2023年10月31日


  
福島県会津 二泊三日
  寅さん研究とロケ地完全踏破の旅




    




ご注意

私のサイトは全ページスマホでの閲覧の場合、文字もレイアウトもガタガタになります。
ぜひPCでご覧くださいね。









越中おわら風の盆での展示会も終わり、夏の展覧会も一段落。

9月中旬になると少し風が涼しくなってきた。

私は長年同じ釜の飯を食べてきた寅福さんと共に寅福さんの愛車で
4時間弱かけて遠路、福島県会津へと向かった。
高羽哲夫撮影監督さんの台本やアルバム写真を閲覧しながらの二泊三日の合宿なのだ。

現地では、同じく長年旅をしながら同じ釜の飯を食べてきた
ちびとらさんと息子さんの夕映君と合流予定。


今回の合宿地は、高羽さんの生まれた福島県湯川村にある
「湯川たから館内の高羽哲夫さんの記念館」。

そのため、記念館に2日間籠るため、昼ごはん以外は外出はほぼしない予定。

実は福島県会津地方は「男はつらいよ」のOPでのロケ地だ。
第36作「柴又より愛をこめて」でOP歌のシーンだけだが、
会津の只見線や只見川沿いの柳津赤べこ通りや円蔵寺や美里町中田観音など、
数々のロケ地を寅が列車に乗ったり歩いたり多くの場所が映るのだ。

そしてこの福島県会津は私のコレクターさんのおきな旅館の金子さん夫妻が
住んでおられる福島県福島市からも遠くはない
ゆえに縁がある土地なのである

実は今回は高羽記念館で籠るゆえに、ロケ調査の時間的な余裕があまりない。

今まで数々のロケ地調査を行ってきた私だが、
ロケ地に行くなら完璧に調査するのが私のやり方。
今回は、高羽哲夫記念館にて本編の台本や写真の閲覧が中心。

会津ロケ地調査については、中途半端になるのが嫌だったので
今回の会津ではロケ地の方はほぼ予定していなかったのだが・・・


寅福さんは、突然、一つくらいはロケ地を調査したいと数日前に言い出したので、

慌てて一応本編の会津シーンだけキャプチャー画像を取っておいたのだった。

会津ロケはずいぶん前に、すでに私や寅友たちによって完全に判明されてはいるが
微調整はまだ行われていない

場所も只見線の風景描写や列車の動画未撮影など、未完の場所は複数残ってはいる。




    




    
















一日目 9月19日晴れ


高羽哲夫記念館を開館とほぼ同時に訪れる予定のため、私たちは前日9月19日に
会津若松のホテルに宿泊しようということになっていた。この日は記念館は休館日。

ちびとらさん父子は19日は仕事が午後まであるため、東北新幹線とレンタカーにてホテルで合流。

19日午前10時、

寅福さんはなんと!柴又まで所沢から遠路お迎えに来て下さった!!

朝が極端に弱い私にはありがたかった。



    
元の川甚の近く、江戸川土手下で待ち合わせ^^

    



    
車の後部にトランクを入れてもらって、さあ出発

    



   道中は寅福さんといろいろな会話が弾む。
   彼とはもう14年以上の寅さん友達であり、なによりもロケ地調査友達。
   関東や中部のいたるところへ数多く共に旅をしてきた強い絆があるのだ。


    




    
3時間半で会津の黄金色に染まった田園が広がり始めた。まるで桃源郷だ。この時点でまだ午後2時。

    










まずは2015年春に私が発見した美里町の「弘安寺 中田観音」に行くことにした。

現地の美里町に昔からお住まいの方々にとっては、
あの
ボーダラが軒先に垂れ下がっている風景はもう美里町の中田観音だとわかるのだが
他の地域の人たちやましてや他県の人たちには皆目分からなかったのだが、
7年前、私はいろいろなキーワードを並べてインターネットで発見したのだった。



    





    
ふ〜〜〜〜美里町の弘安寺中田観音に着いた〜〜。

   片道3時間半、寅福さんお疲れ様です!!


