第1作 男はつらいよ

 温泉津ロケ地調査完全制覇レポート












1974年8月3日封切り




第13作「寅次郎恋やつれ」 温泉津ロケ地調査 2016年4月







今回、このレポートの順番は調査の際の流れではなく
映画本編の時系列通りに紹介してみました。



寅はこの作品では冒頭、
ある一定期間旅館で「番頭」をしていたことになっている。
場所は、山陰島根の「温泉津(ゆのつ)」の旅館。

その温泉地「温泉津」の窯場で働いていた健気で美しい子連れの「絹代さん」と言う女性に
恋をし、一人よがりにひょっとして結婚できるのではないかと思い込んでしまった寅が、
いったん柴又へ戻り「重大発表」をした後で、さくらと社長を従えて
再び遠路温泉津に凱旋したはいいが、
蒸発していて行方がわからなかった絹代さんの亭主が数日前に舞い戻ってきて
寅はあえなく瞬殺で撃沈してしまうという、さくらたちも巻き込んだ大掛かりな失恋だった。


それでは悲しみの土地「温泉津」全踏破レポートを紹介しよう。


同行してくださったのは大事な寅さん仲間の龍野在住の「小手寅さん」こと江見さん。




  まずは山陰本線風景




     山陰本線が通る。キハ20系

     



     「キ」=気動車(電気モーターではなく、エンジンを使って走る車両)で運転台 エンジン付きの車両
     「ハ」=普通車




     現在撮影当事の高台にあった足場は森で覆われかつ、完全な囲いがある私有地。
    もうその高台からは撮影出来ない。

    20〜30メートルほど離れた踏切から撮影。

     



     





      場所はここ↓「馬路駅」すぐそば


      








そして映像は車内に変わる。









    寅が蟹弁当を注文するシーンでの車窓風景


    





     世界初登頂  線路がある土手に上がって線路横から撮影。

    










    




   世界初登頂

   









   




    家が建ち並びこの風景は線路からは撮影できなくなったので海岸まで近づいて撮影↓

  
 世界初登頂

   







      場所はここ↓
    最初の場所「馬路駅」よりもぐんと東に戻ってしまっている┐('〜`;)┌。



   大田市仁摩町宅野付近

    




   相変わらず電車の風景は時系列通りには撮影していないことがわかる。┐('〜`;)┌









   温泉津駅に着く3人。




    




     ジャストの高羽アングルはこのあたり。現在は待合室ができてしまって
    ホーム上でのジャストアングル撮影がやっかいになっている。


     




     広めに引いて撮影するとこうなる。

    




     やや、アップにするとこうなる。


     











   



    











    




    かなり変わったがホームの側面は同じ。木の電柱も同じかな。

    








     温泉津町中のロケ地マップ

     






タクシーに乗った3人は、
温泉津の町を通過し、温泉津温泉地に入っていく。






    




    撮影から40年経ったが、町中はけっこう今も同じ家が半分以上残っている。

    










    




    大きな流れ的にはあまり変化はない。あの看板も作り変えられながらも今も健在!

    









    



    このあたりも、改築されながらも構造は今も同じ。

    












    



    温泉津温泉へ入って行く。そこそこ家並みは同じ。

    














  龍御前神社

  丘の一番上の「奥宮」からの眺め。





   ここは世界初登頂!


    



    




     




     







温泉地の、真ん中あたり、
吉田屋があり、後楽があり、山形屋があり、薬師湯がある。





    



    






   このように寅が後楽の番頭をしていたシーンもきちんと撮影されていたが、大人の事情と尺の事情でカット!
   本編の寅の一人語りで出てくる「玄関前の打ち水」のシーンだろうか。

   




    たった数秒のために光映子さんもロケに参加! おそらく後楽での番頭シーンでも絡みがあったと思われる。

    



    








     このアングルもピンポイント撮影としては世界初登頂!


