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2020年11月13日 号外!!


第3作 「フーテンの寅」 新発見ロケ地!!
あのラストは鹿児島の霧島神社ではなかった!!

湯の山温泉、四日市、名古屋ロケ全踏破レポート


  



  


【第一章】 三重県三重郡菰野町廣幡神社新発見
【第二章】 廣幡神社現地調査レポート
【第三章】 京都八坂神社発見と現地調査
【第四章】 湯の山温泉と四日市全踏破の事前考察と現地詳細レポート
【第五章】
 湯の山街道未踏地事前考察と現地調査
【第六章】
 名古屋ロケ地
全踏破詳細レポート



【第一章】

10日ほど前のことだった。
当事、休みを利用して三重県と奈良県の寅さんロケ地に行っている寅さん友達の
鈴記好博さんから連絡があった。(鈴記さんは柴又在住。私の家から徒歩7分)

鈴記さんは深く深くこの「男はつらいよ」の世界を愛していらっしゃるだけでなく
その本編の知識量とその造詣も尋常じゃない本物の寅さんファンの方で、
自宅に専用の寅さんルームをお持ちなくらい、
この全48本
(+2本)の映画シリーズを人生の伴侶にされている。
今年春に彼は柴又に引っ越されて来て、それ以来私も親しくお付き合いさせていただいている。

で、その鈴記さんからの報告に書かれてあった内容は、
2020年7月から湯の山温泉バスターミナル近くに新しく設置された「
寅さんロケ地資料館」↓で
驚くべき新発見があったということだった。


  



湯の山寅さんロケ資料館ピンポイント場所↓
https://goo.gl/maps/sgpKTeSH5fHJAMsJA


   




鈴記さんは、その展示写真の中で
とても興味深い記述を発見したのだった。

   彼が撮影したこの写真には驚くべき事実が書かれてあったのだ↓
   


菰野町 広幡神社(廣幡神社)で夜店を出す。


これを読んで私は大いに驚いた。

「フーテンの寅」のラスト付近で
大晦日から元日にかけて夜店を出すシーンは、とらやのテレビの中のシーンだ。

「ゆく年くる年」らしき番組のアナウンサーが

はいはい、こちらは霧島神宮でございます。
九州の南の端とはいえ、このあたり深い山々に
囲まれているだけに冬の訪れもかなり早く・・・


と発言しているのである。


だから巷では、
このシーンは
鹿児島の霧島神社だとずっと思われてきたのだ。


私が編集協力した下記↓の講談社が出版したロケ地専門本にも載ってしまっている(;^_^A


   講談社 男はつらいよ寅さんロケ地ガイド↓

   




実際、ラストでは桜島が種子島行きの船の上から映る。


     




しかし私は、もう十数年前からこのシーンは
中部日本放送の山内光男アナウンサーがしゃべってるので

鹿児島に名古屋のアナウンサーがわざわざ来るのはおかしい。
ここは鹿児島のわけがない、と思っていたし、私たちの仲間の
ネットワークで中部地方の神社を探してもいたのだが、
なかなか判明できないまま、10数年が過ぎ去って行ったのだ。


  


その事実に驚いた私は、さっそく鈴記さんに、
これは大きな発見ゆえに、菰野町の広幡神社に私が今から電話するので
もしお時間があれば三重県滞在中にもう一度湯の山温泉近くの菰野町にある
広幡神社に行って、インタビューしてほしいと無理なお願いをした。

鈴記さんは躊躇することなく快諾してくださった。


広幡神社は湯の山温泉から車で10分ほど湯の山街道を東に走ったところにある
由緒正しき神社である。最寄の電車の駅は近鉄湯の山線「中菰野駅」

寛永7年(1630)に菰野藩初代藩主 土方雄氏公が京都の石清水八幡宮より
同家の守り神として勧請されたのが始まり。
現在、旧菰野地区の氏神様・産土神社として長く信仰され親しまれている。

春季例大祭 4月15日頃 秋季例大祭
10月1日〜3日神輿の渡御、山車練り、舞楽奉納、相撲大会など多くの催事が行われる



広幡神社はFacebookで詳しく年間の催しが逐次紹介されています。
https://m.facebook.com/hirohatajinja/


   



その後私は、翌日、広幡神社の現在の宮司さんである横山昌浩宮司に電話でお聞きしてみた。
七五三の多忙な時期にも関わらず、いろいろお話をしてくださった。
1969年のロケゆえに当事宮司だった彼のお祖父さま、つまり先先代の横山廉平宮司さんが
そのロケ隊の撮影を許可されたらしいのだ。

祖父から寅さんの映画のロケが昔あったことはよく聞いていました。

と即答してくださった。

この時点でほぼほぼあの資料館の記述は「正しい」ことが証明された。
鹿児島県の霧島神宮ロケではなく、三重県菰野町の廣幡神社ロケ。
山田組スタッフと森崎東監督の大いなるトリックだったのだ。




それで、当事の撮影時のお写真か何かが残っていれば
鈴記さんがそちらに伺うので、見せていただくという約束を取り付けた。


すぐにその直後に私はまず、自分のPCにてグーグルストリートビューの定点の画像を使い、
すべてのロケ位置ピンポイントを判明させた。


   




そしてその結果を全てLINEで鈴記さんに送り、
明日からの鈴記さんの行動にバトンタッチ。


実は、鈴記さんは、その私からのLINEを受け取った時、
すでに奈良の吉野のロケ地(第39作寅次郎物語)
に行っていたのだ。
鈴記さんは、その夜に古くからのご友人のいる和歌山の熊野にも夕方に立ち寄り、
そこでご友人と歓談し、一泊され、翌日熊野を出発されたあと、
なんと、東京へ車で戻る最中に、横道にそれて、もう一度湯の山温泉に戻ってくださると言う。

奈良の吉野に居ながら、私の無茶なお願いを快く聞いてくださったのだ。

奈良から熊野…そして再び三重の湯の山の菰野町へ!
鈴記さんの旅は続く。

翌日は小雨模様・・・

翌日、お昼、鈴記さんは、到着前に広幡神社に電話されて、アポを取り、
現在の第18代宮司さんである横山昌浩さんと、
お父様の第17代宮司重明さんとお話ができたのだった。


左↓が第17代宮司横山重明さん、右↓が現在の第18代宮司横山昌浩さん。
お二人とも七五三の多忙な時期にもかかわらず、
本当に親切に鈴記さんに対応してくださったそうだ。

  


あいにく当事のロケ撮影時の写真はなかったのだが、
お祖父さまの第16代宮司である横山廉平さんがつけておられた
箇条書きの出来事や行事などを覚え書きで記した
日誌があり
そこに重要な証拠があったのだ。

お祖父さまのお手柄だったのだ!


