃん、おまえさん
   そのうちきっと立派な女優さんになるよ」

小百合「ありがとうございます。私も頑張って、
     はよテレビに出られるような俳優さんに
     なりたいとおもてます」


寅「大丈夫だよ。それからな、
  これはほんのちょっとだがせめて座員の
  みなさんで一杯飲んでくださいと、座長さんに
  そう言って渡してくれ」

小百合「こんなにたくさん」

寅「いーって、いーって、いーって、
  旅先でたいしたこともできないけど勘弁してくんな、
  さ、さ、さっ」


小百合「ありがとうございます」



   





寅「うん、うん、」背中を向けて宿に入ろうとする。

小百合「あのー、先生のお名前は?」

寅、『ピクッ…』

寅「…名乗るほどのもんじゃねえよ」

小百合「そやかて座長さんに叱られますから」

やっぱり関西弁。


寅「そうかい…、じゃあ、こう覚えてくんな。

 東京は葛飾柴又の生まれ、

 車寅次郎。

 人呼んで『フーテンの寅』というしがねえ旅烏だってな」


小百合「はい、フーテン、寅先生ですね」


寅「へへ…、まぁ、そういうことよ」


小百合「ありがとうございました。
    頂いていきます。さようなら」


寅、見送りながら、「しっかりがんばるんだぞ!」


寅、「あら!?、
   間違えて五千円やっちゃった!」





行くぞ〜〜〜

あの会話の場所へ!


そして12月8日 快晴なれど風強く波が高い中

私たち3人は、ちびとらさんの車で
朝の9時半に一路三浦半島へ向かったのだった。



次回に続く。


「後編」は2日後の12月20日ごろにアップします。







第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
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534


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…




2012年12月2日  寅次郎な日々 その534


蘇る青春 満男と泉ちゃんの未来


男はつらいよ × 徳永英明

新・寅次郎音楽旅 





私はここのところ毎日家にいる時は、一日中
「満男シリーズ」の音楽CDを聴きながら生活をしている。

友人の映画評論家である
佐藤利明さんがまたもやあの名盤の第3弾を出されたのだ。





        





佐藤利明さんと言えば、
現在、ラジオの文化放送で「みんなの寅さん」の構成作家をされ、パーソナリティもされている人。

朝の番組にもかかわらず、結構聴く人が多いそうだ。それゆえか1年半もこの番組は続いているのだ。

毎回映画のマドンナの女優さんなどをゲストに招いてトークをしてもらったり、
倍賞千恵子さんに「けっこう毛だらけ」の朗読をしてもらったりと、
寅さんファンには、たまらない良質の番組。


ともあれ、

佐藤さんは今回も昔から醗酵させておいた志を押し通し、
ラジオのリスナーたちからの圧倒的な期待の声を背中に受けて
企画を立てて、今度は徳永さんの所属するユニバーサル・ミュージックからCDを出された。2500円。


若い満男シリーズとは言え、このCDはやはり入門編ではない。相変わらずマニアック。
しかし、懐深き、心優しき寅達人である佐藤さんが作ったこのCDは
マニアはもちろんのこと初心者にもその心にすっと入り込む不思議な魔力を持っている。


そして今回は、懐かしい昭和の再現というよりは、私たちの世代の映画という側面を持っているから
かなりの臨場感を持って音を楽しめるのだ。

第2回目の「続音楽旅」も満男シリーズは少し入っていた。
3回目は「満男シリーズ」でひたすら押し切っている^^;

映画の中で、寅は成長した満男に自分のエキスを毎回注入して行く。

生きるということ、我慢をするということ、お酒の飲み方、恋をするということ・・・

あの長いシリーズの中で「満男」だけが身体的にも精神的にも毎作品リアルタイムで成長していくのだ。
そして満男は遂に恋をし、作品が続いていくにつれ、次第に満男と泉ちゃんの恋はクライマックスを迎えて行く。

かっこよくもなんともない地味な青年の地味なラブストーリー。まさに私たちの物語。

あの時代からは「寅さん映画」はひたすら満男シリーズ。
私たち40代〜50代の最後の青春期だった。
そして、満男シリーズに使われた数々の小さなテーマ曲を1枚のCDにしたのはこの「新.寅次郎音楽旅」だけ。




       




そしてやはり登場しました
徳永英明さん!!


男はつらいよ と 徳永英明 のタッグは史上最強だ。



MYSELF 〜風になりたい〜  第42作「ぼくの伯父さん」

JUSTICE             第43作「寅次郎の休日」

どうしょうもないくらい      第44作「寅次郎の告白」

夢を信じて            第45作「寅次郎の青春」

最後の言い訳          第45作「寅次郎の青春」 第46作「寅次郎の縁談」

君と僕の声で          第48作「紅の花」





この6曲のイメージは絶大。

僕らは、「MIYSELF〜風になりたい〜」を聴きながら 満男がツーリングで九州の山道を走っていく姿を思い出し、

「JUSTICE」を聴きながら、泉ちゃんの乗った博多行きのひかりに飛び乗る愛と勇気に満ちた満男を思い出し、

「どうしょうもないくらい」を聴きながら、山陰線で、黄色いハンカチを持つ泉ちゃんの手を初めて握り締めた満男を思い出し、

「夢を信じて」を聴きながら、満男が泉ちゃん会いたさに宮崎まで行ってしまったバカさ加減を思い出し、

「最後の言い訳」を聴きながら、あの東京駅での「別れのキス」を切なく思い出し、

そして

「君と僕の声で」を聴きながら、紆余曲折の末、大きな幸せに包まれていく二人の軌跡を思い出して行くのだ。

やはり「ヴォーカル」というのは強い。
人間が歌う声は心が宿る。

あのころの青春の輝きを具現化してくれたこのCDはこれからも多くの人々の支持を受けていくだろう。




      





もちろん今回も、
かつてあの高島幹雄さんたちによって制作されたVAP社の数々の寅さんCDたちにはなくて
本編でしか聴けない小さな隠れ名曲がかなり入れられている。


そしていつもながら思うのは、ライナーズノーツの内容が半端じゃないところ。
佐藤さんのこの3つのCDは全てライナーズノーツが秀逸。

まず判りやすい。かゆいところに手が届く優しさ。しかしそれ以上に言葉の行間が奥深い。
この映画をよく知ってるかどうかはこの解説を読めば一目瞭然だ。
言っちゃ悪いが、「男はつらいよ」に対する巷の解説本などは、一夜漬けの匂いがプンプンする。
いろんな芸人さんや文化人、タレントさんなどがいろんなところで男はつらい世の薀蓄を書いているが
大抵は底の浅さが見えてしまっている。

