あの幻想的な薩摩風景の場所がついにわかりました。














映画「男はつらいよ」は当事の日本各地の美しい風景描写が大きな魅力の一つで、
私は各地のロケ地を調査し、毎年絵にも描き、展覧会もしてきた。


九州の風景は特に大好きでいろいろ描いてきたが、この上に添付した薩摩の風景もかなり気に入っていて
ぜひ近々描きたいのだが、この場所は薩摩の南九州市の頴娃町(えいちょう)や石垣町のロケだと言うことは
その周辺の他のシーンによってほぼつきとめていたのだが・・・・
どうしてもこの美しい風景だけがわからずじまいで3年、4年と時は過ぎ去って行った。

私の友人の下関在住の寅増さんが5年ほど前にこの鹿児島の地でかなり詳細なロケ地調査を行った時
私もいろいろ情報のやり取りをして手伝ったのだがその時にこの風景を除いては90パーセント全カットは網羅できてはいた。
枕崎市、加世田、坊津、鰻、知覧、鹿児島市、日置市吹上




そして今問題になっているのは・・・・

寅増さんとのやり取りでつきとめたのは南九州市頴娃町のそばの『石垣町地区』

ここも下記のように、ほぼ解明されてはいる。




   



   寅増さんが実際に行かれて撮影された風景。本編アングルでもある石垣町

   




   この投網風景は、上記の写真で写っている橋の袂!

   






   寅とふじ子さんを乗せたタクシーが道を横ぎっていく。

   




   これもかつて寅増さんの取材で発見された場所。寅増さんが撮影。

   






    ここの路地は地元の観光案内チラシにもさりげなく『寅さんロード』として記載されている。

    





    寅増さんが行かれた時はこの家々も蔵も、跡形もなく消え去り・・・基礎だけがわずかに面影を残していた。
    ふじ子さんの実家玄関口への曲がり角(おそらく私道だった)もなくなり、今は石で囲まれている。

    








     石垣川のそば、当時は風情のある家々が並んでいた。

     

    







ただ、・・・・寅とふじ子さんが歩くシーンの直前に挟まったこの風景カット

肝心のこの最も絵になる川が見える美しい薩摩風景がどこかわからないのでは気になって絵にすることもできないのだ。



    




それで今年の夏ちょうど、私の友人である「ちびとらさん」が薩摩の地で徹底的にロケ地めぐりをされるというので、
私も再度あの風景をグーグルアースや当事の航空写真やストリートビュー、インターネット上の情報などを駆使して探してみた。

しかし、いくら探してもやはりこのなんともいえない美しい家々は見当たらなかった。
おそらく家は取り壊されているのは間違いない。

もはやこうなると伝家の宝刀である日本一のロケ地探し名人である友人の「寅福さん」に頼むしか手はないと思い、
今まで数々の不可能を可能にしてきたロケ地調査の天才「寅福さん」にちびとらさんも私もお願いしてみた。

もちろん寅福さんの使用するツールは、、私が使用するグーグルアースや当事の航空写真やストリートビュー、インターネット上の情報と
どれもこれもほぼ同じではあるが、彼は勘どころが抜群に良いのと、それらの道具の使い方が完璧なのである。

それで案の定、数日以内にしっかり「現在にまで残っている物証」を見つけてくださったのだ!



なんとなんと、あの美しい薩摩風景は
ふじ子さんの夫の実家の裏風景だった!!
そして・・・・護岸工事や川幅を変えて・・・・もうあの家々は全てなくなっていた!!








      




一見風景が激変して
全く違う場所に見える上の2つの画像を、よ〜〜〜く見比べてください。

上のストリートビューと本編画像
この2つの画像に
現在も同じの確実な物証
1つだけあるのがおわかりですか?
寅福さんは見事にそれを見つけられたのです。

川や木々や森や植物ではないですよ。
自然物は物証としてはあやふやです。



あえて「物証」の答えはここでは書きませんのでみなさんで見つけてください。



ついでにもうひとつわからなかったこのシーン↓も寅福さんはつきとめてくださった。
なんとあの薩摩風景を逆から、つまりあの家々の方から撮影したものだったのだ!
2つとも同じ場所で撮影されていたということだ。

感謝!






      








      この航空写真↓は、映画撮影の1984年の9年前の1975年のもの。

    石垣川は撮影当事と比べて現在はかなり川幅が変わった。
    
オレンジの矢印があの薩摩風景のカメラ位置と方向。
    
緑の建物はあの薩摩風景の家々
    
肌色の矢印は橋の上を寅たちのタクシーが通る風景。
    
赤色はふじ子さんの夫の実家。青の線は二人が歩いていた路地。
    つまりこの徒歩圏の中ですべて撮影していたのだ。
    
黄色が今も残る「はらだ百貨店」


      





      大幅に川幅が変わったので、あの「薩摩風景の家々」の位置は川の土手あたりになってしまっている。
     「はらだ百貨店」の昔↑の黄色丸と今の「はらだ百貨店」は位置は一緒。
     それを目安に川からの距離を比べてください。
     川幅が広がり、昔あった家々の部分がそれとともに削られているのがわかるはず。


      









     ああ、・・・・
    この絵になる薩摩風景の家々がもうあとかたもなくなっているのは淋しい限りです(T0T)


      





それではバリに行ってきます。

日本に戻るのは8月16日夕方です。


2018年7月15日 柴又自宅にて