方丈記と私







2004年11月8日  800年の時を経て

バリに戻って、ようやく3週間が過ぎ、絵を描く日々が戻ってきた。私の近所に村の小学校がありその裏の道はいまだアスファルトが
引かれておらず歩いていくと隣村に通ずる。このあたりはとても雰囲気がよい。昨日の午後、一時間ほどで一気に描ききった絵が
下の「村への道」である。

それにしても最近アスファルトを引いていないいわゆる「地道」が少なくなってきた。私が住み始めた14年前、大きなメイン道路意外は
全て地道だったのに、ここ数年でほとんどの道がアスファルトに変わってしまった。村人にとっては雨期の泥んこ道から開放されて嬉しい
のかもしれないが、やはりアスファルトでは絵にならないのである。土というのは実に良い。時には硬く、時には柔らかい。私は土を求めて
バリに来たようなものだ。

もう何度か書いたと思うが、絵というものは、頑張っても、気張ってもダメな時はだめである。上手くいくときは
パッと上手くいく。その時のタイミングと描いている最中のリズムで決まる。こればっかりは描いてみないと本人にも分からない。
まったくわがままなダダッ子みたいなものだ。まあ、絵の結果は究極的にはどちらでもいい。こうして絵が描けることが貴重なのだと思う。
誰のためでもなく、ただ気持ちのままに絵を描ける環境にあるということに最高の至福を感じる。

私のバリ島での愛読書「方丈記」にもそのようなことが書いてある。

『芸は拙なけれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。
独り調べ、独り詠じて、みづからこころを養うばかりなり。』


はるか800年も前に生きた鴨長明さんも、同じようなことを考えていたんだなあ、と感嘆している。
方丈記は私の隠遁暮らしと共通する部分が物凄く多く、毎回読み返してはニタニタ笑っているのである。




                            ( 「村への道」 2004年 油彩 F4号 )

                










2004年11月16日  長明さんの何気ない

ここ一週間夜になると必ず雨が降るようになった。いよいよ雨期の到来だ。そのせいか1ヵ月ぶりに今日は断水もなかった。
雨期は困ることも実に多いが、水不足に悩まなくて済むので嬉しい。

今日も『方丈記』を再読している。鴨長明さんの住居と私の住居は共通点が実に多い。これはまことに興味深いし心強い。

その家の有様、よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈、
高さは七尺がうちなり。所を思い定めざるがゆゑに、地を占め
て、造らず。土居を組み、うちおほいを葺きて、継ぎ目ごとに、
かけがねを掛けたり。もし、心にかなはぬ事あらば、やすく
他へ移さんがためなり。その、改め造る事、いくばくの煩いかある。


広さは僅か、3×3の9u。高さは2mちょっと。どこかに住みたいと思い定めて
住むわけではないから、土地を買ってそこに建
てることもしなかった。家屋も土台を組み、
簡単な屋根を葺き、柱などの継ぎ目はかけがねでつないだだけだ。
もし、そこでいやなことがあったら簡単に別の土地へそのまま移せるように造った。
その時の費用はそれほどかからないのである。


広さが3×3mなんて、とてもこじんまりしている。その中で寝起きし、時々琵琶を弾いたり、お経を読んだり、書いたり、和歌を
詠んだりするのだ。釘はほとんど使わず、いつでも移動できるようになっている。費用もほとんどかかっていないようだ。

私の建てた家も簡素な造りで、特に、寝る家と、アトリエは釘をほとんど使わず、木を組んで高床式で造った。これはバリ島の
昔ながらの米倉からヒントを得たものだ。だからなにかいやなことが続いたりすると、バラしてトラックで別の土地に持っていける
のだ。台所などは柱も壁も全部そこに生えている竹で造った。
それゆえ費用はあまりかかっていない。同じ村の大工さん数人にかなり手伝ってもらったが、随分私や宮嶋も手伝って費用を
浮かした。