佐藤さんはもちろん「仕事」なんだけれども、
ご自身も小学生のころから大変な「男はつらいよ」ファンなのだ。
今回も「満男シリーズ」の中の、満男と泉ちゃん、寅と満男、寅と泉ちゃん、
彼らの数々の物語を短い言葉で語りつくしている。

言葉はただの解説を超え、優しさを抱きながらも確かに力を持っている。

このライナーズノーツを読みつつ音を聴いてほしい。

必ずあの満男たちの青春とともに私たち自身の青春が鮮やかに蘇ってくるはずだ。


肝心の「音」の源は、前回同様、もちろん、マスターフィルムから音源を抜き取った
完全なオリジナル版を使っている。
この「ありのまま」の音だけが伝えてくれる感動は、映画を愛するファンにとっては
何ものにも代えがたい『劇伴』の絶対条件だ。



徳永さん6曲 山本直純さんの曲が33曲 そして渥美さんの歌。 合計40曲

ここまできっぱり「満男シリーズだけ」をやってくれると濁りっけが無くていいね(^^)


そしてやはりあの曲・・・


ラストの「NO.40 伯父さんはどうしているのだろう」は「続音楽旅」にも入っていたが
長い長いシリーズの最後を飾るにふさわしい曲。

あえて今回もう一度ラストに入れた気持ちは私には判る。

この曲はいい。


     



そして最後にもうひとつ言いたいことがある。


これは、ここだけの話。


この満男シリーズの山本直純さんのさまざまなBGMを聴いていると
それ以前よりあきらかに悲しみの色やせつない曲調が多い。
これは、もちろん、泉ちゃんの人生の重荷の分量が影響しているが、


実はもうひとつ、


この悲しみを紡ぐこれらの音はこの長い大河ドラマが
終焉を迎えつつあることを静かに、せつなく予告している。

山本さんのあれらの悲しき音楽を聴き続けていると
渥美さんの背中が徐々に遠ざかって行くのがわかる。

もう渥美さんは振り返ってはくれない。

あのころ、静かに遠ざかっていくあの後姿を目に焼き付けたくて映画館に通い、
そして一人ひそかに山本さんの悲しみのBGMを聴きながら胸にこみ上げてくる想いに耐え続けていた。

しかし、それと平行して このCDのNO15にあるような
明るい未来を予想させてくれる「満男と泉ちゃんの二人のテーマ」などに
救われたような気持ちになってほっとしたりもしていた。

なによりも、徳永英明さんが新しい息吹を吹き込んでくれる。

悲しくせつない気持ちで沈みがちな日々の中、徳永さんの声が私を未来に導き
未来にはきっとまた新しいドラマが待っていることを強く感じさせてくれた・・・


満男シリーズは満男たちのその向こうに渥美さんの背中が見える物語であり、
また時には渥美さんの背中の向こうに満男たちの未来が透けて見えるシリーズでもあったのだ。
山田監督の映画は本当にどの作品も一筋縄では行かない奥深さに満ちている。


     





このシリーズ、まだもう一枚くらい佐藤さんは作るかもしれないなあ・・・。




     





次回に続く。





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
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マドンナ









533


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







2012年11月19日  寅次郎な日々 その533


かがりさんと寅 夕日の二人 京都府伊根町ロケ地全解明




     





今年の新緑のころだったか
かがりさんの実家である京都府伊根をめぐってきた寅さん関係の友人が
その詳細なレポートを寅さん関係のSNSでアップしてくれたのだが、
講談社の「寅さんDVDマガジン」に記載してある地図を見ながらめぐろうとしたら
えらい目にあったと言うのである。
なにか地図のそれぞれの位置がかなり違っているらしい。
伊根の全ロケ地の半分ほどしか紹介していなかったが、それらのほとんどが違う場所だったということ。



それで、この秋、ちょうど京都市に住むロケ地めぐりの名手である「寅増さん」
が、伊根の村役場の観光課の小さなロケ地めぐり企画に参加して
今回いろいろ詳細に全ての場所を調査されてきたのだ。
伊根の役場の観光課の方は将来的にも映画やNHKで使われたロケ地の
小さなツアーを通年で企画しているようで、
今回はその手はじめのお試しバージョンだということだった。

なお、寅増さん自身も2010年で一度自力でほぼ全部の場所は回られている。


で、このままでは、「寅さんDVDマガジン」を購読されていた多くの方々が、
私の友人のように右往左往し、あんな遠くまでわざわざ行って時間の大きなロスをしてしまうことに
なるのは目に見えているので
今回僭越とは思いながらも、寅増さんの情報を基に、このコラムで、本当の位置を記すことにしたのだ。

名誉のために言っておくが、「寅さんDVDマガジン」は、
ロケ地に関する記事への取り組みは大抵はがんばっていた。
なかなか僕らが知りえないやっかいな場所も松竹さんに直接聞かれたりして
新発見されていた作品もいくつかあった。
そういう意味では僕らファンもとても勉強にもなっていたし、ありがたいと感謝もしていたのだ。
毎回毎回ロケ地の地図位置が1つか2つほどちょっと違っていたりはしていたが、
仕事だからと言うことで一夜漬けで調べていかざるを得ない状況で
一つや二つは間違うのも無理はない。と思っていた。
それに大部分は正しいので、いちいち自分のサイトで取り上げて訂正するほどでは無いだろうと
言うことだったのだが、
この第29作の京都府伊根の地図に関しては、間違い方がギリギリ徒歩圏内とはいえ、
なぜかかなりの場所が違っていたのだ。

そもそも、この伊根地区は京都府の中でもかなり不便なところで
そうそう何度も行けない辺境の地。
あんなところまで行って結局ロケ地めぐりが最後までできなくて
悔しい思いをされては可哀想だとも思う。




さて、それでは本題。

寅増さんの歩まれた行程をもとに、自分なりにまとめてみよう↓


まず、いきなり
新発見の話から入るが
今回、この作品で、かがりさんと寅が自宅近くで
海に向かってしゃがんでしゃべっているシーン。
実はここはかがりさん宅の目の前の海ではないのだ。
どのあたりかというと伊根湾を挟んでなんとはるかに向こう岸(東岸)なのだ。

