お気楽コラム  【 寅次郎な日々 】  たぶん…一週間に一度くらいアップかな…






2014年11月27日 寅次郎な日々578




寅とリリーの蜜月の日々
第25作「ハイビスカスの花」 全沖縄完全ロケ地踏破

第1日目 

(旧国内線ターミナル、ドライブイン浜田、金武町新開地、嘉手納基地道路)





寅とリリーは第15作「寅次郎相合い傘」ではふたりの波長がピタリと一致し、
お互いの目を見つめ合うような最高の切ない「恋」をした。
そしてこの「寅次郎ハイビスカスの花」ではもう一歩踏み込み、
共に二人で生き、人生を共に歩もうとした。
たとえそれが真夏の夢の中の幻想だとしても…。



自己の美学の赴くままに奔放に生きる寅やリリーのような渡り鳥にも、
ふとしたタイミングで羽根を休め、
「定住の夢」を見るひと時もある。その夢は必ず、ないものねだりの夢。
そしてそうすることは渡り鳥である彼らの
気質の中では死を意味する。


夢から覚め、娑婆に戻ったリリーは、再び大海原に羽ばたく直前にこう呟く。

「私たち夢を見てたのよ、あんまり暑いからさ…」


     


この長いシリーズで寅は散々ふられるが、
逆に多くのマドンナたちも寅に恋をした。
一番寅を愛したのはこの第25作「ハイビスカスの花」のリリーである。

彼女の人生最大の悲しみの時を救ってくれた寅。
リリーはこの作品ではいよいよ本気で寅と共に人生を歩もうとしたのである。

そんな熱き想いを秘めたリリーと寅の蜜月の日々があの南国沖縄で
繰り広げられたのである。
そして、かつて、私が親元を離れ、東京に出てすぐに、
人生で一番最初に映画館でお金を出して観た「男はつらいよ」が
この第25作「ハイビスカスの花」なのだ。

1980年の夏だった。

だから私はあの寅とリリーの蜜月の土地になんとしても行きたかったのであるが
2つの障害があった。


ひとつは飛行機代が往復4万円ほどするのでなかなか行けなかった、ということ。
しかし、これは近年格安航空LCCが誕生したことによって、往復1万5千円に
なったので、クリア!!


もうひとつは、この沖縄ロケでとても重要なロケ地のひとつが
皆目わからなかったからである。
沖縄ロケ地は小さな場所は、私が先日コラムに書いた「ドライブイン浜田」をはじめ、
まだまだ不明な部分が10箇所以上残っていて
難攻不落の場所も多かったのだが、しかし実はそれらはおおよその見当はついているので
現地に乗り込めばなんとかなりそうな気配はするのである。

しかし、この沖縄はひとつだけ大物ロケ地もまだ解明されていなかったのだ。
それは、寅が暑い暑いとアイスを持ってうなりながら電柱の細い影に入り込もうとする
あの田舎のさとうきび畑の小道。
あそこがいまだに私も私の仲間も他のHPも本も雑誌も公式ページも誰もわからないのである。

このシリーズ最高のナンセンスギャグシーンとして、
今も多くのファンに語り継がれるあの名シーンが解明されないことには
あの遠い遠い沖縄には行くわけには行かないのだ。
ああいう何もない場所はなにも取っ掛かりがないので
何十年たってもいつまでも解明されないことも多い。


私も、数年前からなんとか見つけたいと思い、
いろいろな調査は行ってはいたのだがさとうきび畑と近くに見える鳥居の慰霊碑以外
なんにも映っていないので、どうにもこうにも見当がつかない。
唯一のヒントであるあの鳥居もサイトでは見つからない。

リリーの下宿先もストリートビューや聞き込みで調べてはみたものの、
なんのとっかかりもないまま時が過ぎていったのである。

そして今年の10月、親しい寅友である寅福さんから
SNS内で報告があり、なんとあのさとうきび畑が見つかったと言うのである。
寅福さんの運営する「男はつらいよ 飛耳長目録」というブログ(私とは昔から相互リンクの仲)で
「沖縄の寅好き」さんと言う方から貴重な情報をいただいたのだった。


内容はこうである↓

沖縄から失礼します。最近、男はつらいよを好きになった新参者です。
 何作か男はつらいよを見ていたら、沖縄県にも寅さんが来ていたことを知りました。
(寅次郎ハイビスカスの花)内容は、シリーズの中でもやはり人気度が高いだけあって、よい作品だと思いました。
 ところで、たまたまこちらのサイトを発見いたしました。内容をみていると、ロケ地の場所が特定されていないとの事で、
色々と調べてみました。恐らくですが、場所は、【沖縄本島北部、今帰仁村の与那嶺という集落にある慰霊碑】のあたりだと思います。googleマップで見たところ、この慰霊碑を左正面に見ると、写真の中央辺りにそれらしき建物(撮影当時の写真では屋根が赤茶っぽい建)が見えることと、慰霊碑を背中にして正面の山々見ると写真とほぼ同じような形をしているように見えたので、はっきりとは断定できませんが、恐らく、この慰霊碑の周辺だとおもいました。




