第47作 はつらいよ拝啓車寅次郎様

奥琵琶湖、余呉湖、長浜 ロケ地全踏破レポート


   
    




1994年12月24日年 公開
101分
217万6000人動員
配収15億5000万円






この満男シリーズは時として寅と満男の物語の場所がずれることがある。
特にこの第47作「拝啓車寅次郎様」はそれが鮮明で、
寅は典子さんと奥琵琶湖、余呉湖。 満男は菜穂ちゃんと長浜。


これは渥美さんの容態が限界に達していることもあり
早い撮影を考えての振り分けでもあろう。

奥琵琶湖菅浦の民宿として自宅が使われた当事区長の大橋さんの証言によれば
当初は長浜ロケで行こうとしていたが、この菅浦の風情が気に入った山田監督が
この奥琵琶湖をも舞台にしたらしい。


とにかく寅と典子さんの奥琵琶湖はその静かな村の在り方もさることながら
典子さんの夫との不和から来るメランコリっクな気分が最初から最後まで続き、
美しくも哀しみの色が濃い。


一方長浜は満男と菜穂ちゃんの青春の輝きにあふれた展開で
奥琵琶湖とは陰陽のコントラストになっていた。


実は現在偶然にも第47作「拝啓車寅次郎様」の本編完全版を
制作中なので、本編の内容は3月に前編が仕上がるそちらのページに譲って
このページではロケのこととこの極めて特異で重要な歴史的な村落である菅浦の土地を
中心に記して行きたいと思う。

今回もパーフェクトで、奥琵琶湖、長浜 全てで
9ヶ所の世界初登頂に成功した。



それではまず、湖北
「陰」の奥琵琶湖、余呉湖から
レポートして行きましょう。


同行してくださったのは 小手寅さん、 カケちゃん、 ちびとらさん





まず最初に

菅浦文書の中に《菅浦絵図》と呼ばれる古地図がある。
葛篭尾崎半島と竹生島を俯瞰していて、
細密な竹生島と寂し気な菅浦の入り江が描かれている。
この文書は国の重要文化財に指定されている。

赤線で引かれたラインが
中世に大浦との長い裁判の末に勝ち取った村の境界線。



     
菅浦与大浦下庄堺絵図」(いわゆる「菅浦絵図 赤丸はこの作品のロケ地

     



     菅浦村落全ロケ地
     




     


     近江の隠れ里 菅浦

    



    



     




民宿栄次郎として家を貸された大橋さん。その1
https://youtu.be/WwKHtO9A30E

民宿栄次郎として家を貸された大橋さん。その2
https://youtu.be/pU-RmhiCgrE




動画インタビューの中で出てくる『ネズミサシ』とは

・ネズあるいはトショウとも呼ばれるヒノキ科の針葉樹。
長さ3センチ弱の針のような葉が輪生して、だらしなく垂れ下がるのが特徴。触れれば相当痛い。

・カクテルのベースになるジン(酒)は、ヨーロッパを原産とするヨーロッパネズの実を集めて
蒸留酒に香り付けをしたもの。ヨーロッパではネズミサシではなく「モロンド」という格好いい名前が付いている。

・どうしてもネズミが持つドブ臭いイメージが強いものの、ブルーカーペット、ブルーパシフィックなど
人気のコニファーも、元をたどればネズミサシ属に属す。

・ネズミサシという名は、ネズミが刺さるかのような葉の鋭さを表すだけでなく、
実際にこの葉を鼠の通り道に突き刺して、その被害を防いだことに由来するという。
なお、別名の「ムロ」は古語で、葉が密生する様をいう。




典子さんが朝食を買った大八商店 インタビュー

https://youtu.be/jwAGWoLPEak




 物語の時系列で進めて行きましょう。


 ファーストシーンはここから↓





 暁の余呉湖




 かつて、6年ほど前、
 この湖が余呉湖だとわかるまで
 長く紆余曲折があったが、
 なんとか山の形や近景などで判明。


  


  


 映画では暁のころの撮影だったが、私の撮影は夕暮れ時。(画質がこの時刻はどうしても荒くなる)
 どちらも薄暗いという点では同じ。向こう岸の「大岩山」が横に長く見えている。

 


    


  
この日は一番最後に余呉湖に向かったので、湖面はもうかなり夕闇が迫っていた。
  


 

  


   


  


   
本編では、薄暗い中に湖畔の石垣が見える

   

   


   かなり暗いが向こうの村がうっすら見える。
   


  
  




   
     ようやく朝になり光が普通になった。
  

  
小手寅さんのハイブリッド車を写しながら似た構図を狙ってみた。

  


  





    


     これまた同じく小手寅さんのハイブリッド車を映画でのボルボの大体の位置に置いてもらった。

   


   



余呉湖

滋賀県長浜市余呉町川並 
 
ストリートビューピンポイント

https://goo.gl/maps/iixAsyShwNw


 


 ここからは典子さんは朝食と撮影のために奥琵琶湖
 西浅井町菅浦に入っていく。





 万葉集

 高島の 阿渡 ( あど )の湊 ( みなと )を 漕ぎ過ぎて
 塩津菅浦 ( しほつすがうら ) 今か漕ぐらむ


  

 
湖北ゆえ、近くに見える竹生島            

  




菅浦集落の独自性と日本史における重要性


きわめて特異な地形と風土



西浅井町菅浦菅浦集落は
琵琶湖最北端に突き出た葛籠尾崎、その先端西側近く、
大浦と塩津の中間にある港で、

葛籠尾崎の山並みから続く急峻なブロックとして湖底にまでぐんと落ち込んだ
リアス式地形の僅かな土地が菅浦地区である。

中世の荘園から栄えた菅浦には、
鎌倉時代から江戸時代にかけての集落の動向を記した
「菅浦文書(重要文化財)」が伝わっており、
現在は滋賀大学に保管されているほか、
菅浦 郷土史料館に一部、写しが展示されている。





強力な「惣」の誕生

「菅浦文書」には、典子さんが転んだあの隣の大浦との境界紛争への
訴訟のための文書が多く見られる。
菅浦はもともとは園城寺円満院領大浦庄に属する浦だった。
菅浦の住民は、大浦庄の一部の領域を自領とすることで、
村の領域空間を独立させようとした。

両村間の紛争の発端は
永仁3年(1295)のこと。

大浦荘との境に位置する日指(ひさし)と諸河(もろこ)の田畑を巡って両村が対立。
この争いは寛正2年(1461年)、熱湯に係争当事者の手を入れさせ、
その予後の火傷の状態などに基づいて当否を決する
湯立(ゆだて)とも呼ばれている「湯起請(ゆきしょう)」神明裁判によって決められ、
この時は菅浦荘が敗訴し、
大浦荘の領主であった日野勝光(ひのかつみつ)の家臣、松平益親(まつだいらますちか)によって
攻め込まれるまで争いは続いた。
その間に大浦や周囲の村々に対抗するため、菅浦の人々は団結を強め、
外部支配に屈しない自治組織「惣」を作り上げたという。


鎌倉時代に入ると今度は大浦荘から分離し、
菅浦荘として竹生島(現在の宝厳寺および都久夫須麻神社)の直轄領土となる。


この間、菅浦は領主円満院と対立関係にあった比叡山延暦寺檀那院や竹生島などをたのみ、
約150年にわたり因縁の大浦と粘りに粘り争い、ついに裁判で独立を勝ち取ったのだ。
その土地の境目がここにも添付した菅浦与大浦下庄堺絵図」
(いわゆる「菅浦絵図」(重要文化財)の絵図には赤い線で記されている。↓

下の絵図は鎌倉から南北朝時代にかけて隣接する寺門円満院領大浦庄と
庄内唯一の田地である日差・諸河の地をめぐる堺相論の際に作製されたもので、
山門檀那院領として竹生島の支配の下にあった菅浦庄の庄域や、
竹生島都久夫須麻神社の社頭景観等を簡略ではあるがよく描写して注目される。

この「菅浦文書」は、
琵琶湖の北岸滋賀県伊香郡菅浦の地に伝来した区有文書で、
鎌倉時代より江戸時代に至る総数千二百七十九点を存している。
その内容は菅浦の歴史を反映し多岐にわたっているが、
特に「惣」を中心とする中世村落の規模を具体的に伝えた文書として、
わが国歴史上にその価値が極めて高い。



  菅浦の領土と大浦の領土の境目に赤い線が引かれている。
  菅浦が領土を裁判で勝ち取った証拠がこの資料に残されているのだ。

    


永きにわたる紛争を治めるために活躍したのが、乙名清九郎。
彼は後に出家して道清と改名したが、
菅浦の危機的状況を救った英雄として語り継がれている。

戦国時代になると湖北の覇者浅井氏による強烈な支配、浅井氏が滅んだ後も
江戸時代の膳所藩支配、そして、葛籠尾山の領有をめぐる延勝寺村との山論など、
幾多の困難を乗り越えてきた。

菅浦の人々は村落の成立以来、誇り高い自立の精神を受け継ぎ今に伝えている。
こうした永い歴史的な風土と人々の生活やなりわいによって培われ、
菅浦はその形を変えつつも独特の風景を造り出し今に伝えている。