最重要動画
鈴記さんによる横山宮司への取材の証拠発見部分紹介↓
https://youtu.be/lh68oyJusMk


    
昭和四十四年十二月十一日 渥美清 来社 (ロケーション)

    



  今回の鈴記さんの取材での最大のお手柄は、このお祖父さまの日誌だった!。


  ロケーション 渥美清氏来社 「男はつらい」
  


     
「一九六九」とも記してある。
     


  
右の方↓は、上記で紹介した先代の宮司さんである上記の横山重明さん。

   左の方↓は、鈴記さんのロケ地めぐりに同行されていた
神奈川の小倉さん
   鈴記さんの強い継続的な(執拗な)お薦めによって今や真性の寅さんファンになられてきたそうです。^^;


  


 
 拝殿

  





下記写真は、ロケ現場で話をされる
菰野町の廣幡神社の横山昌浩第18代宮司さんと先代第17代宮司の昌浩さんのお父様横山重明さん。
(1969年12月のロケ撮影当事の宮司は第16代宮司であったお祖父さまの横山廉平宮司)
黒い傘をさしているのが今回奮闘してくださった柴又の私の近所にお住まいの鈴記好博さん。


(この写真撮影は、上記に紹介した、東京から一緒に来られた鈴記さんのご友人で同じく真性寅さんファンの小倉さんが写されました。)








この2番目の手水舎こそが寅がテレビに向かってしゃべっていたあの場所!!


    



    




鈴記さんは横山重明さんからアルバムも見せていただいた。
30年ほど前の写真に写っているこの手水舎が、
まさに今の手水舎だということだ。水を貯める石は新しくなったが建物は撮影時と同じ。
もちろん50年前のロケ撮影の時にはすでにここに建立されていたという。



     





     




   鈴記さんは何度も何度も雨に濡れながら、私の要求に応えて、
   高羽カメラマンの構図を意識して動画や写真を撮影してくださった。

    



   セリフありの芝居をした場所が赤い丸の場所。


    





以上、まずは、


菰野町の廣幡神社新発見と
鈴記さん大奮闘による現地調査による『物証』発見篇でした!!

鈴記さん、お疲れさまでした!感謝です^^




     





追記:

横山宮司は小学生の数年間東京の葛飾区にお住まいだったそうです。
初詣は大学生になってもずっと柴又帝釈天だったそうです。
だから、寅さんは身近だったそうです。

なんというご縁でしょう。






下へ続く↓↓






【第二章】


■それでは、第3作「フーテンの寅」のラスト付近である
  当該シーンを再現しながら鈴記さんが撮影してくださった
  現在のジャストピンポイントのロケ地画像を見てみよう↓↓







題経寺の除夜の鐘「ゴォーン




テレビの画面に霧島神宮の情景が映し出される。



アナウンサー「はいはい、こちらは霧島神宮でございます。
       九州の南の端とはいえ、この辺り深い山々仁
       かこまれているだげに、冬の訪れもかなり早く、
       先ほどから、ごらんのように白いものが
       チラチラと舞っていますます。しかしこの寒さは早く新しい…



   



    映画本編の中でテレビの大きさが小さいのでアップにするとこのようにボケがちになってしまう。

     




    まず最初は石段下にある1番目の手水舎が映る

     




葛飾柴又 とらや 茶の間



おいちゃん「しかしまあ何だよな。こうやって何とか年が越喧たのはさ、
    世間にゃもう、ソバも食べられねえ人達がいるんだぜ


おばちゃん「毎年同じこと言ってるよ、この人は

おいちゃん「本当だからしようがねえよな、さくら

さくら「そうね




  本編の中でテレビの映り方はアップになったり、このように極小になったりする。↓↓
  小さくなった時のテレビ画面はなかなかどの場所か判明しにくかった。

    
     



   山内光男アナウンサーの背後に階段横の炎が見える。

   



   炎が見えていた階段横(手水舎と階段の間で炎が焚いてあった)
   


   次にテレビのカメラが換わって、石段の正面からのアングルになる。



   映画本編の中のテレビサイズが小さいゆえに無理にアップするとこのようにボケてしまう。
  それでもなんとか、山内アナウンサーの背後で人々が炎の横の石段を上がり下りしているのがわかる。


      





   山内アナウンサーが立っていた石段の前。同じアングルで鈴記さんが撮影。
  
  手すりは付けられたが、石段は今も撮影当事の50年前と同じ。上がったら拝殿がある。

   






本編では



アナウンサー「さきほどからご覧のように境内はかなりのお客さんで混雑しております。
     






       




駒子「あのォ…、寅さんどうしてるでしょうねえ

おばちゃん「ほんとだね、どうしているかしらね……

おいちゃん「あの温泉場で長続きしてるとは思えねえしなぁ


博「今頃、どっかの吹きさらしのホームかなんかで…:


おいちゃん「そうかなア、そんたとっかなア、
     バカだね、あいつは本当にバカだねえ



アナウンサー「ところで、この霧島は霧島国立公園の中心で南の方に大きく視野が開けまして、
       遠く桜島、開聞岳、付近には豊かなお湯が湧き出る静かな温泉郷でございます。
       熱いお湯、そして整備された施設、理想的な温泉郷でございます…




      石段下にいた山内アナウンサーは、2番目の手水舎のほうにゆっくり歩いて行く。
     本編でのテレビの映り方がここへんからはアップになる。
     寅が _・)チラっ と映っている。





アナウンサー「ごらんのように参道の両側には
      昔懐しい裸電球の列がズラリと軒を並べまして、
      参拝客が足を止めております。…



    露天商がずらりと並んでいる。




    このシーンあたりからようやく本編でのテレビのサイズが大きくなる。そして寅が一瞬映る!

    







    夜店の前を歩きながら2番目の手水舎の前まで行く山内アナウンサー

   




    夜店の前を歩くシーンはこのあたりで撮影された。1番目と2番目の手水舎の間。

    





    山内アナウンサーはこの赤い線のように2番目の手水舎へ歩いて行った。

    







本編に戻ろう↓



なんとなくテレピを見ていたさくらが叫ぶ。


さくら「あら!?お兄ちゃんじゃないかしら



    


                   

みんな、驚いて いっせいにテレビを見る。



おいちゃん「え!?と、さくらを見、テレビを見る。



   




アナウンサー「最前から、あちらの店の方が
     どうしても何かしゃべらせてほしいと
     おっしゃっておりますので早速何か伺ってみましょう





中部日本放送の
山内光男アナウンサーこの寒い12月11日夜にご苦労様です(^^)




さくら、目を大きく見開いて、
テレビに食い入るように見入っている






   




   切り抜いてアップにしてみた↓↓

   




   鈴記さんは雨の中、手を上げて俯瞰動画を撮影してくださった。テイク5くらいまで頑張ってくださった!

