第13作 男はつらいよ



 
津和野ロケ地調査完全制覇レポート






1974年8月3日封切り




第13作「寅次郎恋やつれ」

津和野ロケ地調査 2016年4月








今回、このレポートの順番は調査の際の流れではなく
映画本編の時系列通りに紹介してみました。





温泉津で、絹代さんに手痛い失恋をしてしまった寅は
傷心のまま、さくらに置手紙を残し、福光海岸でたたずみ、


山陰本線で西に進む。




■ 温泉津全踏破レポートはこちら↓
   http://www.yoshikawatakaaki.com//lang-jap/yunotu01.html












益田市 大浜


島根県益田市木部町(キベチョウ)イ1193−3


大日霊神社(おおひるめじんじゃ)


     


ご祭神は、「大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)」 天照大神の別名。




大浜港の西へ突き出た亀島の頂に祀られた神社である。


     


『大浜はその昔、先祖により良港として拓かれ、
里や漁の安全を祈って約1300年前に創立された宮。
参道の階段は当時から「宮ヶ段」と呼んでいた。

波浪や災いが起きたとき、亀島の頂きが煌々と光り、
これを頼って船を漕ぎ出すと皆が救われたという。

ある夜、偶々亀島頂上が光っていたので行ってみると、
頂きには一面の霊鏡があり、これを奉った。』


石見地方ゆえ、独特な赤褐色の石州瓦が敷かれた拝殿がなんとも美しい。

    



    







    




    この石段は結構長いのだ。

    






  石見神楽 大蛇(おろち)


   


  




神楽 大蛇(おろち)

「石見神楽の華」と称されるほどの花形演目で、多くの神楽上演において最終演目として披露される。
日本神話におけるスサノオの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治を題材とした内容で、
数頭の大蛇がスサノオと大格闘を繰り広げる壮大なスケールの舞いが見られる。
大蛇が数頭登場するようになったのは戦後で、明治期に浜田市の植田菊市氏が
現在の蛇胴を開発する以前は原則一頭のみ、それ以後もしばらくは二頭が登場していた。







  傘を啖呵バイする寅。


   





同行してくださった小手寅さんが寅に扮してくれた。彼の帽子は彼のあだ名の「潮G」








この場所は階段の途中から見た大浜の入り江。


映画撮影時には、遠くに蒸気機関車が煙をモウモウと出しながら走っていく
山口線は今でもSLを走らせていることでも有名。


     




      今はこのように木々が生い茂ってまったく海は見えなくなった。このアングルは世界初登頂。

     




     境内の寅が啖呵バイしていた後ろから撮影してみた。ここからが唯一線路(山口線)が見える。

     





    線路のところから撮影した大日霊神社

    




    撮影から40年以上経った今防波堤が増えていた。神社の木々も激増。


   




    地図的にはここ↓  https://goo.gl/maps/Mvf5KftDcYz

    






その後寅は内陸に入り込む。






益田市 安富橋 (吊り橋)


益田市、高津川に架かる1955(昭和30)年架設の吊橋。
橋長255.3m。市道内田安富線に指定されている。



長い長いつり橋 を寅がゆっくり渡って行く。




    





橋を支えるメインケーブルなどにに劣化が見つかり崩壊の危険性があるため、2013年3月下旬から通行止め。現在は修築中。


   高津川川原に下りての撮影

   




   ピンポイントはここ。 https://goo.gl/maps/NNSMv5TWMD92

   




動画
https://youtu.be/l5aPEbNLgOw









そして寅は津和野に入っていく。







津和野導入部分





津和野城址 出丸からの眺め  世界初登頂







    











    この俯瞰はリフトに乗って7分 そこからさらに歩いて15分。
    津和野城の
出丸(織部丸)からの撮影だと現地でわかった。


   関ケ原の戦いの戦功で入城した坂崎出羽守成正は、城郭の大改築をはかり、
   本丸の北方約200mの山頂に側面防衛のための出丸である織部丸(おりべまる)を築いた。




   世界初登頂   俯瞰で見ると石州瓦の町だと言うことがよくわかる。


    





   雨が降ったりやんだりだったので、霧が凄く、幻想的だった。


   




    記念撮影  当事普請奉行だった浮田織部の名をとった出丸 織部丸 浮田織部は当主坂崎直盛の弟。 

    





