2004年4月1日 東京春物語  柴又界隈

 4月1日、午前中に展覧会の打ち合わせを済ませて、家族でいよいよわが心の柴又に向かう。今日も快晴でどこもかしこも桜が満開だ。柴又は
 駒込で中学校の先生をしていたころよく宮嶋と二人で訪れたが、そのあと、息子が生まれ、かつ、バリに行ってしまって少し縁が遠ざかって
 いたが、今回「男はつらいよ」の舞台を息子に見せてやりたくて超久しぶりに来たのだった。さすがに柴又駅はずいぶん雰囲気が変わっていた。
 駅前も帝釈様の参道も、高木屋も大和家もなんとなく新しくなっていた。息子はそこら中に映画によく出てきた建物や場所があるので、
 そこに立ってはそのシーンを再現したり、写真を撮ったり大はしゃぎだった。私も懐かしい第2のふるさとに帰ってきたような気分になり、
 感無量でやっぱりはしゃいでしまっていた。来るたびにひなびた感じがこの町から失われていくのは少し寂しい気がするが、地元の人にとっては
 いろいろな施設が出来たり、道が整備されたり、店がリニューアルされたりして活気があっていいのだろう。帝釈様の中に入って源ちゃんを
 さがしたり、参道で自転車に乗った備後屋さんを探したがやっぱり当たり前だがいなかった(^^;)
 あとは写真を見ながらそれぞれの場所を紹介していきましょう。「男はつらいよ」に興味の無い方は退屈でしょうからどうぞ飛ばしてください。




 シリーズ中実に頻繁に出てくる柴又駅。さくらが博を追いかけたあの第1作のころの柴又駅と比べるとずいぶん小奇麗になり、自動改札にもなっ
 てしまった。駅前は石が敷き詰められたりしてずいぶん変わった。恋をした満男がこの改札のところで目を潤ませながら、「ほんとうは僕も伯父
 さんといっしょに旅に行ってしまいたい。」と言っていたことを昨日のことのように思い出す。右の写真はすっかり有名になった車寅次郎の銅像。

         





 左は第1作のオープニングに出てきたモノトーンの参道風景の最初のカットがとられた場所。私は昔の柴又を象徴するあのシーンが大好きだ。
 第1作から35年経つが、当時の雰囲気がまだ少し残っていたのがなんとも嬉しかった。ちょっと向こうに「恋愛塾」で民夫が間違って入ってしまった
 鰻の田中屋さんが見える。 右の写真は参道の真ん中あたり。映画にしょちゅう映っている高木屋さん。ここのおでんと焼団子はうまい!この店
 は山田組の人たちの柴又ロケ時の拠点にもなっていたことはあまりにも有名。この店がとらやのイメージのモデルになったのは言うまでもない。


          





 高木屋は以前来た時よりずいぶん変わっていた。家族3人で、おでん、焼団子、磯乙女、ところてん、クリームあんみつ、草団子を食べる。
 おでんのハンペン、厚揚げ美味い!山田組の休憩所だけあって数々の記念写真が飾ってあるのだ。右の写真は川魚料理の「川千家」。
 第23作「翔んでる寅次郎」で桃井かおりさんと布施明さんが披露宴を行った店。(寅が仲人)

         





  高木屋の近くに「とらや」がある。昔は「しばまたや」と言った。それが途中から映画の名前を勝手に使い出して、事はややこしくなっていく…。
  第1作から数作はこの店先もロケで使われた。当時の階段が保存されていた。店内に食券の自動販売機が置いてあるのも時代の流れか。
        





 帝釈様(題経寺)の門、この前でいつも源ちゃんが掃除をしたり、さくらが御前様と寅のことを話したりしていた。この門の柱によく「寅のバカ」とか
 「スケベ」とかチョークで書かれていたことも思い出す。このあたりは数えればきりが無いほどの物語が展開された場所だ。
 また題経寺外構の石柱には寄進した人々の名が多く刻まれている。(追記参照)

              