近世の琵琶湖の丸子船は年財米輸送などにも用いられたが、商人荷物の運搬にも従事した。


。              
菅浦住民が使用した「惣」の焼印
   




 さて、菅浦集落の意味はこれくらいにして
 ロケ地の方へ戻ろう。


 典子さんはいよいよ菅浦集落へ
 西の須賀神社の方から入って行くのである。



     「奥琵琶湖パークウェィ」の海岸ラインの最初あたり
    典子さんのボルボは
葛籠尾崎の海岸線を菅浦に向かって走って行く
   

  

 菅浦集落へは昭和46年に至るまで陸路がなく、集落への交通は舟によるしかなかったため、
 かつては「陸の孤島」といわれ、今でも隠れ里の雰囲気が強く感じられる。

 そういえばかの白洲正子さんもこの近江の隠れ里をかつて取材していた。


 現在では、
 この集落へは山越えで葛籠尾崎(つづらおざき)を越える奥琵琶湖パークウエイを経由するルートと、
 逆に西の大浦から湖岸経由で辿りつくルートがある。
 もちろん冬場には山越えのパークウエーは閉鎖される。





   ピンポイント↓ 

    


ピンポイント ストリートビュー
https://goo.gl/maps/TJQVU4pAkrL2



  




 典子さんは大浦からの海岸線で菅浦に入って行った。

 この菅原集落はなぜかグーグルストリートビューが許可されなかったようである。
 ストリートビューは集落の外を、薄皮一枚だけ外側を走っている。

 このことも中世からのこの村の考え方に基づいているようで
 私にはとても興味深いのである。

 大浦集落も湖沿いの道にはなぜかストリートビューは入っていない。
 大浦もひとつ海岸の道から一つだけ山側に入った道からはストリートビューが走っている。




長浜市西浅井町菅浦




村の入り口には西にも東にも検問所跡がある。



       「惣」の検問所の名残を残す「四足門」 (西側)

    

菅浦の村に入る東西の道には、
上にも記した四足門と呼ばれる茅葺きの門が残っている。
かつては、ここで村に入ってくる
外来者の監視にあたったと言われている。




菅浦の湖岸集落景観が、平成26年10月6日、国の重要文化的景観に選定。

現在は約60世帯が暮らす。



水路と沸き水の村落

奥琵琶湖の背後の山々の麓から湧き出した豊かな水は、
自然石積みの細い水路となって集落の内部をぬうように走り、
一部では家の中にも取り込まれる。
こうした水路は、ハマから離れた集落内の人々にとって日常に欠かせないものであった。


これらの水路には、
東西共に「イド」が数ヶ所設けられていた。
ここでいうイドは、いわゆる「井戸」ー湧水を汲み取るために地面を掘り下げた竪穴ーではなく、
水路に降りて水を汲んだり洗い物をするために設けられた石段や、その洗い場を指す。


     
山からの水が家々の間をぬって行く。

    



    
山からの湧き水を溜めた「イド」がけっこう多くの家で見られる。

    


      
今でも村のいたるところにヤンマーの下請けの家内工業小屋がたくさん残っていた。
      昭和30年頃から建てられ始めたという
      ヤンマーの創業者さんは、滋賀県長浜市高月町東阿閉(ひがしあつじ)のご出身


    



    湖の氾濫時ここに板を渡して家屋を護った。

   



重要な渡し舟

渡し舟の「こわたし」は、
袋状に湾入した琵琶湖の狭隘部を扼する渡船場であり、
陸路を湖岸に沿って迂回すれば2km以上になる行程を
わずか500mほどの渡船で横断できた。
永原小学校菅浦分校では5年生になれば本校へ片道8kmの道を通う決まりであった。
こどもたちを満載した渡し船が往復していた様子が古写真などで残っている。
   


      






        
菅浦村落全ロケ地

       






    さてまたまた脱線してしまった

   物語に戻ろう。




      

   須賀神社の前を通る典子さんのボルボ



    




 鳥居と御供所が見える。

 
カケちゃん、小手寅さん、ちびとらさんの姿が遠くにある。

 



須賀神社

ゆたかな緑に包まれた須賀神社は、 恵美押勝の乱がきっかけとなり、
廃帝となり、この地に隠れ住んでおられた(伝説)淳仁天皇を祀った神社であり、

もともとは保良神社と呼ばれたところ。明治42年(1909)に
小林神社・赤崎神社を合祠し須賀神社と改称された。
天皇自ら榧(かや)の木でご自身と皇后様の肖像を彫刻し
「何処に寿を終わるも神霊必ずこの肖像に留め置く」とおっしゃったと伝えられる地だけに、
凛とした気高さの漂う湖岸の社。
拝殿の裏には、淳仁天皇の舟型御陵が今でも残されており、
水屋から素足で参拝する氏子たちの姿がある。
現在でももちろん素足のみでの参拝しか許されていない。

「すがの春祭り」に代表される須賀神社の祭礼があり、幻想的。



   
     


 ボルボを湖畔に停め、大八商店に朝食を求めに行く典子さん。
 

  

  



  
大八商店」に向かって歩いて行く典子さん。

  


  
左の建物はやや変わっていた。

  




  


   
店の中からの撮影に成功した!

  
  



  典子さん「こんにちは〜


 
大橋さん「おいでやす




     この取材の1ヶ月前に大橋さんは45年間の営業をやめられたのだった。
   とてもご親切にいろいろ当事の撮影のことを教えてくださった。


   


典子さんが朝食を買った大八商店、女将さんの大橋さんにインタビュー

https://youtu.be/jwAGWoLPEak








  安相寺からの俯瞰


    





  私は脚立よりもっと楽な、小手寅さんの釣竿にカメラを括り付けて3メートルほど伸ばして撮影。

   



   
こちらは手で持って地べたで撮影。

   









    




    




安相寺(あんそうじ)

真宗本願寺派。
観湖山の山号が示すように、集落のなかほどの山腹に位置している。

浅井長政が遺児とのゆかりが深かったといわれる寺。
小谷城落城に際し城主浅井長政の子をかくまったという伝説がある。
安相寺は戦後の一時期、集落の繁忙期に住職を代表として
託児所として利用されていた。
阿弥陀寺に隣接しており、集落の景観を特徴づけている。


もう少し詳細を書くと

ご存知のように織田信長による攻撃の末、小谷城落城の時、
浅井長政の子万菊丸が菅浦に逃れたという伝説がある。
長政より万菊丸を託された家臣の一人中嶋左近の子孫に伝わる伝説で

万菊丸は中嶋左近と小川伝四郎と乳母の三人に寄り添い守られ小谷城を脱出し、
山中を北上し、一夜を礼信寺(小谷上山田町)にかくれ、
折を見て密かに
菅浦安相寺にて休み、夜、船にて琵琶湖上より
下坂浜(平方町)の葦原にひそんでいたが、万一信長に捕らえられてはと、
再び菅浦に船でもどり
安相寺に隠れることになる。

信長の死後、万菊丸は出家して福田寺(米原市)にて住職覚芸の養子となり、
第十二世正芸の名で法灯を継がせることになる。





 その安相寺境内からの脚立で撮影したと思われる↓

 





  停めたボルボの近場の浜で朝食をとる典子さん。



  
  
  



  
洗濯の時乗る板である「ウマ」の上で洗濯をする様子が映し出される。

  


  


       本編でも映っていた浜辺には「ウマ」と呼ばれる共同の洗い場が残る
  


  



     典子さんには旅の開放感はない。
   夫との不和が心にひっかかり、離れないのである。


  


   この調査の日は一日中強い風が吹いて雨も降ってきたゆえに向こうの陸地は
   ほとんどうっすらとしか見えなかった。


  


 
  現在の家の位置がややこしい・・・
    こういう場合↓は背後の山で計るのである。


   


  
  本編で寅の横にあった家は現在は駐車場
  


 朝飯かい?
 