このシーンは今まで湾西地区のかがりさんの実家の裏で撮影されたと
勘違いされていたゆえに、発見が遅れ、今回の共同発見が初登頂となった。

当時のパンフレットに載っていた「ロケ日誌」によると、夕日の効果を狙って
ここ「亀島地区」で撮影されたようだ。
なるほどねえ〜。


        

                       

赤丸がかがりさんの実家。
黄緑丸が寅とかがりさんが話をしていた実家付近の裏。


湾を挟んで西北と東南。これだけ離れている。

    



映画を見ているほとんどの人は↓の二つのシーンは
カメラの流れからして同じ場所かごく近くだと思っていただろう。

 
 左がかがりさんの家から海を見たところ。湾の西地区     右の写真はかがさんと寅が話しているところ。湾の東地区
     


ちょうど第42作「ぼくの伯父さん」の佐賀の寿子さん宅の玄関と裏庭ロケが
何十キロも離れていたように、このかがりさんの家の玄関ロケと家裏付近の夕方ロケは
ひとつの大きな湾を挟んだこちらと向こうだったわけだ。

この歴史的事実はどの本にもどのサイトにも載っていなかった。

この場所を最初に発見されたのは事前に綿密な調査をした伊根役場の観光課の方だ。
そして一緒に歩いて最終確認したのが今回の立役者、
私の寅友であり、日本最強のロケ地めぐりの達人の一人である
京都市在住のさすらいのサラリーマンこと「寅増さん」である。
彼は伊根の地元の方々と共に数々の小さなロケ地も今回再確認された。





それでは、物語の最初から時間の流れと共に書いて行こう。

なお、伊根に入る前に影像に映る「カマヤ海岸」のあの断崖は
伊根から車で片道30分ほどかかるほど離れているし、
あのカマヤ海岸の断崖はとても有名な場所なのでみなさんご承知だ。
今回は「伊根エリア」から除外した。

     



では始めます。↓

まず湾の西側と北側のエリアだけ考えて、時間の流れで言うと↓の地図になる。


まず寅の乗った丹後海陸交通バスが伊根に入ってくる。
(カメラは平田バス停付近)

    




1、平田のバス停でバスを降りて、タバコ屋を通過。

    




2、おばさんに道を聞く。(実際は平田バス停とはぜんぜん違う北側の場所)

    



3、地蔵の横を歩く寅次郎。(これも2の近く、湾の北側)

    




4、かがりさんの実家到着。

       



5、宿泊した後の朝の情景。八坂神社鳥居 斜め横(やや北より)の丘から。(平田バス停真上)

      


ちなみに、寅さんDVDマガジンでは、この1、2、3、4、5、の場所が載っていたが
1、の平田バス停は少し近かったが、他は全てまったく違う場所だった、ということ。



   



ーグル地図のアップでもう少し判りやすく紹介しよう↓

     上の地図にもある「正法寺」
西側の階段の入り口近く
     がかがりさんの実家だ。↓


     




赤丸がかがりさんの実家。
黄緑丸
が寅とかがりさんが話をしていた実家付近の裏手。

      



そして今回寅増さんが地元の方と一緒に新発見された
『かがりさんの実家付近の裏手』は
海を挟んだ向こう。湾の東。ここになる↓。
あの最後の別れの桟橋もこの付近。↓
桟橋で別れる直前のシーン、
朝の湾の眺めは桟橋からずっと上がった慈眼寺から撮影された。


     ここの部分は全て湾の東側の舟屋地区(亀島地区)で撮影された。↓
    


赤丸の囲みがかがりさんの実家付近の裏
グーグルの地図ではその隣の家(伊根町亀島968)しか住所が出なかった。

住所は伊根町亀島968から970付近。



     




物語の流れで、伊根の全ロケ地を下に、文字と地図(航空写真)でまとめてみた。↓
これから伊根に行かれる方々の羅針盤になればと思っている。



1.  寅を乗せた丹後海陸交通バスが伊根湾の西の集落に入っていく。

       




1‐2 その直後に東地区の舟屋が桟橋からの撮影で海から映る。

       




2.  寅を乗せたバスは平田バス停に止まる。

       




3.   寅はおばあちゃんに道を聞く。

       




4.  お地蔵さんのところを曲がって行く寅。

       




5.   途中機を織る音がして、ちょっと窓を道から覗き見る寅。

       
       




6.  かがりさんの実家(白数氏宅)に着く寅。

          




7.   敷地のはずれで寅がしゃがんでかがりさんと語らう。
    その際も海からこの付近の舟屋が映る。

       




8.  翌早朝、寅が起きる前の風景。

        




9.  起きてかがりさんと気まずい会話。

    




10. 午前の伊根湾が映る。

    




11. 波止場での別れ。連絡線に乗り込む寅。

    




12.  物語の終盤:かがりさんの家が再び映る。

    




13.  漁協の魚加工場で働くかがりさん。

    





14. 自宅の裏で洗濯物を洗濯機に入れているかがりさん。
    海の向こうを見て寅を想っている。

   



追記:2012年11月28日

実はこの洗濯☆彡のシーンだけ別の場所だということいが
判明!


    


そのきっかけを作ってくださったのがつい先日伊根に行って来られた
播州龍野の小手寅さんだった。

どうも・・風景が違う・・。

それで二人していろいろあーでもないこーでもないと
探した結果見つかりました!

  かがりさんがラストで洗濯をしていたのは平田128 北野商店付近」↓

  


     
下の地図で15番の場所(北野商店裏付近)↓
    

    


     じつはここだった↓向こうの家々が映画と同じ!
    