    




    
私の寅さん友達のそのまた知り合いさんがかつてスナップ写真を見せてもらったようだ。
   (今も花紋屋さんに飾ってある)

    
    



    正面に見えるのは「花紋屋」さんの店先。この翌年に旅館は建て替えられた。

    



    つるやさんの軒先にボーダラを吊るし、軒下から寅が曲がって来る動きを狙う山田組。

    




    
撮影当時のことをお話してくださった中田観音前の
    立木さんの『きんつば』で小倉の三河焼を昼ごはんにいただく。


    



      
『立木』さんのきんつば(三河焼)の中にはつぶあんがぎっしり!!

      




       




     




美里町の「弘安寺(中田観音)」は

日本遺産“会津三十三観音”三十番札所で、
正式名称は普門山弘安寺。曹洞宗のお寺で、
国の重要文化財である銅造十一面観音像、不動明王、地蔵菩薩像を所蔵している。

また、 “会津ころり三観音”としても有名で、
本堂内にある柱に抱きつくと健康に過ごせて、病に伏せたときは長患いをしないですむといわれている。
“会津ころり三観音”は他に西会津町の鳥追観音、会津坂下町の立木観音がある。

野口英世の母シカさんが、はるばる猪苗代町から息子英世の無事を
月参りで祈願するほど信仰していたことで知られ、英世自身も帰国の際に参拝し、
当時の写真が本堂の外に飾られています。
会津地方は東北地方で最も早く仏教文化が花開いた「仏都」とも言われ、
貴重な文化財を所蔵している有名な神社やお寺がたくさんある。




        中田観音 仁王門

       立木観音の仁王門と同様、田舎作りの簡素な一層の門。
      仁王門の正面には↓のように大きなわらじが掛けられている。
      立木観音の仁王門にも、同じようなわらじか掛けられているらしい。

      昔の参拝者が傷んだわらじを門に掛けて帰って行ったことから、
      仁王様は足腰にご利益があるとして掛けられるようになったと地元の人はおっしゃる。

      





弘安時中田観音堂 前のきんつば屋さん『立木』でインタビューした。


https://youtu.be/RabgWA69Drg?si=tOsU0_VAJsrQWXCz



https://youtu.be/5gaohP_e6qM?si=U_P77ChTtzgqttH3



その他中田観音ロケ地調査動画

https://youtu.be/QX4evPyT6bs?si=j3DfVwTNYzv-PmS_





    




    本編に合わせるとこうなる↓↓

    





花紋屋さんとつる屋さんの位置 ストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/1BgNisZhXwajtjiS6





    
花紋屋さんはこの映画撮影の翌年に新しく現在のように建て替えられた。
    花紋屋さんの壁に飾ってある当時の撮影スナップ写真。

    
寅さんの中田参り

     




      
花紋屋さんの食事。美味しいと評判。

     













まだ夕方までは時間があるので


寅福さんが一番行きたがっていた

会津高田駅から数分の列車が曲がる田園風景ロケ

の場所にも行くことにした。


ここはタイトルインの場所だ。



この風景の中にタイトルがバーンと現れる。



       




      





      




     



中田観音からは車でたった7〜8分


会津高田駅からすぐの曲がり角付近の田園。

ストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/rdyDScXdG43EW4Pv7



この場所も私が最初にピンポイントを確定した場所。
この場所で間違いない。

数メートルの誤差はあるだろうが、このあぜ道の端の道路脇だと思う。


しかし、やはりこのOPは、列車が通るシーンゆえに、
実際に列車が通らないと撮影も面白くないなあ・・・と思い、

只見線が本当に通る明日20日のお昼ごろに
正式にみんな一緒に動画で狙うことにして
この19日初日はすぐにここを立ち去った。








寅福さんと相談して、

まだ夕方まで時間があり 明るい。
もう一か所行きましょうか、

という話になった(;´∀`)ゝ


今から13年ほど前に私と、当時京都に住んでいた寅増さんとで最初に見つけた
柳津ダムの近くのよろづ屋(白井商店)に行こうということになった。


 