そして、あの慰霊碑(今は新しいものに建て直されている)らしきものが出ている
ほかのブログを紹介してくださったのだ。


下記のURLが一番有力かなと思いましたので、ご参考
になればと思います。

あと、其の2の二枚目の写真で寅さんが座り込んでいる慰霊碑ですが、
平成8年に建て替えられており、当時のものとは形が違っているみたいです。
情報不足ですみません。(下記のサイトは現在の慰霊碑の写真が掲載されています)


http://phoenixexpress.ti-da.net/e6297852.html



「沖縄の寅好き」さんはストリートビューであの慰霊碑から見た風景が映画本編で出てくる
慰霊碑前の風景とピタッと一致すると言われたのだ。

そうなのである。なんとストリートビューも通っている場所だった!
近年のストリートビューはどんな田舎道も撮影してくれているからありがたい(T_T)
で、私も沖縄の寅好きさんと寅福さんからの情報をじっくり検証するうちに
100パーセント確信にいたったわけだ。

上の紹介してくださったブログ「碧血の島」は
今年2014年05月20日になってアップされたようなので
私や寅福さんが調査していたころはまだ立ち上げていなかったのだった。
こまめにいろいろなサイトをチェックし続けることの重要性を今更ながら再認識させられた。

諦めてはいけないのだ。



ストリートビューから見た現在の風景↓

    


本編の画像↓

     


この
さとうきび畑は今回の沖縄行きのメインエベント。

沖縄滞在の3日目(11月19日)に初登頂した。
そのことは親友の吉川明さんと一緒にめぐる3日目の日記で
同じ場所での
再現動画を掲載します!


    


上にも書いたように、今回は親友の寅友である板橋の
吉川明さん(私と同じ姓^^)も
最後の3日目の11月19日に合流する予定だ。
吉川明さんはかなりの沖縄フリークで
もうかれこれ30数回は沖縄に行かれていると思う。
私のこの計画を話すと、多忙の中、参加したいとおっしゃってくださったのだ。
3日目は
W吉川であの電柱のシーンの再現動画を撮影しよう、頑張ろうというわけだ。







さて11月17早朝 始発で柴又から成田へ。

寝過ごしたらアウトなので前日はほとんど寝ていない。

成田からLCCのジェットスターで出発だ。



こうして寅さん記念館での恒例の絵画展がもう目の前に迫った2014年11月17日、
私は成田から格安ジェットスターで2時間半、午前10時50分に私は
曇り空の那覇空港に到着した。

寅はあの作品では飛行機が苦手でヘロヘロになっていたが、
実は私も飛行機はかなり苦手だし、絵画制作が続いていて寝不足だったので
体力的にはかなりきつかったのだが、
ここは頑張るしかないと気持ちを強く持って踏ん張った。



さて、この
那覇空港国内線バスターミナルも当然ロケ地である。



しかし実は・・・那覇空港は5年ほど前にすっかり建て直して、
撮影当時の旧国内線ターミナルの場所と今の場所はかなりずれてしまっている。

寅が車椅子を押しながら銀バスになだれ込むように乗り込んだ
あの旧国内線バスターミナルは、今の新ターミナルから歩くと10分かかる場所だ。
今はなんと貨物のコンテナ倉庫が建ち並び、
一般の観光客は徒歩であろうが自動車であろうが
立ち入り禁止になっている。

あの本編で銀バスに乗り込む直前にちらっと見えた
灯台
(実際は米軍が戦後建てた航路標識搭)は、今も映画撮影時と同じ姿で近くに建っている。


    



沖縄戦場を調査したHPにはこのように記されている。↓

崎原(さきはら)灯台

崎原灯台は1986年(明治29年)に完成した灯台で、
崎原グスク上に高さ12mのレンガ造りの灯台や舎屋等が建設された。
残念ながら昭和20年6月4日からの小禄半島の戦闘においても
上陸海岸の一角にあったために攻撃目標となり徹底的に破壊された。

戦後も灯台は復行されることなく、米軍により
航路標識塔が建てられた。
現在もその航路標識塔が残されたままで、
周辺には破壊されたレンガ等が散乱する知られざる戦跡である。
ということだそうだ。


     



     現在の崎原灯台跡(航路標識搭)

     