      さらに15分登って、リフトから25分。本丸跡に着き、天空の城を味わう。三十間台とと太鼓丸

     






      まさに天空の城。小手寅さんも満足顔。 太鼓丸

    



    本丸からは川が斜めに見えることがわかり、本編の撮影地は「出丸」だと確定。

     





  動画
    https://youtu.be/J7XfAILkgsc







天空の城  津和野城  日本100名城

津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの霊亀山に築かれた山城。
築城時からは少なくても室町時代後期(戦国時代)までは
三本松城(もしくは一本松城)蕗(ふき)城と呼ばれていた。
南北3kmにのびる丘陵上にあり、中世には全山が城塞として使用された。
尾根伝いに南にある出城の中荒城、当城と併せて史跡指定されている。

江戸時代には津和野藩亀井氏の居城であったが、藩庁は急峻な山城を避け山麓に置かれた。


一番最初の起源は
元冠にさいして、西国防備を命じられて西石見吉賀地方に下向した吉見頼行が、
永仁3年(1295)から築城にかかり、約30年の歳月をついやして完成したと伝えられる。
山上をけずり削平地とし、山の峰つづきに堀切をつくった典型的な山城であった。
石垣構築は室町末期といわれる。

その間、吉見氏十一代正頼が天文23年(1554)、「三本松城の役」で
大内、益田、そして陶晴賢(すえはるたか)の大軍に山麓を包囲され、
この城で迎えうち100日間防戦し、耐え抜いた戦史がある。


吉見氏は関ヶ原の合戦で、毛利氏とともに西軍に付き、敗れたため、
毛利氏が防長2か国に押し込められると、吉見氏もしたがって萩へ退転。


その後、関ケ原の戦いの戦功で入城した坂崎出羽守成正は、慶長5年に津和野城に入城。
城郭の大改築をはかり、
本丸の北方約200mの山頂に側面防衛のための出丸である織部丸(おりべまる)を築いた。
今日残る遺構の大部分がこのとき築かれたものである。
もともと坂崎氏は宇喜多詮家(うきた あきいえ)と言った。
あの、大阪夏の陣のおり、大阪城から千姫を助け出した悲恋・悲劇の武将。
(家康の敵である宇喜多秀家の従弟だったため、家康が「坂崎」と名乗るよう命じた。)


また城の内堀は城山をめぐって流れていた津和野川をあてた。
亀井氏になって寛文年間(1661-1673)に現在の大橋から横掘までの約1kmにわたって外堀が掘られた。

吉見氏14代319年間、坂崎氏1代16年間。
しかし坂崎氏はいわゆる自らが助けた千姫への執着「千姫事件」が元で亡くなり、改易。

その後は、元和3年(1617年)因幡国鹿野藩より亀井政矩が4万3千石で入城。
明治維新まで亀井氏が11 代225年にわたり城主として在城した。
貞享3年(1686)に天守は落雷のため焼失し、
その後再建されることもなく、明治7年(1874)に石垣を残して解体された。


現在は太鼓谷稲成神社の参道からリフトによって約10分で頂上に達する。
城郭建造物は何もないが、全曲輪(くるわ)の石垣はほぼ完全な形で保存されている。

東部の高所が本丸跡、西のやや低い所が天守台、
また南門跡をつなぐ石垣は広壮であり、吉見氏後期に改築した大手ははぼ東北にある。

東門跡、三段櫓跡、腰曲輪跡の石垣は階段状に延々と連なって雄大である。
さらにその北方やや低い所に三本松平をへだてて、
普請奉行だった浮田織部の名をとった織部丸(出丸)があり、
この出丸から本編俯瞰映像は撮影された。

東麓には館跡や侍屋敷跡がある。
古城の旧態をよく保ち、ことに石組の堅固さ、雄大さは比類のないものである。

城跡は昭和17年(1942)10月に国の史跡に指定されており、
現在は公園として親しまれている。

津和野の町を展望するのには最適の場所であり、
北方になだらかな稜線をみせてそびえる青野山の山すそに広がる家並みと、
その中をゆるやかに流れる津和野川を一望できる。
歌子ちゃんたちが座っていた津和野大橋もJR山口線の鉄橋もはっきり見える。





津和野導入部分映像はこの図で書かれている北の「織部出丸」からの撮影だった。












津和野町後田  食堂  すさや





失意の寅は津和野に入ってからもやや不機嫌で



町中の食堂「すさや」で、うどんを食べながら「ナルト」を蹴散らしたりしている。



    