  あの会津高田駅近くから柳津ダム(東北電力の発電所)まで今度はやや遠い。
  寅福さんの車で30分。そこそこ遠い。

  到着は午後3時過ぎ


   



   



   




   
寅はダムが間近に俯瞰できる場所にある白井商店から出てくる。


   



  手前に見えていた建造物が痛んでトタンで囲われてしまったので、
  撮影時のカメラ位置の角度に合わせようとすると、このように元の白井商店だったあの母屋が見えなくなる。


   



  
   それで、母屋が見えるギリギリを狙ったらこのへんになった。

    
    



      

        





柳津ダムの上にあるよろづ屋さん(白井商店) ストリートビュー


https://maps.app.goo.gl/nH7DYjLtzb6ohPnA8


福島県河沼郡柳津町飯谷薬師免甲 昔からこのあたりは野老沢(かみところざわ)地区


      




     





      




     映画撮影当時の コカ・コーラの正方形の看板とその壁

     



      

      今もトタン囲いの中まま当の看板も板もトタンも健在だった!!

     




柳津ダム(発電所)付近の白井商店 動画

https://youtu.be/FO7_wUccyDY?si=-xvFtV_fzlyrxKbN






柳津ダムと只見川を俯瞰で眺める寅
背後にはこの白井商店の白い蔵が見える。

        




     





柳津ダム上の白井商店 ピンポイントストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/DxCuGxnePn3V2JPQ8





    
 白井商店下から見た美しい只見川の紅葉

     



     
寅が↑で俯瞰していたのは絵になるこの爽やかな風景↓

     




長年お互いの情報を共有しあい、相互リンクを貼り、
信頼を置いている寅さん仲間の
越後の滝沢さんのサイトでの
2018年のインタビューされたお話によると

ロケ撮影前日柳津役場からこの白井商店さんをロケ撮影に使わせてほしいと連絡があり
いろいろ玄関先にそれらしい雰囲気を作るのに時間がかかったそうだ。

本当はここの店から下に歩き、只見川を渡し舟に乗って下っていく設定にしたかったようだ。
しかし、舟が2隻調達できずに、違う設定にしたということだった。

さすが滝沢さんだ。インタビューの踏み込みが深い。










ダム付近の撮影が終わって、もう会津若松の宿に帰ろうとしたのだが、

時刻はこの時点で16時15分



この旅は、もちろん高羽哲夫記念館の資料調査がメインなれども、
せっかくもう柳津までわざわざ来てしまったのだから、
もう一か所、
柳津の円蔵寺周辺にも、少し行けるんじゃないかと、
寅福さんと相談し、

17時になってしまうが、なんとか気合いで行くことにした。



柳津ダムから柳津の温泉地の円蔵寺まで7〜8分ほど。


このお寺周辺のロケ地は
カット数が多く、到底19日の夕方では回れなくて
翌々日高羽記念館での資料調査が終わった後
21日午後に再度この場所を訪ねている。

★ここでは、
 この柳津エリア一帯19日調査分と21日調査の2回分がある。
 一つにまとめて同一カ所に一挙掲載する。


      

     




北から南へ続く『赤べこ通り』にロケ地が点在している。


     


     



まずは、一番北の位置 


本編で、まず、粟饅頭のお店『小池菓子舗』が映る。





       
撮影当時は粟まんじゅうの工房がそのまま外から見学できるようになっていた。

       



      
今はガラス窓になっている。

      







       小池菓子舗を眺めながら南へ坂をゆっくり下っていく寅。

      




      
今もこの方向の風景は映画撮影時と比べてもあまり変化はない。

      




     
近年、小池菓子舗さんはお店を近年おしゃれでモダンなデザインに作り変えられました。

     



     
小池菓子舗 5年ほど前まではこんな感じの店↓↓

     



     
この店の『粟まんじゅう(あわまんじゅう)』を買いました。もちもちふわふわだった。

     




小池屋のピンポイントストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/eeGP5xSxTkqi8jR87





     
そして寅は只見川から南へ分かれる銀山川に架かる中の橋を渡っていく。
    向うに只見川に架かる
赤い柳津橋が見える。
    映画ゆえに歩く順序はややめちゃくちゃ(;^_^A


