風の盆ポスターにまつわる私の書いた記事 【アーカイブ】





これは第50作「寅次郎 風の盆恋歌」の私的ポスターである。
もちろん、マドンナは夏目雅子さん。

古刹聞名寺がある門前町の越中八尾。

晩夏に毎年開かれる「越中八尾おわら風の盆」が舞台。





     






晩夏、二百十日の風が吹く 『おわら風の盆』

夕闇迫る越中八尾聞名寺境内。

テキヤ仲間と一緒にバイに励む寅。

一息つこうと西町裏の階段を下り、井田川のほとりをぶらつく寅の向こう、

禅寺橋で編笠を背中にしょった一人の浴衣姿の女性 ― 。

悲しげな目をして遠く川面を見つめている。

透き通るような頬につたう一筋の涙。



そっと近づく寅…



寅「お嬢さん、どうしたんだい?」






主演 渥美清

    倍賞千恵子


    下絛正巳
    三崎千恵子
    前田吟
    吉岡秀隆

    後藤久美子
    太宰久雄
    佐藤蛾次郎

    笹野高史
    すまけい
    桜井センリ
    関敬六

    宮沢りえ

    中井貴一

    


    夏目雅子

           


特別ゲスト

    宇野重吉

    岡田嘉子








寅次郎風の盆恋歌 ― このたびは寅次郎一世一代の恋でした。



とまあこのような雰囲気なんだが・・・


で、この物語のロケが行われた越中八尾のアトリエに私は今滞在している。
今年も風の盆がやって来たのだ。


そこで今回は、この不朽の名作「寅次郎 風の盆恋歌」の映画ロケ地(もちろん私的幻想にしかすぎない)を探索してみることにした。

ロケ地探索は今年春と夏の二回にわたって行った。




プロローグ


■かつて五月の曳山祭で越中八尾聞名寺でバイをした寅はすっかりこの落ち着いた町が
  気にいって「風の盆」に再訪することをポンシュウと決意したらしい。
  OPの歌の場面で五月の曳山祭でバイをする寅とポンシュウが映しだされる。




以下本編で行われたロケ地の主なところだ。↓

■暑い暑いと言いながら富山城天守閣脇を通る寅。

■寅の啖呵売の場所聞名寺境内。

■そこで寅と涙する雅子が出会った井田川 禅寺橋。

■雅子が住む町、彼女は八尾上新町の老舗醤油屋の娘。

■鏡町にある雅子の踊りの師匠嘉子(岡田嘉子)の住居。

■寅が約2週間宿泊させてもらった諏訪町にある胡弓の名人重吉(宇野重吉)の住居。

■東京から来たカメラマン笹野(笹野高史)が宿泊していた西町の宮田旅館。

■八尾が気に入り住み着いた写真家。貴一。
  その貴一が密かにテーマにしている雅子の踊り。
  その姿を追いかけて撮り続けるの中井(中井貴一)が手に入れた上新町の古い町家。

■雅子の幼友達で踊りのライバルでもある親友のりえ(宮沢りえ)の実家である西町の造り酒屋。
  りえは貴一を密かに慕っている。


■仲良くなった寅と雅子がぶらぶら散歩していた東新町の若宮八幡社。

■風の盆本番の日雅子が踊る古刹聞名寺の回廊。

■貴一が五年前に最初に雅子とすれ違った山吹の橋。

■雅子が寅に自分の気持を告白した城ヶ山公園。

■去ってしまった寅を追いかける執念の国道から見える月昇る立山連峰。




などである。


序盤にはお決まりのとらやへの帰郷があり、喧嘩がある。

もちろん物語のラストは威勢のいい啖呵バイで終わるのは基本。

今回は越中八尾の中だけのストーリーを抜き取って簡単に紹介しよう。


まずOPのあと

寅がいつものように半年ぶりに柴又に帰郷する。

案の定つまらないことでおいちゃんやタコ社長と大喧嘩して、旅に出た寅は、
今がちょうど越中は「風の盆」の季節だということを
思い出し、上野駅から北陸線に飛び乗る。


そしてやって来た、北陸 越中富山。


真っ青な空の下富山市街地を一人歩く寅。
暑い暑いと唸りながら富山城天守閣の前を通ったあとに、偶然ポンシュウの車に拾われ、
一緒に越中八尾に向かう。

この撮影時も真っ青な空。映画と同じ色だった。


     