   




   「すさや」は、今は更地になっている。

   




   すさやの住所とストリートビュー  
https://goo.gl/maps/qQvFPP8SAb32

   
カメラ位置は津和野町後田ロ743付近

  



当事のすさやの女将さんは声だけで出演。

実際はあの店内は大船のセット撮影でしたので
女将さん役は谷よしのさんが演じられた。
一部の書物で女将さんが出演したとの記載があるが
女将さんは現地でも演技されたのだろうが、最終的には
あのシーンは大船セットで谷よしのさんを使って行われたので、
その記載は間違いである。

こういうことはよくあって

現地と大船のセット撮影どちらも試みてみるのだ。
きちんというと、現地でカメラワークなどを試して
それをセット撮影で再現するということだろうか。









「すさや」の間取りなどについての証言インタビュー

https://youtu.be/CEuCjBf-ryI




BGMで「三色すみれ」

   



歌子ちゃんと寅の再会シーンはこのシリーズの名シーンだ。





本編をたどってみよう。





歌子「図書館の鈴木ですけど・・・


歌子、店を見渡そうとして、寅に目が行く。

じっと見つめている寅。

寅を見つめる歌子。




           



しばし、見つめ合う二人。

寅、だんだん確信と喜びの表情に変わっていき、

遂に、寅「
はー!

と、笑って歌子を見る。


歌子、微笑み感動を押さえきれないようすで、
目をじっと合わせたまま静かに横に座る。



寅、満面の笑みで、軽く唾を飲み込み


寅「
歌子ちゃんじゃねえかぁ


歌子、静かに,優しく 
寅さんね…


寅、最高の笑顔で「
うん



                



歌子、信じられない顔で、そして感動しながら

歌子「
どうしたの?どうしてこんなとこにいるの?


歌子は微笑みながらも寅への視線は眩しいほど強い。
会いたかったのだろう。誰よりも寅に会いたかったのだ。


寅「
どうしてって、オレは旅の途中よ


歌子「
私、びっくりした…


と感極まり、泣いてしまう。





    「私、びっくりした…」
              



歌子にとって寅は自分の人生の扉を大きく開けてくれた
大切な人。忘れるわけがない。そして今歌子は更に人生の
大きな岐路に立たされているのだ。
この涙は、彼女の今背負っている悲しみの重さが暗示されていて
とても切ないシーン。

寅はこの時点で歌子の涙のわけは知らないで、懐かしさでいっぱい。


谷よしのさん、「ごめんなさい」と横を通って出前に行く。


寅「
あー…、そうかあれからもう2年にもなるかぁ〜

歌子小さな声で「
そうね

寅「
うん

寅「
ずっと元気だった?

歌子「
ええ

寅「
あれ…?多治見にいたんじゃなかったの?
  なんでまたこんなところに?


歌子「
ここね、

寅「
うん」 

歌子「
彼の実家があるの…声が静か

寅、うどんつつきながら

寅「
あー、そうかそうかそうか歌子ちゃん、
  あの、芸術家の青年と結婚したんだったっけな



歌子頷く

寅「
で、どう、彼と仲良くやってるかい?


歌子、下を僅かにむいて「
・・・・・・・・・」 

(カメラは歌子の斜め後ろ)



寅「
ん?


歌子の顔が映って



歌子、寅を見つめて、そして下を向き



小さな声で「
彼ね…」   


                



寅、ニコッと笑って「
うん、彼、どうしたぃ?




歌子「
死んだの……。

  去年の秋…病気でね





寅の背中「……




歌子、寅を見て僅かに微笑み、そして下を向く。
下を向いた歌子の顔は深い悲しみの色




歌子のテーマ流れる
『去年の秋…病気でね』のセリフと重なるように



長い沈黙






ロケ地調査に戻って



津和野はこのように哀しみの町なのだ。



歌子のテーマが流れる中


    津和野カトリック教会が見える風景。

    




映画本編で、このアングルを撮影したビルの屋上は個人経営のビルであることと
老朽化して立ち入り禁止のような状態だったので
そこから40メートルほど南西に歩いたある大きな旅館の3階あたりから許可を得て撮影した。

本来はもっと画像左からの撮影なのだ。
それゆえ、山の見え方や家屋の位置がかなりずれてしまっているのはご理解下さい。

カトリック教会が本編とほぼ同じような見え方をしているので
雰囲気は掴めるとは思う。



 