     



     




『中の橋』 ピンポイント
https://maps.app.goo.gl/PptHry3CnrJFdZdH6



    




   柳津 赤べこ通り  会津桐下駄小川屋



     





     
残念ながら、数年前にお店はもう潰されて、住宅が建っている。

     



    道路わきの下水のフタは店の有った7年前と位置は一緒。

     





     



     




     



    
この道路と建物の間に被せてある下水道か何かの鉄のフタはお店が有った8年ほど前と全く同じ位置。
   赤で囲ったのが寅の立ち位置。黄緑が小川屋さんの暖簾


    




     
右の方の下水道のフタのあたりが撮影当時寅が立っていた場所。赤い囲みが寅。

     







     



     
諏訪さくらと書いていた女性は、正確には店員の鈴木さんと言われるそうだ。
    映画的にはそれはわからないから女将さんで良いかも。本当は細い壁の中がピンポイント

     





     
お店の女将さん(店員の鈴木さん)が宅配便の住所を書いていた場所

     (前10年ほど前にちびとらさんが撮影)

      




     






     



小川屋さんの女将さんに、さくらの家の住所とさくらと博の名前を宅配紙に書かせて、
下駄を送ってやろうとするのだが
あまりの値段の高さにビビッて、全部キャンセルして、照れ隠しで笑いながら店を退散する寅



     この寅のミニコントが面白い。


      





      
小川屋さんの店は無くなり、自宅になっているゆえに映画のカメラ位置に立つと
     前の『さくらや駄菓子店』が隠れてしまう。

      



     
今もほぼ店構えが変わらない『さくら駄菓子店』

     




    
下駄屋さんから歩いてすぐの所に円蔵寺があるので寅はそちらに歩いて行く。

    




    
建物の向うに赤い柳津橋が見える。

    






     




     





     小川屋さんの店内にある渥美さんの写真↓(関連のネットから拝借しました)

     



小川下駄屋 ピンポイントストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/jM8c9TiEK1a6KU1v6





     
      


  
      






そして寅は、最終目的地の啖呵売のための円蔵寺本堂裏へ行く。



しかし、
初日の19日は夕方だった故に円蔵寺はもう参拝できなかった。


2日後の9月21日午後に再度訪問

ここでは9月21日の調査をそのまま、まとめて掲載する。


   
巨大な岩を利用して建立されてる仁王門と本堂

   


名刹・福満虚空藏菩薩圓藏寺は、
福島県河沼郡柳津町柳津にある臨済宗妙心寺派の寺院。
山号は霊巌山。本尊は虚空蔵菩薩。

1,200年もの歴史を誇る日本三虚空蔵の一つとして人々の信仰を集め、
年間約100万人もの参拝者が訪れ、柳津観光の中心となっている。

この寺にある虚空蔵堂は「柳津虚空蔵」として知られ、
会津では親しみを込めて「柳津の虚空藏さま」と呼ばれてきた。
村松山虚空蔵堂・金剛證寺などと共に日本三虚空蔵のひとつに数えられる。
また、「福満虚空蔵」とも称される。
毎年1月7日に七日堂裸まいりが行われているらしい。

縁起によると、平安時代初期、弘法大師・空海が唐の高僧から霊木を授かり、
帰国後その木を三つに分けて海に流したところ、
その中の一つがここ柳津町に流れ着いたとのこと。
霊木の漂着を聞いた弘法大師は、その木で虚空蔵菩薩を刻み、
それを受けた会津の名僧徳一大師がこの地に圓蔵寺を開創したと伝えられている。
以来、柳津町は門前町として栄え、歴史にその名をとどめることになった。

境内には、福満虚空蔵菩薩をはじめ、
菊光堂、仁王門、鐘楼、庫裡、歌人の歌碑や句碑も数多くあり、
散策コースとしても人気がある。

永い歴史の中では度重なる水害や火災にも遭ったが、
苦難を乗り越えながら今も臨済宗法灯をともし続けている。

境内にある撫牛像は会津地方の民芸品「赤べこ」の由来にもなっており、
寺建立の難工事の際に赤牛が現れその活躍で無事完成したと言われており、
幸せを運ぶと伝えられている。
この寺も含めた霊地めぐりの一つに会津六詣が人気がある。