   平田128 北野商店裏付近 洗濯してたのは赤丸で囲んだ場所↓
    


    


   向こうに見える家々が色は塗り替えられたりしているが全部同じ。↓
  


■小手寅さんの新しい記事■

第29作 寅次郎あじさいの恋 伊根ロケ   
 【波瀾万丈】母艦「風天丸」から出撃した『源吉号』で回る伊根ロケ!【空前絶後】
http://kotetora.sakura.ne.jp/newpage29%20ine.html



   
↑の番号のピンポイント場所はこの航空写真の中の番号です。15番を新たに追加。
  





   伊根湾の西地区と北地区の拡大。を再度紹介しましょう↓
  
  
  




その後、寅友であり、ロケ地めぐりのホープ、小手寅さんが11月18日に伊根に突入され
この二つの場所を確定された!↓

  



       




  道から見た舟屋 亀島339 かがりさんの実家のすぐ東、徒歩1分

   






  伊根湾の東地区を拡大。も、再度紹介↓

  






別れた後の連絡線の航路↓ 宮津行きとはぜんぜん違う方向。青島の東を通って外洋にでるのか??
実は当時はもう定期連絡線は廃止されていたので、スタッフさんがチャーターで借りきったのだ。
見物客が多くてなかなか動けず、チャーター時間は短いのに、撮影は進まなかったらしい。

  






それぞれの撮影場所は@ABCです↓





      @
      





      A
      





      B
      





      C
      





以上です。





もちろん、寅増さんはご自分で、今現在の各ロケ地を高羽撮影監督のアングルで
たくさん撮られて来られたが、それらの膨大な写真を使わせていただくのはさすがに申し訳ないので
今回は使わなかった。


で、最後に、

3枚だけ寅増さんのお写真から拝借してみよう↓






■伊根湾北側の角の道。
 現在のお地蔵さんは屋根が付いていろいろ手厚く保護されていたよいうこと。


     



     






■ これがかがりさんの実家。
  右がばあちゃんの機織場や居間。左の蔵の向こう、海寄りの舟屋が寅が寝た家。

     




     








■ これが新発見のあの夕日が当たる二人の場所。伊根湾の東 亀島地区

     



     



これ以外の写真は、同じ寅さん仲間で、ロケ地めぐりの達人である
「小手寅」さんがHP(相互リンク)に伊根ロケをアップさせるまでお待ちください。
ここ1月以内に小手寅さんも伊根に再突入されます。


追記:上にも添付しましたように11月18日に小手寅さんは伊根に突入され
    新しい場所を2箇所確認されました。↓

    



小手寅さんの新しい記事

第29作 寅次郎あじさいの恋 伊根ロケ   
 【波瀾万丈】母艦「風天丸」から出撃した『源吉号』で回る伊根ロケ!【空前絶後】
http://kotetora.sakura.ne.jp/newpage29%20ine.html






追記2

いしだあゆみさんは
このロケ初期にバイクで大きな怪我をしているので
伊根のロケシーンは全てびっこをひいている。
多くのシーンでそのことはわかってしまう。
この作品のラストでいしだあゆみさんが
実家の前で自転車を乗るシーンがあるが、
実はあれは
バイクに乗るはずだったと言うのだ。
前の日にもう特訓して、その時はOKだったのだが、
やはり何かのひょうしに転倒してしまったらしい。




次回に続く。





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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インタビュー&ポスター
マドンナ









532


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







2012年11月12日  寅次郎な日々 その532


「はい、あれが龍野芸者の代表です」

龍野観光課長さん逝く。  さよなら桜井センリさん 



往年のクレージーキャッツのメンバーで、
繊細な音を紡ぎだすジャズピアニストの
桜井センリさんが亡くなられた。
オペラの評論も書く「音楽の人」だった。

86歳。


もうメンバーでは犬塚弘さんしかいない・・・。



一人暮らしのセンリさんはご自宅でひっそりと亡くなられたそうだ。
いかにも孤高のセンリさんらしいなと思ってしまった。

役者としても長年にわたって活躍されたセンリさんは、
このシリーズでなくてはならない人だった。





山田監督の追悼の言葉

「ほんの数カット映るだけで映画全体に和やかな雰囲気が漂う。
そんなセンリさんは、ある時期、僕の映画にいなくてはならない俳優でした。
謙虚でつつましくて遠慮のかたまりのような上品なセンリさん。
僕の大好きなセンリさんの死を心から悲しんでいます」と偲んだ。






それでは「男はつらいよ」の中で
センリさんの代表作を中心に少し紹介してみることにする。


■第17作「寅次郎夕焼け小焼け」(1976年) - 兵庫県龍野市観光課長 佐藤



しょっぱなからいきなりこのような車におきてきぼりされるギャグ↓を
かます桜井センリさんだった。

    



芋が座敷に転がって、皆と一緒にその行方を見つめるセンリさん。

    


その後・・・


宴会もほとんどの人が帰り・・・



寅「よーし、楽しい楽しい、 
  今晩盛り上がって夜明かしだよ!な、ぼたん!


ぼたん「よし、飲も飲も

課長「
あの〜、あの〜私、明日の勤めもありますさかい
   これで、どうぞごゆっくり


寅「
『さかいにって』家来よ、よ、よ、
  『さかい』じゃないよ、ちょっと、


寅「ちょ、ちょっと、ちょっと歌って…なっちょ、ちょっと

課長「いや

ばたん「そうそう、せやせや

寅「ちょっと…へへへ


課長、観念して。

手拍子を自分でとりながら


課長「オホン…♪とぉけてなあがれりゃ
   みぃぃなお〜〜なじぃ〜……


       朗々と歌う(^^;)




一瞬の空白ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ



ぼたん「プー!!キャハハハ、
    アハハハハ!ヒー!ハハハハ!



    


寅もぼたんの方向いて笑っている。


係の脇田、ふき出して転げ廻る


係員「プー!!カハッ!カハハ!
  ガハッ!ゴホン、ゴホホ…


この人課長のこと『上司』だと思っていない・・^^;


よっぱらってた役人も起き上がって「???」


課長、シュン…(TT)


                   
               






宴会で疲れて翌日は車で寅同様居眠りしてしまっている課長だった^^;

      





昨日の課長の「♪とけてながれりゃ〜〜」を思い出して
再度大笑いの寅とぼたん。沈んでいる課長。↓

       






そして、その夜またしても宴会。


課長の十八番!「
酋長の娘」!!



ぼたん「あ!待ってました色男!

寅「よお、待ってました!



                       



拍手

芸者「おまちどおさんでした

芸者「おまちどうさま〜

寅「よお、待ってました


三味線が入る。


寅「オッ


課長「♪あたしぃの〜ラバさ〜ん〜

両手の人差し指を頬に…

びょえ〜〜〜〜!!!


\((( ̄( ̄( ̄▽ ̄;) ̄) ̄)))/


             
♪あたし〜の〜ラバさ〜ん〜
       




酋長の娘ェー

寅もゲラゲラ笑っている。



             
   
酋長の〜
        


               娘〜〜〜(首を横にカクカク)
        


色は黒いがァ…


顔を前後にカクカク

桜井センリさんていったい…ヽ(( ̄▽ ̄;)

脇田、後ろ振り向いて噴出す。


                  色は〜〜〜(鏡見て・・・)
            



                   驚いて前後に首をカクカク
         


                  黒いが〜〜〜
         


ぼたん「アハハハ!!

