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大正時代の江戸川堤の桜並木写真ご紹介








寅「さまざまな、事思い出す桜かな。

 昔の人は味のある事を
 言ったものでございます。

 満開の桜を眺めておりますと
 私のような愚か者でも
 さまざまな事を思い出します。

 思い起こせば
 親父と大喧嘩をした十六の春。
 これが見納めかと涙をこぼしながら
 江戸川の土手は一面の
 桜吹雪でございました。




  今では一本も残っておりませんが
 私がガキの自分江戸づつみは桜の
 名所だったのでございます。



  毎年春になると両親に連れられ、
 妹さくらの手を引いて、
 花見見物に出かける時の

  あのわくわくする楽しい気持ちを
 今でもまざまざと思い出します。





 あ、申し送れました。

 私の故郷と申しますのは
 東京は葛飾柴又、
 江戸川の辺にございます。





    
    
今から15年ほど前に息子の宮嶋龍太郎が描いたこのナレーションのイメージ画





これは第38作『知床慕情』のOPの寅のナレーションである。

寅の幼少期は私たちが勝手に想像しているよりもずっと幸せだったのではないだろうか・・・
そういうことを思わせる寅の回想の言葉だ。

戦後しばらく経って江戸川堤の桜並木はほぼ全部伐採されてしまったが
それまでは桜の名所だったそうだ。

水元公園の土手の桜並木を見ながら、昔はこんなふうだたのかなと想像したり、
息子の龍太郎に絵を描いてもらったりして想像を膨らましていた。



2021年3月初旬

つい、先日のこと、
寅さん記念館での絵画展の最中、「柴又まちネット」の加藤洋二さんが会場に来られて
面白いものがあると、
貴重な大正時代の柴又の何枚かの絵ハガキをテーブルに置かれた。


寅次郎の思い出の江戸川堤の桜並木絵ハガキがあったのだ!!。


これは小さな絵ハガキで、
おそらく柴又の川甚や割烹料理屋などで売られていたり、お土産に差し上げたりしていたものと
思われる。


絵ハガキのタイトルには

柴又.冬枯れの櫻並木江戸川堤』と印刷されている。



発行元の「中村屋」はどこにあった料亭なのか不明・・・





これらの絵ハガキは極まれにインターネットオークションなどで上がってくるのを柴又まちネットの加藤さんが
落札され、ご自分で保管されているのだ。
ずっと長く続く桜並木。江戸川土手は低かったのだ。
そしてこの写真では河川敷が少しあり、川があり、向うの矢切側の土手が見える。



この屋形船も大正時代の絵ハガキ。
おそらく↑の桜並木と同じく大正時代くらいのものだと思われる。

屋形船の写真も貴重だし、
向うに長く続いている土手の桜並木も貴重な資料だ
。↓
当時は江戸川土手がかなり低かったことがわかる。


      




     





     今も、映画撮影の場所と同じ位置に残る屋形船の残骸↓

     




     水位が少ない日はこんなに露出してくる。↓

     







    加藤さんの絵ハガキには、今まで手に入らなかった角度からの川甚の写真もある

    川甚の絵ハガキは何枚か私もデータで持っているがこの角度は初めて。


    江戸川の川辺にあった川甚。旗の向こうに川辺の平屋がある。



      





     葛飾区の紹介している当事の写真でも二階建ての大きな瓦屋根が見える。
    上の絵ハガキのちょうど逆側。江戸川からの撮影。

      








    今回絵ハガキを見せてくださったのは、上にも書きました

    「柴又まちネット」の加藤洋二さん。もう8年のお付き合いだ。

    いろいろな寅さん情報や柴又情報を交換している。

       





       と、いうことで 、どの郷土史の本にもはっきりは写っていない

      大正時代の江戸川堤の桜並木の写真を見ることが出来たのは大きな収獲だった。



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