   




   石段下の1番目の手水舎から俯瞰で見たらこうなる。

   




     今の灯篭は平成になってからのもの。

     






本編に戻ろう↓




アナウンサー「どなたでしたっけ?



     アナウンサーが寅を呼んで、背後から出てくる寅。手水舎の右横

     





     手水舎のすぐ右横の背後

     







寅の声「オレだよ、ん


寅がマイクの前に出る。


アナウンサー「あ、どうもどうも、新年早々ご精がでますね


     

                  


とらや一同、ひきつりあり、驚きあり、喜びあり、凝視あり。


一同、息をつめて見ている。



寅、カメラに向かって


寅「ええ、これいいのかい、ね、あ、そう



    寅は新年の挨拶をテレビカメラに向かってし始める。

    


 

寅「アーア、ええ、日本の国民の皆さん、
 新年明けまして…おめでとうございます。
 え、テレビを通じてご挨拶申し上げます



アナウンサー「はあはあ、どうも結構なご挨拶でございます

寅「いえ、いえ


寅は、帽子の形を気にしたりして、カッコをつけている。



  







    今度はカメラは右からのアングルになる。

    





     




     鈴記さんが雨の中、テイク5くらいまで粘ってくれて撮影した動画の一部を切り取った。

     




         





    





本編に戻って↓↓


アナウンサー「え、一ところで、あた方も大変ですねえ、
     ま、普通だったら家でこたっにあたりながらですね、
     年越しソバでも食べている食べているんでしょうけど、
     こんな寒い風に吹かれて


寅「ええ、お前さんだって同じじゃねえか、アハハハ



なるほど、そらそうだ。さすが寅だね、うまいこという。座布団一枚(^^)



アナウンサー笑いながら。


アナウンサー「まあそりやそうですけれどもね、

    でも、家族の方も淋しいでしょう





寅「家族?……ウーン、
 でもオレァこういう稼業だからね、皆馴れてるよ




アナウンサー「お子さんは?


寅「子供…ええ、ええ、子供二人、
 いや、三人になるか、な、フフ、
 オレに似てかわいいよ、フフ


 


    





    








とらや・茶の聞


テレビから二人の声がずっと聞こえてくる。


アナウンサーの声「この画面を通じて、
      今頃お父さんの姿を見ていらっしゃるかもしれませんね


寅の声「見てるかな・・・、うん映ってるよ。ハハ、そりゃそーだい




おいちゃん、たまりかねたように顔をそむげる。.


おいちゃん「何が子供だい…
    そんなものどこにいるんだい……
    バカだよ、
    あいつは本当にバカだよ…ううう



と、涙を抑えることが出来ない。


   





おばちゃんも泣いてしまう。


一同「……


さくら、ハンカチを出して涙をふく。




テレピの画面




アナウンサー「それじや、奥さんやお子さんに
     この画面から、新年の挨拶をしてください



寅「奥さんや子供に?、いいよいいよ、いいよ、

アナウンサー「どうぞどうぞ




目を潤ませながら兄を見つめるさくら。



    




寅「
そうかい、こっちへ映ってんの、こっちか

アナウンサー「ええ

寅「どっちでもいいの

アナウンサー「どうぞどうぞ




     





     







     





寅「…お志津よ、
 元気でやってるかい、

 新年おめでとう






                   



あああ…寅…(TT)



残酷な森崎東演出が冴え渡るシーンだ。



一方こちらは・・・



吉井と志津さんの新居



同じくNHKの「ゆく年くる年」

こちらは
カラーテレビ




居間。



台所のほうではエプロンをかけた志津さんが
忙しく年越しそばの後片付けをしている。

ソファでは道子が眠っている。

それを見て、志津さんも、吉井も微笑んでいる。





寅が一言しゃべるとすぐに、その場を立ち去る山内アナウンサー


アナウンサー「どうもどうもありがとうございました。

     じゃ今度は参詣の方に伺ってみましょう




アナウンサーは、参拝の女性客に
インタビューを切り替えようと、ささっと歩いて立ち去る。




    



    




晴着の二人連れに

アナウンサー「初詣にどんなことお祈りになりました

女性客たち「やーだぁ」と、笑っている。




    



    


    





   山内アナウンサーは2番目の手水舎からさらに遠くへ歩いて行く。


   




寅、なんと、アナウンサーににじり寄って、
まだ何か言おうとしている。



   



横からマイクに口をつけ、、、



寅「よ、もう一言あんだよ。

 道子、あの、お前ね、



アナウンサー「はい、わかりました。わかりました


スタッフの声「
だめだよ!下がって下がって!


寅「
小便したら早く寝ろよ意味ねえ〜



アナウンサー「わかりました


スタッフの声「おい!おい!


アナウンサー、寅から逃げようとする。


スタッフの声「もういいから、ちょっとすみません


マイクを離さない寅


寅「必ずお土産を買って帰るから


スタッフの声「こっちへ来て!映ってますから、申し訳ないけど




大きなカラーテレビの中の寅が、
架空の家族に今も語りかけている。




テレビの中でもめているアナウンサーと寅。



    




     ちょうどこの手前の幹の前後で寅が番組をめちゃくちゃにする。

   




     テレビの画面に常に映っているこの曲がった幹

    





    





テレビの前のソファで道子がうたた寝をしている。



                   




テレピの画面


テレビに映ろうとしている寅。

連れて行こうとするスタッフたち。


  
この枝の膨らみと曲がりがピッタリ一致!
  



 テレビに映る幹は現在のこの特徴のある曲がった幹だ。膨らみと曲がりが一致!

  




    
上の部分の曲がり方
  
下の部分の膨らみが完全一致!!

         




寅「なんだよ!




アナウンサー「東京の中島さん、東京の中島さん、
     こんな状況ですから、マイクを東京にお返しいたします。
     東京どうぞ、東京どうぞー




      





寅「自分がしゃべっていいって…、いや、

 
もう一言だよ、よう!とアップになってぶつぶつ。



    


アナウンサーが東京に助けを求めている。


アナウンサー「東京の中島さん、どうぞ-


寅「もう一言…





どんどんカメラに近づいて、ボケてしまう。





アナウンサー「東京どうぞ、東京どうぞ、お願いいたします



    


  
うるさく感じた吉井がテレビのスイッチを切る。

 


      
    





廣幡神社ロケ場所 ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/NUSygsAtbtcsErpw9




以上、

廣幡神社、現地調査と高羽カメラマンアングル再現篇でした!!