 
はい

 
いい景色見ながら食うと旨いだろう

 こっくり頷く典子さん。

 
じゃあな


 と、歩いて行く寅。


  

  
現在のこの家は上にも書いたように寅の横の家ではなく、そのまた左隣だった家

  







   ひと時の出会いと別れ






      





       





 この作品で流れ続ける「典子のテーマ」は
 山本直純さんの 哀しみの色が濃い名曲。








     二軒同じような家が並んでいるが現在は上にも書いたように手前の家はなくなってしまっている。

     




    手前にあった家は現在は駐車場となっていることがこれでわかる。

     








    大浦方面へ歩いて行く寅。



      一応ポンシュウもいっしょなのだ。奥琵琶湖でポンシュウが登場するのはこの時だけ。


      



      






この奥地で村人はどのような生業をして生き抜いてきたか。


菅浦における生業は、常に時代と共に変化してきた。

もちろん重要な生業である廻船、交易などの水運行は常にどの時代も盛んだったが、
江戸時代には田畑の耕作や山仕事、種から桐油を絞るアブラギリの栽培など陸仕事が増えている。
菜種油が主流となった江戸時代後期には代わりに養蚕や煙草の栽培を行うようになり、
また明治時代には柑橘類や梅などの栽培も始められた。深い山を利用した薪売りも当然盛んだった。

昭和30年代以降はヤンマーの家庭工場が設けられ、
現在も10件の工場でエンジンの部品などが製造されている。

昭和54年には漁港が建設され、集落の東西に存在した舟溜まりも埋め立てられた。
大きく環境が変化した中においても、エリ漁やオイサデ漁といった伝統漁業は続けられており、
また湖岸には朝食を食べる典子さんの向こうにも見えていた「ウマ」と呼ばれる洗い場の板が残るなど、
昔から続いてきた生活の様子をうかがうことができる。




     このカットは大浦地区からの入れ込みだ。東山が見える。
   大浦での典子さんと寅の再会時に映る映像と同じ場所。

      

      



      


       
      





      大浦で典子さんがこけてしまった場所からこの風景が見える。


      






       




       













 土地の狭い菅浦は、古代から中世にかけては漁業と舟運の村であり、
 上に記したように万葉集にも湖上交通の湊としてその名が詠まれている。


 万葉集

 高島の 阿渡 ( あど )の湊 ( みなと )を 漕ぎ過ぎて
 塩津菅浦 ( しほつすがうら ) 今か漕ぐらむ







        菅浦村落 全ロケ地
        








 このあとのカットは菅浦から大浦方向へ







 奥浜出園地近くの砂洲




 ここは寅さん仲間たちといっしょに必死で探した場所。


  世界初登頂


       
    




     奥出浜園地のもう少し南に、流水によって形成される砂の堆積構造である砂州がある。世界初登頂
    
    このエリアからかつて菅浦村落往復の渡し舟が出ていた。
    陸路では1時間以上かかるところを3分の1以下に短縮できたのだ。


    



       ピンポイントの場所

       







ピンポイント ストリートビュー

https://goo.gl/maps/LwcDvGk8eZn







     ふたつの撮影ロケ地俯瞰

     








 その砂洲から徒歩圏にある

 奥出浜園地(奥出港)





    この撮影は菅浦と大浦の間にある奥出浜園地(奥出浜港)

    




    






   この砂洲と奥出浜園地の桟橋ロケの航空写真ピンポイント


    






       













 大浦村落





 一方ここからの撮影は






 「湖北の隠れ里」といわれる菅浦集落と宿命のライバルであった大浦集落。
 古文書には中世近世、この二つの村落の果て無き裁判が綴られている。






 菅浦VS大浦の歴史からかんがみて
 大浦でもロケが行われなくてはならなかったのだろう。




 幼少期から高校まで大阪に住んでいた私は、
 少年期、私は親に連れられてマキノ高原スキー場に数回行ったことがあった。
 ちょうど大浦からだと30分もかからないはず。




    




     





     大浦村落  全ロケ地   長浜市西浅井町大浦875-2

     









   「あら・・・




     




     夕方が近づき波が荒くなってきた。

     





 典子さんは寅に

 「
この一週間のために一年があるの


 と言い切るが、

 一見カッコいい言葉に感じるかもしれないが、
 このように思ってしまうと言うことは、
 彼女は日常にかなりの閉塞感を感じて生活していることになり
 これはある意味精神状態としては危ない状態と言えよう。

 日常の日々に発見やささやかな喜びを感じることの出来ない人は
 非日常の特殊性の中にあってもそこに喜びはなく、
 解き放たれ充実している気持ちになりたいとあせっている自分がいるだけなのだ。







     




     








     





     ボルボのまん前で。斜めになった細いポールは20数年経った今も斜め。 なぜ??

     







   気をつけろと言った直後にこけてしまう典子さんだった┐('〜`;)┌




     





     








      
    




       このシーンは大浦川の川向こうから撮影

      







      大浦村落  全ロケ地   長浜市西浅井町大浦875-2

      





 この日は風が凄く、おまけにこの夕方ごろになると雨も降ってきた。
 波は激しく岩を打ち、典子さんが寝転がっていた場所は完全に波の中だった。
 やむを得ずギリギリ寅の岩までは写すことが出来た.

 それでもかなり波が打ち寄せてくるので怖かった。


       




       





     前年に行かれたちびとらさんのお写真↓では波が比較的安定していたので典子さんのこけた岩まで見えていた↓

      






      






      







     菅浦与大浦下庄堺絵図」(いわゆる「菅浦絵図    菅浦文書 重要文化財

     







     大浦村落  全ロケ地   長浜市西浅井町大浦875-2

     





     













 ここからまた撮影は菅浦に逆戻り ^^;




  菅浦


     美人に弱い髭の接骨院先生が大急ぎで石段を下りてくる



     





      



 上にはもちろん柔道場などはない。真蔵院という寺がある。
 真言宗豊山派の寺院で、長谷寺を大本山、竹生島宝厳寺を
 総本山とする末寺であるという。
 薬師如来を本尊とする。
 南北朝から室町時代前期の作と考えられる涅槃図を所蔵する。




       柔道場に設定された真蔵院を髭親父の下りてきた階段上から見上げたらこうなる。

      






  このあと接骨院の髭先生が走って行く石垣の道が映るのだが、



 集落には、台風などによる高波の被害を防ぐため、湖岸や屋敷の前面などに石垣が張り巡らされている。
 地区内は平地が少ないため、湖岸から屋敷までのわずかな平地空間は「ハマ」と呼ばれ、
 生活や労働の場として重用されてきた。
 棚田で収穫された稲を干したり、屋根をふくためのヨシを加工したり、船を係留したり、
 漁網の手入れをしたりと、さまざまな用途に利用されている





   走る髭先生と神戸さん!

   
この走るシーンは、途切れなしの1カットなので難しくはない。


   



    神戸さんが釣竿を振り回しながら疾走している後に柑橘類の木々が見える。
    村落のいたるところに柑橘類が見られた。


      



    柑橘類の木々は菅浦らしい風景。もう村中石垣だらけ。
    石は土地が狭く、洪水から家を護る時の必須の建築材なのだ。
世界初登頂

      




    



    



 もう少し菅浦内の「道」の話をすると↓


 菅浦集落の主要路地は、集落の内陸部をL字状に通る「キタデの道」、
 および湖岸に沿いの「ハマミチ」の二本である。

 これらの路地は中世後期には既に存在しており、当時より大きく変わることなく町割が今に残されている。
 このうち「ハマミチ」では浜側に石垣を築き、また陸側の宅地にも石垣を設けて波風除けとしている。
 敷地の入口部分は石垣が開いているが、浜側石垣の階段と位置をずらしたり、
 板を落とす為の溝が切られていたりするなど、水害を防ぐ工夫が見られる。


    
洪水時にはここに板を挟む。↓

    


 なお、集落背後の山麓には数多くの寺院が並んでいる。
 特に西村の長福寺(現在は跡地に五輪塔が残るのみ)と東村の阿弥陀寺(現存)は、
 各村の「道場」として集落の中心的役割を担っていたという。






 さてまた物語に戻ろう







   
自分の接骨院へ一目散に走って行く髭先生。


    





    実はこの家は、あの髭先生が下りてきた階段のすぐ横にあるのだ!!
  まあ、よくある映画のトリック。


    








    





    家の中から見た風景 ここまでがロケ。 医院の中はもちろん大船のセット撮影。


    





        柔道場は接骨院の真上にある。
     つまりあの石段を下りたら真横が接骨院なのに、なぜにあんなに走ってるのだろうか??


        





        菅浦村落 全ロケ地

        










 典子さんと寅は菅浦の「栄次郎」という民宿に宿泊する。



    
菅浦夕暮れ風景



     




    ここは菅浦集落の東の少し高台。
   茂みが大きくなっていたので必死で茂みの間をぬうように撮影した。
   菅浦の中で最も撮影が困難な場所がここ。

    





    この赤丸が撮影ピンポイントだが、現在はこの航空写真より茂みが増え、非常に撮影が困難な場所だ。

     




     民宿 栄次郎A

    





   あの接骨医院の髭親父が下りてきた階段の横がこの風景。
   つまり
民宿「栄次郎」はAとBの2ヶ所あるのだ。これもこのシリーズで良くあるパターン。合わせ技で家を作る。

    





    2ヶ所での「民宿栄次郎A」と「民宿栄次郎B

     








     





    船溜まりのそばの湖畔。リアス式セメントの形が目印。

    










   夕暮れの菅浦の「船溜まり」 




   




    





     夫婦のあり方を二人であれこれ話をする。






    「
そうよ・・・・愛してないのよ・・・






      





   ここでも典子さんの表情は哀しみに満ちている。



   彼女の夫婦仲が良くないことが「愛してないのよ・・・」発言でわかったので、
   寅は第22作の早苗さんの時と同様、ついつい喜んでしまっているが
   そのような人の悲しみを表に出して喜ぶという自己本本位で露骨な寅の態度は実に軽率でみっともない。

   脚本的には急に明るくなって笑わせようとしている演出なのであろうが、
   私はこういう笑いはそんなに好きではない。



    
   



    




     語り合う二人 ほぼ同じ位置から三方向

     




    2ヶ所での民宿栄次郎

     




        菅浦村落 全ロケ地

        









   翌日 午前中





    これも接骨院の髭親父が柔道場から下りてきたあの階段の上からの撮影。
    左が
民宿栄次郎A、右が接骨医院

     




     小さく写りこんでいる同行の3人^^;

     






     この民宿栄次郎A右横が接骨院  

     




     






    2ヶ所での民宿栄次郎

     











      そして

  ここからは
民宿栄次郎B







 昨日の夕暮れ時にメランコリックな気分になってしまった典子さんだが
 翌日にはこのようにとりあえず元気にはなっていた。


 「
寅さ〜〜〜ん!