寅「歌えっ!もう一回やれよ!歌おう歌おう

ぼたん「お姉さん、お願い

寅、お碗で音頭を取る。 チチ、チン、チ…


一同「♪あたしのラバさん〜
 酋長の娘ェー色は黒いがァ…



脇田、ゴロゴロ転がって笑っている。

みんな大笑い



「酋長の娘」

石田一松 作詞・作曲
(1930年、昭和5年)

1930年に「うぐいす芸者」といわれた
新橋喜代三(中山嘉子)の歌でポリドールからレコードが発売。

@わたしのラバさん 酋長の娘
 色は黒いが 南洋じゃ美人

A赤道直下 マーシャル群島
 ヤシの木陰で テクテク踊る

B踊れ踊れ どぶろくのんで
 明日は嬉しい 首の祭り

C踊れ踊れ 踊らぬものに
 誰がお嫁に 行くものか

D昨日浜で見た 酋長の娘
 今日はバナナの 木陰で眠る


ラバさんとは「lover」、つまり恋人の意味


センリさん、山田監督の無謀な演出^^;にも耐えて
よくぞこのようなギャグを演じてくださいました。
こういう笑いにも天賦の才能をひしひしと感じてしまうのは私だけではないはず。
ほんともう笑わせていただきました^^ヾ




この第17作「夕焼け小焼け」は
桜井センリさんの役者としての代表作になるのかもしれない。




次に・・・




■第20作寅次郎頑張れ!(1977年) - 長崎県平戸の藤子さん命の神父さん


自分も藤子さんに惚れているくせに、
寅の言動に対して「
惚れとるばい・・
と言ってしまうところが面白かったです。
つまりこの二人はライバルなんですね^^


            



船長と神父さん歩きながら


神父「誰ですか?と指を指す



             



船長「(寅さんが)惚れとるバイね

神父「は?

船長「お藤さんに惚れとるとぉ

神父「あたくしがァ…?え(^^;)??

船長「…???

神父「と、とんでもない、なんてことを!


           


船長「お、…ちょ、ちょ、ちょっと、
   神父さん!あんたも惚れとっと?


意外な展開(^^;)

神父さん、恥ずかしがって逃げていく。

船長「うわあああ!ハハハと、ニヤついて追いかけていく。


           


船長「ちょっと、あんた!


十字路(止まれ)で、
二人同時に右見て左見て、渡っていく。
上手い!ご両人!

この右左見渡すギャグは本編ラスト付近で藤子さんと神父さん
バージョンもあるので本編でお楽しみください。



            

                
船長「うわ、うわと、大喜び(^^;)


なかなか変な意味で存在感のある神父さんだった。^^;


次は・・・



■第23作「 翔んでる寅次郎」(1979年) - ひとみさんの披露宴会場の
                           ホテルニューオータニの係員


     



次に・・・


■第30作「花も嵐も寅次郎」(1982年)千葉県谷津遊園、大観覧車の係員


三郎青年は蛍子さんを大観覧車に案内する。


係りの桜井センリさんが暇そうにしている。

三郎青年「オヤジさん頼む」と拝みこむ。

センリさん、振り向いて蛍子さんを見る。

センリさん「めずらしいね、あんたにしちゃ


     



観覧車のドアを開けて

桜井さん「さあどうぞ

二人入る。

向かい合わせに座った二人に

センリさん「並んで座りなさいよせっかくだから

三郎青年を蛍子さんの隣に座らせる。


     


センリさん「
ごゆっくり


この桜井センリさんの芝居はほんと上手かった。
今でも思い出すたびに、しみじみいい芝居だと思う。

センリさんのセリフの中では、この
「並んで座りなさいよせっかくだから」は、
第17作「夕焼け小焼け」の「はい、あれが龍野芸者の代表です」
と並んで心に深く響く名セリフ。



その次は・・・


■第31作「旅と女と寅次郎」(1983年) - 京はるみのプロダクション社員、三田


     



その次には・・・


■第34作「寅次郎真実一路」(1984年) - 鹿児島南映タクシーの人の良い運転手


この人のいい運転手も、桜井さんの味わいが存分に出ていて捨てがたい^^;

困ったですねえ〜〜〜・・・・」を連発^^;


       


そしてその次は・・・



■第37作「幸福の青い鳥」(1986年) - 柴又駅前の中華料理店「上海軒」の主人


この時も名セリフがある。

美保さんが履歴書が必要かって聞くと

センリさんは「
いらんいらん!そんなもの!」って言う。
なんかいいんだよねえ。
眼力で人を見るっていうか、とらや人脈を信じてるっていうか、
書類なんかの上っ面で人を見ないんだね。


       


そしてそのまた次に・・


■第45作「寅次郎の青春」(1992年) - 柴又帝釈天参道園田仏具店あたりの麒麟堂
 備後屋とのコンビが面白かった。


    


その次は・・



■第46作「寅次郎の縁談」(1993年) - 瀬戸内海香川県琴島(高見島)の
                       スケベな大聖寺住職
                       酒の席で村のおばちゃんに抱きついていた^^;

    


そしてそのまた次は・・


■第48作「寅次郎紅の花」(1995年) - 岡山県津山の美作滝尾駅舎の委託役務員


あれもなんか笑える。
新聞の人探し欄見て、
寅のことを、女と一緒に失踪したと固く決めつけ嘆くセンリさんに笑った。


    



おまけ↓


第50作「寅次郎風の盆恋歌」(番外編) - 越中八尾西新町唄うたいの桜井さん


以上、

桜井センリさんの出演作をたどってみた。





今こうして静かに思い出すのは
あの第30作「花も嵐も寅次郎」での観覧車のシーン

「並んで座りなさいよ、せっかくだから」


     



それと やっぱり最後はあの名作

第17作「夕焼け小焼け」

龍野を離れる際の最後の課長さんのセリフとあの笑顔だ。


寅「なかなかキップのいい娘(こ)だねえ、
  え?課長さん



課長「はい、あれが龍野芸者の代表です

課長さんいいこと言うねえ(^^)

寅「はあ〜なるほどねえ



あの時の課長さんの笑顔。

あれが桜井センリさんだ。



     




桜井センリさんは、繊細で謙虚な性格ゆえ
ご自分が出演した作品を気恥ずかしいので
ほとんど一度も観られないそうだ。
センリさんだな〜とつくづく思う。




合掌





次回に続く。





第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(11月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos


            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
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531


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







2012年10月31日  寅次郎な日々 その531


生死を分けた15段  鎌原地区  寅が夢から覚める神社発見!!