鈴記さん、何度も何度も撮影していただきありがとうございました。

お疲れさまでした^^

追記:


下へ続く↓



【第三章】


ここでもうひとつ発表↓



■実は、もうひとつ発見の快挙がある。↓



ちなみにこのテレビシーンの最初の方で神社の拝殿がかなり小さく映し出されるのだが
鈴記さんが横山宮司さんにお聞きしたところ、テレビに映った拝殿は
この廣幡神社の拝殿ではないということ。
実際に拝殿写真を見る限りでは大きさがぜんぜん違うことがすぐわかる。




    


    



  鈴記さんが撮影された廣幡神社 拝殿

   


そこで、これはどこの神社の映像を使った物なのか知りたくなり
いつもの我々の伝家の宝刀を使うことにした。

我らのロケ地ハンター秘密兵器
寅福さん登場である。

この映像を見るとかなり大きな神社であることは私でも分かるが
日本にこれくらい大きな神社は30〜40以上ある。
寅福さんならそれらを数日以内に画像検索を駆使して見つけ出すのではないだろうか
と思われた。

まず、寅福さんは映画でセリフがあった鹿児島を始め、九州の神社を検索され、
そしてこの作品のロケ地、中部地方の神社
そして大きな神社や有名な神社が多い京都の神社

数日経って、あっと言う間にあのボケボケの小さなテレビ画面だけを見て
見事に当該神社の拝殿を見つけ出されたのである。

なんと、
京都市の八坂神社の拝殿だとつきつめられた。



    これがつきとめられた画像↓↓ 寅福さん作成

    





     寅福さんが作られた共通点の図↓

     



    拝殿の手すり柵の留め金のデザインがここまで一緒なのは
   似た神社の中で
八坂神社だけだった。
   
柱の太さと拝殿の広さがピッタリ!!
  ちょうちんのマーク
拝殿を囲む板も同じ。

  
この1960年代〜1980年ごろまで
  当事、『ゆく年くる年』と言えばもう八坂神社取材でしたね。
    



  そしてお仕事の出張が偶然関西、京都であった先日、
  ついに寅福さんは八坂神社に行かれた!!




    




     寅福さんが撮影された八坂神社拝殿 大きい!!  11月吉日撮影

    




    ちょうちんマーク 柱の太さ 空間の広さ  人が歩けるぐるりの空間 ピッタリ一緒

    






   美しい寅福さんの写真↓

   







さらに追記


2020年11月23日



寅福さんはこのテレビ番組「ゆく年くる年」の他のシーンも
11月23日に解明され終わったことを伝えてくださった。




    この、向こうに拝殿らしき建物が見え、背後に山も見えるこのシーン。
   一番手前に階段。


     




     なんとなんとあの↑↑八坂神社の拝殿だった!! 灯台元暗し!!
   よくよく考えれば、そういえばそうだなあ〜〜!!

   寅福さんは動物的勘で、撮影されていた!!山も拝殿も階段もピッタリ!!
   実はこのシーンは家に帰ってからピンポイント場所が判明して歓喜!!



    寅福さんは偶然この写真を撮影されていた!!
     





八坂神社拝殿への道 ピンポイントロケ場所ストリートビュー
https://goo.gl/maps/dYDvJgj1WP1LGfFU7





    
除夜の鐘シーン

   この大鐘楼は八坂神社のすぐそば浄土宗総本山「知恩院

     



     寅福さんのブログより拝借
     




知恩院大鐘楼ピンポイントロケ場所ストリートビュー
https://goo.gl/maps/dXR8jAEZ9PgUtCXP6





八坂神社と知恩院は隣の敷地なので徒歩8〜9分、ほぼ同じエリアだと思って良い。

この昭和の「ゆく年くる年」は京都と言えば
「知恩院」そして「八坂神社」だったことを思い出す。





さらに詳細は寅福さんのブログをご覧ください。↓↓



寅福さんのブログ!「男はつらいよ 飛耳長目録」


当該箇所「第3作 疑問の解明@」

https://love.ap.teacup.com/torafuku/235.html


寅福さんのブログ当該箇所 「第3作 疑問の解明A」

https://love.ap.teacup.com/torafuku/236.html




2020年11月23日の追記でした^^




以上です。


 鈴記好博さん、お疲れさまでした。
 寅のインタビューシーンは特に難しいアングルでしたので
 テイク3 テイク4 テイク5と ご無理を言ってお願いしました。
 雨の中、時には傘をささずに動画を撮ってくださり風邪をひかせてしまいすみませんでした。
 本当に深く深く感謝です!!

 そして、寅福さん、今回も頼ってしまいました。
 素晴らしい直感と観察力、洞察力と、現地にまで行ってしまう行動力に今回も脱帽です!!

 そしてなによりも、
 七五三のご多忙中にもかかわらず、
 貴重なお祖父さまの日誌をみせてくださった横山昌浩宮司さんと
 先代の横山重明さんには本当に感謝です。
 この日誌はゆるぎない大きな物証でした。
 ありがとうございました。



    



    





     






以上、


湯の山温泉の大発見 号外でした。




下に続く↓






【第三章】



それでは、ここから映画本編の時系列で
2017年7月に名古屋の寅友である中島さんと調査した
『湯の山温泉』と『四日市』のロケ地全踏破調査を見て行くことにしよう。


まずはおいちゃんとおばちゃんは、東京から三重県に旅行に行った。
行き先は三重県三重県三重郡菰野町、御在所岳の麓にある湯の山温泉。
で、最初、近鉄名古屋線に乗っている。
しかし、なぜか近鉄四日市駅で「近鉄湯の山線」に乗り換えないで南下している。

   で、この車窓風景
    




ここも物証が少なくて非常に苦労したが、私と寅福さんと中島さんでいろいろ事前に調べた。
特に寅福さんが指摘された、この手前の池のようなものが
1960年代の国土地理院の航空写真に乗っていた事と
私、中島さん、寅福さんのやり取りで判明した向こうに見える
大きな長細いグレー屋根の工場
47年経った2017年の調査時でもまだ残っていたことが決めてになった。



寅福さんは、図解の制作が上手なので3年前の事前調査の際の寅福さんの図解を
この四日市コンビナートピンポイントでは使おうと思う。



   
かつて2017年に寅福さんが作られたピンポイントの説明図↓
  数少ない現存する物証の工場屋根(黄緑)



    




   そしてこれも大きな物証。『
   寅福さんが見つけられた当事の線路横の池。
   これもこの場所だと決定する時の重要な物証となった(寅福さん作成)

    




    




     同じくかつて2017年に寅福さんが作られたピンポイントの説明図↓
   数少ない現存する物証の工場屋根(黄緑)


    




    これは現在2020年の航空写真↓ 私が制作


    ここ数年であの工場は老朽化が進み、2020年の現在は、黄色■で囲った工場は更地になってしまっている。↓↓
    




    





今回もう一度、詳細に検証してみた。↓1966年の航空写真  黄色の丸と線は2017年の取材時のカメラ位置。

   




   


   


   



紺色印の屋根の位置がやや違うように見えるが、
それ以外の建物や池は、ほぼほぼ合っていると思われる。
偶然ではこのように合わないので
ここで確定と考えて良いだろう。

3人で世界初登頂!!