       越中八尾 「寅次郎 風の盆恋歌」 ロケ地めぐり地図

     









まず日本の道100選にも選ばれている諏訪町通りと趣のある町家の家々が映しだされる。
この風景こそまさに越中八尾。


      




回想シーンとして

五月の華やかな越中八尾の曳山祭が映しだされる。
五月にまず聞名寺境内でバイをしている寅。


このしっとりとした風情のある小さな町が気に入った寅は、メインの「風の盆」にこそ
再訪したいと決意したのだった。


      





で、今

古刹 浄土真宗本願寺派 聞名寺の境内で、さっそく前夜祭11日間のバイの地割りや準備にかかる寅たち。【地図の番号1番】


    






準備が終わって一息つこうと寅はぶらり、西町の長い長い坂を下り、井田川の畔を散歩する。
今年一度来ているので土地勘はある。


     





禅寺橋までぶらぶら来た時、編笠を背中にしょった一人の浴衣姿の女性の姿 ― 。

悲しげな目をして遠く川面を見つめている。

透き通るような頬につたう一筋の涙。


寅は見るでもなくゆっくり近づいていき…つい声をかけてしまう。


お嬢さん、どうしたんだい?





雅子が立っていたこの禅寺橋から西町の石垣の眺めは私も何度も絵に描いてきた。
最も坂の町八尾らしい風景がここにある。【地図の番号2番】



        





夜になるとこのような幻想的な風景となる↓


        










幼少期からおわらの踊り手としてその特異な才能を見つけられ、稽古に励んできた雅子は
26歳になった今、自分の行く道に迷いが生じていた。
信頼する師匠、嘉子(岡田嘉子)との間に溝ができてしまったのだ。
師匠を裏切りたくないという想いが自分の心を圧迫していく。



      






そんなことを気楽な旅人である寅に話している間にとっぷりと日は暮れてゆく・・・。

ふたりは、ゆっくり話をしながら西町への長い坂を登っていく。【地図の番号3番】


    





    









夜になるとこのような風景になる↓


    





    




雅子は上新町の大きな老舗醤油屋さんの娘。父親が隠居した後兄が店を継いでいる。

心底尊敬する踊の師匠嘉子に、揺らぐ考え方の姿勢をきつく指摘されたのだった。
しかし幼少期から踊りに明け暮れてきた自分の偏った青春に疑問を感じてきている雅子でもあったのだ。

このロケに使われた店は間口も奥行きも広く深く、八尾旧町を代表する老舗だ。【地図番号4番】

     




大船セットではなく、実際にロケとして店内や蔵も撮影に使われた。

     






雅子は忙しく派手な店側からでなく、小さい頃から家の裏口のほうから出入りするのが好きな娘だった。
自分の生きざまや好きな人への対処もいつもそうだった。
何かあるとちょと引いてしまって、ふと気づくとひと気のない静かなところにつねにいる、そんな娘だった。

今日も稽古のために簡素に作られた石の狭い階段をトントンとどこまでも下りてゆく。

この裏手の階段は風情があるが
実はあの醤油屋さんとこの裏手の階段はなんと別の家。別撮りなのだ。
醤油屋さんから徒歩3分なので近い。同じ上新町。実は貴一の家の裏だった!


      




そこには大きなケヤキが生い茂っていて、その下を通る時とても気が落ち着くと雅子は寅に言う。【地図番号5番の裏】


      





このように自分の運命に悩みながらも、店の手伝いが終わると
毎夜稽古をつけにもらうために嘉子(岡田嘉子)の自宅に通う雅子。

嘉子の自宅は雅子の家から5分の鏡町、井田川の畔にある。
嘉子は還暦を超えているが結局誰とも結婚せず一人暮らし。

この嘉子の自宅として撮影されたのは八尾和紙製造「桂樹舎」の会長さんである「吉田桂介」さんの住居。
八尾の山間部の民家を移築したもの。【地図番号6番】


      





物語の中でも嘉子の家は7代続く大きな和紙屋。今はやや廃れてしまったが屋敷はそのまま昭和初期から残っていて
そこの板間を稽古場として目をつけた娘たちに幼い頃から踊りの稽古をつける日々。という設定だった。