      
2016年 油彩 「津和野 教会の見える風景」 吉川孝昭

     



津和野カソリック教会

島根県鹿足郡津和野町後田ロ 66-7

内部は畳敷きで、鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会。
昭和6年、ドイツ人ヴェケレーによって建てられたもので、
城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物がひときわ目を引く。
隣接する乙女峠展示室では、
カトリックの殉教に関する歴史資料を展示。
国登録有形文化財。



   





そして歌子ちゃんは

寅といっしょに勤め先である藩校養老館敷地内の図書館に行く。



歌子ちゃんの勤める図書館


藩校養老館跡

殿町の東側津和野川に沿った一角で、
旧藩時代藩士の子弟の教育をしたところ。

津和野藩主亀井氏8代矩賢により、天明6年(1786)に創設され、
儒学、国学、医学、数学(和算)、礼学、兵学、武道等多彩な教科をもち、
文豪森鴎外や先哲西周をはじめ多くの俊才を生んでいる。
その後、11代茲監は嘉永2年(1848)に新たに国学や蘭医学を設け、
規模を拡大するともに人材育成に力を入れた。

ここは幾多俊才を輩出した藩校として名高く、
西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)、
福羽美静(国学者・明治天皇待講)、山辺丈夫(日本紡績業の父)、
小藤文次郎(日本地学界の祖)、高岡直吉(初代札幌市長)、堀藤十郎(中国の銅山王)、
福羽逸人(日本近代園芸の祖)、加部松園(国学者、「君が代」選定)等々、
後に全国に名を馳せた人物が学んだ。

現在は、建物の一部を民俗資料館として活用されている。

歌子ちゃんが勤めていたのは本来「古物の保管場所」として使われていた場所。
本当は図書館は門から入って左側だったらしい。

旧槍術教場は図書館に利用され、
書庫は古文書等を収蔵されていたらしい。


私たちが訪れたのは2016年4月だったが
この2017年から1年間は修築工事が行われるらしい。



   



   




    



    古物の保管所は今も中の窓や照明は同じような状態。

   




     

     


     




     藩校養老館の正門を出て行く二人

     



    






     




    島根県鹿足郡津和野町後田 殿町通り


   




    




     掘割に泳ぐ鯉

    



    住所 ストリートビュー https://goo.gl/maps/oFBWQbuzpqQ2
    


    



   
津和野川  津和野大橋のたもと。


歌子ちゃんは夫、
鈴木正圀の最後の1年を寅に語っていく。

   




   島根県鹿足郡津和野町後田ロ60-21  津和野川に架かるJR山口線の鉄橋


   



   上に記した津和野城跡出丸から見える歌子ちゃんと寅の座っていた場所(
赤丸)。
   手前にJR山口線鉄橋。向こうに津和野大橋。

    




歌子、しゃがんで当時のことを話す。


歌子「
多治見のお医者さんは入院させた方がいいっておしゃったんだけど
   彼がどうしてもいやだって言い張って、何度もそのことで喧嘩してるうちに
   お金は無くなるし、病気はどんどん悪くなるし、

   たまりかねて、実家に手紙出して、
   来てもらって…、無理やり汽車に押し込むようにして…この町の病院に
   入院させてね。

   すぐ手術したんだけど…手遅れだったの…


歌子、タンポポの種を「フッ」っと息を吹いて飛ばす。

寅、じっと聞いている。

歌子「
お医者さんは好きなようにさせたほうがいいって言うし、退院させてね、
   彼が子供の頃から暮らしていたお部屋を、病室にしたの…。
   庭先に大きな柿の木があって、あの柿の実はとっても甘くて美味しいから
   一番先に歌子に食べさせるんだって…、そう言ってたんだけど、結局…
   その柿の実がまだ赤くなりきらないうちに…(嗚咽に変わっていく)



寅「あんたも辛い思いをしたんだねえ…

歌子泣き続ける。

川の向こうから幼稚園児たちが「めだかの学校」を歌いながら橋を渡ってくる。
「♪めだかーのがっこうはー、かぁーわーのーなかー。
そーっとのぞいてみてごらん。そーっとのぞいてみてごらん。
みんなでおゆうぎしているよ。みんなでおゆうぎしているよ〜」