なんとか、映画と同じアングルから撮影したいと思った私は、
あるアイデアが浮かんだのである。

実はこの一般の人が入れない貨物倉庫は一箇所だけ、
一部のLCC(バニラエアやピーチエア)の離着陸場所に利用されているのである。

つまりバニラやピーチの本当の乗客だけは専用のシャトルバスで
倉庫まで入れるシステムになっているようだ。

周りは貨物倉庫なのでシャトルバスを降りたらガードマンにすぐに中にはいるように
催促されるようなので、たとえ、乗客にまぎれてシャトルバスに乗れたとしても
降りた周りで画像を撮影できるかはきわめて疑わしいのである。

しかし、この方法以外にあの厳戒態勢の貨物倉庫にはいる道はない。

幸い、シャトルバスに乗る時にチケットの提示義務はないようだった。
第一関門突破!

そしてほんの5分で貨物倉庫前に着く。

鉄の扉が開いて、シャトルバスは敷地内に入って行ったのだった。

手にデジカメを持って下車と共にすぐさま撮影する準備を整える。
うろうろしていたらガードマンや係員が室内に入るように指示したり、
手でカメラをふさがれることもあり得るからだ。
チャンスはたった10秒〜20秒かもしれない。

バスがLCC専用の入り口に到着。

運の良いことに、なんと、このLCCの入り口は
まさにあの寅が車椅子を押していたバスターミナルのほぼピンポイントではないか!!
神様はいるんだなあ・・・と感慨が襲ってきた。

他の乗客はそのまま倉庫内のチェックインカウンターに誘導されていく。
私一人が倉庫に入らず、さっそく倉庫の前の道で動画を回し始める。

係員は私の様子を見てもさほど警戒したり、支持したり、止めようとはしない様子。
ガードマンもちょっと離れたところでこちらを見てはいるが、
別にこちらに歩いて注意をしに来るほどの緊迫した感じではない。
ジリジリとピンポイントに近い場所までずれながら、動画を撮っていく私。

そしてほぼこのあたりかなと思われる場所で膝を地面につけて
動画撮影と写真撮影。

マニアックなことを言えば、このあたりは全て一度完全に更地にしてから
建築しなおしているので、この現在LCCが使用している貨物倉庫の並びと
旧国内線ターミナルの建物は角度にして10度ほどずれているのだが、
さすがに現在トラックがせわしく走っている
倉庫エリアの道に飛び出すのは完全な違反行為でレッドカードものなので、
ここは半分妥協して角度がわずかにずれているLCCの倉庫のラインから撮影した。



ポイントはあの沖縄で最初に作られた灯台(航路標識搭)だ。↓


      




撮影を始めて2分以上経ったが、別段ガードマンも係員も
あいかわらず注意しにはやってこない↓
ご覧のように、灯台と建物との関係がわずかにずれてはいるがほぼここである。



    



  





撮影後にバスの運転手さんに旧国内線ターミナルのラインをお聞きしたが
現在のこのLCC使用倉庫ビル玄関口とはやはりほんのちょっと
十メートルほどのずれだけだそうだ。


当然ながら、新しい貨物ビルに生まれ変わってからは世界初登頂だろう。


動画http://youtu.be/dL2jEBoms5Y



後日、晴れた日に、同じ錬金術によって青空をバックに再度動画撮影したのがこれ↓



動画 http://youtu.be/ITLH-0DsNAA



グーグルアースの1978年と現在を比較してみるとよくわかる。↓


      



      当時の写真↓

      



      
      まだ旧国内線ターミナルが機能していたころの地図。

      



これらの写真と地図を見ると当時のターミナルと灯台の位置関係がわかる。


      



振り向くと倉庫のL字の角が見える。

このまままっすぐ延長して行くともうすぐ海だ。↓

かつて、このアングルで、寅が銀バスに乗って去って行ったのだ。


    



    





さて、撮影を7分ほどさせていただき、同じシャトルバスですぐさま空港ターミナルに戻る。
到着と同時にとなりのバス停に走り、今まさに出発しようとした金武町方面行き長距離バスに
乗り込む。

次に行く場所はあのリリーが歌を再開しようとした金武町キャンプハンセンの前の新開地だ。
ここは映画でもかなり多くのカットを費やしているなかなかやっかいな場所だ。

物語の通り進んでいくと、空港の次は国際通りやバスの車窓風景、嘉手納基地なのだが
長距離バスで金武町まで行ったほうが時間のロスがない。
車窓と嘉手納はそのあとにまわす。



金武町は、時代の流れと共にもうほとんどの店が閉じてしまっているが、
外観がそのままのビルも結構多い。


その前に私が事前調査で当たりをつけておいたあの「ドライブイン浜田」が
現在どうなっているかを調査するべく、
バスを降りたインターチェンジでタクシー(金武タクシー)を
オーダーする際にかつての新開地を知っている年配の方を手配してもらった。