実際の稽古場の建物は上記の「桂樹舎」の横にある別館。
山間部の木造小学校を移築して、中には世界の和紙の展示館「和紙文庫」そして喫茶部もある。【地図番号同じく6番】

私はこの喫茶部でくずきりをよく食べる。

染織工芸品の展覧会も吉田さんの援護と人脈によりここで行ったことがある。


     







本編では町の至る所に「酔芙蓉」の花が飾られていた。晩夏の越中八尾によく似合う。

     





寅と知り会ってから、自然体で生きる寅を見て日を追うごとに雅子の踊りの悩みは薄らいでふっきれてゆく。

そして、自分の運命と、なによりも自分に与えられた才能に素直に従いたいと思うようになっていくのだった




晴れた夕方などは涼しくなってから自宅から程近い、若宮八幡社でくつろぐ二人の姿があった。【地図番号7番】
この神社は、昔、養蚕業が盛んだった頃、お蚕さんを祭った場所。


     






一方寅は―

重吉老人と八尾に着いたその夜に知りあう。


最初の晩に東町の割烹料理屋で意気投合してから
2週間ずっと寅は重吉の家にやっかいになる。
諏訪町にある胡弓名人の重吉(宇野重吉)の住居↓【地図番号8番】

奥さんは数年前に亡くなられている。子どもはいない。
かなり変わった老人で、胡弓のことになると誰よりも辛辣な耳と手と感覚を持つ。
町一番のおわらの見巧者でもある。みなが所属している「おわら保存会」には
一切入らないでひとりで演奏してきた孤高の胡弓弾きだ。

重吉の胡弓は、その音色の底に深い哀しみがあると寅は思っていた。

実は・・・

諏訪町の重吉と雅子の師匠である鏡町の嘉子はその昔、若い頃、お互い相思相愛だったが、
抜き差しならないことが原因で結局その恋は実らなかった。
嘉子が生涯独身を通したのもその背後に重吉の影があったと思われる。

そのことがこの二人の人生に消えぬ影となって今もなおつきまとっていると共に
それぞれの芸に得も言われぬ艶と懐を創り上げてもいた。【地図番号8番】


     






雅子やりえが町の合同稽古(温習会)の時に踊っていた西町の公民館兼踊り場。
映画では雅子の町上新町の稽古場ということになっていた。【地図番号11番】


     





     







     










雅子が踊りの行き帰りに浴衣姿で通る道。このあたりは蔵が多いので「蔵並み通り」と言われる。【地図番号4番の裏】


     





雅子が寅との縁の願をかける地蔵様。
毎週朝早く花を備える。これは実は雅子の住む上新町ではなく、東新町のはずれにある。


     







東京から毎年やってくる風の盆マニアのカメラマン笹野(笹野高史)の定宿である西町の旅籠屋情緒あふれる「宮田旅館」
笹野は、なにかとちょこまかと出てきては、小さな騒動を起こしみんなを和ませている。
意外にカメラの腕は貴一に言わせると捨てたもんじゃないそうだ。温かな写真を撮る人【地図番号10番】


    





その宮田旅館の斜め前にあるのが、雅子の友人であるりえ(宮沢りえ)の家。八尾では有名な造り酒屋の娘。
りえは年は雅子と3歳ほど離れて年下だが雅子とウマが合い、親友である。
とびっきりの美人で旧町の誰もが認める踊りの名手。町のマドンナ的存在。
都会から多くのリピーターがこの華やかなりえの踊りを見に来る。
それゆえに早くから世間的にも注目され踊りのDVDなどもすでに何枚か出ている。

年下なのに雅子の悩みごとを聞いてあげたりもする奇妙な関係。
親友であるがもちろん実は踊りのライバルでもある。
雅子の尋常ではない踊りの才能をしっかり見抜いている数少ない理解者でもある。

師匠の嘉子が幼少期から自分ではなく雅子を一番弟子に選んで踊りを教え続けていることに淋しさと悔しさも感じている。

一途で芸術肌な写真家の貴一を密かに慕ってもいる。【地図番号9番】


    






前が、町の稽古場なので、風の盆が近づくと青年たちは稽古が終わるとこうやって↓飲み明かす。









りえの家の数軒向こうに表具師のすまさん(すまけい)の店がある。
すまさんはなにかと寅の面倒を見たがるキップの良い富山県人だ。寅の飲み仲間。
金使いが荒いので奥さんにはまったく信用されていない。
実は富山県でも知る人ぞ知る凄腕の職人。仕事では頑固一徹。
重吉老人と差しで話せる数少ない男 【写真番号9番】付近