   




  
電車の中からの撮影は時間がなくて今回は実行しなかった。
 
で、線路の近くから撮影。

  三重県四日市市大井の川町2丁目  2017年7月撮影の写真


    当事から今に残る物証はこの写真ではわからない。

  


  建物が建ってしまって見えないがこの調査が行われた2017年時点では
   おそらく少しビルあたりの高いところに上がれば

  黄色の線
の下あたりにあの工場の屋根が見えたはずである。

   この工場が今は更地になってしまったので、撮影当事の面影はもうなにもない。
   当事の工場は全部新しい物になっている。



      黄色の線の下あたりに例のグレーの工場がこの時はまだあったと思われる。

         





  今回の撮影場所 三重県四日市市大井の川町2丁目

    




世界初登頂

ピンポイント場所がわかるストリートビュー(線路からの直線距離にある場所)
https://goo.gl/maps/fSqyGPC7nMgFYWm57




さて

その四日市コンビナート風景の直後はいきなり近鉄湯の山線




  そのあと、次のシーンは、なぜか近鉄湯ノ山線が映る。↓
  もちろん、おいちゃんとおばちゃんが乗っているという設定。



    




  私は、向こうの山を合わせる。 
  寅福さんはそれだけではなく、線路脇に左に見える家を当事の航空写真で探された。


    この図は寅福さんの作図↓

    




   現在の同じ場所にある家

   




     ストリートビューで見てみる↓↓映画本編のような左側の道は家の屋根が見えにくいので、右側の道で見てみる。

    





    2017年7月、現地で、左の道から、電車と一緒に撮影してみた。




    










    







    




3人で世界初登頂!!



湯の山線の再現動画 電車通過
https://youtu.be/haZeqh3nZOA




ピンポイント場所が分かるストリートビュー
https://goo.gl/maps/jKbCMLGKFQCWvjaF7





そして湯の山温泉駅でおいちゃんたちは降りて、
そこから三重交通のバスに乗って
温泉場のバスターミナルへ7分間のバス乗車。



  


  

ピンポイント場所がわかるストリートビュー
https://goo.gl/maps/mjp94yzszqDfRhWA9



   赤丸が湯の山温泉の中のロケ地

  




  温泉場のバスターミナルに降りる。

  


  



  



  



   もみじ荘の左卜全さんがぼや〜〜っとタバコふかして待っている。

  


  



ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/r5nc9At1A6tkVWr49

    


【湯の山温泉】

御在所岳の山麓に湧く、約1300年の歴史を持つ名湯。
泉質はアルカリ性ラジウム泉で、
鹿が傷を癒したという伝説から「鹿の湯」とも呼ばれる。
三滝川の渓流沿いに続く温泉街では、気軽に日帰り温泉も楽しめる。




三角錐の御在所岳を背後に、湯の山温泉の代表的な風景が映る。

    
  



  



ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/ALwTvQmCTdsJhHPXA


この風景を説明する動画。
ピンポイントストリートビュー 湯の山温泉俯瞰(ロープーウエイ)
https://youtu.be/7S-DCXv6MnI



で、寅がもみじ荘で番頭をしていてびっくり、


  


おまけに女将さんのお志津さんに岡惚れしてしまっているのを
垣間見てため息・・・

お座敷芸で「お志津〜〜〜」と無意識に叫んでしまうのが客たちに大受け。

  


おいちゃんたちが東京に戻る日。

バスの中からのカメラ撮影



  


    
私も、三重交通の運転手さんにお願いして、しばしバスの窓から撮影させていただいた。

  


  


    

  


  



  

   

  


  
おいちゃんたちのバスの最後尾の窓から見えた風景

   



  翠月への道(餃子の店)への道

  


  




信夫のバイクが止まった 餃子の店  ラーメン屋 

(ロケは旅館翠月一階)

  
バイクは、YAMAHA AS-1
  


  


  




  


  
中は閉まっていた。窓から店内を撮影 反射が多くてわからないね〜。
   



ピンポイント場所が分かるストリートビュー
https://goo.gl/maps/y4Y3H4xRkVVGdJrV6




恋人の染子のことで怒っている信夫に寅はコップの水をかけられ
二人は橋の上で喧嘩をするはめに・・・


三滝川に架かる蒼滝橋(あおたきばし)  中之島公園



    




     この写真のように、2017年7月取材時にはこの橋は痛みながらも健在だったが、
    現在2020年の秋にはもうこの橋は壊れてなくなっていたらしい。

    
 





     

     




蒼滝橋遠望動画
https://youtu.be/ZXnvrnfBiLU






     




      






   こちらは逆側↓


    



    



    




    


    









ピンポイント場所が分かるストリートビュー
https://goo.gl/maps/DAjB4WHi7x8RnFxU9







    




   お志津さんが止めに来たのに気づき、橋の欄干のこのあたりから足を踏み外す寅。

    







    



    









    



    





    寅が橋から落ちた場所を検証する中島均さん。

    









    
   2020年11月現在 橋は水流で壊れて撤収され終わっていたそうです・・・。(ToT)
     この写真↓は鈴記さん撮影
     



蒼滝橋2017年7月調査時の貴重な記録(事前の電話で撮影許可済)
https://youtu.be/6MFrvPKFqI0






      赤丸はロケ地

      











勇壮な僧兵祭の行列


三重県菰野町湯の山温泉にある三嶽寺(三岳寺)の祭りで、
「僧兵まつり」が毎年10月8日〜10日の3日間、湯の山温泉あげての祭りとして行われる。
「僧兵まつり」のおもなイベントは、600kgにもなる大きな樽みこしを僧兵姿の人々が
かつぎ松明百本ほどつけて練り歩く「火炎みこし」が有名。





三嶽寺(三岳寺)の鐘を撞く僧兵衣装のお坊さん。



   




   





三嶽寺

三重県三重郡菰野町菰野の湯の山温泉に存在する天台宗山門派の寺院。
かつては数百名の僧兵を抱える大寺院であった。
織田信長の命により、滝川一益の軍勢が押し寄せ、
当時三嶽寺には数百人もの僧兵が居て勇敢に戦ったものの多くの堂宇が兵火により灰燼に帰した。
江戸時代に菰野藩主土方雄豊が湯の山温泉の現在の場所に薬師堂を建立したことにより再建され、
比叡山の末寺として享保5年(1720年)に寺号山号が許可された。

寺院名は設立時から三嶽寺。



ピンポイント場所が分かるストリートビュー
https://goo.gl/maps/Yw18DGN6XdWiidTj7






     川沿いを練り歩く僧兵祭りの僧兵たち。

     




     このポールと電気器具が目印。器具は換わったけど、位置はほぼ今も同じ。

     





     事前調査で物証は確認済み!!