     





     







   怪我をしてから2日目の午前中 腕の包帯は今日からとれている。かなり快復したようだ。



     





   このパートの石垣は「上積」方式

    この
民宿栄次郎B は当事区長をしていた大橋さんの自宅を使って撮影された。もちろん民宿はもともとしていない。

     



民宿栄次郎として家を貸された大橋さん。その1
https://youtu.be/WwKHtO9A30E

民宿栄次郎として家を貸された大橋さん。その2
https://youtu.be/pU-RmhiCgrE




動画インタビューの中で出てくる『ネズミサシ』とは




     大橋さんの家の物干しに使われている材が「ネズミサシ」とにかく硬くて腐らない。

      


・ネズあるいはトショウとも呼ばれるヒノキ科の針葉樹。
長さ3センチ弱の針のような葉が輪生して、だらしなく垂れ下がるのが特徴。触れれば相当痛い。

大橋さんもインタビューで言っていたが、
材は緻密で、日本の針葉樹の中では最も重硬。木肌は緻密で光沢がある。
樹脂分を多く含み耐久性や保存性が高く、水湿にもよく耐える。また、材は芳香を放つ。
大橋さんのように野外での物干しや野外での柱、足に適している。

・カクテルのベースになるジン(酒)は、ヨーロッパを原産とするヨーロッパネズの実を集めて
蒸留酒に香り付けをしたもの。
ヨーロッパでは「モロンド」という名前。

・どうしてもネズミが持つドブ臭いイメージが強いものの、ブルーカーペット、ブルーパシフィックなど
人気のコニファーも、元をたどればネズミサシ属に属す。

・ネズミサシという名は、ネズミが刺さるかのような葉の鋭さを表すだけでなく、
実際にこの葉を鼠の通り道に突き刺して、その被害を防いだことに由来するという。
なお、別名の「ムロ」は古語で、葉が密生する様をいう。




       これはめずらしい信州飯田市にあるネズミサシの大木

       








 物語に戻ろう。







 しかし、仲のイマイチ良くない倦怠期を向かえた夫が、
 鎌倉から典子さんを迎えに来たのだ。



     


   
この洗濯柱が「ネズミサシ」

   



 一人娘のきょう子ちゃんが38度超えの熱を出したこともあり、
 ゴルフをキャンセルして怪我をした彼女を迎えに来た気持ちはわかるし、
 まだ彼女を愛しているのだろうとは思われたが、
 ただ、彼女の旅と写真を「
道楽もいいかげんにしてくれよ
 と不満気に口に出したのはある意味あの夫の本音のそのまた本音であり、
 思いやりのない弛緩した発言であるとも言える。

 彼女がどのような立場でいつも写真をやり続けているのかがうかがい知れる一言だった。



   
道楽もいいかげんにしてくれよ

    








 大変だと、神戸さん宿に入ってきて


 いわく



  事件です!








  映画の世界で長くお世話になった谷よしのおばあちゃんに永久の別れと感謝を込めて・・・・

       






 ばあちゃん世話になったね。

 これ少ないけど・・・

 どうもありがとうよ




 手でそっと拝む渥美さん。








 そして外に出た寅は夫の手前、

 典子さんと別れの挨拶をする。







    突然 別れがやって来た。




       




      
 




     ボルボが動き出してからも、典子さんは鎌倉に戻りたくない様子。



     




     






     なんだあの背広着た男は



     ちょっと お世話になった人…




      




     典子さんは車の中で、
   一切夫には寅の詳細は言わない。
   おそらく彼女は自分だけの心に大切にしまっておきたいのだろう。



   
無愛想な典子さんの夫(▼▼)



     寅は寅で、淋しい思いを隠しながら紳士的に典子さんを見送るのだった。



     



     






     典子さんの車を見ながら淋しさをどうしても隠し切れない寅だった。


     




     



     



         




         




    2ヶ所での民宿栄次郎

     






          奥簿琵琶湖ハイウェイを一路大浦方面へ走って行くボルボ。
       まずは大浦の手前で北上して大回りで南下して行くのだろう。


         






         




         






          菅浦村落 全ロケ地
          





          









  足跡は 降る雨と 降る時の中へ消えて

   称える歌は 英雄のために過ぎても

   旅はまだ終わらない















■ここから長浜編  満男と菜穂ちゃん




  日かげのわらび 腰をのしかね





         長浜御坊 真宗大谷派 大通寺 早朝

        













 さて


 一方長浜への満男の旅も寅に遅れること一日。


 満男と菜穂ちゃんとの物語が始ろうとしていた。








     
富士山が見える中、満男を乗せた新幹線が通ってゆく。

     



     



       







  世界初登頂  静岡県富士市中里付近 赤淵川と新幹線の高架の交わった部分。 

    





     








 東京駅から米原まで東海道新幹線。

 そして

 北陸本線 新快速で長浜行






 そして 長浜へ入る満男。






   そして北陸本線に乗り換え 竹生島が遠くに見える長浜の町へ。


      





田村山 頂上

ここは長浜の南、田園の中にある小さな丘陵(田村山)の頂上。
田村山南側からの山容は、瓢箪を横に倒したような形になっている。
前方後円墳のような形にも見える。別名:一簣山(ひともっこやま、いっきさん)
忍海神社 (オシウミジンジャ)の奥から 登山口は4か所あり、山頂部はひろい登山道が開かれている。西の峰には忠魂碑があり、
琵琶湖を眼下にし、JR北陸線が通り
東の峰は三角点で、伊吹山や霊仙山が眺められる展望ポイント



     ここはちびとらさんが発見された場所。鉄道ファンにとっては有名らしい。

    
手前に見えるのが竹生島。竹生島の背後が東山。その背後が大御影山。背後左に行くと三重嶽、その左が箱館山

      

       

      




北陸本線で長浜に入っていく俯瞰映像 再現動画
https://youtu.be/zTrFNYAYwv8





   忍海神社 (オシウミ ジンジャ)

     













 そして 長浜市街




 長浜と言えば秀吉だ。
 羽柴秀吉が初めて城持ち大名となって開いた城下町。


 江戸時代には大通寺の門前町として栄え、
 同時にまた、北国街道の宿場としても栄えた。
 あの曳山を見れば長浜の勢いがどれほど大きかったがわかるだろう。


 市街地の周辺には、浅井長政の居城であった小谷城跡、
 石田三成出生の地、姉川の合戦跡など戦国時代を駆け抜けた武将たちの足跡が残り、
 日本の歴史の分かれ目ではここが登場してくるのだ。

 長浜港からは竹生島へ遊覧船が発着し、
 湖岸からは水鳥が戯れ、
 日本の夕日百選にも選ばれた琵琶湖の景色が美しい。













       









 まず長浜はこのカットから始まる。





 長浜 菜穂ちゃんの実家の屋根の上 アングルは世界初登頂


      





   5メートルの釣竿で「世界初登頂 伊吹山も見えた!
    諸事情によりあまり釣竿が瓦屋根に近づけないことをご理解くださいませ。

     

     




   祝町の曳山が出て行く。


    曳山蔵

    









   長浜曳山13基のうち、 諫鼓山(かんこざん)の蔵 見堂前組

     




     






    今も健在 辻岡豆腐店!!  長浜市元浜町15  家屋的にはもう限界かもしれない・・・

     






     





      長浜市元浜町15、16付近

     






    諫鼓山 見堂前組

      


      


      






   諫鼓山(かんこざん)の蔵 見堂前組


     



     











 長浜の川井の携帯に満男からの連絡が入る。




     この作品からは何度も携帯電話が登場する。

     




      カケちゃん、ちびとらさんも写ってしまった^^

     






     曳山諫鼓山(かんこざん)蔵付近 ピンポイント ストリートビュー

     





       この場所は二つのシーンが撮影されている。

       





    この二人のシーンはほぼ同じ構図

       






      





  駅から川井商店までをタクシーに乗る満男。

  まあ本当は歩いて10分程度┐('〜`;)┌
  映画なので遠回りもします。



 
駅から東へタクシーで3分なのに、
 山田組の「観光地」見せるぞ作戦で南の朝日町経由(T0T)

 もうめちゃくちゃなルート┐('〜`;)┌







長浜の南の観光スポット

朝日町 ステーション通りの町並み. 舟板塀の商家  北国街道沿い



     




     







     『北国道』の道しるべ


      






     





     今も残る舟板で作った塀(舟板塀)の通りこういう塀は、
   黒壁エリアのような近年の観光スポットと違いまさにリアル。(街灯は観光用^^;)



     
     






     



     

   


    この朝日町にある船塀のエリアのピンポイント。

     





       長浜市朝日町14-1


      もう川井商店(鍋庄商店)からどんどん遠ざかっています!!w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!