&・・・山田監督が文化勲章受章。





第25作 OP 夢から覚めた寅。

ずっと捜し続けたけれども見つからないままだった
あの土蔵見つかったのだた!!







実は・・・僕が見つけたんじゃあない・・・((^^;



僕の寅友でロケ地めぐりの大先輩である
埼玉の加藤さんと言う方が、
今年行ってこられたのだ。

加藤さんは40年前!!からゆっくりだが
いろんなこの映画のロケ地めぐりをされている。



加藤さんはまず、ここを探すにあたって、ネット検索で粘られた。

そしてついに

「郷蔵 ハイビスカスの花 寅さん」

で検索していたら見つかったらしい。↓

倉でなく「蔵」で検索したらみつかった。う〜〜ん根性!

http://blogs.yahoo.co.jp/tt23vd8m/5991832.html



2011/9/11(日) 午前 6:29 [ sekiya ]


寅さんですが、私が小学校五年背の時に
撮影に来ていました。

神社の脇の郷蔵から出てくるシーンなどを
記憶しています。

「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」のオープニングが
ここ鎌原で撮影されました。
夢見の寅さん扮するネズミ小僧が活躍し目覚めると・・・
というシーンです!

資料館で上映されているのはそう言う関係も
あるかと思います・・・



この記述をきっかけに、さらに検索し直して
今年行かれたそうだ。

写真もたくさん見せてくれました。

加藤さんより前にロケ地めぐりの一環として行った人がいる感じだ。
加藤さんが初登頂じゃなかったようだった。


場所はなんと嬬恋!

これは、加藤さんが撮影したもの。
見事な高羽アングル!!

世の中は広い^^



あの、「生死を分けた15段」で有名な鎌原観音堂から徒歩ですぐの神社

鎌原(かんばら)神社

群馬県吾妻郡嬬恋村
大字鎌原字宅地東398番地



  




    

  


正面から見たらこうなる。(加藤さん撮影)
    
 
    



    





さすがに、板に書かれた文字はもう消えている。
もう30年以上の歳月が流れるからねえ・・・

戸は板を変えて補修してある。
当たり前^^;

でも土壁は同じ。健在!






寅が覗いていた窓
(加藤さん撮影)

      




      




間口2間、奥行き1間半の小さい蔵だが...
蔵の中はちょっとひんやり、乾燥してるという。
木造の床、壁、屋根に土壁を外から塗ったらしい。
土壁は何重にも塗り重ねられている、中に入れ込む藁の切り方、量が少しずつ違う。
荒縄が鉄筋と同じように塗りこめられているという。
団子状にした赤土を投げつけて板壁に十分になじませたそうだ。
藁は年月をかけて十分に枯れたものを使わなければならないそうだ。
板壁にはくさびが打たれ200余年の年月にも土壁がくずれない。

蔵の天井にも土壁、その上にかやぶきの屋根が乗っかる。
味噌蔵と同じ構造、風の通過で熱がこもらない。
見事な貯蔵庫。


ところで、この郷倉を作るきっかけになったあの天明の浅間山噴火。


とにかくあの天明の大噴火は想像を絶する規模で、この嬬恋の鎌原の村も一瞬にして飲み込まれ、
泥流が流れ下った群馬県側の長野原町や嬬恋村鎌原地域では死者が約1500人にものぼったそうだ。

この天明の大噴火で発生した泥流は時速120kmの速さと推定されていている。

鎌原の村人たちは悲鳴を上げながら高台へと殺到していったが、間に合わず、
あっという間に呑み込まれていったようだ。

結果、鎌原村一帯は、477人と共に一瞬にして地中に消えてしまうという大惨事になってしまった。
奇跡的に助かったのは、高台にあるこの寅が眠っていた鎌原神社から徒歩圏の観音堂に
駆け上がった人々だけ。
それも、残った15段より上に居た93人のみ―

昭和54年(1979)、厚さ6mの土砂に埋まった旧鎌原村で、
唯一残った鎌原神社の近くの観音堂とそれに続く15段の石段の下から、残りの35段が現れ、
2人の女性の遺体が折り重なって見つかった。

髪の結い方から40代と60歳前後の2人とみられ、
若い方が老いた方をおぶったような感じだったそうだ。
母と娘、あるいは姑と嫁  まさに「
生死を分けた15段」だ。

このようなことからこの嬬恋一帯は日本のポンペイと言われるようだ。



      



天明の大噴火後、観音堂に逃れ生き残った93人は、生き残った人どうしが結婚し、
家族と家、田畑を呑み込んだ土の上で、新しい村づくりを始めて
長い艱難辛苦の末、見事復興して行ったらしい。


この鎌原の観音堂は 鎌原神社から徒歩圏。500メートル

群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492






ちなみに、我が寅友である加藤さんは、第9作「柴又慕情」に出てくる
福井の京福電鉄 永平寺線 京善駅に、なんと映画公開時に
ロケ地めぐりに行かれた筋金入りの人。^^;

昨年の僕の同じ展覧会時のコラムでも
その時の田楽を売る店
「戸枝屋」さんのお写真は公開している。

こういう隠れたすごい人が
僕の寅友だけでもまだまだいるんですよ〜〜。




ご自分のノートPCで、現地の画像を紹介しながら、とても詳細に説明してくださる加藤さん↓

    




bunkakunsyou
ブンカクンショウ






そして  山田監督の文化勲章決まる。




さきほど ネットのニュースで

文化の発展に多大な功績を残した人に贈られる
文化勲章の受章者と文化功労者が決まった。

文化勲章に
「男はつらいよ」シリーズなどで知られる映画監督の山田洋次(やまだ・ようじ)さん、


と、書いてあるではないか!


そういえば何年か前に文化功労者になっていたっけなあ・・・。


山田監督 おめでとうございます!


