私のサイトの全ページはお手軽に見られるスマートフォンには対応させていません。ノートPCなどでご覧下さい。
スマートフォンで見られる方は文字や構図がガタガタになります。申し訳ありません。




龍太郎の三度のお礼参り



宮嶋龍太郎プロフィール Profile





私のサイトの全ページはお手軽に見られるスマートフォンには対応させていません。ノートPCなどでご覧下さい。
スマートフォンで見られる方は文字や構図がガタガタになります。申し訳ありません。



ここに帝釈さまへのお礼参りの3枚の写真があります。
2011年、2015年、2025年↓↓



    2011年春
    


    2015年春
    



    2025年春
    





     2025年3月25日ようやく龍太郎は博士号を
   授与され、東京藝術大学を卒業しました。

    



        博士論文『1930年代に発明されたアニメーション装置・ピンスクリーンの現代における実践と美学
    



    


思えば、

1989年9月
東京にて画家の両親僕、吉川孝昭と連れ合いの宮嶋紀子(夫婦別姓ゆえに龍太郎は少年期以降「宮嶋姓」で統一)の長男として生まれ、
1歳からインドネシア.バリ島ウブド村に、僕ら画家の両親( 吉川孝昭.宮嶋紀子 『夫婦別姓』 )とともに移住し、

バリ島の中部ウブドのジャングルの中で1歳からターザンのように育ち、
それゆえ日本の小学校は1年生だけしか行かず、中学校も高校も日本の学校には1日も行かなかった龍太郎は、
それゆえ、ずっと少年期、日本人の友人がほとんどいなくて、彼には可哀想なことをしてしまっていました。、
バリ島では飼っていたたくさんのネコたちと遊ぶか、動物たちと遊ぶか、祖父母が送ってきた漫画本や図鑑本などを読むか、
焚き火をして焼き芋をつくるか、僕や紀子さんと遊ぶか、僕の友人たちと遊ぶか・・・でした。
そして、それ以外の余った膨大な時間は、ひたすらスケッチブックに細書きの水性ペンで落書きを次から次へ描いていました。
1年に何十冊にもなっていましたね。
バリの近所の子供たちと遊ぶことも時々はありましたが、異邦人ゆえに、一人で遊ぶことがやはりどうしても多かったです。


    

その後、彼の青年期にインターネットが急激に発達し、普及して、検索で日本の様々な学校、大学のことを自ら知り、
年々、日本の大学への興味が湧いて来たようで、ついに受験したいと言い出したのです。

恥ずかしいですが、僕も紀子さんも予備校へ行かせるお金がぜんぜん無いので
僕が1年間毎日13から14時間ほど、全八教科教えて、
その後、デッサンも着彩もひたすら毎日教えて...
2010年の春から準備し始めました。
2010年の夏に大検(高校卒業認定試験)を全八教科受けて全教科A合格し、
2010年の年末にバリ島から日本の葛飾柴又に引っ越しました。

引っ越してからは、今日の今日まで
毎週のように帝釈様に合格祈願もしくは学業達成祈願をする日々でした。
2011年に入って1月から3月までの美術予備校の直前講習会だけ龍太郎に受講させて、
2011年の2月に東京の私立美大デザイン学科を2つとも特待生で合格し、3月に受験した国立の東京藝術大学美術学科も運よく合格しました。
その発表の最後の日に帝釈さまの
ものすごいパワーに感謝のお礼参りをしたことを今も昨日のことのように覚えています。(1枚目画像参照)
バリ島で^にいて、何も知識が入っていなかった真っ白な乾燥した真綿が、水をぐんぐん吸い込むような凄まじい勢いでした。
そして4年経ち同大学卒業度、
同大学大学院修士課程に合格し、同じように感謝のお礼参りをしていました。(2枚目画像参照)
そして修士卒業後は、2年間フリーランスの映像作家を経験し、

5年前の2020年には、毎年1人しか合格しない同大学メディア映像学科
アニメーション専攻博士課程後期にも合格しました。

しかし、その後…なかなかピンスクリーンを題材とした博士論文が完成せず・・・
2025年、長いスクラップ&ビルドを繰り返し…その先の新しいアイデアの構築のため、
2年間休学しながら終わりの来ない苛烈な博士論文作成の闘いが何年か続き、
それらの長い艱難辛苦の末に、
博士論文『1930年代に発明されたアニメーション装置・ピンスクリーンの現代における実践と美学』が
ようやく映像学科の全教授会議で承認され、東京藝大映像学科アニメーション専攻として3年ぶりの博士号(映像)を取得し、
博士課程後期を終了し、卒業しました。