    





唄うたいの桜井さん(桜井センリ)の家は雅子の家のもう少しだけ上手。このへんは西新町と言う。
この小さな西新町は踊りが上手な人が多い。寅とはすまさん同様寅の愉快な飲み友達。
本編で、ちらっと話題に出されているが、実は・・・桜井さんは昔嘉子さんにかなり惚れていたらしい・・・。
嘉子の踊りは凛としてそれはもう誰よりも輝いていたそうだ。
重吉老人に唄があまいと口ではいつも馬鹿にされてはいるが、夜流しの時は重吉は必ず桜井さんを誘う。


     





本編の中でもしょっちゅう出てくるが、
町のいたるところに、冬から春に雪解け水を逃がすための細い水路が設けられている。
これは「えんなか」と言って、夜中に枕の下でこの水の音を聞いていると安眠できるのだ。


かにかくに 八尾恋しや 寝るときも 枕の下を水の流るる (本歌有り)


      







貴一は5年前に八尾が気に入って住み着いた東京から来た変わり者の写真家。
好きな写真しか撮らないが、鋭い感性を持っている故か、東京の編集者に一目置かれてもいる。

親しくしてもらっている胡弓名人の重吉の鋭い洞察力と審美眼も貴一の成長を助けているようだった。

そんな貴一が手に入れた上新町の町屋がここ。↓うなぎの寝床のように奥が長い。

中に入ると吹き抜けの入り口がある。 築後100年ほど経っているらしい。
雅子の家とは同じ上新町。お互い徒歩3分と近い。【写真5番】




(実はこの家は私、吉川孝昭の自宅です^^ヾ)



      






まだ貴一が東京に住んでいて八尾に取材旅行に来た時、はじめて雅子と偶然すれ違ったのがこの山吹の橋↓。
この時貴一は稽古に行く浴衣姿の雅子の後ろ姿を山吹の橋と共に一枚撮るのだった。
これが貴一の運命を変えた。
【写真13番】


     









夕暮れ時が近づいて来て、寅は夕涼みに雅子を誘いに行く。諏訪町通り(日本の道100選)


     






そして夜になると雅子は別人のような「気」で踊るのである。美しく柔らかいが切れ味もありタメもある。
清楚な中にも艶やかさも秘めている。まさに踊りの神に取り憑かれた娘だった。


        






そして、深夜の夜流しとともに明け方まで町町を踊っていくのだった。


        






そうこうしていると・・・11日間の前夜祭も終わり、本番が迫ってきた。

いよいよ聞名寺でのお披露目の踊りの日。
聞名寺回廊での雅子の美しい踊りは、りえも踊りを止めて立ち尽くすほど絶品だった。

同じように呆然と見惚れる寅の姿が境内にあった。


雅子はひとつの大きな壁を超えたのだった。
それを支えたのは旅人である寅の人柄と感覚だったことを誰よりも雅子は知っていた。

寅は雅子を助けるだけでなく、新しく生まれ変わらせたのだ。


         






本堂は京都の名匠柴田新八郎貞英の傑作(文化九年完成)。
総欅造りの豪壮な作風は、堂内の華麗さと ともに、浄土真宗 本願寺様式建築としては全国白眉のもの。 



江戸後期時代から続くこの総欅作りの回廊は長く、踊りごたえがある。


     





寅は境内からひっそり回廊の雅子の踊りを眺め、そのあまりの美しさに心が震え、目が潤んでくるのだった。

これが天から与えられし才能というものか ―

寅が今までのだれよりも深く強く恋をしてしまった瞬間だった。


     






当時寅は47歳、雅子は26歳。

雅子に忘れかけていたユーモアを与え、純粋に生きる喜びを与え続ける寅。

雅子は20歳も歳の差がある寅に対して、最初は兄のように、そしてしだいに一人の男性として見るようになっていく。


一方寅は、写真家の貴一の雅子に対する気持ちを知って、雅子の気持ちを確かめてやろうと、自分の想いはぐっと胸の奥に押し殺し、
諏訪町の向こうにそびえる城ヶ山公園の散歩に雅子を誘う。

諏訪町通りから伸びる長い長い石段をゆっくり登りつめると城ヶ山公園。


     







