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転んでもただでは起きない『フーテンの寅』を作り上げた森崎東さん 逝く 92歳



    






「松竹の助監督時代からの長い付き合いの中で、
僕は彼にどれほどたくさんのことを教えてもらったか分からない。
頭脳明晰(めいせき)、学識豊かな知識人であり、思いやりにあふれた豪快な九州男児だった。
その魅力的な人柄は彼の作品に鮮やかに反映されて、森崎喜劇という誰にもマネの出来ないジャンルを確立した。
最後の作品となった『ペコロスの母』がキネマ旬報のベスト・テンの1位に選ばれたことは彼にとって、
大きな名誉だったに違いない。大勢の森崎ファンとともに、彼の死を悲しみます。」

山田洋次 2020年7月17日





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第3作「フーテンの寅」があるからこの寅さんシリーズはピリッと引き締まる。


7月16日映画監督の森崎東さんがお亡くなりになった。92歳。
『ペコロスの母に会いに行く』を発表され、第87回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位となったのは記憶に新しい。


しかし私にとってはやはり森崎監督は映画男はつらいよの第3作『フーテンの寅』の産みの親だ。

その昔、山田監督の中に温めてきた人間像は、古くは昭和18年に作られた稲垣浩監督の「無法松の一生」を源流として、
自作の1964年の「馬鹿まるだし」の安五郎を経て、自ら脚本を書いたフジテレビのドラマ「男はつらいよ」の寅次郎でひとつの帰結点を作り得たのだ。
これらの人物は現在私たちが知っている車寅次郎よりもかなり煮ても焼いても食えない、文字通り「ヤクザな兄貴」だったわけだ。

そして山田監督は、テレビドラマの成功のあと、遂に失敗は許されないシビアな状況の中で映画版「男はつらいよ」第1作を制作する。

映画になった寅次郎は「馬鹿まるだし」の安五郎や、テレビドラマの寅次郎よりさらに洗練され、柔らかくなり、『渡世人』のイメージは小さくなったとも
言えるだろう。それゆえに多くの人々が自分に照らし合わせやすくなり、すぐさま人気を博し始めたのだ。

そしてその直後に作られた第2作「続男はつらいよ」もテレビ版の物語をかなり採用したこともあってまたもやヒットした。
気を良くした会社側に、矢継ぎ早に作ることを指示された山田監督は、
さすがにスケジュール的にキツイと感じ、とにかく、第3作は脚本だけは協力するが、監督は他の方にして欲しいと願い出たのだ。

そこで真っ先にお呼びがかかったのが、森崎東(もりさき あずま)監督だ。

TV版「男はつらいよ」の脚本と、第1作「男はつらいよ」の脚本とに携わった森崎東監督はこの映画を引き継ぐに相応しい人選だと思う。
森崎監督は、山田洋次監督・小林俊一監督と共に『男はつらいよ』をTVドラマから映画版まで育てて来た、もう1人の生みの親にあたる人だったから。


ちなみに、森崎監督と言えば私などは『生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言』がとても印象深い。
世の中の泥にまみれてあがき、それでも力強く生き抜く庶民のバイタリティを描いた危ない傑作だった。
その後の「ニワトリはハダシだ」も見たが、これらの作品に共通している、倒れてもまた立ち上がる泥臭い庶民の底なしのパワーは、
見ていて爽快感すらある。【おっとどっこい生きてるんだよ!ざまあ見ろ!】って感覚だ。それは第1回監督作品である「女は度胸」
から続いてきた『どぶの中に咲く蓮の花』の感覚だ。これが徹底したリアリストであり、同時に大いなるロマンティストでもある彼の世界観なのである。
近年の『ペコロスの母に会いに行く』は、
ささやかな人生を、貧しくとも懸命に生きてきた身近な人々への温かく深いまなざしが現在も健在であることを再認識させてもらった。

それにしても あの処女作である『女は度胸』という映画は活きが良かった。親子兄弟三者三様ブザマな男たち。(河原崎健三、渥美清、花澤徳衛)、
そしてあたかも人生を諦めたかのようにただ毎日黙々と内職をこなす人生の達人である母親(清川虹子)。
彼らの生々しい人生模様が印象的だった。