ただ、私は長明さんみたいに一丈(3×3)の狭い部屋に住むほどの気持ちの軽さはまだない。絵も売るし、染織作品も売る。
まあしかし、別に長明さんまでしようとも思わない。私にとって今の状態も随分『隠遁』だ。このへんが自分の分だと思っている。(^^;)

私の愛読書「方丈記」の表紙の「帯」用に息子(龍太郎)がマンがを描いてくれた。気に入ったので下に紹介します。
このマンガはなんかよく分からない筋ですが、なんとなーくのどかな雰囲気が出ていて見ているとほっとするから不思議です。




長明さんの何気ない一日  龍太郎作

(右から左へ番号に沿って見ていって下さい。)                                           

                                                                        




                  8                                                           















2004年11月23日  自ら休み、自ら怠る

いよいよ毎日雨が2〜3時間ほど降るようになった。敷地の緑もいきなり濃くなり、成長が加速している。
今日22日は一日中雨。もうすべてキャンセル。
雨が続くと、予定が狂う。まず、野外制作が億劫になリ、アトリエでの制作が増える。遠出の用事を先延ばしにしたくなる。
起きる時間に雨が降っている時などは、すぐには起きないでだらだらしてしまう。買物もなるべくしないで、あるものでつい
我慢をしてしまう。あまり人と会わなくなる。等々だ。我ながらとほほである。
しかし、それには他のわけもある。乾期の間の熱帯の疲れがゆっくり現れるのも実はこの雨期の初めの今なのだ。
体が熱っぽくなり、時々頭痛が襲ってくる。ゆっくり養生してれば1週間ほどで消えていく。体のリズムをつかみ、無理を
しないであえて怠ける。このことはこの東南アジアの片田舎では絶対必要なことだ。

先週から紹介している「方丈記」の中で長明さんもこう書いている。

もし、念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。
さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、
独り居れば、口業を修めつべし。必ず禁戎を守るとしなくとも、
境界がなければ、何につけてか破らん。


もし念仏を唱えるのが億劫で、読経を勤勉にしたくない時は、潔く自分で休んでしまい、
自分から怠けてしまう。そのことをよくないことだと妨げる人もいないし、また、そのようなことを
恥じねばならない人もいない。特に無言の行をしなくても、独りでずっといれば口(しゃべることから生じる)
から出るいろいろな罪、わざわいから免れる。
必ず戒律を守ろうとしなくても、そもそも戒律を破る環境がないのだから、何によって戒律を破ろうか。


私にはさすがにやらねばならぬことが少しはあるから長明さんのようにはいかないが、それでもできるだけ無意味に人に会わないで
すむようなことを選び、どちらでもいいような用事はすべて捨てるようにして心身に無理をかけないようにしている。40歳過ぎでこんな隠遁
してていいのだろうかとは近年はもう思わなくなった。とりあえずこの生活以上にやりたいことはないのだから。



               長雨の日は猫もほとんど動かず寝っぱなし…。いつまでも寝続けるプリンとブチの兄弟猫

                  













2004年12月3日  人に交わらざれば、姿を恥づる悔いもなし

雨、雨、雨、…いきなり雨期真っ只中!もともと出不精な方なのにほとんど遠出をしなくなった。そろそろ今年も本格的な『冬眠』に
入る時期が来た。夕方近くそのあたりを散歩して、近所の人とちょっと話をし、あとは敷地で染織デザインなどの作業をし、絵を描き、
食事を作る。買物はなるべく週に1回食材がなくなってきてもまあなんとかありあわせの野菜で簡単におかずを作る。この季節マンゴ
が上手くて驚くほど安いので(1s60円!)マンゴだけはたくさん食べる。昼は宮嶋が作り夜は私が作ることが多い。雨期は4ヶ月ほど
続くから、その間はほとんどこんな感じ(冬眠状態)で過ごす。近くのアグンライの家族たち以外の人とはほとんど交流を閉ざす。もちろん、
日本から来た知り合いとも、同じ村に住んでいる昔馴染みの日本人達ともこの雨期冬眠中は滅多に会わないようにしている。冷たい奴だ
と思われても、いっこうに構わない。徹底的に静かに暮らす。まあ、もともと敷地には誰も入れず静かに暮らしたい気持ちから、こんな
ジャングルの中に引っ越してきたのだから、あたりまえといえばあたりまえ。もう2年近く友人も含めた人々の敷地への来訪を遠慮して
もらっている。電話も嫌いだから鳴らないようにしている。人との通信手段はFAXとパソコンのメールだけ。これはとても好き。見たいときに
見れるし、音は出ないし、気がむいたときに返事が出せる。私としてはメールは嬉しいし、大歓迎です。