見るともなくそれらの風景を見る寅と歌子

寅、歌子の横に並ぶようにしゃがんで、

寅「
それから、この町に住むようになったんだね

教会の鐘が鳴る。

歌子「
一度は東京に帰ろうかと思ったんだけれど、色々みんなに
   お世話になったりしてそうもいかなくってね…。
   それに…正圀さんのお墓もここにあるし…


  っと立ち上がる。





    




   橋向こう、左に見えるのが津和野郷土館

   



   
★一番左に録音マイクが見えてしまっている^^;
   



  下からのちょうど良い高さの脚立で撮影したと思われる。脚立はないのでかなり下からの撮影になった。

   




ストリートビュー
https://goo.gl/maps/PKt5BBhcUjK2




そして





その後二人はバス停近くでたたずむ?



バスを待っているのか・・・。??





この石垣と山が見えるシーンは、唯一、現地で最後まで発見出来なかったが
東京に戻ってから、このシーンが
お墓参りだということがわかったのだ。
これを読んでいる方の中でこのシーンがお墓参りのシーンだと気づいていらっしゃった方は
何人いるだろうか。


    




良く見ていただきたい。

歌子ちゃんが
夫である正圀さんのお墓に手を合わせて拝んでいる。↓

    



この画像ではわかりにくいが、歌子ちゃんが立ち上がったあと、
線香の煙も立ち昇っているのだ。(水色の部分)
この画像ではわからないが、映像で見るとよくわかる。


    


つまりこのシーンはバス停近くではなく「
墓地」なのだ。



どおりで
バス停からの山の形と違うわけだ。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ


現地で私が探した場所は
あくまでも歌子ちゃんと寅が別れるバス停(もちろん山田組の作ったバス停)近くばかり。
バス停から見える山。
まったく形が違う山だった。


このバス停近くから見える山は映画本編とは似ていない山だった。


    


ゆえに益田と津和野ロケ調査ではこの土地だけ不明のままになった。

で、東京に戻ってからインターネットであの青野山の形を探してみると
町中からいくつかあの山が映っている画像を発見した。


このように↓津和野の町からも青野山の上の方は見えている。
現地ではなかなか気づかなかった(ノ_-;)ハア…

    




で、「
青野山」は意外に
津和野の町中からでもたいていは見ることが出来るシンボル的な山だと判明したので
東京に戻ってからストリートビューで探索!

町中の地面から一番映画本編に近い形はこのあたり。↓津和野駅のやや南。(ストリートビュー)
しかしこの地べたからだと中腹までは当然ながら見えない。




ということは町中よりもやや高台というか高いところからの撮影と考えなければならない。

そして津和野駅から北に向かうとこの「青野山」はすぐに手前の山に隠れてしまうのだ。
つまり「青野山」があの映画のように見える位置は駅の南の方。そして高台。そして「墓地!」
そうなるとこの赤囲いのエリアに絞られる。↓

このことが、現地で気づいていれば、おそらく1時間以内に場所を見つけることが
出来たと思うが、もう東京に戻ってからではストリートビューに頼るしかないのである。


    
 この高台and南エリアの中に青野山が中腹まで見える墓地があるはず
    



で、この赤丸の中でお墓はいくつもある。

光明寺

大定院

永太院

永明寺

太皷谷稲成神社


このあたり。

しかし、現地なら片っ端から墓地に行けばいいのだろうが、
ここはもう東京。
ストリートビュー当然ながら墓地などには行かない。
まあ、せいぜいお寺の前までしか通っていないので
寺のお墓がある高台からの風景は遠目でしか見ることが出来ない。

まずこうなると
発見は難しいかなって思ってはいた。

で、ひとつひとつ
お寺の石垣や山の見え方お墓の囲いなどを見て行ったら

この風景が目の前に出てきた。


ピンと来た!


かなりの高い石垣。
青野山が良く見えそうな位置。 永明寺




しかしここからが難しい。
なぜならストリートビューはお墓の近くに走っていないからだ。
遠くからのみで判断せねばならない。

ただ、奇跡的にこのお寺永明寺は横の道にもストリートビューが
走ってくれていたのだ!







石垣 お墓 お墓の柵 石灯篭・・を次々にチェックして行った。




ストリートビューから見えるあのお墓がなんと歌子ちゃんたちがいた正圀さんのお墓だったのである。





石垣の物証は修築していなかったので今も完璧だった。


世界初登頂!