優しそうなその年配の運転手さんは「ドライブイン浜田」という名前を覚えていらっしゃった。
その後「レストランKIN」になり、現在はなんとおしゃれな美容院になっているそうである。
ビルは完全に建て替えられたが、場所は数メートルずれただけで位置はほぼ同じ。


動画 http://youtu.be/hbUabeyO4pk




もともとこの土地を持っておられた前田さんと言う方がテナントで貸していらっしゃったのだが
自分の娘さんたちが美容院を経営するにあたって、ここを新しいビルにし、
1階を娘さんたちの美容院にしたらしい。
まだオープンして1年ほどだ。
中に入らせていただくと、そこには美人姉妹が働いておられた。
ここまでやって来た事情を説明し、当時の「ドライブイン浜田」時代のアングルから
店内や海を映させていただきたい
とお願いしましたところ、快くOKをだして下さって海が見える店の奥のベランダまで
案内してくださった。


この外が映る位置は、タクシーの運転手さんには無理を言いまして
このように「高志の停め方」をしていただきました(^^;)

    



    高志の車はニッサン・ブルーバードバン

     



この美容院「hair mint」はもともと金武町の街中にあったのだが、
ご家族の土地でもあるこの眺めのよい場所に移動されたのだ。

撮影当時はドライブイン浜田→レストランKIN→美容院 hairMINT


 動画 http://youtu.be/-dqIqtGZ-O8



      
「ドライブイン浜田」は赤い印の場所↓

    





美容院に入ると美人姉妹のオーナーさんが
親切にいろいろお店の中や眺めのいいベランダを案内してくださいました。

   








本編ではこの場所だ。
この場所もロケ地めぐりの意識を持つ人としては、世界初登頂でしょう。


   





    
逆から見たらこういう風景↓

    




    
これも高志君のほうから見たアングルだ。

     



動画http://youtu.be/1u9gNNeUuKY


地元の人には「浜田ドライブイン」と呼ばれていたようだ。




    
このアングルも本編で使われた↓

    




    
向こうに見える風景の広がりは今も同じ

    



 動画 http://youtu.be/a5dFW8hM0Sg





「ティーチなターチな」のカウンターのおばさんが映ったのがこの入り口へ向かっての方向。。


    



    




   厳密に言えばこのような低い目線でのアングル。↓

    





この最優秀エキストラ賞に輝く「ティーチなターチな」の
味わい深いおばさんは今も元気でこの店の近くでいらっしゃるそうだ。


    



動画http://youtu.be/mTFB2rWVcnw



ということで、ロケ地めぐりの意識を持った人としては世界初登頂だ。







先はまだ長い。



お礼を言って美容院mintを後にする。



さてこのあと、再びタクシーに乗って
キャンプハンセンのある「金武町」に入って行った。


    





    
地図上のAがこの白い建物。Bが信号の前のキャンプハンセンのゲート。↓

     





     現在はこうなっている↓

    




    リリーを乗せた車はゲートの道向こうを新開地に左折して行く。

    



   現在はこうなっている↓

   





   



動画http://youtu.be/CQlS9IWH_g8



動画 http://youtu.be/U5g_yjjIBiE





   現在はこの細い路地は車は通れない。歩行者のみ。

   




  3割ほどの建物は今も存在する。↓
  一番奥のシャングリラも建物は今も残っていて営業もしている。


   




   高志の車が停まっていた場所から見えた風景。地図上Dの場所。
  今もこの辺りの建物は名残を残している↓


    



    




 高志が車を停めていたこの「WASHINGTON ワシントン」「ユートピア」の店の前は
 今も面影が残っている。

    
   



    




   
ユートピアが見える側面も映る↓

   





   
まだ今も名残は残る。

   





   
「ワシントン」「ユートピア」の正面横でリリーを待つ高志↓

   





    
今も残る「ワシントン」

   






     これは一瞬映る町の風景↓「ハワイ」が右向こうに見える。

    




    
今も右向こうには「ハワイ」が残っている。↓

    



     この「ハワイ」が見える坂道は地図上Cから北へ(上へ)向けてのカメラ↓

       







    これも高志がリリーを待ってる間の風景描写↓
    
    




  
クラブ88やチャンピォンやパラスは今も建物が残っている↓

  



動画 http://youtu.be/APvULIbAquI



   
この88のクラブが見える坂道は地図上のFから北へ向けてのカメラ↓

       






   リリーが「ワシントン」から出てくる階段。↓

    




   ちょっと名残が残っている↓

    



動画http://youtu.be/ShrcsMRuaVI


    最初にリリーが入って行ったワシントンというクラブはDの場所

       





    リリーはもう一軒心当たりがあるからと次の店に向かう。

   