卒業式の翌日帝釈様にお礼参り(3枚目画像参照)
2011年春の、おぼこい少年の面影を残していた最初のころのお礼参り。
それがもう2025年にはおじさんのようになってのお礼参りになっていました。
それにしても帝釈さまの学問分野のご利益は凄いです。


ちなみに、僕は今まで、龍太郎の大学の式典には行ったことは一度もなかったのですが、
これが彼の学生時代の最後の授与式、卒業式、ということで、ちょうどその日、谷中での仕事のついでがあり、
帰りに上野の式典に立ち寄って記念撮影をしてあげました。


    




そして卒業後
龍太郎はフリーランスの作家として、今年はいくつかのアニメーション制作のオファーがすでに入っていますので
それをこなしながら完成直前の自分のピンスクリーンによる作品を制作しています。

おそらく数年以内にはどこかの大学で映像アニメーションを教える教員をするのかもしれませんが、
今はまず博士論文と共に同時発表した「REST」という日本初の本格アニメーション作品を
国際アニメーション映像祭に出品していくための最後の詰め部分を制作しているようです。

そらまあ、生活も大事だし、
お金も大事だし、
社会的地位も大事なんですが…
やっぱり短い瞬きの一瞬のささやかな人生、
貧しくとも作品を作って作って作りまくって
生きていってほしいと願っています。




少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉すでに秋声



contact: miyajimaryotaro@gmail.com


宮嶋龍太郎国内外受賞歴(〜2024 )


宮嶋龍太郎公式ページ http://miyajimaryotaro.com/

宮嶋龍太郎プロフィール Profile




宮嶋龍太郎 profile


2015年 3月 東京藝術大学美術学部先端芸術表現学科卒業。
2017年 3月 東京藝術大学大学院映像メディア学アニメーション専攻卒業
2020年 4月 東京藝術大学大学院映像メディア学 博士課程(後期)に入学 (2025年3月下旬博士号『映像博士』授与内定)

2020年 3月 「CASTLE」が第23回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出

2020年 6月 フランス.カンヌ映画祭から独立したフランス.アヌシー国際アニメーション映画祭(世界四大アニメーション)にて、
         日本の文化庁による日本ショーケースの中で「CASTLE」が上映される。(ただしコロナ渦のため、オンライン上映に変更)
2020年 8月 第18回広島国際アニメーションフェスティバル(世界四大アニメーション)にて「CASTLE」が「ベスト・オブ・ザ・ワールド」に選出

2020年 11月 龍野国際映像祭にて 監修・監督を務める。 審査員でもある。(104カ国から3100作品の応募があった)
2022年  8月  第1回 ひろしまアートシーンにて コンペディション審査員を務める。(100カ国余から2000作品の応募があった)


2025年 2月下旬 日本で初めての本格的なピンスクリーン作品「REST」(5分3秒)が完成し、
     それと並行して東京藝術大学博士論文が12月の公開本審査を経て、2月末の公開最終審査に合格。

     3月25日 東京藝術大学より博士号(映像) Ph.D.を授与される。



「RADIO WAVE」(2016)は、32映画祭 21の国と地域で選出ノミネート。3映画祭3ヶ国で受賞
「AEON」(2017)は、19映画祭 10ヶ国で選出ノミネート。3映画祭2ヶ国で受賞
「CASTLE」(2019)は、文化庁メディア芸術祭、ETIUDA & ANIMA映画祭など49映画祭で選出ノミネート。13映画祭10か国で受賞
「野見宿禰」(2022年)は、10映画祭8ヶ国で選出ノミネート.4映画祭3ヶ国で受賞
「Monk SEISHIN」(2023年)は2映画祭2ヶ国で受賞

受賞は5作品で2024年4月現在24受賞。





■20世紀にロシアのアレクサンドル・アレクセイエフが発明したアニメーション制作装置「ピンスクリーン」の
 日本における技法研究者であり ピンスクリーン技法によるアニメーション制作の日本における最初の実践者である。



私のサイトの全ページはお手軽に見られるスマートフォンには対応させていません。ノートPCなどでご覧下さい。
スマートフォンで見られる方は文字や構図がガタガタになります。申し訳ありません。

.