ストリートビューは地べたのみしか走っていないので
山の見え方が本編とは違うが十分に本編と同じに見えるであろうことが想像できる。





     真横から本編の階段も見える。

     



   永明寺本堂はかなり奥に引っ込んでいる。お墓は前の道の近く。

    



永明寺のお墓のストリートビュー 
ピンポイント
https://goo.gl/maps/f3g7VCD4qDo



これで現地で探せなかったリベンジが果たせた。世界初登頂

温泉津と津和野全て全地域制覇となった。



    



■ 温泉津全踏破レポートはこちら↓
   http://www.yoshikawatakaaki.com//lang-jap/yunotu01.html


 追記



  その後・・・ 2017年5月4日 寅友のちびとらさん父子が現地へ赴き、この写真を撮影されました。↓

  

  







そしてあの別れのバス停

山陰道から津和野へ入る分かれ道。


川向こうに津和野駅が見える。



  



大きな木が成長していたのでジャストの位置からは撮影できないゆえ、やや左にずらせて撮影






      民家があまりないので、このバス停は偽物。

    



バス停はもう少し右にあるが大木が邪魔で左に寄って撮影。石州瓦の町だ。オレンジが一面に美しい。
駅舎も家々もいろいろ変わったが駅向こうに見えるお寺や山々は今も同じ。
高羽アングル左方向撮影。




バス停の 住所 ストリートビュー
https://goo.gl/maps/SVdypewrJay




     






     


霧が立ちこめていた。 
高羽アングル右方向撮影
    





本編を再現してみよう。



丘の上にある津和野のバス停


津和野交通(小郡−津和野)

トンビが『ピ〜ヒョロロ』っと鳴いている。

眼下に町や鉄道が見える。

ゆっくりと
歌子のテーマ流れる。

ガードレールに軽く腰をかけている寅

歌子、そっと寅を見、

そして少しまた下を向き…

歌子「
寅さんに会えて嬉しかった…。とっても嬉しかった。

歌子ちゃんの発言は柴又慕情の時からいつも真剣。
常にギリギリの心で真正直に生きているから言葉に気持ちが入る。
だからこそこの何気ないこの言葉に胸が締め付けられる。



沈黙の後


寅「
オレ……もしなんだったら…この町にあと2、3日
  泊まってってもいいんだけどなあ…


寅は歌子ちゃんの気配から彼女が自分を今必要としていることを
察したのだろう。寅にとってはとても思い切った言葉だった。



歌子、首を振りながら「
いいのよ、

寅「
え?

歌子「
私のためにそんなことさせちゃ悪いわ…


この言葉のニュアンスは「ほんとはいてほしい」と
いう感じ。寅は、このことを分かったのだろうか。




              



歌子「
寅さん旅の途中なんでしょ?…


寅「
……


歌子「
これから山口へ行って…、それからどこへ?


寅「
うん、・・・まあ、山陽路から、
  広島、呉、三原、尾道。



歌子うなづく


寅「
それから、取って返して、
  下関、小倉、博多、唐津…



歌子「
いいわねえ…、私もそんな旅したいなあ…


歌子の「いいわねえ…私もそんな旅したい」という言葉は哀しかった…。


この渥美さんのセリフ、ただ単に地名を言っていくだけなんだけれど、
この時のセリフ回しと表情は強烈に印象に残っている。

誰もが憧れる放浪の旅。

しかし、寅の孤独や貧困もその中に見え隠れしている。
渥美さんは、あの短いセリフの中に
見事にそれを表現していた。この何気ないセリフは、ある意味このシリーズの
名セリフのひとつだと思う。短いが『寅のアリア』のひとつと言ってもいい。



歌子ちゃんは閉塞感を抱えている。そのことを無意識に訴えている。
もちろん彼女の表層意識には表れていないので、
彼女自身にはっきりとした自覚はないかもしれない。



路線バスの警笛が聞こえて来る。遠くにバスが見える。


歌子ちゃん、バスを見て僅かに怯えた目をする。
しかし寅には見えない。



寅もあまりにも名残が惜しい。これでいいのか、このまま簡単に
別れてしまっていいのか、という思いでいっぱいになる。

寅、思い切って聞く。



寅「
歌子ちゃん

歌子「
え?

寅「
今、幸せかい?