      






  まあ、このようにタクシーの運転手さんにいいようにぼったくられながら
  ようやく正規のルートに戻って川井商店に近づく満男のタクシー。





     背後に見えるのは「浜京極」商店街の南入り口

     







     後に「浜京極」の商店街が見える


      








        ピンポイント

       








     





      コーヒーハウス「MUSCAT」は今はもうない。

      

 


      2013年ごろには「MUSCAT」はまだあったようだ。

     




      右に曲がればもう川井商店

       



        
     






        川井商店に着いたようだ。



          




        やや、俯瞰のため、小手寅さんの釣竿で撮影。

         






     SHIGAタクシーの運ちゃん、南部の朝日町まで遠回りしたので 柱|皿 ̄)q゛ウシシシシ だろうなあ。

     




     この日は祝日だったので川井商店(本当は鍋庄商店)は日章旗を掲げていた。

     





      川井商店は実は本当は『鍋庄商店』

     





     郵便局は実は最初から存在しなかったのだ。w( ̄▽ ̄;)w なんと「中日新聞 通信局

     






     モデルになられた鍋庄商店さん 醤油屋さん

     





       鍋庄商店の中には山田監督や渥美清さんの写真や色紙がある。

       







        ピンポイント

       







    買い物ついでに鍋庄商店のご主人にお話を少し伺いました。

   


長浜河合商店(鍋庄商店)ご主人インタビュー
https://youtu.be/C-WI4GNwyJk









      









 川井家に着いて、ほんの5分で
 菜穂ちゃんの寝顔をボーーーット見てしまったので
 怒り心頭の菜穂ちゃん。
 ここからの菜穂ちゃん怒りのガイドの観光案内には
 地獄を見る満男だった(T0T)






      




          








  あっという間に場所が飛んで







    大通寺の『ながはま御坊表参道』 


   民話『お花ぎつね』の由来から、表参道通りの事を、別名『お花通り』とも言う。



  
地元では「ごぼうさん」の愛称で親しまれている大通寺。
  古くから大通寺の門前町として栄えてきたのがこの商店街。
  かつてこの通りには、県下で2番目となるアーケードが設置されていたが、
  昔ながらの風情を復活させることで風格ある大通寺の正門を
  通りのどこからでも見られるようにしたいとの思いから、
  平成2年にアーケードは撤去された。

  それはいいとして、
  昔ながらの店っぽくしただけで全て新しく改修されてしまっていて観光色が強い。

  まあ柴又もこんな感じ。

  お寺だけが本物。






       
表参道は2ヶ所で撮影 ピンポイント

      










     丸美カバンの前を歩く二人。 

      




      現在の手前の宇根屋(骨董屋)と丸美カバン屋、そしてカバンのふうしん、の前を歩いて行く二人。

     






      どんどん山門に近づいて行く。





      ご近所さんとすれ違って急にニッコニコの菜穂ちゃん。(;^_^A




      





      かなり山門に近い富岡洋服店の前

     











     ピンポイント ストリートビュー  なぜかストリートビューは通っていないので手前の四つ角からのストリートビュー

     












 真宗大谷派 大通寺(長浜御坊) 無礙智山(むげちざん)大通寺
  


 真宗大谷派(東本願寺)の別院。
 正式には無礙智山(むげちざん)大通寺といい、
 地元では「
長浜御坊」の名で呼ばれている。

 本願寺12世の教如上人が、湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を、旧長浜城内に開いたのが始まりで、
 そのころは、長浜御堂と呼ばれていた。
 安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され、御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築した。
 伏見桃山城の遺構と伝わる本堂や大広間、長浜城の追手門を移築した脇門(薬医門)など、
 建造物の多くが、国あるいは市の重要文化財。
 客室(含山軒、蘭亭)内部の障壁は、狩野山楽・山雪、円山応挙によって描かれており、
 その庭園は国の名勝に指定されている。







      







      
大通寺の御坊表参道が観光に染まっているのに対して
    この大通寺は荘厳で時の淘汰にもびくともしていない佇まいだった。
    ただ、二つとも人間の「業」の所業であることにはかわりはない。
    宗教が美しく、商売が美しくないというわけではないのだ。


      







     




     





  「誰だっけ?加賀の千代女って・・(;^_^A アセアセ




  知らんのやったら 見てもしょうがないね・・・(▼▼)





    



    






 菜穂ちゃんは
 江戸中期にこの地に立ち寄った『加賀の千代女』のことについて
 説明しようとするが満男が知らないので
 即、キャンセル!(;^_^A






  加賀の千代女 江戸中期の女性俳人


  
加賀松任(石川県松任市)の表具屋,福増屋六左衛門の娘。
  出家して素園とも号した。
  11歳のころ,本吉の北潟屋に奉公。主人,岸弥左衛門(俳号半睡のち大睡)に,俳諧を学ぶ。
  10歳代でその名は諸国に喧伝され,ことに各務支考,
  中川乙由との交流を契機に全国の俳人が知るところとなった。
  「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」は,その作として有名。
  植物の生命にまで愛情をそそぐような,女性らしい着眼点を示す。
  生前に,『千代尼句集』なども刊行された。






大通寺の横超院と加賀の千代


横超院

手をあげよ 同じな流れに住むかわず



千代

日かげのわらび 腰をのしかね





大通寺の御連枝横超院「ようこそ、おいでなされました。さあさあ、そんなに固くなられては、話もしにくいから」
「突然おうかがいたしましたところ、早速、さお目通り下さいましてありがとうございます。
何とぞお見知りおきくださいますよう」

手をあげよ 同じ流れに 住む蛙

横超院は早速一句を詠じました。俳諧の道ともなれば
急に心もくつろいで、さすがに千代女、すぐに付句を申しあげました。

日陰のわらび 腰をのしかね

 この二つの句は、
本堂と大広間の間の渡り廊下の前に立っている碑に刻まれている。





    渡り廊下の前にある 加賀の千代女の石碑

    





    私の取材が早朝だったせいか、観光客はほとんどなく、数人の信者さんがお祈りをしていた。

    






     菜穂ちゃんはさっさと外に出てしまう┐(´-`)┌

     






     朝の大通寺は人がいないゆえに美しい。手前右に見える石碑は加賀の千代女の俳句が刻まれている。


     






     ここで菜穂ちゃんは超いやいや自己紹介


     「川井菜穂(なお)と言います。
   菜っ葉の菜に稲穂の穂です!はじめまして!
」(▼▼)




     





     









     そのまま西にカメラを向けるとカットは違うが次のシーンになる。

     






     










        





       ここは右の建物がスコンとなくなり道幅が大きくなっていた┐('〜`;)┌

        






       










       









 ポンと飛んで



 最初の曳山蔵の場所







      




       向かいの豆腐屋さん 滋賀県長浜市元浜町15

      





       この場所は二つのシーンが撮影されている。

       





     満男と菜穂ちゃんはついにここで喧嘩してしまう┐('〜`;)┌



      




      





     菜穂ちゃんは絶対に折れない! 気が強いw( ̄▽ ̄;)wワオッ!!



      (゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ(゜ロ゜)オラ

      





     向こうに見える家々はかなりかわってしまっってる。

          









      





        この方向は少しまだ名残があるかな・・・

       

    




     満男はぶち切れ、菜穂ちゃんを置いて戻ろうとする。





       





    
まさにこのアングルは長浜の最初に出てくる曳山の蔵出しのあの風景。ほぼ同じだ。

     





    この二人のシーンはほぼ同じ構図

       









    優しい満男に興味があるゆえに寝顔を見られたことを
   過剰に恥ずかしく思ってしまう菜穂ちゃん。
   しかし、満男が切れてしまうとは思っていなかったのか、
   去って行った満男を見ながら
   猛烈に後悔する菜穂ちゃん。



   しかし即座に気持ちを切り替え、
   近道をして満男を待ち伏せし、
   大逆転を狙うアイデアを思い浮かぶ。

   すぐさま実行。





      





      








     豆腐屋の横の路地に入っていく菜穂ちゃん



     




      本当はこの路地は道ではなく私有地で行き止まり

      






      





       この場所は二つのシーンが撮影されている。

       





     






      満男は慣れない土地で路地を彷徨ってしまう。



      




      







      細い路地をうろうろしている。



      





      






    菜穂ちゃんは満男発見!!


  敵艦見ゆ!!  




   
本日天気晴朗なれども波高し 皇国の興廃この一戦にあり。



    



    
右の家は残っているが、左は駐車場になっていた。この路地場所は小手寅さんによって発見された。

     





     とりかーーじ  いっっぱい!


     




     








     





     








     





     満男を待ち伏せする菜穂ちゃん 満男と目が合う。


   満男はばつが悪いので、ピタッと歩みを止める。




     






   そしてキューピットのハスキー犬さまが吼えまくる!!

  満男怖がって タジタジ ┐('〜`;)┌




     




     この路地はあまり今も変わっていない。


      




      仲直りのハスキー犬さま路地  ピンポイント

      






  長浜市大宮町8-1付近



   満男は向こうに見えるこの小さな橋↓を渡ってその後すぐにハスキー犬にほえられる。

    




    





      






    ハスキー犬さまが取り持ってくれたおかげで、
   満男と菜穂ちゃんは待ってたかのように急速に親しくなっていく。
   もともとお互いに惹かれていたのできっかけさえあれば早い早い、
   友達以上恋人未満まであっという間に行ってしまう。



    「
なんにも専務〜〜〜!!