   「ピース」は今も名残が残っている↓

   






   
SILBER SPUR(銀の拍車)でたむろする米兵たち↓

   




  
今もシャッターのあり方が同じ↓
  ここは本編ではビルの階段から撮影している。
  今はその階段は鍵がかかって上がれないので、
  今回は三脚にカメラを固定して、手を上に上げて3メートル上から撮影してみた。

   






   





    これも三脚をおもいっきり伸ばして画像を撮ってみた。↓

    





     映画撮影時は向かいの建物の階段の上から撮ったと思われる↓

    






    




    





三脚を持ち上げ高羽アングルを狙った動画↓

動画http://youtu.be/zdlMfPMSYic





    





動画 http://youtu.be/GhcVxNxWpsk


動画 http://youtu.be/ShrcsMRuaVI



     この2番目にリリーが入った店は下の地図上の
Eの黄緑印

     






もうこれでドライブイン浜田から始まって95パーセント以上金武町のロケは解明した。



残るのはたった1カットのみ。


この3秒ほど映る「NEWYORK(ニューヨーク)」と書かれた店だけである。


   



しかし、これがなかなかわからない。
年配のタクシーの運転手さんと聞き込み調査をすること30分以上・・・



動画 http://youtu.be/Ipcod5xPAv0




嘉手納ロケ地も今日中に行きたいので、長距離バスの時間が近づき
かなり焦って来た・・。




なかなかみなさんもうろ覚えで場所が定まらない・・・

そんな時、私がニューヨークのことを聞いた方が
偶然この金武町の元金武町の「町長」さん吉田勝広さん(現県会議員)だったのだ。

吉田さんは私の事情をお聞きになり、ご親切にも協力してくれることになった。
「ニューヨーク」の場所を唯一知っているであろう、
このエリアの主のような長老おじいがいるとのことで
そのおじいのお孫さんにおじいの実家に電話してもらった。


    




偶然出会った県会議員の吉田勝広さんにいろいろ聞き込みを手伝ってもらう↓


     



動画 http://youtu.be/u6g_yuR2z8I


その金武町の大先輩であるおじいはここから徒歩3分の大通り沿いに
「ニューヨーク」があったことをはっきり覚えていた。





    




そして言われたとおり、今はカレー専門店(KARI-YA)になっている
その元クラブ「ニューヨーク」へ歩いていく。

中に入って、そのカレー屋さんの女将さんにお聞きしたところ、
確かに宮城さんと言う方がニューヨークと言うナイトクラブを長い間経営されていた
と言われた。

ここの以前の店のことはご主人がもっとよく覚えているということで、
ダメ押しでご主人にも電話していただき、最終確認を取ったのだった。



動画 http://youtu.be/Dvint-Z4kII


これで決定。

世界初登頂



建物はかなり直されているので当時のあの壁はもうないが
この上の壁あたりを撮影したらしい。


     





    





    



      
「ニューヨーク」は 地図の G の部分↓

      





これでこの作品の金武町のシーンは全カット解明し、踏破したのだった。





おまけ動画

金武町ナイトクラブを改造した元金武町町長さんの
吉田勝広さんの書斎


http://youtu.be/1Sz34gU8aQk






さあ、那覇方面の長距離バスが来るまであと8分!




運転手さんにちょっと飛ばしてもらい^^;バス停に時間の3分前に着いた(*^▽^*)セーフ!

1時間半お世話になった金武タクシーの運転手さんにお礼を言って
チップも多めに払って、
嘉手納を通るバスに乗り込んだのだった。


バスは一路那覇方面に戻っていく。

途中40分ほど乗ったところで
池武当(いけんとう)という場所で停まる。
そこが
嘉手納基地への道が走っているところである。

池武当で降りて、そこからタクシーを拾って
40分ほど運転手さんに付き合ってもらう。


嘉手納は寅がリリーの入院している病院に向かう途中で車窓に映るのだ。

実際は病院の位置と嘉手納基地はまったく別な場所で
那覇から病院に行く時にはぜんぜん通る必要がないのだが
山田監督はこの基地の風景や戦闘機の姿を、
つまり、沖縄の現実を作品に入れたかったようだ。


ここは事前調査でかなり掴んでいたので聞き込みは必要なかった。


    





    
向こうの丘もしっかり見える↓

    




そして


    寅は北のゲートを通過する。

    




このあたり一帯をピンポイントで押さえたのはおそらく世界初だ。
このポールたちはこのように今年真っ赤に塗り替えられたそうだ。

  





動画 http://youtu.be/DFdsHw0Vw7E


     





34年経ってもゲートのあり方と基地への道は同じ。


世界初登頂だ。



     






   あの映画撮影時はF15イーグルが飛んでいた。


   