あの劣等性で補欠でやっとこさ松竹入社して
何年も何年もずっと鳴かず飛ばずだったあの山田監督が・・・

う〜〜〜〜ん


感慨もひとしおです。

これで映画観る人伸びるかも^^


でもね、監督。

ほんとはね、

渥美さんと二人でもらったんですよ監督さん、

そうでしょ^^

このあといろいろおこなわれるインタビューで
渥美さんの名前も出してくださいね^^




と、ここまで書いていたら播州龍野の寅友「小手寅」さんからメッセージ。



山田監督のついさっきのインタビューを紹介してくださった。



自分もその記事を読んでみた。


「『文化勲章って何だい。そんな立派なもの、もらっていいのかい。
俺みたいな出来損ないを主人公に映画を作っておいて』と
言ったりするんでしょうか」。
受章を「男はつらいよ」シリーズの寅(とら)さんが知ったら、
との質問に笑みを浮かべた。
「(寅さん役の故)渥美清さんも喜んでくれたでしょう」

笑いと涙、そして家族愛−−。
半世紀を超える監督人生は、同シリーズをはじめ
「幸福の黄色いハンカチ」「たそがれ清兵衛」など、
常に人間を温かく見守る映画と共にあった。
「こんな人と巡り合いたい、という登場人物が出てくるのが、いい映画。
それが楽しい思い出となって、(観客は)映画館を出て行ける」

やっぱねえ〜、
この方はほんと人間ができているよなあ。
ご自分と渥美さんが二人でもらったってわかってらっしゃるんですね。


さすが山田監督、一つ一つの言葉に言葉に真実がある。

「こんな人と巡り合いたい、という登場人物が出てくるのが、いい映画。
それが楽しい思い出となって、(観客は)映画館を出て行ける」


こういうことを言える映画監督や舞台演出家が今の日本に他にいますか?
いないでしょ。


     




でもね、監督さん、

ひょっとして寅ならずけずけと・・・こう言うかも。


寅いわく

「何やってそんなクンショウもらったんだ監督。
 あんな金太郎飴みたいにおんなじような映画
 ポコポコ山盛り作っただけじゃあ
 これだけのホウビはもらえねえもんな。
 なんか陰でこっそり悪い事しちゃったりして…フフフ。

 まあいいや、ね、監督さん。
 いろいろあるからな、
 お互いに言いたくねえことは。フフ…

 さてと、じゃあまた来るわ、
 あばよ!」


 第29作参照^^;


冗談はさておき、((((^^;



山田監督 本当におめでとうございます!




追記↓

今、ニュース動画で再度見た。



以下 全インタビュー↓


寅さんシリーズは自分にとってライフワーク。
って言われていた。



「かなり僕は面食らってはいるんですけどね・・ええ・・
なんて言うかな、それほど僕はグレードの高い仕事をしてはいないのに
という思いが強いんです。

でも、まあ、あの、
映画人の一人としてね、映画人の一人としてこれを
この賞(章)をもらうということはね、あの・・
それはとても嬉しいことなんで 
映画界をいわば代表して日本映画のために、この賞(章)を受け取ろう。
そういう気持ちでおります」


映画に込めてきた思い ―


「僕が見たい映画を作るっていうかなあ…
あの・・それが大事だと思っています。
僕・・が見たい映画っていうのは、あの・・なんだろう・・
『ああ・・こんな人にめぐりあいたいなあ・・』っていう、
つまり登場人物を観ながら『ああ、こんな人にめぐりあいたいなあ』と
思うような、そういう映画ってのは、
そういうめぐりあいたかった人に会えたような映画っていうのは
やっぱりいい映画ですよね。
そしてあの・・観終わったら、楽しくなるってのかな、
楽しい思いで映画館を出て行けるっていうのかな・・。

やはり僕の仕事の大部分を占めるのは寅さんシリーズですからね。
渥美さん・・が亡くなって寅さんシリーズが終わりを告げた時は、
ひとつの僕の大きな転機であったと思います。
あの・・なんといっても寅さんシリーズは僕のライフワークであるし・・」


この場に寅さんがいたら ―


「『ブンカクンショウ って それなんだい?』みたいなことでしょうね。ええ・・
『そんな立派なもの、もらっていいのかい』って言って
冷やかすでしょうね、きっとねえ、ええ・・

『俺みたいな人間を、俺みたいなできそこないを
主人公にした映画作っていて、
そんな、賞(章)ってのは おかしいんじゃないか』って、
言ったりするんじゃないでしょうかね。
非常に戸惑うって思いますね。寅さんはねえ、ええ・・

でも・・

寅さんじゃなくて、
渥美清さんがいたら・・・
渥美さんが生きてたらいいなあ・・って思いますねえ・・
渥美さんに言ったらきっと喜んでくれるでしょうね・・・ええ・・」




インタビューの最後の最後の

「渥美清さんがいたら・・・
 渥美さんが生きてたらいいなあ・・って思いますねえ・・
 渥美さんに言ったらきっと喜んでくれるでしょうね・・ええ・・」



この言葉に私は涙が出てしまった。





次回に続く。

第43作ダイジェスト版更新はもうしばらくお待ちください。
展覧会が終わったばかりで、休憩中^^;




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(10月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
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530


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







2012年10月5日  寅次郎な日々 その530

なにがなんでもあと4作品進めます。

第43作「寅次郎の休日」ダイジェスト序章 解説と前半


第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html
11月4日にさらに更新しました。↑



    
10月23日(火)午後には「かつしかFM]の生放送でのインタビューを含めた展覧会紹介があります。


もうかなり秋だ。

秋の虫もそんなに鳴かなくなった。こうなると釣瓶落としの夕暮れが始まる。


ずいぶん長い間、ダイジェスト版も本編完全版も進めていない。あと4作品だ。
断続的にいろんな方々からメールで、早く作ってほしいと厳しい激励をいただきつつも、
生来の不精が災いしてなかなか作ろうとしないまま今日の今日まで来てしまった。

しかし、こういうパターンは
無理やり動かないとおそらく数ヶ月このままってわかっている。

先日も第44作「寅次郎の告白」をDVDマガジンの映像ででご覧になった
友人が私のサイトに第44作がないので不思議に思ってメールを下さった。

いろいろいい訳をしてなんとか言い逃れたが、
やはり、ここは無理やりでも分割でもいいから作らないと進まないぞ・・・
と、その時アップを決意したのだった。


というわけで、本編完全版はさすがにちょっと勘弁していただいて
とりあえず「簡単ダイジェスト版」を42、44、46、47と作って行こうと思う。
とにかく、この4作品をダイジェストでもアップしてしまえば48作品全部がそろうのである。
(45と48は本編完全版がすでにある)


今年中に47までアップします!