歌子ちゃん、言葉に詰まりながら

歌子「
…ええ」と頷く。

寅「
なにか困ったことないかね

歌子ちゃん、かなり間があって

歌子、下を向き、「
いいえ…


歌子ちゃんのこの返答も何かを訴えかけている。
空気を読むのが天才的に上手い寅だが、
突然のことでいろいろ躊躇してしまっているのだろう。
自分がここに長居することで逆に迷惑が歌子ちゃんにかかるかも
しれないとも考えてしまっているのだろうか…。

バスが目の前にやって来てドアが開く。

歌子ちゃんの目が、寅に何かを訴えかけているが、
寅は気づかない…。
いや、気づいているがどうすることも出来ないのだろう。





          





ドアのところで


寅「
もし何かあったら葛飾柴又のとらやに
  訪ねて来な、悪いようにはしないから



ここで伝家の宝刀、大きな切り札をしっかり切る寅。



歌子、顔が少し明るくなり、しっかりと頷く。

      


この寅の最後の言葉が
歌子ちゃんのこのあとの運命を大きく変えていく。



自動扉が閉まって、バスが歌子から遠ざかっていく。
いつまでもいつまでも手を振り続ける歌子。
それに答えるように寅もバスの最後部から手を振り続ける。
姿が消え入りそうになってもまだ手を大きく振る歌子のその
心は寅の心に突き刺さったはず。

点のように小さく見える歌子の姿はあまりにも寂しく、哀しげだった。


この長いシリーズの中でも屈指の名場面のひとつだと思う。


       



寅はこの時、歌子ちゃんの内なる願いを完全には読み取れなかった。
やはりそこには夫を失ったばかりの歌子ちゃんへの遠慮があったのだろう。

しかし歌子ちゃんは人生の大きな岐路に立っている。
最後は、寅がいようがいまいが自分の決断で飛び出すしかないのだ。
大切なのは最初の第一歩。見る前に飛ばねばならない。

あの「柴又慕情」での、正圀との結婚を決めた題経寺の夜のように、
最初の第一歩をもう一度自分で決断するしかない。
それは、さくらも博も、寅でさえ関与できない、厳しい人生の決断なの
だろう。

しかしそれでも、何かのきっかけは必要だ。それが寅のあの言葉
もし何かあったら葛飾柴又のとらやに訪ねて来な、悪いようにはしないから」だった。
真っ暗な部屋にほんの少し光が射した瞬間だった。



ちなみに、この先このシリーズでこの言葉は時々使われる。
そしてこの言葉を信じて何人かのマドンナたちがとらやにやって来るようになる。
さくらやおばちゃんたちの多大な犠牲の元にマドンナ救出行動が行われることを
当のマドンナたちは心底理解しているのだろうか。




この別れのシーンが
第13作「恋やつれ」前半のクライマックスだった。






さてロケ地調査に戻ろう。




バスの方向からして再度益田の方角だ。

寅の予定的には北上するわけがない。


寅は広島、尾道と、山陽路を行くのだから本当は逆。

映画のご都合主義。



    



もちろん、こんな人家があまりないところにもともとバス停などはない。山田組が作ったのである。

    





バス停住所↓

ストリートビュー
https://goo.gl/maps/SVdypewrJay



このバス停正面は現在大木で隠れてしまっている。

   




このアングルもかなり家々が変わってしまった。
バス停はちょうど大きな木のあたり川の橋の延長上だが
だが風景が隠れてしまうので
ここでもやや右にずらして駅付近の風景を撮影した。

   



大木のすぐ左あたりに橋が見える。








  
  

   橋、お寺などでバス停の位置がわかる。

   




   



    一脚を2メートル上に伸ばしてバスの高さで撮影。

    



これは普通に地べたから撮影。






津和野の別れ。バスの窓から撮影再現

  

動画再現
https://youtu.be/c6EauOkZGio




一人取り残された歌子ちゃん。

自転車に乗りながらも悶々としていたに違いない。





亡き夫、正圀さんの実家 酒蔵



そして歌子ちゃんは亡き夫のあまり居心地の良くない実家に帰っていくのだった。

    



酒蔵の間を入っていく歌子ちゃん。
うまり正圀さんの実家は大きな酒蔵(ロケは古橋酒造)だったのだ。

これは小手寅さんが以前
世界初登頂されている。
ここはわからない場所だったので彼は大金星だったのだ。





これは小手寅さんがかつて世界初登頂の際に写した証拠写真↓





そしてこの「古橋酒造」の裏倉庫を入って行ってもこんな状態。┐('〜`;)┌
ほんとうにただの倉庫があるだけ。
歌子ちゃんが自転車を押してこんな中に入って行ったのだ。

つまり外の道沿いと、中に入ってからは別の家!

