緊急特報

映画「男はつらいよ」の中の『川甚』考察  


  
このレポートを柴又の顔 創業230年の老舗『川甚』に捧げる。





     




注意:私のサイトの全ページはスマートフォンでは文字列がガタガタになります。 パソコンでご高覧いただければ幸いです。







創業230余年。
江戸後期(寛政年間)から今に続く柳水亭 川甚は、柴又で最も古い歴史を刻む料亭で、
甚左衛門氏によって創業。

明治時代までは舟でみえたお客様がそのまま座敷に上がれるほど川べりにあった。
(屋号は江戸川の川と初代甚左ェ門の一字からとったもの)
川の水もきれいで建物の下の川中には当店の生け簀があり、
来客があると、若い衆が江戸川清流産の鯉・鰻をたも網ですくい上げて料理していたそうだ


その後、大正7年の河川改修で建物は土手の外に移され、
昭和39年東京オリンピックの年、再度の河川改修によって現在の4階建てのビルになる。

  



     




    



   
帆掛け舟が見える!!たくさんあったんだね〜。


    








      昭和33年に新館を建設
                              
     






    【川べりに建っていた頃の川甚の位置】


     私の質問に答えて、渡し舟の船頭さんの杉浦尊さんが指を差されている場所↓↓が、
    かつて昭和の戦前まで川甚が川辺に建っていた場所。現在の川甚と金町浄水場の間くらいにある感じ。

    杉浦一家は3代目のお祖父さんの杉浦正雄さんが寅さんで出てくるあの船頭さんで、
    4代目が息子の勉さん、そして孫の5代目尊さんと続いている。


     







明治、大正と、川べりにあったころは、江戸川土手も今のような外灯もなく、
仲居さんが白い提灯を手に河原から土手までお客をさんを見送り、
その光景は大変風情があったとホームページに書かれてあった。

明治38年の写真や、当時の文豪たちによる文学作品でその姿が描かれている。



■夏目漱石『彼岸過迄』より

敬太郎は久し振りに晴々とした良い気分になって水だの岡だの帆かけ舟などを見廻した。
......二人は柴又の帝釈天の傍まで来て「川甚」という家に這入って飯を食った。

この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台の下まで行って降りた。
それから美くしい広い河に沿って土堤の上をのそのそ歩いた。
敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。
須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、
寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。
須永は呆れたような顔をしてついて来た。

二人は柴又の帝釈天の傍まで来て、川甚(かわじん)という家へ這入って飯を食った。
そこであつらえた鰻の蒲焼が甘たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。
先刻から二人の気分が熟しないので、
しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、
この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。
細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。


■尾崎士郎『人生劇場』より

道が二つに分かれて左手の坂道が川魚料理「柳水亭」
(これは後の「川甚」)の門へ続く曲がり角までくると吹岡は立ちどまった。


■谷崎 潤一郎『羹』より

巾広い江戸川の水が帯のように悠々と流れて薄や芦や生茂った汀に「川甚」と記した白地の旗が
ぱたぱた鳴って翻っている。


■松本清張『風の視線』より

車はいまだにひなびているこの土地ではちょっと珍しいしゃれた玄関の前庭にはいった。
「川甚」という料亭だった。


■大町 桂月 「東京遊行記」より

十二時に近し。午食せむとて川甚に投ず。鯉、鰻来て膳にのる。 これを肴に酒を呑む。


■幸田 露伴 「付焼刃」より 

汀の芦萩は未枯れ果てゝいるが堤の雑草など猶、地を飾っている。
水に臨んでいる「川甚」の座敷は・・・。



■田山 花袋 「東京の郊外」より

藍のような水に白帆がいくつとなく通っていくそこには、「川甚」という 川魚料理店がある。




■林 芙美子 「晩菊」より 

晩夏でむし暑い日の江戸川べりの川甚の薄暗い部屋の景色が浮んでくる。
こっとんこっとん水揚げをしている自動ポンプの音が耳についていた。





その後、大正7年の河川改修で建物は土手の外に移され、
昭和39年東京オリンピックの年、再度の河川改修によって現在の4階建てのビルになった。



この映画「男はつらいよ」の中でも
第1作でさくらと博が結婚式と披露宴をあげた場所として、
そして第28作「寅次郎紙風船」では
寅の母校の「柴又小学校」の同窓会会場として登場する。