    
寅福ポーズで『高羽アングル』を狙う寅福さん。

    





      
福満虚空蔵菩薩圓蔵寺菊光堂(ふくまんこくぞうぼさつえんぞうじきっこうどう)


      



      
果てしなく長い階段が仁王門へ伸び、そこからさらに本堂へ伸びている。

      




     
黄色丸がピンポイントロケ地↓↓

     


   
本編の高羽アングルに戻ろう。


    
寅が円蔵寺下駐車場に到着し、
   テキヤ仲間と挨拶をしている風景を仁王門の上から撮影。


     




     
手前の土が盛られていているゆえにアングルはほんの少しずれる。

     





     
ポンシュウとも下の駐車場で合流。

     




     





      
下から仁王門を見上げる。
     
      




      
このアングルはなかなか難しく 3分以上かけて本編に合わせた。

      




       お寺の裏の方から階段を上って本道に行ける。

      
このお寺は三脚持ち込み禁止&夕方は早めに閉まる。

      




       円蔵寺の裏の方から長い階段を上ったところに
    このロケ地↓↓はある。



      




      






      




      





■https://youtu.be/sZvEDHoLTag
会津『円蔵寺』裏 啖呵売ピンポイント紹介動画



円蔵寺ピンポイントストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/Ho4gjRjFimA4DcDR7







      
円蔵寺本堂舞台からの眺め 赤い橋は「瑞光寺橋」

      





     円蔵寺の下の駐車場からの只見川と遊覧船

      





      
只見川と柳津橋

      





      




   そして、瑞光寺橋から只見川、そして背景に円蔵寺を眺めて
   山田洋次のクレジットで会津ロケシーンが全て終わる。



     



     



     




動画による説明

https://youtu.be/YNk5SMnPVAc?si=1UKKOaH2fp0Jaft-




       
瑞光寺橋からの撮影だった。

      



      




      










19日の調査が終わって、ホテルでチェックイン。



    この初日19日の夕方遅くにちびとらさん父子と会津若松で合流して、4人で乾杯&歓談

     




二日目 9月20日


     翌日20日は 湯川村の『湯川たから館内、高羽記念館』で、
  夕方まで資料の閲覧と記録作成



       



   ちびとらさんの息子の夕映君は三歳から知っているが、
   今ではもう高校二年生!!お父さんより大きくなっている。



    




  
      




   
 高羽哲夫記念館担当者の高倉さんはとても親切で、来るたびに話に花が咲きます(⌒∇⌒)

    




     
高羽さん所有の台本の書き込み部分を3人で分担しながら閲覧していく。

     



     
ちびとらさんも、分担して台本を閲覧し、調査している。

     




     
高羽哲夫さんのお別れの葬儀の際に記した山田洋次監督の文章

    




     






     



■高羽哲夫記念館担当者の高倉理恵子さんとの会話の一部分

 https://youtu.be/YKeYv9sMp3A?si=mlcg93d30JIhqs-U




      





    









     



昼ごはんのタイミングで、

只見線が会津高田駅を出発するのを合わせて
昨日やり残したタイトルバックの列車通過撮影。


   


宿題のロケ現場に4人で出かける。

13時24分『会津高田駅』初 下り



    



    



     



   前日19日より、本日20日の方が『飯豊(いいで)連峰』の稜線が見える!


     
只見線が本編通り通過!! 4人で動画撮影としては世界初登頂!!

