2016年12月1日


「馬鹿まるだし」を3年ぶりに観た。


初期の山田洋次監督の作品を観るたびに思うことは
「男はつらいよ」以前の山田洋次監督は未成熟というか未醗酵だなということだ。

そのような初期作品群の中でも、のちの数々の名作を生む萌芽が数少なく見られるのがこの「馬鹿まるだし」だ。
「馬鹿まるだし」と「なつかしい風来坊」この2作品はかろうじて佳作だと言いきれる。


かつて私が書いた感想があることを思い出したので再掲してみますね。





木蓮の花と夏子さんの涙        ―  安五郎の告白 ―


山田洋次監督といえば、「男はつらいよ」だ。
主人公の寅次郎が高嶺の花のマドンナに恋をし、無私無欲で献身的に尽くす物語。
これは遠く、「無法松の一生」に象徴されるように、戦前から多くの日本人が追い求めた、人としてのあるべき理想の姿
なのかもしれない。
車寅次郎とは、岩下俊作の小説を原作として稲垣浩監督が昭和18年に制作した阪東妻三郎主演の「無法松の一生」を見て来た
山田監督が心に常に描き続けていった心のよりどころとなる人物像なのだ。
この「男はつらいよ」シリーズでも似たようなシチュエーションは第8作「寅次郎恋歌」や第34作「寅次郎真実一路」で表現されている。
しかし、形式は似ているが、それらの献身は不完全なものである。その中身である寅の無私の献身は、第18作「寅次郎純情詩集」の
中で大きく花が開くのである。この48作品の中で最も寅の無私の献身が表現されたのは、病身の綾さんを笑わせ、励まし続けた
あの「純情詩集」だと私は思う。そういうい意味では寅の心が最も純化されたのが第18作「寅次郎純情詩集」だったとも言える。

そして、実はそのような人物像は、山田監督の中で車寅次郎が初めてではない。
山田監督の初期の作品を見ていくと、このような車寅次郎的人物はすでにたくさん登場してくる。「馬鹿まるだし」「いいかげん馬鹿」
「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る」「なつかしい風来坊」「吹けば飛ぶよな男だが」。このあたりは、すべて後の車寅次郎の原型が
キャラクター的にも人間関係的にも垣間見れるのである。

特に、「馬鹿まるだし」は無法松そのもののような純粋な心を持った安五郎が主人公で、それが高嶺の花の夏子さんにひそかに恋をする。
設定的にも非常に寅次郎に似ているのだ。これは山田監督と一緒に脚本を手がけた加藤泰さんも同じように長年無法松に憧れて
きているゆえに、二人とも同じ方向を向いている。それゆえ「馬鹿まるだし」は明確に「無法松」のオマージュ的な物語になっている。

実際、劇中の安五郎は旅芝居の「無法松の一生」を見、自分の境遇と似ている松五郎に強烈に憧れるのである。
そのころちょうど安五郎も、美しい未亡人の夏子さんを慕ってからだ。夏子さんには子供はいないが、まだ幼い弟清十郎がいる。
寅次郎も安五郎も松五郎同様、自分の気持ちをぐっと秘めてつくすのである。

しかし、車寅次郎も安五郎もアウトサイダーだが、寅次郎は実は、完全な根無し草ではない。優しいさくらやとらやの人々がいつも
待っていてくれる。
それに対して安五郎は漂泊者であり、誰からもつまはじきにあった完全な社会からのはみ出し者である。救いがないのである。
それゆえ、車寅次郎のマドンナへの献身と安五郎のそれは、若干その後の状況が違っているのだ。安五郎の言葉をそのまま借りれば
「吹けば飛ぶよな旅烏」ゆえの悲哀を散々味わうことになる。

寅次郎はマドンナにふられて、旅立っていくが、どこかで優しいとらやを胸に抱いたままでいる。つまりどんなに惨めでもその惨めさの
底はさほど深くないのである。それに対して安五郎の孤独は深い。散々つくしてきたマドンナの夏子さんにさらに褒めてもらおうと、
町で起こった人質事件を解決するべく、夏子さんが止めるのも聞かず、安五郎は闘いに行ってしまう。結局敵のダイナマイトが
爆発してしまい、安五郎は足を折り、失明をしてしまうのだった。その後安五郎は町で見捨てられたように暮らすのだった。
ここに安五郎の人生はどん底に達する。


やがて…、夏子さんの縁談が持ち上がり再婚が決まってしまうのである。



夏子さんの婚礼も近いある夜。


目が見えない安五郎は、夏子さんの家に訪れる。

夏子さんに最後の別れにやって来たのだ。


暗い庭の片隅にかつて安五郎が植えた木蓮の木が勢いよく伸び、真っ白な花がこぼれるように咲いている。


そこにすっと安五郎が立っている。



                   




夏子「あら、安さん、…びっくりした。黙って入ってくるから」

安五郎縁側まで来て

安五郎「このたびの御祝言、おめでとうございます」

夏子「まあ、あらたまって…、どうもありがとう」

安五郎「あっしはこんな身体なんでお見送りもできませんが、ご新造さん、末長くお幸せに…」

夏子「安さんも、元気で暮らしてくださいね」


安五郎「へえ…」


安五郎、しばらく黙っている。


夏子「いい匂いがするでしょう。安さんが植えてくれた木蓮がきれいに咲いてるわよ」


安五郎「へえ…」


安五郎はまた黙り込んでしまう。


夏子「どうかしたの?」


安五郎「あっしゃあ、申し訳ねえ…」


夏子さん驚いて


夏子「え?」



安五郎「ご新造さん、あっしゃ汚れとる」



夏子「…」


夏子さん、下を向く。



安五郎「あっしゃ汚れております」



夏子「別にどこも汚れてなんかいないわ…」



                




安五郎「へえ…、そうでやすか」


安五郎、沈んだ声でうなだれる。


安五郎は、無法松の告白を真似た自分の一生一代の告白が夏子さんに伝わらないで
空振りに終わってしまったと思い、心が沈んでいくのである。



安五郎を見つめ続ける夏子さんの瞳が潤み、

やがて一筋の涙が頬を伝っていく。



安五郎の気持ちは夏子さんに伝わっていたのだった。



               




しかし目の見えない安五郎にはそのことが分からない。






なんとも悲しく切ない別れのシーンだった。


桑野みゆきさんの白い肌と涙を浮かべた潤んだ瞳は今も脳裏に焼きついている。


もちろん作品自体は山田監督の他の初期作品同様まだまだ荒削りで、全体に醗酵が進んでいないのは自明なのだが・・・それでも、
山田監督の本格的な映画人としての人生はこの時から始まったのではないかと私は思っている。




ちなみに、
「馬鹿まるだし」の夏子さん(桑野みゆきさん)の涙は後に
1968年〜69年放送のフジテレビのドラマ「男はつらいよ」の最終話(第26話)坪内冬子さん(佐藤オリエさん)のあの涙にバトンを繋いで行くのである。


    



映画版「男はつらいよ」はその1969年の5月に撮影が開始される。