その、柴又『川甚』が、長い歴史に終止符を打ち、この2021年1月末をもって店を閉じられる。

今後数年ほどの充電の後、
今度は同じ葛飾区の青戸の方に新しくお店を建てられるそうだ。





私は柴又に移り住んでから10年経ったが、
同じ7丁目ということもあってついつい取材を怠っていた。

そこで、先日、意を決して川甚の中と川甚の外の取材を敢行したのだ。

まずは江戸川からの『川甚』を紹介してみよう。




     千葉県側矢切の矢切の渡し舟の渡し場から見た 「川甚」 タワーのようなのっぽの建物があるのが「川甚」

    




     
「川甚」の横に富士山が見える。そのずっと左にスカイツリー。

    



   
    
渡し舟の舟の中から見た川甚。

    




    
雲のあり方がなんとも美しい

    





    
渡し舟を降りたら、『川甚』が聳えている。

    




    
雪が積もった日の朝の『川甚』

    





    


    




   



   


    



   
 さくらの披露宴での窓の手すりデザインはこのオリジナル手すりから来ている。
    山田組はこういうところも手を抜かない。


    


    



    



    



    


    



    




    





    












    
それでは映画本編を観てみよう。


     



まずは1969年(昭和44年)に 第1作「男はつらいよ」で登場する






この映画シリーズで、『川甚』での館内ロケ
この第1作のタコ社長のドタバタスクーター到着シーンだけ!!



    





    







    




    




    同じ柴又7丁目に住み、10年間が経ったが、このピンポイントロケ地に入ったのは今回が初めてだった。
   開店まもなく訪問したので、ちょうどフロントにおられた若旦那さんの天宮さんに許可を得て撮影を行なった。

   
ここが↓この映画シリーズ唯一の川甚の館内ロケピンポイント!


    





   第1作は、このあとの、控え室、結婚式場、披露宴会場は 全て大船のセット撮影だ。





今度は、12年後の
第28作「寅次郎紙風船」序盤での柴又小学校同窓会会場として 玄関先でのロケが行なわれる。


   第28作「寅次郎紙風船」

    





    ピッタリ同じアングルで撮影。 現在は右側に大きな新館が建っている。

    





    1981年当事の新館はビルではなかった。このような日本家屋。

    





    赤い鳥居の位置は今も同じ。このように大きな新館が聳えている。

    



    





カメラは「茂」を映し、そのまま左にパンして、川甚の玄関先まで追って行き、そこで「カワウソ」と合流するのだが
このシーンは、1カット撮影している。


    



    現在は新館の入り口が見える。二人くらいでランチを食べに来ると旧館の方ではなくて、新館の1階のテーブル席に通される。

    






    ここからは川甚ロケではなく、第1作同様
   川甚の見取り図を参考に作りこんだ大船のセット撮影だ。



    





     寅が機嫌良くやって来るこのシーンは、よくよく観ると、
   
カメラは玄関の中からしている。


    


     

    玄関のガラス戸の中から撮影。

    





    なるほど、実際の旧館1階をなかなか良く再現している。


    





    






    この階段のシーンも実際の川甚の階段位置と階段脇を良く再現している。


    



    
    





    向うに同窓会が行なわれる宴会場がある。という設定。実際にはそういうお客さん用の部屋はない。

    

    


    
     






    




    フロントなども、実際の構造に似させている。


    




 
    この奥から別館に繋がる通路の先の別館の宴会部屋だけはフィクションだ。実際はそういう大きなお客さん用の部屋はない。

    




     このように「関係者」以外は立ち入り禁止となっていて、実際は、スタッフさんたちが働く部屋になっている。

     





    開店直後におじゃましたので、天宮純也さんに少しお話を聞いた。
    お客さんはまだいなくて、静かな状態で撮影させていただいた。

     



今回の短いインタビューで若旦那さん(総支配人)の天宮純也さんが言われたのは、


■この玄関以外は、外での撮影が多かった。

■ほとんどはセットでの撮影。やはりこの中は照明が暗く現地ロケは困難だったため。

■披露宴シーンでの窓の手すりが、実際の手すりがリアルに再現されていた。



  っていうのは
  まさにこのシーンのことだろう。↓



     天宮純也さんが言われた手すりはこのシーン↓↓

    




   
    川甚の最上階の部屋から見た矢切の渡し。↓↓
   そして
手すりに注目!!
   あの映画で出てきた手すりだ!!山田組は再現したのだ。


    