     













三滝川の流れる 大石橋




川に落ちたあと、お志津さんに看病されたり、して寅はますますのぼせていく。

一方、信夫と染子を再び仲良くさせようとする寅だったが
染子は自分と信夫は結婚できないと思い、身を引いてしまう。

染子のことを忘れなれなくて寅を乗せて四日市に向かおうとする信夫




   信夫がバイクに寅を乗せて四日市に向かうシーン。

    



    





    


    





   




   お土産屋「蔵之助」さんのご主人さんによると、元々はピンクだったらしい。
  ロケの前に赤く塗り直したということ。


     




     お土産屋『蔵之助』の前を通過して行く

       




   大石内蔵助が訪れた湯の山温泉。そのことにちなんで『蔵之助』 このお店のご主人にインタビューした↓動画あり。

   





ピンポイント場所が分かるストリートビュー
https://goo.gl/maps/dkWGr571t55JkvB89






動画 おみやげ屋「蔵の助」のご主人に信夫のバイクの場所についてインタビュー
https://youtu.be/Kg5GExXJZBs



  赤丸はロケ地


    





信夫と寅は、湯の山温泉から40分ほどバイクで走り・・・







四日市のコンビナートの見える染子と父親が住む漁村

三重県四日市塩浜2860 付近





     





    向こうは海が広がっている。

    




    









    



    

     パノラマで撮影した↓


    



     パノラマで撮影↓



    





    




    



  
染子の背後で映っていた家の可能性もある。瓦葺に換えて、あれから何十年も
  まだ残っていたのかも。
  ただしとうの昔にこの家は無人で、中は何もなかった。


    
      



    ひと昔前の四日市の塩浜地区  撮影時の面影がかなり残っていた。

    

  


    2020年の風景 赤丸が例の家
    




ピンポイント場所はココ。 ストリートビュー
https://goo.gl/maps/KyZuSN5xibgRLp8w5







寅は、染子を妾に行かせたくないという父親の真意を察し、
信夫と染子を父親の目の前で駆け落ちさせてやる。


   



   父親は泣きながら二人を駆け落ちさせる。

    




その夜、四日市から戻った信夫と染子は
志津に別れの挨拶に湯の山に戻って来る。





ちょうど 大石橋付近で僧兵祭りが行われている。


僧兵祭りは明治時代から始まった祭だが
ちょうどこの映画に合わせて、「蔵之助」の矢田さんが実行委員長になり、
予算を増やすために奮闘され、
規模や宣伝を大幅に増やし、火災神輿を作り、衣装も派手にし、盛り上げたのだった。
このロケ撮影がきっかけでその後毎年大規模に行われるようになり、
昨年で50回目を数えた。
まさに「男はつらいよ」と同じ
年数なのだ。



    




    






    吉井とお志津さんが石段のところで見学している。

    



    






僧兵祭りのホームページ↓
http://www.town.komono.mie.jp/koho/pdf/koho711.pdf




僧兵祭を50年前に始められた初代実行委員長矢田正則さんへの取材。
https://youtu.be/Kg5GExXJZBs

    

   ↑僧兵祭りの公式サイトより抜粋




     昭和44年12月、この映画ロケと呼応するように
    大掛かりな僧兵祭りを実行委員長として準備したことを教えてくださった。衣装や薪などを考案された。

     






本編に戻ろう↓


信夫は染子と駆け落ちすることを宣言し、
お志津さんはこのもみじ荘を閉じる決心がようやくつくのだった。
そして吉井と結婚することの決心も。


信夫と染子のカップルが東京へ去って行ったあと、
道子を連れて御在所ロープーウェィに乗って山上公園駅横の展望台へ。




    



お志津さんの娘の道子ちゃんセリフ「と〜〜りが飛んでるよ」再現 動画 です
https://youtu.be/HjfCNHK4zvs




標高1,212mの御在所岳『山上公園駅』までを結ぶ。
全長2,161m、高低差780mと世界規模の大きさ。
6番目の白い鉄塔が61mの高さがあり、なんと
日本一







    




    






    中島均さんは名古屋で最もコアな寅さんファンです。本編の全ての作品を完全に深く理解し、
   更になによりもこの物語の世界を深く愛し、本編のどんな繊細な質問にもほぼ即答してくださいます。
   寅さんファンの王道を歩んでいらっしゃる方です。名古屋で「結寅会」を主宰されています。

   この2017年は、奈良、三重、名古屋と一緒に旅をしました^^

    





  昭和44年12月ロケなので寒いなんてもんじゃないだろう^^;


    鎌ヶ岳が美しい。


   



  『鎌ヶ岳』は、三重県三重郡菰野町と滋賀県甲賀市にまたがる鈴鹿山脈南部の標高1161mの山

   




   




頂上のピンポイント場所が分かるストリートビュー
https://goo.gl/maps/wNoerfaQfWezTX4h6



    




中島さんとロケ場所を眺めている動画です。湯の山温泉俯瞰(ロープーウエイ)
https://youtu.be/7S-DCXv6MnI




湯の山温泉シーンの終盤近く。

御在所岳頂上付近が間近から見上げる構図で映る。



  


   時前調査で唯一撮影場所があやふやだった場所はここ。
  


   本当はもっと山に近づいて下から真上に見上げる構図なのだがこの日は時間切れだった。

   



お志津さんは信夫が旅館を継がないことを悟り、
自分も旅館を閉めて、吉井と結婚することを決意する。


もみじ荘のスタッフたちから、さとされて、お志津さんの幸せを祈りながら
湯の山街道をなぜか歩いて四日市方面に去る寅。

物凄い距離ですが・・・。
線路沿いなんだからどこかで電車乗った方がいいよ。




  当事の湯の山街道は本当に森林の中だった。


   



   





    



    




ピンポイント場所はココ ストリートビュー
https://goo.gl/maps/f9xCp9BbE5G3eMMh8





この寅の歩いていた道の曲がり方と
吉井の車が止まったところの道の曲がり方と、
向こうにある踏切鉄塔、山や林の関係から
この2つの場所はほぼ数十メートルしか離れていないことがわかる。
この2つの場所の特定はすぐにできて、さほど難しくはないロケ地だった。





吉井が運転していた車は、メルセデスベンツ230S 1966年型


三重ナンバー(三 3 せ.6−19)。

吉井は都会でなく、三重県で住んでいるんだね。


   





   逆側がヒントが複数あるゆえにとても場所が特定しやすい。

   



      



   やはり踏切と鉄塔の存在はピンポイント場所決定にとって大きかった。

   




    踏切と鉄塔の位置がピッタシ!これが大きな物証

   






踏切、手前の林、曲がっていく道、 など、
ヒントがしっかりあるゆえに比較的分かりやすい場所だった。



   



   



    




ピンポイント場所はココ ストリートビュー
https://goo.gl/maps/CVkVBLZvzHcyGfnVA





         





最後に寅を街道で見ても、挨拶もできなかったお志津さん。

これで、お志津さんは寅を都合よく結局利用したことになった。


散々「もみじ荘」に奉仕し、余興にも参加し、弟の面倒も見、
染子の父親の面倒も見、子供の道子の子守も散々した挙句、
無残にふられ、最後に告白した時もお志津さんはおらず、
それも知らずに自己満足し、旅立った寅は見事に惨めである。

このシリーズ最高の悲劇。


   



しかし…、心が貧しいのはどちらであろうか。

滑稽に無残にふられ旅立った寅か?