私の取材時もジェット戦闘機がビュンビュン飛んでいたが、もちろんイーグルではなく
新型ステレス機の
F22Aラプターだ。米軍最強の部類の戦闘機。
この画像は私が実際にロケ地上空を飛ぶ戦闘機を撮った動画から切り取ったもの。



    
    



 戦闘機 http://youtu.be/ROmmvZ0k0CU






   あのゲートからわずか1分で、この曲がり角も通過する。↓


    



    




嘉手納基地の道路はこれで全踏破



さて、那覇の渋滞にひっかかりそうだったので、タクシーの運転手さんに
急いでバス停まで飛ばしてもらった。


なんとか、8分前について金武町バス停同様セーフ^^;

1日目は全て小さな車窓風景やB班撮影も含めて完全踏破だった。


さてこのあと、暗くなってからも、
寅が那覇空港を出た直後の車窓風景の解明のため
地元の有力紙、沖縄タイムス本社ビルへの突撃取材と
夜6時半以降の牧志の市場取材が待っているのだが、
それは1週間後に「ロケ地めぐり2日目」のアップの中で語るとする。




「ロケ地めぐり2日目」の掲載予定は

寅の銀バス那覇市内の車窓風景。
牧志市場1つ残らず全シーン。
寅がずっと泊まっていたホテル入船とそこからの眺め。
たがみ病院全シーン(現在のオリブ山病院)

12月11日ごろ掲載予定



続く











私に関する記事

   
朝日新聞 夕刊 2014年5月21日

   


    
 朝日新聞デジタル版でも紹介されています。デジタル版では
      このように写真も大きく拡大できます。↓

 




号外その2:2014年6月5日夕方発売
「夕刊フジ」の「人生二毛作」という全国版連載コラムに
私に関する記事が掲載されました。

夕刊フジのこの記事はデジタルでも読めます。↓
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20140606/ecn1406060830003-n1.htm



    




   




寅次郎音楽旅 寅さんの言葉




男はつらいよ 寅次郎音楽旅 【寅さんのことば】



友人の佐藤利明さんがプロデュースした作品。
もちろん彼が大きな骨格であるコンセプトを決め、曲や言葉をセレクトし、
そして全体を俯瞰的に監修された寅さん最新作CDだ。

寅次郎音楽旅の4作目。

いや、もう、4月からこのかたずっと4つの連続展覧会で多忙が続き、
ちょっとした合間の休日も仲間との「ロケ地めぐり」が続き、
そしてその事後処理とサイトへの記事アップが続き、


ようやくそれが一段落した今、
1ヶ月半間寝かせて熟成させておいた、この
男はつらいよ 寅次郎音楽旅 【寅さんのことば」を聴いている。

相変わらず使われているスチール写真は貴重で美しいものばかり。
佐藤さんの手にかけたものは、とにかく本の時もCDの時も常にスチールは絶品。
もうね、音楽聴く前に、このスチールだけでわかるでしょ、内容の充実が。



     



昔からまあ、寅さん名言集なるCDはいくつかは出ている。
しかし、佐藤さんはその名言とそれに関係した音楽を組み合わせた。
ここまで徹底した融合と数は日本初の試み。
こうしてセリフと音楽を混ぜて聴いていると不思議な臨場感に包まれていく。
なんだかこういうのは初めての体験。
これこそ映画の音楽(劇伴)の醍醐味なんだろう。

今回CDは2枚組み。
寅の「言葉」が本編から直接90箇所選ばれている。
そしてそれに関連させた音楽がオリジナル音源から108曲。
合計198トラックをCD2枚にちりばめている。200近い収録って、ものすごい数だ^^;


     


もとより、佐藤さんは佐藤さんの眼があり耳がある。
6歳からこの映画に親しみ、感覚を熟成させてきた言葉のセレクションがある。

たとえば第8作「恋歌」OPで、雨の日に旅の坂東鶴八郎一座を励ます寅の言葉、

まあ、こんなことはいつまで続くもんじゃねえよ。
今夜中にこの雨もカラッと上がって明日はきっと気持ちのいい日本晴れだ。
お互いにくよくよしねえでがんばりましょう


あのあと、大空小百合ちゃんとのやり取りの中で流れる曲ががいいんだな〜。名曲ですね。
もちろんその曲も収録されている。


    



そして同じく坂東鶴八郎一座とのささやかな再会と別れを描いたあの
第18作「純情詩集」で、別所温泉での早朝の別れのせつなの言葉。

おーい、
しっかりやれよお!
またいつか、日本のどっかできっと会おうな!