    



    









    





     同じくピンポイント撮影としては世界初登頂

     








温泉津温泉を行く 動画
https://youtu.be/f7_G_I3ZwYA












    



    この小さなトンネルは今も健在。近場の家はなくなっていた。

    











    




    トンネルを抜けてしばらく行くと窯場が見えてくる。2つある登り窯は今も同じ位置。 その横の階段と作業小屋は作り直されてしまっていた。

    















    




    おそらく登り窯の壁は今も昔も同じ。柱も同じだが柱の構造は変えてある。階段と周りの小屋が激変。

    



温泉津焼は江戸時代、宝永年間(1704-1708)に3窯が開かれたと伝えられる。

その後、石見焼江津地区の職人により技術改良が加えられ、
幕末から明治にかけて数多く生産された。

石見銀山の銀の積み出し・交易港としても栄えた温泉津港はリアス式海岸。
大型船舶の寄港可能な天然の良港で、
はんど」と呼ばれる水がめに代表される温泉津焼がここから全国へ積み出された。


    「石見焼窯場」の看板

    現在は江津は「石見焼」温泉津は「温泉津焼」となっている。

    




    現在は温泉津は「温泉津焼」として統一している。

    










    



    









    



    



    





絹代「寅さん!

寅「
うん!

絹代「
あのね

寅「
うん

絹代「
主人がね

寅「
うん

絹代「
主人がおととい帰ってきたですよ!ハアハア・・
   あんまり突然で私もビックリしてしもうて。
   でも思うたより元気にしとうてね。
   あ…、いろいろご心配かけてすみませんでした。


と頭を下げる。

寅、一瞬「…」ちらっとさくらを見て…

寅「
そうか・・そりゃ本当によかったな

絹代「
すぐ寅さんに知らせよう思うたら、なんか東京の方に帰っとんさるとかで







    



    



    









    



     





さくら良かったねお兄ちゃん…

良かった…フフ…良かったよ



さくら、そんな寅のことを気遣い、複雑な気持ちで
向こうに歩いていく寅を見ている。辛い…



それにしても、この絹代さんは、なぜ、こんなにも明るく笑えるのだろうか?
おととい帰ってきた3年蒸発してた夫をたった2日間で許し、
何のわだかまりもなく一緒に住んでいるのだろうか。
その夫が別の場所で過ごした空白の3年間を
どう思っているのだろうか?






     ともあれ、この窯場で寅は絹代さんにあっけなく失恋したのだった。




   大失恋の翌早朝





    この早朝風景も、導入部分の俯瞰同様、龍御前神社の旧本殿の敷地。

  世界初登頂!



    



    




   龍御前神社の旧本殿近くの坂道。

    








   同じく早朝風景


    



    





      





置手紙

さくら、俺は一足先に旅に出る。お前気をつけて帰れよ。
わざわざ遠くまで引っ張り出してわるかったな  兄より






絹代さんに失恋した寅は置手紙を残し早朝にそっと旅だってしまう。




さくらと社長は温泉津駅で松江方面の電車を待つ。





    これは龍野導入部分とほぼ同じアングル。

    



   



    







    遠路はるばるやって来て、挙句の果ての大失恋劇は、
    寅だけでなくさくらの心にも空虚感を作ってしまっていた。




      






     中学校校庭  ドイツのマーチ「旧友を演奏。




   校庭自体が西から東に移動してしまってるので違ってしまっている。
   現在は「NPO法人 障害者自立支援事業所 どんぐりどんぐり」
   まあ今の校庭を紹介するので当事の雰囲気を味わってもらおう。





      



     



     













    




   待合室がカメラの背中側に建ってしまっているので、これ以上引きができない。この位置からの撮影が限度。

    









    




    こちらも同じ。待合室があるゆえに当事のさくらたちの位置からの撮影は出来ない。ずらして撮影。


    





    松江方面来ました! 懐かしの「キハ58系

    





    本編同様 松江、出雲方面行き電車が来た。このように「待合室」ができてしまっているので本編通りには撮影できず。


    






    



    そして駅向こうからの俯瞰。






   




   
    
1975年航空撮影


     



     グラウンドは西から東へかなり大きく移動してしまっていることがこれでわかる。
   現在はNPO法人が運営している。


     




     現在のグラウンドのずいぶん西の方にグラウンドがったことが航空写真でわかる。
    当事のカメラ位置は木々が覆いかぶさりまったく撮影は無理だったので
    東に20メートルほどずらして撮影してみた。


    
世界初登頂

     




      





   ここは現在の新グラウンド。

   ここも実は木々が生い茂り撮影が非常に困難だったが、1脚を目いっぱい伸ばし、撮影してみた。
   向こうの線路と家々。校舎は上に説明した通り、まったく間逆の西に移動している。