    で大爆笑(*^▽^*)


   





     
長浜市元浜町12-38  当時はカフェ 現在は黒壁オルゴール館 生々流転 諸行無常


     




     




     満男の武器はナチュラルな「ブザマ」と「優しさ、柔らかさ」



    ピッチャー!
   でも打たれるだけのバッティングピッチャー・・・
   オレ試合出たことないんだもん・・ったくよう・・・フフ





   菜穂ちゃん大受け キャッキャッ(*゜∇゜)(~∇~o)キャッキャッ



      




        





     ピンポイント ストリートビュー

    





     なんにも専務〜〜〜』 満男と菜穂の語らい ピンポイント

      






      くつろぐ満男と菜穂&曳山を見ている満男と菜穂 通り過ぎる寅 ピンポイント

       










     夕方4時ごろの酒蔵風景









     




      ここは絶対発見が無理な場所だったが
   私が奇跡的に発見した
世界初登頂  

   なんと長浜市街でなく、北部の
木ノ本だった!


     




      木ノ本 富田酒造裏 ピンポイント  滋賀県長浜市木之本町木之本1107

      





      















   そして 長浜曳山祭 当日の暁






     




     




      ピンポイント ストリートビュー

      







長浜曳山祭


ユネスコの世界無形文化遺産

長浜曳山祭(ながはまひきやままつり)とは、
滋賀県長浜市で毎年4月に開催される祭で、
京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つに数えられる。
長浜曳山祭の曳山行事という名称で1979年重要無形民俗文化財に指定。
ユネスコの世界無形文化遺産に登録されることがきまった、
国内18件につたわる、33件の祭り山鉾屋台行事に選ばれた。


長浜曳山まつりは、豊臣秀吉公が長浜を治めたときから始った。
長浜八幡宮は、社伝によると1069年(延久元年)、源義家の要請により、
後三条天皇が命じて石清水八幡宮を分祀勧請したといわれている。

由来書によると、秀吉が源義家の後三年の合戦の凱旋の様子をあらわした
「太刀渡り」を町年寄十人衆に行わせたのが八幡宮の祭礼の始まりと記されている。
その後、秀吉公が男子誕生の祝いに町人へ若干の砂金を贈り、
これを原資に町人たちが曳山を造営し、八幡宮の祭礼に曳いたのが
「長浜曳山まつり」の始まりといわれている。

13基の曳山があり、そのうちの12基
(鳳凰山、高砂山、猩々丸、壽山、翁山、常磐山、萬歳楼、孔雀山、
青海山、月宮殿、諫皷山、春日山)が
子ども歌舞伎をおこない、毎年4基ずつ交代で巡行する。

この映画作品では鳳凰山と諫皷山と壽山と高砂山の4基が映る。

祭は4月9日の線香番に始まり、
12日までの4日間は若衆による裸参り、
13日未明に起し太鼓が町内を囃し廻ると、
早朝から長刀山と他の12基の曳山が「御幣迎え」に社参し、
神輿が「お旅所」へ渡り、午後に若衆が出番山の順番を決める籤取式に臨む。

13日夕方曳山の上で初めて子ども歌舞伎が演ぜられ、
一番山は三番叟を舞う。宵宮14日の登り山は出番山を神社へ曳行した後、
子ども歌舞伎の役者が神社から町内へ練り渡る夕渡りがあり、
15日朝には神社へ向かう朝渡り、長刀山による太刀渡りがある。
15日の夕方から、出番山が順に「お旅所」で子ども歌舞伎を奉納する。

この映画のロケは11月ごろ。
つまり春の4月に行う曳山祭をロケ撮影のために長浜市がわざわざもう一度
簡単にではあるが11月にも再現してくれたのだ。
初期の「男はつらいよ」じゃ考えられない、殿様待遇だ( ̄∇ ̄;)


  
この「お旅所」で4月15日の夕方に行われていた子供歌舞伎を山田組が取材したのかもしれない。

     









  朝日町 ステーション通り 舟板塀路地俯瞰 夜明けの伊吹山





       ■ 川井商店上の俯瞰に一見かなり似ているが、ここは全く別の場所。こういうところを間違えてはいけない。


       





     小手寅さんの5メートル釣竿にカメラを設置しで俯瞰から撮影。

     世界初登頂  この場所、このアングルは寅友の寅福さんにも大いに手伝っていただいて世界初登頂を行った。

     




      映画は俯瞰だが、ストリートビューでは地べた。

     




   実はこの早朝の俯瞰映像は、
  満男が川井商店に行くまでのタクシーの車窓とジャストで同じ場所なのだ!


     




     この「船塀エリア」のタクシー車窓↓を逆から眺めるとあの早朝の構図になる。

     
     





       この2つの風景は同じ場所での撮影。 カメラが逆になっているだけ。



       満男のタクシー車窓                          曳山祭りの俯瞰

                        



      長浜市朝日町14-1

      









    起こし太鼓」が祭礼関係者を起こしまわっている┐('〜`;)┌



     「おーーーきろ おきろ  おーーーきろ おきろ」 


     もうこれは異文化と言っていいでしょう( ̄∇ ̄;)ハッハッハ



 4月13日朝(御幣迎え)15日朝(祭本日の朝渡り)等の未明に
 
若衆や祭礼関係者を起こしてまわる時に囃すのが「起こし太鼓」。




     




  ここも難攻不落だったが世界初登頂!!

    




    少し引いて全体を見るとこうなる。

    




    長浜市宮前町11-11


  実はここは右側が長浜八幡宮なのだ。
 曳山はこの八幡宮の記念祭と大きなかかわりがある。
 長浜八幡宮の春の例祭が行われる時に曳山を奉納する。


    



      長浜市宮前町11-11  あ、「起きろ太鼓」ではなく、「起こし太鼓でした」^^;

     











    









 そして朝が来た。 午前中





  曳山も練り歩くが 子供歌舞伎の演じ手も練り歩くのだ。




    




    









     





     




    ピンポイントストリートビュー

    










     新口村」の梅川を演じる子供

    




     









     カメラ位置は上の場所とほぼ同じ。
    くるっと逆を向けばこの風景だ。↓


     




     




     ピンポイント ストリートビュー

     





        







     












  さて今度は曳山の練り歩き。

  次々といろいろな町の曳山がさりげなく映し出される。








     大手門通りの大手橋を通過し、「黒壁」に向かう高砂山




   今度は別の町の曳山┐(´-`)┌

  宮町組の高砂山


  


  

 
アップ
 





   まぎれもなく宮町組の「高砂山」!!

      
   



    





    高砂山 宮町組
   









      




      あちこちかなり変わってきている。世界初登頂

      






      道のない所なので、ストリートビューは実際の撮影ポイントとはずれているが雰囲気は味わえると思う。↓

     





      本編では黄色い矢印のように大手橋の北側からの撮影

      




      





      






    大手門通り

    
市街地の中心部を東西に走る、
   長浜を代表する商店街。
   通りには黒壁本館などの観光施設が位置し、
   その周辺には地元の郷土料理やカフェ、雑貨店などのショップが立ち並び、
   一年中多くの人びとでいつも賑わっている





      









    満男と菜穂ちゃんは曳山を遠くに見ながら
  最初に出てきた豆腐屋さんの橋を歩いて行く。






   ここはご存知満男が切れた例の橋が見える場所。
   これでここは3回目の登場!!


    






    長浜八幡宮を出た曳山は大手門通りの方へ向かって行っている。
   本当はここからはその途中の曳山の姿は家々が邪魔をして
   曳山は見えないのだが、・・・まあいつものように映画ですから^^


    




     この橋は前日に満男と菜穂ちゃんが喧嘩して、満男が切れた場所と同じ場所。

         





    ピンポイント

    











    そして長浜で最も賑わう黒壁エリアが映る

   




     今度は、
  祝町組の鳳凰山(ほうおうざん)を引いていく若衆たち。




      このあとここで子供歌舞伎が演じられる黒壁エリア

     





  菜穂ちゃんも満男に「黒壁と言ってメインストリートですけど」なんて言ってたのがここのこと。

     




     祝町組 鳳凰山

     





      ピンポイント 黒壁

     








今度は、ぐぐぐと回転がある




大手門通りの東の入り口







 


 大手門通り商店街(旧サンロード)東の入り口
 電器屋シオン堂・さかえ家前


     



   
大手町組の壽山(ことぶきざん)が進んでいく。
   ずっと正面向こうに山門が見える。



    このあと映画本編で映る梅川と孫右衛門が乗っている。

    





   大手町組 壽山

   
     

   



   壽山  
大手町組
  









     大手門通りの東の端 シオン堂の角。  直線向こうに見えている道は「御坊表参道」と大通寺山門

    









  そしてまたもや曳山が変わる!!

  大人の事情満載^^;


    アーケードに入る時に回転させたら、
 またもや黒壁エリア同様
 今度は祝町組の鳳凰山(ほうおうざん)!!