『涙と一緒にパンを食べたことのない人には真実というものは分からない』この「女は度胸」で清川虹子さんがゲーテの
『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』からの言葉を読むが、あの映画は母親役の清川さんの存在が渋く光っていた。

夜明けの海で結婚を決意した愛子を演じる倍賞美津子さんがラストでこう言うのである。

私が年を取っておばあちゃんになって死ぬ時になっても私この太陽を忘れないだろうな

彼女のこのセリフの鮮やかさと泥臭さが第3作「フーテンの寅」へ繋がっていき、人間車寅次郎、渡世人車寅次郎が生き返るのである。

『女は度胸』が公開された当時のキネマ旬報を読んでみると、キネマ旬報の編集長の白井佳夫氏はその年の日本映画のベストワンに
選んでいるほどだ。1969年は「男はつらいよ」「続男はつらいよ」が封切られた年であるのにもかかわらずである。
『完成を意識せず、揺れ動くエネルギーと、底力のあるバイタリティを秘めた映画』だと注目しているのである。



                『女は度胸』の夜明けのシーン
             
               




そして2回目の監督作品が「フーテンの寅」

ちょうど、この第3作「フーテンの寅」に関しても、森崎監督は、監督を引き受けるのなら、自分の思う生々しく力強い人間寅次郎を表現したい、
そしてちょっと厄介な渡世人寅次郎の片鱗も入れてみたく思ったのだった。山田監督の描くソフトタッチでしっとりとした情緒溢れる寅次郎とは違い、
ギラギラ眼光が鋭く泥の中でもがいている寅次郎を見事に描ききっている。第4作「新.男はつらいよ」の小林俊一監督もそうだが、
山田監督とはまた違ったもう片方の封じ込められかけた「男はつらいよ」が燦然とそこに輝いているのである。キャストも、第1回監督の「女は度胸」
のみなさんが大勢出演されている。


まだまだ演出に荒さが見られるものの、全48作中、寅が最もパワフルで、最も悲惨で、最も打たれ強かったのがこの第3作「フーテンの寅」である。



また、この作品では珍しく、寅は最初だけ柴又に滞在するが、そのあとは旅の空で、独りで自分の世界を作っていくのである。
本来寅は家出をして以来20年間柴又には帰還しなかったわけだし、そのあとも一年の大部分を旅を住処として暮らしているのである。
森崎さんは、そのような寅の人生の大部分をしめる『旅を日常とした渡世人の生活』を描いてみようと思ったのだ。だからこそ、柴又にいる時間が
他の作品と比べて極端に少ないのだ。『旅を日常としてしまった男』としての『人間車寅次郎の日々』に迫ろうとしたわけである。
なんとまっとうな発想だろうか。寅という人間を知るヒントは、みんなが待ってくれていてさくらたちに甘えていられる柴又とらやではなく、
独り淋しく生き抜く旅の空にこそあるのは明白なことなのだから。

準備稿は森崎さんがほぼ一人で作ったと思われるが
ヤクザとの刃物沙汰やヤクザの組長のところに乗り込み、組長と寅の喧嘩の時に
お互いの尿を飲ませ合い、寅は飲み終わるが、組長は飲めない・・・というとんでもないきわどい脚本だったのだ。
しかし、さすがにテレビ版や映画版第1作第2作の柔らかな「男はつらいよ」の世界を大切にする山田監督に即却下され、
結局大幅に書き直すことにはなったのだが・・・
最終的に出来上がった本編の中でもいくつか他の作品では見られないような寅のヤクザ的な言動が垣間見れる作品でもある。
ああ・・・「男はつらいよ」はまるっきりのファンタジー映画ではないんだなとハッと気づかされる作品なのだ。



森崎さんの訃報を聞いて

あの「女は度胸」の倍賞美津子さんのセリフ

私が年を取っておばあちゃんになって死ぬ時になっても私この太陽を忘れないだろうな」を今再び思い出している。

森崎さんはその生涯の最期の時にあの夜明けの鮮やかな太陽が見えただろうか。


合掌



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