 左の写真の向こうにある鰻の店「宮川」は「寅次郎恋歌」で出てくる喫茶店「ローク」のあったところ。この喫茶店は第8作の後もずっとロークのまま
 ずいぶん後の方まで実際に営業していた。この帝釈様の曲がり角のあたりでもさくらと寅の名場面がもう幾度となく繰り広げられた。特に「続男は
 つらいよ」と「純情篇」でのこの場所での会話が印象深い(詳しくは『男はつらいよ.覚え書ノート』を見て下さい)右は題経寺境内。第1作を初め、この
 場所も数え切れないほどのドラマが生まれた。特に「寅次郎恋歌」での貴子さんとの出会いは印象的。

         




 鐘撞き台の下。この扉を開けて源ちゃんが毎夕鐘を撞いていた。「相合い傘」の『メロン騒動』のあと寅が源ちゃんにラーメンを持ってこさせて隠
 れて食べていたのもこの扉の中。(真似をする息子)右は第1作で寅が二十年ぶりに御前様に遭った場所。境内の隅。(まといを持ちながら御前
 様と話をする寅を真似る息子)

          




 柴又に来たら必ずみんな寄る、「寅さん記念館」の中。大船撮影所から移されてきたとらやのセットでオチャラケる息子。右はリリーが唯一出した
 シングルレコード『夜明けのリリー』「島の娘はリリー、リリーのバラード、レッツゴーリリー」これも記念館に展示されている。
 

         





 左の写真は川魚料理で有名な割烹料亭「川甚」ここでさくらと博の結婚式、披露宴が行われた。また、寅の小学校の同窓会もここで行われた。
 仲人のくせに結婚式に遅れそうになり、スクーターでこの玄関に突っ込んだシーンが印象的だった。右は御前様が経営する「ルンビニ―幼稚園」
 満男もこの幼稚園卒業。「新.男はつらいよ」のマドンナ春子先生もここの先生。
 

             





 春のうららの江戸川土手。寅によると昔はこの土手中桜並木があったという。今は10本ほどがアクセント程度に植えてある。それでも見事に満開に
 なっていた。土手は以前来た時よりもいっそう小奇麗になり、寅が映画のなかで釣りをしていた頃の風情はなくなりつつある。右の写真は、
 よく朝日印刷の工員達が野球をしたグラウンド群のひとつ。マドンナも時々一緒に野球をしていた。「葛飾立志篇」の礼子さん、「寅次郎恋愛塾」の
 若菜さん、など。若菜さんは特大のヒットを打っていた。

              



 お馴染み、「矢切りの渡し」渡し舟のおじさんの話によるとこの船の管轄は向こう岸の千葉県だそうだ。渡りきると「野菊の墓」まで徒歩30分だ。
 片道まだ100円くらい。(往復200円だったかな)思ったよりたくさんの人が乗っていた。そういえば映画でも5回ほどこの渡しに乗って、故郷
 柴又に帰る寅次郎の姿が映し出されていた。ここの歌を歌った細川たかしも特別出演していたなぁ。夕方遅くなってもなかなか人が
 ひかないので渡しのおじさんたちは困っていた。おじさんと長話をしてしまう。もう今度こそこれが最後だ。って言って漕いでいった。
 お疲れ様。息子と宮嶋はこの船着場の近くでヨモギを採っていた。

                     


 


 柴又駅のホーム。第1作、さくらが博を追いかけてこのホームで追いつくのだ。あと、シリーズ屈指の名場面「純情篇」でのさくらと寅次郎の
 ホームでの別れ。「ハイビスカスの花」でのリリーとの別れ。その他もろもろの別れがこのホームで繰り広げられた。右の写真はホームの端。
 この場所は「口笛を吹く寅次郎」で朋子さんと寅次郎の名シーンが撮られたところ。あの時の竹下景子さんは可哀想だった。罪な男だ。

             



石柱

追記:

先日、『男はつらいよ』の大ファンであられる埼玉県在住の石井さんより、お便りとともに題経寺訪問時の石柱のお写真↓をいただきました。
掲載のご許可を得ましたので、ここに掲載させていただきます。

題経寺外構の石柱には御存知のように渥美さんや倍賞さんをはじめ、数々の有名人が寄進されているのもかかわらず、
普通の寄進者のお名前に紛れ、特別な案内看板なども一切無いところがすばらしいということです。
題経寺さんはもちろんのこと、寄進された側もみなさんもご立派な見識だと石井さんは感心されていました。なるほど、納得です。

(2008年3月2日 追加)




           



           




           








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