このあたりの旅人どうしの一期一会の地味な味わいを入れるのが佐藤さんの眼。

そしてコアなファンたちが待ちに待っていた
第23作「翔んでる〜」の布施明さんが歌う「
とまり木」のセレクト 
これもこの歌の詞の持つ重要さをわかっている佐藤さんの優れた感覚。



そしてこのシリーズの中でも出色の寅のセリフ。
第27作「浪花の恋の〜」の中で、失意のどん底のふみさんや弟の恋人を慰めるあの言葉。
あの言葉によって私たちはどれほど慰められたかしれない。

そら、今は悲しいだろうけどさ、ね、
月日が経ちゃあ、どんどん忘れていくもんなんだよ.
忘れるってのは、ほんとうにいいことだなぁ…



     




第29作の丹後伊根の波打ち際での、失意のかがりさんへの言葉。
あの言葉は万人の男女の胸にしみる。

そりゃ、こっちが惚れてるぶん、向こうもこっちに
惚れてくれりゃあ、世の中に失恋なんてのは
なくなっちゃうからな

 

     




また、第38作「知床慕情」ラストの寅のハガキ

暑中御見舞い申し上げます・・

これを渥美さんは

「しょちゅう・・・おんみまいもうしあげます」と独特の言い回しで渋くナレーションでつぶやく。

この味わいのある渥美さんの「しょちゅう・・・」のセリフを佐藤さんはなにげに拾うのだ。

この独特の言い方である 「しょちゅう・・・おんみまいもうしあげます」は
私もいつか誰かに必ず言ってみたいと昔から思っている言葉だ。



第47作「拝啓車寅次郎様」で寅がとらやで満男に鉛筆を売るバイを見せてやるのだが
その鉛筆の話の中で、母親の話をとつとつとするあの「寅のアリア」なども選ばれている。
あのアリアは私が大好きな話。
あの話の中の母親とは、実はさくらのお母さんとの思い出なのだ。
産みの母親に恵まれなかった悲しく孤独な寅に、血のつながりの有無を超えて
寄り添い、分け隔て無く育てたさくらのお母さん。

少年期のデリケートな寅の心のひだを垣間見る美しいアリアだった。

そのような寅の心の琴線を繊細な佐藤さんは必ず拾い上げてくれる。

そして嬉しいことに、
音楽も今回もまた
20曲近い本編未発表バージョンを惜しげも無く収録された。
この世の中に初めて出る約20曲を聴くためにだけこのCDを買っていいのだ。

今回も含めて、今まで出された「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」の音楽CD4つは
昔から数々の音楽のプロデュースを仕事にされてる佐藤利明さんの結晶とも言える。
この仕事は、世の中での影響力も含めて
彼のこれまでのあらゆる仕事の中心のひとつとなる大きな仕事とも言えると私は思っている。


そういえば、大きな仕事と言えば、もちろん震災の年に始まって、もう3年以上続いている
文化放送の「みんなの寅さん」も確かに影響力のあるもの凄く大きな仕事だが、
かつて6年ほど前にCS衛星劇場「私の寅さん」で、佐藤さんは、2年間の長きにわたって
「男はつらいよ」の数々のスタッフやキャストに本質的な内容のロングインタビューをしていったのだ。
彼のあの腰が入った強い踏み込みによる濃密な仕事こそが、誰もできない佐藤さんならではの
偉大な仕事だったと今でもしみじみ思う。
山田監督へのインタビューにしても、
数年前に行ったNHKの「100年インタビュー」なんかよりCS衛星劇場での佐藤さんと山田監督の
やり取りのほうが山田監督がそれまで言わなかった隠された本質的な会話が多く、
その美しいキャッチボールを見ながら心が心底震えた記憶がある。
あの衛星劇場での数々のインタビューの仕事こそが歴史の長い淘汰にこれからも耐えていくだろう。

私もかつて自分のサイトでこのことは紹介した↓
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/torajironahibi24.html#391


そして上にも書いたように
もうひとつの男はつらいよに関する濃密な仕事。
それがこの「男はつらいよ 寅次郎音楽旅」シリーズ 4つ(CDにして9枚)というわけだ。


深くこの男はつらいよシリーズを知りすぎたゆえの、愛しすぎたゆえの一人相撲に見える孤高、孤独。
そしてその積み上げたプライドを無理やり自ら打ち破り、格闘し、
彼が長い歳月をかけてこの映画から培った愛情のエキスを
この乾燥しきった世知辛く複雑な世の中にあえてわかりやすく優しく、
しかし深く深く本質をこそ何が何でも伝えようとする不断の錬金術的努力。
その結実が、あの歴史を作った衛星劇場の濃密な掘り下げインタビューであり、
みんなのための文化放送の番組であり、誰でも気軽に読める東京新聞の寅さん記事であり、
そして、明快なコンセプトのもと、膨大な音源を収録し続けているこの寅次郎音楽旅シリーズだ。
まったくこの映画が好きじゃないと到底できない凄まじいバイタリティと言えるだろう。

