今日なら間に合う、明日なら遅い
 


もうずいぶん昔だが、山田洋次監督の「15才.学校W」を見た時にちょっとひっかかったことがあった。

それは人間関係に悩み不登校気味の主人公の少年が家出をし、旅を続ける中で、
人間として成長していく過程の最終段階として、家に戻った彼はとりあえずまた中学校に
ちょこっと行き始めるのである。

あの結末を見て傷ついた子供はたくさんいただろうな…、とまず思った。


あれはある意味、学校へ行くこと(戻ること)が良いことのように取ろうと思えばとれるのだ。
少なくても学校へ戻らないよりは戻った方が気持ちが元気になったとか人間的に成長したと,
つい思ってしまう。実は学校という袋小路から開放されたゆえに元気になる子供たちはたくさんいるのだ。
いじめや人間関係の軋轢で不登校になり、悩んでいる子供たちを元気付けるのは
あのような学校復帰の映像ではないはずだ。

学校という組織は、本音の部分は、地域作りや国作りのためにまずあるのであって、
その子供本人のためというのは実は二次的なものとも言える。

もう以前からいじめを苦に自殺してしまった子供たちや、いじめられ大きな傷を負ってしまった子供たちが
がかなりの数出てしまっているが、
本気でその子を守れるのは友人や担任でなくギリギリでは親だと思う。
親は子供がうすうす学校でいじめられていることを知っていることが多い。子供が帰宅後も毎日家でも悩み、
時には泣いて苦しんでいることを知りながら親はつい今日も子供を学校に送り出してしまう。
親自身も仕事が相当忙しいのだろうし、子供に対しても、もっと何事にもくじけないで強くなって欲しいと思うから
「気にするな」とか「負けるな」とか「担任の先生に相談しろ」とか適当なことを言って
今日も、そして明日も学校に送り出すのだ。


今現在、いじめで真剣に悩んでいる子供が私のこの日記などを読むはずがないとは思うが、
もし万が一たまたま読んでいてくれたとしたら私ははっきり言いたい。
明日学校に行くことがもしある意味『地獄』ならば、明日から学校を全く行かなくていい。
後に元気になってもまだ行きたくないならば、ずっと行かなくていい。行かなくても実は
人生では死ぬほどには困らない。少なくとも『生き地獄』には絶対にならない。
誰がそのことに反対しても、私はそんな学校に100パーセントいく必要などないと
言い切れる。学校は君のためになどない。君は学校に御奉仕する必要は全くない。
いや、頼むから行かないでほしい。

そして親はそんな子供を100パーセント支持してやって欲しい。
どこの世界に『地獄』に毎日子供を送り込む親がいるだろうか。
仏教で言う人間の苦しみの中に『怨憎会苦(おんぞうえく)』というものがある。
ある人と会いたくないのに会い続けねばならない苦しみである。
これは本当に苦しい。ましてや一対多数の怨憎会苦だ。
学校はある子供たちにとっては『楽しいところ』だが。別の子供たちにとっては正に『地獄』なのだ。

お願いだから不登校の子供たちの最終目標を『学校復帰』などということにしないで欲しい。

不登校の子供たちの最終目標などないのだ。目標などというカッコいいことを決めてプレッシャーを
与えないでほしい。今精神の限界に来ている子供たちに対してまずしなくてはならないことは、
今日から学校休んでいいよ。もう学校へ全く行かなくていいんだよ』と言える親かもしくはそれに近い
親しい大人の存在である。

よく、マスコミなどが、親と担任、学校を交えた話し合いや文章交換によるいじめ事実の客観的な把握や
カウンセラー通いや担任を交えた加害者たち(その親も含む)との相互理解、教育委員会への直訴などを
しゃべったり書いたりしているが、そんな悠長なことはそのあとのずっとあとで十分である。
そもそも担任は大勢の生徒を抱えているので一人ひとりに対する集中力はきわめて希薄なのである。

まずはなんらかの理由で『地獄』を味わっている子供を親は抱きしめ、自分は子供の『完全な味方』で
あることをはっきり言ってあげ、「学校へ行かなくていい」ということを自信を持って子供に言ってあげること
である。のんびりとカッコいいことを思わないでほしい。閉鎖的な空間での一対大勢の恐怖を自分も子供の
身になって想像してほしい。ひょっとして一刻を争うことなのだ。

そして親は自分の仕事を本気で一時中断して、子供を守ってやってほしい。
その会社なんて、たとえ数ヶ月休んだって、本当は誰かが貴方の代わりをしてくれるものだ。
会社での地位などよりも自分の血を分けた子供の方がはるかに大事に決まってるではないか。
子供と一緒に静かな闘いと共に歩む日々を始めてやってほしい。
『学校に行かなくていいんだよ。私と一緒に居よう』と言ってやってほしい。

『今日できること』はこのことしかない。今なら間に合うのだ。明日はもう遅いかもしれない。




              
   猫も人間も最後の最後、子供を守れるのは親