    
    




■只見線通貨動画
https://youtu.be/GnFRjZtW2zg?si=Cz4MU-sDfPEUXXgX



■只見線通過動画2
https://youtu.be/Kv-sokjCpTU









昼食の後高羽哲夫記念館に戻り、
閉館の4時まで資料調査と記録を行う。



そして

夕方4時から 
会津高田駅へ向かう。


ここもロケ地。


この駅は、恐怖の宇宙飛行士の夢から覚めてすぐの駅舎シーから始まる。





      
日本人らしい日本人だという理由でアメリカの宇宙ロケットに乗せられた寅。

      




      
夢から覚めて・・・おしっこをちびりそうになっている寅(;^_^A

      




      




      
今も撮影時↑と同じ
  
青い屋根の小林食堂健在。

      
 


      
夢の中で中継アナウンサーとして出てきた松居直美さんを見てびっくりする寅

       



映画撮影時、福島県立大沼高等学校が、この駅のそばにあった。

それが今から数年前に福島県立坂下高等学校と併合され、
現在は福島県立
会津西陵高等学校となっていて
多くの学生さんがこの会津高田駅を現在も利用している。

映画の中ではエキストラの高校生が何人も出てくるが、
おそらく大沼高校の生徒さんたちだったと思われる。



      



     
駅舎のおおよその位置は今も一緒だが、形や広さは全く変わってしまった。

     






    会津高田駅の駅舎を出て、トイレに駆け込む寅


     
     


    
駅舎は形はガラッと変わってしまったが
   トイレと駅舎の位置関係は今もほぼ同じ。


       





     





     




     





2日目(9月20日)の夜の乾杯

https://youtu.be/9ZCjgzuNUaY?si=pHbOjZbmiboM8sJl


      



     












最終日 9月21日




      
最後の9月21日も高羽哲夫記念館も お昼過ぎまで3時間、アルバムや台本などを閲覧調査。


      




最後に、高倉さんにお礼を言い、

『湯川たから館内、高羽哲夫記念館』を後にする時に、
玄関で高倉さんに呼び止められたのだが、
なんと高羽哲夫さんの姪っ子さんお二人が館に今まさに入ろうとされていたのだった。

なんという偶然。

思い切って記念撮影をさせていただきました。
彼女たちは渥美清さんの似顔絵付きのサインなどを寄贈されに来たのです。


高倉さんも入って、みんなで記念撮影。(撮影は姪っ子さんのお嬢さんがしてくださった)


      高倉さんも一緒に記念撮影

     













さあ、いよいよ最後のロケ地調査  滝谷郷戸鉄橋
 


     



ちびとらさんは21日夕方に仕事が入っているために午前中で調査を終えて東京へ帰って行った。

午後12時半に記念館を後にした、私と寅福さんは、
最後にあの寅を乗せた列車が渡る滝谷郷戸鉄橋(滝谷川橋梁)に向かった。
この鉄橋で、只見線が鉄橋を渡る風景を撮影し、この滞在の〆とする予定。




     
列車通過の時のカメラ撮影ポイントのための場所も行政によって作られている。

     





   只見線の下り電車は午後の明るいうちはたった1本!だ。

   14時18分滝谷駅発が数分後にこの鉄橋を通る。


        




     



      映画撮影時の鉄橋側面の見え方をそのままの構図を再現するとこんな風になる。
     2023年の9月ではもう杉の木々で隠れてしまう。


     




列車通過前の説明動画。
https://youtu.be/sLgl9EZAdMs?si=jgz94fg2WUC78L7o


列車通過動画
https://youtu.be/-ibHT2KHMH8?si=e6NsQwH5TNQcXwNi



列車通過動画(アップバージョン)

https://youtu.be/pUq1m9x2NUw?si=_i-pPBnDuhbNQ4GJ




      





      



     




   チャンスは一度限り。 撮影は大成功だった!!

     
          



ピンポイント ストリートビュー
https://maps.app.goo.gl/Cjg18ubB9Rqh7uXX7




このあと、この鉄橋から柳津の円蔵寺と赤べこ通りを約2時間
19日に続いて再度詳細に取材し、


午後4時に東京へ向けて出発した。


   
途中のパーキングエリアでは磐梯山がくっきり見えた。

   


寅福さんには、なんと親切にも帰りも柴又の家まで送っていただき、
少々疲れている身体には本当にありがたかった。

会津ロケ地調査は、
このように、完全踏破することに成功したのだった。