寅の気持ちに気づきながら、金銭不足と人手不足により、
寅を結果的には利用するような行為を続け、
病気の時に親身になって看病はしたものの、
従業員に嫌な役をさせて寅を追い出したのでバツが悪くて、
ついつい、寅に駆け寄ることはせず、
感謝とねぎらいの短い言葉さえ言えなかった志津さんか?

社会的には志津さんはもちろん全く悪くない。
寅の勝手な岡惚れであり、完全に一人相撲である。

しかし、それとは別に、あの街道でのシーンで言葉をかけれないのは、
人間として美しい生き様とは思えない。

もちろん自分が原因で失恋をしてしまい、失業までしてしまった寅に、
どう声をかけていいのか分からなくて戸惑ってしまうのはわかるが、
寅が汗をかいて旅館をもり立ててくれていたのは確かな事実である。
それはそれ、これはこれなのだ。

もうまず絶対と言って良いくらい一生会うことはないのだ。
志津さんには人として言わなくてはならないことがあったはず。



    



ああいうギリギリのところで、苦労をねぎらう優しさを出せない人は、
この後の人生でも人の絆の上に立った本当の幸せは掴めないような気がする。

寅はいわゆる岡惚れだが今でいう『ストーカー』では決してない。
無欲で献身的でそして実にさっぱりした男である。
引き際も確実に心得ている。

だからこそ志津さんの心よりの短いねぎらいの親切心が欲しかった。




【旅笠道中】

歌 東海林太郎

作詞:藤田まさと

作曲:大村能章

夜が冷たい 心が寒い
渡り鳥かよ 俺らの旅は
風のまにまに 吹きさらし

風が変れば 俺らも変る
仁義双六 丁半かけて
渡るやくざの たよりなさ

亭主もつなら 堅気をおもち
とかくやくざは 苦労の種よ
恋も人情も 旅の空

情ないぞえ 道中時雨
どうせ降るなら あの娘の宿で
降っておくれよ しんみりと




『旅笠道中』を歌いながら

ふらふらと街道を歩いて行く寅の姿をカメラは追っている。

車にはねられそうになって

また歩いて行く。





そして大発見がもうひとつ

下へ続く↓↓





【第四章】


今回の号外で、
大発見の場所2つ目はここ!!↓↓


寅は志津さんが寅を見つけたことなど露知らず、湯の山街道を歌を歌いながら歩いて行く。

   



ここは画像を見れば分かるがヒントが一見なにもない。
超難攻不落で100年かけてもかけても無理だと誰もが思っていた。

しかし2017年の事前調査で、
私、寅福さん、中島さんの3人でいろいろな小さな証拠を
積み重ねて行った結果ここだと奇跡的に判明した。

特に川の近くで南北に伸びる鉄塔があるのは航空写真で
チェックして行くと湯の山街道でここだけだった!!




1960年代からずっと現在まで
この場所の鉄塔は南北に伸びている。

■川と街道がかなり近く、
■道の先がやや右に緩やかに曲がっていて、
■その手前に右に折れる細い道があり、
■目視できる距離で鉄塔が南北に伸びている。
  目視できる鉄塔はかなり川に近く建っている。
■右向こうに丘が横に長く続いている。
■川の左岸にまとまった木々が何本もある。
■電線が川を渡っている。

という条件に合致するのは街道の中でここだけ!






本編を良く見ると、今まさに白い軽トラが右の道から街道に出て行くのがはっきり見える。
鉄塔は川に近い。
私が作図

    



   寅がこけたシーンは川の河川敷から撮影しているので、この黄緑のどこかと思うしかない。私が作図

    



一番大事な物証は1975年でもそして現在でも、
同じ位置にある鉄塔だ。
これほど動かない物はない。


    
ここは↓作図が上手な、当事一緒に考察してくれた寅福さんの図を拝借しよう↓

     





   
     現在も鉄塔(赤)は同じ位置!!黄緑は右に折れる道。黄色はカメラ位置。私が作図

    




     本編で、はっきりと川のそばに鉄塔が建っているのが見える。

     




     





   本編で電線が川を渡っているのも珍しいので、このことも小さな物証にはなった。


    




    






そしてストリートビューで照らし合わせてみる↓↓





    2017年当事の事前研究でのストリートビューを使っての繊細な照らし合わせ。

    






    




    2017年7月 現地調査、パノラマ撮影

    



    




    

    


 3人で世界初登頂!!!


    





   土手下からのこのカットはヒントがないゆえにどこかはわからない


    



    これはヒントがないゆえ、どこかわからないが、カメラが立てやすい河川敷がある
   まあこのあたりのどこかだろう。

   


     

     川を挟んで南北に伸びる鉄塔が一番の決めてとなった。
   それと軽トラが向こうの方の右路地から出てくるのが見える。
   あの軽トラのところに細い路地があり家がある。そしてそれは今もある。
私が作図

     


     
     2017年の事前考察 少し道から離れると鉄塔がはっきり見える。右の丘もはっきり見える。 私が作図

     



    2017年の事前考察 私が作図

     

     


     


     





ピンポイント場所はココ ストリートビュー
https://goo.gl/maps/Y3ARtDJi9LRXjR1Q9




以上です。

この『湯の山温』」と『四日市』の旅は、
2017年7月に中島均さんと一緒に調査した時のレポートです。

本邦初公開です。


    
  




下に続く↓↓




【第六章】 最終章




さて、この2017年7月には

私と名古屋在住の中島さんは


奈良県(第39作の宇陀市)
三重県(第3作湯の山、四日市、第39作伊勢志摩、二見浦)
愛知県(名古屋 第4、42、43,44,45)