城ヶ山の奥、木漏れ日の美しい乃木堂のある広場で、寅から貴一への気持ちの有無を聞かれるが、
それには答えず、逆に雅子は、自分の中に密かに芽生え始めている寅への気持ちを控えめではあるが思い切って告げる。


     





言い終わって恥ずかしくていたたまれない雅子は
踊りの稽古があるからと言って一人で素早く長い石段を下っていく。


     





一人、城ヶ山の丘に残された寅は、呆然と立ち尽くす。

内心喜びに打ち震えながらも、
生粋の八尾人である雅子に相応しいのは、
この地に根ざし、生涯をこの地で生き抜こうと決意した貴一なのだと確信もしていた。
自分にはそこまでの覚悟はない・・・。


この展望場所からは、本編でもでてきたように、晴れた日はかなり遠くの街まで見渡せる。
取材の日(この場所は春)も遠くはるかかなたに富山平野がどこまでも広がっていた。


     



そして・・・


風の盆の最後の夜を残して、夕方、寅は雅子への置き手紙をりえに託して姿を消す。

そして今なら最終の東京行きに間にあうと、貴一に無理やり富山駅まで車で送らせたのだった。

雅子はそれを後で知る。

もうかれこれ30分以上も前に富山駅の方に出ていったと伝えた親友のりえの声も耳に入らないくらい狼狽した雅子は
車に飛び乗り寅を乗せた貴一の車を飛ばしに飛ばし追いかけるが・・・・


      





どこまで飛ばしても貴一の車に追いつけるはずもなかったし、もう汽車に間にあうはずもなかった・・・。

突然車を止めて、外に出る雅子。

遙か彼方に赤く染まる立山連邦。

頬に涙をつたわせていつまでも山々を見続ける雅子。


      



今まさに立山に月が昇らんとしていた。

そして・・・どれくらい時間が経っただろうか・・・


突如、雅子は強い目になり、

車に乗り込み、Uターンして八尾に戻っていくのだった。

もう彼女は泣いてなどいなかった。


このシーンでの立山連邦はこの世のものとは思えないほど幻想的で美しかった。まさに幽玄。

撮影エピソードによると、
いい山といい月がでるまで何週間もスタッフが粘ったそうだ。


      






そして 風の盆 最後の夜。

寅への想いを振り切るかのように、

夕方遅くの町流し、そして深夜の「夜流し」。

嘉子そして貴一が見守る中、
重吉率いるベテランたちの中で踊る雅子。
踊りつづけるにますます冴えてくる踊り。




午前四時 暁のころ・・・もうこれで今年最後の踊り納め。

昨日までとはまったく違った

艶やかな中に深い哀しみが潜む踊りがあらわれた。


神に与えられし才能、誰一人達したことのない、嘉子も知りえない領域。


まさに一生に一度の踊り ― 。








男はつらいよ  寅次郎 風の盆恋歌     終





  
       







      




以上「寅次郎風の盆恋歌」のロケ地巡りとともに簡単に物語をたどってみました(^^;)
長々とお疲れ様でした。





もちろん上記の全ての記述、内容は
僕の個人的な妄想であり、
実際にはそんな「寅次郎 風の盆恋歌」なんていう作品は
この世に存在しませんし、スタッフ、キャスト、エピソードともに
100%でたらめです。

すべて完全なフィクションです。
ご了承ください。





【 べつに読まなくてもいいけど、一応 豆知識  】


年中行事としての「風の盆」は
暴風を吹かせて農作物に被害を与える悪霊を「二百十日」に歌と踊りで鎮めう「風鎮行事」である。
また八尾旧町は交易や養蚕.和紙などの地場産業で栄えた町であるので、むしろ
祖霊を供養する「盂蘭盆」との関係が深いとも考えられている。



「おわら」の起源は江戸元禄期。

町外に流出していた八尾旧町の建設許可書「町建御墨付文書」を町に取り戻した
ことを喜んで三日三晩踊り明かしたことに由来するらしい。



「おわら」の語源は

■豊年を意味する「大藁」から来たとする説。

■江戸期に遊芸者たちが滑稽な格好をして、唄に「おわらひ」という言葉を
 入れながら町を練り歩いたことから来たとする説。

■「小原村」から来た娘が美しい声で有名になった。という説。



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