   





ブラスバンドの演奏が続く

さくらはなぜ、ブラスバンドの演奏をあんなにも見、そして聴いていたのだろうか。

柴又でのすったもんだの大騒動のあげく、タコ社長にも手伝ってもらっての、
温泉津入り。そしていきなりの失恋。寅の置手紙。
過去、色々な場所に寅を迎えに行き、気疲れしたさくらだが、このような失望感を
感じて現地を離れることはなかった。
心の置き所がないのは寅ばかりではない。さくらも今回ばかりは心をどう整理して
いいのか分からないのである。

なにをやっても上手くいかない兄の恋愛。虚脱感を伴ないながら空白の時間を
さまよう心にふと、拙いが穢れのない子供達の演奏が入ってくる。自分もその
幼き日々、音楽が好きで、歌うことが好きで、無心に好きなことだけを考えていた
時代があったことがふと蘇ってきたのだろう。兄のこと、自分たちの幼き日のこと、
かつての自分の夢、そのようなものがあの音とあの子供達の姿ともに頭の中を
駆け抜けていったのかもしれない。そして、僅かだが心が潤い、慰められて
いったのだろう。

これがプロの演奏ではダメなのである。
無心で演奏する子供達だからこそ心に入り込んでくることもあるのだ。
あのしばしの空白の時間はさくらには意味のある時間だったと思う。









    傷心の寅は、ひとりで西へ西へ流れてゆく。








    そして美しい石見福光(いわみふくみつ)海岸


    





    





    撮影当事の高台のカメラ撮影足場はもう今は森林に覆われてしまっているので
   赤い丸の場所からずらして撮影。


    





    1975年の航空写真 黄色丸が当事のカメラ撮影場所だと思われる。
   現在は森林に覆われている。


    





2017年6月 訂正です!!

この俯瞰風景は福光海岸ではなく
なんと浅利海岸でした!



手前の岩群が完全な物証!!







岡山の竜胆さんからのメールで
山陰地方をバイクで旅したおりに撮影された写真を整理しているときに
発見されました。
岡山の竜胆さんありがとうございますm(_ _)m




地図的にはここです↓ 石見福光海岸から車で10分約10キロ西です。










 そして、ここから石見福光海岸!!↓


    




    寅が座っていた場所の地形はかなり変わってフラットになってしまっている。


    









   福光海岸脇の曲がり角



   



    






     場所はここ↓


     












物語がぐんと進んで 



本編の後半


再度絹代さん一家の姿が「お便り」とともに次々に映し出される。






絹代のテーマが流れる。




絹代さんの声で



寅さんその後お変わりありませんか。
突然この町をお発ちになってしまって
どうしたのかと心配しておりましたが、



雨の中絹代さんと子供が学校から橋を渡り、道を歩き、窯場へ歩いて行く。


妹様のお手紙でご無事に実家にお帰りに
なったことを知ってほっといたしました。






    





  龍御前神社

  丘の一番上の「奥宮」からの眺め。





    世界初登頂

    




    





   雨の日の絹代さん母子


   世界初登頂

   




    








     



      




      温泉津駅からのタクシーが海沿いを曲がっていくこのカット↓のすぐそばにこの雨の日の橋がある。

     



      








    橋のすぐ近く 歩いて3分の場所。


   
世界初登頂

     




    右の壁は修理中だった。左の壁は健在

    




      雨の日の絹代さん母子の歩くロケ地

     











   再びの窯場







絹代さん、窯場で壷を窯に入れている。


手紙の続き↓


私ども親子も元気で暮らしています。
主人も心を入れ替えて働く気になってくれております。
これも皆々様のお陰でございます。
梅雨の季節に向けご家族の皆々様
お体をお大事にお過ごしくださいませ。 かしこ



さくらは温泉津に手紙出したんだね。優しいな。


こういうところの演出が実に決め細やか。






    



    







    



    









    




    このアングルで見るとわかるのだが、柱自体は同じものを使ってはいるが、かなり構造が変更されている。

    










    




    微妙に構造に変化があるため、だいたいのところで撮影。

    





以上、温泉津とその周辺の調査のレポートを
映画本編の時系列通りに紹介してみました。








次回は 「益田と津和野」全踏破レポートです。
おそらく2月中旬ごろになると思います。