    かつては、結婚式の部屋もあった。もちろんこれも大船のセット撮影。

      




     川甚の旧館にかつてあった神式の結婚式場。

      








      さくらの披露宴もこの旧館大広間で行なわれたと言う設定。
    もちろんこのシーンは全て大船のセット撮影。


      





   川甚の実際の大広間

    








それともうひとつ↓

川甚が映っているというのではないが、
第1作OPナレーションで、
川甚の屋上から撮影したと思われる映像がこれ↓↓
当事の柴又江戸川土手下の貴重な映像である。


  
遠く金町取水塔。そのまた向うに常磐線の鉄橋、近くは大きな敷地の金町水道局。
       



    帝釈天の屋根が見える。
    


    1975年の航空写真。赤丸が川甚。黄色丸が矢切の渡し。黄緑丸が帝釈天。
    




















ここからは川甚が本編で映りこんでいる作品と
現在の同じ場所を紹介しよう。



2021年1月24日 追加訂正あり



    
第1作「男はつらいよ」矢切の渡しから見た映像にはっきり川甚が映っている。

     





     私も渡し舟に乗ってこの第1作のアングルを撮影してみた。

     





     第5作「望郷篇」OP

    






     同じく、ほぼ同じ構図で 第7作「奮闘編」OP

     





     








    第6作「純情編」 OPの俯瞰でも!!はっきり映っている!!赤囲みが川甚 黄色囲みが帝釈天

      
      



      






      第6作「純情編」舟遊びの背景

     









     第10作「寅次郎夢枕」 これは大きく川甚が映る!!

     




     マンションに隠れているがこの位置この構図

     







    第13作「寅次郎恋やつれ」OP  矢切の渡しからさらに下流で撮影している珍しい映像。

    




     




     同じく「寅次郎恋やつれ」歌子ちゃんとの舟遊びの時も大きめに映りこんでいました!

     

     









     第15作「寅次郎相合い傘」のOP歌のシーンで さくらが土手を自転車で走っている時に 
    下のグラウンドで野球をする少年たち。
カメラが右にパンする際に大きく川甚が映る。
    矢切の渡しにも少し近く、水道局にも近いグラウンド。


     





     





「相合い傘」のこの野球グラウンド当該シーンを動画で作ってみた。
場所のピンポイントはまさにこの場所!


https://youtu.be/mjQ9SOKfkPU







     「寅次郎相合い傘」での兵頭パパを見送るシーン。右端に川甚。川甚のそば。

     



     







      第16作「葛飾立志編」 これはほぼ「相合い傘」の位置。ただし下からの撮影で、右端に川甚。

     




     








     第17作「寅次郎夕焼け小焼け」 グラウンドの向うに川甚。取水塔から近い場所

       



     








     第19作「寅次郎と殿様」OPの歌のシーンで2度「川甚」は映る。

     




      




      






      同じく第19作「寅次郎と殿様」 原っぱの向うに川甚。 取水塔から近い場所。

      




      









       第21作「寅次郎わが道をゆく」 取水塔からやや近いグラウンド。

      





      









      第23作「翔んでる寅次郎」 取水塔からやや近いグラウンド。

     




    





     第23作の、この喧嘩の最中にも川甚はもう一度映りこむ。やや下流で撮影。

     




      




     

      第26作「寅次郎かもめ歌」 土手の上は一本道ゆえに分かりやすい。

      




     映画当時と比べて土手の上の道はかなり作りなおされている。
   それゆえ道のうねりなどもちょっと各作品の撮影当事とは違っている。



      












      第27作「浪花の恋の寅次郎」取水塔から少し近い場所。

      





      






      第27作では珍しく江戸川河川敷のロケが行なわれ、川甚もシルエットで映りこむ。

      




      






      第28作「寅次郎紙風船」 これも取水塔から近い。

      





      河川敷の道も、土手の上の道も幅広く作りなおされているゆえに
    当事の草っぱらのカメラ位置は、現在の道の位置に当たるのである。


     
      





     この第31作「旅と女と寅次郎」
   矢切の渡しのコントがあるゆえに『川甚』がはっきりと怯えて映りこむ。


     




      




      








   
    第32作「口笛を吹く寅次郎」は取水塔近く

   






     土手の道はどこもかもこのころと比べ、角度がかなり変えられている。見ての通り道がかなり広くなっている。

     








      第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」 満男たちのブラバン練習がこの真下で行なわれている。

      