いったいどこまで行く気なんだろう。
ちょっと忙しすぎるのでお体を大切にしてほしい。
それにしても、数々の行動が早すぎて追いつけないよ まったく ふ〜〜〜 ┐('〜`;)┌















寅さんのことば


友人の映画評論家である佐藤利明さんが
昨年6月から10月にかけて、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞夕刊に連載した
寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」をバリに行く直前に手に入れた。
東京地区では東京新聞、中京地区では中日新聞と、
二つの版元から同一の書籍を刊行している。

佐藤さんの寅さん歴は長く、
6歳の時、ご家族と銀座の映画館で第一作『男はつらいよ』を観られたことがきっかけ。
だから彼の場合、寅さん歴がただ長いだけでなく、
柔らかな少年時代の「三つ子の魂」が入っている。

すでにたくさん巷にあふれている寅さん本とどこが違うかと言えば
「愛情」と「懐」の桁が違う。
深い内容を極力優しい言葉で実に的確に書いてあるのだ。
使われているスチールもかなり珠玉。このスチールだけで「懐」がわかる。
別に友人だからってあえて無理やり宣伝しているわけではない。

はっきり言って一般の新聞に書かれた内容なので、
特別マニアックなことや裏話をバンバン書いてある類の本ではないが
それぞれの作品や俳優さんのことを長く深く知り尽くしていないと言えない
「言葉」と「流れ」がそこにある。
ものごとを愛し、そしてきっちり骨の髄まで理解しつくすというのは
こういうことなんだなと思わせてくれる文章。

彼の音楽CDも、ラジオ番組も、この本も、1年や2年の付け焼刃じゃないところがいいのだ。
それゆえ、数々のCDはもちろんのこと、
この本も誰でもわかるように実にわかりやすく書いてあるにもかかわらず
かなりコアな寅さんファンがじっくり読んでも結構面白いのではないだろうか。

というか・・・

この本に他の寅本にない何かを感じない寅さんファンは偽者である。

この本は寅さんのマニアックな詳細情報や特ダネを見せびらかす本ではない。
実はなかなかおいしい情報やマニアックな内容もそれぞれ十分に入っているのだが
それよりも、もっと大きな流れを掴んでほしい。
一人のちっちゃな佐藤少年が、長い長い歳月をかけて
ある映画シリーズからはぐくまれた愛情と深い懐の軌跡を感じ取る本だと思う。



       










    




   夕張の炭住をゆく車寅次郎  「男はつらいよ 寅次郎幸福の黄色いハンカチ」より


   




第43作 「寅次郎の休日」 ダイジェスト版http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/43newpagedaijyesut.html



吉川孝昭展  2012年10月13日(土)ー28日(日) 寅さん記念館 休憩室


       






        
裏表紙

        




      
 2ページ目と3ページ目↓

       








         
2012年正月元旦  吉川孝昭 「雪降る帝釈天」 お礼の年賀状の中の1枚

        





なお、お年玉代わりに、
昨年秋に息子が完成させました
「君の知らない柴又を見せたいFour seasons(完全版)」をアップしましたので
できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。
ネット上では初公開です。

前回の作品(冬と春)に、
新たに新緑と初夏と盛夏と秋と晩秋を加え【四季折々】の知られざる柴又を表現しました。


それではご堪能ください↓




2011年宮嶋龍太郎 制作  できるだけ高い画質の【720p】以上でご覧ください。








          

                「 宮嶋龍太郎+2 展 」中綴じパンフレット12ページ  表紙




      満月と立山連峰
      






                            雨降る江戸川風景  吉川孝昭   2011年4月3日 水彩  14cm.×24cm.

    

                                


                 
                          帝釈天本堂に上る夕暮れの月(自宅バルコニーより撮影)

       




                          矢切の渡し 2011 冬  (2月10日)

      
       

                       

 

    

     雪の日の寅次郎   RYOTARO





pos

            『男はつらいよ 寅次郎風の盆恋歌』のポスターが完成しました! 2010年制作


          


Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO





                 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 オリジナルポスター 2007年制作
 

          



Art Direction  : 吉川孝昭
Design  : 吉川孝昭
Illustration  : RYOTARO
Computer Graphics  : RYOTARO







「寅次郎な日々」全バックナンバーはこちらから          


【 寅次郎な日々 】カテゴリー別バックナンバー【2005年11月〜2011年7月26日までの分】
寅次郎 さくら 名脇役たち タコ社長 満男 シリーズの流れ おいちゃん、おばちゃん 源ちゃん
とらや ロケ地探訪 山田洋次 各作品紹介 山田洋次以外の映画 メイキング映像
インタビュー&ポスター
マドンナ





,