と3つの県のロケ地を調査した。



最後に、今回は名古屋の調査を紹介して〆としよう。



第4作新・男はつらいよ

   名古屋競馬場



    中島さんが地元ゆえに、一生懸命事前に名古屋競馬場の事務の方とかけあって、
    当事の中日新聞の記事をコピーしてもらった!!(1997年の記事)

    



名古屋競馬場の事務の方がとても親切で感激しました^^
中島さんが事前にいろいろ電話などでお願いしてくれていました。

動画 https://youtu.be/Gcuh_KKn8uM


   1970年代の航空写真 パドックは赤い線
   



   



まず最初に寅がパドックでワゴンタイガーを見つめている。タコ社長とばったり出会う。


  



   パドックは美しい。右側の建物にも今も名残がある。

  





   


      

    



 
いいか、ワゴンタイガー、
 日本流に言やあどういうことになるんでえ、

 
ワゴンは車、タイガーは寅
 
早く言やあ車寅次郎じゃねえか。
 そうだろう、
同姓同名だい、

 ちょいと他人とは思えないぜェ





   




      この競馬場の外壁も比べると分かるように、一度作り換えられている。


   







    




     野外にある売店や食堂も撮影当事とは違っているのは当たり前。

     







   



   許可を取って中で撮影。

    





   
当たり前だが、もうまったく観客席はすっかり変わってしまっている。大きく美しくなったとも言える。


    





    



    






    





    




    もうまったく観客席は変わってしまってはいるが、寅が見ていた当事を想像する中島さん。

    





   大穴 ワゴンターガー!!


   



   



なんと一着に入る『ワゴンタイガー』


社長「来たよ来たよ!
   寅さん来たんだよ!大穴だよ!
   おい!しっかりせえ!
   おい!しっかりするんだよ!
   ほんとに来たんだよ!
   ワゴンタイガーが!


     
   一万八千円の大穴よ!
   ヤロウね特券ぶちこんでるからしめて十八万よ!



寅はあと、3レースこの18万円を全て賭けるつもり!!

止めるタコ社長。

柴又へこの金を持って帰る事を勧めるが・・・



寅「おう、これはオレの銭だ。
 オレの銭をどう使おうと勝手じゃねえか。
 いやだったら一足先に帰ってくれ


社長「と、寅さん、ああ」とそれでも止めようとするが寅は社長を振り払う。

社長「あー、あいてて
こけるタコ


寅「あばよ!タコ」と場内に走って戻っていく





       




    この、寅が走って行くシーンの場所は面影が残っていた。

    



ワゴンタイガー



ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/Pe1S3MLNHN8buVcr9



このサイトの読者のみなさん、
上記のように
寅はワゴンタィガーで大穴当てて18万円です。

18万円が100万円になったのは
ワゴンタイガーではありません。
その後の最終の3レースです。
馬の名前は出てきません。





第42作 ぼくの伯父さん

第43作 寅次郎の休日


   
泉ちゃんのママである礼子さんが勤める
   名古屋中区錦地区 歓楽街ロケ



   



    第42作 時計が見える。

     


    





   
第42作↓ 「M‐1」が映る

   




   
第42作での「M‐1」が今も見える。

   
 





    
第43作 錦3丁目 「ミロ」がチラッと見える。

    



    
第43作 同じく「ミロ」が逆側から見える。

    





   
第43作

   同じく錦3丁目 ふくわかの逆から撮影したもの。同じバーの看板が見える。
   おそらく第42作で撮りためしたB班のストックだと思われる。


   事前研究にて↓
   







    



    



4箇所ともほぼ同じ場所にある。

ピンポイントが分かる ストリートビュー(時計のある四つ角) 

https://goo.gl/maps/M1xzKHivJnrXcxfA7


    





礼子さんに佐賀の泉ちゃんの住所を聞いて、下りてきた満男。

なんとこのカットだけ名古屋ではなく、

神奈川県大船駅前石田歯科クリニックの前だった!
大トリック!!(これは寅友のちびとらさんが発見された場所)



    



    
石田歯科クリニックの看板が見える↓

    



    
大船駅そばの万屋第一ビルにある礼子さんのクラブ(;^_^A アセアセ・・・

    





    
↓今も同じ場所に石田歯科クリニックはある

    



神奈川県鎌倉市大船1丁目23
ピンポイントが分かる ストリートビュー

https://goo.gl/maps/65BFeUEMbDtYqEa49


つまり、吉岡秀隆君に名古屋繁華街中心地での夜ロケさせるのは危険だと判断して
大船撮影所そばのビル下で撮影したんだろうね。




第42作 ぼくの伯父さん

もうひとつ


名古屋球場前の泉ちゃんのマンション。




   



     



   
名古屋市尾頭橋三丁目


   




後輩の泉ちゃんが心配で大学浪人にも関わらず、
親の目を盗んで名古屋の泉ちゃんの自宅まで会いに行くのだった。
名古屋球場のすぐ前にそのマンションはあった。



   



   






   


   

   
傘を再現してみた。

   

   


   注意:マンションなどの個人所有の建物は基本取材制限があります。(自己責任)


      





ピンポイントが分かる ストリートビュー
https://goo.gl/maps/7ZcgyuLqJLoAipSq8


注意:マンションなどの個人所有の建物は基本取材制限があります。(自己責任)




   

第44作 寅次郎の告白



泉ちゃんは銀座山野楽器本店での就職活動に失敗してしまい、
その上、泉ママの礼子さんに恋人ができてしまって心が引き裂けそうになって泣きじゃくる。
そして、ママに黙って鳥取に旅に出てしまう。
礼子さんはどこにいったか知らされていないゆえに、憔悴しきって、満男に電話する。


   もうひとつの泉ちゃんのマンション 名古屋城前
  

      




    名古屋市西区城西2丁目

    



ピンポイントストリートビュー
https://goo.gl/maps/Q8F1FLaXKptDNuzBA








そして



第45作 寅次郎の青春

   礼子さんが心臓が悪くてカテーテルの手術をする病院。
  このお母さんの電話が原因で泉ちゃんはCDショップの社員を辞めてしまう。
  泉ちゃんは満男と東京駅で別れたあと午後6時までにこの病院に行く。



   



   




ピンポイント ストリートビュー
https://goo.gl/maps/qgAtGBJk4iUYUzc38






以上、

長い長い ギネスブック級の号外でした。


横山昌浩宮司さん、横山重明先代宮司さん、鈴記好博さん、寅福さん、
中島均さん、ロープーウェィ専務の森豊さん、私の息子の宮嶋龍太郎君、
鈴記さんのご友人の小倉さん、蔵之助の矢田正則さん、名古屋競馬場の事務広報の方、

みなさん本当にありがとうございました。


     



終わり





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吉 川 孝 昭 の 油彩・水彩作 品 【1】 【2】, 【3】



吉川孝昭 Profile

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