      
さて、さっそく はじめましょう。



第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版


解説


     




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html
11月4日にさらに更新しました。↑


第42作「ぼくの伯父さん」はこのシリーズがここで終わると思われるような終盤の演出だったので、
次の新作が作られるかどうか、ハラハラしていた記憶がある。
で、もう年に1回しか作らないことが普通になって来た第43作。

前作同様この作品も、寅のマドンナは、いるのかいないのか分からないような存在だった。
前作と今作でなんと「
姉妹マドンナ!」しかし二人とも恋にまでいたっていない寅。

さすがに泉ちゃんのママと寅じゃあまりにも似合わないし、
脚本的にも演出的にも寅も泉ママさんも別段恋はしてない。

こうなってくると、「恋」部門はもう泉ちゃんと満男が担うことにはなる。

で、若い恋のクライマックスは中盤、の東海道新幹線ホーム。

裏切った父親に会いに行くため、
たった一人で大分県の日田に行こうと決意する悲しみの泉ちゃんのために
後先を考えずドアが閉まる間際の新幹線に飛び乗る満男。
この年齢は後先なんか考えなくたっていいのだ。
まさに今、現在を生きる泉ちゃんと満男。
第1作のさくらと博の柴又ホームを思い出した。
あの時だって、さくらは乗る必要がない電車に博と共に乗ったのだから。


      



それでも、言っちゃなんだが・・
その程度の物語では、私は、なかなかお金を出して映画館には足を運ばない。
いくら泉ちゃんや満男が瑞々しくたって、そんな甘酸っぱい青春グラフティ映画ならほかにもある。

やはりなんだかんだ言ってもやっぱり結局は渥美さんなのである。

動きがあきらかに小さくなってきてはいるが、
そのぶん目の動きや表情、言い回し、そしてなによりもその姿かたちを含む空気で
映画を成り立たせてしまうという奇跡がこのあと最後の作品まで続いていくのである。
もうこのあたりからはいわゆる普通の1話完結物語ではない。
長い長い大河ドラマのクライマックスが近づいて行っているのだ。

映画鑑賞の千数百円を払ってまでも渥美さんの背中を、
そのオーラを大きなスクリーンで観たい。
そう思いながら映画館に通ったことを思い出す。



   





この続きはこちらから↓それでは本編をどうぞ^^
ほぼ2日に一度くらいの速度でこの本編のページは
アップされ伸びて行きます。


第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版(10月8日更新)http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html






吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ








529


         お気楽コラム   寅次郎な日々   たぶん…一週間に一度くらいアップかな…







2012年9月16日  寅次郎な日々 その529


阿弥陀仏此処を去ること遠からず


現在金沢郊外の骨董店で私の染織工芸の展覧会中だ。
このお店には、もう20年もお世話になっている。
毎年展覧会をさせていただいている。
茶の湯がさかんなこの土地の骨董屋さんらしく、
お客さんは目利きが多い。

古い更紗を買われてお茶の道具にされている。
時には絵画や書の軸にも更紗を使われる。

昨年、一人の常連さんが、スマトラ島の飛びっきり質の良い
80年ほど前の更紗を買われ、書の軸にされた。

博物館クラスの高価で貴重な更紗をお譲りした場合、
その責任上、その布を見届けることもしている。
それで金沢にあるその方の家に寄せていただいた。

お寺の方なのだがそれは見事に更紗を生かされていた。
書そのものも力強くシンプルで素晴らしい。



     




不遠」(ふおん)


「阿弥陀仏(あみだぶつ)、此(ここ)を去ること遠からず」から取った言葉だ。


これは『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の中で、
釈尊(しゃくそん)がマガダ国の王妃である韋提希(いだいけ)に対して語った言葉。


阿弥陀仏とは、別名「無量光仏(むりょうこうぶつ)」「無量寿仏(むりょうじゅぶつ)」ともよばれるように、
「はかりしれない光」と「はかりしれない命」という意味を持った仏。

韋提希が阿弥陀仏の世界を求めたということは、
自分の思いはからいを超えた無限の世界に眼を開かれ、
生き方そのものを問い直す眼差しが芽生えたと言うこと。

苦悩の原因を外に求め、内なる要因に目をそらしていた韋提希が変わったのだ、

釈尊はそんな韋提希に微笑みをもって「今のあなたにとって阿弥陀仏は遠くない」と語りかけるのだった。



ところで

第39作「寅次郎物語」の中で
御前様がいみじくもおっしゃったように
仏様が寅の姿を借りて淋しい秀吉を助けられた物語である。



     



御前様は、こうも言う。

「仏様は愚者を愛しておられます。もしかしたら、私のような中途半端な
坊主よりも寅の方をお好きじゃないかと、そう思うことがありますよ、さくらさん」

ひたすら愛を与えることだけを生きがいとして、愚かだが無欲に生涯を貫いていく
孤独な寅の真骨頂がこの言葉に集約されていた。
さすが御前様は人間を見ている。

その言葉ををさくらから聞いた寅は
「冗談じゃねえや、仏に好かれたっていい迷惑だい」

いいねえ〜、寅って。ポーンと弾けてるんだよな。
これだからこの映画は止められないんだ。


ちなみに御前様は源ちゃんのことを『あれは愚者以前です、困ったァ〜』っとギャグで嘆いていたが、
しかしそうは言っても御前様は源ちゃんこそ
仏様にとても愛されている人間だと見ぬいてもいるのである。

韋提希とは似ても似付かぬ愚かな人間である寅もまた、
時として
阿弥陀仏(あみだぶつ)さんが近くにいてくれる。そういう存在なのかもしれない。
この「不遠」を観ると寅を思い出す。
第7作「奮闘篇」の寅を思い出し、第18作「純情詩集」の寅を思い出し、
第39作「寅次郎物語」の寅を思い出すのだ。



      



おしまい




吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室

休館日第3火曜日:10月16日(火)


なお、10月13日(土)は13時半〜14時半まで「葛飾の昔ばなし紙芝居紙芝居」が
展覧会会場で行われますので、この1時間だけ絵画が干渉しにくい状況があります。
13日(土)にお越しになる方は13時半〜14時半を避けてお越しください。


       





       
裏表紙

       




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚


        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ
高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      
満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                    
      矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     
雪の日の寅次郎   RYOTARO





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            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







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