ゴヤのこと




            2003年1月26日

            「末期の眼」



            昨日久しぶりに正面の壁にかけている絵を変えた。今まで、ゴッホの「アーモンドの花」、
            モネの「死の床のカミーユ」、レンブラントの最後の「自画像」 、ベラスケスのこびとや道化師の肖像、
            熊谷守一の「陽の死んだ日」、など自分にとってかけがえのない大切な絵を飾ってきたが、
            昨日、新しく、ゴヤの「ボルドーのミルク売り娘」に変えた。
            
            実は、ゴヤは私にとって人生の最初に出会った画家なのだ。私が13歳の時、京都の市立美術館で
            大々的な「ゴヤ」展が開催され、ゴヤに興味を持っていた私の両親についていったのだが、
            それはそれはすさまじい絵だった。生前には発表されなかった戦争の惨禍シリーズ、黒い絵たち、
            など自分が見たことも無い人生の裏側をえぐった絵を次々に見ていくにつれ、あまりの凄さにめまいや
            吐き気に襲われ続けながらも強烈に引き付けられる引力を感じた。この世界にはなんとすさまじい絵を
            描く人がいるんだろう。と。
            そのあと30年ものあいだ世界のいろんな絵を見てきて思うのはゴヤは決してレンブラントやティツィアーノ
            のような優れたデッサン家ではないし、彼が憧れ続けたベラスケスのような天才でもないが、持っている
            生命力やパワーは底なし、ということだ。あのしたたかさと途切れることの無い不屈の精神の持ち主は世界
            でもそうはいない、と思っている。特に耳が聞こえからなくなってからのタッチは生きている。

            1764年スペイン片田舎のメッキ職人の息子から、したたかに43歳で宮廷画家にまで一気に登りつめた
            栄光と、47歳のころ高熱の後遺症で聴覚を失ってからの当時の世相をも背景にした地獄、を身をもって
            味わっていく後半生。心の落差のなんと激しいこと。
            あの銅版画80枚「戦争の惨禍」シリーズは60歳を越えてから。
            あの自宅(聾の家)の壁に描いた「黒い絵」シリーズは70歳を優にこえていた!すごい気力と反骨心だ。

            最晩年、眼も気も弱ったゴヤはフランスのボルドーに亡命するがその絶望の果てにゴヤが最後にみたものは、
            ロバに揺られながら朝日を浴びる少女だった。この死の数ヶ月前に完成した「ボルドーのミルク売り娘」には
            澄み切ったゴヤの最期の境地が垣間見られる。これがいわゆる「末期(まつご)の眼」というものであろう。
            「美しい。」そうしか言いようのない作品だ。
            ゴヤの「一生一品」は、人生最晩年のこの作品だと私は確信している。
            82歳でこの世を去ったゴヤが故郷スペインに埋葬され直したのは亡くなって70年後のことだった。






             (黒い絵― 犬 1820年ごろ  )                  (ボルドーのミルク売り娘 1827年)

                         





以上バリ日記より抜粋



          



最初のページに戻る