ここんとこ紹介し続けている鴨長明さんも静かに暮らすことを何よりも好んだ人だ。

人に交はらざれば、姿を恥づる悔いもなし。
糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす。


世に出て人と交際するわけではないからみすぼらしい姿を恥じて後悔することもない。
食糧はいつも乏しいからしょうもない食べ物でも美味しいと感じる。


と、いうところまで書いたらなんと!昨日からPCが壊れていて、動いたり、止まったりで、瀕死の重傷である。
もともと安くで買ったので、いつ壊れてもおかしくないが、今日はパソコン屋のエンジニアの人に来てもらってマザーボードを
取り替えざるを得なかった。(TT)
それと、猫のマリがあと10日ほどでまたまた出産しそうだ。もうこれで4回目の出産!3匹くらいお腹にいそう(^^;)
ああ〜〜、せっかく「冬眠」しようと思っていたのに〜〜!おぉのれぇ〜〜 (ーー;)  まあ生まれたら生まれたで可愛いけどね…。



              激しい雨と共に雷が近くに落ちたので慌ててテラスから部屋の中に入った

                











2004年12月9日  やって来ましたドゥリアンの季節!

ドゥリアンの実がたわわに実り始めている。私のアトリエの窓からすぐ裏に何十個と見える。
いよいよドゥリアンの季節がやってきた。
昨日さっそく2つ食べてみた。トゲトゲを開けたとたんとてもさわやかな香りがプア―っと広がった。
新鮮なドゥリアンはくどくないのだ!3人で取り合いをしながらあっという間にぺロリ。あ〜至福…)^o^( 
これから二か月ほどはしょっちゅう食べることになる。ほとんど誰にも会わないこの寂しい隠遁暮らしのなかにも
近くで採った新鮮な果物の香りが入り込み、少し心が和む。
今朝は久しぶりに晴れて渓谷は一面の朝もやに包まれていた。
今夜は暦の日がいいらしく、どの寺も儀式が始まっていて、遠くからガムラン演奏の音が聞こえてくる。

鴨長明さんは方丈記の最後の方で、自分の人生について高らかにこう書いている。


おおかた、世をのがれ、身を捨てしより、
恨みもなく、恐れもなし。
命は天運にまかせて、
惜しまず、いとはず。
身は浮雲になずらへて、
頼まず、まだしとせず。
一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきわまり、
生涯の望みは、をりをりの美景に残れリ。


世を逃れ身を捨ててからは、私はおおかたのところ
恨みもなく、恐れもなくなった。
命は天運に任せて
命を惜しみもせず、また、死を恐れもしない。
この身を浮雲のように思いなぞらえているから
現世の幸運を頼みもせず、また、悪運だからといっていとわない。
一期の楽しみは、うたたねをする枕の上に極まり、
生涯の望みは折々に見た美しい景色に残っている。


今書き込んでいるだけでも胸が熱くなってくる。こんな美しい文章は古今東西でもめったにない。
『この人生に悔いなし、』と、言い切る長明さんの涼やかな顔が目に見えるようだ。
世俗の垢にまみれてきたこの私にも長明さんのこの言葉を心の底から言えるような日々がいつかくるのだろうか。




               12月8日午前6時の渓谷の空 こんな美しい朝は何もしないで長いすに横たわっていたい。

                   









  以上バリ日記より抜粋







最初のページに戻る