      さくらの自転車と私の自転車

      







     第35作「寅次郎恋愛塾」では珍しく『川甚』の近くでロケしている。
      

    





    私の自転車も活躍

    








    第40作「サラダ記念日」は、朝日印刷の屋根から帝釈天の屋根が見え、その向うに川甚が見える。

    





     同じ高さのバルコニーに椅子を置き、3メートルの一脚にカメラを設置し撮影したもの。
   川甚のタワーの上部が映っている。

     







    以上、川甚が本編に映りこんでいるシーンと、その再現を紹介した。








     「川甚」が映っている作品とシーンの場所を航空写真に印を付けるとこうなる。
    (第16作と第35作の、2つの重要な野球シーンだけは川甚とは関係なく参考までに添付しておいた。)




    


    




     







以上、川甚の特集でした。



下に追記あり↓↓







【おまけ】

【全48作品の柴又江戸川土手全芝居シーン地図】




川甚とは関係ないが、
せっかく今回江戸川土手ロケ地を詳細に取材したので
【全48作品の江戸川土手(柴又エリアのみ)の全シーンロケ地マップ】
地図上に詳細に記してみた。

ただし、風景描写だけの短いB班カットは除外した。
金町エリアと小岩、北小岩エリアあたりも今回は除外した。

OPの歌の中や本編の中で
あくまでも俳優が芝居をしている江戸川土手柴又エリアの全シーンである。

参考までに見てください。



ちなみに、
一つの地図の中に全部を入れるとあまりにも混乱するので

■第1作から第19作まで
■第20作から第30作まで
■第31作から第48作まで

と、3つの地図に分けて記した。



※ 膨大な量のロケが行なわれているゆえ極まれに抜けがありますでしょうが
  許して下さいね。あくまでも目安です。柴又河川敷と土手の
  95パーセントは入れたと思います。

  あと、地図の面積が狭い中にギュウギュウに詰め込んでいるエリアがありますので
  厳密なロケ位置と言うよりは5〜7メートル以内の範囲と思って下さいね。



  なお、ロケ位置は数字の位置ではなく、赤丸の位置なので間違わないように。

  取水塔エリアや矢切の渡しの土手など、ギュウギュウ詰めのエリアは
  どうしても数字が添付できないゆえにかなり離して数字を添付した。
  それゆえ数字の位置ではなく、
あくまでも赤丸、赤線の位置がロケ位置であるということだ。









■まずは第1作から第19作まで




   一つの作品で江戸川土手シーンが複数ある場合でも、俳優が演技をしていれば
   なるべく記するようにした。

   なお、ロケ位置は数字の位置ではなく、赤丸,赤線の位置なので間違わないように。

  


  
2021年1月25日1時10分 追加訂正

  







■第20作から第30作まで


   江戸川の単なる風景描写は今回は地図の中に入れなかった。
   あくまでも俳優が芝居をしているシーンを中心に絞った。


   2021年1月25日3時30分 追加訂正

  






■第31作から第48作まで


   ■川上の
金町エリアや川下の小岩北小岩エリア
    第41作〜第48作で諏訪家ゆえ、よく撮影されているが、今回はあくまでも【柴又エリア】だけに絞った。
    俳優の演技シーンは入れたが、短い風景描写だけのシーンは入れていないことが多いのでご了承を。
    (第45作は走っている黄緑線もロケ地)




2021年1月25日21時15分 追加訂正


  







【考察】


■全体を通して、OPの歌のシーンでのコントは取水塔の近くで多くは演じられ撮影されている。

■全体を通して、2つの取水塔の付近も多くの撮影が行なわれている。
  特にタイトルインの時は取水塔がほぼほぼ同じような構図で
  スクリーンに入り込んでいることが多い。

■20作台を除き、矢切の渡し付近もかなり多く、矢切から渡ってくる時も時々あるが、
  柴又の渡し場での演技だけの場合も多い。

■黎明期には、常磐線の鉄橋を超えて金町地区でのOPが多い。

■黎明期から第19作までは江戸川の中や矢切の渡し付近もかなりロケをされている。

■上記とだぶるが、20作台の作品は意外にも演技場所が取水塔付近で、
 かなり偏っている。コントなども取水塔付近が圧倒的に多い。

■これも上記とだぶるが、20作台は矢切の渡しはロケとして使われていない。
 矢切の渡し付近も第27作、21作などを除いてほぼロケになっていない。






終わり