     





古橋酒造の裏の倉庫付近の住所 津和野町後田ロ193-3

    




じゃあ、あの中に入ってからはどこだ?



     



実は、この表通りには実はもうふたつ「橋本酒造」と「華泉酒造」という酒蔵がある。

実は道は「
古橋酒造」入り口を入ってからのから中のロケは
華泉酒造」の裏の方にある、酒蔵の敷地内通路で行われていたのだ。
おそらくこの酒蔵がある私有地通路は華泉酒造の私有地なのかもしれない。
今回時間不足で取材出来なかったので華泉酒造の通路なのかは断定は出来ないが
位置的には華泉酒造の真裏の通路だ。

     


この地域の組合でロケを決める時に
二つの酒蔵を使うことで
名前が集中することを避けたようだ。


この2つの発見は小手寅さんのお手柄。



左で曲がってこの壁沿いに中に入って行く。現在は左に駐車場、そして途中、門も出来てしまっている。






今はもうこのように↓通路の中間で門と屋根が出来てしまっている。この後、あの門の中に入らせていただいた。






  道からみるとこうなる。オレンジの
石州瓦で曲がる。

  



       
2つの酒蔵の位置とロケ現場。
         
最初は黄色線自転車、門をくぐってからは赤線歩き
       






で、このシーン↓

悶々とした気持ちで 居心地の良くない実家に入っていく歌子ちゃんだった。

         



これは上に記した「古橋酒造の酒蔵」とはまったく別の
「華泉酒造」の裏方面and裏の自宅お勝手側でのロケ。
撮影隊は撮影当事この白壁を見せたかったのだろう。


さきほどの中間にある「門」をくぐらせていただき、中を撮影する。↓


今はこのような屋根が付いてしまっている。┐(´-`)┌(許可を得ています)

   



向こうに見える小屋や家が大きな物証となる。(許可を得ています)

 



        しかし、あの陰険な姑なんとかならんか・・・・

        あれじゃ東京へ行きたくなるよな。


        
っていうか、夫がいなくなった夫の実家に
        もうこれ以上滞在する必要はないだろう。
        あの亡き夫の家族たちは、
        残された歌子ちゃんを
        『労働力]として使ってるんじゃないだろうな・・・。
        あの姑の言い方から考えると歌子ちゃんは少なくとも
        あの姑にはまったく愛されてはいない。

        もともと歌子ちゃんは負い目を感じる必要はない。
        ここは夫の実家。
        自分の息子や弟の面倒を実家の人たちが見るのは当たり前。
        歌子ちゃんは多治見に住んでいたのだから
        津和野には縁は薄いのだ。

        四十九日もとうに終わり、
        この縁薄き、いわば夫亡き他人の家に味気なくこのまま住み続けるには
        彼女はあまりも若く、感覚が鋭敏で、未来がありすぎるのである。




        歌子ちゃんは、やや暗い気持ちで母屋の裏口へ向かっている。

    
   

       
この家の母屋の裏口付近は今も面影が残っている。
       


       
2つの酒蔵の位置とロケ現場 黄色線が自転車 赤線が歩き
       




以上津和野ロケ 完全踏破レポートでした。

■ 温泉津全踏破レポートはこちら↓
   http://www.yoshikawatakaaki.com//lang-jap/yunotu01.html





次回はいよいよ
昨年5月に行った奥琵琶湖と長浜ロケ完全踏破レポートだ。
第47作「拝啓車寅次郎様」本編完全版前編を
作業しながらの同時進行になるので、
奥琵琶湖長浜レポートはおそらく2月7日前後。
第47作「拝啓車寅次郎様」本編完全版前編は2月中旬ごろ。


[その他今後の予定]

■昨年7月に行った第22作「噂の寅次郎」
  川根、塩郷、蓬莱橋SL街道ロケ地レポート
  2月下旬にアップ。


■昨年12月に行った第16作、第24作、第41作、第28作の全ラストシーン
 西伊豆と焼津調査レポートを3月上旬にアップ。


■3月下旬に第47作「拝啓車寅次郎様」全編完結