     祝町組の鳳凰山

          





       鳳凰山 祝町組

      







     曳山をぐぐぐと回転させ



     大手門通り商店街の東口を通過し、
   アーケードの中に入る
鳳凰山



     




      現在は長浜城の形になっている( ̄∇ ̄;)

     



     




   映画ではこの時後からのカメラで鳳凰山の素晴らしい「見送」のタペストリが映る!



     すばらしい毛織物の「見送」 16世紀ベルギーで作られた。国の重要文化財

     





     本編では「大手門通り商店街」を曳山が練り歩き、
   そして商店街のアーケードの向こうの西の端で止まり、そこで子供歌舞伎を演じるのだ。


    




   
     




 京都祇園祭の「鶏鉾」に付いている毛織物にこれと似ているものがある。
 これには切断して補修した痕跡があり、
 その切断された相手はこの滋賀県長浜曳山祭の山車に使われている。
 こちらにも切断して補修した痕跡が残っていて、補修部を取り除いて両者を重ねてみると、
 ピッタリと符合することが判明した。

 すなわち、この2つは元来1枚のタペストリだったのであるが、
 なぜか一方は京都の祇園祭に、他方は長浜の曳山祭に使われているのである↓。

 近年の調査によるとこの「見送り」は
 トロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。
 この「見送」は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入




        2枚で1枚だと判明した16世紀ベルギーのタペストリ

          

            左が祇園 鶏鉾            右が長浜 鳳凰山




        




        大手門通り商店街東口アーケード付近 ピンポイント

        






      










 その大手門通りアーケードに入る曳山を見ている二人。


           
 アーケード入り口のすぐそば南側。
 カメラ位置はほぼ変わらないで
 そのまま南を向いた感じかな。







     大手門通りの東の入り口付近 ここは本当に曳山が通る道。


      






      世界初登頂


      





       ピンポイント ストリートビュー

      






       ピンポイント

      








       











 さて、いよいよ黒壁エリアの前で子供歌舞伎が始まった。



 ここでの曳山はまたもや大人の事情で
 大手町組の曳山である「壽山」を使っている。


   


   大手町組 壽山

   












      ここは満男と菜穂ちゃんが飲み物を飲んでいた「何にも専務〜〜」の場所の真横
    向こうが黒壁のあるメインロード。左に行くと大手門通り(旧サンロード)の西の端



      





      これも小手寅さんの釣竿で撮影。屋根に近づくとあぶないので構図はやむを得ずずらしてある。

     




       お昼前に「分福茶屋」前を通った時は開店していた。こんな感じ↓


      

     

      








 さて、すでに 曳山では子供歌舞伎が始まっている。









 近松門左衛門作の有名な人形浄瑠璃『冥途の飛脚』(めいどのひきゃく)を改編した

 歌舞伎 『
恋飛脚大和往来』(こいのたよりやまとおうらい)より




 人形浄瑠璃『けいせい恋飛脚』を歌舞伎に変えたもの。俗に『梅川 忠兵衛』と言う。


 特に忠兵衛と父親の孫右衛門との切ない別れがクライマックスである実家の新口村の場は
 人気が続き、
この新口村だけを演じることも多い
 今回も子供歌舞伎で
『恋飛脚大和往来』の最も人気の場を演じたわけである。





 演目
 恋飛脚大和往来』より 新口村(にのくちむら)




    忠兵衛

   



   梅川

   



   父親の孫右衛門

   







物語の概略


大和の国、新口村の百姓孫右衛門の息子忠兵衛は、大阪の飛脚問屋の亀屋へ養子にいっていた。
ところが忠兵衛は、大阪新町の遊女、梅川となじみ、これを請け出そうと八右衛門と争ううち、
ひょんなことから店で預かっていた為替の金の封印を切ってしまう
預かり金の封を切れば死罪は免れない。梅川と忠兵衛は逃避行を続けた末に、故郷の新口村へたどり着く。

ここからが新口村

ここは新口村の忠三郎の家の前。忠兵衛は父親孫右衛門に一目いとまごいをしたいと思う。


「自分の連れ合いの父親におもざしが似ているから」と言って、村の道で忠兵衛の父親孫右衛門の鼻緒が切れたことがきっかけで
世話をする梅川は、孫右衛門の取り出したちり紙と、自分のと取り替えて欲しい。連れ合いに形見に持たせたいからと言いだす。

そんな様子を見ていて、孫右衛門は梅川が「倅忠兵衛の嫁だ」と気がつく。

孫右衛門は梅川に自分の気持ちをせつせつと語る。
「養子にいって縁が切れているといっても、実の親子なんだからお金が要ると言ってくれれば
田畑を売っても都合してやったのにと思うと悔しくてならない。養い親の妙見様が捕まっているので、
もし目の前に現れたら、養い親への義理から、自分で縄を掛けて渡さなくてはならない。
だから『どうぞ来てくれないように』と願っているが、やっぱり子供は可愛い」と。

そして忠兵衛に聞かせようと、「いつか死ぬのは人間のならい。妙見さまを早く牢屋から出すために名乗ってでい」と言うが、
せめてどこか遠くで縄にかかってほしいと、梅川に路金の足しにと金を渡す。

それを聞いた梅川は「最後に一目忠兵衛にあって欲しい」というが、
孫右衛門は「やくたいもない やくたいもない」と断る。
そこで梅川は孫右衛門に目隠してあわせることにする。

親子は言葉を交わさずにただひしと抱き合って別れを惜しむが、
見かねた梅川は孫右衛門の目隠しをそっとはずして親子を対面させる。

そこへ追っ手の声が聞こえ、孫右衛門は急いで二人を逃がす。
雪の中を名残を惜しみながらだんだん遠ざかっていく二人をいつまでも孫右衛門は見送るのだった。







    くつろぐ満男と菜穂&曳山を見ている満男と菜穂 通り過ぎる寅 ピンポイント

    







     




     









   この本編の子供歌舞伎では、演じる場所は・・



     


     大手町組 壽山

     





   演じる場所は、メインのあの「黒壁」前

   大手門通り西の入り口 分福茶屋前




   


   


   





     梅川は、自分たち二人の犯してしまった重罪を父親の孫右衛門に

    「お赦しなされてくださいませええええ〜〜〜」と手を着いて泣きながら謝り、


       
泣きながら手を着き謝る梅川

       





    この村を離れる前に

    「親子は一世の縁とやら、この世の別れにたった一目会うてあげてくださりませ」



     
  手を着いて懇願する梅川

       




    と、息子の忠兵衛に会ってやってほしいと
    梅川は手を着き続けながら懇願し・・・

     すくっと立って忠兵衛を奥の部屋に呼びに行こうとするが、
     父親の孫右衛門は梅川を引きとめ、

    「あ、これ、やくたいもない やくたいもない
     たった今も言う通り、たとえ言葉は交わさいでも
     顔を見合わせたら お縄をかけるか・・



       
梅川を引き止める孫右衛門

       



     おれがロから訴人せにや、養ひ親への義理が立たぬ。
     と、いうて、親の手づからどふまあ…縄が、かけらりょうぞいなあ・・・」と嘆く。



        
お縄をかける仕草をする孫右衛門

       



    つまりは、父親は養子先への義理を立て犯罪者の息子には会えないと断る、
    かといって息子はやはりかわいいので、自分からはお縄をかけることは到底出来ないとも嘆く。

    梅川はそれでも執拗に、

    「それでもこれがこの世の別れ」

    しかし、父親は義理を捨てれないと嘆く。


    梅川ははっと気づき、

     「
おお!そんなら顔を見ぬようにおりょがい(お慮外)ながら・・・」ぶしつけながらと言う意味。





        
手で顔を隠す仕草をする梅川

       







      ここで菜穂ちゃんが

     「
梅川!色っぽいよ!!」と掛け声である『大向う』を飛ばす。



     






   このあたりですでに寅が 壽山の側面から歩いてきて歌舞伎を眺めている。



      





       早朝取材だったので「分福茶屋」の暖簾がまだ出ていなかった。

      




       お昼前に「分福茶屋」前を通った時は開店していた。こんな感じ↓


       






   子供歌舞伎の続き↓



    「目を隠して」会っていただければ
    義理は立つと懇願を重ねる。

    父親も目を隠して会うのなら息子ともわかるし、義理も立つと
    承諾して、梅川に感謝するのだった。


    「おお、かたじけない かたじけない。目が見えず顔見ずとも手先へなど触ったら
    それで本望!親子一世の暇乞い」



     
目隠しをされてようやく息子の忠兵衛に会おうという気になる孫右衛門

      



    という場面が映されていた。





  この後、本編では寅がやって来たので
  歌舞伎は聞こえなくなったが、

  この後の歌舞伎の展開は↓




  孫右衛門に一目息子の忠兵衛に会うために目隠しをしてもらって
  最後の別れをさせたのだった。

  そして梅川の機転で最後に孫右衛門の目隠しをそっと取り外し
  親子の対面を成就させるのだった。






     






     





  ここで満男にしては奇跡的に勇気を出して
  菜穂ちゃんに付き合ってる男性がいるかどうか聞く。




 
満男 菜穂さん・・


 菜穂
なあに?


 満男
付き合ってる人かなんか、いるの?


 菜穂「
え?」 


  と、当然ながら驚く菜穂ちゃん。& 嬉しい(*^^*)




 満男「男の友達・・



    



  



    スッと満男を見て、前を向き 
   菜穂ちゃんは驚き&嬉しい・・ながらも

    




  
  ギリギリでは、さらに一歩踏み込む決意を瞬時にし、
  言葉を満男に返す。




  いてると思う?
 
 それとも、

 いてへんと思う?






     







   そのあと、ちょっと恥ずかしく思ったのか、
  満男の言葉が嬉しかったのか
  下を向いて微笑んでしまう菜穂ちゃん。



  
満男は菜穂ちゃんを見ながら
  もう一言おうとして、それでも言えず
  モゴモゴしている。





  
その時!!

  左横からすっと
四角い顔が・・・・( ̄∇ ̄;)



      






     寅が満男の耳元にすっと入って


     







  寅「いたっていいじゃねえか。

 
横に寅がいるので、うわっと驚く満男 そらそーだ^^;

  


 
寅「そいつと勝負すりゃいいんだよ。

  いいな





  超驚きながらも 小さく頷く満男




    






 
 お嬢ちゃん、

 こいつのことよろしく頼むよ





  菜穂ちゃんは寅に、そんな「直球ど真ん中」を言われて つい


  「、はい」 と、返事する^^;



   満男はその菜穂ちゃんの
  声に張りがある積極的な「
はい」に驚く。




  この「はい」は、突然人に言われたから
  反射神経的についつい言ってしまったっていうだけでなく
  やはり「はい」と言いたいというニュアンスでもあった。






   これは寅が伯父として満男の代わりをしてくれたのだ。
  満男の気持ちを代弁し、菜穂ちゃんから
  「
はい」という返事を引き出したわけだから
  ものすごい大手柄と言えるだろう。

  この寅の直球ど真ん中助け船によって
  満男と菜穂ちゃんの仲はぐんと近づくことができたのだ。

  この菜穂ちゃんの「
はい」の瞬間が
  この作品の隠れたクライマックス。




      菜穂ちゃんの「はい」に少なからず驚く満男

     




      






    満男は驚きながら寅を追いかけるのだった。





      




      









     寅は典子さんとのいきなりの別れで心が暗い。
   それゆえあっという間に去って行った。



     



     









      




      




  寅はゆっくり歩いているので、
 まあ追いつこうと思えば追いつけるのだが
 映画のお約束で追いつけないのはいつものパターン。


 ただ、この時寅は「かばんを持っていない」のだ。
 これは旅の途中というより
 この祭りでバイをしているのか
 それともポンシュウに預けて駅で待ち合わせしているのか・・・。
 満男があとでテキヤ仲間に聞いてもわからなかったということは
 ポンシュウと駅で待ち合わせしていてかばんを預けていたのかもしれない。
 つまり寅は満男のその後の調査によると、長浜の宿には泊まっていなかったので
 その日の内に汽車に乗ってしまったのだろう。




       




      






  このあたりは黒壁のエリアなので長浜一の観光地。
  まあ一般の寅さんファンの方がよく行かれるのはこの四つ角付近だろう。


     




     






    









      一年中365日いつも賑わっている観光の中心地 黒壁エリア

      





      曳山を見ている満男と菜穂 通り過ぎる寅 ピンポイント

      









      










     








    夕暮れ時  さくらに 寅に会って見失ったことを伝える満男




    





   ここは小手寅さんが4年ほど前に見つけた場所。お手柄!
  偶然だが私たちが宿泊したホテルのすぐ10メートル横!だったw( ̄▽ ̄;)wワオッ!!


    





    






     小手寅さんが発見された電話あと。

     




     






     小手寅さんが4年ほど前に発見されたこの場所。この写真↓は当時彼によって撮影されたもの。
    茶色のビルはこの時点ではまだあった。大きな決め手。


     




      ピンポイント ストリートビュー

     











  駅の近く 『御旅所』




   上の満男の電話からほんの100メートルほどで「お旅所」に着く。
   ここは長浜八幡宮から出発した曳山たちが夕暮れにこの「お旅所」に順番にやって来て
   子供歌舞伎を再度演じてその日のフィナーレを向かえるのだ。

   電話の場所から考えて
   満男は菜穂ちゃんとこの「お旅所」で曳山を見ていたと思われる。





     この曳山も大手町組の『壽山』

     








      世界初登頂   


     





          御旅所 ピンポイント ストリートビュー

        









      







     別れの日






      



      









      山田組が中日新聞のガラス戸に郵便局のロゴを作成して添付したのだろう。

      



      







   菜穂ちゃんはかなり満男を気に入ったのがこの一連の行動でわかる。



      




      鍋庄商店のご主人の証言ではもともとここには昔からまったく郵便局はなく、
    中日新聞の長浜通信局があってそれを郵便局代わりに使っただけだそうだ。


      




      兄貴がまた余計なことをしてしまうシーン┐('〜`;)┌



     
このシーンだけ唯一構図がずれてしまったのでとりあえずストリートビュー添付^^;ヾ


      





     



     

      
     





     






     この俯瞰も、私が小手寅さんの釣竿で撮影

    


    

     





     5メートルも伸ばすとかなりしなるので怖かったがなんとか伊吹山もしっかり撮れて成功した。アングルとしては世界初登頂

     





     長浜ロケの導入部分とラストカットがほぼ同じ位置から撮影されている。

    
    






       ちびとらさんも小手寅さんの竿を使って5メートル上空から動画撮影

        



       






 以上完全踏破。


   奥琵琶湖 余呉湖 長浜 木ノ本 完全踏破レポートでした。







   語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ

   紛れ散らばる星の名は 忘れられても

   旅はまだ終わらない


   足跡は 降る雨と 降る時の中へ消えて

   称える歌は 英雄のために過ぎても

   旅はまだ終わらない









   完全踏破の打ち上げ^^ 


   小手寅さん、カケちゃん、ちびとらさん、ありがとうございました!




    











      エピローグ



      今回、木ノ本という飛び地もロケ地だったことが事前調査で判明したので
      「富田酒造」で写真を撮影したあと、富田酒造の横の「サラダパン」の店で買い物をした。


      木ノ本といえばもうこれ。「つるやのサラダパン!」
      ものすごい売れ行き。売れ残ったことはたぶん最初に作って以来一度もないだろう。
      長浜地区全域で57年間、売れ残ったことはどこもない。すべて毎日毎日スタッフ数十人の手作り。

      私たちが訪ねたのは「富田酒造」のとなりにあるつるやのたったひとつの直販店。
      1日に2回サラダパンがドサッとやってくる。一人平均5〜10個はみなさん買う。
      ドサッと数百個置かれて1時間以内に完売。1個130円 1日長浜エリア全域で2000個売れる。

      べつに高い野菜が入っているわけではない。しかしそのパンを焼く技術は独特な匠。ふわっとしてしっとりと少し甘く・・・

      小麦粉、たくあん漬、マヨネーズ、砂糖、マーガリン、卵、パン酵母、食塩、乳化剤、イーストフード、コショウ これのみ。

      サラダでもなんでもない。いわゆる無添加自然醗酵制作でもない。

      私は3日間かけて4個食べたが、ふわ〜〜っとやわらかなコッペパンにマヨネーズとマーーガリンとそしてたくあんの触感。が素晴らしい。
      ハーモニーが素晴らしく「絶妙」。




     






      50年以上前、パン屋「つるや」の奥さんがキャベツをはさんで作ったのが最初。しかしキャベツは夏場など日持ちがしない。
      たくあんなら日持ちがするので細かく切って入れてみたら その触感が素晴らしく 確実にまた食べたくなったそうだ。
      夫さんがたくあんもまあ野菜だからとネーミングはそのままにして売ったそうだ。

      もちろん、あくまでもローカルな味のパン。高級レストランでは出せない&似合わない。
      B級グルメと言ってもいいのかもしれない。
      世界に通用するとかそういう類のものではまったくない。

      しかしあのパンに確実に人生のささやかなヒントがある。




      私たち4人で30個は買った。
      その際、私は直販店のお姉さんにちょっと意地悪な質問をした。

      「これだけ毎日完売でしたら、オートメーション化するのは極端なまでも、
      人員をもっともっと増やして何割も多めに作ればいいのでは」と聞いてみた。



      お姉さんはこう言った。

      「何十年もいつも作る人たちでないとこの味と柔らかさと触感がどうしても維持できないんです。
      熟練した数十人が早朝から夕方まで働いて味を完全に維持してこなせる量はここまでです」と。

      そういえばつるやHPには私たちは『思い出のパン』を日々作っています。と、書かれてあった。


      目の前に落ちているうなるほどのお金を拾わない人がいるのだ。


      このことが今回の近江路の一番の収穫だった。



      







次回は昨年夏に関東連合3人組で行った
第22作噂の寅次郎 静岡SLと塩郷駅のレポートです。
おそらく2月下旬になると思います。

同時に第47作「拝啓車寅次郎様」の本編完全版前編も
3月中旬にアップします。



男はつらいよ 覚え書きノート トップ
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/otokono-to.htm


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